2012.05.18 *Fri
言論詐欺のような行為はやめてもらいたい
1週間ほど前のことになるが、橋下徹氏が口にしたと言われる発言の正確なところを確かめようとしてネット検索をしていたところ、北村隆司という人の次の記事に行き当たった。
「反「ハシズム」学者が橋下市長に勝てない理由―私の分析」
このなかに、非常に驚かされたことに、橋下徹大阪市長をインドのマハトマ・ガンジーになぞらえて論じている箇所があった。執筆者の北村氏によると、「理念と原点が確りしてい」る橋下氏の戦略は、ガンジーの「塩の行進」に似たものがあるというのである。その文章を以下に引用させていただく。
………………………………
「 橋下さんは、自分の理念と原点(オリジナルインテント)が確りしていますから 、何処から攻められてもぶれません。又、間違ったと思えば直ぐ訂正し、知らない事は素直に知らないと認めるのも、いさぎよいのではなく、そうしないと原点が崩れるからです。
彼の戦略は、ガンジーの「塩の行進」戦略に似たものがあり、反ハシズム学者とはスケールが違います。
インドの独立運動の重要な転換点となった塩の行進は、英国植民地支配を支える収入源だった塩の専売制度に運動の焦点を絞った、ガンジーの天才的な戦略ですが、橋下市長の「新しい統治機構」を目標にした「都構想」戦略と通ずる物があります。
塩の専売制度は、誰でも海岸地域で作れるにもかかわらず、一般人が塩を作る事を禁じ、違反者には刑事罰を課し、労働者が金を払って塩を買う事を強制した制度で、日本の霞ヶ関と良く似た統治機構でした。
ガンジーが塩の専売制度に抵抗の焦点を絞った事は、地域、階層、宗教、人種的な境界を越えた共感を呼び、インド人大衆を広く動かすのに十分な力を発揮しま した。
「都構想」は、これまでの個別政策中心の「対症療法」から、諸悪の根源である 「官僚制度」と「中央集権」を追放する「根本療法」への戦略転換の象徴で、英国の統治機構を追放する事を目的とした「塩の行進」の役割りを果たすものです 。
ガンジーの基本的な考え方の一つであるサッテイヤーグラハとは、サッティヤ(真実)とアーグラハ(説得)とを統合したものですが、これも、橋下市長の基本型で、朝から生テレビの論争で圧勝を呼んだ秘密兵器です。国民は、現場の「真実」なしの理屈だけの「説得」には騙されなくなったのです。 橋下市長の見逃せないもう一つの才能に、「特定の立ち場に立って、そのあるべき姿を代弁する」アドヴォカシー能力があります。この能力は「課題」を中心に「問題点」を分析し「適正手段」を選択する、客観的な論議には欠かせない能力です。
内田樹教授はその著書で「アメリカの初期設定のように、理念に基付いて建国されていない日本には、立ち帰る原点がない」と指摘し、国政に於ける原点の重要さを強調されましたが、橋下市長の強みの源泉として、個々の政策の良し悪しではなく、原点を持った稀な政治家である事も見逃せません。
視聴者の圧倒的多数が、橋下市長との論争で山口、香山、薬師院各教授が完敗したと判定した理由は、弁論技術の巧拙ではなく、理念の有無と現場把握力の差です。」
………………………………
このような発想がなされ、このような文章が書かれうるとは私は思っていなかった。「ガンジーの基本的な考え方の一つであるサッテイヤーグラハとは、サッティヤ(真実)とアーグラハ(説得)とを統合したものですが、これも、橋下市長の基本型で、朝から生テレビの論争で圧勝を呼んだ秘密兵器です。」などと、執筆者は本気で考えているのだろうか? ガンジーと、「朝から生テレビ」(「朝まで生テレビ」の誤りだと思うが)や橋下徹氏とを並べて論じているが、最初のほうを少しばかり観たあのテレビ番組の内容を思い出すと、双方の気の遠くなるような隔たりにいまさらのように気づかされる。「 彼(注;橋下大阪市長)の戦略は、ガンジーの「塩の行進」戦略に似たものがあり 」って、「似たものがあ」るなどとこの文章の書き手がもし本当にそう思って記述したのなら、そんなことを思っているのは世界広しと言えどもこの人だけだろう。現在橋下氏を熱烈に支持している人々のなかにはあるいはそうだ、そうだ、と唱和する人がいるかも知れないが、けれども本心からそんなことを思う人間はまずいないだろう。なぜなら誰もが知るようにガンジーの「塩の行進」の目的は自分たちの国インドを長い強固なイギリスによる植民地支配から解放し、独立をかち取るためであった。ガンジーの人生も人格も政治的活動もそのすべては過酷な植民地支配からの国の独立、人々の解放に捧げられたものであり、ガンジーという人が私たちの内に敬愛の念を呼び覚ましたり、その言葉、行動が崇高さを感じさせずにおかない理由の第一はそのためであろう。
一方、橋下氏はどうか。自国が長い間植民地にして言葉や名前を奪い、人々を村ごと焼き払う、教会ごと焼き払うなど残虐のかぎりを尽くした朝鮮に対して謝罪の気持ちなどは一片もなく、朝鮮学校の補助金問題への対応や北朝鮮に対する「ナチス」「暴力団」などという罵倒を見れば分かるように、侮辱のかぎりをつくしている。世界のあちこちでナチスに比されているのは過去の日本であって北朝鮮ではありえないことを知らないのだろうか。ひょっとしたらこの人は潜在的に自分に対していだいている評価を、どんなことを言っても大事には至らないのだから言いたい放題口にしてもかまわないと思っている(らしい)北朝鮮に向けているのではないかという気がする。たまにツイッターの文句をみることがあるが、そう言いたくなるほどにその発言内容は異様である。
このように植民地支配に対して強者が弱者を支配して何が悪い、くらいにしか考えていないことが明白な酷薄かつ薄っぺらいお調子者にすぎない人物を、北村氏は植民地支配に対して持続的で賢明な戦いを挑みつづけた20世紀の偉人の一人であることは間違いないであろうガンジーに並び比べているのだ。本当に恥ずかしいことである。ガンジーが、①1939年インドを訪問した賀川豊彦に向かって、②また1942年には公開状「すべての日本人に」において、言葉の端々に対象への行き届いた配慮をにじませながらも、日本の行動について、対日感情について何と言ったか、 「世界の名著 ガンジー ネルー」訳・蠟山芳郎(中央公論社1967年)から以下に引用しておきたい。
① 「あなたがた日本人は、すばらしいことをなしとげたし、また日本人から、私たちは多くのことを学ばなくてはなりません。ところが、今日のように中国を併呑したり、そのほかぞっとするような恐ろしいことをやっていることを、どのように理解したらよいのでしょうか。」
②-1 「まず初めに言わせてもらえば、わたしはあなたがたにいささかの悪意も持っていません。けれどもわたしは、あなたがたが中国に加えている攻撃を非常にきらっています。あなたがたは、崇高な高見から帝国主義的野心にまで降りてきてしまいました。あなたがたは、野心の達成には失敗してアジア解体の張本人となり、知らず知らずのうちに世界連邦と、同胞関係をさまたげることになりましょう。同胞関係なしの人間は、いっさいの希望をもてなくなってしまうのです。」
②-2 「こうした楽しい回想(引用者注:日本山妙法寺の僧侶たちとの共同生活や交流を通じての日本人への高い評価)を背景にもっていたので、あなたがたが、わたしには理由のないものに思われる攻撃を中国に加えたこと、そして報道が正確だとすれば、あの偉大な、そして古くからの国を無慈悲に荒らしてしまったことを思いだすたびに、わたしは非常に悲しく思います。」
②-3 「さらに私たちは、あなたがたやナチズムに劣らず私たちがきらっている帝国主義国に反抗しなくてはならないという、特殊な立場にあります。帝国主義に対する私たちの反抗は、イギリスの人々に危害を加えると言う意味ではないのです。私たちは彼らを改心させようとしています。イギリスの支配に対する非武装の反乱です。今、この国の有力な政党(会議派のこと)が、外国人の支配者と決定的な、しかし友好的な闘いを交えています。しかし、このことで、外国からの援助を必要としてはいません。あなたがたのインド攻撃がさし迫っているという特定の瞬間をねらって私たちが連合国を困らせているのだというように、あなたがたは聞かされているということですが、それはたいへんまちがった情報です。もしも私たちが、イギリスの苦境を乗ずべき好機にしようと欲しているのならば、3年前、この大戦が始まったときに、すでに私たちは行動していたはずです。イギリス勢力の撤退を要求する運動を、けっして誤解してはいけません。事実、報道されるように、あなたがたがインドの独立を熱望しているならば、イギリスによってインドの独立が承認されることは、あなたがたにインドを攻撃させるいかなる口実もいっさいなくしてしまうはずです。さらに、あなたがたの言うことは、中国に対する無慈悲な侵略と一致していません。
わたしは要請したい。もしも、インドから積極的な歓迎を受けるだろうと信じようものなら、あなたがたはひどい幻滅を感ずるという事実について、けっしてまちがえないようにしてください。イギリス勢力の撤退を要求する運動の目標とねらいは、インドを自由にして、イギリス帝国主義であろうと、ドイツのナチズムであろうと、あるいはあなたがたの型のものであろうと、すべての軍国主義的、帝国主義的野心に反抗する準備をインドに整えさせるためです。
もし私たちがそういう行為に出なければ、私たちは世界の軍国主義化をただ傍観している見下げた奴に堕落してしまうのでしょうし、また、非暴力こそ軍国主義的精神と野心とに対するただ一つの解毒剤であろうとする、私たちの信念を無視することになってしまうでしょう。」
上記のようなガンジーの公開状の文面について、訳者の蠟山芳郎氏は、「ガンジーは、インドが独立を獲得するのに他国の援助を欲していないこと、世界大戦を利用する考えをもたないこと、この際イギリスをインドから撤退させることこそ、インドが大戦争の渦中にまきこまれない保証であること、などを慎重に考えたうえで非服従運動を起こしたことをていねいに説明しているのだが、神経の荒っぽい日本政府ならびに軍当局からは、なんら関心をひきだせなかった。」と書いている。
以上見てきたように、北村氏が橋下大阪市長をガンジーに並べて持ち上げようとしている行為は単に恥を知らない人物の行為というしかないように思う。北村氏は、おそらく橋下氏をナチズムに譬えた「「反「ハシズム」学者」に対抗してガンジーを持ち出したのだろうが、これはあまりに歴史を、また読者をなめた行為であって、一片の説得性も持っていないことは明白だろう。
ところが、このような一種詐欺まがいのことをやっているのは北村氏だけではないのだ。同じくインドのジャワーハルラール・ネルーの発言に対しても日本のあるタイプの人々は、自分の主張に都合のいい部分のみを選んで引用し、ネルーの発言の趣旨とはまったく異なる意味内容にしてしまっている。以前同様のことを「新しい教科書をつくる会」も行なったと聞いたことがあるが、次の『日本に学べ』という記事もそうである。(強調のための下線はすべて引用者による)
「 「日本が勝ちました。大国の仲間入りをしました。アジアの国、日本の勝利は、全てのアジア諸国に計り知れない影響を与えたのです。少年の私がこれにいかに興奮したか、以前、あなたに話したことがありますね。この興奮はアジアの老若男女全てが分かち合いました。欧州の大国が負けました。アジアは欧州に勝ったのです。アジアのナショナリズムが東の国々に広がり、『アジア人のためのアジア』の叫び声が聞こえました」(筆者訳)。
インドのネルー首相は、少年の頃、日露戦争での日本の勝利を知った。インドがまだ英国からの独立運動を行っていた頃のことだ。冒頭の一節は、ネルーが後年に書いた「娘に語る世界史」の一節である。娘とは、のちにネルー首相の後を継いでインドの首相になったインディラ・ガンジー首相だ。上野かいわいの日本の小学生たちは、戦後に上野動物園から象や猛獣がいなくなっていたことを嘆き、象を送ってくれるようにネルー首相に手紙を書いた。ネルー首相の贈り物は、まな娘の名をとったインド象「インディラ」であった。」
私の40有余年の外交官生活で得た感想は、日本ほど世界中で尊敬され、好かれている国は少ないということだ。(略)」
上の文章中、下線を引いた部分は、原文においてはおそらく下記の文章の下線部分と同一箇所ではないかと思う。執筆者は文中で明らかな嘘をついているわけではない。しかし、この部分だけを引用してすましていることは作者および読者に対して完全に不誠実であろう。この文章のすぐ後には、「ところが、その直後の成果は、少数の侵略的帝国主義諸国のグループに、もう一国をつけくわえたというにすぎなかった。」という真に重大な言葉がつづいているのだから、これを抜かしての引用ではネルーの意図したところが読者には全然伝わらない。それどころか、読者はネルーの意図とは逆の内容を教えられることになる。以下に「みすず書房」の大山聰氏の訳文をもう少し長く引用しておく。未読の方はぜひ読み比べていただきたく思う。
「 父が子に語る世界歴史 4(ジャワーハルラール・ネルー著・大山聰訳)(みすず書房1959年初出)
117 日本の勝利 1932年12月30日
日露戦争は、1905年の9月のポーツマス条約でおわった。ポーツマスは、アメリカ合衆国にある。アメリカ大統領が両当事国をそこに招いて、講和条約が締結されたのだった。この条約によって、日本はとうとう旅順港と遼東半島をとりかえした。日本が中国との戦争後に、これらを放棄しなければならなかったことは、おぼえていることと思う。日本はまた、ロシアが満州に建設した鉄道の大部分と、日本の北方によこたわるサハリン(樺太)の半分をとった。さらにロシアは、朝鮮にたいするいっさいの権利を失った。
かくて日本は勝ち、大国の列にくわわる望みをとげた。アジアの一国である日本の勝利は、アジアのすべての国ぐにに大きな影響をあたえた。わたしは少年時代、どんなにそれに感激したかを、おまえによく話したことがあったものだ。たくさんのアジアの少年、少女、そしておとなが、おなじ感激を経験した。ヨーロッパの一大強国はやぶれた。だとすればアジアは、そのむかし、しばしばそういうことがあったように、いまでもヨーロッパを打ち破ることもできるはずだ。ナショナリズムはいっそう急速に東方諸国にひろがり、「アジア人のアジア」の叫びが起こった。しかしこのナショナリズムぱたんなる復古でも、旧い習慣や、信仰への固執でもない。日本の勝利は、西洋の新産業方式の採用のおかげだとされている。この、いわゆる西洋の観念と方法は、このようにして、いっそう全東洋の関心をあつめることになった。
118 中華民国 1932年12月30日
日本のロシアにたいする勝利がどれほどアジアの諸国民をよろこばせ、こおどりさせたかを、われわれはみた。ところが、その直後の成果は、少数の侵略的帝国主義諸国のグループに、もう一国をつけくわえたというにすぎなかった。そのにがい結果を、まず最初になめたのは、朝鮮であった。日本の勃興は、朝鮮の没落を意味した。日本は開国の当初から、自己の勢力範囲として、すでに朝鮮と、満州の一部に目をつけていた。もちろん、日本はくりかえして中国の領土保全と、朝鮮の独立の尊重を宣言した。帝国主義国というものは、相手の持ちものをはぎとりながら、平気で善意の保証をしたり、人殺しをしながら生命の尊厳を公言したりするやり方の常習者なのだ。だから日本も、朝鮮にたいして干渉しないと、ものものしく宣言した口の下から、むかしながらの朝鮮領有の政策をおしすすめた。対中国戦争も、対ロシア戦争も、朝鮮と満州を焦点とする戦争だった。日本は一歩一歩地歩を占め、中国が排除され、ロシアが敗北したいまでは、あたかも無人の野を行く観があった。
日本は帝国としての政策を遂行するにあたって、まったく恥を知らなかった。ヴェールでつつんでごまかすこともせずに、おおっぴらに漁りまわった。1894年、日清戦争の開始直前に、日本人は朝鮮の首都ソウルの王宮に腕ずくで押しいって、日本の要求を聞き入れなかった女王〔閔妃〕を廃して、幽閉した。日露戦争後、1905年に朝鮮国王は、むりやり朝鮮独立の放棄をみとめさせられ、日本の宗主権を受けいれた。しかしこれでもたりず、5年もたたないうちに、この不幸な国王は廃され、朝鮮は日本帝国に併合された。これは1910年のことだった。3千年以上にわたる長い歴史をもつ独立国としての朝鮮はほろびた。廃位された国王は、5百年まえにモンゴル人を駆逐した王朝〔李氏朝鮮〕に属していた。しかし朝鮮は、その長兄と仰いだ中国とおなじく、罰金を支払わなければならなかった。
朝鮮――この国は、古い名称で呼ばれることになった。朝の爽やかさという意味だ。日本はいくらかの近代的改革をもちこんだが、容赦なく朝鮮人民の精神をじゅうりんした。長いあいだ独立のための抗争はつづけられ、それは、いくたびも爆発をみた。なかでも重要なのは、1919年の蜂起であった。朝鮮人民――とくに青年男女――は、優勢な敵に抗して勇敢にたたかった。自由獲得のためにたたかう、ある朝鮮人団体が正式に独立を宣言し、日本人に反抗したばあいなどは、かれらはただちに警察に密告され、その行動を逐一通報されてしまった! かれらはこうして、かれらの理想に殉じたのだ。日本人による朝鮮人の抑圧は、歴史のなかでもまことにいたましい、暗黒の一章だ。朝鮮では、多くは大学を出たばかりの、若い少女が、闘争の重要な役割を果たしていると聞いたら、おまえもきっとこころをひかれるだろうと思う。 」
「反「ハシズム」学者が橋下市長に勝てない理由―私の分析」
このなかに、非常に驚かされたことに、橋下徹大阪市長をインドのマハトマ・ガンジーになぞらえて論じている箇所があった。執筆者の北村氏によると、「理念と原点が確りしてい」る橋下氏の戦略は、ガンジーの「塩の行進」に似たものがあるというのである。その文章を以下に引用させていただく。
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「 橋下さんは、自分の理念と原点(オリジナルインテント)が確りしていますから 、何処から攻められてもぶれません。又、間違ったと思えば直ぐ訂正し、知らない事は素直に知らないと認めるのも、いさぎよいのではなく、そうしないと原点が崩れるからです。
彼の戦略は、ガンジーの「塩の行進」戦略に似たものがあり、反ハシズム学者とはスケールが違います。
インドの独立運動の重要な転換点となった塩の行進は、英国植民地支配を支える収入源だった塩の専売制度に運動の焦点を絞った、ガンジーの天才的な戦略ですが、橋下市長の「新しい統治機構」を目標にした「都構想」戦略と通ずる物があります。
塩の専売制度は、誰でも海岸地域で作れるにもかかわらず、一般人が塩を作る事を禁じ、違反者には刑事罰を課し、労働者が金を払って塩を買う事を強制した制度で、日本の霞ヶ関と良く似た統治機構でした。
ガンジーが塩の専売制度に抵抗の焦点を絞った事は、地域、階層、宗教、人種的な境界を越えた共感を呼び、インド人大衆を広く動かすのに十分な力を発揮しま した。
「都構想」は、これまでの個別政策中心の「対症療法」から、諸悪の根源である 「官僚制度」と「中央集権」を追放する「根本療法」への戦略転換の象徴で、英国の統治機構を追放する事を目的とした「塩の行進」の役割りを果たすものです 。
ガンジーの基本的な考え方の一つであるサッテイヤーグラハとは、サッティヤ(真実)とアーグラハ(説得)とを統合したものですが、これも、橋下市長の基本型で、朝から生テレビの論争で圧勝を呼んだ秘密兵器です。国民は、現場の「真実」なしの理屈だけの「説得」には騙されなくなったのです。 橋下市長の見逃せないもう一つの才能に、「特定の立ち場に立って、そのあるべき姿を代弁する」アドヴォカシー能力があります。この能力は「課題」を中心に「問題点」を分析し「適正手段」を選択する、客観的な論議には欠かせない能力です。
内田樹教授はその著書で「アメリカの初期設定のように、理念に基付いて建国されていない日本には、立ち帰る原点がない」と指摘し、国政に於ける原点の重要さを強調されましたが、橋下市長の強みの源泉として、個々の政策の良し悪しではなく、原点を持った稀な政治家である事も見逃せません。
視聴者の圧倒的多数が、橋下市長との論争で山口、香山、薬師院各教授が完敗したと判定した理由は、弁論技術の巧拙ではなく、理念の有無と現場把握力の差です。」
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このような発想がなされ、このような文章が書かれうるとは私は思っていなかった。「ガンジーの基本的な考え方の一つであるサッテイヤーグラハとは、サッティヤ(真実)とアーグラハ(説得)とを統合したものですが、これも、橋下市長の基本型で、朝から生テレビの論争で圧勝を呼んだ秘密兵器です。」などと、執筆者は本気で考えているのだろうか? ガンジーと、「朝から生テレビ」(「朝まで生テレビ」の誤りだと思うが)や橋下徹氏とを並べて論じているが、最初のほうを少しばかり観たあのテレビ番組の内容を思い出すと、双方の気の遠くなるような隔たりにいまさらのように気づかされる。「 彼(注;橋下大阪市長)の戦略は、ガンジーの「塩の行進」戦略に似たものがあり 」って、「似たものがあ」るなどとこの文章の書き手がもし本当にそう思って記述したのなら、そんなことを思っているのは世界広しと言えどもこの人だけだろう。現在橋下氏を熱烈に支持している人々のなかにはあるいはそうだ、そうだ、と唱和する人がいるかも知れないが、けれども本心からそんなことを思う人間はまずいないだろう。なぜなら誰もが知るようにガンジーの「塩の行進」の目的は自分たちの国インドを長い強固なイギリスによる植民地支配から解放し、独立をかち取るためであった。ガンジーの人生も人格も政治的活動もそのすべては過酷な植民地支配からの国の独立、人々の解放に捧げられたものであり、ガンジーという人が私たちの内に敬愛の念を呼び覚ましたり、その言葉、行動が崇高さを感じさせずにおかない理由の第一はそのためであろう。
一方、橋下氏はどうか。自国が長い間植民地にして言葉や名前を奪い、人々を村ごと焼き払う、教会ごと焼き払うなど残虐のかぎりを尽くした朝鮮に対して謝罪の気持ちなどは一片もなく、朝鮮学校の補助金問題への対応や北朝鮮に対する「ナチス」「暴力団」などという罵倒を見れば分かるように、侮辱のかぎりをつくしている。世界のあちこちでナチスに比されているのは過去の日本であって北朝鮮ではありえないことを知らないのだろうか。ひょっとしたらこの人は潜在的に自分に対していだいている評価を、どんなことを言っても大事には至らないのだから言いたい放題口にしてもかまわないと思っている(らしい)北朝鮮に向けているのではないかという気がする。たまにツイッターの文句をみることがあるが、そう言いたくなるほどにその発言内容は異様である。
このように植民地支配に対して強者が弱者を支配して何が悪い、くらいにしか考えていないことが明白な酷薄かつ薄っぺらいお調子者にすぎない人物を、北村氏は植民地支配に対して持続的で賢明な戦いを挑みつづけた20世紀の偉人の一人であることは間違いないであろうガンジーに並び比べているのだ。本当に恥ずかしいことである。ガンジーが、①1939年インドを訪問した賀川豊彦に向かって、②また1942年には公開状「すべての日本人に」において、言葉の端々に対象への行き届いた配慮をにじませながらも、日本の行動について、対日感情について何と言ったか、 「世界の名著 ガンジー ネルー」訳・蠟山芳郎(中央公論社1967年)から以下に引用しておきたい。
① 「あなたがた日本人は、すばらしいことをなしとげたし、また日本人から、私たちは多くのことを学ばなくてはなりません。ところが、今日のように中国を併呑したり、そのほかぞっとするような恐ろしいことをやっていることを、どのように理解したらよいのでしょうか。」
②-1 「まず初めに言わせてもらえば、わたしはあなたがたにいささかの悪意も持っていません。けれどもわたしは、あなたがたが中国に加えている攻撃を非常にきらっています。あなたがたは、崇高な高見から帝国主義的野心にまで降りてきてしまいました。あなたがたは、野心の達成には失敗してアジア解体の張本人となり、知らず知らずのうちに世界連邦と、同胞関係をさまたげることになりましょう。同胞関係なしの人間は、いっさいの希望をもてなくなってしまうのです。」
②-2 「こうした楽しい回想(引用者注:日本山妙法寺の僧侶たちとの共同生活や交流を通じての日本人への高い評価)を背景にもっていたので、あなたがたが、わたしには理由のないものに思われる攻撃を中国に加えたこと、そして報道が正確だとすれば、あの偉大な、そして古くからの国を無慈悲に荒らしてしまったことを思いだすたびに、わたしは非常に悲しく思います。」
②-3 「さらに私たちは、あなたがたやナチズムに劣らず私たちがきらっている帝国主義国に反抗しなくてはならないという、特殊な立場にあります。帝国主義に対する私たちの反抗は、イギリスの人々に危害を加えると言う意味ではないのです。私たちは彼らを改心させようとしています。イギリスの支配に対する非武装の反乱です。今、この国の有力な政党(会議派のこと)が、外国人の支配者と決定的な、しかし友好的な闘いを交えています。しかし、このことで、外国からの援助を必要としてはいません。あなたがたのインド攻撃がさし迫っているという特定の瞬間をねらって私たちが連合国を困らせているのだというように、あなたがたは聞かされているということですが、それはたいへんまちがった情報です。もしも私たちが、イギリスの苦境を乗ずべき好機にしようと欲しているのならば、3年前、この大戦が始まったときに、すでに私たちは行動していたはずです。イギリス勢力の撤退を要求する運動を、けっして誤解してはいけません。事実、報道されるように、あなたがたがインドの独立を熱望しているならば、イギリスによってインドの独立が承認されることは、あなたがたにインドを攻撃させるいかなる口実もいっさいなくしてしまうはずです。さらに、あなたがたの言うことは、中国に対する無慈悲な侵略と一致していません。
わたしは要請したい。もしも、インドから積極的な歓迎を受けるだろうと信じようものなら、あなたがたはひどい幻滅を感ずるという事実について、けっしてまちがえないようにしてください。イギリス勢力の撤退を要求する運動の目標とねらいは、インドを自由にして、イギリス帝国主義であろうと、ドイツのナチズムであろうと、あるいはあなたがたの型のものであろうと、すべての軍国主義的、帝国主義的野心に反抗する準備をインドに整えさせるためです。
もし私たちがそういう行為に出なければ、私たちは世界の軍国主義化をただ傍観している見下げた奴に堕落してしまうのでしょうし、また、非暴力こそ軍国主義的精神と野心とに対するただ一つの解毒剤であろうとする、私たちの信念を無視することになってしまうでしょう。」
上記のようなガンジーの公開状の文面について、訳者の蠟山芳郎氏は、「ガンジーは、インドが独立を獲得するのに他国の援助を欲していないこと、世界大戦を利用する考えをもたないこと、この際イギリスをインドから撤退させることこそ、インドが大戦争の渦中にまきこまれない保証であること、などを慎重に考えたうえで非服従運動を起こしたことをていねいに説明しているのだが、神経の荒っぽい日本政府ならびに軍当局からは、なんら関心をひきだせなかった。」と書いている。
以上見てきたように、北村氏が橋下大阪市長をガンジーに並べて持ち上げようとしている行為は単に恥を知らない人物の行為というしかないように思う。北村氏は、おそらく橋下氏をナチズムに譬えた「「反「ハシズム」学者」に対抗してガンジーを持ち出したのだろうが、これはあまりに歴史を、また読者をなめた行為であって、一片の説得性も持っていないことは明白だろう。
ところが、このような一種詐欺まがいのことをやっているのは北村氏だけではないのだ。同じくインドのジャワーハルラール・ネルーの発言に対しても日本のあるタイプの人々は、自分の主張に都合のいい部分のみを選んで引用し、ネルーの発言の趣旨とはまったく異なる意味内容にしてしまっている。以前同様のことを「新しい教科書をつくる会」も行なったと聞いたことがあるが、次の『日本に学べ』という記事もそうである。(強調のための下線はすべて引用者による)
「 「日本が勝ちました。大国の仲間入りをしました。アジアの国、日本の勝利は、全てのアジア諸国に計り知れない影響を与えたのです。少年の私がこれにいかに興奮したか、以前、あなたに話したことがありますね。この興奮はアジアの老若男女全てが分かち合いました。欧州の大国が負けました。アジアは欧州に勝ったのです。アジアのナショナリズムが東の国々に広がり、『アジア人のためのアジア』の叫び声が聞こえました」(筆者訳)。
インドのネルー首相は、少年の頃、日露戦争での日本の勝利を知った。インドがまだ英国からの独立運動を行っていた頃のことだ。冒頭の一節は、ネルーが後年に書いた「娘に語る世界史」の一節である。娘とは、のちにネルー首相の後を継いでインドの首相になったインディラ・ガンジー首相だ。上野かいわいの日本の小学生たちは、戦後に上野動物園から象や猛獣がいなくなっていたことを嘆き、象を送ってくれるようにネルー首相に手紙を書いた。ネルー首相の贈り物は、まな娘の名をとったインド象「インディラ」であった。」
私の40有余年の外交官生活で得た感想は、日本ほど世界中で尊敬され、好かれている国は少ないということだ。(略)」
上の文章中、下線を引いた部分は、原文においてはおそらく下記の文章の下線部分と同一箇所ではないかと思う。執筆者は文中で明らかな嘘をついているわけではない。しかし、この部分だけを引用してすましていることは作者および読者に対して完全に不誠実であろう。この文章のすぐ後には、「ところが、その直後の成果は、少数の侵略的帝国主義諸国のグループに、もう一国をつけくわえたというにすぎなかった。」という真に重大な言葉がつづいているのだから、これを抜かしての引用ではネルーの意図したところが読者には全然伝わらない。それどころか、読者はネルーの意図とは逆の内容を教えられることになる。以下に「みすず書房」の大山聰氏の訳文をもう少し長く引用しておく。未読の方はぜひ読み比べていただきたく思う。
「 父が子に語る世界歴史 4(ジャワーハルラール・ネルー著・大山聰訳)(みすず書房1959年初出)
117 日本の勝利 1932年12月30日
日露戦争は、1905年の9月のポーツマス条約でおわった。ポーツマスは、アメリカ合衆国にある。アメリカ大統領が両当事国をそこに招いて、講和条約が締結されたのだった。この条約によって、日本はとうとう旅順港と遼東半島をとりかえした。日本が中国との戦争後に、これらを放棄しなければならなかったことは、おぼえていることと思う。日本はまた、ロシアが満州に建設した鉄道の大部分と、日本の北方によこたわるサハリン(樺太)の半分をとった。さらにロシアは、朝鮮にたいするいっさいの権利を失った。
かくて日本は勝ち、大国の列にくわわる望みをとげた。アジアの一国である日本の勝利は、アジアのすべての国ぐにに大きな影響をあたえた。わたしは少年時代、どんなにそれに感激したかを、おまえによく話したことがあったものだ。たくさんのアジアの少年、少女、そしておとなが、おなじ感激を経験した。ヨーロッパの一大強国はやぶれた。だとすればアジアは、そのむかし、しばしばそういうことがあったように、いまでもヨーロッパを打ち破ることもできるはずだ。ナショナリズムはいっそう急速に東方諸国にひろがり、「アジア人のアジア」の叫びが起こった。しかしこのナショナリズムぱたんなる復古でも、旧い習慣や、信仰への固執でもない。日本の勝利は、西洋の新産業方式の採用のおかげだとされている。この、いわゆる西洋の観念と方法は、このようにして、いっそう全東洋の関心をあつめることになった。
118 中華民国 1932年12月30日
日本のロシアにたいする勝利がどれほどアジアの諸国民をよろこばせ、こおどりさせたかを、われわれはみた。ところが、その直後の成果は、少数の侵略的帝国主義諸国のグループに、もう一国をつけくわえたというにすぎなかった。そのにがい結果を、まず最初になめたのは、朝鮮であった。日本の勃興は、朝鮮の没落を意味した。日本は開国の当初から、自己の勢力範囲として、すでに朝鮮と、満州の一部に目をつけていた。もちろん、日本はくりかえして中国の領土保全と、朝鮮の独立の尊重を宣言した。帝国主義国というものは、相手の持ちものをはぎとりながら、平気で善意の保証をしたり、人殺しをしながら生命の尊厳を公言したりするやり方の常習者なのだ。だから日本も、朝鮮にたいして干渉しないと、ものものしく宣言した口の下から、むかしながらの朝鮮領有の政策をおしすすめた。対中国戦争も、対ロシア戦争も、朝鮮と満州を焦点とする戦争だった。日本は一歩一歩地歩を占め、中国が排除され、ロシアが敗北したいまでは、あたかも無人の野を行く観があった。
日本は帝国としての政策を遂行するにあたって、まったく恥を知らなかった。ヴェールでつつんでごまかすこともせずに、おおっぴらに漁りまわった。1894年、日清戦争の開始直前に、日本人は朝鮮の首都ソウルの王宮に腕ずくで押しいって、日本の要求を聞き入れなかった女王〔閔妃〕を廃して、幽閉した。日露戦争後、1905年に朝鮮国王は、むりやり朝鮮独立の放棄をみとめさせられ、日本の宗主権を受けいれた。しかしこれでもたりず、5年もたたないうちに、この不幸な国王は廃され、朝鮮は日本帝国に併合された。これは1910年のことだった。3千年以上にわたる長い歴史をもつ独立国としての朝鮮はほろびた。廃位された国王は、5百年まえにモンゴル人を駆逐した王朝〔李氏朝鮮〕に属していた。しかし朝鮮は、その長兄と仰いだ中国とおなじく、罰金を支払わなければならなかった。
朝鮮――この国は、古い名称で呼ばれることになった。朝の爽やかさという意味だ。日本はいくらかの近代的改革をもちこんだが、容赦なく朝鮮人民の精神をじゅうりんした。長いあいだ独立のための抗争はつづけられ、それは、いくたびも爆発をみた。なかでも重要なのは、1919年の蜂起であった。朝鮮人民――とくに青年男女――は、優勢な敵に抗して勇敢にたたかった。自由獲得のためにたたかう、ある朝鮮人団体が正式に独立を宣言し、日本人に反抗したばあいなどは、かれらはただちに警察に密告され、その行動を逐一通報されてしまった! かれらはこうして、かれらの理想に殉じたのだ。日本人による朝鮮人の抑圧は、歴史のなかでもまことにいたましい、暗黒の一章だ。朝鮮では、多くは大学を出たばかりの、若い少女が、闘争の重要な役割を果たしていると聞いたら、おまえもきっとこころをひかれるだろうと思う。 」
2012.05.14 *Mon
進化をつづける佐藤優氏の橋下徹大阪市長に対する評価
先日(5月9日)、佐藤優氏が「週刊文春」の最新号で、橋下徹大阪市長がもしも総理大臣に就任するとしたらそれを支持するか否かというアンケートに答えて、自分は支持する、と語っているというブログ記事を読んで、一瞬のけぞってしまった。いくら何でもそんな無節操なことを…? などと言ったらわざとらしいかも知れない。これまでの佐藤氏の言動を見れば節操とか正直とか一貫性とか羞恥心なんてものを氏に求めても仕方がないことは多くの人の目にすでに明らかだろうから。それでも、佐藤氏が橋下氏について「新潮45」( 2011.12月号 )という雑誌で「状況対応で向こう岸に渡ろうとしている現在の日本によくいるひ弱なエリートの一人に過ぎない 」「支離滅裂なひ弱なエリートである橋下徹氏の素顔を描く方が、この政治家をめぐる神話を脱構築する効果がある」と語っていると聞いたのはついこの間(とはいえもう5、6ケ月前のことになるが)のことだった。「新潮45」でのこの佐藤氏の発言を最初に知ったのは私の場合こちらのブログによったのだが、ブログ主のZED氏は、この発言について「それにしても、佐藤優が橋下に対してあんな事を言ってるとは思わなかった。」と述べつつ、
「とは言え、佐藤の親分である鈴木宗男(ヤクザ用語で言う所の現在「社会不在」中)の、そのまた親分格である小沢一郎が橋下に対して「つかず離れずで行け」として裏で手を組むそぶりをしている事から、多分佐藤は時期を見て橋下に媚を売る方向へ転換するだろう。とりわけ橋下が選挙に負けていたならともかく圧勝してしまった以上、佐藤ら小沢一派は急速に橋下一派への接近とゴマすりを始めるはず。 」
と記述されていた。私は橋下氏を「ひ弱(なエリート)」とする佐藤氏の見方は的はずれの度が過ぎていて奇異な感じをうけた(橋下氏は誰が見たって、(佐藤氏と同様に)「ひ弱」とは言えないだろう。)ものの、「佐藤ら小沢一派は急速に橋下一派への接近とゴマすりを始めるはず」とのZED氏の見方には「?」と感じた。この疑問は佐藤氏が口にする政治信条と橋下氏のそれとが異質だなどと考えた上でのことでは全然なく(後に述べるが、私はしばしば佐藤・橋下、両氏の言動に共通性を感じてきた。)、佐藤氏とその周辺の人々が形成しているらしき人間関係を思い浮かべてのことである。「フォーラム神保町」の仲間であるはずの山口二郎氏や香山リカ氏が現在盛んに橋下批判を繰り広げている以上、また佐藤氏が金光翔さんに提訴された民事裁判での代理人が、かつて橋下氏がテレビで視聴者に向かって懲戒請求を煽動したことで大きな被害を被ったことが明白な光市事件弁護団の弁護人である以上、佐藤氏も内心はどうあれ、また鈴木宗男氏(小沢一郎氏)絡みの何らかの思惑が存在するにしろ、当面さすがに橋下擁護の言論は口にしない、できないのではないかと思ったのだった。でもこうなってみると、そんな考えは甘過ぎたということである。
山口二郎氏、香山リカ氏などが橋下氏についてその言動のファシズム性を「ハシズム」と呼称して(編集者の発案かも知れないが。)批判していると聞いたとき、とっさに思い浮かんだのは、正直なところ、「見事なまでの二重基準」「厚顔無恥」というような言葉であった。橋下氏の言動に対して真っ先にファシズム性を指摘・批判している山口氏や香山氏は、佐藤優氏という、橋下氏とほぼ同様の排外主義・民族差別主義的言論活動を展開してきた人物にこれまでどう対応してきたのだろう。一言でも批判するどころか、金光翔さんの「「佐藤優現象」批判」のような論考が出ても完全無視し(この論考については当然知っていると思う。)、明らかにこれを「タブー」として取り扱い、佐藤氏と仲良く行動を共にしてきた人たちである。そういう自分たちのこれまでの行為について、橋下=ファシズム批判を行なっている現在、どう考えているのだろう。佐藤氏の言説や自分たちの行動にはフッァショ的な要素はなかったと考えているのだろうか。
しかし橋下氏を問題視するだけの思考の働きを備えていながら、自分のすぐ側にいる佐藤氏の同種の傾向に疑問を持たないという感覚や思考構造は私には理解不能である。佐藤・橋下というこの2人の言動や、そこからかいまみえる世界観には、もしかすると2人の異質な点を挙げたほうが早いかも知れないというほど、共通点が多いように思える。下に挙げる「眼光紙背」の各文章のタイトルを見ただけでもおおよそ判るのではないかと思うが、これらの掛け声は場合によっては橋下氏の口から出てもおかしくはないのではないだろうか。
じつは上で引用させてもらった「新潮45」もふくめてここで取り上げる佐藤優氏の原文に目をとおしたのは今回がはじめてである。 ここ1年ほど、私は活字媒体における佐藤氏の文章はほとんど読んでいなかった。ネット上の「眼光紙背」はたまに見ていたが、内容は相変わらずで(例:「アメリカに対して異議申し立てをきちんとする野田佳彦首相を外務官僚は全力で支えよ」 2011年11月15日 )、投稿頻度はめっきり少なくなっている。昨年の3月11日以後、「国家翼賛体制の確立を!」「大和魂で菅直人首相を支えよ」「福島原発に関する報道協定を結べ 」「頑張れ東京電力!」など立て続けに発表した記事の内容があまりに醜悪だったため、批判に晒されこそすれ(こちらやこちら)、表だってはさすがに誰もこれを評価はしなかったようである。それに加えて岩波書店の「世界」への寄稿が中断されたままのせいもあるのだろう、もうさして活発な言論活動は行なっていない印象を受けたこともあり、わざわざ雑誌や著書に手を伸ばす気にはなれなかった。(強調の下線はすべて引用者による。)
この機会に「新潮45」や最新号の「週刊文春」(久しぶりに週刊誌を買ったら、380円にもなっていて驚いてしまった。)やネット上に出ているものなど、佐藤氏の文章をいくつか読んでみた。どれも相変わらず佐藤氏らしいハッタリの効いた発言揃いだと思ったが、このうち山口二郎氏の2012.1.16日付Twitterでの発信「佐藤優さんが橋下の本質はマッカーシズムだと看破してました」には特にそう思った。
山口氏の「佐藤優さんが橋下の本質はマッカーシズムだと看破してました 」との口調には佐藤氏の慧眼に感心しているというような気配があるが、「新潮45」掲載の橋下氏を論じた佐藤氏の文章の題は「「反ファシズム論」では彼に勝てない」である。いわく、ファシズムの先導・煽動者は弱者に優しいが、橋下氏は弱者に優しくない。また橋下氏は「大阪府知事に就任してから、大阪府中の労働組合連合会や教職員組合と対決姿勢を鮮明にし、結果として組織された労働者の団結を強化している。ファシストはこのような間の抜けた戦術をとらない。」などと、ファシズムの理論家だったというマラパルテという人物の「クーデターの技術」(イザラ書房)という著書に全面的に依拠して「橋下=非ファシスト」と主張し、「橋下氏は、ファシズムを構築する意思もインフラも持たない。状況対応で向こう岸に渡ろうとしている現在の日本によくいるひ弱なエリートの一人に過ぎない。実態から懸け離れた反ファシズム論を展開し、橋下氏の幽霊政治を恐れるよりも、スキャンダリズムを最大限に駆使し、支離滅裂なひ弱なエリートである橋下徹氏の素顔を描く方が、この政治家をめぐる神話を脱構築する効果があると筆者は考える。」と結論づけている。
しかし多くの人と同様、私も橋下氏にはもちろん強烈にフッァショ性を感じさせるところがあると思う。学校の教職員に対して処分で恫喝して君が代斉唱を押しつけたり(おそらくこれがいたく石原慎太郎東京都知事の気にいったのではないか)、ついには斉唱している教職員の口元の監視という世にもおぞましい行動に打って出てみたり(監視を実践した校長はこれが橋下市長の意に添うと考えたのだろう。しかしこれは途轍もないレベルでの人権侵害であり、人間の尊厳の全否定であり、それと同時に古今東西の「歌」というもの総体への他に考えられないほどの侮辱であろう。)、その前には大阪府内の朝鮮学校に補助金の廃止で恫喝して教育内容への干渉を企んだり、北朝鮮・朝鮮総連との関係の転換を迫ったり、そのようにして児童・生徒を初めすべての朝鮮学校関係者、在日朝鮮人全体に不当な心労を舐めさせておきながら、結局補助金の多くを削っている。橋下氏のこういう施策およびこういう施策を行なっているにもかかわらずその支持率が高いというところに私もフッァショ性を感じる。でもまぁファシズムの定義はさまざまに存在するようなので、佐藤氏が「橋下氏は、ファシズムを構築する意思もインフラも持たない。」と言うのなら、それに対してあえてケチをつけたり、取り合おうとは思わない。しかし「新潮45」であれだけ明確に橋下氏のファシズム性を否定した佐藤氏が「橋下の本質はマッカーシズム」と述べたというのはまったく解せないことである。それでは、マッカーシズムはファシズムと無関係・無縁の主義だというのが佐藤氏の理解ということになるが、これはどう考えてもおかしいだろう。この佐藤発言はネットでも見ることができる。
「 佐藤優氏 橋下徹氏の成功はニヒリズムを克服できるかどうか
過去のどの政治家と比較すると橋下氏の特徴が鮮明になるだろうか。筆者は、1950年代の米国で活躍したジョセフ・マッカーシー上院議員(1908~1957年)との類比で現在の橋下氏を考察している。マッカーシー上院議員が展開した「赤狩り」(共産党員もしくはその同調者と見なされた者への激しい攻撃)は、マッカーシズムと呼ばれたが、これに橋下市長の手法は親和的だと思う。
米国のジャーナリスト、リチャード・ロービアは、〈マッカーシーは重要な意味での全体主義者ではなかったし、反動でもなかった。こういう用語は主として社会的、経済的秩序にかかわるものだが、かれは社会的、経済的秩序には全く関心がなかった。
マッカーシーが思想、主義、原理の領域においてなにものかであったとするなら、一種のニヒリストであった。かれは根っからの破壊勢力、 革命的ビジョンなき革命家、理由なき反逆者であった〉(R・H・ロービア[宮地健次郎訳]『マッカーシズム』岩波文庫、 1984年、16頁)と指摘した。
マッカーシズムの嵐が吹き荒れたのは、わずか4年間に過ぎなかった。外交・防衛政策にポピュリズムを持ち込んだマッカーシーは、国益を害する存在になったので、政治、経済、メディアのエリートによって放逐されたのである。
しかし、マッカーシズムによって反共主義が定着し、社会に寛容さがなくなった。橋下氏が敵を探し出し、それと対決する手法を取り続けるならば、いずれかの段階において、 政治舞台から排除される。聡明な橋下氏はそのことに気づいているので、方向転換を考えていると思う。その成功は、橋下氏がニヒリズムを克服できるか否かにかかっている。(※SAPIO2012年5月9・16日号)」
「聡明な橋下氏」ねぇ。半年前は「支離滅裂なひ弱なエリート」と評していたというのに…。それはともかく、私はこれまで佐藤氏とは異なり、マッカーシズムはファシズムの一種である、少なくともファシズムの特徴をさまざまに備えた主義主張だと理解していた。こういう理解は別に珍しくもないごく一般的なものと思うのだが? たとえば、 加藤周一と鶴見俊輔の対談を収めた 「20世紀から」(潮出版社2001年)でもマッカーシズムは話題にされているが、加藤周一はマッカーシズムについてナチスのホロコーストと比較して「(イデオロギーが絡むと)正義は全面的にこちら側にあるから、反対意見はぜんぶ間違っている。そういう人間はいないほうがいいということになる。マッカーシズムも物理的に殺したわけではないけれども、通底するものがあるんです。」と述べている。
佐藤氏が引用している『マッカーシズム』という本を私は読んでいないが、この本の著者はマッカーシズムについてファシズムとは異質の主義だと述べているのだろうか。おそらく誰にしろそんなことを言う人物はないないと思うのだが? そもそもマッカーシーがニヒリストだったとしても、そのことは彼がファシストでなかったことの証明にはならないはずだ。また佐藤氏はSAPIOや文春で、「現時点までの橋下氏の政治手法を見る限り、社会的弱者に対する優しさ、排外主義の両要素が欠如している。橋下氏をファシスト視する言説が説得力を持たないのは、分析する対象の実態と噛み合っていないからだ。」(「SAPIO」2012年5月9日号)と述べている。朝鮮学校への対応を見れば橋下氏に「社会的弱者に対する優しさ」が見られないのは事実だが(とはいえ、ご本人は公務員叩きをすることで、公務員一般を既得権益者とみなして反感をもつ層に優しさを現しているつもりかも知れない。)、しかしこの朝鮮学校のケースは(佐藤氏の主張とは逆に)排外主義の要素を橋下氏が存分に備えていることを明白に証明している。「説得力を持たない」のは佐藤氏の言説のほうだろう。こうしてみると、橋下氏に関する佐藤氏の発言内容はまさしく下記の指摘のとおりではないだろうか。
「 ただ、上記文春記事をちょっと読んでみると「橋下は石原慎太郎と違い、これまで排外主義を政治的カードにしていない」といった内容の事を佐藤は書いていたが、これもまた全くの嘘ハッタリもいい所だ。朝鮮学校への補助金カットは? 北朝鮮や総連を暴力団やナチスになぞらえた事は? 橋下はこれまで充分すぎるほど排外主義を政治的カードに悪用してきた。それこそ石原慎太郎並みに。
佐藤から橋下へのおべんちゃらコメントは、やはり相変わらずの嘘ハッタリと露骨なゴマすりにまみれた「佐藤節」全開であった。何しろ差別主義者に対して 「あなたは差別主義者じゃありませんから安心して下さい」というのだから、これほど橋下の琴線に触れる言葉はあるまい。石丸次郎や在特会の例を見るまでもなく、この手の差別主義者連中ほど「自分は差別主義者じゃない」と主張したがるものなのである。」
「とは言え、佐藤の親分である鈴木宗男(ヤクザ用語で言う所の現在「社会不在」中)の、そのまた親分格である小沢一郎が橋下に対して「つかず離れずで行け」として裏で手を組むそぶりをしている事から、多分佐藤は時期を見て橋下に媚を売る方向へ転換するだろう。とりわけ橋下が選挙に負けていたならともかく圧勝してしまった以上、佐藤ら小沢一派は急速に橋下一派への接近とゴマすりを始めるはず。 」
と記述されていた。私は橋下氏を「ひ弱(なエリート)」とする佐藤氏の見方は的はずれの度が過ぎていて奇異な感じをうけた(橋下氏は誰が見たって、(佐藤氏と同様に)「ひ弱」とは言えないだろう。)ものの、「佐藤ら小沢一派は急速に橋下一派への接近とゴマすりを始めるはず」とのZED氏の見方には「?」と感じた。この疑問は佐藤氏が口にする政治信条と橋下氏のそれとが異質だなどと考えた上でのことでは全然なく(後に述べるが、私はしばしば佐藤・橋下、両氏の言動に共通性を感じてきた。)、佐藤氏とその周辺の人々が形成しているらしき人間関係を思い浮かべてのことである。「フォーラム神保町」の仲間であるはずの山口二郎氏や香山リカ氏が現在盛んに橋下批判を繰り広げている以上、また佐藤氏が金光翔さんに提訴された民事裁判での代理人が、かつて橋下氏がテレビで視聴者に向かって懲戒請求を煽動したことで大きな被害を被ったことが明白な光市事件弁護団の弁護人である以上、佐藤氏も内心はどうあれ、また鈴木宗男氏(小沢一郎氏)絡みの何らかの思惑が存在するにしろ、当面さすがに橋下擁護の言論は口にしない、できないのではないかと思ったのだった。でもこうなってみると、そんな考えは甘過ぎたということである。
山口二郎氏、香山リカ氏などが橋下氏についてその言動のファシズム性を「ハシズム」と呼称して(編集者の発案かも知れないが。)批判していると聞いたとき、とっさに思い浮かんだのは、正直なところ、「見事なまでの二重基準」「厚顔無恥」というような言葉であった。橋下氏の言動に対して真っ先にファシズム性を指摘・批判している山口氏や香山氏は、佐藤優氏という、橋下氏とほぼ同様の排外主義・民族差別主義的言論活動を展開してきた人物にこれまでどう対応してきたのだろう。一言でも批判するどころか、金光翔さんの「「佐藤優現象」批判」のような論考が出ても完全無視し(この論考については当然知っていると思う。)、明らかにこれを「タブー」として取り扱い、佐藤氏と仲良く行動を共にしてきた人たちである。そういう自分たちのこれまでの行為について、橋下=ファシズム批判を行なっている現在、どう考えているのだろう。佐藤氏の言説や自分たちの行動にはフッァショ的な要素はなかったと考えているのだろうか。
しかし橋下氏を問題視するだけの思考の働きを備えていながら、自分のすぐ側にいる佐藤氏の同種の傾向に疑問を持たないという感覚や思考構造は私には理解不能である。佐藤・橋下というこの2人の言動や、そこからかいまみえる世界観には、もしかすると2人の異質な点を挙げたほうが早いかも知れないというほど、共通点が多いように思える。下に挙げる「眼光紙背」の各文章のタイトルを見ただけでもおおよそ判るのではないかと思うが、これらの掛け声は場合によっては橋下氏の口から出てもおかしくはないのではないだろうか。
じつは上で引用させてもらった「新潮45」もふくめてここで取り上げる佐藤優氏の原文に目をとおしたのは今回がはじめてである。 ここ1年ほど、私は活字媒体における佐藤氏の文章はほとんど読んでいなかった。ネット上の「眼光紙背」はたまに見ていたが、内容は相変わらずで(例:「アメリカに対して異議申し立てをきちんとする野田佳彦首相を外務官僚は全力で支えよ」 2011年11月15日 )、投稿頻度はめっきり少なくなっている。昨年の3月11日以後、「国家翼賛体制の確立を!」「大和魂で菅直人首相を支えよ」「福島原発に関する報道協定を結べ 」「頑張れ東京電力!」など立て続けに発表した記事の内容があまりに醜悪だったため、批判に晒されこそすれ(こちらやこちら)、表だってはさすがに誰もこれを評価はしなかったようである。それに加えて岩波書店の「世界」への寄稿が中断されたままのせいもあるのだろう、もうさして活発な言論活動は行なっていない印象を受けたこともあり、わざわざ雑誌や著書に手を伸ばす気にはなれなかった。(強調の下線はすべて引用者による。)
この機会に「新潮45」や最新号の「週刊文春」(久しぶりに週刊誌を買ったら、380円にもなっていて驚いてしまった。)やネット上に出ているものなど、佐藤氏の文章をいくつか読んでみた。どれも相変わらず佐藤氏らしいハッタリの効いた発言揃いだと思ったが、このうち山口二郎氏の2012.1.16日付Twitterでの発信「佐藤優さんが橋下の本質はマッカーシズムだと看破してました」には特にそう思った。
山口氏の「佐藤優さんが橋下の本質はマッカーシズムだと看破してました 」との口調には佐藤氏の慧眼に感心しているというような気配があるが、「新潮45」掲載の橋下氏を論じた佐藤氏の文章の題は「「反ファシズム論」では彼に勝てない」である。いわく、ファシズムの先導・煽動者は弱者に優しいが、橋下氏は弱者に優しくない。また橋下氏は「大阪府知事に就任してから、大阪府中の労働組合連合会や教職員組合と対決姿勢を鮮明にし、結果として組織された労働者の団結を強化している。ファシストはこのような間の抜けた戦術をとらない。」などと、ファシズムの理論家だったというマラパルテという人物の「クーデターの技術」(イザラ書房)という著書に全面的に依拠して「橋下=非ファシスト」と主張し、「橋下氏は、ファシズムを構築する意思もインフラも持たない。状況対応で向こう岸に渡ろうとしている現在の日本によくいるひ弱なエリートの一人に過ぎない。実態から懸け離れた反ファシズム論を展開し、橋下氏の幽霊政治を恐れるよりも、スキャンダリズムを最大限に駆使し、支離滅裂なひ弱なエリートである橋下徹氏の素顔を描く方が、この政治家をめぐる神話を脱構築する効果があると筆者は考える。」と結論づけている。
しかし多くの人と同様、私も橋下氏にはもちろん強烈にフッァショ性を感じさせるところがあると思う。学校の教職員に対して処分で恫喝して君が代斉唱を押しつけたり(おそらくこれがいたく石原慎太郎東京都知事の気にいったのではないか)、ついには斉唱している教職員の口元の監視という世にもおぞましい行動に打って出てみたり(監視を実践した校長はこれが橋下市長の意に添うと考えたのだろう。しかしこれは途轍もないレベルでの人権侵害であり、人間の尊厳の全否定であり、それと同時に古今東西の「歌」というもの総体への他に考えられないほどの侮辱であろう。)、その前には大阪府内の朝鮮学校に補助金の廃止で恫喝して教育内容への干渉を企んだり、北朝鮮・朝鮮総連との関係の転換を迫ったり、そのようにして児童・生徒を初めすべての朝鮮学校関係者、在日朝鮮人全体に不当な心労を舐めさせておきながら、結局補助金の多くを削っている。橋下氏のこういう施策およびこういう施策を行なっているにもかかわらずその支持率が高いというところに私もフッァショ性を感じる。でもまぁファシズムの定義はさまざまに存在するようなので、佐藤氏が「橋下氏は、ファシズムを構築する意思もインフラも持たない。」と言うのなら、それに対してあえてケチをつけたり、取り合おうとは思わない。しかし「新潮45」であれだけ明確に橋下氏のファシズム性を否定した佐藤氏が「橋下の本質はマッカーシズム」と述べたというのはまったく解せないことである。それでは、マッカーシズムはファシズムと無関係・無縁の主義だというのが佐藤氏の理解ということになるが、これはどう考えてもおかしいだろう。この佐藤発言はネットでも見ることができる。
「 佐藤優氏 橋下徹氏の成功はニヒリズムを克服できるかどうか
過去のどの政治家と比較すると橋下氏の特徴が鮮明になるだろうか。筆者は、1950年代の米国で活躍したジョセフ・マッカーシー上院議員(1908~1957年)との類比で現在の橋下氏を考察している。マッカーシー上院議員が展開した「赤狩り」(共産党員もしくはその同調者と見なされた者への激しい攻撃)は、マッカーシズムと呼ばれたが、これに橋下市長の手法は親和的だと思う。
米国のジャーナリスト、リチャード・ロービアは、〈マッカーシーは重要な意味での全体主義者ではなかったし、反動でもなかった。こういう用語は主として社会的、経済的秩序にかかわるものだが、かれは社会的、経済的秩序には全く関心がなかった。
マッカーシーが思想、主義、原理の領域においてなにものかであったとするなら、一種のニヒリストであった。かれは根っからの破壊勢力、 革命的ビジョンなき革命家、理由なき反逆者であった〉(R・H・ロービア[宮地健次郎訳]『マッカーシズム』岩波文庫、 1984年、16頁)と指摘した。
マッカーシズムの嵐が吹き荒れたのは、わずか4年間に過ぎなかった。外交・防衛政策にポピュリズムを持ち込んだマッカーシーは、国益を害する存在になったので、政治、経済、メディアのエリートによって放逐されたのである。
しかし、マッカーシズムによって反共主義が定着し、社会に寛容さがなくなった。橋下氏が敵を探し出し、それと対決する手法を取り続けるならば、いずれかの段階において、 政治舞台から排除される。聡明な橋下氏はそのことに気づいているので、方向転換を考えていると思う。その成功は、橋下氏がニヒリズムを克服できるか否かにかかっている。(※SAPIO2012年5月9・16日号)」
「聡明な橋下氏」ねぇ。半年前は「支離滅裂なひ弱なエリート」と評していたというのに…。それはともかく、私はこれまで佐藤氏とは異なり、マッカーシズムはファシズムの一種である、少なくともファシズムの特徴をさまざまに備えた主義主張だと理解していた。こういう理解は別に珍しくもないごく一般的なものと思うのだが? たとえば、 加藤周一と鶴見俊輔の対談を収めた 「20世紀から」(潮出版社2001年)でもマッカーシズムは話題にされているが、加藤周一はマッカーシズムについてナチスのホロコーストと比較して「(イデオロギーが絡むと)正義は全面的にこちら側にあるから、反対意見はぜんぶ間違っている。そういう人間はいないほうがいいということになる。マッカーシズムも物理的に殺したわけではないけれども、通底するものがあるんです。」と述べている。
佐藤氏が引用している『マッカーシズム』という本を私は読んでいないが、この本の著者はマッカーシズムについてファシズムとは異質の主義だと述べているのだろうか。おそらく誰にしろそんなことを言う人物はないないと思うのだが? そもそもマッカーシーがニヒリストだったとしても、そのことは彼がファシストでなかったことの証明にはならないはずだ。また佐藤氏はSAPIOや文春で、「現時点までの橋下氏の政治手法を見る限り、社会的弱者に対する優しさ、排外主義の両要素が欠如している。橋下氏をファシスト視する言説が説得力を持たないのは、分析する対象の実態と噛み合っていないからだ。」(「SAPIO」2012年5月9日号)と述べている。朝鮮学校への対応を見れば橋下氏に「社会的弱者に対する優しさ」が見られないのは事実だが(とはいえ、ご本人は公務員叩きをすることで、公務員一般を既得権益者とみなして反感をもつ層に優しさを現しているつもりかも知れない。)、しかしこの朝鮮学校のケースは(佐藤氏の主張とは逆に)排外主義の要素を橋下氏が存分に備えていることを明白に証明している。「説得力を持たない」のは佐藤氏の言説のほうだろう。こうしてみると、橋下氏に関する佐藤氏の発言内容はまさしく下記の指摘のとおりではないだろうか。
「 ただ、上記文春記事をちょっと読んでみると「橋下は石原慎太郎と違い、これまで排外主義を政治的カードにしていない」といった内容の事を佐藤は書いていたが、これもまた全くの嘘ハッタリもいい所だ。朝鮮学校への補助金カットは? 北朝鮮や総連を暴力団やナチスになぞらえた事は? 橋下はこれまで充分すぎるほど排外主義を政治的カードに悪用してきた。それこそ石原慎太郎並みに。
佐藤から橋下へのおべんちゃらコメントは、やはり相変わらずの嘘ハッタリと露骨なゴマすりにまみれた「佐藤節」全開であった。何しろ差別主義者に対して 「あなたは差別主義者じゃありませんから安心して下さい」というのだから、これほど橋下の琴線に触れる言葉はあるまい。石丸次郎や在特会の例を見るまでもなく、この手の差別主義者連中ほど「自分は差別主義者じゃない」と主張したがるものなのである。」
2012.05.04 *Fri
あまりにも小狡い佐高信氏の発言
4月27日付「日刊ゲンダイ」にその前日(4月26日)の小沢一郎氏の無罪判決をうけて「小沢無罪判決を多くの人々はどう評したか」というタイトルの記事が掲載されている。ゲンダイがここで言っている「多くの人々」とは、 作家の三好徹氏他、郷原信郎、内田樹、碓井広義、佐高信という諸氏のことで、この人々は一様に今回の無罪判決を寿いでいる。裁判の過程で小沢氏の有罪を決定付ける証拠は出なかったようだから、この判決は妥当なものだったように私も思う。これで有罪判決が出ていたとしたら、さまざまなシコリが残っただろう。この裁判でも検察当局の劣化がきわ立ったようである。取り調べの全面可視化、証拠の全面開示化は避けられない。一刻も早く法制化に着手してもらいたいと思う。これは警察・検察の捜査能力向上に結びつくにちがいないのだから、結局は捜査当局のためにもなるはずだ。
一方小沢氏の立場について触れると、 小沢氏の元秘書3人は一審で有罪判決を受けており、現在までの報道で知るかぎりではこの判決も妥当であるようにみえる。これに関して政治家・小沢氏の政治責任、道義責任が問われるのは当然のことだと思うが、氏のこれまでの態度・振る舞いは終始一貫他人事のようで決して誉められたものではなかったと思う。
日刊ゲンダイは90年代には小沢氏を金権政治家、自衛隊の海外派兵を企む危険な政治家だと指弾していたと記憶するのだが、現在のように小沢一郎応援筆頭メディアに路線変換した時期やきっかけは何だったのだろう。民主党に合流した後の小沢氏の例のスローガン「国民の生活が第一」に参ったということだったのだろうか。
さて日刊ゲンダイの上記5人の発言者のうち意気盛んなのは、碓井広義・佐高信の両氏である。まず碓井氏の発言から。
「今回の判決の結果、既存メディアが小沢報道の検証を怠れば、間違いなく崩壊に向かいます。小沢氏を一方的に攻撃した大政翼賛的な報道は、検察のリーク情報や反小沢派の意向に流されたように見える。こうした疑念にメディアがどう答えるのか。視聴者や読者は目を光らせています。自らの非を認めず、従来の報道を正当化するような小沢叩きを続ければ、いよいよ、既存のメディアは信用を失う。 ただでさえ、若年層を中心にメディア離れは加速している。ネットやソーシャルメディアの方が、真実が混じっているだけマシだという価値観が広がっています。今回の小沢判決で既存メディアは存立の危機に立たされています」(上智大教授・碓井広義氏=メディア論) (強調のための下線はすべて引用者による。)
この発言をうけて、ゲンダイは「だからこそ、既存メディアは小沢を亡き者にしようと必死だったのだが、案の定と言うか、正義のカケラもない魔女狩りは失敗した。 小沢はもちろん、「落とし前をつけろ!」とは言わないだろうが、世間はそういう目で見ているのだ。」と述べている。
長期にわたって権力中枢に座を占め剛腕を振るってきたはずの政治家小沢氏をまるでいたいけな被害者扱い、悲劇のヒーロー扱いだが、既存メディアが視聴者や読者の信用を失ってきているのは明らかな事実にちがいない。でもそれは小沢叩きを行なってきたからではない。大手メディアの信用失墜はこの問題とは無関係で、小沢問題に関するかぎり、「視聴者や読者」が「目を光らせてい」るのは、むしろ小沢氏がその長い政治生活のなかでカネに関して全体どんな行動をとってきたのか、ということに対してだろう。 碓井氏とゲンダイは、小沢氏に無罪判決が出たことで、「あぁ、そうだったのか。小沢氏は本当は潔白だったのに、大手メディアのせいでとんだ濡れ衣を着せられ悪者にされてきたのか!」などと思った一般大衆がどれだけ存在すると思っているのだろう。一部の熱烈な信者のような人々を除けば、世のなかにそんなおめでたい人間は皆無に近いと思ったほうがいい。そのくらいのことはメディアが行なう各種の世論調査でとうに明らかになっているはずなのに、碓井氏もゲンダイも知らぬ顔の半兵衛を決めこんでいる。この点に迂闊に踏み込んだらかえって人々の小沢氏への疑念・不信をつよめたり、生活苦に喘ぐ層の怒りを買う結果になったりして、自分たちの立場を危うくしかねない、少なくとも得策ではないと感じてそうしているのではないだろうか。
小沢氏は新進党、自由党、民主党の党首時代に、税金で賄われている政党交付金をどのように使っていたのかが不明、それから莫大な額の組織対策費が小沢氏の腹心と言われる数名の議員にのみ支出され、その使途もまた不明であることなどが松田賢也氏の著書には克明に記されており、上脇博之氏のブログではこの件もふくめて小沢氏のカネの問題(もちろん、問題はカネの件にとどまるものではないが。)について丁寧な調査・検証がなされている。小沢氏が問題なのは、これらについてこれまで一度もまともな説明をしたことがない、ということだ。少なくとも私には小沢氏の説明が腑に落ちたという経験の記憶はない。
年収200万、300万、あるいはそれ以下の低額所得者でも納めなければならない税金は当事者にとってかなりの額、きびしい割り当てになるのであり、多くの者は身を削る思いで納税の務めを果たしている。税金の大半はそのように人々のなけなしの財布から出ているのが実状だと思うが、そのなかの決して少なくないカネの使途を小沢氏は不明にしている。その一方当人は数々の不動産を買っているとか選挙に際してグループの議員たちに総額数億円にも上る多額の寄付配分をしているなどの実態を知らされれば、有権者の脳裏にその政治家に対する「なぜそんなにお金があるの? 打ち出の小鎚でも持ってるの?」という疑問が浮かぶのは当然のことである。 これは税金と関係あるかないかは判らないが、前述した松田氏の著書には小沢氏の不正な金銭強奪についての野中広務氏による生々しい証言さえ記されている。日刊ゲンダイが小沢氏を潔白と断言するのならダンマリを決めこむ小沢氏に代わってこれらの件についての全体を紙上で懇切に説明したらいいのではないか。まさか根拠もなく一政治家の擁護・太鼓持ちを務めているのではないのだろうから、 ぜひ紙上で一大展開してもらいたい。私もそうだが、有権者は本当のことを知りたいと思っている。
次に佐高信氏のコメントを取り上げる。佐高氏は下記のように発言している。
「松下未熟塾の政治家による子供の政治が終わりを告げ、大人の政治が、ようやく始まる。そんな期待が持てます。民主党における小沢一郎氏は、子供の中にひとり、大人が交じっているようなもの。小沢氏が真っ白かどうかは分かりませんが、極端な話、悪いこともできない子供には良い政治もできないのですよ。子供集団の民主党政権は、官界、財界にナメられている。だから、消費税引き上げや原発再稼働などという考えられない話が出てくるのです。政治がダメだから官が暴走し、消費税引き上げに反対する文化人を狙い撃ちにするような嫌がらせも起こっている。こうした政治を是正しなければならない。小沢氏が無罪を勝ち取ったことで、状況は確実に変わってくると思います」
思わず全文に下線を付けてしまったが、これは一体全体何という情けなくもバチ当たりな発言であることだろう。こういうものを読むと、この人は途中で変質したというより、もともとろくにモノを考えることをしない・できない人物だったのではないか。時流に乗ってまんまと自分を良識派、憲法擁護派の立場に置くことに成功したものの、当初から他人の弱点を突いた攻撃を得意とするだけの鉄砲玉のように軽~い人物だったのではないか、と思いたくなる。言うにこと欠いて、「小沢氏が真っ白かどうかは分かりませんが、極端な話、悪いこともできない子供には良い政治もできないのですよ。」だって。こういう発想・発言を指して一般社会では長らく「永田町の論理」と評してきたはずだが、この人にはどうやらその永田町の論理が完璧に染み込んでいるらしい。そうでなければこういう音は出ないだろう。
昨日5月3日は憲法記念日だったが、佐高氏は例年どおりどこかの会場で日本国憲法を擁護し、賛美する講演を行なったのだろう、きっと。そういう言動と「小沢氏が真っ白かどうかは分かりませんが、極端な話、悪いこともできない子供には良い政治もできないのですよ。」という発言が同一人物のなかに並存可能であるとして世間に通用し、怪しまれないところに絶望的な日本の現状が明示されているとは言えるだろう。佐高氏の論理でいいのなら、政治家はいっそのこと、犯罪者集団のようなところから引っ張ってきたほうが育成の手間も省けて好都合なのではないか。ここには「悪」や「善」についていくらかでも考察した気配は露ほどもない。単に、悪(狡)賢い人間、どんな手を使っても自己の勢力拡大のために剛腕を振るうことのできる人間、ふてぶてしい人間ーー要するに「つよい人間」ーーに対するこの人のつよい憧れの念が感じられる。それまで散々悪口を書いていた石原慎太郎にいざ会うと異様なまでにへりくだった哀れというしかない態度をとったことなども思い出される。佐藤優現象の強烈な推進役になったのもむべなるかなである。
小沢氏について「悪いこともできない子供には良い政治もできない」と言って擁護の主張をするのなら、小沢氏の「悪いこと」と「良い政治」とは何を指してそう言っているのか、佐高氏には事例を挙げて懇切丁寧に説明・釈明してもらいたい。このような重大な発言は思い付きの言いっぱなしで通用させてならないことは今ではもうあまりにも明らかだ。佐高氏は「 子供集団の民主党政権は、官界、財界にナメられている。だから、消費税引き上げや原発再稼働などという考えられない話が出てくるのです。」と言う。ところが、政治が「官界、財界にナメられ」る元凶の一つである「企業・団体献金」について、2009年の衆院選挙で民主党はその全面廃止をマニフェストに掲げていたにもかかわらず、政権奪取後はこの問題を21世紀臨調に諮問することで反故にした。この施策を行なったのは、政権交代後の鳩山政権下における小沢幹事長であった。何のことはない、民主党議員のなかで「財界に」政治を「 ナメ 」るスキをあたえている筆頭は佐高氏ご推奨の小沢氏だったのだ。
実は小沢氏が企業・団体献金の全面廃止を国会に上程せず、21世紀臨調に諮問したのをうけて、上脇博之氏は自身のブログでつよい懸念を示されていた。財界の資金援助をうけていてその影響下にあることが明白なこの団体が企業・団体献金の全面廃止を打ち出すはずがないと予想されたからで、結果は案の定であった。今回の小沢氏無罪判決に際しても上脇氏は下記の発言をされている。
「 政治資金規正法等も改正されるべきである。/ その主要な第一は、企業・団体献金を全面禁止すること。 民主党はマニフェストでこれを公約しながら、小沢氏が幹事長時代にこれを反故にしてしまった。 企業・団体献金は政治腐敗の温床であり株主や労働組合員の人権を侵害しているから、 即刻法律改正して全面禁止すべきである。 」(/は改行部分)
さて先に引用した佐高氏の発言中の「だから、消費税引き上げや原発再稼働などという考えられない話が出てくるのです」という部分についての感想は、あぁ、佐高信という人はこんなにまで小狡い人物だったのか! の一言である。小沢氏が現在野田政権の消費税増税方針に反対していることは多くの人が知っている。佐高氏はそのことを利用して、小沢氏は消費税のみならず原発再稼働にも反対しているという虚偽の宣伝をしているのだ。明白に人々(私たち)を騙しにかかっているのである。
小沢氏が昨年3.11の後1週間近く公衆の面前に姿を現さず、姿を現したと思ったら、当時の菅首相を引きずり降ろすことに一大精力を傾けたことは周知の事実である。小沢氏は、この難しい時期に菅さんに代わって指揮をとれる人物がいるのかというどこかのインタビューに答えて「いくらでもいますよ」「菅さんでなければ誰でもいい」と宣っていた。この事実について佐高氏はどのように解釈しているのか聞かせてもらいたい。91年の青森県知事選における小沢氏の活躍についての感想も聞きたい。六ヶ所核燃料サイクル基地建設が選挙の争点だったこの年の青森県知事選について、鎌田慧氏のルポルタージュ「六ヶ所村の記録 上下」(岩波書店1991年) には下記の叙述がある。
「…「地方自治体の選挙に政府が干渉するのはおかしい。準公共企業体の独占企業の団体である電事連が選挙を請け負って、カネをふんだんにだしている」 これが「核燃選挙」といわれる知事選の実態である。やってきた自民党の小沢幹事長は遊説にまわらず、青森市内のホテルに陣取って土建業者を呼びつけ、ひとり3分ずつ面会した、とのエピソードは、よく知られている。現職候補と自民党は、県財界、農漁業団体はおろか、保育園のはてまで締めつけていた。」
このような事情をみると、東日本大震災発生後姿が見えなかった間の小沢氏はあるいは東京電力などの電力業界関係者と連絡をとって対応を協議していたのではないかという推測が浮かんでもあながち無理はないだろう。むしろ一番自然な推測のようにも私には思えるのだが、これについて佐高氏はどう考えるだろうか?
それから佐高氏は昨年の原発事故の後、それまで原発推進の旗振り役を務めてきたような文化人を俎上にのせた本を出版したそうである。その本を私は読んでいないし、今後も読むつもりはないが、あるブログはその本についてブラックリストの人選がフェアではない、親しい関係にある人物は原発推進者であってもリストから除外している、という趣旨の指摘をされていた(こちらやこちら)。リストから除外されているなかに佐藤優氏が入っているだろうということは、佐高氏の普段の言動をみていれば聞くまでもなく判ることである。しかしあからさまにこういう不公正・不公平な言動をみせる佐高氏のような人物に、対象が原発であれ、改憲であれ、本心から反対するというようなことが可能なのだろうか。私には疑わしく思える。
佐高氏は「消費税引き上げに反対する文化人を狙い撃ちにするような嫌がらせも起こっている。 こうした政治を是正しなければならない。小沢氏が無罪を勝ち取ったことで、状況は確実に変わってくると思います」とも述べているが、この発言には、この人の近年の文章に特有の何とも言いようのない気持ち悪さがにじみ出ているように思う。自分は消費税引き上げに反対して嫌がらせをうけている(が、それに負けずに自分は頑張っている、闘っている)という自画自賛の含意もあるのだろうが、狙い撃ちにされているという嫌がらせの内容については何も記さず、おまけに「小沢氏が無罪を勝ち取ったことで、状況は確実に変わってくると思います」などと意味不明の発言がつづいている。そのせいか、あるいは率直さに欠けるせいか、この文章にはとりわけイヤな後味をおぼえた。
一方小沢氏の立場について触れると、 小沢氏の元秘書3人は一審で有罪判決を受けており、現在までの報道で知るかぎりではこの判決も妥当であるようにみえる。これに関して政治家・小沢氏の政治責任、道義責任が問われるのは当然のことだと思うが、氏のこれまでの態度・振る舞いは終始一貫他人事のようで決して誉められたものではなかったと思う。
日刊ゲンダイは90年代には小沢氏を金権政治家、自衛隊の海外派兵を企む危険な政治家だと指弾していたと記憶するのだが、現在のように小沢一郎応援筆頭メディアに路線変換した時期やきっかけは何だったのだろう。民主党に合流した後の小沢氏の例のスローガン「国民の生活が第一」に参ったということだったのだろうか。
さて日刊ゲンダイの上記5人の発言者のうち意気盛んなのは、碓井広義・佐高信の両氏である。まず碓井氏の発言から。
「今回の判決の結果、既存メディアが小沢報道の検証を怠れば、間違いなく崩壊に向かいます。小沢氏を一方的に攻撃した大政翼賛的な報道は、検察のリーク情報や反小沢派の意向に流されたように見える。こうした疑念にメディアがどう答えるのか。視聴者や読者は目を光らせています。自らの非を認めず、従来の報道を正当化するような小沢叩きを続ければ、いよいよ、既存のメディアは信用を失う。 ただでさえ、若年層を中心にメディア離れは加速している。ネットやソーシャルメディアの方が、真実が混じっているだけマシだという価値観が広がっています。今回の小沢判決で既存メディアは存立の危機に立たされています」(上智大教授・碓井広義氏=メディア論) (強調のための下線はすべて引用者による。)
この発言をうけて、ゲンダイは「だからこそ、既存メディアは小沢を亡き者にしようと必死だったのだが、案の定と言うか、正義のカケラもない魔女狩りは失敗した。 小沢はもちろん、「落とし前をつけろ!」とは言わないだろうが、世間はそういう目で見ているのだ。」と述べている。
長期にわたって権力中枢に座を占め剛腕を振るってきたはずの政治家小沢氏をまるでいたいけな被害者扱い、悲劇のヒーロー扱いだが、既存メディアが視聴者や読者の信用を失ってきているのは明らかな事実にちがいない。でもそれは小沢叩きを行なってきたからではない。大手メディアの信用失墜はこの問題とは無関係で、小沢問題に関するかぎり、「視聴者や読者」が「目を光らせてい」るのは、むしろ小沢氏がその長い政治生活のなかでカネに関して全体どんな行動をとってきたのか、ということに対してだろう。 碓井氏とゲンダイは、小沢氏に無罪判決が出たことで、「あぁ、そうだったのか。小沢氏は本当は潔白だったのに、大手メディアのせいでとんだ濡れ衣を着せられ悪者にされてきたのか!」などと思った一般大衆がどれだけ存在すると思っているのだろう。一部の熱烈な信者のような人々を除けば、世のなかにそんなおめでたい人間は皆無に近いと思ったほうがいい。そのくらいのことはメディアが行なう各種の世論調査でとうに明らかになっているはずなのに、碓井氏もゲンダイも知らぬ顔の半兵衛を決めこんでいる。この点に迂闊に踏み込んだらかえって人々の小沢氏への疑念・不信をつよめたり、生活苦に喘ぐ層の怒りを買う結果になったりして、自分たちの立場を危うくしかねない、少なくとも得策ではないと感じてそうしているのではないだろうか。
小沢氏は新進党、自由党、民主党の党首時代に、税金で賄われている政党交付金をどのように使っていたのかが不明、それから莫大な額の組織対策費が小沢氏の腹心と言われる数名の議員にのみ支出され、その使途もまた不明であることなどが松田賢也氏の著書には克明に記されており、上脇博之氏のブログではこの件もふくめて小沢氏のカネの問題(もちろん、問題はカネの件にとどまるものではないが。)について丁寧な調査・検証がなされている。小沢氏が問題なのは、これらについてこれまで一度もまともな説明をしたことがない、ということだ。少なくとも私には小沢氏の説明が腑に落ちたという経験の記憶はない。
年収200万、300万、あるいはそれ以下の低額所得者でも納めなければならない税金は当事者にとってかなりの額、きびしい割り当てになるのであり、多くの者は身を削る思いで納税の務めを果たしている。税金の大半はそのように人々のなけなしの財布から出ているのが実状だと思うが、そのなかの決して少なくないカネの使途を小沢氏は不明にしている。その一方当人は数々の不動産を買っているとか選挙に際してグループの議員たちに総額数億円にも上る多額の寄付配分をしているなどの実態を知らされれば、有権者の脳裏にその政治家に対する「なぜそんなにお金があるの? 打ち出の小鎚でも持ってるの?」という疑問が浮かぶのは当然のことである。 これは税金と関係あるかないかは判らないが、前述した松田氏の著書には小沢氏の不正な金銭強奪についての野中広務氏による生々しい証言さえ記されている。日刊ゲンダイが小沢氏を潔白と断言するのならダンマリを決めこむ小沢氏に代わってこれらの件についての全体を紙上で懇切に説明したらいいのではないか。まさか根拠もなく一政治家の擁護・太鼓持ちを務めているのではないのだろうから、 ぜひ紙上で一大展開してもらいたい。私もそうだが、有権者は本当のことを知りたいと思っている。
次に佐高信氏のコメントを取り上げる。佐高氏は下記のように発言している。
「松下未熟塾の政治家による子供の政治が終わりを告げ、大人の政治が、ようやく始まる。そんな期待が持てます。民主党における小沢一郎氏は、子供の中にひとり、大人が交じっているようなもの。小沢氏が真っ白かどうかは分かりませんが、極端な話、悪いこともできない子供には良い政治もできないのですよ。子供集団の民主党政権は、官界、財界にナメられている。だから、消費税引き上げや原発再稼働などという考えられない話が出てくるのです。政治がダメだから官が暴走し、消費税引き上げに反対する文化人を狙い撃ちにするような嫌がらせも起こっている。こうした政治を是正しなければならない。小沢氏が無罪を勝ち取ったことで、状況は確実に変わってくると思います」
思わず全文に下線を付けてしまったが、これは一体全体何という情けなくもバチ当たりな発言であることだろう。こういうものを読むと、この人は途中で変質したというより、もともとろくにモノを考えることをしない・できない人物だったのではないか。時流に乗ってまんまと自分を良識派、憲法擁護派の立場に置くことに成功したものの、当初から他人の弱点を突いた攻撃を得意とするだけの鉄砲玉のように軽~い人物だったのではないか、と思いたくなる。言うにこと欠いて、「小沢氏が真っ白かどうかは分かりませんが、極端な話、悪いこともできない子供には良い政治もできないのですよ。」だって。こういう発想・発言を指して一般社会では長らく「永田町の論理」と評してきたはずだが、この人にはどうやらその永田町の論理が完璧に染み込んでいるらしい。そうでなければこういう音は出ないだろう。
昨日5月3日は憲法記念日だったが、佐高氏は例年どおりどこかの会場で日本国憲法を擁護し、賛美する講演を行なったのだろう、きっと。そういう言動と「小沢氏が真っ白かどうかは分かりませんが、極端な話、悪いこともできない子供には良い政治もできないのですよ。」という発言が同一人物のなかに並存可能であるとして世間に通用し、怪しまれないところに絶望的な日本の現状が明示されているとは言えるだろう。佐高氏の論理でいいのなら、政治家はいっそのこと、犯罪者集団のようなところから引っ張ってきたほうが育成の手間も省けて好都合なのではないか。ここには「悪」や「善」についていくらかでも考察した気配は露ほどもない。単に、悪(狡)賢い人間、どんな手を使っても自己の勢力拡大のために剛腕を振るうことのできる人間、ふてぶてしい人間ーー要するに「つよい人間」ーーに対するこの人のつよい憧れの念が感じられる。それまで散々悪口を書いていた石原慎太郎にいざ会うと異様なまでにへりくだった哀れというしかない態度をとったことなども思い出される。佐藤優現象の強烈な推進役になったのもむべなるかなである。
小沢氏について「悪いこともできない子供には良い政治もできない」と言って擁護の主張をするのなら、小沢氏の「悪いこと」と「良い政治」とは何を指してそう言っているのか、佐高氏には事例を挙げて懇切丁寧に説明・釈明してもらいたい。このような重大な発言は思い付きの言いっぱなしで通用させてならないことは今ではもうあまりにも明らかだ。佐高氏は「 子供集団の民主党政権は、官界、財界にナメられている。だから、消費税引き上げや原発再稼働などという考えられない話が出てくるのです。」と言う。ところが、政治が「官界、財界にナメられ」る元凶の一つである「企業・団体献金」について、2009年の衆院選挙で民主党はその全面廃止をマニフェストに掲げていたにもかかわらず、政権奪取後はこの問題を21世紀臨調に諮問することで反故にした。この施策を行なったのは、政権交代後の鳩山政権下における小沢幹事長であった。何のことはない、民主党議員のなかで「財界に」政治を「 ナメ 」るスキをあたえている筆頭は佐高氏ご推奨の小沢氏だったのだ。
実は小沢氏が企業・団体献金の全面廃止を国会に上程せず、21世紀臨調に諮問したのをうけて、上脇博之氏は自身のブログでつよい懸念を示されていた。財界の資金援助をうけていてその影響下にあることが明白なこの団体が企業・団体献金の全面廃止を打ち出すはずがないと予想されたからで、結果は案の定であった。今回の小沢氏無罪判決に際しても上脇氏は下記の発言をされている。
「 政治資金規正法等も改正されるべきである。/ その主要な第一は、企業・団体献金を全面禁止すること。 民主党はマニフェストでこれを公約しながら、小沢氏が幹事長時代にこれを反故にしてしまった。 企業・団体献金は政治腐敗の温床であり株主や労働組合員の人権を侵害しているから、 即刻法律改正して全面禁止すべきである。 」(/は改行部分)
さて先に引用した佐高氏の発言中の「だから、消費税引き上げや原発再稼働などという考えられない話が出てくるのです」という部分についての感想は、あぁ、佐高信という人はこんなにまで小狡い人物だったのか! の一言である。小沢氏が現在野田政権の消費税増税方針に反対していることは多くの人が知っている。佐高氏はそのことを利用して、小沢氏は消費税のみならず原発再稼働にも反対しているという虚偽の宣伝をしているのだ。明白に人々(私たち)を騙しにかかっているのである。
小沢氏が昨年3.11の後1週間近く公衆の面前に姿を現さず、姿を現したと思ったら、当時の菅首相を引きずり降ろすことに一大精力を傾けたことは周知の事実である。小沢氏は、この難しい時期に菅さんに代わって指揮をとれる人物がいるのかというどこかのインタビューに答えて「いくらでもいますよ」「菅さんでなければ誰でもいい」と宣っていた。この事実について佐高氏はどのように解釈しているのか聞かせてもらいたい。91年の青森県知事選における小沢氏の活躍についての感想も聞きたい。六ヶ所核燃料サイクル基地建設が選挙の争点だったこの年の青森県知事選について、鎌田慧氏のルポルタージュ「六ヶ所村の記録 上下」(岩波書店1991年) には下記の叙述がある。
「…「地方自治体の選挙に政府が干渉するのはおかしい。準公共企業体の独占企業の団体である電事連が選挙を請け負って、カネをふんだんにだしている」 これが「核燃選挙」といわれる知事選の実態である。やってきた自民党の小沢幹事長は遊説にまわらず、青森市内のホテルに陣取って土建業者を呼びつけ、ひとり3分ずつ面会した、とのエピソードは、よく知られている。現職候補と自民党は、県財界、農漁業団体はおろか、保育園のはてまで締めつけていた。」
このような事情をみると、東日本大震災発生後姿が見えなかった間の小沢氏はあるいは東京電力などの電力業界関係者と連絡をとって対応を協議していたのではないかという推測が浮かんでもあながち無理はないだろう。むしろ一番自然な推測のようにも私には思えるのだが、これについて佐高氏はどう考えるだろうか?
それから佐高氏は昨年の原発事故の後、それまで原発推進の旗振り役を務めてきたような文化人を俎上にのせた本を出版したそうである。その本を私は読んでいないし、今後も読むつもりはないが、あるブログはその本についてブラックリストの人選がフェアではない、親しい関係にある人物は原発推進者であってもリストから除外している、という趣旨の指摘をされていた(こちらやこちら)。リストから除外されているなかに佐藤優氏が入っているだろうということは、佐高氏の普段の言動をみていれば聞くまでもなく判ることである。しかしあからさまにこういう不公正・不公平な言動をみせる佐高氏のような人物に、対象が原発であれ、改憲であれ、本心から反対するというようなことが可能なのだろうか。私には疑わしく思える。
佐高氏は「消費税引き上げに反対する文化人を狙い撃ちにするような嫌がらせも起こっている。 こうした政治を是正しなければならない。小沢氏が無罪を勝ち取ったことで、状況は確実に変わってくると思います」とも述べているが、この発言には、この人の近年の文章に特有の何とも言いようのない気持ち悪さがにじみ出ているように思う。自分は消費税引き上げに反対して嫌がらせをうけている(が、それに負けずに自分は頑張っている、闘っている)という自画自賛の含意もあるのだろうが、狙い撃ちにされているという嫌がらせの内容については何も記さず、おまけに「小沢氏が無罪を勝ち取ったことで、状況は確実に変わってくると思います」などと意味不明の発言がつづいている。そのせいか、あるいは率直さに欠けるせいか、この文章にはとりわけイヤな後味をおぼえた。
2012.04.10 *Tue
保護と立ち直りを求める少年法の精神はどこへ? 処罰一色の光市母子殺害事件判決 (4)
元少年は差戻し控訴審において、これまでのすべての裁判所ーー 一審の山口地裁、第一次控訴審の広島高裁、第一次最高裁ーーで事実として認定されてきた「背後から被害者に抱き付き、仰向けに引き倒し、馬乗りになった上、殺意をもって、被害者の喉仏を両手の親指で思い切り押さえつけるようにして首を絞めたところ、更に激しく抵抗されたた め、被害者の頚部を両手で全体重をかけて首を絞め続けて窒息死させて殺害した」、「被害児を頭の上の高さに持ち上げ、その後頭部から居間の床に思い切り叩き付けたところ、一瞬泣き声がやんだものの、絶命せず、かえって激しく泣き出したため、首を締め付けて殺害しようと考え、両手で被害児の頚部をつかむようにして締め付けたが、首尾よく締め付けることができなかったことから、ズボンのポケットに入れていた紐を同児の頚部に巻き付け、その両端を力一杯引っ張って絞殺した 」(第一審判決)という判決の基である捜査段階の自白調書は、 取調べた検察官が作成し、それを自分が認めたところの「虚偽が語られている調書」であると供述しているが、こうして少し長めに読んでみると、確かにこの供述にはおかしなところがあると判る。この疑問は差し戻し控訴審の弁論要旨にも記述されていたが、「被害児を頭の上の高さに持ち上げ、その後頭部から居間の床に思い切り叩き付けた」というのに、赤ちゃんは頭がグシャリとなって致命傷を負うどころか、まったく平気な様子なのである。1歳未満の乳児の世話をしたり、身近に暮らしたことのある人は誰でも判っていることと思うが、その時期の子どもの頭は大変柔らかい。だからこそ少年の「頭上から思い切り床に叩き付けた」という行為が耐えがたく残忍に感じられたのだ。私などは以前は少年のこの行為で赤ちゃんは死に至ったものと疑いもなく思い込んでいたのだが、ところがそうではなかったのだ。これほどの行為があったというのに、どうやら赤ちゃんはピンピンしている様子でなのである。そればかりか、この後「両手で被害児の頚部をつかむようにして締め付けたが、首尾よく締め付けることができなかったので」とつづいている。この供述もどう考えてもおかしい。乳児の頚を18歳の男性の力をもって両手で締め付ければ、その際彼が自分の手のどの指を用いていようと、その時点で赤ちゃんは供述調書のように無事でいられるはずがないのは自明と思う。
差戻し控訴審判決が、元少年の供述の変化について、また新供述の信用性について、どのような判断を示しているか見てみよう。少し長くなるが次に引用する。
「
(1) …被告人は,逮捕の2日後に本件公訴事実を認める内容の供述をしてから,実に7年近くが経過して初めて,旧供述が真実ではないという供述をするに至ったのであり, 特に 第一審においては殺人および強姦の計画性を争いつつも,本件公訴事実を全面的に認め, 本件を自白した経緯や心境等についても,上記検察官調書(乙15)および警察官調書(乙 3)と同趣旨の内容を公判廷で任意に供述していたものである。そして,被告人は,差戻前控訴審においても,強姦の計画性の点を除き,第一審判決が認定した罪となるべき事実を争わなかったところ,旧供述を翻し,弁護人に対し新供述と同旨の供述を始めたのは,上告審が公判期日を指定した後のことである。
(2) 被告人は,当審公判において,旧供述が記載された供述調書の作成に応じた理由,第一審略公判で真実を供述できなかった理由,旧供述を翻して新供述をするに至った理由等について,詳細に供述しているところ,その核心部分は,以下のとおり要約することができる。
ア 平成11年4月19日の<O>検察官による取調べにおいて,被害者とセックスしたことを,自分はレイプと表現せず,エッチな行為をしたと話していたところ,同検察官から,被害者が,抱きつかれて抵抗したということは,被告人とセックスをしたくなかったわけだから,死後にセックスしているのはレイプであると決めつけられ言い合いになったが, レイプ目的がなかったと余りにも言い張るようであれば,自分にはそのつもりはないけれども,上と協議した結果,死刑という公算が高まってしまう,生きて償いなさいと言われて涙を流し,同検察官が作成した供述調書に署名した(当審第8回被告人21ないし23,151ないし157項)。<O>検察官から,本当のことを話すことが被害者らへの報いになると言われ,本当のことを話すというのは,検察官の言い分を認めることだと認識していた(同第8回被告人59ないし61,161ないし163項)。
イ 第一審で真実を話すことができなかったのは,自分自身が事件を受け止めるだけのものができ上がっていなかったし,裁判は自分を素直に表現しにくい場であり,言い足りない部分もあったと思うし,自分自身をどこまで言い表していいかも分かっていなかったからである(当審第8回被告人 295,297,320項)。結果的に人を殺めてしまっている事実や,姦淫している事実は,自分自身がしたことであり揺るぎがないので,公訴事実を認めているところもあり,殺害や強姦の態様等が裁判の結果に影響するという認識は全くなく,それらの事実の重要性にまで考えが及ばなかった(同第8回被告人259,260項)。また,初めて裁判所というものに臨むに当たって,緊張状態が大変高まっており,すごく不安な状態であったし,弁護人との事前の打合せが十分になされておらず,被告人質問で具体的に何を聞き何を答えるかについての打合せはなかった(同,第8回被告人220 ないし 223,257,258項)。弁護人に対し強姦するつもりはなかったと話したが,結果的にセックスしているわけだから,争うと逆に不利になるなどと言われしっかりとは争ってもらえなかった (同,第9 回被告人191ないし196項)。弁護人から,通常この事件は無期懲役だから,死刑になるようなリスクがある争い方はしない方がいいと言われた(同第8回被告人 245,246項)。罪状認否については,その意味合いを全く聞いていなかったし説明が不十分であった(同第8回被告人236,237項)。 結果的に2人を殺めてしまっていることに変わりがないという認識を持っていたので,言い逃れのような気がして,弁護人に対し,殺すつもりがなかったという言葉を用いることができなかった。法律的な知識がなく殺すつもりがあったかどうかが大切なことだということは全く分かっていなかった(同第9回被告人186ないし190項)。姦淫した理由が性欲を満たすためと述べたのは,生き返らせよう と思って姦淫したと言うと,ばかにされると思ったからである(同第8回被告人310ないし 313項,同第9回被告人565ないし570項)。
ウ 差戻前控訴審の弁護人に対し事実関係特に犯行態様や計画性等が第一審判決で書かれている事実とは違うことを伝えた(当審第8回被告人344項)。その中身全体ではなく,強姦するつもりはなかったというところを,どうにかしてもらえないかということを伝えた。同弁護人に対し,被害者方に入った後や被害者を殺害した後の時点でも,当初から一貫して強姦するつもりはなかったことを伝えた(同第9回被告人946ないし949項)。
エ 平成16年2月から教誨を受けるようになり,教誨師に対し事件の真相を話した。そして, 平成18年2月に安田弁護士および足立弁護士と初めて接見した際,安田弁護士から,事件のことをもう一度自分の口から教えて欲しいと言われ,被害者に甘えたいという衝動が出て抱きついてしまったこと,殺すつもりも強姦するつもりもなかったこと,右片手で押さえたこと,被害者にスリーパーホールドをしたことなどを話し,被害児に紐を巻いたことは覚えていないことなどを話した (当審第8回被告人395ないし428項)。安田弁護士から自分の供述調書を差し入れてもらい,事件記録を初めて読んで,余りにも自分を見てもらえていないことに憤りを覚えた(同第9回被告人443項)。 そして,同年3月ころから,事実と向き合い,細かい経過を思い出して紙に書き表し,勘違いや見落としをその都度修正するという作業をし,同年6月から,本件上申書の作成を始めた(同第8回 被告人435ないし446項)。」
(3) しかし,旧供述を翻して新供述をするに至った理由等に関する被告人の当審公判供述は,以下に説示するとおり,不自然不合理である。
ア 被告人の新供述と旧供述とは,事実の経過が著しく異なっており,被害者および被害児の各殺害行為の態様,殺意,強姦の犯意の有無等についても全く異なっている。したがって,本件各犯行についての被告人の新供述が真実であるとすれば,被告人は,自分の供述調書に記載された内容が,真に自分の体験したこととは似ても似つかぬものになっ ていることを熟知していたはずであり自分の供述調書を差し入れてもらって初めて,その記載された内容が自分の経験と違っていることに気付くというようなことはあり得ない。しかるに,本件公訴が提起されてから安田弁護士らが上告審弁護人に選任されるまでの6年半以上もの間,第一審弁護人,差戻前控訴審弁護人および上告審弁護人に対し, 強姦するつもりがなかったということを除いて,新供述のような内容の話を1回もしたことがないというのは,余りにも不自然である。被告人は,第一審弁護人と接見した際, 供述調書を見せられ,ここが違う,ここが正しいという確認をされた旨供述しており(当審第8回被告人251項),しかも,検察官から,供述調書の不服な部分等について,後で供 述調書を作成すると約束されたというのであるから,上記のように供述調書の内容を確認された機会に,旧供述が記載された供述調書の誤りを指摘し,新供述で述べているような内容の話をしなかったということは考えられない。 この点について,被告人は,教誨師と接触するまで人間不信のような状態であった,弁護人に真相を話して良いという権利 の存在自体を知らなかった,上告審段階まで弁護人が非常に頼りない存在であると認識しており,相談したいことがあっても相談できない状態であったなどと供述している(当 審第8回被告人430項,同第9回被告人943,945項)。 しかし,被告人は,第一審判決および差戻前控訴審判決の言渡しを受けた際,朗読される判決書の内容を聞いているほか,これらの判決書ならびに検察官作成の控訴趣意書および上告趣意書を読んで,犯行態様や動機について全く違うことが書かれているのは分かった旨供述している (当審第9回被告人939ないし942項)ことに照らすと,弁護人に対し,上記各判決で認定された事実が真実とは異なるなどとして,その心情を伝えたり,新供述で述べるような内容を話したりすることもなく,死刑を免れたとはいえ,無期懲役という極めて重い刑罰を甘受するということは到底考え難い。特に,定者弁護士は平成12年5月26日に,山口弁護士 は同年9月18日に,それぞれ差戻前控訴審の国選弁護人に選任され,さらに上告審においては,定者弁護士が平成14年4 月8日,山口弁護士が同月22日,井上弁護士が同年11月27日に,それぞれ私選弁護人に選任されているところ,差戻前控訴審において国選弁護人であった弁護士2名が,いずれも上告審に おいて被告人により私選弁護人として選任されていることに照らすと,被告人は,差戻前控訴審における定者弁護士および山口弁護士の弁護活動を通じて両弁護士を信頼したからこそ,上告審においても私選弁護人として選任したものと解される。そして広島拘置所長作成の捜査関係事項照会書に係る回答についてと題する書面(当審検7)によれば,定者弁護士が差戻前控訴審の国選弁護人に選任された後の平成12年6月30日から平成17年12月6日に上告審で公判期日が指定されてその旨弁護人に通知された翌7日までの間,弁護人であった定者弁護士,山口弁護士または井上弁護士は,被告人と296回もの接見をしていることが認められる。しかも,被告人は,当審公判で,父親との文通が途絶え,差戻前控訴審および上告審の弁護人であった定者弁護士が,衣服,現金,生活必需品の差入れをしてくれるなど,親代わりになったような感覚であった旨供述しており(同第9回被告人222項),多数回の接見を重ねた同弁護士に対し,強姦するつもりはなかったという点を除いて,新供述で述べるような内容の話をしなかったというのは,まことに不自然である。また,被告人は,差戻前控訴審の弁護人に対し,被害者を殺害した後の時点も含めて,当初から一貫して強姦するつもりがなかったことを伝えたというのであるが,そのような説明を受けた弁護人が,死刑の可否が争われている重大事件において,強姦の犯意を争わないということは,通常考えにくいことである。同弁護人作成の答弁書および弁論要旨をみても,強姦の計画性を争うのみであり,むしろ,強姦の犯意を生じたのは犯行現場においてであるという趣旨の主張が記載されているところ,そのような記載がされた理由について,被告人は,分からないと述べるにとどまっている(同第9回被告人950項)。 なお,被告人は,差戻前控訴審において,定者弁護人に対し,強姦するつもりはなかったと言ってはいないとも供述している(当審第9回被告人200,201項)ところ,このように供述が変遷すること自体不自然である。 さらに,被告人が,公訴提起後6年半以上もの間,多数回にわたる接見にもかかわらず, 弁護人に対し,新供述で述べるような内容の話をしたことがなかったのに,初めて接見した安田弁護士らから,事件のことを話すように言われるや新供述を話し始めたというの も不自然である。この点について,被告人は,当審公判で,法律的な知識に乏しかったがために,これまで真相を語ることができなかったかのような供述もしている。 しかし, いかに法律的な知識に乏しかったとしても,第一審および差戻前控訴審の各判決書,控訴趣意書等に記載された事実は,被告人が当審で真実であるとして供述する内容と余りにも異なっていることに照らすと,公訴提起後6年半以上の長期にわたり, 1回も弁護人に相談しなかった理由として,納得できるものとはいえない。 このような被告人の供述経過および弁護人との接見状況等にかんがみると,被告人が,上告審の公判期日が指定されるまで維持していた旧供述を翻したのは,まことに不自然である。
イ 被告人は,生きて償いなさいと言ってくれた検察官がいたのに,第一審で検察官が死刑を求刑するのを聞いて,大変裏切られた感が否めず,ショックを受けた旨当審公判で供 述している (当審第8回被告人334ないし336項)。 被告人が,検察官から,生きて償うように言われて,事実とは異なる内容の供述調書の作成に応じたというのが真実であれば, 死刑求刑は検察官の重大な裏切り行為であり,被告人が,事実とは異なる内容の旧供述を維持する必要は全くない上,弁護人に対し,検察官に裏切られたとして,事案の真相を告げ,その後の対応策等について相談するはずである。しかるに,弁護人は,弁論において,本件公訴事実を争わなかったし,被告人も,最終陳述において,本件公訴事実を認めて,遺族に対する謝罪の気持ちを述べたのであり,検察官に対する不満も何ら述べていな い。しかも,被告人は,供述調書の内容について,不服や言い足りない部分については,後で訂正してもらえるという約束があったというのであるから,旧供述を撤回して新供述に訂正する供述調書の作成を求めたり,その旨弁護人に相談したりするなどの行動を取ってもよさそうであるのに,そのような行動に出た形跡もない。生きて償うように言われて,事実とは異なる内容の供述調書の作成に応じた旨の被告人の上記供述は,たやすく信用することができない。
ウ 被告人は,安田弁護人から事件記録の差入れを受け, 初めて自分のした行為に直面し,自分というものを見てもらえていないことが分かって憤りを覚え,その後事実と向き合 うようになった旨供述する(当審第8回被告人380ないし387項,同第9回被告人439ないし451項)が,自分の記憶に照らし,検察官の主張ならびに第一審判決および差戻前控訴審 判決の各認定事実が自分が真実と思っている事実と異なっていることは容易に分かるはずであり,事件記録を精査して初めて分かるという性質のものではない。
エ 以上のとおり,被告人の当審公判供述は,旧供述を維持してきた理由としても,旧供述を翻して新供述をするに至った理由としても,不自然不合理なものである。」(差戻し控訴審判決「主文」)
この事件は、2人の被害者に対する殺害の実態が報道されるとその残忍さが人々に衝撃をあたえたことや、妻子を奪われ一人遺された被害者遺族男性が当初から被告人に死刑判決を望んでいるとつよく訴えていたことなどによって、裁判は早い段階から元少年に果たして死刑判決が言い渡されるかどうかに最大の注目が集まることになった。その上、二審に入るとあの不埒な被告人の手紙が検察側から法廷に持ち出され、その傾向にますます拍車がかかった。私たちがそもそも捜査段階の被告人の供述調書に誤りがあるかも知れないことに初めて思いを致したのは最高裁段階に入って元少年が「これまでの裁判では本当のことを言うことができなかった」としてそれまでの供述をことごとく否定し、「新供述」を述べ始めたことからであった。
これに対して判決は上記のように「いかに法律的な知識に乏しかったとしても,第一審および差戻前控訴審の各判決書, 控訴趣意書等に記載された事実は,被告人が当審で真実であるとして供述する内容と余りにも異なっていることに照らすと,(略)被告人が,上告審の公判期日が指定されるまで維持していた旧供述を翻したのは,まことに不自然である。」と判示しているわけだが、しかし元少年が一・二審とは「余りにも異なっている」その新供述を初めて話したのは「上告審の公判期日が指定され」てからではなく、その大分前に拘置所の教戒師にすでに新供述を打ち明けていたと被告・弁護側は法廷で説明し、だから教戒師を証人尋問してほしいと要請していたことについては、このブログはこれまで何度も言及した。裁判所はその要請を拒んでおきながら、「上告審の公判期日が指定される」と、突如元少年が供述を翻したかのように述べるのは矛盾もはなはだしい。前回、被告人質問の場で弁護人から新供述をすることになった経緯について尋ねられた元少年が、「自分の方から話した。ただ、安田先生に言う前に教戒師の先生にも同じことを話している」「教戒師に会うまでは人間不信のような感じだった。そうでなければ、安田先生にも話すことができたか分からない」 と答えている発言を引用したが、そのように彼が一・二審の頃、自分の方からは(弁護人なり裁判官なり、誰かが丁寧に彼の話を引き出そうと努めていれば話は別だったろうが…。)真実を話せなかったと述懐していることはおそらく本心ではないだろうか。司法になぜ少年の保護を規定した少年法が必要不可欠とされているか、これはその根拠、理由を如実に示している好例ではないかと思う。
差戻し控訴審の被告人質問で元少年は、一審の弁護人に「強姦するつもりはなかった」と話してみたが、「無期懲役だろうから、変に争うよりも情状面で主張していくと言われ た」、「(弁護人は)頭を抱えていた。引っ繰り返すのは難しい、と」 と述べている。この部分は判決文から先ほど引用した箇所と直に関連する部分でもあり、またここにはこれから取り上げるつもりの「検察官の取り調べ」についての元少年の説明も出てくるので、以下に引用しておく。
「
弁護人 「逮捕翌日の検察官からの取り調べでレイプ目的の犯行だとする調書が作成されているが、このとき償いについて何か言われたか」
被告 「『生きて償いなさい』ということを言われた。『亡くなった奥さんとエッチした』と話したのだが、検事さんは『だんなさんがいるんだから、死後でもレイプじゃないか』という風に話を持っていかれた」
弁護人 「レイプ目的を認めなくて、何を言われたか」
被告 「『このまま言い張るようだったら、死刑の公算が高まる。でも、ぼくは『生きて償ってほしい』 と言われたので、調書にサインした」
弁護人 「調書についてはどう説明されたか」
被告 「調書というものはしゃべったことがそのまま載るのではなく、取り調べた人の印象や感想が載るものだと言われた」
弁護人 「言いたくないことは言わなくていいという説明はあったか」
被告 「受けていない」
弁護人 「当番弁護士は頼んだか」
被告 「頼んでいない」
弁護人 「だれかが頼んでくれたのか」 (引用者注:一審の弁護人は元少年の父親が依頼したとのことである。)
被告 「はい」
弁護人 「弁護士について検察官は何か言っていたか」
被告 「弁護士はうそをつくし、費用も莫大にかかるけえ、親に迷惑をかけることになる、と」
弁護人 「それを聞いてどう思ったか」
被告 「頼る人はいなくて、取り調べ官に頼るしかないという感覚になった」
弁護人 「『生きて償いなさい』と言われて信用したのか」
被告 「はい」
弁護人 「結局、捜査段階では弁護人はつかなかったのか」
被告 「はい」
弁護人 「当時、『強姦』や『レイプ』をどう理解していたのか」
被告 「別の意味と理解していた。レイプは押しの強いエッチのこと、強姦は女性を襲うことと認識していた」
弁護人 「では平成11年4月18日に警察に連れていかれる経過を。警察官が家に来た理由はすぐ分かったか」
被告 「はい。ぼくが人を殺してしまったから」
弁護人 「傷害致死と殺人の区別はついていなかったのか」
被告 「はい。そもそも傷害致死という言葉を知らなかった」
弁護人 「逮捕当日に警察で作成された調書には、弥生さんを死なせたことについて『右手で首を絞め続けた』とあるが」
被告 「ぼく自身は弥生さんの首にぼくの手があったことを言っているのだが、『押さえた』というのはどうしても理解してもらえず、『絞めた』ということに、調書ではなったのだと思う。無我夢中だったため押さえたか絞めたか断定できないので、違和感はあったけど否定しきれなかった」
《これまでの判決は「被告が弥生さんに馬乗りになり両手で首を絞めて殺害した」と認定。 しかし、差し戻し控訴審で被告は「無我夢中で弥生さんを押さえつけていた」と供述している》
弁護人 「『夕夏ちゃんの首をひもで絞めて結んだ』という記載は」
被告 「死因はぼくが(抱き上げようとして)床に落としてしまったせいと思っていたので、ひもは警察官の方から言ってきたと思う」
弁護人 「『ひもで絞めた』とは言っていないのか」
被告 「はい」
弁護人 「弥生さんを姦淫したことは認めたのか」
被告 「性行為があったことは認めた」
弁護人 「翌日の検察官の取り調べでは」
被告 「姦淫という言葉を知らなかったので、『裸にしてエッチな行為をした』と話したら、それをレイプと決めつけられた」
弁護人 「この日の取り調べで、自分の言ったことがそのまま調書にとられていないという意識はもったか」
被告 「はい。でも『生きて償いなさい』と言ってくれたことが嬉しくて、これだけ自分のことを考えてくれるのだから、と調書にサインした」
《休廷をはさみ、弁護人が交代》
弁護人 「次は逆送後と1審の被告人質問での供述について。弁護人は選任していたが、逆送について説明はなかったのか」
被告 「なかった」
弁護人 「逆送後の調書には『強姦した』とあるが」
被告 「調書の読み聞かせのときには『エッチした』と読まれているはず」
弁護人 「弁護人に相談しなかった理由は」
被告 「取り調べの人がいい加減なので、弁護人もいい加減と決め付けていた」
弁護人 「1審の際に弁護人と打ち合わせは」
被告 「なかった」
弁護人 「父親は面会に来たか」
被告 「2、3回来たが、『死ね』と言われた」
弁護人 「罪状認否で『間違いない』と起訴事実を認めているが、そう答えることの意味は弁護人から聞いていたか」
被告 「聞いていない」
弁護人 「検察側の冒頭陳述を聞いていて、それが自分の記憶と違うとは思わなかったか」
被告 「違和感はあったが、異議申し立てができる権利があることを知らなかったので、 していない」
弁護人 「弁護方針について、弁護人から説明はあったか」
被告 「無期懲役だろうから、変に争うよりも情状面で主張していくと言われた」
弁護人 「調書の内容が違うと話したときの弁護人の反応は」
被告 「頭を抱えていた。引っ繰り返すのは難しい、と」
弁護人 「被告人質問についての打ち合わせは」
被告 「なかった」
弁護人 「弥生さんを死なせた経緯について、現在は『最初にスリーパーホールドをした後、 弥生さんから反撃されて2度目に押さえつけた』としているが、1審ではなぜそう供述して いないのか」
被告 「弥生さんを死なせるまでに長い間かかっているのは残虐な感じがしたので、身勝手ながら途中の経緯をカットした」
弁護人 「弥生さんを姦淫した理由を、生き返らせようとしたのではなく、性欲のためとしたのは」
被告 「生き返らせようとしたと話せば、馬鹿にされると思ったから。人として扱われていなかったので、人として扱ってほしくて、人と共通する性欲だと説明した」
弁護人 「人は生き返ると1審当時も信じていたのか」
被告 「はい」
弁護人 「遺体を押し入れに入れたことを『発覚を遅らせるため』としている。今は『ドラえもんが何とかしてくれると思った』と話しているが」
被告 「ドラえもんの話は捜査段階でもしたのだが、馬鹿にされた。だから、裁判官の前では話をしかねた」
弁護人 「求刑が死刑だったときはどう思った」
被告 「『生きて償いなさい』と言ってくれた検事さんだったので、ショックだった」
弁護人 「判決が無期懲役だったことは」
被告 「人を死なせて無期でいいのかな、と思った」
弁護人 「2審で問題になった不謹慎な手紙のことだが、相手は被告から受け取った手紙を捜査機関に提出しながら、9カ月も文通を続けていたことを知っていたか」
被告 「知らなかった」 」( 9月18日22時19分配信 産経新聞 )
差戻し控訴審判決は、一・二審の裁判において新供述の内容とはまったく異なる事実認定がなされて進行していっているのに、元少年がそれを黙認・追認したことはあまりにも不合理・不自然だと繰り返し断じている。
もし自分が原因で2人の人物が死に至ったという事実がなかったならば、彼もいかに18歳とはいえ、目の前で進行している事態を黙って見ているというようなことはせず、必ず異議を述べただろう。彼は差戻し控訴審の被告人質問で「結果的に2人を殺めてしまっていることに変わりがないという認識を持っていたので,言い逃れのような気がして,弁護人に対し,殺すつもりがなかったという言葉を用いることができなかった」(第8回)、「罪状認否については,その意味合いを全く聞いていなかった」(同上)、「殺すつもりがあったかどうかが大切なことだということは全く分かっていなかった」(第9回)と述べている。この事件を起こすまでいわゆる非行少年ではなく警察沙汰を引き起こした経験もない彼にはそれまで取調べや裁判について知識を得る機会もなかっただろうし、彼のこの供述は事実をありのままに語っていると見て間違いはないように私には思われる。
差戻し控訴審判決は元少年の一・二審当時の態度について、「弁護人に対し,上記各判決で認定された事実が真実とは異なるなどとして,その心情を伝えたり,新供述で述べるような内容を話したりすることもなく,死刑を免れたとはいえ,無期懲役という極めて重い刑罰を甘受するということは到底考え難い。」とも断じているが、これは未成年であった元少年が当時置かれていた不穏な環境や不安な心理に対してあまりに理解と洞察を欠き、冷酷に過ぎる見方ではないだろうか。少年は当時から「死刑」という言葉が飛び交う環境のなかにいたのだ。弁護人は「無期懲役だろうから、変に争うよりも情状面で主張していく」と死刑判決回避を主眼とする方針を述べ、その上、父親からも「『死ね』と言われた」という元少年が孤立感のなかで、裁判の進行に不満と不信は持ちながらも、自分が2人の人物を死亡させたことが事実である以上、弁護人が暗に述べているごとくに彼自身も無期判決ならばよしとせねばならない、という心境になっていったとしても不思議ではないだろう。
著書に元少年の本名が明記されていることなどをめぐって被告・弁護側から提訴され、現在も裁判がつづいているという増田美智子氏のその著書には、差戻し控訴審で死刑判決を受けた後の元少年が面会に訪れた増田氏に対し一審当時を振り返って死刑を怖れる気持ちがあったと述べたことが記されている。また裁判が辛かった、傍聴人の視線が辛くて、一審でも二審でも弁護人に早く裁判を終わらせて欲しいと自分のほうから頼んだということも。彼は自分のほうからそのように頼んだのだから、裁判で事実関係を争わなかったのは必ずしも弁護人だけの責任ではないのだとも述べている。ーー当時の彼のうちにはあるいは法廷で記憶のとおりに話しても四方八方から直ぐに「嘘をついている」「反省がない」と決めつけられてその結果かえって重い判決が出たり、自分に対する世の中の指弾がさらにきびしくなる事態を予感し、それを恐れる気持ちがなかっただろうか。
何れにせよ、被害者遺族だけではなく傍聴人のきびしい視線を浴びつづけている法廷で、検察官が作成した調書には誤りがある、自分が行なったことは本当はそこに書かれていることとはちがう、と主張することは少年にとって容易いことではなかっただろう。私自身、18、19歳当時の自分をあえてこの少年の立場に置き換えて考えてみると、果たして記憶のとおりの事実をきちんと口にすることができたかどうか自信が持てない。まして当時の少年には頼りにできる肉親もいなかった。彼は上記のとおり面会に来た父親から死ねと言われたと述べているが、母親は彼が中学生のときに自殺してすでにいなかった。弁護人の考え・方針について触れると、一審の弁護人だけではなく、二審の弁護人も死刑判決回避が第一と考えていたようである。一・二審とも被告・弁護側は無期判決に対して控訴、上告をしていない。それをしたのは周知のように無期判決を不服とした検察だった。
一・二審の弁護人は少年からもっと具体的事実を引き出す姿勢を持つべきであった。これは明らかだと思うが、ただ当時の状況を思い起こすとそれはなかなか難しかっただろうとは思う。実際、一・二審で元少年に無期判決が言い渡されると、その都度世の中は被害者遺族にいたく同情的で、世論のごうごうたる非難は元少年と弁護人のみならず、無期 判決を言い渡した裁判官にまでおよんだ。このような事情・背景のすべてを差戻し控訴審の裁判官は黙殺し、元少年の供述の変化をただただ「不合理、不自然」として非難・一蹴しているが、裁判官のこの姿勢を見ると、未成年者を裁く裁判官としての見識・包容力の欠如を感じざるをえない。上記では「上告審の公判期日が指定されるまで維持してい た旧供述を翻したのは,まことに不自然である 」と述べ、別の箇所ではもっと直接に「元少年は (略) 死刑を免れたいと虚偽の弁解をろうしている 」と、元少年に対して「上告審の公判期日が指定される」ことがなければ、供述を翻すことはなかっただろう、上告審の公判期日を告げられたことで無期判決が覆る恐れを感じ、慌てて嘘の新供述を作り出 したのだろう、と言わんばかりの判示は、ここから死刑判決が導き出されたことを考えるとあまりに重大で見過ごせない。「上告審の公判期日が指定され」ることがなければ、 この時期に元少年が公に供述を一変させることがなかっただろうことは、確かに判示のとおりだ。それがなければ公の場で陳述する機会は元少年にはもうなかっただろうから。しかし「上告審の公判期日が指定され 」たことは、このために「虚偽の弁解をろう」することになったという裁判官の判断とまったく逆に、元少年のあらゆる迷いや気後れを吹っ切り、公然と真実を述べる契機になったということも当然考えられる。元少年が新供述を語り始めたのは二審の無期判決 (2002年3月14日 、広島高裁は検察の控訴を棄却) 後のようであるが、その辺りの経緯をはなはだ簡単ながら時系列で記しておきたい。
「 1. 2004年(平成16年) 元少年は広島拘置所で教戒師に出会う。元少年によると、この人物に彼は一・二審判決における事実認定の誤りと事件の真相を初めて打ち明ける。
2. 2006年(平成18年) 最高裁第三小法廷は検察の上告に対し、3月14日に口頭弁論を開くことを決定。2月27日、安田・安達両弁護士が元少年に初めて面会。元少年は事件に ついて教戒師に話した内容を両弁護士に告げる。両弁護士、弁護人に就任。 最高裁に口頭弁論の準備が整っていないことを理由に口頭弁論の期日延期を申し出たが、最高裁はこ れを一蹴。弁護人は3月14日の弁論を欠席。巷でははげしい弁護人非難が沸き起こるが、口頭弁論は日を改めて4月18日に開かれた。この弁論で最も重要だったことは、弁護人が 裁判記録を読み、専門家(上野正彦氏)にも意見を聞き、教えを受けながら事件を検証していった結果、これはまだ端緒についたばかりの検証だと断りながらも、2月27日に元 少年が語った新供述は裁きり判記録のなかの死体の傷と一致していることを確認したと述べたことだろう。上野正彦氏も元少年の新供述を真実と認めたことは差戻し審での上野 氏の証言を見れば分かる。6月、最高裁は広島高裁の判決を破棄し、同高裁に審理を差し戻す。
3. 2007年(平成19年) 5月、広島高裁で差戻し控訴審開始。被告人と20数名に膨らんだ弁護人は、これまで裁判所に事実として認められてきた排水検査員を装っての強姦計画 を否定。被害者母子に対する殺害の意思を否定。両手で力いっぱい被害者の頸を絞めたことや、赤ちゃんの身体を床に叩き付けたことなどの殺害態様を否定した。「 7月25日、 法医鑑定をした二人の専門家が法廷に立ち、一人目の大野曜吉教授(日本医科大大学院)によると、「捜査段階で男性被告が自白した殺害方法は遺体に残された損傷と整合しな い」などと証言、差戻し審での被告の証言と一致するとの判断を示した。 上野正彦元東京都監察医務院長は、右手を逆手にして弥生さんの首を押さえたなどとする差戻し審での 被告の供述は「(遺体の状況と)一致する」」(中国新聞)と指摘した。「7月26日、 元少年の精神鑑定を行なった精神科医の野田正彰関西学院大教授が法廷に立ち、「元少年の人格発達は極めて遅れており、他の18歳の少年と同じ責任を問うのは難しい。」「元少年の父親が妻と元少年に繰り返し暴力を振るっていたことが、元少年の内面に大きな影響を与えた」と指摘。その上で「事件当時までの人格発達は極めて遅れており、 更に母親の自殺で停滞した」と述べた。 」(毎日新聞7月26日)。
4. 2008年(平成20年) 4月22日、差戻し控訴審死刑判決
5. 2012年(平成24年) 3月22日、上告棄却。死刑確定 」
事件を正確に見る上では、上記 1. から 3.に至る出来事の順序を時間に沿ってきちんと把握することはきわめて重要だ。元少年の供述の変遷を見ると、ここには成人に較べて知恵や 分別に欠ける未熟な少年を密室でたった一人捜査陣が相対して取り調べることや、公開の場で少年を裁くことの危険と弊害が明瞭に顕れているように思われる。このことの問題 性は、元少年の新供述をどのように受け止めるかは別において、誰の目にも明らかではないだろうか。強姦の計画、被害者に対する殺意、残忍な殺害態様などの現在事実と認定 されているものの証拠はほぼすべて少年の捜査段階の供述調書であり、法廷では少年がまともに口を開いて事件について具体的に発言した場面はほとんどなかったのだ。こうし て元少年が新供述を話し始めた事実経過およびその供述内容を見ると、繰り返しになるが、先に引用した差戻し審の判決はまったく不合理であり、改めて首を傾げざるをえな い。初対面の元少年が事件の真実として話した内容を聞いて帰った弁護人が記録と照合してみると、被害者の死体所見は取調べ段階での元少年の自白調書、すなわち裁判所もこ れまでずっと疑いのない事実として認めてきた内容と整合しているのではなく、元少年が初面会で真実として話した内容と整合しているように見えたこと、この見解は専門家か らの賛同も得たこと、そして法廷ではこの専門家もふくめた2人の法医学者が揃って死体所見は元少年の自白調書と整合しているのではなく、差戻し審における新供述と整合し ていると傍目にも確信的な言葉遣いで証言したこと。これらの事実はたとえようもなく重要だろう。刑事裁判ではしばしばある事実が秘密の暴露であるかどうか、つまりその 「ある事実」は本当に「犯人でしか知りえない事実」であるかどうかが問題になるが、この事件における元少年の場合、新旧の供述内容、旧供述から新供述への転換の経緯、転 換に際しての説明内容などを見ると、彼の新供述は一種の秘密の暴露たりえているように思う。元少年が話した新供述は、弁護人だけでなく(20数人の弁護人が結集したのも元少年の新供述に真実性を感じた、見いだしたという点を抜きには語れないだろう。)、2人の法医学者からも死体の所見と整合していると太鼓判を押されたのである。
「 認定事実への疑問証言=弁護側の法医学者、光市母子殺害-広島高裁
山口県光市の母子殺害事件で、殺人などの罪に問われ、最高裁が一、二審の無期懲役判決を破棄した当時18歳少年で元会社員の被告(26)の差し戻し控訴審第6回公判が2 5日、広島高裁(楢崎康英裁判長)で開かれた。弁護側証人の法医学者2人が、被告の捜査段階の自白は遺体の鑑定結果と整合しないとして、最高裁が認定した犯罪事実を否定 する証言をした。 大野曜吉日本医科大教授(法医学)は、殺害されたYさんについて「首に両手で絞められた形跡は見られない」と説明。あごに残る円形の傷は、 被告が背後か ら腕で首を絞めた際、作業着袖の金属製ボタンが当たったと考えられるとした。 長女(11カ月)=を床にたたき付けたとする点には「(事実なら)脳に損傷があるはずだ」と 否定。「首の後部でひもを強く絞めた跡はない」とも述べた。 上野正彦元東京都監察医務院長(同)は、右手を逆手にしてYさんの首を押さえたなどとする差し戻し審での被告の供述は「(遺体の状況と)一致する」と証言した。(時事通信社 2007/07/25/21:08 )
「首の傷自白と合わず」 光母子殺害事件で法医学者証言
光市母子殺害事件で殺人などの罪に問われ、最高裁で無期懲役の判決を破棄、審理を広島高裁に差し戻された犯行時18歳の男性被告(26)の差し戻し審の公判が25日、広島高 裁であった。弁護側が法医鑑定を依頼した専門家二人が証人として「(被告が捜査段階で自白した) 殺害方法は遺体の状況とは合致しない」との見方を示し、いずれも差戻し審 での弁護側の主張に沿う証言をした。 日本医科大大学院の大野曜吉教授(法医学)と法医学者で東京都監察医務院の上野正彦元院長。 弁護側の尋問で、二人は遺体の状況や司法 解剖の鑑定資料に基づく自身の鑑定結果を踏まえ、Yさんの首に残された傷に「不自然な点がある」などと説明。傷の位置や形状が「馬乗りになり、全体重をかけ両手で首を絞 め続けた」とする捜査段階の被告の自白と合わないと述べた。 上野元院長は「右の逆手で押さえたと推測できる」などと主張。大野教授も、押さえたのは片手だったとの見方を 示し、「大声を出されて右の逆手で口をふさごうとした際、首にずれて誤って死なせた」とする弁護側の主張に沿う発言をした。 二人は長女=当時11カ月=殺害に関する被告 の捜査段階の自白にも矛盾点があると説明。「頭上から床にたたき落とした」との自白は「脳に重い症状が出ていない」 などとして疑念を呈した。 大野教授は「Yちゃんの首に 巻いたひもを力いっぱい引っぱって絞めた」との自白も「強く引っ張ったような所見はない」などと説明した。 公判は26日も続き、弁護側が申請した精神鑑定の証人尋問などが あった。 (中国新聞 2007/07/26) 」
上野氏は差戻し審で証言台に立たれた数日後、テレビのインタビューを受けておられたが、そのとき「死体検案書と供述調書とは、本来、印鑑と押印した刻印の関係のように両 者はピッタリ一致していなければならない。しかしあの事件の場合、被告人の自白調書は遺体の傷と一致していないんです。差戻し審での供述は一致しています。」と、遺体に 残された傷を指し示しながら説明されていた。素人の私などには正確に理解するのが難しい内容には違いなかったが、しかし、指先が白くなるまで両手で被害者女性の頸を絞め つづけた痕跡、頭上から被害児の頭部を下にして思い切り床に叩き付けた痕跡は死体検案書にないことを具体的に指摘されると、全然理解できないということではなかったよう に思う。これは経験豊かな法医学者にとっては特に難しい事案でもない、専門家なら基礎的な能力で判断が可能な範疇のことではなかったのだろうか。その後、私たちは元少年 の供述の変化・新供述の内容について不合理・不自然・虚偽の供述と断定した差戻し控訴審の死刑判決を見たわけだが、私には今になっても依然として、いや今になるとなおさ ら、この経過自体が改めて摩訶不思議なことに思えてくる。「元少年の旧供述は遺体の傷に一致せず、新供述は一致している」と断言する上野氏も、また大野教授も、そして弁護人も、元少年が供述を一変させ、これが真実だと一つ一つについて述べるところの話を聞いた後に、初めて元少年のその供述が果たして事実であるかどうかを検証する目的で死体検案書を見たのだ。その結果、元少年が現在真実として語っているその新供述が死体検案書とピッタリ一致していること、逆に捜査段階に録取された自白調書は一致していないことを確認した、あるいはそのような判断を持った。
これが実際に起きた出来事の事実経過である。差戻し控訴審判決が述べているとおりにもし元少年が死刑逃れのために虚偽の供述を始めたのだとしたら、初対面の弁護士から「事件についてもう一度自分の口で一から話して欲しい」と言われた元少年がその場で語った具体的・詳細な供述がなぜその弁護士のみならず、実績と定評のある法医学者2人もの人物から「遺体の傷は自白調書とではなく、新供述と一致している」という確言を得ることができたのだろう。何もかも偶然の一致? 付け加えておくと、元少年のこの供述の変化は誰にとってもまったく思いがけなく起きたものだったはずだ。経緯を見れば、このことに疑いの余地はないだろう。
ところがこれに関連して差戻し控訴審判決は何やら新弁護人が元少年を唆してストーリーを捏造したかのような仄めかしをしている。裁判官はいったいどのような根拠を持ってそのような不合理きわまりない奇説を述べているのだろう。これまでこの裁判と無縁であった弁護人がなぜ就任するかしないかのうちに重大事件のストーリーを捏造するなどという世にも愚かかつ危険な行為を行なう必要があるのかという基礎的疑問もさることながら、法医学者から「遺体の傷と元少年の新供述は印鑑と印形のように一致している」と太鼓判をおされるほどの架空のストーリーを、事件を体験していない弁護人がなぜ創れるのだろう。これも偶然の一致なのだろうか? だとしたら元少年の新供述をめぐる一連の経緯は万に一つの偶然の一致どころの話ではない。億に一つ、京に一つの偶然が一斉に10も20もずらずらと生じ積み重なった末の偶然の一致ということになりそうだ。そのことを承知している裁判官は、判決を書く上で、「死刑廃止のために弁護団が事件を利用している」という一部世論の無根拠・無責任な声を素知らぬ風で利用したように思える。
差戻し控訴審判決が、元少年の供述の変化について、また新供述の信用性について、どのような判断を示しているか見てみよう。少し長くなるが次に引用する。
「
(1) …被告人は,逮捕の2日後に本件公訴事実を認める内容の供述をしてから,実に7年近くが経過して初めて,旧供述が真実ではないという供述をするに至ったのであり, 特に 第一審においては殺人および強姦の計画性を争いつつも,本件公訴事実を全面的に認め, 本件を自白した経緯や心境等についても,上記検察官調書(乙15)および警察官調書(乙 3)と同趣旨の内容を公判廷で任意に供述していたものである。そして,被告人は,差戻前控訴審においても,強姦の計画性の点を除き,第一審判決が認定した罪となるべき事実を争わなかったところ,旧供述を翻し,弁護人に対し新供述と同旨の供述を始めたのは,上告審が公判期日を指定した後のことである。
(2) 被告人は,当審公判において,旧供述が記載された供述調書の作成に応じた理由,第一審略公判で真実を供述できなかった理由,旧供述を翻して新供述をするに至った理由等について,詳細に供述しているところ,その核心部分は,以下のとおり要約することができる。
ア 平成11年4月19日の<O>検察官による取調べにおいて,被害者とセックスしたことを,自分はレイプと表現せず,エッチな行為をしたと話していたところ,同検察官から,被害者が,抱きつかれて抵抗したということは,被告人とセックスをしたくなかったわけだから,死後にセックスしているのはレイプであると決めつけられ言い合いになったが, レイプ目的がなかったと余りにも言い張るようであれば,自分にはそのつもりはないけれども,上と協議した結果,死刑という公算が高まってしまう,生きて償いなさいと言われて涙を流し,同検察官が作成した供述調書に署名した(当審第8回被告人21ないし23,151ないし157項)。<O>検察官から,本当のことを話すことが被害者らへの報いになると言われ,本当のことを話すというのは,検察官の言い分を認めることだと認識していた(同第8回被告人59ないし61,161ないし163項)。
イ 第一審で真実を話すことができなかったのは,自分自身が事件を受け止めるだけのものができ上がっていなかったし,裁判は自分を素直に表現しにくい場であり,言い足りない部分もあったと思うし,自分自身をどこまで言い表していいかも分かっていなかったからである(当審第8回被告人 295,297,320項)。結果的に人を殺めてしまっている事実や,姦淫している事実は,自分自身がしたことであり揺るぎがないので,公訴事実を認めているところもあり,殺害や強姦の態様等が裁判の結果に影響するという認識は全くなく,それらの事実の重要性にまで考えが及ばなかった(同第8回被告人259,260項)。また,初めて裁判所というものに臨むに当たって,緊張状態が大変高まっており,すごく不安な状態であったし,弁護人との事前の打合せが十分になされておらず,被告人質問で具体的に何を聞き何を答えるかについての打合せはなかった(同,第8回被告人220 ないし 223,257,258項)。弁護人に対し強姦するつもりはなかったと話したが,結果的にセックスしているわけだから,争うと逆に不利になるなどと言われしっかりとは争ってもらえなかった (同,第9 回被告人191ないし196項)。弁護人から,通常この事件は無期懲役だから,死刑になるようなリスクがある争い方はしない方がいいと言われた(同第8回被告人 245,246項)。罪状認否については,その意味合いを全く聞いていなかったし説明が不十分であった(同第8回被告人236,237項)。 結果的に2人を殺めてしまっていることに変わりがないという認識を持っていたので,言い逃れのような気がして,弁護人に対し,殺すつもりがなかったという言葉を用いることができなかった。法律的な知識がなく殺すつもりがあったかどうかが大切なことだということは全く分かっていなかった(同第9回被告人186ないし190項)。姦淫した理由が性欲を満たすためと述べたのは,生き返らせよう と思って姦淫したと言うと,ばかにされると思ったからである(同第8回被告人310ないし 313項,同第9回被告人565ないし570項)。
ウ 差戻前控訴審の弁護人に対し事実関係特に犯行態様や計画性等が第一審判決で書かれている事実とは違うことを伝えた(当審第8回被告人344項)。その中身全体ではなく,強姦するつもりはなかったというところを,どうにかしてもらえないかということを伝えた。同弁護人に対し,被害者方に入った後や被害者を殺害した後の時点でも,当初から一貫して強姦するつもりはなかったことを伝えた(同第9回被告人946ないし949項)。
エ 平成16年2月から教誨を受けるようになり,教誨師に対し事件の真相を話した。そして, 平成18年2月に安田弁護士および足立弁護士と初めて接見した際,安田弁護士から,事件のことをもう一度自分の口から教えて欲しいと言われ,被害者に甘えたいという衝動が出て抱きついてしまったこと,殺すつもりも強姦するつもりもなかったこと,右片手で押さえたこと,被害者にスリーパーホールドをしたことなどを話し,被害児に紐を巻いたことは覚えていないことなどを話した (当審第8回被告人395ないし428項)。安田弁護士から自分の供述調書を差し入れてもらい,事件記録を初めて読んで,余りにも自分を見てもらえていないことに憤りを覚えた(同第9回被告人443項)。 そして,同年3月ころから,事実と向き合い,細かい経過を思い出して紙に書き表し,勘違いや見落としをその都度修正するという作業をし,同年6月から,本件上申書の作成を始めた(同第8回 被告人435ないし446項)。」
(3) しかし,旧供述を翻して新供述をするに至った理由等に関する被告人の当審公判供述は,以下に説示するとおり,不自然不合理である。
ア 被告人の新供述と旧供述とは,事実の経過が著しく異なっており,被害者および被害児の各殺害行為の態様,殺意,強姦の犯意の有無等についても全く異なっている。したがって,本件各犯行についての被告人の新供述が真実であるとすれば,被告人は,自分の供述調書に記載された内容が,真に自分の体験したこととは似ても似つかぬものになっ ていることを熟知していたはずであり自分の供述調書を差し入れてもらって初めて,その記載された内容が自分の経験と違っていることに気付くというようなことはあり得ない。しかるに,本件公訴が提起されてから安田弁護士らが上告審弁護人に選任されるまでの6年半以上もの間,第一審弁護人,差戻前控訴審弁護人および上告審弁護人に対し, 強姦するつもりがなかったということを除いて,新供述のような内容の話を1回もしたことがないというのは,余りにも不自然である。被告人は,第一審弁護人と接見した際, 供述調書を見せられ,ここが違う,ここが正しいという確認をされた旨供述しており(当審第8回被告人251項),しかも,検察官から,供述調書の不服な部分等について,後で供 述調書を作成すると約束されたというのであるから,上記のように供述調書の内容を確認された機会に,旧供述が記載された供述調書の誤りを指摘し,新供述で述べているような内容の話をしなかったということは考えられない。 この点について,被告人は,教誨師と接触するまで人間不信のような状態であった,弁護人に真相を話して良いという権利 の存在自体を知らなかった,上告審段階まで弁護人が非常に頼りない存在であると認識しており,相談したいことがあっても相談できない状態であったなどと供述している(当 審第8回被告人430項,同第9回被告人943,945項)。 しかし,被告人は,第一審判決および差戻前控訴審判決の言渡しを受けた際,朗読される判決書の内容を聞いているほか,これらの判決書ならびに検察官作成の控訴趣意書および上告趣意書を読んで,犯行態様や動機について全く違うことが書かれているのは分かった旨供述している (当審第9回被告人939ないし942項)ことに照らすと,弁護人に対し,上記各判決で認定された事実が真実とは異なるなどとして,その心情を伝えたり,新供述で述べるような内容を話したりすることもなく,死刑を免れたとはいえ,無期懲役という極めて重い刑罰を甘受するということは到底考え難い。特に,定者弁護士は平成12年5月26日に,山口弁護士 は同年9月18日に,それぞれ差戻前控訴審の国選弁護人に選任され,さらに上告審においては,定者弁護士が平成14年4 月8日,山口弁護士が同月22日,井上弁護士が同年11月27日に,それぞれ私選弁護人に選任されているところ,差戻前控訴審において国選弁護人であった弁護士2名が,いずれも上告審に おいて被告人により私選弁護人として選任されていることに照らすと,被告人は,差戻前控訴審における定者弁護士および山口弁護士の弁護活動を通じて両弁護士を信頼したからこそ,上告審においても私選弁護人として選任したものと解される。そして広島拘置所長作成の捜査関係事項照会書に係る回答についてと題する書面(当審検7)によれば,定者弁護士が差戻前控訴審の国選弁護人に選任された後の平成12年6月30日から平成17年12月6日に上告審で公判期日が指定されてその旨弁護人に通知された翌7日までの間,弁護人であった定者弁護士,山口弁護士または井上弁護士は,被告人と296回もの接見をしていることが認められる。しかも,被告人は,当審公判で,父親との文通が途絶え,差戻前控訴審および上告審の弁護人であった定者弁護士が,衣服,現金,生活必需品の差入れをしてくれるなど,親代わりになったような感覚であった旨供述しており(同第9回被告人222項),多数回の接見を重ねた同弁護士に対し,強姦するつもりはなかったという点を除いて,新供述で述べるような内容の話をしなかったというのは,まことに不自然である。また,被告人は,差戻前控訴審の弁護人に対し,被害者を殺害した後の時点も含めて,当初から一貫して強姦するつもりがなかったことを伝えたというのであるが,そのような説明を受けた弁護人が,死刑の可否が争われている重大事件において,強姦の犯意を争わないということは,通常考えにくいことである。同弁護人作成の答弁書および弁論要旨をみても,強姦の計画性を争うのみであり,むしろ,強姦の犯意を生じたのは犯行現場においてであるという趣旨の主張が記載されているところ,そのような記載がされた理由について,被告人は,分からないと述べるにとどまっている(同第9回被告人950項)。 なお,被告人は,差戻前控訴審において,定者弁護人に対し,強姦するつもりはなかったと言ってはいないとも供述している(当審第9回被告人200,201項)ところ,このように供述が変遷すること自体不自然である。 さらに,被告人が,公訴提起後6年半以上もの間,多数回にわたる接見にもかかわらず, 弁護人に対し,新供述で述べるような内容の話をしたことがなかったのに,初めて接見した安田弁護士らから,事件のことを話すように言われるや新供述を話し始めたというの も不自然である。この点について,被告人は,当審公判で,法律的な知識に乏しかったがために,これまで真相を語ることができなかったかのような供述もしている。 しかし, いかに法律的な知識に乏しかったとしても,第一審および差戻前控訴審の各判決書,控訴趣意書等に記載された事実は,被告人が当審で真実であるとして供述する内容と余りにも異なっていることに照らすと,公訴提起後6年半以上の長期にわたり, 1回も弁護人に相談しなかった理由として,納得できるものとはいえない。 このような被告人の供述経過および弁護人との接見状況等にかんがみると,被告人が,上告審の公判期日が指定されるまで維持していた旧供述を翻したのは,まことに不自然である。
イ 被告人は,生きて償いなさいと言ってくれた検察官がいたのに,第一審で検察官が死刑を求刑するのを聞いて,大変裏切られた感が否めず,ショックを受けた旨当審公判で供 述している (当審第8回被告人334ないし336項)。 被告人が,検察官から,生きて償うように言われて,事実とは異なる内容の供述調書の作成に応じたというのが真実であれば, 死刑求刑は検察官の重大な裏切り行為であり,被告人が,事実とは異なる内容の旧供述を維持する必要は全くない上,弁護人に対し,検察官に裏切られたとして,事案の真相を告げ,その後の対応策等について相談するはずである。しかるに,弁護人は,弁論において,本件公訴事実を争わなかったし,被告人も,最終陳述において,本件公訴事実を認めて,遺族に対する謝罪の気持ちを述べたのであり,検察官に対する不満も何ら述べていな い。しかも,被告人は,供述調書の内容について,不服や言い足りない部分については,後で訂正してもらえるという約束があったというのであるから,旧供述を撤回して新供述に訂正する供述調書の作成を求めたり,その旨弁護人に相談したりするなどの行動を取ってもよさそうであるのに,そのような行動に出た形跡もない。生きて償うように言われて,事実とは異なる内容の供述調書の作成に応じた旨の被告人の上記供述は,たやすく信用することができない。
ウ 被告人は,安田弁護人から事件記録の差入れを受け, 初めて自分のした行為に直面し,自分というものを見てもらえていないことが分かって憤りを覚え,その後事実と向き合 うようになった旨供述する(当審第8回被告人380ないし387項,同第9回被告人439ないし451項)が,自分の記憶に照らし,検察官の主張ならびに第一審判決および差戻前控訴審 判決の各認定事実が自分が真実と思っている事実と異なっていることは容易に分かるはずであり,事件記録を精査して初めて分かるという性質のものではない。
エ 以上のとおり,被告人の当審公判供述は,旧供述を維持してきた理由としても,旧供述を翻して新供述をするに至った理由としても,不自然不合理なものである。」(差戻し控訴審判決「主文」)
この事件は、2人の被害者に対する殺害の実態が報道されるとその残忍さが人々に衝撃をあたえたことや、妻子を奪われ一人遺された被害者遺族男性が当初から被告人に死刑判決を望んでいるとつよく訴えていたことなどによって、裁判は早い段階から元少年に果たして死刑判決が言い渡されるかどうかに最大の注目が集まることになった。その上、二審に入るとあの不埒な被告人の手紙が検察側から法廷に持ち出され、その傾向にますます拍車がかかった。私たちがそもそも捜査段階の被告人の供述調書に誤りがあるかも知れないことに初めて思いを致したのは最高裁段階に入って元少年が「これまでの裁判では本当のことを言うことができなかった」としてそれまでの供述をことごとく否定し、「新供述」を述べ始めたことからであった。
これに対して判決は上記のように「いかに法律的な知識に乏しかったとしても,第一審および差戻前控訴審の各判決書, 控訴趣意書等に記載された事実は,被告人が当審で真実であるとして供述する内容と余りにも異なっていることに照らすと,(略)被告人が,上告審の公判期日が指定されるまで維持していた旧供述を翻したのは,まことに不自然である。」と判示しているわけだが、しかし元少年が一・二審とは「余りにも異なっている」その新供述を初めて話したのは「上告審の公判期日が指定され」てからではなく、その大分前に拘置所の教戒師にすでに新供述を打ち明けていたと被告・弁護側は法廷で説明し、だから教戒師を証人尋問してほしいと要請していたことについては、このブログはこれまで何度も言及した。裁判所はその要請を拒んでおきながら、「上告審の公判期日が指定される」と、突如元少年が供述を翻したかのように述べるのは矛盾もはなはだしい。前回、被告人質問の場で弁護人から新供述をすることになった経緯について尋ねられた元少年が、「自分の方から話した。ただ、安田先生に言う前に教戒師の先生にも同じことを話している」「教戒師に会うまでは人間不信のような感じだった。そうでなければ、安田先生にも話すことができたか分からない」 と答えている発言を引用したが、そのように彼が一・二審の頃、自分の方からは(弁護人なり裁判官なり、誰かが丁寧に彼の話を引き出そうと努めていれば話は別だったろうが…。)真実を話せなかったと述懐していることはおそらく本心ではないだろうか。司法になぜ少年の保護を規定した少年法が必要不可欠とされているか、これはその根拠、理由を如実に示している好例ではないかと思う。
差戻し控訴審の被告人質問で元少年は、一審の弁護人に「強姦するつもりはなかった」と話してみたが、「無期懲役だろうから、変に争うよりも情状面で主張していくと言われ た」、「(弁護人は)頭を抱えていた。引っ繰り返すのは難しい、と」 と述べている。この部分は判決文から先ほど引用した箇所と直に関連する部分でもあり、またここにはこれから取り上げるつもりの「検察官の取り調べ」についての元少年の説明も出てくるので、以下に引用しておく。
「
弁護人 「逮捕翌日の検察官からの取り調べでレイプ目的の犯行だとする調書が作成されているが、このとき償いについて何か言われたか」
被告 「『生きて償いなさい』ということを言われた。『亡くなった奥さんとエッチした』と話したのだが、検事さんは『だんなさんがいるんだから、死後でもレイプじゃないか』という風に話を持っていかれた」
弁護人 「レイプ目的を認めなくて、何を言われたか」
被告 「『このまま言い張るようだったら、死刑の公算が高まる。でも、ぼくは『生きて償ってほしい』 と言われたので、調書にサインした」
弁護人 「調書についてはどう説明されたか」
被告 「調書というものはしゃべったことがそのまま載るのではなく、取り調べた人の印象や感想が載るものだと言われた」
弁護人 「言いたくないことは言わなくていいという説明はあったか」
被告 「受けていない」
弁護人 「当番弁護士は頼んだか」
被告 「頼んでいない」
弁護人 「だれかが頼んでくれたのか」 (引用者注:一審の弁護人は元少年の父親が依頼したとのことである。)
被告 「はい」
弁護人 「弁護士について検察官は何か言っていたか」
被告 「弁護士はうそをつくし、費用も莫大にかかるけえ、親に迷惑をかけることになる、と」
弁護人 「それを聞いてどう思ったか」
被告 「頼る人はいなくて、取り調べ官に頼るしかないという感覚になった」
弁護人 「『生きて償いなさい』と言われて信用したのか」
被告 「はい」
弁護人 「結局、捜査段階では弁護人はつかなかったのか」
被告 「はい」
弁護人 「当時、『強姦』や『レイプ』をどう理解していたのか」
被告 「別の意味と理解していた。レイプは押しの強いエッチのこと、強姦は女性を襲うことと認識していた」
弁護人 「では平成11年4月18日に警察に連れていかれる経過を。警察官が家に来た理由はすぐ分かったか」
被告 「はい。ぼくが人を殺してしまったから」
弁護人 「傷害致死と殺人の区別はついていなかったのか」
被告 「はい。そもそも傷害致死という言葉を知らなかった」
弁護人 「逮捕当日に警察で作成された調書には、弥生さんを死なせたことについて『右手で首を絞め続けた』とあるが」
被告 「ぼく自身は弥生さんの首にぼくの手があったことを言っているのだが、『押さえた』というのはどうしても理解してもらえず、『絞めた』ということに、調書ではなったのだと思う。無我夢中だったため押さえたか絞めたか断定できないので、違和感はあったけど否定しきれなかった」
《これまでの判決は「被告が弥生さんに馬乗りになり両手で首を絞めて殺害した」と認定。 しかし、差し戻し控訴審で被告は「無我夢中で弥生さんを押さえつけていた」と供述している》
弁護人 「『夕夏ちゃんの首をひもで絞めて結んだ』という記載は」
被告 「死因はぼくが(抱き上げようとして)床に落としてしまったせいと思っていたので、ひもは警察官の方から言ってきたと思う」
弁護人 「『ひもで絞めた』とは言っていないのか」
被告 「はい」
弁護人 「弥生さんを姦淫したことは認めたのか」
被告 「性行為があったことは認めた」
弁護人 「翌日の検察官の取り調べでは」
被告 「姦淫という言葉を知らなかったので、『裸にしてエッチな行為をした』と話したら、それをレイプと決めつけられた」
弁護人 「この日の取り調べで、自分の言ったことがそのまま調書にとられていないという意識はもったか」
被告 「はい。でも『生きて償いなさい』と言ってくれたことが嬉しくて、これだけ自分のことを考えてくれるのだから、と調書にサインした」
《休廷をはさみ、弁護人が交代》
弁護人 「次は逆送後と1審の被告人質問での供述について。弁護人は選任していたが、逆送について説明はなかったのか」
被告 「なかった」
弁護人 「逆送後の調書には『強姦した』とあるが」
被告 「調書の読み聞かせのときには『エッチした』と読まれているはず」
弁護人 「弁護人に相談しなかった理由は」
被告 「取り調べの人がいい加減なので、弁護人もいい加減と決め付けていた」
弁護人 「1審の際に弁護人と打ち合わせは」
被告 「なかった」
弁護人 「父親は面会に来たか」
被告 「2、3回来たが、『死ね』と言われた」
弁護人 「罪状認否で『間違いない』と起訴事実を認めているが、そう答えることの意味は弁護人から聞いていたか」
被告 「聞いていない」
弁護人 「検察側の冒頭陳述を聞いていて、それが自分の記憶と違うとは思わなかったか」
被告 「違和感はあったが、異議申し立てができる権利があることを知らなかったので、 していない」
弁護人 「弁護方針について、弁護人から説明はあったか」
被告 「無期懲役だろうから、変に争うよりも情状面で主張していくと言われた」
弁護人 「調書の内容が違うと話したときの弁護人の反応は」
被告 「頭を抱えていた。引っ繰り返すのは難しい、と」
弁護人 「被告人質問についての打ち合わせは」
被告 「なかった」
弁護人 「弥生さんを死なせた経緯について、現在は『最初にスリーパーホールドをした後、 弥生さんから反撃されて2度目に押さえつけた』としているが、1審ではなぜそう供述して いないのか」
被告 「弥生さんを死なせるまでに長い間かかっているのは残虐な感じがしたので、身勝手ながら途中の経緯をカットした」
弁護人 「弥生さんを姦淫した理由を、生き返らせようとしたのではなく、性欲のためとしたのは」
被告 「生き返らせようとしたと話せば、馬鹿にされると思ったから。人として扱われていなかったので、人として扱ってほしくて、人と共通する性欲だと説明した」
弁護人 「人は生き返ると1審当時も信じていたのか」
被告 「はい」
弁護人 「遺体を押し入れに入れたことを『発覚を遅らせるため』としている。今は『ドラえもんが何とかしてくれると思った』と話しているが」
被告 「ドラえもんの話は捜査段階でもしたのだが、馬鹿にされた。だから、裁判官の前では話をしかねた」
弁護人 「求刑が死刑だったときはどう思った」
被告 「『生きて償いなさい』と言ってくれた検事さんだったので、ショックだった」
弁護人 「判決が無期懲役だったことは」
被告 「人を死なせて無期でいいのかな、と思った」
弁護人 「2審で問題になった不謹慎な手紙のことだが、相手は被告から受け取った手紙を捜査機関に提出しながら、9カ月も文通を続けていたことを知っていたか」
被告 「知らなかった」 」( 9月18日22時19分配信 産経新聞 )
差戻し控訴審判決は、一・二審の裁判において新供述の内容とはまったく異なる事実認定がなされて進行していっているのに、元少年がそれを黙認・追認したことはあまりにも不合理・不自然だと繰り返し断じている。
もし自分が原因で2人の人物が死に至ったという事実がなかったならば、彼もいかに18歳とはいえ、目の前で進行している事態を黙って見ているというようなことはせず、必ず異議を述べただろう。彼は差戻し控訴審の被告人質問で「結果的に2人を殺めてしまっていることに変わりがないという認識を持っていたので,言い逃れのような気がして,弁護人に対し,殺すつもりがなかったという言葉を用いることができなかった」(第8回)、「罪状認否については,その意味合いを全く聞いていなかった」(同上)、「殺すつもりがあったかどうかが大切なことだということは全く分かっていなかった」(第9回)と述べている。この事件を起こすまでいわゆる非行少年ではなく警察沙汰を引き起こした経験もない彼にはそれまで取調べや裁判について知識を得る機会もなかっただろうし、彼のこの供述は事実をありのままに語っていると見て間違いはないように私には思われる。
差戻し控訴審判決は元少年の一・二審当時の態度について、「弁護人に対し,上記各判決で認定された事実が真実とは異なるなどとして,その心情を伝えたり,新供述で述べるような内容を話したりすることもなく,死刑を免れたとはいえ,無期懲役という極めて重い刑罰を甘受するということは到底考え難い。」とも断じているが、これは未成年であった元少年が当時置かれていた不穏な環境や不安な心理に対してあまりに理解と洞察を欠き、冷酷に過ぎる見方ではないだろうか。少年は当時から「死刑」という言葉が飛び交う環境のなかにいたのだ。弁護人は「無期懲役だろうから、変に争うよりも情状面で主張していく」と死刑判決回避を主眼とする方針を述べ、その上、父親からも「『死ね』と言われた」という元少年が孤立感のなかで、裁判の進行に不満と不信は持ちながらも、自分が2人の人物を死亡させたことが事実である以上、弁護人が暗に述べているごとくに彼自身も無期判決ならばよしとせねばならない、という心境になっていったとしても不思議ではないだろう。
著書に元少年の本名が明記されていることなどをめぐって被告・弁護側から提訴され、現在も裁判がつづいているという増田美智子氏のその著書には、差戻し控訴審で死刑判決を受けた後の元少年が面会に訪れた増田氏に対し一審当時を振り返って死刑を怖れる気持ちがあったと述べたことが記されている。また裁判が辛かった、傍聴人の視線が辛くて、一審でも二審でも弁護人に早く裁判を終わらせて欲しいと自分のほうから頼んだということも。彼は自分のほうからそのように頼んだのだから、裁判で事実関係を争わなかったのは必ずしも弁護人だけの責任ではないのだとも述べている。ーー当時の彼のうちにはあるいは法廷で記憶のとおりに話しても四方八方から直ぐに「嘘をついている」「反省がない」と決めつけられてその結果かえって重い判決が出たり、自分に対する世の中の指弾がさらにきびしくなる事態を予感し、それを恐れる気持ちがなかっただろうか。
何れにせよ、被害者遺族だけではなく傍聴人のきびしい視線を浴びつづけている法廷で、検察官が作成した調書には誤りがある、自分が行なったことは本当はそこに書かれていることとはちがう、と主張することは少年にとって容易いことではなかっただろう。私自身、18、19歳当時の自分をあえてこの少年の立場に置き換えて考えてみると、果たして記憶のとおりの事実をきちんと口にすることができたかどうか自信が持てない。まして当時の少年には頼りにできる肉親もいなかった。彼は上記のとおり面会に来た父親から死ねと言われたと述べているが、母親は彼が中学生のときに自殺してすでにいなかった。弁護人の考え・方針について触れると、一審の弁護人だけではなく、二審の弁護人も死刑判決回避が第一と考えていたようである。一・二審とも被告・弁護側は無期判決に対して控訴、上告をしていない。それをしたのは周知のように無期判決を不服とした検察だった。
一・二審の弁護人は少年からもっと具体的事実を引き出す姿勢を持つべきであった。これは明らかだと思うが、ただ当時の状況を思い起こすとそれはなかなか難しかっただろうとは思う。実際、一・二審で元少年に無期判決が言い渡されると、その都度世の中は被害者遺族にいたく同情的で、世論のごうごうたる非難は元少年と弁護人のみならず、無期 判決を言い渡した裁判官にまでおよんだ。このような事情・背景のすべてを差戻し控訴審の裁判官は黙殺し、元少年の供述の変化をただただ「不合理、不自然」として非難・一蹴しているが、裁判官のこの姿勢を見ると、未成年者を裁く裁判官としての見識・包容力の欠如を感じざるをえない。上記では「上告審の公判期日が指定されるまで維持してい た旧供述を翻したのは,まことに不自然である 」と述べ、別の箇所ではもっと直接に「元少年は (略) 死刑を免れたいと虚偽の弁解をろうしている 」と、元少年に対して「上告審の公判期日が指定される」ことがなければ、供述を翻すことはなかっただろう、上告審の公判期日を告げられたことで無期判決が覆る恐れを感じ、慌てて嘘の新供述を作り出 したのだろう、と言わんばかりの判示は、ここから死刑判決が導き出されたことを考えるとあまりに重大で見過ごせない。「上告審の公判期日が指定され」ることがなければ、 この時期に元少年が公に供述を一変させることがなかっただろうことは、確かに判示のとおりだ。それがなければ公の場で陳述する機会は元少年にはもうなかっただろうから。しかし「上告審の公判期日が指定され 」たことは、このために「虚偽の弁解をろう」することになったという裁判官の判断とまったく逆に、元少年のあらゆる迷いや気後れを吹っ切り、公然と真実を述べる契機になったということも当然考えられる。元少年が新供述を語り始めたのは二審の無期判決 (2002年3月14日 、広島高裁は検察の控訴を棄却) 後のようであるが、その辺りの経緯をはなはだ簡単ながら時系列で記しておきたい。
「 1. 2004年(平成16年) 元少年は広島拘置所で教戒師に出会う。元少年によると、この人物に彼は一・二審判決における事実認定の誤りと事件の真相を初めて打ち明ける。
2. 2006年(平成18年) 最高裁第三小法廷は検察の上告に対し、3月14日に口頭弁論を開くことを決定。2月27日、安田・安達両弁護士が元少年に初めて面会。元少年は事件に ついて教戒師に話した内容を両弁護士に告げる。両弁護士、弁護人に就任。 最高裁に口頭弁論の準備が整っていないことを理由に口頭弁論の期日延期を申し出たが、最高裁はこ れを一蹴。弁護人は3月14日の弁論を欠席。巷でははげしい弁護人非難が沸き起こるが、口頭弁論は日を改めて4月18日に開かれた。この弁論で最も重要だったことは、弁護人が 裁判記録を読み、専門家(上野正彦氏)にも意見を聞き、教えを受けながら事件を検証していった結果、これはまだ端緒についたばかりの検証だと断りながらも、2月27日に元 少年が語った新供述は裁きり判記録のなかの死体の傷と一致していることを確認したと述べたことだろう。上野正彦氏も元少年の新供述を真実と認めたことは差戻し審での上野 氏の証言を見れば分かる。6月、最高裁は広島高裁の判決を破棄し、同高裁に審理を差し戻す。
3. 2007年(平成19年) 5月、広島高裁で差戻し控訴審開始。被告人と20数名に膨らんだ弁護人は、これまで裁判所に事実として認められてきた排水検査員を装っての強姦計画 を否定。被害者母子に対する殺害の意思を否定。両手で力いっぱい被害者の頸を絞めたことや、赤ちゃんの身体を床に叩き付けたことなどの殺害態様を否定した。「 7月25日、 法医鑑定をした二人の専門家が法廷に立ち、一人目の大野曜吉教授(日本医科大大学院)によると、「捜査段階で男性被告が自白した殺害方法は遺体に残された損傷と整合しな い」などと証言、差戻し審での被告の証言と一致するとの判断を示した。 上野正彦元東京都監察医務院長は、右手を逆手にして弥生さんの首を押さえたなどとする差戻し審での 被告の供述は「(遺体の状況と)一致する」」(中国新聞)と指摘した。「7月26日、 元少年の精神鑑定を行なった精神科医の野田正彰関西学院大教授が法廷に立ち、「元少年の人格発達は極めて遅れており、他の18歳の少年と同じ責任を問うのは難しい。」「元少年の父親が妻と元少年に繰り返し暴力を振るっていたことが、元少年の内面に大きな影響を与えた」と指摘。その上で「事件当時までの人格発達は極めて遅れており、 更に母親の自殺で停滞した」と述べた。 」(毎日新聞7月26日)。
4. 2008年(平成20年) 4月22日、差戻し控訴審死刑判決
5. 2012年(平成24年) 3月22日、上告棄却。死刑確定 」
事件を正確に見る上では、上記 1. から 3.に至る出来事の順序を時間に沿ってきちんと把握することはきわめて重要だ。元少年の供述の変遷を見ると、ここには成人に較べて知恵や 分別に欠ける未熟な少年を密室でたった一人捜査陣が相対して取り調べることや、公開の場で少年を裁くことの危険と弊害が明瞭に顕れているように思われる。このことの問題 性は、元少年の新供述をどのように受け止めるかは別において、誰の目にも明らかではないだろうか。強姦の計画、被害者に対する殺意、残忍な殺害態様などの現在事実と認定 されているものの証拠はほぼすべて少年の捜査段階の供述調書であり、法廷では少年がまともに口を開いて事件について具体的に発言した場面はほとんどなかったのだ。こうし て元少年が新供述を話し始めた事実経過およびその供述内容を見ると、繰り返しになるが、先に引用した差戻し審の判決はまったく不合理であり、改めて首を傾げざるをえな い。初対面の元少年が事件の真実として話した内容を聞いて帰った弁護人が記録と照合してみると、被害者の死体所見は取調べ段階での元少年の自白調書、すなわち裁判所もこ れまでずっと疑いのない事実として認めてきた内容と整合しているのではなく、元少年が初面会で真実として話した内容と整合しているように見えたこと、この見解は専門家か らの賛同も得たこと、そして法廷ではこの専門家もふくめた2人の法医学者が揃って死体所見は元少年の自白調書と整合しているのではなく、差戻し審における新供述と整合し ていると傍目にも確信的な言葉遣いで証言したこと。これらの事実はたとえようもなく重要だろう。刑事裁判ではしばしばある事実が秘密の暴露であるかどうか、つまりその 「ある事実」は本当に「犯人でしか知りえない事実」であるかどうかが問題になるが、この事件における元少年の場合、新旧の供述内容、旧供述から新供述への転換の経緯、転 換に際しての説明内容などを見ると、彼の新供述は一種の秘密の暴露たりえているように思う。元少年が話した新供述は、弁護人だけでなく(20数人の弁護人が結集したのも元少年の新供述に真実性を感じた、見いだしたという点を抜きには語れないだろう。)、2人の法医学者からも死体の所見と整合していると太鼓判を押されたのである。
「 認定事実への疑問証言=弁護側の法医学者、光市母子殺害-広島高裁
山口県光市の母子殺害事件で、殺人などの罪に問われ、最高裁が一、二審の無期懲役判決を破棄した当時18歳少年で元会社員の被告(26)の差し戻し控訴審第6回公判が2 5日、広島高裁(楢崎康英裁判長)で開かれた。弁護側証人の法医学者2人が、被告の捜査段階の自白は遺体の鑑定結果と整合しないとして、最高裁が認定した犯罪事実を否定 する証言をした。 大野曜吉日本医科大教授(法医学)は、殺害されたYさんについて「首に両手で絞められた形跡は見られない」と説明。あごに残る円形の傷は、 被告が背後か ら腕で首を絞めた際、作業着袖の金属製ボタンが当たったと考えられるとした。 長女(11カ月)=を床にたたき付けたとする点には「(事実なら)脳に損傷があるはずだ」と 否定。「首の後部でひもを強く絞めた跡はない」とも述べた。 上野正彦元東京都監察医務院長(同)は、右手を逆手にしてYさんの首を押さえたなどとする差し戻し審での被告の供述は「(遺体の状況と)一致する」と証言した。(時事通信社 2007/07/25/21:08 )
「首の傷自白と合わず」 光母子殺害事件で法医学者証言
光市母子殺害事件で殺人などの罪に問われ、最高裁で無期懲役の判決を破棄、審理を広島高裁に差し戻された犯行時18歳の男性被告(26)の差し戻し審の公判が25日、広島高 裁であった。弁護側が法医鑑定を依頼した専門家二人が証人として「(被告が捜査段階で自白した) 殺害方法は遺体の状況とは合致しない」との見方を示し、いずれも差戻し審 での弁護側の主張に沿う証言をした。 日本医科大大学院の大野曜吉教授(法医学)と法医学者で東京都監察医務院の上野正彦元院長。 弁護側の尋問で、二人は遺体の状況や司法 解剖の鑑定資料に基づく自身の鑑定結果を踏まえ、Yさんの首に残された傷に「不自然な点がある」などと説明。傷の位置や形状が「馬乗りになり、全体重をかけ両手で首を絞 め続けた」とする捜査段階の被告の自白と合わないと述べた。 上野元院長は「右の逆手で押さえたと推測できる」などと主張。大野教授も、押さえたのは片手だったとの見方を 示し、「大声を出されて右の逆手で口をふさごうとした際、首にずれて誤って死なせた」とする弁護側の主張に沿う発言をした。 二人は長女=当時11カ月=殺害に関する被告 の捜査段階の自白にも矛盾点があると説明。「頭上から床にたたき落とした」との自白は「脳に重い症状が出ていない」 などとして疑念を呈した。 大野教授は「Yちゃんの首に 巻いたひもを力いっぱい引っぱって絞めた」との自白も「強く引っ張ったような所見はない」などと説明した。 公判は26日も続き、弁護側が申請した精神鑑定の証人尋問などが あった。 (中国新聞 2007/07/26) 」
上野氏は差戻し審で証言台に立たれた数日後、テレビのインタビューを受けておられたが、そのとき「死体検案書と供述調書とは、本来、印鑑と押印した刻印の関係のように両 者はピッタリ一致していなければならない。しかしあの事件の場合、被告人の自白調書は遺体の傷と一致していないんです。差戻し審での供述は一致しています。」と、遺体に 残された傷を指し示しながら説明されていた。素人の私などには正確に理解するのが難しい内容には違いなかったが、しかし、指先が白くなるまで両手で被害者女性の頸を絞め つづけた痕跡、頭上から被害児の頭部を下にして思い切り床に叩き付けた痕跡は死体検案書にないことを具体的に指摘されると、全然理解できないということではなかったよう に思う。これは経験豊かな法医学者にとっては特に難しい事案でもない、専門家なら基礎的な能力で判断が可能な範疇のことではなかったのだろうか。その後、私たちは元少年 の供述の変化・新供述の内容について不合理・不自然・虚偽の供述と断定した差戻し控訴審の死刑判決を見たわけだが、私には今になっても依然として、いや今になるとなおさ ら、この経過自体が改めて摩訶不思議なことに思えてくる。「元少年の旧供述は遺体の傷に一致せず、新供述は一致している」と断言する上野氏も、また大野教授も、そして弁護人も、元少年が供述を一変させ、これが真実だと一つ一つについて述べるところの話を聞いた後に、初めて元少年のその供述が果たして事実であるかどうかを検証する目的で死体検案書を見たのだ。その結果、元少年が現在真実として語っているその新供述が死体検案書とピッタリ一致していること、逆に捜査段階に録取された自白調書は一致していないことを確認した、あるいはそのような判断を持った。
これが実際に起きた出来事の事実経過である。差戻し控訴審判決が述べているとおりにもし元少年が死刑逃れのために虚偽の供述を始めたのだとしたら、初対面の弁護士から「事件についてもう一度自分の口で一から話して欲しい」と言われた元少年がその場で語った具体的・詳細な供述がなぜその弁護士のみならず、実績と定評のある法医学者2人もの人物から「遺体の傷は自白調書とではなく、新供述と一致している」という確言を得ることができたのだろう。何もかも偶然の一致? 付け加えておくと、元少年のこの供述の変化は誰にとってもまったく思いがけなく起きたものだったはずだ。経緯を見れば、このことに疑いの余地はないだろう。
ところがこれに関連して差戻し控訴審判決は何やら新弁護人が元少年を唆してストーリーを捏造したかのような仄めかしをしている。裁判官はいったいどのような根拠を持ってそのような不合理きわまりない奇説を述べているのだろう。これまでこの裁判と無縁であった弁護人がなぜ就任するかしないかのうちに重大事件のストーリーを捏造するなどという世にも愚かかつ危険な行為を行なう必要があるのかという基礎的疑問もさることながら、法医学者から「遺体の傷と元少年の新供述は印鑑と印形のように一致している」と太鼓判をおされるほどの架空のストーリーを、事件を体験していない弁護人がなぜ創れるのだろう。これも偶然の一致なのだろうか? だとしたら元少年の新供述をめぐる一連の経緯は万に一つの偶然の一致どころの話ではない。億に一つ、京に一つの偶然が一斉に10も20もずらずらと生じ積み重なった末の偶然の一致ということになりそうだ。そのことを承知している裁判官は、判決を書く上で、「死刑廃止のために弁護団が事件を利用している」という一部世論の無根拠・無責任な声を素知らぬ風で利用したように思える。
2012.03.19 *Mon
保護と立ち直りを求める少年法の精神はどこへ? 処罰一色の光市母子殺害事件判決 (3)
最高裁判決は元少年について「差戻し控訴審で、故意や殺害態様について不合理な弁解をして」いると断定しているが、この断定に私はいくつかの疑問をもっている。そのうち前回は元少年が排水検査員を装い、社宅アパートを回って歩いた行為について、そのときの彼には強姦の計画も意思もまるでなかったのではないか、差戻し控訴審で彼が述べたとおり、それは友達と待ち合わせの約束をした3時までの時間潰しや寂しさをまぎらわすための、ふとした思い付きの行為に間違いないのではないか、つまり彼のこの行為のなかに強姦に関する故意(計画・意思)の存在を見るのはどうやっても無理・不自然・不合理にみえると述べた。「故意」の範疇にはこの件の他に元少年が被害者宅を訪れた後の出来事が入ることは間違いないと思われるので、今日はそちらに移りたい。
元少年の行為によって2人の人物が死に至らしめられたこと自体は残念ながら紛れもない事実なのだが、彼のその行為ははたして故意であったか、あるいはそうではなかったかということの判断において、最高裁を初めとして5回の審理を数えた裁判所の判決はすべて「故意」ということであった。一審の山口地裁では取り調べ段階における元少年の自白調書を基にして「故意」の事実認定がなされた。それに対して被告・弁護側は一・二審ともほとんど争わなかったので、差戻し控訴審の判決要旨は項目「新供述の信用性」のなかで、
「 元少年はほぼ一貫して起訴事実を認めていたが(最高裁が差し戻して以降)供述を一変させた。当裁判所は、新供述の信用性を判断するため証人尋問も行った。/ 旧供述を翻して新供述をした理由に関する元少年の供述は不自然、不合理である。新供述と旧供述とは、事実経過や殺害行為の態様、殺意や乱暴の犯意の有無などが全く異なっている。 /公訴提起されてから(最高裁判決前に選任された)安田好弘弁護士らが弁護人に選任されるまでの6年半以上もの間、それまでの弁護人に対し、新供述のような話を一回もしたことがないというのは、あまりにも不自然。初めて接見した安田弁護士らから事件のことを話すよう言われて、新供述を始めたのも不自然だが、元少年は納得できる説明をしていない。 」(/は改行箇所)
との判示をしているのだが、しかし元少年は争いこそしなかったが、一審では2回行なわれた被告人質問で、被害者女性殺害について「最初は考える力がありましたが、やっぱりすごく抵抗されるし、大声を出されるので頭の中が真っ白になるというか、何も考えないというか、とにかく声だけをとめようというふうなことしか考えられなくなって、声をとめるにはどうしようかなという感じも、その時には冷静に判断できなくて、首を絞めるはめになりました」、被害児については「押し入れの中とか、お風呂場のところとか試してみたけど、お風呂場はすごく響いて、押し入れの中も大して変わらなかったので、どんどん、どんどん、腹が立ってきて、殺してしまうようなはめになってしまいました」と供述しており、「冷静に判断できなくて、首を絞めるはめになりました」「腹が立ってきて、殺してしまうようなはめになってしまいました」という言い方はすでに何人もの人から指摘されているように、見方によっては自白調書ーすなわち裁判所の事実認定よりも、差戻し控訴審で元少年がそれまでの供述を翻して新たに主張を始めた供述内容に近似しているように思える。指先が真っ白になるまで被害者の頸を両手で絞め続けた、とか、頭上から被害児を床に叩き付けた、といった明確に殺意の存在を表わしている自白調書とはずいぶん様相が異なっている。しかしこの証言が法廷で真剣に受け止められることも注目されることもなく、 元少年は公訴事実をそのまま認めたことになっている。一審の無期判決を不服として広島高裁に控訴したのは検察だけであり、その広島高裁では元少年が友人に出した罰当たりと言うべき不謹慎な手紙が注目を浴びる結果になったことも影響したのか、元少年の犯罪態様が改めて審理の対象になることは一切なかったようである。
しかし差戻し控訴審においては周知のように集中審理が十分な時間をかけて行なわれ、元少年も主張したいことはかなりの程度主張することができたように思える。法廷で明らかになった事実を基に「殺害についての故意」ーー殺意について考えていくことにするが、ただ殺意の有無という問題は、彼がどのようにして2人の被害者を死に至らしめたかという態様の問題と切り離して考えることはできない。よってこの問題は、殺害態様の問題と一緒にして取り上げる。最高裁判決は(差戻し控訴審判決も同じだが)元少年について「差戻し控訴審で、故意や殺害態様について不合理な弁解をして」いると断定し、それが元少年の死刑判決の主な理由にされているので、この件はよくよく検討される必要があると思うのだが、そうは言っても、この事件には関係者も目撃者もいない。その上、殺意という問題は結局は個人の内面に属する分野のことであり、場合によってはその有無は当の本人にだって完全には捉え切れない場合だってあるだろう。本当に難しい問題なのだが、しかしこうして元少年に確実に殺意が有ったと認定され、その結果元少年に死刑確定判決が出たとなると、それに対して持っている疑問をしまいこんでおくという気にはなれない。それ故あえて取りあげるしだいである。
若い母親である女性と赤ちゃんへの殺意が少年に存在したかどうか。この事件の内容が詳しく報じられたとき、あるいは同様に感じた人も多かったかと思うが、私が最もショックを感じたのは少年が赤ちゃんを頭上から床に思いきり叩き付けたということに対してであった。第一審山口地裁の判決文には「被告人は、泣き止まない被害児に激昂して、同児の殺害を決意し、同児を頭上から頭部を下にして床に思い切り叩き付け、両手で同児の首を絞め、遂には、持参した紐を同児の頸部に二重に巻き付け、その両端を力一杯引っ張って絞殺した」とある。「(被害児の)頭部を下にして」とあるのが特に異様である。最初は新聞で読んだのだったかと思うが、赤ちゃんを自分の頭上高く持ち上げて今にも床めがけて叩き付けようとしている血走った目をした若い男性の姿が目に浮かんだ。わずか18歳の少年の内面がどうすればそこまで荒むことができたのだろうと思った。戦場で敵側の人間を自分と同じ人間とは感じられなくなって残虐行為を平然と為す兵士の話を聞くことがあるが、ちょうどそういう出来事を聞くようであった。もちろん、育児に疲れきった親のなかには赤ちゃんを乱暴に扱って死なせるような事件が時々報道されるけれども、それはおそらくは親が育児の悩みなどで神経をギリギリまで疲労させ、追い詰められる経過をたどった末の錯乱・混乱状態がさせることで、この場合とは事情が本質的に異なるし、行動もこんなふうにはならない。赤ちゃんの柔らかな身体やその無防備さを前にして、いくら泣いたとはいえ、伝えられる少年の振る舞いからは、抑制不能のそら恐ろしいばかりの激情・激怒、極度の捨て鉢、パサパサに乾き切った殺伐とした内面を感じさせられて、何とも言いようのない気がした。これまで青少年による犯罪報道でこのような行為が報告されたことがあったのだろうか。私は聞いた記憶がないのだが…。
差戻し控訴審に入って以後、元少年は社宅アパートを訪れた動機についてそれまで認めていた強姦目的の訪問という供述を否認し、また被害者宅に招じ入れてもらった後も強姦の意思はなかった、同様に被害者2人に対する殺意についても、一転殺意はなかったと否認した。また、被害者女性の頸を絞めてもいない、赤ちゃんを床に叩き付けてもいない、とこれも過去の自分の供述を明確に否定した。こうした被告人の供述の一変という出来事を知らされたとき、私たちはこれを青天の霹靂であるかのように驚きを持って聞いたのだが、それは裁判所も同様だったようだ。ただ裁判所は差し戻し控訴審判決も最高裁判決も揃って元少年のこの新供述は著しく不自然・不合理であり、これは死刑を免れるための嘘だと断じていて、前述したように私などはこの判示に疑問をおぼえるのだが、以下に殺意と殺害態様に関しての疑問を2点挙げておきたい。1つ目は広島拘置所の教戒師に関すること、2点目は検察官のことである。
① 差戻し控訴審判決は、上記の判決要旨の「新供述の信用性」で引用したとおり、「安田好弘弁護士らが弁護人に選任されるまでの6年半以上もの間、それまでの弁護人に対 し、新供述のような話を一回もしたことがないというのは、あまりにも不自然。初めて接見した安田弁護士らから事件のことを話すよう言われて、新供述を始めたのも不自然だが、元少年は納得できる説明をしていない。 」と判示しているが、元少年は差戻し控訴審の被告人質問で、一審の弁護人に被害者宅を訪問したのは強姦目的ではなかったと話してみたが、「無期懲役だろうから、変に争うよりも情状面で主張していくと言われた」と答えている。一審の弁護人について私は何も知らないのだが、ただ日本の裁判は被告人が公訴事実に異議を唱えて争う姿勢を見せると、裁判所から「被告人には反省がない」と判示されてかえって重刑が言い渡される、という話は一般社会でもよく耳にすることで ある。実際この事件でも差し戻し控訴審、最高裁と元少年にはまったく反省がないとの判示がなされている。弁護人が被告人の言い分をよく聞こうとせず、「変に争うよりも…」という考えで被告人の言い分を抑えることは本来なら確かに酷いことと思うが、しかし「おとなしく検察と裁判所に従っていれば無期刑で済んだかも知れないのになまじ本当のことを言って争ったがために被告人に死刑判決が出てしまった」というのが司法の現状ならば、一概に弁護人ばかりを弱腰とか無責任と言って責めるのも酷なのではないだろうか。そしてこの事件の場合、二審の弁護人の心境も一審の弁護人の「変に争うよりも…」という心境と大同小異だったのではないだろうか。私は被害者遺族が被告人を極刑に処してほしいという意思を述べるのは遺族として無理のないことだとも思うが、ただ裁判は第一に被告人を公正・適正に裁くための場なのだから、ただでさえ萎縮し法廷という場が苦痛であるに違いない被告・弁護側が萎縮し切って審理に異議も述べられないような状態は本当にまずいと思う。元少年は裁判が苦痛だったので、一審・二審とも弁護人に「早く裁判を終わらせて欲しい」と頼んだとも述べているが、これは偽らざる本心だったろう。
差戻し控訴審の判決文を読んでいると、裁判官にはこの事件を引き起こしたのは18歳になったばかりの、それも家裁の調査員から精神年齢の驚くべき低さを指摘された少年だということがほとんど眼中にないように思える。相手が40歳、50歳の人間なら求めてもいいかも知れない分別を元少年にごく当然のごとくに要求し、それが得られないと言って少年を責めているように見える。たとえば、裁判官は「元少年は納得できる説明をしていない」と述べている。私にはこの意味がよく分からない。また、納得できる、できない、の主体は誰なのだろう。裁判官なのか、被害者遺族なのか、それとも一般市民をもふくめた「社会全体」のことなのだろうか。それも判然としないのだが、私などは、たとえば赤ちゃんを「頭上から床に思い切り叩き付けるようなことはしていない」との元少年の新供述には直感もふくめてのことだが、相当深く納得させられるものがあった。前述したことだが、一歳未満の乳児を自分の頭上から、しかも乳児の頭部を下にして、思い切り床に叩き付ける、という暴力の振るい方には、精神の荒廃が極限に達している、救いようがないほど捨て鉢になってしまった果ての心象を想像させられて戦慄したのだが、その後元少年のそれまでの生活状態を伝え聞いたり、法廷での言動を報道で見ると、自白に見られるような尖鋭な暴力の振るい方をする性格とは異質の少年のように感じられた。有名なあの不埒・不謹慎な手紙のことだが、あの手紙が死者を冒涜し、遺族の癒えない傷口にさらに塩をもみこむような行為であったことは明らかで、あれでは遺族がさらにきびしい刑罰を望むようになるのも当然かも知れないと思う。第三者から見てもあの手紙は読むに堪えない文面だったのだが、ただその不埒さは罪の意識や責任感の欠如を窺わせる軽薄さや幼稚さや迎合心の横溢などに起因するものであって、判決に叙述されている2人の被害者に対する殺害態様とは結びつきにくいものがあった。殺害態様にみえる鋭角に尖った執拗・凄惨な暴力の雰囲気・気配があの手紙にはほとんど感じられず、その点はちょっと拍子抜けと言うべきか、意外な印象を受けたのであった。
差戻し控訴審の裁判官は元少年の新供述および彼がそれを口にしたタイミング・経緯について判決の主文でも言及し、その不自然・不合理性を難じているが、けれども裁判官がそれほどまでに元少年の新供述に不審を感じていたのなら、元少年は安田弁護士らに話すより一年も早く新供述をその人にすでに打ち明けていたという広島拘置所の教戒師を証人として法廷に招んだら良かったのにと思わずにいられない。なぜ、招ばなかったのだろう。被告・弁護側は裁判所にこの人物の証人尋問の要請を出したのに裁判所は必要なしと退けている。もしこの証人尋問が実行されていれば、元少年についても、事件についてもいろいろなことが明瞭になったかも知れないと惜しまれる。 判決要旨の 【酌量すべき事情】 のなかには、「上告審で公判期日が指定された後、元少年は旧供述を一変させた。死刑を免れたいと虚偽の弁解をろうしているというほかない 」との文言があるが、もし教戒師が証言台に立っていたなら、この場合元少年が嘘を述べているとは考えにくいので、おそらく裁判官はこういう文言を判決に書き込むことはなかっただろう。裁判官のこのような矛盾した言動を見ると、被告・弁護側が要請した2人の法医学者による殺害態様についての証言、元少年の精神鑑定と 犯罪心理鑑定を行なった2人の精神科医の証言など、専門家による元少年にきわめて有利な証言が相次いだことで、裁判所はあるいはもうこれ以上元少年に有利な証言はさせられないと考えて教戒師の証言を許可しなかったのではないかと疑いたくなる。差戻し控訴審の被告人質問(第8回)から教戒師に関する元少年の応答を下に引用しておく。
弁護人 「上告審の段階で、(現在の主任弁護人の)安田弁護士らと初めて会ったのは平成18年2月か」
被告 「はい」
弁護人 「事件の事実関係について聞かれたか」
被告 「ぼくの方から話した。ただ、安田先生に言う前に教戒師の先生にも同じことを話している」
弁護人 「教戒師に話せたので、安田弁護士にも話せた面があるのか」
被告 「はい。教戒師に会うまでは人間不信のような感じだった。そうでなければ、安田先生にも話すことができたか分からない」
②の検察官の件は次回に廻したい。
元少年の行為によって2人の人物が死に至らしめられたこと自体は残念ながら紛れもない事実なのだが、彼のその行為ははたして故意であったか、あるいはそうではなかったかということの判断において、最高裁を初めとして5回の審理を数えた裁判所の判決はすべて「故意」ということであった。一審の山口地裁では取り調べ段階における元少年の自白調書を基にして「故意」の事実認定がなされた。それに対して被告・弁護側は一・二審ともほとんど争わなかったので、差戻し控訴審の判決要旨は項目「新供述の信用性」のなかで、
「 元少年はほぼ一貫して起訴事実を認めていたが(最高裁が差し戻して以降)供述を一変させた。当裁判所は、新供述の信用性を判断するため証人尋問も行った。/ 旧供述を翻して新供述をした理由に関する元少年の供述は不自然、不合理である。新供述と旧供述とは、事実経過や殺害行為の態様、殺意や乱暴の犯意の有無などが全く異なっている。 /公訴提起されてから(最高裁判決前に選任された)安田好弘弁護士らが弁護人に選任されるまでの6年半以上もの間、それまでの弁護人に対し、新供述のような話を一回もしたことがないというのは、あまりにも不自然。初めて接見した安田弁護士らから事件のことを話すよう言われて、新供述を始めたのも不自然だが、元少年は納得できる説明をしていない。 」(/は改行箇所)
との判示をしているのだが、しかし元少年は争いこそしなかったが、一審では2回行なわれた被告人質問で、被害者女性殺害について「最初は考える力がありましたが、やっぱりすごく抵抗されるし、大声を出されるので頭の中が真っ白になるというか、何も考えないというか、とにかく声だけをとめようというふうなことしか考えられなくなって、声をとめるにはどうしようかなという感じも、その時には冷静に判断できなくて、首を絞めるはめになりました」、被害児については「押し入れの中とか、お風呂場のところとか試してみたけど、お風呂場はすごく響いて、押し入れの中も大して変わらなかったので、どんどん、どんどん、腹が立ってきて、殺してしまうようなはめになってしまいました」と供述しており、「冷静に判断できなくて、首を絞めるはめになりました」「腹が立ってきて、殺してしまうようなはめになってしまいました」という言い方はすでに何人もの人から指摘されているように、見方によっては自白調書ーすなわち裁判所の事実認定よりも、差戻し控訴審で元少年がそれまでの供述を翻して新たに主張を始めた供述内容に近似しているように思える。指先が真っ白になるまで被害者の頸を両手で絞め続けた、とか、頭上から被害児を床に叩き付けた、といった明確に殺意の存在を表わしている自白調書とはずいぶん様相が異なっている。しかしこの証言が法廷で真剣に受け止められることも注目されることもなく、 元少年は公訴事実をそのまま認めたことになっている。一審の無期判決を不服として広島高裁に控訴したのは検察だけであり、その広島高裁では元少年が友人に出した罰当たりと言うべき不謹慎な手紙が注目を浴びる結果になったことも影響したのか、元少年の犯罪態様が改めて審理の対象になることは一切なかったようである。
しかし差戻し控訴審においては周知のように集中審理が十分な時間をかけて行なわれ、元少年も主張したいことはかなりの程度主張することができたように思える。法廷で明らかになった事実を基に「殺害についての故意」ーー殺意について考えていくことにするが、ただ殺意の有無という問題は、彼がどのようにして2人の被害者を死に至らしめたかという態様の問題と切り離して考えることはできない。よってこの問題は、殺害態様の問題と一緒にして取り上げる。最高裁判決は(差戻し控訴審判決も同じだが)元少年について「差戻し控訴審で、故意や殺害態様について不合理な弁解をして」いると断定し、それが元少年の死刑判決の主な理由にされているので、この件はよくよく検討される必要があると思うのだが、そうは言っても、この事件には関係者も目撃者もいない。その上、殺意という問題は結局は個人の内面に属する分野のことであり、場合によってはその有無は当の本人にだって完全には捉え切れない場合だってあるだろう。本当に難しい問題なのだが、しかしこうして元少年に確実に殺意が有ったと認定され、その結果元少年に死刑確定判決が出たとなると、それに対して持っている疑問をしまいこんでおくという気にはなれない。それ故あえて取りあげるしだいである。
若い母親である女性と赤ちゃんへの殺意が少年に存在したかどうか。この事件の内容が詳しく報じられたとき、あるいは同様に感じた人も多かったかと思うが、私が最もショックを感じたのは少年が赤ちゃんを頭上から床に思いきり叩き付けたということに対してであった。第一審山口地裁の判決文には「被告人は、泣き止まない被害児に激昂して、同児の殺害を決意し、同児を頭上から頭部を下にして床に思い切り叩き付け、両手で同児の首を絞め、遂には、持参した紐を同児の頸部に二重に巻き付け、その両端を力一杯引っ張って絞殺した」とある。「(被害児の)頭部を下にして」とあるのが特に異様である。最初は新聞で読んだのだったかと思うが、赤ちゃんを自分の頭上高く持ち上げて今にも床めがけて叩き付けようとしている血走った目をした若い男性の姿が目に浮かんだ。わずか18歳の少年の内面がどうすればそこまで荒むことができたのだろうと思った。戦場で敵側の人間を自分と同じ人間とは感じられなくなって残虐行為を平然と為す兵士の話を聞くことがあるが、ちょうどそういう出来事を聞くようであった。もちろん、育児に疲れきった親のなかには赤ちゃんを乱暴に扱って死なせるような事件が時々報道されるけれども、それはおそらくは親が育児の悩みなどで神経をギリギリまで疲労させ、追い詰められる経過をたどった末の錯乱・混乱状態がさせることで、この場合とは事情が本質的に異なるし、行動もこんなふうにはならない。赤ちゃんの柔らかな身体やその無防備さを前にして、いくら泣いたとはいえ、伝えられる少年の振る舞いからは、抑制不能のそら恐ろしいばかりの激情・激怒、極度の捨て鉢、パサパサに乾き切った殺伐とした内面を感じさせられて、何とも言いようのない気がした。これまで青少年による犯罪報道でこのような行為が報告されたことがあったのだろうか。私は聞いた記憶がないのだが…。
差戻し控訴審に入って以後、元少年は社宅アパートを訪れた動機についてそれまで認めていた強姦目的の訪問という供述を否認し、また被害者宅に招じ入れてもらった後も強姦の意思はなかった、同様に被害者2人に対する殺意についても、一転殺意はなかったと否認した。また、被害者女性の頸を絞めてもいない、赤ちゃんを床に叩き付けてもいない、とこれも過去の自分の供述を明確に否定した。こうした被告人の供述の一変という出来事を知らされたとき、私たちはこれを青天の霹靂であるかのように驚きを持って聞いたのだが、それは裁判所も同様だったようだ。ただ裁判所は差し戻し控訴審判決も最高裁判決も揃って元少年のこの新供述は著しく不自然・不合理であり、これは死刑を免れるための嘘だと断じていて、前述したように私などはこの判示に疑問をおぼえるのだが、以下に殺意と殺害態様に関しての疑問を2点挙げておきたい。1つ目は広島拘置所の教戒師に関すること、2点目は検察官のことである。
① 差戻し控訴審判決は、上記の判決要旨の「新供述の信用性」で引用したとおり、「安田好弘弁護士らが弁護人に選任されるまでの6年半以上もの間、それまでの弁護人に対 し、新供述のような話を一回もしたことがないというのは、あまりにも不自然。初めて接見した安田弁護士らから事件のことを話すよう言われて、新供述を始めたのも不自然だが、元少年は納得できる説明をしていない。 」と判示しているが、元少年は差戻し控訴審の被告人質問で、一審の弁護人に被害者宅を訪問したのは強姦目的ではなかったと話してみたが、「無期懲役だろうから、変に争うよりも情状面で主張していくと言われた」と答えている。一審の弁護人について私は何も知らないのだが、ただ日本の裁判は被告人が公訴事実に異議を唱えて争う姿勢を見せると、裁判所から「被告人には反省がない」と判示されてかえって重刑が言い渡される、という話は一般社会でもよく耳にすることで ある。実際この事件でも差し戻し控訴審、最高裁と元少年にはまったく反省がないとの判示がなされている。弁護人が被告人の言い分をよく聞こうとせず、「変に争うよりも…」という考えで被告人の言い分を抑えることは本来なら確かに酷いことと思うが、しかし「おとなしく検察と裁判所に従っていれば無期刑で済んだかも知れないのになまじ本当のことを言って争ったがために被告人に死刑判決が出てしまった」というのが司法の現状ならば、一概に弁護人ばかりを弱腰とか無責任と言って責めるのも酷なのではないだろうか。そしてこの事件の場合、二審の弁護人の心境も一審の弁護人の「変に争うよりも…」という心境と大同小異だったのではないだろうか。私は被害者遺族が被告人を極刑に処してほしいという意思を述べるのは遺族として無理のないことだとも思うが、ただ裁判は第一に被告人を公正・適正に裁くための場なのだから、ただでさえ萎縮し法廷という場が苦痛であるに違いない被告・弁護側が萎縮し切って審理に異議も述べられないような状態は本当にまずいと思う。元少年は裁判が苦痛だったので、一審・二審とも弁護人に「早く裁判を終わらせて欲しい」と頼んだとも述べているが、これは偽らざる本心だったろう。
差戻し控訴審の判決文を読んでいると、裁判官にはこの事件を引き起こしたのは18歳になったばかりの、それも家裁の調査員から精神年齢の驚くべき低さを指摘された少年だということがほとんど眼中にないように思える。相手が40歳、50歳の人間なら求めてもいいかも知れない分別を元少年にごく当然のごとくに要求し、それが得られないと言って少年を責めているように見える。たとえば、裁判官は「元少年は納得できる説明をしていない」と述べている。私にはこの意味がよく分からない。また、納得できる、できない、の主体は誰なのだろう。裁判官なのか、被害者遺族なのか、それとも一般市民をもふくめた「社会全体」のことなのだろうか。それも判然としないのだが、私などは、たとえば赤ちゃんを「頭上から床に思い切り叩き付けるようなことはしていない」との元少年の新供述には直感もふくめてのことだが、相当深く納得させられるものがあった。前述したことだが、一歳未満の乳児を自分の頭上から、しかも乳児の頭部を下にして、思い切り床に叩き付ける、という暴力の振るい方には、精神の荒廃が極限に達している、救いようがないほど捨て鉢になってしまった果ての心象を想像させられて戦慄したのだが、その後元少年のそれまでの生活状態を伝え聞いたり、法廷での言動を報道で見ると、自白に見られるような尖鋭な暴力の振るい方をする性格とは異質の少年のように感じられた。有名なあの不埒・不謹慎な手紙のことだが、あの手紙が死者を冒涜し、遺族の癒えない傷口にさらに塩をもみこむような行為であったことは明らかで、あれでは遺族がさらにきびしい刑罰を望むようになるのも当然かも知れないと思う。第三者から見てもあの手紙は読むに堪えない文面だったのだが、ただその不埒さは罪の意識や責任感の欠如を窺わせる軽薄さや幼稚さや迎合心の横溢などに起因するものであって、判決に叙述されている2人の被害者に対する殺害態様とは結びつきにくいものがあった。殺害態様にみえる鋭角に尖った執拗・凄惨な暴力の雰囲気・気配があの手紙にはほとんど感じられず、その点はちょっと拍子抜けと言うべきか、意外な印象を受けたのであった。
差戻し控訴審の裁判官は元少年の新供述および彼がそれを口にしたタイミング・経緯について判決の主文でも言及し、その不自然・不合理性を難じているが、けれども裁判官がそれほどまでに元少年の新供述に不審を感じていたのなら、元少年は安田弁護士らに話すより一年も早く新供述をその人にすでに打ち明けていたという広島拘置所の教戒師を証人として法廷に招んだら良かったのにと思わずにいられない。なぜ、招ばなかったのだろう。被告・弁護側は裁判所にこの人物の証人尋問の要請を出したのに裁判所は必要なしと退けている。もしこの証人尋問が実行されていれば、元少年についても、事件についてもいろいろなことが明瞭になったかも知れないと惜しまれる。 判決要旨の 【酌量すべき事情】 のなかには、「上告審で公判期日が指定された後、元少年は旧供述を一変させた。死刑を免れたいと虚偽の弁解をろうしているというほかない 」との文言があるが、もし教戒師が証言台に立っていたなら、この場合元少年が嘘を述べているとは考えにくいので、おそらく裁判官はこういう文言を判決に書き込むことはなかっただろう。裁判官のこのような矛盾した言動を見ると、被告・弁護側が要請した2人の法医学者による殺害態様についての証言、元少年の精神鑑定と 犯罪心理鑑定を行なった2人の精神科医の証言など、専門家による元少年にきわめて有利な証言が相次いだことで、裁判所はあるいはもうこれ以上元少年に有利な証言はさせられないと考えて教戒師の証言を許可しなかったのではないかと疑いたくなる。差戻し控訴審の被告人質問(第8回)から教戒師に関する元少年の応答を下に引用しておく。
弁護人 「上告審の段階で、(現在の主任弁護人の)安田弁護士らと初めて会ったのは平成18年2月か」
被告 「はい」
弁護人 「事件の事実関係について聞かれたか」
被告 「ぼくの方から話した。ただ、安田先生に言う前に教戒師の先生にも同じことを話している」
弁護人 「教戒師に話せたので、安田弁護士にも話せた面があるのか」
被告 「はい。教戒師に会うまでは人間不信のような感じだった。そうでなければ、安田先生にも話すことができたか分からない」
②の検察官の件は次回に廻したい。






