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〇 週刊誌「女性セブン」2月20日号(小学館)に、風間博子さんのご長女のインタビュー記事が掲載されました。
95年1月に両親が逮捕された時、彼女は小学生。その後どれほどの苦しい日々が連続したかは容易に察せられることですが、今回初めて事件について語っておられます。よかったら図書館などで入手してご一読いただければと思います。

〇 また、ブログ「へなちょこ革命」の檜原転石さんは「冤罪死刑囚・風間博子さん」というエントリーで事件を丁寧に考察した記事を沢山書いてくださっています。
  http://blogs.yahoo.co.jp/henatyokokakumei/folder/1250679.html
こちらもぜひご一読いただきたく思います。檜原さん、ありがとうございます。


さて風間さんの無実の訴えを掲載します。93年4月に起きたK氏殺害事件(第一の事件)の経緯を述べるにあたって、判決文は行動の主体に対して「関根ら」「被告人ら」という曖昧な言い回しを多用しております。疑われているのは、「関根」「風間」「共犯のY」の3人なのですから、正確な判定を下そうとするなら、3人の行動は一人ひとり具体的に詳細に記述される必要があるわけですが、裁判官はそうしておりません。なぜ「ら」という曖昧で大雑把な記述が頻出することになったのか、風間さんは以下のとおり子細に検討・分析しております。ぜひ前後の事実関係に注意してお読みください。


  冤罪を訴える ~まやかしの判決書~6《「ら」は誰だ? K事件編》(「ふうりん」№17) 風間博子

 埼玉愛犬家殺人事件は、1993年(平成5年)に起きた3件4人の連続殺人事件です。私は、1件目のK事件と2件目のE・W事件の殺人・死体損壊遺棄容疑で逮捕・起訴され、共謀共同正犯として、死刑判決を受けました。
 これらの事件に関与したとされているのは、関根とY、そして私の3人ですが、Yは殺人容疑での訴追は受けておりません。

 偽りの「ら」認定
 確定判決は、その事実認定において「被告人両名」とか「被告人Sと被告人風間」という書き方を一部でしている一方で、それ以上に「被告人ら(・)」とか「被告人関根ら(・)」という認定の仕方をとてもたくさん使用しております。
 その上で、「ら」多用の事実認定の結果、私に死刑判決を下したのです。
 なぜ裁判所は、この様な曖昧な表現方法を多用したのでしょうか。
 なぜ裁判所は、確定判決の一部で使用している「被告人両名」とか、行為者を特定して名前を明記するスッキリとした記述に統一しなかったのでしょうか。
「ら」は、誰のことを指しているのでしょうか。
 言うまでもなく、この確定判決書は、関根と私に対して書かれたものです。
 今回は1件目のK事件の認定における「ら」について考えてみたいと思います。
 まずは、確定判決の一部を書き出します。

 1.(K氏は)そのころK方に来た被告人関根らとの間でK氏夫人Nも交えて話をした際には、2頭目の購入話はキャンセルして繁殖の仕事もしないと言ったりしたこともあった(27頁)
 2.Kの妻や兄らは、4月20日夕方に勤務先を出たまま行方不明となったKの安否を気遣うとともに、同人が以前から被告人関根らと犬の売買等の話で揉めていたことから、被告人らがKに何らかの形で危害を加えたのではないかと疑い、Kの兄らが4月21日昼ころに片品村の前記Y方に電話を掛けて応対に出た被告人Sを追及したり、同日深夜には被告人関根らを問い詰めようとY方に車で赴いたり(ただし(中略)逃げてしまったため、結局同被告人らに会うことはできなかった。)していたところ(中略)4月23日――Kの兄らと被告人関根らとの話し合いが持たれるに至った。(42~43頁)

 確定判決は、この様な認定の結果、『被告人両名は、共謀の上』との結論で私を共謀共同正犯として有罪にして、死刑判決を下しているのです。

  裁判所のまやかし 
<1の件>  私は、K宅をお訪ねしたことは一度もありませんし、K氏夫人とお会いしたことも一度もありませんでした。公判に証人出廷した夫人を拝見したのが最初で最後です。
 K宅へ出向くなどして、Sと共に行動し、K氏と交渉していたのは、前号№16の「まやかしの判決書5」に記したとおり、全てYです。
 このことは、K氏夫人が詳細に、裁判官の面前ではっきりと証言しております。
 裁判所は、検察とYとの取引きを守るため「関根とY」と判示するわけにはいかず、姑息にも「被告人関根ら」としているのです。

<2の件>  ふうりん通信№15の「まやかしの判決書3」を参照して下さい。
この判示にある『片品村の前記Y方に電話を掛け』たのは、私がK氏夫人に、関根をつかまえられる場所として、Y方を教えたからです。
 そして、『同日深夜には被告人関根らを問い詰めようとY方に車で赴いた』という「被告人関根ら」は、「関根とY」です
 また、『結局、同被告人らに会うことはできなかった』という「同被告人ら」も、「関根とY」です
 更に、4月23日の『Kの兄らと被告人関根らとの話し合いが持たれるに至った』といういわゆる江南会議に出席して話し合いをした「被告人関根ら」も、「関根とY」です
 裁判所は、『以前から被告人関根らと犬の売買等の話で揉めていたことから被告人らがKに何らかの形で危害を加えたのではないかと疑い』『被告人関根らを問い詰めようと』動いたけど『結局、同被告人ら』は逃げてしまい、会うことはできなかった、と判示しております。
 しかし、ちょっと考えてみて下さい。
 この事件の原因である『以前から被告人関根らと犬の売買等の話で揉めていた』相手が「関根と私」であったのなら、K氏の親族達は、まず最初に私を問い詰めていたのではないでしょうか。私は熊谷市というすぐ近くにいたのですし、K氏夫人と昼に話しており居場所は判っていたのです。しかし、彼らは通り道である私の所へは寄らずに、片品村のY方へと向かったのです。
 尚、K氏夫人からの電話で関根の居場所であるY方を教えた以降に、私がK氏夫人を含めK氏の関係者と関与・交渉を持ったことは(電話で話したことも、会ったことも)あちらからもこちらからも一切ありません。

<曲解なのか?>  検察官は、確定判決で多用されている「関根ら」「被告人ら」を、関根と『私』と考えるのは、私が曲解しているのだ、と言います。
 確かに、確定判決は、「関根ら」「被告人ら」の「ら」が『私』であるという直接的な書き方はしておりません。
 しかし、言うまでもなく、この判決は『私』(と関根)に対して書かれたものです。
 そして、「ら(・)」多用の事実認定をし、私に死刑判決を下しているのです。
 裁判所は初めから、世間一般に対しては、「関根ら」「被告人ら」は、関根と『私』であると「曲解させる」ようにし、もし私が反論した時には、「曲解している」と逃げをうてるように「関根ら」「被告人ら」という悪知恵を働かせた判示方法を使ったと私は考えています。私が、皮肉れているのでしょうか?
 裁判所は、裁判所にとって必要な部分、あるいは書いても差し支えが少ない部分では、「関根とY」とか「関根が」「Yが」と指摘して書いているのですから、全てをキチンと書くことが出来たはずであり、あえて、「関根ら」「被告人ら」を連発する必要はありません。
 この「関根ら」「被告人ら」のほとんどは、私に対しての証明がされてないどころか、「ら」が他人を指しているとはっきり判明しているのです。
 更に裁判所は、関根が一人でした行為に対しても「関根ら」「被告人ら」という判示をして、さも、私が関根と共に犯行を推進していったように認定しているのです。

 裁判所は、私への死刑判決を少しでも正当化するために、更には、私の事件加担を少しでも重く見せようとするために、こうした不明瞭な表現を判決書の随所でしています。
 私が事件に深く関っていたと思わせるためのこうした悪意のたくらみは、あまりにも卑劣すぎます。
 確定判決で構築されたロジックには幾多の不合理性があり、単なるレトリックにすぎません。
 確定判決は、提出された証拠に基づいて、裁判所が「正しく」事実認定をして、有罪判決を言い渡したものではありません。
 確定判決に至るまでのプロセスも、決して「正しい」ものではありません。

 私の犯行を裏付ける客観的証拠は皆無であり、私は取調べ段階から一貫して殺人への関与を否定しており、更に、確定判決を支えている証拠である関根とYの供述の信用性には幾多の疑問が存在しております。
 私を誤判から、死刑台から救い出して下さるご助力、ご支援を、どうぞこれからも下さいますよう、切に、切に、お願い申し上げます。  」


お分かりかと思いますが、裁判所は事実関係の記述にあたって「関根とYは」と明記すべき箇所をすべて「関根らは」「被告人らは」で統一しています。このありさまでは、そうしなければY氏を殺人の共犯者から除外することも、風間さんを殺人の共犯害に仕立てることも不可能だったからではないかと疑われても仕方がないと思います。
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2014.02.24 Mon l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (6) トラックバック (0) l top
この文章はコメント欄の返信として書き始めたのですが、長文になってしまったことに加えて前々から問題意識を持っていた内容でもありますので、こちらにエントリーとしてアップすることにしました。


やすさん、ゴログのご紹介ありがとうございます。檜原転石さんのブログでも同じものを紹介しておられましたね。(檜原さんには大分前にコメントをいただきながら、返信が遅れてしまっていてすみません。風間さんの事件にも関心を寄せていただいているようで、うれしいです。) じつは私は大道寺将司さんと外部とを繋ぐ隔月の交流誌「キタコブシ」を講読しているんですよ。もう10年余になります。ですから、今回の「一行詩大賞」受賞に関して拘置所側が何を危惧してか主催者側との連絡妨害行動をとっていたことも知ってはいました。大道寺さんの俳句はいつもまず「キタコブシ」に掲載されますが、私はズブの素人ながらも読みながらしばしじっと見入ってしまうことがよくあります。優れた詩句が持っている力なのでしょうね。今は病舎に入られていますが、気力は衰えず、健康なときと同じペースで執筆もされています。ただ時事的な問題では、もちろん教わることも多いのですが、特に最近は戸惑うことも増えています。ちょうどそういうことをつらつら考えているときにやすさんからコメントをいただいたわけでした。コメント内容からはかなり飛躍する話になってしまい恐縮ですが、この際、どのような文章に私が戸惑ってしまうかについて少し書いてみます。

○ リビアのカダフィが死んだとか。下水道の土管の中に隠れていたようですが、独裁者の最期とはそんなものでしょう。早速、オバマは歓迎のコメントを発しましたが、ではパレスチナは、シリアはと質したい。
○ 今朝の朝日新聞に「逃亡逮捕射殺に病死」という川柳が載っていました。独裁者の末路です。
○ 北朝鮮のミサイルは失敗とか。米・中・露などの大国だけが核やミサイルを保持、使用できるのはおかしいという北朝鮮の主張は頷けるけれど、そんなものに大金を注ぎ込むよりも民衆が腹一杯食べられる社会にすることこそが大事なんじゃないですか。最高指導者だという若者だけがぽっこりと肥満して、民衆は枯枝のように痩せているのに「人民共和国」はないと思います。

「最高指導者だという若者だけが……」という記述については、在日朝鮮人という読者から批判的内容の文章が寄稿されました。「確かに、指摘されていることに間違いはありません。誰もがそう思っているでしょう。でも、北朝鮮=悪のイメージまたは嘲笑というような文章が見過ごせません。…そのようなつもりで書かれたのではないとは理解していますが、どうしてもその文章が私の差別されてきたアンテナのようなものにひっかかって仕方がありません。私の友人や知人が北朝鮮を何度も訪れており、5月にも訪朝してきました。その人たちに何度も正直な感想を求めました。…なによりも、北朝鮮のひとたちは普通に暮しているということです。ピョンヤンでは、恋人同士が楽しそうに歩いていたり、田舎ではお百姓さんたちが休憩時に唄を歌い踊っていたりと、外部からの遮断ゆえにその限られた中で普通の風景があったということです。日本では、若者も年寄りもワーキングファーで、働けども食べていけない現状があります。食物や物は溢れていても、自殺者が年間3万人を越えるのはどうしてなのでしょうか。果たして、どちらが幸福といえるでしょう。」という指摘に対して、

○ ……さんに不快な思いをさせたことをお詫びします。ぼくが北朝鮮の民衆が「枯れ枝のように痩せている」と感じたのはアジアプレスの写真を見たからで、メディアの報道を鵜呑みにしたわけではありません。……ぼくは体制を支持するのと民衆を支持するのとは別だと思うんです。食料不足だったり、物乞いをする子どもたちがいるという現実から目を逸らせてはいけないと思い、敢えて毒気のある書き方をしました。

「北朝鮮のミサイル」との記述に対しても「ちと驚きました」という指摘が国外在住の読者からありましたが、私も北朝鮮が米韓日の合同軍事演習から受けている絶えざる圧迫を無視していることやカダフィの死亡についての記述は公平な見方ではないように思う、という趣旨の投稿をしました。直近では、

○ 改憲や秘密保護法についてのアベシンゾウをはじめ政府、与党の底の浅い言説に接すると、反天皇派のぼくでも現在の天皇、皇后の認識(彼らは政治にかかわる発言はしないようにしているが)の方が至極まっとうなものに思えます。

と書かれていました。このようなことは大多数の人が思っていることなのかもしれないし、また間違っているとも言えないとは思うのですが、かつて「反日」を名乗り、「虹作戦」なるものを計画した人にしては、受け止め方が単純に過ぎるような気がして違和感を禁じえませんでした。獄中という閉ざされた環境下での情報の不足・偏りを考えなければいけないとも思いますが、あの計画の着想やその後の行動を当事者として否定しているときいた記憶がないだけに、ではあれらはいったい何だったの? と怪訝な思いもするのです。獄中にいる人を含めた周囲の人に対する配慮がよく行き届いた人であることも含めて、真摯な姿勢に常々敬意をもっているのですが、上に書いたようなことはどうしてもうまく理解できないでいます。
2013.11.21 Thu l 社会・政治一般 l コメント (6) トラックバック (0) l top
 『冤罪File』に風間博子さんの裁判および判決に疑問を呈する記事 掲載される
風間博子さんの死刑判決に対し、あれは公正な裁判による公正な判決だったのか?と疑問を呈する記事が、深笛義也氏の『女性死刑囚』(鹿砦社2011年11月刊行)につづいて、先日『冤罪File』(2013年11月号・№20)に発表されました。ルポライターの片岡健氏の筆によるもので、

「冤罪疑惑が黙殺され続けた「埼玉愛犬家連続殺人事件」 共犯者が被告人の無罪を証言!」

と題されたレポート記事です。片岡氏は裁判記録に目を通し、関係者への取材や現場検証を行ない、その経過をとおして、「いざ調べてみると、この事件の実相は報道のイメージと随分異なっているのである。」と述べて、裁判や判決や報道内容への疑問を表明されています。書店での立ち読みで構わないと思いますので、できれば多くの方にぜひ一読いただければと思っています。

さて、下記の文章は風間さんが支援誌「ふうりん通信」に毎号手書きで寄稿している「冤罪を訴える~まやかしの判決書~」です。いつものように転載します。今回風間さんが訴えているのは、犬の購買やマンション転売の件などで被害者K氏と親交があったのは「SとY」であったにもかかわらず、判決では、それが「Sと風間」であった、というように証拠に反して作り替えられ、書き替えられてしまっているということです。このことを風間さんは明白な事実に即して具体的に指摘していますので、その点を読み取っていただければと思います。(言わずもがなとは思いますが、文中の「K氏」とは事件の最初の被害者の方です。また、事件の主犯と共犯者に関してこのブログでは実名を記していますが、風間さんは「S」および「Y」と記していますので、そのまま転載しました。)


  冤罪を訴える ~まやかしの判決書~5《K事件の強力支援者はだれだ?》(「ふうりん」№16) 風間博子
 
 K事件が起きた原因は、K氏への犬の売買でのキャンセル話における金銭トラブルである、と確定判決は認定しております。

偽りの「Sとの詐欺的商法共謀者」認定
 K氏は、1992年(平成4年)に家族と共に万吉犬舎を訪れ、アラスカン・マラミュートを購入し、Sと知り会いました。その後、K氏は度々万吉犬舎を訪れるようになり、Sとの親交を深めていきました。
 K氏とSは、ほぼ毎日のように会う仲となり、SはK氏にローデシアン・リッジバックの利殖話を持ちかけました。そして、K氏は牡牝の購入を決めたのですが、先に引き渡された牝が、K氏宅から逃げ出してしまったことをきっかけとして、K氏とSとの間に、牡のキャンセル話や代金返済等についてのトラブルが発生しました。
 このSの詐欺的商法の利殖話を支持支援し、Sに協力していたのは誰かという点について、確定判決は、
① Sは顧客から犬の売買代金等を受け取ると、その都度、風間に報告し、渡していた。Sは顧客との取引き状況等について、包み隠さず風間に話していた。として、K氏とSとの取引きの全ては知らなかった等と事件関与を否定する私の供述は、S供述と対比すると、到底信用できないものというほかない。とし、
② 風間は、SがK氏に対して詐欺的商法を展開しているのを知った上で側面から強力に支援する言動に及んでいたこと、キャンセル話や詐欺的商法でSと共同歩調を取る形で行動していたこと、などが明認できるから、実情を全て知っていたはずである。Sとの共謀を否定し、事件関与を認めていない風間の供述は、到底信用できない。
とする一方
③ Y供述は、自分があたかも第三者的立場であったかのように述べ、必ずしも信用し難いけど、それでも、いずれにせよ、Yが補助的役割しか果たしていなかったことは明らかである
として、Sと共謀していたのは、Yではなく、私であると認定しました。

裁判所のまやかし
<①の件> Sは、この件について、次の通り供述をしております。
『私は、Kさんの場合に限らず、犬を売って受け取った代金は、全てをその日の内に博子に渡しており、私が一部でも使い込んだということは一回もありませんでした。これは断言できます。』
 そして裁判所は、何の検討もせぬまま、無責任にも、このSの言い分をそのまま真実であると認めたのです。
 しかし、裁判所が極めて高い信用性を認めているY供述には、このS供述(つまり、確定判決の認定内容)を否定する反対事実が、以下の通りに述べられております。
『Sは…博子に渡す金をくすねていたのです。Sの方法は、実際は80万円で売った犬の代金を博子には嘘を言って、50万円で売った事にして其の額を渡し、差額の30万円を自分の金として、女遊びの金に使っていた、ということをしていたのです。』(員面調書)
実際に、KさんがSに支払ったという金額と、私が博子から聞いた1匹の値段について考えると、相当額の差、があります
 Sの毎月の小遣銭は…Eさんを食事に誘ったり、手土産品代としたり、ソープランドに客を招待したりして、1ヶ月を待たずに足りなくなって仕舞うことから、不足する金を得るため、犬の売上金額を博子に対して嘘をついて、その差額を握っていた事が何度もあったのです。』(検面調書)
 Yは公判廷においても、『Sがごまかすことなく、博子に全額を渡していたということはあり得ません。そういう事は、一杯ありました。』と証言しています。
 この事はYだけでなく、万吉犬舎で長年に渡りSの側で働いていた従業員も以下のように供述しております。
『そのすべての回数を把握してはいないですが、例えば、20万円の犬を売った時に、15万円でしか売れなかったと風間には言ってある、と、Sから聞いたことがあります。』
 この様に、Sは私に対して、売上金額をごまかして報告して渡し、その差額を懐に入れたりしており、『顧客との取引き状況等について、包み隠さず風間に話していた』という事実がないことは明らかとなっております。
 裁判所は、私がSの詐欺的商法による不当な販売方法や販売価格を全て知悉し、協力して行動していたと認定し、そこから、K事件の殺害動機があったとこじつけてつなげているのです。

<②と③の件> SとK氏との数々の取引きや話し合いの場に常に同席し、Sと共同歩調を取り、Sを補佐していたのは、裁判所が「側面から強力に支援する言動に及んでいた」と認定した私ではなく、Yであることが、それらの場に同席し現認していたK氏夫人の以下の証言で明らかとなっております。
▪ 2/17の高崎マンション売買話の時は、 「SとYがいました。」
▪ 2/20のジャガー引き渡しの時は、  「SとYがいました。それから4人(K氏夫妻とSとY)で佐谷田の駐車場へ行きました。」
▪ 2/24のカラカル売買の時は、    「主人とSとYと3人で、ダッジバンに乗って一緒に来ました。SとYは家に入って来て、2時間ほどいました。」
▪ 3/4の高崎マンションの断り話の時は、「寄居のアパートに行くとSとYとTとほかに男が2人いて、Yからかなり責められ、疲れきっていました。」
▪ 3/10のローデシアン牝、受取りの時は、「ペットショップにSとYがいないので、しばらく待ったが来ないので連れて帰る、と電話が主人から来たあと、すぐにYから『勝手に持っていっただろう、ちゃんと買って、宣伝をばんばんやってもらわないと困る』などと言う電話がありました。」
▪ 4/22、事件後(Y宅の見張りをした翌日)「Yから怒った口調で『昨夜うちに来ただろう。話があるなら昼間会おう。タカ・エンタープライズに来い』という電話がありました。」
 一方、これらの取引に関して私(風間)が積極的に前面に出て行動したことはないし、聞いてもないと、証言しております。
 また、これらの取引やトラブルについてYが「よく知らない」と言ってることについては、「考えられません」と、明確に否定しております。

 K氏とは何でも相談し合っていて兄弟の中でも一番仲が良かったというK氏の弟U氏は、Yを「Sと一緒につるんでる共犯者」といい、
「そいつ(Y)が、Kさんをうちの社長(S)が気に入ってるんだと、おれも気に入られて、ポルシェとか買ってもらったり、自分のうちを造ってもらったりしてるんだとか、200円を取っても400円にして返す人なんだとかいうことを言ってた」
等と、Yが積極的にK氏に働きかけていた事実を証言しております。
 また、4/21にY宅へ行ったことに対して、YからK氏夫人の所へ「弟、出せ。弟に連絡を取れ」という怒りの電話があって、Yに電話を入れた時のことについては次の様に証言しております。(4/21のことは、前号の「まやかし3」参照)
「Yは、随分じゃねえかって。昨日、あんな夜遅くに、人のうちに来やがって。おっかなくって、うちに戻れなかった。とにかく、潔白を証明したい。だから会う段取りをしろって、こう言いました。」
 そして翌4/23に、E氏を仲介者としたいわゆる「江南会議」が開かれたのですが、今回は、その内容説明は省略いたします。尚、E氏を仲介者と頼んだのは、K氏側であり、出席者は、K氏の兄弟と友人知人達、そしてSとYです。

確定判決の偏りと客観的事実との矛盾
 3/10にK氏は、ペットショップにSとYがいなかったためにローデシアン牝の受け取りをせずに、SとYを待っていました。「SとYを」です。
 K氏へのローデシアンの詐欺的販売に私が(たとえ表向きだけだったとしても)関与していたのならば、K氏が「SとYがいないから」と待つ必要はなかったはずです。
 仮にK氏が、単にSやYと話をするために待っていたと考えてみても、ローデシアンを引き取っていったことに対してYがK氏に「勝手に持っていっただろう」と文句の電話をすぐに掛けたことは、はなはだ見当違いの話となってしまいます。
 このことからも、私がK氏へのローデシアン販売話に関しては、第三者的立場であったこと、その輸入手続きをしていただけであったことが知れるはずです。

 K氏は3/末~4/初に家族の身の危険を感じて妻子を実家に帰しており、弟U氏へは、「何しろおかしい。犬屋(S)にだまされた。私がばかだった」と悔し涙をこぼして話していたそうです。
 そんなK氏を油断させ呼び寄せるために、事件前夜に遊興させたSとYですが、そのソープランドからの帰り道に、YはK氏の車に乗り込んで2人で熊谷迄戻っております。
 このことからも、犯行の成否に大きく係わる事件当日の呼び出しに、Yが重要な役割を果たしていたことが、容易に推測できます。

 K氏とSとが毎日の様に会っていた時に、常にSと一緒に行動していたのがYであることは、複数の目撃証言があり、そのつきあいの中でK氏はYのことを、
「Yという男は、恐しい男だ。金のためなら何でもする男だ。」
 と感じ夫人に伝えております。
 そして、Yに対しての嫌悪感を日増しに抱いていった夫人は、YがSと一緒に家に来ても「Yは家に入れなかった」という状態になっていました。

 Yが自発的にK氏を詐欺的商法に引きこもうとして動いていたことは、遺族等や周辺にいた人達の供述で明白な事実です。
 確定判決の認定は、関係資料の綿密な分析をしていないという話どころか、事実を歪めることに苦心惨憺して、私を有罪へと導いているのです。
 矛盾に満ちた死刑判決から免れるため、皆様方のご支援が何としても必要です。協力して下さる弁護士さんの紹介等、どうぞよろしくお願い致します。 風間博子 」
2013.10.23 Wed l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (2) トラックバック (0) l top
8月21日にシリアの首都ダマスカス近郊で化学兵器が使用されたか否かについて調査し、結果「使用された」と断定した報告書を9月15日国連に提出した国連調査団は、25日再びシリア入りした。シリア政府と反体制派の双方が、3月にシリア北部で化学兵器が使われたと主張している件についてあらためて調査するための再入国だということである。次の記事によると、

「 今回の調査では、北部のカーンアルアサルで3月に化学兵器が使われたという情報について調べる。国営メディアは、この攻撃は反体制派が仕掛けたもので、25人が死亡、110人が負傷したと伝えた。
一方、反体制派はダマスカス郊外で政府軍が化学兵器を使ったと主張している。」

シリアは未知の国なので地域名のことなども理解しにくいのだが、カーンアルアサルというのはアレッポのことらしい。3月の化学兵器使用疑惑事件については、5月、調査のためにシリア入りした3人の国連調査委員会の1人であるデル・ポンテ氏が「反体制派が化学兵器、特にサリンを使ったという具体的な証言がある」と発言した。しかし直後に、同調査委員会が、「化学兵器を使ったかどうかの決定的な証拠はない」との声明を発表し、まだ調査段階であることを強調するという経緯があった。この事件に関する査察団の再入国はよいとして、今回の調査もまた前回(8.21事件の調査)の場合と同様、「化学兵器が使われたかどうかを確認するにとどめ、政府軍と反体制派のどちらが使ったかについては結論を出さない見通しだ。」ということである。おかしなことで、普通に考えれば反体制側の仕業であると推論または断定されることを恐れているとしか言いようがないだろう。デル・ポンテ氏は今回の調査団のメンバーには参加していないのだろうか? 

8月21日にダマスカス郊外の反体制派の支配地域で発生した事件について、国連調査団の報告書は、「子供たちを含む市民に対し、比較的大規模に、化学兵器が使用された」として、事件は化学兵器による攻撃であり、使われたのは神経ガスのサリンだったと断定した。するとこれに対して、米欧はなぜか、やはりアサド政権の仕業だったではないか、と理解に苦しむ主張を展開した。ケリー国務長官にいたっては、シリア政府は少なくとも11回化学兵器を使用したとも発言している。何の証拠も提示しない状態での発言なのだから、これは口からでまかせ、放言の類にひとしいのだが、強国アメリカはそれで通るのである。化学兵器を使用した時期に関してケリー氏は何も述べていないので、2011年3月から今日までの約2年半の間に11回使用、という意味なのだろう。

国連の報告書は、「ダマスカス郊外グータにサリンを搭載した地対地ミサイルが撃ち込まれたことを示す明確な証拠が採取された。」という。調査は、現場の生存者や救急隊員からの聴き取り、髪や尿、血液、土壌などの試料採取などによるという。オバマ、ケリーだけでなく、サマンサ・パワー国連大使も、「報告書は政権側による使用を示すものだ」と断定。その理由として、「アサド政権はサリンを保有しているが、反体制派が持っているとの証拠はない」「政権側の支配地域に入り込み、そこから反体制派の地域を攻撃するという行動を反体制派が取るとは思えない」と述べている。

国連大使のこの言い分は、オバマ・ケリーがアサド政権に化学兵器の使用責任を押しつけるに際して根拠を一つも口にしなかったのも無理はなかったと思えるような、拙劣な主張である。「反体制派が持っているとの証拠」がなければ、それが即保有していないことの証明になるとでもこの人は言うのだろうか。しかも反体制派は化学兵器を持っているとの証言があちらこちらから続々と出てきている。また「政権側の支配地域に入り込み、そこから反体制派の地域を攻撃するという行動を反体制派が取」ることがありえないのであれば、3月の事件は政権側の支配地域で発生し、被害者も政権側の人間たちだったのだから、あれは政権側が起こした事件ではありえないということになるだろうに、なぜ声高に、アサド政権の仕業である、と叫び続けるのだろう。こういう幼稚かつ支離滅裂な理屈でも世界に通用する、通用させることができると考えているところに米国のそら恐ろしさがあるだろう。これに対してロシアのチュルキン国連大使は、「反体制派の仕業だった可能性は否定できないと反論。反体制派が当時、ただちに被害を報告しなかったのはなぜかと問い掛けた」。

ロシアのチュルキン大使の上の発言をみると、反政府側はどうやら、事件後すぐには外部に対して被害の報告や手続きを何も行なわなかったようだ。彼らは8月21日の明け方1時過ぎに攻撃を受けたと主張している。そしてその直後に(実は映像がアップされたのは事件以前の時間帯だったという不思議な指摘もある。)、被害者の悲惨な映像をインターネットにアップしているのだが、これは一体どういうことだろう。朝日新聞の報道によると、被害者が病院に運ばれてきたのは昼過ぎだったという地域住民の証言もあるようだ。朝日新聞(9月22日)は、インターネット電話でシリア国内の被害者から次の話をきいたという。

「「化学兵器が使われた。何でもいい。とにかく助けてくれ」
 ダマスカス郊外に住むアリ・フーリさん(23)は8月21日午後、無線連絡を受けて、攻撃を受けた東グータ地区ザマルカに向かった。駆けつけると、女性や子どもを含むおびただしい数の人がもがいていた。手分けして建物の上層階に運び、シャツを脱がせて体を水洗いする応急措置をした。簡易ガスマスクをつけていたが、のどや腹部に激痛が走り、息苦しくなって意識を失う。野戦病院のベッドで6日間、生死の境をさまよった。 」

上の被害者は、「8月21日午後、無線連絡を受け」たと述べているが、それならばその動きは事件発生時刻からゆうに半日が経過した時間帯に起きたということになる。ロシアの国連大使の「反体制派が当時、ただちに被害を報告しなかったのはなぜか」との問い掛けには事件の真相を解き明かす鍵があるに違いない。3月の事件について国連調査団がどのような調査をしてどのような判断を示すのか注目である。
2013.09.27 Fri l 社会・政治一般 l コメント (0) トラックバック (0) l top
ブログ「私の闇の奥」に昨日(30日)アップされた「もう二度と幼い命は尊いと言うな」という記事には、今回米欧がシリアを攻撃するための根拠にしている「アサド政府による毒ガス使用」などは到底考えられない、つまりそれは嘘である理由が幾つも列挙されているが、最も分かりやすい理由として次の点が挙げられている。

「 前回(3月、アレッポ近郊)の毒ガス使用事件の真相解明のため国連調査団がダマスカスに到着したその8月21日に、わざわざ新しく政府側がダマスカス近郊で毒ガスを大々的に使用して多数の子供たちを殺傷するとは全く考えられません。同じ8月21日、ダマスカス近郊で政府軍と共に戦っていたレバノンのヒズボラ派兵士三人が毒ガスにやられたことがベイルートから報じられています。アサド政府が、化学兵器を使用していないことを国連の調査を通じて立証し、米欧の直接軍事介入を何としても避けたいと思っている時に、毒ガスを使用するわけがありません。 」

完全に上記指摘のとおりだと思う。周知のように、(今年)3月にも米欧は、「シリア政府軍が化学兵器サリンを使用した」と今回とまったく同様の内容を喧伝していた。これを理由にして反政府側の全面的支援に踏み切る口実にしようと企んでいたのだ。ところがこのときは、シリア国内の毒ガス使用問題を調査している国連の調査団の一員であるカルラ・デル・ポンテ(Carla del Ponte)という女性が、サリンは罪をアサド政府になすり付ける目的で、反政府傭兵側が使用したことを示唆する証拠があると述べた。米欧は水を注されたのだ。もしポンテ氏のこの発言がなかったら、この直後に米欧はシリアに対して軍事攻撃を仕掛けていた可能性もありえなくはなかっただろう。そのような、まさにシリア存亡の危機に遭ってからたった数箇月で、しかも藤永氏の指摘のように、3月の毒ガス使用事件の真相解明のため国連調査団がダマスカスに到着したその日に、どうして、何の目的でシリア政府が化学兵器を使用するなどということがありえるだろうか? この世にはポンテ氏のような真に公正で勇気ある人が存在するのでまだ救いがあるわけだが、ただ現在この人はどういう立場に立たされているのだろうか?

昨日(30日)、オバマ米大統領は、「シリアのアサド政権が化学兵器を使用したことに間違いはない」として「限定的な軍事行動を検討している」と明言したそうである。また同日、米政府は、シリア政権側が化学兵器を使用して民間人を死亡させたことを確信するに至った根拠とされる情報を以下のように公開したそうである。

「 公表された報告書の中で米ホワイトハウス(White House)は、関係者の証言、人工衛星データ、無線傍受を含む「複数の」情報活動に基づき、8月21日のダマスカス(Damascus)近郊での攻撃で子ども426人を含む1429人が死亡したと断定している。
 また、この攻撃作戦について非常によく知るシリア高官が、ロケット弾が市民に向けて降り注ぎ始めた直後に行った通話を、米国側が傍受したことも明かされた。報告書によると、通話の中で同高官は、化学兵器が使用されたことを認め、国連調査団が証拠を得ることに対する懸念を示す発言をしたとされる。 」

この記事を読んで感じることは、すべてがでっち上げの嘘っぱちであることが今となっては余りにも明白だということである。白々しくわざとらしい欺瞞に吐き気がしそうである。アフガン、イラク攻撃は言うにおよばず、2011年以降のリビアやシリアをめぐって展開されてきた米欧の行動、その推移を見てきた身には、米欧はシリア攻撃のためにこの際大急ぎでいくつもの架空の出来事をでっち上げたのだろう、としか感じられないところが恐ろしいところである。世界中で米欧のこの言い分をすんなり信じることができる人間は、全人類の10%も存在しないのではないだろうか。もちろん日本政府、日本メディアも含めてのことである。日本のメディアは1年余り前の2012年5月に108人の市民が殺されたホウラ事件について、こぞってアサド政権の仕業のごとく書き立てた。しかし事件後、ドイツやイギリスのメディアを初めとした多くの団体や市民があれは反体制派の自作自演であるときびしく指摘した。今回の毒ガスによる殺戮もホウラ事件の再現である確率は恐ろしいばかりの高さを示しているだろう。日本のメディアはホウラ虐殺事件に対して現在どう考えているのか、明らかな誤報を継続して打ち鳴らし、我々読者・視聴者を騙したのではないのか、ぜひ検証に取り組み総括を述べてもらいたいと思う。
2013.08.31 Sat l 社会・政治一般 l コメント (4) トラックバック (0) l top