〇 週刊誌「女性セブン」2月20日号(小学館)に、風間博子さんのご長女のインタビュー記事が掲載されました。
95年1月に両親が逮捕された時、彼女は小学生。その後どれほどの苦しい日々が連続したかは容易に察せられることですが、今回初めて事件について語っておられます。よかったら図書館などで入手してご一読いただければと思います。
〇 また、ブログ「へなちょこ革命」の檜原転石さんは「冤罪死刑囚・風間博子さん」というエントリーで事件を丁寧に考察した記事を沢山書いてくださっています。
http://blogs.yahoo.co.jp/henatyokokakumei/folder/1250679.html
こちらもぜひご一読いただきたく思います。檜原さん、ありがとうございます。
さて風間さんの無実の訴えを掲載します。93年4月に起きたK氏殺害事件(第一の事件)の経緯を述べるにあたって、判決文は行動の主体に対して「関根ら」「被告人ら」という曖昧な言い回しを多用しております。疑われているのは、「関根」「風間」「共犯のY」の3人なのですから、正確な判定を下そうとするなら、3人の行動は一人ひとり具体的に詳細に記述される必要があるわけですが、裁判官はそうしておりません。なぜ「ら」という曖昧で大雑把な記述が頻出することになったのか、風間さんは以下のとおり子細に検討・分析しております。ぜひ前後の事実関係に注意してお読みください。
「
冤罪を訴える ~まやかしの判決書~6《「ら」は誰だ? K事件編》(「ふうりん」№17) 風間博子
埼玉愛犬家殺人事件は、1993年(平成5年)に起きた3件4人の連続殺人事件です。私は、1件目のK事件と2件目のE・W事件の殺人・死体損壊遺棄容疑で逮捕・起訴され、共謀共同正犯として、死刑判決を受けました。
これらの事件に関与したとされているのは、関根とY、そして私の3人ですが、Yは殺人容疑での訴追は受けておりません。
偽りの「ら」認定
確定判決は、その事実認定において「被告人両名」とか「被告人Sと被告人風間」という書き方を一部でしている一方で、それ以上に「被告人ら(・)」とか「被告人関根ら(・)」という認定の仕方をとてもたくさん使用しております。
その上で、「ら」多用の事実認定の結果、私に死刑判決を下したのです。
なぜ裁判所は、この様な曖昧な表現方法を多用したのでしょうか。
なぜ裁判所は、確定判決の一部で使用している「被告人両名」とか、行為者を特定して名前を明記するスッキリとした記述に統一しなかったのでしょうか。
「ら」は、誰のことを指しているのでしょうか。
言うまでもなく、この確定判決書は、関根と私に対して書かれたものです。
今回は1件目のK事件の認定における「ら」について考えてみたいと思います。
まずは、確定判決の一部を書き出します。
1.(K氏は)そのころK方に来た被告人関根らとの間でK氏夫人Nも交えて話をした際には、2頭目の購入話はキャンセルして繁殖の仕事もしないと言ったりしたこともあった(27頁)
2.Kの妻や兄らは、4月20日夕方に勤務先を出たまま行方不明となったKの安否を気遣うとともに、同人が以前から被告人関根らと犬の売買等の話で揉めていたことから、被告人らがKに何らかの形で危害を加えたのではないかと疑い、Kの兄らが4月21日昼ころに片品村の前記Y方に電話を掛けて応対に出た被告人Sを追及したり、同日深夜には被告人関根らを問い詰めようとY方に車で赴いたり(ただし(中略)逃げてしまったため、結局同被告人らに会うことはできなかった。)していたところ(中略)4月23日――Kの兄らと被告人関根らとの話し合いが持たれるに至った。(42~43頁)
確定判決は、この様な認定の結果、『被告人両名は、共謀の上』との結論で私を共謀共同正犯として有罪にして、死刑判決を下しているのです。
裁判所のまやかし
<1の件> 私は、K宅をお訪ねしたことは一度もありませんし、K氏夫人とお会いしたことも一度もありませんでした。公判に証人出廷した夫人を拝見したのが最初で最後です。
K宅へ出向くなどして、Sと共に行動し、K氏と交渉していたのは、前号№16の「まやかしの判決書5」に記したとおり、全てYです。
このことは、K氏夫人が詳細に、裁判官の面前ではっきりと証言しております。
裁判所は、検察とYとの取引きを守るため「関根とY」と判示するわけにはいかず、姑息にも「被告人関根ら」としているのです。
<2の件> ふうりん通信№15の「まやかしの判決書3」を参照して下さい。
この判示にある『片品村の前記Y方に電話を掛け』たのは、私がK氏夫人に、関根をつかまえられる場所として、Y方を教えたからです。
そして、『同日深夜には被告人関根らを問い詰めようとY方に車で赴いた』という「被告人関根ら」は、「関根とY」です。
また、『結局、同被告人らに会うことはできなかった』という「同被告人ら」も、「関根とY」です。
更に、4月23日の『Kの兄らと被告人関根らとの話し合いが持たれるに至った』といういわゆる江南会議に出席して話し合いをした「被告人関根ら」も、「関根とY」です。
裁判所は、『以前から被告人関根らと犬の売買等の話で揉めていたことから被告人らがKに何らかの形で危害を加えたのではないかと疑い』『被告人関根らを問い詰めようと』動いたけど『結局、同被告人ら』は逃げてしまい、会うことはできなかった、と判示しております。
しかし、ちょっと考えてみて下さい。
この事件の原因である『以前から被告人関根らと犬の売買等の話で揉めていた』相手が「関根と私」であったのなら、K氏の親族達は、まず最初に私を問い詰めていたのではないでしょうか。私は熊谷市というすぐ近くにいたのですし、K氏夫人と昼に話しており居場所は判っていたのです。しかし、彼らは通り道である私の所へは寄らずに、片品村のY方へと向かったのです。
尚、K氏夫人からの電話で関根の居場所であるY方を教えた以降に、私がK氏夫人を含めK氏の関係者と関与・交渉を持ったことは(電話で話したことも、会ったことも)あちらからもこちらからも一切ありません。
<曲解なのか?> 検察官は、確定判決で多用されている「関根ら」「被告人ら」を、関根と『私』と考えるのは、私が曲解しているのだ、と言います。
確かに、確定判決は、「関根ら」「被告人ら」の「ら」が『私』であるという直接的な書き方はしておりません。
しかし、言うまでもなく、この判決は『私』(と関根)に対して書かれたものです。
そして、「ら(・)」多用の事実認定をし、私に死刑判決を下しているのです。
裁判所は初めから、世間一般に対しては、「関根ら」「被告人ら」は、関根と『私』であると「曲解させる」ようにし、もし私が反論した時には、「曲解している」と逃げをうてるように「関根ら」「被告人ら」という悪知恵を働かせた判示方法を使ったと私は考えています。私が、皮肉れているのでしょうか?
裁判所は、裁判所にとって必要な部分、あるいは書いても差し支えが少ない部分では、「関根とY」とか「関根が」「Yが」と指摘して書いているのですから、全てをキチンと書くことが出来たはずであり、あえて、「関根ら」「被告人ら」を連発する必要はありません。
この「関根ら」「被告人ら」のほとんどは、私に対しての証明がされてないどころか、「ら」が他人を指しているとはっきり判明しているのです。
更に裁判所は、関根が一人でした行為に対しても「関根ら」「被告人ら」という判示をして、さも、私が関根と共に犯行を推進していったように認定しているのです。
裁判所は、私への死刑判決を少しでも正当化するために、更には、私の事件加担を少しでも重く見せようとするために、こうした不明瞭な表現を判決書の随所でしています。
私が事件に深く関っていたと思わせるためのこうした悪意のたくらみは、あまりにも卑劣すぎます。
確定判決で構築されたロジックには幾多の不合理性があり、単なるレトリックにすぎません。
確定判決は、提出された証拠に基づいて、裁判所が「正しく」事実認定をして、有罪判決を言い渡したものではありません。
確定判決に至るまでのプロセスも、決して「正しい」ものではありません。
私の犯行を裏付ける客観的証拠は皆無であり、私は取調べ段階から一貫して殺人への関与を否定しており、更に、確定判決を支えている証拠である関根とYの供述の信用性には幾多の疑問が存在しております。
私を誤判から、死刑台から救い出して下さるご助力、ご支援を、どうぞこれからも下さいますよう、切に、切に、お願い申し上げます。 」
お分かりかと思いますが、裁判所は事実関係の記述にあたって「関根とYは」と明記すべき箇所をすべて「関根らは」「被告人らは」で統一しています。このありさまでは、そうしなければY氏を殺人の共犯者から除外することも、風間さんを殺人の共犯害に仕立てることも不可能だったからではないかと疑われても仕方がないと思います。
95年1月に両親が逮捕された時、彼女は小学生。その後どれほどの苦しい日々が連続したかは容易に察せられることですが、今回初めて事件について語っておられます。よかったら図書館などで入手してご一読いただければと思います。
〇 また、ブログ「へなちょこ革命」の檜原転石さんは「冤罪死刑囚・風間博子さん」というエントリーで事件を丁寧に考察した記事を沢山書いてくださっています。
http://blogs.yahoo.co.jp/henatyokokakumei/folder/1250679.html
こちらもぜひご一読いただきたく思います。檜原さん、ありがとうございます。
さて風間さんの無実の訴えを掲載します。93年4月に起きたK氏殺害事件(第一の事件)の経緯を述べるにあたって、判決文は行動の主体に対して「関根ら」「被告人ら」という曖昧な言い回しを多用しております。疑われているのは、「関根」「風間」「共犯のY」の3人なのですから、正確な判定を下そうとするなら、3人の行動は一人ひとり具体的に詳細に記述される必要があるわけですが、裁判官はそうしておりません。なぜ「ら」という曖昧で大雑把な記述が頻出することになったのか、風間さんは以下のとおり子細に検討・分析しております。ぜひ前後の事実関係に注意してお読みください。
「
冤罪を訴える ~まやかしの判決書~6《「ら」は誰だ? K事件編》(「ふうりん」№17) 風間博子
埼玉愛犬家殺人事件は、1993年(平成5年)に起きた3件4人の連続殺人事件です。私は、1件目のK事件と2件目のE・W事件の殺人・死体損壊遺棄容疑で逮捕・起訴され、共謀共同正犯として、死刑判決を受けました。
これらの事件に関与したとされているのは、関根とY、そして私の3人ですが、Yは殺人容疑での訴追は受けておりません。
偽りの「ら」認定
確定判決は、その事実認定において「被告人両名」とか「被告人Sと被告人風間」という書き方を一部でしている一方で、それ以上に「被告人ら(・)」とか「被告人関根ら(・)」という認定の仕方をとてもたくさん使用しております。
その上で、「ら」多用の事実認定の結果、私に死刑判決を下したのです。
なぜ裁判所は、この様な曖昧な表現方法を多用したのでしょうか。
なぜ裁判所は、確定判決の一部で使用している「被告人両名」とか、行為者を特定して名前を明記するスッキリとした記述に統一しなかったのでしょうか。
「ら」は、誰のことを指しているのでしょうか。
言うまでもなく、この確定判決書は、関根と私に対して書かれたものです。
今回は1件目のK事件の認定における「ら」について考えてみたいと思います。
まずは、確定判決の一部を書き出します。
1.(K氏は)そのころK方に来た被告人関根らとの間でK氏夫人Nも交えて話をした際には、2頭目の購入話はキャンセルして繁殖の仕事もしないと言ったりしたこともあった(27頁)
2.Kの妻や兄らは、4月20日夕方に勤務先を出たまま行方不明となったKの安否を気遣うとともに、同人が以前から被告人関根らと犬の売買等の話で揉めていたことから、被告人らがKに何らかの形で危害を加えたのではないかと疑い、Kの兄らが4月21日昼ころに片品村の前記Y方に電話を掛けて応対に出た被告人Sを追及したり、同日深夜には被告人関根らを問い詰めようとY方に車で赴いたり(ただし(中略)逃げてしまったため、結局同被告人らに会うことはできなかった。)していたところ(中略)4月23日――Kの兄らと被告人関根らとの話し合いが持たれるに至った。(42~43頁)
確定判決は、この様な認定の結果、『被告人両名は、共謀の上』との結論で私を共謀共同正犯として有罪にして、死刑判決を下しているのです。
裁判所のまやかし
<1の件> 私は、K宅をお訪ねしたことは一度もありませんし、K氏夫人とお会いしたことも一度もありませんでした。公判に証人出廷した夫人を拝見したのが最初で最後です。
K宅へ出向くなどして、Sと共に行動し、K氏と交渉していたのは、前号№16の「まやかしの判決書5」に記したとおり、全てYです。
このことは、K氏夫人が詳細に、裁判官の面前ではっきりと証言しております。
裁判所は、検察とYとの取引きを守るため「関根とY」と判示するわけにはいかず、姑息にも「被告人関根ら」としているのです。
<2の件> ふうりん通信№15の「まやかしの判決書3」を参照して下さい。
この判示にある『片品村の前記Y方に電話を掛け』たのは、私がK氏夫人に、関根をつかまえられる場所として、Y方を教えたからです。
そして、『同日深夜には被告人関根らを問い詰めようとY方に車で赴いた』という「被告人関根ら」は、「関根とY」です。
また、『結局、同被告人らに会うことはできなかった』という「同被告人ら」も、「関根とY」です。
更に、4月23日の『Kの兄らと被告人関根らとの話し合いが持たれるに至った』といういわゆる江南会議に出席して話し合いをした「被告人関根ら」も、「関根とY」です。
裁判所は、『以前から被告人関根らと犬の売買等の話で揉めていたことから被告人らがKに何らかの形で危害を加えたのではないかと疑い』『被告人関根らを問い詰めようと』動いたけど『結局、同被告人ら』は逃げてしまい、会うことはできなかった、と判示しております。
しかし、ちょっと考えてみて下さい。
この事件の原因である『以前から被告人関根らと犬の売買等の話で揉めていた』相手が「関根と私」であったのなら、K氏の親族達は、まず最初に私を問い詰めていたのではないでしょうか。私は熊谷市というすぐ近くにいたのですし、K氏夫人と昼に話しており居場所は判っていたのです。しかし、彼らは通り道である私の所へは寄らずに、片品村のY方へと向かったのです。
尚、K氏夫人からの電話で関根の居場所であるY方を教えた以降に、私がK氏夫人を含めK氏の関係者と関与・交渉を持ったことは(電話で話したことも、会ったことも)あちらからもこちらからも一切ありません。
<曲解なのか?> 検察官は、確定判決で多用されている「関根ら」「被告人ら」を、関根と『私』と考えるのは、私が曲解しているのだ、と言います。
確かに、確定判決は、「関根ら」「被告人ら」の「ら」が『私』であるという直接的な書き方はしておりません。
しかし、言うまでもなく、この判決は『私』(と関根)に対して書かれたものです。
そして、「ら(・)」多用の事実認定をし、私に死刑判決を下しているのです。
裁判所は初めから、世間一般に対しては、「関根ら」「被告人ら」は、関根と『私』であると「曲解させる」ようにし、もし私が反論した時には、「曲解している」と逃げをうてるように「関根ら」「被告人ら」という悪知恵を働かせた判示方法を使ったと私は考えています。私が、皮肉れているのでしょうか?
裁判所は、裁判所にとって必要な部分、あるいは書いても差し支えが少ない部分では、「関根とY」とか「関根が」「Yが」と指摘して書いているのですから、全てをキチンと書くことが出来たはずであり、あえて、「関根ら」「被告人ら」を連発する必要はありません。
この「関根ら」「被告人ら」のほとんどは、私に対しての証明がされてないどころか、「ら」が他人を指しているとはっきり判明しているのです。
更に裁判所は、関根が一人でした行為に対しても「関根ら」「被告人ら」という判示をして、さも、私が関根と共に犯行を推進していったように認定しているのです。
裁判所は、私への死刑判決を少しでも正当化するために、更には、私の事件加担を少しでも重く見せようとするために、こうした不明瞭な表現を判決書の随所でしています。
私が事件に深く関っていたと思わせるためのこうした悪意のたくらみは、あまりにも卑劣すぎます。
確定判決で構築されたロジックには幾多の不合理性があり、単なるレトリックにすぎません。
確定判決は、提出された証拠に基づいて、裁判所が「正しく」事実認定をして、有罪判決を言い渡したものではありません。
確定判決に至るまでのプロセスも、決して「正しい」ものではありません。
私の犯行を裏付ける客観的証拠は皆無であり、私は取調べ段階から一貫して殺人への関与を否定しており、更に、確定判決を支えている証拠である関根とYの供述の信用性には幾多の疑問が存在しております。
私を誤判から、死刑台から救い出して下さるご助力、ご支援を、どうぞこれからも下さいますよう、切に、切に、お願い申し上げます。 」
お分かりかと思いますが、裁判所は事実関係の記述にあたって「関根とYは」と明記すべき箇所をすべて「関根らは」「被告人らは」で統一しています。このありさまでは、そうしなければY氏を殺人の共犯者から除外することも、風間さんを殺人の共犯害に仕立てることも不可能だったからではないかと疑われても仕方がないと思います。
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