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〇 週刊誌「女性セブン」2月20日号(小学館)に、風間博子さんのご長女のインタビュー記事が掲載されました。
95年1月に両親が逮捕された時、彼女は小学生。その後どれほどの苦しい日々が連続したかは容易に察せられることですが、今回初めて事件について語っておられます。よかったら図書館などで入手してご一読いただければと思います。

〇 また、ブログ「へなちょこ革命」の檜原転石さんは「冤罪死刑囚・風間博子さん」というエントリーで事件を丁寧に考察した記事を沢山書いてくださっています。
  http://blogs.yahoo.co.jp/henatyokokakumei/folder/1250679.html
こちらもぜひご一読いただきたく思います。檜原さん、ありがとうございます。


さて風間さんの無実の訴えを掲載します。93年4月に起きたK氏殺害事件(第一の事件)の経緯を述べるにあたって、判決文は行動の主体に対して「関根ら」「被告人ら」という曖昧な言い回しを多用しております。疑われているのは、「関根」「風間」「共犯のY」の3人なのですから、正確な判定を下そうとするなら、3人の行動は一人ひとり具体的に詳細に記述される必要があるわけですが、裁判官はそうしておりません。なぜ「ら」という曖昧で大雑把な記述が頻出することになったのか、風間さんは以下のとおり子細に検討・分析しております。ぜひ前後の事実関係に注意してお読みください。


  冤罪を訴える ~まやかしの判決書~6《「ら」は誰だ? K事件編》(「ふうりん」№17) 風間博子

 埼玉愛犬家殺人事件は、1993年(平成5年)に起きた3件4人の連続殺人事件です。私は、1件目のK事件と2件目のE・W事件の殺人・死体損壊遺棄容疑で逮捕・起訴され、共謀共同正犯として、死刑判決を受けました。
 これらの事件に関与したとされているのは、関根とY、そして私の3人ですが、Yは殺人容疑での訴追は受けておりません。

 偽りの「ら」認定
 確定判決は、その事実認定において「被告人両名」とか「被告人Sと被告人風間」という書き方を一部でしている一方で、それ以上に「被告人ら(・)」とか「被告人関根ら(・)」という認定の仕方をとてもたくさん使用しております。
 その上で、「ら」多用の事実認定の結果、私に死刑判決を下したのです。
 なぜ裁判所は、この様な曖昧な表現方法を多用したのでしょうか。
 なぜ裁判所は、確定判決の一部で使用している「被告人両名」とか、行為者を特定して名前を明記するスッキリとした記述に統一しなかったのでしょうか。
「ら」は、誰のことを指しているのでしょうか。
 言うまでもなく、この確定判決書は、関根と私に対して書かれたものです。
 今回は1件目のK事件の認定における「ら」について考えてみたいと思います。
 まずは、確定判決の一部を書き出します。

 1.(K氏は)そのころK方に来た被告人関根らとの間でK氏夫人Nも交えて話をした際には、2頭目の購入話はキャンセルして繁殖の仕事もしないと言ったりしたこともあった(27頁)
 2.Kの妻や兄らは、4月20日夕方に勤務先を出たまま行方不明となったKの安否を気遣うとともに、同人が以前から被告人関根らと犬の売買等の話で揉めていたことから、被告人らがKに何らかの形で危害を加えたのではないかと疑い、Kの兄らが4月21日昼ころに片品村の前記Y方に電話を掛けて応対に出た被告人Sを追及したり、同日深夜には被告人関根らを問い詰めようとY方に車で赴いたり(ただし(中略)逃げてしまったため、結局同被告人らに会うことはできなかった。)していたところ(中略)4月23日――Kの兄らと被告人関根らとの話し合いが持たれるに至った。(42~43頁)

 確定判決は、この様な認定の結果、『被告人両名は、共謀の上』との結論で私を共謀共同正犯として有罪にして、死刑判決を下しているのです。

  裁判所のまやかし 
<1の件>  私は、K宅をお訪ねしたことは一度もありませんし、K氏夫人とお会いしたことも一度もありませんでした。公判に証人出廷した夫人を拝見したのが最初で最後です。
 K宅へ出向くなどして、Sと共に行動し、K氏と交渉していたのは、前号№16の「まやかしの判決書5」に記したとおり、全てYです。
 このことは、K氏夫人が詳細に、裁判官の面前ではっきりと証言しております。
 裁判所は、検察とYとの取引きを守るため「関根とY」と判示するわけにはいかず、姑息にも「被告人関根ら」としているのです。

<2の件>  ふうりん通信№15の「まやかしの判決書3」を参照して下さい。
この判示にある『片品村の前記Y方に電話を掛け』たのは、私がK氏夫人に、関根をつかまえられる場所として、Y方を教えたからです。
 そして、『同日深夜には被告人関根らを問い詰めようとY方に車で赴いた』という「被告人関根ら」は、「関根とY」です
 また、『結局、同被告人らに会うことはできなかった』という「同被告人ら」も、「関根とY」です
 更に、4月23日の『Kの兄らと被告人関根らとの話し合いが持たれるに至った』といういわゆる江南会議に出席して話し合いをした「被告人関根ら」も、「関根とY」です
 裁判所は、『以前から被告人関根らと犬の売買等の話で揉めていたことから被告人らがKに何らかの形で危害を加えたのではないかと疑い』『被告人関根らを問い詰めようと』動いたけど『結局、同被告人ら』は逃げてしまい、会うことはできなかった、と判示しております。
 しかし、ちょっと考えてみて下さい。
 この事件の原因である『以前から被告人関根らと犬の売買等の話で揉めていた』相手が「関根と私」であったのなら、K氏の親族達は、まず最初に私を問い詰めていたのではないでしょうか。私は熊谷市というすぐ近くにいたのですし、K氏夫人と昼に話しており居場所は判っていたのです。しかし、彼らは通り道である私の所へは寄らずに、片品村のY方へと向かったのです。
 尚、K氏夫人からの電話で関根の居場所であるY方を教えた以降に、私がK氏夫人を含めK氏の関係者と関与・交渉を持ったことは(電話で話したことも、会ったことも)あちらからもこちらからも一切ありません。

<曲解なのか?>  検察官は、確定判決で多用されている「関根ら」「被告人ら」を、関根と『私』と考えるのは、私が曲解しているのだ、と言います。
 確かに、確定判決は、「関根ら」「被告人ら」の「ら」が『私』であるという直接的な書き方はしておりません。
 しかし、言うまでもなく、この判決は『私』(と関根)に対して書かれたものです。
 そして、「ら(・)」多用の事実認定をし、私に死刑判決を下しているのです。
 裁判所は初めから、世間一般に対しては、「関根ら」「被告人ら」は、関根と『私』であると「曲解させる」ようにし、もし私が反論した時には、「曲解している」と逃げをうてるように「関根ら」「被告人ら」という悪知恵を働かせた判示方法を使ったと私は考えています。私が、皮肉れているのでしょうか?
 裁判所は、裁判所にとって必要な部分、あるいは書いても差し支えが少ない部分では、「関根とY」とか「関根が」「Yが」と指摘して書いているのですから、全てをキチンと書くことが出来たはずであり、あえて、「関根ら」「被告人ら」を連発する必要はありません。
 この「関根ら」「被告人ら」のほとんどは、私に対しての証明がされてないどころか、「ら」が他人を指しているとはっきり判明しているのです。
 更に裁判所は、関根が一人でした行為に対しても「関根ら」「被告人ら」という判示をして、さも、私が関根と共に犯行を推進していったように認定しているのです。

 裁判所は、私への死刑判決を少しでも正当化するために、更には、私の事件加担を少しでも重く見せようとするために、こうした不明瞭な表現を判決書の随所でしています。
 私が事件に深く関っていたと思わせるためのこうした悪意のたくらみは、あまりにも卑劣すぎます。
 確定判決で構築されたロジックには幾多の不合理性があり、単なるレトリックにすぎません。
 確定判決は、提出された証拠に基づいて、裁判所が「正しく」事実認定をして、有罪判決を言い渡したものではありません。
 確定判決に至るまでのプロセスも、決して「正しい」ものではありません。

 私の犯行を裏付ける客観的証拠は皆無であり、私は取調べ段階から一貫して殺人への関与を否定しており、更に、確定判決を支えている証拠である関根とYの供述の信用性には幾多の疑問が存在しております。
 私を誤判から、死刑台から救い出して下さるご助力、ご支援を、どうぞこれからも下さいますよう、切に、切に、お願い申し上げます。  」


お分かりかと思いますが、裁判所は事実関係の記述にあたって「関根とYは」と明記すべき箇所をすべて「関根らは」「被告人らは」で統一しています。このありさまでは、そうしなければY氏を殺人の共犯者から除外することも、風間さんを殺人の共犯害に仕立てることも不可能だったからではないかと疑われても仕方がないと思います。
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2014.02.24 Mon l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (5) トラックバック (0) l top
 『冤罪File』に風間博子さんの裁判および判決に疑問を呈する記事 掲載される
風間博子さんの死刑判決に対し、あれは公正な裁判による公正な判決だったのか?と疑問を呈する記事が、深笛義也氏の『女性死刑囚』(鹿砦社2011年11月刊行)につづいて、先日『冤罪File』(2013年11月号・№20)に発表されました。ルポライターの片岡健氏の筆によるもので、

「冤罪疑惑が黙殺され続けた「埼玉愛犬家連続殺人事件」 共犯者が被告人の無罪を証言!」

と題されたレポート記事です。片岡氏は裁判記録に目を通し、関係者への取材や現場検証を行ない、その経過をとおして、「いざ調べてみると、この事件の実相は報道のイメージと随分異なっているのである。」と述べて、裁判や判決や報道内容への疑問を表明されています。書店での立ち読みで構わないと思いますので、できれば多くの方にぜひ一読いただければと思っています。

さて、下記の文章は風間さんが支援誌「ふうりん通信」に毎号手書きで寄稿している「冤罪を訴える~まやかしの判決書~」です。いつものように転載します。今回風間さんが訴えているのは、犬の購買やマンション転売の件などで被害者K氏と親交があったのは「SとY」であったにもかかわらず、判決では、それが「Sと風間」であった、というように証拠に反して作り替えられ、書き替えられてしまっているということです。このことを風間さんは明白な事実に即して具体的に指摘していますので、その点を読み取っていただければと思います。(言わずもがなとは思いますが、文中の「K氏」とは事件の最初の被害者の方です。また、事件の主犯と共犯者に関してこのブログでは実名を記していますが、風間さんは「S」および「Y」と記していますので、そのまま転載しました。)


  冤罪を訴える ~まやかしの判決書~5《K事件の強力支援者はだれだ?》(「ふうりん」№16) 風間博子
 
 K事件が起きた原因は、K氏への犬の売買でのキャンセル話における金銭トラブルである、と確定判決は認定しております。

偽りの「Sとの詐欺的商法共謀者」認定
 K氏は、1992年(平成4年)に家族と共に万吉犬舎を訪れ、アラスカン・マラミュートを購入し、Sと知り会いました。その後、K氏は度々万吉犬舎を訪れるようになり、Sとの親交を深めていきました。
 K氏とSは、ほぼ毎日のように会う仲となり、SはK氏にローデシアン・リッジバックの利殖話を持ちかけました。そして、K氏は牡牝の購入を決めたのですが、先に引き渡された牝が、K氏宅から逃げ出してしまったことをきっかけとして、K氏とSとの間に、牡のキャンセル話や代金返済等についてのトラブルが発生しました。
 このSの詐欺的商法の利殖話を支持支援し、Sに協力していたのは誰かという点について、確定判決は、
① Sは顧客から犬の売買代金等を受け取ると、その都度、風間に報告し、渡していた。Sは顧客との取引き状況等について、包み隠さず風間に話していた。として、K氏とSとの取引きの全ては知らなかった等と事件関与を否定する私の供述は、S供述と対比すると、到底信用できないものというほかない。とし、
② 風間は、SがK氏に対して詐欺的商法を展開しているのを知った上で側面から強力に支援する言動に及んでいたこと、キャンセル話や詐欺的商法でSと共同歩調を取る形で行動していたこと、などが明認できるから、実情を全て知っていたはずである。Sとの共謀を否定し、事件関与を認めていない風間の供述は、到底信用できない。
とする一方
③ Y供述は、自分があたかも第三者的立場であったかのように述べ、必ずしも信用し難いけど、それでも、いずれにせよ、Yが補助的役割しか果たしていなかったことは明らかである
として、Sと共謀していたのは、Yではなく、私であると認定しました。

裁判所のまやかし
<①の件> Sは、この件について、次の通り供述をしております。
『私は、Kさんの場合に限らず、犬を売って受け取った代金は、全てをその日の内に博子に渡しており、私が一部でも使い込んだということは一回もありませんでした。これは断言できます。』
 そして裁判所は、何の検討もせぬまま、無責任にも、このSの言い分をそのまま真実であると認めたのです。
 しかし、裁判所が極めて高い信用性を認めているY供述には、このS供述(つまり、確定判決の認定内容)を否定する反対事実が、以下の通りに述べられております。
『Sは…博子に渡す金をくすねていたのです。Sの方法は、実際は80万円で売った犬の代金を博子には嘘を言って、50万円で売った事にして其の額を渡し、差額の30万円を自分の金として、女遊びの金に使っていた、ということをしていたのです。』(員面調書)
実際に、KさんがSに支払ったという金額と、私が博子から聞いた1匹の値段について考えると、相当額の差、があります
 Sの毎月の小遣銭は…Eさんを食事に誘ったり、手土産品代としたり、ソープランドに客を招待したりして、1ヶ月を待たずに足りなくなって仕舞うことから、不足する金を得るため、犬の売上金額を博子に対して嘘をついて、その差額を握っていた事が何度もあったのです。』(検面調書)
 Yは公判廷においても、『Sがごまかすことなく、博子に全額を渡していたということはあり得ません。そういう事は、一杯ありました。』と証言しています。
 この事はYだけでなく、万吉犬舎で長年に渡りSの側で働いていた従業員も以下のように供述しております。
『そのすべての回数を把握してはいないですが、例えば、20万円の犬を売った時に、15万円でしか売れなかったと風間には言ってある、と、Sから聞いたことがあります。』
 この様に、Sは私に対して、売上金額をごまかして報告して渡し、その差額を懐に入れたりしており、『顧客との取引き状況等について、包み隠さず風間に話していた』という事実がないことは明らかとなっております。
 裁判所は、私がSの詐欺的商法による不当な販売方法や販売価格を全て知悉し、協力して行動していたと認定し、そこから、K事件の殺害動機があったとこじつけてつなげているのです。

<②と③の件> SとK氏との数々の取引きや話し合いの場に常に同席し、Sと共同歩調を取り、Sを補佐していたのは、裁判所が「側面から強力に支援する言動に及んでいた」と認定した私ではなく、Yであることが、それらの場に同席し現認していたK氏夫人の以下の証言で明らかとなっております。
▪ 2/17の高崎マンション売買話の時は、 「SとYがいました。」
▪ 2/20のジャガー引き渡しの時は、  「SとYがいました。それから4人(K氏夫妻とSとY)で佐谷田の駐車場へ行きました。」
▪ 2/24のカラカル売買の時は、    「主人とSとYと3人で、ダッジバンに乗って一緒に来ました。SとYは家に入って来て、2時間ほどいました。」
▪ 3/4の高崎マンションの断り話の時は、「寄居のアパートに行くとSとYとTとほかに男が2人いて、Yからかなり責められ、疲れきっていました。」
▪ 3/10のローデシアン牝、受取りの時は、「ペットショップにSとYがいないので、しばらく待ったが来ないので連れて帰る、と電話が主人から来たあと、すぐにYから『勝手に持っていっただろう、ちゃんと買って、宣伝をばんばんやってもらわないと困る』などと言う電話がありました。」
▪ 4/22、事件後(Y宅の見張りをした翌日)「Yから怒った口調で『昨夜うちに来ただろう。話があるなら昼間会おう。タカ・エンタープライズに来い』という電話がありました。」
 一方、これらの取引に関して私(風間)が積極的に前面に出て行動したことはないし、聞いてもないと、証言しております。
 また、これらの取引やトラブルについてYが「よく知らない」と言ってることについては、「考えられません」と、明確に否定しております。

 K氏とは何でも相談し合っていて兄弟の中でも一番仲が良かったというK氏の弟U氏は、Yを「Sと一緒につるんでる共犯者」といい、
「そいつ(Y)が、Kさんをうちの社長(S)が気に入ってるんだと、おれも気に入られて、ポルシェとか買ってもらったり、自分のうちを造ってもらったりしてるんだとか、200円を取っても400円にして返す人なんだとかいうことを言ってた」
等と、Yが積極的にK氏に働きかけていた事実を証言しております。
 また、4/21にY宅へ行ったことに対して、YからK氏夫人の所へ「弟、出せ。弟に連絡を取れ」という怒りの電話があって、Yに電話を入れた時のことについては次の様に証言しております。(4/21のことは、前号の「まやかし3」参照)
「Yは、随分じゃねえかって。昨日、あんな夜遅くに、人のうちに来やがって。おっかなくって、うちに戻れなかった。とにかく、潔白を証明したい。だから会う段取りをしろって、こう言いました。」
 そして翌4/23に、E氏を仲介者としたいわゆる「江南会議」が開かれたのですが、今回は、その内容説明は省略いたします。尚、E氏を仲介者と頼んだのは、K氏側であり、出席者は、K氏の兄弟と友人知人達、そしてSとYです。

確定判決の偏りと客観的事実との矛盾
 3/10にK氏は、ペットショップにSとYがいなかったためにローデシアン牝の受け取りをせずに、SとYを待っていました。「SとYを」です。
 K氏へのローデシアンの詐欺的販売に私が(たとえ表向きだけだったとしても)関与していたのならば、K氏が「SとYがいないから」と待つ必要はなかったはずです。
 仮にK氏が、単にSやYと話をするために待っていたと考えてみても、ローデシアンを引き取っていったことに対してYがK氏に「勝手に持っていっただろう」と文句の電話をすぐに掛けたことは、はなはだ見当違いの話となってしまいます。
 このことからも、私がK氏へのローデシアン販売話に関しては、第三者的立場であったこと、その輸入手続きをしていただけであったことが知れるはずです。

 K氏は3/末~4/初に家族の身の危険を感じて妻子を実家に帰しており、弟U氏へは、「何しろおかしい。犬屋(S)にだまされた。私がばかだった」と悔し涙をこぼして話していたそうです。
 そんなK氏を油断させ呼び寄せるために、事件前夜に遊興させたSとYですが、そのソープランドからの帰り道に、YはK氏の車に乗り込んで2人で熊谷迄戻っております。
 このことからも、犯行の成否に大きく係わる事件当日の呼び出しに、Yが重要な役割を果たしていたことが、容易に推測できます。

 K氏とSとが毎日の様に会っていた時に、常にSと一緒に行動していたのがYであることは、複数の目撃証言があり、そのつきあいの中でK氏はYのことを、
「Yという男は、恐しい男だ。金のためなら何でもする男だ。」
 と感じ夫人に伝えております。
 そして、Yに対しての嫌悪感を日増しに抱いていった夫人は、YがSと一緒に家に来ても「Yは家に入れなかった」という状態になっていました。

 Yが自発的にK氏を詐欺的商法に引きこもうとして動いていたことは、遺族等や周辺にいた人達の供述で明白な事実です。
 確定判決の認定は、関係資料の綿密な分析をしていないという話どころか、事実を歪めることに苦心惨憺して、私を有罪へと導いているのです。
 矛盾に満ちた死刑判決から免れるため、皆様方のご支援が何としても必要です。協力して下さる弁護士さんの紹介等、どうぞよろしくお願い致します。 風間博子 」
2013.10.23 Wed l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (2) トラックバック (0) l top
 “7月21日、私は午前11時頃、クレフに乗って長女Nと一緒にペットショップに行き、クレフはいつもどおり、ショップ近くの駐車場に置いていた”
という被告人の供述を、判決文において、自分の一存で勝手に
 “7月21日、私はクレフを終日大原の自宅に置いていた”
に作り替える裁判官の目的は何なのか?


「埼玉愛犬家連続殺人事件」の不公正な判決により、この6月に死刑確定から満4年が経った風間博子さんの無実の訴えです。風間さんの支援誌である『ふうりん』14号に掲載された文章の転載です。
今回の文章は、一審判決文の奇妙さについてこのブログの管理人である私(yokoita)が新たに気づいて指摘した(こちらを参照)問題について、風間さんが次号のふうりん15号で応答し、また補足説明をしてくださったものです。

このブログは、これまでに裁判所が事件全体について、また事件における風間さんの言動と役割について、不審きわまりない事実認定をいかに膨大に行なってきたかを指摘してきましたが、今回私が気づいた誤りは単純といえば実に単純なもので、一審の判決文が、ある一つの客観的事実について完全に誤った記述をしているというものでした。 93年7月21日、EさんとWさんが殺害された日は地域のうちわ祭りの日でした。この日、風間さんは「クレフに乗って長女Nと午前11時頃、八木橋のペットショップに行き」(一審弁論要旨)、午後3時頃、風間さんのお母さんがペットショップにやって来たので、風間さんは午後4時頃お母さんに長女Nちゃんの相手をしてもらい、祭りの混雑を避けるためにクレフは店の近くの駐車場に置いたまま、「バイクで万吉犬舎へ行」った、と述べています。

ところが、一審判決文は、「クレフに乗って長女Nと午前11時頃、八木橋のペットショップに行」ったという風間さんの供述について次のような記述をしているのです。

「…風間は、「自分は、7月21日はうちわ祭りで熊谷市内が混雑していたため、バイクを運転して万吉犬舎に行ったりしており、クレフは終日大原の自宅に置いてあったので、それを運転してE方に行った。」旨弁解し、」

裁判官は、「クレフに乗って長女Nと午前11時頃」ペットショップに行った、という風間さんの供述を、なぜか「クレフは終日大原の自宅に置いてあった」ことにすり替えてしまっているのです。私は、最初この事実を知ったとき、もしかすると、万に一つくらいは、裁判官が単純な勘違いのミスをおかした可能性もあると思っていました。審理の過程で、この件がさして問題にされなかった可能性もあると思ったからです。ところが、そんなことはまず考えられない、ありえないことが、その後分かりました。実はこの件は法廷できちんと審理されていたのです。風間さんは、法廷でこの21日「クレフに乗って長女Nと午前11時頃」ペットショップに行き、いつものように近くの駐車場にクレフを置いていたと供述し、裁判官はそれを聞くと、風間さんに向かって直接下記の尋問をしているのです。第一審61回公判の調書から抜粋します。

裁判官 『クレフを駐車していた、その駐車場というのは、どこにあるんですか。
 風間  ペットショップから、4、50メートルぐらい先のところにあります。
 裁判官 さきほどの地図のカラーコピーありますよね。それに、その駐車場の場所を、赤のボールペンで丸を書いて、駐車場と書いてもらえますか。
 風間  (記入した) 』(47丁裏) 」

上記の「裁判官」とは裁判長のことです。お分かりのように、風間さんがクレフをペットショップ近くの駐車場に置いていたことは、風間さんが供述しているだけでなく、その事実を法廷で裁判長自ら風間さんに図示させて確かめているわけです。これでは裁判官が「勘違い」をする余地はないでしょう。「クレフは終日大原の自宅に置いてあった」という風間さんの供述というものは、裁判官の創作だったのです。完全に裁判官による故意の仕業というしか考えようはないように思われます。裁判官がなぜこのようなことをしたのか、私はこの件を最初に取り上げたとき、「もし裁判所の上の記述が故意によるものであるとしたら、この日ペットショップに風間さんの娘さんとお母さんがいたこと、犬舎から帰ってきた風間さんともども親子三代でうちわ祭りの見物に行ったことなどに照明があたることを裁判所が忌避したということも考えられるだろうと思います。」と書いたのですが、あるいはこの他にも更なる理由があるかも知れません。

それでは、風間さんの訴えを以下に掲載します。風間さんは、裁判官が判決文において、クレフを終日自宅に置いていたと風間は主張している、と、嘘の記述をしていることにもちろんすぐ気づいたようです。この件にかぎらず、風間さんに死刑が下された判決において裁判官の捏造や歪曲がどれほどの数に上り、それがどのような性質のものか、ちょっと想像を絶するものがあるのです。風間さんの声を聞いていただければと思います。


  冤罪を訴える ~まやかしの判決書~4 《歪曲判示乱発の裁判所の悪辣さ》(「ふうりん」№15)
 ……yokoitaさんがご指摘下さった様に、私の判決書には、不可解な判示・奇妙な判示・歪められた判示・裁判所が勝手に作った虚偽内容の判示などが、本当に無数といっていいほどあるのです。
 それらには、検察によって構築されたストーリーに裁判所が合わせて、私を有罪に導くために事実を歪めているとはっきり判るものや、明らかではないけれど裁判所の目論見を何とか見て取ることが可能なものもあります。
 しかし、どう思案してみても(私の考えでは)裁判所が何の意図をもって事実を歪曲しているのか判らぬものも数多く存在しています。敢えて言えば、裁判官には、証拠や真実を有りのまま見ることが出来ぬ悪癖があるのでは…と、疑いたくなる程です。
 E・W事件当日の午前11時頃から午後9時スギ迄、私は「クレフは、ペットショップ(近くの駐車場)に置いてあった」と、供述しています。
 しかし、それをなぜか裁判所は、私が「クレフは、終日、大原の自宅に置いてあった」と供述していると判示しているのです。
 この誤判示は、裁判所の悪意によるものと私は思っていますが、その意図がどこにあるのか、私には見えていませんでした。
 yokoitaさんが仰言る『単にミスをおかしたのでしょうか?』ではないでしょうし、また、『判決に重大な影響を及ぼすことが明白なこの一件に関して、裁判官三人が、三人そろって、自分たちの過ちに気づかないなどということがはたしてあるのかどうか』とyokoitaさんは裁判官への不信感を綴っておられますが、左程に私の判決文はヒドイ物なのです。

 事件の経過に出来るだけ合わせてこの「まやかしの判決書」を書き進めていこうと思っていますので、E・W事件の項で改めて詳述致しますが、事件当日の7月21日に埼玉県警の機動捜査隊は、アフリカケンネルの関係場所数ヶ所の行動確認捜査を実施しておりました。
 その中の一つは万吉犬舎で、万吉犬舎へ出入りした車や人物については、その車種やナンバー、着衣、持ち物等についてまで、その「行動確認捜査日誌」に記載されました。
 そして、この捜査日誌は、一審の最終局面でやっと開示され証拠採用されています。
 さて、この埼玉県警察機動捜査隊が実施作成した「行動確認捜査日誌」には、万吉犬舎へのクレフの出入りの記録は、一切記述されておりません
 私はこれで、「この日万吉犬舎へはクレフで行っていない」という私の供述の正しさが裏付けられた…と、喜びました。
 ところが、我(わが)裁判所は、常軌を逸していて、ナント! 「この日の午後4時頃から午後11時スギ迄、クレフは万吉犬舎に置いてあった」と認定したのです。
 私は、裁判所が私の供述にはない『クレフは終日、大原の自宅に置いてあった』という虚偽判示をしているのは、上記の『クレフは万吉犬舎に置いてあった』とする虚偽認定を強調するための何かしらの意図なのか? と頭を悩ましていたのですが、今回のyokoitaさんの論評を拝読し、「裁判所の意図はこういう事だったのか!」と目からウロコがポロッ でした。

《私は、いつSと結婚をし、いつ娘を出産したのか?》
 そんなことも判らなくなる程、呆けてしまったのか!? と心配しないで下さい。
 判決の事実認定の歪曲は、万般に渡り、それはそれはヒドいのですが、証拠提出をされている戸籍謄本・住民票・登記簿謄本といった公文書や、更には論告・弁論・裁判官の面前での法廷証言でハッキリとしている動かしようのない事実でさえ、裁判所は自らの事実認定を正当化するために都合よく歪め、不実の判示工策をしています。
 今回は、簡単に2点を提示致します。
① Sと私が結婚したのは、『昭和58年』ですが、
    裁判所は、「被告人両名は、昭和59年に婚姻するとともに――」とし、
                 <確定判決390頁(量刑の理由)>
② 私が娘を出産したのは、「昭和60年6月」ですが、
    裁判所は、「昭和60年8月に長女を儲け――」と判示しています。
                 <確定判決 5頁(背景事情)>
 こういった書き替えは(私が考えるに)Sとの一心同体説を補強したものであり、原判決のこじつけストーリーを真正らしく見せるための狡悪な欺瞞です。
 刑事訴訟法に於ては、『事実は全て証拠に基づいて認定されるべきである』と明記されております。
「証明された事実・証拠」から真実を追い求めていくのが裁判であり、それをやるのが裁判官の使命であるはずです。ところが私の判決では、その基本中の基本を逸脱した卑劣な事実の捏造をしており、裁判官の品質・資質を疑いたくなります。

 こんな杜撰な内容の判決文が通用している司法の不思議さに呆気にとられると共に、負けてはいられないと、心を引き締めております。お力添えをどうぞお願い致します。(風間博子) 」
2013.07.25 Thu l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (1) トラックバック (1) l top
 地裁および控訴審判決の恐るべき白々しさ
前回のブログでKさん殺害事件に対する風間さんの無実の訴えを紹介した。風間さんは法廷でも最初から一貫して同じ訴えをしてきたのだが、これに対して一審の裁判所が「風間は、何の根拠も示すことなく、ただひたすら「Kとの紛争は解決がついたと思っていた」などと述べるばかりなのであ」る、との判定を下したことも紹介した。この「風間は、何の根拠も示すことなく、……」という判示は、何回読んでも、いや繰り返し読めば読むほど、救いようもなく支離滅裂かつ悪質だと思うので、この問題についてもう少し書いておきたい。

風間さんは、「Kとの紛争は解決がついたと思っていた」からこそ、そしてKさん殺害の計画など何も知らなかったからこそ、Kさん用に注文したローデシアン(126万円を3月25日支払済)にかてて加えて、新たに受注したKWさん用のローデシアン(135万円)の支払手続きをしたのである。これは、Kさん殺害当日の4月20日の昼間であった。このことが無実の主張の「根拠」でないというのなら、一体何だというのだろう? 裁判所は風間さんが金銭に対して異様な執着をもつがゆえにKさんへのローデシアンの返金を惜しんでKさん殺害を計画し実行したと断定している。ならばその風間さんが無駄遣いになることがあらかじめ解っているローデシアンを新たに注文し支払いをした理由について明示するのは当然のことである。おそらく、その明示が不可能であるがために、裁判所は「風間は、何の根拠も示すことなく、ただひたすら「Kとの紛争は解決がついたと思っていた」などと述べるばかりなのであ」る、などとまったく意味不明のデタラメな判定を並べたのではないか?

Kさん殺害の翌日風間さんのペットショップにかかってきたKさんの妻からの電話の件も、上記の場合と同じく、風間さんがKさん殺害事件に関して無実を主張するに十分過ぎるほどの根拠をそなえたものである。

まず、4月20日――Kさんが殺害された日の風間さんの行動であるが、この日風間さんは愛人のMR氏と昼の12時30分から午後中を一緒に過ごし、午後4時半過ぎに熊谷駅でMR氏と別れた。ペットショップに戻ったのは午後5時過ぎ、帰宅したのは午後7時過ぎである。その後、午後11時頃、Y氏から電話がかかり、「これから東京まで車を置きに行きたいんだけれど一緒に行ってくれるかい。社長から聞いてる?」と言われた。風間さんはその前日か前々日に関根氏から「Yにはいろいろ世話になっているので、Yから用事を頼まれたらできるだけ応じてやってくれ」と言われていたことから、これに応ずることとし、Y氏と行動を共にした。このことはこれまで何度も述べてきたとおりである。

その翌日の4月21日、昼の12時頃、帰宅しない夫の身を案じたKさんの妻N子さんから風間さんのペットショップに「社長いますか、社長を出してちょうだい」との電話がかかってきた。Kさんの弟さんの法廷での証言によると、N子さんはその日の朝、勤務先(社長はKさんの実兄)に電話をかけて夫が出勤していないことを知ると、「犬屋にさらわれたのではないか、さらわれた…」と口にしていたそうである。風間さんは、N子さんとの面識はなく、ペットショップの社長は自分であることから「社長は私ですが…」と述べたが、とぼけないでよ、偽装離婚でしょ、などの応答で電話の主がKさんの妻であることを知ると、すぐに「関根は今、片品のYさんの家に住んでいるからそちらに連絡して下さい」と言って、片品のY方の電話番号を教えた。このことはN子さんの第31回公判の証言、風間さんの第60回公判の供述から明らかである。Y宅の電話番号を聞いたN子さんはその直後から何度もY宅に電話をかけたが誰も出なかった。そのうちKさんの弟さんが兄の安否を心配してN子さんを訪ねてきた。弟さんが、N子さんに代わってY宅に電話をかけると、ようやくY氏が出た。その時、弟さんが自分はKの弟である旨名乗ると、Y氏の対応は「はぁ?って、どちらの、さあっていうような感じで、とぼけて」(一審法廷証言)いたそうである。このあたりの経緯を、一審判決文から引用し、この判示の問題点を指摘したい。

「1 前記のとおり、被告人両名はKを佐谷田の車庫に誘き出して殺害したが、Kの妻や兄らは、4月20日夕方に勤務先を出たまま行方不明となったKの安否を気遣うとともに、同人が以前から被告人関根らと犬の売買等の話で揉めていたことから、被告人らがKに何らかの形で危害を加えたのではないかと疑い、Kの兄らが4月21日昼ころに片品村の前記Y方に電話を掛けて応対に出た被告人関根を追及したり、同日深夜には被告人関根らを問い詰めようとY方に車で赴いたり(ただし、Y方の近くに右車両を駐車させていたところ、万吉犬舎から車で戻って来た同被告人及びYがこれを見付けてY方に入ることなく逃げてしまったため、結局同被告人らに会うことはできなかった。)していた……」(「一審判決文」p42)

お分かりだと思うが、裁判官は判決において「Kの兄らが4月21日昼ころに片品村の前記Y方に電話を掛けて応対に出た被告人関根を追及したり」「関根らを問い詰めようとY方に車で赴いたり」とKさんの家族・親族の行動を正確に記していながら、肝心要の1点――すなわち、Kさんの家族にY宅の電話番号を教えたのは、他ならぬ風間さんであることを隠蔽しているのである。最初に取り上げた「2頭分のローデシアンの輸入代金振込み済み」の件を隠蔽したのと同じく、ここでは、風間さんがKさんの妻にY宅の電話番号を教えたことを隠蔽した上で、ぬけぬけと「風間は、何の根拠も示すことなく、ただひたすら「Kとの紛争は解決がついたと思っていた」などと述べるばかりなのであって」と判示しているのだ。こんな悪質な判示が許され、世の中に通用するのなら、私たちも運次第でいつ何どきどんな無実の罪を着せられるか分かったものではない。控訴審の公判において、被告・弁護側はもちろん一審のこの判示に抗議し、過ちを正すように求めた。その結果、控訴審の判示は、以下のようになった。

「(風間の弁護人及び風間)風間は,Kが殺害された翌日の昼ころ,Kの所在を探していたKの妻から電話で関根の所在を聞かれた際,片品村のY方の電話番号を教えているが,このことは風間がK殺害を知らなかった証左である,というのである。
しかしながら,風聞がKの妻に関根の所在を教えたころには,既にKの死体の始末は終わっていたのみならず,N子の検察官に対する供述調書によれば,風間は,Kの妻からの問い合わせに対して,当初,関根とは離婚しておりどこにいるかも分からないなどととぼけたものの,偽装離婚だろうなどと言って追及されるに及んで片品村のY方の電話番号を教えたのであって,このことはむしろ風間が関根の所在を隠そうとしていたことになりこそすれ,K殺害を知らなかった証左となるものではない。」(「控訴審判決文」p29~30)

裁判官は「風聞がKの妻に関根の所在を教えたころには,既にKの死体の始末は終わっていた」というが、N子さんが電話をかけてきたとき、Y宅での「死体の始末」が終わっていることをY宅に電話をかけてもいない風間さんがどうやって知ったというのだろうか? 判決はまた、「N子の検察官に対する供述調書によれば,風間は,……関根とは離婚しておりどこにいるかも分からないなどととぼけたものの,偽装離婚だろうなどと言って追及されるに及んで片品村のY方の電話番号を教えた」とも記述している。しかし、法廷でN子さんは、「離婚しておりどこにいるかも分からないなどと」風間さんが話したということを否定しているのだ。N子さんは、電話での風間さんとのやり取りについて一審の法廷で次のように証言している。


N子  社長は、社長、いますかと言ったら、自分が、私が社長だと言うので、いえ、偽装離婚のことは風間のほうから、そのときは風間と聞いていたので、風間さんからきいていますと、言いました。
――今言った、風間さんから聞いてるという風間さんは、
N子  関根です。 
――関根被告人のことですね。
N子  はい、そうです。
――聞いていますというように言われたわけですか。
N子  はい。
――そしたら、風間被告人は何と答えましたか。
N子  いえ、すんなり、何も言うも、言わないも、はい、分かりましたと、もうすぐに電話番号、教えてくれました。
――そのときに、いや、偽装離婚ではなくて、ちゃんと離婚しちゃってるんだと、だから、今、関根被告人はどこにいるか分からないというような話は、出ませんでしたか。
N子  出ませんでした。
――偽装離婚に対する、まあ否認というか。
N子  しませんでした。
――私は絶対、偽装離婚なんかしてませんというような反論は、なかったですか。
N子  ないです。
――で、当初は、関根被告人の居所については、どういう言い方で風間被告人は答えてましたか。
N子  ここにいると思うから、多分ここにいるからっていうことで、電話番号、教えてくれました。 」

N子さんはこのように明確に風間さんが偽装離婚について否認も反論もせず、「もうすぐに電話番号、教えてくれました」と述べている。私は残念ながらこの検察調書を確認していないのだが、おそらく法廷証言以前の検察官に対するN子さんの供述調書には、「風間は,Kの妻からの問い合わせに対して,当初,関根とは離婚しておりどこにいるかも分からないなどととぼけた」というように書かれていたのではないかと思われる。法廷でN子さんに対して執拗なほどに風間さんの電話での応対――風間さんから発せられた言葉がどうだったのか具体的に細かく問い質されているのはそのせいではないかと思われる。しかしその尋問に対して、N子さんは上記のように明確に、風間さんが「すんなり、何も言うも、言わないも、はい、分かりましたと、もうすぐに電話番号、教えてくれました。」と述べているし、「関根被告人はどこにいるか分からないというような話は、出ませんでしたか。」という問いにも「出ませんでした」とはっきり答えているのだ。にもかかわらず、控訴審の裁判官は、N子さんのこの法廷証言を完全に無視して、ここでN子さん自身によって明確に否定されたはずの「関根とは離婚しておりどこにいるかも分からないなどととぼけた」という、捜査段階における検察官調書を採用しているのである。まさしく裁判官による事実の歪曲、捏造であり、これでは被告人が救われる方法はないことになる。

そもそも、「偽装離婚だろうなどと言って追及されるに及んで片品村のY方の電話番号を教えた」という裁判官の上記の判示は、これ自体まったく意味をなしていない。「偽装離婚」という言葉を持ちだして追及されたからといって、「Y方の電話番号を教え」るという結果が導き出されるどんな理由があるのだろう?「偽装離婚」が税務署からの追及だったとでも言うのならともかく、関根氏の知人から発せられた「偽装離婚」の言葉に風間さんが動揺したり怯えたりする必要など全然ないはずではないか。「偽装離婚だろうなどと言って追及されるに及んでY方の電話番号を教えたのであって,このことはむしろ風間が関根の所在を隠そうとしていたことになりこそすれ,K殺害を知らなかった証左となるものではない。」という判示は、事の筋道・道理をまともに説明できない裁判官の恐るべき言いがかり、そして言い逃れであろう。

それから、Kさん殺害事件当日の昼間、風間さんが4時間余の長時間を愛人と一緒に過ごしていた事実に対して、裁判所が一審・二審ともに一言も触れることなく、完全黙殺していることにも深く留意すべきだと思う。
2013.06.15 Sat l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top
最近よいニュースにお目にかかることはまったくといっていいほどないのだが、先日はとりわけショッキングな報道があった。福島県民18歳以下の甲状腺がんの確定者が12人にのぼったというのだ。「東京電力福島第1原発事故による放射線の影響を調べている福島県の県民健康管理調査で、18歳以下で1次検査の結果が確定した約17万4千人のうち、甲状腺がんの診断が「確定」した人が新たに9人増え12人になったことが4日、関係者への取材で分かった。」(サンケイニュース・6月5日)という。ところが、調査主体の福島県立医大は、「放射線の影響は考えられない」と説明しているそうだ。理由は、「チェルノブイリ原発事故によるがんが見つかったのが事故の4~5年後以降だった」からだという。子ども騙しのような言い分である。では今回診断された「甲状腺がん」多発の原因は何だというのだろうか? 今後の成り行きを思うとほんとうに不気味である。

話題は変わって…。ここ一週間ほど、ブログ「スーパーゲームズワークショップエンターテイメント」がアクセス不能になっているのだが、どうしてなのだろう。どなたか理由をご存じの方がいらっしゃったら、教えていただきたいのだが…。

また次のような報道もあった。大阪府内の警察署で事件対応に関する自分たちの落ち度が明るみに出ることを恐れて虚偽調書を作成し、法廷でもその虚偽調書に沿った嘘の証言がなされていたことが判明したという。どうやら組織ぐるみの犯罪のようである。


 大阪 警察官がうその調書 裁判で偽証(6月9日)
 大阪府警察本部の複数の警察官が、警察署の留置場で起きた公務執行妨害事件への対応が適切だったと装うため、2回にわたってうその調書を作成したうえ、この事件の裁判で、警察官2人がうその調書に沿った証言をしていたことが関係者への取材で分かりました。
 関係者によりますと、去年12月、大阪・堺警察署に勾留されていた男性が、署内の保護室に収容される際、巡査長の顔を殴ったとして公務執行妨害の疑いで逮捕されました。
 保護室への収容は、巡査長が独断で決めていましたが、報告を受けた上司の警部補が巡査長の対応が適切だったように装うため、現場にいなかった別の警察官の指揮で行ったとするうその調書を作るよう指示したということです。
 その後の捜査で、調書の内容がうそだったことが発覚しましたが、今度は事件を引き継いだ別の警察官が警部補の指示だったことを隠し、「巡査長が独断で保護室に収容したことを上司に怒られるのが嫌で同僚と口裏を合わせた」とする2つ目のうその調書を作ったということです。」

ネットや新聞でニュースをみると警察・検察の不祥事や犯罪はほとんど毎日のように目に飛び込んでくる。今回の偽りの調書作成、裁判での偽証というのも事実にちがいないように思えるのだが、どうもこの手の犯罪行為はどこの警察・検察でも日常茶飯事のこととして大手を振って通用させているのではないかという疑いをもたずにはいられない。当ブログで取り上げている「埼玉愛犬家殺人事件」の風間博子さんへの死刑判決も、警察・検察が事件の共犯者を抱き込んでデタラメの調書をつくり、裁判でも数々の偽証がなされ、その上、裁判官の支離滅裂な判示によって意図的につくり出された判決とのつよい疑いをもたないわけにはいかない。風間さんは今年になって風間さんを支援する意図で発行されている冊子「ふうりん」誌上でご自身の無実を訴える文章を連載している。今回は「冤罪を訴える ~まやかしの判決書~3」をお届けしたい。多くの方にぜひ以下の風間さんの声に耳を傾けていただきたく思う。そうすれば、この判決がいかに欺瞞に満ちた不公正なものであるかがどなたにも解っていただけるものと信じる。(なお文中の「K事件」とは、「埼玉愛犬家連続殺人事件」において最初(93年4月20日)に起きたK氏殺害事件のことである。「S」は主犯関根氏、「Y」とはもちろん共犯Y氏のこと。)


 「冤罪を訴える」  ~まやかしの判決書~3 《K事件の共謀はあったのか?》 (「ふうりん」№15)
 SもYも認めている事実として、1993年(平成5年)4月19日にSとYは、K氏等とソープランドや寿司屋で遊興をしてK氏を油断させた上で、言葉巧みに嘘の売買代金返済話をし、K氏を翌20日の夜、佐谷田車庫に誘い出しました。
 そしてK氏を殺害し、SとYは、その遺体をY車ミラージュのトランクに入れて群馬県片品村のY宅に搬入して、解体・焼燬・投棄をしました。

偽りの「事件共謀の認識共有」の認定 
 確定判決では、
① 私は、K氏との紛議(キャンセル話)が続いていることを十分承知した上で金銭的解決を拒絶し、K氏殺害の認識をSと共有し
② 殺害後は、片品村のY宅に搬入して解体遺棄し証拠隠滅するとの謀議を遂げて、それを実行するに至った。
③ 何の根拠も示すことなく、ただひたすら「紛争は解決ついたと思ってた」と述べるばかりの私の供述内容は極めて不自然で信用し難い。一方、全ての事前共謀は成立していたというS供述は成り行きとして自然で、その信用性に疑いを差し挟む余地は乏しく、その限りにおいては十分信用できる。
として、SとYとで行われていた事件の内容・流れは全て私も共謀して容認・存知していたものであると認定しました。

裁判所のまやかし 
① K氏とSとの紛議や売買に関して私は、以下の通り供述しております。
 SからK氏へ販売するローデシアン・リッジバック(以下、ローデシアン)牡(オス)の輸入を頼まれた私は、1993年3月15日に注文をし、その代金(トレッカー分)を3月25日に送金しました。
 数日後、Sから、K氏からローデシアンのキャンセルを求められている旨の話を聞きましたが、すぐに、「K氏からのキャンセル話は解決した」との報告があり、更に、別口KW氏へのローデシアン牡(バード)の輸入注文手続きを進めるようSから頼まれました。
 ところで、当時のローデシアンの注文・送金状況は、以下の通りです。

 注文日    送金日 送金額 性別・名前
1993.1末頃  2.15   7,000US$ 86万0350円 牝 モカ、ルナ
1993.3.15  3.25   10,687US$ 126万9737円 牡 トレッカー
1993.4. 2  4.20  12,000US$ 135万1800円 牡 バード
1993.4.15   4.22   9,000US$ 101万4450円 牝 チャラ

 K氏とのキャンセル話は解決してると聞いていましたが、確認を再度Sにして私は、バードの注文を4月2日にし、そして事件当日の11時頃に銀行に出掛け、12時頃にバード分の送金手続きを済ませました。
 裁判所や検察によれば私は、金への執着心が強く、金銭に細かい人間であり、当時金銭的余裕がなく「金への強い執着心」が事件の動機である、と言います。
 その通りであったのなら、事件の事前共謀をしていたといわれる私が、必要のない犬の代金を、それも135万円余りもの無駄となると判っている金額を送金するという事があり得るでしょうか?
 事件が起きる事を知っていたのなら、トレッカーをKW氏の注文分へ代替すればよく、バードの送金は必要ない、ということになるのです。
 裁判所は、「風間は、何の根拠も示すことなく、ただひたすら「Kとの紛争は解決がついたと思っていた」などと述べるばかりなのであって、その供述内容は、極めて不自然というほかはない。」との認定をしていますが、事件当日の送金事実は、キチンとした『根拠』であり、事前共謀がなかった事の証拠でもありませんか?
 また、裁判所は、私が「そのような紛争自体を知らなかったなどと」供述したと判示していますが、上記の通り、紛争があった事は聞いたが、それは解決した旨聞かされていたのです。
 裁判所は、私を有罪へと導くために、ここでも事実を歪めた判示をしているのです。
 尚、捜査当局により、取引金融機関等、金銭の流れなどは徹底的に調べ上げられておりますが、事件への私の共謀を指し示すものは、K事件を含め一切出てきておりません。

② 事件当日にSと私とが連絡を取り合っていないことは、私はもちろんですがSもYも「そして、Yの家に着いてからも、博子には電話をしていません」(S検面調書)、「Sが博子と連絡を取り合った事はありませんでした」(Y検面調書)と供述しております。
 ですから、私が「謀議を遂げて」いたとされる解体遺棄の進捗状況等について知り得ていなかったことは証明され、裏付けられています
 さて、4月21日の昼ころ、熊谷市のペットショップに、K氏夫人から「Sの居場所を知りたい」旨の電話が私に架かって来ました。
 私は、K氏夫人に、群馬県片品村のY宅の電話番号を教え、「Sは現在、片品村のY宅で生活をしているので、Y宅へ連絡をして下さい」と伝えました。
 この時の電話のやりとりについて、K氏夫人は、次の様に証言しております。
「いえ、すんなり、何も言うも言わないも、はい、分かりました、と、もうすぐに電話番号、教えてくれました。」
 K氏の兄弟達は、直ちにY宅へ電話を架けてSやYと話をした結果、その空々しい惚けた受け答えに不信感を増大させ、すぐ様、疑いを募らせたSの名前を出して警察へ届出をし、Y宅へ向いました。
 このK氏の兄弟から受けた電話について、SとYは以下の様に供述をしています。
「 Yが最初に電話で話していたのですが、何か怒鳴り合いをしているような状態でした。―― 中略 ―― 私は、Yの家になぜKさんの弟が電話をしてきたのか分からず、なぜ私達がYの家にいるのが分かったのか、不思議に思うと共に、怖くなりました。」(S検面調書)
「 この時、私は、Kの身内は、私等がKさんをどうにかしただろうと疑いを持っている事が判かり、心配となったのです。」(Y員面調書)
 そして、Y宅近くで見張りを始めたK氏兄弟らが乗っていた車を見つけたSとYは、片品村のY宅から逃げ出したのです。
「 Kさんの兄弟などが私達を疑ってここまで来たと思ったので、もめ事になり、乱暴をされるかもしれないと思ったので、会わないまま逃げ出したのです。
 そして、その夜はYと一緒に本庄インターで降り、近くにある適当なモーテルに入って泊まりました。」(S検面調書)
《疑問》裁判所が認定した様に、私が事前共謀をしていて、この計画犯罪の主動的役割をはたしている人間であったのなら、今まさに、事件の事後処理中かも知れぬY宅の在処を、K氏夫人に教えるなんていう事をするでしょうか?
 教えるということは、解体遺棄の現場に踏み込まれて現行犯逮捕されることにも等しい位の行為であり、事前共謀のみならず、事後共謀をしていた共犯者であった場合でも、自らを窮地に追い込む行ないであったのです。
 つまり、この行為は、私がこの事件の計画を知らなかった事の証である、と思いませんか? これでもSと私が一心同体の共謀者と言えるのでしょうか?
 また、SとYは、K氏の兄弟らからの電話や訪れについて、全く予期せぬ出来事であり、なぜ知ったのか不思議に思い、怖くなったと供述しております。
 この件からも、私がSにK氏夫人からの電話を伝え注意を促す様な意思の疎通を図り合える関係ではなかったことが明白であります。
 この様な事実があっても、「全ての事前共謀が成立していたことに疑いを差し挟む余地はない」となぜ裁判所は断定できるのでしょうか?

 ひたすらに裁判所を信じ、自己の無実を私は真摯に訴えてきました。しかし、裁判所は、あまりに杜撰で、不実な認定をし、私に死刑判決を下しました。それでも私は裁判所の正義を信じ、闘い続けます。応援をよろしくお願い致します。 風間博子 」


今回風間さんが取り上げている問題については、当ブログでもこちらで俎上に上げて真相追求を試みている。合わせてお読みいただければ有難く思うが、風間さんの上記手記にあるように、もし風間さんが主犯S氏と一緒にK氏殺害を計画していたのなら、K氏とは別人のKW氏から依頼されたローデシアンをわざわざ新たに注文する必要はないのである。すでに注文を済ませていたK氏用のローデシアンがあるのだから、K氏殺害後にそれをKW氏に渡せば済むのだ。裁判所は風間さんが金銭に対する異常な執着心をもつがゆえにK氏殺害を主張し実行したと判示しておきながら、K氏殺害後には、(支払いのみ済ませて)宙に浮くことになるしかないローデシアンの新たなる注文については、その意図にも理由にも何の判断も示していない。示そうにも示しようがなかったからにちがいないのである。それでいて、裁判所は、「風間は、何の根拠も示すことなく、ただひたすら「Kとの紛争は解決がついたと思っていた」などと述べるばかりなのであって」と判示しているが、これは実体をごまかそうとする意図をもった「不正義」以外のなにものでもないだろう。

また、4月20日ついに帰宅しなかったK氏の身を案じてK氏の奥さんが翌日の昼頃風間さんのペットショップに電話をかけてきたとき、風間さんは電話の主がK氏の奥さんであることを理解すると、「Sはここにいるはずです」と言ってすぐにY宅の電話番号を教えている。このことも上の手記で風間さんが主張しているとおりなのである。風間さんは自分がK氏の奥さんに電話番号を教えたことをY宅にいるS氏に連絡していないし、S、Y氏ともなぜK氏の家族(弟さんやお兄さん)がY宅の電話番号を知ったのか、またその後Y宅を急襲してきたのか、その経緯も理由も分からず、「心配」し、「不思議に思うと共に、怖くなり」、Y宅を逃げだしてその夜は余所に泊まっている。風間さんと、SおよびYとの間にあるのは断絶のみなのだ。裁判所はそのことを重々承知していながら、「風間とSとの運命共同体」などという絵空事の物語をこしらえて、風間さんを殺人犯に仕立てあげたのではないか。どうもそうとしか考えようがないように疑われるのである。
2013.06.11 Tue l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (8) トラックバック (0) l top
当ブログは、1993年に発生した「埼玉愛犬家連続殺人事件」で主犯の一人として1995年1月に逮捕され、2006年に死刑が確定した風間博子さんの判決には重大な矛盾があると見て検証と批判を行なってきました。今日は、確定死刑囚として現在東京拘置所に収監されている風間さんが自身の潔白を訴えた文章を掲載します。これは、「無実ながら獄中にある風間博子さんと社会をつなぐ交流誌」として支援の人々によって発行されている季刊誌「ふうりん通信」の13号(2012年10月発行)および14号(2013年2月発行)に掲載されたものです。この事件は1993年の4月から8月にかけて連続して発生した3件の殺人事件ですが、裁判所はこのうち風間さんが1件目と2件目の2事件を元夫と共謀して計三人(最初の事件では一人、次の事件では二人)を殺害したと認定しました。今回風間さんが取り上げているのはその2件のうちの最初の事件である「Kさん殺害事件」です(このブログでは、ここここなどで詳しく書いています)。当事者である風間さんの以下の文章における説明・主張にぜひよく耳を傾けていただければと思います。


 「冤罪を訴える」 ~まやかしの判決書~2 《K事件共謀認定の虚偽》(「ふうりん」№13)
 1993年(平成5年)に起きた本件は、4/20のK事件、7/21のE・W事件、8/26のS事件の3件4人の殺人事件です。
 ただし、私は、三件目のS事件では、訴追されていません。

偽りの「運命共同体」事前謀議成立認定
 私は、K事件が起きた夜、事件のことはもとより、アウディの所有者や搬送の真の目的を知らぬまま、東京八重洲地下駐車場までアウディを放置しに行くYの帰り足のため、Yと行動を共にしました。アウディはK氏の車でした。
 このことは、取調べの時から(公判でも)認めています。

 当時、主犯Sと共犯Yは、群馬県片品村のY宅で共同生活をしており、この日私は、SとYとは一度も顔を合わせていません。ですから、殺害の事前共謀も、準備行動も、していません。因みにSとは、電話での話もしていません。
 そこで、裁判所は、Sの指示でアウディを放置しに行くことになったYが、私の所に依頼の電話を掛けていた時には既に、Sと私の間の共謀が成立していたと認定しました。
 確定判決は、
① 深夜にもかかわらず、私が直ちに電話口に出たこと。それについて私が『すぐに出られたのは「偶々(たまたま)、電話機の傍らにいただけである」』と不自然な供述をしていること。
② 私が、その理由も聞かないまま、Yと行動を共にすることを承認したこと。
③ Yが、深夜の車放置という異常かつその裏に何らかの重大な犯罪が起きていることを窺知させる行動に及んでいるのに、最後迄、その理由すら一切聞こうともしないまま、行動を共にしていること、
を理由に、私が事前共謀をしていたと認定しています。

裁判所のまやかし
①の件  まず、裁判所は「深夜」と言いますが、電話が掛かって来たのは、午後11時頃です。人それぞれでしょうが、私には深夜ではありませんでした。それよりも、裁判所は、私が、偶々、電話機の傍らにいたのだと供述したと判示していますが、私は、そんな供述は、一度もしていません。
  私は、「ベッドの上でテレビを見ていた時、Yから電話があった。ベッドの枕元に置いてある本棚に電話の子機を設置してあるので、電話があればベッドの中でも、いつでもすぐに電話機を取れる様になっていた」と供述しています。裁判所が勝手に供述を歪め、不自然にしているのです。
②の件 ここでも裁判所は、私が「何が何だか分からないまま、それをその場で了承し、Yと合流した」と供述したと、嘘の判示をしています。
  私は、『前日Sから「Yには俺の仕事で色々動いてもらっているので、Yに用を言われたら出来るだけ動いてくれ」と言われていた。Yは電話で「車を東京に置きに行きたいんだけど、帰りの足のため一緒に行ってくれるか?」と言った。私が「どうしたの」と聞くと、Yは「社長(S)から聞いてる?」と言ったので、Sが言ってた話はこれかとわかったので了承した』と供述しています。裁判所はわざと私の供述を疑わしい物に作り変えているのです。
③の件  Yの元妻や愛人は東京に住んでおり、当時Yは彼女らと車の貸し借りをよくしていました。
  また、その様な事実がなかった場合でも、私が自分の車で東京迄往復するだけのことで「異常かつその裏に何らかの重大な犯罪が起きていることを窺知する」でしょうか? 裁判所は故意に、胡散(うさん)くさい話にしているのです。
  裁判所は「犯跡隠蔽のためにYが動いていることは明瞭」なのに「Yの行動に特段の違和感も危機感も持っていなかった」という私の供述は、真実味に欠けているというほかない、と言います。
  アウディは血がついていたわけでもヘコんだりしてたわけでもありません。普通の生活を営んでいる人間がどこで「異常」とか「犯跡隠蔽」と思えるのか私には判りません。

供述を意図的に悪意のでっち上げをする悪辣さ 
 この他にも裁判所は、上記②の私の供述を、Yから言われた言葉を「東京に車を置きに」ではなく、「車を捨てに行く」と言いかえたりして、私の供述の信用性を減失させ、世間の目を欺こうとしています。
 アウディ搬送に係わる数々の状況は、私の共犯度数を下げ、Yの共犯度数を上げるものであるのに、裁判所は「運命共同体論」を持ち出して、「M事件の共通認識」があるからSと私の間では特別な話し合いがなくても事が足り、共謀が成立するのだと、信じられぬ程の無責任な認定で死刑判決を下しています。
 アウディ放置のためにYが私と合流する迄にとった行動は、極めて不自然かつ不合理なのですが、裁判所は問題にもしません。この件については、次回にでも書きたいと思います。
 公平中正であるべき裁判所は、私の供述を故意と思われる虚偽内容に変え、詭弁の認定をしており卑劣すぎます。応援よろしくお願いします。(風間博子)


 「冤罪を訴える」 ~まやかしの判決書~2 《川崎事件共謀認定の虚偽 その2》(「ふうりん」№14)
 埼玉愛犬家連続殺人事件一件目の川崎事件で、私が関わったのは、Yの電話をうけて、Yの帰り足のために、その意味を知らぬままアウディ(K氏の車)の放置に同行してしまったことのみです。

偽りの「アウディ放置」事前共謀認定
 1993年(平成5年)4月20日、K氏を殺害した主犯Sと共犯者Yは、川崎氏の車をシャッター付の佐谷田車庫(埼玉・熊谷市)に隠し、その遺体をY車ミラージュにのせて群馬県片品村のY宅(当時のSとYの居住地)へ行きました。
 Y宅に遺体を運び込むと、解体の準備を終えたYにSは、アウディを放置するため出発する様、指示しました。
 Yは関越自動車道に沼田I.Cから入り、途中の上里SAで私に電話を入れ、Yと私は、東松山I.Cを出た所(熊谷寄り)で合流しました。
 確定判決では、
① 私が「何が何だか分からないまま、これをその場で了承し、Yと待ち合わせ場所を決めて合流した」と、不合理な嘘の供述をしていること。
② 私が「暗くて車種は分からなかった、アウディがK氏の車とは知らない」と単なる言い逃れの虚偽弁解をしていること。
③ 合流した時に私がYに「東京へ放置しに行こう」と指示していること。
④ Yの供述内容を仔細に検討しても、その内容は極めて具体的で迫真性に富んでいるばかりでなく、何ら不自然・不合理な点も存在せず、待ち合わせ場所へ向かったYの行動は誠に自然なものである。これに相反し、共謀を否定している私の供述は、極めて不自然かつ虚偽に満ちており、全く信用することができないこと、
等を理由として、Sと私が事前共謀をしていて、私がK氏殺害を知った上でアウディ放置に行ったと認定しました。

㊟ 確定判決で言う「Y供述」とは、法廷でY自身が、数々の便宜供与の司法取引で作成された検事の作文調書である、とその信用性を否定している取調べ段階の調書内容のことです。

裁判所のまやかし
①の件  前回の②で説明していますので、省略いたします。
②の件  私は『その時はYとはぐれてはいけないと思い、Yの運転する車を後ろからよく見て走っていた。Yの車の形・色・ナンバー等も頭に入れて走っていた。エンブレムも読んでいたので、その時は分かっていたが、車種は今は忘れてしまった。』旨、取調べでも公判でも供述しています。
  裁判所は、嘘の話でワザと私の供述をいぶかしい物にしているのです。
  また、関係各証拠から、K氏は前月迄、別の車(日産サファリ)に乗っていた事が明らかであり、交流のなかった私が、アウディがK氏の車だと知らなかった事は言い逃れでも何でもなく、何ら不思議はありません。
③の件  裁判所がこちらの異議申立てを棄却して採用したY自身の公判調書には、「放置場所はSから東京と指示された」とあり、また、東京八重洲地下駐車場と決めたのは自分(Y)である、と明確に理由付きで認めています。
④の件  裁判所は、Yは殺害には一切関与しておらず、K氏を殺害したSにその遺体の前で脅かされ、死体損壊遺棄を手伝わされただけである、としています。
  そして、Yの行動には、誠に自然で、何ら不自然・不合理な点は存在しない、と判示しています。
《疑問1》 裁判所は、YはSに命じられて片品から待ち合わせ場所へ向ったのだから、その行動は誠に自然だと言います。
  また裁判所は、YがSに従ったのはSの脅しによるとも認定しています。とするとSは、Yが裏切ったり協力を拒否する事態が起きぬ様気をつけていたと考えねば不合理です。警察にかけこまれればSは遺体解体中である状態であるのに、Yをアウディ放置の為に解き放すのは、はたして自然でしょうか。
  Yに対しての絶対的な信用があったからこそSは自分の看視下にYを置かずに、解体を進められたのです。
《疑問2》 片品を出発し東松山I.Cを下りたYは、合流地点を通り過ぎ、熊谷市内の佐谷田車庫でアウディに乗り換え、合流地点へ戻り、合流後東京へ向っています。
  右図で判る通り、私の自宅と佐谷田車庫はごく近くです。仮に判決の様に、私が共謀していてYの連絡を寝ずに待ちすぐに電話に出たという状態でしたら、私が佐谷田車庫でアウディに乗りYと合流した方がずっと合理的で自然であるはずです。真の共謀者は誰でしょうか?
  更に、私が真の共謀者であったなら、帰路は鉄道等でどうにでもなるのですから、一人で搬出できてたのです。
  なぜYはこの様な無駄な動きをしたのでしょうか? SもなぜYにそうさせたのでしょうか?
  それは、私が車庫にアウディがあった事を知らず、事件の共謀がなかったという裏づけと思いませんか? (風間博子) 
 」


以上、風間さんの直筆による訴えです。読んでくださった方はどのように感じられたでしょうか。なお、「ふうりん」№13の風間さんの文章を読んだ後、私も次回の“№14”に以下の文章を投稿しましたので載せておきます。


 またしても不可解な裁判官の判示あり!
 「ふうりん通信 №13」の「冤罪を訴える」を拝読しました。私は一審以降の判決文・弁論要旨・論告などの裁判資料をいくらか詳細に読んでいますが、ここで当事者である風間さんがKさん殺害事件についてされている説明は、私たちの日常生活の経験則からいっても、またこの場合の具体的な事情・事実関連からいっても、まったく整合的で自然なものであると感じます。1993年(平成5年)4月20日、Y氏から夜の11時前後にかかってきた電話の依頼に応じて、車を東京の駐車場まで運ぶ手伝いをしたのは、その前日、ペットショップにやってきたS氏から「Yには日頃から世話になっているので、用事を頼まれたらできるだけ応じてやってくれ」と言われていたので、電話でY氏が「東京まで一緒に行ってくれる?」「社長から聞いてる?」と言った時、風間さんが、「昨日のSの話はこのことだったのだな」と思って「いいよ。」と返事をしたという流れはごく自然なものと言えるのではないでしょうか。当時の風間さんはS氏と離婚・別居してホッとした心境だったものの爆発しがちな性格のS氏の依頼や指示にはできるだけ逆らうまいとしていたと述べています。そのことは法廷でも、弁論要旨においても明確に述べているにもかかわらず、これを裁判所は一蹴し、「深夜の車放置という異常かつその裏に何らかの重大な犯罪が起きていることを窺知させる行動に及んでいるのに、最後迄、その理由すら一切聞こうともしないまま、行動を共にしている」と断定しています。じつに不可解なことです。判決中の「放置」という言葉も不正確な用い方ではないでしょうか。駐車場に車を置くことは、一般的には「預ける」行為であって、「放置」行為ではないでしょう。勝手にそのへんの道ばたや山野などに置き捨てにする行為とは全然異質の行為のはずで、風間さんが「(車を)置きに行く」と思ったというのは当然のことだと思います。また、夜の11時に電話をかけて車の移動の手伝いを依頼したY氏の行動を「重大な犯罪が起きていることを窺知させる行動」という判断も、こちらのほうこそ「異常」ではないかと思います。現に、「愛犬ジャーナル」誌の発行者であり、ベテランのブリーダーでもあるKK氏は、一審の法廷において風間さんのこの時間における外出について尋ねられると、「犬のブリーダーは(犬の)出産などで深夜に動くことが多いので、何ら異常を感じない」と証言しています。しかし、判決は風間さんに有利なこのような証言は一切黙殺した上で、上記のように「異常」とか「重大な犯罪が起きていることを窺知させる行動」などと決めつけているわけです。

このように、判決には不可解なことがほとんど無数といっていいほどあるのですが、最近、判決文を見ているうちにまた新たな疑問点に出くわしました。これはKさん殺害事件につづく第二の事件であるE・Wさん殺害事件に関してのことです。風間さん側は、EさんとWさんが殺害されるうちわ祭りの日(7月21日)は、「犬の治療のために昼間万吉犬舎に行ったが、(渋滞を避けて)クレフはペットショップに置いてバイクで行った」と主張しています。下記のとおりです。

「被告人風間は、平成5年7月21日午前9時頃起床し、クレフに乗って長女Nと午前11時頃、八木橋のペットショップに行き、…(略)…午後3時頃、被告人風間の母が店にやって来て、Nの相手をしてくれたことから、被告人風間は午後4時頃、バイクで万吉犬舎へ行き、…」(第一審弁論要旨)

ところが、判決文は、風間さん側のこの主張に対して次のような判断を示しています。

「…風間は、「自分は、(本件犯行当日である)7月21日はうちわ祭りで熊谷市内が混雑していたため、バイクを運転して万吉犬舎に行ったりしており、クレフは終日大原の自宅に置いてあったので、それを運転してE方に行った。」旨弁解し、その弁護人らは、これを前提として、警察が実施していた被告人らを視認対象とする行動確認結果を記した甲628添付の行動確認日誌写しに現れている万吉犬舎への人車の出入状況からすると、クレフが本件当日に万吉犬舎あるいはその付近に来ていないことは明白であり、したがって、風間を含む三人でカリーナバンに乗って遠藤方に向かい、E、W殺害後三人で二人の死体を乗せた右カリーナバンで万吉犬舎に立ち寄り、同所に置いてあったクレフをYが運転し、風間がカリーナバンを運転して片品村に向かったとのY供述も、三人がカリーナバンで万吉犬舎に立ち寄り、同所に置いてあったクレフを加えた二台の車に分乗してE方に向かい、本件犯行に及んだとするS供述も虚偽であり、一人遅れてクレフでE方に赴いたとする風間の供述こそが真実であると主張する。しかしながら…」(第一審判決文)

お分かりのように、風間さんは「クレフに乗って長女Nと午前11時頃、八木橋のペットショップに行き」、「(クレフはペットショップに置いて)バイクで万吉犬舎へ行」った、と述べているのであり、裁判官が言うような「クレフは終日大原の自宅に置いてあった」などとは述べていません。はたして裁判官のこの記述はどのような意味をもっているのでしょうか? 単にミスをおかしたのでしょうか? それも考えられなくはありませんし、そうだとしたら死刑事案に対してのこういう気の緩みは許しがたいことです。けれども裁判官は三名います。判決に重大な影響を及ぼすことが明白なこの一件に関して、裁判官三人が三人そろって自分たちの過ちに気づかないなどということがはたしてあるのかどうか。私にもいまだ正確な判断はできていませんが、ただもし裁判所の上の記述が故意によるものであるとしたら、この日ペットショップに風間さんの娘さんとお母さんがいたこと、犬舎から帰ってきた風間さんともども親子三代でうちわ祭りの見物に行ったことなどに照明があたることを裁判所が忌避したということも考えられるだろうと思います。風間さんや「ふうりん」読者の皆さんはどのように考えられますか? 」

風間さんと弁護人がこの日「クレフに乗って長女Nと午前11時頃、八木橋のペットショップに行」ったと述べていることに私が気づいたのは、実はこの文章を書く少し前のことで、第一審の弁論要旨をあらためて読み直してみたからでした。それまで私も判決文の記述を信じて風間さんのクレフはこの日終日自宅に置かれていたと思っていました。まさかこういうまったくの客観的事実において判決文が明白な過ちをおかしているとは思ってもいなかったので、このことについては何ら疑問をもたずに、弁論要旨のこの記述もあっさり読み流し、見逃していたのでした。
2013.03.23 Sat l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top
最高検の岩橋義明公判部長が電車の運行を妨害した疑いで警察に取調べられたという事件は各メディアで広く報道されたが、当ブログでもこの件を10月5日にこちらで取り上げた。というのも、当ブログでは「埼玉愛犬家連続殺人事件」で殺人の共謀共同正犯の片割れとして死刑を宣告された風間博子さんについて、検察による不公正きわまりない取調べを基とした判決によって死刑を押しつけられた疑いが濃厚であることをずっと述べてきているのだが、その捜査を主導した検察官が、今回電車運行妨害で渦中の人になった岩橋義明氏に他ならなかったからである。その岩橋氏に対し、最高検は去る16日処分を下した。岩橋氏は最高検の「公判部長」から「総務部付」に異動させられたとのことである。

「 最高検公判部長:電車遅らせた問題で更迭 動機説明せず
 最高検の岩橋義明公判部長(58)が電車の運行を遅らせたとして警察に事情聴取された問題で、最高検は16日、岩橋部長を厳重注意とし、法務省は同日、岩橋部長を最高検総務部付に異動させた。後任には長谷川充弘(みつひろ)最高検検事(58)を充てた。
 最高検によると、岩橋前部長は9月28日午後11時25分ごろ、横浜市青葉区の東急田園都市線あざみ野駅で、乗っていた電車のドアが閉まる際に自分のかばんを何度も挟み、発車を約4分遅らせた。運転士が前部長を見つけ、警察に引き渡した。庁舎内で酒を飲み、帰宅途中だったという。
 調査した最高検は前部長の故意を認定する一方、動機については「差し控えたい」と説明しなかった。前部長が乗った電車では前の駅でもドアが閉まらなかったが、最高検は前部長の行為と断定できなかったとした。
 渡辺恵一最高検次長検事の話 誠に遺憾。国民の皆様に深くおわびしたい。」( 毎日新聞 10月16日)

運行妨害が「故意」だったかどうかについては、この事件が表沙汰になった10月4日の読売新聞によると、「岩橋部長は1日、読売新聞の取材に対し、 「酒に酔って電車のドアにもたれて立っていた。カバンが挟まっていたことには気付かなかった。仕事のストレスもあった」と説明した」とのことだから、本人は当初「故意」を認めていなかったわけである。でもそんな言い分が通用するはずがなかった。岩橋氏が運行を妨害したのはあざみ野駅だけではなかった可能性が非常に高いのだ。この点につき、「前部長が乗った電車では前の駅でもドアが閉まらなかったが、最高検は前部長の行為と断定できなかったとした 」という最高検説明も全然筋が通っていない。10月4日の最初の報道で下記の情報が複数の報道機関によって伝えられていたからだ。

「捜査関係者や東急によると、岩橋部長は9月28日午後11時25分頃、あざみ野駅で清澄白河発長津田行き普通電車のドアに、持っていたカバンを挟み、発車を遅らせた。 6駅手前の溝の口駅から、駅に停車する度に同じドアが閉まらなかったため、駅員があざみ野駅で岩橋部長に事情を聞き、同署に引き渡した。岩崎部長は帰宅途中で、酒に酔っていたという。同線下り線の数本が最大約15分遅れた。」(読売新聞10月4日)

「東急電鉄によると、同線では28日夜の急行電車で、三軒茶屋、二子玉川、鷺沼などの駅に停車した際、男性がドアにかばんを挟み、発車が遅れたことがあった。 男性は普通電車に乗り換えた後のあざみ野駅でも同様の行為をしたため、警察官に引き渡したという。」(中國新聞 '12/10/4 )

上記の「 6駅手前の溝の口駅から、駅に停車する度に同じドアが閉まらなかった 」「 28日夜の急行電車で、三軒茶屋、二子玉川、鷺沼などの駅に停車した際、男性がドアにかばんを挟み、発車が遅れた 」などの発言は東急電鉄側から発せられており、複数の駅でーーおそらくは計7つの駅で!ーー同じドアが閉まらなかったという事実関係に疑問の余地はないだろう。したがって、 あざみ野駅以外の駅での運行妨害については、 「前部長の行為と断定できなかった」という最高検の発言はごまかし以外の何ものでもないと思われる。それを認め「断定」したら岩橋公判部長の行動の異常さが否でも応でもいよいよ明白になること確実なので、組織防衛のために「断定できなかった」と述べたにすぎないのだろう。

小中学生が固まって乗車している場合に、集団心理に唆されてついそういう行為をやるはめになってしまったというのならともかく(しかし実際には私は小中学生についてのそういうイタズラ話を聞いた記憶はないような気がするのだが?)、 ダイの大人、それも最高検の公判部長の職責にある人物が、乗車している電車が駅に到着する毎に周囲の目を盗みながら一人でこっそり運行妨害に耽っている心理は謎でもあり、薄気味悪くもある。これが即事故に繋がるようなことはまずないとしても、乗客の迷惑もさることながら、電車の操縦者や駅員などの関係者に要らぬ不安をあたえる行為であったことは確かだろうと思えるからだ。

「埼玉愛犬家連続殺人事件」において岩橋氏が事件の共犯者Y氏に対して行なった取調べ手法と今回の事件とを直接結びつけたり関連づけたりすることはできないが、かといって双方が完全に無関係だと言い切ることもできないような気が私にはするのである。「岩橋義明・最高検察庁公判部長が電車の悪質な運行妨害」というブログ記事にこの事件と岩橋氏について下記の記述があった。

「 全国で進む、検察による被疑者の取り調べの録音、録画の可視化を検察庁として採用するか否かを判断する中心人物だった/連続7駅同じドア閉まらず、東急いなか都市線の電車の運行を15分以上遅延させても平然としていたという/岩橋義明・最高検察庁公判部長自身が刑事訴訟の総指揮をしているから、自分は絶対に有罪にならない自信があるのだろう/こんな御仁に検察のシナリオを呑まされ、でっちあげで有罪にされた被害者は多いのではないか/以下引用 の岩橋義明・最高検察庁公判部長の連続の犯行をまさか 『連続7駅同じドア閉まらず』を偶発事故として処理しないでしょうね 」

岩橋氏が「 検察による被疑者の取り調べの録音、録画の可視化を検察庁として採用するか否かを判断する中心人物だった 」という話は初耳だが、ありえないことではないのだろう。「埼玉愛犬家…」の裁判資料に現れている岩橋氏の非常識な取調べ状況やその姿勢を思い起してみると、「 被疑者の取り調べの録音、録画の可視化 」問題に対していったいどのような姿勢で取り組み、どのような判断を示しているのか見てみたい気もする。物事の正確な判断を下すために必要とされる健全な理性をこの人が欠いていることは、今回の事件にも如実に表れているだろう。さて、「 こんな御仁に検察のシナリオを呑まされ、でっちあげで有罪にされた被害者は多いのではないか 」というこの方の記述を読んで、私が即座に風間さんの姿を思い浮かべたことは言うまでもない。風間さんは岩橋検事に取調べられたわけではないので、共犯者のY氏を通した間接の被害者になるわけだが。

なお、岩橋氏とY氏の間で行なわれた一種の「司法取引」(これについてはY氏が法廷で暴露しているし、判決文もその存在を暗に認めている。 )のようなことは、「この事件のように証拠がきわめて少ない場合はある程度取引のようなことも仕方ないのではないか。」という考え方もあるだろうと思う。実際そういう意見を聞いたこともある。現実面を考慮すれば、私もその種の考えを一概に否定できないとは思う。ただその場合の絶対条件は、何にもましてその取引が他の人にたとえ一寸でも害をおよぼすようなことがあってはならないということだろう。取引相手の犯罪を別の人に肩代わりさせることで立件をなすなんてことは、当の犯罪に勝るとも劣らない重大な犯罪を取調べ官自らもう一つつけ加えて積み重ねることに他ならないだろう。少なくとも「埼玉愛犬家連続殺人事件」ではそのような疑いがきわめて濃い捜査が現実に行なわれたこと、これは事実に即して確実なことである。
2012.10.20 Sat l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top
今年2月20日に最高裁で「光市母子殺害事件」の元少年に対する上告棄却の判決が下り、元少年の死刑が確定したとき、この判決について検察を代表して見解を述べたのは、最高検の岩橋義明公判部長であった。

「社会に衝撃。妥当な判決」 最高検がコメント(2012.2.20 17:26)
 光市母子殺害事件の上告棄却を受け、最高検の岩橋義明公判部長は「少年時の犯行とはいえ、社会に大きな衝撃を与えた凶悪な事件であり、死刑判決が是認された本日の最高裁判決は妥当なものと考える」とのコメントを発表した。」

私は、岩橋義明氏の名を、「埼玉愛犬家連続殺人事件」の捜査官、また容疑者の一人として逮捕され、死体損壊・遺棄罪で3年の実刑判決をうけたY氏の取調べ担当検察官(浦和地検熊谷支部)としてよく聞きおぼえていた。この事件は1993年に4月、7月、8月と3件連続して引き起こされた殺人事件で、被害者は4名の人たちであった。それからおよそ1年半後の1995年1月に関根元、風間博子、Yという3人の人物が容疑者として逮捕された。が、きわめて証拠の乏しいこの事件において岩橋検事は自身が取調べたY氏と実質的な司法取引をすることで事件全体の筋書きを描き、構成し、立件したことはその後の経緯をみるとまず間違いないように思われる。すなわち、3人の容疑者のうちY氏に対しては初めから殺人罪は問わないこととして捜査協力を要請、Y氏もこれを了承し、最終的にY氏は殺人とは無関係の「死体損壊・遺棄罪」での起訴とされた。これは第三者にはまったく不公正なY氏への好遇(?)としか言えないのだが、しかしY氏自身は取調べ段階において岩橋検事との間に起訴猶予、最悪でも執行猶予で早期に釈放との約束があったといい、その釈放の約束が一向に実行されず、あろうことか有罪判決まで言い渡されてしまった、ということで「騙された」と不満たらたら、検察官とりわけ岩橋氏に対して非常な怒りをいだいたようである。

検察は結局Y氏の代わりに、偏見のない目で虚心に見れば無実の証拠がいくらでも存在するとしか思われない風間博子さんを2件・3名の人物に対する殺人の共謀・実行の主犯として関根元氏とともに起訴した。最大の問題は、いたるところで論理的矛盾を露呈しているこの筋書きを裁判所がそのまま採用し、判決に適用して風間さんに死刑判決を下したことだが、とはいえ「本件は徹頭徹尾、共犯者であるYの供述に完全に依拠した捜査が行なわれ、Y供述にのっとった捜査当局の事件のストーリーが完全に構築された上で、強制捜査が行なわれ、Y供述に従った自白を被告人両名から獲得すべく捜査、取調べが行なわれた事件である。」(第一審弁論要旨)ことにはちがいなく、岩橋検事が果たした負の役割はとてつもなく大きいのである。

その人が今や最高検察庁を代表して最高裁の重大判決について「少年時の犯行とはいえ、社会に大きな衝撃を与えた凶悪な事件であり、死刑判決が是認された本日の最高裁判決は妥当なものと考える」などと話しているのを見て、「よくもまぁぬけぬけと、偉そうに…」という一種の憤慨もおぼえたが、それと同時に、「埼玉愛犬家連続殺人事件」においてあれほど深刻な問題のある取調べ捜査を行なったことが歴然としている人物が、現にこうして検察を代表するほどの地位に就いている検察庁とは、いったいどれだけ腐敗した異様な組織なのだろう、という暗澹たる気持ちを押さえ切れなかった。しかもそのとき私は知らなかったのだが、知人によると、岩橋氏は他の事件でもよくメディアに登場して検察を代表して意見表明を行なっているということだった。

岩橋検事については、当ブログの「埼玉愛犬家殺人事件」のいくつかの記事において「I検事」として取り上げているのだが(こちらこちらこちら)、2月の光市母子殺害事件に対する岩橋氏のコメントを見たあと、この人物がY氏に対してどのような取調べを行なったか、そしてその取調べがどんなふうに「埼玉愛犬家殺人事件」の真相を歪めるはたらきをすることになったか、もう一度あらためてふれる気持ちになったのだが、当方の怠慢でついつい延ばし延ばしで今日まできたのだった。ところが、昨日(4日)夕方、岩橋氏に関する次の記事を見た。

「 最高検公判部長:ドアにバッグ挟み電車遅延 警察が聴取(毎日新聞10月04日)
 最高検の岩橋義明公判部長(58)が9月下旬、帰宅途中の電車内で自分のバッグをドアに挟み、電車を遅らせたとして神奈川県警に事情聴取されていたことが分かった。岩橋公判部長は「酔っていてバッグが挟まってしまった」などと話しているという。
 県警や検察関係者によると、9月28日午後11時すぎ、帰宅途中の東急田園都市線の溝の口−あざみ野駅間で、駅に停車していた電車のドアが閉まる際、公判部長のバッグが数回挟まって運行が約10分間遅れたという。岩橋公判部長は「酒に酔っていた。迷惑をかけてしまった」などと話しているという。」

この出来事は事件なのか事故なのかまだはっきりしていないようなので、これについて今どうこう言うことはできない。しかし、この人物が「埼玉愛犬家殺人事件」においてどれほどいかがわしく不正な取調べ行為を重ねたかは、何か機会あるごとにいくら言及しても過ぎるということはないと思われるので、これまでに書いた記事と重複する部分もあるかと思うが、弁論要旨と判決文(いずれも一審)から岩橋検事に関連する部分を引用しておきたい。まず弁論要旨から引用するが、ここに出ている「K子」という人は、Y氏の当時の内妻であり、また「S子」とは、Y氏の元妻のことである。警察・検察はY氏を取調べるために、その身辺を調査。その過程でこのK子という女性がちょっとしたトラブルをかかえていることを知り、Y氏をおびき寄せるために1994年の初冬に「詐欺罪」とかの微罪でまずこの人を拘束したようである。

「 Yの逮捕前の取調べ過程の異常性を示す事件は、K子の保釈手続きにまつわる一巡の経過である。
 すなわち、Yは、前記の通りK子が起訴された12月14日以降15日、21日、26日と連続して保釈請求をなしたが、いずれも証拠隠滅の恐れがあるために不相当との検事の意見が出され、保釈は実現しなかった。
 そのため、12月26日、担当の岩橋検事の事情聴取を受けたYは、K子の保釈の件を頼み、岩橋検事も上司にその旨伝えることを約したのである。岩橋検事は一般的説明をなしたに過ぎない旨弁解するが、取調べ担当検事にそのように言われたYがK子の保釈実現を信じたことは、本件公判におけるYの供述からも明らかである。
 Yは、捜査本部からのK子の国選弁護人である新井弁護士に対する電話連絡と面会日の取り決めという便宜供与を受けた上で、1月5日新井事務所を訪れるのである。
 同日、新井事務所を訪れたYは、同弁護士に対し、3回の保釈申請が不許可になっていることを知って渋る同弁護士に対し、「今回は大丈夫だ、検事が間違いなく出すと言っているので保釈申請してくれ、申請さえしてくれればよい」旨申し述べ、弁護士としての常識から、保釈が決まっているなどということはあり得ない.と考えた同弁護士による質問に対して、「自分は大きいヤマで現在警察に協力している、協力しなければできない事件なので自分がしゃべらなければ警察が困る、しゃべる代わりに保釈されることになっている、事件に協力するということで検事とは約束ができている、協力する代わりに自分は捕まっても起訴されないし、女房も保釈で出すと検事が約束してくれている」旨Yは説明しているのである。
 右説明にはYの絶対の自信が現われており、まさにYが検事と約束ができていると信じていることが表明されているのである。
 新井弁護士は、 「取引があるんだからやってみてくれ」というYの申し出に応じ、1月5日12時直前に保釈申請をした(弁第68号証)。
 ところが驚くべきことに、同日、K子は保釈が許可された上、釈放されることになったのである。さらにK子の保釈の検事の意見書には保釈相当かつ保釈金200万円と記載されているのである。
 弁護士にとって、保釈申請当日に保釈が許可になって釈放されるなどということは異例というより前代未聞と言うべきことであり、さらに保釈相当かつ保釈金額まで記載された検事の意見書など全くお目にかかったことはない。
 さらに、指摘すべきことは前述の通り、K子の保釈申請に対しては、それまで証拠隠滅の疑いがあった筈で、年末年始を経たのみでその理由が消滅しているのである。しかも、逮捕が予定されているY自身が身柄引受人になっているのである。
 これら一連のYのK子保釈申請の過程は、まさに警察・検察一体となった、Yの供述を得るために、K子の保釈について最大限の便宜を図るべしという完全な意思統一ができていたことを意味するものに他ならない。そして、Yが述べる通り、捜査当局とYとの間に取引が完成していた証左に他ならないのである。

3 取調べ過程の異常性
 Yは自ら述べる通り、捜査当局から壊れ物に接するような処遇を受けてきた。そして、逮捕・勾留後のYの取調べの過程では異常な事態が続発しているのである。
 ㈠ まず最も重要と考えられるのは、接見禁止が付されていないことである。
 殺人・死体損壊・遺棄事件、それも4名もの犠牲者が出ている重大事件において、それが共犯事件であれば接見禁止が付せられるのが常識である。
 とりわけ、本件の如く物証が少なく、1年余も経過し、さらに共謀関係、事件への関与の関係の捜査のために共犯者に接見禁止が付せられるのは、常識というよりも絶対に必要なことであると言わなければならない。
 なぜなら、これらを解明するためには、共犯者各人と共犯者以外の関係者を取調べることにより、証拠物の発見や、犯行に関連する会話等がなされているか否かが判明し、右共犯者各自の関与についての客観的な証拠が収集されることになるからである。
 このような場合、自由な接見が許されれば、これらの証拠の発見が不可能となるおそれがあるからである。
然るに、Yには一切接見禁止は付せられなかった。まさにこれは捜査当局とYとの間において取引と約束がなされていたことの証左であると共に約束の実現に他ならない。
 ㈡ 次に、岩橋検事は、接見施設のない検察庁内の部屋においてYがK子と島章子に面会することを許し、むしろ自ら接見するか否かをYに尋ね、これを許しているのである。
 また、検事は、YにK子への電話をすることを許し、さらにS子(前妻)とYを会わせたときは調べ室で会わせ、検事自らと事務官は退席までしているのである。
 検事は、取調べの日程があったため偶然であったなどと言うが、このようなことは到底信じられない。
 また、一般に検察庁においては、弁護人ですら接見施設のないことを理由に接見を拒否されるのである。
 このような取扱いこそまさに便宜供与以外の何物でもないのである。
 ㈢ Yは1月下句ころから、約束されていた筈の保釈申請が認められないために、いら立ち、検事に暴言を浴びせ、ふてくされた態度をとるようになり、検事の取調べ室のドアを蹴って「覚えてろ」などの捨てゼリフを言い、さらに保釈と調書への署名との取引を求めるなどしていた。
 そして4月1日、保釈に関するやり取りからYは興奮し、署名したばかりの調書を取り上げ、 「保釈するつもりはないんだ、それならこの調書を破ってやる」などと言うという事態が発生し、M刑事の電話での説得により、Yの要求通りそれまでの調書のコピーを渡してようやく事をおさめるという一幕も生じたのである。 」(第一審弁論要旨)

岩橋検事の了解の下で、Y氏が検察官の事務室で内妻や元妻と2人だけにしてもらい、時にはセックスまで許容されることがあったことは、すでに社会復帰していたY氏本人が「埼玉愛犬家殺人事件」控訴審の法廷で証人として堂々証言していることである。もしも1995年の時点で取調べ可視化が完全に実践されていたならば、このような事態は起こらなかっただろう。当然判決もまったく異なったものになり、今確定死刑囚として拘束の身の風間さんはとうの昔に社会に戻っていただろうと思う。次は一審判決文からの抜粋である。

「 (二) 逮捕後のYの供述内容、取調べ時における言動及びこれに対する検察官の対応等
 (1) Yは、平成7年1月8日にまずK事件(被疑罪名死体損壊遺棄)で逮捕されその勾留中の同月26日に同罪で浦和地方裁判所に起訴され、次いで、同年2月18日にE・W事件(被疑罪名前同)で再逮捕されてその拘留中の同年3月11日に起訴され、更に同月15日にS事件(被疑罪名前同)で再逮捕されその勾留中の同年4月4日に起訴されたが、これらの被疑事実については、M刑事及びI検察官の取調べに対して終始一貫してこれを認め、極めて詳細な供述をしている。この間、検査官は、Yがこれらの事件について死体損壊遺棄にとどまらず殺人にも関与しているのではないかと疑い、この点についても追及したが、Yは任意取調べの当時と同様殺人関与を強く否定し続けた。
 (2) 他方、Yは、K事件で起訴された後は、I検察官に対して、「(自分を)保釈にしてほしい。」などと要求するようになり、これが容れられないことが判明してくると、I検察官によるその後の取調べに際しては反抗的な態度を取ったり暴言を吐いたりするようになり、取調べ自体には真摯に応じていたものの、保釈が認められなかったことについての文句を繰り返し、また時には取調べや調書への署名を拒否したりするようになり、最後のころには、保釈の話を蒸し返し、それが受け入れられないと見るや、「それなら裁判で全部引っ繰り返してやる。」などと言い出したりしたこともあった。
 (三) 起訴後の自己の裁判における供述内容、供述態度、本裁判での証言時における供述内容、供述態度
 Yは、浦和地裁で聞かれた自らの各死体損壊遺棄被告事件の公判において、起訴事実を全面的に認め、捜査段階の供述と同趣旨の供述を繰り返す一方で、「I検事には証拠さえ出してくれれば何でも言うことを聞いてやると言われていた。」などと、同検察官との間で取引又は密約があったかのような供述をなし、また当裁判所に証人として出廷した際にも、右のような取引があったことをひたすら強調するような供述をする一方で、検察官等に対して極度に挑発的な態度を取るとともに、検察官及び弁護人らから事件に直接関係する事項について質問を受けると、「忘れた。」、「覚えていない。」などと実質的に殆ど証言拒否に近い態度を取り続けた。
 2 右に見たように、捜査段階でY供述が得られたことについては複雑な経緯があり、またY自身は本件についで詳細な告白をなしたことに対するいわば見返りとして捜査当局から様々な恩典を与えてもらいたいという思惑を抱き、妻の保釈、自己の保釈等を要求し、自己の保釈が容れられないと見るや、取調検察官に対して反抗的な態度を取ったり暴言を吐いたり、果ては取調べに応じることを拒否しようとするなど、功利的で厚かましい言動に出ていたのである。しかし、その一方で、Yは、検察官に説得されたりして結局取調べには応じており、またその本件各犯行についての供述内容自体は、任意出頭して供述を始めた当初から本人自身の裁判という最終的段階に至るまで終始変わっておらず、当裁判所に証人として出廷し、傲岸不遜極まりない態度で証言した際でさえ、自己の本件各犯行についてのこれまでの供述が虚偽であったなどとは遂に述べることがなかったのである。」(『一審判決文』)

この判決文には「捜査段階でY供述が得られたことについては複雑な経緯があり」と記されている。岩橋検事とY氏との間に「司法取引」と言われても仕方がない実情があったことを裁判官も認めているようである。しかしまた、判決文は、Y氏が「これまでの供述が虚偽であった」と法廷で述べなかったことが、さもさもこれまでのY供述の真実性の証拠であるかのように記述している。それだから「Y供述が得られたことについて」「複雑な経緯」があったとしてもそれは決してY供述の真実性を損なうものではない、と言いたいのだろう。しかし、ごく常識的に考えてみれば分かることだが、自分の裁判が進行中の段階で、「取調べ段階での自分の供述は虚偽であった」などとY氏が述べるはずがないではないか。ここで迂闊なことを言えば、自分が風間さんの代わりに殺人罪で逮捕される証拠の提供になりかねないのだから。裁判官がY供述の信用性の高さ、堅固さを判示するに際し、この程度の根拠・理由しか挙げることができないところにこの裁判の危うさがはっきり現れているように思う。なお、これまで岩橋検事についても他の人と同様仮名(I氏)にしてきたが、法曹者は公的な存在であると思われるので、今回から実名を記すことにした。
2012.10.05 Fri l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (1) トラックバック (0) l top
この事件の判決文は一審が400頁を超える長文であるのに対し、ニ審はその5分の1以下の77頁、内容も一審の事実認定を完璧に追認するものなので、検討する側としてはどうしても先ずは一審の判決文を取り上げることになる。そういうことで、これまで二審の判決内容に言及することは少なかったのだが、今日はこちらのほうも取り上げたい。

「風間が「ちんちんは気持ちが悪いからあんたやってよ」などと言いながら解体していた旨のYの供述は,経験した者でなければ語れない内容であるし,関根の同様の供述によっても裏付けられている。E及びWの死体をY方に運ぶだけならば関根とYの2人で足りるのであるが,2人の死体を短時間で解体して投棄消滅させる必要があったために風間もY方に赴いたものと合理的に推認できる。また,風間は,学校に行く子供の世話などがあるため,朝早くには熊谷に戻っている必要があったのであり,そのため,カリーナバンのほか風間の専用車クレフに分乗してY方に向かったものとみられるのである。風間が関根と共に,Eの死体の解体を行ったことは疑いなく認められる。」(二審判決文)

上の文章はこの連載の1回目に引用し、その際、冒頭の解釈についてはその奇妙さを指摘した。ついでに述べておくと、一審の判決文は、「風間のEに対する憎悪感情の強さはEの死体解体時の風間の行動、態度からも明瞭に看取できる」と書いていた。率直に言って、私は両裁判所のこのような解釈には裁判官自身が本当にこれを信じて書きこんでいるのかと多大な疑問を感じる。これではあまりに非現実的、荒唐無稽であり、滑稽でさえあるのではないだろうか。さて、今日はまず上の文の「E及びWの死体をY方に運ぶだけなら……」以降を取り上げる。

裁判官はここで事件後わざわざ万吉犬舎に立ち寄ってクレフを持ち出し、車二台で自宅に向かったというY氏の供述内容を一々理由を挙げて説明している。風間さんの供述は、自分は自宅からクレフに乗ってE宅に行った。万吉犬舎に立ち寄る必要はないし、事実立ち寄りはしなかったということである。一方、Y氏の供述はこうである。E宅には3人でカリーナバンに同乗して行った。自分はE宅には入らず外で待っていたので現場は見ていないが、関根と風間がE・Wの2人に毒を飲ませたことは間違いない。E・Wが死んだ後3人で遺体をカリーナバンの荷台に積んで片品の自宅に向かったが、その前に一旦万吉犬舎に寄り、そこに置いていた風間のクレフに分乗した。関根の命令により自分がクレフを運転して先導し、後ろを風間が運転し関根が助手席に座ったカリーナバンがつづいた。

これまで述べてきたように裁判官は風間供述については不自然で真実味を欠いていて信用できず、Y供述には不自然なところはなくその内容は経験者でなければ語れないものであって信用できると断言しているわけだが、ここでは裁判官は風間が片品まで同行した理由は遺体解体の手伝いをするためであり、万吉犬舎に寄ってクレフを持ち出したのは学校に行く子どもの世話のために翌朝早く帰らなければならない風間の足の便のためである、との判断を示している。E宅に行く前にクレフは犬舎に停め置かれていたのであり、従って風間がクレフで自宅からE方に行ったというのは嘘である、と強調しているのだと思われる。しかしこの判定もまた疑問が一杯というしかないものである。

前回と前々回、当ブログは風間さんが自宅からE宅に一人でクレフを運転して行ったという証拠が長男の証言と愛人MY 氏から掛かってきた電話で会話をしている事実を挙げて判決の不当性を指摘・批判したが、じつはクレフに関する風間さんのこの供述の真実性を示す証拠ーーそれもきわめて重大なーーは他にもあるのだ。この件は後述することにして、今は裁判所がその供述内容に絶大の信頼を寄せているY供述に戻る。Y氏によると、3人がE方に着いたのは夜10時ころだった。「関根が「待ってろ。」と言って風間と2人でE方に入って行った。」ので自分は外で待機していたという。その後のY供述の展開をもう少し見てみよう。

「 (4) それから20分か30分位して、Wが玄関から飛び出して来て県道の方に走って行き、その後1分位して風間が手ぶらで出て来た。風間は、代行(E)が急に具合が悪くなったので救急車を呼んでいるなどと言い、Eの家の中からは「代行、大丈夫ですか。今救急車を呼んだから。」などという関根の声がした。風間が出て来てから5分位して関根も出て来て、自分に車を持ってくるように指示してWの所に歩いて行ったので、カリーナバンを運転して関根らの所に行き、Wが助手席に乗り、関根と風間は後部座席に乗って出発したが、Wが「姐さんが籠原にいるからそちらに行こう。」と言うので、Wの指示どおりに走っていた。車は荒川の方に向かって走っていたが、走り出して7、8分経ったころWが突然「気持が悪い。病院に連れて行って下さい。」と言った。Wは靴を履いたまま両足を助手席のダッシュボードの上に投げ出していた。2、3分後にWが突然「うー。」とうなり声をあげて一瞬体を硬直させ、両足を強く突っ張ったため、左足と右足が付いていた場所を中心にフロントガラスの左下部の二か所にそれぞれ直径30センチメートルほどの蜘蛛の巣状のひびが入り、Wはそのまま動かなくなって死んでしまった。 しかし、関根も風間もこの様子を見ても全く驚くような様子はなかった。自分としては、(関根らが)Wに毒を飲ませて殺したに違いないと思った。関根の指示でカリーナバンにWの死体を積んだまま3人でEの家に戻ったが、その途中で関根に「お前は共犯者だ、死体処理を手伝え。手伝わなかったらカメラマンの女も生かしやしねえ。」などと言って脅された。
(略)関根の指示でカリーナバンにWの死体を積んだまま3人でEの家に戻ったが、E方に入ると、Eが仰向けで大の宇になって倒れて死んでいた。3人でEの死体もカリーナバンの荷台に運び込んで一旦万吉犬舎に立ち寄り、……」(一審判決文)

「Wが助手席に乗り、関根と風間は後部座席に乗って出発したが、Wが「姐さんが籠原にいるからそちらに行こう。」と言うので、Wの指示どおりに走っていたが……」という供述内容は二度、三度と読んでもなかなか内容を理解できなかった。籠原にいる姐さんとはE氏の奥さんか愛人のことのようだが、それまでE氏が急に具合が悪くなり救急車を呼んだなどの話をしきりにしていながら、その急病人を一人で放ったまま皆でスウーっと車に乗って走り出すという行動は不可解である。車に乗り込んだのは関根氏の命令のようだがその意図は不明、また運転しているY氏は関根氏の指示ではなく、W氏の指示に従って籠原という場所を目指して走っている。ところが7、8分たってW氏は「気持ちが悪い」と苦しみ出し、わずか2、3分で絶命したという。それからE宅に戻るとE氏もすでに死んでいたという。

Y氏はW氏の死を目撃し、またW氏の死に驚く様子のない関根・風間両人の様子を見て、「(関根らが)Wに毒を飲ませて殺したに違いないと思った」。ここからE宅に引き返すのだが、途中でY氏は関根氏から「お前は共犯者だ、死体処理を手伝え。手伝わなかったらカメラマンの女も生かしやしねえ。」などと言って脅されたという。

このY供述の最大の疑問点は上述したようになぜ具合が悪いと言い出したE氏を一人残して全員でE宅を出て行ったのか、特に関根氏が同行したのはなぜかということである。車で走行していた時間を供述から計ると、最低でも20数分、その間にW氏が死亡したという事情を考えると優に30~40分は走っていたことになるのではないか。これは何といっても妙である。Y供述のとおりにW氏が関根氏らによって毒を飲まされたのならE氏も同じ運命に遭っていることは確実だ。 W氏が毒を盛られたのなら彼は口封じのためにE氏の道連れにされたのであり、狙いはあくまでE氏である。関根氏らが肝心のE氏を中途半端の容体で放って外出するのはあまりに非合理である。E氏の容体こそが現在の関根氏の最大の関心事のはずだからだ。また風間さんの弁護人によると、E氏が代行をしている暴力団T組の事務所はE宅から近いのだという。犯罪者心理としてはT組の誰かが訪ねて来ないかという不安も拭えないだろう。それから、一人残されたE氏が這いつくばってでも外に出て近所や通行人に助けを求めたり、家でT組に電話を掛ける行動に出るかも知れない。そんなことになったら犯罪のすべてが明るみに出ることは目に見えている。関根氏のこの外出はどう考えてもありえない行動ではないかと思われる。

ではY供述がなぜこのように非合理性・不自然さを隠せないものになっているのかと考えると、その原因はY氏がE宅に入ったのは関根・風間の2人で、自分はずっと外で待機していたと供述している一点にあるように思える。Y氏は外、関根氏と風間さんの2人が家のなかにいたのでは、E氏が毒薬ーー硝酸ストリキニーネであるらしいがーーのために衰弱したりあるいは死んでしまったとしても、プロレスラーのような体格だというE氏を外の車のところまで運び出すことは不可能だ。E氏を運び出すためにはY氏の力が必要不可欠で、そのY氏がE宅に入る契機を作り出すという目的・理由付けのために、非合理であろうと不自然であろうととにかく一旦皆で外に出て車で出発するということにしたのではないかということも考えられる。ともかくY供述によれば、車中でW氏が死亡するのを目撃し、関根氏から「お前は共犯者だ」とか「(遺体処理を)手伝わなかったらカメラマンの女も生かしやしねえ 」と脅されためにやむなくE宅に入ってすでに息絶えていたE氏の遺体を車に運んだという。

この場面についての風間さんの供述を以下に引用しておく。風間さんは一旦E宅に入って挨拶した後、すでに到着していた関根・Y氏らとしばらくの間そこに一緒にいたが、E氏が少し気分が悪いなどと言い出した後、外に出てクレフの中にいた。そこから「Yが運転していた車がE宅前に停車しているのが見えた」ので、

「 (7) 被告人風間は、Yが車で来ているのなら被告人関根には帰りの足があるので自分は家に帰ってもいいと思い、被告人関根にそのことを断るために車から降り、E宅の方へ歩いていき、E宅の手前10メートル位のところにさしかかった時、被告人関根とYが何か重そうなものを持って家を出てくるのが見えたので、小走りで2人のところへ行くと、重そうなものに毛布のような物がかかっていたので、手伝おうと思い、荷物の下の真ん中あたりに両手を入れ、支えるようにもったところ、人の尻と背中の感覚があり、「これは人間の身体だ、死体だ」と思った。
 そのままカリーナバンの荷台にそれを積み終えると、被告人関根は、被告人風間に対し、「おまえが運転しろ」と命令した。」(一審弁論要旨)

風間さんの供述によると3人はこの後一直線に片品に向かうのだが、Y供述では万吉犬舎に立ち寄ってクレフとカリーナバンの2台で片品に向かったことになっていて、そのY供述を一・二審の裁判所がともに真としたことはこれまで何度も繰り返し指摘してきたとおりである。だが、先述したように、風間さんの供述こそが真実であることを証明する事実は他にもまだある。

風間さんたちは当時気づいていなかったが、じつはそのころ万吉犬舎周辺の人々は警察の行動確認の対象になっていた。理由はおそらく4月20日からKさんが行方不明になったまま杳として行方が知れないこと、5月か6月に風間さんが金融業者のMY氏やE氏の名前を出して熊谷警察に相談の電話を掛けたためではないかと思われる。 風間さんは関根氏の薦めでお母さんの土地を担保にMY氏から1000万円の融資を受けた。風間さんは知らなかったが、じつはMY氏はE氏の知人であり、融資を受けた後、風間さんのお母さんが親類からMY氏は評判の悪い金貸しだと聞いてきた。借りた金銭をすぐに返して清算したほうがいいというので風間さんも慌ててMY氏に申し出たところ、E氏が絡んでいて話が即座には進まなかった。責任を感じた風間さんは警察の困り事相談所に電話を掛けて解決策について相談したのだ。おそらくこの思い切った行動が功をそうしたのだろう、 結局風間さんは1000万円をE氏に着服されることになったが、最大の心配の種であった土地は無事であり、何とか解決をみた。

そのような事情があったために検察、裁判所はEに大金を取られた風間さんがEに恨みを抱かないはずがなく、関根氏の「Eらを殺害する数日前に、風間から『Eが電話を掛けて来て更に巨額の財産的要求をしてきた。』などと聞かされた。そして、風間は、このことで自分と話し合っているときに、『このままいけば、幾ら働いても全部Eに取られてしまう。だから、やっちゃうしかない。』などと真剣な表情で言い出してEを殺害することを提案し、自分も結局これに賛成した。(一審判決文)」 という供述や、本件犯行に用いた毒薬(硝酸ストリキニーネ)についての「風間が、『毒ならあるよ。Y獣医から貰って取っておいた。』などと言って、新聞紙で包んだ二包みの毒薬を持って来た。(一審判決文)」という供述は信用でき、「自分達とEとの間でYHからの借金の件を巡ってトラブルがあったことは事実だが、それは7月17日に全て解決済みであり、その後Eから更に金銭的要求をされたことなどはない。だからEを殺害しようと思ったことなどないし、それについて関根と相談したなどということも全くない。 (一審判決文) 」旨述べて、関根供述を真っ向から否定している風間供述は虚偽だという。しかし裁判官は、「どうせ関根もEに絡んでいるのだろうと思った」という風間さんの供述に目も耳も塞ぎっぱなしの姿勢ではあまりに不公正・不平等だろう。

7月20、21、22日の3日間、警察は万吉犬舎に対する行動確認を行なっていた。そして、E・W氏殺害当日の21日の行動確認記録にクレフは登場していない。これについて一審判決は「右日誌にクレフが万吉犬舎に現れたという記載がないからといって、そのことは必ずしもクレフが万吉犬舎あるいはその周辺の空き地等に置かれていなかったことを示すものではないのである。 」と証拠を歯牙にもかけない不誠実きわまる姿勢を示し、二審判決はこの件に言及もしていない。それでいながら、「2人の死体を短時間で解体して投棄消滅させる必要があったために風間もY方に赴いたものと合理的に推認できる。また,風間は,学校に行く子供の世話などがあるため,朝早くには熊谷に戻っている必要があったのであり,そのため,カリーナバンのほか風間の専用車クレフに分乗してY方に向かったものとみられるのである。風間が関根と共に,Eの死体の解体を行ったことは疑いなく認められる。」と、まったく根拠も示さずに「合理的に推認できる」「疑いなく認められる」と断定している裁判官(二審)のご都合主義には呆然とするしかない。判決には「学校に行く子供の世話」という文言もあるが、被告人も弁護人も7月21日から学校が夏休みに入ったことに供述や弁論で触れているはずである。

次に、一審弁論要旨から今日述べてきたことに関連する箇所をいくつか引用しておきたい。本文と合わせてお読みいただければと思う。

「……甲第628号証からも明らかなとおり、7月21日午後の万吉犬舎の行動確認記録によれば、クレフは全く出入りしていないし、駐車場の駐車事実も全くないのである。
 被告人風間は、7月21日はうちわ祭で熊谷市内の道路は交通規制がしかれ、また交通規制外の道路も山車が練り歩いている時間帯は、渋滞となり、走れないので一日バイクで行動していたと供述している。
 また被告人関根も「風間はオートバイで万吉犬舎に来たのではないかと思う」と供述している。(第70回公判の供述)
 そして、クレフが万吉犬舎になかったとすれば、ペットショップ近くの駐車場か大原の自宅前にあったことになるが、被告人風間の供述及びFの証言によれば、被告人風間は10時過ぎにクレフに乗って大原の自宅を出発し、10時30分頃にE宅へ行っているのだから、右両名(引用者注 関根・Y氏)の供述の信用性はない。
 要するにE宅へは、3名が一緒に行ったのではないことが証明されているのである。」 (一審弁論要旨)

「被告人関根、Yは、Wがカリーナバンで死んだ後にE宅に戻ってEの死体を右車輛に積んだと供述するが、不自然、不合理であって、信用できない。
 被告人関根の供述によれば、Wをカリーナバンに乗せて荒川土手の方を走り、その間にWを殺害し、E宅に戻るまで約40分位かかったと述べている。
 被告人関根は、Eがヤクザで組事務所が近くにあることから、確実に殺さなければならないと思っていたし、その間も組員がEを訪ねて来るのではないかと心配していたと供述している。
 そうするとEの死体を40分間も、しかも誰もいない状態でE宅内に放置するなどということは常識的に考えられない。
 犯罪者心理からしても、死体や証拠物は速やかに第三者の目に触れぬよう現場から隠そうとするものである。
 他方、硝ストによる薬理効果がいつ発現するかもしれないWが外に出て行ってしまい、Yがその後を追った場合、これは前にも述べたが、Wが路上等に倒れたり、通行人に助けを求めるような状況を想定し、Wを通行人等の目から遠ざけるためには車に収容するしかないのであり、Yは当然にカリーナバンで追尾したと考えるのが合理的である。
 そしてYは、体力の弱ったWを見つけ、カリーナバンに乗せ、E宅前に戻った所、Eが死亡し、被告人関根がE宅の玄関に出てきたので、早くEの死体を運び出して車に搬入し、現場を去りたいとの心理から、たまたまWが助手席で首を前に倒して座っていて、弱って抵抗できない状態にあったこととあいまって、Eの死体をカリーナバンの後ろの荷台部分に入れ、その後すぐに現場を去って、途中Wを完全に殺害し、そのまま片品へ直行したと考えるのが、自然かつ合理的である。
 被告人関根はWに対し、「ねえさんを乗せて病院へ行こう」と言ったら「嘘」だと言ったが車に乗ったと供述している。
 仮にWがそう言ったとしても、結果的に車に乗ったのはWの意思というより、抵抗力を失ったWが無理矢理車に乗せられたと考えるが自然かつ合理的と言える。
 なお当時、万吉犬舎には従業員が寝泊まりしており、深夜にエンジン音をたてて万吉犬舎に入り、万一従業員が起きてくる可能性も十分にあるのであり、死体二つを乗せたカリーナバンが万吉犬舎に寄るなど到底考えられない。」 ( 同 上 )

「証人OY(引用者注 E氏の愛人)の証言(期日外尋問)によれば、「Eがいなくなる1ケ月前位にEと関根が土地のことでよく話していて、奥さん名義の土地を奥さんの了解なしに勝手に売って、金を半分づつ分けるという話をしていた。」「関根が離婚したのでこのままでは関根の手元に残るものがないから売っちゃう」という話をEから聞いたと証言している。
 この証言を総合すると、時期からみてYHの融資の件に該当しており、被告人関根がEからK事件を種に脅されていたということではなく、須賀広の土地の件と同様、被告人関根とEが被告人風間及び母Y子の財産を食ってやろうとの悪巧みを画策したと考えるのが合理的である。
 また被告人関根と被告人風間は、平成5年1月25日に離婚しており、仮に偽装離婚であったとしても戸籍上は離婚しているのであり、被告人関根は、被告人風間のその頃の態度等をみて被告人風間は本当は離婚の意思を持っていたのではないかと感じ始め、「財産目的の結婚」が解消された今、右OYの証言のように自分の手元に何も残らぬとの危機感を持ち、Eと相談し、YHの融資話へと進んでいったと考えるのが合理的であり、実態にも合致している、
 何故ならYHの供述調書によれば「Eが上乗せしたことについて関根は知っていながら、風間やY子に言えないのだろうとEが言っていた」と供述している。(甲第206号証)
 右融資の件の前の平成5年5月連休明けに被告人風間が朝帰りした際、被告人関根は立腹して被告人風間に激しい暴力を振るっている。(証人KK(引用者注 風間さんの妹)の第96回公判の証言)
 被告人関根は被告人風間に男がいると覚知した故の暴力であると推測される。
 ところが被告人関根やEの予想に反し、Y子の執拗な抵抗にあい、また被告人風間がこの件で熊谷警察に相談したことから、まずいと考え、平成5年7月17日に右根抵当権の抹消に応じ解決したと考えられるのである。
 その結果が、OYの証言にいう、「土地を売って金を分ける話はダメになったと言っていた」という話につながるのである。
 従って、被告人風間のYHの件に対する思いは、須賀広の件の延長線上にあった出来事であり、この件でも被告人関根が張本人であり、Eはその片棒を担いだという認識であり、この件でEに対して嫌悪・憎悪の念をさらに強めるに至ったとの検察官の主張は極めて粗雑な推論である。
 なお被告人風間は、右YHの融資の件で平成5年7月12日熊谷警察に対しYH、Eの名前を具体的に出して相談している。(甲第925号証ないし同926号証)
 万一被告人風間が、EからK事件を種に本件を画策されたと知っていたら、Eの名前を出して相談するはずがない。
なぜなら警察が右相談を受けてEに事情聴取をした場合、EがK事件のことを警察に言う可能性があるからである。
警察は、平成5年7月20日、21日、22日の万吉犬舎等への行動確認を実施しているが、それは右相談とK事件直後の江南会議の件をKの遺族が警察にも話しており、その場にいずれもEがいたことによるものであると推測できる。
 また検察官は、E、Wの殺害については被告人風間も共犯であると主張するが、被告人風間は前記の通りEとのトラブルを熊谷警察に相談しており、その直後の7月21日にEの殺害を実行すれば、まず疑われるのは被告人風間であり、そのような状況下で自らの意思でE殺害の共犯になるようなことをするわけがない。」(  同 上  )

風間さんが警察の困り事相談に融資から派生した問題で相談を持ちかけた件について、一審の判決文は以下のように驚くべき記述をしている。

「YHらにY子の財産を乗っ取られるなどとしていかに強い危機感を抱いていたかは、自ら関根とともにK殺害及びその死体の損壊遺棄という極悪犯罪を犯しておきながら、それをも省みずに、(関根を介して)こともあろうに警察の困り事相談に電話を掛けるとの非常手段に訴えていることからも明瞭に看て取れるのである。」

上の記述にはこの事件の判決文に一貫して見られる巧妙なレトリックの有り様が如実に現れているように思う。日本のある法曹が裁判の究極の目的、必須の要件を「正義」の一言で要約しているのを見たことがあるが、この判決には正義への指向が片鱗も見られず、正義と深く関連する真実や自然さというものへの敬意も見えない。それらに相反する手法ばかりが縦横に駆使されているように見える。母親の土地が自分の借金の担保になっていて、その土地を横取りしようとする不審な企みが目に見えるのだ。自分の軽率さのために、母親を悲惨な目に遭わせるような事態だけは絶対に回避しなければならない。このような場合にそう思い「強い危機感を抱」かない娘は世にそうはいないだろう。風間さんもそうだったからこそ「警察の困り事相談に電話を掛け」たのではないだろうか。それが功を奏したことは、弁護人が「 被告人関根やEの予想に反し、Y子の執拗な抵抗にあい、また被告人風間がこの件で熊谷警察に相談したことから、まずいと考え、平成5年7月17日に右根抵当権の抹消に応じ解決したと考えられるのである。/その結果が、OYの証言にいう、「土地を売って金を分ける話はダメになったと言っていた」という話につながるのである。 」と述べている実態からも明らかであろう。

裁判官が語っている風間さんの当時の危機感の強さについてはそのとおりだろうと頷ける。ところが、裁判官はその強い危機感をなぜか財産に対する風間さんの人並み外れた異常な執着心に由来するものと一方的に決めつけ、それを風間さんが関根氏とともにE氏殺害を計画・実行した根拠にしてしまう。E氏にしろ金融業のYH氏にしろ、風間さんにとっては、関根氏の知人であり、関根氏からの紹介者なのだ。裁判官が力説するごとくもしも風間さんがE氏に強い憎悪を持っているのだとしたら、E氏との付き合いをつづけ、何かと金銭に関する面倒な問題を持ち込んでくる関根氏に不信や不満を持ってもおかしくはないだろう。風間が自分にEをやるしかないと言ってきた、という関根供述は信頼できるとする裁判官の判定はまったく不可解である。

風間さんがE・W事件における殺人の共同共謀正犯と認定された根拠は関根・Yという共犯者の供述以外には何もない。Y供述の矛盾点についてはこれまで数々指摘した。そして関根氏の虚言癖は裁判官自身幾度となく公言していることである。風間さんは証拠ではなく、裁判官が用いるさまざまなレトリックによってなし崩しのうちに殺人罪を認定されてしまっているように思えてならない。裁判官はここにKさん殺害事件を引用して「 自ら関根とともにK殺害及びその死体の損壊遺棄という極悪犯罪を犯しておきながら、それをも省みずに、(関根を介して)こともあろうに警察の困り事相談に電話を掛け……」 と、風間さんがKさんを殺害したことは確実な立証を経た間違いのない事実であるかのように記している。これも判決文を読む者に風間さんがKさんの殺害者であることはとうに明白になった確かな事実である、という意識を植えつけるレトリックではないだろうか。こちらも証拠によるのではなく、融資の件での風間さんの危機感をE氏殺害と無根拠に結びつけたやり方と同じ手法で認定されたものである。そもそも警察に困り事相談を持ちかけたのはKさん殺害に関与していないからこそできたのではないかという普通の考えは裁判官には浮かばなかったのだろうか。頑なに「 犯しておきながら」「それをも省みずに」「こともあろうに」などと風間さんがKさんの殺害者であると強調する感嘆風の記述がなされているが、これはまったく説得力を欠き、浮き上がって見えて仕方がない。また、弁護人は風間がEの名前を出して警察に相談している以上、Eが殺されれば真っ先に疑われるのは自分なのだから、その直後にE殺害などやるはずがないと主張しているが、裁判官はこの主張にも応答していない。
2012.01.30 Mon l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top
この連載記事(3回だけだが)で意図しているのは、E・Wさん殺害事件の真相解明に大いに役立つはずの証拠を裁判所は調べもせずにそのまま放擲したり、調べをしたらしたでその証拠を曲解・歪曲して解釈することによってはなはだ公正を欠いた事実の認定を行なっているーーということを何とか明らかにしたいということである。裁判所のこの不当な手法はE・Wさん殺害事件に対してだけではなく、 最初のKさん殺害事件に対してもまったく同様に駆使されているのだが、前回はその象徴的事例として、「E・W事件」における次の2つの件を取り上げたのであった。

 1. 当夜10時過ぎに一人でE宅に行ったという風間さんの供述は本当のことだとタコ焼きを一緒に食べた体験によって述べている長男の証言と愛人のMY氏から掛かってきた電話の件が、判決において前者は「甚だ曖昧」の一言によって否定され、後者は黙殺されている。裁判官に事件の真相を解明する気があるならば、重要証言なのだから丁寧に検証し、その結果を判決に記述することは裁判官の当然の任務であり、自然な流れでもあるはずだ。ところが風間さんの供述の信憑性がまさに問題になっている場面で証言は検証されることなく無視され、別の無関係な場面でその証言や証言主と関連した話が根拠も示されずにあたかも風間さんのイメージを毀損するための悪口・放言のように記述されている。判決文のなかにこういう手法を見ると、その理由はいったい何なのか、証言が風間さんに有利なものだったからではないのかという疑念をだかざるをえないのである。(詳細は、前回記事のMY氏に関する箇所を参照のこと。)

じつは風間さんと弁護人は一審裁判中、上述の長男の証言に加えて、長女にも法廷で証言させたいと裁判官に伺いを立てている。その夜、9時ころ自宅に帰るまで風間さんは当時小学生だった長女と母(長女にとっては祖母)と3人でうちわ祭りに出かけていた。長男の証言もふくめて法廷で明らかになったさまざまな事実から自分が殺人の事前共謀にも実行にも何ら関与していないことは明白になったと考えていたが、念のために、9時少し前まで祭り見物で一緒だった長女の証言があれば自分の供述の真実性はよりいっそう明らかになると考えてのことであった。しかし、裁判官は「もういいでしょう。十分でしょう。」と言って承認しなかったそうである。

 2. 一審判決文では、車のなかで関根とYが「掛かったか」「せえの」などと言いながらWを絞殺する場面を自分は運転しながら目撃した、という風間さんの供述は「ゲームでもしているかのような様子で(略)極めて不自然」「真実味に欠けている」などの理由で否定され、一方、風間はEとWの遺体を解体するのに派手なスパッツを着て派手なサンダルを履き、遺体を切り刻みながら歌を口ずさんだり、「ちんちんは気持ちが悪いからあんたやってよ」などと関根に言っていた、というY氏の供述は、「何ら不自然な点は存在せず」「極めて具体的」「恐ろしいほどの迫真性」「その場面を現に目撃した者でなければ語りえない」などと判示され、 つづいて「そのことからすれば、右Y供述の信用性が極めて高いものであることは明らかである。」という断定がなされ、これによってこのY供述はそのまま風間さんを殺人の共謀共同正犯に認定するための証拠にされている。

いったい、Y供述と風間供述に関する判決文のこの認定に納得する人間が世の中にどれだけいるだろうか。しかし、二審の裁判官は納得したようである。二審判決文を見ると、Y供述に対しては「 風間が「ちんちんは気持ちが悪いからあんたやってよ」などと言いながら解体していた旨のYの供述は,経験した者でなければ語れない内容であるし,関根の同様の供述によっても裏付けられている。 」と述べ、風間供述に対しては「あたかも両者がゲームでもしている様子だったといわんばかり」「不自然」「およそ真実味に欠ける」と、まるで一審裁判官の口真似をしているかのように一審判決と同じ単語、同じ形容詞を並べて風間供述を非難している。これでは上級審の存在意義や威厳はどこにあるのだろうと深刻に疑われる。

なお、「関根の同様の供述によっても裏付けられている」という点だが、裁判官は、関根氏が虚言癖をもった人物であり、その供述を安易に信じることの危険性をつとに説いておきながら、都合によってはこのように「関根の同様の供述によっても裏付けられている」などと、その供述に全幅の信頼を置いても大丈夫であるかのような判示をするのは、ご都合主義、機会主義にも程があると思う。

ここでもう一度、一審裁判長の判決内容に戻って、風間さんの供述に対する次の判示を見ていただきたい。

「右供述は、E方に自分は遅れて行ったとの嘘を前提としたものであるばかりでなく、関根とYがEの死体をWが助手席に座っていたという車の後部座席に積み込んだとか、とにかく病院に行こうと思って夢中で病院などない道を運転走行していたなどとする点は作り事としか思えないし、関根とYがWを絞殺したとして述べている内容も、2人があたかもゲームでもしているかのような様子で首を絞めていたと言わんばかりの極めて不自然なものであって、前記Y供述と対比しておよそ真実味に欠けている。」(一審判決文)

上の文章の後半部分はこれまでしつこく長々と検討・批判してきた。注目したいのは、先頭の

「右供述は、E方に自分は遅れて行ったとの嘘を前提としたものである」

という記述である。判決はここでE方に遅れて行ったという風間さんの供述は嘘だと断定していることにご注意あれ! 詐術もここまでくればアッパレとでも言うべきか。いったい、裁判の過程のいつ、どの場面で、どのようにして、風間さんのこの供述が嘘だと証明されたのだ? 風間さんが関根・Y氏と一緒に夜9時ころE宅に向かったという証言は共犯である当事者2人の供述以外には何もない。それに比して、風間さんの供述にはこれまでるる述べてきたように、その真実性を証明する証言が複数ある。そのことは裁判官が一番よく知っているはずである。

「右供述は、E方に遅れて行ったとの嘘を前提としたもの」ということは、そもそもの出発地点の供述が嘘なので、それ以降の供述も当然嘘である、との含意もあるのだろうが、それだけではないだろう。判決は「嘘を前提としたものであるばかりでなく、」と言って、これ以降は別のところに論点を移している。つまり、裁判官は一人でE方に行ったという風間さんの供述が嘘だと正面から堂々と宣告することはこれまで述べてきた事情からいってさすがにできなかったのだろう。そこで、別の話題に入る直前にさりげなくついでのように風間供述は嘘だという断言を忍び込ませたのではないか。以後、裁判官はこの断定を前提にして、あれも虚偽、これも虚偽、と片っ端から風間さんの供述を嘘と断じている。この積み重ねがあってこそ、被害者に薬を飲ませての殺人、派手な格好をして歌を歌いながらの遺体解体などを風間さんの犯行として判決に書き込めたのかも知れない。次の件に移りたいと思う。

「更に風間は、E方に上がった際に、Eから『お母さん、まだ。』などと聞かれたと弁解するが、Y子(引用者注:風間さんの母)の訪問など全く予定されていなかったことは既に述べたことから明らかであって、右弁解もまたあからさまな虚偽というほかはない。」(一審判決文)

この件も以前取り上げたことがあるのだが、風間さんのお母さんの訪問が事実として予定されていないことは事実関係から判っている。しかし、現実に予定がないことと、E氏が予定があると思いこんでいることとは矛盾しない。裁判官の言い方は関根氏がE氏に嘘をつくことはありえないとでも考えているかのようである。当時、E氏は風間さんの実家の土地などの不動産に関心を持ち、自分は権利書を持って来いなどとゆすられていたと関根供述にあるではないか。また 、風間さんのこの供述を裁判官は「弁解する」と記述しているが、これは供述を検証抜きに初めから虚偽と決めつけ、それによる印象操作の類に他ならないのではないだろうか。

「風間も、「事件後に自分が身体の調子が悪くなって埼玉医科大学に行くことになり、関根やYと車に乗っていた際に、Yが『手伝えばくれるって言ったじゃないか。100万まだ貰ってないよ。』と関根に言い、関根が自分に金を持っているかと言ったので、ハンドバッグに入っていた70万円を渡した。その70万円はKのときの分なのかそれともEのときの分なのかは分からないが、報酬だと感じた。」などと、あたかも具体的な報酬話があったかのように述べているものの、その内容は、本件のごとき極悪犯罪に殺し屋として自ら進んで積極的に加担した者が要求した謝礼がたかだか100万円であったとか、それに対して70万円を報酬として支払って済ませたというような極めて不自然でいかにも取って付けたようなものであって、丁度同じころに関根から(Eらの死体損壊遺棄作業を)手伝ってもらったお礼に家を一軒やるとか1000万円をやるというような調子の良い話を聞かされたという前記Y供述と対比しただけでも、到底信用することができないものである。」(一審判決文)

病院からの帰りに車中で見聞きしたという関根・Y氏の会話の内容と、関根氏から「金を持っているか」と聞かれてちょうど犬の売上金70万円がバッグに入っていたのでそれを渡した、報酬だと感じた、ことを述べている風間さんのこの供述は、はたして裁判官が断定するような、「極めて不自然」「いかにも取って付けたような」供述で、「到底信用することができない」と言われなければならないものだろうか。風間さんはY氏に渡った金銭がこの70万円だけである、などと言ってるわけではないのだから、関根氏の調子のよい話を聞かされたという「Y供述と対比」する必要もなければ、対比して「到底信用できない」と非難されるゆえんもないと思うのだが? 関根氏が調子のよい大きな話をするのはいつものことで、ここに記されているY供述が風間さんの供述と矛盾するかどうかも疑問である。風間供述はここでもまた検証の余地もないとばかりに頭から否定されている。

「被告人風間は、自己がK、E、Wに対する各殺人の犯行に関与したことを全面的に否認する一方で、「自分はYが(関根とともに)Wを絞殺したのを目撃した。KもYが絞殺したと被告人関根から聞かされた。」などと、極めて重要な場面についてYに殺人の罪をなすり付けるためのあからさまな虚偽弁解をなし、更には多数の重要な場面についての自己の行動や認識内容等についても、証拠上明白な事実についてさえ頑として虚偽弁解を続けるなど、自己の犯した犯罪に対する反省の念は全く見られないのである。」(一審判決文)

裁判官は、風間さんが「Yに殺人の罪をなすり付けるためのあからさまな虚偽弁解をなし」ていると断言しているので、裁判官のこの論法で行くとY氏は風間さんから「罪をなすり付け」られたことになるが、そのY氏は一度として風間さんを責めていない。Y氏は一人分離裁判で裁かれたが、証人として呼ばれた関根・風間裁判では検察官、裁判官、各弁護人に対して罵詈雑言を浴びせるなどの挑戦的な態度で証言拒否の姿勢をとりつづけた。法廷で特にきわ立っていたのは検察に対する強い敵意で、捜査段階で取り調べ担当だったI 検事から捜査に協力すれば起訴猶予で釈放という約束があったのに裏切られた、騙されたという激しい憤りを露にしている。

だがそういうY氏も風間さんの犯罪加担行為に関する(風間さんの)弁護人の尋問にだけは口を開いている。留意しなければならないのは、Y氏の供述はほぼすべて取り調べ段階の警察・検察による調書だということである。最初の事件でY氏は東京の駐車場に被害者Kさんの車を放置した後、風間さんから「あんたさえ黙っていれば警察に捕まらない」と言われたと下記のように供述している。

「 自分が佐谷田の車庫に行って、そこに置いてあったアウディに乗って待ち合わせ場所に行くと、風間は既にそこに車(マツダクレフ)で来ていて、「うまくいった(か)。」と声を掛けてきた。風間が、東京のどこでもいいから車を置いて来ようと言うので、自分が先導する形で2台の車で東京に行き、アウディを八重洲の地下駐車場に置き捨てた後、風間の車に乗せてもらって佐谷田の車庫に戻ったが、帰りの道中で風間から「あんたさえ黙っていれば警察に捕まらない。」「証拠がなければ警察に捕まらない。」などと関根と同じようなことを言われた。こういったことから、関根と風間との間で事前にKを殺害する相談ができていたのだと思った。 」(一審判決文)

第17回公判の証言で、Y氏は「あんたさえ黙っていれば…」云々の風間発言は事実かと尋ねられると、

「被告人風間は自分のことをSさんと名前を呼ぶ、あんたなんて呼ばれたことは一度もない」

と述べた。風間さんの弁護人はY供述について検察との取引・協力関係の下に殺人の共犯者としての自分の犯罪を風間さんに負わせようとする悪辣な巧みと強く主張、取り調べ中の検察とY氏の関係を掘り起こしてきびしい批判を展開したが、この日のY証言については次のような見解を述べている。

「三 しかし、Yからすれば、被告人風間に対し、何ら悪感情を持っていたわけではないし、あくまで自分の身代わりとして共犯に取り込む供述をしたが、Y自身の刑事裁判は「死体損壊・遺棄」で当初の目的を達成させたことから、今後殺人等でむし返されることはないと確認し、被告人風間に対する同情心と良心の呵責を抱き、次の様な証言をしたのである。

 弁護人―「これは非常に危険な綱渡りなんですけれど、もう一度聞きますが、K事件に関して、風間被告人が車の運搬だけを認めて、殺人、死体損壊・遺棄については、自分はしていませんと、この裁判で言っているのです。その主張について、どう思うか」
 Y ―「本人が言ってんだから、間違いないでしょう。本人が言ってんだから、それで合ってるでしょう」
弁護人―「Eさん、Wさんの方の事件・・・・・」
 Y ―「私は、博子さんは無罪だと思います。言いたいことは、それだけです。」
    「私は、博子さんは無罪だと思いますと言ったんです。全部ひっくるめて。」

 このやり取りは、Yが本件に対する証言の中で唯一きっぱりと述べた部分であり、又被告人風間の罪体に関する重要な部分であり、Yが何故に証言拒否を繰り返す中で、この部分について明確に証言したのか、これは正にYのぎりぎりの「良心」であったと確信するものである。」(一審弁論要旨)

しかし、判決はこのY証言には触れていない。判決が引用し言及しているのは「あんたさえ黙っていれば…」というY供述のほうであり、これが事実として認定され、風間さんは、上述したように、裁判官から「Yに殺人の罪をなすり付けるためのあからさまな虚偽弁解をなし」た、と徹底的に指弾されている。だが、世の中に「 殺人の罪をなすり付けるための」虚偽をしゃべられて黙っておとなしくしている人間がいるだろうか? Y氏はそのような人物なのだろうか。Y氏は風間さんに「殺人の罪をなすり付け」られた上に、「私は、博子さんは無罪だと思います。」と述べたのだろうか。この件に対する裁判官の判断を聞きたい。
2012.01.25 Wed l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (1) トラックバック (0) l top
埼玉連続殺人事件のうちの第2の事件であるEさんとWさん殺害事件。この事件でも風間博子さんに対する判決文(一・二審とも)の恣意的な事実認定はひどくて、これについては以前この記事この記事で取り上げたが、もう一度やや別の角度から考察してみたい。同じことを何度も繰り返すようだが、この事件の判決ではおかしな事実認定が本当にきりなく後から後から湧くように出てきてあれもこれもと取り上げたくなるのだが、今日はできるだけ焦点を絞って行きたい。まず最初に一連の事件および事件にいたる経過の概略を時系列で示す。

 1983(昭58)年10月  風間さん、長男を連れて関根氏と結婚。
 1992(平 4)年 9月ころ  Y氏はドッグショーの会場で関根氏と知り合い、以後免許証を持たない関根氏の運転手役を務めるなどアフリカケンネル・万吉犬舎の仕事を手伝うようになる。(アフリカケンネルは万吉犬舎とペットショップで成り立ち、犬舎は関根氏、ショップは風間さんが管理していた。両店の距離は車で約20分。)
 1993(平 5)年 1月25日  風間さん関根氏と協議離婚。以後別居。
 1993(平 5)年 4月20日  最初の事件起きる。Kさん(関根氏の顧客)が勤務先を退社後アフリカケンネル使用の佐谷田の車庫で殺害される。 Y氏は夜11時前ころ風間さんの自宅に電話を掛ける。「車を東京に置きに行きたいんだけど、一緒に行ってくれるかい。」。風間さんが「どうしたの。」と聞くと、「社長から聞いている(か)。」と言うので、風間さんは、昨日言われたことなんだなと思って、「聞いてるよ。いいよ」と引き受けた。前日ペットショップに来た関根氏から「Yは俺の仕事でいろいろ動いてもらっているから、Yに用を言われたら動いてくれ 」と言われていたのだ。風間さんは常日頃から気分の変わりやすい関根氏にはできるかぎり逆らわないようにしていたとも述べている。落ち合う場所は、Y氏が「森林公園西口の山田うどんの向かい側」を指定した。実はこの車がその日数時間前に殺害されたKさんのアウディであった。
 それにしても、関根氏に手伝えと脅されて逆らえなかったというY氏が関根氏から解放されたこの機会になぜ警察に駆け込まなかったのかはいつまで経っても消えない謎である。Y氏の自宅では今まさに関根氏が被害者の遺体を解体中なのだ。もっと言えば、関根氏がこんなに簡単にY氏を一人で外に出すこと自体不思議に感じる。もちろん、被害者の車を殺害現場にいつまでも放置しておくことは犯罪者の心理として不安であるには違いないが、関根氏の態度・様子には一人で外に出たY氏の行動への危惧の念が一向に感じられないのだ。それだけではない。Y氏は風間さんに電話を掛けた後、その地点から風間さんに待ち合わせ場所として指定した「森林公園西口の山田うどんの向かい側」を通り越して佐谷田の車庫までKさんのアウディを取りに行き、車庫で自分の車からアウディに乗り換えて風間さんとの待ち合わせ場所に戻っている。しかし佐谷田の車庫は風間さんの自宅から近いのだ。風間さんが「Kに返す金なんかない。殺るっきゃない」と言ってKさん殺害を主張し、主犯として事件を計画したのなら、風間さんが自宅から自分の車クレフで車庫に行きアウディに乗り換えて待ち合わせ場所に行くというのが普通であり、自然だろう。これでは、Kさん殺害とは無関係だというY氏が一人で大車輪の働きをし、主犯であるはずの風間さんは何ら積極的に動こうとしておらず、事件はまるで他人事のようではないか。Y氏は電話で風間さんにこれから自分が車庫に行くことも伝えていないし、合流後もそういう会話を交わしたという証言もない。
 1993(平 5)年 7月21日  2件目の事件起きる。 Eさん、Wさんが殺害される。 Eさんは暴力団員であり、Wさんはその運転手であった。関根氏はそのころEさんから金銭や不動産(風間さんおよび風間さんのお母さん名義のもの)の権利証まで要求されるようになっていたようである。
 1993(平 5)年 8月26日  3件目の事件起きる。Sさん(女性)が殺害される。関根氏はKさんに対したと同様、Sさんにもでたらめの儲け話を言葉巧みにもちかけ相当額の金銭を引き出していた。その嘘がばれることを危惧し、またSさんの自分への好意が鬱陶しくなったというまことに身勝手な理由で殺害にいたる。この事件では関根氏が殺人、Y氏が遺体損壊・遺棄で罰せられ、風間さんは起訴もされていない。この3件4人の被害者の遺体および所持品はすべて片品のY氏宅で解体・焼尽され、灰や所持品の燃えカスなどの河川・山林への廃棄も関根氏とY氏の2人によって行なわれた。
 1994(平 6)年末  Y氏が捜査当局の取り調べを受ける。その供述により遺骨、遺留品が発見されたとされる。
 1995(平 7)年 1月 5日   関根氏、風間さんが逮捕される。


それではこれから、〔1〕〔2〕〔3〕の 3つの文章を掲載する。〔1〕は、E・W事件に関する風間さんの供述についての一審裁判官の要約。一審判決文から抜き出す。〔2〕は同じく、E・W事件に関する風間さんの供述についての弁護人の要約。 一審弁論要旨から抜き出す。 〔1〕と〔2〕は同じ供述に対する裁判官と弁護人の要約だが、それぞれの見解や理解の相違があらわれていて興味深い。〔3〕はE・W事件に関するY氏の供述についての一審裁判官の要約。 一審判決文から抜き出す。こちらは同じ体験を語っているはずの風間さんとY氏の供述内容の差異、また2人の供述に対する裁判官の見方の差異が如実にあらわれていてこれまた大変興味深い。ではまず〔1〕から。

「 
〔1〕
 (1) ……当日は、関根からE方に夜10時に迎えに来るように指示されて行っただけで、自分としてはやくざであるE方に行くことなど気が進まなかったので、出かけるのも遅くなり、午後10時過ぎころ一人で車(クレフ)を運転して大原の自宅を出発し、約束の時間よりかなり遅れてE方に着いた。家の中に入ると既に関根とYが来ており、Eからは「お母さん、まだ。」などと聞かれたが、自分は何のことだかわからず曖昧な返事をしていた。そのうちにEが腹が痛いと言い出し、まもなくWとYが外に出て行った。その後Eは気持が悪いとか言っていたが、それほど大変な様子ではなく、自分も余りその場にいたくなかったので外に出て、自分の車の中で持っていた。5分位して自分の車をE方前から少し移動させて車を降りE方前に戻ったところ、関根とYが家の中から何か重そうな物を運んで出て来たので、近寄って自分もそれを持ったところ、毛布が被せられていたが、その感触から死体であると感じてびっくりした。関根とYは、(カリーナバン)の荷台に運び込み、関根が「お前が運転しろ。」と言ったので、思わず「はい。」と言って運転席に飛び込んだが、カリーナバンにはWが椅子を半分倒したような状態で助手席に座っていた。
 (2) 関根の指示でカリーナバンを発進させてまもなく、Wが「気持が悪いから医者に行ってくれ。」と言い出した。自分としてはとにかく病院に行かなくちゃという気持からその後4、50分ほど車を走らせていた。荒川大橋の手前で曲がれと後部座席から指示されたので、それに従って左折したが、段々人気もなくなり、減速したら後ろから「もっと暗い道を走れ。」と言われ、そのまま車を走らせていたところ、関根とYが「掛かったか。」などと言いながらWの首に紐のような物を掛けて、2人で何度も「せえの。」などと声を掛けながら引っ張り合っていた。そのときWの両足がダッシュボードの上にせり上がり、足が窓ガラスに当たってガラスが蜘蛛の巣状にひび割れ、Wはその場で死んだ。すると、関根とYがカリーナバンから降りてWの死体を後部座席に移し、既にそこに置かれていたEの死体と一緒に置いた。関根が「車の所に戻れ。」と言うので、そのままカリーナバンを運転してクレフを置いてあったE方付近まで戻ったが、その際Eの家の中に入ったことは全くない。Yから「鍵。」と言われ、クレフの鍵を渡してしまった。関根らから「ついて来い。」と指示された。Yがクレフを運転して出発し片品村のY方に向かい、自分も二人の死体を積んだカリーナバンを運転してクレフの後に続いた。関根はカリーナバンの助手席に乗っていた。
 (3) Y方に着いて、2人の死体を3人で家の中に運び入れた。関根とYは、まずEの衣服を説がし、2人でEのバッグを開けて中身を確認したり、風呂場の前に新聞紙を敷いたり包丁を研いだりして色々と忙しそうにしており、その間自分は何も考えられず、居間にいて呆然としていた。自分がY方に来てから派手な衣服に着替えたということはないし、また自分がEの死体の解体をしたなどということは全くない。その後関根とYがごみ袋を4つか5つ位外に持ち出して、「これから捨ててくるから持っていろ。誰が来ても声を出したりするな。電話にも出るな。」などと言って2人で出て行き、30分ないし40分位して戻って来た。自分は呆然としたままであったものの、こんな所にいられないから早く帰らなくちゃと思い、「私、帰るから。」と言って、午前4時ころ車でY方を出て、高速道路に乗って午前6時ころ家に戻った。 」(一審判決文)

判決文が上記のように述べている風間さんの供述を風間さんの弁護人は次のように叙述している。


〔2〕
 (3) ところで被告人風間は、Dと平成3年9月頃からS取引を始め、その支店長はMYであったが、その後男女関係になり、ほとんど毎日朝「おはよう」、そして夜「おやすみ」の電話があり、同日午後9時30分過ぎ頃にもMYより電話が入り、被告人風間はMYと会話をかわしている。
 (4) そして午後9時50分頃、Fが帰宅し、「どう、今日は時間をちゃんと守ったでしょう」と会話を交わし、Fが当日タコ焼きの屋台でアルバイトをし、自分が初めて焼いたタコ焼きを持って帰ったので二人で食べた後、「お客さんのところにお父さんを迎えに行って江南に送ってくる」と言って、午後10時10分頃大原の家を出た。
 その時の被告人風間の服装は、上は白っぽい色のTシャツまたはポロシャツ、下はジーパンをはき、健康サンダル履きの軽装で財布と免許証だけをもってクレフに乗って向かった。
 (5) そして荒川大橋、小川県道を経由してE宅の敷地内の空き地に、車を頭から突っ込んでUターンし、玄関前に車をつけようとしたが、空き地内のプレハブに車をこすらせたことから、バックで道路に出て、E宅先の空き地でUターンし、午後10時30分頃E宅の路上にクレフを停車し、車中で5分位待機していたが、被告人関根が出てこないので、玄関の中に入り、「こんばんわ」と声をかけた。
 Eが「おう入れよ」と言ったので、部屋に上がったところ、Eは低いソファに座り、被告人関根、Yは床に座り、Wは立って動き回っていた。
 被告人風間は被告人関根のそばに座った。
 そうするとEが「おかあさん、まだ」と言うので、被告人風間はその意味がわからなかったが「ええ?」という感じと「ええっ」と返事するような曖昧な感じで答えた。
 Eは「そおかい」と言った。
 その後Eが立ち上がって、向かい側の襖を開けて、ユンケル皇帝液を4、5本持ってきて皆に渡し、それぞれ飲んだ。
 (6) それから5分くらいしてEが「気持ち悪い」と言ってソファの背にもたれてよりかかるようにしたので、被告人関根とWがEのそばにより、「代行、大丈夫ですか」と話しかけたところ、Eは「大丈夫だ、何かにあたったんかな」と言った。
 そして1、2分してWが玄関から外に出ていき、それに続いてYも外に出ていった。
 それから1、2分してEが「水をくれ」と言い、被告人関根はコップに水を汲んでEに渡した。
 Eは水を飲み、その場に普通の感じで座りなおしたので、被告人風間はヤクザの家に長居したくなく、帰る機会を見計らっていたので「じゃあ車の中で待っていますから、失礼します。」と言ってクレフに戻り、待っていた。
 そうして5分くらいたった頃、小川県道方向から対向車が進入してきて、道路幅が狭く、すれ違うのに十分なスペースがなかったことから、クレフを小川県道方向に走らせ、道路幅の広い所に移動しようと走行し、40~50メートル走った十字路のところで前記対向車とすれ違い、対向車をちらっと見たところ、運転席にYが座っていた。
 被告人風間は更に40~50メートル走り、空き地みたいな駐車場にバックで入り、E宅の方を見ると、Yが運転していた車がE宅前に停車しているのが見えた。
 (7) 被告人風間は、Yが車で来ているのなら被告人関根には帰りの足があると思い、自分は家に帰ってもいいと思い、被告人関根にそのことを断るために車から降り、E宅の方へ歩いていき、E宅の手前10メートル位のところにさしかかった時、被告人関根とYが何か重そうなものを持って家を出てくるのが見えたので、小走りで2人のところへ行くと、重そうなものに毛布のような物がかかっていたので、手伝おうと思い、荷物の下の真ん中あたりに両手を入れ、支えるようにもったところ、人の尻と背中の感覚があり、「これは人間の身体だ、死体だ」と思った。
 そのままカリーナバンの荷台にそれを積み終えると、被告人関根は、被告人風間に対し、「おまえが運転しろ」と命令した。
 被告人風間は、混乱した精神状態の中でハッと我に返り、わけも判らず「ハイ」と返事をして運転席に乗車したところ、助手席にWがイスを半分くらい倒して寝ているような感じで座っており、何があったんだろうと思った直後、車の後部に乗った被告人関根かYだったかはわからないが、「出せ」と言ったので、小川県道の方に向かって発進したところ、Wが「気持ち悪いから医者に行ってくれ」と言い、被告人風間は「すぐ行くから待っててね」と言って小川県道を熊谷市内方向に向かって走らせ、荒川大橋の手前の所に来たところ、2人のどちらかが「曲がれ」と言い、荒川土手の方、つまり進行方向左側に曲がった。
 その時Wがまた「医者はまだですか」と言い、被告人風間は「ちょっと待ってね」と声をかけていると、2人のどちらかが「暗い道を走れ」と命令し、土手側の道を走行していると、後ろの2人が何か話しているような気配があったが、その直後、Wと被告人関根、Yがバタバタ動いているような音がしたので、土手の上の登り道に車を止めようとすると、被告人関根が「止めるな」と命令したので、直進したところ、被告人関根が「かかったか」と言い、Yが「うん」とか「ああ」とか言い、「せーの」のいう2人の声がしたとき、Wは全身を突っ張るように足をのばし、その足が助手席前のダッシュボードの上の方に上がり、その足でフロントガラスを強く押す状態になり、フロントガラスがクモの巣状にひび割れし、足がダッシュボードの上に落ちた。
 その時、Wの首にはロープのような物がかかっており、何がなんだか判らなかったが、死んだのではないかと思った。
 被告人風間は、(略)どこをどう走ったかわからなかったが、万吉犬舎近くの高速道路の下の道路のトンネルのところで停車したところ、被告人関根とYが下車し、荷台のドアを開けて車の中に入ってきてイスを倒し、Wの体を引っ張り、引きずって荷台に移し、被告人関根が助手席に乗り、Yが後ろに乗り、「車のところに戻れ」と命令され、E宅近くの駐車場に止めてあるクレフの所に戻った。
 (8) 被告人風間は恐ろしくて早くクレフに乗り換えようとしたところ、Yが「鍵」と言うので、仕方なしにクレフの鍵をYに渡した。
 Yは「俺が先に行くから後について来い」と言い、被告人風間はそのままカリーナバンを運転して、Yのあとについて小川県道、荒川の押切り橋、140号線のバイパスを寄居方面に走り、関越自動車道の花園インターから高遠道に入り、新潟方面に向かったので、片品町のY宅へ行くのだなと思った。
 途中被告人風間は、被告人関根に対し、「どうしてこうなっちゃったの」と聞いたところ、被告人関根は「Eが、俺とお前が別れるので金が入ると言ったら俺にもよこせ」とか「別れて江南の土地を取っちゃえ、佐谷田の土地もだ、その土地を俺によこせ」等と言い、どうしようもなかったと言った。
 被告人風間は「そんなこと断れば済む話じゃないの」と言ったが、被告人関根は「そんなんがすまねんだ」とどなった。」(一審弁論要旨)

最後にY氏によるE・W事件についての供述を判決文から引用する。


〔3〕
 (2) 自分がEを知ったのは平成5年2月ころであり、関根の運転手役で深谷のタカエンタープライズという会社の事務所に行ったときに初めて会った。Eは(暴力団I会○○○一家)T組の代行をしており、関根の話では10年ほど前からの付き合いで、スポンサーとか用心棒だとか言っており、関根もEに対しては相当気を遺っていた。そして事件が起きる一か月ほど前に、関根が万吉犬舎で「Eが博子の母親の財産まで日を付けてきた。あの野郎。」などと独り言を言っているのを聞いたことがある。関根はいつもぶつぶつ独り言を言う癖があった。
 (3) 事件当日(7月21日)は熊谷でうちわ祭りがあった日であり、(多分関根にその日も来るように言われていたと思うが)正午ころ万吉犬舎に自分のベンツで行った。そのとき犬舎にはハンドラーのTと審査員のNがいた。そして、関根がいつも使っていたトヨタセラの代車だというカリーナバンを関根の指示で運転して関根や風間らと買い物等に行ったりしたが、午後5時半ころ風間を乗せて万吉犬舎に行ったときに、そこにいた関根が「Eをやるか、若い衆も一緒にやる。」などと独り言のように言っているのを聞いたが、関根は誰々を殺すとかいう話を日ごろからしており、またEはプロレスラーのような体格をしていたし、T組の代行だったから、まさか関根がEを殺すつもりだなどとは全く考えなかった。そして、関根、風間と3人で食事に行ったりした後、午後9時半ころになって、関根から万吉まで行ってくれと言われたので、関根と風間を乗せてカリーナバンで万吉犬舎に行った。そのとき、風間は、白色のビニール製の手提げバッグを持っていた(初めて見るバッグだった。)。2人は犬舎の中に入って行ったが、何をしていたかは分からない。それから2人が再び車に乗り込んで来て、関根が「Eの家に行ってくれ。」と言うので、E方に向けて出発し、午後10時ころ着いたが、関根は、「待ってろ。」と言って風間と2人でE方に入って行った。そのとき、風間は白い手提げバッグを持って車を降りている。
 (4) それから20分か30分位して、Wが玄関から飛び出して来て県道の方に走って行き、その後1分位して風間が手ぶらで出て来た。風間は、代行(E)が急に具合が悪くなったので救急車を呼んでいるなどと言い、Eの家の中からは「代行、大丈夫ですか。今救急車を呼んだから。」などという関根の声がした。風間が出て来てから5分位して関根も出て来て、自分に車を持ってくるように指示してWの所に歩いて行ったので、カリーナバンを運転して関根らの所に行き、Wが助手席に乗り、関根と風間は後部座席に乗って出発したが、Wが「姐さんが籠原にいるからそちらに行こう。」と言うので、Wの指示どおりに走っていた。車は荒川の方に向かって走っていたが、走り出して7、8分経ったころWが突然「気持が悪い。病院に連れて行って下さい。」と言った。Wは靴を履いたまま両足を助手席のダッシュボードの上に投げ出していた。2、3分後にWが突然「うー。」とうなり声をあげて一瞬体を硬直させ、両足を強く突っ張ったため、左足と右足が付いていた場所を中心にフロントガラスの左下部の二か所にそれぞれ直径30センチメートルほどの蜘蛛の巣状のひびが入り、Wはそのまま動かなくなって死んでしまった。しかし、関根も風間もこの様子を見ても全く驚くような様子はなかった。自分としては、(関根らが)Wに毒を飲ませて殺したに違いないと思った。関根の指示でカリーナバンにWの死体を積んだまま3人でEの家に戻ったが、その途中で関根に「お前は共犯者だ、死体処理を手伝え。手伝わなかったらカメラマンの女も生かしやしねえ。」などと言って脅された。
「カメラマンの女」とは当時自分が付き合っていた△△子のことである。E方に入ると、Eが仰向けで大の宇になって倒れて死んでいた。3人でEの死体もカリーナバンの荷台に運び込んで一旦万吉犬舎に立ち寄り、関根が「博子の足があるから、お前が先頭を走って山に行け。」と言うので、自分が万吉犬舎に置かれていたクレフを運転して先導し、風間が二人の死体を積み込んだカリーナバンを運転し、関根がその助手席に乗り、片品村の自宅に向かった。
 (5) 翌日の午前2時ころ片品村の自宅に着くと、3人でEとWの死体を家の中に運び込み、まずEの死体を風呂場の中に入れて、関根と風間の2人で解体を始めた。自分は解体作業に携わっていない。2人は風間が帰るまでずっと風呂場で作業をしていた。そのとき風間は、派手な花柄のスパッツを着用し、派手なラメ入りのサンダルを履いており、演歌を鼻歌まじりに口ずさみながらEの死体を細かく切り刻んでおり、風間が「ちんちんは気持ちが悪いからあんたやってよ。」などと関根に言っていた。風間については普段は口数の少ないお嬢さんタイプの女性だと思っていたので、これを見て本当にびっくりした。風間は、午前5時ころになると、「これで帰るから。」と言って、出て行ったが、そのとき風呂場の出入口付近を見ると、肉片や内臓等が入っていると思われる黒いビニール袋が6個位置かれていた。関根は風間が帰った後も作業を続けており、2人の死体を完全に解体した。2人の骨、衣類、所持品等は自分が関根の指示でドラム缶の中で燃やして灰にしてしまった。その後関根に指示されて2人で右のビニール袋や灰を入れた餌袋を持って車で3回に分けて出かけ、これらの袋の中身を開けてあちこちの川に捨てた。 」(一審判決文)


前述したように、上記の〔1〕と〔2〕は、裁判官と弁護人がそれぞれE・W事件について風間さんが供述した内容を要約して説明しているのであるが、読んでみると解るように、2人の説明内容は相当に異なる。弁護人は、その夜10時過ぎに自宅から財布と免許証だけを持って一人で愛車のクレフに乗ってE宅に向かったという風間さんの供述をそのまま紹介している。またその日うちわ祭りから夜9時ごろ帰宅した風間さんが自宅を出るまで家のなかで何をして過ごしていたかを本人の供述に従って詳しく述べている。すなわち、風間さんと関根氏との離婚・別居が成立した後は、2年ほど前からの愛人であるMY氏から毎日朝晩の電話が掛かってくる習慣があり、この日も9時半過ぎに掛かってきた電話で話をしたこと、その後、うちわ祭りで友達の家のタコ焼き作りの手伝いに行っていた長男がタコ焼きをお土産に持って帰ってきたので、一緒に食べたこと、など。

裁判官は風間さんの供述の要約においてなぜ愛人からの電話や長男と一緒にタコ焼きを食べたことなどを無視したのだろう。 〔3〕 においてY氏は夜9時半ごろ関根氏と風間さんの2人を万吉犬舎でカリーナバンに乗せ、自分の運転で3人一緒にE宅に向かったと供述しているのだから、10時過ぎに自宅から一人でE宅に行ったという風間さんの供述が真実か嘘かを判断する上で、電話もタコ焼きも欠かせない証拠になるはずだ。風間さんと長男は双方がうちわ祭りの夜に一緒にタコ焼きを食べたと証言しているが、これは親子がしめしあわせて証言をしたということでは決してない。当時そういうことはまったく不可能な状況であった。逮捕後の風間さんは4年半もの間面会謝絶の措置をとられており、その間、弁護人を除いて家族をふくめた外部との接触は面会も手紙の受発信も読書も書き物も一切禁止されていたのだ。それにもかかわらず、一緒にタコ焼きを食べたという親子の供述は一致していたのである。

裁判官は上記の供述場面では長男の証言などなかったかのように無視しているが、判決文のこの項目の最後のほうで「一人でE宅に向かった」という風間さんの供述を虚偽だと断定した後(断定の理由は不明。多分Y氏の供述が自然で迫真的だということではないかと思われるが、証拠に基づく断定でないことは明白である。)、「もっとも、風間の長男である前記Fは、「母親(風間)は当日の午後10時過ぎころまで大原の自宅にいたと思う。」などと風間の弁解に沿うような供述もしているが(Fの公判供述参照)、その内容は甚だ曖昧なもので、これによっては前記判断が揺るぐことはないのである。(一審判決文) 」と述べている。

裁判官の要約においては、風間さんがその夜の自分の行動について時間を追って具体的に語っている供述から長男のこれもきわめて具体的な証言が排除されていること、また後ろのほうで付け足しのように記述されている長男の証言が「母親(風間)は当日の午後10時過ぎころまで大原の自宅にいたと思う。」と、「タコ焼き」という具体物、それを「一緒に食べた」という具体的行動が記されずに、「自宅にいたと思う。」という漠然とした曖昧な表現になっていることに留意されたし。何のことはない。長男の証言を「甚だ曖昧」にしているのは裁判官なのである。裁判官はこの証言を判決文から完全抹殺するのはあまりにも不自然で触れざるを得ないと考えたのではないだろうか。しかしその証言内容を「甚だ曖昧」として証言価値を否定した。うちわ祭りの夜にタコ焼きを持って帰った時に母親が自宅にいて、それを一緒に食べたことが事実なら、これほど確かな証言はないであろう。それは遠い獄中で母親がした供述とピタリ一致しているのだから、「甚だ曖昧」もないと思われる。

愛人MY氏から掛かってきた電話の件も上述のタコ焼きの場合と事情は同じだと思われる。裁判官は〔1〕の要約においてMY氏の電話についても一切言及していない。ここが弁護人の要約〔2〕と決定的に異なる点である。風間さんと関根氏の関係を「一心同体の間柄」として2人が共謀して連続殺人事件を引き起こしたと断定するためには、風間さんに心を通い合わせる男性が存在するのは不都合であろうと思われる。しかし、弁護人は風間さんとMY氏の逢い引き記録を作成して、離婚が成立し、別居生活が始まって以降、風間さんがMY氏と会う回数・時間が格段に増えた事実を立証している。連続殺人事件の直前もそのような状態であった。関根氏に暴力を振るわれつづけてきた長男が気掛かりでならなかった風間さんは長男もMY氏に引き合わせ、3人で遊ぶこともあったという。それから風間さんの妹さんの法廷での証言によると、自宅で風間さんが関根氏にはげしい暴力を振るわれている場面を目撃したこと、それはおそらく関根氏がMY氏の存在に気づいたからではないかとひそかに感じたことなどが述べられている。

風間さんがE宅に自宅から一人で行ったか、あるいはY氏が述べているように犬舎から3人で車に同乗して行ったかという、事件の真相究明に深く結びつくはずの肝心要の局面において、裁判官は電話を掛けてきたMY氏の存在を無視しているが、しかし、判決文の最初のほうの風間さんの生活状況を述べるくだりでは、「風間は愛人を作って奔放な生活をしていた。」と記している。こういう記述のやり方では、裁判所は愛人の存在にもちゃんと触れているという一種のアリバイをつくると同時に、風間さんが欲望のままに好き勝手に生きていたというイメージが先入観・偏見としてこれから判決文を読む者のなかに生じ、無意識のうちに犯罪と風間さんとを結びつけることへの抵抗が薄まる効果を上げているように思える。そしてこの事件の判決文にはこういう場面が無数に存在していると言わざるをえない。

というようなことを述べていると際限がないので、〔3〕のY供述の検討に入ろう。Y氏は前述したように、E宅には3人で行った、家のなかに入ったのは関根・風間の2人であり、自分は外で待っていた、やがて家のなかからWが飛びだしてきて、追いかけるように風間、関根が出てきた。自分がカリーナバンを運転し、気分が悪いというWを助手席に、関根・風間を後部座席に乗せて、病院に行きたいというWをなだめながら走っていると、やがてWは死んでしまった。もう一度E宅に引き返すとEも死んでいた、などと述べている。その後3人で遺体を乗せた車でY氏の家に行くわけだが、Y供述の

「二人は風間が帰るまでずっと風呂場で作業をしていた。そのとき風間は、派手な花柄のスパッツを着用し、派手なラメ入りのサンダルを履いており、演歌を鼻歌まじりに口ずさみながらEの死体を細かく切り刻んでおり、「ちんちんは気持悪いから、あんたやってよ。」などと関根に言っていた。風間については普段は口数の少ないお嬢さんタイプの女性だと思っていたので、これを見て本当にびっくりした。風間は、午前5時ころになると、「これで帰るから。」と言って、出て行ったが、そのとき風呂場の出入口付近を見ると、肉片や内臓等が入っていると思われる黒いビニール袋が6個位置かれていた。」

という箇所について、一・二審の裁判官はそれぞれ次のように述べている。

「Yの右のような供述内容自体を見ても、そこには何ら不自然な点は存在せず、むしろ極めて具体的で恐ろしいほどの迫真性に富んでおり、その場面を現に目撃した者でなければ到底語りえないような内容なのである。そのことからすれば、右Y供述の信用性が極めて高いものであることは明らかである。」(一審判決文)

「風間が「ちんちんは気持ちが悪いからあんたやってよ」などと言いながら解体していた旨のYの供述は,経験した者でなければ語れない内容であるし,関根の同様の供述によっても裏付けられている。E及びWの死体をY方に運ぶだけならば関根とYの2人で足りるのであるが,2人の死体を短時間で解体して投棄消滅させる必要があったために風間もY方に赴いたものと合理的に推認できる。また,風間は,学校に行く子供の世話などがあるため,朝早くには熊谷に戻っている必要があったのであり,そのため,カリーナバンのほか風間の専用車クレフに分乗してY方に向かったものとみられるのである。風間が関根と共に,Eの死体の解体を行ったことは疑いなく認められる。」(二審判決文)


ご覧のように2人の裁判官は揃ってY供述について、自ら体験し、目撃した者でなければ到底語りえない迫真の供述だと述べて、その信憑性を大絶賛のうちに保証している。そして風間さんの供述については次のように述べる。


「右供述は、E方に自分は遅れて行ったとの嘘を前提としたものであるばかりでなく、関根とYがEの死体をWが助手席に座っていたという車の後部座席に積み込んだとか、とにかく病院に行こうと思って夢中で病院などない道を運転走行していたなどとする点は作り事としか思えないし、関根とYがWを絞殺したとして述べている内容も、2人があたかもゲームでもしているかのような様子で首を絞めていたと言わんばかりの極めて不自然なものであって、前記Y供述と対比しておよそ真実味に欠けている。」 (一審判決文)

「関根とYがWを絞殺したと述べる内容も,あたかも両者がゲームでもしているかのような様子であったといわんばかりの不自然なものであって,およそ真実味に欠けるといわざるを得ない。」(二審判決文)


両裁判官が「あたかもゲームでもしているかのような様子で」とか「不自然」「真実味に欠ける」などと述べているのは、風間供述の「そのまま車を走らせていたところ、関根とYが「掛かったか。」などと言いながらWの首に紐のような物を掛けて、2人で何度も「せえの。」などと声を掛けながら引っ張り合っていた。」という部分であろう。しかし関根氏のパーソナリティを考えれば、風間さんの供述が「不自然」「真実味に欠ける」という裁判官の見解こそ不自然で真実味に欠けているのではないだろうか。現に、一審の裁判官は関根氏が法廷で「ボディを透明にする」という言葉を口にしたことがある、と判決文に記しているではないか。

一方、裁判官はY氏の「 風間は、派手な花柄のスパッツを着用し、派手なラメ入りのサンダルを履いており、演歌を鼻歌まじりに口ずさみながらEの死体を細かく切り刻んでおり、「ちんちんは気持悪いから、あんたやってよ。」などと関根に言っていた。 」という供述を「不自然な点はない」「具体的」「恐ろしいほどの迫真性」などと評している。だが、人を絞殺する際に「掛かったか」「せえの」などというのは何とも非人間的で不快に堪えないが、これは常日頃の言葉遣いが出たのだろうという推測はできる。だが、狭い家の狭い風呂場で2人もの男性の遺体を、それも3時間ほど前に自分たちが殺害した遺体を解体するのに派手な衣裳やサンダルを身につける意図や心理はまったく理解不能だ。その上遺体を刻みながらその格好で歌まで口ずさむというのでは、完全に頭がおかしくなった女性の行為としか思えない。これのどこが「不自然な点はない」なのだろう。

それにY氏はひどく詳細に浴室内の風間さんの様子を描いているが、弁護人がY宅の浴室を図面どおりにつくってY氏のいう位置から中の光景を見ることができるかどうか実験したところ、不可能だったという。このようなことも裁判所は黙殺している。

ちなみにY氏の供述中に「風間は、白色のビニール製の手提げバッグを持っていた(初めて見るバッグだった。)」、「そのとき、風間は白い手提げバッグを持って車を降りている。」と、「白いバッグ」という文句がちょっと思わせぶりに二度出てくる。このバッグに花柄のスパッツやラメ入りのサンダルが入っているということをY氏の供述調書は暗に述べているのだろうと思ってちょっと苦笑させられた。
(つづく)
2012.01.18 Wed l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top
    1
昨年の11月、「女性死刑囚」(鹿砦社)という本が出版され、「埼玉愛犬家連続殺人事件」で2009年に死刑が確定した風間博子さんも「女性死刑囚」の一人として取り上げられている。著者は深笛義也という人で、この本の〔著者紹介〕によると、氏はこれまで種々の事件について週刊新潮などの雑誌に取材記事を書いてこられた人だということである。男性死刑囚の総数は戦後750名を超えているが、女性の場合はこの本の執筆時点では13名(その後1名増え、2011年末時点では14名)だという。 この本は目次もふくめてA5版の全141頁で、そのなかに13名すべての女性死刑囚についての叙述がなされているので、紙幅の制約上、風間さんの事件について詳細な検証がなされているとは言い難いが、ただ著者はこの本の執筆のために埼玉愛犬家殺人事件の裁判記録を読み込み、その結果、風間さんについて無実の確信をもったと述べている。 該当部分は以下のとおりである。

「和歌山毒物カレー事件の林眞須美、埼玉愛犬家殺人事件の風間博子には、確たる証拠もなく死刑が言い渡されている。いわゆる状況証拠による判決。だが彼女たちを取り巻い ていた状況をつぶさに見ていくと、むしろ彼女たち二人が無実であることが雄弁に語られているのだ。理知的に物事を捉えられる者には、それが見えるだろう。裁判官も同様の はずだ。だが真実に従って無罪判決を下せば、指弾されるべき捜査の過程が白日の下にさらされてしまう。それを避けるために、無実の者を死刑台に送ろうというのだ。」 (「はじめに」p5)

「女性死刑囚人ーー。この5文字のかもしだす、不思議な語感に惹かれて、書き出した。和歌山毒物カレー事件の林眞須美と、埼玉愛犬家殺人事件の風間博子は無実。公判裁判をくり返し読み込んで、それは確信を持って言えることだが、この本は声高に冤罪を叫ぶものではない。死刑という制度の是非を問うものでもない。 (「おわりに」p139)

刊行されたばかりの本なので引用はできるだけ控えたほうがいいと思うのだが、あえて上の文章を引用させていただいたのは、新聞、雑誌、書籍などの紙媒体で風間博子さんに対して「無実」(この「無実」は死刑判決の根拠である「殺人の共謀・実行」に関してである。)という明快な指摘がなされたのは初めてではないかと思われたからである。実際、風間さんの判決文では一・二審ともにどれだけ膨大な数に上る人間の経験則に反し、現実に反し、そして証拠に反した摩訶不思議な事実認定がなされていることだろう。読みながらいたるところで驚きあきれ、 暗澹とし、時には怒りを抑えきれなくなったりするのである。このような不公正な判決が、それもあらゆる裁判のなかで最大限の慎重さ・丁寧さが要求されていることが疑えない死刑事案において下されているというのに、司法の世界ではほとんど問題にもされていないようなのだ。これは何としても許されないことである。深笛氏には今後もできれば引き続きの取材を期待したい。それから、風間さんは現在控訴審以来の弁護人とともに再審請求に向けて準備中とのことである。

    2
一昨日(13日)、Twitterで前衆議院議員・松島みどり氏(自民党)の次の文章を見た。

「小川敏夫法相は死刑廃止議員連盟のメンバー。民主党はマニュフェストに死刑廃止を掲げたわけでないのに、こういう人物ばかり法相につける。刑事訴訟法は「死刑確定から半年以内に執行する」と定めているのに、昨年は執行ゼロ。法相が法律を守らない国は法治国家と言えない。」( 2012/01/13(金) )

しかし、新法相の小川敏夫氏は13日の就任会見で死刑執行について「法相の職責であるということをしっかり認識しているので、その職責を果たす」と述べた。

「 小川新法相、死刑執行に前向き姿勢(産経新聞 1月13日(金)22時7分配信)
 小川敏夫法相は13日の就任会見で、死刑について「たいへんつらい職務ではあると思うが、職責をしっかりと果たしたい」と述べ、執行に前向きな姿勢を示した。
 ただ、麻原彰晃死刑囚(56)=本名・松本智津夫=らオウム真理教事件の死刑確定囚については、元幹部の平田信(まこと)容疑者(46)が逮捕されたことから「(確定囚から)証言を聞くこともあり得る。その点を考慮する必要はある」と述べ、死刑執行を当面保留する可能性を示唆した。
 執行が長期にわたって見送られ、確定囚が130人に及んでいることに関しては「執行されないまま確定囚がどんどん増えていくのは法律の趣旨に合っていない」との見解を示した。
 小川氏は裁判官、検事、弁護士の経験を持ち、副法相も務めていた。法務省内では「民主党政権の歴代法相の中では最も推進派」とみられている。」

「小川敏夫法相は死刑廃止議員連盟のメンバー」という松島みどり氏の弁がもし事実で、小川氏が法相の地位を死刑執行の口約束などにより手中にしたのだとしたら、まったくもって信ずるに足りない情けない政治家というしかない。これまでのところ最後の死刑執行の命令を出したことになる千葉景子氏の場合といい、これでは「死刑廃止議員連盟」の存在意義が問われるだろう。頑として執行命令の印を押さなかった杉浦正健氏といい、前任の平岡秀夫氏といい、この人たちは2人とも確か死刑廃止議員連盟には加入していなかったと思う。退任を余儀なくされた平岡氏には本当にお疲れ様でしたとお伝えしたい。昨年は予想もしない3.11の大地震、津波、原発の炉心溶融災害が起きた。2万人近くの人びとの命が一瞬にして失われた。大切な家族を失い、家を失い、仕事を失い、傷つき疲れはてた人が大勢いる。そういう年に無理矢理人命を奪うことである死刑執行がなされなかったことは本当によかったと思うのだが、おそらく平岡氏もそういうことを強く意識されていたのではないだろうか。平岡氏の今後のさらなる活躍を期待したい。

「 小川法相は15日、死刑制度のあり方を検討する法務省内の勉強会について、都内で記者団に「(死刑制度の)廃止や維持の意見は出尽くしている。議論を重ねても同じ意見の繰り返しではあまり意味はない」と述べ、廃止を含めて対応を検討する意向を示した。
 小川氏は「職責を果たすと腹を決めた以上、 (私は)死刑制度の反対論者ではない」と、死刑執行に適切に対処する考えを改めて示した。 」( 読売新聞 2012年1月15日22時41分 )
執行が長期にわたって見送られ、確定囚が130人に及んでいることに関しては「執行されないまま確定囚がどんどん増えていくのは法律の趣旨に合っていない」との見解を示した。

この記事を読んでの感想だが、小川法相は現在死刑執行にかなり積極的であり、そのために死刑に関する勉強会に消極的になって「廃止」を口にしているということはないだろうか。死刑についての意見が出尽くしていると小川氏が考えるのなら、出尽くしたそれらの意見のうちの何を、どのように制度に活かしていくかという課題や論点があるはずだ。それとも、今のままの制度でいい、完璧だということだろうか。最近、日弁連も正面から死刑廃止に動き始めたという話もあるようなのだが。

前回、産経新聞と読売新聞の死刑に対する報道姿勢を批判させてもらったが、松島みどり氏も産経や読売と同じ考え方のようである。いや、産経や読売は「刑事訴訟法は「死刑確定から半年以内に執行する」と定めているのに、昨年は執行ゼロ。」とは言っても、「法相が法律を守らない国は法治国家と言えない。」とまでは主張していないようなので(もしかすると別の場所で述べているかも知れないが。)、松島氏の意見のほうが苛烈かも知れない。

同じようなことの繰り返しになるが、やはり松島氏にも反論しないわけにはいかない。 刑事訴訟法が「死刑確定から半年以内に執行する」と定めていても、この「半年以内」という規定は、日本の司法界では「期日は一応定められている」という緩やかな受け止め方をされて来た。確定囚の再審請求の権利の他に、恩赦の特権もありえるのだから、それらは最大限に尊重されなければならない。人の生命を断つことは取り返しがつかないからである。もし、産経などのメディアや松島氏がいとも軽々と主張するごとくに確定後「半年以内」の死刑執行がなされていたら、 免田事件、 財田川事件、 島田事件、 松山事件の人びとは全員国家に殺されていた。この人たちは死刑確定後早い人でも再審開始決定までに10数年を要しているのだ。また、現在死刑囚として獄中にいる人のなかで冤罪が疑われしてきている人は片手では数えきれないようである。また、特に痛ましいのは、数年前にも無実の身で死刑執行されたのではないかと指摘されている人がいることである。

「 死刑執行・判決推移 」によると、2011年の「新死刑確定数」は24名で、これは年号が平成に移行後の年間死刑確定者数として最多だそうである。この統計表の「新死刑確定数」欄のここ10年間(2002~2011年)の総計は134名である。年平均13.4名。その前の10年間ーつまりほぼ90年代いっぱいということだが、合計で46人。80年代が32人、70年代は39人。30年間の合計数は117人である。年平均3.9人。何とこの10年間に死刑が確定した人の数は、それ以前の30年間(70~90年代)の合計数より17人も多く、いきなり3.5倍に増えている。それもそのはず、70年代に入ってから司法は死刑判決に対して明らかに抑制的になっていて、71年からの30年間死刑確定数が二桁に達した年は一度もなかったのに、この10年では7回もある。異常としか言えないのだが、この理由は何だろうか?

ここで日本の殺人事件の増減に関する統計表を引用させていただく。

 「  日本殺人認知件数
  S25(1950年)2,892
  S30      3,066
  S35      2,844
  S40(1965年)2,379
  S45      1.989
  S50      2,024
  S55(1980年)1.684
  S60      1,780
  H01(1989年)1,308
  H05      1,233
  H10(1998年)1,388
  H15      1,452
  H18      1.309
  H19      1.199
  H20(2008年)1.297
  H21      1.094
  H22(2010年)1.067 ←戦後最低

 ソース 日本の犯罪統計 http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/2010/anzen/hanzai-zenkoku.html 」


お分かりのように、日本の殺人件数は年々減少をつづけている。普通なら死刑判決も減少してよいはずだ。それにもかかわらずのこの急増である。この記事の最初に引用した産経の記事には「執行が長期にわたって見送られ、確定囚が130人に及んでいることに関しては(注:新法相の小川氏は)「執行されないまま確定囚がどんどん増えていくのは法律の趣旨に合っていない」との見解を示した。 」との記述があるが、現在「確定囚が130人 に及んでいる」原因は、「執行が長期にわたって見送られ 」ているからではない。この10年間の年間確定囚の数が過去30年の記録の3.5倍に急増したからである。この間、従来どおりの確定数で推移していたならば、現在の確定死刑囚総数は40人弱だったはずだ。産経も新法相も裁判や裁判官の問題点からおそらくは故意に目を瞑り、これまでの法相の責任に転嫁している。

さて死刑判決急増の理由だが、これはおそらく99年以降の有事法制の成立や新自由主義政策などと結びついた支配方法の一つなのだろう。社会の状態が悪化しきびしくなればなるほど、過酷に取り扱っても誰も文句を言わない立場の者をより過酷に無慈悲に締め上げることは、特に下層の一般大衆を支配するために有効と考えているのではないだろうか。脅しにもなれば、差別化をはかって優越感をあたえることにもなる、古くからの管理・支配手法の一つだ。

死刑確定後6か月以内の執行の義務、とか、法相が法律を守らない国は法治国家と言えない、などと言ってひたすら死刑執行を煽動するメディアや政治家には、上述の冤罪の問題やおそろしい勢いで増えつづける死刑判決についてどう考えるのか、これらがまともな法治国家に相応しい公正なことなのかどうか、教えてほしいものである。

なお、捜査当局の犯罪検挙率が年々下がっているそうだが、これは素人目にも頷けることである。風間さんの捜査のやり方をみると、警察・検察は真相解明よりも、とにかく自分たちが描いたストーリーどおりに被疑者・被告人を動かし、裁判官の力も借りて早く事件にけりをつけて終了したい一心のように思えた。これでは捜査能力は衰退の一途を辿るしかないだろう。裁判官の能力と倫理感も懸念される。
2012.01.15 Sun l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (3) トラックバック (0) l top
ネット上に出ている映画『冷たい熱帯魚』の批評や感想文の類を読んでみると、必ずといっていいほど、第二の事件における遺体解体の場面に言及がなされている。主犯男性と風間さんらしき女性は喜々として殺害した二人の男性の解体作業にいそしみ(風間さんは歌まで口ずさんで)、気弱な主人公(事件の共犯者であり、『愛犬家連続殺人』の著者であるY氏)だけはその場の凄惨な光景に怖れおののいて震え上がっているという設定になっているようである。それならば、この場面は志麻永幸著『愛犬家連続殺人』における描写を忠実に採り入れているということになるのだが、では現実の事件の実態はどうだっただろう。

前回、風間さんがこの二件目の事件について法廷で「関根(主犯男性)とYの二人が車内でWさんの頸を紐で絞めて殺すのを目撃した」と、Y氏を名指しで殺人実行犯であると証言していることを紹介した。実はY氏を絶体絶命の窮地に陥れるだけの重みをもった風間さんの証言はこれだけではない。この事件が起きたのは1993年(平成5年)7月21日だが、その3日後の24日、風間さんは身体の診察のためにY氏、関根氏との三人で埼玉医科大学附属病院に行っている。病院からの帰途、風間さんは車の後部座席で横になっていたのだが、そのとき車内で生じた出来事について次のように述べている。

運転中のY氏が隣の関根氏に対し、

「手伝えばくれるといったじゃないか。100万円まだもらっていないよ」

と言い、それを聞いた関根氏はすぐ風間さんに対し、

「おい金もっているか」

と言った。風間さんは自分のハンドバックを関根氏に渡した。ハンドバックには前日か前々日にIという顧客に販売したアラスカン・マラミュートの代金70万円が在中しており、関根氏はそれをY氏に渡した。風間さんはこの時初めて関根氏とY氏の間で、最初のKさん殺害か、あるいは今回のE・Wさん殺害か、いずれの事件に関してかは分からないが、報酬を支払う約束があったことを知った、と述べている。

Y氏は著書に自分を如何にも気の弱い消極的な人物のように描き、検察官もY氏をそのような性格の人物だと述べているが,最初の被害者であるKさん殺害事件に関して、Kさんの行方を関根・Y氏に問い詰める家族(Kさんの妻や兄弟)に対してみせた態度にしても、法廷での各尋問に対する応答ぶりにしても、Y氏の言動は終始一貫、実に挑戦的、攻撃的であって、一般的にいう気弱な面などはまったく見られない。特に早期釈放の約束が破られたという担当検察官に対する憎悪の異様なほどの激しさは前回述べた通りである。そういうY氏が自分にきわめて不利な証言を一貫して述べ続けている風間さんに対して一切攻撃的言動をとらないのは、そしてついには「風間を早く釈放すべきである」とまで言っているのはなぜか。実は風間さんの主張・証言こそが本当のことであって、風間さんは殺人の共謀・実行に何ら関与していないということをY氏が明瞭に知っているからという以外に他の理由が存在する余地があるだろうか。

先ほど、風間さんが埼玉医科大学附属病院に行ったことを述べたが、風間さんは事件の翌日(7月22日)夜頃から、頭痛、吐き気、耳鳴り、咽喉の詰まり等に襲われ、7月23、24日と地元の飯田耳鼻咽喉科に行っている(甲第730号証~733号証)。埼玉医科大学附属病院へ行ったのは、24日、飯田耳鼻咽喉科の医者から紹介状を書くから今日すぐ埼玉医科大学附属病院へ行くように言われたからであった。埼玉医科大学附属病院では医師より「最近すごいショックを受けたとか、心配事とか悩みはなかったか」と聞かれている(甲第734号証~739号証、弁第25号証)。しかし、本件を医師に言うこともできず、右症状が本件による精神的ショックが原因であるとはっきりしたので、薬を貰っただけで、以降は同病院へ行くことをやめた(第一審「弁論要旨」より)。

検察官は風間さんが病院に行ったのは将来殺人罪で逮捕されたときの弁解のためだと主張している。しかし、通院が逮捕された場合の弁解になると考えて体調も悪くないのに病院に二日続けて通う人間がはたしているだろうか。絶対にいないとまでは断言できないにしろ、通院がいったい殺人のどんな弁解の具として使えるのかということもふくめてこれはかなり驚くべき発想であり、行動であろう。また、飯田耳鼻咽喉科といい、埼玉医科大学附属病院といい、専門の医師がそろって患者の病状の訴えが事実か虚偽(仮病)かの判別もつかないということがあるだろうか? それに将来の逮捕に備えての通院というのなら、埼玉医科大学附属病院にも共犯者である二人と一緒に行くようなことはしないだろう。それから風間さん自身は飯田耳鼻咽喉科に行ったのは7月23日のみだと思い、そのように供述していた。24日の通院が判ったのは飯田耳鼻咽喉科のカルテによってであった。

このエントリーの最初に触れた、風間さんが歌を歌いながら喜々として遺体解体作業にいそしんでいたという件だが、これは率直にいうとまったくの作り話としか思えない。アフリカケンネルの顧客などと一緒にY氏もカラオケ店に同行したことがあり、そんなとき風間さんが演歌を歌うことはあったようである。しかし、遺体解体中に歌とは…。風間さんはこれまで殺人どころか犯罪の経験もまったくないのだ。最初のKさん殺害事件では、風間さんは現場にいない。殺害場面も遺体も実際に見てはいないのだ。生まれて初めて無残な遺体を見る女性がどうして、「喜々として遺体解体」などできるのだろう? 奇怪としか言いようがない。

検察もY氏から上のような調書を取ったものの、風間さんの世にも突飛なそのような行動の理由付けに苦慮したのだろう。風間さんが関根氏と結婚する前後の時期、今から10年ほど前、関根氏の周辺のMという人物が姿を消しているのだが、その失踪への風間さんの関与を引き出そうとして警察は昔から関根氏やM氏と親しいある人物を呼んで厳しく取り調べたようである。検察は、風間さんが以前にも関根氏と共に人を殺したり、遺体の解体をやったことがあるので、今回も作業中に鼻歌が出たのだ、それほど彼女は遺体解体に慣れ切っていたのだというような話にもって行きたかったのだろうし、実際そのように主張している。しかしM氏失踪当時の風間さんは20代の若い母親であり、関根氏と知り合ってさして日も経っていないのだ。風間さんは関根氏を磊落な人柄であると思い込み、5歳になる長男にも優しく接してくれていたこと、また風間さん自身ひどく動物好きだったこともあって犬のブリーダーである関根氏との結婚に踏み切ったのだと述べている。そういう心境の女性が新婚早々何のためによく知りもしない無関係の人物を殺す必要や理由があるだろうか。警察で取り調べられた人物も法廷でM氏失踪に関して「風間さんは何も知らなかったと思います。」と証言している。それにも拘わらず、判決文はこの失踪事件にあたかも風間さんが関係しているかのような仄めかしや暗示をしている。殺人の共謀、実行、そして「喜々としての遺体解体」を事実と認定し、死刑を宣告する以上、せめてそうとでも書かなければどうにも辻褄の合わせようがなかったのではないだろうか。

それから第一のKさん事件の後、Kさん失踪に関して初めから関根氏を疑っていたKさんの親族との会合(風間さんは会合が行なわれたこと自体を知らなかったと述べている。もちろん出席もしていない)に際し、風間さんがY氏に前もって「こうするのよ」「ああ言うのよ」と対応の方法を教え、指図するという場面がY氏の著書同様、そして判決文同様、映画にもあるようだが、風間さんがY氏に犯罪やその後始末の手ほどきをするなどまったく笑止千万な話だと思う。これではまるで風間さんは多くの経験を積んだ犯罪のプロのようだが、このような風間さんの姿は、風間さんの日常を知っている知人たちの供述書や法廷におけるどの証言とも完全に相反している。Y氏も判決の基となる調書が出来上がる前、二件目の事件に関する警察の取調べに対し、当初は、「仮に関根からE殺害を持ちかけられても、博子という人間は、間違いなく反対するし、絶対に加担しないと思う。実際、E殺害計画は知らなかっただろう。」と供述していたのだ。自分の刑期を終えた後のY氏は二審の公判廷に証人として出廷した際、風間さんについて「人を殺せる人間かどうか顔を見れば分かるでしょう」とまで述べている。

遺体解体に関するY氏の調書や著書の不自然さと矛盾はこの記事「派手なスパッツ・ラメ入りのサンダル・演歌-証言は真実か?」でも指摘しているので、合わせてお読みいただければ幸いに思う。また、Y氏を「気弱な性格」の人物という検察官の主張の妥当性は、第一の事件における被害者家族・親族に対するY氏の態度をみれば判断できると思うので、この記事「被害者Kさんの肉親による捜索活動と3人の対応」も紹介しておきたい。それから、映画について触れる以上、実際に当の映画を観た方が良いことは分かっているのだが、今体調の関係で映画館の椅子に座り続けることがやや苦痛な状態なので、DVDの発売を待って観る予定でいることを一言おことわりしておきたい。
2011.02.10 Thu l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (9) トラックバック (0) l top
昨日(1月29日)、映画「冷たい熱帯魚」(監督・脚本:園子温、脚本:高橋ヨシキ、主演:吹越満・でんでん、配給:日活)が東京都内で公開になり、今後も全国で順次公開されるとのこと。

この映画について知ったのは、当ブログの、カテゴリでいうと「埼玉愛犬家連続殺人事件」欄(の記事)を検索で訪れてくださる方がこのところ急増していて(といっても、あくまで当ブログの普段のアクセス状況を基準にしてのことだが)、不思議に思ったので、こちらもネット検索してみたところ、どうやら上記の新作映画が原因らしいのである。

当ブログが連載で書いた「埼玉愛犬家連続殺人事件」に関する記事は、1993年に起きたこの事件で、発生からおよそ1年半後の1995年、加害者として逮捕起訴された三人の人物のうちの一人である風間博子さんに言い渡された死刑判決への疑問をつづったものである。風間さんは今から2年前の2009年に上告が棄却され、現在は確定死刑囚の身である。風間さんの死刑判決は、全3事件のうち初めの2件に関与し、被害者計四人のうちの三人を主犯である元夫と共謀し、殺害したという理由によるものだが、被告側の主張をことごとく退け、検察側の主張をほぼ全面的に採用して風間さんの死刑を導いた判決文は、主要な裁判資料を一通り読み通した結果、私には「無理を通せば道理が引っ込む」という諺があるけれども、その諺を地で行ったような、裁判のテーブルに乗っている証拠に真っ向から反する、どんな矛盾もモノともしない事実認定の連続で成り立っているもののように思われた。別の言い方をすると、根拠を持った合理的な主張はさまざまな難癖をつけられて徹底的に否定・排除され、不合理な主張の方は一も二もなく肯定と賛同の態度で受け容れられ、ふんだんな助け舟さえ与えられた上での判決というように目に映った。

もう3、4ヶ月前のことになるが、ある読者の方がコメント欄で、これは別のエントリーに関してだったが、現状の刑事裁判の重大な問題点として、下記の指摘をしておられた。

「捜査側はいい加減な捜査と証拠の提示をしても裁判所が救ってくれるので、いい加減な仕事しかしません。どんどん変な判例がふえて、どんどん捜査能力は落ちていきます。村木局長無罪判決はその0.1%に与することのできる勇気ある裁判官の事例であり、奇跡ですね。
 今回の大阪地検特捜部の証拠偽造などは、「何をしても裁判所は救ってくれるに決まっている」という甘ったれた思い上がりの仕業です。裁判所の捜査側に甘い姿勢が、捜査機関のモラルの低下を引き起こし、それが非常に明確に出てしまったということだと思います。しかし、検察庁は「自分達が全面的に悪い、反省して出直す」という姿勢を打ち出して、ことが裁判所に及ぶことを阻止すると思います。 」

私には、風間さんの判決は、上の文中の指摘である「何をしても裁判所は救ってくれるに決まっている」という捜査側の甘ったれ、思い上がった期待に裁判所がこれ以上はないほど完璧に、また忠実に応えたケースのように感じられる。

さて、ネットを検索してみると、映画「冷たい熱帯魚」は、この「埼玉愛犬家連続殺人事件」をモデルとして作られているとの指摘がもっぱらなのである。そこで、この指摘についての映画製作関係者の直の談話がないかと探したところ、ありました。1月20日、六本木のビルボードライブ東京で「冷たい熱帯魚」の特別試写会が開催され、本作の監督である園子温氏自らが、三池崇史映画監督、本映画の主演を務めた吹越満氏との三人で行なったトークイベントで、三池氏に本作が生まれたきっかけについて訊かれて、次のように話している。

「プロデューサーから言われたので作ったんですけど(笑)。実際にあった愛犬家殺人事件をリサーチして、ある意味、忠実に作ってます。でも、事実って「起・承・転」まではいいけど、「結」がだらしない。やっぱり映画だったら、「転・結」ぐらいはフィクションにしたかった」

この監督談話を、試写会などですでに映画「冷たい熱帯魚」を観た人が述べている感想やストーリーの概略と総合して判断すると、「実際にあった愛犬家殺人事件」とは、「埼玉愛犬家連続殺人事件」のことであり、「リサーチして、ある意味、忠実に作ってます。」という発言は、志麻永幸著『愛犬家連続殺人』(角川書店2000年)(前年の1999年に新潮社から『共犯者』という表題で出版されている本と一読したところ内容は同一と思われた。著者名は異なっている。)を下敷きにしてそれに「ある意味、忠実に作っ」たと語っているものと受け止めていいように思われる。

映画は登場人物の職業も現実とは異なるようだし、私自身は観てもいないので、映画自体に何かをいうつもりは全然ないのだが(『愛犬家連続殺人』を読んだ映画製作関係者がこの本の内容や登場人物の言動に矛盾や不自然さを感じなかったかどうかに関心はあるが┅┅)、ただ映画の下敷きにされていることが確かと思われる『愛犬家連続殺人』という本については述べておきたいことがある。これはごく単純なことで、この本の内容は事実をありのままに正直に叙述したものとはとうてい思われないということである。特にこの映画に興味を持っている方、これから観る予定のある方、またもうすでに観終えた方にもぜひそのことをお伝えしたい。

『愛犬家連続殺人』の著者「志麻永幸」は筆名で、この人物は「埼玉愛犬家連続殺人事件」で主犯男性と風間さんの共犯として逮捕起訴され、「死体損壊・遺棄」の罪名で実刑3年の判決を受けた人である。つまり、この事件で逮捕された計三名のうち、二名は殺人(「死体罪損壊・遺棄」罪も加わる)による死刑判決、志麻氏(当ブログではこれまでの記事で本名の頭文字を採って「Y氏」と表記しているので、ここでも以後「Y氏」と記す。)のみは実刑3年という判決であった。そもそも裁判自体、主犯男性と風間さんは同一裁判であり、Y氏だけひとり分離裁判であった。

第三者である私などからみると、犯罪自体の重大性と凶悪性、Y氏自身が認めている範囲に限っても、3件すべての事件においてY氏が果たした共犯としての役割の重さ(事件当時の三人の生活環境について少し言及しておくと、その頃風間さん夫婦は正式に離婚しており、別居生活であった。仕事場はもともと夫は犬舎、風間さんはペットショップと別々だったため、当時の二人は接触自体がきわめて少なかった。それに比して、Y氏はこの主犯男性の運転手役を務めたり、Y氏宅で同居生活をしたりと、その頃の二人の関係は公私ともに非常に密接であった。)にしては、Y氏の判決は驚くべく軽いと感じるが、しかしY氏の受け止め方はそうではなかった。自身の起訴が決定してからの担当検事に対するY氏の恨みは骨髄に徹するほど深いもので、理由はY氏によると、捜査段階で検事の用意した調書を認めれば、早期釈放、悪くても起訴猶予で釈放という約束ができていた、少なくともY氏自身は固くそう思い込んでいたという事情が伏在したことによるもので、そのことをY氏は公判でも事実上認めており、自分が検察内部で受けた想像を超える特別待遇の実態についても白状・暴露している。

一方、風間さんは捜査段階から一貫して自分は被害者の殺害など予想さえしていなかったこと、もちろん事前計画などのどんな共謀にも実行にも一切関与していないこと、しかし、二度目の事件では元夫に「E(被害者)の家に行ってるから、(夜)10時頃迎えに来てくれ。」という口実で事件現場に呼び出され、車の中で元夫とYの二人が被害者の頸を左右から紐で絞めて殺害するのを目撃させられたことなど、具体的な証言を詳細に述べている。自分に関するこういう風間さんの証言ーー殺害実行犯であるとの名指しの指摘ーーに対して、驚くべきことにY氏は特別な反応を何も示していない。風間さんを攻撃するような言動は一切していないのだ。判決は実刑とはいえ、わずか3年の刑だったにも関わらず、釈放・起訴猶予が叶わなかったことで「自分はあいつに騙された」「嘘をつかれた。決して許せない」と担当検事にあれほど憎悪を露わにしたY氏が、である。

Y氏は主犯および風間さんの第一審裁判の第16回公判に証人として呼ばれている。そのときのY氏は事件の詳細についての弁護人の尋問に証言拒否を繰り返したが、風間さんが殺人・死体遺棄などへの関与を全面否認していることについて尋ねられると、次のように述べた。

「本人が言ってんだから、間違いないでしょう。本人が言ってんだから、それで合ってるでしょう」
「私は、博子さんは無罪だと思います。言いたいことは、それだけです。」
「私は、博子さんは無罪だと思いますと言ったんです。全部ひっくるめて。」

このY証言について、風間さんの弁護人は「弁論要旨」のなかで、「Yからすれば、被告人風間に対し、何ら悪感情を持っていたわけではないし、あくまで自分の身代わりとして共犯に取り込む供述をしたが、Y自身の刑事裁判は「死体損壊・遺棄」で当初の目的を達成させたことから、今後殺人等でむし返されることはないと確認し、被告人風間に対する同情心と良心の呵責を抱き」、上記のような証言をしたのだという見解を述べ、また下記のようにも記している。

「このやり取りは、Yが本件に対する証言の中で唯一きっぱりと述べた部分であり、又被告人風間の罪体に関する重要な部分であり、Yが何故に証言拒否を繰り返す中で、この部分について明確に証言したのか、これは正にYのぎりぎりの「良心」であったと確信するものである。」(第一審弁論要旨)

第一審の裁判官は判決文においてこのY証言を完全黙殺した。その証言はなかったことにしてしまったのだ。しかし、Y氏の風間さんに関する同様の証言はこれにとどまらない。満期で出所し、本の出版も終えた数年後、Y氏は風間さんらの第二審の裁判に証人として出廷している。弁護人による事件の詳細に関する尋問に「知らぬ、存ぜぬ」で押し通したY氏は、ただ風間さんに関してだけは第一審時以上に積極的に証言している。風間さんの一審判決が死刑と聞いて非常に驚いたこと、風間さんが今この場にいること自体が誤りであること、自分が出所している以上、同じような立場にあった風間さんも直ちに釈放されるべきであること、などの発言内容であった。判決はほぼ検察官の主張どおり――ということは捜査段階におけるY氏の調書どおりということである――のものだったが、ここでY氏は実質的には風間さんに対する死刑判決の根拠である自らの調書を否定したことになるし、自著『愛犬家連続殺人』は信用のおける本ではないことをも認めたといえるだろう。

当ブログのこの事件に関する記事をお読みいただければ有難く思うが、早くから風間さんの無実を感じ取り、風間さんを支援してこられた「友人の会」に事件と風間さんについて簡潔に要約した文章が掲載されているので、こちらもご一読をお勧めする。
2011.01.30 Sun l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top
殺害したEさんとWさんの遺体解体の様子を描きだすY氏の供述内容については、真偽を慎重にみきわめる必要があると思う。Y氏は死体損壊・遺棄による「実刑3年」の判決を受け、満期出所した後、新潮社から事件について叙した著書『共犯者』を刊行している(後にほぼ同内容の本が、表題も著者名も変更されて角川書店から文庫で出版されている。こちらは題名『愛犬家連続殺人』、著者名「志麻永幸」)。取調べや法廷での供述と著書の内容には数々の相違・矛盾点があるが、これについては以前にこちらで指摘した。今回は、Y供述の中身およびこの供述に対する裁判所の認定に的をしぼって検討してみたい。最初に解体現場における風間さんの振る舞いについて述べたY氏の供述を判決文から引用する。

「翌日の午前2時ころ片品村の自宅に着くと、三人でEとWの死体を家の中に運び込み、まずEの死体を風呂場の中に入れて、関根と風間の二人で解体を始めた。自分は解体作業に携わっていない。二人は風間が帰るまでずっと風呂場で作業をしていた。そのとき風間は、派手な花柄のスパッツを着用し、派手なラメ入りのサンダルを履いており、演歌を鼻歌まじりに口ずさみながらEの死体を細かく切り刻んでおり、「ちんちんは気持悪いから、あんたやってよ。」などと関根に言っていた。風間については普段は口数の少ないお嬢さんタイプの女性だと思っていたので、これを見て本当にびっくりした。風間は、午前5時ころになると、「これで帰るから。」と言って、出て行ったが、そのとき風呂場の出入口付近を見ると、肉片や内臓等が入っていると思われる黒いビニール袋が6個位置かれていた。関根は風間が帰った後も作業を続けており、二人の死体を完全に解体した。二人の骨、衣類、所持品等は自分が関根の指示でドラム缶の中で燃やして灰にしてしまった。」(『一審判決文』p104~105)

これに対して裁判所は次のような判断を示している。

「Y供述の内容は、「風間は派手な花柄のスパッツや派手なラメ入りのサンダルを履き、鼻歌まじりに演歌を口ずさんだりしながらEの死体を細かく切り刻んでいた。このような風間の姿を見て本当にびっくりした。風間は、関根に対して『ちんちんは気持が悪いからあんたやってよ。』などと言っていた。また、風間は、午前5時ころになると用事があるからとしてさっさと一人で先に帰ってしまった。」などというもので、この世のものとは思えない凄惨な光景を極めて具体的かつ写実的に描写し、まさに経験した者でなければ語れないような臨場感を備えており、これが極めて高い信用性を有していることは明らかである。そして、関根供述の内容も、「Eの死体を解体するのは自分と風間がやったが、風間は自分に指示命令されてやったのではなく、本人の意思で進んでやっていた。風間はEの下半身を解体しており、その陰茎を含む部分を四角に切って、『それ以上は切れない。』などと言って自分に渡してきたことがある。風間は、午前6時ころになって、『用があったら電話して下さい。』と言って一人で先に帰って行った。」などというものであり、右Y供述を裏付けているのである。」(『一審判決文』p351~352)

この場面はY氏の著書のなかで最も話題になった箇所のようで、ネットでもこれに言及した記事を二、三度、見かけたことがある。裁判官は、Y氏のこの供述について、上記のように「この世のものとは思えない凄惨な光景を極めて具体的かつ写実的に描写し、まさに経験した者でなければ語れないような臨場感を備えており」との判示をしているが、この判断は正鵠を得ているだろうか? 私にはこの供述はまったく現実性を欠いた、どんなお手軽なテレビドラマにも使えそうにない非現実的ストーリーのように感じられる。これは人間を殺害した後の遺体の解体処理場面というよりは、グループで夏の海辺に遊びにやってきた若い男女の振る舞いであるとでもいったほうがずっと説得的なのではないだろうか。広々とした場所にきて気持ちのウキウキした若い女の子が包丁片手にバーベキューの準備でもしている光景のように思える。実際、そういう場面ならばテレビや映画やまた現実においてもどこかで見たことがあるような気がする。Y氏の本を読んだ人でこの場面について真に迫っているという人がもしいるとすれば、もしかすると過去にどこかで見たそのような場面の記憶を無意識のうちにY氏の描写するこの解体場面に投影させることで錯覚や混同のうちに納得した気になっているにすぎないのではないだろうか。一考の必要があると思う。キャンプ場でのバーベキュー作りになら、派手な花柄のスパッツに着替えたり、ラメ入りのサンダルを履いたり、演歌を口ずさみながら豚肉を刻んだりしても不思議はない。けれども、深夜、民家の狭い浴室で死んだばかりの(殺害に関与したにせよ、しなかったにせよ)二人もの人間の遺体を解体するというのに、人間、どういうわけでキャンプと勘違いしたかのような恰好に着替えたり、歌を歌ったりする気になるだろうか。風間さんは気が狂っているわけではないのだし、風間さんを知る多くの人の法廷証言でも、風間さんが常日頃突拍子もない行動などとは縁遠いタイプの堅実・実直な人柄だという点では見解の一致しているところなのである。また、このような場面の証言をしている当のY氏自身にしてからが、一方で、風間さんについて「人を殺せるような人間ではない」「人殺しには絶対に加わらないと思うし、前もって知ったら止めろという人間だと思う」と述べている。これは取調べ段階での供述であるが、出所した後証言台に立った時には、「死刑と聞いた時びっくりした」「人も殺してないのに、何で死刑になるの」「早く釈放すべきである」とまで述べているのだ。Y氏のこの証言は、前にここで述べたことだが、Wさんの死因について風間さんは「関根とYがWの首に紐のようなものを掛けて、(略)引っ張り合」ったと、Y氏が絞殺している現場を自分は現認したと明確に述べているにもかかわらずなされているのである。こうして経過をたどりくると、裁判所の認定はいっそばかばかしいとさえ言えるものではないだろうか。弁護人は下記のような指摘をしているが、大変現実的な意見だと思われる。

「Yによれば、被告人風間が浴室内で着替えたのであろうとのことであるが、Eの遺体が搬入されて極めて狭くなっている浴室内で、これからEの遺体を解体しようとするに先立ち、そのような衣類に着替える必要性は全くないと考えられる。/また、水商売の女が履くようなラメ入りのサンダルという点については、(略)狭い浴室内で、遺体を解体するにあたり、ゴム長靴等ならまだしも、不安定で転倒の危険さえあると考えられる水商売の女が履くようなサンダルを履く必要性はなく、また極めて不合理な行動ということができる。/さらに、Yの供述によれば、被告人風間は、スパッツを着用したままでY方を後にしたということであるが、このような行動は、解体の際に血液等が付着している可能性があることなどを考えると不自然である。/また、死体の解体時に、スパッツやサンダルを着用等していたということであれば、当然被告人風間の日常生活においても、スパッツ姿や水商売の女が履くようなサンダルを履いていることが目撃されなければならないと考えるが、被告人風間のそのような姿を目撃した旨の証拠は、一切存在しない。」(『一審弁論要旨』p475~476)

苦笑させられるのは、裁判官の次の見解である。上記のY供述に対して、裁判官が「経験した者でなければ語れない」「具体的かつ写実的」「臨場感」などという評価をくだしているということは、風間さんが「死体の解体時に、スパッツやサンダルを着用」したり、演歌を口ずさんだりするような意味不明かつ非常識な行動をする人間と認知しているということであろう。ところが、風間さんが早朝一人でY宅から帰って行った理由については、

「風間は、死体解体の手伝いに出かけるにしても、子供達の世話やアフリカケンネルの業務のことを考えれば、翌朝早いうちに熊谷に戻っていなければならなかったのである。」(『一審判決文』p353~354)

と、一転して急に日常的・現実的な判断を示すのである。こういう異常な状況下においても、風間さんが子どもたちの世話をはじめとした家事や仕事への考慮を忘れないだけの分別を持っている人物と判断するのなら、なぜ、遺体解体現場での「花柄のスパッツや派手なラメ入りのサンダル」や「演歌」などという誰が見ても突拍子もない証言を一も二もなく事実と決めつけ、「凄惨な光景を極めて具体的かつ写実的に描写し」云々と評することができるのだろう。不可解なことである。判決文は、被害者であるWさんが走行中の車内で絶命する場面についてのY氏の次の供述

「関根の指示に従って車を走らせていたところ、靴を履いたまま助手席のダッシュボードに足を乗せて座っていたWが突然呻き声をあげて体を突っ張らせ、痙攣硬直してそのまま死んでしまった。そのときWがダッシュボードに乗せていた両足を突っ張らせたため、フロントガラスの左下の二か所の部分がひび割れた。しかし、関根と風間は、この光景を見ても驚いた様子は全くなかった。」

に対しても、

「右供述は極めて具体的で恐ろしいほどの迫真性に富んでいる…」(『一審判決文』p175~176)

と、遺体解体の場面に対するのと同内容の判断を示してY供述の信憑性を強調する。一方、同じ場面についての風間さんの次の供述――先程述べたWさん殺害の場面についての供述であるが、

「関根の指示で4、50分位車を走らせていたが、病院などない荒川沿いの人気のない夜道を走っているうちに関根とYがWの首に紐のようなものを掛けて、『掛かったか。』などと言いながら、『せえの。』などとかけ声を出して引っ張り合っていた。そのときWの両足がダッシュボードの上にせり上がって両足が窓ガラスに当たってひび割れ、Wはその場で死んだ。」

に対しては、

「とにかく病院に行こうと思って夢中で病院などない道を運転走行していたなどとする点は作り事としか思えないし、関根とYがWを絞殺したとして述べている内容も、二人があたかもゲームでもしているかのような様子で首を絞めていたと言わんばかりの極めて不自然なものであって、前記Y供述と対比しておよそ真実味に欠けている。」

と判示する。「『掛かったか。』などと言いながら、『せえの。』などとかけ声を出して引っ張り合っていた。」という光景は実際異様きわまりない。けれども、事件を追うなかで見てきた関根氏のきわめて特異な性向――たとえば,判決文も明記しているように、法廷証言においても殺害した被害者の遺体を焼却してなきものにすることを「ボディを透明にする」などと述べていることに象徴される――を考慮に入れると、これは関根氏の行為として現実にありえないことでは決してないだろうと思う。そう考えると、この光景は「ゲームでもしているかのような様子」とは様相を異にしたものに感じられてくる。私にはこれは言いようもなく凄惨な光景に映る。「ゲーム」というなら、むしろ「風間は派手な花柄のスパッツや派手なラメ入りのサンダルを履き、鼻歌まじりに演歌を口ずさんだりしながらEの死体を細かく切り刻」む行動のほうがはるかにゲーム的ではないだろうか。

「このように、Eらの死体損壊遺棄に係わる客観的な情況事実は前記Y供述(及び関根供述)と極めて良い整合を示しているのであり、このことからも前記Y供述等が信用できることは疑う余地がないのである。
しかして、右のとおりY供述(及び関根供述)が信用できるのであるから、これと全く相反する風間の前記弁解が信用しえないことはいうまでもない。
そして、右情況事実の示すところと現に風間が死体解体作業に従事したという前記Y供述等を併せ考えると、風間がY方に同行したことや、朝方熊谷に帰ったことはもちろん、Y方で関根とともに死体解体作業に従事したことも全て予定の行動であったと認められるのであって、このことは、風間が関根とEらの殺害等について綿密かつ詳細な謀議をしていたことをよく物語っているのである。
また、信用できる前記Y供述の内容に照らすと、風間がEに対していかに凄まじい敵意と憎悪の念を抱いていたかを如実に看て取ることができるのである。」(『一審判決文』p354~355)

この判示を見ると、「この世のものとは思えない凄惨な光景を極めて具体的かつ写実的に描写し、まさに経験した者でなければ語れないような臨場感を備えており、これが極めて高い信用性を有していることは明らか」であるので、Y供述は信用でき、疑う余地はない。ゆえに,これと相反する風間供述は信用できるはずがない。信用できるY供述から推測すると、「風間がEに対していかに凄まじい敵意と憎悪の念を抱いていたかを如実に看て取ることができる」。判決文はこのように述べているのであるが、これはYの語ることは絶対に正しいという前提条件があって初めて成立する論理である。

Kさん殺害の現場に居合わせず、遺体解体にも関わっていない風間さんが、今回初めて直接殺害に関与し、こうして遺体解体までするというのに、これほどまでに気軽、大胆、平然と行動におよぶのは人間心理に照らしていくら何でも妙ではないか、奇怪であり非現実的すぎるではないかという基本的疑問に対して裁判所はどう応えるのだろう。裁判所が風間さんによる「E氏への敵意や憎悪の念」をどんなに強調しても、事実としてそのような敵意や憎悪をいだいていたという証拠は一切なく、したがって当の判決文においても具体的なことは何ら示されていないのである。

ここで、証拠不十分として立件が見送られた「M事件」のことが思いだされる。判決文は、昭和59年(84年)に関根氏が引き起こしたのではないかと疑われているMさん殺害事件に言及し、そこで風間さんのこの事件への関与を執拗に匂わせ、暗示していた。しかし、関根氏から万吉犬舎に呼び出され、頼まれてMさんの遺体の焼却を自分が行なったと法廷で証言した人物は、風間さんのM事件への関与およびその可能性について聞かれ、躊躇なく明確にこれを否定しているのだ。ところが、判決文はこの証人の明確な否定をあろうことか肯定に変え、それを根拠としてのこれは暗示なのである。遺体解体はこの「M事件」ですでに経験済みということで、E・Wさんの遺体解体現場における風間さんの奔放な行動も説明できると言いたいのではないかと思われる。でもこれでは被告人は法による裁きをうけているとはとうてい言えないだろう。疑問は尽きない。
2010.01.22 Fri l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top
E氏とW氏の殺害後、日付が替わった翌22日の2時ころに関根氏、Y氏、風間さんの三人は遺体を車に乗せて片品のY宅に到着した。Y宅に向かうにあたっては、Y氏はKさん殺害時と同様、またも関根氏に脅迫されてやむをえず協力したのだと次のように述べている。

 Y氏は今回も関根氏に脅迫され、やむなく事件に協力したというのだが…

「関根の指示でカリーナバンにWの死体を積んだまま三人でEの家に戻ったが、その途中で関根に「お前は共犯者だ、死体処理を手伝え。手伝わなかったらカメラマンの女も生かしやしねえ。」などと言って脅された。/「カメラマンの女」とは当時自分が付き合っていたN・M子のことである。E方に入ると、Eが仰向けで大の宇になって倒れて死んでいた。三人でEの死体もカリーナバンの荷台に運び込んで一旦万吉犬舎に立ち寄り、関根が「博子の足があるから、お前が先頭を走って山に行け。」と言うので、自分が万吉犬舎に置かれていたクレフを運転して先導し、風間が二人の死体を積み込んだカリーナバンを運転し、関根がその助手席に乗り、片品村の自宅に向かった。」(『一審判決文』p104)

Y氏が述べるこの状況も実は大変おかしい。「「手伝わなかったらカメラマンの女も生かしやしねえ。」などと言って脅された」というが、関根氏はKさんの時もそうだったが、脅すについてこの時ピストルやナイフを手にしているわけではなく、手ぶらのようである。手ぶらでこのように脅されて、もう関根氏に従う以外に助かる方途はないと思いこむほどの恐怖を感じるだろうか? 関根氏は暴力団員でもなければ怖い仲間もいない。そのことにはもうY氏も気づかなかったはずはないと思えるし、Y氏は風間さんの場合と違って関根氏との間に面倒な縁故関係など何もないのだ。一目散に逃げればそれで済むはずではないか。今警察に駆け込めば、被害者の遺体ごと現行犯で逮捕して貰えるのだから、願ってもないチャンスである。まして、片品に向かう際、Y氏は風間さんのクレフに一人で乗っているのだ。こうして見ていくと、「脅された」というY氏の言い分にはまったく説得力がないように思える。

風間さんの弁護人は、片品に向かうにあたり、Y氏が一人でクレフを運転し、風間さんが遺体を乗せたカリーナバンを運転したことについて下記のように論述しているが、この論旨は大変説得的であると思うので、引用しておく。

「Yは、クレフに乗り込んだところ、被告人関根がクレフの助手席に乗り込んできて「お前は共犯者なんだ」などと言い、さらにN・M子について危害を加える等の脅迫をなしている旨、供述している(甲第486、593号証)。/(略)しかしながら、被告人関根が、このようにYの裏切りを警戒しているのであれば、クレフにYを単独で乗車させて先行させる理由は、全くないと考えられる。/検察官が述べるように、E・W事件が被告人両名の共謀にかかるものであって、被告人両名が運命共同体であり、一方、Yは動機もない小心者の部外者であるとするならば、このようなYの裏切りを警戒するのが当然であり、裏切りを防止するためにはYを単独で行動させずに、脅迫者である被告人関根がYの面前にいることが最も効果的なのであるから、被告人関根がクレフまたはカリーナバンに、Yと乗車するという極めて容易な手段があるにもかかわらず、あえてYの単独の運転を認めるという危険を犯すのは、極めて不自然である。/検察官の主張とは逆に、Yが単独でクレフを運転して片品に向かい、被告人関根が被告人風間の運転するカリーナバンに乗車したということは、被告人関根にとって、Yの裏切りは全く心配する必要はなく、むしろ被告人風間の行動が不安だったからにほかならないと考えられ、そのように考える方が、Yの供述の不自然性に比べてはるかに合理的である。/Yは関越自動車道沼田インターチェンジから一般道に行くべきところ、同所において検問がなされていたのを発見したことから、次の月夜野インターチェンジに向かった旨供述している(甲第486号証)。/Yはこれについて、例のごとく被告人関根から脅されていたからである旨弁解するが、(略)/Yにとって検問がなされることを発見したということは、千載一遇のチャンスであるはずであって、検問がなされていることを知らない被告人両名を、E・Wの遺体という最も端的な証拠付きで警察につき出す絶好の機会だったはずなのである。(『一審弁論要旨)p457~460)

 Eさんの所持品ロレックスの金時計

Y氏は、遺体に解体にとりかかる前にEさんの遺品のなかからロレックスの時計を手に取り、関根氏の了解のもと、これを貰い受けている。Y氏自身は関根氏に保管するように依頼されたのだと述べているが、関根氏のほうににそのような依頼をする合理的理由はちょっと考えられないことや、風間さん、Y氏の元妻であるS子さんの証言からみても,この供述は虚偽ではないかと思われる。風間さんの証言は次のとおりである。

「被告人関根とYが居間の被告人風間のそばに来て座り込み、被告人関根はEのバックを逆さにして中身をザァーと出した。/その中にダイヤのちりばめられた時計があり、Yが「これ、俺がもらっていいかな」と言い、被告人関根は「いいけど売るとか質屋に入れてながしちゃうとかするな」と言った。」(『一審弁論要旨』p102)

ロレックスについて、Y氏は取調べ当初は「捨ててしまって持っていない」とすでに処分済みであると述べていた。しかし、Y氏の供述によりE・W氏の骨片などが投棄した塗川から発見されて約20日も経た2月22日からようやくロレックスを保管している旨の供述をはじめている(甲第586号証)。ロレックスを保管していた理由について、Y氏は「切り札としても使えると思った。これを持っていれば被告人関根もYに手出しできなくなり、何かのときにはK子かS子にロレックスを持って警察に出頭させれば、被告人関根の悪行が証明できると思った。」(甲第487号証)と述べている。しかし、元妻であるS子さんの供述を聞くと、Y氏がロレックスを事件の切り札、すなわち、「被告人関根の悪行の証明」にしようと考えていたとは、到底思えないのである。一審弁論要旨から引用する。

「S子がロレックスのことを初めて知ったのは、平成5年10月の連休中に、片品村のY方を訪問した際であったが、Yが、ピースの空き缶に保管していたロレックスを取り出してきて、同女に見せ、「本物だぞ、アフリカの社長から貰ったんだ」と言い、同女からまずい品物ではないかと尋ねられたのに対し、Yは「大丈夫だよ、でもこれ売れないな、番号を控えてあるかもしれないし」などと答えているのである。/これによれば、Yは自らこれを取り出して、S子にロレックスを見せており、会話の調子からロレックスを見せびらかし、自慢するという様子がうかがえ、番号を控えられている可能性があるから売れないということは、可能ならば換金したいという希望があることを意味していることは、明らかである。」(『一審弁論要旨』p463)

その後、Y氏はS子さんにロレックスを預け、保管して貰っていたが、愛犬家連続殺人事件のキーマンとして警察の追及の気配が身辺に迫ると、Y氏は当時愛人だったK子さんとともに遁走する。その旨を元妻のS子さんに告げた際、ロレックスについて二人の間に次のような会話がなされている。再び一審弁論要旨からの引用である。

「平成6年10月18日午前4時ころ、Yが同女(注:S子)方を訪ね、警察の取調べから逃亡する旨述べたのに対し、同女がロレックスを取り出して来、Yに「これも何か事件に関係ある物じゃないの?返すから」と言ったところ、Yは「捨ててくれよ」と言い、これに対し同女は、気持ち悪かったので「自分で捨ててよ」と言って、Yにロレックスを返したという。/これによれば、ロレックスを取り戻しにS子方を訪ねたというYの供述は、全く虚偽であって、同女が、保管してあるロレックスに気付いて、Yにその返還を持ちかけたのにすぎないし、何よりも「捨ててくれよ」「自分で捨ててよ」などという会話が「Yの言う切り札にしようと思った、警察の信用を得ようと思ったなどという保管理由と完全に矛盾するものであることは明らかである。Yの言うような極めて重要な意味がロレックスの保管にあるとしたならば、捨てるなどという言葉が出ようはずはないからである。/ロレックス保管の理由として、Yは、「警察からの事情聴取を受けた場合、Yの言い分を警察に信じてもらえる有力な証拠になると思った」旨述べ、特にK事件の場合と異なり、E・W事件での遺骨等の投棄場所は、塗川であったから、証拠物が発見されない可能性があり、そうなった場合はロレックスを提出しようと考えていたが、塗川から証拠物が発見されたためロレックスを保管している必要がなくなり、警察に提出したものである旨述べる(甲第487号証)。/しかしながら、Yの述べる右理由は不合理極まるものである。/まず、事情聴取を受けた際にYの言い分を警察に信用して貰うため、というのであれば、まさに本格的な取調べが行われようとする矢先に、前述の如く(管理人注:元妻に対して)「捨ててくれ」などという言葉が、Yの口から出るはずはないのである。」(『一審弁論要旨』p464~466)

Y氏によるこのロレックス保管に関する裁判所の判断であるが、以下のとおりである。

「YはE・W事件においてEが身に着けていた高価な金時計(ロレックス)を関根から受け取り、それを処分するように指示された後も密かに保管し続けていたのであるが、その所在について妻であるK子や前妻のS子に対しては逃走中に海に投げ捨てたなどと嘘をついていたことを自認しており(甲487等参照)、右時計を所持し続けていたのはむしろ換金目的からではないかとの疑いが相当強い」(『一審判決文』p181~182)

裁判所は、Y氏が換金目的で時計を自分のものにした疑いが濃厚であることを認めながら、誰もがいだくであろう当然の疑念を述べている上述の弁護人の主張に何も答えようとせず、なぜか次のような結論を導きだすのである。

「Yの供述の主要な部分が真実であることについては被告人両名の供述をも含む関係証拠によって十分裏付けられているのであるから、結局のところ、Yの供述内容の一部に右のような虚言あるいは誇張と思われる供述が存在することは、その供述全体の基本的信用性を揺るがすようなものでないということができるのである。」(『一審判決文』p183)

「Yの供述の主要な部分が真実であること」を私はこれまでのところまだ一度も知らされていないように思うのだが、裁判官はここで具体的に明確にその「真実である主要な部分」を書き記すべきであったろう。Y氏がEさんのロレックスの時計を欲して実際に自分のものにしたのは、これが高価な品だったからであることは裁判所も上記のとおり認めている。それならば、Y氏によるこのロレックスの取り扱い状況が、自分や家族の身を守るためにやむなく犯罪に関与させられた人間のとる行動であるかどうか明確な判断を示すべきであったろう。
2010.01.21 Thu l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top
平成5年(93年)の春から夏にかけて引き起こされた3件4名の連続殺人事件において、殺害の道具に使用されたのは、いずれの場合も硝酸ストリキニーネである。これが裁判所の認定である。ただし、被害者の遺体はすべて焼却・投棄され、わずかに発見されたのは骨片だけであり、これでは検証は不可能なので、この認定は科学的実証的になされたわけではない。裁判所が、Y氏の供述が三人の供述のうち最も信頼性が高いと判断し、Y氏は被害者の殺害に関与していると主張する関根氏および風間さんの供述を退けたということである。しかし果たしてこの判断は正しいだろうか。硝酸ストリキニーネはアフリカケンネルが犬を安楽死させる際にかかりつけのY獣医から過去何回か入手したことのある薬であるが、一審弁論要旨からこの薬の性質・効能についての記述を引用して説明する。

 硝酸ストリキニーネ

「検察官は硝ストの毒薬としての作用について、服用した人や動物が身体を硬直させることを別とすると、ほとんど声を上げずに静かに死亡する作用の毒薬であり、被告人関根も硝ストを投与された犬が声も上げずに静かに死亡する状況を見てその薬効を知っていた旨述べる。/しかしながら、まず硝ストの作用に関し、ほとんど声を上げずに静かに死亡する作用の毒薬であるという点については、硝ストにこのような作用がある旨記載した硝ストに関する甲号証はない。/むろん硝ストの作用による硬直性痙攣を生じている場合、声を上げることは困難であろうと思われるが、硝ストは小腸で吸収され、肝臓による解毒作用を越えた時に血液中のストリキニーネが脊髄の神経作用を生じさせる部位に到達して中毒症状が出るので(甲第934号証)、それまでの間で硝酸ストリキニーネが胃粘膜に強い刺激を与えて服用者に胃痛を与える可能性がある(甲第930考証)。/また、症状発現までは15~30分程度である(甲第934号証)。/したがって、硝スト服用後、症状発現までの間に腹痛等の痛みが生じうることになるから、この間に、服用した者が何らかの行動に出る可能性はあることになる。」(『一審弁論要旨』p204)

硝酸ストリキニーネは、青酸カリのように、服用後直ちに症状が現れる性質の薬ではないようである。熊谷市内の薬局Fの店長であるN氏の一審における法廷証言によると、平成5年(93年)2月から3月上旬ころ関根氏から硝酸ストリキニーネが入手できるか否か尋ねられ、これを断ったと証言し、H薬局店の店主H氏も同じく関根氏から硝ストを取り寄せてくれと言われてこれを断ったと述べている。このことは、事件の1~2ヶ月前に関根氏が硝酸ストリキニーネを入手しようとして果たせなかった事実があったということであり、関根氏がKさんおよびEさん、Wさんに服用させた薬はあらかじめ所持していた硝酸ストリキニーネだったかも知れないが、そうではなかった可能性もあるということだ。関根氏自身は、取調べ段階では、使用した薬について硝ストと供述していた時期もあったが、法廷ではそのように述べてはいない。では、その関根氏をはじめ、Y氏、風間さんの三人が、硝酸ストリキニーネ、およびその他の薬や飲物に関連してどのような供述をしているかを、一審判決文を基にして個別に見てみたい。なお、8月26日に起こった3件目のSさん殺害事件では、風間さんは訴追されていないが、一応その供述も記す。(氏名の敬称は略す。)

① K事件(4月20日)のケース

関根供述…Yと三人で車庫内に置いてある車(ライトエース)の中に入り、自分が運転席にKは助手席に座り、YはKの後ろの後部座席に座った。自分がKに対して適当な話をしながら、用意して来ていたワンカップの陶陶酒等を飲ませたり、バランス(精神安定剤)などを何錠かKに飲ませたところ、しばらくしてKはうとうとと居眠りを始めた。Yの方を見たら、Yは目で合図するのと同時に隠し持っていた綿引(犬を繋いだりする紐)を背後からKの首に掛け、ぎゅうぎゅう絞めて絞め殺した。

Y供述……関根が車内でKにドリンク剤などを勧めていたが、自分はその後関根に言われて給油と買い物に行ったので、殺害場面は見ていないが、その時の様子からして、関根が何らかの毒薬をKに飲ませて殺害したのだと思う。

風間供述…関根がYにKを絞殺させた上Yとその死体を損壊遺棄したことは、翌日の4月21日の午後6時ころに関根から教えられて初めて知った。

② E・W事件(7月21日)のケース

関根供述…E方に着き三人でE方に上がり、雑談などをした後風間がEにカプセル2個を渡して飲ませ、自分がYを介してWにカプセル2個を渡して飲ませた。まもなくEは腹が痛いと言い出したが、Wの状態は変わらなかったので、毒の量が少ないし古いのでやはり効かないのかと思った。Wは、救急車を呼びに行くために外に出て行ったが、Wがどこかの家の中に入って倒れたりすると大変だと思い、取り敢えずYに後を追いかけてもらった。Yは、Eが死んだのを確認して出て行った。その後、自分も風間も外に出て、Wらの所へ行き、(略) 風間がカリーナバンを運転して来たので、Wがその助手席に乗り、自分とYが後部座席に座った。(略) 自分がYの方を見ると、Yは目配せすると同時に綿引でWの首を背後から絞めた。少し経ってからYが、「社長、社長、紐。」と言って綿引の一方の端を持つよう言ってきたが、そのときは車が停まっていて、風間が後ろを向いて「もう死んでるよ。」と言った。

Y供述……E宅前で関根に「待ってろ」と言われたので、自分は家の中には入らず、そのまま車内で待機していた。20分か30分位して、Wが玄関から飛び出して来て県道の方に走って行き、その後1分位して風間が手ぶらで出て来た。風間は、代行(E)が急に具合が悪くなったので救急車を呼んでいるなどと言い、Eの家の中からは「代行、大丈夫ですか。今救急車を呼んだから。」などという関根の声がした。風間が出て来てから5分位して関根も出て来て、自分に車を持ってくるように指示してWの所に歩いて行ったので、カリーナバンを運転して関根らの所に行き、Wが助手席に乗り、関根と風間は後部座席に乗って出発したが、(略)走り出して7、8分経ったころWが突然「気持が悪い。病院に連れて行って下さい。」と言った。(略)その2、3分後にWが突然「うー。」とうなり声をあげて一瞬体を硬直させ、両足を強く突っ張ったため、左足と右足が付いていた場所を中心にフロントガラスの左下部の二か所にそれぞれ直径30センチメートルほどの蜘蛛の巣状のひびが入り、Wはそのまま動かなくなって死んでしまった。E宅に戻ると、Eは部屋の中ですでに死んでいた。したがって、自分はW・Eともに殺害現場は見ていないが、関根と風間が毒薬を飲ませて殺したと思った。

風間供述…当日は、関根からE方に午後10時に迎えに来るように指示されて行った。家の中に入ると既に関根とYが来ており、Eからは「お母さん、まだ。」などと聞かれたが、自分は何のことだかわからず曖昧な返事をしていた。そのうちにEが腹が痛いと言い出し、まもなくWとYが外に出て行った。その後Eは気持が悪いとか言っていたが、それほど大変な様子ではなく、自分も余りその場にいたくなかったので外に出て、自分の車の中で持っていた。5分位して自分の車をE方前から少し移動させて車を降りE方前に戻ったところ、関根とYが家の中から何か重そうな物を運んで出て来たので、近寄って自分もそれを持ったところ、毛布が被せられていたが、その感触から死体であると感じてびっくりした。関根とYは、それを玄関の近くに停められていた車(カリーナバン)の荷台に運び込み、関根が「お前が運転しろ。」と言ったので、思わず「はい。」と言って運転席に飛び込んだが、カリーナバンにはWが椅子を半分倒したような状態で助手席に座っていた。(略)車を走らせていたところ、関根とYが「掛かったか。」などと言いながらWの首に紐のような物を掛けて、二人で何度も「せえの。」などと声を掛けながら引っ張り合っていた。そのときWの両足がダッシュボードの上にせり上がり、足が窓ガラスに当たってガラスが蜘蛛の巣状にひび割れ、Wはその場で死んだ。

③ S事件(8月26日)のケース

関根供述…S(注:被害者女性)を車から降ろし、車を近くの駐車場に入れて買い物に出かけ、佐谷田の車庫に戻ってみると、Yが車庫の中に置かれていた車の中でSを綿引で絞めており、風間がすぐそばにいて、「もう死んでいるよ。」と言った。

Y供述>……事件の起きた当日、関根に呼ばれて佐谷田の車庫に行くと、女の人の死体を見せられた。殺害場面は見ていない。

風間供述…自分は何も関与していない。

上記の三人の供述を要約すると、まず関根氏は、Kさん殺害について、自分がKさんに酒や精神安定剤入りのドリンクを飲ませてウトウトさせたところでY氏が背後から頸を紐で絞殺した、と述べている。2件目のE・Wさんの場合は、二人にカプセルを飲ませ、Eさんはそのカプセルによって死亡したが、Wさんはしばらくすると家を飛び出したので車に乗せ、走行中にKさんの場合と同様Y氏が絞殺した。なお、E・W事件において、関根氏が薬の種類を特定せず、「カプセル」と述べているのは、薬を用意したのは風間さんであり、自分は「風間とともに、風間がどこからか取り出して来た硝酸ストリキニーネをカプセルに詰める作業をした」(『一審判決文』p116)などと述べ、それゆえ薬の種類について自分自身ははっきり知らないのだといっているのである。それから、関根氏は、3件目の被害者であるSさんの死因もY氏による絞殺だったと述べている。次に、Y氏の供述だが、上述のとおり、殺害現場は3件とも自分は一切見ていない、W氏の場合も、車内で苦しんで死亡するところを見ただけだと述べている。次に、風間さんであるが、KさんをY氏が絞め殺したと関根氏から聞かされた。カリーナバンの車内でWさんが関根氏とY氏に紐で絞殺されるのを現認した。またSさんについても、関根氏から「Yに殺らせた」と聞かされた、と供述している。

以上のように、三人の供述を簡単に説明したが、これらの供述内容から殺害に使用された薬を「硝酸ストリキニーネ」と明確に断定するのは困難ではないかとも思われる。関根氏はKさんに与えた飲物について「陶陶酒」「カプセル」と述べ、E・Wさんの場合も「カプセル」と述べていて、「硝酸ストリキニーネ」と明言されてはいないので、何らかの薬が使用されたことは確実だが、それを頭から「硝酸ストリキニーネ」と決めつけていいのかについては疑問が残る。

さて、裁判官は硝酸ストリキニーネと風間さんの関係について下記のように認定している。

「風間は、公判廷においては、これまで2回にわたって右Y獣医から犬を薬殺するという名目で硝酸ストリキニーネを直接受け取っていたことを自認しており、また風間の逮捕後に江南町の風間方居宅を捜索した結果、風呂場の脱衣場に置かれていた整理タンスの中から円筒状に丸めて輪ゴムで括ったビニール袋が発見され、その中には薬包紙に包まれた約1.545グラムもの多量の硝酸ストリキニーネが入っていたのである。風間は、後述するとおり、右薬は平成5年8月10日ころに飼犬を薬殺するためにY獣医から手に入れたものであり、また同人から受け取ったままの状態で保管していたと弁解するが、これが虚偽であることは後述するとおりである。そして、風間方から発見された右硝酸ストリキニーネは、白色紙片及びビニール片に包まれていたが、右白色紙片等は何回も開け閉めした形跡があり、しかも硝酸ストリキニーネの数量が約1.545グラムという中途半端なものであること(Y獣医は後述のとおり処分する犬1頭当たり約1グラムの硝酸ストリキニーネを渡していたものである。なお、同人は硝酸ストリキニーネを関根らに出すときはその都度秤で計量していたと言う。)からしても、その一部を使用した残りである可能性が高いと解される。/更に、風間は、捜査段階で一旦は「自分がY獣医から硝酸ストリキニーネを貰ったのは昭和60年ころの1回だけで、その後貰ったことはない。」旨述べたものの(乙76)、その後「平成5年の7月か8月ころサッチャーという名の犬を殺すためにY獣医から硝酸ストリキニーネを貰って来たことがあるが、その犬は薬物を使用することなく処分できたので、貰って来た薬は整理ダンスの中に入れておいた。」旨述べるに至り(乙77)、更に公判廷では前記のとおり「整理タンスの中から発見された硝酸ストリキニーネは平成5年8月10日ころにY獣医から貰って来たものだ。」などと述べているのであって、その供述内容を転々とさせているものである。(『一審判決文』p239~241)

上記の認定については丁寧に検証してみたい。「これが虚偽であることは後述するとおりである」、「その供述内容を転々とさせている」という箇所は非常に断定的な表現なので、これを読んだ人は大方、風間さんが明白に虚偽を述べたり、捜査段階から公判にかけて供述を転々と変化させてきたと思うであろう。そして、「後述」されているところの、「右白色紙片等は何回も開け閉めした形跡があ」ることや、「硝酸ストリキニーネの数量が約1.545グラムという中途半端なもの」であることにも疑いの目をむけるだろう。けれども、実態は判決文が述べているところとはまるで異なるのである。まず冒頭の

「風間は、公判廷においては、これまで2回にわたって右Y獣医から犬を薬殺するという名目で硝酸ストリキニーネを直接受け取っていたことを自認しており」

という文言における「公判廷においては……硝酸ストリキニーネを直接受け取っていたことを自認しており」との言い回しは思わせぶりであるが、風間さんは「公判廷においては」どころか、取調べ段階から「硝酸ストリキニーネを直接受け取っていたこと」を自認していた。そのことは、乙76と乙77の間にある2通の調書にちゃんと記されている。この2通の調書を検察官が隠匿していたのであるが、順を追って見ていくと、

「乙76は平成7年2月22日付員面調書であり、その中では、昭和60年ころ、薬殺用の薬をもらったこと、その時1回だけであることが述べられている。」(弁護人『上告趣意書』p96~98)

しかしその翌日の2月23日付、および2月24日付の2通の供述調書において、乙76で述べた内容について記憶を辿って思い出したことを追加したり、間違って話した内容を訂正したりしているのである。

「平成7年2月23日付員面調書では、2月22日付員面調書の内容を訂正し、平成5年7月か8月ころ、Y獣医がもうだめだと言ったマラミュート犬を薬殺しようとして薬をもらいに行き、もらってきたこと、その薬は結局使用しないで自宅にしまっておいた旨供述しており、また、更に2月24日付員面調書でも犬の薬殺について供述している。」(弁護人『上告趣意書』p96~98)

2月22日(乙76)には昭和60年頃の1回しか犬薬殺用の薬は貰っていないと述べているが、翌日の23日には、薬をその後もう一度貰ったこと、それは未使用のままタンスにしまいこんでいたことを記憶喚起し、それを捜査陣にちゃんと話しているのである。このように取り調べ段階から薬を2回貰ったことを自認していたのだから、判決文の思わせぶりな「公判廷においては……自認しており」という叙述は明白に誤りである。したがって、下記の

「また風間の逮捕後に江南町の風間方居宅を捜索した結果、風呂場の脱衣場に置かれていた整理タンスの中から円筒状に丸めて輪ゴムで括ったビニール袋が発見され、その中には薬包紙に包まれた約1.545グラムもの多量の硝酸ストリキニーネが入っていたのである。」

という判示における、自宅のタンスから薬が発見されたことが予想外の驚愕すべき出来事であるかのような表現はあんまりである。供述どおりにビニール袋入りの薬が自宅から出てきたことを不思議がる必要は何もないだろう。

それから、裁判所は「これが虚偽であることは後述するとおりである。」と述べているが、薬の包み紙に「何回も開け閉めした形跡がある」ことも「後述する」虚偽の一つということになるようである。でも、「開け閉めした形跡」を刻んだのは、捜査過程における警察ではないのだろうか? 常識では、それ以外に考えようはないと思うのだが。また1.545グラムの量についてだが、中途半端といえばたしかにそうである。しかし、アフリカケンネルの男性従業員Sさんは、Y獣医から平成4年9月にこの薬を受け取った時、「毒薬だから取扱いに注意してくれ」と言われはしたものの、「硝ストを単に小さいスプーンで直接薬ビンから取り出して、これを薬包紙に入れて包んだ旨述べ、Y(獣医)が言うように量りで量った上で薬包紙に包む作業がなされるのを見ていない。」(『一審弁論要旨』p201)とのことである。「Y獣医は(略)硝酸ストリキニーネを関根らに出すときはその都度秤で計量していたと言う」と判決文は述べているが、Sさんの証言をみると必ずしもそのとおりではなかったようである。「包装紙に開け閉めした形跡がある」とか「薬の量が中途半端」とか、「Y獣医本人が薬はその都度秤で計量して渡していたと述べている」などと、根拠の不確かな理由で、「これは殺害にその一部を使用した残りである可能性が高い」との判断を導きだすのでは、その論法はあまりに乱暴であり、またひどく作為的なものに感じられもする。そもそも、この事件は、風間さんらが逮捕されるまでに「埼玉愛犬家殺人事件」として1年もの長期にわたるマスコミ騒動があったということを忘れてはならない。もし風間さんが硝ストを用いて殺害に関与していたのなら、その使い残しをタンスにしまったまま忘れるなどということがありえるだろうか。「見つかったら大ごとになる」とばかり、さっさと始末したはずである。弁護人の次の判断こそがごく普通の常識だと思われる。

「K及びE・W事件において硝ストをもってこれらの被害者を殺害し、右殺害について主犯としての役割を有していた場合、その決定的な証拠である硝ストをあえて保持しているなどということは到底考えられないし、ロレックスなどと異なり、高価ではなく、投棄自体もはるかに容易である硝ストを、強制捜査の約1年前にマスコミで大々的に報道され、(略)、最も重要であって投棄も極めてたやすいにもかかわらず、被告人風間において整理ダンスの中にしまったまま忘れてしまうなどということがありえるはずはないのである。」(『一審弁論要旨』p221)

上記の弁護人の論述を見れば、硝ストに関する判決文への反論も批判ももうこれで十分ではないかと思えるのだが、もう少しつづける。

 従業員Mさんの証言と風間さんの供述の相違点

風間さんは2月22日(乙76)、23日につづいて24日にも捜査官に薬(風間さんは「硝酸ストリキニーネ」という言葉を捜査段階で使用していない。裁判官が判決文のなかで風間さんの言葉として「硝酸ストリキニーネ」と明示しているのは不公正だと思われる)についての供述をしている。念のために確認すると、22日にはY獣医から硝ストを貰ったのは昭和60年ころの一度だけと述べ、翌23日にはそれを訂正し、平成5年の7月か8月ころサッチャーという犬のために薬を貰ったことがあること、しかしそれはサッチャーの容体が回復したために使わずに済み、そのままタンスの引き出しにしまいこんでいることを供述した。そしてその翌24日には、結局貰いに行きはしなかったが、薬に関する話を従業員にしたことがあることを述べている。供述調書から引用する。

「私は今までで従業員に対してY獣医さんのところに薬殺用の薬をもらいに行かせたことはありませんが、
  Y獣医さんのところで薬殺用の薬をたのめばもらえる話をした事
があります。
その話をした従業員は、
  M 20歳位
でMさんに話をしたのです。
私がMさんに話をした時期は/ちょうどサッチャーが具合が悪くなった頃ですから/平成5年7月か8月の事でした。
Mさんに話をした場所は
  万吉犬舎か
  店
のどちらかだと記憶しています。
Mさんはその頃万吉犬舎で働いていたので万吉犬舎で話した可能性が高いのです。
話の内容は、
  店に来たお客さんの飼っている犬の具合が悪いので処分する薬をくれる様なところがあるんですか、と聞かれたので、私は「どうしてもという時は店に来てください」とお客さんに言った事でした。」
「しかし、そのお客さんは私の店には来ませんでした。そしてそのお客さんが来た話をMさんにしてから3、4日後、またMさんと雑談している時に前言った話を思い出し
  「薬のお客さんこなかった。/ だからもうもらってやんないんだ。」
と話したのです。するとMさんは
  「そうなんですか」と返事をしただけでした。
私は結局、薬殺用の薬をY獣医さんには客の為にもらいにはいかなかったんです。」

23日につづく24日付のこの調書が存在しているにもかかわらず、検察官はこれらの調書を隠匿し、いかにも風間さんが供述を変転させているかのように裁判官に受け取らせる細工をしているのである。そして、裁判官は審理の進行過程における被告・弁護人側からの検察に対する反論と批判によりこの事実を十分承知しているはずであるにもかかわらず、判決において次のように述べているのである。

「風間は、捜査段階においては、客から頼まれて硝酸ストリキニーネをY獣医から貰ったことはないと明言していたのに、公判では、客から硝酸ストリキニーネの入手方を打診されたことはあり、Mに対してMが述べているのに近い話はしたが、結局客のために硝酸ストリキニーネをY獣医から入手したことはなく、しかもMに話をしたのは7月15日でなく、7月28日である旨捜査段階の供述を実質的に覆す供述をしているのであるが、この供述変更にももっともな理由は見出せず、前同様の意図とMの強烈な供述内容を知りこれとの辻棲合わせを何とか図って自己の弁解を支えようとの意図からなされたものと見られるのである。その内容も甚だしく不自然であって(客から硝酸ストリキニーネの入手方を頼まれておらず、単なる打診があっただけだとすれば、風間がMに対してMが述べている話(客の頼みでサッチャーを薬殺すると嘘をついてY獣医から毒薬を入手した(する)ので、Y獣医から聞かれたときはサッチャーは間違いなく処分したと言ってほしいという話)に近い話などするはずはないであろう。そのほか、サッチャーを薬殺する必要が現在あるわけでもないのに、サッチャーを薬殺するために毒薬を入手したとしている点なども不自然である。)、前記M供述と対比し、到底措信できるものでない。
そして、右信用できるM供述の内容と風間が(右のような信用できない供述をしつつも)Y獣医から硝酸ストリキニーネを入手したことを認めていることなどを総合して検討すると、風間は、7月15日ころ、サッチャーを薬殺するという虚言を弄してY獣医から相当量(一頭分であるから恐らくは約1グラム)の毒薬(硝酸ストリキニーネ)を入手していたことを優に認定できるのである。もっとも、Y獣医は、平成4年12月ころから平成5年初めにかけて渡したのを最後にアフリカケンネル関係者に硝酸ストリキニーネを渡したことはないと述べているのであるが、風間自身が受け取った事実を明確に認め、かつMもこれに沿う供述をしているのであるから、Y(獣医)の右供述の存在は何ら右認定の妨げになるものではないのである。」(『一審判決文』p307~309)

上記の判決文を吟味してゆきたい。まず、「風間は、捜査段階においては、客から頼まれて硝酸ストリキニーネをY獣医から貰ったことはないと明言していたのに、公判では、客から硝酸ストリキニーネの入手方を打診されたことはあり」と述べている云々、と風間さんを非難する判示は、意味不明とまでは言えないにしろ、実態とそぐわず実に妙な表現である。日本語の使い方として基礎的なところに疑問をおぼえる。もしも、「風間は、捜査段階においては、客から頼まれて硝酸ストリキニーネをY獣医から貰ったことはないと明言していたのに、公判では、客から頼まれてY獣医から硝酸ストリキニーネを入手したことがある」とでも述べたというのなら、「供述を変転させている」と非難されても仕方ないかもしれないが、風間さんは捜査段階から公判にいたるまで、「客から犬薬殺用の薬を貰えるかどうかにつき打診され、その話を従業員の一人に話した。しかしその客はその後店に来なかったのでその話はそれっきり沙汰止みになった」と一貫して述べている。客に「打診されたことはある」という内容の供述も2月24日にちゃんとしているのである。いったい裁判官はここで何を言いたいのだろう?

「Mに話をしたのは7月15日でなく、7月28日である旨捜査段階の供述を実質的に覆す供述をしているのであるが、この供述変更にももっともな理由は見出せず」

との認定であるが、弁護人によると、「「7月15日」という供述は、第一審で証拠採用された供述調書にはどこにもない。」(『上告趣意書』p98)とのことである。裁判官はなぜ判決文において自ら「Mに話をしたのは7月15日でなく」と、わざわざ「7月15日」という日付を創作するのだろうか? 裁判官が勝手に創作した日付を被告人が公判廷において述べないのは「供述を実質的に覆す」ことではなく、自然天然、当たり前のことであろう。これはとんでもない悪質な行為だが、死刑判決という裁判所にとって最も重大深刻な判決をなすにあたり、これほどいい加減な認定が堂々なされているのである。「7月28」日という日付は、2月24日付の調書に見られるとおり、取調べ段階で「平成5年7月か8月の事でした。」と述べていたのが(どうやら、裁判官は「7月か8月の事でした」という供述をなぜか「7月15日」にすり変えているようである)、その後、記憶をたどるうちに、日付を推測する材料がでてきて、それらとの関連でMさんに話をしたのは「7月28日」だったとの特定の日付に絞り込まれていったもので、人間の記憶喚起というのは、大抵の場合、このようにしてなされるものではないのだろうか。このように自然な経過を判決文のいうように「供述変更」と捉えるのは不合理・不公正きわまりないと思われる。

次に検討したいのは、「(注:供述変更は)前同様の意図とMの強烈な供述内容を知りこれとの辻棲合わせを何とか図って自己の弁解を支えようとの意図からなされたものと見られるのである。」

という判示であるが、むしろMさんの供述内容をこのように「強烈な」と表現することこそが驚くべき「強烈な」ことのように思われる。もっとも上述のとおり、風間さんは「供述変更」などまったくしていないのだから、そもそもこのような判示が導きだされる前提が成立していないのだが、仕方がないので、一つ一つ見ていくことにする。ここで述べられている「前同様の意図」とは何であるかといえば、下記のことのようである。

「風間は、Y獣医からの硝酸ストリキニーネ入手の時期につき、捜査段階では平成5年7月か8月ころと述べていたにもかかわらず(乙77)、公判で突如8月10日と言い出したのであるが、この供述変更は、一連の事件のうちE・W事件までしか起訴されずS事件での起訴を免れたことから、硝酸ストリキニーネの入手口をE・W事件以降にしてこの入手が起訴された事件とは無関係であることを印象付けようとの意図に出たものと見られ、他にもっともな理由があっての供述変更であるとは全く考えられないのである。」(『一審判決文』p306~307)

硝酸ストリキニーネ入手の時期につき「公判で突如8月10日と言い出した」との判定だが、ここにもまた故意かどうか分からないが、過誤がある。風間さんは硝酸ストリキニーネの入手日を「8月10日」と特定しているのではなく、「8月10日ころ」と述べているのだ。「捜査段階では平成5年7月か8月ころと述べていたにもかかわらず(乙77)、公判で突如8月10日と言い出した」ことについては、先程も述べたことだが、これは、漠然とした記憶がいろんな喚起材料をえて、しだいに明確な記憶を獲得していく人間の思考の働きに適合した自然なことと思われる。なぜこれが供述変更として非難されなければならないことなのだろうか? どう考えても非難するほうがおかしいであろう。このように誰の目にも供述変更と映るはずのないことを無理やり供述変更と決めつけ、その挙げ句、その供述変更の理由として「S事件での起訴を免れたことから、硝酸ストリキニーネの入手口をE・W事件以降にしてこの入手が起訴された事件とは無関係であることを印象付けようとの意図に出たものと見られ」と勝手にS事件を持ち出して押しつけたり、根拠も示さず一方的に人の胸の内を邪推したりしているのだから、これはとても正気の沙汰とは思われない。裁判官のいう「前同様の意図」とはこのような次元のものなのだ。さて、「Mの強烈な供述内容」とは、何かといえば、次のことである。

2月24日の供述調書のとおり、風間さんはMさんという万吉犬舎の女性従業員に、Y獣医さんのところで薬殺用の薬をたのめばもらえる話をしたことがある。その内容は、風間さんの記憶では、下記のようになっている。

「 店に来たお客さんの飼っている犬の具合が悪いので処分する薬をくれる様なところがあるんですか、と聞かれたので、私は「どうしてもという時は店に来てください」とお客さんに言った事でした。」
「しかし、そのお客さんは私の店には来ませんでした。そしてそのお客さんが来た話をMさんにしてから3、4日後、またMさんと雑談している時に前言った話を思い出し
  「薬のお客さんこなかった。/だからもうもらってやんないんだ。」
と話したのです。するとMさんは
  「そうなんですか」と返事をしただけでした。」

しかし、法廷でのMさんの証言は風間さんの記憶とは微妙に異なっていて、彼女は風間さんから聞いた話として次のように証言した。

「ペットショップの近くのお客さんから、自分が飼っている犬が病気か何かで苦しんでいるので薬殺したいと頼まれて、Y獣医から薬殺用の薬を貰って来た。ただ普通の場合だと、そういう形では譲ってくれないので、一応名目上はサッチャーがもう助かりそうもないので自分の方で処理するから薬を下さいという形で貰った。だからY獣医から聞かれた場合には、あの犬は間違いなく処分したということを言っておいてほしい。』などと言われた(なお、右の貰ったという点については、これから貰うという言い方をしたかもしれない。)(『一審判決文』p304)

上記のMさんの証言が、裁判官によると「強烈な供述内容」であり、これを知ったために風間さんは辻棲合わせを図って自己の弁解を支えようとの意図から供述変更がなされたというのである。この場合の「供述変更」とは、すでに述べたようにMさんに硝酸ストリキニーネについての話をした日付が、捜査段階では「7月か8月ころ」だったのに、公判に入って「7月28日」と具体的な日付を述べるようになったことを指しているのである。硝酸ストリキニーネ入手の時期を具体的に述べるようになったことを非難した場合と同様の非難である。これを「供述変更」と呼んで非難するのはそもそも裁判官としてあまりにも低水準ではないかと思われるが、その理由はすでに述べた。

さて、一般に聞き違いということは日常茶飯によくあることである。同一の現象について、あるいは交わした会話について、一人一人がそれぞれに記憶している内容を照合すると、「エッ」と驚いたり、思わず笑いだしたりするほどの相違があることは珍しいことではない。むしろこのような経験をもたない人はほとんど皆無といってもいいのではなかろうか。そして、上述のMさんの証言だが、「Y獣医から聞かれた場合には、あの犬は間違いなく処分したということを言っておいてほしい」と風間さんが述べたとのことだが、この話は筋道にやや無理があるように思える。というのは、Y獣医はアフリカケンネルのかかりつけの獣医であり、犬が病気になれば必ずこの獣医の世話にならなければならないのだから、「サッチャー」が現に生きていて、いつ何どき獣医の診察をうけなければならなくなるか分からないのに、「獣医にサッチャーはもう処分したと言ってほしい」と風間さんが頼むというのは少々合点のいかないことである。そう考えると、二人のうち、記憶違いの可能性が大きいのは、風間さんではなく、Mさんのほうではないかというように思われるのである。

風間さんとストリキニーネの関係についてまとめると、風間さんの主張は、これまでY獣医からこの薬を貰ったのは2回だということである。1回目は、昭和60年(85年)のことで、薬を貰って犬の薬殺に使用した。もう1回は平成5年の8月10日頃で、風間さんの供述によると、

「万吉犬舎にはサッチャーという名前のアラスカン・マラミュートがいたが、その犬が7月中旬ころ重い病気に罹って発作を起こしたりしていた。8月10日ころにはサッチャーは普通に歩けるような状態になっていた。8月10日ころ他の犬を治療のためY獣医のところへ連れて行ったときに、Y獣医からサッチャーの病状について聞かれ、『今度発作を起こしたら、もう完全にいかれちゃって危ないぞ、飼い主だってどうなるか分からない。』などと言われたため、『そのときは覚悟して薬殺しますから、そのときのために薬を分けて下さい。』と言って貰った。」(『一審判決文』p301~302)

ということである。これまで見てきたように、風間さんは取調べ段階(2月23日)から公判までこの供述を一貫して行なっているし、実際、硝酸ストリキニーネは風間さんの供述どおりに自宅から出てきているのだ。矛盾はないと思われる。検察官は風間さんがいかにも供述を変化させているように装うべく、2月23・24日の調書を隠匿した。裁判官はその事情をまず間違いなく知っているはずであるにもかかわらず、素知らぬ風で「供述の変転」と決めつけ、執拗にあらんかぎりの難くせをつけている。けれども、具体的に事実を見ていけば、風間さんの供述の一貫性・合理性は誰の目にも明らかだと思われる。
2010.01.19 Tue l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top
Kさん殺害からおよそ3ケ月が経った平成5年(93年)7月21日に発生したEさんとWさん二人の殺害事件。この事件に関する判決文の認定について、これまで気にかかりながら書きもらしていた疑問点をこれから数回に分けて記していく。自宅で殺害されたEさんは、関根氏とは約十年来の付き合いであったが、殺害当時、関根氏は暴力団の幹部でもあるE氏に金銭を要求されることが多くなり、その存在を鬱陶しく感じるようになっていたようである。判決文は二人の交流について下記のように述べている。

「被告人関根は、日ごろから自分が暴力団員と親交を有していることを周囲の者に得意気に吹聴するなど、自己が暴力団にも顔が利く人間であることを誇示するとともに、犬の売買等で相手方と紛争が生じたときにはEに仲介を頼むなどして暴力団幹部である同人の威力を利用しており、Eもまた被告人関根との交際を通じて自己の利を図るなど、両名は複雑な利害関係を保ちつつ親交を重ねていた。」(『一審判決文』p39)

関根氏とEさんの関係は数々の証言から推察するに、上記の判決文の認定どおりでほぼ間違いないと思われる。

しかし、Eさんと風間さんの人間関係についての裁判所の認定にははなはだ疑問がある。判決文は、風間さんがEさんを「毛嫌いしていた」(p40)とか「K建設との間でこのような紛争が生じたのは仲介者であるEが前記2000万円をK建設に渡さずに着服するなりしてしまったからではないかと疑うとともに、Eに対する不快感を益々強めるに至った。」(p42)などと、風間さんがE氏を嫌悪し、憎悪していたと断定する。しかし、風間さんがE氏に対して判決文が示すような悪感情をもっていたことを裏付ける証拠は関根氏の証言以外には何もない。風間さん自身は、E氏は暴力団員であり、K建設との間のゴタゴタや金銭に関する日頃の行動からみて当然Eさんへの信頼感などもってはいなかったが、しかしEさんの行動は何事も関根氏と裏で画策した上でのことであると考えていたので、E氏に対して嫌悪も憎悪も特別な感情などもっていなかったと述べている。

他方、21歳の若いWさんは当時Eさんの付き人兼運転手のような役目をしていた人で、関根氏との間に利害の衝突や人間関係における軋轢などは何もなかった。側近として常にEさんと行動を共にしていたために、それを唯一の理由として口封じのためにEさんと一緒に殺されることになってしまった。どの被害者の方もそうだが、Wさんも気の毒としか言いようがない。

事件当夜、関根氏、Y氏、風間さんの三人が各々どのような行動をしたかについて、判決文は今回もまたY氏の供述こそが全面的に信用できるとしてこれを採用し、次の事実認定を行なっている。

「Eは、いよいよ暴力団員の本性を露わにして、(略)被告人らに対して、「銭を借りるから江南町の土地建物の権利証や実印を21日までに俺の家に持って来い。」などと露骨な要求を突き付けるに至った。そのため、被告人両名は、その対応策について相談するうちに、このままではせっかく自分達が築いた財産を全てEに取られてしまうに違いないとの危機感を強め、こうなればいっそEの右要求を全部呑むふりをして同人を安心油断させ、E方で同人及びその付き人として常に同人の傍らに控えているWに毒薬(硝酸ストリキニーネ)を服用させて両名を殺害した上、Kの場合と同様に、Yに手伝わせて両名の死体をY方に運び込み、同所で死体を解体等した上で遺棄することを決めるに至った。そこで、被告人両名は、Eに対しては、右要求に応じるため被告人両名が7月21日の午後10時ころE方を訪問する旨告げて同人の了承を得るとともに、かねてから隠匿保管していた硝酸ストリキニーネをカプセルに詰めるなどしてEらを殺害するための準備を進め、また死体を解体するための包丁等も用意した上で、同日午後10時前ころ、右の事情を知らないYに車(トヨタカリーナバン)を運転させて万吉犬舎を出発し、約束の時間にE方に到着し、被告人関根がYに対して車の中で待機しているよう指示するとともに、被告人両名がE方に入って行った。」(『一審判決文』p50)

裁判所のこの認定に対し、風間さんは全面的に異議を唱え、上記のすべての認定を否定している。「硝酸ストリキニーネをカプセルに詰めるなどしてEらを殺害するための準備を進め」たことも、「死体を解体するための包丁等も用意した」ことも。事実、判決文にこの認定を裏付ける証拠は記されていないのであるが、ここでは、「同日午後10時前ころ、右の事情を知らないYに車(トヨタカリーナバン)を運転させて万吉犬舎を出発し、約束の時間にE方に到着し、被告人関根がYに対して車の中で待機しているよう指示するとともに、被告人両名がE方に入って行った。」という認定--三人がY氏の運転するカリーナバンに同乗して一緒にE宅に向かったという判示について検証する。

風間さんは、、自分はその日の夕方6時30分頃、Y氏と一緒にペットショップにやってきた関根氏から、「Eんちへ行っているから、10時頃迎えに来てくれ」と言われ、母親や娘と一緒にうちわ祭を見物して帰宅した後、夜10時過ぎに大原の自宅から一人でE宅に向かったのだと主張している。殺害計画など何も知らなかったし、E宅からその頃関根氏が一人で暮らしていた江南の住居まで送り届けるつもりで、サンダル履きの軽装で出かけたのだと述べる。そしてこの供述を正しいと証言してくれる証人はちゃんといるのだが、裁判所はこの証言をも退けている。これはまったく不当なことだと当ブログは考えるが、判決文は上述の判示につづいて、「罪となるべき事実」として次の判断をくだしている。

「被告人両名は共謀の上、平成5年7月21日午後10時過ぎころ、埼玉県×××所在のE方居宅において、同人(当時51歳)に対し、殺意を持って、硝酸ストリキニーネを詰めたカプセルを栄養剤と偽って交付し、即時同所において、情を知らない同人をして右カプセルを服用させ、よって、そのころ、同所において、同人を右毒物により中毒死させて殺害した。/被告人両名は共謀の上、前同日午後10時過ぎころ、前記E方において、W(当時21歳)に対し、殺意を持って、硝酸ストリキニーネを詰めたカプセルを栄養剤と偽って交付し、即時同所において、情を知らない同人をして右カプセルを服用させ、よって、同日午後10時40分ころ、同町大字樋春付近の荒川右岸堤防沿いの道路を走行中のY運転の小型貨物自動車(カリーナバン)内において、右Wを右毒物により中毒死させて殺害した。」(『一審判決文』p51~52)

このように、裁判所は、関根氏と風間さんが共謀してE氏・W氏の殺害計画・準備を進め、その上で事情を何も知らないY氏を脅して手伝わせ、二人の毒殺を実行したと認定しているので、関根氏、Y氏、風間さん、この三人の事件への関与の構図はKさん殺害事件と同じということになる。ただし、Kさん殺害の際は、風間さんは事前共謀と被害者の車の放置にだけ関与し、殺害現場に登場することはなかった。佐谷田の車庫にいたのは加害者としては最初から最後まで関根氏とY氏だけだったが、今回は風間さんは殺害に赴く車に自らも乗り込み、関根氏およびY氏と共にE氏の自宅に向かったのだと認定している。この点、Kさん殺害の場合と状況は大きく異なる。判決文の認定が正しいかどうか、風間さん側の主張や証言などの証拠と照らし合わせて検証してみたい。風間さんがどのように述べているか、一審弁護人の弁論要旨から以下抜粋する。

「被告人風間の7月21日の行動
(1)(略)(ペットショップに)12時頃には長男Fが友人と店にやって来て、二人で食事に行きたいというので金を渡し、食事に行かせた。/その際、Fは夜うちわ祭に行くと言っていたので被告人風間はFに対し、「10時前には帰るように」と言った。/午後3時頃、被告人風間の母Y子が店にやって来て、N(娘)の相手をしてくれたことから、被告人風間は午後四時頃、バイクで万吉犬舎へ行き、従業員Mの手のあくのを待って、ログハウスの中でMと一緒にサッチャーに注射等の治療をしたが、治療に要した時間は約一時間くらいである。/被告人風間が万吉犬舎に着いたときは、被告人関根、Yはおらず、また駐車場にはトヨタライトエース(5971番)、トヨタハイエース(3458番)、カリーナバン(5996番)はなかったが、直後に右3台の車が万吉犬舎に入ってきて、被告人関根とYの顔はチラッと見たが、被告人風間はすぐにログハウスの中に入り、会話はしていない。/そして治療を終えて、被告人風間がログハウスから出た直後に、万吉犬舎前の道路にカリーナバンがやって来て、停車したのを見ている。/Yが運転席、被告人関根が助手席に乗っていたが、被告人関根から「砂場(注:そば屋)に行くからお前も一緒に来い」と言われ、被告人風間はカリーナバンに乗り、午後5時30分頃砂場で食事をし、万吉犬舎に戻り、被告人風間は、一人でバイクにのって6時10分頃店に戻り、母とN(娘)と従業員一名とすごした。
(2) 午後6時30分頃、被告人関根とYが店にやって来て、少しして二人でどこかへ出かけたが、その際被告人関根は被告人風間に対し、「Eんちへ行っているから、10時頃迎えに来てくれ」と言っていった。/そして被告人風間は、6時40分くらいに店を閉め、母、Nの3人でうちわ祭を見物し、その夜はNは母の家に泊まる約束になっていたので、お祭り広場で別れ、午後9時過ぎ頃、被告人風間はクレフに乗って一人で大原の家に戻った。
(3)同日午後9時30分過ぎ頃にもMR(注:愛人)より電話が入り、被告人風間はMRと会話をかわしている。
(4)そして午後9時50分頃、Fが帰宅し、「どう、今日は時間をちゃんと守ったでしょう」と会話を交わし、Fが当日タコ焼きの屋台でアルバイトをし、自分が初めて焼いたタコ焼きを待って帰ったので二人で食べた後、「お客さんのところにお父さんを迎えに行って江南に送ってくる」と言って、午後10時10分頃大原の家を出た。/その時の被告人風間の服装は、上は白っぽい色のTシャツまたはポロシャツ、下はジーパンをはき、健康サンダル履きの軽装で財布と免許証だけをもってクレフに乗って向かった。
(5)(略)午後10時30分頃E宅の路上にクレフを停車し、車中で5分位待機していたが、被告人関根が出てこないので、玄関の中に入り、「こんばんわ」と声をかけた。/Eが「おう入れよ」と言ったので、部屋に上がったところ、Eは低いソファに座り、被告人関根、Yは床に座り、Wは立って動き回っていた。/被告人風間は被告人関根のそばに座った。/そうするとEが「おかあさん、まだ」と言うので、被告人風間はその意味がわからなかったが「ええ?」という感じと「ええっ」と返事するような曖昧な感じで答えた。」(『一審弁論要旨』p93~96)

このように、風間さんは、自分は関根氏、Y氏と一緒にE氏宅に向かったのではなく、9時半頃うちわ祭から帰宅した長男と一緒にたこ焼きを食べ、その後、午後10時過ぎに自宅を一人で出たのだと主張している。風間さんのこの供述は取調べ段階から公判まで一貫して変わっていないが、この供述にはその正しさについての証言者がいる。当時中学3年生だった長男のFくんである。一審の証言台では、彼がなぜ鮮明にそのことを記憶しているかについて、前年の中学2年時は友人の家のタコ焼き店で売るほうだけしか担当させて貰えなかったが、3年の時はタコ焼き作りをさせて貰ったためとてもつよく印象に残っている、と答えている。控訴審の法廷でも証言内容は同じである。以下に記す。

「博子さんとタコ焼きを食べたのは?
   「中3のとき。」
なぜ憶えているのか?
   「自分が初めてタコ焼きを作ったから。 」
タコ焼き屋と自宅の距離は?
   「自転車で30分。」
うちわ祭りは何時までか。 
   「9時まで。」
10時前に家に着いたとき お母さんは
   「家にいました。」」(控訴審法廷供述2004年10月20日)

上の証言を読まれる方のなかには、あるいは「親子だから口裏を合わせているのではないか」というような疑いをもたれる人もいるかも知れない。しかしそのようなことは取調べの状況からいって不可能であった。というのも、風間さんは逮捕後5年余の間、95年(平成7年)1月の逮捕時から2000年(平成12年)の半ばまで厳しい接見禁止下にあり、家族との面会はもちろん、手紙類のやりとり、本や資料の差し入れなども禁止されていた。外部との交流は一切断たれていたのである。取調べは朝から晩までつづく厳しいもので、事件から2年近くが経っていることでもあり、日常の細かなところまで記憶が残っているはずもなく、次々に浴びせられる尋問に対して正確な供述をするための記憶喚起になる手がかりも何ら与えられないまま、ひたすらY氏の供述内容に沿う供述を強いられるという、過酷な取調べに晒されていた。証言台に立つ息子との口裏合わせなどは成り立ちようのない状態だったことは明白である。そのことは、裁判所が長男の証言を退けるに際して用いた理由を見ても分かる。一審裁判所は、

「風間の長男である前記Fは、「母親(風間)は当日の午後10時過ぎころまで大原の自宅にいたと思う。」などと風間の弁解に沿うような供述もしているが(Fの公判供述参照)、その内容は甚だ曖昧なもので、これによっては前記判断が揺るぐことはないのである。」(『一審判決文』p334)

と判示している。さすがに裁判官も長男に対して「母親の供述に合わせて虚偽の証言をしている」などとの非難はできなかったのである。しかしその替わりに、証言内容が「曖昧」だというのであるが、一体どこが曖昧なのかを裁判官は判決文に明示すべきであったろう。「うちわ祭」「中学3年」「生まれて初めてタコ焼きを作った」「祭が終了したのは9時」「その後間もなく帰宅」「屋台から家までの距離は自転車で約30分」「親子の間でちゃんと約束を守ったでしょう、という会話がかわされた」「家で一緒にタコ焼きを食べた」「母親である風間さんはこれから外出する旨をその用件内容と共に告げて家を出ている」、等々、何ら曖昧だとは思えないのだが? 裁判官はこのFくんにどのような「曖昧でない」証言をすべきであったと言っているのであろうか。何よりも、裁判官は法廷で証言内容が曖昧だと思ったのなら、曖昧に感じる点について証言者であるFくんにその場でなぜ具体的な質問をなし、事を詳らかにしようとしなかったのだろうか。また、接見禁止処分に付されていた風間さんの取調べ段階での供述と息子の法廷での証言がこのようにピタリと一致している理由についてどのような判断をもったのだろうか。「万に一つの偶然の一致」とでも考えたのだろうか。

ここでついでに述べておくと、被告・弁護人側は、この夜、6時40分から9時頃まで、風間さんが母親と娘と三人でうちわ祭りを見物していたことの証人として風間さんの娘のNちゃんをも法廷に呼びたいとの要望を出した。しかし、裁判所は「もう、このくらいでいいでしょう」と応じたので、この返答を聞いた風間さんと弁護人は、裁判所はもう十分に分かってくれている、無罪の心証をもってくれていると思い、それ以上執拗に証人申請を要求はしなかったとのことである。

それからもう1点、風間さんがEさん宅に入っていった時の様子に関する供述のことだが、一審弁論要旨には、「Eが「おかあさん、まだ」と言うので、被告人風間はその意味がわからなかったが「ええ?」という感じと「ええっ」と返事するような曖昧な感じで答えた。」と記されている。この件について、裁判所は、下記のような判示をしている。

「風間は、E方に上がった際に、Eから『お母さん、まだ。』などと聞かれたと弁解するが、Y子(注:風間さんの母)の訪問など全く予定されていなかったことは既に述べたことから明らかであって、右弁解もまたあからさまな虚偽というほかはない。(『一審判決文』p333~334)

これは実に奇妙な判断である。事実、「Y子の訪問など全く予定されていなかったことは…明らか」ではあるだろうが、しかしこれでは関根氏がE氏にそのような虚偽の約束をするなどはありえないと裁判所が判断していることになるのだが、裁判所が関根氏の供述にそれほどの信頼を置いているとはこれまで知らなかった。以下に弁論要旨からこの出来事に関する弁護人の推論を引用しておきたい。

「被告人関根の平成7年3月10日付検面調書によれば、「(注:風間さん名義の江南町の土地・建物の)権利証のかわりに現金をやることにしよう。夫婦別れすることにして、ばあさんから手切れ金として1億円を出してもらうことにして、半分の5000万円をEにやるということにして、7月20日(略)、万吉犬舎で話した。Eは信じ込んだ様子であった」と供述している。/そして被告人関根の第70回公判、第81回公判においても同趣旨の供述をしている。/また被告人関根の第69回公判では「Eから親の家の権利証、印鑑証明、実印等の書類を用意しろ。江南の方も言われたが、江南は月賦がついているので、意味がない。母の方のあれを持ってこい」と言われたと供述している。/とすれば、事件当夜、Y子は金1億円とY子名義の土地の権利証等を持ってくることになっていたのであり、実子である被告人風間はY子を伴って一緒に来ると考えた方が自然かつ合理手的である。」(『一審弁論要旨』p360~361)

以上の推理は、十分に合理的と言えるのではないだろうか。少なくとも「Y子の訪問など全く予定されていなかった」から風間さんの供述は「あからさまな虚偽というほかはない」という判決文よりどれだけ論理的・説得的であることだろうか。
2010.01.17 Sun l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top
「埼玉愛犬家殺人事件」における風間博子さんへの判決文を検証してきたが、第一の事件であるKさん殺害については今回で一先ず検討作業を終えることにする。この間、Kさん殺害事件を検証して痛切に実感させられたことは、風間さんが関根氏の狡猾な企みによってKさんの車の置き捨てに関与する結果になったことは事実だが、殺人の共謀および実行に関する風間さんの無実はどのような方面・角度からみても疑問の余地なく明らかであるように見えるということである。この判決は、事実認定がいびつに歪められた上でなされていて、一目瞭然、不自然・不合理きわまりないと思える。事件全体を構成する一つひとつの出来事や人の行動が自ずと現わし、物語り、教えているものを、裁判所が強引に歪めてしまい、その結果驚くべき矛盾にみちた事実認定が引きだされている。このことは特別の偏見や思惑や意図をもつことなく素直に検証してみれば誰にでも分かることではないかと感じさせられている。風間さんが殺人に関与したという証拠は一つもない、そして無実を推認させる状況証拠・証言は無数に存在している。そう私の目には映るのだが、以下の出来事もその一つである。

4月20日深夜から翌日にかけてY氏とともにKさんの車を八重洲駐車場に収めた後、風間さんは佐谷田の車庫でY氏と別れ、4時40分頃自宅に戻った。

 Kさん殺害翌日の昼頃、風間さんはKさんの妻に関根氏の居場所を電話で問われ、関根氏の所在地、つまりY宅の住所と電話番号を教えている

その日、風間さんがペットショップに出勤したのは10時頃だったが、昼頃、Kさんの妻のN子さんから電話がかかってきた。N子さんは前夜夫が帰宅しないために眠れぬ夜を過ごし、翌日勤め先(Kさんの兄が経営している)に連絡を入れて夫が出勤していないことを知った。その他の心当たりにも連絡を入れたが夫はどこにも姿を見せていないことが明らかになり、N子さんは、このところ続いていた犬のキャンセル話によるもつれが、夫が帰宅しなかったことと関係があるのではないか、関根氏が何らかの関与をしているのではないかと疑い、ペットショップに電話をかけた。そして電話に出た風間さんに、「社長を出してちょうだい」と言ったところ、離婚の成立によって関根氏に替わり社長に就任していた風間さんは、「私が社長です」と答えた。N子さんは「それは偽装離婚でしょう。関根さんから聞いて知っていますよ」というようなことを述べ、風間さんはその時ようやく電話の相手がKさんの妻であることを認識した(二人は一度Kさんの犬が自宅から逃げ出した際に、その件で電話で話したことはあったが、顔を合わせたことはない)という。電話の主がKさんの妻であることを知った風間さんは、関根氏の居場所を尋ねられてすぐに片品のY氏宅の電話番号と住所を教えている。そこがY氏の家である旨と共に。第一審31回の公判(平成9年(97年)3月17日)で、その時の様子を尋ねられたN子さんは、次のように述べている。

「(ペットショップの)電話には、だれが出ましたか。

   「風間博子が出ました。」

証人は、風間博子に何と言いましたか。

   「社長を出してくれと言いました。」

風間博子は、それに対して何と言いましたか。

   「社長は私だと言いました。」

証人は、どうしましたか。

   「偽装離婚のことは知っている。とにかく関根の居所を教えてくれと頼んだところ、電話番号、関根のいるところの電話番号を教えてくれました。」

その電話番号というのは、どこでしたか。

   「S(Y氏のこと。以下同)の家でした。」

証人は、風間博子から聞いたSのうちに電話してみましたか。

   「電話しました。」

だれか出ましたか。
  
   「いえ、何度か電話しましたが、ファックス音のような音がするだけで、通じませんでした。」」


N子さんからかかってきた電話についての風間さんの証言は次のとおりである。

「平成5年4月21日の昼頃、ペットショップへN子さんから電話が架かって来ました。/初め「社長を出してくれ」と言われたので「私ですが」と返答しましたが、関根の居場所が知りたい旨、伝えてきたので、当時、関根が生活をしていた、群馬県の片品村、Y方の電話番号と、そこがY宅であることを教えました。/すぐに教えているので、通話時間は短いものでした。」(被告人控訴趣意書)

つづいて、前回の第31回公判の後の、第32回公判(平成9年(97年)4月24日)におけるN子さんのこの電話に関する証言を紹介する。

「社長を出してくれという証人の話に対して、風間被告人のほうは、社長は私ですというように。

   「言っていました。」

言われたわけですね。

   「はい。」

そのやりとりのあとに、どんな話に移ったんですか。社長を出してくれ、私が社長だというやり取り、ありましたね。
 
   「それを聞いたので、以前、偽装離婚のことを関根から聞いていたので、そのことを言いましたら、居場所、いるところの電話番号を、博子が教えてくれました。」

その偽装離婚のことを言ったということですけど、できるだけ思い出して、どういう言葉で、どういうようなお話、されましたか。

   「社長は、社長、いますかと言ったら、自分が、私が社長だと言うので、いえ、偽装離婚のことは関根のほうから、関根さんから聞いていますと、言いました。」(略)

そしたら、風間被告人は何と答えましたか。

   「いえ、すんなり、何も言うも、言わないも、はい、分かりましたと、もうすぐに電話番号、教えてくれました。」

そのときに、いや、偽装離婚ではなくて、ちゃんと離婚しちゃってるんだよ、だから、今、関根被告人はどこにいるか分からないというような話は、出ませんでしたか。

   「出ませんでした。」

偽装離婚に対する、まあ否認というか。

   「しませんでした。」

私は絶対、偽装離婚なんかしてませんというような反論は、なかったですか。

   「ないです。」

で、当初は、関根被告人の居所については、どういう言い方で風間被告人は答えてましたか。

   「ここにいると思うから、多分ここにいるからっていうことで、電話番号、教えてくれました。」

最初は、居所が分からないという言い方だったんでしょう。

   「そうです。」

その最初、居所が分からないという言い方だったという、その風間被告人のいった言葉を思い出せますか。はっきりと、どこにいるか分からないという言葉で言いましたか。

   「そうですね。最初の感じは、そうでしたね。」

分からない理由について、何か言ってましたか。

   「何も言いません。」

あなたのほうでは、どうも証言の前後から推測しますと、離婚しているから居所が分からない。

   「はい。」

だけども、あなたのほうは、関根被告人から、既に、偽装離婚だということを聞いていたんで。

   「はい。」

風間被告人がうそをついているんじゃないか。

   「はい。」

そういうような認識を持ったと。
 
   「はい。」

当時、そういうお気持ちでよろしいんですか。

   「そうですね、とにかく、社長は関根だと思っていたので、その一言で、社長は自分だと言ったので、それは、以前に聞いてるからということを確認する意味で言ったところ、もう、すぐに教えてくれました。電話番号を。」」

以上、電話に関するKさんの妻の法廷証言を幾分長めに引用したが、これには2つの理由がある。①まず、関根氏の行方を尋ねるN子さんに、風間さんは問われるままにその場ですんなりと関根氏が同居しているY氏宅の電話番号を教えていることの確認、②証言台でN子さんが口にしている「偽装離婚」という言葉がもつ意味についてよく検討する必要があると思われること。この2点のためである。

上記の①については、簡単明瞭に理解できることだ。もし風間さんがKさん殺害について関根氏と共謀を図っていたのなら、殺害翌日の昼12時頃、N子さんにY方の電話番号を教えることはありえないだろう。なぜなら、朝の4時半頃、アウディ放置を終えて佐谷田の車庫でY氏と別れたきりの風間さんは、片品のY方で遺体や遺品の解体遺棄がどの程度進行しているかを超能力者でもないかぎりその時点で知りうるはずがないからである。共謀していたのなら、この時点で殺害現場であるY宅を教えるという危険をおかすはずはない。仮に教えるとしたら、少なくともその前にY方に電話をして遺体の処置が終わっているかどうかを確かめてからでなければ教えられないはずである。このようにまず関根氏にN子さんから電話があったことを連絡する必要があるのだから、N子さんにはたとえば「30分ほど経ってからもう一度電話してください」とか、「後ほどこちらからかけ直します」などの発言があるはずで、そうでなければおかしい場面である。けれども、風間さんはそのような行動をとっていないし、またこのような状況に置かれたならば人が必ずおぼえるであろう躊躇や不安や焦りの気配もその言動からは感じられず、無防備である。これについて一審の弁護人は下記のように述べている。

「12時頃K・N子から店に電話がかかってきて、「社長いますか、社長を出してちょうだい」と言われ、被告人風間は自分がアフリカケンネルの社長であったことから、「私が社長です」と答えたところ、「とぼけないでよ」等のやりとりがあり、電話の主がKの妻のN子であることを知り、「関根は今、片品のSさんの家に住んでいるからそちらに連絡して下さい」と言って、片品のY方の電話番号を同女に教えた。/被告人風間がK殺害を共謀し、また知っていたら、片品の電話番号を教えるはずがないのである。」(『一審弁論要旨』p82~83)

弁護人の上記の主張に、一審の裁判所は何も答えなかった。これに対し、控訴審の被告・弁護人側はもちろん一審同様の主張を繰り返した。裁判所はようやくこの件に反応したが、その判示は以下のとおりである。

「風間は,Kが殺害された翌日の昼ころ,Kの所在を探していたKの妻から電話で関根の所在を聞かれた際,片品村のY方の電話番号を教えているが,このことは風間がK殺害を知らなかった証左である,というのである。/しかしながら,風聞がKの妻に関根の所在を教えたころには,既にKの死体の始末は終わっていたのみならず,K・N子の検察官に対する供述調書によれば,風間は,Kの妻からの問い合わせに対して,当初,関根とは離婚しておりどこにいるかも分からないなどととぼけたものの,偽装離婚だろうなどと言って追及されるに及んで片品村のY方の電話番号を教えたのであって,このことはむしろ風間が関根の所在を隠そうとしていたことになりこそすれ,K殺害を知らなかった証左となるものではない。」(『控訴審判決文』p29~30)

「風聞がKの妻に関根の所在を教えたころには,既にKの死体の始末は終わっていた」ことは裁判の進行過程において判明した事実なので、これならば子どもでも言える判示であろう。「既にKの死体の始末は終わっていた」と言うのなら、裁判官にはそのことをN子さんから電話がかかってきた時点でなぜ風間さんが知っていたかということについての説明が求められているはずである。その答がない。また裁判官は、「偽装離婚だろうなどと言って追及されるに及んで片品村のY方の電話番号を教えた」と認定しているが、なぜに法廷におけるN子さんの肉声による「偽装離婚」に関する証言を無視して、「K・N子の検察官に対する供述調書によれば」と、わざわざ検察官作成の古い調書を持ち出すのだろう。N子さんは、確かに当初、風間さんがすんなりと関根氏の電話番号を教えたのは、自身が「偽装離婚」の話を持ち出したからというように思い込んでいたような気配がある。というのも、風間さんも関根氏の共犯として「殺人罪」で逮捕・起訴されているのだから、N子さんにしてみれば、風間さんも夫殺しの片割れと思い込んでいたであろう。N子さんの立場からするとまったく無理のないことだと思われる。それでも、上述のN子さんの法廷における尋問内容を子細に見ていけば分かることだが、風間さんが関根氏の居場所と電話番号を教えたのは、「偽装離婚」と言って追及されたからではなく、「Kさんの妻だということが判ったから」という風間さんの供述は実態と合致して自然であり合理的であると思われる。

というのも、多くの第三者の法廷証言で明らかになったことだが、当時、関根氏は自分たちの離婚は偽装離婚だと誰かれとなく触れ回っていて、風間さんは関根氏のその行為をよく知っていたのだ。N子さんに偽装離婚だと言われたことは、何ら動揺するようなことではなかったはず(税務署に知られることを除けば)だが、それより何より、自分たちの離婚が偽装離婚であるかどうか、N子さんがそのことを知っているかどうかは、もし風間さんがKさん殺害を共謀していたのだとしたら、この時点ではなおいっそうどうでもいいことであり、蚊に刺されたほどの痛痒にも感じなかったはずである。昨日から自分たちが実行している殺人・被害者の遺体解体・焼却・遺棄などの重犯罪を終える前に、被害者家族に怪しまれ、警察に通報され、Y宅に踏み込まれたりしたら、それこそ身の破滅であることは誰にも分かることである。

よって、風間さんがN子さんにすんなり関根氏の居所と電話番号を教えたということは、この時点で風間さんがKさん殺害を知らなかったことの明白な証の一つであると考えられるが、さらに、関根氏とY氏の下記の供述も風間さんがKさん殺害に関与していないことの間接的な証明になっていると思われる。

 Kさんの肉親からの電話に関根氏とY氏は驚愕した

N子さんは風間さんから関根氏が滞在しているY宅の所在地と電話番号を伝えられると、すぐにそこに電話をかけた。その時は関根氏とY氏は遺体の骨片などの遺棄から戻っておらず(このことは裁判で明らかになったことである)、電話には誰もでなかった。ようやく電話が通じたのは、Kさんの安否を気遣ってKさん宅にやって来たKさんの弟と共に電話をかけた時で、電話にでたY氏と応対したのはその弟さんであった。この時の会話の内容について、Y氏および関根氏の供述を引用して見てみたい。まずY氏の供述調書から2点紹介する。

「自宅に戻り、犬の世話をしている時、Kさんの弟だと名乗る男から電話が入ったのです。このときの状況は二度あったという記憶を持っているのです。それは、最初の時、私が出て、アフリカ居るか という事であったので、その男に「アフリカは今散歩に行っている」と答えた覚えがあるからです。/その二度目の電話が入った時は、関根が犬の散歩から帰って来ていた時で、夕方ころの時間だったと思います。/最初に私が電話に出たところKさんの弟だと名乗る男から
  「兄貴を隠しているだろう。兄貴を出せ」
としつこく言われ、私としては、知らないとしか答えざるを得なかったので、「知らない」と返事すると、今度は
  「アフリカ 居るか」
と言うので、そばに居た関根に電話を替わったのです。/この時、私はKの身内は、私らがKさんをどうにかしただろうと疑いを持っている事が判り、心配となったのです。』(平成6年(94年)12月22日 員面調書)

「その間にKさんの弟さんという人から一回電話がかかって来ました。弟さんは、アフリカ居るか? と聞きましたので、私は関根の事だと思い、今散歩に行ってる、と答えました。/それから暫くしてまた、弟さんから電話がかかって来ました。弟さんは、Kを知ってるだろう、と聞きましたので、まさか殺されたとも言えず、知らない、どこに居るか判らない と嘘を言ってとぼけました。すると弟さんは アフリカを出せ、と言いました。この二回目の電話の前か途中か忘れましたが、関根が犬の散歩から帰って来たので、私は、今帰って来た、と言って、関根に電話を替わりました。/私は、やはりKさんが帰って来ないので、Kさんの兄弟らが行方を探しているんだと判りました。/電話の様子から関根を疑っているようなので、私は、殺して死体を処分した事がバレないか、心配になりました。」(平成7年(95年)1月20・21・22日 検面調書)

次に関根氏の供述調書から該当部分を引用する。

「そのころ、Sの家でKさんの弟という人がかけてきた電話に出たことがありました。/Sが最初に電話で話していたのですが、何か怒鳴り合いをしているような状態でした。/Sが話した後、Sから言われて私がその電話に出ました。相手の弟という人は、私に対して
   兄貴がどこにいるのか知らないか
という意味のことを聞いてきました。私は、本当は私がKさんの死体を解体し、捨てたりしていたのですが、そんなことを正直に言うわけにはいきませんので、知らない振りをして、知らない、と嘘を言いました。
問 その電話の際に、Kの弟だけではなく、Kの妻とも話していないか。
答 その電話と同じ時だったかどうかははっきりしませんが、確かに事件後間もないころ、Kの奥さんと電話で話したことがありました。話した内容は、弟の時と同じような内容だったと思います。
 私は、Sの家になぜKさんの弟が電話をしてきたのか分からず、なぜ私達がSの家にいるのが分かったのか、不思議に思うと共に、怖くなりました。/しかし、電話ではとぼけることしかできず、Kさんのことは知らないという嘘で通しました。」(平成7年(95年)1月25日 検面調書)

上記で分かるとおり、関根氏、Y氏ともに風間さんがKさんの妻であるN子さんに電話番号を教えたことはまったく知らず、勘づいてもいない。関根氏がY宅にいること、そしてY宅の電話番号、この2つをなぜKさんの家族が知っているのか、訳が分からずに気味悪がっていることは二人の供述から十二分にうかがえることである。風間さんはN子さんとの電話を終えた後もKさんの妻から電話がかかってきたこと、関根氏の所在を尋ねられてY宅の電話番号と住所を教えたことなど何ら関根氏に伝えていないのだ。その後N子さんはKさんの実弟とともにY宅に電話をかけ、関根・Y氏と話をしているが、その弟さんはこの時の会話の内容について法廷で証言をされているので見てみたい。

「Sのうちに電話をしたとき、だれが出ましたか。
  
   「Sが出ました。」

証人はまず、どんなことを言ったんですか。

   「……Kの弟ですって言いました。」

それに対して、Sは何と答えましたか。

   「はぁ?って。どちらの、さあっていうような感じで、とぼけてました。」

で、どういう話をしましたか。

   「それで私はもう一度、……Kの弟だっていうことを、明確に相手に伝えました。すると、やつは、どちらのKさんですかって、とぼけました。で、とぼけたので、私もかちんときまして、とぼけるんじゃない、なんでおまえ、お茶とか飲んだり、いろいろ遊び来たり、会ったりしてるのに、とぼけるんだと。とぼける必要、ないじゃないかと言いました。すると、やつが、なんだその言い方はって言ったので、その場で私も負けずにどなり、どなり合いになりました。すると、やつは、電話を一方的に切ってしまいましたので、私はすぐ折り返し電話しました。なんで電話を切るんだと。とにかく犬屋を出せっていうことで、私はSに言いました。すると、今、犬屋とは付き合ってないって言いました。付き合ってないわけないだろう、いいから、犬屋を出せと、私はしつこく何回も言いました。すると、犬屋は今、犬を散歩させてると言いました。散歩じゃない、そばにいるの、分かってんだ。犬屋に替われって、私は言いました。すると、そこにいるやつが、電話に出ました。私はそこにいるやつに、どなりかかろうとしたときに、やつは、私の話をちょっと聞いてください、お願いだから、私の話をちょっと聞いてくださいと言い、説明を始めました。」

今、そこにいるやつと言われたのが、関根被告人のことですか。

   「そうです。」

Sから関根被告人に、電話の相手が替わったということですか。

   「そうです。」

で、関根被告人が証人に対して、どういうことを言い始めたんですか。

   「私の話を聞いてください。ええっと、実はです、19日の日に、Kさんとはお茶を飲んで、楽しく円満解決して、お金を渡して別れたと。三人でソープランドも遊びに行ったようなことも、言ってました。」

で、そういう説明を始めたわけですか。

   「はい、そうです。」

それで、証人はどうしましたか。

   「それで、いろいろそういう話を聞くうちに、犬屋から650万だの、350万だのっていう、私が聞いたことのないような数字が出てきました。で、そんな数字は私は兄貴からは200万としか聞いてなかったので、650万だの、350万だのっていう話は、ちょっと分からなかったので、それじゃ女房に替わると言って、N子に替わりました。」(略)

で、結局、Kさんの居所については、関根披告人は知らないということだったんですか。

   「そうです。」

証人は、そのときの電話のやり取りで、そのことが本当だと思いましたか。

   「……ちょっと私が冷静に考えたときに、おかしいなと思いましたのは、私はそのときは、ちょっと興奮してて気がつかなかったんですが、最初に私が……Kの弟ですって言ったときに、まずSがとぼけたんですね。通常であれば、とぼける必要はないわけなんですね。それをまず、とぼけたっていうことが、すごく不自然でした。あとは犬屋が私に、いきなり説明をしてきました。だけど、私は大屋にもSにも、兄貴が帰って来てないってことは一言も言ってません。なのに、やつらは、こうやって、お茶を飲んで、お金を渡して別れたとか、ああだとか、こうだとかっていうことを、説明をしました。私はただ、……Kの弟だって電話をしただけで、それで相手がとぼけて言い合いになっただけで、兄貴が帰って来なかった、おまえらが、どっかへさらったんだろうとか、そういうようなことは一言も言ってないのに、それに対しての説明がべらべら、まるで台本を読んでるように返ってきました。それがすごく不自然で、そういう答えが返ってくるっていうことは、近々必ずそういう電話が入るんだっていうことを分かってたから、そういうような答えが返ってきたんだと思います。それじゃなければ、そういうような、とぼける必要もなければ、こっちがなんでかけてきたんだか、普通、通常であれば分からないから、そういう説明は来ないと思います。」

じゃ、その電話のときのやり取りで、証人はおかしいなと思われたんですか。

   「はい。」

で、その後、どうしましたか。

   「その後は、このままじゃ、しようがないので、警察に行こうということで、N子と一緒に、行田警察署に行きました。」」(第一審33回公判 平成9年(97年)5月8日)

 風間さんは関根氏の電話番号と所在地をN子さんに教えたことを関根氏に伝えていない

Kさんの家族からの電話を切った後、関根氏とY氏は熊谷に行き、ペットショップに立ち寄っている。関根氏からKさん殺害を知らされたのはその時で、夕方の6時頃だったと風間さんは供述している。

「被告人関根は被告人風間に対し、「夕べ持っていった車はKのだ。Kは車庫でSにやらせた。お前もKの車を運んだのだから、殺人の共犯だ、だからお前さえ黙っていれば大丈夫だ、一切何も言うな」と言って、両手でひもを引っ張るような動作をしたため、被告人風間は被告人関根とYがKを殺害したと思い、愕然とした。」(『一審弁論要旨』p83)

この時も、風間さんは昼間Kさんの妻のN子さんから電話がかかってきたこと、その際片品の電話番号および住所を教えたことを関根氏に伝えていない。風間さんはKさん殺害を知らされた衝撃に打ちのめされ、冷静に物事を考えられる精神状態ではなかったと控訴趣意書に記している。関根氏とY氏は、昼間、片品にかかってきたKさんの家族からの電話に薄気味悪い思いをしていたのだから、この時風間さんが電話番号のみならず所在地まで教えたことを知れば、Kさんの家族から電話がかかってきた事情も理解でき、今後の対策も立てられただろう。この後、わざわざ片品のY宅まで戻り、家の前で待ち受けているKさんの親族を見てあわててUターンするというような無駄足を踏むこともしないで済んだだろう。関根・Y氏の二人は昨夜から一睡もしないで動き回っているのである。風間さんがN子さんの電話について何の報告もしていないことは事件の構造を把握する上で決定的に重要なことと思われる。

 Kさんの兄弟等親族は深夜のY宅前で帰宅を待ち受けていた。

関根氏とY氏はKさんの家族からの電話をうけ、家族がなぜ自分たちの電話番号を知っているのかと不安に苛まれてはいたものの、住所まで知られているとは思いもよらなかった。したがって、ペットショップで風間さんと別れ、片品に戻った関根氏とY氏は、Kさんの兄弟ら親族が自宅の前で自分たちの帰りを待ちうけている様子を見て驚き、慌ててUターンして、その夜は自宅に戻らずホテルに宿泊している。以下にその模様を述べた調書を引用する。まずY氏の供述である。

「ベンツに関根を乗せて翌22日午前1時頃、片品の自宅付近まで帰って来ました。/すると家の手前50メートル位に一台の車が道路右側に止まっていました。シーマという車で熊谷ナンバーでした。/昼間の電話の件があったので、Kさんの関係者ではないかと思いました。私は関根に
  車は熊谷ナンバーだし Kの関係じゃないの?
と尋ねました。関根は、
  時間が時間だから避けよう。揉めたらまずいから
と言いました。それで私はその車の横を通って家の前を通り過ぎ、山道を抜けて国道120号線に入りました。/そして沼田インターチェンジから関越自動車道に乗りました。ところがKさんを殺してから二人とも寝ていなかったため眠くなってきました。それで本庄インターで降りて二人で近くのホテルに泊りました。」(平成7年(95年)1月20・21・22日 検面調書)

次に関根氏の平成7年(95年)1月25日の検面調書から抜粋する。

「Kさんの骨などを捨てた日は、私はSの車で一緒に万吉犬舎に行ったと思います。/そして、その日の夜、泊まるためにSの家にSの車で戻ろうとしたのですが、家の近くまで行ったところ、高級な乗用車が止まっており、Sがその車を見て
  Kの所の車だ 5人くらいいる
と言ったので、私達はSの家に帰るのをやめ、そこから逃げ出しました。
 Kさんの兄弟などが私達を疑ってここまで来たと思ったので、もめ事になり、乱暴をされるかもしれないと思ったので、会わないまま逃げ出したのです。/そして、その夜は、Sと一緒に本庄インターで降り、近くにある適当なモーテルに入って泊まりました。/Kさんの兄弟達がなぜ私やSを疑ったのかは分かりませんが、私とKさんとの間で犬のキャンセルの話でもめ事があったので、それで疑ったのだろうと思いました。/しかし、もうKさんの死体を処分した後でしたので、私達が口を割らなければ、ばれないと思っていました。」

上記の供述調書を見ると、風間さんがその日の昼、Kさんの妻からペットショップに電話がかかってきたこと、所在を訊かれて教えたことなどを関根氏とY氏に何も報告していないことが読み取れる。もしも共謀が存在したのなら、このように恬淡とした態度でいられたはずはない。犯罪――まして殺人という最も恐るべき犯罪をおかした人間の心理として、事件への疑いや追及への懸念ほど気がかりなものは他に何もないはずであろう。風間さんがKさんの妻の電話の件を関根氏に告げていないことは、Kさんの妻にあっさりと関根氏の居所と電話番号を教えたことと同様、風間さんがKさん殺害について関与どころか、何も知らなかったことの証拠ではないかと思われる。
2009.12.28 Mon l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top
共犯者のY氏がKさん殺害当夜にみせた行動にはいくつもの不可解さがつきまとっている。事件の真相に迫るためにはこれを見過ごすことはできないので、以下に不可解な点を4つ取り上げ、それが何を意味するかを個別に検討する。

� 車庫の近くに住む風間さんがアウディを待ち合わせ場所まで運ばなかったのはなぜ?

平成5年(93年)4月20日、Y氏は佐谷田の車庫で関根氏に脅迫され、これに抗しきれずにKさんの遺体を車庫から片品のY氏宅まで運んだという。家に着くと、関根氏は浴室で遺体の解体にかかり、Y氏は関根氏に命じられて車庫に置いたままになっているKさんの車アウディを東京に行って放置することを命じられた。その際、関根氏は、「Kの車を博子と一緒にどこかに捨てて来い。博子には事情を話してあるから。」と言われたとのことである。自宅を出た後のY氏の行動を、控訴審判決文から抜粋すると、

「Yは,アウディを置き捨てに行くために風間と落ち合うに際して,関越自動車道を東松山インターチェンジで下り,風間との待ち合わせ場所を通り過ぎた上,佐谷田の車庫でアウディに乗り換えて再び待ち合わせ場所に戻るという経路をとっている」(『控訴審判決文』p26)

上記のとおり、Y氏は、東松山インターチェンジ(以下「東松山IC」と記す)で車を下り、そこから公衆電話で風間さんに電話をかける。その際の会話は、何度も述べてきたことであるが、念のために記すと、次のようであった。

Y   「車を東京まで置きに行きたいんだけど行けるかい。社長から聞いている」
風間 「大丈夫だよ」

ということで、待ち合わせ場所にY氏は現在地の東松山ICから4.5km地点にある休憩所を指定した。ここは、風間さんの大原の自宅から約11kmの距離である。単純に位置関係を示すと[東松山IC→待ち合わせ場所→風間さんの自宅(車庫との距離3km)]というようになる。Y氏は、現在地の東松山ICと風間さんの自宅との間の地点を待ち合わせ場所に指定したわけである。東松山ICから車庫までの距離は15.5kmである。その車庫は風間さんの自宅から3kmの距離である。風間さんは電話を受けて約30分後に自宅を出て待ち合わせ場所に向かっている。Y氏は、東松山ICから4.5kmの待ち合わせ場所を通り越して車庫までの15.5kmを走った。そしてそこで愛車のミラージュからKさんのアウディに乗り換えると待ち合わせ場所までの11kmを引き返した。関係する各地点の距離を以下に示す。

○風間さんの自宅←→車庫  ○風間さんの自宅←→待ち合わせ場所
           (3km)               (11km)

○東松山IC←→待合せ場所 ○東松山IC←→車庫 ○車庫←→待合せ場所
       (4.5km)             (15.5km)       (11km)
 
二人が待ち合わせ場所に行くために通った経路を記すと、

○風間さん 大原の自宅→待ち合わせ場所 11km
○Y氏    東松山IC→待ち合わせ場所(4.5km)→車庫(11km)→待ち合わせ場所(11km) 計26.5km

Y氏はこの日すでに片道約2時間の熊谷・片品間を往復している。しかも熊谷から片品の自宅まで運転して帰ったのはつい先刻であり、それもY氏の供述によると、関根氏から「手伝わなかったらどうなるかわかっているな」と脅されての運転だったという。極度に緊張し、疲労もしていただろう。風間さんがKさん殺害を承知した上で自宅待機していたのなら、なぜ風間さんは自宅から3kmの佐谷田の車庫まで行き、そこでアウディに乗り換えて待ち合わせ場所まで行かなかったのだろうか。電話でY氏にその旨伝えればいいではないか。そもそも主犯であり共謀相手である関根氏はなぜ事前に風間さんおよびY氏にその指示をしなかったのだろう。風間さん自身も共謀の打ち合わせの際、なぜそんな単純かつ自然なことを思いつかなかったのだろう(そもそも殺人という大それた犯罪の後始末を従順に引き受ける人間が存在すると計画・準備の段階で考えることが異常であることは言うまでもない)。電話をかけたY氏にも同様のことが言える。車庫に寄ったからといって、風間さんの走行距離は自宅から直接待ち合わせ場所に向かった場合とほとんど変わらないのだし、そうすればY氏は26.5kmもの距離を走る必要はなく、たった4.5kmで済む。

Y氏は風間さんと一緒にKさんのアウディを東京の八重洲駐車場に放置して、その後風間さんの車で車庫まで送ってもらった後、自分の車であるミラージュを運転して自宅に帰るわけだが、その後、遺体や所持品の焼却、山林や川への遺骨類の放棄など、関根氏とともに一切睡眠をとることもなく動きつづけるのである。何事においても時間はできるだけ節約したかったはずで、当然、アウディ置き捨てに関しても心急いていたと思われる。また、犯罪者の常として、Kさんの車をいつまでも殺害現場である車庫に置きっぱなしにしていることに対する不安もあったと想像される。

もちろん、被告人・弁護人は、一審・二審ともに法廷でこの奇妙さを突いているが、それに対する裁判官の答えは下記のとおりである。

「(風間側は)Yは,アウディを置き捨てに行くために風間と落ち合うに際して,関越自動車道を東松山インターチェンジで下り,風間との待ち合わせ場所を通り過ぎた上,佐谷田の車庫でアウディに乗り換えて再び待ち合わせ場所に戻るという経路をとっているが,そのような迂遠な方法を取らずとも,風間が自宅に近い佐谷田の車庫に立ち寄って自らアウディに乗った上,待ち合わせ場所に行く方が合理的であるから,このことは関根とYがアウディを佐谷田の車庫から持ち出すことを風間に知られたくなかったことを示すものであり,ひいては風間はK殺害の共謀に加わっていなかったことを示すものである,というのである。/しかしながらYは関根に命じられてアウディを乗り捨てに行くために片品村からミラージュに乗って関越自動車道を南下し,アウディの置いてあった佐谷田の車庫にミラージュを置いてアウディに乗り換えた上,風間との待ち合わせ場所に向かったのであって,その行動は誠に自然なものである。風間の所論は,そのような方法も可能であるという以上に出るものではなく,理由がない。」(『控訴審判決文』p26~27)

この論理構成は、ここで検討した、金銭欲のために風間さんが殺害に関与していたというのなら、犯行当日に無駄になると分かりきっている高額な犬代金の振込手続きをするはずがない、という被告人側の主張に対する答えと同一のものである。一般に不自然・不合理な行動とされ、実際誰の目にもそのように映ると思われる行動が、裁判所にとっては、「誠に自然なもの」ということになるようである。それだから、被告・弁護人側の主張は「理由がない」ものであり、解釈する必要もないということなのであろう。こうしてどんなに合理的な主張も反論も、真摯な審議を付されることなく、裁判官の個人的・恣意的な判断ひとつで排除されていくことになる。なお、一審の裁判所は被告人側のこの主張に対して何も応答していないが、これも、犬代金の振込手続きの場合と同様であるように思われる。

� 事前共謀があったのなら、アウディ放置は風間さん一人で行なったほうが自然かつ合理的。Y氏が加わる必要はない

実はKさんのアウディの置き捨てについては、�の疑問はまだまだ序の口であり、もっと根本的な疑問がある。風間さんが「Kに返す金などない」と述べて殺害を主張し、関根氏と事前共謀していたのなら、なぜ風間さんが一人でアウディを捨てに行かなかったかという疑問である。実情を考察すると、車の放置に関してY氏を当てにする必要はまったくなかったのである。弁護人は次のように述べている。

「Kの殺害は4月20日午後7時ころには終了し、その後はKの乗車してきたアウディは佐谷田車庫内にあるのであり、いつでもこれを持ち出せる状況にあったことは明らかである。」(一審弁論要旨p426)

Y氏は7時頃、給油と買い物を終えて車庫に戻ると、いきなり関根氏からKさんの遺体を見せられ、次のように脅迫されたとのことである。

「関根は私に、『お前もこれと同じ様になりたいか。お前この死体を片付けるのを手伝え。そうすれば一生面倒を見てやる。そうしなければお前だけじゃなく東京に居る女房子供も同じようになる。 俺は一人じゃねえ。仲間は10人は日本に居るから必ずやる。』 と言って脅しました。/この時、私は関根に逆らえば本当に私だけでなく東京に居るS子や二人の子供も殺されると思いました。関根は付き合い始めてから、『おれは若い頃、秩父の祭りの時、ヤクザの親分を日本刀でぶった切って殺し、15年も懲役に行っていた男だ。』と言っていましたし、現に遠藤さんといったヤクザ者とも付き合いがありました。」(甲第478号証)

このようにY氏を脅す関根氏は手に凶器を持っている様子もないのが腑に落ちないところではあるのだが、このようにしてY氏を脅したとしても、それは街中の車庫でのことである。Y氏がKさんの遺体を見てショックをうけ、外に飛び出すなどの興奮した反応を示す懸念もあったはずである。殺害した被害者の車の置き捨てという、重大な犯罪の後始末に、必ずしもうまく協力させられるかどうか分からないY氏を当てにして計画を立てるのはどう考えてもおかしい。ともに綿密に計画を練った共謀相手である風間さんがアウディ放置をするのが自然であり合理的である。なぜそうしなかったのだろうか。風間さんは巧みな運転技術をもったベテラン・ドライバーだったそうだから、何もY氏を煩わす必要は皆無だったはずである。そもそも脅迫によって遺体の運搬を手伝わせ、なおかつ自宅を遺体解体場所にするよう強要したのならば、関根氏が家に着くや否や、「博子に電話して、一緒にアウディを捨てて来い」と言って、すぐにY氏を手放したのはなぜだろう。関根氏はY氏が警察に通報する危険は感じなかったのだろうか。それはまた風間さんにも言えることである。Y氏と同行するについて、警察に通報されるのではないかという心配の片鱗もないように見えるのだが、本当に不思議なことである。ということで、次の疑問である。

� 関根氏から離れて一人になったY氏はなぜ警察に駆け込まなかったのか?

Y氏が事件に対してどのような内容の、そしてどの程度の関与をしたのかを考察する場合、この疑問もまたとても重要である。つい4時間ほど前に、「(手伝わなければ)お前だけじゃなく東京に居る女房子供も同じようになる。 俺は一人じゃねえ。仲間は10人は日本に居る」と脅迫され否応なく手伝わされたというY氏であるが、しかしY氏はもう半年近く関根氏と終始行動を共にしていて、当時は同居もしていた。関根氏がいわゆる「ホラ吹き」であり、「仲間が10人もいる」というような話が本当であるはずがないことに気づかないことはありえないように思われる。もし事実そのとおり信じたとしても、それが警察に保護を求めることを躊躇する理由にはならないのではないだろうか。警察が今すぐに片品の自宅に踏み込めば、関根氏を現行犯逮捕できるのだ。「仲間の10人」が怖ければ、警察にその旨述べて、つよく保護を求めればよいのではないか。その点、Y氏は警察に遠慮するような気弱な人物ではないだろう。Y氏は取調べ段階において、検察が自分に約束していたはずの保釈申請を認めないことに苛立ち、

「検事に暴言を浴びせ、ふてくされた態度をとるようになり、検事の取調べ室のドアを蹴って「覚えてろ」などの捨てゼリフを言い、さらに保釈と調書への署名との取引を求めるなどしていた。/そして4月1日、保釈に関するやり取りからYは興奮し、署名したばかりの調書を取り上げ、 「保釈するつもりはないんだ、それならこの調書を破ってやる」などと言うという事態が発生し、M刑事の電話での説得により、Yの要求通りそれまでの調書のコピーを渡してようやく事をおさめるという一幕も生じたのである。」(『一審弁論要旨』p27~28)

ということであり、また公判廷でも、次のような様子であった。

「「覚えていません」を連発し、あるいは尋問者を馬鹿にしたように答え(たとえば第9回公判の冒頭ではローデシアン・リッジバックの特徴を聞かれ「足は4本あります。」と答え、第14回公判の終わりには弁護人に対して「聞く質問選んで聞けや、こらっ」と答えるなど)、(略)とりわけ実行行為に関連する部分では、一切答えよぅとせず、証言を拒否してY尋問は終わっている。」(『控訴趣意補充書(7)』p8)

このような人物が、関根氏から前述のような脅迫をされたからといって、もう関根氏の言うがままになるしか助かる途はないと一途に思いつめたりするだろうか? Kさん殺害に関してやましさがなければ、この時こそ自分および家族を守るために一目散に警察に駆け込むのが人間の心理としてごく自然であるように思われる。東京の家族の安否が心配なら、家族に電話をかけて落ち合う算段をし、その後に警察に連絡をいれてもいいだろう。いずれにしても、この夜のY氏の行動をみると、ひたすら関根氏を怖れ、その脅迫に屈して仕方なく事件に関与している人の態度では到底ないように思われるのである。

� 合流した時、風間さんが「どう、うまくいった?」と尋ねたというY証言は真実か?

Y氏は待ち合わせ場所で合流した際の風間さんの様子について下記のように述べている。

「午前1時ころ待ち合わせ場所に着き、先に来ていた風間の車(クレフ)の後ろに車を停めて近づくと、クレフの窓ガラスが開いて、風間が中から『うまくいった(か)。』と声を掛けてきた。風間が最初にこのようなことを言ったのは今でもはっきり覚えている。そして、風間は、『じゃあ、Sさん東京分かるでしょ。先に行ってよ。都内のどこでもよいから車を置いて来ようよ。『はい、これ高速料金よ。』と言って1万円札1枚を渡してくれた。」(『一審判決文』p252)

そして、検察官は、この「うまくいった」という発言こそは、風間さんの共謀の証左であると言い、判決文は一審、控訴審ともに、上記のY氏の供述を迫真的で自然で合理的であり、信用できるとしている。

「右のKの車を捨てに行った際の状況等についての供述内容を仔細に検討しても、その内容は極めて具体的で迫真性に富んでいるばかりでなく、何ら不自然不合理な点も存在しない。それどころか逆にYが述べている風間の当夜の異様とも思われる言動等の多くが真実であることは風間自身も認めているのであって(例えば、関根の指示で車を捨てに行くことになったYが深夜に風間方に電話を掛けたところ、風間自身が直ちに電話口に出て、その理由も聞かないまま深夜に外出してYと行動を共にすることを承諾して待ち合わせ場所を決め、そこで合流したこと、更にYが現実に東京まで遠征して深夜の駐車場に車を置き捨てるという異常かつその裏に何らかの重大な犯罪が起きていることを窺知させる行動に及んでいるのに、最後までその理由すら一切聞こうともしないまま行動を共にしていることなど)、これらからすれば、右の点に関するYの供述が極めて高い信用性を有していることは明らかである。」(『一審判決文』p269~270)

「Yの供述を一般的に信用してよいことは前記のとおりであるが,以上の供述内容について,風間自身が,Yからの電話連絡の際,理由も聞かないまま深夜に外出して行動を共にしたこと,東京まで車を置き捨てに行っているのにその理由を一切聞こうともしなかったことなど,核心的なところが真実であることを認めていることに照らしても,これを信用してよいことは原判決が説示するとおりである。」(『控訴審判決文』p19)

一・二審とも、判決文はこの「うまくいった」という発言自体について直接は触れていない。だが、双方ともにY氏のこの供述について「その内容は極めて具体的で迫真性に富んでいるばかりでなく、何ら不自然不合理な点も存在しない」、「これを信用してよいことは原判決が説示するとおりである」とのことだから、「うまくいった」という言葉を実際に風間さんが口にしたと認定しているものと思われる。

まず、風間さんの述べているところはこれとまったく異なる。風間さんはこの日の用件を単純に「車の移動」「車を駐車場に置きにいく」と思っていたと述べている。またこれは関根氏の用事であると考えていたことから、高速代金をY氏に渡したが、その金額は1万円ではなく、2千円だったとも述べている。Y氏の依頼をすぐに引き受けたのは、これまで何度も書いたことだが、前日関根氏から、「Sには世話になっているから、用事を頼まれたらできるだけ引き受けてくれ」と言われていたことが念頭にあったためであり、また深夜の外出については、犬のブリーダーである風間さんにとって、夜の11時頃というのは、子どもたちも眠りについた時間であり、このような用事のために動くにちょうどよい時間帯だったということである。これらのことは、格別、裁判所が述べるような「異常な行動」とは思われない。まして、一審の裁判所が述べるような「その裏に何らかの重大な犯罪が起きていることを窺知させる行動に及んでいるのに、最後までその理由すら一切聞こうともしないまま行動を共にしている」などという判示を見ると、むしろ裁判所のこの感覚のほうが特異ではないかと感じられる。

さて肝心の「うまくいった」という発言は事実かどうかである。もし風間さんが関根氏と共謀して殺人計画を立てていたのだとしたら、この時点でのY氏に対するこのような発言はありえないのではないだろうか。なぜならば、 まず「うまくいった?」とY氏に尋ねるということは、風間さんは事件がうまくいったか失敗したかをまだ知らなかったということを意味する。事実、関根氏が事件後、風間さんに連絡をとった証拠は一切ない。つまり連絡を取り合ってはいないのである(93年当時は携帯電話も一般には普及しておらず、連絡のとりようもなかった)。この日、風間さんは午前中、例の犬代金の送金手続きをし、午後は愛人のMR氏と一緒であった。とすると風間さんは関根氏と一緒に殺人の共謀をしておきながら、そして関根氏が今まさにその計画を実行中であることを承知しながら、その時間に関根氏には秘密の愛人と共に時間を過ごしていたというのだろうか?

また、Y氏は買い物から車庫に戻ったところで関根氏から突然Kさんの遺体を見せられ、散々脅されたということだが、風間さんは現場にいなかったのだからY氏が遺体運搬や解体のための自宅提供を引き受ける事態になったかどうかをこの時点ではまだ知らないはずである。なぜ、顔を合わせるなり、「うまくいった」という言葉がでたのだろう。これは事態に即すとありえない言葉のはずである。そしてまた、「脅されてやむなく」というY氏の供述が事実なら、主犯の片割れであるはずの風間さんは殺人に関与させられてショックを受けているに違いないY氏の精神状態が気がかりのはずであり、その顔色や様子に真剣な注意を払うはずだろう。先程述べたように、警察への通報の懸念だってあったはずであろうに、「うまくいった」という言葉にそのような気配を見てとることはできない。

それから、「クレフの窓ガラスが開いて、風間が中から『うまくいった(か)。』と声を掛けてきた」というこの光景からは、これまで犯罪にかかわったこともない女性が元夫と共謀して生まれて初めて殺人という重大犯罪に手を染めたという、そういう特異な立場にたっている人間ならば自ずと漂わせていないはずがない緊張や不安や恐怖や警戒心などの片鱗もうかがえない。殺人の結果どころか、まるで遊びごとや運動会の徒競走か何かの結果でも尋ねているかのような雰囲気である。思い出されるのは、一審の裁判所が判決文のなかで触れていた、「M事件」というものの存在のことである。この「M事件」なるものは現実には立件もされていないのだが、判決文はM氏と風間さんの関係についての第三者の証言を明確に180度歪曲してさもさも結婚直後の風間さんが関根氏と共謀してMなる人物を殺害したかのような暗示をしていた。顔を合わせるなり風間さんが「うまくいった」と述べたというY供述に対しての「その内容は極めて具体的で迫真性に富んでいるばかりでなく、何ら不自然不合理な点も存在しない」という判定を見ると、「M事件」へのあのような暗示も、Y氏のこういう供述の信憑性を高めるための布石ではなかったのかという疑念をおぼえるのである。
2009.12.22 Tue l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top
去る12月16日に、1963年(昭和38年)に発生した「狭山事件」の再審開始の実現が期待できそうな下記のニュースが流れた。

「 昭和38年に埼玉県狭山市で女子高校生が殺害された「狭山事件」で、強盗殺人などの罪で無期懲役が確定し無実を訴える石川一雄さん(70)の第3次再審請求審の三者協議が16日、東京高裁であった。門野博裁判長は検察側に対し、警察の捜査メモや犯行時間帯の目撃証拠などの開示を勧告した。狭山事件の再審請求で証拠開示が勧告されたのは初めて。

 検察側が「存在しない」としている殺害現場の血液反応の検査報告書については、不存在についての合理的説明を求めた。石川さんの弁護団が明らかにした。

 弁護団は殺害現場の血液反応の検査報告書や、犯行時間帯の目撃証拠などの開示を求めていた。勧告に法的拘束力はないが、弁護団によると、検察側は再審請求での勧告にはほとんど従い、開示しているという。

 裁判をめぐっては、石川さんの捜査段階での犯行を認めた自白や被害者の家族に届いた脅迫状の筆跡鑑定などが有力な証拠となり有罪が確定したが、弁護団は信用性に疑問を呈した。今回、高裁が開示を求めた証拠は、石川さんの取り調べメモや、筆跡鑑定のために捜査段階で石川さんが書いた脅迫状と同内容の文書など。犯行時間帯に現場近くにいた男性が「石川さんや被害者を見ていない」と証言した調書も含まれる。

 殺害現場の被害者の血液反応の検査報告書については検察側が一貫して「存在しない」としてきた。しかし高裁は「存在しないというのはおかしい」と検察側に合理的説明を求めた。」(産経新聞)

石川一雄さんの長い間のご苦労には言葉のかけようがない思いがする。再審開始の確定が一日も早いことを願ってやまない。検察が「血液反応の検査報告書」がないというのなら、そのような最重要の書類がなぜなくなったのかの懇切な説明が求められるのは当然のことだ。「取調べメモ」や「筆跡鑑定書」や「目撃証言者の調書」など、検察は速やかな提示をしなければならない。これまで隠しとおしてださなかったのがおかしいのだ。今年発生後60年目を迎えた「松川事件」の場合も、同様の事情があった。列車転覆のための犯行計画・準備のための謀議がなされたとされる時間に、その謀議に出席していたはずの、そしてそのために一・二審ともに死刑を宣告されるはめになった佐藤一氏が、実はその時間には会社の団交に出席していたことが会社側の諏訪氏によってノートに記されていた。このいわゆる「諏訪メモ」が初めから法廷に出ていたならば、一審の段階で事件がでっち上げだということはもっと広く認知されていたはずなのだ。事実は、そのメモを一人の検察官が最高裁段階まで十数年もの間、後生大事にあちこちの転勤先に転々持ち歩いていたということであった。

実は、「埼玉愛犬家殺人事件」の風間博子さんの場合にも同様のことがある。検察は弁護人がどんなに催促しても捜査記録を法廷に提出しなかったり、あるいは風間さんの供述調書をそのうちのあるものは証拠請求し、あるものは請求しない(隠す)というように、すべて風間さんの不利になるような細工をしている。ただし、前述の「狭山事件」や「松川事件」などと事情が異なるのは、風間さんの場合は証拠の隠匿が判決に決定的な役割を果たしたとまでは言えないかもしれないということである。というのも、風間さんには殺害関与の物的証拠もなければ、自白もない。殺人の有罪の根拠とされたのは、関根・Y氏という共犯者の証言だけなのだ。それも、関根氏は警察の取調べの初期段階では風間さんの関与について何も述べてはいなかったのだが、その途中から風間さんを主犯とする供述を始めている。一方、Y氏は取り調べ段階では関根氏と共に風間さんをも事件の主犯としていたのだが、裁判が進むにつれ、(Y氏は関根・風間の両被告人とは分離の裁判であった。5年の実刑判決が下された)、風間さんの殺害関与を否定する証言を始めた。そしてその証言はその後一貫して変わっていない。つまり、風間さんの場合は何らの証拠もなく死刑判決をくだされているというのが実情ではないかと疑われるケースなのである。

このような事情で、狭山事件などとは同一に論じられない点はあるが、それでもなお、警察・検察の恣意的な証拠請求のし方が、風間さんの死刑確定の要因の一つであることは事実である。その点を下記に記しておきたい。

① Kさんが殺害された4月20日夜11時前、風間さんは自宅でY氏からの電話をうけた。これにより、Kさんの車であるアウディを放置のために東京(八重洲駐車場)まで運ぶことになったのだが、実はこの夜の二人の行動は偶然にも当日設置されていた警察の「Nシステム(自動車ナンバー自動読取装置」により捕捉されていた。だが警察・検察はこのNシステムの内容を隠蔽し、一切の証拠提出を拒絶している。被告・弁護側の要請により、担当の警察官(幹部)が法廷に呼ばれた。しかしこの人物は「Nシステム」が二人の当夜の行動を捉えていることを認めながら、しかしその内容を、車が何時にどこを通過したかも含めて、「許可が下りないから言えない」と一切証言しないのである。報告書が現存するのかどうかもはっきりしない。しびれを切らした弁護人に「警察がNシステムを導入した目的は何か」と訊かれて、「主に犯罪捜査のためだと承知している」と述べながら、Y氏と風間さんの車輛の通過時刻を頑として明かさなかったのだ。待ち合わせ場所を出発した時間や途中三芳パーキングエリアに立ち寄ったのが往きだったか帰りだったかについてY氏と風間さんの証言内容が異なり、検察はY氏の証言を信用できると全面擁護し、風間さんを嘘つき呼ばわりして非難した。判決文もまた以下のようにこれに同調している。

「(風間は)自分達が三芳のパーキングエリアに寄ったことは事実だが、それは帰りではなく、行く途中のことである。」旨弁解し、そのことは自分が上りのパーキングエリア売店で饅頭と大きなどら焼きを二、三個ずつ買ったことからしても間違いないと断言し(60回公判)、更に検察官から最初にその点の確認を求められると、「大きいというのは、少しじやなくてとても大きくて、直径20センチメートル位もあったと思う。それはばら売りで二、三個買った。そして饅頭の方は二、三箱だった。」などと詳細な供述をしていたのである(62回公判)。ところが、その後検察官による補充立証により、風間の言う「大きなどら焼き」は当時の三芳の上りのパーキングエリア売店では販売されていなかった(逆に下りの同売店で販売されていた。)ことが法廷で明らかになると、その供述内容はたちまち曖昧になり、「大きいどら焼きを買ったと言ったのは、当時の取調警察官からそのように言われて、自分もいつの間にかそのように信じ込んでしまった。」などと趣旨不明の弁解をしつつ(64回公判)、下りではなく上りのパーキングエリアに立ち寄ったことをただひたすら強調するという態度に終始しているのであって、その供述内容は支離滅裂で、帰りにマット等を捨てるために下りのパーキングエリアに立ち寄ったと明確に述べる山崎供述と対比して全く信用できない。(一審判決文p263)

「どら焼き」は裁判官が判示しているように、確かに下りの売店で売られていたとのことである。だからこれは風間さんの供述の誤りであろう。この件につき、弁護人は、下記のように論述している。

「前述した様に、被告人風間は取調べの過程で虚偽の事実をあたかも真実であるかのように言われるなどして自白の強要を目的とする過酷な取調べを受けているのであって、このような取調べの過程の中で誤った認識が生じてきてしまったとしても何ら異とするに足りないことである。その立ち寄ったパーキングエリアで何を買ったかというささいな事項は、そうでなくても明確な記憶を持つことが困難であり、/検察官は、そのように記憶が混乱することはありえず、信用しえないと言うが、人間の記憶が思いこみやその他の理由によって比較的容易に他の記憶とすりかえられ、また存在していないことを存在していたように記憶が変容することがあることはよく知られていることであり、/検察官は、被告人風間が大きなどら焼きの大きさについて自らの手を使って約20センチの大きさを表現したことを指摘しているが、下りの三芳パーキン グエリアで販売されていた大きなどら焼きは13センチ程度のものであったのであるから、むしろこの点においても被告人風間の記憶が混乱してしまっていることを示しているものと言える。」(『一審弁論要旨-p291~292)

この「どら焼き」の判示には、一種のトリックのにおいが感じられる。「どら焼き」が下りのパーキングエリアでしか販売されていなかったのは事実のようだが、しかしここで風間さんは判決も明示していることだが、翌日会社でのおやつにするためにと饅頭を二、三箱買っているのだ。アウディを八重洲駐車場に置いての帰り、Y氏と車庫で別れる際、風間さんはそのうちの一箱をY氏に分け与えている。風間さんは、取調官に饅頭を買ったことを思い出して供述したが、「その他にも何か買わなかったか」と何度も何度も言われて、「どら焼き」をも買ったような気がしてきたと述べている。裁判官はしきりと「どら焼き」の件で風間さんを責めているが、これが理解できない。「どら焼き」を買ったことが、帰りではなく行きにパーキングエリアに立ち寄ったことの証拠になると誰にしろ思うはずはないのではなかろうか。また帰りではなく行きにパーキングエリアに立ち寄ったと供述したことについても同じことが言えるように思う。パーキングエリアへの立ち寄りが往復のどちらであるかに何かの意味があるとは普通誰も考えないだろう。どちらにせよ、風間さんは単に記憶のままに答えたに過ぎないだろうと考えたほうが自然であろう。風間さんは、「どら焼き」の件は確かに勘違いであったことを認めているが、しかし依然として、パーキングエリアに立ち寄ったのは行きだったという主張は変えていないのである。「嘘つき」呼ばわりするのなら、Nシステムの証拠を提示すれば万事が明らかになるはずである。それをしないところを見ると、通過時刻や行動についての二人の供述のうち、Nシステムの捕捉した客観的事実に合致しているのは、Y氏のものではなく風間さんのほうだったのではないかということが推測される。Nシステムに関する上述の警察官のこのような証言拒否の姿勢は、そのためなのではないだろうか。納税者の血と汗の結晶である大切な税金を遣って「犯罪捜査」を目的とするはずの「Nシステム」なるものを導入しておきながら、こうして肝心要の「犯罪捜査」に用立てることを拒否するのは、納税者への背理でもあるだろう。


② 一審の判決文は下記のように述べている。

「風間は、検査官の取調べの当初段階においては、関根から右のような指示を受けていたことはないと明言するとともに「Sにはいつも用事を頼んでいたのでその依頼を断る気にはならなかった。」などと述べていたのである(乙75)。」(『一審判決文』p262)

判決文のなかの「右のような指示」とは、Kさん殺害の前日、風間さんがペットショップにやってきた関根氏から言われていた

「S(Y氏のこと)から連絡が入ったらできるだけ動いてくれ
Sには俺の用事で色々動いてもらっているから」

という言葉のことである。関根氏からそのように言われていたので、殺害したKさんの車アウディを東京に放置に行くためにY氏が20日の夜間11時前に大原の自宅に電話をかけてきて

「車を東京まで置きに行きたいんだけど行けるかい
社長から聞いている」

と言ったとき、風間さんは、これは前日関根氏が述べていた用事の件だと考え、手伝うことにし、「大丈夫だよ」と答えている。

さて、判決文は、「風間は、検査官の取調べの当初段階においては、関根から右のような指示を受けていたことはないと明言」と、検察官の主張どおりの認定をしているが、これは完全に事実に反する。判決文の認定とは裏腹に、風間さんは取調段階から、公判廷とほぼ同様の供述をしている。検察官が当該の供述調書を出さなかっただけである。しかし、弁護人は、法廷で検察官により隠されていた供述調書を基にして次のように論述していたはずである。

「 検察官主張の虚偽性について
(1)言うまでもなく、検察官は前述の被告人風間の調書及び上申書の内容を全て把握し、さらに被告人風間がいついかなる時期に何故にそのような上申書並びに調書が作成されたかについての被告人風間の供述を全て当公判廷で聴取しているのである。/しかしながら、検察官はこともあろうにK事件のアウディ放置にまつわる事項に関し乙第七号証の問答形式の供述部分(平成7年1月20日付員面調書)を引用しつつ、以下の如き主張を展開しているのである。

「このように、被告人風間が捜査段階では被告人関根からの指示がなかったことを明確に供述していたにもかかわらず、公判において、不自然な供述をしてまで被告人関根からの事前の指示があったかの如き供述に変遷したのは、捜査段階での供述内容があまりにも不自然であることに気付き、何とかつじつまを合わせるため、苦し紛れに供述を変遷させたからに他ならない。山崎の供述にあるように、Kを殺した後、同人が乗ってきた車を処分するために、山崎が被告人風間と連絡を取ることを、被告人関根はあらかじめ被告人風間に伝えてあり、被告人風間もその目的を承知した上で、山崎の呼出しに応じたと見るのが自然かつ合理的であり、これを否定する被告人風間の供述は信用することができない。」

(2)しかしながら、前述した通り、被告人風間は、被告人関根に対する恐怖から、K事件について被告人関根が関与する部分は供述を行えなかったところ、ようやくこれを脱し、2月8日付上申書で、被告人関根が右アウディ放置に関与している部分及び事件後被告人関根からK殺害を告げられた部分の概要を述べ、さらに同僚である検察官が作成した二月17日付検面調書においてその詳細を供述しているのである。右調書等は弁護人に開示されているが、検察官は意図的にその証拠申請を怠っている。

2月8日付上申書の内容は、以下の通りである。

「Kさんは平成5年4月20頃、私達が使っている佐谷田の車庫で関根元とS(Y氏のこと。以下同)が殺してしまいました。私はこのKさんの車をSさんと都内の駐車場まで置きにいってます。私はKさんが殺される2~3日前に関根から『Sさんから連絡が入ったら出来るだけ動いてくれ、俺の用でいろいろと動いてもらっているから』と言われました。Kさんを殺したあとSさんは私に夜十時~十一時頃電話をよこし『車を東京までおきにいきたいんだけど行けるかい』と言われたので『大丈夫だよ』と返事をし、東松山インター近くで待ち合わせSさんの乗って来た黒っぽい乗用車のあとをつけて私は自分の車(クレフ)でついていきました。東松山インターから関越にのって東京方面に走っていき首都高より都内の駐車場に入りSさんは入ってすぐ右側の駐車場に入れました。そのあとSさんはクレフの助手席にすわりSさんの案内で帰り佐谷田車庫でSさんをおろしました。/そのSさんが乗っていた黒っぽい車は一~二日後の夕方関根元より店の奥でKの車だと聞かされました。Kは殺しちゃった。KはSがしめ殺したとか言って手でポーズをしたのでロープかひもか何かで首をしめてしまったのだと思いました。私は『どうして』『何で』と聞くと『Kとの犬のトラブルがあったとかKさんの兄弟の誰とかがヤクザ者でその入やまわりの人たちが金をかえせとかいろいろ言ってきてうるさくてどうしようもなくなってしまい殺してしまった』とかいろいろと話してくれましたが、あとは頭の中がボーとしてしまっていて何を聞かされたのかわかりませんでした。
今まで言えずにきてしまいすみませんでした。/たくさんの人たちに心配や迷惑をいっぱいかけてしまいました。」

2月17日付検面調書の該当部分の内容は以下の通りである。

「今日、拘留の最後の日に当たり、上申書を書いたときの私の気持ちを話してもらえないかということですので、私のお話しできる範囲内でお答えいたします。
私は、平成5年4月20日の翌日か翌々日には、関根から
「Kをやっちゃった
Sの家に運んで処分した」
と聞かされ、関根がKさんを殺したことをその時から知っていたのですが、刑事さんにはその事を話せませんでした。
しかし、今回逮捕されて、毎日のように取調べを受けていると、つくづくあの時、つまり、関根に打ち明けられた時に、刑事さんに正直に話しておけばこんな大事にはならないで済んだのにと考えるようになり、そのことを上申書に書いて刑事さんに提出した次第です。
私は、今でも関根と

とが、一緒になってKさんを殺したことは間違いないと思っております。/何故かと言えば、いくら大ぼら吹きの関根でも、人を殺したなどという大事なことで嘘は言わないと思いますし、その日の夜、私は、Sからの連絡で東京の駐車場まで車を置きに行っており、あの車がKさんの車だということも関根から言われましたので、状況的にもぴったりと合致するからです。
私は、関根とSがKを殺したという日の2、3日前、たぶん店の中だったと思いますが、

Sから連絡が入ったらできるだけ動いてくれ
俺の用事で色々動いてもらっているから

と言われてたのです。
私は、関根のその言葉を聞いて、普段からSさんには色々と用事を頼んでおりますし、関根がSさんに大事な用でも頼んでいてSさんから私に連絡があったらSさんの手伝いをするようにということだと思い、用事の中味までは確認しないでいたのです。/関根から、そのように言われた2、3日後で、夜半10時から11時位の間に、Sさんから私の自宅に電話があり、

車を東京まで置きに行きたいんだけど行けるかい
社長から聞いている

と言うので、私は、関根がSさんに頼んでいる用事のことだと考え、
大丈夫だよ
と答えて、Sさんが東京まで車を置きに行くのを手伝うことにしたのです。/東京まで車を置きに行った時の状況については、死体遺棄の事件の取調べを受けているとき話しているとおりですが、その中で、二つだけ嘘を言っておりました。/それは、Sさんの用事で車を東京に置きに行ったのだと話したことと、Sさんに高速料金を渡していないと話したことですが、東京まで車を置きに行ったのは、関根の用事で車を置きに行くことを最初から知っておりましたし、高速料金も私がSさんに2、000円渡しているのが本当のことであります。
私が関根から、関根とSの二人でKさんを殺したという話を打ち明けられたのは、私がSさんと一緒に東京まで車を置きに行った日の翌日か翌々日の日のことでした。/時間的には夕方でしたが、関根とSさんが、ペットショップの店に来て、Sさんは外におり、関根だけが店の奥の部屋に入って来ました。/その時、関根は私に対し、
Kは、Sがやっちゃった
と言って、両手を上に向けて握るようにして関いたのです。/私は、その関根のポーズを見て、KさんはSさんがロープか紐で絞め殺したんだなと思いました。/私は、関根のその言葉を聞いて、
なんで
と言って聞き返すと、関根は、Kさんとの犬のトラブルが元で、ヤクザ者まで差し向けて金を返せとか言ってうるさくてどうしようもないので、Kさんを殺してしまったという趣旨のことを言っておりましたが、関根の言葉は所々しか聞き取ることができませんでした。/それは、私がびっくりして頭の中がボーとした状態で、全ての言葉を正確に聞き取れなかったからであります。」

(3)右事実は、検察官が、捜査段階において、被告人風間が既に公判供述と同内容の供述をしていることを十二分に知っているにもかかわらず、前記上申書及び検面調書を証拠として提出せずに、これを隠し、あたかも公判段階において突然被告人風間が供述を変更したかのように装って、その旨主張し、嘘をついて裁判所をだまし、被告人風間の供述の信用性を損なおうとしているものにほかならないのである。/本件は死刑が求刑された極めて重大な事件である。/そして、被告人風間は無罪を主張し(ただし、遠藤・和久井事件の死体遺棄を除く)、 公判廷において極めて真摯な供述を行ってきた。/検察庁法第四条は「検察官は、刑事について、公訴を行い、裁判所に法の正当な適用を請求」することを定めている。/右の「裁判所に法の正当な適用を請求する」ことは、意図的に嘘をついて裁判所をだまし、被告人の供述の信用性を傷つけて、裁判所に供述内容を疑わせ、それによって被告人の死刑を求めるなどということが含まれることは絶対にありえない。」(『一審弁論要旨』p239~247)

このように、弁護人は風間さんの取調段階における「2月8日付上申書」および「2月17日付検面調書」を用いて詳細に検察官の嘘を暴き、風間さんが踏査段階から公判廷にいたるまで如何に一貫した供述をしているかについて詳述しているにもかかわらず、裁判官は、平然と、前に述べたことの繰り返しになるが、下記の判定をしているのである。

「風間は、検査官の取調べの当初段階においては、関根から右のような指示を受けていたことはないと明言するとともに「Sにはいつも用事を頼んでいたのでその依頼を断る気にはならなかった。」などと述べていたのである(乙75)。」(『一審判決文』p262)

検察官は被告人に有利な証拠を隠匿して虚偽の主張をし、裁判官はそのことを上記のとおり百も承知でいながら、素知らぬ顔をして検察官の主張を採用する。こうして裁判は事実の解明がなされることなく終了する。でもこれは実質上、裁判とは言えない、その名に値いしないだろう。このような行為をして罪を問われない職業が他にあるのだろうか? ここで挙げている事例は一件だけだが、この判決文には類似の事実認定が頻出している。
2009.12.19 Sat l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top
12月15日、最高裁により「布川事件」の再審開始が決定された。「足利事件」の菅谷利和さんにつづいて今年2件目の再審確定のニュースである。菅谷さんに対しても同じ思いだが、杉山卓男さん、桜井昌司さんのこれまでのご苦労と粘り強い闘いに慰謝と敬意を表したい。これから、再審の場で捜査段階の取調べもふくめた徹底した洗い出しがなされ、事件の真相究明が着実に遂行されることを切に願う。

それと共に、「足利事件」の菅谷利和さんの再審決定の報道に接した時もそうだったが、今回も、なぜもっと早くこの決定がなされなかったのかというやるせなさ、憤りを禁じえない。「足利事件」「布川事件」ともに、裁判開始当初から、巷では冤罪疑惑の指摘や囁きがなされていた事件だったからだ。裁判関係者がそのことを知らないはずはなかったと思う。また、このようなニュースに接すると、確定した有罪判決に疑いのある事件が他にも多数あることを改めて思い出さないわけにはいかない。「狭山事件」や「袴田事件」などがその典型と思われるが、私は、本年6月に死刑が確定した風間博子さんの判決もその一つだと思う。

杉山さん、桜井さんの記者会見の模様をテレビで見たが、杉山さんは、「警察や検察が分かってくれなくても、裁判所なら分かってくれると思っていたが、6回も負けた。裁判官が一番許せない」と話されていた。風間さんに対する判決文を読み、法廷に提出された供述調書や証言などの多数の証拠を見て、私が最も不可解にも不審にも思ったのはやはり裁判官であった。裁判所は、被告人にしてみれば最後の頼みの綱であり、残された唯一の救済機関である。その裁判所が、繰るページ、繰るページ、驚き呆れるしかないほどの不自然かつ矛盾にみちた判定を示しつづけているのだった。私は法制にはまったく無縁の素人だが、それでもこの事件の一・二審の判決文を読み、法廷の証拠と見くらべてみれば、あれでは誰の目にもその矛盾はあまりにも明らか。どうごまかしようも隠しようもないだろうと思う。

これまでまだ書いていなかった取調べおよび判決の不審な点を2、3点、下記に述べてみる。事の性質上、すでに以前述べたことと重複する面もでてくるが、どうぞご容赦いただきたい。


① 聞き込み捜査の写真一覧表にY氏の写真がないのはなぜか?

「埼玉愛犬家殺人事件」が発生したのは、平成5年(93年)であった。3件の事件が相次いで起こされ、被害者も4名にものぼる、殺害方法もきわめて残忍な、重大事件であった。風間さんが殺人罪で起訴されたのは、4月20日、7月21日に発生した2事件に対してである。3事件のすべてに関わったとされる共犯者のY氏は、関根・風間の両氏が逮捕される平成7年(95年)1月5日のおよそ1ケ月ほど前から警察の事情聴取をうけていた。その供述に沿ってかどうかは不明だが、警察は写真をもって近所の薬局やガソリンスタンドなど近辺の聞き込み捜査を行っている。その写真の一覧表には、関根氏、風間さんはもちろんのこと、被害者やアフリカケンネルの従業員や知人などの顔写真が十数名分掲載されている。が、そこに共犯者のY氏の写真はないのである。この事件で逮捕されたのは、後にも先にも関根・風間・Yの三氏だけであり、事件当時Y氏は関根氏と終始行動を共にしていたにもかかわらず、である。実に不思議なことだが、これを、Y氏の写真を持ち歩いて聞き込みをした結果、第三者からY氏に不利な目撃証言がでることを警察はあらかじめ避けたのだと判断しても不公平の誹りをうけることはないのではなかろうか。それを偏見や不公平な観方だというのであれば、では聞き込み捜査資料の写真一覧表にY氏の写真がないことの理由として考えられることが他に存在するだろうか? 

そもそも警察・検察は逮捕後のY氏に接見禁止の措置も講じていないのである。風間さんは逮捕後すぐに、結局5年余もの間続くことになった接見禁止を付され、その間じゅう家族との面会どころか郵便物の送受も、読書さえも許されなかったという。一方、以前書いたことだが、Y氏は逮捕後も外部との面会も自由に行なえるなど警察・検察から腫れ物にさわるかのような特別な処遇をうけていたのである。一審での風間さんの弁護人は、次のように述べている。

「殺人・死体損壊・遺棄事件、それも4名もの犠牲者が出ている重大事件において、それが共犯事件であれば接見禁止が付せちれるのが常識である。/とりわけ、本件の如く物証が少なく、一年余も経過し、さらに共謀関係、事件への関与の関係の捜査のために共犯者に接見禁止が付せられるのは、常識というよりも絶対に必要なことであると言わなければならない。/なぜなら、これらを解明するためには、共犯者各人と共犯者以外の関係者を取調べることにより、証拠物の発見や、犯行に関連する会話等がなされているか否かが判明し、右共犯者各自の関与についての客観的な証拠が収集されることになるからである。/このような場合、自由な接見が許されれば、これらの証拠の発見が不可能となるおそれがあるからである。/然るに、山崎には一切接見禁止は付せられなかった。まさにこれは捜査当局と山崎との間において取引と約束がなされていたことの証左であると共に約束の実現に他ならない。」(『一審弁論要旨』p26)

これに対して、裁判所は、

「Yは、浦和地裁で聞かれた自らの各死体損壊遺棄被告事件の公判において、起訴事実を全面的に認め、捜査段階の供述と同趣旨の供述を繰り返す一方で、「I検事には証拠さえ出してくれれば何でも言うことを聞いてやると言われていた。」などと、同検察官との間で取引又は密約があったかのような供述をなし、また当裁判所に証人として出廷した際にも、右のような取引があったことをひたすら強調するような供述をする一方で、検察官等に対して極度に挑発的な態度を取るとともに、検察官及び弁護人らから事件に直接関係する事項について質問を受けると、「忘れた。」、「覚えていない。」などと実質的に殆ど証言拒否に近い態度を取り続けた。/右に見たように、捜査段階でY供述が得られたことについては複雑な経緯があり、またY自身は本件についで詳細な告白をなしたことに対するいわば見返りとして捜査当局から様々な恩典を与えてもらいたいという思惑を抱き、妻の保釈、自己の保釈等を要求し、自己の保釈が容れられないと見るや、取調検察官に対して反抗的な態度を取ったり暴言を吐いたり、果ては取調べに応じることを拒否しようとするなど、功利的で厚かましい言動に出ていたのである。」(『一審判決文』p167)

と「捜査段階でY供述が得られたことについては複雑な経緯があり」と、Y氏の供述に関して、Y氏と検察との間に「司法取引」とも疑われかねない不公正な経緯があったことは暗に認めているようでもある。ところが、そのことが供述内容とどのような関連をもっているかについては、一切判断を示さず、下記のような頓珍漢ともいいえるような論理を展開している。

「しかし、その一方で、山崎は、検察官に説得されたりして結局取調べには応じており、またその本件各犯行についての供述内容自体は、任意出頭して供述を始めた当初から本人自身の裁判という最終的段階に至るまで終始変わっておらず、当裁判所に証人として出廷し、傲岸不遜極まりない態度で証言した際でさえ、自己の本件各犯行についてのこれまでの供述が虚偽であったなどとは遂に述べることがなかったのである。」(『一審判決文』p168)

上記の「これまでの供述が虚偽であったなどとは遂に述べることがなかったのである」という判示は、以前にも述べたことだが、実にナンセンスだと思う。Y氏が片品村の自宅を遺体解剖の場所に提供し、遺体焼却や遺棄に関わったことは証拠上明らかにされた客観的事実であり、「これまでの供述が虚偽であった」と述べることは、即ちY氏の罪は死体遺棄にとどまらず、殺害にまで関与したという事件へのより重大な罪責を示唆することにしかならないのではないだろうか。そのことは事件の推移・経過から見て明らかであろう。Y氏の身になってみれば「虚偽であったなどとは遂に述べることがなかった」のは当然のことだと思われる。


② 裁判官は、Y氏の供述には多くの「秘密の暴露」がある。だからY氏の供述は他の供述もふくめて基本的に信用できると認定しているが、この論理は奇妙ではないだろうか。裁判官は下記のように記している。

「ところで、右Y供述の信用性を判断するに当たって、最も注目されるべきことは、Y供述中には捜査官の知らなかった多数のしかも極めて重要な事項が含まれており、しかもそれがその後の裏付け捜査の進展に伴っていずれも真実であることが判明するに至っているということである。」

では、Y氏の供述にどのような重要な事項が含まれているのかについて、判決文は次の事例をあげている。

「Y供述によって、4名の被害者が各判示の日時ころに殺害された上、その死体はいずれも片品村のY方に運び込まれ、切り刻まれて完全に解体され焼却されて投棄されたことが初めて判明し、被告人両名においても後にこの事実自体は完全に認めるに至っているのである」(『一審判決文』p168)

おかしな判定である。Y氏宅で遺体の焼却・解体・投機されたことをY氏が認めたことは、関根氏が確かに殺人事件を起こし、これにY氏が関与したことが明らかになったということであり、「秘密の暴露」といいうる性質のことではないだろう。ましてこのことが風間さんの関与を示唆していることになるはずがない。「被告人両名においても後にこの事実自体は完全に認めるに至っている」にいたっては、明らかな虚偽である。「被告人両名」「被告人ら」という言葉の頻出はこの判決文の一大特色であるが、この事実は関根氏の行動に根拠を示すことなく風間さんを結びつけ、風間さんにその罪を押しつけるという不公正な役割を果たしている。そしてこの判示はその典型例だと思われる。なぜなら風間さんがKさんの殺害現場にいなかったことは証拠上明白であり、また4人目の被害者であるSさん殺害事件においては風間さんは起訴もされていないのだから、この殺害の事情も風間さんが知るはずがない。したがって、4名の被害者の焼却・解体・投機を認めるはずがないし、現に認めていない。さらに、裁判官はY氏が事件解明に果たした重要な役割を「秘密の暴露」として次のように認定する。

「Yが警察の実施した引き当たり捜査に同行して各被害者の骨や所持品等を焼却した灰を捨てたとして指示した場所(山の中や川の中)から、その供述に沿う焼けた骨片、歯牙片、時計の部品等、多数の遺留品が発見されており、しかもそれらについて詳細な鑑定等を経た結果、これらの遺留品の多くが各被害者の殺害あるいは損壊遺棄を裏付けるに足りる重要な証拠であることが判明するに至っているのである。」(『一審判決文』p170)

Y氏の自宅で遺体が解体され、その後関根氏とY氏が焼却・放棄に携わったのだから、Y氏が放棄場所を供述すれば当然指定された場所から「焼けた骨片、歯牙片、時計の部品等、多数の遺留品が発見され」るはずである。何ら不思議なことではないはずである。裁判官はこれも「秘密の暴露」と言いたいようであるが、不可解である。警察・検察がY氏に接見禁止措置も付さず、

「I検事は、接見施設のない検察庁内の部屋においてYがK子とS子に面会することを許し、むしろ自ら接見するか否かをYに尋ね、これを許しているのである。/また、検事は、YにK子への電話をすることを許し、さらにS子とYを会わせたときは調べ室で会わせ、検事自らと事務官は退席までしているのである。」(『一審弁論要旨』p27)

とのことだから、裁判官は、検察のY氏に対する異例の便宜供与、優遇措置とY氏の「各被害者の殺害あるいは損壊遺棄を裏付けるに足りる重要な証拠であることが判明するに至っ」たY氏の供述との関連性についての判断を示すべきではないのだろうか。「一般に検察庁においては、弁護人ですら接見施設のないことを理由に接見を拒否される」(p27)と弁護人は述べているが、なぜY氏は捜査当局からこれほどの優遇措置を受けるにいたったのだろうか。Y氏の供述どおりに「焼けた骨片、歯牙片、時計の部品等、多数の遺留品が発見され」た事情にはいろいろと疑わしいことが沢山ある。弁護人は

「Yは1月下句ころから、約束されていた筈の保釈申請が認められないために、いら立ち、検事に暴言を浴びせ、ふてくされた態度をとるようになり、検事の取調べ室のドアを蹴って「覚えてろ」などの捨てゼリフを言い、さらに保釈と調書への署名との取引を求めるなどしていた。/そして4月1日、保釈に関するやり取りから山崎は興奮し、署名したばかりの調書を取り上げ、 「保釈するつもりはないんだ、それならこの調書を破ってやる」などと言うという事態が発生し、M刑事の電話での説得により、Yの要求通りそれまでの調書のコピーを渡してようやく事をおさめるという一幕も生じたのである。」(『一審弁論要旨』p27)

と述べているのである。したがって、Y氏の供述によって「焼けた骨片、歯牙片、時計の部品等、多数の遺留品が発見され」たことは「秘密の暴露」であり、このような暴露を行なったY氏の供述はその他の供述も基本的にすべて信用できるという、裁判官が示唆するこの論拠はまったく筋が通っていない、あるいは完全に的を外しているのではないだろうか。また、捜査段階で風間さんの殺害関与を供述していたY氏は、その後その供述を一転、翻して、風間さんの殺害関与を否定した。そして以後その証言内容を変えていないのである。控訴審で証人として出廷したY氏は、風間さんについて「人を殺していない」「早く保釈されるべきである」と述べている。風間さんは、2件目の事件であるE氏、W氏の事件におけるW氏の殺害について、風間さんが運転している車内で関根氏とY氏がW氏の頸に巻き付けた紐を両方から引っ張り合って殺害した、と明白にY氏の殺害行為を証言しているにもかかわらず、Y氏は風間さんの無実を証言しているのである。この事実に関する判断も裁判官はまったく示していない。
2009.12.16 Wed l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (2) トラックバック (0) l top
先日、辺見庸の「単独発言 私はブッシュの敵である」(角川文庫2003年)を読んでいたら、米国のイラク爆撃直後のインタビュー取材で辺見さんが次の発言をしているのが目にとまった。

「ラムズフェルド国防長官はたいへんな詭弁家です。大量破壊兵器保持の証拠がないとされると、「証拠の不在は不存在の証拠ではない」といってのけたのですから。これではまるで中世の戦争の論理です。イラク側が国連の査察国にどれほど歩み寄ろうとも、米国はもともと戦争のみを構えていました。イラクに対する全面的武力行使は米国にとって9.11以前から既決事項だったのです。」(p66)

「単独発言」を久しぶりに本棚から取りだしてきたのは、まだ病に倒れる前、辺見さんがやはりどこかの取材をうけていて、そのインタビュアーとの間で1997年に「日米ガイドラン」が国会を通った時に小沢一郎がこの法律について「あれは戦争法だ」と述べたということについての会話がかわされているのを読んだことがあり、その箇所をもう一度見てみたかったからだ。おぼろげな記憶では、特にこの政治家の資質に踏み込んだ話が交わされていたわけではなかったと思うが、ただ小沢一郎がこの法律の核心をつかむ先見の明をもっていたという認識はその場で共有されていたようでもあった。大きな力を持っているらしい小沢一郎という人がどんな政治思想をもった人物なのかこのところ有権者としてはちょっと気になったりするので、一応その事実関係を確かめておこうと思ったのだった。でも、その話が掲載されていたのは見当をつけていたこの本ではなかったようで、見つけられなかったのだが、代わりに発見したのが上述のラムズフェルドの発言だった。そう言われてみれば、確かにこんな発言があったことを思いだす。当時、ブッシュとラムズフェルド、二人揃ってとても正気の沙汰とは思えない不気味な発言を繰り返していたので、私の頭のなかではラムズフェルドとブッシュの発言とがごっちゃになってしまっていた。しかし、イラク攻撃直前にラムズフェルド元国防長官が述べたというこの「証拠の不在は不存在の証拠ではない」という発言をこの本で見たとき、私はとっさにこちらで検討した「埼玉愛犬家殺人事件」における風間博子さんへの控訴審判決文の次の箇所

「風間は,K事件の当日に,KWの依頼に基づいて高額の犬の購入代金を送っているが,関根との間にKを殺害する事前共謀があったのであれば,K用に注文していた犬をKWに回せば足りる道理であって,KW用の犬の代金を送るような無駄になることをするはずがない。したがって,この事実は風間が関根と事前に共謀していなかったことの証左である,というのである。/しかしながら,その主張は,そのようなことも可能であるという理屈にすぎない。同じ理屈が当てはまる関根が現にK殺害を実行しているのである。所論は理由がない。」(『控訴審判決文』p29)

のなかの「しかしながら、その主張は,そのようなことも可能であるという理屈にすぎない」という一節を思い浮かべ、このラムズフェルド発言に重ね合わせていた。戦争と裁判という別々の場所での発言ではあるが、ラムズフェルドと「埼玉愛犬家殺人事件」の控訴審裁判官、二人が用いている論理はどこかひどく似ていないだろうか。私は両者に底ぶかい共通点を感じたのだった。辺見さんの「これではまるで中世の戦争の論理です。」という発言にもピタリ感じるものがあった。このうちの「中世の戦争の論理」を「中世の裁判の論理」と言い替えれば、「埼玉愛犬家殺人事件」をもそのまま言い表わすことができるかも知れない。今日はこの点を少し検討してみたい。

辺見さんは、上記のラムズフェルドの発言を引用した後、下記のように述べている。

「フセインが大統領宮殿の査察まで受け入れるという、屈辱的な国連の要請に応じたのは、本音としては「命ごい」だったのです。そしてそれ以上に避けて欲しいと思っていたのはイラクの民衆なのです。」

1991年から98年まで7年間も国連大量破壊兵器廃棄特別委の査察官を務めた米国のスコット・リター氏は、米国がイラク攻撃に突入する前から、

「(イラクの)調査は完璧に近く、国連の対イラク兵器削減プログラムは成功を収め、90%から95%の兵器が廃棄された。特に核兵器の開発に関連する施設は完全に破壊され、その後も再建されていない。イラクはすでに軍事的脅威ではなくなった」

と証言していた。イラク攻撃が敢行された後、事実はリター氏の証言どおりだったことが証明されたのだから、「証拠の不在は不存在の証拠ではない」というラムズフェルド発言は、「イラクに大量破壊兵器があろうがなかろうが、イラク侵攻という米国の方針に変わりはない。大量兵器云々は、イラク攻撃のための口実に過ぎない」という意味に他ならなかったということになる。これが論理として通用するのなら、通らないものは何もないことになるだろう。辺見さんが「これではまるで中世の戦争の論理です」というのはとても的確な批評だと思う。

一方、浦和地裁の風間博子さんへの死刑判決を支持し、被告人の控訴を棄却した控訴審裁判官の「しかしながら、その主張は,そのようなことも可能であるという理屈にすぎない」という言い分はどうであろうか。まず、判決文のいう「その主張」が何であるかということから説明すると、まずは一審の検察官が最初の殺人事件であるKさん殺害に風間さんが関与したと主張し、その動機について次のような説明をしたことに端を発する。

「当時アフリカケンネルの資産が著しくひっ迫し、右代金返還に窮する状態であった/同人(管理人注:被害者のKさん)がローデシアンの購入をキャンセルしてその代金を返還するよう要求したことに対する拒絶にあり、(略)被告人風間には、自己の財産に対する執着心が強くあって、主に被告人風間が大きな利害関係を持っていることからしても、被告人風間がK殺害を言い出してその共謀のきっかけを作ったとみるのが自然かつ合理的で、被告人関根のこの点に関する右供述の信用性は極めて高い。(『一審論告』p130、132)

上記のように、検察官の主張は、①アフリカケンネルの経営状況が悪化し、風間さんは資金繰りに苦慮していた、②風間さんは金銭や財産に対するつよい執着心の持ち主であった。これにより、関根氏から打診されたKさんへのキャンセル料返還の話を拒絶し、代わりに率先して殺害を提示し、その結果、Kさん殺害が計画・実行されたというものであった。これに対し、一審弁護人は、では異様なほどに金銭への執着心がつよい風間さんがKさん殺害当日、別の人物からの注文であるローデシアン犬の購入代金を海外送金したのはなぜか?と反論した。この犬もKさんの犬と同種のローデシアンであり、しかも同じくオスなのだ。今夜、Kさんを殺してしまえば、すでに日本に到着してただ今検疫中であるKさんのオス犬は引き取り手がなくなる。風間さんの立場にたてば、飼い主を殺すことにより行き場のなくなることが分かりきっているその犬をそのまま新たな注文主に渡すことにすれば万事願ったり叶ったりではないか。それでこそ殺人まで提案し、決意してお金を惜しんだ甲斐があったというものであろう。「Kに返す金などない」「殺るしかない」と殺人を提示するような人物が、どうして、溝に捨てるも同然になるしかない高額の輸入手続きをするだろうか。送金額は、100万円をはるかに超えているのだ。この件について、弁護人は次のように述べている

「平成5年4月20日付の送金分はKWが注文したバードの代金である。/ところで、犬の繁殖のためにはオス、メスのつがいが必要であるところ、メスは何頭手元にいても子を産むので価値があるが、オスは犬舎に複数頭いても売却しない限り、餌代がかかるだけであって、繁殖業者にとってはマイナスであることは常識である。/ところでKが注文したオス(トレッカー)の代金は既に平成5年3月25日に送金済みであり、平成5年4月20日にKを殺害することを事前に共謀していたとすれば、右トレッカーの引き取り手はなく、万吉犬舎にはローデシアンのオス二頭(グローバー、トレッカー)が残ることとなる。/検察官の主張によれば、被告人風間は金に執着心が強く、金銭に細かい人間ということである。/そうした性格の被告人風間が事前にK殺害を共謀、しかも殺人動機が「金への強い執着心」であったとすれば、トレッカーをKWに渡せば済むことであり、K殺害当日の平成5年4月20日にKWが注文したバードの犬代金をわざわざ送金することはあり得ないと言える。/この事実からも被告人風間はK殺害について事前共謀がなかったことを物語っている。」(『一審弁論要旨』p78)

検察官と弁護人、上述したそれぞれの主張に対し、浦和地裁は検察官の主張どおり風間さんの殺害関与を認定した。ケンネルの資金が逼迫していたという、完全に事実に反する認定を検察官の主張どおりに認定し、風間さんが「返す金などない」としてKさん殺害を提示したという検察官主張も次のように全面的に認めた。

「関根としても、Kに右のような返済案を提示したことは、その直後に風間に当然伝えたであろうし、これに対する対処策も、右返済案が数日間という短い日限を切ったものであったことからして、当然直ちに話し合ったと考えられるのである。しかるところ、関根はその後まもなく売買代金の返還に藉口して川崎を誘き出して同人を殺害するに至っているのであって、このことは、風間が右のような犬の代金返還という形で解決を図ることに強く反対したことを示唆しているのであり、「風間に相談したが、(川崎に)返す金などないと言われた。」とする関根供述は、その限りにおいては十分信用できる」(『一審判決文』p191)

上の判決文において裁判官が展開している論法はまったく粗雑で乱暴きわまりないものに思われる。“関根がKに返済案を提案したことは当然風間に伝えたであろう。そしてただちに話し合ったであろう。しかるに間もなく関根がK殺害を実行しているところをみると、風間が返済に反対し、「返す金などない」と述べたという関根供述は、信用できる”、というのだ。一体、こんな没論理的な事実認定があるだろうか。「事実の認定は証拠による」としっかり刑事訴訟法で定められているのではないのだろうか。この判決文のどこに証拠の一片でも見られるだろうか。証拠どころか、筋道の通った推論の形跡さえない。しかも、この文を読んでくださる方はよく見ていただきたいのだが、裁判所は、風間さんが「Kに返す金などない」「殺るしかない」と主張したという関根供述は信用できる、と認定しながら、また、アフリカケンネルが資金繰りに困窮していたとも言いながら、なぜ殺害当日に高額の犬購入代を送金したかについては一言も触れていないのである。ここから推測できることは、資金繰りの困窮といい、財産・金銭へのつよい執着心といい、裁判所はいずれにしろ風間さんの殺害動機を金銭の出し惜しみと認定しているのだから、このあからさまな矛盾の露呈をみると、おそらくこの動機を認定したのも、他の動機を見つけだそうにも見つけだせなかったからではないかということが疑われる。そうである以上、この認定にとってより大きな決定的な矛盾――自家撞着におちいるしかない送金手続きに触れることは何としてもできなかったのだと思われる。しかしこのような不公正な手続きと判断の下で死刑判決がくだされているという事実は本当に驚くべきことであり、決して見逃すわけにはいかないことである。

さて一審の死刑判決を受けて、控訴審においても被告人・弁護人側は、当然、引き続きこのローデシアンの輸入代金送金の件を殺人共謀不在の根拠としてつよく主張した。その主張に対する裁判所の答えが、先に述べた

「しかしながら、その主張は,そのようなことも可能であるという理屈にすぎない。同じ理屈が当てはまる関根が現にK殺害を実行しているのである。所論は理由がない。」

というものだったのである。この裁判所は自ら、一審の死刑判決を支持する最大の理由として、「関根と風間が共同経営していたアフリカケンネルの経済状態が悪化していた」(『控訴審判決文』p21)というように、金銭的困窮がKさん殺害の原因であると認定しておきながら、平然とこのようなことを言うのである。私はこれは悪質な詭弁である、被告人・弁護人は当然のことながら、その他の法曹関係者や判決文を読む者のすべてに対して最低限の誠意をも欠いた、救いの余地のない呆れはてた詭弁ではないかと思う。

当時関根氏と風間さんは離婚し、別居していた。関根氏は共犯者のY氏の自宅でY氏と同居していたのである。Y氏の証言によると、犬に関する問い合わせ電話や注文もその家で受けたりもしていたらしい。また風間さんと関根氏は夫婦であり、アフリカケンネルを「共同経営」をしていたには違いないが、勤務場所はずっと別であった。関根氏は犬舎で、風間さんは終日ペットショップで仕事をしており、同じ場所で一緒に働いていたわけではないのである。犬舎の従業員やY氏などの第三者が、関根氏が犬の売上代金の中から好きなように一部を抜き、残額を風間さんに売上代金として渡していた、ごまかしていたと証言していることも、裁判官は法廷でちゃんと聴いているはずである。だから、事件当時の状況についての上記のような「風間と関根が共同経営していたアフリカケンネル」という言い回しには、この場合引っかかるものがあるのだ。というのも、このこととのつながりで、「同じ理屈が当てはまる関根が現にK殺害を実行しているのである。所論は理由がない。」という認定がなされているのではないかという疑いを感じるからである。関根氏と風間さんとに「同じ理屈が当てはまる」という判決文のこの文言は何を意味するのだろうか? 関根氏が殺人を実行していることは被害者の遺骨の破片や遺品などの証拠物からも明らかであろう。風間さんの場合はまったくそうではない。事件前、Kさんと交流し交渉していたのはもっぱら関根氏であり、Y氏である。Kさんの奥さんによる、関根氏とY氏には何度も会っているが、風間さんに会ったことは一度もないとの証言もある。そもそも風間さんはKさんに会ったこと自体、ごくわずかの回数で、Kさんがペットショップに買い物にきた際の2、3度だけであると供述している。このことは裁判所も承知しているはずなのだ。「同じ理屈が当てはまる」ということはありえないはずである。 

さて、肝心の「その主張は,そのようなことも可能であるという理屈にすぎない。」という判決文だが、これが蔵する論理を要約すると、ほぼ次のようなものになると思われる。

被告人風間がKへのキャンセル料返還を惜しみ、「返す金などない」といってK殺害を主張したという関根の供述は信用できる。なぜなら、他ならぬ共同経営者である関根の言葉であり、どうやら会社は経済的に困窮もしていた(管理人注:事実は、一審弁論要旨p67の「七 被告人両名の資産及びアフリカケンネルの経営状況」に記載のとおり、資金難の事実はまったくない)、また風間は金銭に対し異常につよい執着心の持ち主(管理人注:この認定の根拠・証言も法廷に提示された記録を見るかぎりどこにもない)でもある。したがって、この限りにおいて関根の供述は、確かだと認定してよい。さて、被告人および弁護人が主張するところの、それほど金銭に困りまた執着していたというのなら無駄になることが分かっている犬を購入するために殺害当日、多額の海外送金手続きをするはずがないではないか、という主張は、そういう可能性もあるという理屈にすぎないから、あえて取り上げる必要も価値もない。判決文の論理はこういうことになるだろう。だが、弁護人が、この送金の事実を持ち出し、力をこめてこの件を論述しているのはなぜか。一審の裁判官が、アフリカケンネルの資金難および金銭欲のために風間さんがKさん殺害を共謀したと認定し、死刑を宣告したからである。「金銭」を論点にしたのは検察官・裁判所であり、被告・弁護人ではないのである。裁判所がもし殺人の理由として他の動機を認定したのなら――たとえば、Kさんへの個人的な憎悪が殺害動機であるとでも認定したのなら、弁護人にしてもこの送金の事実について執拗に論じるはずもないのだ。誰が見ても、殺害当日のこの送金は事件の解明および公正な判決のための重大な論点に違いないのである。裁判所は、これほど確かな証拠をそなえた被告人側のこの主張を「そのようなことも可能であるという理屈にすぎない」と判定するのなら、それでは一体どのような主張ならば「そのようなことも可能であるという理屈にすぎ」なくない、正当な主張なのかを具体的に明示するべきであったろう。それなくしての、

「しかしながら、その主張は,そのようなことも可能であるという理屈にすぎない。」

という控訴審判決文のこの文言は、無責任な暴言であり、卑劣な詭弁と映るのである。この判定が通用するのなら、裁判所はどんなでたらめな事実認定も、またどんな無理無体な判決も思いのままであろう。これでは、この裁判官は決定的に法の精神と感覚を欠いた法秩序の破壊者であるというしかないのではないだろうか。そしてこのような事例を繰り返すことによって、日本の司法の世界はいよいよ論理も倫理も喪失し、法感覚を磨滅させていくのではないのだろうか。私には、これは、やはりラムズフェルドの「証拠の不在は不存在の証拠ではない」という発言と好一対のものと思えてならないのである。
2009.12.13 Sun l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top
(4) 風間さんへの関根氏の暴力

当ブログは、これまで3回にわたり、風間さんと関根氏の間柄が、検察官が主張し、裁判官が認定した「運命共同体」「車の両輪」と呼べるような強固・緊密な関係ではないことを縷々述べてきた。今回もひきつづきこの問題を検討するが、まずは関根氏の暴力は長男に対してだけではなく、風間さんへも及んでいたことから記述する。

関根氏は、第一審の公判廷において風間さんの弁護人から、風間さんに対して暴力を振るったことはなかったかと尋問され、「こぶしで一回頭をたたいたことはあった」と答えている。以下にその応答を記す。

「では、それ以上にひどい暴力を加えたことはないんですね。
   「ありません。」
では、今の場面に限定しませんが、どの場面でもいいんですが、博子さんを殴る、けるって、したことはないんですか。
   「ありません。」
関根さんのすぐ近くで、博子さん(が)、関根さんの話を聞いてますが、そういうことはしていないと断言できるんですね。
   「はい、誓って言えます。ありません。」」(第一審第68回公判 平成11年2月1日)

上記のように、関根氏は自身の長男への暴力行為を完全否定したのと同じく、風間さんに対する暴力行為をもきっぱり否定している。だが、共犯者のY氏は第一審・第二審の法廷で下記のように証言している。

   「「例えば、1000万出せと、で、出せないと言えばさ、暴力、振るったりもするんじゃないんですか。いっとき、こんな顔してたときもあったからね。(両手を顔の前に持っていき、丸い形を作った。)」
風間被告人が?
   「はい。」
殴られて、腫れた、そういう意味ですか?
   「そうそうそうそう。だから、出すの嫌でも、出さなきゃしょうがないんじゃないんですか。(第一審第16回公判 平成8年6月20日)
何か関根に、博子さんが脅されているような場面はありましたか。
   「ありますよ。」
具体的に、どんな場面ですか。
   「具体的にとは。」
脅されていたというのは、何回ぐらい脅されていましたか。
   「しょっちゅうじゃないの。」 /(略)
(長男に対する暴力以外に)博子さんに対しては、どうなんでしょう。
   「同じでしょう。」
要するに、相談を持ちかける相手ではなくて、とにかく暴力を振るうだけの相手、暴力を振るう相手にいちいち相談しないだろうという、そういう意味合いでしょうか。
   「そうです。」 」(第二審第3回公判 平成16年2月23日)

風間さんの母であるY子さんは、第一審第95回公判(平成12年2月28日)で次のような証言をしている。

   「話は直接は聞きませんでしたけど、一度┄┄服がぼろぼろになってたのは見ました。」

また、風間さんの妹(K子さん)は、下記のような目撃場面を語っている。

「簡単でいいですけれども、どういうことでそういうことを見られたのか、経緯をちょっとお話し願えますか。
   「姉のうちに泊まっていて、姉が夜外出して、その間に、元さんのほうが姉と連絡取れなくて、かんしゃくを起こしたのか、雨戸をはずして、建て付けが悪い家だったので。で、窓ガラスが開いたんじゃないかと思うんですが、(姉が)入って来て、で、姉を廊下から引きずって、玄関を通り越して、表、敷地内ですけれども、引きずり出して、で、姉の洋服がはだけちゃって、で、殴るけるだったような気がします。(注1)
殴るけるというのは、回数とか程度、相当力を込めてかというような話なんですけれども、その点はどうですか。
   「激しいものに見えました。」」(第一審第96回公判、平成12年3月9日)

長男だけではなく風間さんも関根氏から暴力をうけていたことについて、このようにY氏や肉親による証言があるのだが、実は風間さん自身は法廷でこのような第三者証言を聞くまで、自分自身が暴力を振るわれていることは、ほとんど意識になかったと述べている。証言を聞いた後に、そのような事実が確かな経験として少しずつ脳裏に蘇ってきたとのことだ。風間さんは、自分に振るわれる暴力は関根氏の人格の一属性として捉えていて、そのことを特別に異常なこととは把握していなかったようである。このことは当人が事実をすべてありのままに認識している場合よりもさらに厳しく深刻な環境下にいたということができるのかも知れないが、ただ、この問題に限っていえば、長男に振るわれる暴行や暴言への懸念が風間さんの頭のなか一杯を占めていたのだろうと想像される。常に、関根氏の機嫌が悪くならないように自分たちの言動に気を遣い、機嫌が悪い時には子供たちを関根氏に近づけないように、おとなしく静かな立ち居振る舞いをするよう心がけていたと風間さんは述べているが、このような消極的・内向的な心境および生活態度のどこにも風間さんと関根氏の「車の両輪」「運命共同体」と呼べるような対等な人間関係を見てとることはできないと思う。


(5) その他

事件当時、風間さんと関根氏が決して「運命共同体」などといえるような関係ではなかったことを証明するできごとは他にも多数ある。実のところ、二人が「運命共同体」的関係であったことを証明する証言も根拠も何一つなく、むしろこれはばかばかしい話といったほうが正確ではないかと思える程なのだが、Kさん殺害事件当時、風間さんには、MR氏という愛人がいて、平成5年(93年)早々、関根氏との離婚が成立し、別居生活がはじまったころから、風間さんがMR氏と会う機会がそれ以前に比べて飛躍的に多くなっていたことも「運命共同体」論の信憑性を否定する重大な根拠の一つであると言えよう。一審判決文は風間さんに当時愛人がいたことについて次のように判示している。

「被告人風間も、平成3年9月ころからアフリカケンネルの資金を使って被告人関根に無断でD株式会社と商品先物取引を開始し(その際、被告人風間は同社に対してアフリカケンネルの保有動産は40億円、不動産は100億円もあり、年収は5億円もあると申告するなど、自分達が巨額の財産を有する大事業家であるかのような著しく過大かつ虚飾的な申告をしていた。)、平成5年10月ころまで多数回にわたり先物取引を行うとともに、右取引開始後まもなく、同社の営業部長として被告人風間との右取引を担当していたMRと情交関係を持つようになり、本件各犯行当時も同人と頻繁に逢い引きを重ねるなど、奔放な行動を取っていた。」(『一審判決文』p11)

上記の認定は、この判決文のいたるところに見られる不公正と矛盾とが集約されているような文言と言っていいのではないかと思われる。風間さんが商品先物取引を始めたのは確かであるが、よくあるようにこれはD株式会社の営業マンの度重なる訪問、熱心な勧誘によるものであった。「アフリカケンネルの保有動産は40億円、不動産は100億円もあり、年収は5億円もあると申告するなど、自分達が巨額の財産を有する大事業家であるかのような著しく過大かつ虚飾的な申告をしていた」という上記の判示には裁判官の悪意を感じないわけにはいかない。「保有動産40億円、不動産100億円、年収5億円」などはD株式会社の担当営業マン(MR氏とは別の人物)が作成した顧客カードに記されていたもので、風間さんはそのような内容の顧客カードが作られていたことを裁判になってはじめて知り非常に驚いた、自分はそんなことを述べたり書いたりしたことはまったくなく、担当者が社内審査の申告用に誇大な内容を記したのであろう、と証言している。問題は裁判官だと思われる。裁判官はこの顧客カードを証拠としてこのような判示をするのなら、同カードに当時30代の半ばであった風間さんの年齢が11歳も年上に虚偽記載されていたことをもなぜ明示しないのだろう。このカードに記載された内容がD株式会社の担当社員の手によるものではなく、風間さん自らの申告によるものだと断定し、「巨額の財産を有する大事業家であるかのような著しく過大かつ虚飾的な申告をしていた」と判定するのなら、カードに記された年齢が一回り近くも上の47歳になっていたことも判示しなければ不公正だろう。おそらく裁判官は、実年齢よりもはるかに年長のカード上の年齢は、判決のいう、被告人による「虚飾的な申告」に合致しなくなると考え、これを黙殺したのであろう。この判定は、有罪判決のために利用できるものはどんなものでも、たとえ歪曲・変形してでもご都合主義的に利用し、有罪に都合の悪い事実は躊躇なく除去・抹殺するという、この判決文の至るところにみられる手法と事例の一典型のように思える。顧客カードが風間さんの申告により忠実に作成されたという証拠はどこにあるのだろうか? 当該会社がそのように証言したとしても、被告人である風間さんがそれを否定している以上、裁判官はこの認定のためには、職責上、その証拠を示すことが不可欠だったはずである。証拠もないのに、「アフリカケンネルの保有動産は40億円、不動産は100億円もあり、年収は5億円もあると申告するなど、自分達が巨額の財産を有する大事業家であるかのような著しく過大かつ虚飾的な申告をしていた。」と判定されたのでは、被告人に救われる余地はない。保険会社は何度も田圃のなかの会社を訪れて経営実態を知っていたのだから、風間さんがもし「40億円、100億円、5億円」などの申告をしても、それが架空の数字であることはバレバレだったはずである。判決文にこうまで数多くおかしな認定が散見されるのでは、あの死刑判決は、こうした虚偽混じりの判示を強引に積み重ねることによって導かれたのではないかという疑いがつよまるのも仕方ないのではなかろうか。

さて、ここでの一番の問題は、「(風間は)同社の営業部長として被告人風間との右取引を担当していたMRと情交関係を持つようになり、本件各犯行当時も同人と頻繁に逢い引きを重ねるなど、奔放な行動を取っていた。」という判定である。この判定も実は、上述した「有罪判決のために利用できるものはどんなものでも、たとえ歪曲・変形してでもご都合主義的に利用し、その際有罪に都合の悪い事実は除去・抹殺するという、この判決文の至るところにみられる手法と事例」の一つであると思われる。判決文は、上記のように、

「MRと情交関係を持つようになり、本件各犯行当時も同人と頻繁に逢い引きを重ねるなど、奔放な行動を取っていた。」

と判示しているが、この判決文が風間さんの愛人であったMR氏に触れているのは、たったこれだけ、この箇所だけである。裁判官は、風間さんが保険会社への申告カードに自分を大きく見せるための「虚飾的な申告」をするような人間であるとの無根拠の判示をし、その文脈で、事件当時彼女は愛人をつくって奔放な生活をしていた、そういう放逸なだらしのない人間なのだから、殺人事件に関与したって決して不思議はないのだという判定の補強のためにMR氏を判決文に登場させているのだ。だが、なぜ、裁判官は佐谷田車庫におけるKさん殺害の当日である平成5年4月20日、昼の12時30分頃に熊谷駅でMR氏とおちあった風間さんが、午後5時過ぎにペットショップに戻るまで、午後の半日をMR氏と二人きりで過ごしていたという重大な事実を黙殺するのだろうか? 何しろこの逢い引きは事件当日のことなのだ。Kさん殺害に風間さんが関与したというのなら、事件の解明のためには、Kさん殺害直前のこの逢い引きの事実は必ず問題にされなければならないはずである。それなのに検察官も裁判官も何ら追求も言及もしていない。その理由は何か、以下に順を追って考察する。

風間さんがMR氏と知り合ったのは、「一審弁論要旨」によると、以下のとおりであった。

「平成3年(91年)11月中旬頃から同年末まで急性肝炎(注2)で福島病院に入院した際、MRが頻繁に見舞いにきてくれたことから急速に親しい仲となり、平成4年以降MRは週に2回ほど熊谷を訪れて、被告人風間と男女関係を重ねるようになった。」(『一審弁論要旨』p50)

上記の弁論要旨から推測すると、Kさん殺害事件が発生したのは、風間さんがMR氏と交際をはじめて1年4、5ケ月が経過した頃ということになる。平成5年(93年)4月20日、Kさん殺害当日の風間さんの一日の行動を以下に記載する。

「被告人風間の4月20日の行動
(一) 平成5年4月20日、被告人風間は午前10時ころペットショップに出勤し、同10時30分頃K建設のY主任から、「昨日話した追加工事分として車2台で支払う内容の契約書を作りたい」旨の電話を受け、約20分後の10時50分頃に来店したY主任から契約書(弁第21号証)を作成して受領後の、同11時頃、あさひ銀行熊谷支店におもむいてKが注文したローデシアンのオス(バード)の代金をTHへ送金手続をして、12時過ぎにペットショップヘ戻った。
(三) その後、被告人風間は同日午前10時すぎにMRと電話で約束をしてあったことから、MRとの待ち合わせ場所である熊谷駅北口に行き、12時30分頃MRとおちあい、12時56分にホテルAにチェックインし、午後4時28分頃チェックアウトし、熊谷駅でMRと別れた後、午後5時10分頃ペットショップに戻った。/その後、被告人風間はペットショップに午後7時頃までいて店を閉め、帰宅した。
従って被告人風間は4月20日は、被告人関根とは一度も顔を合わせておらず、K殺害の共謀及び準備行動をすることはあり得ない。」(『一審弁論要旨』p77~79)

関根氏との離婚が成立し、別居生活が始まってから(この頃、関根氏は、片品にあるY氏宅に居住しており、万吉犬舎やペットショップに来ることも少なかったが、たまに来るときはY氏が運転する車に同乗してやってきており、ほとんどY氏と行動を共にしていた)、風間さんがMR氏と会う回数はそれ以前に比べて飛躍的に増えている。このことについて、弁護人は次のように記している。

「被告関根との離婚について、被告人風間が真正なものと考えていたことは、愛人であるMRとの逢引きの場所であったホテルAの利用回数が平成5年1月は3回にすぎなかったものが、2月、3月は各10回、4月も8回に及んでいることからも明らかであり(甲266号証)、逆にK事件を知らされ、5月7日に暴行を受けて以後、Aの利用を含むMRとの交際の頻度も激減していることによって、右事件以後、被告人関根の被告人風間に対する威力が復活していることを物語っているのである(甲第266号証、弁第24号証)。」(『一審弁論要旨』p256)

弁護人はまた、検察官が被告人両名の「運命共同体論」「車の両輪説」を主張・展開していることに関して、そのご都合主義の論理を下記のように指摘している。

「これ(注:運命共同体論)に反する事実である被告人風間が事件の1年以上前からMRとの間で愛人関係にあったことについての論述は全くないのである。」(『一審弁論要旨』p41)

風間さんが事件当時MR氏と愛人関係にあったことを論述しようとしないのは、検察官ばかりではない。上述のとおり、裁判官も同様である。判決文は風間さんの「共謀共同正犯」を認定し死刑を宣告するにあたって、4月20日Kさん殺害事件のその日、風間さんが午後中をMR氏と共に過ごしていたという、風間さんの事件への関与を正確に判定するために、また事件の真相解明のために死活的に重要であるこの事実に頬かむりしているのである。その3日前の4月17日にも風間さんはMR氏と会いほぼ半日を共に過ごしているが、裁判所はこれについても一切言及していない。このことは、裁判官が判決にあたり、被告人両名がいつ、どこで、Kさん殺害の具体的計画を練り、どのような準備をしたのかについて真摯な考察も追求もしていないということを意味する。真相究明のために懸命の努力をしてそれでもなお十分には解明できなかったというのではないのである。風間さんが事件に関与していないことを示す証拠には目をつむり、それを握りつぶした上で判決をくだしたことの証明の一例がこのMR氏の件である。本当に人を殺そうというのであれば、その事前計画・準備に忙殺されているはずの時期に、風間さんは愛人のMR氏と頻繁に逢い引きを重ねていた。真相究明のためには、これが注目すべき事実であることは誰の目にも明らかであろう。しかし裁判所は、判決文においてこの問題の追求どころか言及さえしていない。言及すると風間さんの「共謀共同正犯」を認定できなくなる可能性が高いので、やめたのだと思われる。いくら考えても私にはその答えしか見つからないのだが、「いや、そうではない」とこの判決における裁判官の行動を擁護・正当化できるような理由が何かありえるだろうか?もしありえるのだとしたら、ぜひご教示を願いたいと思う。

風間さんが事件直前の17日、当日の20日というごとく、当時頻繁にMR氏と密会を重ねていたことについて弁護人は下記のように述べている。

「一般常識として、「殺人」を事前に共謀する場合、時間をかけて綿密な計画を立てるものであり、また精神的にも極めて追いつめられた状態になるはずだが、右のとおり被告人風間にはそうした状態は全く見受けられないのである。(『一審弁論要旨』p132~134)

風間さんとMR氏との交際の内実がどのようなものだったかは余人にはうかがい知れないことだが、この件の記述を終えるにあたって、一審弁論要旨から、次の文言を引用しておきたい。

「MRは、被告人風間は非常に賢い女性であったとした上で、被告人風間との別れについて次のように述べる。/すなわち、「・・・私自身が風間さん夫婦に関して警察官の事情聴取を受け、この二人が殺人事件の容疑者として捜査されているということを知ったことから、私は最終決断をして、風間さんに対し、取引を終わらせることと、個人的関係を清算することを告げました。私のこうした出方に対する風間さんの態度は冷静で、言葉には出しませんでしたが、いつかこういう日が来ると覚悟していたようにも感ぜられました。ただ、別れの日、熊谷駅のホームで風間さんが人目もはばからず私の背中にすがって泣いたことが風間さんとの付き合いの中で唯一風間さんが見せた内面の部分であったように思っています。」/金銭に対する異常な執着心を持ち、被告人関根と深い絆で結ばれ、自ら入れ墨を彫り続けることでその意思を表現し、被告人関根とともに3名の殺害を計画して実行し、人間としての良心は一片もなく、常識の範囲をはるかに越えた安易さ、短絡さ、規範意識の欠如、刹那的思考、残忍さ、冷酷さを有するはずの被告人風間において、別れを告げた愛人の背にとりすがり、プラットホームという衆人注視の中で号泣するなどということが考えられるであろうか。/そのようなことは到底ありえない。/被告人関根とこれからも共に暮らすしかないことに対する恐怖と絶望からの号泣にほかならないのである。」(『一審弁論要旨』p272~273)

以上4回、5項目に分けて、判決文が認定する関根氏と風間さんの間の「運命共同体」「車の両輪」説の検証を行なってきたが、どのような観点から考察しても、二人の間にそのような緊密な関係性は、片鱗さえ見いだすことはできなかった。この説は、検察官作製、裁判官認定のまったくの虚構のストーリーであると当ブログは考える。





(注1) この暴力事件が起きたのは、弁護人によると平成5年5月7日ではないかとのことである。風間さんに愛人がいることを関根氏はその頃薄々察知したらしい。関根氏は、自分自身はそれまで何人もの愛人をつくり、そのことを風間さんに隠そうともしなかったそうだが(管理人注:関根氏は、第一審の第78回公判で「女房に女のことでガタガタ絶対に言わせないという気持ちを持っていた」と供述している)、風間さんのこの件には凄まじい暴力沙汰を引き起こしたわけである。

(注2) 風間さんはその前年にも肝炎に罹患したそうだが、このことについて、検察官は一審で「肝炎は入れ墨を彫ったための後遺症によるものだ」と、またしても何の証拠も示すことなく、特異な主張をしている。このことに関する弁護人の反論を下記に引用しておく。

「検察官は入れ墨を彫っている場合、肝炎を起こすことは一般的である旨述べ、平成2年と3年に被告人風間が肝炎で入院したことをとらえて、このころ被告人風間は入れ墨を彫っていると見られるとしている。/この点を主張するならば、まず必要とされるべき証拠は、被告人風間が入院した記録でなければならず、(略)医学的証拠でなければならない。/しかるに、何と検察官が根拠としているのは、医学的知識などありえようはずはなく、信用性のないことについて、後述する変遷のきわまりない被告人関根の供述と同人が肝炎で入院したということのみを述べる答申書のみなのである(甲第917号証)。/ところで、入れ墨をしたことによって肝炎を発症するとすればウイルス性血清肝炎であることになるが、ウイルス性血清肝炎であれば、接触感染が生ずることになるため、当然入院先においては徹底的な感染対策が取られたはずであり、そうであるとすれば被告人風間が供述するように、原因が不明であると言われるわけはなく、当然ながら長男Fが被告人風間の病室から学校に通うなどということが許されるはずはないのである。/また、右程度の知識は医学的常識であるのみならず、多少とも医学に興味を持つ者であれば、誰でもが知っている知識である。/さらに、平成2年、3年と、連続して入れ墨を持つ女性患者が入院し、ウイルス性血情肝炎であることが判明して徹底的な感染対策が行われたとするならば、そのことについて記憶を有している病院関係者は必ず存在すると考えられる。
しかしながら、検察官は前述のような証拠(管理人注:入院したという記録)しか提出せず、これをもって平成3年の入院は入れ墨が原因であるなどと主張するのである。/右のような検察官の主張は、前述した(管理人注:風間さんが捜査段階において公判供述と同内容の供述をしている調書があることを検察官は十二分に知っているにもかかわらず、その調書を証拠として法廷に提出せずに、これを隠し、あたかも公判段階において風間さんが突然供述を変更したかのように装い、嘘をついた事実)、調書を隠したまま被告人風間の供述の信用性がないなどという嘘をつく、本件における検察官の行動を考え合わせるならば、(略)被告人風間の肝炎がウイルス性血清肝炎ではない旨の入院先病院からの証拠を入手していながらそれを隠し、あえて被告人風間の入院は入れ墨による肝炎が原因である旨強弁している可能性が極めて高いと言わなければならない。」(『一審弁論要旨』p251~253)


11月13日、上記の(注1)(注2)を追記しました。
2009.11.13 Fri l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top
法相 千葉景子 様

法務大臣就任おめでとうございます。

突然ではありますが、ある確定死刑囚のことにつき、大臣にぜひお知りおき願いたいことがあり、メールを送らせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。

「埼玉愛犬家殺人事件」の風間博子さんは、今年6月に最高裁判決により主犯である元夫とともに死刑が確定いたしました。今年早々、偶然の機会から、私は風間さんに関する一・二審の判決文や論告文、弁論要旨、控訴趣意書、等々の裁判資料を読む機会を得ました。自分としましては素人ながらかなり丁寧に読みこんだつもりですが、その過程を通して、風間さんが殺人に関与したとする裁判所の判定には、多大な疑問をおぼえざるをえませんでした。その詳細につきましては、現在、拙ブログ「横板に雨垂れ」 にて、判決文を主な対象とした裁判資料の検討を行なっております。また、これは他の人のサイトのことになりますが、「友人の会」による http://geocities.yahoo.co.jp/gl/kazama_muzai/ のように、すでに数年前から、この裁判の異様さを感じ取り、いち早く、風間博子さん支援のサイトを立ち上げた方達もおられたようです。私もこの間、たどたどしい足どりながら、真摯な心構えで裁判資料と向かい合ってきましたが、人間のごく普通の感覚・良識で法廷に提出された証言、その他の証拠を子細に見てゆけば、この死刑判決の不当性は誰の目にもあまりにも明らかなのではないかと思っています。大臣には、どうか、風間さんの死刑確定判決はこのような見方ができるものだということ、また現にこのような疑問をもっている人間がたしかに存在することをお知りおき願いたいと存じます。

激務の中、どうぞくれぐれもお身体をお大切になさってください。


2009.10.06 Tue l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top
3.風間さんの長男への関根氏の暴力

検察や裁判所の主張する「車の両輪」説が強引さや筋違いの無理を感じさせる理由の一つに、結婚3年目ころから始まった風間さんの連れ子である長男に対する関根氏の日常的な暴力や暴言の存在がある。風間さんは控訴審の公判廷で関根氏と結婚した理由についてきかれ、「アフリカケンネルのこともあったが、明るくて力強く、当時4歳の、自分の子供のFくんにも優しかったから、いい父親になってくれると思った。」と答えている。昭和57年(82年)に長男をひきとって離婚した後、風間さんには息子によい父親を与えたいという思いがつよかったようで、そのことは「Fくん本人は父親がいなくて寂しいとは思わなかったようだが、自分がどうしても息子にいい父親をつけたかった」などの供述の端々から如実に感じられることである(「アフリカケンネルのこともあったが…」という上記の発言の真意は、もともと動物好きだった風間さんにはアフリカケンネルの仕事も魅力があったということだと思われる。)。そのような過程で結婚生活に入った風間さんにとって、関根氏の息子への暴言や暴力は、その乱脈な女性関係などへの違和感ともあいまって、次第に関根氏から気持ちを引き剥がしていくものであった。風間さんは第一審の公判廷で「(時がたつにつれ関根氏に対して)自分やFに対する関心が薄れてくれれば良いと思うようになっていった」(第58回公判)と述べている。
風間さんは平成4年(1992年)暮れ、アフリカケンネルに税務調査が入った際、弁護士から「離婚をして不動産名義を被告人風間に移し、被告人関根は県外へ一端出て、別居したほうがいい」(一審弁論要旨)との進言をうけ、これを奇貨として関根氏と離婚することができたのだが、このとき潜在的にもっていた「怒らせると何をされるか分からない」という関根氏への恐怖心(風間さんは日頃関根氏から「ただで別れられると思うな」と言われていたとも供述している。)を撥ねのけて、「離婚してください」と切り出せたのは、税務調査の直後の平成5年1月に長男への激しい暴力沙汰が発生したためで、この時「このままでは息子が殺される」「今のままでは息子をだめにしてしまう」(第一審第58回公判・控訴審第12回公判)とのつよい危機感をもったためだったという。


検察官のあきれた主張

この件について、論告文は次のように主張している。

「被告人風間は、被告人関根が、被告人風間のいわゆる連れ子であるFを疎んじ、特に、平成5年1月ころにFが自宅の現金を持ち出したことで激怒し、Fに対し重傷を負わせるほどの暴行を加えたことが離婚にふみきった原因である旨供述しているが(第58回公判における供述)、 Fは、右暴行について明確に記憶していないとのことであり(証人Fの証言、なお同証人は、被告人風間が主張している、階段から落とされたり玄関先で裸で正座させられたりコンクリートブロックを載せられたとの被告人関根による暴行の事実を明確に否定している)、 その暴行の一部を目撃したY子(注:風間さんの母。Fの祖母)も、さほどの暴行でなかった旨述べている(証人Y子の証言)。しかも、Fとしては、右現金持ち出しの際、被告人関根が加えた暴行よりも、被告人風間が怒ったことの方を良く記憶しているとのことであるから、被告人風間の前記供述は信用できない。」 (『一審論告』p271~272)

あきれた言い分であるとしかいいようがない。検察官は風間さんの母親や長男の証言を明白に歪曲している。「Fは、右暴行について明確に記憶していないとのことであり」、「階段から落とされたり玄関先で裸で正座させられたりコンクリートブロックを載せられたとの被告人関根による暴行の事実を明確に否定している」との検察の主張だが、長男(F)は、このような暴行を受けたのは事実だが、それはこの時ではなく、別の時だったと思う、と述べているのである。関根氏からどんな暴力を受けてきたかについて、彼は、控訴審の公判で下記のように証言している。

「関根に殴られたのは 何回?
  「分からないくらい多かった。(略)平手、げんこつ、木刀、いろいろ。」
橋から落とされそうになったのは 何回?
  「1回。押されたが手すりに掴まったので落ちなかった。」
刃物で手を切られそうになったのは いつ どこで?
  「中学の頃、万吉の犬舎で。(略)まな板に手をのせて、包丁で2、3回。なんとか手を引っ込めた。 」」

一審弁護人の主張

次に、上記の検察官論告に対する一審弁護人の反論を引用する。

「(1)まず、検察官が摘示する被告人風間のFの暴行後の状態についての供述は「一週間ぐらいは体を動かすのも大変なような感じでしたけど、そんなそぶりを見せれば、どう言われるか分かってた子ですから、見せませんでした」と供述し(第58回公判)、重傷とのことばは使っていない。
一方、Y子(注:風間さんの母)の証言では、被告人関根のFへの暴行について以下の通り証言されている。すなわち、「ぶったりけったり元さんがやっていました。その程度はひどかった。Fは廊下の上に倒れて縮こまり、手を顔に回して体を小さくしていた。Y子は止めにも入れなかったことから、ただおろおろしており、いたたまれずにお勝手の方に席を外した。殴ったり、けったりしていた時はドスンドスンと音がしていたので相当ひどかったと思う。/被告人関根の『ばかやろう』という声、被告人風間の『もうやめて』と言った声は聞いたと思うが、Fの声は余り聞こえなかった。」 検察官によれば、このように証言された被告人関根の暴行はさほどの暴行ではなかったということでまとめられている。
検察官の暴行の激しさの程度に対する基準は不明であるが、弁護人としては、右証言にある暴行は、優に激しい暴行、かなりひどい暴行ということができると考える。
ところで、検察官が全面的に信頼を寄せているY(注:共犯のY氏)の捜査段階の供述によれば「被告人関根は、博子の連れ子である男の子を異常なまでに嫌っていたのです。私がその事を感じましたのは、時期の記憶はありませんが、その男の子が家からお金を盗み出した事が被告人関根に判って、顔に傷が何ケ所もできる位メチャメチャに殴られた事があり、その事をドッグショーに集まった仲間に言い触らし、親子とは思えない言動をしていたのです。私にはその子は被告人関根のことを憎んでいると思うし、今回被告人関根が逮捕されて喜んでいるのではないかと真に思うのです」と述べている(甲第554号証)。
右Yの供述は、Fが被告人風間の連れ子であり、お金を盗み出したことを理由として被告人関根の暴行が行われていることから、右Y子の述べる被告人関根のFへの暴行と一致し、信用できると考えられるが、右に述べた通り、Yはメチャメチャに殴られていたFはそのような被告人関根を憎んでいると思う、被告人関根が逮捕されて喜んでいると思うと述べているのであって、右の暴行態様(激しさ)が被告人関根の逮捕を喜ぶまでの憎しみをFに生じさせているとYに感じさせていることは明らかである。
(2)証人Fは、「同人が現金を持ち出したことによって被告人関根から暴行を受けたことについて、殴られたとは思うが頻繁にやられていたんで、そのときもやられたかどうか詳しく覚えてない」旨証言している。(略)
ところで同人によれば頻繁にとは毎日のように殴られていたとのことであり、さらに同人によれば、当時通学していた塾の教師の面前で被告人関根に殴打されたことも覚えていないとのことである。
しかし、同塾の教師であるMSの答申書(甲第983号証)によれば、平成5年2月より前のこととして、Fが同塾をずる休みしていた事が被告人関根にわかり、被告人関根が凄い剣幕でFの顔を2~3回拳で殴り、殴られたFはふっとんでしまったとのことであり、このような暴行は通常では容易に忘れ去ることのできないできごとであるはずである。にもかかわらず、Fはこれを覚えていないというのである。
右事実から考えられるのは、暴行が毎日のようにあまりに頻繁に繰り返されるため、暴行される側であるFとしては、暴行態様が極めて特異なものでない限りはあまり記憶にとどめていないということである。(略)
(3)被告人風間にとってFは「やさしくて思いやりのある子で、被告人風間の人生が波立ってきたころからずっと一緒にいた子ですから、親子というよりも同士という感じ、むしろFの方が被告人風間にとって保護者のような感じもあった」旨供述している。
また、被告人風間はFの証人尋問の時には時折涙を流し、Fが証言している時は涙ぐみ、Y子もFが被告人関根からいじめられていることを証言した時は、声を詰まらせるなどしているのである。被告人風間において、Fはとりわけかわいい存在であって、被告人関根からの虐待を招いたのがほかならぬ自らの被告人関根との結婚にあったことが原因といえるのであるから、Fを不偶に思っており、その将来を心配していたことは母親として当然のことと考えられる。
右事実については、MR(注:平成3年末頃から2~3年、風間さんがひそかに付き合っていた男性)の「被告人風間がFをかわいがっていたことが印象に残っている」旨の供述(甲第953号証)、さらに前記MS(注:塾教師)が答中書の中でF評として、「言葉が少ない温和な性格である」旨述べていること(甲第983号証)とも合致するのである。
一方、現金持ち出し事件について、Fは「いつもは被告人風間にはあまり厳しく怒られなかったが、その時はすごく怒られ、いつもとは逆に被告人風間の方が怖く、夜ずっとお金のことで怒られて寝られなかったという記憶がある」旨証言する。
これについて被告人風間の第59回公判において、「これ以上の被告人関根によるFに対する暴行、虐待を止めさせなければならないという点並びにF自身が将来道を踏みはずすのではないかという不安を持ったこと」が供述され、第100回公判の供述では「一晩中Fと話をした、お金のことだけでなく、人間の生き方について泣きながら話した、これまでの教育がなっていなかったと痛感した」との供述がなされている。
これらの被告人風間の供述は、前述のFに対する感情からすれば、Fがお金を持ち出すという重大な事件を起こしてしまった、むしろ起こさせてしまったという反省、Fのことを考えれば、これ以上被告人関根とFとを一緒にいさせることはできないという被告人風間の素直な感情、考えが表明されていると言うことができ、それまで繰り返されてきた被告人関根のFに対する虐待、被告人風間のFへの思いを考えるならば、極めて自然なものと了解できる。(略)
Fは第96回公判で「関根を実の父と思ったことはない。小さい頃からお前は俺の子供じゃないと何回も言われ続け、また関根本人は寝ているのに、僕には家の廊下や犬小屋や風呂の掃除をさせ、班登校は一度もできなかったし、中学の時、寝坊して掃除をしないで学校へ行ったら、関根が学校まで来て家に連れ戻され、掃除をやらされた、風呂を入れるのは僕の役目で、関根は一番風呂に入り、僕たちが先に入ったらおこられ、関根が遅く帰宅した時は、僕たちが先に入って、湯を入れ替えたりした、関根が湯が汚いというからである、関根からはボールペンで腹を刺され、血が少し出たこともあるし、竹刀や木刀でぶたれたり、服を説がされて玄関の外に出され、正座させられて足の上にブロックを乗せられたこともある、機嫌が悪いと頻繁に殴られた、橋の上から飛び降りて自殺しろと言われ、橋の所に連れて行かれたこともあり、すごく怖い人で父親になろうとしている感じはなく、関根との楽しい思い出は何もない」と証言している。(略)
Fはこの現金を持ち出した際の被告人関根から受けた暴行について、「階段から突きおとされたり、玄関先で裸で正座させられた上、コンクリートブロックをのせられたりしたことはない」と証言し、「これらの暴行は加えられたことがあるが、それは別の機会であった」旨証言している点からするならば、被告人風間が供述する右暴行はFが現金を持ち出した際の暴行としては行われなかった可能性がある。
しかしながら、Fも述べる通り、そのような暴行は他の機会であるとはいえ、現に行われていること、既述した通りFは被告人関根から日常的な暴行を受けており、さらに橋の上で被告人関根から自殺しろ、ここから飛んでおりろなどと言われた上、同人から実際に押され、橋から落とされそうになって強い恐怖感を覚えたという、単なる殴打などよりもむしろ深刻な虐待がなされていることがFの証言から明らかにされていること、前述の通りY子の証言及びYの供述から現金持ち出しの際の暴行は激しいものであったと認められること、さらに同暴行は被告人風間において、これまでの虐待からFを守り、被告人関根を引き離さなければならず、そのためにはS弁護士から言われたことを利用して被告人関根と離婚しなければならないという被告人風間の決意のきっかけとなったにすぎないものであること等からすれば、仮りにFが現金を持ち出した際の暴行が被告人風間の供述通りのものでない可能性があるとしても、それによって右暴行により被告人関根との離婚を決意した旨の被告人風間の供述の信用性は損なわれないものである。
よって、検察官の主張は不当である。」 (『一審弁論要旨』p260~268)

弁護人が述べているように、長男が「階段から突きおとされたり、玄関先で裸で正座させられた上、コンクリートブロックをのせられたりした」のは、あるいはこの時ではなかったかも知れない。しかし、関根氏によるこのような暴力は実際に存在したのであり、また風間さんや風間さんの母親やY氏のこの出来事に関する証言を見れば、この時の暴力も周りに恐怖心を覚えさせるほどに凄惨なものだったことも間違いないようである。検察官の論告は、あわよくばこのような暴力の存在自体を全否定しようとかかっているように見える。息子に対する関根氏の暴力が日常化し、風間さんがそのことにはげしく心を痛めながらもどうしてもその暴力行為を止めさせることができなかったということが露わになると、この事実は、関根氏と風間さんが同等の力関係でアフリカケンネルを経営し、その延長線上で二人が相協力してK氏殺害を計画・実行したという、自分たちが作り出したストーリー――「運命共同体」説を保持しえなくなる怖れがあるからではないかとつよく疑われる。


関根氏の暴力に関する証言の一切を黙殺する判決文

長男への関根氏の暴力に関して、判決文は下記のようにほんのわずかに触れている。

「関根が自分と結婚したのは母Y子の財産目当てであり、自分に対する愛情などではない。関根は、長年にわたる結婚生活の中でも、自分に対して暴力を振るっただけでなく、自分の連れ子であるFを殺さんばかりに虐待するなど、横暴かつ冷酷な暴君として振る舞い続けており、自分にとっては関根との婚姻生活はただ隷従と忍耐の日々でしかなかった。自分は関根と被害者達を殺害する相談をしたことなど全くないし、E・W事件で死体の損壊遺棄を手伝ったのも横暴冷酷な関根に従うしかないと思ったからだ。」との趣旨の供述をして関根の右供述に強く反論し、両者の言い分は真っ向から対立している。」 (『第一審判決文』p134~135)

上記のように、判決文は、「(被告人関根は)自分の連れ子であるFを殺さんばかりに虐待するなど、横暴かつ冷酷な暴君として振る舞い続け」との風間さんの主張を記しているだけで、関根氏がふるい続けてきた暴力行為に対する自らの判断は示していない。この判決全体をつらぬく特徴がここでも遺憾なく発揮されているのであるが、すなわち、関根・風間の「車の両輪」説が成立しなくなる可能性のある出来事はあえて黙殺するということではないかと思われる。わが子に対するこれほどの陰惨な暴力を目の当たりにすれば、何としてもこの状態を変えなければならない、という必死な気持ちになるのはあらゆる母親に共通する自然な感情であろう。偶然のことながらちょうどその時まるであつらえたかのように税務署の調査が入っていた。そして弁護士は離婚を勧めてくれている。風間さんがこの機会を逃すまじと懸命になったのも当然であろう。この時の心境について、風間さんは公判廷で次のように述べている。

「離婚を切り出すときは命がけでした。」「暴行を受けるかもしれない。しかし、ここで切り出さなければと思い、離婚届にハンを押してもらうことだけを考え、「別れてください。子供の親権は私にください。」と言いました。」「離婚するときには、私、初めて一生懸命頑張ったんですけど、その後事件に巻き込まれてしまってから、頑張った分が無力感というか敗北感みたいなのを感じてしまって、気持ちがなえてしまったというか、考えることを放棄してしまったというか、そういう感じで、言われるままに何も言わないで生きてきてしまいました。」「もう、すごい自分で頑張って離婚できたと思っていたんですけど、それが一瞬で崩れちゃったという感じで、考えようがなくなってしまったという感じだったと思います。」(『控訴審第12回公判』)

裁判所が判決において関根氏の日常的な息子への暴力を取り上げないのも当然かも知れない。もし取り上げれば、離婚に対する裁判所の「税金逃れの離婚・偽装離婚」という認定も一からの再検討を余儀なくされるのである。もちろん、「車の両輪」「運命共同体」論も認定できなくなる可能性がきわめて高い。

なお、共犯のY氏は、上記の暴力事件の時、その場にいあわせたわけだが、息子が関根氏に殺されるのではないかという恐怖に襲われて止めに入った風間さんも興奮し切っている関根氏に殴られたそうであるが、その時Y氏は間に入って風間さんを引き離してくれたそうである。控訴趣意書のなかで風間さんはその時を振り返って「Yが間に入ってくれなければ、自分も殴られて酷い怪我をしていただろう」と記している。
Y氏は、風間さんへの死刑判決がなされて以来、証人として出廷した控訴審の公判廷で、風間さんについて「人を殺していない」「自分(注:Y氏)が外に出ている以上、博子さんも早く釈放すべきだ」と一貫して述べているのは、関根氏と風間さんとの力関係がどのようなものだったかを明瞭に見きわめていたにちがいないと思われるが、それには上記の出来事を目撃したことも影響しているのかも知れない。

法廷に出ている訴訟記録を見るかぎり、「明るくて力強く、当時4歳の、自分の子供のFくんにも優しかったから、いい父親になってくれると思った」として結婚に踏み切ったという風間さんのこの言葉には、何ら嘘はないと思う。風間さんの母親や長男、また知人などの第三者の証言を見ても、風間さんのこの供述を直接・間接的に肯定・是認する性質の証言は多数あるが、逆にこれに疑問を呈する証言は一つも見あたらない。また、長男への暴力が、他に事情はあるが、関根氏から気持ちが離れるようになった決定的理由だったという風間さんの発言も、人間の感情(母親である女性の場合は特に)の動き、変容に関する私たちの経験法則から推してしごく自然で妥当なことだと思う。検察官が風間さんと関根氏との関係を「車の両輪」「運命共同体」と結論づけながら、関根氏による長男への暴力をあたかもなかったかのように主張したり、判決文がそのことに一切触れていないのも、実はこのあたりの事情がよく分かっているからではないだろうか。
2009.09.24 Thu l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top
一審の裁判官は、風間さんの入れ墨について、風間さんと関根氏の「運命共同体」的関係を象徴する証として認定し、控訴審の判決もこの認定をそのまま踏襲している。このことは、昭和59年(84年)に関根氏と一緒にMという関根氏の知人を殺害した風間さんが、この事件を契機として、今後の人生を関根氏と「運命共同体」の関係で生きていくべく、その決意の証明として入れ墨を入れたのだとする検察官の主張を、裁判所が全面的に認めたということになるだろう。

だが、裁判所のこの認定が成立するためには、言うまでもなく必要最小限の要件として、風間さんが確かにM氏殺害に関与したとの立証が不可欠のはずである。もしM事件への風間さんの関与がなかったとしたら、誰も、風間さんと関根氏の関係が普通の夫婦関係ではなく、「運命共同体」「車の両輪」であるなどという特異な関係性を見いだしようがないからである。ところが、肝心要のその立証はまったくなされていない。このことは、前回の記事「風間博子さん 死刑判決への疑問(7)」を読んでいただければ、一読誰にも理解されるのではないかと思う。あの記事はもしその殺人事件が事実存在したと仮定して、これに風間さんが関与した可能性があるかどうかを検討したものだが、その際公判廷でS・Rという人物が尋問に答えた証言内容を詳細に紹介したので、これにより、そんなことはありえないこと、M氏殺害という事実がもしあったとしても、風間さんはこの事件に一切無関係であること、風間さんがM氏殺害に関与したとする裁判所の認定がいかに不公正であるかということは、S・R氏の証言自体によって自ずと証明されているのではないかと思う。判決文はS・R氏の証言を風間さんの殺害関与の証拠としているけれども、実はS・R氏のこの証言こそが裁判所の事実認定の不公正を白日の元に曝していると思えるのである。

「風間博子さんが缶ジュースか何かお茶をもってきてくれたような記憶がある」という、M氏殺害の証拠になどなりようのないS・R証言を、大胆不敵にも、風間さんが殺害に関与したことの証拠とした裁判所の不公正はいくら力説し、強調してもしすぎることはないと思うが、S・R証言に関してよくよく留意すべきことは他にもある。
前回紹介したように、S・R氏は法廷で、「関根が森田を殺した理由は金銭的トラブルだと思う。」「関根が風間と結婚後、風間の母親の不動産の一部を関根が森田にあげると言った。その話を、関根、森田の両方から聞いた。」との自分の経験を証言し、また「それが実行できなかった、約束が守れなかった、それが森田を殺す動機ではないか」との推測を述べ、その上で、「そのことについては風間は知らなかったと思う。またその関根と森田のトラブルの後に風間が巻き込まれたり、かかわったことはないと思う」と、風間さんのM事件への関与を実質的に全否定する証言をしている。ところが、「風間博子さんが缶ジュースか何かお茶をもってきてくれたような記憶がある」というS・R証言を有罪の根拠として採用した裁判所は、この重要なS・R証言については一転、一切触れていないのである。
ここから考察するに、裁判所は少しでも風間さんを有罪に結びつける要素をもった供述や証言があればたちまちこれに飛びついて曲解をくわえた上で有罪認定の根拠とし、逆に、事件への風間さんの関与を否認・否定する旨の供述や証言は完璧に黙殺しているのではないかということがつよく疑われる。


2.「運命共同体」説立証のための被告人の入れ墨検証

さて、ここからは、検察官の要請を容れ、裁判所が職権によって採用し、実行した「入れ墨検証」の問題に論点を絞りたい。
この入れ墨検証は、ある意味では、この裁判全体の性質――構図を象徴する出来事といえるかも知れない。それほどこの件は、裁判所の訴訟手続きの面においても、また事実認定の点でも大きな問題をはらんでいるように思う。

そもそも、人の身体の入れ墨などというものは、完全に各個人の私的領域に属する事柄であり、他人が、まして検察や裁判所などの公的機関が、それに立ち入ったり、とやかく嘴を挟んだりできる性質の問題ではないはずである。
ある女性作家は、インターネット上の個人ブログに自分自身の「入れ墨」に関わって生じた出来事について一文を書いている。
この文章は、まず、「さて、私にはちっぽけな入れ墨が二カ所あります。」という書き出しから始まっているが、それによると、この人は風呂好きらしく、これまで世界中のいろいろな風呂に入ってきたとのことである。どこでも入れ墨はお断りと書いてはいるが、注意されたらそこにバンドエイドを貼る、もしくは身分証明書を提示して人に迷惑をかけないことを約束することでどこでも入浴させて貰えたそうである。ところが、ある時、日本のとある地域の「スーパー銭湯」とかいうような風呂に行ったところ、服を脱いでさあ浴室に入ろうとしたとたん、店側から「入れ墨はお断りなので出ていってください」と言われたそうである。「それでは何かで隠します」と申し出たが、先方は聞く耳を持たず、入れて貰えなかった。ブログには、店側のその融通のなさ加減、公衆の面前で追いつめられ、追い出されたことへの納得のいかなさと怒りとが記されていた。
この出来事に対して私は何らかの意見を述べたいのではまったくない。ある個人が入れ墨をしていることを、その当人以外の人間や組織がことさらに問題にできるケースは、せいぜいこの程度、この範囲に限定されるであろう、またそうあるべきだと言いたいのである。
刑事被告人の場合も事情は何ら変わらないはずである。裁判所に、被告人を対象とした「入れ墨検証」などということが許されるのは、その検証が厳密に事件解明のために必須とされる場合にかぎられなければならない。
どんな例があるだろうか。自分ながら荒唐無稽な例をあげることになるとは思うが、たとえばある場所である事件が発生したと仮定する。その事件現場で、同時刻ころ、誰かに何らかの事情で入れ墨が目撃されていたとか、あるいは現場に入れ墨に関わる証拠品(たとえば写真)が残されていたなどの事実があり、後日それが事件の究明に役立つ可能性が出てきたとでもいうのなら、その場合は、被告人の入れ墨の検証もありえるだろう。しかし、この件には、そのような事情は何もないのである。撮影にあたって傍聴人の存在、被告人の羞恥心、屈辱感など何ら考慮した気配もない裁判所のこの訴訟指揮は本当に異常である。この点はこの問題を考察・検討する際にまずおさえておくべき重要なポイントだと思う。


この検証にどんな意味があるのだろう?

検証の発端になったのは、押収物の中から昭和62年(87年)撮影の、露天風呂で夜間写した風間さんのスナップ写真が発見されたことだった。風間さんは自分が肩に入れ墨を彫ったのは、結婚の翌年である昭和59年の1年間だった、入れ墨の色を入れたのもその期間内であると供述していた。また入れ墨を入れた理由については、「被告人関根から、私が弱すぎるので、もっと気を強く持つために入れた方がいい。自分と一緒になった女は今まで全部入れている。自分とずっと一緒にやっていく気なら君も入れろ、と言われ、内心は抵抗があったものの、被告人関根以外の人と一緒になる気もないし、被告人関根が好きだということでやろうと思った」(一審 第58回公判調書)と述べている。
しかし、温泉場で撮った写真(カラー写真)には、入れ墨の色が映っていなかったことから、検察官は上記の風間さんの入れ墨についての供述を虚偽ではないか、彫った期間は昭和59年の1年のみならず、このスナップ写真が撮られた昭和62年以降の平成2、3年にいたるまで彫り続けていたのではないかと言い出し、それを明らかにするために写真撮影による検証をしたいと要請した。要は、もし昭和62年以降も――長期にわたって――入れ墨を彫っていたのなら、それは関根被告との「運命共同体」としての緊密な結びつきを証明するものに他ならず、自分たちの主張する「運命共同体」説の正しさが証明されるということであった。

しかしこれは不可思議な議論である。本来あるべき立証とは、これは順序が逆であろう。ある人間関係に強い結びつきを認識させる事柄が事実として存在したとき、その関係は「運命共同体」と呼ばれることもあるだろう。この場合は、「M氏殺害」が検察官の主張どおり現実に関根・風間の両名で行なわれていたのなら、それを「運命共同体」とか「車の両輪」という呼び名で想像や推測をしても差し支えないかも知れない。しかし、これまで検討してきたところでは、M氏殺害に風間さんが関与したという証拠も気配も一切存在しないのである。存在するのは、むしろ逆の証拠 ―― 風間さんはM事件には何の関係もないという関係者の証言のみなのである。

おそらく検察官はM事件に関する自分たちの主張がいかに根拠薄弱な、言いがかりといわれても仕方のないお粗末な代物であるかをよく知っていたのだろう。だからこそ、事情をよくは知らない一般社会に対し、一見したところ「さもありなん」と思わせることができそうな「運命共同体」論を頭のなかで描き出し、入れ墨検証を思いついたのではないか。しかしこれはつよく人権侵害が疑われる要請であると同時に、弁護人および被告人が述べているように、深夜、湯煙の立つ温泉場で遠距離から素人の撮ったスナップ写真と、裁判所のような室内で写された接写写真とでは、撮影の前提条件があまりにも異なるので、二つの写真を比べても科学的根拠をもった正確な検証は望むべくもなく、したがって検証自体がハナから無意味なものに思える。

このように、この入れ墨検証は、そもそもの発想・動機からして疑問符がつくものだったが、それにもかかわらず、裁判所は検察官のこの要請を職権で採用した。その結果、風間さんは傍聴人の詰めかけている法廷での写真撮影を余儀なくされたそうである。
裁判官のこの訴訟指揮にはプライヴァシーを含めた被告人の心情への配慮も、人権を尊重する最低限の意識や精神もまったくうかがえない。そもそも風間さんは公判廷の証言で入れ墨をしたことを今では深く後悔していると述べているのである。それなのに、撮影を期日外にしてほしいという弁護人の要請さえ拒んで、万座の中での撮影を強行している。この強引さは果たしていかなる理由・原因に由来するのだろう。この訴訟指揮は、明白な人権侵害であり、憲法違反の疑いが濃厚だと思う。

これが検証の一回目で、平成11年1月18日(第66回公判)のことであった。苦痛に堪えて撮影された写真について、風間さんは控訴趣意書で、

「それにより、被告人証言を裏付ける形となる写真が撮影されました。」

と述べている。照明や大気のどんな作用なのか、撮影条件が露天風呂とはまったく異なるにもかかわらず、こうして法廷内で撮られた写真は、スナップ写真と同じく入れ墨の色が映っていなかった。(なお、これについて、検察官は論告で次のように主張している。すなわち、「昭和62年3月23日に撮影した写真(甲800号証(注:温泉でのスナップ写真)と検証による写真(職33号証)(注:法廷での接写写真)を比較した結果、両写真に写っている被告人風間の両肩付近の入れ墨の色には明らかな違いがあり(略)、現在の被告人風間の入れ墨に入っている色の一部は、同62年3月23日以降に入れたものであると認められる」。つまり、カラー色が映っていないのは両写真とも同じだけれども、該当部分には濃淡などの色の相違が明白にあるのだ、としごく当たり前のことを何か特別なことであるかのように述べているのである。そして「だから、スナップ写真のころは色は入れてなかったのだ」という主張に飛躍しているが、これは無茶苦茶な理屈である。)
ごく普通の感覚で考えれば、これで検証は終了となるはずである。この検証によって証明されたことは、たとえ彩色のある被写体でも、必ずしもその色が写真に映るとは限らないということなのだから。
ところが検察官は違った。検察官は、裁判所に再度の写真撮影を申し立てたのだ。不思議なのは、検察官のこの発想ももちろんだが、裁判所の判断である。裁判所は再度の写真撮影を認めたのだ。そうして、二度目の撮影が、期日外(同年9月1日)に裁判所5階の大会議場で隠密裏に行なわれた。精密高性能カメラで撮られた今度の写真は色鮮やかに映っていて、この結果に検察官は満足したようである。だが、この満足は珍妙としか言いようがないだろう。初回の撮影で色の出ない写真ができた以上、二度目の撮影でどんなに鮮やかな色の写真が撮れたとしても、この検証自体が証明したことは、「色は、撮影条件によっては映らないこともありえる」ということ以外に何があるだろうか。


裁判所はまたしても虚偽の事実認定を行なった

この件に関する裁判所の認定は以下のとおりである。

「被告人関根は、以前から自らも背中に入れ墨を彫り込むとともに、自分が結婚した2人の女性(注:氏名略)に対しても入れ墨を入れさせていたところ、同被告人からこれを聞いた被告人風間は、自分もこれに負けずに入れ墨を入れて被告人関根との一体感を強めたいなどと考えるようになり、昭和59年ころ、被告人関根とともに群馬県○○郡○○町在住の彫り師(I)のもとを訪れ、自ら龍の図柄を選ぶなどした上、それを彫り込んでくれるよう依頼した。そして、被告人風間はIのもとに通って入れ墨を彫り続け、途中で子供(N)が生まれるということで2年ほど中断したものの、その後もIに熊谷市大原の自宅に来てもらったりして墨入れを続けてもらい、平成2年ころには背中から両肩に色彩入りの龍の入れ墨を完成させるとともに、親しい知人らに対しては、自分が入れ墨を入れていることを憚ることなく見せたりしていた。(『一審判決文』p6)
もっとも、風間は、自らが入れ墨を彫り込んだ理由及びその時期について、「自分が入れ墨を入れたのは関根から強く勧められたためであるし、その時期も昭和59年春ころから同年末位までであった。」旨弁解している。しかし、Iの公判供述等によれば、判示のとおり、風間が自らの意思でしかも長期間にわたって入れ墨を彫り続けてこれを完成させていたことは明らかであって、風間の右弁解は虚偽と認められる。」(同上 p135~136)

しかし、上記の認定も他の虚偽記載の例と同様に、「どうして、こんなでたらめを…」と唖然とするしかない不可解なものである。
裁判官は「平成2年ころには背中から両肩に色彩入りの龍の入れ墨を完成させ」と認定しているが、風間さんの背中には入れ墨は入っていない。判決文の検証を行なうにあたって、私はこれまでできるかぎり、法廷に提出された証拠資料のみを用いるようにしてきた。これは、このような場合に必ず要求される客観性や公平さを期してのことであった。だから、自分ひとりが見たことを証言としてここに書くのは抵抗もあり、不本意でもあるのだが、でもこれは責任をもって述べることができることなので記述することにしたい(もっとも、裁判所で撮られた写真は証拠物として多数残り、保存されているわけだが)。私が風間さんに面会したのは確定前のほんの数回だが、ある時、風間さんはシャツを頸付近までたくし上げて背中全体を見せてくれたので、私は裁判所の「背中から両肩に色彩入りの龍の入れ墨を完成させ」という事実認定が虚偽であることをはっきりと確認している。そのとき、頭のなかには判決文の「背中から両肩に色彩入りの龍の入れ墨」という描写がこびりついていたので、一瞬キョトンとしてしまったのだが、風間さんの背中はまったく滑らかであった。ではどこに入れ墨があるのかときくと、肩にあるのだという。その点、検察官は論告のなかでちゃんと「両肩付近に」と記していて、「背中」という言葉は出していない。

風間さんの背中に入れ墨がないことを確認して以降、しばらくの間、私は裁判官がなぜわざわざ「背中」と虚偽の書き込みをしたのかが謎であったが、今では、裁判官はどうしてもそのようにせざるをえなかったのだろうと考えている。というのも、入れ墨を両肩付近にだけ彫るのなら、そうそう時間がかかるはずがないのだ。裁判官は、二度にわたる検証でそのことを痛感したのではないか。それでもなおかつ検察官の主張に沿い、長期にわたって(昭和59年から平成2、3年の間というから、足掛け7、8年ということになる)入れ墨を彫りつづけたという認定をするのであれば、両肩付近だけの僅かな範囲の入れ墨では判決文に接した者の不審を呼ばないともかぎらない。検察官さえ主張していない「背中」という語句が判決文に登場することになったのはそのせいではないだろうか。

判決文はまた「親しい知人らに対しては、自分が入れ墨を入れていることを憚ることなく見せたりしていた」とも認定している。しかし風間さん自身は、偶然見られたことはあったかも知れないが、自分から人に見せたことはないとの供述をしている。そして第三者の供述や法廷における証言でも、風間さんの入れ墨を見たという人物はいないようなのだが、裁判官のこの認定の根拠は何だろうか。
「被告人風間は、自分もこれに負けずに入れ墨を入れて被告人関根との一体感を強めたいなどと考えるようになり」という認定は、関根氏の供述内容そのままである。関根氏は、風間さんが「負けたくない」といって、率先して入れ墨を彫ったと供述している。しかし、裁判官が、関根供述を風間供述よりも信頼するに足りるとした根拠は示されていない。
彫り師であるI氏の証言は、中断を挟んで掘り続けたというものだが、でもそれが事実なら、中断期間がどの程度だったのか、何年にわたって彫りつづけたのか、そして何よりも自分自身が彫った図柄がどのようなものだったかの記憶さえないなどということはありえないのではないだろうか。

締めくくりにあたり、この件に関連する「愛犬ジャーナル」のKK氏の証言を引用しておきたい。以前にも何度か紹介した第96回公判の尋問において、KK氏は次のように証言している。

「それから、ちょっと話はさかのぼってしまうんですが、関根被告人が風間被告人と結婚をした動機について、何か耳にしたことはありませんか。
  「直接はありませんけど、うわさでは、風間博子さんの資産が、財産が目的だろうと。それで、その逃げられないようにするために、あいつには入れ墨を彫ってあるんだというような話は、……大分、何回も聞きました。
それは、だれから間いたんですか。
  「いや、もう不特定多数の人、みんな知ってますから。」
それは、そのドッグショーとか犬の関係の。
  「はい、そういうことです。犬の関係です。」
そうすると、まず、結婚の動機としては、風聞被告人の財産をねらうというようなのが動機だった、そういう話を聞いたということですね。
  「ええ、そういう話、聞いてます。」
それから今、入れ墨の話が出ましたが、風間被告人が入れ墨をしているということは知ってましたか。
  「いや、それはもう、同じようなうわさ話というか、そういうことで、
   ……それなりに、みんな知ってましたですね。」
じゃあ、もう一度確認します。入れ墨を入れたことについては、どういう話が出てたんですか。
  「いや、ですから、関根元さんのほうは、女を逃がさないためには入れ墨が一番だと、そのために入れたんだっていう話をしたんで、そういう話は聞きました。」
要するに、関根被告人がそういう話をしていたと。
  「ええ、だれかに話しをしたんだと思います。」
その話を、また、あなたが聞いたと。
  「はい。」
そういう意味ですか。
  「はい。」
(裁判長)あなた自身は、関根被告人から、今、述べられたようなことを、直接聞かれたことはありますか。
  「いや、もう私は関根さんには、もう、そういうプライバシーは一切話しもしないし。……触らぬ神にたたりなしってやつですから。」(第96回公判 H12.3.9)

一審の判決文において、判決の基礎となり根拠となっている事実、それも推論や考察を何ら必要としない単純で基礎的な事実の記載に関して明白な誤りが見られるのは、今回の「背中」で三件目である。風間さんの両親の身上・経歴に関する記載、そして風間さんと関根氏の結婚した時期(年月日)についての記載につづいてのことである。これは死刑事案であり、この事実認定の延長線上で裁判官は実際に当の被告人に死刑判決をくだしているのである。そのことに思いをいたすと、裁判官のこの過ちはあまりにも重大、悪質であり、まさしく弾劾に相当する行為ではないだろうか。
2009.09.23 Wed l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top
検察は、風間さんと関根氏の間に、自分たちの財産や事業を守るためには他人の抹殺をも辞さない性質の排他的で強固な絆があるのだと主張し、二人の関係を「車の両輪」や「運命共同体」などにたとえている。それでは、実際二人の間にこのような確固とした絆があったのかどうか、これからこの説の信憑性を探ってゆきたい。この問題は、大変複雑微妙な性質の内容を含み、また事象は多方面におよんでいるので、下記のように幾つかの項目に分類し、それぞれ個別に検討してゆく。

1.「M事件」について
2.風間さんの入れ墨に関する問題
3.風間さんの連れ子である長男への関根氏の暴力
4.同じく関根氏による風間さんへの暴力
5.その他

最初に、検察が昭和59年(84年)に関根氏と風間さんによって共謀実行されたと主張する「M事件」から検討する。

1.「M事件」について

検察は、この出来事こそ二人が同志的「車の両輪」関係を築き上げる原点になったのだと主張し、また裁判所もそのように認定しているので、事件の全貌および裁判の構造を正確に認知する上で、このM事件の詳細な検討は決定的に重要だと思う。

検察官は、Kさん殺害の動機は、Kさんからの犬のキャンセル料返還請求に対する風間さんの拒絶にあるのだと主張する。これによると、関根氏から事情を聞いた風間さんは「Kに返す金などない」と反応し、「Mだって、殺してから10年も経つけど警察は迎えにも来ていない。日本は法治国家だから証拠がなければ逮捕されない。」「やるしかない」と述べたということだ。
検察官のこの主張は関根氏の取調べ段階の供述調書を根拠にしているのだが、しかし、公判に入ってからの関根氏は、ことM事件に関しては、全面的に自分のこの供述内容を否認している。M氏を殺害したこと自体を否定しているということである。

このMという人物は関根氏の古い知人とのことである。もし検察官の主張が正しいのなら、昭和59年2月、結婚して3、4ケ月後、それまで犯罪と無縁だった風間さんが、結婚後に知り合った夫の友人を殺害したことになるのだが、殺害の理由・経過・状況などは、論告によると、下記のとおりである。

「被告人両名は、アフリカケンネルの事業開始後間もない昭和59年2月ころ、M・E(以下、「M」という。)を殺害し、その死体を解体して、知人のS・R(当時はA・R)に手伝わせて、万吉犬舎にてその死体を焼却し、荒川の押切橋付近に遺棄するという事件を起こした。
被告人関根とMとは、被告人関根が被告人風間と婚姻する以前からの知り合いであり、被告人両名が婚姻した後、被告人風間もMと付き合いをもつようになったが、被告人風間の両親が不動産等の資産を有していたことから、Mは、その資産を当てにして、被告人両名の婚姻後、被告人関根に金の無心等をするようになり、それが執拗になってきたことから、被告人両名は、Mの殺害等を共謀し、それを実行したものである。」(『一審論告』p23)

上記の検察主張に対し、一審弁護人は、次のように反論している。

「しかし右主張を裏付ける証拠は被告人関根の平成7年1月26日付、同1月30日付員面調書だけである。
右調書によれば、「結婚した頃、Mが家によく来ていた。Mは、20万円貸せ、50万円貸せと次々と言ってきた。被告人関根が渋っていると、『おばあちゃんに掛け合う』と言って被告人風間の母親の財産を当てにし出した。そのため、風間も財産を取られると思い、被告人関根に「二人で殺そう」と言い、被告人関根は被告人風間のためになればと思い殺した」とあるが、全くのでたらめであり、検察官は被告人関根の供述について多々信用性を否定しているのに、何を根拠にこの供述を信用できると言うのか全く理解できない。(『一審弁論要旨』p114)

また検察官は右について証人S・Rの証言によっても裏付けられると主張するが、右証言は「昭和59年2月か3月頃、関根から『Mをケムにしたので、手伝って欲しい』と電話があり、万吉犬舎へ行って関根の指示で燃やすのを手伝った、殺した理由は関根が風間や母親の不動産をMに一部やると約束し、それを実行できなかったからだと思う」とあり、また「風間は関根のMに対する右約束を知らないし、その後Mとのトラブルに巻き込まれていない」とあり、仮にM殺害があったとすれば、被告人関根の単独犯を証明する証言であり、被告人風間の共謀を裏付ける証拠は皆無である。」(『一審弁論要旨』p340)

上記の論告や弁論要旨を読んでいると、「M事件」におけるS・R氏の役割は、本件におけるY氏の役割を彷彿とさせるのだが、ではこのS・R氏が、万吉犬舎でMという人物の遺体を焼却した経緯について公判廷でどのような証言をしたかを見てみたい。
なお、当時の風間さんは、犬についての知識などなく、犬舎の仕事にも関わっていなかった。当然、犬舎は関根氏がひとりで営んでいた。

「(燃やしている時に)実際に、だれか来ましたか。
  「来た記憶はありません。」
もともと、当時の万吉犬舎というのは、昼間、人がよく来るような場所だったんですか。
  「当初は、あまり来なかったと記憶してます。」
そうすると、もともと、昭和59年の2月か3月ごろは、万吉の犬舎は、昼間でも人はそんなに来ない場所ではあったわけですか。
  「はい。」
今、実際に誰も来たことはそのときなかったということですが、全くだれの姿も見なかったんですか。あるいは、だれか見たような記憶があるようなことはなかったですか。
  「ええ、ありません。」
全く、ないですか。
  「あっ、客はだれもいませんでした。」
今、「客は」ということをおっしゃったんですが、客以外でだれか知ってる人の姿を見かけましたか。
  「それははっきりとした記憶じゃありませんが、風間博子さんが缶ジュースか何かお茶をもってきてくれたような記憶があるんですが。」
それは、その焼却をしている間ということですか。
  「はっきりとはわからないです。」
おおよその記憶ということなんで、それで聞きますけれども、大体の記憶では、焼却処分をしている間という記憶になるわけですか。
  「はい。」
お茶とか何か持ってきたということですが、それは1回だけですか。それとも、何回かあったんですか。
  「いや、何回もなかったと思います。」
1回か2回、あるいは3回くらいかということではどうでしょうか。
  「1回だと思います。」
お茶を持ってきたということですが、それは、焼却処分をしている最中の証人のところに持ってきたんですか。それとも、別のところに持ってきたんですか。
  「そこまで細かく覚えてません。」
ただ、証人もちょっとあやふやな記憶ではあるけれども、焼却処分中に被告人風間博子の姿を見かけたことがあるということになるわけですか。」
  「はい。」
それから、関根なんですが、さきほどの話で、犬の世話をしてたと、焼却処分の間ですけど、そういう話でしたね。
  「はい。」
それ以外に、関根は何か焼却自体にかかわるようなことはしていたんですか。
  「ほとんど、私がしてました。」
ほとんど。
  「一度か二度くらいは火のそばに来たかもしれません。」
それは、そばに来て様子を見ただけだったんですか。
  「はい。」 」(第56回公判 平成10. 8. 20日)

どうだろうか。関根氏に呼び出され遺体の焼却を手伝わされたというこの人物の、「はっきりとした記憶じゃありませんが、風間博子さんが缶ジュースか何かお茶をもってきてくれたような記憶があるんですが。」というこの証言から、風間さんが事件に何らかの関与をしたと感じとる人間が、はたして何人いるだろうか。大変疑問だが、しかし、裁判所は下記のように認定している。

「証人S・Rは「自分は以前から関根と犬の購入や繁殖話を通じて付き合いがあったが、昭和59年の2月か3月ころ、関根から電話があり、『Mを殺したからすぐ来て手伝ってほしい。』などと言われ、急いで万吉犬舎に行くと、何かが半分位入っているごみ捨て用の黒いビニール袋が4個か5個位置いてあり、その傍らに関根がいて、それはMの死体だと言ったと思う。自分もそれを聞いて、関根とMとの間で金銭的トラブルがあったのは知っていたので、関根がMを殺害して解体したに違いないと思った。そして関根がこれらを焼却しろと指示したので、それに従って万吉犬舎内の焼却炉で燃やし、その灰はかき集めてビニール袋に入れ、近くの川に捨てた。このような作業をしている時風間がお茶を持って来てくれたことがある。」旨述べているのであって、その供述内容も極めて具体的で信用できるものである。そうすると、関根の捜査段階における右供述(筆者注:風間さんが関根氏に「Mだって殺してから10年も経つけど警察は迎えにも来ていない。日本は法治国家だから証拠がなければ逮捕されない。」と述べたという供述)は、このような会話が両名の間で交わされる確かな根拠も存在するのであって、(どちらがそれを言い出したかは別として)少なくとも両名間でそのような話がなされたという限度において、十分信用できるものである。」(『一審判決文』p249~250)

呆気にとられるしかない乱暴な認定だと思う。「その供述内容もきわめて具体的で信用できるものである。」とは、何を指して「具体的」「信用できる」と述べているのだろうか。文脈を見ると、「風間がお茶を持って来てくれたことがある」というS・R証言が「具体的で信用できる」という意味としか読めないのだが、もし風間さんがお茶を持ってきたことが事実だったとしても、それに意味など何もないだろう。その時、遺体焼却が行われていたとしても、それは焼却炉のなかでのことであり、外からは見えないのである。風間さん自身はこのような出来事、場面はまったく記憶にないというが、それはそうだろうと思う。仮にS・R氏にお茶を持って行ったとしても、これは、風間さんにとっては日常生活の単なる一齣でしかなく、まさかお茶を出したことがM氏殺害関与の証拠だと考える人間はまずいまいと思われるが、裁判所はそうは考えないのか、強引に「そうすると」という接続詞を使って、次のような断定をしている。

「そうすると、関根の捜査段階における右供述は、このような会話が両名の間で交わされる確かな根拠も存在する」。

どうやら裁判官は、焼却中に風間さんが「缶ジュースか何かお茶をもってきてくれたような記憶がある」というS・R氏の曖昧模糊としたこの証言を、驚くべきことに、風間さんが「Mだって殺してから10年も経つけど警察は迎えにも来ていない。日本は法治国家だから証拠がなければ逮捕されない。」と事実そう述べたのだと認定するための「確かな根拠」としているのである。
その上、なお、このようにして自ら作った「確かな根拠」と称するものを、Kさん殺害における両者の事前謀議の証拠としているのだ。

「両名間でそのような話がなされたという限度において、十分信用できるものである。」

上記の「そのような話」とは、もちろん、「Mだって殺してから10年も経つけど警察は迎えにも来ていない。日本は法治国家だから証拠がなければ逮捕されない。」という発言のことであるが(筆者注:判決文は、風間さんがこのように述べたとする検察官主張を全面的に採用していながら、しかしこの発言が関根・風間のどちらが言い出したことであるかまでは断定できないと記している。)、この発言の信憑性を、遺体の焼却中に風間さんにお茶を出してもらったような記憶がある、というS・R証言は「十分信用できる」ほどに証明しているのだという。したがって、裁判官はこれにより風間さんのKさん殺害に関する事前謀議の真実性はいよいよ動かしがたく確実になったと断定していることになる。

なお、裁判所が、「Mだって殺してから10年も経つけど警察は迎えにも来ていない。日本は法治国家だから証拠がなければ逮捕されない。」という風間発言を証言している関根供述が信用できると断定する理由は、上記のS・R氏の証言のみに拠っているわけではなく、もう一点、下記の理由も明示している。

「関根と風間との間でK事件に先立ってどのような話し合いがなされたかなどということはもとより捜査官の窺い知ることもできないことであり、まして右の話などは捜査官が誘導などできるはずもなく、関根の捜査段階における右供述は極めて個性的かつ具体的なもので、(略)その内容自体からして信用性が高いと解される」(『一審判決文』p248~249)

「右の話」(Mだって殺してから10年も経つけど警察は迎えにも来ていない。日本は法治国家だから証拠がなければ逮捕されない。)が二人の間に確かに交わされたと信じてよいもう一つの理由として、裁判官は、このような個性的かつ具体的な話は捜査官は思いつくことはできないし、まして誘導などできるはずがないことを挙げている。
だが、このような言い分はもはやばかばかしいとしか思えない。「風間博子さん死刑判決への疑問(5)」で具体例を幾つか示したが、関根氏は稀にみる巧みな話術の持ち主であり、聞き手を引き込む力をもった、非常にリアリティのあるデタラメを、すなわち「個性的かつ具体的な」虚偽話を、淀みなく語ることのできる人物である。その実例は訴訟記録のなかから幾らでも引き出すことができるが、このケースに最もふさわしいと思われる例を以下に引用する。ぜひ関根氏の発言内容に注目してほしい。

注目すべき、マスコミ報道の渦中での関根発言

「平成6年2月頃、本件に関連してマスコミ報道が激しくなり、ペットショップや犬舎に新聞記者や、テレビのレポーターが押しかけてきた。
その件に関し、被告人関根は「自分は捕まるかと思った。被告人風間は日本は証拠がなければ大丈夫、よけいなことを言うな。従業員にもマスコミと一切接触さすな。私が全部話すから、マスコミが来たら、店の方によこしてくれ」と言ったと供述している。
しかし、弁第63号証、第64号証のビデオテープ(再生済み)の証拠調べ結果を見ると、すべて被告人関根がマスコミに対応して雄弁に演説しており、さらに大阪愛犬家殺人事件のことに触れられると、声を大にして「あんなものは愛犬家でない、大変迷惑している」と語っており、マスコミに対し被告人風間がすべて対応したとの供述も虚偽である。」 (『一審弁論要旨』p333~334)

当時私もテレビでこの件に関する報道を何回か見た記憶があるが、画面に現れたのは関根氏だけであった。風間さんを見たことは一度もない。

さて、逮捕前、アフリカ犬舎にマスコミが取材に押しかけてきた時のことを、関根氏は、「被告人風間は日本は証拠がなければ大丈夫と言った。」と発言しているが、この言葉は、Kさん殺害に際して風間さんが述べたという「日本は法治国家だから証拠がなければ逮捕されない」という発言と内容がまったく同じである。
してみると、「日本は証拠がなければ大丈夫」との発言が上記のようにまったくの虚偽であることが明白である以上、「日本は法治国家だから証拠がなければ逮捕されない」との発言に一体どんな信用性が認められるだろうか。先に引用した、判決文のこれに対応する文をもう一度見てみたい。

「右の話などは捜査官が誘導などできるはずもなく、関根の捜査段階における右供述は極めて個性的かつ具体的なもので、(略)その内容自体からして信用性が高いと解される(『一審判決文』p248~249)

「右の話」というのは、前にも述べたが、文脈上、「Mだって殺してから10年も経つけど警察は迎えにも来ていない。日本は法治国家だから証拠がなければ逮捕されない」との発言のことである。このなかの「証拠がなければ逮捕されない」も、マスコミによる加熱取材の渦中で述べたという「証拠がなければ大丈夫」も、ともに同一人物の、風間さんの発言なのである。前者の「証拠がなければ逮捕されない」が、「捜査官が誘導などできるはずのない、個性的かつ具体的なもので、信用性が高い」と認められるのなら、論理則上、後者の「証拠がなければ大丈夫」にも同じことが言えるはずである。しかし後者ははっきり虚偽なのである。

この際、前者、つまり「日本は法治国家だから証拠がなければ逮捕されない」という関根供述も虚偽であると判断することだけが、裁判所がとることのできる唯一の公正な態度ではないだろうか。

この点について、控訴審の判決文が

「(注:S・Rが)風間がお茶を持って来てくれたことがある,と述べている点に照らすと,関根の捜査段階における前記の供述は,根拠のないものではなく,関根と風間のどちらが言い出したかはともかく,そのような会話があったとみて差し支えないことは原判決の説示するとおりであると考えられる。」(『控訴審判決文』p21)

と認定し、一審判決を全面的に支持していることにも、つくづく呆れてしまう。

以上で見てきたように、M事件を契機として構築されたという関根・風間の「車の両輪」「運命共同体」説なるものが、如何に薄弱な根拠を礎に組み立てられているか、誰にでも認識できるのではないかと思う。
裁判官は、立件もなされていない事件をあたかも確実に存在した事件であるかのように判決文に書き込み、S・R証言の曖昧きわまる「お茶を持ってきてくれたような記憶がある」程度の話を、それがさもさも共犯であることの動かぬ証拠のように見せるべく努め、また何ら証拠のない一方的な関根供述を「個性的かつ具体的なもので、信用性が高い」などとして、風間さんの終始一貫した否認にもかかわらず、不確定なその事件の殺人共犯者と認定し、その認定を「車の両輪」説と結びつけるなどして、Kさん事件における、殺人の共謀共同正犯罪の有力な証拠にして断罪しているのだ。恐ろしいことだと思う。

S・R氏によるM事件に関する法廷証言の詳細

先ほど、M事件に関するS・R氏の証言を公判調書から引用したが、もう少し追加して紹介する。

ただ、証人はそのMの死んだ場面は見ていないし、その原因は直接は知らないと。
  「はい。」
ただ、証人が記憶しているのはビニール袋に分けられた、その切り刻んだ死体を焼却したと、そういうことになるわけですよね。
  「はい。」
そのように死体を処理したのは、証人自身ではなく、被告人関根だと、そういうことですよね。
  「はい。」
そこで伺いますが、まず、今の証言に関連して聞きますが、なぜ、そのMの死んだ場面を見ていないのに、被告人関根がMと思われる死体の、今証言されたようなビニール袋に分けたような状況にしたと思ったか、その根拠を言ってください。
  「当時、私は深谷に住んでまして、電話がありました。来てくれという。」
だれからですか。
  「関根氏からです。」
それは時間的には、おおよそでも結構なんですが、いつごろか覚えてますか、その電話があったのは。
  「記憶では、午前中だと思います。」
午前中に、関根から、深谷の当時の証人の家に電話があったわけですね。
  「はい。」
どういう内容の電話だったんでしょうか。
  「Mをケムにしたので、手伝ってほしいと。」
今証言されたのは、Mをケムにしたということでしたが、それはどういう意味ですか。
  「殺したということです。」
(略)
その後、その電話連絡を受けてから、証人はどうしましたか。
  「私はすぐ万吉に行きました。」
それは、万吉に来てくれという関根の電話連絡だったんでしょうか。
  「はい。」
(略)
証人が認識してる範囲で結構なんですけど、当時の認識で、どういうトラブルがあったんでしょうか。
  「はっきりとしたものを言っていいか分からないんですが、私の記憶では、風間博子さんの親が所有していた不動産のことだと思います。」
その風間の親の不動産に関して、どういうトラブルがあったんでしょうか。飽くまでも、当時の証人の認識、記憶でいいですよ。
  「風間博子さんと結婚した後、その不動産を一部、M氏に上げるということだったと記憶してるんですが。」
そういう話を聞いたことがあったんですか。
  「ありました。」
それは、だれから聞いたんですか。
  「M氏自身からも、関根氏自身からも聞きました。」
トラブルということは、何か、それで、もめ事があったわけですか。
  「それが実行できなかったということだと思いますが。」
(略)
M自身から何か聞いたような事実はなかったですか。
  「Mさんから聞いたことは、やはり、今の約束が守られてないということです。」
(略)
それから、Mさんと関根被告人とのことをちょっと聞きますけれども、あなたが、まあMさんは殺害されてるという記憶ですが、その動機として、関根被告人が、風間被告人の親御さんの土地の一部をMさんに上げると、だが、それが実行されなかったのが殺害の動機ではないかと、そのように言われましたね。
  「はい。」
風間被告人の親御さんの土地の一部をMさんに上げるという話に関連して風間被告人は、そのことを知ってたんでしょうか。
  「知らなかったと思います。」
(略)
それから、証人が万吉の犬舎でMさんの解体されたであろう骨を焼却しているときに、風間被告人がジュースかお茶か何かを持って来たような記憶があると、そういうようなお話でしたね。
  「はい。」
あなたは、風間被告人と、その際に何らかの会話は交わしたんでしょうか。
  「いや、した覚えはない。記憶にありません。」
風間被告人は、どの程度の時間その場にいたと記憶されてますか。
  「覚えてません。」
風間被告人は、証人が骨を焼却している、その事実を、その現場で見たんでしょうか・
  「………分かりません。」
(略)
それから、先ほど、風間の弁護人から、Mと関根との間の金銭トラブルのことについて聞かれていましたが、それに関してもう少し伺いますけれども、風間の母親の土地、不動産ですか、に関する話というのは、風間自身は知らなかったであろうという証人の認識であるわけですね。
  「はい。」
ただ、いずれにしても、その不動産の一部を上げる上げないで、関根とMとの間でトラブルがあったことは間違いないと。
  「はい。」
問題は、そのトラブルがMと関根との間に生じた後に、そういうトラブルに、何らかの形で、風間が巻き込まれるなり、かかわっていたかどうか、そこら辺はどうですか。何か記憶がありますか。
  「いや、なかったと思います。」
なかったと思いますか。
  「はい。風間さんですね。」
そうです。直接知らなくても、人から聞いた話でもいいんですけれども、そういう、何かそれに関する話とかは全然聞いてないですか。
  「風間さん自身ですね。」
ええ。
  「ないと思います。」」 (第56回公判 平成10. 8. 20)

どのような面から検討したとしても、風間さんをM事件と関連づけるのが不当であることは、明白ではないだろうか。

昭和59年(84年)に関根氏の周辺で発生した3件の失踪事件

M事件が発生した(とされる)昭和59年には、関根氏の周辺でこのM氏以外にあと2人、計3名もの人物が姿を消し、そのまま行方が分からなくなっている。このなかには、実は上記証言者のS・R氏の妻も含まれている。いずれも立件されていないこの3件のうち、公判廷で検察がなぜM事件だけを俎上にのせたかの理由も不明である。風間被告人の控訴趣意書を見ると、公判廷に3件の事件全部を持ち出せば、風間さんはそのうちの一人(S・R氏の妻)もほとんど面識はない、もう一人の人物に至っては一面識もないので、風間さんが事件に関与していないことが明白になり、「車の両輪」説が成立しなくなるからではないかとの疑念が述べられている。

また、同上の趣意書のなかで風間さんは、一審判決文には関根氏と結婚した年、昭和58年が昭和59年と1年ずれて記述されていることを指摘している。「風間博子さん 死刑判決への疑問(4)」で私は風間さんの両親の経歴が判決文においてことごとく誤記されていることを記したが、ここでも同様のことが起きている。判決文は文字数にしておよそ160000字、原稿用紙に換算すると400枚になる。これは多量といえばいえるけれども、裁判所において語句のチェックも不可能なほどの文書量ではないはずだ。意識的な行為であろうと風間さんが疑うのも無理がないのではないだろうか。風間さんは裁判所のこのような行為の理由について、風間さんがM事件を承知した上で関根氏との結婚に踏み切ったのだと判決文を読む者 ―― 公衆を誘導するための作為ではないかという自身の判断を述べているが、事実はどうだろうか。

「事実の認定は証拠による」(刑事訴訟法317条)という条文は、あまりにも有名なので、法律の世界にふかい関わりを持たずに生活している私達の意識にも沁み透っているのであるが、この事件における裁判官の事実認定は、確実な証拠により導かれているものがどれだけあるだろうか。
2009.08.04 Tue l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top
前回は主に、Kさん殺害当時、アフリカケンネルが資金繰りに苦慮していたという検察官の主張、およびその主張を全面的に受け入れた裁判所の認定に、実は根拠がないことを縷々記した。今後は、Kさん殺害のもう一つの原因であると裁判所が認定した、関根氏と風間さんの「車の両輪・運命共同体」説を検討していくつもりだが、その前に、前回アフリカケンネルの経営状態の件とともに検討した、風間さんが検察官の主張するような「金銭や財産への強い執着心」の持ち主か否かの問題に関連して、幾つか追加して述べておきたいことがあるので、以下に記す。


被告人の性格を捏造するために善意の第三者の証言をも歪曲して利用する検察とそれをそのまま認める裁判所の不公正

検察は論告で、風間さんについて、下記のように主張している。

「K殺害の動機は、同人がローデシアンの購入をキャンセルしてその代金を返還するよう要求したことに対する拒絶にあり、A、SD及びMAの各検面調書における供述(甲951ないし953号証)、 並びに被告人関根の公判における供述(第77回公判等)等々からも明らかなように、被告人風間には、自己の財産に対する執着心が強くあって、主に被告人風間が大きな利害関係を持っていることからしても、被告人風間がK殺害を言い出してその共謀のきっかけを作ったとみるのが自然かつ合理的で、被告人関根のこの点に関する右供述の信用性は極めて高い。(『一審論告』p132)

被告人風間の知人であるA・I(以下、「A」 という。) 及びSDの各検面調書における供述(甲951及び952号証)、 並びに証人KKの証言等からすると、被告人風間が単に金銭的な無駄遣いをしないだけでなく、いわば自分の懐に入った金銭に対しては、異常な執着心を持っていたことが認められるのである。」(同上 p231~232)

検察官は、A・SD・MA・KKという諸氏の風間さんに関するいかなる供述や証言が、殺人に至るような「自己の財産に対する執着心」「金銭への異常な執着心」を顕しているというのか、証言者の実名を出して上記のように主張する以上、各証言内容の該当個所を引用し、かくかくしかじかの言動が被告人風間の強い金銭への執着を顕している、と明示するのが当然のはずである。だが、論告はそれを一切していない。
そのため弁護人は、「検察官はおそらく証言中のこの部分を「金銭への執着心」と指摘しているのであろう」と推測し、上記の人々の証言内容から該当しそうな箇所を抜き出して分析をし、論告への反論・批判をしている。これはおそらくは、そのようにしないと、裁判所が検察官の主張をたとえ根拠のないものであっても、それをそのまま事実として認めてしまうのではないかという不安を感じるからではないだろうか。
検察官が具体的な実例を挙げていないのは、証言のなかに「金銭や財産への異常な執着」を示す具体的なエピソードが一つもないからであろう。
あえて上記の供述や証言のなかからそれらしき箇所を選べば、A氏から「執着心」という言葉が出てはいる。A氏は、その同じ供述調書のなかで、「風間は信用できる人間である」「風間が口に出したことは信用できる」という趣旨の言葉を何度も挿入しながら、次のように述べている。

「被告人関根は金銭管理の能力はなく、持たせておけばあるだけ全部使ってしまう性格で、被告人風間は決してけちだとは思わないが、一旦入った金は無駄遣いして減らすようなことはしない性格である。したがって関根には金をもうけるという面での金に対する執着心があり、風間には、生活や財産を守るという意識から、一旦懐に入った金に対する執着心が強かったように思った」(甲951号 平成11年9月5日)

この「一旦懐に入った金銭に対する執着心が強かったように思った」との供述について、弁護人は、

「右供述は被告人関根の金銭感覚について、持たせておけばあるだけ使ってしまうということを述べた上で述べられているのであって、このような夫を持った妻が生活の防衛のために、一旦懐に入った金について無駄遣いをしなくなるのはむしろ当然である。」(一審弁論要旨p284)

とごく常識的な見解を述べているが、風間さん自身も、公判(第58、88回)で会計処理の方法を尋問された際に、「特別に購入する物品等については、資金的に余裕ができるまで購入しないという方法を取っていた。」と、極力出費を抑えるやり方をしていたことを認めている。検察官にいわせると、あるいはこれも「金銭や自己の財産に対する異常な執着心」ということになるのだろうか? 上のA氏は、「被告人風間は決してけちだとは思わないが」、「生活や財産を守るという意識から」と断っているのに、検察官はその部分は無視し、あたかもA氏が風間さんを、殺人も辞さないほどの強い金銭への執着心をもつ人間であると述べているかのように装っているのだ。
従業員のMさんは、風間被告が温和であり、動物の仕事がしたいと思って入ってくる人間にとっては目標になるような動物への接し方、育て方をしていたことを述べるとともに、「従業員が病気になったとき、治療費を払ってくれたり、美容院の費用を払ってくれたりした」「(従業員の)面倒見はよかった」(甲275証 平成7年1月15日)と証言しており、その他、風間さんの「金銭への異常な執着心」をうかがわせるような事実なり挿話なりをこれまでのところ私は裁判記録のなかに何ひとつ見たことがない。にもかかわらず、検察官は「被告人風間には、自己の財産に対する執着心が強くあって、…(略)…被告人風間がK殺害を言い出してその共謀のきっかけを作ったとみるのが自然かつ合理的」とまで主張しているのだから、このような主張をする以上、自らその具体的実例をあげ、論証する責任を負っているのは言うまでもないことのはずである。

検察官のこのような姿勢に対し、一審の弁護人は、

「検察官の主張は、ことさらに証拠を歪曲して、被告人風間の性格を捏造しようとするものであって、不当極まりないものである。」(『一審弁論要旨』p283)

と述べているが、これは、それだけにとどまらず、殺人に至るほどの「金や財産への異常な執着心」を捏造するための補強証拠として名前を挙げられているA・SD・MA・KKといった証言者に対する検察、またそれをそのまま追認する裁判所の背信行為でもあるのだ。この主張を補強するために検察官によって実名を出されている人達は、調書において誰も風間さんの生活や人間性に対する批判をしてはいない。このうち「愛犬ジャーナル」の発行人KK氏は、アフリカケンネルと10数年の付き合いがあったとのことだが、第96回公判に証人として出廷し、関根氏については「誇大妄想狂」「触らぬ神に祟りなし」と評する一方、風間さんと事件との関わりについて尋ねられると、次のように答えている。

「最後になりますけど、今回のこの裁判というのは、関根被告人に対しては4人の被害者に対する殺人と死体損壊、遺棄、風間被告人については3人に対する殺人および死体損壊、遺棄として裁判になってるんですよ。証人の目から見て、風間被告人が、例えば、自ら手を下して人を殺したりとか、又は、人を殺すことを共謀して、人に頼んだりとか、そういうようなことをした、できたりするような人間に映りますか。
  「いや、全く、うそだろうと思ってます。こういう事件が起こったとき、逮捕されたと聞いたときに。」
なんで、そういうふうに思いましたか。
  「だって、あれだけ犬が好きで、あれだけ一生懸命やって、人間、やりますかと。」
要するに、そういう生き物や動物に対する接し方を証人なりに見ていて、そんな、ましてや人を殺すなんてことは考えられない、そういう意味ですか。
  「はい、そういう意味です。」」(第一審 96回公判 平成12.3.9日)

私見になるが、上記の「いや、全く、うそだろうと思ってます。」という証言者の語調には、“そんなことはおかしくって、想像もできない”というかのようなニュアンスがたたえられているように感じたことを述べておきたい。
それからKK氏が、「必要なものはちゃんと必要なもので出してたですけど、無駄なお金はほとんど使わなかったです、私の知る限りでは。」と証言していることは前回紹介したとおりだが、KK氏の公判における尋問調書にはこの発言以外に風間さんの金銭感覚について述べている箇所はないところを見ると、検察はこの証言をも自らが主張する風間さんの「強い金銭への執着心」の補強証拠としているのである。KK氏に限らず、上記の証言者にとってはさぞ不本意なことであろうと思われる。

こうして何の証拠もなく検察官が風間さんを「財産・金銭への異常な執着心」の持ち主だと主張し、裁判官がこれを全面的に認めたことは、前回述べた、4月20日の事件当日に風間さんが雄犬の購入代金をアメリカへ送金した事実を判決文が黙殺・隠匿したことと密接な関連をもつ。証拠のほとんどないこの事件において、この送金は、風間さんと事件との関係を解明するために、また事件全体の真相に迫るために、ぜひとも慎重な審理が必要とされていたし、裁判所は判決においてこの事実に対する判断を具体的に示さなければならなかった。これは、この裁判でこれを審理せずして、いったい他に審理すべき何が残るだろうというほどに重大な事実のはずである。しかし、裁判所はそうすることができなかった。というのも、もし送金の事実を取り上げたならば、その時点でこれまで作り上げてきた事件の全構図がガラガラと音立てて壊れてしまうことが明らかだからだ。4月20日の送金について、弁護人は、下記のように主張している。

「(二) なお平成5年4月20日付の送金分はKWが注文したバードの代金である。/ところで、犬の繁殖のためにはオス、メスのつがいが必要であるところ、メスは何頭手元にいても子を産むので価値があるが、オスは犬舎に複数頭いても売却しない限り、餌代がかかるだけであって、繁殖業者にとってはマイナスであることは常識である。/ところでKが注文したオス(トレッカー)の代金は既に平成5年3月25日に送金済みであり、平成5年4月20日にKを殺害することを事前に共謀していたとすれば、右トレッカーの引き取り手はなく、万吉犬舎にはローデシアンのオス二頭(グローバー、トレッカー)が残ることとなる。/検察官の主張によれば、被告人風間は金に執着心が強く、金銭に細かい人間ということである。
そうした性格の被告人風間が事前にK殺害を共謀、しかも殺人動機が「金への強い執着心」であったとすれば、トレッカーをKWに渡せば済むことであり、K殺害当日の平成5年4月20日にKWが注文したバードの犬代金をわざわざ送金することはあり得ないと言える。/この事実からも被告人風間はK殺害について事前共謀がなかったことを物語っている。」(『一審弁論要旨』p78~79)

裁判所は、風間さんの「金銭への異常な執着」がKさん殺害の重大な動機という検察官の主張を認めているのだから、死刑という極刑を言い渡す者としての責任上、それも最低限の責任上、自らのその判定とは矛盾する4月20日の送金についてどんなことがあっても明確な判断を示さなければならなかったと考える。死刑という極刑もやむを得なかった、これだけの残忍な犯罪に対する刑罰としては死刑しかなかったのだと被告人をふくめた万人の前に自らの判決の正しさを示すためには、それが絶対的に必要とされていることは誰の目にも明らかであろう。しかし、そのようにしたら、今度は、「金銭への異常な執着心の持ち主」とのこれまでの自己の認定への再検討を迫られる。場合によってはその認定を取り消さなければならなくなる。殺人の動機そのものを否定しなければならなくなるかも知れない。そのために、送金自体を事実上なかったことにしてしまったのではないだろうか。目下のところ私はこの他に合理的推論の可能性を思いつかないのだが、するとこの裁判にとって真相究明の社会的使命はどうなるのだろう。またこの裁判官にとって裁判の中核である被告人の存在とその生命はどのように映っているのだろう。


控訴審の判決文が示した巧妙かつ不可解な判定

この問題に対して、控訴審の判決文は下記のような認識を示した。

「⑦(風間の弁護人及び風間)風間は,K事件の当日に,KWの依頼に基づいて高額の犬の購入代金を送っているが,関根との間にKを殺害する事前共謀があったのであれば,K用に注文していた犬をKWに回せば足りる道理であって,KW用の犬の代金を送るような無駄になることをするはずがない。したがって,この事実は風間が関根と事前に共謀していなかったことの証左である,というのである。
しかしながら,その主張は,そのようなことも可能であるという理屈にすぎない。同じ理屈が当てはまる関根が現にK殺害を実行しているのである。所論は理由がない。」(『控訴審判決文』p29)

上記の判決文の「その主張は,そのようなことも可能であるという理屈にすぎない。」および「同じ理屈が当てはまる関根が現にK殺害を実行しているのである。」という判定は、それぞれ別個の検討が必要とされていると思う。
まず、最初の「その主張は、そのようなことも可能であるという理屈にすぎない。」という判定だが、ここで「理屈」という単語はどのような意味をもって用いられているのだろうか? 「理屈にすぎない。」という言い方をしているところを見ると、裁判官がこれを、「正しい筋道」や「道理」という意味ではなく、まともにとりあわなくてもよい「こじつけの論理」と判断していると見て間違いないだろう。というのも、裁判において、「筋道の正しさ」や「道理」を、このように「…にすぎない」として放擲するような裁判官が存在するとも思えないからだが、「理屈」という言葉をこのように理解して上記の判決文を読むと(そもそもこのような場合に「理屈」という言葉の定義を明らかにしないで使用することが不適切なことはいうまでもないと思われるが…)、裁判官のこの判定は何とも異様に映る。

検察ももちろんそうだが、1・2審ともに、裁判所は、当時アフリカケンネルが資金繰りに苦しんでいて、元来金銭に執着心の強い風間さんが「Kに返す金などない」「やるしかない」と、650万円のキャンセル料返還を惜しんでKさん殺害を決行した、と認定しているのである。ついでに述べておくと、関根氏はKさんにキャンセル料を650万円支払うと申し入れたようだが、キャンセル対象の雄犬は450万円だったのだから、アフリカケンネルが資金繰りに困っていたのであれば、交渉次第で450万円の返還で済んだはずなのである。現にKさんの奥さんは、夫から「(関根氏から)キャンセル料として650万円と車をもらえることになった」と聞いたとき、「なぜ450万円でなく、650万円なのだろうと訝しんだ」と証言している。風間さんが真実事情を知っていてキャンセル料の支払いを惜しんだのなら、「やるしかない」という前に、650万円ではなく450万円に、あるいはそれ以下の値段で済ませられるような交渉を考えるのではないかと思えるが、それにしても、650万円を惜しんで殺人を強行するような人が、よりによってその殺害当日になぜ12000ドルもの大金を惜しげもなく懐から出すのだろうか? その他、運賃や検疫費に40万円要ることはすでに述べた。その上、行き場所がなくなるに決まっている犬をわざわざ購入すれば、引続き飼育代に出費が重なることになるのも分かりきっているのに。
判決文の上述の部分を読んでこのような疑問をもたない人間はまずいないのではないかと思われるが、すると裁判官はこれらの人もみな、「そのようなことも可能であるという理屈」を述べているのに過ぎないというのだろうか? だがこのような疑問が「理屈にすぎない」として排除されるのであれば、そもそも裁判とは何か、裁判所とはいったい何を審議することによって結論を出す場所なのかという基本的・根本的な疑念をおぼえないわけにはいかない。

次に、「同じ理屈が当てはまる関根が現にK殺害を実行しているのである。」という判定である。これもまた何とも不思議な判定に思える。まず「同じ理屈」という語句中の「同じ」とは、何を指しているのだろうか? 「理屈」の意味は、上記で検討したように、「風間がキャンセル料を惜しんで殺人におよんだというのなら、同時期に大金を溝に捨てるような無駄な送金をするはずがない。この送金は風間が殺害の事前共謀をしていないことの証左である。」という被告人・弁護人の主張を指していると思われる。しかし「同じ」という意味は不明である。ただこの言葉から、裁判官には風間さんが関根氏と事前共謀をしていたか否かを検討する意思がないらしいこと、すなわち関根氏もこの送金の事実を知っていたにちがいないと決めてかかっているらしいことだけは推測できる。そうでなければ、ここで「同じ」という言葉が出てくるはずがないと思われるからだが、そうであるならば、裁判官はどのようにして関根氏がこの日の送金の事実を知っていたのかという判断を示すべきであろう。

「被告人関根と被告人風間は、平成5年1月25日離婚し、被告人関根は、平成5年1月25日から同年3月中旬頃まで寄居の桜澤のアパートに引っ越して居住し、さらに同年3月中旬から同年5月連休前頃までは片品のY宅に引っ越して生活しており、ペットショップや万吉犬舎にはあまり出入りがなく、犬の注文等の連絡はほとんど電話によるものであり、あまり会話をする時間もなかった。」(『一審弁論要旨』p75)

上記のように、Kさん殺害事件当時、関根氏は片品のY氏宅に同居し、ここを店舗として雑誌に広告も出し、Y氏宅には犬売買の件に関する電話がかかってくるなど、ここで商行為を行なっていたことはY氏も認めている。アフリカケンネルの従業員Mさんの供述調書にも、離婚後の関根氏と風間さんの関係について、「前と生活パターンが、すっかり変わっておりました。」「(関根氏は犬舎に)2週間も姿を見せないことがあり、2日と続けて来ませんでした。」(甲第275号証)とあるように、このころ関根氏と風間さんの関係が疎遠だったことがうかがえる証拠はいくつもあるのだが、裁判官はこのことをまったく考慮に入れようとせず、黙殺している。

送金事実に関しての被告・弁護人の主張に対する、「その主張は,そのようなことも可能であるという理屈にすぎない。」、「同じ理屈が当てはまる関根が現にK殺害を実行しているのである。」という判決文からは、そもそも殺人の要因であったはずの風間さんの金銭への執着心はどうなったのか、この問いに対する答えが得られないことはたしかである。死刑判決が言い渡されるような重大な裁判において、判決文のこのような文章を見ると、真相解明への真率な情熱を欠き、白を黒と言いくるめるための高度に洗練された技術だけを見せられているようで、索漠とした思いにかられる。
2009.07.30 Thu l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top
裁判所の認定-Kさん殺害の理由の1 「アフリカケンネルは資金難に陥っていた」 が事実か否かを検証する

「埼玉愛犬家殺人事件」の風間博子さんは、先月6月5日の上告棄却、6月22日の判決訂正申し立ての棄却により、1・2審で宣告された殺人罪、死体損壊・遺棄罪による死刑が確定した。だがそれでも判決に対する疑念は消えない。判決文に死刑判決を言い渡すに足る明白な理由、根拠が一つでも見当たるかというと、とうていそうは思えないのだ。だから、今後も判決文を主とした裁判記録・資料を具体的に検討することによって、風間さんが殺害に関与したかどうかの考察を続けていきたい。まず、一連の事件のうち最初に発生した平成5年(93年)4月20日の「Kさん殺害事件」から、詳細を見ていくことにする。
なお、風間・関根の両氏ともに死刑が確定したので、二人とも法的身分としてはこれまでの「被告人」から「確定死刑囚」ということになるが、当ブログとしては、今回から、呼称をこれまでの「風間被告」を「風間さん」へ、「関根被告」を「関根氏」へと変更して記述する。


Kさんが関根被告と知り合ってからの経緯

被害者のKさんが関根氏と知り合ったのは、殺害される前年の平成4年(92年)7月ころであった。それまで飼っていたアラスカン・マラミュートが死んだため、同じ種類の犬をまた飼いたいと考えて家族とともに万吉犬舎を訪れ、アラスカン・マラミュート雄犬一頭を購入したことがきっかけであった。その後Kさんは犬の餌や道具を買ったりするために度々万吉犬舎を訪れるようになり、関根氏との親交を深めていった。
そんななか、同年の12月ころ、関根氏からローデシアン・リッジバック(南アフリカ産のライオンの狩猟用の犬)の購入を勧められたKさんは、「繁殖をやれば、この犬は日本には一頭もいないから必ず儲かる。」という関根氏の説明を聞いて、乗り気になったのだが、その経緯は判決文によると次のような次第であった。

「Kは、被告人関根から「自分は車を10台も持っているし、外車やヘリコプターも持っている。ぱちんこ屋も何軒も経営している。金も2トンもあるし、お金も沢山持っている。」などと途方もない嘘を吹き込まれていたことや、兄達から前記CC(注:勤務先の会社)の業績が不振でいつ会社が人手に渡るか分からないなどと聞かされており、この際独立して商売をやりたいと考えていたことなどから、次第に被告人関根の勧める犬の利殖話を信用し、平成5年2月8日ころには、被告人関根の勧めに従い、妻N子の反対を押し切って、ローデシアン・リッジバックの雌犬一頭を650万円で購入することを決め、N子に定期預金を解約させたりして金を準備させ、同月中旬ころまでに右650万円を被告人関根に支払った。

2 また、Kは、その後、被告人関根から右利殖話の一環として、更にローデシアン・リッジバックの雄犬一頭を450万円で購入するよう勧められ、これを妻N子に内緒で承諾し、その代金については自分の車を売却した代金と実母S子から借り受けた金員で賄うこととして、同月下旬ころまでに右450万円を被告人関根に支払った。

3 一方、被告人関根は、アフリカケンネルが以前から外国犬を仕入れていたアメリカ在住のT(同人はM貿易の名称で犬等の輸出業を営んでいた。)からローデシアン・リッジバックを購入してKに渡すことにし、被告人風間に頼んで、平成5年2月15日ころ7000ドル(当時の為替レートは1ドルが約122円)をTに送金して、雌のチャンピオン犬一頭(名称ルナ。代金5000ドル。円に換算すると約61万円)及びその娘に当たる子犬1頭(名称モカ。代金2000ドル。円に換算すると24万円余)を購入し、ルナは同月下旬に成田空港に到着した。しかし、Kは、当時N子や兄達から犬の繁殖計画に強く反対されたり被告人関根の言っている内容に不審な点があるなどと指摘されたりしたことから、被告人関根の勧めに従って繁殖の仕事をしようという気持と、もうこの計画は中止して2頭目の代金は返してもらおうという気持で揺れ動いており、そのころK方に来た被告人関根らとの間でN子も交えて話をした際には、2頭目の購入話はキャンセルして繁殖の仕事もしないと言ったりしたこともあったが、被告人関根は、実際には右Tに依頼して雄犬の購入のための準備をしている段階で、具体的な購入契約などはしておらず、もとよりキャンセルは自由にできるような状態であったのに、もうキャンセルはできないなどと主張し、その後しばらくしてKは結局被告人関根に説得される形で、以前からの話のとおり2頭目も購入して繁殖事業をすることになった。そして、同年3月10日ころ、ペットショップに行って前記ルナを受け取り、自宅に連れ帰ったが、その後数日してルナはK方から逃げ出して行方不明になってしまった。

4 その後、Kは、同年3月21日ころに至って、かねてからの知人で警察犬訓練学校を営んでいるYOのもとを訪れて、「ローデシアン・リッジバックの雄雌2頭を1100万円で購入したが、雌に逃げられて困っているので相談に乗ってほしい。」旨の話をするとともにローデシアン・リッジバックの客観的な値段を教えてほしいなどと頼んだため、YOが知人に電話を掛けてローデシアン・リッジバックの値段等を聞き、その場でKに対して、「価額は50万円が限度で、普通は2、30万円位で輸入できるらしい。」という趣旨の話を伝えたところ、これを聞いたKは激しいショックを受けるとともに、被告人関根に完全に騙されたと感じるようになり、帰宅して妻N子に被告人関根に対する怒りの気持を打ち明けるとともに、夫婦で相談した結果、逃げてしまった雌犬(ルナ)については諦めるしかないが、2頭目の購入話はキャンセルすることなどを決めた。

5 そこで、Kは、これまで被告人関根から2頭の犬の売買代金(1100万円)の領収証も貰っていなかったことから、確かに右金員を支払ったことを明らかにしておこうと考え、同年3月24日ころ、被告人関根に電話を掛けて右代金を受領していることを認めさせ、その会話内容を録音したりするとともに、同月末ころ、YOから聞いた前記のような話を伝えたところ、これに動揺した被告人関根は、その話は他人に口外しないように言ってKに口止めするとともに、どこかで一対一で会って話をしたいなどと言い出した。そして、同年4月15日ころ、被告人関根は、Kに電話して、その日の夕方、熊谷市内の喫茶店で、Kと会い(なお、Kは、この会合の少し前に、右YOから、更に、逃げたローデシアン・リッジバックの雌(ルナ)は5歳で繁殖には既に歳を取り過ぎており、値段も5万円か10万円位のものだと告げられていた。)、Kに対して、「犬の代金は現金650万円と車で返す。」旨約束するとともに、同人から早急な返済を求められたため、返済期限についても、「4月19日か20日ころには返す。」旨約束した。このため、Kは、犬の売買代金を右のような形で返してもらえるものと信じ込むに至った。」(『一審判決文』p25~31)

関根氏とKさんとの交渉場面に同席したのは風間さんではなく、いつもY氏だった

上記判決文に述べられている事の経過は、Kさんの奥さんや弟さんの公判廷での供述と照合しても大きな相違点はなく、ほぼ事実とみて間違いないと思われる。ただし、上記判決文の「3」における「K方に来た被告人関根らとの間でN子も交えて話をした際には」の中の「被告人関根ら」の「ら」に風間さんは含まれず、これは、共犯のY氏のことである(第一審31・32回公判におけるKさんの妻の証言)。判決文にはこのように誰を指しているのかが判然としない「ら」の多用が見られるので注意を要する。後にも述べるが、風間さんはKさんと接触したことはほとんどなく、この時もKさん宅を訪れてはいない。関根氏とKさんの交渉・交流場面に同席したのは常にY氏だったのである。風間さんが登場することはまったくない。
売買代金の領収証も受け取っていなかったというKさんが次第に関根氏に不信感をもつようになるのは必然の経緯であると思われ、関根氏の口先三寸の不実な商売のやり方がKさんへの対応に露骨に現れているにちがいないのだが、それでも、犬の売買における関根氏の売値のつけ方自体は、業界内の相場からすると特別に悪辣であるというほどではなかったという声もある。ローデシアン・リッジバックの単価についてKさんが告げられた「ローデシアン・リッジバックの雌(ルナ)は5歳で繁殖には既に歳を取り過ぎており、値段も5万円か10万円位のもの」というYO氏の話は正確であるとは言えなかったようである。現に風間さんが関根氏からの依頼でT氏に送金した額は、送金手数料や運送費や税、検疫費などの諸経費を含めると100万円ほどはかかっていると思われる。以下に一審公判廷(第96回公判)における「愛犬ジャーナル」誌のKK氏の証言を引用する。

「関根被告人がどのような商売のやり方をしていたか、その辺、証人として何か感じたものはありましたか。
  「いや、商売としては、犬の売買にしては、ものすごく上手だと思いました。」
上手というのは、どういう意味ですか。
  「いや、仕入値の割には高く売るっていうのは、商売としてはなかなか素晴らしいと思います。」
要するに、証人の言う上手という意味は、より高く犬を売ることができる能力がある、そういう意味ですか。
  「はい、そういうことです。」
買うほうからしたら、安い犬を高く売りつけられたら、たまったもんじゃないですね。
  「いやいや、当時は、バブルの全盛期は、関根さんぐらいのやつはかわいらしいもんだったです。あのぐらいの値段は。500万や600万の犬はざらに置いてましたから。」
ただ、500万、600万で、末端の消費者に売られる犬の原価っていうのは、通常どのぐらいか、証人はある程度、分かってましたか。
  「ある程度は分かってます。」
大体どのぐらいのものなんですか。5、6百で関根氏人が売ったと言われるような犬のもともとの原価。
  「大体200万ぐらいじゃないかと思いますけど。輸入犬で。」
それを5、6百で売るなんていうのは、ある意味じゃ、そんなに特異なことじゃない、常識的なことだと。
  「いや、我々の犬の業界では別に、珍しくも何でもありません。」」

さて、上述のように風間さんはKさんとはほとんど交流はなかった。そのあたりの事情を弁論要旨から抜粋して紹介する。

「1 被告人風間がK・A(以下Kという)を知った事情
被告人風間がKを知るに至ったのは平成4年夏頃、被告人関根が万吉犬舎においてKにアラスカンマラミュートを売り、その後Kの妻である同N子が、被告人関根が主宰するアラスカンマラミュートクラブに入会したことから、同女の名も知るようになった。/しかし被告人風間がKと顔を合わせたのはKが本石のペットショップを訪れた3回程度であり、N子については面識はない。

2 ローデシアン・リッジバッグの注文
被告人関根は平成4年夏ころ、アメリカにおいてMトレーディングという名称で犬の輸出業を営むTに自ら電話をして、ローデシアンを仕入れたい旨告げており、被告人風間もこれを後に知ったが、平成5年1月下旬頃被告人風間は被告人開根から、Kがメスのローデシアン(ルナ)を注文してきたので、輸入手続きをするよう指示され、被告人風間は前記Tに連絡して輸入の依頼をした。/しかし被告人風間は、この犬の取引についてはKとは一切話をしておらず、全く関与していない。/さらに、2月初句頃、Kがローデシアンのオスの注文をしたとして、被告人関根から輸入手続の指示を受けた被告人風間は、右同様にTに連絡して輸入手続を依頼した。/右ローデシアンのメスは、平成5年2月16日に代金をTに送金し、同年3月10日に検疫手続きを終えてKに引き渡され、同日ころまでに被告人風間は被告人関根からその代金として450万円を受領した。/なお被告人風間は、被告人関根とKがいくらで犬の売買をしたのかは、一切知らされていない。/しかし右ローデシアンのメスは引き渡されて数日後に、K方から逃げ出し、被告人風間はN子から電話で右事実を知らされることになった。/被告人風間がN子と話をしたのはこの時が初めてである。

3 Kからの犬の代金の返金要求について
前述したKからの注文によるローデシアンのオス(トレッカー)については、被告人風間は平成5年3月15日にTに注文し、3月25日に仕入れ代金の送金を行っていたが、その後被告人関根からKがオスの注文のキャンセルとメスの代金返済を求められていると聞かされた。/これに対して被告人風間は、犬の引き渡し後にメスが逃げたのはKの責任であるから450万円の返金には応じられないが、オスについては他に売却すればよいので、そのキャンセルには応じてもよい旨返答し、被告人関根もこれに同意していた。/従ってその後にKと被告人関根の間で犬のキャンセル、その他のことでトラブルがあったことは全く知らなかった。

4 なお被告人関根と被告人風間は、平成5年1月25日離婚し、被告人関根は、平成5年1月25日から同年3月中旬頃まで寄居の桜澤のアパートに引っ越して居住し、さらに同年3月中旬から同年5月連休前頃までは片品のY宅に引っ越して生活しており、ペットショップや万吉犬舎にはあまり出入りがなく、犬の注文等の連絡はほとんど電話によるものであり、あまり会話をする時間もなかった。/そしてKとの右キャンセルに関する話しは、被告人風間を経由することなく、直接行っていたようであり、被告人風間は全く知らない。」(『一審弁論要旨』p72~75)

検察が主張し、裁判所が認定する、風間さんが殺害に関与したという2つの理由・根拠

弁護人は上記のように主張しているが、しかし検察は風間さんが関根氏と共謀してKさん殺害を計画し、実行したと主張。ではその主張の根拠はどのようなものだったのかというと、論告は大別して以下の2点をあげている。

(1) アフリカケンネルは江南犬舎の建築費が嵩み、加えて折からの景気低迷により売上が落ちたことなどで、月々のローン返済にも事欠くほどの資金難に陥っていた。そのため被告人風間は、「Kに返す金などない」とキャンセル料の返還を拒絶し、「やるしかない」とKさん殺害を率先して企てた。

(2) 被告人両名は、およそ9年ほど前、昭和59年2月ころ、M・E(以下、「M」という。)を殺害し、その死体を解体して、知人のS・R(当時はA・R)に手伝わせて、万吉犬舎にてその死体を焼却し、遺棄するという事件を起こした。被告人風間は、このMの殺害及び死体損壊・遺棄をきっかけにして、被告人関根との関係を運命共同体と感じるようになった。その絆を深めるため自己の体に入れ墨を彫るようになり、以後、平成2年ころまでの間、断続的に入れ墨を彫り続け、仕事及び家庭生活の両面でも、被告人関根と一体化した日常生活を送るようになった。Kさん殺害事件は、このような関根・風間の「車の両輪」「一心同体」「運命共同体」の緊密な結びつきによって引き起こされた。

この検察主張に対する判決文の認定は以下のとおりである。

「1 被告人関根は、前述のとおり、Kに対して犬の利殖話を種にしてローデシアン・リッジバックの雌雄各一頭を合計1100万円で売り付け、その代金を受領するとともに雌犬を引き渡したが、やがてK側から、YOの話などからするとローデシアン・リッジバックの実際の値段は右の売買価格より遥かに安いのではないか、自分達を騙したのではないかなどと強硬に文句を言われ、雄犬の売買はキャンセルするから既に支払ったその代金を返還してほしいなどと要求されたことから、K側のこのような強硬な態度に困惑し、この際右のキャンセルの要求に応じようとも考えた。しかし、当時アフリカケンネルには金銭的余裕がなかった上、アフリカケンネルの資金を全部掌握管理していた被告人風間がそのような解決策に難色を示したことからこれを行うことは困難な状況にあった。被告人関根は、このような状況下で、このままKに金員を返還しないでいるとKの要求行動が激しくなるのは必至であるから、これを防ぐためKを殺害することになるのではないかなどと思ったりもするようになったものの、なお、被告人風間が了承してくれさえすれば、支払を約束しながらそのとおりには実行せずある程度のものを払っただけで最後はうやむやにするようなことも含めて、金銭を支払う方向での解決を図ろうとの考えを抱いていた。そして、被告人関根は、Kの要求に辟易としていたことから、同月15日ころには、一時しのぎのため、被告人風間の了承を得ておらず、したがって約束してもそのとおり実行できる当てがあったわけではないものの、Kに対して「犬の代金は現金650万円と車で返す。」との返済案を提示してKを喜ばせるとともに、その際同人から早期返済方を要求されたことから、行きがかり上返済期限についても「4月19日か20日ころには返す。」旨約束した。

2 被告人関根は、かねてKのキャンセル要求に応じて同人に金を返すことについて被告人風間が難色を示しているのは同被告人にK殺害を容認する気があるからであると思っていたが、被告人関根がKに提示した右返済案について被告人風間に話した際も、被告人風間は「Kに返還する金などない。」などと反応した。そして、右返済案が日限を切ったものであったことから、その対処策について二人で話し合ううち、「M(M・E、被告人関根らの知人で昭和59年ころ突如姿を消した人物)だって、殺してから10年も経つけど警察は迎えにも来ていない。日本は法治国家だから証拠がなければ逮捕されない。」との認識を共有し、こうなればKを誘き出して密かに毒殺した上、Yに手伝わせてKの死体を片品村の前記Y方に運び込み、同所で解体するなどした上で遺棄し殺害の証拠を隠滅してしまおうとの謀議を遂げるに至った。」(『一審判決文』p30~33)

「Kに売った犬(2頭で1100万円位)の件で、Kからキャンセルを要求されるとともに既に支払った代金を返還するよう強く迫られ、自分としてはこれに応じるしかないと思って風間にその金を出してくれるように頼んだが、「Kに返す金などない。」などと言われて断られた。風間は「やるしかない。自分も手伝うから。」などと言って、Kを殺害することを提案した。それで自分としては、最愛の妻である風間がそのように言い出したことなのでこれを承諾し、また風間の発案で殺害後の死体は解体してしまうことにした。また、風間が、「Yに頼んでKを絞め殺させればいい。」などと言ったので、Yを仲間に引き入れることにし、…」(『一審判決文』p111)

判決文は、上述にみる関根氏の証言を、下記のように「その限りにおいては十分信用できる」と述べて、風間さんの殺人共謀を認定した。

「関根はその後まもなく売買代金の返還に藉口してKを誘き出して同人を殺害するに至っているのであって、このことは、風間が右のような犬の代金返還という形で解決を図ることに強く反対したことを示唆しているのであり、「風間に相談したが、(Kに)返す金などないと言われた。」とする関根供述は、その限りにおいては十分信用できるものと考えられるのである。」(『一審判決文』p191)

しかし殺人の動機、理由を述べるのに、(1)のように会社の資金繰りに苦慮しての結果というのならその真偽・適否は別にして言わんとすることは当然理解できるが、(2)のごとく、「Mだって、殺してから10年も経つけど警察は迎えにも来ていない」などの、誰一人として起訴もされていない、したがって法廷において何らの証拠も出されず、立証もされていない関根氏の供述を、あたかも疑いの余地のない確実な出来事、周知の殺人事件ででもあるかのように判決文のなかに書き入れる裁判官のこの行為は実に突飛であり異様であると言えよう。論告は「被告人両名は、およそ9年ほど前、昭和59年2月ころ、M・Eを殺害し、…」と主張しているが、59年2月といえば、風間さんが幼い男の子を連れて前年の10月に関根氏と結婚してやっと3、4ケ月が過ぎたころ、知り合った時期(前年8月)から数えても半年しか経っていないころなのである。それまでごく普通の社会生活を営んでいたやや内気な、若い母親でもある二十代の女性が「やるしかない」といきなりMなる人物を殺害したというのだから、これは実に異様な話、摩訶不思議な話に思えるが、ともかく裁判所はここで検察官の主張どおり、二人でM殺害を実行したのだと述べ、そしてその事件以降、関根氏との関係を運命共同体と感じるようになった風間さんが、今回も「返す金などない」「やるしかない」と言ってKさん殺害を率先して共謀・実行した、と認定したのである。

これから、この(1)と(2)に関してできるだけ多方面から照射をあて、丁寧に見ていくことにする。

アフリカケンネルが資金繰りに困っていたというのは事実かどうか?

まず(1)から検討していきたい。判決文は当時アフリカケンネルが資金難に陥っていたと認定したが、事実は、決してそうではなかった。このことは一審弁論要旨に記載されている詳細な財務資料を見れば一目瞭然である。

「七 被告人両名の資産及びアフリカケンネルの経営状況

1 被告人両名は江南犬舎の用地を購入し、更に江南犬舎の建設代金を支払って預貯金が枯渇し、それが原因でKに犬代金を返還できず、殺害したと検察官は主張するが、事実は全く異なる。
江南犬舎の土地は、平成4年7月30日に金9620万円で売買契約を締結し、熊谷商工信用組合から金4000万円をローンで借り入れ、5620万円は自己資金を充てて支払っている。
その支払明細は次のとおりである。
平成4年7月30日に支払った頭金1000万円は、被告人風間が先物取引をしていたDF(注:株取引先の会社)ヘの預け保証金の返戻金で支払っている。(甲第285号証ページ7)
そして平成4年9月30日の自己資金の支払い分4620万円は東京相和銀行熊谷支店の定期預金等を解約して調達したものである。(甲第285号証ページ9)

2 次に江南建設への建築代金の支払いであるが、平成4年11月30日支払いの1000万円はY子(母)所有の須賀広の土地の売買代金にSS(注:アフリカケンネル従業員)にアラスカン(カイザー、フジ)を販売した代金を加えて1000万円として、定期預金担保の手貸しを返済し、右定期預金を解約して支払っている。(甲第285号証ページ11)
また平成4年12月支払いの2000万円は富山県在住のUへの金900万円の貸金返済金と郵便局の定期貯金の解約金をもって支払っている。

3 平成5年3月31日に本工事残金1340万円と追加工事代金650万円、合計2000万円を支払っている。
本工事残金1340万円の根拠は、江南建設が提出した見積代金の端数を切り上げた6200万円についてEが3割引きでやらすとの約束に基づき、4340万円となり、既払い金3000万円を差し引いた残金である。
そして右2000万円の内、1000万円は東京相和銀行の預金600万円を降ろし、また熊谷商工信用組合から400万円の預金を降ろして1000万円を調達し、定期預金を担保に熊谷商工信用組合から1000万円を借り入れ、合計2000万円を用意したものである。(甲第285号証平成5年ページ3)

4 またアフリカケンネルは平成5年3月1日株式会社となっている(甲第327号証)が、その資本金1000万円は、平成5年2月18日東京相和銀行を取扱店とする大東京火災海上保険、年金保険を解約して調達した金855万3180円に郵便局の財形貯蓄約400万円を解約して1000万円として資本金として積み、法人登記完了後の3月10日に現金化し、熊谷商工信用組合に新規の1000万円の定期預金を作っている。(甲第285号証平成5年ページ2、甲第295号証丁数281丁、同284丁、同285丁、同286丁)

5 そして甲第285号証末尾添付の関根元・風間博子関係金融機関預貯金月末残高一覧表平成5年ページ1、2を見ると、
平成5年1月        1191万2625円
平成5年2月        1112万3065円
平成5年3月        1515万9234円
平成5年4月        1522万3466円
平成5年5月        1546万9421円
平成5年6月        1555万2625円
平成5年7月        2001万7273円
平成5年8月        1686万8595円
の預貯金が保有されていることは明らかである。

6 他方甲第287号証末尾添付の関根元・風間博子関係借入金別返済予定額一覧表平成5年を見ると、月別の返済合計額は次のとおりである。
平成5年1月        50万3554円
平成5年2月        50万3536円
平成5年3月        61万6523円
平成5年4月        3万9889円
平成5年5月        64万7084円
平成5年6月        1031万3611円
ここで平成5年3月31日付1000万円の借入金は返済完了となっている。
平成5年7月        31万3566円
平成5年8月        34万2428円

7 そして甲第288号証末尾添付の関根元・風間博子関係月別必要経費一覧表平成5年ナンバー1、2記載の経費が支出されたとしても前記のとおり預金残高が大幅に減少した事実はなく、万吉犬舎、ペットショップの売り上げ収入で、十分法人経営及び個人の生活が成り立っていることが証明されている。
従って江南犬舎の土地購入、建築費の支払いによって預貯金が枯渇した事実は存在しない。」(『一審弁論要旨』p69~72)

検察は「被告人両名は、右土地を9600万円余で購入したものであり、購入代金中、約4000万円を熊谷商工信用組合からの借入、残金は預貯金等の自己資金により工面した上、同年9月までにその支払を済ませたが、これにより、預貯金がほとんど枯渇した」(『一審論告』p20)と述べているが、上記の預貯金表の残高により検察主張の「預貯金がほとんど枯渇した」という主張がまったくの虚偽であることが分かる。建築費用や月々のローンの支払いを済ませても、なお預貯金は常時1500万円前後を保持していたのである。検察は上記の虚偽としか言いようのない記載のあと、わざわざ( )を付して、

「なお右熊谷商工信用組合からの借入は江南町の土地を担保として住宅ローンを組んだが、約3500万円が返済できず、後に同土地の競売によってその回収の一部に当てられた」(『一審論告』p20)

と主張しているが、これもまた実質的には虚偽記載なのである。これは一審弁論要旨によると、下記のような事情ということである。

「また住宅ローンの返済ができず、江南犬舎が競売になったのは、被告人らが平成7年1月5日に逮捕され、それによって返済できなくなったものであり、返済金が枯渇したからではない。/またこの時期まで、月々のローンを遅滞したことは一度もない。」(『一審弁論要旨』p69~72)

一方、この件に対する判決文の認定は以下のとおりである。

「2 被告人両名は、平成4年秋ころまではアフリカケンネルの売上も順調だったことから、前記のとおり、新しい犬舎や自宅を建設することを計画し、その用地を確保するため同年9月末には被告人関根名義で江南町内の土地及びその地上の中古家屋を代金約9600万円で購入し、その代金は手持ち資金と右土地等を担保にして熊谷商工信用組合から借り受けた4000万円で支払い、更に被告人関根の以前からの知人で暴力団T組代行であるEの仲介により、地元の建設業者である株式会社江南建設(同社の代表取締役社長であるMはT組組長の元妻の弟で、Eとも親しい関係にあった。)に犬舎や自宅の建築を代金6191万円で請け負わせて、その工事を進め、請負代金として、同年12月までに3000万円、更に翌5年3月末に2000万円を支払った。そして、新犬舎等も一応完成を見たのであるが、他方で、このように多額の資金投入をしたことなどの影響で、アフリカケンネルの資金状態は悪化し、資金繰りに円滑を欠くようになった。」(『一審判決文』p22~23)

判決文は何を根拠にして「資金繰りに円滑を欠くようになった」といっているのだろうか? 下記の認定を見てみよう。

「同(熊谷商工信用)組合は右融資後の平成5年3月31日にアフリカケンネル宛てに1000万円を風間名義の定期預金を担保として同年4月10日返済の約定で貸し付けたが、売上金の回収遅れということで返済が遅延して結局同年6月3日に入金があり、その後同年7月7日に再び1000万円の融資申込がなされたため、やはり風間名義の定期預金を担保としてアフリカケンネル宛てに1000万円を貸し付けたが、これも売上金の回収遅れと資金繰りの窮迫ということで返済が遅延して6回にわたって期限延長のための手形書換がなされ、結局この借入金は平成6年2月に右定期預金を解約して返済されているのであり、このような事実からしても、アフリカケンネルがその主力金融機関である熊谷商工信用組合からの借入金を約定どおり返済できないほどに、資金面で苦労していた状況が如実に看て取れるのであって、経営は順調で資金繰りには特に困っていなかったなどという風間の前記弁解は、極めて不自然で、到底信用し難いというほかはない。」(『一審判決文』p193~194)

裁判官は、Kさん殺害の理由に「資金繰りの苦しさ」をあげているが、その「苦しさ」の実例として、預金通帳の名義人変更手続きにより、一時的に通帳が使えなくなった際の返済遅延の例を記述している

判決文はアフリカケンネルが資金に困窮していた根拠として、平成5年3月31日付の熊谷商工信用組合から借りた1000万円の返済が遅れた件を持ち出しているが、これは上述の(『一審弁論要旨』p69~72)「3」を見れば分かるように、江南犬舎の建築本工事および追加工事代金2000万円を支払うために、風間さんの定期預金を担保に熊谷商工信用組合から1000万円を借り入れた件を述べているのである。だがこれがどうだというのだろう。商売や事業をしている以上、事情によって2ケ月やそこらの返済遅延が生じるのは一般によくあることだし、このことが即資金繰りに困っていたということにはならない。現に6月3日に熊谷商工信用組合にこの借入金1000万円を返済した時、風間さん名義のアフリカケンネルの預貯金高約1500万円は減少していない。それもそのはずで、実際はこの時の返済遅れは資金繰りに困ってのことではなく、離婚によりアフリカケンネルの預金通帳の名義人をそれまでの関根氏から風間さんに書き換え申請をし、その手続きにより一時的に通帳が使えなくなったためなのである。裁判官はこのことをよく知っているはずではないのだろうか? また同年7月7日の借入金の返済遅延の件だが、この認定も大変奇妙である。平成5年7月の熊谷商工信用組合からの借入金といえば、下記の件になるのだが、借入に至るまでの経緯を次の弁論要旨で見てみたい。

「(五) また平成5年7月5日頃、被告人関根は江南犬舎に塀、門を造り、敷地のアスファルト工事を計画し、金融機関から融資を受けられればやる予定にしたが、融資が受けられず、被告人関根はEの紹介で、中央興業のYHを紹介され、Y子(母)の万平町の土地を担保に金1000万円を借りる話をまとめてきた。
被告人風間は、右工事のことは予定していなかったが、被告人関根があまりにも熱心であったので、母Y子から担保提供の了解を得て、平成5年7月5日、F司法書士事務所にYH、E、被告人風間、被告人関根、Y子(母)が行き、金1000万円(利息50万円を天引)の融資を受けたが、知らぬ間に右土地に極度額3000万円の根抵当権を設定されてしまった。
ところが翌日Y子(母)が、EがヤクザであることとYHの悪評を身内から聞き、1000万円をすぐに返済するので根抵当権を抹消したいと言いだし、2、3日後にYHに会って1000万円を返そうとしたが、YHは「Eに1000万円貸したのだ。それに1000万円では足りない。Eが借主だからあんたからは受け取れない」と言った。
そこでEを2、3日探して、やっと会ったところ、「俺が話してみる」と言い、少しして「話がついた。俺がYHに1000万円を待っていく」と言うので、Eに1000万円を渡した。
そして被告人風間はYHに対し、1000万円を返済したので根抵当権を抹消してくれと要求したところ、YHは「1000万円は受け取っていない。またEへの貸金もこの根抵当権で返す話なので金1000万円ではダメだ」と言い、登記の抹消に応じてもらえず、やむを得ず平成5年7月12日被告人らはYH、Eの名前を出し熊谷警察に本件を相談した。(甲第925号証、同926号証)
その後被告人風間は、具体的経緯はわからないが、Eより7月17日に金1000万円を待ってF司法書士事務所に来るよう連絡があり、被告人風間は熊谷商工信用組合から金1000万円を借り、平成5年7月17日F司法書士事務所へYH、E、被告人風間、被告人関根、Y子(母)が行き、金1000万円を支払って根抵当権を抹消し、すべて解決している。(『一審弁論要旨』p89~90)

裁判官は、Kさん殺害の理由に「資金繰りの苦しさ」をあげているが、その「苦しさ」の実例として、Kさん事件の2、3ヶ月後に発生した借入金の話を記述している

裁判資料を読んでいると上記のようなトラブルがいくつも出てくるが、これらの原因はいつも関根氏である。関根氏の思いつきのような身勝手な発想や行動に風間さんが振り回されているように見えるのだが、ここではそれはさておき、呆れるのは上記の判決にみられる裁判官の行為である。この出来事が発生したのは7月であり、4月20日のKさん殺害後数ヶ月が経ってからのことなのである。裁判官はKさん殺害の理由としてアフリカケンネルの経営難を挙げ、その実態を述べるのに、なぜこのようなKさん殺害事件の後に生じた借入金の話を持ち出すのだろうか? これではKさん殺害の理由になどならないのは誰の目にも明らかではないか。
事件発生に至るまでの資金繰りの苦しさの内実を列挙しようにも、アフリカケンネルの預貯金額は一定の線で安定している、従業員の給与支払をはじめとしてローン返済や燃料費などの経費の支払いにも滞りがない。何ら経営難の実情を見出せないので、こうして素知らぬふうをして事件発生後の借入金返済遅延の話を書き記したのではないのだろうか? さらにいえば、このような突発的な事情で借入金が発生したような場合、「手形書換」による返済遅延があったからといって、これが即経営難に結びつくとは限らないだろう。裁判所が「資金繰りの苦しさ」の証として挙げているのは、上述の2例だけである。これでは裁判所は、「判決文」ではなく「詐術文」を作成している、といわれても仕方ないのではないだろうか。

そもそも風間さんは、Kさんに売ったローデシアン犬の代金が雄と雌とで1100万円だったことを自分は知らなかったと述べている。関根氏から渡されたのは450万円であり、これが雌の代金だと信じ込んでいた、公判が始まりKさんの遺族などの証言をきいて初めて650万円だと知ったのだと主張している。これに対して、判決文は、

「Kに売った2頭の犬の各販売代金(1頭目の雌犬ルナが650万円、2頭目の雄犬トレッカーが450万円。)について、関根がいずれもそれを受領した日に風間に渡したと明言しているのに対し、風間は、公判廷においては、そのうちの450万円しか受け取ってないと弁解している。しかし、風間は捜査段階においては関根がいつも客に犬等を売ったその日のうちに売上代金を渡してくれていたことを明確に認めていたのである(乙74、78)。」(『一審判決文』p188)

と述べているのだが、捜査段階において風間さんがその日のうちに売上代金を渡されていたと供述したのは、そのように、つまり、「その日のうちに売上代金を渡してくれている」と信じこんでいたからだろう。「450万円しか受け取ってないと弁解している」とか、「風間は捜査段階においては関根がいつも客に犬等を売ったその日のうちに売上代金を渡してくれていたことを明確に認めていた」との裁判官の認定は論理の体をなしていず、実に奇妙である。これも詐術の一つではないだろうか。
関根氏が犬の売上代金をその中から幾らかを抜いた上で風間さんに渡していたことは、以下のように関根氏自身を例外として、多くの第三者が供述調書や公判廷で証言している。

1 関根氏供述
「私は、Kさんの場合に限らず、犬を売って受け取った代金は全てをその日の内に博子に渡しており、私が一部でも使い込んだということは一回もありませんでした。これは、断言できます。」(第一審 乙第64号証 検面調書)

2 Y氏供述および証言
○ 「関根の方法は、実際は80万円で売った犬の代金を、博子には嘘を言って50万円で売った事にしてその額を渡し、差額の30万円を自分の金として、女遊びの金に使っていた、という事をしていたのです。」
○ 「犬の売上金額を博子に対して嘘をついて、その差額を握っていた事が何度もあった。」(第一審 甲第561号証 員面調書)
○ ――そうすると、関根被告人が、少なくとも、一度もごまかしたことなく全額渡しているなんてことはうそですか。 との尋問に対し、「そんなことはあり得ないです。」(第二審 第11回公判、平成16年9月1日)

3 Mさん(注:アフリカケンネル従業員)証言
「例えば、20万円の犬を売ったとして、逆にわざと15万円でしか売れなかったというふうに(風間に)言ってあるという話を(関根から)聞いたことはあります。」(第一審 第49回公判、平成10年4月16日)

風間さんは単にこれらの事実を知らなかったと述べているのだ。裁判官は風間さんの主張を「弁解」として斥け、また第三者の目撃証言をも黙殺し、関根氏の「私が一部でも使い込んだということは一回もありませんでした。」という発言を信用し、認定しているのだが、これは判決文における下記のような関根評を見ると、不思議なことに思える。判決文はこう述べているのである。

「四 アフリカケンネルの営業実態及び被告人関根の虚言癖等
1 被告人両名が経営するアフリカケンネルは外国犬を輸入して繁殖販売することを営業の主力としていたが、特にアラスカン・マラミュートの繁殖販売に力を入れており、各地で開催されるドッグショーに出陳して度々入賞したりして同業者らから注目を集めるようになるとともに被告人関根はアラスカン・マラミュートの第一人者とも評されるようになっていったが、被告人関根は、だれかれ構わず、「俺はヘリコプターやヨットも沢山持っている。」「ぱちんこ屋も10軒は持っている。」「群馬のサファリパークは娘に経営させている。」「金を2トンも持っている。」などと、自分が桁外れの大事業家であるかのような途方もない嘘を言い触らしていた。また、被告人関根は、事業の成功者としてマスコミにも登場するようになったが、昭和63年9月に放映されたテレビ番組(タイトル名は「男のBEタイム」。評論家の猪瀬直樹が著名人と対談するというもの)に著名人物として出演した際には、番組の中で、「群馬の猿ヶ京に山を買って、そこにライオンやヒョウ、トラなど猛獣を48頭も飼っている。(自分は)それに餌を食べさせるために生きているようなものだ。」「アフリカには11年ほどいて動物保護指導員をやっていた。アフリカでライオンと向かい合ったことも何度もある。」「その後はアラスカに行って8年間一人で滞在し、クマやオオカミなどを身近に見ながら生活していた。」などととてつもない嘘を振り撒き、更に月刊誌「ペット経営」からの取材に応じて自己の経歴やアフリカケンネルの事業内容等について説明した際にも、「自分はアフリカに11年、アラスカに8年、シベリヤに2年いた。青年期からの半生を炎熱、酷寒の地で過ごした。」「サファリを経営し、トラやオオカミ、ライオン、ワニなどを飼っている。」「ヘリコプター3機、2億円以上の高級クルーザー2隻も持っている。」「鹿、牛などの生肉を常食として第四婦人まで愛域を広げ、正月にはファミリーと一堂に会して新年を祝っている。」「シマウマの血を体に塗りたくり、ライオンの群の中に突進し、瞬く間に牛一頭を白骨化しつつある15万匹の凶暴なピラニアが群遊する沼に素足で入り、英国BBC放送をして『ジャパニーズ・ターザン』と呼ばしめた。」「自分は兄弟姉妹には医者や弁護士がいる中で旧制浦和高校から京都大学に進学した。」「全国11か所に遊技場を経営している。」などと口から出任せの虚言を並べ立て、右雑誌の平成4年2月号にその旨の記事を掲載させた。(『一審判決文』p15~19)

関根氏の虚言癖は、上記判決文で述べられているような途方もない大風呂敷を広げるにとどまらず、すぐにばれてしまうに決まっているような嘘でも平然とつくという特徴も併せ持っている。古い友人からも「天性の嘘つき」と評される関根氏のこの性向が事件の鍵だと思われるので公判調書から以下に幾つか引用する。

平然と、見てきたような嘘を並べる関根証言の危険性

風間さんが関根氏と知り合ったのは、昭和58年(83年)の8月であった。弁論要旨によると、Aという男友達から誘われて熊谷市榎町にあったアフリカケンネルの犬舎を訪ね、それが初対面だったとのことである。このA氏が関根氏と知り合ったのは、風間さんの妹と一緒に荒川に遊びに行き、そこに犬を連れて散歩に来ていた関根氏と偶然会い、その日のうちに犬舎に遊びに行って以後親しく出入りするようになったそうである。関根氏は、下記のように、初めて会った風間さんが、その日のうちに1000万円の犬を注文したのだとビックリするような法廷証言をしている。

あなたが今記憶しているのは、Aとの出会いはどの機会だったんですか。
   「一緒に犬を買いに見えたときに、Aという人間を風間から紹介されました。」
風間から紹介されたの。
  「ええ。そうでないとAは知りませんでした。――不自然も何然もありません。(風間は)犬を買いに来て大っぷろしきを広げたんです。1000万の犬を。――」
初めてあなたの犬舎を訪ねたときに、1000万円くらいのアフガンハウンドを、正式に風間被告人は注文したんですか。
  「しました。だから、驚いたんです。――いや、注文をいただきまして、非常に犬のことをよく知ってまして、アメリカチャンピオンで現役、ナンバーワンの犬、色はブラックタン、黒とタンがあるやつ、黄色のやつです。タンが欲しいと。予算は1000万円だと。初めはすぐ払うという話から、頭金を500もらって犬が来たら、それで取り替えると、それでよろしいでしょうか、という話でありました。」(第一審 第78回公判 平成11年7月19日)

上記の関根証言はまるっきりデタラメなのである。A氏は、自分が風間さんを関根氏の犬舎に連れていったことを証言、初訪問の時に風間被告人がアフガンハウンドという犬を注文したのかという尋問に対しては「いや、そんな話は全然聞いてもないし、なかったです。」、また当時風間さんが輸入犬であるとか、大型犬であるとか、チャンピオン犬であるとかの犬の知識を持っていたかと尋ねられると、「当時は、まったくなかったと思います。」と答えている。(第一審 第97回公判 平成12年3月16日)

平成4年(92年)の暮れ、アフリカケンネルに税務調査が入ったということで、関根被告は「愛犬ジャーナル」のKK氏に弁護士を紹介してほしいとの依頼の電話を入れたそうである。KK氏は、下記のように証言している。

だれから、その話を聞いたんですか。
  「それは関根元さんから聞き、電話ありました。」
その話を、関根被告人が証人にしたわけですか。
  「ええ、私に連絡がありましたんで。」
どういう連絡がありましたか。
  「いや、税務調査が入ったという連絡だったんです。それで私、それじゃっていうんで、S弁護士をと御紹介したんです。」
ところで、税務調査に関しては、関根被告人からの連絡ということですけども、風間被告人のほうからは証人に相談があったり、なんか話をされたりということはありますか。
  「全く、ありません。」
  (それ以降も)「一切ないです。」(第一審 第96回公判 平成12年3月9日)

しかし、この弁護士依頼の件に関する関根氏の証言は次のとおりである。

そのS弁護士さんですが、どなたからか紹介をされたんでしょうか。
  「いや、私は全然知らないです。ただ、風間が、東京のその先生のところへ行くという話だったもんですから。」
「愛犬の友」という雑誌の、何か社長さんか経営者から紹介されたわけじゃないんですか。
  「後で、行っちゃってから、行く途中、そこに寄って、初めて分かったんです。」
  「いや、(私は)全然、そのジャーナルさんからは、そのS先生のお話は、一言も聞いていません。」
  「弁護士さんを世話するって話は聞いてません。弁護士さんとこへ行くときに突然、博子から、博子がそのKKさんち寄って、そのときに初めて、KKさんが紹介したという話を、博子から聞いただけであります。」(第一審 第79回公判 平成11年7月29日)

次は、江南犬舎落成パーティーに関する話である。関根氏の証言を尋問調書から引用する。

江南犬舎が新しくできたときに、あなたは派手にオープニングパーティーをやろうというような計画を立てた記憶はありませんか。江南の犬舎ですよ。
  「はぁ、覚えてません。」
派手にパーティーをやるということで、そのKKさんに楽団連れて来てくれと、そこで音楽を演奏して派手なパーティーやろうと、KKさんに頼んだことありませんか。
  「ありません。」「絶対ないです。」
それで、やったと言ってるんじゃないですよ。あなたがKKさんに頼んだか頼まないか、そのことを聞いてるんです。
  「はい。」 「先ほども言ったとおりです。私は頼んだことありません。」
  「断じて。」(第一審 第79回公判 平成11年7月29日)

上記の件についてのKK氏の証言は以下のとおりである。

江南犬舎が完成した後に、アフリカケネルとして、いわゆる江南犬舎の落成レセプション的なものをやるという話を聞いたことありますか。
  「あります。」
だれから聞きました。
  「関根さんから聞きました。」
  「(関根の依頼は)芸能人、呼んでくれっていう。歌い手さんを呼ぶという。」(第一審 第96回公判 平成12年3月9日)

関根氏の証言とは以上のように非常に危ういものなのである。二審の裁判官でさえ「K事件に関する関根の捜査段階における供述は、その供述経過及び内容を子細に検討するとき、当初、風間の関与を一切述べていなかったのに、次第に風間の関与について述べ始め、終わりころには風間が主導してKを殺害したと言い始め…」と認めないわけにはいかなかったほどなのだ。
風間さんの殺害関与に結びつく具体的な関根証言に関して、裁判所が、「その限度において、十分首肯できる」「その限りにおいて信用できる」「ともかく」などと、何ら明確な根拠を示すことなく関根証言を事実認定しているのは、危険であり、不当なことだと思う。

風間さんは「金銭への強い執着心」の持ち主か?

ちなみに風間さんがアフリカケンネルの会計を担当していたのは事実だが、その処理の方法は、実のところ下記のように極めて大雑把かつズサンであったようである。

「アフリカケンネルの税務申告は、ペットショップを開店した翌年の昭和63年から、被告人風間がH会計事務所に依頼するようになったが、その会計処理の方法は、売上げについては1年分をまとめてレポート用紙様のものに記載して提出し、領収証は1カ月毎のノートに貼付して、これを同様に提出するという程度の態様で、他に帳簿はペットショップの売上げ帳くらいで他にはなく、必要経費についてはおおむね固定していたから予測でき、また特別に購入する物品等については、資金的に余裕ができるまで購入しないという方法を取っていたから、特段の支障はなく、納税については税務署からの納入通知書に応じて支払いを行なっていた」旨供述する(第58、88回公判等)。(『一審弁論要旨』p274~275)

なお論告は、いたるところで、風間さんが「金銭に対する強い執着心の持ち主」だと主張している。たとえば、風間さんが知人のSD氏に運転してもらった車に乗っているとき、「あちらの道を通れば料金所を通らないですむからあちらを走って。」と話したことがあるそうなのである。公判廷の証言台でSD氏は、単に、風間は関根と違って無駄遣いはしない堅実な性格だと述べていることが証言の前後の文脈から明らかであると見えるにもかかわらず、その証言内容を検察官は論告で「金銭への強い執着」を示す一例だと主張する。また、風間さんの経営していたペットショップでは犬のシャンプーやカットなどのトリミングも行なっていたそうだが、ショー用カットとかプードル犬とか、また大型犬のアフガンハウンドとかピレネーなどの場合、あるいは体中に毛玉ができていたりして時間と技術を要するような犬の場合は、通常価格に1000円増しの料金をもらうというようなこともあったそうである。そのことをSD氏は風間さんから聞いたことがあるそうで、これも風間さんが万事派手で金遣いの荒い関根被告とは異質の性格であることや、地道で着実な生活ぶりの一端について語っているに過ぎないのに、検察官にかかると、これもまた金銭への執着の顕れになってしまうのである。また「愛犬ジャーナル」誌のKK氏は毎月ペットショップに広告代金の集金に行っていたそうであり、ドッグショーの会場で顔を合わせることも多かったことで風間さんの仕事ぶりに触れる機会多々あったようだが、公判での尋問中、風間さんの金銭感覚に関して尋ねられ、「必要なものはちゃんと必要なもので出してたですけど、無駄なお金はほとんど使わなかったです、私の知る限りでは。」と答えているのだが、実にこれも「異様な金銭欲」の根拠とされてしまっている。
これに対して、弁護人が

「本件は殺人事件であって、検察官の主張する、自分の懐に入った金銭に対する異常な執着心は、まさに殺人の動機として述べられているのであるが、右に述べた供述や証言程度で殺人の動機に価する金銭に対する異常な執着心が認められるとすれば、1円でも安い品物を求めてスーパーを選別する家庭の主婦は全て、殺人の動機とされてもおかしくない金銭に対する異常な執着心を持っていることになると考えられる。」(『一審弁論要旨』p284~285)

と皮肉たっぷりの見解で反駁しているのは至極もっともなことと思われる。

上記のような検察官主張を裁判官は全面的に承認して風間さんの殺害謀議・実行を認定しているのだから、ここでぜひとも裁判官に尋ねたいことがある。それは以下の事実に関する問題である。

Kさん殺害の当日、風間さんがアメリカへローデシアン・リッジバックの雄の代金を送金したことが意味するもの

犬の繁殖のためには雄、雌のつがいが必要だが、かといって手元に雄と雌が同じ頭数いなければならないわけではない。繁殖のためには子を産む雌は何頭いても価値があるが、雄は一頭いれば十分なわけである。複数頭いても、餌代がかかり、飼育や管理に世話がやけるだけで、繁殖業者にとってメリットはない。そして当時アフリカケンネルの犬舎にはその数ヶ月前に購入したグローバーという名のローデシアン・リッジバックのオスがいたのである。だから犬舎にとって新たなローデシアン・リッジバックの雄などまったく必要としていない状態であった。このことをまず確認しておきたい。

風間さんが関根氏の依頼をうけて被害者のKさんが注文したローデシアン・リッジバックの雄(トレッカー)の代金をアメリカ在住の業者T氏に送金したのは(平成5年)3月25日だった。この犬は4月5日に日本に到着、4月23日には検疫明けで、Kさんに引き渡される予定であった。Kさんが殺害されたのはその3日前の4月20日の夜である。ところが、風間さんはまさにこの日、4月20日の午前中に別の顧客であるKW氏が注文した同じくローデシアン・リッジバックの雄(バード)の代金を新たにT氏あてに送金しているのだ。送金額は12000ドルであった。もしこの時、この夜のKさん殺害を風間さんが承知していたのなら、23日にKさんに渡すはずの雄犬(トレッカー)が飼い主であるKさんの死によって宙に浮くことは当然念頭にあったはずであり、その犬を新たな注文主のKW氏に渡せば万事合理的であることは認識していたはずである。したがってこの日に送金などするはずがないと思われる。まして「異常な金銭への執着をもつ」風間さんなのだとしたら、なおさらのはずである。
風間さんも弁護人も、このことを法廷や趣意書などで繰り返し述べている。だが、信じがたいことに、裁判所はこの重要な事実を判決文で一切取り上げていない。

風間さんは控訴審の『答弁書に対する反論』において、4月20日に送金したオス犬(バード)には、12000ドル(約135万円。代金と送金手数料)の他に運賃、税金、検疫代などがかかり、計175万円程を要したと述べている。その日のKさん殺害を知っていて、否、殺害を決意していてこのような送金をしたのなら、大金を溝に捨てるも同然ではないか。実際、Kさんが死亡したことにより行き場がなくなったこの犬は、被告人たちの逮捕までずっとアフリカケンネルの犬舎でただ飼育されていたことを風間さんは同上『答弁書に対する反論』で明らかにしている。

裁判官は、関根氏の勧誘でKさんが買ったローデシアン・リッジバックの雌犬の送金については、前に述べたことだが、判決文において

「平成5年2月15日ころ7000ドル(当時の為替レートは1ドルが約122円)をTに送金して、雌のチャンピオン犬一頭(名称ルナ。代金5000ドル。円に換算すると約61万円)及びその娘に当たる子犬1頭(名称モカ。代金2000ドル。円に換算すると24万円余)を購入し、ルナは同月下旬に成田空港に到着した。」 (『一審判決文』p26~27)

と犬の値段のみならず経過をも子細に記している(ただ、ここで判決文が犬代金以外の手数料や運賃や税などの必要経費について触れていないことには注意を払うべきだと思う。)。それなのに、事件の真相解明のためにはいっそう重大だと思われる4月20日、すなわちKさん殺害の日の送金については一切言及していないのである。

なぜだろうか。率直にいって私は下記の理由しか考えることができなかった。
すなわち、2月15日(ころ)の送金のケースは、犬の仕入値と売値の差が大きく、アフリカケンネルが阿漕な商売をしていたことだけでなく、そのことを送金行為を通して風間さんも明確に承知していたことを示唆し、強調できるのである。一方、4月20日の送金は、前の分より高額であることもさりながら、何より、風間さんが関根氏と謀議をなしてはいなかった、Kさん殺害計画を知らなかったことの証左になるかも知れないきわめて重要な事実なのである。裁判官ははたしてそのように考えなかったのだろうか? この件は判決にあたり少なくとも四方八方からの十全な吟味・検討が不可欠な問題のはずである。なのに、裁判官は隠匿してしまった。この行為は裁判官として、これだけは絶対にやってはならないというべき重大な不正ではないだろうか。これでは被告人は防御のしようがなく、救われる余地がどこにもなくなる。
2009.07.19 Sun l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (1) トラックバック (0) l top
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