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石原慎太郎東京都知事の領土問題を筆頭とした最近の言動(最近の、といっても、これは一昔前の「三国人」発言とか、女性や障害者に対する差別発言など数々の暴言・妄言の記憶が下敷きになっていることは間違いないのだが…)を見ているうちに、若いころのこの人が書いた「完全な遊戯」という小説のことが時折りふっと頭に浮かぶようになった。小説「完全な遊戯」の内容がそうであったように、尖閣諸島(釣魚諸島)購入宣言やこれに付随しての米国での広告活動などにも、退屈しのぎのための「遊び」の動機がどこか紛れこんでいるように感じるのである。

「日本文学全集66『現代名作集㈣』」(筑摩書房1977年)には、安部公房の「時の崖」や森茉莉の「気違いマリア」など同時代の20数篇の作品とともに、石原慎太郎作の短編小説「完全な遊戯」も収められている。この集の解説によると、この作品の初出は1957年10月号の「新潮」。芥川賞受賞からおよそ1年半ほど後のことになる。「名作集㈣」の目次をみると、どの作家の場合も平等に一人一作の割り当てとなっているので、この集の編集者たちにとって、77年時点での石原慎太郎の代表作はこの「完全な遊戯」との判断があったとみてもそう間違いはないのではないかと思う。以前、山川方夫という作家も、この「完全な遊戯」を、前年(56年)に発表された「処刑の部屋」とともに傑作あつかいしているのを見たことがある。そう言われてみれば、芥川賞受賞作の「太陽の季節」がだらだらした散漫な印象だったのに比べると、こちらは全体が格段にきびきびとしていて、何が描かれているのかがはっきり分かる。内容のほうも、いまになってみるとなおさら、「太陽の季節」がひどく凡庸に感じられて読みながら退屈するのに比べ、「完全な遊戯」のほうはいまだ十分刺激的である。「完全な遊戯」の出来が「太陽の季節」よりも一段上であることは確かなように私も思う。時々この作品が頭に浮かんでくるのには多分そのせいもあるのだろう。

「完全な遊戯」は、二人の若い(と感じられる)男性が、雨の夜半、傘をさして一人ぽつんとバス停に立っている女性を車で拾うところから話が始まる。その女性を兄夫婦が夏の家用に買ったという東京の家に連れこんで強姦する。翌日他の仲間たちにも強姦させ、この女性がどうやら精神を病んでいるらしいことが分かると、処置に迷い、仲間の一人が馴染みだという熱海の旅館に売り飛ばす。しかしその後、旅館側から困っているので引き取ってくれという電話がかかってくると、三人で出かけて行って女性を秘密裡に上手に外に連れだす。そしていともあっさり崖上から海に突き飛ばして殺してしまう。これはそういうまったく身も蓋もない筋の小説である。

「日本文学全集66『現代名作集㈣』」における「完全な遊戯」の解説には、「あらゆる倫理を否定した人間の本能に根づく自然ともいえる非モラルの世界…をとことんまで追求した作品である。」「偶然から女を拾い、もて遊び、最後に殺してしまい「この遊びは安く上がったな」とうそぶく青年たちには世間の同情や共感をひくものはなにもない。けれど倫理の否定はここまで行きつかなければならないのだ。それを敢えて書いた作者の勇気と真実にぼくは脱帽したい。」(奥野健男)などと記されている。しかし、これでこの作品はほんとうに「非モラルの世界」「倫理の否定」について追求したものと言えるのだろうか。

青年たちの生活ぶりについて読者に分かることは、彼らが仲間うちでブリッジなどをして遊んでいるらしいこと、1957年という時代に自家用車を持っていること、この小説の中心人物、すなわち女性を車で拾い、最後に女性の好意と信頼感を利用して海に突き落とすことになる青年の兄夫婦は夏の家を持っていて、彼もその家を気軽に利用できる立場であること、パーティーなどにも出没しているらしいこと、仲間の一人は熱海の旅館の馴染み客であること、などである。そこから察するに、けっこう余裕の感じられる優雅な(?)生活をしている様子でもある。作品の雰囲気からいうと、彼らのグループは普段警察などの厄介になっているといった様子でもなく、みんなわりあい利口そうでもある。だからこその「完全な遊戯」と作者は言いたいのかも知れないが、しかし人間、この程度の事情と背景のもとで、実際上も心理上も別段追いつめられてもいないのに(事実、彼らの態度や言動には追いつめられたような様子はいっかな見あたらず、むしろ余裕綽々である。)、こんなにあっさりと人ひとりを殺せるものだろうか? 殺人という行為にいくまでに彼らの心理はどこで飛躍したのだろうか? 解説者は、「非モラルの世界」や「倫理の否定」の追求、と述べているが、作者はむしろ「モラル」や「倫理」について、ほとんど何もつきつめて考えていないのではないだろうか? 解説には、「人間の本能に根づく自然ともいえる(非モラルの世界)」という言葉もあるが、この殺人のどの場面が、どのようにして、「人間の本能に根づく自然」な行為であるといえるのか、疑問である。

たとえば、少年や青年による実際の殺人事件をみると、報道では一見いかにも安易に軽々に人を殺しているように見える事件でも、すこし事件の経緯を追って事情を見てみると、「安易」などとは決して言えない重い現実があり、それに押しつぶされるようにして事件が引き起こされたことを実感しないですむことはまずないように私には思える。複数の少年たちによるあの悪名高い「女子高生監禁殺人事件」にしても背後にはやはりそのようなものが感じられた。「完全な遊戯」の読後感として腑に落ちないのは、無辜の一人の女性をまさに「モノ」のように殺した直後、「この遊びは安く上がったな」という「完全な遊戯」の青年たちの今後に、作者はどうも平穏な生活を見ているように思えること、もしくはそういうことについてはほとんど何も考えていないように思えることであった。

以前の記事で、私は石原氏が尖閣諸島問題について述べた、「自分の家族を犯そうと思って強盗が入ってきたら、素手でもそこの主人は戦わないといけないんじゃないですか。 甘んじて、奥さんや娘が強姦されて、ものを盗られて、暴力沙汰に及ぶからと、あえてすべてを譲ったところで済むんですか 」という発言を取り上げたが、これは何度読んでもそのたびに恐怖をさそわれる発言である。中国が現在どのような国であるか、中国の現体制を好むか、好まないかというようなこととは無関係に、これまで中国が日本に対して「強姦」したり、「ものを盗」ったり、「暴力沙汰に及」んだこと、つまり侵略におよんだことは一度もない。日本が中国に対してそれをやったのであることは、誰もが知っている厳然たる歴史的事実である。それにもかかわらず、上記のようなことを述べる人間はたしかに相手国から「狂った輩」と言われても当然だろうが(しかもこの人はあれだけの騒ぎを自ら引き起しておきながら、なぜに尖閣列島の領有権が中国ではなく日本にあるのかについて、一言も語っていない。)、このような言動の背後には一騒ぎ起したいというようなふざけたもの、退屈しのぎの遊び、とでもいうような軽薄なものがあるように私にはどうしても思え、そこに「完全な遊戯」という小説の読後感と似たものを感じてしまう。「文学」とか「文学精神」なんてものをどのように定義したとしても、現在の石原都知事の言動にはその片鱗も認められないこと、皆無であること、その振る舞いはむしろそういう精神に完全に敵対するものであることは、上記発言の一事をもってしても、誰でもが認めざるをえないのではないかと私は思う。
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2012.08.05 Sun l 石原慎太郎 l コメント (3) トラックバック (0) l top
明日10日の都知事選は、朝日新聞から産経新聞までどのメディアにおいても、依然として現職の石原慎太郎知事の優勢が伝えられている。これはほとんど電話調査によるもののようだが、予想としてはまぁそうなのだろう(自分でも意味不明の言い方だが)。ただ、今回は過去のような「石原慎太郎圧勝の勢い」というわけでもなさそうである。これは当たり前のことであって、毎度お馴染みの「後出しジャンケン」で出馬表明した挙句、大震災後にあれだけ知性・品性の欠片もない暴言・妄言を連発したのだから、これで石原圧勝では都民の民度が深刻に疑われるだろう。ただ、時事通信の記事によると、

「 時事通信社が行った東京都知事選の世論調査では、3期12年の石原都政に対し、一定の評価を与えた有権者は72.5%に上った。具体的には、「評価する」と答えた人が23.2%、「どちらかといえば評価する」が49.3%。一方、「評価しない」は、「どちらかといえば評価しない」と合わせて24.8%だった。 」

とのことである。……沈黙…。さて東国原英夫候補は石原知事を非常に尊敬していると公言していることだし、「強い東京、優しい東京」などというちょっと耳触りがいいだけの意味も中身もあるとは思えないキャンディーのようなコピーを披露しているのをみても、期待感はまるで湧いてこないし、新鮮味も感じない。原発に関しては現職知事と異なり、政策の転換を口にしてはいるので、毒を薄め軽さを加えた小石原というところだろうか。渡辺美樹候補は原発推進派について「違和感がある」と述べているが、この時期にこういう「違和感」という言い方を聞くと原発事故をどれだけ深刻に捉えているのだろうかと聞いているこちらのほうこそ違和感、心もとなさを覚える。「経営視点で東京の再構築を」という主張にしても具体策がどういうものなのか分からないので、さして質の高い政策提言ではないのではないかと思ってしまう。

今回時間をかけてじっくりと候補者同士の政策論争ができなかったことで一番損をしたのは小池晃候補ではないかと思う。小池氏は他の候補者同様無所属で出馬しているが、日本共産党の支援を受けているし、ご本人も日本共産党所属の人のようで、当然のこととはいえ、「反石原」の姿勢が明確である。掲げている政策を見ると、①脱原発、②福祉施策の復活・転換 ③漫画やアニメの販売を規制する「東京都青少年健全育成条例」の廃止、などを公言している。石原、東国原、渡辺の諸氏と比べて、これらの政策は私たち一般庶民にとってもっとも利益になる、もっとも生活の安心・安全につながるのではないかと思う。私はこれまで日本共産党に投票したことはないのだが、もし私が都民だったなら今回は小池氏に投票するだろうと思う。日本共産党が東電に対し福島の原発の危険性をずっと以前から厳密に指摘・忠告していたことに対する敬意を表する気持ちもあるし、石原慎太郎を落選させたい気持ちもつよい。それにしても、石原慎太郎の冷酷さには汲めども尽きぬものがあることを今回またしても知らされた。小池候補は、

「石原知事は「何がぜいたくかといえばまず福祉」と言って、多くの福祉施策を冷酷に切り捨てました。私は「何が大切かといえばまず福祉」という都政に転換します。」

と述べている。何と石原知事は「何がぜいたくかといえばまず福祉」と言ったことがあるのだそうである。ウィキペディアで調べてみると1999年『文藝春秋』誌上での発言のようで、次のように記述されていた。

「何が贅沢かといえば、まず福祉」(『文藝春秋』1999年7月号)の主張に基づき、石原都知事主導で「福祉改革」(社会保障費の削減・合理化)が行われた。1999年から2004年までに以下の政策により福祉予算を661億円削減した。
 ・シルバーパス(敬老パス)の全面有料化
 ・寝たきり高齢者への老人福祉手当の段階的廃止
 ・障害者医療費助成の対象を縮小
 ・特別養護老人ホームへの補助を4年間で181億円(85%)削減
 ・難病医療費助成の対象から慢性肝炎を除外
 ・盲導犬の飼育代、盲ろう者のための通訳者養成講座の廃止 」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E6%85%8E%E5%A4%AA%E9%83%8E

「何がぜいたくかといえばまず福祉」という言葉は、病気になっても大病院の特等室に何ヶ月でも何年でも余裕で入院できるとか、失業を含めた暮らしの不安など一度たりとも味わったこともないという、ほんの一部の特権階級にいる人物、しかも自分のその特権を当然視し、その座に胡坐をかいている人物からしかまず出ない言葉だろう。まして政治家は数多くの多様な特性をもった人間に対応し、個性・特徴の異なる一人ひとりの人間を平等に取り扱い、個人の生存や生活の安全を保障していく仕事を担う。石原慎太郎のような人は政治家になど決してなってはならない人間、なってしまえば貧しい人間や病者や老人を初めとした社会的弱者にとっては迷惑千万でしかない人間だとつくづく思う。しかし、政界を見回すともう長きにわたってこういうタチの人間こそが政治家になりたがり、実際なってしまって大きな顔をしているというのが日本の政治土壌なのだ。今や権力を握りたい、権力を使って他人の上に立ち、それを存分に振り回したいという欲望が根拠のない自信と相まって野放しにされているのではないか。財界や官界にも同じことが言えるように思うが、今回の原発事故の発生、事故後の対処方法、(石原知事をはじめとした)事故をめぐる政治家の無責任な放言かつ自分勝手な言動にもその傾向が顕著に見えるように思われる。石原都知事に話題を戻すと、彼は平気で嘘をつく人でもある。それも決して笑ってすませられるという他愛のない嘘ではない。(自分への)批判を逸らしたり免れるための嘘、あるいは自分の責任を他人に転嫁するための嘘なのである。もっとも有名なのが、2001年の下記の発言であった。

「これは僕がいっているんじゃなくて、松井孝典(東大教授)がいっているんだけど、“文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババア”なんだそうだ。“女性が生殖能力を失っても生きてるってのは、無駄で罪です”って。」『週刊女性』2001年11月6日号)

これは、実は石原都知事が松井孝典氏の発言を逆の意味にねじ曲げて捏造したものであることは、松井氏はじめ多くの人が証言している。この発言が女性差別であり、女性を冒涜するものであることははっきりしているが、松井氏の人格と学者としての権威を傷つけるものでもある。逆の立場だったなら、おそらく「発言を捏造され、利用された」といってカンカンになって怒っただろう行為を、他人には平気でやるのが石原慎太郎という人物だと思うしかない。

大震災以降も、発言に嘘が多いことは変わらない。毎日新聞によると、3月14日に蓮舫節電啓発担当相から節電への協力要請を東京都内で受けた後、記者陣に対し、東日本大震災に関連して「我欲に縛られ政治もポピュリズムでやっている。それが一気に押し流されて、この津波をうまく利用してだね、我欲を一回洗い落とす必要がある。積年たまった日本人の心のあかをね。これはやっぱり天罰だと思う。被災者の方々、かわいそうですよ」と、その後よく知られることになる発言をしたが、その後、アッという間にこの「天罰」発言が世間に広まり、批判にさらされる事態になると、その夕方、都庁で行った記者会見は、

「「『被災された方には非常に耳障りな言葉に聞こえるかも』と(前置きで)言ったんじゃないですか」などと釈明したが、実際には発言していない。」
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110315k0000m040043000c.html

ということなのだ。石原都知事は自ら口にした「天罰」が問題になると、「『被災された方には非常に耳障りな言葉に聞こえるかも』と(前置きで)言った」ではないかと、記者会見の場で急きょ「前置き」(嘘)を創作し、それを昼間「言った」ことにして批判から逃れようとしているのだ。これは恥ずかしい。

3月29日には、記者会見で、やはり東日本大震災に関連して、下記の発言をしている。

「「桜が咲いたからといって、一杯飲んで歓談するような状況じゃない」と述べ、被災者に配慮して今春の花見は自粛すべきだとの考えを示した。
「今ごろ、花見じゃない。同胞の痛みを分かち合うことで初めて連帯感が出来てくる」と指摘。さらに「(太平洋)戦争の時はみんな自分を抑え、こらえた。戦には敗れたが、あの時の日本人の連帯感は美しい」とも語った。」(時事通信)

花見をするかどうかは完全に個人の判断の範疇にあることだ。都知事ごときに「自粛すべき」などと命令や指示を受けるいわれは毛頭ない。石原知事は他人に花見の自粛を呼びかけるより、少しは自分の心ない発言を自粛するよう自分自身に呼びかけたらよい。

「同胞の痛みを分かち合うことで初めて連帯感が出来てくる」という発言だが、この場合の「同胞」とは東日本大震災の被害に遭い、今も苦難のなかにいる人々のことだろう。石原都知事に「痛みを分かち合う」心情があるのなら、どうして「私は原発推進派です、今でも」などの言葉が出るだろう。しかもわざわざ被災地の福島まで出かけて行って発言しているのだ。これは被災者の傷口に大量に塩をすり込む暴力行為ではないのか。

さらに、「(太平洋)戦争の時はみんな自分を抑え、こらえた。戦には敗れたが、あの時の日本人の連帯感は美しい」という発言にいたっては、内心、思わず「嘘をつけ!」と言ってしまった。この人は、若いころ、雑誌の対談などで何度も「自分には戦争の記憶はほとんどない。」と述べているのだ。1932年生まれという世代からすると、敗戦時は中学生のはずだから「記憶がない」というのは不自然だ。しかし、兄弟二人のために親がヨットを買ってやるほどに家は裕福、物資も豊富にあったようだから、空腹には無縁。それでようやく戦争の記憶のないのも肯ける。

「戦争の時はみんな自分を抑え、こらえた。」というが、抑え、こらえる以外にしかたがなかっただけではないのだろうか。抑え、こらえなければ「非国民」として指弾・差別されるか、監獄行き。「あの時の日本人の連帯感は美しい」などというが、戦争の記憶がないという人間にどうして戦時中の日本人に連帯感があったと証言できるのだろう。私は戦争中、日本人の間に連帯感があったという説を聞いた記憶はまずない。権力に従順であったことは間違いないだろうが、石原都知事のいう戦争中の日本人の「美しい連帯感」はどこに、どのようなかたちで存在したのだろう。また石原知事はそれをいつ、どこで知ったのだろう。

昔、もう半世紀も前に、中野重治は「石原慎太郎がジャーナリズムになぶり殺しにされてゆくのを見るにしのびない、というような発言をしていた(新日本文学)」(平野謙『文藝時評 上』(河出文藝選書1978年)。初出・1956年5月)そうだが、私は別のところで同じ中野重治の「マスメディアは石原慎太郎をとり殺す気か」という発言を見た記憶もある。差別発言を初めとした暴言の類ばかりが聞こえてくる石原都知事を見ると、中野重治のそれらの言葉が思い出される。
2011.04.09 Sat l 石原慎太郎 l コメント (3) トラックバック (0) l top
石原慎太郎東京都知事は、3月25日、福島県災害対策本部を訪れ、佐藤雄平福島県知事と会談した後、報道陣に「私は原発推進論者です、今でも。日本のような資源のない国で原発を欠かしてしまったら経済は立っていかないと思う」と発言している。
http://www.gaylife.co.jp/?p=1775 (太字による強調はすべて引用者による)

この懲りない発言を私は無責任・自分勝手・軽率であると思うと同時に狂気じみているとも感じる。人が安全に生存する上での基本中の基本である大気、土壌、水は福島第一原発事故によってすでに汚染された状態である。汚染水の海への廃棄も当然のことながら、近隣諸国の怒りを呼んでいる。海外における日本の評価は今後より厳しくなるだろう。しかもいまだに事故収束の目途は立っていない。これからさらに汚染が拡大する危険も依然として消えていないのだ。もしかすると、半永久的に立ち入ることのできない地域が国土の一角にできることになるかも知れない、それも広大な範囲で、とふと思ったりして、虚しさの混じったつよい危惧を感じる瞬間があるのだが、こういう不安・葛藤を市民の誰でもが心中それぞれのかたちでだいているのはおそらく間違いないことだろう。そういう時の上述の石原都知事発言である。

石原都知事のように(与謝野・海江田などの政府閣僚もそうだが)、これまで強力に原発を推進してきて、この期に及んでなお「私は原発推進論者です、今でも。」というような発言をする政治家は、その際、同時に、これまで国内で発生した原発事故に対して推進派である自身がどのような改善策を提示し安全性への有効な援助をしてきたのか、また福島第一原発(新潟刈羽原発や静岡県の浜岡原発も同様)の深刻な危険性についてこれまで専門家や市民などから提示されてきた数多くの指摘・忠告にどのようなかたちで、どの程度、真剣な対応・取り組みをしてきたのかを詳細に説明してほしいと思う。そのような実態、実情について私などは何も知らない。報道陣も都知事の主張を黙って聞いているだけでは能がない。このような疑問を政治家たる者が有している責任問題として追求し、問いただすべきだろう。石原都知事は「資源のない国で原発を欠かしてしまったら経済は立っていかないと思う。」とも発言しているが、さまざまなエネルギー政策の手法を提示した上で「立っていく」と主張している専門家も幾らでもいるのだから、こういう発言をするに際しては必ず論拠を示した上で述べるのが常識だと覆う。

最悪の場合には日本の土地も人間も破滅させかねない、その上近隣諸国の空や海にまで放射能をまき散らすという犯罪的事故を発生させているのだから、政治家の責任はこれまで原発を推進してきたさまざまな勢力のなかでも東電とともに断トツに大きいのだ。その自覚がこの人には皆無のように思える。今なお「原発推進論者」であると表明するのなら、まず、今述べたように事故発生までの原発に関する自分の言動・行動が知事としての責任を伴ったものであったことを明確に説明し、次に、今後二度と重大な原発事故が発生することはないという科学的・合理的根拠を聞く者が心底納得いくまで説明すべきであろう。なぜなら、この問題は私たち市民の生命と生活を根底から左右し、揺るがす重大事だからである。それをしないで、「私は原発推進論者です、今でも。」とこともなく述べられたのでは、徹底的に自省力を欠いた人間の無責任な放言としか感じ取れない。

もっとも私はそのような責任ある態度を石原慎太郎という人物がとれるとは情けないことだがとうてい思えない。というのも、2000年4月26日に日本原子力産業会議(現日本原子力産業協会)の講演で石原都知事は下記のように発言している。

「私は、完璧な管理が行われるのであれば、東京湾に立派な原子力発電所を作ってもよいと思います。 /
日本にはそれだけの管理能力がある、技術があると思っております。また、その技術が改善されていく余地があると思っております。それくらい冷静な認識を持たないと、何でも反対ということでは禍根を残すこととなります。

石原都知事の「東京湾に原子力発電所を作ってもよい」という発言はこのときだけのことではなく、講演やテレビなどで昨年まで何度も同じ発言を繰り返しているのだが、「日本にはそれだけの管理能力がある、技術がある」「その技術が改善されていく余地がある」という彼の発言がまったくいい加減なものだったことは、今回完膚なきまでに証明されてしまった。日本には管理能力がある、技術がある、その技術はさらに改善される余地がある、そしてそのような見方こそが「冷静な認識」である、と首都の長として公言してきたこととこの悲惨な現実のギャップに対する感慨(?)は如何なのだろう?

ちなみに、石原慎太郎が原発安全論を盛んに語っていたちょうどその頃、音楽家の坂本龍一が自身の父親について対談でこんな話をしているので引用しておく。

「うちの父がいま80歳です。「どうしてこんなになっちゃったんだろう」というんですよ。「日本人ってどうしてこんなになっちゃったんだろう」って。原発で人為的な事故が起こったでしょう。しかも誰もきちんと責任をとらない。ぼくにポロっと言ったことがありますよ。「日本人は、こういうことだけはやらなかったのにな」って。」 「もう生きていたくないという気持ちもあるでしょうね。見たくないっていう。」(「反定義 新たな想像力へ」辺見庸×坂本龍一(朝日新聞社2002年))

石原知事より、坂本龍一のお父さんの方が比べるのもはばかられるほど正確に現実を見据えていたと私は思う。また石原知事は今回の事故を惹起した東京電力に対し「蹴飛ばしたくなる」とも発言しているが、理由は異なるにしろ、誰かれに「蹴飛ばしたくなる」と言われても仕方がないのは自分も同じではないだろうか。都知事のこの発言に対して「石原節は健在だった」と書いた新聞記者もいたが、おもねっているのか、能天気なのか、情けなさすぎると思う。かりにも新聞記者ならば、石原慎太郎がこれまで熱烈に原発を推進してきたこと、東京湾に作ってもいいほど日本の原発は安全だと吹聴してきたこと、さらに核武装論者でさえあることも承知しているだろうに。今年(2011年)に入ってからでも、彼は、

「ちょっと抵抗あると思うけど日本と韓国が一緒になって核兵器を持たなくてはダメ。それが一番いい。アメリカも助かりますよ」(「石原慎太郎、産経紙上で大放談」2011.01.03)

と平然と核武装論を唱えている。福島第一原発事故発生後の「天罰」発言や「今でも自分は原発推進論者」という発言をこの「核武装論」や前述の「原発安全論」と照合・勘案して考えてみると、石原慎太郎が東京電力を「蹴飛ばしたくなる」のは、これまで率先して原発安全神話を振りまいてきた自分のメンツが今回の事故で傷ついたこと、また永年の夢(?)である日本の核武装が当面遠のいたと思わざるをえないことなどへの苛立ちのせいではないかという気もする。いずれにせよ、東日本大震災後のこの人の発言には、一つとして強烈な違和感を覚えさせないものはないように思えるのだが、それが被災者や被災地の農・漁業を営む人々が蒙っているさまざまな苦難や市民一人ひとりの生活の安全などより、「原発」「核武装」への自己の執着の方が大事という石原慎太郎個人の「我欲」によるものでなければ幸いである。
2011.04.08 Fri l 石原慎太郎 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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4月10日の統一地方選挙だが、東京都知事選は事前の情勢調査によると、当選すれば四期目になる石原慎太郎の優勢が伝えられている。一体なぜ? 自分たちにとってどんなよい政策が石原都政の12年間にあったのか、東京都在住の人は投票前にもう一度振り返り、静かに考えてみてもいいのではないだろうか。よかったことは、ディーゼル車の排ガス規制に取り組んだこと? カラスを退治してくれたこと? しかしどんな無策の知事だって、人間であるかぎり、よくよく検討してみれば一つや二つよい政策も行なっているのが普通だろう。石原慎太郎を実行力があると評価する人もいるが、実行してはまずいことを実行したり、無駄なこと、無理なことに懸命に力を注ぎ多額の税金をドブに捨てるような結果を招いたりしたのでは、それを「実行力がある」といって称賛はできないだろう。石原慎太郎の政策とはまさしくそのようなものだったのではないだろうか。

東京への五輪招致にしても、2012年は中国での五輪から間もないのだから、同じアジアの地である日本で開催することは初めからまったく勝算の見込みのないだろうこと、それなのに大金を使って大騒ぎしているということは落選前からスポーツ関係者を初め多くの人が感じ取っていたことである。スポーツジャーナリストの谷口源太郎氏も、早くから「東京でオリンピックが開催される現実性はない」と断言していた。(「日刊ゲンダイ」2007年3月8日)(以下、太字による強調はすべて引用者による)

「石原知事は2016年の五輪に名乗りを上げています。しかし、08年の北京五輪のあと、12年のロンドン大会を挟んだ8年後に同じアジアで開催されることは慣例でありえない。そんなことは関係者の間では常識です。しかも、2016年は12年五輪の選考で惨敗した米国が総力を挙げて招致活動してくるし、5大陸でまだ開催されていない南米が隠れた大本命です。
 だいたい、アジア蔑視発言を続ける石原知事では、中国などのアジア諸国が猛烈に反対する。東京が選ばれる余地はない。JOC(日本オリンピック委員会)の本命も2016年ではなく20年招致です。」


   

上記の谷口氏からも石原慎太郎の「アジア蔑視発言」の悪影響という批判が出ているが、当然のことと思う。また、「石原コンクリート都政の問題点を明らかにしたシンポジウム」(2010年02月15日開催)で山口義行・立教大学教授は新銀行東京の問題について論じているが、まず、石原慎太郎という人物のキーワードとして、「徹底したウケ狙い」、「無理を押し通すための無駄」、「責任のなすりつけ」の3点を挙げているが、五輪招致の問題もさることながら、「銀新行東京の問題にこそ、その体質があからさまに出ていると思われる。山口義行氏の発言の要旨が出ているので以下に引用させていただく。

「 新銀行東京はウケ狙いで始まった。金融機関の貸し渋りから中小企業を救済するという名目を支持した人々も少なくなかったが、新銀行東京の参入時は貸し渋りが一段落し、金融機関が貸し出し競争を再開した時期であった。そのために中小企業の資金需要は乏しかったが、新銀行東京は無理をしてでも業績を伸ばそうとし、資産を食い潰していった。
 そして破綻が明白になった後は責任のなすりつけである。偉そうなことを言っている人が責任をとらないことは教育上悪影響を及ぼす。今では新銀行東京から借り入れると、他の金融機関が見放した倒産寸前の会社と思われてしまうと中小企業経営者層から敬遠されている。
 新銀行東京は2009年度中間決算で初の黒字になったが、そのカラクリも明らかにした。融資先の倒産に備えて積み立てた「貸倒引当金」を取り崩した見かけだけの黒字である。一日も早く整理することが必要と指摘した。 」

2008年3月7日の都知事定例会見では、新銀行東京創設者としての責任について訊かれ「私が最初から社長ならもっと大きな銀行にしていた」、旧経営陣については「聞く耳を持たぬ唯我独尊という姿勢ではだめだ」とのこと。何が起きようと自分は決して悪くない。悪いのはすべて他人の無能力であり不徳であるという一念は、今回の東日本大震災で大きな批判を浴びた「天罰」発言にも通じるものであり、根っこは同一なのだ。石原慎太郎につける薬は今となってはもうそうそう見つからないだろう。

新銀行東京の問題は最近メディア上で以前ほどは取り上げられなくなった。上記のように「2009年度中間決算で初の黒字になった」からだと思われるが、上記の山口氏の説明によると、これは誰しも合点のいく説明だと思うが、「積み立てた「貸倒引当金」を取り崩した見かけだけの黒字」ということである。その他に、築地市場の豊洲地区への移転問題もある。土壌や地下水が有害物質で高濃度に汚染された旧東京ガス跡地であることに加え、今回の震災の影響で移転予定地は液状化に見舞われているという。東京新聞「こちら特報部」(2011年3月17日)に、「築地移転先、地震で弱点露呈 豊洲が液状化」と題された記事から一部を引用する。

「 都は市場移転を進めるに当たり、土壌汚染対策工事を行う予定だ。深さ2メートルの土をきれいな土と入れ替え、その上に厚さ2.5メートルの土を盛り、アスファルト舗装をするというものだ。費用は586億円もかける。
 液状化対策も行うが、主に2つの工法を採用する。
 1つは、圧力をかけた砂の柱を打ち込んで固める「砂杭締め固め工法」。もうひとつは、固化材で地盤を格子状に固める「固化工法」だ。
 地表から5~10メートルの深さにある有楽町層と呼ばれる不透水層まで施す方針。都の担当者は「砂や水が不透水層の下から突き抜けて、盛り土の上まで出てくることはあり得ない」と説明する。

 しかし、豊洲の危険性を追及してきた一級建築士の水谷和子さんは、「いずれの工法も、液状化対策としては不十分」と指摘する。
 「砂杭工法は、砂が固まっている最初のうちは効果があるが、時間がたつにつれて砂は緩んでくる。固化工法は液状化を想定する不透水層の下まで施さないと効果がない。現場の土は油分を含んでいて、セメントで固める固化工法には適していない」

 元通産省地質調査所主任研究官で「日本環境学会」元副会長の坂巻幸雄氏も「豊洲は地盤が弱く、震度5程度でも液状化は起きるとみていた。首都圏直下型の地震が起きれば、こんなものではないだろう」と続ける。
 「都の液状化対策は、頭の中で考えただけの教科書的な手法。具体的な詳しい工法は明らかにされておらず、実際に地震が起きたら通用するかどうかはまったく分からない」

 不透水層までしか液状化対策をしていないことについて、坂巻氏は「都は不透水層の下の深い地点の汚染を十分に調査していない。阪神大震災では液状化で20メートル以上の深さから地下水が噴き上がった例が報告。10メートル程度の深さしか対策を施していないのでは、安心できない」と懸念する。
 水谷さんも「不透水層の下には砂の層があり、汚染物質の溶けた地下水が流れている。この砂が噴き上げてくる可能性は否定できない」。

 都が委託したコンサルタント会社がまとめた地盤解析報告書では、不透水層の有楽町層でも液状化の可能性がある地点があることを指摘する。
 水谷さんは「この報告書は2006年にまとめられていたのに、公表されたのは09年。土壌汚染対策をまとめた都の技術会議でも報告書の内容が議論された形跡はない」と、都の隠蔽体質を批判する。

 坂巻氏は福島第一原発の事故を引き合いに強調した。
 「原発の惨事は技術を過信して突き進み、起きた。あまりに自然の恐ろしさを軽視している。都は、液状化の実態を公表して、その上で豊洲の安全性についてオープンな議論をすべきだ」」(東京新聞「こちら特報部」)

築地市場の豊洲移転にまつわるこのような実態を見ていくと、上の坂巻氏が述べているように、さまざまな疑問や懸念の声に誠実に答えることなく移転を強硬しようとする石原都政が、「原発は絶対安全」と言い切って強力に原発を推進していた勢力の姿と二重写しになって見えてくる。上述したシンポジウムで日本消費者連盟の吉村英二氏は、「集荷力の向上についても、土壌汚染が発覚した豊洲には誰も出荷したがらない。営業しながらの再整備も可能である。東京都は臨海の開発に失敗し、膨大な赤字がある。築地市場の土地を売却したいだけである。」と述べているが、この見解にリアリティを感じないわけにはいかない。
2011.04.06 Wed l 石原慎太郎 l コメント (2) トラックバック (0) l top
石原慎太郎は1999年に都知事に就任した後、翌年から「三国人」発言をはじめとして次々と差別発言などの舌禍事件を引き起こしている。これをみてその都度私も驚き呆れたり、怒りをおぼえたりしたのだが、当時、この件に関して一番つよく実感して暗澹たる思いがしたのは、それを報じるマスコミの腰が最初から引けているようにみえたことだった。何に怯えているのか、石原慎太郎やその周辺の迫力・威光になのか、彼に対する世間の空気が以前とは異なることを察知してなのか、特にテレビでは各局のレポーターが終始自身の発言に慎重に、というより臆病になっている様子で、石原発言の問題点の明確な指摘、徹底した批判はほとんど聞かれなかったように思う。

それで彼の国会議員時代はどうだったかと振り返ってみたのだが、どう考えてみてもこれほどの腫れ物扱い状態ではなかったように思えた。そもそも石原慎太郎の国会議員としての存在感は年ごとに希薄になっていったのではなかっただろうか。議員生活の終盤、私にはっきりしていたのは「青嵐会」の一員であることと、横柄な態度、問題発言でよく顰蹙を買っている政治家という印象だった。95年に自ら議員を辞めたときはさすがに大きな話題になったが、かといって辞職を惜しむ声は世論においても特になかったのではないだろうか。作家の瀬戸内寂聴さんが、石原さんは文学者だから、と議員辞職後の作家活動への期待を述べていたことは印象に残っているが、それも寂聴さんが石原慎太郎に好意をもっているらしいのをちょっと意外に感じたからであった(二人には作家デビューが同時期だったという縁があるらしい)。

石原慎太郎の都知事就任の1、2年後だったか、それとももう少し後だったか、目に余る暴言、傍若無人の振る舞いが許されている理由について都内在住の知人に話をしてみたことがあるのだが、知人は、「青島前知事への支持者をはじめとした都民の落胆失望。これが最大の原因ではないか」という意見を述べていた。個人的に知っている都の職員が、二人を比べて「やはり石原さんでなきゃあ」と言っていたとも話していた。確かに青島氏は知事に就任した当初からすでにいろいろな意味で燃え尽きてしまっていたのか、如何にも無気力そうに見えたし、何より施策面で新宿西口地下道のダンボールハウスの強引な撤去など、支持者の期待を裏切る行動がつづいたことは間違いないと思われる。しかし、かといって、そのことが新知事の暴言・横暴が許される理由にはならないはずなのだが、結果としては前任者の不評も石原慎太郎に追い風となったのだろう。2001年の小泉総理が初めから世論の熱い歓迎を受けた背景の一つに前任者がひどく不人気の首相だったことがあったと察せられるが、共通点があるように思われる。こういう場合こそ私たちは慎重にならなければならないという教訓は過去に枚挙の暇がないほど得ているはずなのだが、同じことを繰り返している。

もう一つは、これがじつのところ石原都知事が人気を得た最大の理由ではないかと思うのだが、99年は「周辺事態法」や「自衛隊法改正」などの日米新ガイドライン関連法、通信傍受法、国旗・国歌法、改正住民基本台帳法が成立した年、有事法制の準備が着々と進められていることが誰の目にも明らかになった年だった。このころから国家主義的傾向の濃厚な勇ましい発言に対して、それがいかに非論理的なものであろうと、憲法を正面から蹂躙するようなものであろうと、結果的に弱い者、異質な者をいたぶる性格のものであろうと、これまでのように呆れられたり、冷眼視されたり、厳しく批判されるということなく、何となくそのまま通り、いつの間にか受容されてしまうという空気が至る所で急速にできていったように思う。そのような空気は石原慎太郎の個性・資質にピッタリ、相呼応するものだったに違いない。

もともと日本は「みんなで渡れば怖くない」「長いものには巻かれろ」式の、個人が極度に孤立を怖れ(させられ)る、集団意識の過剰な社会。前回も引用した『二つの同時代史』で埴谷雄高が述べるところによると、戦後すぐ雑誌『近代文学』を発刊したときGHQの検閲を受けなければならなかったわけだが、実際に検閲するのはGHQに雇用された日本人だったとのこと。ところが日本人は茶坊主型が多くて、「あとで問題が起きたとき責任が自分にかからないように、これはアメリカの占領方針に反するだろうと、できるだけ拡大解釈して、ほんとに小さなことでもチェックして返してくる。」そうで、日本人が日本の作品を「自己規制」し、なかには上のアメリカ人への削除報告が多いほどいいと思っているような茶坊主もいたそうである。埴谷雄高は「おれは、権力者に対する茶坊主ぶりでは、日本人は世界のベストテンのなかにはいると思ってるよ。」と嘆いていたが、いやいや今ならベストテンどころか、ベストスリーに入ってしまうかも知れない。笑い事ではなくて。

そういう情勢の下、石原都知事には最初からお誂え向きの舞台が整えられていたのだろう。その延長上に橋下徹大阪府長の誕生もあったのではないかという気がしているのだが、また、佐藤優氏の登場も同一線上にありながら、こちらは時代を画するような深刻かつ特異な出来事だったように思うのだが、この件はまた別の機会に。

つい先日、ネットのニュース欄で石原慎太郎本人が「総理大臣になれないと思ったから、それでは都知事に、と考えた」という趣旨のことを語っているのを読んだ。99年の知事選出馬は唐突に思えたが、では国会議員を辞めたときから都知事選に出る計画をもっていたのだろう。もちろんそれは本人の自由。問題は、上記の総理大臣云々発言でも分かるとおり、権力欲は人一倍つよいらしいのに、いざ望みどおりにトップの座につくと、権力を握っているという自覚、それに付随する責任感などは、権力欲の十分の一も持っていないらしいことである。その顕われが数々の暴言・妄言であり、施策の失敗や問題点の指摘に対する他者への責任転嫁と論理も何もない駄々っ子のような弁解や反論であるだろう。

これまでに石原慎太郎が行なってきた独善的言動の実例は挙げればきりがないほどあるわけだが、最近はこの得意芸にいよいよ磨きと拍車がかかって、マツコ・デラックス氏の表現ではないが、何か錯乱状態に陥っているようでもある。昨年12月3・7日には同性愛者についての驚くべき発言があり、つづいて15日には都知事ご執心の「東京都青少年の健全な育成に関する条例」の改正案が可決された。まずは同性愛者に対する差別発言から。かなり話題になった事件(?)だし、たいていの人は知っていると思われるが、一応、12月7日付の毎日新聞のネット配信記事を引用しておく。

「 東京都の石原慎太郎知事は7日、同性愛者について「どこかやっぱり足りない感じがする。遺伝とかのせいでしょう。マイノリティーで気の毒ですよ」と発言した。石原知事は3日にPTA団体から性的な漫画の規制強化を陳情された際、「テレビなんかでも同性愛者の連中が出てきて平気でやるでしょ。日本は野放図になり過ぎている」と述べており、その真意を確認する記者の質問に答えた。
 7日の石原知事は、過去に米・サンフランシスコを視察した際の記憶として、「ゲイのパレードを見ましたけど、見てて本当に気の毒だと思った。男のペア、女のペアあるけど、どこかやっぱり足りない感じがする」と話した。同性愛者のテレビ出演に関しては、「それをことさら売り物にし、ショーアップして、テレビのどうのこうのにするってのは、外国じゃ例がないね」と改めて言及した。」(2010年12月7日 23時08分)

外国の実情はよく知らないが、「外国じゃ例がない」は怪しいと思うナ。障害者差別発言のときは、人間の生死という重大な問題について、外国だったら安楽死になるのではないか、云々と根拠も示さずに嘘くさいことを述べていたようだが、今回も同様のように思われる。立場もあるのだから、何事もちゃんと裏をとって正確な話をするという人間一般の基本中の基本くらいは心得ていてほしいものである。

親しかったという三島由紀夫も同性愛の傾向があったことは今ではほぼ定説とされているが、三島もやはり「足りない感じが」したというのだろうか。三島に限らず、文学者(芸術家)には同性愛的傾向をもった人物は多いようで、ジャン・コクトーも同性愛者として知られている。石原慎太郎は、『灰色の教室』という短編小説のプロローグにコクトーの小説『怖るべき子供たち』の有名な一節を引いている。また、他の作品でもコクトーの凄さについて語っているのを読んだことがあるが、コクトーもまた「足りない感じ」であり、「マイノリティーで気の毒」(それにしても、ここでの「気の毒」という言葉は何と酷薄なイメージを伴っていることだろう。)なのだろうか。文学は弱い者、苦しむ者のために存在する。少なくとも、文学は弱い者いじめを根底から否定するものである。そう私は常々実感し、ふかく信じているので、こういう石原慎太郎を作家・小説家とは思っても、文学者とは思えないし、思わないのである。作家の精神は必ず作品に現われずにはすまないと思う。

「青少年の健全な育成に関する条例」については、多くの反対意見が出ているが、読ませていただいた意見には共感することが多かった。思想・言論・表現・道徳の領域の問題について、国家はもちろん地方公共団体などの公的機関が取り締まり役として関与することは止めてもらいたい。漫画を描く前に萎縮してしまうと漫画家の方が述べているのは当然だと思う。戦時中の最後の十年間の日本には詩や小説など文化面の創作品で見るべきものはほぼ皆無であった。言論・表現の自由が奪われていたからである。敗戦後の十数年間に今でも読むに堪えうる秀作が続出しているのは、何はともあれ軍部や特高が姿を消し、個人に思想・言論・表現の自由が保障され、社会に自由・解放感が戻ったからであることに疑問の余地はないだろう。

正直にいって、石原慎太郎の小説の取り柄は、三島由紀夫が『完全な遊戯』で述べているところのスピード感、それから物怖じすることのない単純な若々しさ、勢いのよい筆づかいなどにこそ(のみ?)あるのではないだろうか。それらは規制の存在するところではたちまち枯れ死してしまうものだと思う。かつて彼の作品を批判する人はたくさんいたが、すべて言論によるものであって、規制やら取り締まりやらをいう人は誰一人いなかったはずだ。脳裏に思い浮かべもしなかったろう。

条例可決後の12月17日の記者会見で、石原慎太郎は、一人の記者に、「真実の性教育」(カッパ・ホームス1972年)という著書のなかで「いかなる書物も子供を犯罪や非行に教唆することはない」と記し、「表現・言論の自由」を規制することは無意味と述べていたことを指摘されると、「そのころの私は間違っていました」とすかさず応えたそうである。この返答をみると、暴力シーンや性描写の多かった若いころの自作に忸怩たる思いがあるのかと考える人もいるかも知れないが、そのようなことはまったくない。福田和也・田原総一朗、両氏との対談インタビューで語っているところをみると、石原慎太郎の自作への愛着、自負は大変なものである。自分がそうであるなら、他人も同様ではないかという最低限の想像力がこの人にはいつでも欠如しているようだ。それから条例改正にいたるまでの手続きの不適切さは目に余るもので、その独善性、傲慢さには怖ささえ感じられた。
2011.01.27 Thu l 石原慎太郎 l コメント (0) トラックバック (0) l top
福田和也氏は次の文章でも石原慎太郎に過度にいい役を振り過ぎだと思う。

「 江藤(淳)、三島(由紀夫)のような意識的な書き手ですら、石原氏にたいしては、過度の親愛の情と妬視から自由になれませんでした。
 私も同様です。 」(『石原慎太郎の季節』)

福田氏が石原慎太郎に対して「過度の親愛の情と妬視から自由になれ」ないのは、石原慎太郎に魅力を感じない私などには実感として理解しがたいこと、むしろ「変わってるナ」と感じることだが、本人がいうのだからきっとそうなのだろう。しかし、江藤、三島が石原慎太郎に「過度の親愛の情と妬視」を持っていたという実例などの根拠を本書で何も示してはいないのに二人の名を挙げ、「私も同様です。」とは、軽率のそしりを免れないのではないだろうか。この面々では、福田氏も含め、江藤、三島、石原と全員右翼政治思想の持ち主という共通点がある(大雑把だが、そういってもいいだろう)のだが、私には福田氏がそういう内輪の人間関係だけに限定して石原慎太郎を語っているようにも感じられる。

真面目にはあまり誰も問題にしてくれない作品を高く評価してくれたのなら、江藤、三島は石原慎太郎にとってよき理解者、有難い友人・先輩という関係にあたり、三人それぞれの資質を考えれば「妬視」云々には無理があるのではないか。江藤と三島もまた異なる資質の持ち主だと思うし(ついでに読者としていうと、この三人の中では『仮面の告白』を書いた三島由紀夫の力量が圧倒的だと思う。江藤淳の評論は漱石論などおもしろいと思ったこともあるが、大岡昇平も指摘し批判しているように、漱石と嫂の登世との関係について確かな証拠もないのに何事も自己の主張に都合のよいように強引な解釈をしたり、中野重治の小説『五勺の酒』をこれも自分の主張に都合よく解釈して中野重治をまるで天皇主義者であるかのように述べていて、その作家精神の誠実さには私はちょっと疑問を感じもする。前者については、漱石の次男・伸六氏が、著書のなかで、父のような人にあれほど敬愛の気持ちを起こさせた嫂とは、いったいどんな人物だったのだろうと思う、と嫂の人格・人物像への関心を述べていたが、私にはその意見が一番ピッタリくる。江藤氏の不倫説にはどうみても無理があるように思う。後者については、江藤氏の説より、藤枝静男の「志賀直哉・天皇・中野重治」における解釈のほうがはるかに公平であり、考察に深さもあると思う。(注1))、「妬視」は根拠が示されていないために、もっぱら福田氏の思惑もしくは願望によって持ち出されたもののように思える。

1958年作の『完全な遊戯』は、なぜか血や涙の一滴まで枯らしてしまっているような若者数名が通りがかりに偶然見かけた若い女性を当時は珍しかった自家用らしい車で数日連れまわし、メンバーの一人礼次の兄が所有する山荘に連れ込み、輪姦し、知り合いの熱海の店に売り飛ばし、その挙句、邪魔になったのか崖下の海に突き落としていともあっさり殺してしまうというストーリーの短編小説である。事実経過を物語る作者の態度からは無残に殺される哀れな女性の存在に対しても、残忍な若い男たちの所業に対しても、肯定や否定などの感情や批評性はなんら感じ取れない。男たちが、何をいい、何をしたか、そして知的障害者であることが暗示されているこの女性がどんな無残な結末を迎えたかという事実だけが明確に簡潔に描写されている。最後にヒョイと女性を海に突き落とす場面には呆気にとられたが、たぶんこの場面が作品の印象を強めているのであろう。この後帰りの車を走らせながら、三人の男たちは、「これでやっと終らせやがった」とか「その割にこの遊びは安く上ったな」などという会話を交わしている。

三島由紀夫が新潮文庫の『完全な遊戯』の帯として書いたという推薦文を「三島由紀夫研究会メルマガ」から引用させていただく。

「ニューヨークにゐたとき日本から来た文芸雑誌を読んで、どの小説もピンと来なかったが、石原氏の「完全な遊戯」の神速のスピード感だけはピッタリ来た。会話のイキのよさ、爽快な無慈悲さ、・・・・・・私は読者が抹香くさい偏見に煩はされずに、この、壮大な滝のやうではないが、シャワーになつて四散した現代的リリシズムを浴びせられるやうにおすすめする。」

「神速のスピード感」との評価にはなるほどと肯ける。読み始めれば登場人物にひどい奴らだと嫌悪・不快を感じたとしても、たいていの人は作品のスピード感、テンポのよさのために最後まで読みとおすのではないだろうか。「会話のイキのよさ」という指摘には、やっていることがことだけに陰湿さが付き纏っていることを付け加えてよければ理解できなくもない。でも、この作品に「爽快な無慈悲さ」「現代的リリシズム」を認めるというのは、どうだろう。「爽快」、「リリシズム」という言葉が急に安っぽく汚れたように感じられないだろうか。私はこの2点の批評が適切だとは思わなかった。でももしこの小説が人間の生活の営み、人の性格の多様性、複雑な奥行き、生命の価値などとは無関係な人工的な世界を描いたものと規定するならば、「爽快な無慈悲さ」「現代的リリシズム」という評価も成り立つのかもしれない。この箇所を読んで、私は中野重治が三島事件を批判するなかで三島の作品について語っていた言葉を思い出した。

「三島の文学には巧みなところがあり、しかしその性質が上出来のホンコン・フラワーめいたものなことを誰にしろ否定できない。生命・生存から離れて行くことのなかにそれの完成がある。(注2)」(『いくつかの事件についての感想』新日本文学1971年5月号)

「上出来のホンコン・フラワーめいたもの」という三島文学に対する表現は驚くべく卓抜だと思うが、これは『完全な遊戯』を批評した三島の上の言葉にも当てはまるように感じたのだった。
 
『完全な遊戯』には他に時代を先取りしたという声もあった(ある)ようだが、この男たちはワルではあっても精神的異常性をもった集団というわけでもなさそうで、だからこそ「会話のイキのよさ」というような評価も出るのではないか。レイプに罪悪感の片鱗ももたない連中はどうにも悪辣に違いないが、かといってこういう不良集団と確たる理由もなくゲームのように殺人を実行する集団(実在するかどうか知らないのだが)とでは、心理の動きも含めてその間には比較を絶する断絶があるはずで、彼らは世間知の上でも結構限界というような処世術は心得ていそうである。この作品発表時だけではなく、たとえ現在の世相であったとしても、この場合の殺人には極端に無理があるのではないだろうか。

三島由紀夫は読者に「抹香くさい偏見に煩はされずに」読めと勧めているが、当時におけるこの作品の悪評は「抹香くさい偏見」によるものではなく(レイプや殺人は小説において古今東西絶えず取り扱われてきた材料で、それ自体はちっとも珍しくないものである。)、むしろこの殺人の無理・不自然のせいだったのではないだろうか。

この若者グループが女性を連れ回した日数はせいぜい二、三日である。そして彼女は自分がどこにいるのかさえしかと理解している様子はない。グループの中の礼次という男の名は覚え、心惹かれている様子ではあるが、何ら騒ぎ立てるわけでもなく、終始ぼんやりとしていて物静かである。男たちは別に追い詰められているわけではないのだ。殺害しなければならない理由は何もなさそうに思える。出会ったとき彼女は身なりもととのっていたというし、「横浜」という言葉が何度も口から出るところを見ると、横浜あたりにちゃんとした家があるようでもある。拾った時と同様にどこかの街角で彼女を車から降ろし、自分たちだけ急いで立ち去ればよかったのではないか。そうすれば彼女には誰かの保護が期待できただろう。

殺害後の「この遊びは安く上ったな」という言葉にしても殺しを仕事にしているような者でもなければ、まず誰の口からも出るものではないだろう。言い換えると、この作の悪評は若者たちにあのような形で一人の若い女性を殺させる作者に動機の不純さ、軽薄さをみたからではなかっただろうか。すぐれた作品は読んでいるうちに読者を無心の境地にさせ、作品世界に没頭させる力を持っていて、そこに文学の醍醐味もあると思うのだが、石原慎太郎の作品にはこれに限らずもともとそういうものは望むべくもない。ただもしこれが新しさへの作家的挑戦だとするならば、作者はこの殺人が登場人物たちの日常の生活ぶり、性格、人の心の動きに適うものであるかどうか、十分に考えたのではないかと思うが、私は作品から、特に女性殺害後の若者たちの会話から推して、そういうものは気配さえ感じることはできなかった。

ちなみに、前記の「三島由紀夫研究会メルマガ」によると、三島は『完全な遊戯』に対して次のような所見も述べているそうである。(太字による強調は引用者による。)

赤ッ面の敵役があまり石原氏をボロクソに言ふから、江戸っ子の判官びいきで、ついつい氏の肩を持つやうになるのだが、あれほどボロクソに言はれてなかつたら、却つて私が赤ッ面の役に回つてゐたかもしれない。その點私の言ひ草は相対的であり、また、現象論的であることを御承知ねがひたい。従つて、ひいきとしては、氏の一勝負一勝負が一々気になるが、今まででは「処刑の部屋」が一等いい作品で中にはずいぶん香ばしくないものもある。

氏の人柄のタイプは、文壇ではずいぶん珍種だが、避暑地の良家の子弟の間ではごくふつうのタイプである。たとへば「太陽の季節」の背景をなしてゐる葉山あたりでも、石原氏によく似た青年はたくさん見かける。物の言ひつぷりも典型的なそれで、文壇人種のはうが、よつぽど世間からずれてゐるのである。

氏の獨創は、おそらくさういう生の青春を文壇に提供したことであらう。」(東京新聞1956年4月16日)

「……却つて私が赤ッ面の役に回つてゐたかもしれない。その點私の言ひ草は相対的であり、また、現象論的であることを御承知ねがひたい。」という言い分はずいぶん意味深長である。三島由紀夫に限らず、批評においてこういう内容が条件のようなものとして前置きに記されることはきわめて珍しいのではないか。「赤ッ面の役に回つ」た場合の三島の批評を聞いてみたかった気もちょっとするが、ここにみられる三島由紀夫の一面は、後に三島由紀夫があのような死を選択したこととなんの関係もないことなのだろうか。『完全な遊戯』に対しての「爽快な無慈悲さ」「現代的リリシズム」「抹香くさい偏見」などの言葉は私はどうも気になる。


 

(注1) 大岡昇平は本人も十分認めているごとく口が悪い。批判する場合は特に辛らつである。その点埴谷雄高はそうではない。言うべきことはもちろんきちんと言うにしても、「近代文学」でも人間関係の調整役に回ることが多かったというように、態度は概して穏やか。大岡昇平・埴谷雄高対談集『二つの同時代史』(岩波書店1984年)でも同様なのだが、江藤淳の言動・振る舞いについては珍しく厳しい(?)見方を示している。「江藤淳の「先見の明」」という小見出しまでついている。以下に引用する。

   江藤淳の「先見の明」
 埴谷 安保(引用者注:60年安保)のころのことでもうひとつおもしろいのは江藤淳のことだよ。「聲」(引用者注:当時大岡昇平や中村光夫らが出していた同人編集文芸誌)に江藤が『小林秀雄論』を書く前だよ。そのころ江藤は吉祥寺にいたから僕のところに始終きていたんだよ。もともと彼は『夏目淑石』を学生時代に書いてそれを平野謙が非常に認めたんだ。荒正人は認めなかったけれどね。そういうことがあって僕のところに学生時代にきたのがはじめなんだよ。平野さんがほめているのにどうして荒さんは私のことをけなすんでしょうと聞くから、そりゃ荒は自分が漱石の専門家だと思っているからで、そんなの気にする必要はない、批評にかぎらず文学者はほめられたりけなされたりすることは当り前で、始終あるんだというようなことを答えたりしているうちに彼は結婚して、吉祥寺に住むようになった。それ以来僕のところに始終くるようになったんだよ。
 そのとき彼はまだ若くて、「近代文学」という戦後派が、日本文学の中心だと思っていたんだろうね。それが文壇状況がだんだんよくわかってくるにつれて、鎌倉組が中心であって、「近代文学」戦後派というのは傍流だということに気がついたわけなんだよ(笑)。
 大岡 それは文壇的にだろう。
 埴谷 そういうことだ。文学と文壇の差異に気がつくんだけれども、しかし安保のころはまだ「若い日本の会」をつくって安保闘争を彼なりにやっていたんだ。それを僕も盛んに激励した。
 大岡 そのときは鎌倉組は先が知れてる、反抗するのが有利だと思ってたんじゃないのか。
 埴谷 まだ戦後派の僕らが中心だったんだね。ところが、ハガチ一事件で、左翼が羽田でやっているのを見たときからだんだん左翼がいやになってきたんだよ、江藤淳はね。実際くだらない左巽もいるからね。
 彼は社会党の大会に出席してがっかりもしたけれども、このハガチ一事件が決定的だね。そして、左翼が次第にはっきりいやになってくると、『作家は行動する』を書いたり、「若い日本の会」をつくったのは、埴谷に煽動されたからだということに落ち着いちゃったんだよ。埴谷は若いものを煽動する名人で、自分まで煽動されちゃったというわけだね。
 大岡 あとからそう合理化するんだよ。ハガチーを見て、こりゃいけねえって思ったわけじゃない。前から寝返る気があって、きっかけに使ったんだ、とおれは思うよ。江藤に『小林秀雄論』を頼みに行った、というのは安保の前だよ。『作家は行動する』の中で彼が小林の悪口を書いているんだけれども、おれは、小林の文壇で果した役割としては君の言う通りであるけれど、小林という人間は違うんだ、だからそこを少し書いたらどうかと言って、頼みに行ったんだ。「聲」三十四年十二月号「冬号」おれが編集担当だから、十月頃手紙を出した。そしたら彼もそんな問題がちょっと頭に引っかかっていたと言って、そうして連載になったんだよ。
 まだそのころは、花田清輝という人は、本当に革命を頭のなかで考えている人です、と言ってたよ(笑)。江藤の転向もだんだんなしくずしにおこったんだろうね。
 埴谷 そうだよ。なしくずしなんだよ。『作家は行動する』のころは数日おきに僕のうちにきていて、僕といろいろ話をして、『作家は行動する』を書きあげた。
 ところが、それがまちがえたというふうになったから引っくり返ったわけだが、どうもうまいときに小林秀雄のほうに行ったな。
 大岡 とにかく『小林秀雄』は安保より前だ。しかし世の中は変わってくるからな。
 埴谷 世の中も変わってくるけど、江藤淳は、ある意味で言うと、右傾化の現在を先取りしたわけで、皮肉にいえば、非常に先見の明があるとも言える。状況が現在のように変わる以前に、江藤淳はすでにどんどん変わってきている。
 大岡 それはまあ、先見の明とは言えないだろう。
 埴谷 それはほめすぎかな(笑)。
 大岡 目先に従っただけだよ。
 埴谷 もちろん目先だけれども、しかし言い方は、うまくも、へたにも、いろいろあるわけだ、いまから言えばね。
 大岡 当人は先見の明と思っているかもしれないね。 」


(注2) 中野重治のこの文章の前後をもう少し長めに引用しておく。

美学、美学とあまりに言いつのられて、反射的に醜学とさえ言いだしたくなるが、そもそも言って、美と醜とに何が決着をつけるかというと、押しつめていえば、人間とその生活とにそれがどう関係するかであるだろう。三島の文学には巧みなところがあり、しかしその性質が上出来のホンコン・フラワーめいたものなことを誰にしろ否定できない。生命・生存から離れて行くことのなかにそれの完成がある。生命・生活は、「カツコいい」という言葉を使えばなかなかカツコよくないことをもとおして維持され発展させられる。そこに真実の美が見出されてくる。三島における「カツコいい」はこれの反対極をなしていた。命から離れて行くもの、その極が「事件」へ行きついたのはある程度必然に近かつたと言つてよく、その醜と滑稽とは三島の最後の檄の文体、演説の言葉内容と演説すがた、あの組織の制服と鉢巻、わけても彼の辞世(?)の歌にあけすけに出ている。事件が即座に「狂気」「犯罪」として政府側から扱われ、それが現自衛隊にその存在の合法性を主張するのにひと役買わされたことは、日本の政治権力の帝国主義的性格を照らしだすものであり、それを私はさつき言つた(引用者注:中野重治が事件についての感想を20行ほど書いて「週刊現代」に寄稿したこと)何行かのなかで書いた。)
 しかし三島が、「菊と刀」の「刀の復権」を主張したことは意味ふかい。「刀の復権」を三島は「天皇の復権」に結びつけている。秀吉が刀狩りによつて農民から没収して彼の権力に集中した刀、明治の天皇制政府が侍その他から没収して天皇の政府に集中・改編した刀、これの復権は、それによつて脅迫され殺されする勤労人民および他国人民の、その脅迫され殺されする状態の暴力的合法化でなければならない。たぶんこれが、この事件で十ちゆう七、八まで見すごされた一つではなかつたかと私は思う。 」

この後、中野重治は「あすこには、生きた展望を失ったものの萎縮した自殺が見出される」とも述べている。
2011.01.22 Sat l 石原慎太郎 l コメント (0) トラックバック (0) l top
東京都知事で作家の石原慎太郎について論じた『石原慎太郎の季節』(飛鳥新社2001年7月)という単行本で、著者の福田和也氏は、(あとがき)にこのように書いている。

「 石原氏は、論じにくい存在です。
 文芸畑にかぎっても、石原氏を論じて読むべき文章はほとんどない。
 三島由紀夫、江藤淳、そして橋川文三、磯田光一といった書き手に、かろうじて指を屈せるぐらいのものです。
 なぜ、石原氏が論じにくいのか。
 氏の存在と活動領域の広さがなまなかの批判や分析を許さない、評者が真率であればあるほど、その大きさに眩暈を覚えるか、あるいは慎重にならざるをえないというところがある、そのためもあるでしょう。
 しかし、もっとも大きい問題は、石原氏にたいするとき、誰もが平静ではいられない、ということです。
 石原氏には、人の痛覚を刺激し、感情を刺激するところがある。
 もちろん、感情にもいろいろあります。憧憬もあれば、嫉妬もあり、羨望もあれば親愛の情もあるでしょう。」

上の文章における「文芸畑にかぎっても、石原氏を論じて読むべき文章はほとんどない。」という福田氏の指摘は事実そのとおりだと思う。70年代以降のことになるが、私も石原慎太郎の作品や人をそれなりに丁寧に論じた文章を見かけた記憶はまずないし、作家や批評家による文学に関する対談や座談会においても事情は同じだったように思う。文芸の分野で石原慎太郎が話題になるとすれば『太陽の季節』で芥川賞を受賞したときの社会的事件ともいうべき世間の熱狂に限られていたのではなかっただろうか。この『太陽の季節』によって後の大スター・弟の裕次郎が映画デビューして爆発的人気を得たのでもあり、こういう華やかな話題も一方に抱え込み、それやこれやで福田氏が本書の別の箇所で、

「『太陽の季節』は、石原氏の商業誌における処女作であり、芥川賞を受賞して文学の世界のみならず、作中の風俗を真似する「太陽族」なる集団を生み出し、社会全般に大きな影響を与えました。
 『太陽の季節』は、高度成長の入り口に立って消費社会を望見していた日本人にとって、その尖端を垣間見せる作品であると同時に、新世代の反抗の論理や、新しい享楽と倫理の形姿を予見したという意味で、きわめて鋭く時代を先取りしたものだったのです。」

と述べている内容にはおおむね同意できる。しかし、その後文芸の分野で石原慎太郎が論じられることがほとんどなかったことの理由が、さまざまな論者が石原慎太郎の「大きさに眩暈を覚え」たり、憧憬や嫉妬に「感情を刺激」され、「論じにくい」ためだったという福田氏の主張は当を得たものとは思えない。石原慎太郎が論じられない原因は、端的にいってその作品にわざわざ取り上げて論ずるにあたいする優れた作、魅力的な作がなかったこと、また作家の価値は何といってもどれだけの質量(特に質)の作品を書いたかによるのだから、そういう意味で石原慎太郎という作家も文学的にみれば魅力がなかった、批評家や同業作家の持続的な関心を惹くことも、論ずるだけの意欲・情熱を与えることもできなかったという点に尽きるのではないかと思う。

たとえば、ここに大岡昇平と埴谷雄高の対談集『二つの同時代史』(岩波書店1984年)があり、戦前戦後の作家や作品、それに纏わるさまざまな出来事や人間的諸関係などが自称・ポンコツ老人二人によって率直にまた縦横無尽に語られているが、ここには石原慎太郎の名もその作品も一切出てこない。そしてそれはきわめて自然なこと、合理的なことでさえあると思う。私はこの対談本を何度も読んでいて、加藤正などというすぐれていたらしい戦前の学者のことを知らされるなど新たな興味をおぼえさせられることも多かったのだが、読んでいて石原慎太郎のことを思い出すことは一度もなかった。もし著者二人によって石原慎太郎の作品が賞賛でもされていたりしたら(ありえないことのはずだが)、読者としての私はさぞ興醒めしたことだろう。幸いであった。

『太陽の季節』については正宗白鳥が書いていた感想が印象深い。正宗白鳥全集のどこかに載っていたのだが、あの小説に出てくる障子に孔を開ける云々の箇所は、ちっとも新しくない。自分の子ども時分、郷里(岡山)に近い官立の高等学校の寮でそういうことが日常茶飯に行なわれているという噂話が盛んに聞こえてきて、それで自分は官立の学校に行くのをやめ、私立に行くことにしたのだ、という意味のことをちょっと吐き出すような苦々しい調子で書いていた。もっとも正宗白鳥のこの言葉は、『太陽の季節』の作者に対してというより、そういうことをやたらと話題にするマスコミに対しての反感と批判だったのかもしれないが。

私は『太陽の季節』を二、三十年も前に『処刑の部屋』など他の石原作品五、六冊とともに続けて読んだのだが、そのとき不快感や疑問混じりではあったが強い印象を受けたのは『完全な遊戯』だけであった。『太陽の季節』を含めたその他の短編小説には「若さの勢い」とでもいうべきものは感じたものの、他の同時代の作家に比べても文章がかなり拙劣なのは仕方ないにしても、感覚や価値観が本質的にひどく通俗的、すでに古びていると感じた。辟易してそれ以上読むのを止めたのは、中篇の『行為と死』を読んでから。これは発表当時「観念的すぎる」という悪評を受けた作品ということだが、主人公の男性は三人称で書かれているにもかかわらず、彼による一人よがりの「俺は、俺は、俺は、」、「俺が、俺が、俺が、」という話を気負って聞かされているという印象を受けた。これは内面描写が貧しく、作品の底が浅いということを物語っているのではないかと思う。他の日本人女性二人についてもいえることだが、とりわけ押し寄せてくるイスラエル・英仏軍に家族とともに抗してスエズで最後まで戦う気構えのエジプト女性が、自分本位の「愛」を押しつけるだけの主人公のような男性に惹かれているように描かれているのも小説として不自然だと感じた。第二次中東戦争という歴史的時間と空間に材をとっていながらその緊迫感が伝わってくることもほとんどない。端的に作家の実力不足、題材が手に余ったということなのだろう。索漠とした読後感であった。

福田氏の「石原氏にたいするとき、誰もが平静ではいられない」「石原氏には、人の痛覚を刺激し、感情を刺激するところがある。」という見解はあるいは事実かも知れないが、もしそうであるならその原因のほとんどは、日本に住むあらゆるマイノリティーや特定の外国にたいする剥き出しの差別・偏見を臆することなく吐き散らし、対象者(よく考えれば私たちほとんどの大衆が何らかの形で攻撃の対象として当てはまるかも知れない)の心を不当にも深く傷つける、「北朝鮮とは戦争したっていい」「テポドンを日本に四、五発撃ってもらいたい」などの危険で無責任な言辞によって苛立たしさや好戦的な空気を煽っていることなど、負の要因によるものではないだろうか。そういう「勇ましい」言動を頼もしさと捉える人も結構いるようではあるが。


上に引用した文章に続いて、同書で福田氏は下記のように記述している。

「 江藤、三島のような意識的な書き手ですら、石原氏にたいしては、過度の親愛の情と妬視から自由になれませんでした。
 私も同様です。
 というよりも、私は自分の情感に屈服しました。その点で本書が客観的ではないという批判があれば甘んじて受けます。(略)けれども私は精一杯「フェア」であろうと努力しました。(略) 」

まず、福田氏の「私は精一杯「フェア」であろうと努力しました。」という発言だが、「フェア」であろうと努力したにしては、石原慎太郎の人物像を語る上で欠くことができないと思われる挿話が幾つか欠落しているように思う。

1970年、三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地に私兵の楯の会とともに乗り込み、日本中の耳目を一身に集めて派手な死に方をしたとき、国会議員だった石原慎太郎は一報を聞いて「これは、現代の狂気です。」と期せずしてだろうが、自民党政府閣僚とまったく同じ言葉を発している。誰にしても三島由紀夫とわずかでも交流のあった人は特に愕然としたことだろうが、それでも知友のなかで事件を三島の「狂気」のせいにしたのは石原慎太郎だけだったと記憶する。周辺の作家や編集者が当時三島の身辺に感じとっていたという不穏な気配に石原慎太郎は気付いていなかったのだろうか。本書で福田氏が石原慎太郎と三島由紀夫の関係に言及していることが多いので、この出来事が記されていないことは腑に落ちない。この件は特に作家石原慎太郎の洞察力を含めた精神内容を考察するのにもってこいの材料だと思われるが、論者の福田氏は文芸評論家なのだからなおさらである。

石原慎太郎をフェアに論じる気があるのならば、もう一つ抜いてならなかったのは、第37回衆議院議員選挙を目前に控えた1982年11月に起きた「黒シール事件」だったろう。石原慎太郎の公設秘書が同じ選挙区から立候補を予定していた新井将敬氏の政治広報ポスターに「1966年に北朝鮮から帰化」という黒シールを貼った事件である。昼間は目立つので深夜黒い服装で貼って回ったと伝えられているが、石原慎太郎は「秘書が勝手にやった」と、こういう場合の政治家の常套句を述べた。しかし、「公職選挙法違反」であることが明白な上にこういう陰湿きわまる特異な行動を秘書が政治家本人に秘密のままで行なうだろうか。石原慎太郎は新井氏の帰化を匿名の投書で知らされたそうだが、ならばこのことを秘書に伝えたのは石原慎太郎本人であろう。「秘書が勝手にやった」は通らないはずである。また「朝鮮籍」は存在しても「北朝鮮籍」というのはないのだから、政治家として当然知っておくべき制度についても無知だったわけだ。すったもんだの末、石原慎太郎は新井氏に謝罪したとも伝えられるが、都知事就任後の「三国人」発言(福田氏はこの発言を本書で全面的に擁護している。さすがかつて米国のイラク攻撃、自衛隊の後方支援に対しラジオ出演で何の躊躇もなく快活に賛同した人だけのことはある。そのくせ本書でも人の死の重さについての日本人の感覚の鈍磨について嘆かわしいとばかりに云々しているのだから、こういう人たちが文学に関わっている意味が理解しがたい。あの「三国人」発言には関東大震災時に流言飛語を撒き散らし、民衆を煽動した者たちと共通の心性さえ感じられた。)、つい昨年の「政権首脳には帰化した政治家が沢山いる」(これはまったくのでたらめのようである。記者は「その情報をどこで得たのか。誰に聞いたのか」と質問していたが、石原慎太郎は「多すぎていちいち覚えていない」と応じていた。そういう当然の質問にちゃんと答えることもできない他人の情報を公開の場で口軽にしゃべる政治家の責任を記者はその場その場で厳しく追及するべきだろう。)などの相次ぐ暴言・放言にみるとおり、新井氏への謝罪は口先だけのことだったのだ。

以上2点、三島事件に際しての「これは、現代の狂気です。」という第一声の件と「黒シール事件」とを避けて作家および政治家・石原慎太郎を語れる、語ってもいいと考えてこれらの件を意識的に除外したのなら、著者はかなり狡猾、もし思い浮かばなかったのだとしたらなんとも鈍感な文芸評論家だと思う。
2011.01.17 Mon l 石原慎太郎 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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