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  辺見庸氏の吉本隆明評 など

吉本隆明についての記事を書きかけのまま中断していたのだが、この間に集めた彼に関係する文章や、かつて彼について語られた言葉のうち前々から気になっていたことなど、これからまた少しずつ書いていきたい。

現代作家のなかでは私は辺見庸氏の文章をわりによく読んでいるのだが、辺見さんは2004年に病で倒れる前の数年間何度か吉本隆明について書いている。たいてい、半端ではないきびしい内容の評だったが、当時これを私はごく当然の評価として受けとめていた。雑誌などでたまに見る吉本発言は、わざわざ読むだけの意味や価値があるものには感じられなかったので。2001年の9.11について、吉本隆明はテロ実行犯を日本の特攻隊と較べて論じ、特攻隊を称賛しているかのような発言をしていたことがある。世界の現実は彼の頭のなかから剥がれ落ちてしまっているかのような話しぶりだった。辺見さんにはそういう吉本隆明の姿は堪えがたかったのかと思う。

吉本隆明が95年のオウム事件の際に「麻原さんは現存する宗教修行者のなかで世界でも有数の人物である。」と述べたことは、自分にはとてもそうは思えないということとは別に、何事においても極端に一方向にのみ偏りがちな日本社会にあっては貴重な問題提起だと思ったのだが、裁判が始まったころからか、ふっつりとオウムについて口を開かなくなった。吉本隆明はオウムの教祖・麻原彰晃が裁判で自分の世界観や宗教的信念を開陳し、その思想的立場から一連の事件を起こした理由を陳述・説明するのではないかと期待していたのかも知れない。もしそうだとすると、彼の期待は叶わなかったわけだが、それならそれで、教祖に対して「世界有数の宗教修行者」とまでの評価を公言した以上、自分のその麻原評は的確だったと今でも考えているのか否かをきちんと語るべきだったろう。ただ吉本隆明のそういう態度は予想できなくもないことだったので、私は「やはりそうだったか」と思い、その時以来、もともとそう大した思想家でも批評家でもなかったのだというような感覚を持ってしまった。 (ちなみに中沢新一氏の場合も、オウム事件に関するその後の態度は中途半端のままなのでは?) こう言ってしまえば身も蓋もないようだが、こうして書きながら、あの麻原讚美はもしや当時のオカルトブームのなかで超能力に魅了された若い人たちと似たような心理に動かされていたのでは? ひょっとしたら、それだけのことだったのでは? というような情けない疑念さえ浮かんでくる。

それでも、吉本隆明は3.11の原発事故発生時の原発推進肯定発言についてもメディア上で大きく取り上げられていたし、かつて小沢一郎という政治家の「日本改造計画」という本を称賛したこともいまだに時々小沢支持者の文章や談話に引用される(利用される)ことがある。80年代以降の日本社会にあたえた彼の思想的影響力は相当に大きかったのだと思われる。4、5年前、まだブログを始めて間のないころの金光翔さんは、「ちくま・イデオロギー(1) 」という記事のなかで、

「 2ちゃんねらーやネット右翼の思想的教祖を、小林よしのりとする見方がある。 北田暁大が確かそうだった。2ちゃんねらーを彼のように「政治的ロマン主義」 と見る立場(私には馬鹿らしく思えるが)に立たず、単純に右翼的な人々と見る人たちも、2ちゃんねらーは小林よしのりや西部邁らの右派系文化人に洗脳された人々と見る傾向があるのではないか。

私は違う認識を持っている。非常に大雑把かつ図式的に言えば、むしろ、2ちゃんねるやネットの全体としての右翼的な傾向を作ったのは、竹田青嗣や加藤典洋 といった、90年代に筑摩書房などの出版物で活躍した文化人の影響を強く受けたコテハンや、ネット上の書き手の存在である。

あくまでも私の印象であるが、数年前の2ちゃんねるは、ネット右翼ばかりというよりも、むしろ、左派知識人や市民運動の諸活動を「ルサンチマン」として嘲笑・否定しはするが、「右翼」との距離を強調するようなコテハンが、雑多な知識と執拗な左派批判のゆえに尊敬され、スレッドの議論をリードし、そうした左派への嘲笑・批判の雰囲気の下で小林よしのり信者のような連中が暴れる、とい った構図が支配的だったように思われる。今は言葉通りの「ネット右翼」ばかりのように見えるが、2ちゃんねるやネット全体の右翼的傾向を決めた数年前は、 「2ちゃんねらー」というように一枚岩で括るよりも、むしろコテハン=中間層 (?)が「世論」を方向付けていたように思われる。そして、そのコテハンの思想的バックボーンを形成したのは、小林よしのりや右翼的な書き手よりも、竹田や加藤のような書き手だったと思う。論理としてはこの二人が一番典型的だが、 橋爪大三郎、呉智英といった面々も挙げるとよい。要するに、吉本隆明の影響を受けた全共闘系のモノ書きということだ。」

と書いていた。この文章は、金さんのブログのなかでも「<佐藤優現象>批判」と並んで私には特に印象深いもので、その後、吉本隆明というと、この文章もきまって浮かんでくる。吉本隆明がそんなにまで後の世代に影響をあたえていたとは。そういう問題意識を持ったこともなかったのだが、言われてみるとこの指摘は現実と合致していると思われ、目を開かされたような気がしたものだった。宮台真司氏なども吉本隆明から多大の影響を受けていると自ら語っているようだ。ウキィペディアには、下記の記述がある。

「 宮台真司は、1970年代半ばの高校時代、吉本の1950~60年代の著作に深く感銘を受け、「私の同世代で私ほど吉本にハマッた人間はいない」「ただの大衆じゃねえか、大衆から遊離しやがって、という二重の倫理的批判は実存的意味を持つ」「原理的であることによって内在せよという吉本的な定言命令は今でも私を拘束している」と述べている。」 ( 『小説TRIPPER』2000冬季号「特集:進化する<吉本隆明>」)

次に、辺見庸氏が吉本隆明について述べている文章を3つ選んで掲載しておきたい。


  反定義 新たな想像力へ 辺見庸×坂本龍一(朝日新聞社2002年)
坂本――現代の哲学者は、彼(注:デリダ)ぐらいしかいなくなっちゃったでしょ。フーコーもドゥルーズもガタリも死んじゃって、もう誰もいなくなった。
辺見――ドゥルーズやガタリだったらもっとちがうこといったんじゃないかという気もする。
坂本――最近もジャック・マイヨールが自殺しましたけど、ドゥルーズなんてめちゃくちゃ感覚が鋭いから、「もういいや」と思っちゃったんじゃないかな。もう見たくないと、こんな世界。
辺見――ぼくはまあ、自分の捌きかたとしてはあのへんがいい時期かなあって思うんですよ。そのころ吉本隆明さんと10時間ぐらい対談したんです。(『夜と女と毛沢東』)吉本さんがそのときいちばん気にしてたのはドゥルーズがどうして自死したのかということでしたね。しきりにぼくに聞くわけ。ご自分に重ねてたんだと思うな。彼もその頃海の事故があって、半分「もういいか」と思っていたかもしれない。死ぬのも潮時というか、時宜というものがある気がしますね。最近つくづくそう思うな。生きてりゃいいってもんではない。見なくてもいい風景ってあると思うんだ。いまがそれじゃないかな。どう判断するか興味はあるけど、埴谷さんなんかいまの事態を見なくて良かったと思う。
坂本――うちの父がいま80歳です。「どうしてこんなになっちゃったんだろう」というんですよ。「日本人ってどうしてこんなになっちゃったんだろう」って。原発で人為的な事故が起こったでしょう。しかも誰もきちんと責任をとらない。ぼくにポロっと言ったことがありますよ。「日本人は、こういうことだけはやらなかったのにな」って。父の時代の日本人は、こういう事故は起こさなかったと。もう生きていたくないという気持ちもあるでしょうね。見たくないっていう。
辺見――だって楽しいことなんて何もないじゃないですか。なんか厭だなあと思う。すべて陰謀的でつるんでてインチキでね。
坂本――全部金で買えてね。
辺見――そう 、全部買える。だから人間が持っていた原質的なもの、マチエールみたいなものが全部なくなっているんですよね。いちばん残念なのはエロスの原質がもうなくなっているということ。ぼくらの表現世界でいえば手触り感のようなもの、タンジプルなものが何もない。

  いま、抗暴のときに 辺見庸(毎日新聞社2003年)
辺見 やはり結局は、全体として自己責任を棚上げしてきたことが今日の風景のいちばんの原因なのだから、抵抗というか個別の不服従は、その強弱を別にして、場合によってはあっていい方法だと思います。ルーティン・ワークと抵触するのは当然でしょうね。鵺のような全体主義のもうひとつの温床は、ルーティン・ワークにあるわけだし。で、自己責任の棚上げは、遠くは戦後主体性論からそうだったと思いますね。申し訳ないけれども、吉本隆明さんの最近のなんといいますか、晩節の過ごし方というのか、あれなどもあなたのいう戦後民主主義のあまりにも無残かつ醜悪な死骸とまったく関係ないとは思わない。できれば見たくなかったという思いもある。当方も自戒しなければいけないのですが、ここまで精神の視力というか思弁力が落ちるかという感じです。新聞が権力化し、権力がメディア化するのと基本的に同じ状況への融和のようなものがある。そこには、まじめに継承できるものが少ない。ことここに至ったら、自分たちで自己責任による個の戦線をつくっていくしかないと思う。そこには、楽観的なものなんてひとつもない。

  抵抗論 辺見庸(毎日新聞社2004年→講談社文庫2005年)
 以前、OLが十分な選択消費ができるのだからこの資本主義はなかなかよろしい、てなことをいった思想家もいた。OLと呼ばれる女性たちの、決して楽ではない実生活を知りもしないくせに。家でテレビばかり見ていると、往時は「偉大」だった思想家も阿呆になるらしい。その思想家のせいとはいわないけれども、皆が″賢い消費者″にでもなった気で、賃上げ闘争やストライキを小馬鹿にするようになった。この国のなかの、歴然たる貧困から眼をそむけるようになった。貧窮は貧窮者自身の生き方、考え方に理由があるというような発想も蔓延した。なにが″ハイパー資本主義″だ。笑わせるじゃないか。学生のころ、あの思想家を早稲田鶴巻町のあたりだったか、都電のなかで見かけたことがある。いかつい体躯に薄汚いレインコートをまとって、倣岸にも不満げにも柔弱にも内気にも見える深い色の眼をしていたっけ。老いて、ついにめでたく21世紀まで生きた。が、あの眼はもうない。長く生きればいいというものではない。長く話しつづけていればいいというものではない。やめる時宜はとうにすぎていた。主体的に生きているのではないときが、むろん私にもある。いや、ほとんどの時をだらだらと没主体的に生きている。それほど積極的に生きたくもないのに、愚にもつかぬなにかの力に強いられて単に生かされているだけのような時がひどく多いのだ。物質消費にしても、実際には選択的自由なんぞ、どこにあるのだろう。選択できているように資本の力に思わされているだけだ。私が依然死んでいないのも、なにも生を積極的に選択しているからではない。 」

「埴谷さんなんかいまの事態を見なくて良かった」という言い方をみると、辺見氏は埴谷雄高がよほど好きで大切に思っているのだろう。『抵抗論』では、「思想家」の名前は明示されていないが、これは私は読んだ最初から吉本隆明のことであると思い込んでいる。もしかすると、異なる人物である可能性もあるのだろうか?
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2011.10.07 Fri l 吉本隆明 l コメント (8) トラックバック (0) l top
吉本隆明の「「反核」異論」(深夜叢書社)という単行本が出版されたのは1982年。文学者たちの反核声明(大江健三郎や中野孝次など36人の発起人の署名入り)や署名依頼の文章が発表されたのは81年末~82年初頭にかけてのことだったので、吉本隆明はこの動きに対してたった1年足らずの間に1冊の本を刊行できるほど精力的に異論や批判や罵倒の文章を書いたわけである。私にも下記に引用するこの「文学者の声明」文をどこかで読んだ記憶がうっすらと残っている。(以下の強調はすべて引用者による)

「  核戦争の危機を訴える文学者の声明
 地球上には現在、全生物をくりかえし何度も殺戮するに足る核兵器が蓄えられています。ひとたび核戦争が起これば、それはもはや一国、一地域、一大陸の破壊にとどまらず、地球そのものの破滅を意味します。にもかかわらず、最近、中性子爆弾、新型ロケット、巡航ミサイルなどの開発によって、限定核戦争は可能であるという恐るべき考えが公然と発表され、実行されようとしています。
 私たちはかかる考えと動きに反対する。核兵器による限定戦争などはありえないのです。核兵器がひとたび使用されれば、それはただちにエスカレートして全面核戦争に発展し、全世界を破滅せしめるにいたることはあまりにも明らかです。
 人類の生存のために、私たちはここに、すべての国家、人種、社会体制の違い、あらゆる思想信条の相違をこえて、核兵器の廃絶をめざし、この新たな軍拡競争をただちに中止せよ、と各国の指導者、責任者に求める。同時に、非核三原則の厳守を日本政府に要求する。
「ヒロシマ」、「ナガサキ」を体験した私たちは、地球がふたたび新な、しかも最後の核戦争の戦場となることを防ぐために全力をつくすことが人類への義務と考えるものです。私たちはこの地球上のすべての人人にむかって、ただちに平和のために行動するよう訴えます。決して断念することなく、いっそう力をこめて。 1982年1月 」 (『文藝』1982年3月号)

下記は署名を依頼する文章だが、最終的には500人余の署名が集まったそうである。

「  署名についてのお願い
拝啓 年の瀬を迎え、寒さもー段と探まって参りましたが、お元気にお過ごしのことと存じます。
 さて今春、アメリカでレーガン政権が発足して以来、軍備増強論がにわかに高まり、限定核戦略が唱えられ、中性子爆弾の製造が決定されて、核戦争の脅威が人類の生存にとっていっそう切実に感じられるようになってきました。
 ご承知の通りヨーロッパでは、1983年末にアメリカの新しい戦域核兵器が配備されれば、核戦争への歯止めが失なわれるという危機感から、歴史に例を見ないほどの巾広い反核、平和の運動が拡がっております。
 いうまでもなく核戦争の危機は、ヨーロッパに限られるものではありません。新聞報道によれば、1984年には巡航ミサイルなどの新しい戦域核兵器が日本をふくむアジア地域にも配備されると伝えられながら、アジアではその配備を防ぐための軍縮交渉が問題にさえもなっておりません。
 世界最初で唯一の悲惨な被爆体験を持つ私たちは、いまこそ核戦争の惨状を全世界に訴え、日本政府および東西の核大国に対して、日本の非核三原則を厳守してこれを全世界に拡大し、核兵器の全廃のための措置をとるように文学者として主張すべきではないかと存じます。
 こうした考えから、私たち有志で、とりあえず別紙のような声明文を用意しました。私たちはいかなる党派、組織、団体からも独立した文学者個人として、それぞれに手弁当で、日本の文学者の核戦争に反対する声を集め、核兵器全廃への私たちの強い願いを表明したいと思います。
 つきましては別紙の声明文について賛成のご署名をお寄せ頂きたいと存じます。なおご意見があれば声明文と合せて発表したいと思いますのでおつけ加え下さい。また、このご趣旨にご賛同頂ける方をご紹介、ご推薦頂ければ幸に存じます。
 声明は新年に発表したいと存じますので、ご多用のところを恐縮ですが、折り返しぜひご返事を頂きたく、よろしくお願い申し上げます。 1981年12月 」

吉本隆明は、上の文章を読んで、ただちに次のようなことを感じたと述べている。「「反核」異論」に収められている「「反核」運動の思想批判」から引用する。


 特定の文学者(!?)に反核署名の「お願い」と「声明」が配送され、それに300人もの文学者(!?)が署名した事実を知ったのは、中野孝次の「『文学者の声明』について」(「文藝」3月号)という文章を読んだときだ。一読して直ぐ、幾つかのことを感じた。いま思い出すまま列挙してみる。カッコにくくった部分は後になってからの感想だ。

 (1) このなかに公開してある「署名についてのお願い」の文章は、米国のレーガン政権のヨーロッパにおける限定戦略の決定について危倶が表明してあるが、ソ連の対ヨーロッパ限定核戦争用のミサイルの配置にひとつも言及してない。背景にうまく匿してるが特定の「党派」的なものだ。(略)

 (2) ここに公開してある「核戦争の危機を訴える文学者の声明」は「地球上には現在、全生物をくりかえし何度も殺戮するに足る核兵器が蓄えられて」いるとか、「ひとたび核戦争が起れば」「地球の破滅を意味」するとかいう、おおよそSFアニメーション的恐怖心の所産としかいいようがない。それに目標も定かでない自慰的なものだ。(以前「海燕」連載の「停滞論」で「宇宙戦艦ヤマト」や「機動戦士ガンダム」になぞらえた。ここでは西部劇になぞらえてみる。二人のガンマンがピストルのなかに一発弾丸をいれて、交互に引き金を引き合ってゆく。主人公のガンマンは平然としているのに、気の弱い悪党の方は、しだいに油汗を流して蒼ざめていく。六連発ならば六回引き金を引くうちに、かならず一方が死ぬことになる。この声明の文章をおおう想像力は、このばあいの気の弱い、しだいに蒼ざめてゆく悪党の方か、そういう場面を観ながら手に汗をにぎる観客の想像力である。)

 (3) 中野孝次の「『文学者の声明』について」という文章は、不必要に揉み手をしているくせに傲慢な嫌らしい文章だ。わたしは最後の「強制はまったくなし。一枚岩の運動ではないのです。」という結びの文句を読みおわって、即座に〈ふざけやがるな。お前なんかには「強制」する資格もなければ、「強制はまったくなし」などと断り書きをいう資格もないのだ。何を勘ちがいしてるんだ〉というものだった。いまも鮮やかにおぼえている。(大岡昇平や吉行淳之介は、中野孝次が「好人物」だから参加したとか、「好人物」だから「大政翼賛会」など作れるはずがないと述べている。だがわたしの人間洞察力からするとそうじゃない。こういう文体の主調音をもつ書き手は、(根暗い〉人物だ。しかもじぶんの(根暗さ)をあくまで客体化することを、どこかで放棄してじぶんを許してしまった人物のようにおもえる。わたしはじぶんもそうだから(根暗い)人物を嫌いでない。だがじぶんの(根暗さ)への自己省察をやめてしまった人物は、どこか嫌らしい。中野孝次の文体のいやらしさと慇懃無礼さもまた、わたしを駆って批判におもむかせたいくらかの衝迫力になった。これをいっておかないと嘘になる。中野孝次が「好人物」だという大岡昇平や吉行淳之介の人間洞察に、わたしは疑義を呈しておく。そしてまた、「好人物」かどうかなどは、その人物が政治的に何を仕出かすかとは関係がない。)

 (4) 中野孝次の「『文学者の声明』について」という特定の「党派的」宣伝の文章をのせた「文藝」編集部の態度を、許せぬものと感じた。たとえこの「党派」性が、わたしの政治的思想に一致しても、この感じ方は変らない。商業文芸誌や商業新聞の編集部局が、じぶんたちの政治的な立場をもちたいのなら、執筆者の選択と依頼するテーマの選択によって紙面におのずから投影させるべきだ。特定の「党派」性をもった政治的宣伝文書をそのまま掲載するのは自殺行為である。(略)平穏な日常生活のなかで脳卒中の後遺症に苦しむ人も、老衰による自然死も、「ヒロシマ・ナガサキ」の被爆者の後遺症や、その死とまったく同等であり、「世界の反核運動に立ちあがった民衆」も、そんなものにいっこう立ちあがらずに平穏な日常生活をその日その日なんとなくすごしている民衆も同等である、と。「反核運動に立ちあがった民衆に挑戦」するのが不当ならば、そんなものにいっこう立ちあがらないその日ぐらしの民衆に「挑戦」するのも不当なのだ。(略)
 わたしは中野孝次の「『文学者の声明』について」という文章が、商業文芸誌にのらなかったら、批判する契機もなかったかもしれない。その意味では、これを掲載した「文藝」編集部にそのとき感じた批判も忘れずに書いておく。

 (5) 中野孝次が「文藝」の文章で挙げている発起人の名前を見ていて、直ぐに気づいたことがある。36人の発起人中、小田切秀雄らの雑誌「文学的立場」の常連的執筆者が、わたしにもすぐわかる範囲で5人から6人いる。つまり発起人の6分の1を占める。小田切秀雄が、かつてわたしに使用した用語をそのまま使っていえば、(なんだ、小田切秀雄とそのお茶坊主たち(これは小田切の使用語である)が、中野孝次と組んでやった陰惨な猿芝居か。)そういう感想をもった。ほぼわたしはこのとき文学者の反核運動の理念的性格を把握することができた。その理念の行方も、ほぼ見通せるとおもった。こういう私的感想も記しておかないと不正直になるから、書きとめておく。 」


「自立の思想的拠点」「芸術的抵抗と挫折」「擬制の終焉」など、60年前後までの吉本隆明の思想的問いかけは刺激的で大変すぐれていたという人は数多く存在する。埴谷雄高もその一人ではないかと思う。ところが私は80年代以降のことだが、時折り雑誌などで読む吉本隆明の言説に特に魅力を感じなかったので、その著作をわざわざ読んでみようという気持ちにはなれなかった。ただ、95年のオウム事件が起きた時、麻原彰晃著「生死を超える」という著作について、「僕はきっちり読んだつもりですが、宗教的修行者として麻原さんは、現在の世界で有数の人だと思います。」と堂々と述べていたのが印象的で、その後どのような話の展開をし、締めくくりをつけてくれるのか期待していたのだが、裁判が始まった時点でもう何も言わなくなったので、失望をおぼえた。自説に自信の持ちようがなくなったので、沈黙したのではないかと思ったからだった。まぁ、それは分からないが、上述の5点の批判のうち、私がいくらか納得できるのは、声明文についての批判である。たしかに、「「ヒロシマ」、「ナガサキ」を体験した私たちは、地球がふたたび新な、しかも最後の核戦争の戦場となることを防ぐために全力をつくすことが人類への義務と考えるものです。私たちはこの地球上のすべての人人にむかって、ただちに平和のために行動するよう訴えます。決して断念することなく、いっそう力をこめて。」という文章は何だかあまりによそ行きで、実感のない、それでいて筆者の思いとは裏腹になったのだと思うが、やや押しつけがましい文章のように思える。

吉本隆明の上の批判のうち、特にこの部分はあちこちで批判されたようだが、老衰による自然死も「ヒロシマ・ナガサキ」の被爆者の死もまったく同等である、という発言は批判されるのが当然だと思う。老衰による自然死と被爆による死、脳卒中の後遺症と被爆者の後遺症が「同等」というのなら、戦争を批判し、反対する理由もなくなるのではないか。米国のレーガン政権は名指しで批判しながら、ソ連の名をあげていないので、この反核運動はソ連製だというが、このような揚げ足とりのような論理による批判ならば、もしソ連の名が声明文に書かれていたとしても、吉本隆明の怒りに変わりはなかっただろう。そもそも日本が米国に徹底的に追随している国であることや、その理由として日本政府やメディアが長年ソ連の脅威ということをいいつのってきた経緯を考えれば、声明にソ連の名を明記するのを控えるのは内省をふくんだ配慮としてありえるのではないかとも思う。悪名高い「コム・デ・ギャルソン論争」のなかで、埴谷雄高は吉本隆明の理解について「そこに、アメリカの巡航ミサイルについての記述があっても、ロシアのミサイルSS20について記してないから、「容共」だという推断です。双方の文章の論旨の核心は、「核兵器の全廃」とか「核兵器の廃絶」とかいう一行にこそあって、巡航ミサイルとか、或いはミサイルSS20をとりいれても、それらは単なる修飾語にしかすぎません。」と述べているが、これが常識的な見方と言えるのではないだろうか。
2011.08.19 Fri l 吉本隆明 l コメント (0) トラックバック (0) l top
吉本隆明が強力に原発の継続・推進を唱えている談話をいくつかの新聞で読んで、吉本隆明は発言の中身の善し悪しはともかく名前だけはいまだ相応の磁力をもっているようだから、この発言は社会的にかなり影響力をもつのではないか、特にマスコミ関係の人間には、という気がしていた。勘繰り過ぎかもしれないが、去る8月10日の「田原総一朗の政財界「ここだけの話」」の「脱原発の風潮は60年安保闘争に似ている」を読んで、ひょっとするとこれもその一つかもしれないと思った。

「 確かに原発は危険なものだと思う。しかしながら、科学技術というものは常に危険を伴うものであり、いかにそのリスクを抑えて使いこなすかが文明というものだ。/ 福島第一原子力発電所で起きた原発事故は、大きな失敗である。車の衝突事故や中国で起きた高速鉄道の追突・脱線事故も同様に失敗だ。なぜ事故が起きたのか、どこに問題があったのかを究明し、そのうえで事故の再発を防ぐにはどうすればよいかを考える。これが私たちの歩んできた文明の歴史ではないか。/ ところが、ただちに「原発は危険だからやめよう」ではその歴史に反する。」(「ここだけの話」)(/は改行部分)

という文章は、「車の衝突事故や中国で起きた高速鉄道の追突・脱線事故」云々の発言をはじめとして、吉本隆明の言説に瓜二つ、といって悪ければ、大変よく似ている。放射能汚染事故を車や鉄道や航空機事故と較べるような詭弁(と私は思う)は、このまま原発をなんとしても推進しようという意図・魂胆がなければ出てこないのではないだろうか。田原氏は今更のごとく、「私たちは原発について十分に議論を重ねてきたのだろうか。」とも述べているが、何十年もマスコミの世界で活躍しつづけてきた氏は、福島第一原発事故が起きるまで、小規模、中規模の事故があちこちの原子力発電所や原子力関連施設で多発してきたこと、電力会社も政府も事故の隠蔽にこれ努めてきたことなどを知らないはずはないだろう。それを思うと、未曾有の大事故の後になって、代表的マスコミ人に「私たちは原発について十分に議論を重ねてきたのだろうか。」と言われても、ただただ「?」と思う。

それから、「脱原発の風潮は60年安保闘争に似ている」というタイトルの下、田原氏は、

「 当時、東大の安保闘争のリーダーは西部邁氏であった。私は西部さんに「吉田安保と岸安保はどこが違うのか。それぞれを読んだか」と聞いてみた。西部さんは「読むわけないだろう。岸がやることはろくなものではない。日本を戦争に導くだけだ」と言っていた。/ 60年安保闘争に参加していた者はほとんど安保条約の中身など読んだこともなく、ただ反対していただけなのである。科学的・技術的な議論が行われない脱原発の動きは、この安保闘争とよく似ていると感じる。」(同上)

とも述べている。この発言内容は、石原慎太郎が60年安保について述べていたこととそっくりである。彼も、自分は安保の条文など一切読まずに闘争に参加していたと言い、そしてほぼ誰もがそうだったと述べていた。けれども、私は60年安保闘争について真剣に向かい合って、それがその後の自己の人生に大きな影響を与えているという人々の話をずいぶん多く聞いたり、読んだりしている。当時デモに出ることもなく遠くから見ていただけの大岡昇平のような人でも、エッセイなどを読むと、その頃おぼえた外国の軍隊が戦後15年も経ってまだ駐留していることに対する反感はその後の生涯を通してつづいたようだし、60年代半ばから「レイテ戦記」という作品に5年もの間かかりきりになって完成度の高い作品に結晶させることができたのには60年安保闘争の影響もあったようである。「60年安保闘争に参加していた者はほとんど安保条約の中身など読んだこともなく、ただ反対していただけ」などと、自分がそうだったからといってこんなふうに他人の内面のことまで断言する資格が田原氏にあるとは思えない。

田原氏は、また今回の事故原因について、「非常用発電装置やポンプなどが津波の被害にあい、冷却機能が失われて事故につながった。/ つまり、原発そのものの事故というよりも、「管理不行き届き」による事故だったと言えないか。」とも述べているが、管理不行き届きであれ「人災による原発そのものの事故」に違いないだろう。いったい何を言いたいのだろうか。それから、「東京電力は公式見解で事故原因は未曽有の大津波だとしているが、4月27日の衆議院経済産業委員会で吉井英勝議員(共産党)の質問に答えて、原子力安全・保安院長は、倒壊した受電鉄塔は津波が及ばなかった場所にあったことを認めた」(wikipedia)こともよく知られていると思うのだが?

「 もう一つ懸念していることがある。菅首相は8日の衆院予算委員会で、高速増殖炉「もんじゅ」について廃炉を含めて検討し、核燃料サイクル政策についても抜本的に見直すと言及したことである。」(同上)

この件についても、事故を契機にぜひとも「抜本的に見直」してほしいと思う。青森県出身の秋元健治氏は、労作「原子力事業に正義はあるか-六ヶ所核燃料サイクルの真実」(現代書館2011年6月)において、「もんじゅ」にもかなり詳しく触れている。一部を引用する。

「 日本の高速増殖炉開発は、日本原子力研究開発機構が福井県敦賀市の「もんじゅ」でおこなってきた。「もんじゅ」は、71.4万キロワットの原型炉で1991年に性能試験を始めた。しかし1995年12月にナトリウム漏出火災事故が発生し、その後の虚偽報告もあり信頼を失った。
 (略)
 諸外国においても高速増殖炉の研究開発は、公的資金を投じて長年続けられた。しかしイギリスのドーレイのPFRは1994年に、フランスの「スーパーフェニックス」は1998年に、いずれも完成をみないまま開発が中止された。現在、高速増殖炉計画をもっているのは、世界で日本だけだ。
 使用済み核燃料の再処理は本来、プルトニウムを抽出するのが目的だった。プルトニウムが必要だという根拠とされた高速増殖炉開発計画は、日本でも実質的に破綻している。しかし核兵器の原料であるプルトニウムの余剰を抱え込むことはまずい。プルトニウムを消費するため、プルトニウム・ウラン混合酸化物のMOX燃料を通常の軽水炉で燃やす方法が考えられた。
 1963年から2003年まで、400トン以上のMOX燃料が、ヨーロッパの30あまりの原発に装填された。日本ではプルサーマル計画と呼ばれるそれは、高い燃料費と原発の安全性の低下、処理の困難な放射性廃棄物を増やす結果にしかならない。MOX燃料利用は、余剰プルトニウムになんとか使用方法を見つけ、その保有量を減らす苦肉の策という以上の意味はない。」(「原子力事業に正義はあるか」)

と断言されているが、遠くから漠然としたものではあるがもんじゅについて不安な気持ちで眺めずにいられなかったこれまでの経緯、また福島原発事故後の政府、官僚、電力業界、産業界の、内省の欠如した無責任な言動を見ていると、素人目にも上述の見解に磐石の説得力を感じずにいられない。このままでは原子力業界は、われわれ国民・市民の税金を莫大にそして好き勝手に浪費しつづけるだけではないのかと思う。

今回は田原総一朗氏の文章について感想を書いてみたが、私は何も吉本隆明の文章を読んで田原氏の考えが変えられたと思っているのではない。事故以来の反原発、脱原発の世論を慮ってなかなか原発推進の本心をさらけだせなかった人物が、思想者として一定の権威をもっている吉本隆明の原発推進の発言により、こうして本音を述べる程度には吉本隆明の影響力はあるのではないかと思ったのだった。他にも、乗り物事故や文明の進歩に譬えてブログで原発推進の弁を述べている人が二、三いた。

そろそろ、締めくくりに入ることにして…。1989年2月発行の『試行』には、テレビ朝日の「朝まで生テレビ」における原発特集「徹底討論「原発問題是か非か」」について見解を述べ合う「主」と「客」の対話が掲載されている。この番組を私は観ていないが、おそらくこのときの司会も田原氏だったのではないだろうか。司会ぶりはどうだったのだろう? 「「情況への発言」全集成3」(洋泉社2008年)から該当箇所の一部を引用する。(下線は原文の傍点。強調は引用者による)


 きみ(吉本)は、(引用者注:1988年)7月29日10チャンネル(テレビ朝日)の深夜番組「朝まで生テレビ」を視てたか? 徹底討論「原発問題是か非か」というので、反原発派と原子力発電所関係の専門家とをめぐる討論をやってたぜ。
 視たよ。全部でないが朝の5時40分頃まで付き合ったよ。
 きみ(吉本)はどうおもったかね。おれは予め予想してたよりも、ずっと双方の主張の対立点が煮つめられた気がして、面白かったよ。この種の主題のテレビ討論では出色のできだったんではないかな。もちろん煮つめられた結果、反原発派の論議は誇張とウソと恐怖感を煽るだけで、すこしも科学技術的にしっかりした根拠などないことがはっきり露呈された。だがこういうことははじめからわかりきったことで、それが討論を契機に煮つめられてあらわれただけだ。市民運動はとうとう民衆の日常生活にまで踏み込んで、恐怖と脅迫で生活の身辺に危機と危険を煽りたてる精神の地上げ運動になってしまった。すでに社会ファシズムの運動以外の何ものでもないよ。もともと戦前の日本マルクス主義の運動はスターリン主義の直接影響と指導下に行われ、戦争中に社会ファシズムに転化した。スターリンのマルクス主義は、第二次大戦中じぶんも社会ファシズムと政策上で敵対し、戦争しても、理念的には連続曲線をたどって社会ファシズムと相互移行しても当然だという根拠しかありはしないんだ。そして戦後もなぜスターリンのマルクス主義(その裏がえしとしてのトロッキー主義)、いいかえれば半アジア的な社会でのマルクス主義が社会ファシズムに連続的に移行してしまうのかを根底から検討したことなんかないんだ。おれは、深夜のテレビ討論を視ながら反原発とエコロジーと農本主義とが融着している反原発派に、きっぱりとした否定の意見が出てこない理念のレベルを知って、たいへんな危機感をおぼえたな。西部邁や栗本慎一郎でもあいまいな対向意見にすぎないものな。
 きみのいうとおりだよ。西部や栗本は反原発には賛成だが(すくなくとも反対ではないが)、原発の問題を賛成か反対かの二者択一として提示するやり方に異論があるといっているだけだ。もちろんおれの意見も結果だけはそれとおなじことになる。しかしおれは反原発ということ自体に反対なんだ。もっといえば第一に反原発などと、簡単に、つまり人類の文明の歴史にたいして一個の見識もないくせに、やすやすとほざくことに反村だ。第二に、反原発を反核やエコロチズムに癒着させることに反対だ。第三に経済的にたいした利益にならないから無意味だという論議の立て方に反対だ。第四に原発が安全でないという論議は科学技術的にまったくの嘘と誇張だから反対だ。すくなくとも現存する科学技術と実際化したどの装置や動力構築物(たとえば航空機、列車、乗用車、レース・カー)よりも原発は安全だ。だから安全性がないという煽動に反対だ。第五に安全性に不安があれば新しい試み、新しい構築、新しい未知の課題にとりつこうとしないという考え方に反対だ。そして安全でないなどというケチを社会運動にしようという心情と理念の退嬰性に反対だ。
 おれが反原発にシンパッシィを示せるのは、原子力公団や政府と地域住民の経済社会的な利害が(安全性がでない)対立したとき住民の利益を第一義とすべきだという点においてだけだ。反原発運動の利益などどうでもいいのだが、地域住民の利益は何よりも第一義とすべきだし、反原発連中は地域住民の利益を第一義とするかぎりにおいてしか、意味などありはしない。
 テレビの徹夜の原発論議を視ていて石川迪夫(原子力東海研究所)や近藤達男(東海研究所)や渡辺昌介(動力炉・核燃料開発事業団)の科学技術的な安全性の説明がいちばん妥当なものだという印象を与えて、得るところがあったな。強いて安全性を誇張するのではなく炉芯部の材料の耐脆性や亀裂の安全性の技術的な説明をしながら、それがひとりでに安全性の説明にもなっていた。また装置の配管の強度や安全チェックや幾重もの防護装置を施している技術的な配慮の説明も冷静で説得力があった。広瀬隆や槌田敦(理化学研究所員)や平井孝治(九大助手)の安全性についての危倶の表明は、技術的な論議の水準にはとうていなっていなくて、心情的な恐怖感をあとから理窟づけようとしている程度のものだったな。きみ(吉本)がいうとおりはじめからそれはわかりきっていたことだけどな。 」


いつ、どの地域においても、原発や関連施設の誘致・受け入れに関する住民の考えは一様ではない。「おれが反原発にシンパッシィを示せるのは、原子力公団や政府と地域住民の経済社会的な利害が(安全性がでない)対立したとき住民の利益を第一義とすべきだという点においてだけだ。」という発言をみると、特にわざわざ(安全性がでない)と念を押しているところをみると、前々から感じていたことだが、原発事故が生じた場合に被ることになる健康や生命への住民の潜在的不安や恐怖、その理由による誘致・立地反対の意思や運動などについては政府・電力業界・社会は問題にするには及ばないと吉本隆明は述べているように思える。彼が放射能とか被爆という言葉をまずつかわないのもなぜなのかちょっと気になることである。
2011.08.15 Mon l 吉本隆明 l コメント (0) トラックバック (0) l top
前回引用した原発に関する吉本隆明の発言は毎日新聞に掲載されたものだったが、その後、8月5日には日本経済新聞にも新たな談話が載っていた。「事故によって原発廃絶論がでているが。」という質問に、「原発をやめる、という選択は考えられない。(中略)燃料としては桁違いにコストが安いが、そのかわり、使い方を間違えると大変な危険を伴う。しかし、発達してしまった科学を、後戻りさせるという選択はあり得ない。それは、人類をやめる、というのと同じです。」「危険な場所まで科学を発達させたことを人類の知恵が生み出した原罪と考えて、科学者と現場スタッフの知恵を集めお金をかけて完璧な防御装置をつくる以外に方法はない。」「全体状況が暗くても、それと自分を分けて考えることも必要だ。僕も自分なりに満足できるものを書くとか、飼い猫に好かれるといった小さな満足感で、押し寄せる絶望感をやり過ごしている。公の問題に押しつぶされず、それぞれがかかわる身近なものを、一番大切に生きることだろう。」などと話している。(以下、強調はすべて引用者による。)

原発は、「燃料としては桁違いにコストが安い」と断言しているが、そうではない、という専門家の指摘も数多く出されている。吉本隆明は「コストが安い」という情報が確かだとどうして言い切れるのだろう? 何よりも、電気の燃料として莫大な危険を伴う原発を使わずに他のエネルギーに移行することが、なぜ「人類をやめる、というのと同じ」ことになるのだろう。事故の収束のメドも立っていない。事故の原因も完璧には判明していない。洩れだした放射性物質が自分たちの身体や環境にどれほどの影響を及ぼすのか皆内心では戦々恐々としている。その上、現在稼動中の原発が再び事故を起こしやしないかという不安もある。こういう最中に、「原発をやめる、という選択は考えられない」、それは「人類をやめる、というのと同じです」などという発言を聞くと、2003年、イラク戦争中に米国のラムズフェルドがクラスター爆弾だったかの最新鋭の兵器をカメラの前で披露して、それがどんなに優秀な殺戮兵器であるかを得意気に話しているのをテレビで見たが、ふとあの時の光景が思い出される。

「知恵を集めお金をかけて完璧な防御装置をつくる以外に方法はない。」とも述べているが、空虚な言葉としか感じられない。「完璧な防御装置をつくる」ことが人間に可能なのかどうかもはなはだ疑問だが、たとえば自然災害の存在はどうなるのだろう。吉本隆明は、「「反核」異論」」(深夜叢書社1982年)や「「情況への発言」全集成3」(洋泉社2008年)においても、あれだけ雄弁に他人を批判し、自己の論説を誇りながらも、日本が世界有数の地震国であること、原発の運転には被爆を前提とした人間の手が必要とされること、人間の年齢が少なければ少ないほど受ける被害が大きくなるという放射性物質の性質のことなど、彼の主張に不都合と思われる部分には一切触れていなかった。

また、「公の問題に押しつぶされず、それぞれがかかわる身近なものを、一番大切に生きる」という指摘もどうかと思う。原発事故は、いまだ帰宅できない8万人を超えるという被災地の人々の苦難はもちろんだが、日本に住むほとんどの人間にとってももうすでに「公の問題」ではなく「私的な問題」に変わりつつある。特に子どもやその親にとって、現在、「公の問題に押しつぶされず、それぞれがかかわる身近なものを、一番大切に生きる」こととはどのようなことなのだろう、と考えさせられる。


さて、「「情況への発言」全集成3」は、2008年刊行だから、今から3年前のことになる。吉本隆明は、この本に「あとがき」を書いているのだが、その「あとがき」の「註記」として、大岡昇平について言及している。下記に一部を引用する。


 新書版のためのあとがき 註記
 この第3巻には、大岡昇平問題が話題の一つとされている。不足をおぎなっておきたい。もう本の表題も覚えてないが、埴谷雄高と大岡昇平の対談集がたしか岩波書店から出版され、その中にわたしの人格が疑われるような発言があったが、わたしは埴谷の受け流し方と大岡の発言の両方に不満で、特に何の関係もない大岡のデマゴギーは黙殺できなかった。ただ大岡の『野火』という小説作品のなかで、フィリピンでの日米戦闘の場面で主人公の人命を撃つことが嫌いな考えから、故意に米兵からそっぽをむけて銃を発射する場面があって、戦中世代で真正面から日米戦争に向かって従事したわたしも鮎川信夫も対談で都合が良すぎる旨、批判したことがあった。その仕返しかなと解釈した。
 わたしは凡庸な学生として主戦派だった。ただ言っておけば学生報国会とかの組織などに一切関係したことはない。鮎川信夫はわたしより年長で兵士として東南アジア方面に出征した。これは鮎川信夫の『戦中日記』に記されている。
(略)
 今さら大岡を相手に何かを言う気はないが、補足の文を添えておく。わたしはこの埴谷・大岡の対談集を読んでひどいものだと思って埴谷にも大岡にもその旨をのべ、訂正か抹消かすべきだという旨を送った。埴谷からは返答はなかった。だが絶版が行われた。そしてその後にわたしがコム・デ・ギャルソンの服をきてモデルをつとめたことをからかって論難してみたり、お前の家はシャンデリアがついてるそうじゃないかとか書いてわたしをからかった文章をよせてそれを含む論争にまで発展した。
 大岡昇平は岩波書店のわたしの知らぬ編集者を使いによこした。(どうして欲しいのか)と言うので(一番単純なのは大岡発言をこう直せば訂正になる)と答えた。これがわたしの記憶にある補足したい事項だ。大岡昇平が、『文学界』に書いている断片の文章によると(訂正しろというのは後ろめたいところがあるからだ)というニュアンスになっている。(その上、裁判になれば和解を要請されることになるだろう)などと記している。わたしはあきれ果てるとともに真底から言葉にならない埴谷・大岡世代の左翼体験者やシンパ(同伴者)のひとりよがりな逃げ口上に瞋(いか)りを感じた。文筆をもてあそぶ者として、わたしに直接訊ねれば直ぐに解決することを、風聞によって確信もなく教宣される。教宣するのも阿呆だが、される方も阿呆だ。これがいい年齢した知識人のすることか。逃げ方が気にいらぬ。会社勤めのふつうの庶民サラリーマンでもこんな嫌な逃げ方で、自分を偉ぶりはしない。気の弱い人ならくさり果ててしまうかいびられて自殺したり、殺されたりしてしまう。戦前にも、戦後にも日本国でその例があった。大本が腐っているからだ。
2008年3月  」


吉本隆明が、「もう本の表題も覚えてないが、埴谷雄高と大岡昇平の対談集がたしか岩波書店から出版され」と書いている本は、「二つの同時代史」という表題で、「たしか」に岩波書店から出版された本である。1982年~83年にかけて岩波書店の『世界』に連載され、1984年に単行本として刊行された。大岡昇平と埴谷雄高は同年齢。二人とも戦後になってから文学の世界で活躍をはじめた人たちである(ただ、二人とも戦前・戦中にそれぞれ本を出版しているし、大岡昇平はスタンダールの研究者・翻訳者として、埴谷雄高はドストエフスキー関係の翻訳などで一部では知られていたようだ)。ともに同時代を生きたわけだが、ただ個人的に親しくなったのは晩年になってからで、長い間遠いような、近いような知り合い関係だったらしい。それだけに(?)、話題は豊富で、読者としては、二人の幼年時代から戦前・戦中・戦後にかけての体験や世相を具体的に知ることができ、読んでいて大変おもしろい。これは私が大岡・埴谷ともに好きな作家だからだと思うが、今も時々本棚からとりだしては読んでいる。

吉本隆明は客と一緒になって(この「客」なる人物が、「主」の焚きつけ役、主の徹底的な賛同者として設定されている。珍しい方法だと思う。)、この大岡・埴谷対談を「全体の印象をいえば、まぎれもないたれ流しの老文学者特有の遠近法のない回想談」「もともといくら老いても、こんなたれ流しみたいな回想談をすくなくともおまえはやるな。やりたくなったり、やることを誘われたりしたら拒絶しろ。そういう自戒の鏡としてしか、おれはこの手の回想談なんぞに興味がない」などと語っている。言われてみれば、確かにそういう一面があるとは思う。二人とももう70歳を2つ、3つ超えているし、肉体も衰え、特に大岡昇平は心臓病、糖尿病など幾つもの病気をかかえていて、話しぶりにも内容にも若い時のような冴えはないかも知れないとは思う。しかし、ここ十数年、吉本隆明が表明する発言は当時のこの二人と較べていくらかでもマシだと言えるだろうか? むしろはるかに及ばないのではないだろうか。

「二つの同時代史」では吉本隆明の話題も何回か出ている。そのうちの一件(特に大岡昇平の発言)が吉本隆明を怒らせ、訂正の要求ということになったわけだが、その件に触れる前に、上記の「新書版のためのあとがき 註記」の吉本隆明の文章の誤りについて述べておきたい。吉本隆明は、「二つの同時代史」における大岡昇平の一発言を「デマゴギー」と述べて、その「デマゴギー」を発した理由について、2008年時点における自身の推測を次のように述べている。

「大岡の『野火』という小説作品のなかで、フィリピンでの日米戦闘の場面で主人公の人命を撃つことが嫌いな考えから、故意に米兵からそっぽをむけて銃を発射する場面があって、戦中世代で真正面から日米戦争に向かって従事したわたしも鮎川信夫も対談で都合が良すぎる旨、批判したことがあった。その仕返しかなと解釈した。」

「仕返し」かどうかよりも先に(もっとも私はそうは思わないが)、『野火』という小説は、敗残の部隊からも病院からも追い出された孤独な日本人病兵がフィリピン・レイテの山野をひとり彷徨したあげく、フィリピンの若い女性を銃で撃って殺してしまうというストーリーであり(もちろんそれだけではないが)、米兵を撃つ、撃たないが問題となっている作品は、『俘虜記』という記録小説である。しかも吉本隆明は、「主人公の人命を撃つことが嫌いな考えから、故意に米兵からそっぽをむけて銃を発射する場面があって」などとまるっきり新説(?)を書いている。「そっぽをむけて銃を発射」したりしたら、それが敵に命中しようがしまいが、圧倒的優勢の何千という敵兵に襲われ包囲されているのだから、たちまち撃ち殺されてしまう。駐屯地はミンドロ島。重いマラリアに罹っていたために山の途中で僚友から取り残され、動けなくなった主人公はひとり叢の中の地面に転がり、内心「もはやこれまで」と死を覚悟した。その時ふと「たとえ米兵がきても撃つまい」、死ぬ前に人を殺したくない、と思ったそうである。そこにひとりの米兵がやってきた。主人公は寝転んだ格好のまま思わず銃を構えたが、撃たず、まだ二十歳にもなっていなさそうな若い米兵は何も気づかずに向こうに去っていった、という出来事の経過であった。『俘虜記』のこの場面は、「撃つまい」と思い、事実「撃たなかった」、そういう自己の意識、行動についての執拗な追及の記録である。「人命を撃つことが嫌いな考えから」、「故意に米兵からそっぽをむけて銃を発射」した、などという場面はなかったはずである。

『野火』も『俘虜記』も、大岡昇平の代表作というだけでなく、戦後文学を代表する傑作でもあると私は思うし、世評もそのように遇してきたと思う。吉本隆明は「文芸批評家」でもあると思うのだが、それにしては上の文章はあんまりではないだろうか。これが年齢からくる生理的な衰えによるものならそうそう責められないとも思うが、それならば文芸批評にしろ、文明批評にしろ、この種の仕事はもう止めたほうがいいのではないだろうか。しかし、出版社の編集者や吉本隆明の周囲の人たちはこの誤りに気づかなかったのだろうか。『野火』、『俘虜記』という作品の価値を思えば、信じられないことである。

また吉本隆明は、同じ文章のなかで「大岡昇平は岩波書店のわたしの知らぬ編集者を使いによこした。」となんだか不満げに書いているが、これは吉本隆明が、大岡昇平に文章の訂正を要求するだけでなく、埴谷雄高にも岩波書店にも大岡昇平に訂正を要求する書信を送ったことを通知したから、その時富士の山小屋にいた大岡昇平は動きようがなかったので、岩波書店の担当編集者に「どうすればいいのか」という伺いをもって吉本宅に行ってもらったと、後に『文学界』に連載していた「成城だより」に書いている。大岡昇平は出版社にまでその話をもちこんだ吉本隆明の行動を「異様」と述べていた。

吉本隆明が文章の最後のほうで、「気の弱い人ならくさり果ててしまうかいびられて自殺したり、殺されたりしてしまう。」と述べているのには、吉本隆明自身の他人に対する辛辣な発言の数々が思い浮かんで、私はあきれて笑ってしまった。
2011.08.11 Thu l 吉本隆明 l コメント (0) トラックバック (0) l top
吉本隆明が書いた文章は数多いと思われるが、私の場合、雑誌などに載ったものを折りにふれて読んだだけでまとまったものを読んだことはこれまではなかった。本箱をみてみたところ、「わが転向」(文春文庫1997年)という文庫本が一冊あるきりである。今回、遅ればせながら、「「反核」異論」」(深夜叢書社1982年)と「「情況への発言」全集成3」(洋泉社2008年)の二冊をつづけて読んでみたので感想を述べてみたいと思う。「「情況への発言」全集成3」のほうは、吉本隆明が1961年から長く私家版で発行していた「試行」という雑誌に1984年から1997年にかけて発表した文章を収めたもののようである。内容はすべて、主(おそらく吉本隆明自身のことではないだろうか)と客との対話で構成されている。「「反核」異論」」もそうだが、読んでいて刺激的で興味津々のおもしろい内容の本であることは間違いない。客にいたっては、気に入らない相手に対して「死ね! 馬鹿野郎。」なんて凄まじい悪態もついていたりすることだし。けれども、当人たちが熱意と確信をもって断言調で語っていることが錯誤の少ない思想的にすぐれたものであるかどうかについては大いに疑問があるように感じた。気にかかったことをつらつら書いてみたい。

この時期に少し吉本隆明の本を読んでみようかと思ったのは、5月に毎日新聞「特集ワイド 巨大地震の衝撃 日本よ! この国はどこへ行こうとしているのか」に掲載された吉本隆明の発言を読んだからだった。吉本隆明の談話は、「科学技術に退歩はない」のタイトルで、次のようなものであった。

「原子力は核分裂の時、莫大なエネルギーを放出する。原理は実に簡単で、問題点はいかに放射性物質を遮断するかに尽きる。ただ今回は放射性物質を防ぐ装置が、私に言わせれば最小限しかなかった。防御装置は本来、原発装置と同じくらい金をかけて、多様で完全なものにしないといけない。原子炉が緻密で高度になれば、同じレベルの防御装置が必要で、防御装置を発達させないといけない」

「ひどい事故で、もう核エネルギーはダメだという考えは広がるかもしれない。専門ではない人が怒るのもごもっともだが……」と理解を示しつつも、ゆっくり続けた。「「動物にない人間だけの特性は前へ前へと発達すること。技術や頭脳は高度になることはあっても、元に戻ったり、退歩することはありえない。原発をやめてしまえば新たな核技術もその成果も何もなくなってしまう。今のところ、事故を防ぐ技術を発達させるしかないと思います」

「人類の歴史上、人間が一つの誤りもなく何かをしてきたことはない。さきの戦争ではたくさんの人が死んだ。人間がそんなに利口だと思っていないが、歴史を見る限り、愚かしさの限度を持ち、その限度を防止できる方法を編み出している。今回も同じだと思う」

「ただ」と続けた。「人間個々の固有体験もそれぞれ違っている。原発推進か反対か、最終的には多数決になるかもしれない。僕が今まで体験したこともない部分があるわけで、判断できない部分も残っています」(毎日新聞5月27日)


インタビュアーの毎日新聞記者は、「吉本さんの考えは30年前と変わっていない。「『反核』異論」にはこんな記述がある。<知識や科学技術っていうものは元に戻すっていうことはできませんからね。どんなに頽廃的であろうが否定はできないんですよ。だからそれ以上のものを作るとか、考え出すことしか超える道はないはずです>」と記している。

原子力発電(所)の技術開発を推進するべきという点では吉本隆明は確かに「30年前と変わっていない」。けれども、「今回は放射性物質を防ぐ装置が、私に言わせれば最小限しかなかった。」と話している点については、昔はそんなことは言っていなかったのではないだろうか。吉本隆明は原子力発電の危険性について、「航空機や乗車事故よりも危険がおおいともおもわない。」(「情況への発言」全集成3)と述べている。

航空機事故や自動車事故がどんなに巨大かつ悲惨な規模のものであっても、その事故がその後の数年、数十年にわたって地球上の大気や土壌や水や生物に悪影響を及ぼし、被害を引きずっていくことはない。吉本隆明は故意にその点を無視しているのではないだろうか。だから、

「「放射性物質は、その放射能が半減する半減期が、いちばんみじかいものでセシウム137の30年、プルトニウム239にいたっては、何と半減期が24360年である。いま日本に蓄積されている放射性物質はドラム缶で50000本をとうにこえており、この南太平洋への海洋投棄がおおきな政治問題化しているのも、周知のことだろう。」

などと語る人に対しては、

「知ったかぶりをして、つまらぬ科学者の口真似をすべきではない。自然科学的な「本質」からいえば、科学が「核」エネルギイを解放したということは、即自的に「核」エネルギイの統御(可能性)を獲得したと同義である。また物質の起源である宇宙の構造の解明に一歩を進めたことを意味している。これが「核」エネルギイにたいする「本質」的な認識である。すべての「核」エネルギイの政治的・倫理的な課題の基礎にこの認識がなければ、「核」廃棄物汚染の問題をめぐる政治闘争は、倫理的反動(敗北主義)に陥いるほかないのだ。」

と頭から否定し罵っている。「半減期」云々の説はおそらく正確な事実なのだろうから、別に吉本隆明から「知ったかぶり」と罵られるいわれはないと思うのだが…。加藤周一は、医者として1945年8月6日の原爆投下から1ヶ月後に患者の治療のために広島に入った経験をもつそうだが、20世紀に積み残した課題として、核エネルギーについて「1930年代の終りに核分裂がわかった。そうすると、物理学者は圧倒的に強大なエネルギーが核のなかに入っていること、そしてそれが原則として解放されることがあり得ることを知るようになったのです。それは、第二次大戦が起る前です。それが爆弾になり原子炉になった。」と述べた後、次のように語っていた。

「核エネルギーの問題は先延しです。先に行っても安全だから使っているのではなく、先になったときわれわれは死んでしまうから、後は野となれ山となれということです。核エネルギー政策というのはそういうものです。あと10年や20年は大丈夫、つまりわれわれの生きているうちは大丈夫だと、賛成する専門家たちはいっているのです。しかし、われわれが死んだ後どうなるかの保障は何もない、どうなるかわからない。」(「20世紀はどういう時代か」1993年)

加藤周一の認識のほうが現実に即して正確だと思う。「核」エネルギイを解放したということは、即自的に「核」エネルギイの統御(可能性)を獲得したと同義である」とは言えないことは、不幸なことに今回の原発事故が明瞭に証明したと言えるのではないだろうか。吉本隆明は、1982年に当時の日本の文学者たちが反核の声明を出したり、署名を集めたりの運動をしだしたころから反原発を主張する人に対して「ソフト・スターリニズム」とか「反核ファシズム」「反動」などといって批判・非難をつづけている。

「反原発などといっている左翼、進歩反動たちは、みな文明史にたいする犯罪的理念だよ。文明史の到達点としての原発を否定するのは、いいかえれば焼石や木片マサツ、風車や水車から蒸気機関というようなエネルギー獲得の手段史として原子力発電(所)をみたばあい、これに反対し否定するのは人類の文明史にたいする蒙昧と反動だ。」「原則は、原発の科学技術安全性の課題を解決するのもまた科学技術だということだ。それ以外の解決は文明史にたいする反動にしかすぎない。」

それだけではなく、どんな根拠をもって述べたのか知らないが、「ソ連原発事故のようなものは確率論的にはあと半世紀は起こらない。」とも断言している。いい加減な態度・姿勢としか言いようがない。彼を「戦後最大の思想家」と称える人たちはどんなところを指してそう述べているのだろうか。上述の「「情況への発言」全集成3」から1989年2月に私家版『試行』に掲載されたという文章を長くなるが下記に引用しておきたい。(なお、原文の傍点は下線にかえた。強調の太字は引用者によるもの)


 …原子力発電(所)とはなにか? これが建設され、運転され、じっさいに電力エネルギーを30%供給しはじめていることは、どんなことか? しかるが故に原子力発電(所)に反対であるか賛成なのかをきめるには、いくつかの層をかかえている。その層のひとつひとつについてチェックしてゆくべきだと考える。これを反核、反原発、エコロジーなどと収斂させるのは、反動以外の何ものでもない。
 まあざっとかんがえて、混用したり、ひとつに収斂させたりしてはならない原発問題の層をいくつか設定してみようじやないか。

⑴ 安全性の層
 これには二つあるとおもう。ひとつは文字どおり、装置のもつ安全設計の問題だ。大前研一の記述のとおり、かんがえられるかぎり、ほかのどんな科学技術装置よりも何重もの安全設計が行われている。それでも大事故が起こりうる可能性は、操作ミスを含めて皆無ではない。小さな事故はいつでも起こっていて、その都度、部分的な補正や改造や取りかえがやられているだろうが、チェルノブイリのような事故が発生するのは皆無だという保証はまったくない。それは人間の手になる装置であり、操作もまた人間の手によるものだからだ。だがいっておくが反原発のヒステリイどもがいう「危険な話」は嘘と誇張にしかすぎない。事故が絶村に許されないというのも嘘だし、かつての炭坑労働者のように危険を知りつつも、生活や困窮のため仕方なしに働いているというのも嘘だ。いってみれば現代的な設備と建物と装置にかこまれて、絶対の安全感のうえで働いているといったほうがいい。ただ繰り返しいうが、この絶対的な安全感は、絶対的な安全性とおなじでないことは、あらゆる技術的装置とおなじだ。絶対的に安全な装置などありえないから、おまえは科学技術の現場にあって技術にたずさわること、新しい技術を開拓することをやめるかといわれれば、わたしならやるにきまっている。危険な装置の個所や操作の手続に不安があれば、何度でもおなじ実験を繰り返して、対応の方法を見つけだすまでやる。それが技術家の良心だ。反原発運動などといっている文士や知識人や、いかがわしいルポ・ライターや、テレビ・ディレクターどもには、ひとかけらの良心も、技術の開拓者としての心がまえもありはしない。ただじぶんの空想的な危険感と恐怖感をじぶんの心に秘めておけばいいのに、それをソフト・テロリズムの手段にして、大衆の無知と恐怖心と不安感を組織している。しかも良心の名を使いやがって。
 おれはすこしも原発促進派ではない。だが原発を廃棄せよと主張するような根拠はどこにもない。ソ連原発事故のようなものは確率論的にはあと半世紀は起こらない。半世紀も人命にかかわる事故が起こらない装置などほかにないし、航空機や乗車事故よりも危険がおおいともおもわない。大衆や婦女子の恐怖心に訴えるソフト・テロなど粉砕すべきだし、改廃を論議し市民の運動としたいなら大衆の理性と知性に訴えられなければ、そんなものは反動にすぎないのだ。
⑴の安全性の層について賛否をいえば、おれなら反原発運動に反対。原発促進にも積極的に同意する根拠と立場をもたない。だからといって原発促進にすぐに賛成ということにはならない。それは一般大衆の場所と政府や原子力公団の場所との距離の遠さを無視することになるからだ。

⑵ 地域・経済・利害的な層
 ここでいうのは、そんなだいそれたことではない。原子力発電所を建設地として誘致すると、どれだけの補償金が地方自治体に入り、工事を請負った土建業と関係者がどれだけの利権を手に入れ、公団がどれだけ利益をうるか、地域の住民にはどんな程度の危険感がただようものか、といったことだ。このことではふつうの住民がかげで煮湯をのまされたり、心のなかと表立って発言することと本音とは、たてまえほどちがっていたりということがありそうな気がする。おれならば「反原発」ないし「地域管理原発」を主張したいのはこの問題の層だけだ。
 東京に原発をつくれなどといって脅しているつもりの、バカなソフト・テロリストもいるくらいだから、隣の寺の墓地に原発をつくれなどということもあるかもしれない。そしたらどうする? ちえっ、おれにたいしてはそんなの脅しにもソフト・テロにもならないさ。できるだけ高額の補償金と移転料を獲得する運動を組織するかもしれないし、反原発の住民連中が引越したあと、涼しい顔して住みつづけるかもしれない。ただ嘘と誇張とヒステリックな擬態にみちた、いまの反原発連中や社共のようなぐうたら政党の介入を絶対に許さないことは確実だな。問題は、はっきりしている。地域住民の無言の利益を守ること。安全だとおもっている住民が気持ちよくとどまれるようにすること。危険だとおもっている住民に気持ちよく退去するに充分な補償金をたたかいとること。そのほかの反原発の理念など虚偽としてゴミ箱のなかにたたき込むこと。それだけさ。

⑶ 科学技術的な層
 おれは科学技術的な層の問題として原子力発電(所)が存在することに賛成だ。すくなくとも一度でも科学技術にたずさわったことのあるものとして、原子力を発電に利用しようとする装置を考案し、製作し、作動させて、電力エネルギーの30%供給までチェルノブイリ規模のような人命事故を起こさないできた技術の現状を、否定し廃棄すべき根拠がない。安全装置をもっと多量に、充分にという技術的課題に限度はないということを認めるとしてもだ。
 もちろんそうまでして原子力発電に固執する根拠はあるのか、という疑問はありうる。だがこの疑問は、反原発の半端もんたちは、ヒステリイ病状を露呈してまで、どうして反原発の迷蒙に固執するのかという疑問とおなじ意味でだ。おれがこの原発問題にそれほど本気になれないのは、科学技術の進展が、一挙にこの間題を解決してしまうことが、ありうるとおもうからだ。それが超電導常温物質の発見であってもいいし、太陽発電所の宇宙空間設置であってもいい。またその他であってもいい。このどれひとつでも〈危険〉がないでもない原子力発電(所)の問題を無化してしまう。そういうことは充分に短い期間内にありうることだ。チェルノブイリ級の原発事故は、確率論的にもうあと半世紀はありえない。反原発連中はほっとけば自然消滅するが、おなじように原子力発電(所)自体も、科学技術の歴史の途上で自然消滅して他のより有効で安全性のより多い技術に取って代わられるに決まっている。ただ原則は、原発の科学技術安全性の課題を解決するのもまた科学技術だということだ。それ以外の解決は文明史にたいする反動にしかすぎない。

⑷ 文明史的な層
 これはもう自明のことだ。反原発などといっている左翼、進歩反動たちは、みな文明史にたいする犯罪的理念だよ。文明史の到達点としての原発を否定するのは、いいかえれば焼石や木片マサツ、風車や水車から蒸気機関というようなエネルギー獲得の手段史として原子力発電(所)をみたばあい、これに反対し否定するのは人類の文明史にたいする蒙昧と反動だ。疑問の余地などどこにもないよ。

 けっきょくどうなんだ。この原発問題というのは。きみのような多重な層の問題について個別的にチェックしていけば、はっきりと疑問視できるのは、⑵の地域・経済・利害的な層の問題だけじゃないか。
 そうなんだ。狐憑きがいて原子力発電(所)の問題を、「反核・反原発・エコロジー」などといっしょくたにして原始的自然に退行して一点に凝縮させると、とんでもない迷蒙が生みだされる。ほんとは泰山鳴動して鼠一匹しかでてくるはずがないんだ。こんなのが全社会の問題たりうるとかんがえるのは、狂気の沙汰だよ。 」


上記の「⑵ 地域・経済・利害的な層」を読むと、吉本隆明は、原子力発電所を危険だとおもっている住民は気持ちよく退去するに充分な補償金をたたかいとること以外には、選択すべき道はないかのように扱っている。彼はよく「非政治的大衆」「半政治的大衆」という言葉を用いているが、この文章の論理からすると、原発の地元誘致に反対してそのために闘う住民は「半政治的大衆」であり、彼の好きな「非政治的大衆」と較べれば、さして問題にするに値しない存在ということになりかねないのではないだろうか。
2011.08.05 Fri l 吉本隆明 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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