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安倍晋三首相は、7月25日から27日までマレーシア、シンガポール、フィリピンを訪問したが、シンガポール首相やフィリピン大統領との会談で、集団的自衛権について「国際的な安全保障環境の変化を踏まえ、日本の安全を確保し、日米同盟、地域の平和と安定に貢献していくという観点から検討を進めている」と伝えたそうである。(東京新聞7月28日)

あきれてモノも言えない。安倍氏は集団的自衛権の行使検討について国内でこれほどハッキリ口にしたことはないはずだ。なぜ外国でいきなりこんなことを言い出すのだろう。こういう行動は小心者、卑怯者のやることであって、まったく安倍氏らしいといえばいえるように思う。外国で明言することによって国内で既成事実化しようと意図しているのではないか。そういえば、民主党の野田首相もTPPに参加すると最初に明言したのは外国滞在中であった。こういう手法は、最近の日本の政治家に顕著な傾向のようだ。マニラでの記者会見ふで、安倍氏は憲法改正についても「誤解がないよう丁寧に説明していきたい」と実現に意欲を見せ、同時に冷え込んだ日中関係の改善に向けて対話再開も求めたそうである。これについて、記事には「集団的自衛権などの説明は安倍政権の「右傾化」への懸念を自ら拭う狙いとみられる。」とあるが、この記事の真意は、どこにあるのだろうか。集団的自衛権の行使の宣言は、「右傾化」宣言以外の何ものでもないのだから、懸念を拭うも拭わないもないものだろうに。

集団的自衛権の行使は決して容認されない。安倍首相は同盟国である米国が攻撃されたら日本はそれを黙って見ているわけにはいかない、云々と何とかの一つ覚えのように述べているが、こういう発言は我々国民を欺くための戯言にすぎない。多くの人が指摘しているように、どこの世界に地球上で最も強力な、敵なしの軍事力をもつ米国に攻撃をしかける愚かものがいるだろうか? 中国にしろ北朝鮮にしろ、もし米国に牙をむくようなことがあるとすれば、それは米国から先制攻撃を仕掛けられた際の自殺的な一矢でしかありえない。子どもにだって分かる常識である。だから日本が集団的自衛権の行使に踏み込むということは、米国につき従って米国とともに他国を攻撃する方向に歩み出すということであり、これは想像するだに恐ろしいことである。イラクはどうだっただろうか。イラクには大量破壊兵器があるといって一方的に軍事攻撃したところ、そんなものは影も形もなかった。イラクの国土は破壊し尽くされ、何十万もの一般市民が無慈悲に殺された。なぜブッシュやラムズフェルドらの戦争責任者がいまだ拘束もされず白昼堂々自由に歩いていられるのか不思議である。アフガンやリビアも同じことだった。集団的自衛権の行使はそういう米国の侵略・攻撃の手伝いをさせられ、また自ら進んでやるということに他ならない。

安倍主張から集団的自衛権行使の話を聞かされたマレーシア、シンガポール、フィリピンの政治家たちの反応がどうであったかは知らない。経済的に密接な関係があるから政府関係者は露骨な不快感や反発は見せなかったかもしれないが、しかし民衆レベルでは今頃安倍首相に対してはもちろんだが、日本という国全体に対しても深刻な不安や懸念、反発が渦巻いているのではないかと想像する。日本の右傾化を憂慮しているのは何も中国や韓国だけではないのだ。2008年に死去した加藤周一が生前折にふれて述べていたことは、東南アジアの学生と話をすると、日本に対する不信感の大きさを痛感するということで、彼らの対日感情についてたとえば次のように述べていた。

「 東南アジアは根本的には韓国、中国と同じです。インドネシアでも、タイでも、マレーシアでも同じだと思いますが、ただちがいもあります。日本の経済的な力は、中国を支配してはいないけれど、東南アジアではかなり強い。戦争の過去から来る反感と現在の日本との経済的結びつきから受ける利益とが競合している。だから、東南アジアの国々の企業の社長や政府の役人に会えば、反日的なことをいう人は少ないでしょう。しかしタイでさえ、大学に行って学生と話せば、日本批判は激しい。おそらくマレーシアやインドネシアではさらに猛烈でしょう。」(「日本はどこへ行くのか」)

別のところで、加藤周一は日本の侵略の歴史に関して真面目に考えていない学生はアジアにはほとんどいないのではないかというくらいの印象を実感的に受けたと述べていたこともある。家族や親族を日本軍に殺されたり、災厄を押しつけられた人が大勢いるのだから当たり前のことだろう。もしその立場に置かれたら私たちだって同じ受けとめ方をするはずである。89年に昭和天皇が死去したとき、それを報じるシンガポールの新聞の辛辣な調子も忘れられない。私は何かで偶然読んだのだが、内容は昭和天皇を平和主義者であるかのように描き出す日本のマスコミと世論への不信と批判であったが、その手きびしさは想像をはるかに上回るものであった。

こちらのサイトには、1940年前後、日本がマレーシア、シンガポール、フィリピンなどの東南アジア諸国に何をしたのか、次のように記されている。

「 戦争中、日本軍に家族を殺されたマレーシア人をたくさん知っているが、彼らは、日本が侵略をし多くのアジアの人たちを殺したから原爆を落とされたのだ、原爆を落とされたのは当然の報いだ、と言っている。」「太平洋戦争が始まってまもなく、占領したシンガポールで一般市民数万人を虐殺し、マレー半島各地でも女性やこどもも含めて村ごと抹殺していった。そうした例はフィリピン各地でもあるし、最近インドネシアやミャンマーでもそうした虐殺があったことがわかってきている。」「犠牲者は、インドネシア約200万人(引用者注:400万人という説もある)、フィリピン約110万人、インドシナ約200万人など多数にのぼる。 人口との比率でいうと日本よりもずっと高い。しかも中国をはじめアジア各地の犠牲者の圧倒的に多くが軍人ではなく民間人だ。日本は死者の約4分の3が軍人であることを考えるとアジアの人々が日本の侵略によって大きな犠牲を強いられたことがわかるだろう。」

アジア諸国の一般大衆の多くは、安倍首相の「集団的自衛権の検討を進めている」「憲法を改正する」などの談話を多大な苦痛なしでは聞けないだろう。日本の侵略戦争によって最も大きな被害を被ったのは中国と朝鮮だったから、日本の集団的自衛権行使容認や改憲の動きに最も鋭敏に反応するのが中国と朝鮮であるのは当然だが、かといってそれは決して中国と朝鮮の範囲にとどまるものではないことも上述の事情から理の当然であろう。集団的自衛権の解釈変更、行使容認などまったくとんでもない次元の話でしかないのである。
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2013.07.31 Wed l 改憲・集団的自衛権 l コメント (3) トラックバック (0) l top
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