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4月27日付「日刊ゲンダイ」にその前日(4月26日)の小沢一郎氏の無罪判決をうけて「小沢無罪判決を多くの人々はどう評したか」というタイトルの記事が掲載されている。ゲンダイがここで言っている「多くの人々」とは、 作家の三好徹氏他、郷原信郎、内田樹、碓井広義、佐高信という諸氏のことで、この人々は一様に今回の無罪判決を寿いでいる。裁判の過程で小沢氏の有罪を決定付ける証拠は出なかったようだから、この判決は妥当なものだったように私も思う。これで有罪判決が出ていたとしたら、さまざまなシコリが残っただろう。この裁判でも検察当局の劣化がきわ立ったようである。取り調べの全面可視化、証拠の全面開示化は避けられない。一刻も早く法制化に着手してもらいたいと思う。これは警察・検察の捜査能力向上に結びつくにちがいないのだから、結局は捜査当局のためにもなるはずだ。

一方小沢氏の立場について触れると、 小沢氏の元秘書3人は一審で有罪判決を受けており、現在までの報道で知るかぎりではこの判決も妥当であるようにみえる。これに関して政治家・小沢氏の政治責任、道義責任が問われるのは当然のことだと思うが、氏のこれまでの態度・振る舞いは終始一貫他人事のようで決して誉められたものではなかったと思う。

日刊ゲンダイは90年代には小沢氏を金権政治家、自衛隊の海外派兵を企む危険な政治家だと指弾していたと記憶するのだが、現在のように小沢一郎応援筆頭メディアに路線変換した時期やきっかけは何だったのだろう。民主党に合流した後の小沢氏の例のスローガン「国民の生活が第一」に参ったということだったのだろうか。

さて日刊ゲンダイの上記5人の発言者のうち意気盛んなのは、碓井広義、佐高信の両氏である。まず碓井氏の発言から。

今回の判決の結果、既存メディアが小沢報道の検証を怠れば、間違いなく崩壊に向かいます。小沢氏を一方的に攻撃した大政翼賛的な報道は、検察のリーク情報や反小沢派の意向に流されたように見える。こうした疑念にメディアがどう答えるのか。視聴者や読者は目を光らせています。自らの非を認めず、従来の報道を正当化するような小沢叩きを続ければ、いよいよ、既存のメディアは信用を失う。 ただでさえ、若年層を中心にメディア離れは加速している。ネットやソーシャルメディアの方が、真実が混じっているだけマシだという価値観が広がっています。今回の小沢判決で既存メディアは存立の危機に立たされています」(上智大教授・碓井広義氏=メディア論) (強調のための下線はすべて引用者による。)

この発言をうけて、ゲンダイは「だからこそ、既存メディアは小沢を亡き者にしようと必死だったのだが、案の定と言うか、正義のカケラもない魔女狩りは失敗した。 小沢はもちろん、「落とし前をつけろ!」とは言わないだろうが、世間はそういう目で見ているのだ。」と述べている。

長期にわたって権力中枢に座を占め剛腕を振るってきたはずの政治家小沢氏をまるでいたいけな被害者扱い、悲劇のヒーロー扱いだが、既存メディアが視聴者や読者の信用を失ってきているのは明らかな事実にちがいない。でもそれは小沢叩きを行なってきたからではない。大手メディアの信用失墜はこの問題とは無関係で、小沢問題に関するかぎり、「視聴者や読者」が「目を光らせてい」るのは、むしろ小沢氏がその長い政治生活のなかでカネに関して全体どんな行動をとってきたのか、ということに対してだろう。 碓井氏とゲンダイは、小沢氏に無罪判決が出たことで、「あぁ、そうだったのか。小沢氏は本当は潔白だったのに、大手メディアのせいでとんだ濡れ衣を着せられ悪者にされてきたのか!」などと思った一般大衆がどれだけ存在すると思っているのだろう。一部の熱烈な信者のような人々を除けば、世のなかにそんなおめでたい人間は皆無に近いと思ったほうがいい。そのくらいのことはメディアが行なう各種の世論調査でとうに明らかになっているはずなのに、碓井氏もゲンダイも知らぬ顔の半兵衛を決めこんでいる。この点に迂闊に踏み込んだらかえって人々の小沢氏への疑念・不信をつよめたり、生活苦に喘ぐ層の怒りを買う結果になったりして、自分たちの立場を危うくしかねない、少なくとも得策ではないと感じてそうしているのではないだろうか。

小沢氏は新進党、自由党、民主党の党首時代に、税金で賄われている政党交付金をどのように使っていたのかが不明、それから莫大な額の組織対策費が小沢氏の腹心と言われる数名の議員にのみ支出され、その使途もまた不明であることなどが松田賢也氏の著書には克明に記されており、上脇博之氏のブログではこの件もふくめて小沢氏のカネの問題(もちろん、問題はカネの件にとどまるものではないが。)について丁寧な調査・検証がなされている。小沢氏が問題なのは、これらについてこれまで一度もまともな説明をしたことがない、ということだ。少なくとも私には小沢氏の説明が腑に落ちたという経験の記憶はない。

年収200万、300万、あるいはそれ以下の低額所得者でも納めなければならない税金は当事者にとってかなりの額、きびしい割り当てになるのであり、多くの者は身を削る思いで納税の務めを果たしている。税金の大半はそのように人々のなけなしの財布から出ているのが実状だと思うが、そのなかの決して少なくないカネの使途を小沢氏は不明にしている。その一方当人は数々の不動産を買っているとか選挙に際してグループの議員たちに総額数億円にも上る多額の寄付配分をしているなどの実態を知らされれば、有権者の脳裏にその政治家に対する「なぜそんなにお金があるの? 打ち出の小鎚でも持ってるの?」という疑問が浮かぶのは当然のことである。 これは税金と関係あるかないかは判らないが、前述した松田氏の著書には小沢氏の不正な金銭強奪についての野中広務氏による生々しい証言さえ記されている。日刊ゲンダイが小沢氏を潔白と断言するのならダンマリを決めこむ小沢氏に代わってこれらの件についての全体を紙上で懇切に説明したらいいのではないか。まさか根拠もなく一政治家の擁護・太鼓持ちを務めているのではないのだろうから、 ぜひ紙上で一大展開してもらいたい。私もそうだが、有権者は本当のことを知りたいと思っている。

次に佐高信氏のコメントを取り上げる。佐高氏は下記のように発言している。

松下未熟塾の政治家による子供の政治が終わりを告げ、大人の政治が、ようやく始まる。そんな期待が持てます。民主党における小沢一郎氏は、子供の中にひとり、大人が交じっているようなもの。小沢氏が真っ白かどうかは分かりませんが、極端な話、悪いこともできない子供には良い政治もできないのですよ。子供集団の民主党政権は、官界、財界にナメられている。だから、消費税引き上げや原発再稼働などという考えられない話が出てくるのです。政治がダメだから官が暴走し、消費税引き上げに反対する文化人を狙い撃ちにするような嫌がらせも起こっている。こうした政治を是正しなければならない。小沢氏が無罪を勝ち取ったことで、状況は確実に変わってくると思います

思わず全文に下線を付けてしまったが、これは一体全体何という情けなくもバチ当たりな発言であることだろう。こういうものを読むと、この人は途中で変質したというより、もともとろくにモノを考えることをしない・できない人物だったのではないか。時流に乗ってまんまと自分を良識派、憲法擁護派の立場に置くことに成功したものの、当初から他人の弱点を突いた攻撃を得意とするだけの鉄砲玉のように軽~い人物だったのではないか、と思いたくなる。言うにこと欠いて、「小沢氏が真っ白かどうかは分かりませんが、極端な話、悪いこともできない子供には良い政治もできないのですよ。」はあんまりだ。こういう発想・発言を指して一般社会では長らく「永田町の論理」と評してきたはずだが、この人にはどうやらその永田町の論理が完璧に染み込んでいるらしい。そうでなければこういう音は出ないだろう。

昨日5月3日は憲法記念日だったが、佐高氏は例年どおりどこかの会場で日本国憲法を擁護し、賛美する講演を行なったのだろう、きっと。そういう言動と「小沢氏が真っ白かどうかは分かりませんが、極端な話、悪いこともできない子供には良い政治もできないのですよ。」という発言が同一人物のなかに並存可能であるとして世間に通用し、怪しまれないところに絶望的な日本の現状が明示されているとは言えるだろう。佐高氏の論理でいいのなら、政治家はいっそのこと、犯罪者集団のようなところから引っ張ってきたほうが育成の手間も省けて好都合なのではないか。ここには「悪」や「善」についていくらかでも考察した気配は露ほどもない。単に、悪(狡)賢い人間、どんな手を使っても自己の勢力拡大のために剛腕を振るうことのできる人間、ふてぶてしい人間ーー要するに「つよい人間」ーーに対するこの人のつよい憧れの念が感じられる。それまで散々悪口を書いていた石原慎太郎にいざ会うと異様なまでにへりくだった哀れというしかない態度をとったことなども思い出される。佐藤優現象の強烈な推進役になったのもむべなるかなである。

小沢氏について「悪いこともできない子供には良い政治もできない」と言って擁護の主張をするのなら、小沢氏の「悪いこと」と「良い政治」とは何を指してそう言っているのか、佐高氏には事例を挙げて懇切丁寧に説明・釈明してもらいたい。このような重大な発言は思い付きの言いっぱなしで通用させてならないことは今ではもうあまりにも明らかだ。佐高氏は「 子供集団の民主党政権は、官界、財界にナメられている。だから、消費税引き上げや原発再稼働などという考えられない話が出てくるのです。」と言う。ところが、政治が「官界、財界にナメられ」る元凶の一つである「企業・団体献金」について、2009年の衆院選挙で民主党はその全面廃止をマニフェストに掲げていたにもかかわらず、政権奪取後はこの問題を21世紀臨調に諮問することで反故にした。この施策を行なったのは、政権交代後の鳩山政権下における小沢幹事長であった。何のことはない、民主党議員のなかで「財界に」政治を「 ナメ 」るスキをあたえている筆頭は佐高氏ご推奨の小沢氏だったのだ。

実は小沢氏が企業・団体献金の全面廃止を国会に上程せず、21世紀臨調に諮問したのをうけて、上脇博之氏は自身のブログでつよい懸念を示されていた。財界の資金援助をうけていてその影響下にあることが明白なこの団体が企業・団体献金の全面廃止を打ち出すはずがないと予想されたからで、結果は案の定であった。今回の小沢氏無罪判決に際しても上脇氏は下記の発言をされている。

「 政治資金規正法等も改正されるべきである。/ その主要な第一は、企業・団体献金を全面禁止すること。 民主党はマニフェストでこれを公約しながら、小沢氏が幹事長時代にこれを反故にしてしまった。 企業・団体献金は政治腐敗の温床であり株主や労働組合員の人権を侵害しているから、 即刻法律改正して全面禁止すべきである。 」(/は改行部分)

さて先に引用した佐高氏の発言中の「だから、消費税引き上げや原発再稼働などという考えられない話が出てくるのです」という部分についての感想は、あぁ、佐高信という人はこんなにまで小狡い人物だったのか! の一言である。小沢氏が現在野田政権の消費税増税方針に反対していることは多くの人が知っている。佐高氏はそのことを利用して、小沢氏は消費税のみならず原発再稼働にも反対しているという虚偽の宣伝をしているのだ。明白に人々(私たち)を騙しにかかっているのである。

小沢氏が昨年3.11の後1週間近く公衆の面前に姿を現さず、姿を現したと思ったら、当時の菅首相を引きずり降ろすことに一大精力を傾けたことは周知の事実である。小沢氏は、この難しい時期に菅さんに代わって指揮をとれる人物がいるのかというどこかのインタビューに答えて「いくらでもいますよ」「菅さんでなければ誰でもいい」と宣っていた。この事実について佐高氏はどのように解釈しているのか聞かせてもらいたい。91年の青森県知事選における小沢氏の活躍についての感想も聞きたい。六ヶ所核燃料サイクル基地建設が選挙の争点だったこの年の青森県知事選について、鎌田慧氏のルポルタージュ「六ヶ所村の記録 上下」(岩波書店1991年) には下記の叙述がある。

「…「地方自治体の選挙に政府が干渉するのはおかしい。準公共企業体の独占企業の団体である電事連が選挙を請け負って、カネをふんだんにだしている」 これが「核燃選挙」といわれる知事選の実態である。やってきた自民党の小沢幹事長は遊説にまわらず、青森市内のホテルに陣取って土建業者を呼びつけ、ひとり3分ずつ面会した、とのエピソードは、よく知られている。現職候補と自民党は、県財界、農漁業団体はおろか、保育園のはてまで締めつけていた。」

このような事情をみると、東日本大震災発生後姿が見えなかった間の小沢氏はあるいは東京電力などの電力業界関係者と連絡をとって対応を協議していたのではないかという推測が浮かんでもあながち無理はないだろう。むしろ一番自然な推測のようにも私には思えるのだが、これについて佐高氏はどう考えるだろうか?

それから佐高氏は昨年の原発事故の後、それまで原発推進の旗振り役を務めてきたような文化人を俎上にのせた本を出版したそうである。その本を私は読んでいないし、今後も読むつもりはないが、あるブログはその本についてブラックリストの人選がフェアではない、親しい関係にある人物は原発推進者であってもリストから除外している、という趣旨の指摘をされていた(こちらこちら)。リストから除外されているなかに佐藤優氏が入っているだろうということは、佐高氏の普段の言動をみていれば聞くまでもなく判ることである。しかしあからさまにこういう不公正・不公平な言動をみせる佐高氏のような人物に、対象が原発であれ、改憲であれ、本心から反対するというようなことが可能なのだろうか。私には疑わしく思える。

佐高氏は「消費税引き上げに反対する文化人を狙い撃ちにするような嫌がらせも起こっている。 こうした政治を是正しなければならない。小沢氏が無罪を勝ち取ったことで、状況は確実に変わってくると思います」とも述べているが、この発言には、この人の近年の文章に特有の何とも言いようのない気持ち悪さがにじみ出ているように思う。自分は消費税引き上げに反対して嫌がらせをうけている(が、それに負けずに自分は頑張っている、闘っている)という自画自賛の含意もあるのだろうが、狙い撃ちにされているという嫌がらせの内容については何も記さず、おまけに「小沢氏が無罪を勝ち取ったことで、状況は確実に変わってくると思います」などと意味不明の発言がつづいている。そのせいか、あるいは率直さに欠けるせいか、この文章にはとりわけイヤな後味をおぼえた。
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2012.05.04 Fri l 週刊金曜日 l コメント (4) トラックバック (0) l top
前回のエントリ「佐高信氏の奇妙な批判 「加藤周一への偏見」」を書くにあたって、『週刊金曜日』のウェブサイトで佐高信氏の文章を他にいくつか閲読したので、これについての感想もこの際すこし書いておきたい。

「平沼騏一郎研究の必要性」(2010/4/2)という記事において佐高氏は次のように書いている。

「 西園寺公望と原敬のリベラリズムをつぶすべく、山県有朋や桂太郎らの藩閥政治家は「大逆事件」をでっちあげる。その尖兵となったのが平沼騏一郎だった。」(下線による強調は引用者。以下同じ)

これを読んで私は「えっ!」と驚いてしまった。幸徳秋水をはじめ11名が死刑にされた1910(明治43)年の大逆事件がでっちあげであることは、事件当時から多くの人にとってすでに自明のことであった。石川啄木の日記、徳富蘆花の第一高等學校における講演「謀叛論」、永井荷風の作品「花火」などによりそのことは明確に知ることができる。でっちあげの首謀者の一人が平沼騏一郎であること、その背後には山県有朋の存在があるだろうということもずっとささやかれつづけてきたし、私なども現在そのように理解している。

しかし、山県有朋や桂太郎が事件に対しどの段階から、どのような関与の仕方をしたのかを綿密に調べあげた正確な史料を私はこれまで見たことはないし、そのようなものが存在すると聞いたこともない。まして、彼らが「西園寺公望と原敬のリベラリズムをつぶすべく」事件をでっちあげたという話は、この佐高氏の文章ではじめて知らされることである。いったいいつそんな重大な事実が明らかになったのだろうか? 

山県有朋は、岡義武著「山県有朋 -明治日本の象徴-」(岩波書店)(この本は、事実関係の記述については確実にそれもいく通りもの裏をとっているようなので、その点信頼して引用してよいと思われる)によると、日露戦争の後、山県の子分格の桂太郎に代わって西園寺公望が政権を担ったとき、山県は西園寺内閣の社会主義者に対する取締りの弱さ、不徹底に非常な不服をもち、天皇に上奏までしたそうである。変わりゆく時代の動きを感じ取り、権力者故の恐怖心に急き立てられていたのだろう。しかし大逆事件当時の首相は桂太郎だったのだから、山県(と桂)が「西園寺公望と原敬のリベラリズムをつぶす」べく、事件をでっちあげなければならない必要は特にないだろうし、上述の岡氏の本によっても、大逆事件の発生を知った山県は事実深刻な衝撃を受けたようであり、彼が事件に関与したのは事件発生の後だったことは間違いないだろう。それから山県と桂がでっちあげに動いたとしても、そのことが「西園寺公望と原敬のリベラリズムをつぶす」という思惑をもっていたという話は私にはまったく不可解に思える。山県はこのような機会に西園寺や原をおとしいれようとするような、場合によってはそれこそ自分の身に危険が返って来かねない拙劣で愚かな策略は間違ってもとらない人物であったように思われるのだ。佐高氏はこのような新説を述べる場合には、同時に必ずその根拠を示さなければならなかった。

ちなみに、森鴎外の「かのやうに」は、大逆事件当時、山県から危険思想対策を訊ねられてその応答として書かれた作品だと言われているが、山県と鴎外との親密な関係を考えると、これはおそらく事実だろうと思われる。当時の山県の頭のなかは社会主義対策でいっぱい、西園寺や原をつぶすなどという考えは露ほどもなかっただろうと思えるのだが、いったい佐高氏のこの発言はどういうことなのだろう。そもそも原敬は山県の社会主義者対策が性急過ぎるとしてその手法を問題視はしているが、思想の方向性は山県と異なっているわけではないだろう。上述の『山県有朋』には、大正時代に入ってからの山県と原の関係が次のように叙述されている。

「(山県は)思想問題については原と多分に共鳴するところがあった。山県は、当時高橋義雄に「近頃帝国大学博士連の中に国体を弁えざる愚物の輩出する」のは「痛嘆」に堪えないといったが、原に対しても学者国を誤るという論をしばしば述べた。そして、原もまたその日記の中において、前京大教授勝本勘三郎が原にむかって、相続税を高率にして財産の平均を図るべきであるという「共産主義類似」の主張をなしたと記し、「毎々学者らしき連中如此奇激の言をなせり。山県の言分には非らざれども、学者国を誤るの虞なきに非ざるべし。痛嘆の事なり」と述べている。そして、その後に原はいわゆる思想対策のむずかしいことを山県に述べ、「何か気付あらば内示を希望」し、山県は自分としても苦心しているといい、よい策のないことを原とともに嘆息し合ったのであった。そして、大正10年7月に原は山県に対し、「過激主義宣伝等に対する法律の不備」を述べて取締法規を新たに制定する必要を述べたが、山県はこれに同感の意を表明した。

岡氏のこの本によると、思想問題だけではなく、労働問題についても労働者の賃銀引上げ要求に対して、原は山県とともに現状を歎き合っている。このような原の言動を見ると、佐高氏が、大逆事件の折りに山県が「西園寺公望と原敬のリベラリズムをつぶすべく」云々と述べている根拠がどこにあるのか不思議である。これが、どうにかして原敬を山県有朋や桂太郎の策略の犠牲者のごとく描きたい佐高氏の妄想、でっちあげでなければ幸いである。さて、佐高氏は記事の締めくくりにこう述べている。

「 原敬の限界を云々するよりも、明白な敵の平沼を私は「研究」したい。味方と敵をまちがえないためにもである。」

『週刊金曜日』関係者は編集長の北村肇氏もそのようだが、佐高氏も「敵・味方論」が本当にお好きのようである。それではお尋ねしたいのだが、読者にイスラエル製品のボイコットを呼びかける『週刊金曜日』は佐藤優氏を重用してやまない。その佐藤氏は、下記のような恐るべき考えを述べている。

「アラブを贔屓筋にしている人たちは、イスラエルにやられても文句は言えないですよという話です。たとえばアルカイダ、ハマス、ヒズボラのテロリストを支援するような運動をやった場合、これはイスラエルにとって国家存亡の問題ですから、その人は消されても文句は言えない。それくらいの覚悟が求められる贔屓筋の話だと思います。」(『インテリジェンス武器なき戦争』幻冬舎2006年)

こういう人物は「人権派」を自称する佐高氏にとって「味方」なのか、「敵」なのか。「敵・味方論」を好んで口にするのなら、まず自分たちの雑誌におけるこういう重大な矛盾(と私には思われる)をこそクリアーにしてほしいものである。佐高氏は別の記事で佐藤氏を「危険な思想家」とも述べているが、佐高氏の頭のなかで「敵・味方論」と「危険な思想家」とはどのような連関をもち、どのような判別がなされているのかも表明してほしいところである。

また、原敬の限界を云々することと、敵であるという平沼を研究することは何ら矛盾しないはずである。佐高氏は敵でさえなければ、批判的研究も議論も必要ないと述べているかのようであるが、何とも一本調子の狭隘な発想ではないだろうか。過去、日本でも論壇や文壇で多くの論争が行なわれてきた。私は文学好きなので(と自分では思っている)、つい夏目漱石や森鴎外や斎藤茂吉、中野重治(彼は茂吉の歌壇における論争に年少の頃から生きる励ましを得てきたと述べている)、大岡昇平などの文学者ばかりを思い出すのだが、こういう論争は文学・読書界を活性化させてきたし、今読んでもその多くは大変刺激的なものであるが、これらが格別敵同士の間でなされたわけでないのはもちろんである。「明白な敵の平沼を私は「研究」したい。味方と敵をまちがえないためにもである。」という発言もまた、佐藤優氏を重用する金曜日に対する読者の疑問や批判をかわすための方便でなければ幸いである。

ところで、この記事「平沼騏一郎研究の必要性」によると佐高氏は今年になって『平民宰相 原敬伝説』(角川学芸出版)という本を出版されたそうである。もしかすると、この本に山県有朋が西園寺公望と原敬のリベラリズムをつぶそうとして、「大逆事件」をでっちあげたという新説についての何らかの情報が記されているかも知れないと思って、目を通してみた。しかしそういうものは、特に何もなさそうであり、むしろ何とも緊張感の欠けた生ぬるい本だなという印象を拭えなかった。たとえば原は、大逆事件についてその日記に次のように書いていた。

「今回の者共は大概肺患其他病に罹り居りて言はばヒステリイ患者同様故是れは如何ともする能はざる者と思ふ、而して是れは取締のみにては往かぬ事にて何れが社会党にて何れが無政府党なるやを識別する事は到底巡査輩の能くする所にあらざれば専門に此事のみ担当する者を定めて将来は取締るはずなりと云えり、依て余は此等に対する処置は単に鎮圧政略のみにて成功すべきものに非らず、故に公然社会政策を唱ふる如き者は之を其儘に置き無政府主義と社会主義とを公々然区別する事必要なりと云ひたるも彼は果して此趣旨を了解せしや否や不明なり」

こういう原の姿勢について、佐高氏は次のように評している。

「 末尾の「彼」とは山県有朋の子分の桂太郎である。その桂を訪ねて原は、社会主義者やアナキストはたいてい肺病その他を患っているヒステリーだから、単に鎮圧するだけではダメだ、と説いた。もちろん、巡査にはその二つの区別もつかないから、専門にこれを担当する者を決めて取り締まらなければならないとも進言したのだが、桂にそれがわかったかは不明だというわけである。
 原はここで、主義者たちの病と言っている。しかし、それは社会の方の病とも言えるのではないか。その区別が原にはついていたのか、疑問なしとしない。
 幸徳秋水らに親近感以上のものを寄せた石川啄木は、大逆事件がでっちあげられる直前の友への手紙にこう書いているが、原はそれをどう読むのだろうか。
「現在の日本には、恰も昨日迄の私の如く、何らの深き反省なしに日本国といふものに対して反感を抱いてゐる人があります、私はそれも止むを得ぬ現象と思ふけれども、然し悲しまずにはゐられません。(中略)
 現在の日本には不満足だらけです。然し私も日本人です、そして私自身も現在不満足だらけです、乃ち私は、自分及び自分の生活といふものを改善すると同時に、日本人及び日本人の生活を改善する事に努力すべきではありますまいか」
 愛したいけど愛せないと言っている啄木のような声は原の耳には届いていたのか?」(『平民宰相 原敬伝説』

私には、佐高氏の文章は、大逆事件についても、石川啄木の受け止め方についても、まったくの人ごとであるかのような筆致に感じられる。「原はここで、主義者たちの病と言っている。しかし、それは社会の方の病とも言えるのではないか。 その区別が原にはついていたのか、疑問なしとしない。」とか、「愛したいけど愛せないと言っている啄木のような声は原の耳には届いていたのか?」などの低調な物言いには読んでいて気恥ずかしさをおぼえた。もっとも、佐藤優氏について、「まさに博覧強記で、あらゆることに通じている佐藤」(「佐藤優という思想」2009/5/29)などという評価を述べる人のことだから、仕方がないのかも知れないが、それにしても、あの緊迫感にあふれた大逆事件に関する石川啄木の文章も佐高氏の引用の仕方、前後の文脈の平板さによって印象が異なって見えた。

これは佐高氏の文章と直接の関係はないことだが、この機会に、『金曜日』について前々から感じていることを言っておきたい。数年前から『金曜日』は佐藤優氏が過去の偉い思想家としゃべり合うというような企画を実践しているが、いつだったか佐藤氏がマルクスと話し合っている記事を見た。このマルクスというのが、実に日本の新聞や雑誌の論説と同レベルの内容の話をしていることに呆然としたものである。あるブログのコメント欄で「この人には畏れ多いという感情はないのでしょうか。」という書き込みを見たが、たいていの読者はそのように感じたのではないだろうか。しかしこの連載企画は『金曜日』によると好評だということだそうである。いったい誰が賞賛したり、満足したりしているのだろうか。

さて本の最後のほうになると、中坊公平氏や田原総一朗氏などの悪口が出てくるが、(田原氏はともかくとして) 中坊公平氏を佐高氏は一時期しきりに称揚し、たしか共著まで出していたと記憶するのだが、そういう自分の行動に対する総括なり反省なりを佐高氏はどこかで明らかにしているのだろうか? 私の印象では、それまでしきりに褒めそやしていた中坊氏をスキャンダルの浮上とともになしくずし的に非難し、悪口を述べるようになったように思うのだが…。

そのあたりにも疑問を感じたが、さらに不可解に感じたのは、本の最後の部分である。佐高氏は、

「もちろん、暗殺などあってはならないことだが、暗殺の対象にもならないような政治家ばかりであることに寂寥感を禁じ得ない。」

と述べて巻を終えている。日本でも世界でも、歴史上、成功、不成功を問わず、暗殺の対象とされてきたのは必ずしも国政に携わる政治家ばかりではない。民間の社会主義者や共産主義者、学者や思想家、時には文学者でさえもその対象とされてきた。1972年車に仕掛けられた爆弾で暗殺されたパレスチナ人作家であるガッサン・カナファーニもそうである。それにまた暗殺テロは強烈な存在だけが対象になるわけではない。かつて政治における死の本質は「やつは敵である。敵を殺せ。」という錯誤の論理だと述べた作家がいるが、上記の佐高氏の発言ははなはだ無思慮、軽率に過ぎるように感じられ、その了見を疑わしく思った。
2010.08.08 Sun l 週刊金曜日 l コメント (0) トラックバック (0) l top
   
私は『週刊金曜日』の購読者でもなく、佐高信氏のファンでもないので、佐高氏の文章に触れるのは偶然の機会だけで、今回『金曜日』で「加藤周一への偏見」という記事を読んだのもたまたまのことだった。が、一読してから2、3日たつのにいまも妙に気持ちにひっかかりがあるので、エントリをたてて感想を書くことにした。佐高氏はこう述べている。

「極端に言えば、加藤には偏見がないから好きになれない、ということになる。偏見などないほうがいいに決まっているではないか、と直ちに反論されるかもしれない。しかし、私は偏見にこだわりたい。いわゆる偏見を打ち砕くのも別の偏見だと思うし、第一、偏っていない見方などあるか、と開き直ることもできる。最近、二八年前に私がフリーになった時の「独立記念文集」に山田太一が書いてくれたものを再読して、なおさら、そう思った。山田は当時三七歳だった私を「偏見も適当にあって」、それがライターとしての味つけになるだろうといった意味の励ましをしている。」

う~ん…。何かを述べているようでいて、実は聞くべき中身は何もないように思う。加藤周一について「偏見がないから好きになれない」と言うのだが、佐高氏の頭のなかでこの「偏見」はどんな意味、どんなイメージをもっているのかが一言も語られていない。またその後すぐに「偏っていない見方などあるか」とも述べているが、それならなぜ「加藤には偏見がない」という言葉が出てくるのだろう。加藤周一の「知性のあり方にどこか「目黒のさんま」的なものを感じる」という発言にしても、これも何も説明していないどころか、むしろ見当違いなことを述べているように感じる。加藤周一は、欧州やアジア各国の大学から呼ばれては出かけて行って(本人いわく、小さなトランクを一つだけもって行くそうだ。)、長い外国暮らしを経験している。文章を読むと、どこに住んでいても、それぞれの社会において見るべきこと、感じとるべきことを十分に見、感じとっていることが察せられる(注1)。紀行文を読むと、あちこちの街を自由に歩き回り、そのせいか一般大衆との接触もいたってスムーズ、時にはかなり密だったように見える。もしかすると、このような視野の広さ、自由人の感じが偏見のなさに繋がり、よって「好きになれない」とでも?

「偏見を打ち砕くのも別の偏見だと思う」という見解についても同種の指摘ができると思う。どのような偏見が、別のどのような偏見を打ち砕くことが可能なのか、さっぱり分からない。一般には聞かれないこういう特異な意見を表明する場合には、その事例を具体的に示すのが書き手の責任ではないだろうか。こんな調子では「偏見」という言葉を弄んでいるだけで、実は佐高氏は具体的例を示そうにも示すべき何ものももたずに「偏見」という言葉を振り回しているだけなのではないかと疑いたくなる。

上の文章のなかで具体的に書かれているのは、昔、自分が山田太一氏から「「偏見も適当にあって」、それがライターとしての味つけになるだろうといった意味の励ましを」もらったということだけである。「ふ~ん。褒めてもらってよかったね」としか言いようのない内輪の話だが、上の文を読んで読者の頭に具体的に残るのはこれだけのようにも思う。それから、かつて江藤淳と対談した時に江藤が話してくれたという加藤周一に関する別におもしろくもない逸話を述べて、

「加藤と同じ陣営に属する私への冷やかしのタネにもなるようなことを、加藤はどうしてしてしまうのか。」

などとも書いているが、これも何を言いたいのかとっさには理解しにくい奇妙な文章である。「同じ陣営」といっても、佐高氏が加藤周一と同じ陣営に属しているとはもう誰も考えないと思うのだが(注2)。ひょっとしてこれは佐高氏の世間に対するそれとないアピール、自己主張なのだろうか。次の記述も意味不明だ。

「加藤への偏見を消せないまま、私は竹内の指摘を読み返す。

「秀才たちが何を言うか、私だってこの年まで生きていれば大方の見当はつく。たぶんそれは全部正しいにちがいないのだ。けれども正しいことが歴史を動かしたという経験は身にしみて私には一度もないのをいかんせんやだ」」

竹内好が「秀才たちが何を言うか」と言ったからといって、これが加藤周一とどう結びつくのだろう。竹内は「秀才」として加藤周一の名前を出して批判しているというのだろうか? もしそうならば、どのように描いているのかを示すべきだ。またもし加藤周一の名前が出ていないのに、佐高氏が勝手にこのような書き方をしているのなら、それは汚い手である。第一、竹内好自身、東大文学部支那文学科出であり、秀才であることに変わりはないのだから、これだけでは「秀才たちが何を言うか」という言葉自体、わけが分からない。この後、加藤周一が竹内好を論評した「竹内好の批評装置」という文章を引用するつもりだが、そこで加藤周一は、竹内好が「東京帝国大学の秀才たちがつくりあげた官僚国家」に反撥をもっていた旨を書いているが、竹内好が述べているという「秀才たち」というのは、竹内好の同級の官僚候補生たちのことではないのだろうか? というのも、彼は『教養主義について』(1949年)という文章で、加藤周一をひどく称讃しているのだ。

   
「加藤周一を、私は、フランス文学研究者のなかで、というより、一般外国文学の研究者のなかで、いちばん尊敬している。私が尊敬するのは、(略)方法の新しさ、というよりも、その新しさを支えている自覚的態度、ということであって、その点で、私は教えられるところがある / かれは外国文学を研究するには、自分がそのものになるところまで行かねばならぬと考えており、しかも、それを、日本文学の伝統だといいきっているところである。こういう自覚的態度は、私の考えでは、日本の歴史にかつてなかった。」

このように竹内好自ら「いちばん尊敬している」「日本の歴史にかつてなかった」とまで言明している加藤周一に対して、一転「秀才たちが何を言うか」というような罵声を放つことがあるのだろうか。疑問を感じるのだが、ただ先程述べたように、加藤周一は『竹内好の批評装置』(『展望』1966年11月号)というかなり長い批評文を書いている。実はこれは竹内好に対する大変きびしい指摘をふくむものである。その一部を下記に引用するが、加藤周一はまず

「竹内好は東京帝国大学の秀才たちがつくりあげた官僚国家への反撥から、魯迅のなかに自己を見出そうとしたのだ。とにかくここに、私が彼の原経験とよぶものがある。彼の文章で、直接間接に、それと係りのないものは、一つもない。」

と述べ、竹内好の原体験が魯迅との出会いであり、この出会いが竹内好の人生を決定づけるいかに重大な出来事であったかについて十分な理解を示しているわけだが、ただし竹内好はこの原体験に普遍的な契機をもちえていないと言い切っている。

「私は先に竹内の原経験がそれ自身のなかに普遍的な契機を含まぬものである、といった。その原経験を通じては、西洋文明の帝国主義的な面と普遍的な面とをひきはがすことができない。別のことばでいえば、西洋文明のなかの何が普遍的な要素であるかを、その原経験から出発して、区別することはできない。しかしそれを区別しなければ、竹内のアジアは、民主主義の原理そのものの普遍性をも、帝国主義の特殊性のなかに解消し、一括して拒否せざるをえなくなるだろう。その結果、偶然にではなく、全く必然的に、たとえば英米対日本の戦争を、帝国主義相互の戦争であり、同時に民主主義対反民主主義の戦争であると考えることが、複雑な現実への接近ではなく、複雑な現実についての考えの「混乱」へみちびくことになるのである。
(略)
特殊な歴史的条件のもとにない文明はない。しかし普遍的なものに向わぬ文明もない。特殊性の立場に終始するならば、それは自己主張にすぎず、自己主張はそれだけでは文明ではない(だからたとえばナチの人種優越論と日本帝国主義の日本神国論も、ドイツ人民と日本人民を含めて人間の尊厳のために、叩きつぶさなければならないものであった。たとえそれが帝国主義間の争いを通じてのみ可能であったとしても、それが叩きつぶされるべきものであった、ということに変りはないのである)。
(略)
竹内の説は、議論の前半、現状の批判のところで申し分なく鋭い(それが竹内好の批評装置と私のよぶものである)。議論の後半、そこでどうすればよいかというところでは、甘いと私は思う。それが私に甘く聞える理由は、二重である。その一つは分析の道具としての概念そのものに係り、もう一つは事実判断の内容に係る。そしてその二つは、むろん密接にからんでいる。」

と述べたあと、竹内好が用いる概念―たとえば、「エリート」、「民衆」について-の曖昧さ、および事実関係―たとえば、「日本の独立」ということ-についての認識不足などを徹底して批判している。

「竹内の原経験から出発した批評装置の提出する問題をとくために、われわれが必要としているのは、そこに客体化された状況に綿密な分析を加えることだ、といいたい。科学的な分析と思考は、目的を選択する究極的な根拠を、あたえるものではない。しかし目的を実現するための方法を洗煉するために、欠くことができないのである。」

加藤周一は竹内好の批評装置には「科学的な分析と思考」が欠如しているという判断をしているわけである。この評価は、「近代の超克」(1959年)や「日本とアジア」(1961年)などの論文に見られる竹内好の主張を批判したものと見て間違いないと思われるが、適切な批判といえるのではないだろうか。

   
この「竹内好の批評装置」は上述したように筑摩書房の『展望』1966年11月号に掲載されたものであるが、ちょっとおもしろいのは、同じ66年の『展望』6月号に、竹内好の「学者の責任について」という文章が掲載されていることである。この文章には「遠山茂樹氏に答える」という副題も付いている。竹内好の書いている内容から判断するに、竹内はその少し前に、遠山茂樹を始めとした何人かの歴史学者から樽井藤吉や葦津珍彦や「侵略と連隊の問題」に関して批判を受けたらしい。竹下好によると、自分について遠山茂樹は次のように述べたとのことである。まず、

「竹内好氏は、日本がアジアの中で唯一の帝国主義国であったし、戦後も帝国主義復活の途を歩んでいること、そのことが日本人にとって、いかに深刻な思想の問題をもたらしたかということ、そして日本人がその国民であることの主体的な責任感が弱いこと、したがって、そうした情況から脱却する可能性を失っていることを一貫して論じつづけられた。」

と従来の竹内好の仕事について敬意の感じられる判断を表した上で、

「竹内氏の問題意識を私はそう理解するのだが、その間題意識からする時、アジア主義を『アジア諸国の連帯(侵略を手段とすると否とを問わず)の指向』と定義づけることの現代的意義がどこにあるか疑問をもたざるをえない。

竹内氏は、アジア主義者たちの『主観』や『意図』や『目的』を専ら紹介する。それを引き出す根拠とする史料は、主として、後年の弁明の書か、後継者の筆になる頒徳的伝記である。こうした史料を無批判に採用するのでは、当年の『主観』『意図』『目的』がはたしてそうであったかどうかを論証することはできない……」 

遠山茂樹のこの批判に対して、竹内好は

「私の感じでいうと、歴史家は文献の読み方が甘い。文字の表面だけをかすっている。眼光紙背に徹するまでは望まぬが、せめて紙中にはとどいてもらいたい。そうでないと「主観」や「意図」や「目的」どころか、歴史学の眼目である「事実」の確定さえできぬではないか。歴史家の間では、史料の価値順位が他律的に決められているらしいが、これこそ私から見て「史料を無批判に採用する」態度なのだ。黒竜会文書を疑いの眼で見るのはよい。しかしそれならば、政府の公文書は、もっと大きく活眼を開いて読むべきだ。」

などとかなり執拗に歴史学者の事実を見抜く目の甘さ、怠慢を攻撃している。あくまでも、アジア主義者たちの侵略の意志のなかには連帯意識が存在したと言いたいのだろうが、それならば、歴史学者に「文献の読み方が甘い」と言う前に、歴史学者たちをも納得させるだけのアジア主義者たちの「連帯」を示す具体的な史料を提出すればよかったのではないか。遠山茂樹に「(竹内好の)根拠とする史料は、主として、後年の弁明の書か、後継者の筆になる頒徳的伝記である」と批判されるような史料では仕方がないのではないだろうか。

そう思ってしまうのは、私は遠山茂樹の著書は「明治維新」しか読んでいないのだが、その読後感は竹内好のどの文章よりも「文献の読みが緻密」である印象は圧倒的なのである。『展望』における加藤周一の竹内批判は「竹内対歴史学者」の論争と関係があったのか、それとも偶然なのかは分からないが、竹内好の頭上にブーメランとなって刺さったのではないだろうか。

加藤周一のこういう文章を読むと、佐高氏の「加藤には偏見がないから好きになれない」とか、「加藤への偏見を消せないまま、私は竹内の指摘を読み返す」などはいかにも頓珍漢で、見過ごしにくかった。

    ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

(注1)加藤周一の発言を見ると、細やかな神経でものごとの核心を掴んでいることを感じさせられることが多い。たとえば、次の各発言。

○「インドネシアでも、タイでも、マレーシアでも同じだと思いますが、ただちがいもあります。日本の経済的な力は、中国を支配してはいないけれど、東南アジアではかなり強い。戦争の過去から来る反感と現在の日本との経済的結びつきから受ける利益とが競合している。だから、東南アジアの国々の企業の社長や政府の役人に会えば、反日的なことをいう人は少いでしょう。しかしタイでさえ、大学に行って学生と話せば、日本批判は激しい。おそらくマレーシアやインドネシアではさらに猛烈でしょう。」(『過去への反感と現在の経済的結びつき』)

○「韓国・中国・タイ・マレーシア・シンガポール等の政府は特に日本に反対してはいない。失言に我慢がならないときは抗議するけれども、それは極端な場合で、日本の経済力に依存しようとするところもあって、曖昧にされるのでしょうが、みなさんのうちどなたかが、アジアのどこかの国で誰か一般人をよく知っていたら、対日感情が良好などとはとてもいえないでしょう。」(『戦後50年の意味するもの)

○「侵略戦争であるかないかを問題にしているのは、日本だけです。必ずしも被害国じゃなくても、どっちかなどということを考えている国はほかにはないでしょう。もちろん韓国や中国やマレーシアでそんなことは問題にならない。日本人に殺されたわけじゃないけど、パリでも「あれは侵略戦争であったかなかったか」ということは誰も問題にしていないでしょう。そういう問題を考えること自体が、鎖国心理のあらわれで、日本の特殊事情です。天下の常識に従えば、侵略戦争だ。」(『同上』)

○「日本政府は迷惑だから(沖縄の)基地を縮小したいと主張することもできない。その大きな理由は、日本がアジアで孤立しているからでしょう。アジアの国々もそれを望まないということになる。」(『同上』)


(注2)もう1年以上も前の記事になるが、ブログ「ヘナチョコ革命」には下記の文章が載っている。

「 「週刊金曜日」がやったことといえば、札付きのイスラエル支持者の佐藤優にはイスラエル支持の記事は書かせないが、それでも彼に紙面を提供して他の話題を書かせ、彼に金を払い、結果的に彼を支援して、「週刊金曜日」以外でなら、イスラエル支持の記事を書こうが演説をしようがそれは構わないという立場だ。/ この「週刊金曜日」の行為は、イスラエル支援企業の製品を積極的に買う行為あるいは宣伝する行為と、どこがどう違うのだろうか?/ 誰か、この疑問に答えて欲しい・・・」(「週刊金曜日」編集部とのやりとり~① 2009/3/19(木) )

ブログ主の檜原氏の「誰か、この疑問に答えて欲しい・・・」という問いに対し、金曜日の行為を擁護できる答は、世界中を探し回っても見つからないだろう。これはプラトンの時代のはるか以前からそうなのだ。ただし詭弁というものの存在をのぞかなければならないが。
2010.08.03 Tue l 週刊金曜日 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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