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3.風間さんの長男への関根氏の暴力

検察や裁判所の主張する「車の両輪」説が強引さや筋違いの無理を感じさせる理由の一つに、結婚3年目ころから始まった風間さんの連れ子である長男に対する関根氏の日常的な暴力や暴言の存在がある。風間さんは控訴審の公判廷で関根氏と結婚した理由についてきかれ、「アフリカケンネルのこともあったが、明るくて力強く、当時4歳の、自分の子供のFくんにも優しかったから、いい父親になってくれると思った。」と答えている。昭和57年(82年)に長男をひきとって離婚した後、風間さんには息子によい父親を与えたいという思いがつよかったようで、そのことは「Fくん本人は父親がいなくて寂しいとは思わなかったようだが、自分がどうしても息子にいい父親をつけたかった」などの供述の端々から如実に感じられることである(「アフリカケンネルのこともあったが…」という上記の発言の真意は、もともと動物好きだった風間さんにはアフリカケンネルの仕事も魅力があったということだと思われる。)。そのような過程で結婚生活に入った風間さんにとって、関根氏の息子への暴言や暴力は、その乱脈な女性関係などへの違和感ともあいまって、次第に関根氏から気持ちを引き剥がしていくものであった。風間さんは第一審の公判廷で「(時がたつにつれ関根氏に対して)自分やFに対する関心が薄れてくれれば良いと思うようになっていった」(第58回公判)と述べている。
風間さんは平成4年(1992年)暮れ、アフリカケンネルに税務調査が入った際、弁護士から「離婚をして不動産名義を被告人風間に移し、被告人関根は県外へ一端出て、別居したほうがいい」(一審弁論要旨)との進言をうけ、これを奇貨として関根氏と離婚することができたのだが、このとき潜在的にもっていた「怒らせると何をされるか分からない」という関根氏への恐怖心(風間さんは日頃関根氏から「ただで別れられると思うな」と言われていたとも供述している。)を撥ねのけて、「離婚してください」と切り出せたのは、税務調査の直後の平成5年1月に長男への激しい暴力沙汰が発生したためで、この時「このままでは息子が殺される」「今のままでは息子をだめにしてしまう」(第一審第58回公判・控訴審第12回公判)とのつよい危機感をもったためだったという。


検察官のあきれた主張

この件について、論告文は次のように主張している。

「被告人風間は、被告人関根が、被告人風間のいわゆる連れ子であるFを疎んじ、特に、平成5年1月ころにFが自宅の現金を持ち出したことで激怒し、Fに対し重傷を負わせるほどの暴行を加えたことが離婚にふみきった原因である旨供述しているが(第58回公判における供述)、 Fは、右暴行について明確に記憶していないとのことであり(証人Fの証言、なお同証人は、被告人風間が主張している、階段から落とされたり玄関先で裸で正座させられたりコンクリートブロックを載せられたとの被告人関根による暴行の事実を明確に否定している)、 その暴行の一部を目撃したY子(注:風間さんの母。Fの祖母)も、さほどの暴行でなかった旨述べている(証人Y子の証言)。しかも、Fとしては、右現金持ち出しの際、被告人関根が加えた暴行よりも、被告人風間が怒ったことの方を良く記憶しているとのことであるから、被告人風間の前記供述は信用できない。」 (『一審論告』p271~272)

あきれた言い分であるとしかいいようがない。検察官は風間さんの母親や長男の証言を明白に歪曲している。「Fは、右暴行について明確に記憶していないとのことであり」、「階段から落とされたり玄関先で裸で正座させられたりコンクリートブロックを載せられたとの被告人関根による暴行の事実を明確に否定している」との検察の主張だが、長男(F)は、このような暴行を受けたのは事実だが、それはこの時ではなく、別の時だったと思う、と述べているのである。関根氏からどんな暴力を受けてきたかについて、彼は、控訴審の公判で下記のように証言している。

「関根に殴られたのは 何回?
  「分からないくらい多かった。(略)平手、げんこつ、木刀、いろいろ。」
橋から落とされそうになったのは 何回?
  「1回。押されたが手すりに掴まったので落ちなかった。」
刃物で手を切られそうになったのは いつ どこで?
  「中学の頃、万吉の犬舎で。(略)まな板に手をのせて、包丁で2、3回。なんとか手を引っ込めた。 」」

一審弁護人の主張

次に、上記の検察官論告に対する一審弁護人の反論を引用する。

「(1)まず、検察官が摘示する被告人風間のFの暴行後の状態についての供述は「一週間ぐらいは体を動かすのも大変なような感じでしたけど、そんなそぶりを見せれば、どう言われるか分かってた子ですから、見せませんでした」と供述し(第58回公判)、重傷とのことばは使っていない。
一方、Y子(注:風間さんの母)の証言では、被告人関根のFへの暴行について以下の通り証言されている。すなわち、「ぶったりけったり元さんがやっていました。その程度はひどかった。Fは廊下の上に倒れて縮こまり、手を顔に回して体を小さくしていた。Y子は止めにも入れなかったことから、ただおろおろしており、いたたまれずにお勝手の方に席を外した。殴ったり、けったりしていた時はドスンドスンと音がしていたので相当ひどかったと思う。/被告人関根の『ばかやろう』という声、被告人風間の『もうやめて』と言った声は聞いたと思うが、Fの声は余り聞こえなかった。」 検察官によれば、このように証言された被告人関根の暴行はさほどの暴行ではなかったということでまとめられている。
検察官の暴行の激しさの程度に対する基準は不明であるが、弁護人としては、右証言にある暴行は、優に激しい暴行、かなりひどい暴行ということができると考える。
ところで、検察官が全面的に信頼を寄せているY(注:共犯のY氏)の捜査段階の供述によれば「被告人関根は、博子の連れ子である男の子を異常なまでに嫌っていたのです。私がその事を感じましたのは、時期の記憶はありませんが、その男の子が家からお金を盗み出した事が被告人関根に判って、顔に傷が何ケ所もできる位メチャメチャに殴られた事があり、その事をドッグショーに集まった仲間に言い触らし、親子とは思えない言動をしていたのです。私にはその子は被告人関根のことを憎んでいると思うし、今回被告人関根が逮捕されて喜んでいるのではないかと真に思うのです」と述べている(甲第554号証)。
右Yの供述は、Fが被告人風間の連れ子であり、お金を盗み出したことを理由として被告人関根の暴行が行われていることから、右Y子の述べる被告人関根のFへの暴行と一致し、信用できると考えられるが、右に述べた通り、Yはメチャメチャに殴られていたFはそのような被告人関根を憎んでいると思う、被告人関根が逮捕されて喜んでいると思うと述べているのであって、右の暴行態様(激しさ)が被告人関根の逮捕を喜ぶまでの憎しみをFに生じさせているとYに感じさせていることは明らかである。
(2)証人Fは、「同人が現金を持ち出したことによって被告人関根から暴行を受けたことについて、殴られたとは思うが頻繁にやられていたんで、そのときもやられたかどうか詳しく覚えてない」旨証言している。(略)
ところで同人によれば頻繁にとは毎日のように殴られていたとのことであり、さらに同人によれば、当時通学していた塾の教師の面前で被告人関根に殴打されたことも覚えていないとのことである。
しかし、同塾の教師であるMSの答申書(甲第983号証)によれば、平成5年2月より前のこととして、Fが同塾をずる休みしていた事が被告人関根にわかり、被告人関根が凄い剣幕でFの顔を2~3回拳で殴り、殴られたFはふっとんでしまったとのことであり、このような暴行は通常では容易に忘れ去ることのできないできごとであるはずである。にもかかわらず、Fはこれを覚えていないというのである。
右事実から考えられるのは、暴行が毎日のようにあまりに頻繁に繰り返されるため、暴行される側であるFとしては、暴行態様が極めて特異なものでない限りはあまり記憶にとどめていないということである。(略)
(3)被告人風間にとってFは「やさしくて思いやりのある子で、被告人風間の人生が波立ってきたころからずっと一緒にいた子ですから、親子というよりも同士という感じ、むしろFの方が被告人風間にとって保護者のような感じもあった」旨供述している。
また、被告人風間はFの証人尋問の時には時折涙を流し、Fが証言している時は涙ぐみ、Y子もFが被告人関根からいじめられていることを証言した時は、声を詰まらせるなどしているのである。被告人風間において、Fはとりわけかわいい存在であって、被告人関根からの虐待を招いたのがほかならぬ自らの被告人関根との結婚にあったことが原因といえるのであるから、Fを不偶に思っており、その将来を心配していたことは母親として当然のことと考えられる。
右事実については、MR(注:平成3年末頃から2~3年、風間さんがひそかに付き合っていた男性)の「被告人風間がFをかわいがっていたことが印象に残っている」旨の供述(甲第953号証)、さらに前記MS(注:塾教師)が答中書の中でF評として、「言葉が少ない温和な性格である」旨述べていること(甲第983号証)とも合致するのである。
一方、現金持ち出し事件について、Fは「いつもは被告人風間にはあまり厳しく怒られなかったが、その時はすごく怒られ、いつもとは逆に被告人風間の方が怖く、夜ずっとお金のことで怒られて寝られなかったという記憶がある」旨証言する。
これについて被告人風間の第59回公判において、「これ以上の被告人関根によるFに対する暴行、虐待を止めさせなければならないという点並びにF自身が将来道を踏みはずすのではないかという不安を持ったこと」が供述され、第100回公判の供述では「一晩中Fと話をした、お金のことだけでなく、人間の生き方について泣きながら話した、これまでの教育がなっていなかったと痛感した」との供述がなされている。
これらの被告人風間の供述は、前述のFに対する感情からすれば、Fがお金を持ち出すという重大な事件を起こしてしまった、むしろ起こさせてしまったという反省、Fのことを考えれば、これ以上被告人関根とFとを一緒にいさせることはできないという被告人風間の素直な感情、考えが表明されていると言うことができ、それまで繰り返されてきた被告人関根のFに対する虐待、被告人風間のFへの思いを考えるならば、極めて自然なものと了解できる。(略)
Fは第96回公判で「関根を実の父と思ったことはない。小さい頃からお前は俺の子供じゃないと何回も言われ続け、また関根本人は寝ているのに、僕には家の廊下や犬小屋や風呂の掃除をさせ、班登校は一度もできなかったし、中学の時、寝坊して掃除をしないで学校へ行ったら、関根が学校まで来て家に連れ戻され、掃除をやらされた、風呂を入れるのは僕の役目で、関根は一番風呂に入り、僕たちが先に入ったらおこられ、関根が遅く帰宅した時は、僕たちが先に入って、湯を入れ替えたりした、関根が湯が汚いというからである、関根からはボールペンで腹を刺され、血が少し出たこともあるし、竹刀や木刀でぶたれたり、服を説がされて玄関の外に出され、正座させられて足の上にブロックを乗せられたこともある、機嫌が悪いと頻繁に殴られた、橋の上から飛び降りて自殺しろと言われ、橋の所に連れて行かれたこともあり、すごく怖い人で父親になろうとしている感じはなく、関根との楽しい思い出は何もない」と証言している。(略)
Fはこの現金を持ち出した際の被告人関根から受けた暴行について、「階段から突きおとされたり、玄関先で裸で正座させられた上、コンクリートブロックをのせられたりしたことはない」と証言し、「これらの暴行は加えられたことがあるが、それは別の機会であった」旨証言している点からするならば、被告人風間が供述する右暴行はFが現金を持ち出した際の暴行としては行われなかった可能性がある。
しかしながら、Fも述べる通り、そのような暴行は他の機会であるとはいえ、現に行われていること、既述した通りFは被告人関根から日常的な暴行を受けており、さらに橋の上で被告人関根から自殺しろ、ここから飛んでおりろなどと言われた上、同人から実際に押され、橋から落とされそうになって強い恐怖感を覚えたという、単なる殴打などよりもむしろ深刻な虐待がなされていることがFの証言から明らかにされていること、前述の通りY子の証言及びYの供述から現金持ち出しの際の暴行は激しいものであったと認められること、さらに同暴行は被告人風間において、これまでの虐待からFを守り、被告人関根を引き離さなければならず、そのためにはS弁護士から言われたことを利用して被告人関根と離婚しなければならないという被告人風間の決意のきっかけとなったにすぎないものであること等からすれば、仮りにFが現金を持ち出した際の暴行が被告人風間の供述通りのものでない可能性があるとしても、それによって右暴行により被告人関根との離婚を決意した旨の被告人風間の供述の信用性は損なわれないものである。
よって、検察官の主張は不当である。」 (『一審弁論要旨』p260~268)

弁護人が述べているように、長男が「階段から突きおとされたり、玄関先で裸で正座させられた上、コンクリートブロックをのせられたりした」のは、あるいはこの時ではなかったかも知れない。しかし、関根氏によるこのような暴力は実際に存在したのであり、また風間さんや風間さんの母親やY氏のこの出来事に関する証言を見れば、この時の暴力も周りに恐怖心を覚えさせるほどに凄惨なものだったことも間違いないようである。検察官の論告は、あわよくばこのような暴力の存在自体を全否定しようとかかっているように見える。息子に対する関根氏の暴力が日常化し、風間さんがそのことにはげしく心を痛めながらもどうしてもその暴力行為を止めさせることができなかったということが露わになると、この事実は、関根氏と風間さんが同等の力関係でアフリカケンネルを経営し、その延長線上で二人が相協力してK氏殺害を計画・実行したという、自分たちが作り出したストーリー――「運命共同体」説を保持しえなくなる怖れがあるからではないかとつよく疑われる。


関根氏の暴力に関する証言の一切を黙殺する判決文

長男への関根氏の暴力に関して、判決文は下記のようにほんのわずかに触れている。

「関根が自分と結婚したのは母Y子の財産目当てであり、自分に対する愛情などではない。関根は、長年にわたる結婚生活の中でも、自分に対して暴力を振るっただけでなく、自分の連れ子であるFを殺さんばかりに虐待するなど、横暴かつ冷酷な暴君として振る舞い続けており、自分にとっては関根との婚姻生活はただ隷従と忍耐の日々でしかなかった。自分は関根と被害者達を殺害する相談をしたことなど全くないし、E・W事件で死体の損壊遺棄を手伝ったのも横暴冷酷な関根に従うしかないと思ったからだ。」との趣旨の供述をして関根の右供述に強く反論し、両者の言い分は真っ向から対立している。」 (『第一審判決文』p134~135)

上記のように、判決文は、「(被告人関根は)自分の連れ子であるFを殺さんばかりに虐待するなど、横暴かつ冷酷な暴君として振る舞い続け」との風間さんの主張を記しているだけで、関根氏がふるい続けてきた暴力行為に対する自らの判断は示していない。この判決全体をつらぬく特徴がここでも遺憾なく発揮されているのであるが、すなわち、関根・風間の「車の両輪」説が成立しなくなる可能性のある出来事はあえて黙殺するということではないかと思われる。わが子に対するこれほどの陰惨な暴力を目の当たりにすれば、何としてもこの状態を変えなければならない、という必死な気持ちになるのはあらゆる母親に共通する自然な感情であろう。偶然のことながらちょうどその時まるであつらえたかのように税務署の調査が入っていた。そして弁護士は離婚を勧めてくれている。風間さんがこの機会を逃すまじと懸命になったのも当然であろう。この時の心境について、風間さんは公判廷で次のように述べている。

「離婚を切り出すときは命がけでした。」「暴行を受けるかもしれない。しかし、ここで切り出さなければと思い、離婚届にハンを押してもらうことだけを考え、「別れてください。子供の親権は私にください。」と言いました。」「離婚するときには、私、初めて一生懸命頑張ったんですけど、その後事件に巻き込まれてしまってから、頑張った分が無力感というか敗北感みたいなのを感じてしまって、気持ちがなえてしまったというか、考えることを放棄してしまったというか、そういう感じで、言われるままに何も言わないで生きてきてしまいました。」「もう、すごい自分で頑張って離婚できたと思っていたんですけど、それが一瞬で崩れちゃったという感じで、考えようがなくなってしまったという感じだったと思います。」(『控訴審第12回公判』)

裁判所が判決において関根氏の日常的な息子への暴力を取り上げないのも当然かも知れない。もし取り上げれば、離婚に対する裁判所の「税金逃れの離婚・偽装離婚」という認定も一からの再検討を余儀なくされるのである。もちろん、「車の両輪」「運命共同体」論も認定できなくなる可能性がきわめて高い。

なお、共犯のY氏は、上記の暴力事件の時、その場にいあわせたわけだが、息子が関根氏に殺されるのではないかという恐怖に襲われて止めに入った風間さんも興奮し切っている関根氏に殴られたそうであるが、その時Y氏は間に入って風間さんを引き離してくれたそうである。控訴趣意書のなかで風間さんはその時を振り返って「Yが間に入ってくれなければ、自分も殴られて酷い怪我をしていただろう」と記している。
Y氏は、風間さんへの死刑判決がなされて以来、証人として出廷した控訴審の公判廷で、風間さんについて「人を殺していない」「自分(注:Y氏)が外に出ている以上、博子さんも早く釈放すべきだ」と一貫して述べているのは、関根氏と風間さんとの力関係がどのようなものだったかを明瞭に見きわめていたにちがいないと思われるが、それには上記の出来事を目撃したことも影響しているのかも知れない。

法廷に出ている訴訟記録を見るかぎり、「明るくて力強く、当時4歳の、自分の子供のFくんにも優しかったから、いい父親になってくれると思った」として結婚に踏み切ったという風間さんのこの言葉には、何ら嘘はないと思う。風間さんの母親や長男、また知人などの第三者の証言を見ても、風間さんのこの供述を直接・間接的に肯定・是認する性質の証言は多数あるが、逆にこれに疑問を呈する証言は一つも見あたらない。また、長男への暴力が、他に事情はあるが、関根氏から気持ちが離れるようになった決定的理由だったという風間さんの発言も、人間の感情(母親である女性の場合は特に)の動き、変容に関する私たちの経験法則から推してしごく自然で妥当なことだと思う。検察官が風間さんと関根氏との関係を「車の両輪」「運命共同体」と結論づけながら、関根氏による長男への暴力をあたかもなかったかのように主張したり、判決文がそのことに一切触れていないのも、実はこのあたりの事情がよく分かっているからではないだろうか。
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2009.09.24 Thu l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top
一審の裁判官は、風間さんの入れ墨について、風間さんと関根氏の「運命共同体」的関係を象徴する証として認定し、控訴審の判決もこの認定をそのまま踏襲している。このことは、昭和59年(84年)に関根氏と一緒にMという関根氏の知人を殺害した風間さんが、この事件を契機として、今後の人生を関根氏と「運命共同体」の関係で生きていくべく、その決意の証明として入れ墨を入れたのだとする検察官の主張を、裁判所が全面的に認めたということになるだろう。

だが、裁判所のこの認定が成立するためには、言うまでもなく必要最小限の要件として、風間さんが確かにM氏殺害に関与したとの立証が不可欠のはずである。もしM事件への風間さんの関与がなかったとしたら、誰も、風間さんと関根氏の関係が普通の夫婦関係ではなく、「運命共同体」「車の両輪」であるなどという特異な関係性を見いだしようがないからである。ところが、肝心要のその立証はまったくなされていない。このことは、前回の記事「風間博子さん 死刑判決への疑問(7)」を読んでいただければ、一読誰にも理解されるのではないかと思う。あの記事はもしその殺人事件が事実存在したと仮定して、これに風間さんが関与した可能性があるかどうかを検討したものだが、その際公判廷でS・Rという人物が尋問に答えた証言内容を詳細に紹介したので、これにより、そんなことはありえないこと、M氏殺害という事実がもしあったとしても、風間さんはこの事件に一切無関係であること、風間さんがM氏殺害に関与したとする裁判所の認定がいかに不公正であるかということは、S・R氏の証言自体によって自ずと証明されているのではないかと思う。判決文はS・R氏の証言を風間さんの殺害関与の証拠としているけれども、実はS・R氏のこの証言こそが裁判所の事実認定の不公正を白日の元に曝していると思えるのである。

「風間博子さんが缶ジュースか何かお茶をもってきてくれたような記憶がある」という、M氏殺害の証拠になどなりようのないS・R証言を、大胆不敵にも、風間さんが殺害に関与したことの証拠とした裁判所の不公正はいくら力説し、強調してもしすぎることはないと思うが、S・R証言に関してよくよく留意すべきことは他にもある。
前回紹介したように、S・R氏は法廷で、「関根が森田を殺した理由は金銭的トラブルだと思う。」「関根が風間と結婚後、風間の母親の不動産の一部を関根が森田にあげると言った。その話を、関根、森田の両方から聞いた。」との自分の経験を証言し、また「それが実行できなかった、約束が守れなかった、それが森田を殺す動機ではないか」との推測を述べ、その上で、「そのことについては風間は知らなかったと思う。またその関根と森田のトラブルの後に風間が巻き込まれたり、かかわったことはないと思う」と、風間さんのM事件への関与を実質的に全否定する証言をしている。ところが、「風間博子さんが缶ジュースか何かお茶をもってきてくれたような記憶がある」というS・R証言を有罪の根拠として採用した裁判所は、この重要なS・R証言については一転、一切触れていないのである。
ここから考察するに、裁判所は少しでも風間さんを有罪に結びつける要素をもった供述や証言があればたちまちこれに飛びついて曲解をくわえた上で有罪認定の根拠とし、逆に、事件への風間さんの関与を否認・否定する旨の供述や証言は完璧に黙殺しているのではないかということがつよく疑われる。


2.「運命共同体」説立証のための被告人の入れ墨検証

さて、ここからは、検察官の要請を容れ、裁判所が職権によって採用し、実行した「入れ墨検証」の問題に論点を絞りたい。
この入れ墨検証は、ある意味では、この裁判全体の性質――構図を象徴する出来事といえるかも知れない。それほどこの件は、裁判所の訴訟手続きの面においても、また事実認定の点でも大きな問題をはらんでいるように思う。

そもそも、人の身体の入れ墨などというものは、完全に各個人の私的領域に属する事柄であり、他人が、まして検察や裁判所などの公的機関が、それに立ち入ったり、とやかく嘴を挟んだりできる性質の問題ではないはずである。
ある女性作家は、インターネット上の個人ブログに自分自身の「入れ墨」に関わって生じた出来事について一文を書いている。
この文章は、まず、「さて、私にはちっぽけな入れ墨が二カ所あります。」という書き出しから始まっているが、それによると、この人は風呂好きらしく、これまで世界中のいろいろな風呂に入ってきたとのことである。どこでも入れ墨はお断りと書いてはいるが、注意されたらそこにバンドエイドを貼る、もしくは身分証明書を提示して人に迷惑をかけないことを約束することでどこでも入浴させて貰えたそうである。ところが、ある時、日本のとある地域の「スーパー銭湯」とかいうような風呂に行ったところ、服を脱いでさあ浴室に入ろうとしたとたん、店側から「入れ墨はお断りなので出ていってください」と言われたそうである。「それでは何かで隠します」と申し出たが、先方は聞く耳を持たず、入れて貰えなかった。ブログには、店側のその融通のなさ加減、公衆の面前で追いつめられ、追い出されたことへの納得のいかなさと怒りとが記されていた。
この出来事に対して私は何らかの意見を述べたいのではまったくない。ある個人が入れ墨をしていることを、その当人以外の人間や組織がことさらに問題にできるケースは、せいぜいこの程度、この範囲に限定されるであろう、またそうあるべきだと言いたいのである。
刑事被告人の場合も事情は何ら変わらないはずである。裁判所に、被告人を対象とした「入れ墨検証」などということが許されるのは、その検証が厳密に事件解明のために必須とされる場合にかぎられなければならない。
どんな例があるだろうか。自分ながら荒唐無稽な例をあげることになるとは思うが、たとえばある場所である事件が発生したと仮定する。その事件現場で、同時刻ころ、誰かに何らかの事情で入れ墨が目撃されていたとか、あるいは現場に入れ墨に関わる証拠品(たとえば写真)が残されていたなどの事実があり、後日それが事件の究明に役立つ可能性が出てきたとでもいうのなら、その場合は、被告人の入れ墨の検証もありえるだろう。しかし、この件には、そのような事情は何もないのである。撮影にあたって傍聴人の存在、被告人の羞恥心、屈辱感など何ら考慮した気配もない裁判所のこの訴訟指揮は本当に異常である。この点はこの問題を考察・検討する際にまずおさえておくべき重要なポイントだと思う。


この検証にどんな意味があるのだろう?

検証の発端になったのは、押収物の中から昭和62年(87年)撮影の、露天風呂で夜間写した風間さんのスナップ写真が発見されたことだった。風間さんは自分が肩に入れ墨を彫ったのは、結婚の翌年である昭和59年の1年間だった、入れ墨の色を入れたのもその期間内であると供述していた。また入れ墨を入れた理由については、「被告人関根から、私が弱すぎるので、もっと気を強く持つために入れた方がいい。自分と一緒になった女は今まで全部入れている。自分とずっと一緒にやっていく気なら君も入れろ、と言われ、内心は抵抗があったものの、被告人関根以外の人と一緒になる気もないし、被告人関根が好きだということでやろうと思った」(一審 第58回公判調書)と述べている。
しかし、温泉場で撮った写真(カラー写真)には、入れ墨の色が映っていなかったことから、検察官は上記の風間さんの入れ墨についての供述を虚偽ではないか、彫った期間は昭和59年の1年のみならず、このスナップ写真が撮られた昭和62年以降の平成2、3年にいたるまで彫り続けていたのではないかと言い出し、それを明らかにするために写真撮影による検証をしたいと要請した。要は、もし昭和62年以降も――長期にわたって――入れ墨を彫っていたのなら、それは関根被告との「運命共同体」としての緊密な結びつきを証明するものに他ならず、自分たちの主張する「運命共同体」説の正しさが証明されるということであった。

しかしこれは不可思議な議論である。本来あるべき立証とは、これは順序が逆であろう。ある人間関係に強い結びつきを認識させる事柄が事実として存在したとき、その関係は「運命共同体」と呼ばれることもあるだろう。この場合は、「M氏殺害」が検察官の主張どおり現実に関根・風間の両名で行なわれていたのなら、それを「運命共同体」とか「車の両輪」という呼び名で想像や推測をしても差し支えないかも知れない。しかし、これまで検討してきたところでは、M氏殺害に風間さんが関与したという証拠も気配も一切存在しないのである。存在するのは、むしろ逆の証拠 ―― 風間さんはM事件には何の関係もないという関係者の証言のみなのである。

おそらく検察官はM事件に関する自分たちの主張がいかに根拠薄弱な、言いがかりといわれても仕方のないお粗末な代物であるかをよく知っていたのだろう。だからこそ、事情をよくは知らない一般社会に対し、一見したところ「さもありなん」と思わせることができそうな「運命共同体」論を頭のなかで描き出し、入れ墨検証を思いついたのではないか。しかしこれはつよく人権侵害が疑われる要請であると同時に、弁護人および被告人が述べているように、深夜、湯煙の立つ温泉場で遠距離から素人の撮ったスナップ写真と、裁判所のような室内で写された接写写真とでは、撮影の前提条件があまりにも異なるので、二つの写真を比べても科学的根拠をもった正確な検証は望むべくもなく、したがって検証自体がハナから無意味なものに思える。

このように、この入れ墨検証は、そもそもの発想・動機からして疑問符がつくものだったが、それにもかかわらず、裁判所は検察官のこの要請を職権で採用した。その結果、風間さんは傍聴人の詰めかけている法廷での写真撮影を余儀なくされたそうである。
裁判官のこの訴訟指揮にはプライヴァシーを含めた被告人の心情への配慮も、人権を尊重する最低限の意識や精神もまったくうかがえない。そもそも風間さんは公判廷の証言で入れ墨をしたことを今では深く後悔していると述べているのである。それなのに、撮影を期日外にしてほしいという弁護人の要請さえ拒んで、万座の中での撮影を強行している。この強引さは果たしていかなる理由・原因に由来するのだろう。この訴訟指揮は、明白な人権侵害であり、憲法違反の疑いが濃厚だと思う。

これが検証の一回目で、平成11年1月18日(第66回公判)のことであった。苦痛に堪えて撮影された写真について、風間さんは控訴趣意書で、

「それにより、被告人証言を裏付ける形となる写真が撮影されました。」

と述べている。照明や大気のどんな作用なのか、撮影条件が露天風呂とはまったく異なるにもかかわらず、こうして法廷内で撮られた写真は、スナップ写真と同じく入れ墨の色が映っていなかった。(なお、これについて、検察官は論告で次のように主張している。すなわち、「昭和62年3月23日に撮影した写真(甲800号証(注:温泉でのスナップ写真)と検証による写真(職33号証)(注:法廷での接写写真)を比較した結果、両写真に写っている被告人風間の両肩付近の入れ墨の色には明らかな違いがあり(略)、現在の被告人風間の入れ墨に入っている色の一部は、同62年3月23日以降に入れたものであると認められる」。つまり、カラー色が映っていないのは両写真とも同じだけれども、該当部分には濃淡などの色の相違が明白にあるのだ、としごく当たり前のことを何か特別なことであるかのように述べているのである。そして「だから、スナップ写真のころは色は入れてなかったのだ」という主張に飛躍しているが、これは無茶苦茶な理屈である。)
ごく普通の感覚で考えれば、これで検証は終了となるはずである。この検証によって証明されたことは、たとえ彩色のある被写体でも、必ずしもその色が写真に映るとは限らないということなのだから。
ところが検察官は違った。検察官は、裁判所に再度の写真撮影を申し立てたのだ。不思議なのは、検察官のこの発想ももちろんだが、裁判所の判断である。裁判所は再度の写真撮影を認めたのだ。そうして、二度目の撮影が、期日外(同年9月1日)に裁判所5階の大会議場で隠密裏に行なわれた。精密高性能カメラで撮られた今度の写真は色鮮やかに映っていて、この結果に検察官は満足したようである。だが、この満足は珍妙としか言いようがないだろう。初回の撮影で色の出ない写真ができた以上、二度目の撮影でどんなに鮮やかな色の写真が撮れたとしても、この検証自体が証明したことは、「色は、撮影条件によっては映らないこともありえる」ということ以外に何があるだろうか。


裁判所はまたしても虚偽の事実認定を行なった

この件に関する裁判所の認定は以下のとおりである。

「被告人関根は、以前から自らも背中に入れ墨を彫り込むとともに、自分が結婚した2人の女性(注:氏名略)に対しても入れ墨を入れさせていたところ、同被告人からこれを聞いた被告人風間は、自分もこれに負けずに入れ墨を入れて被告人関根との一体感を強めたいなどと考えるようになり、昭和59年ころ、被告人関根とともに群馬県○○郡○○町在住の彫り師(I)のもとを訪れ、自ら龍の図柄を選ぶなどした上、それを彫り込んでくれるよう依頼した。そして、被告人風間はIのもとに通って入れ墨を彫り続け、途中で子供(N)が生まれるということで2年ほど中断したものの、その後もIに熊谷市大原の自宅に来てもらったりして墨入れを続けてもらい、平成2年ころには背中から両肩に色彩入りの龍の入れ墨を完成させるとともに、親しい知人らに対しては、自分が入れ墨を入れていることを憚ることなく見せたりしていた。(『一審判決文』p6)
もっとも、風間は、自らが入れ墨を彫り込んだ理由及びその時期について、「自分が入れ墨を入れたのは関根から強く勧められたためであるし、その時期も昭和59年春ころから同年末位までであった。」旨弁解している。しかし、Iの公判供述等によれば、判示のとおり、風間が自らの意思でしかも長期間にわたって入れ墨を彫り続けてこれを完成させていたことは明らかであって、風間の右弁解は虚偽と認められる。」(同上 p135~136)

しかし、上記の認定も他の虚偽記載の例と同様に、「どうして、こんなでたらめを…」と唖然とするしかない不可解なものである。
裁判官は「平成2年ころには背中から両肩に色彩入りの龍の入れ墨を完成させ」と認定しているが、風間さんの背中には入れ墨は入っていない。判決文の検証を行なうにあたって、私はこれまでできるかぎり、法廷に提出された証拠資料のみを用いるようにしてきた。これは、このような場合に必ず要求される客観性や公平さを期してのことであった。だから、自分ひとりが見たことを証言としてここに書くのは抵抗もあり、不本意でもあるのだが、でもこれは責任をもって述べることができることなので記述することにしたい(もっとも、裁判所で撮られた写真は証拠物として多数残り、保存されているわけだが)。私が風間さんに面会したのは確定前のほんの数回だが、ある時、風間さんはシャツを頸付近までたくし上げて背中全体を見せてくれたので、私は裁判所の「背中から両肩に色彩入りの龍の入れ墨を完成させ」という事実認定が虚偽であることをはっきりと確認している。そのとき、頭のなかには判決文の「背中から両肩に色彩入りの龍の入れ墨」という描写がこびりついていたので、一瞬キョトンとしてしまったのだが、風間さんの背中はまったく滑らかであった。ではどこに入れ墨があるのかときくと、肩にあるのだという。その点、検察官は論告のなかでちゃんと「両肩付近に」と記していて、「背中」という言葉は出していない。

風間さんの背中に入れ墨がないことを確認して以降、しばらくの間、私は裁判官がなぜわざわざ「背中」と虚偽の書き込みをしたのかが謎であったが、今では、裁判官はどうしてもそのようにせざるをえなかったのだろうと考えている。というのも、入れ墨を両肩付近にだけ彫るのなら、そうそう時間がかかるはずがないのだ。裁判官は、二度にわたる検証でそのことを痛感したのではないか。それでもなおかつ検察官の主張に沿い、長期にわたって(昭和59年から平成2、3年の間というから、足掛け7、8年ということになる)入れ墨を彫りつづけたという認定をするのであれば、両肩付近だけの僅かな範囲の入れ墨では判決文に接した者の不審を呼ばないともかぎらない。検察官さえ主張していない「背中」という語句が判決文に登場することになったのはそのせいではないだろうか。

判決文はまた「親しい知人らに対しては、自分が入れ墨を入れていることを憚ることなく見せたりしていた」とも認定している。しかし風間さん自身は、偶然見られたことはあったかも知れないが、自分から人に見せたことはないとの供述をしている。そして第三者の供述や法廷における証言でも、風間さんの入れ墨を見たという人物はいないようなのだが、裁判官のこの認定の根拠は何だろうか。
「被告人風間は、自分もこれに負けずに入れ墨を入れて被告人関根との一体感を強めたいなどと考えるようになり」という認定は、関根氏の供述内容そのままである。関根氏は、風間さんが「負けたくない」といって、率先して入れ墨を彫ったと供述している。しかし、裁判官が、関根供述を風間供述よりも信頼するに足りるとした根拠は示されていない。
彫り師であるI氏の証言は、中断を挟んで掘り続けたというものだが、でもそれが事実なら、中断期間がどの程度だったのか、何年にわたって彫りつづけたのか、そして何よりも自分自身が彫った図柄がどのようなものだったかの記憶さえないなどということはありえないのではないだろうか。

締めくくりにあたり、この件に関連する「愛犬ジャーナル」のKK氏の証言を引用しておきたい。以前にも何度か紹介した第96回公判の尋問において、KK氏は次のように証言している。

「それから、ちょっと話はさかのぼってしまうんですが、関根被告人が風間被告人と結婚をした動機について、何か耳にしたことはありませんか。
  「直接はありませんけど、うわさでは、風間博子さんの資産が、財産が目的だろうと。それで、その逃げられないようにするために、あいつには入れ墨を彫ってあるんだというような話は、……大分、何回も聞きました。
それは、だれから間いたんですか。
  「いや、もう不特定多数の人、みんな知ってますから。」
それは、そのドッグショーとか犬の関係の。
  「はい、そういうことです。犬の関係です。」
そうすると、まず、結婚の動機としては、風聞被告人の財産をねらうというようなのが動機だった、そういう話を聞いたということですね。
  「ええ、そういう話、聞いてます。」
それから今、入れ墨の話が出ましたが、風間被告人が入れ墨をしているということは知ってましたか。
  「いや、それはもう、同じようなうわさ話というか、そういうことで、
   ……それなりに、みんな知ってましたですね。」
じゃあ、もう一度確認します。入れ墨を入れたことについては、どういう話が出てたんですか。
  「いや、ですから、関根元さんのほうは、女を逃がさないためには入れ墨が一番だと、そのために入れたんだっていう話をしたんで、そういう話は聞きました。」
要するに、関根被告人がそういう話をしていたと。
  「ええ、だれかに話しをしたんだと思います。」
その話を、また、あなたが聞いたと。
  「はい。」
そういう意味ですか。
  「はい。」
(裁判長)あなた自身は、関根被告人から、今、述べられたようなことを、直接聞かれたことはありますか。
  「いや、もう私は関根さんには、もう、そういうプライバシーは一切話しもしないし。……触らぬ神にたたりなしってやつですから。」(第96回公判 H12.3.9)

一審の判決文において、判決の基礎となり根拠となっている事実、それも推論や考察を何ら必要としない単純で基礎的な事実の記載に関して明白な誤りが見られるのは、今回の「背中」で三件目である。風間さんの両親の身上・経歴に関する記載、そして風間さんと関根氏の結婚した時期(年月日)についての記載につづいてのことである。これは死刑事案であり、この事実認定の延長線上で裁判官は実際に当の被告人に死刑判決をくだしているのである。そのことに思いをいたすと、裁判官のこの過ちはあまりにも重大、悪質であり、まさしく弾劾に相当する行為ではないだろうか。
2009.09.23 Wed l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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