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政治学者の山口二郎氏に「政治を語る言葉」(七つ森書館・2008年7月刊)という著作があることを知ったのは、金光翔さんのブログによって、だった。この「政治を語る言葉」では中野重治と永井荷風という二人の文学者が取り上げられているとのことで、金さんは、6月19日の記事「日本は右傾化しているのか、しているとすれば誰が進めているのか 6」で中野重治をふくんだ山口氏の下記の文章

「彼(注・中野重治)は左翼の人ではありましたが、日本は侵略戦争で悪いことをしたから、負けて当然なんだという薄っぺらな歴史観をもっていたわけではないんですね。戦争で倒れた、戦争で苦しんだ普通の人々に対して限りない共感と愛着を持っていた、戦争で倒れた人々とともに戦後民主主義を何とかつくりだしていこう、庶民の感覚に根を下ろした民主主義をつくりだしたいという問題意識を彼はもっていたと、私は理解しています。」(50頁。強調は引用者)

を引用し、次のように批判していた。

「私はこの一節を読んで、驚いてしまった。「日本は侵略戦争で悪いことをしたから、負けて当然なんだ」という認識は、「薄っぺらな歴史観」なんだそうだ。(略)」

ここで金さんが批判しているのは、上記のように「日本は侵略戦争で悪いことをしたから、負けて当然なんだ」という認識を、「薄っぺらな歴史観」という山口氏の見解である。私も金さんの批判はもっともだと思ったが、ここにはもう一つ問題があるように感じた。中野重治は「日本は侵略戦争で悪いことをしたから、負けて当然なんだという薄っぺらな歴史観をもっていたわけではない」という山口氏の中野重治についての認識は妥当かという問題である。中野重治は、「日本は侵略戦争(で悪いこと)をしたから、負けて当然」という歴史観をもっていなかったのだろうか。そうではなかっただろうと思う。山口氏が引用している「冬に入る」という文章は、『展望』の1946年1月号に載ったものだが、同時期の『民衆の旗』1946年2月号には、「日本が敗けたことの意義」という題の次の文が掲載されている。

「 しかし国民のなかには、日本は太平洋戦争に敗けたのだと思っているものがまだまだ多い。日本は太平洋戦争に敗けた、それもおもにアメリカに敗けた、アメリカの物量と科学とに敗けたのだと思っている人がまだまだある。私はそんなことでは、日本の再建はおぼつかないと思う。そんなことでは、食糧難の突破も、憲法の制定も、戦争犯罪人の処罰も、てきぱきとは運ばぬと思う。戦争に敗けたと知るだけでは足らぬ。何戦争に敗けたのか、どんな戦争に敗けたのかを知らねば新日本は生めぬと思う。
 日本は何戦争に敗けたのか。日本は太平洋戦争に敗けたのではない。太平洋戦争「で」敗けたのではない。アメリカないし連合国は、太平洋戦争「で」勝つたのではないのだ。太平洋戦争という土俵の上で、日本と連合国とが勝負をして、日本が投げられ、連合国が土俵に残ったというのでは決してないのだ。太平洋戦争という、日本の出した土俵そのものが微塵になったのだ。
 日本の仕かけた戦争は「聖戦」ではなかった。それは野蛮で卑劣な戦争だった。それは「アジア人のアジア」のための戦争ではなかった。アジア諸民族を奴隷にするための戦争だった。それは「自存自衛」のための戦争ではなかった。他国を侵略し同時に自国民をも奴隷とする戦争だった。天皇の国日本は、「大御稜威の下」その「八紘一宇」の精神で満州人を殺し、中国人を殺し、安南人を殺し、フィリピン人を殺し、同時に自国民に重税を課し、自国民手持ちのすべての物資を徴発し、少年から老人までをいくさに引きだして殺し、産業と文化とを破り、耕地を荒らし、これに反対するものすべてを国への叛逆者として縛ったり殺したりした。それは、人道とその文明とにたいするあくまで下等、あくまで野蛮な破壊戦だった。それだから連合諸国がこれをうち倒したのだ。連合諸国は別々の国だ。イギリスと中国とは国柄がちがう。中国とアメリカとは国柄がちがう。アメリカとソ連とも国柄がちがう。しかし彼らは、民主主義の国々として、国柄のちがい、人種のちがいを越えて、人類とその文明とに噛みついた二ひきの狂犬を連合して始末したのだ。そしてその結果、アジアがアジア人のものとなったのだ。帝国日本の「アジア人のアジア」のための戦争がうち破られた結果、フィリピンはフィリピン人のものとなり、中国は中国人のものとなり、朝鮮は朝鮮人のものとなった。」(中野重治全集第12巻p37)

敗戦の2、3ヶ月後に書かれた文章であり、今読むと、戦争にも連合国に対する見通しにも誤りや甘さがあるかとも思うが、それは仕方のないことだと思う。中野重治は、戦前・戦中の文学者のなかで国家から最もはげしく憎まれた人物の一人だった。1932年には投獄され2年間の獄中生活の後転向を余儀なくされた。1942年に「文学報国会」ができたときは、その会から弾き出されることを恐れ、菊池寛宛てに入会についての問い合わせの葉書を書いてもいる。中野重治のこの時の心境について、平野謙や埴谷雄高などは1938年に執筆禁止処分を受け、その後もずっと特高警察のきびしい監視下に置かれたため、「文学報国会」会員から外されたら、これでもう永遠に執筆の機会が奪われるという精神的恐慌状態に陥ったのではないかとの推測を述べているが、中野重治自身は、治安維持法による逮捕拘禁をのがれるために「文学報国会」に拘ったのだと記している。

「つまるところ、それは「執筆著作の機会」うんぬんにはほとんどまったく無関係だった。主眼は逮捕拘禁をのがれることにあって、下手に執筆の機会があたえられるなどは、ふらついている私にとって鋏みうちを食う危険でもあったろう/12月8日政府発表の途端の、猫も杓子もの調子での、「これですうッとした」、「胸のつかえが一ぺんに下りた」といった声のいっせい噴出、それをあびせられる側の一人として私が受けとらねばならなかったときのことを私はおぼえている。「執筆著作」のことなどは、いわば主観的に私に問題でありえなかった。」(『歳末補註』1971年)

「文学報国会」の発会式について、中野重治が会場にいた自分のその時の心情について「乞食のような惨めな気持ち…」と書いているのを私はどこかで読んだことがある。このようにいくらか中野重治の著作を読んだことのある私には、山口氏が述べる中野重治像は、「一体これは中野重治のことなのだろうか」というような、まったく別人のごときイメージしか喚起されないのである。「政治を語る言葉」を読んでみて、永井荷風についての記述にも同じ感想をもったが、これは別の機会に譲ることにして、山口氏が自著で引用している中野重治の「冬に入る」について述べると、全集を見てみたところ、この部分は、当時、『東京新聞』に発表された河上徹太郎の

「8月16日以来、わが国民は、思びがけず、見馴れぬ配給品にありついて戸惑ひしてゐる。――飢ゑた我々に『自由』といふ糧が配給されたのだ。」/「私は今更不ざまな戦時中の政治の死屍に鞭つ興味を持たぬ。その頃『自由主義を撲滅せよ』といふスローガンの下に、彼等の頭の悪い観念論に同化し得ぬ風潮を味噌も糞も一しょくたに葬らうとしたのに対し、今更『自由』の旗印の下に共同戦線を張って復讐をすることは、之亦、反撃の相手と同じく捉はれたことであり、目標の不明確なことであり、志の低劣なことである。」/「然し自由も配給品の一つとして結構珍重されてゐる。」

という文章を批判する文脈で述べられていた。長くなるが「冬に入る」から引用する。

「 10月26日の『東京新聞』で河上徹太郎氏のこういう言葉を読んだときにも私はそれをすらりと呑みこむことができなかった。私はいやな気がした。いまもしている。
「見馴れぬ配給品にありついて」、「国民は……戸惑ひしてゐる」、「配給された自由」、「自由も配給品の一つとして」、私にはこういう言い方が自由を穢しているもののように思えてならなかった。こういう言いまわしが、自由と国民とに或るよごれをつけようとして、文学的に頭で考えだして書かれた言葉であるように思われてならなかった。
「配給された自由」という言い方は、気がきいているようにみえる。いまの日本の自由と民主主義とが、全的に国民の手でもたらされたものでないという事実から、この気のきいてみえることがいっそうそういうものとして通用しそうな外観をもつてもいる。
 しかし、それだからといってそれが正しい言いあらわしであるかどうか。国民に与えられた自由が、いわば外部からのものであったにしろ、それを国民の内部に全く無関係に「配給品」あつかいすることが正しいかどうか、いったい国民がそれを与えられて「戸惑ひしてゐる」かどうか検べてみることは一応も二応も必要なことだろう
 日本の国民が今持っている自由はたしかに国民がこれを全的に獲得したものではない。日本の国民は、王の処刑をふくむ革命の実行をしたものでもなく、バスチーユの破壊を実行したものでもなかった。それは帝国日本の連合国にたいする完全な敗北によって、それを機縁としていわば外側から日本国民に与えられたものであつた。しかし日本の国民は、自己の民主主義革命を実行できぬうちに自国の敗戦によってそれを外側から得ねばならなかったという、帝国日本から「第四等国への顚落」と外部から銘うたれねばならぬような事態をとおしてそれを得ねばならなかったという歴史的事実のうちに、かえって与えられた自由を「配給された自由」と称ぶことを一般に許さぬ内面的権威を持っている。
 それだから、日本の国民にとって与えられた自由は決して「思ひがけぬ」贈りものではなかった。それは日本の国民が喘ぎかわいて待ったものであつた。日本の国民は与えられた自由の前に少しも「戸惑ひして」いない。
 かえつて日本の国民は、与えられた民主主義が自己の力で独立に獲られたものでないことを泣かねばならぬほどよく知っている。それだから日本の国民は、与えられた民主主義の糸ぐちを大事なものとして、貴重に取りあつかわねばならぬことをよく知ってそれをそのように扱っている。あの、大きな、長いあいだの苦痛、あの大きな、長いあいだの、そして今もつづく大きな飢え、それをとおしてこの糸ぐちにたどり着かねばならなかつたことを知っている国民は、この糸ぐちを一種のヒステリーに仕立てようとする人びとに従う必要を自身認めぬし、この糸ぐちをほしいままな個人的「復讐」に仕立てようとする人びとにも従う必要を毫も認めていない。
 河上氏は、「言論の自由」を「戦争責任者へのヒステリックな憤懣を喚き立てること」として書いている。
「或ひは此の敗戦を戦争責任者の失敗と怨むより、いはば天災の一種と観ずるのが、佯らざるわが国民の良識に近い。かかる時、専ら戦争責任者へのヒステリックな憤懣を喚き立てることが『言論の自由』だとすれば……」
 また河上氏は、戦時ちゅう支配した軍国主義観念とのたたかいを、当の軍国主義と同様な、「志の低劣な」「復讐」だとして書いている。
「私は今更不ざまな戦時中の政治の死屍に鞭つ興味を持たぬ。その頃『自由主義を撲滅せよ』といふスローガンの下に、彼等の頭の悪い観念論に同化し得ぬ思潮を味噌も糞も一しょくたに葬らうとしたのに対し、今更『自由』の旗印の下に共同戦線を張って復讐をすることは、之亦、反撃の相手と同じく捉はれたことであり、目標の不明確なことであり、志の低劣なことである。」
 たしかに、「専ら戦争責任者へのヒステリックな憤懣を喚き立てること」は、「言論の自由」の主要本質ではない。けれども、それだからといって、当の戦争責任者その人が、彼にもわかたれた「言論の自由」において、「言論の自由」に「ヒステリックな憤懣の喚き立て」を等置して、そのことで、本来はしばしば無邪気なものに過ぎぬ「ヒステリックな憤懣の喚き立て」をも遮断し、それによって戦争責任者の本質的批判そのものをも遮断しようとするとすればどういうことになるだろうか。むしろ今の場合、「戦争責任者へのヒステリックな憤懣の喚き立て」さえも取りあげて、これを戦争責任者への本質的批判へ導いて行くことが「言論の自由」を本質的に尊重する所以でもあり、「戦争責任者へのヒステリックな憤懣の喚き立て」に出てそこにとどまるしかないような人びとにたいする河上氏の文学者・批評家としての態度であるべきであつたのでもなかろうか。
 たしかに、軍国主義と軍国主義者とにたいしてほしいままな個人的「復讐」をはかること、「今更不ざまな戦時中の政治の死屍に鞭つ」ことは、けっして日本民主主義と民主主義者との任務ではなかろう。ベルリンが落ちたとき、地下壕から出てきたベルリン人のあるものは、写真を片手に、写真の主、彼らの個人的仇敵を廃墟のなかにさがしまわった。そしてそれを、街を占領した赤軍すらがある程度以上には制御することができなかつた。悲惨な、凄惨な話である。この種の事態の到来を断乎として予防すること、最悪の場合にもそれを最小限にくいとめることが日本の民主主義のために大事である。けれども、それだからといつて、復讐されるかもしれぬという恐怖に日夜おびえている人びとが、別の言葉でいえば、「戦時中の政治」の生きた「死屍」として生き残っている人びとが、国民が「自由の旗印の下に」張る「共同戦線」に「志の低劣な」個人的報復戦線を等置して、この戦線の中心眼目を「死屍に鞭つ興味」にあると主張するとすれば、どういうことにならねばならぬだろうか。
 現にこのことは日本政府によって実行されている。日本の政府は、下村陸軍大臣の名で発表した10月22日の声明のなかでこういっている。
「軍人の遺家族、傷痍軍人に対する擁護、復員された軍人軍属の将来保証の中で、前の二つ、即ち遺家族、傷痍軍人の件に就ては決して心配は要らぬ。外地に在る軍人の留守宅俸給、賜金手当等、これ等の給与が従来通り継続せらるることは申すまでもないことであり、傷病兵諸君は今後陸海軍が全く解体した後においても、必ず政府の手によって保護せらるることは既に決定してゐる。第三の問題即ち内外地を合して約六百万に上る復員軍人軍属の将来保証は実に国家としての大問題で、吾々の日夜心を悩ましつつある事項である。」
 つづけて、「最近国の内外において軍国主義の払拭、軍閥打倒覆滅といふ事が盛に論ぜられて居り、過去を顧みればその議論の起るのは当然である。私共は職を軍に奉ずる以上、仮令個人的には身に覚えなき事であっても甘んじて軍人として、或は軍の指導者として共同の責任を取り、悪かつた処や間違ってゐた点等は率直にお詫び致してゐる。ただここに何としても憂慮に堪へない事は、いはゆる軍閥的行為に対する追及と懲罰とが必要の程度を越し、その飛沫がこの種の行為に関係もなく、命のまにまに身命を抛って御奉公した純真な将兵の上にまで振りかかり、其の結果として此等の人々が罪なくして精神的にもまた物質的にも社会から閉め出さるる様になりはしないかといふことである。」
 政府の、このほとんど盗人たけだけしいともいえる狡猾は短時間効を奏した。ある新聞は、この狡猾に引きずられてそれを幇助するような見出し文句を書いた。ある新聞は、「指弾罪なき軍人に及ぶを憂」えた陸軍大臣の衷情にたいして心から無邪気な同情を表白した。そしてそれは短時間に過ぎた。軍人の遺家族、傷痍軍人、復員した軍人軍属の将来保証の問題はその後ますます深刻に真相をあらわにしてきている。
 しかし問題は、政府が、軍閥と軍国主義とにたいする国民の反感・批判・問責に個々の軍人への誤った報復を等置して、そのことで国民に泣きおとしをかけつつ、前者、軍閥と軍国主義とにたいする国民の批判の眼を曇らそうとしたことであつた。軍国主義への国民の批判と、「命のまにまに身命を抛って」戦った兵士にたいする国民の同情とは別ものではない。政府と陸軍大臣とがそれを切りはなそうとしてもそれは駄目である。「身命を抛って」戦った兵隊はそのことにおいて、「身命を抛って」戦って身命を抛って」しまつた兵隊はそのことにおいて、病気になり不具になった兵隊はそのことにおいて、そのすべての遺家族を連れつつ、その他の国民とともに、軍閥・軍国主義の国民的問責陣の主軸の一つをなしているのである。軍閥・軍国主義にたいする国民的追及の根拠の一つは大臣が泣きおとしの材料に使った「純真な将兵」そのもののなかにある。連合軍の手に俘虜となってその俘虜であることに日夜不安を感じている無数の同胞のその魂の苦痛のなかにある。そうして、それであるのに、昭和20年10月22日になって、戦病死した兵隊、傷痍軍人、その遺家族、復員軍人軍属、南方洋上の、またその他の地の俘虜にたいする施策がボイコットされつつ、こういう泣きおとしが政府の手で国民のまっこうへ射ちだされたというその事実にあるのである。
 そうして、政府に或る安心、その射撃効率についての或る確信を与えていたものは、軍閥・軍国主義批判における、自由と民主主義との理解・把握における、国民の側の弱さ、足りなさ、不十分であつた。11月4日の『東京新聞』にのつた、安藤安枝という人の「或る日の傷心」という投書もそれを説明するものの一つだと私は思う。
「10月30日御茶の水の千葉行ホームに立つて居りました私の耳に、異様などよめきと共に『おい皆んなパラオ島帰りの兵隊をよく見ろ』と大きな声が響き渡つて来ました。私は内心敗戦したとは云へ、兵隊さん達は懐しい日本の地を踏みどんなに嬉しさうなお顔をして居られるかと待兼ねました。電車に乗られるため後方ホームより、前方ホームに白衣も眩ぶしく歩んで来られました。然し眼前に見えた兵隊さん達のお顔は率直に申せば骸骨そのままです。即製の竹の杖を皆さんがつき、その手は皮だけで覆はれて恐らくあの白衣の下の肉体も想像がつきます。
 新聞で読む栄養失調症の兵隊さんの顔には白い粉がふいてゐるとのことでしたが、眼の前に見た兵隊さんの顔は誰も皆小麦粉を吹き付けた様な白さ、此の兵隊さんの姿を見て男の方も女の方達も声を上げて泣き出して終ひました。此の様に兵隊さんの肉を削った戦争責任者は之だけでも重罰の価値がありませう。この兵隊さんの姿を妻や子が親が見たらどんなでせう。電車を待つ間にやっと私は兵隊さんに『御苦労様でした、大変で御座いましたでせうね』と泣きながら申しますと、一人の兵隊さんは『いーやー』と心持ち首を動かしましたが、男の方の気軽さで云ふ『いやー』といふ声が出せないんです。混雑するので思はず私は側に居た見知らぬ子供の手を引いて居りましたが、眼の前にゐた兵隊さんが不自由に手を動かし、鞄の中からお弁当箱を出して、蓋の上に乾パンを載せ、声も出ぬ儘私の手を引いて居ります子供に差し出されたではありませんか。子供は無邪気に両手を出しましたが、そのお子さんの母は『勿体なくて戴けません』と繰返し泣いて居りました。私は兵隊さんの御心情も察せられ『折角の兵隊さんのお心持故戴きませうね』と戴きました。涙で見送る眼に白衣だけが残り、二輌目に乗りましたが、車外では兵隊さんを御送りしようと一斉に心からの見送りをして居りました。
 皆さんデモクラシー運動も大いにやって下さい。婦選運動も結構でせう。然しかう云った兵隊さんが各処に居られることを忘れないで心に銘記してからやって下さい。戦災死、戦災者の方達の上に心を止めないことには、敗戦日本に与へられた只一つの有難い国体護持も道義滅亡によって無価値なものとなるでせう。大口買出部隊に一言申します。闇買出しに使用するトラックにこの兵隊さん達を柔い蒲団を敷いてせめて上陸地から目的地に運んで上げる親切心を起して下さい。」
 これが全文である。これを泣かずに読める日本人はあるまい。そうして、安藤氏の兵隊にたいする気持ちも「デモクラシー運動」や「婦選運動」にたいする気持ちも、すべての日本人に素直に呑みこめるだろうと私は思う。また、「デモクラシー運動」や「婦選運動」やが、こういう兵隊の存在と安藤氏の心持ちなどとから多少とも離れたもののように安藤氏に映じていることをもすべての人が素直に受けとるだろうと思う。
 そしてしかしこのことが、軍閥・軍国主義への批判における、自由と民主主義との理解・把握における、国民の側の弱さ、足りなさ、不十分ということに動かし難く結びついている。そしてこのことが、独立の民主主義革命をとおしてでなしに、民主主義ないし民主主義への糸ぐちがいわば外から与えられたという国の歴史的実情に結びついている。日本の国民には、「言論の自由」とは「戦争責任者へのヒステリックな憤懣を喚き立てること」だといわれればそこへ引かれるような、「『自由』の旗印の下に共同戦線を張」るとは復讐戦線を張ることであり、その眼目は「低劣な」「死屍に鞭つ興味」であるといわれればそこへ引かれるような後れが一般にあるのである。それだから、文学者・批評家としての河上氏のあの言葉は、あの限りそういう役をしたのである。自己の屍に鞭うたれることに興味を感じない人びとの或る気持ちと行動とをば、あの限りで弁護したのである。そのことで、日本軍閥と日本軍国主義者とを救うために日本国民を的に掩護射撃をすることになったのである。その反対の行動に出ることが河上氏にとつても国民にとつても望ましいと私は思う。」

中野重治の上の文章が、山口氏の述べる趣旨とはまるで異なる内容をもつことは歴然としているのではないだろうか。小説、評論、雑文とにかかわらず、中野重治がもし山口氏が把握しているような内容の文章を書き続けてきたのだったら、今頃もう中野重治の文章が読まれるようなことはなかったのではないだろうか。文学には虚偽やごまかしをうけつけないところ、弾き飛ばすところがあると誰かが述べていたと記憶するが、私もまったくそう思う。古典について考えてみれば誰しも得心がいくのではないかと思うが、一定の時間を経ると、大抵のことはその真偽・善悪・美醜が自ずと明瞭になるように思う。

山口氏は、「中野は大変なナショナリストでした。」とも述べている。そうかも知れない。でも、このような重要でありかつ繊細・微妙な問題をふくむテーマについて述べるときは、ナショナリストはナショナリストであったとして、どのような世界観の下での、どのような性格のナショナリストであったかを、誤解のないようにできるだけ正確に述べる必要があるだろう。山口氏はその点に欠けるところがあるように思う。中野重治は最晩年の1977年「緊急順不同」という本を三一書房から出版しているが、自ら「雑文集」というこの本について、全集の「著者うしろ書」において「いろいろのことに触れているが、見てのとおり朝鮮のことをかなり扱っている。扱っているとまでは言えぬにしろ、それに触れているとは言えようと思う。その点では、たとえば石堂清倫から批評を受けることなどもでき、書いた本人としてはうれしく思っている。(略)」と述べているように、驚くほどに多く朝鮮および在日朝鮮人についての言及がなされている。「雨の降る品川駅」は中野重治の詩のなかで最もよく知られた作品の一つではあるが、その後も、また晩年になればなるほど、これほど数多く朝鮮、特に在日朝鮮人について書かれていたとはこれまで知らなかった。「さすが」と思わずにいられないほど、重要な深い指摘があると思う。また、中野重治のナショナリストの性質についての判断の参考になるかどうかは分からないが、1972年に書かれた「レスリングとボキシング――私のなかの愛国主義と非愛国主義」という一文があるので紹介したい。ナショナリストうんぬんを言わなくても、これは大変おもしろい文章なので、読んでいただければと思う。中野重治は、単に「食わずぎらい」に過ぎなかったようだが、当初、レスリングもボキシング(ボクシング)も嫌いだったそうである。

「 そうして時がたつた。いまや私はときどきテレビでボキシングを見る。それからレスリングを見る。両方ともプロのほう、商売のほうのを見る。家のなかで私ひとりだけがそれを見る。ニュースの時刻に重なつたりして見られぬこともあるが、家じゆうで四方からいやがられながら私はそれを見る。四方からしかしいつもは二人きりだからたいしたことはない。親類縁者がやつてきても私は非難され、嫌悪され、軽蔑されさえするのらしいが、私はなるべく彼らを刺戟しないように工面して何とかして見ている。
 私はテレビで見るだけで現場へは出かけない。このごろは炬燵にはいつていて、知らずに声を出したり、炬燵やぐらの脚を掴んで音が出るほど握つてゆすつたりするのらしいが私は弁解しない。そしてこうやつて見てきて、私のなかにおかしな傾向ができてきているらしいのに気づいて私は自分でどぎまぎすることがあつた。
 私はテレビで野球を見る。角力を見る。柔道も見れば甲子園大会なども見る。いちばん困るのが大角力の場所で、ある時期には3時半から5時半まで見、それから夜11時からダイジェスト版を見るのだつたから私はほんとうに困つた。角力のせいでではない。場所関係の制度について私は何も知らぬが、それが必ずというように原稿締切りにかかるために私は困るのだつた。このごろはダイジェスト版というのがなくなつて、私は助かりはするがさびしくないことはない。
 ところで、どんなおかしな傾向が私のなかに出来てきているというのか。出来てきているらしいというのか。簡単には説明できそうにないが、誤解されるかも知れぬことを承知で書けば、プロ・レス、プロ・ボキシングの二つについて、私のなかに愛国主義と非愛国主義とが、愛国主義的傾向と非愛国主義的傾向とがいくらか固定して出来てきているらしいのがそれだつた。
 もともと私はボキシングから見はじめていた。何年まえになるか思い出せもしないが、はじめのうち私はプロ・レスを見ることができなかつた。ときどきかけては見るものの、とてもそれ以上は眺めていられない。あまりにひどい。あまりに陰惨、残酷で、その上ずいぶんひどい違反をやる。それがそのまま見のがされる。それは言葉どおりスポーツらしからぬ醜だつた。背骨が折れるほどに、血だらけになつて死ぬるほどにひどいことをする。そこへ行くとボキシングのほうはいい。それでさえ初めは、アメリカの重量級選手なんかがどさツどさツとやる音、むしろ響き、あれが私には聞いていられなかつた。「顔面をとらえる」という言葉さえ私にはいやだつた。
 それがそのうちそうでなくなつた。あれには男らしいところがある。いい試合には昔物語の剣士のようなおもむきがある。「顔面をとらえる」も「ボデー攻撃」も気にならなくなつた。しかしそのときになつてもレスリングは見られない。
 それがどれだけ続いたか調べることもできないが、いつの間にやら私はレスリングを見るようになつていた。見ていてそれがおもしろくなつていた。そしてそれからまただいぶして、さつき言つた愛国と非愛国とのごつちやが自分のなかにあるらしいのに私は気づいたのだつた。
 結論からいうと――結論というのも大袈裟になる。――私はボキシングのほうに私自身の非愛国主義を感じてきている。レスリングのほうに愛国主義を感じてきている。愛国・非愛国というのだからこれは他流試合の場合、日本人選手がどこか外国の選手とたたかう場合のことに関してくる。日本人と外国人とがたたかう。しかも日本人の私が、肝腎の日本人選手に必ずしも贔屓しない。日本人選手が負ければいいというのではない。決してそうではないが、どんなやり方をしてでもどうしても勝てとは自然のこととして思わぬというのが実地のそれだつた。
 これはレスリングの場合に比べてみて自分でよくわかる。プロ・レスの場合、私はどうしても日本人側に贔屓する。日本人選手、どうしても勝てと切に思う。
 愛国主義、非愛国主義なんという言葉を私はもともと使いたくない。それはここで便宜上使うのに過ぎぬが、何でそんなものが出来てきたろうかと考えてみると、選手も問題があるらしかつたがそれ以上審判に問題があるのらしかつた。
 愛国主義のプロ・レスのほうからいうと、日本側選手たちの伎倆の問題もあつた。それだけ独立に引きだしていう場合の技術、訓練、それの不足ということも考えられなくはなかつたが、それ以上に試合のやり方にたいする私の不満があつた。何で彼らが、はじめからしまいまで、必ずといつていいほど相手側のコーナーへ引きこまれて行くのか。誘いだされるのか。何で彼らが、ある型の攻撃を連続して、同時に高速度で相手に加えないのか。何だか彼らに、最後の一つ手まえのところで、相手の様子をつつ立つて見ているようなところがある。よほど特別のときでないかぎり、日本人選手たちは同じところを蹴りつづけない。ねじり続けない。三度も五度も投げとばしたにしても、あと五つ六つ続けて投げとばさないで、もひとつ甲斐ないところで押えこんでしまう。そして撥ねかえされる。相手に休養をあたえてしまう。見ていて歯がゆくなるが、そのうえ外国人選手は見ていられぬほどひどいことをする。
 第一に私にあの仮面というのが気に食わない。何の必要があるか。彼らは非道なことをする。髪の毛をむしる。歯で噛みつく。眼をえぐるようにする。吊鐘のところを打つ。トランクスのうしろへ手をかける。それは力くらべ、業くらべではない。それにたいして日本人選手たちがおしなべておとなしい。さんざんに傷めつけられるのを待つていたようにして我慢する。相手の首にロープを巻くようなことは外国人のほうが主としてやる。しかし我慢しにくいのは審判者の態度こそだつた。
 正確でないが、あれはミスター・トルコとかいうのだつたかも知れない。何でそんな名なのか。国籍がトルコなのかも知れぬが、眼のくらんだ外国人選手にあばれられて、ミスターそのものが投げられたりすることもあるのだから一概には言えまいが、私には、審判の態度がどうしても故意に見えて仕方がない。わざとそう持つて行く。外国人選手がビールの栓抜きなんかをどこかに隠していて、腰のところからひよいと出してそれでひどいことをする。審判がそれを原則的にとがめない。日本人選手が相手を押えこんでカウントを取る。決まりの一歩まえで相棒が飛びこんできて日本人選手の背骨のところを蹴る。日本人選手の一人が審判に抗議する。ミスター・トルコが腕を上下に振つて抗議をしりぞける。そのあいだじゆう、土俵で外国人選手の反則が続けられる。そもそも言つて、日本人選手側の抗議の仕方がなつていない。あの「タッチ」のやり方でも、タッチしないでしたようにしてしまう外国人選手のやり方と、ちやんとしていながらしなかつたように審判に取られてすごすご引つこんでしまう日本人選手側のやり方と、見ていて腹が立つてくる。業が湧く。一般に、審判と外国人選手側とがグルになつていて、日本人選手側が絶えずそれに提燈持ちをさせられている、それを合法化するための道化を演じさせられているという形になる。そもそもいつて、プロ・レスの審判が一人だというのが気に食わない。それは不正を前提にしている……
 そこで私が日本人選手側に肩を入れたくなる。私が愛国主義者なのではない。ただ不義に従いたくない。それだけのことなのらしい。そこで相対的に、ボキシングの場合それほどにはいらつかぬのらしい。ボキシングの審判は複数になつている。そこに、一般的にいつて正義が感じられる。角力では一人の行司が立つ。しかし別に複数の検査役がいる。写真も使われる。そこはオリンピック競技なみ、競馬なみに近代化されている。ボキシングの場合、レスリングに比べて私が非愛国主義的になるように見えたのは、そこでは大体において正義が保証されていて、ずぶ以前の素人がおかしくやきもきしないでもすむという信頼感があつて来たせいなのらしい。
 ところでこのごろになつて、ついこのあいだの 「世界フェザー級タイトル・マッチ十五回戦」というので私に変化が生じた。これには「WBC」という肩書がついていて、何だかもう一つ世界なになにというのがあるのらしいが私の勘ちがいらしくもある。ボキシングでは例のカシアス・クレーに絡んで私に意見があるが、それは又のことにしてこの十五回戦はひどかつた。私は、日本で行なわれたこの試合はと書いておきたい。
 見ていると目の前で不義がまかり通つて行く。私は手で炬燵板を打つて罵つた。
 それでも、ずぶ以前はわかつているのだから私は新聞を読んでみた。ずぶ以前は誤つていなかつた。
『サンケイ新聞』の「ファイティング原田氏」の言葉を見てもいい。「日本ボクシング協会会長の笹崎氏」の言葉を取つてもいい。『東京新聞』の若山圭五、「日本におけるホームタウンデシジョン(身びいき判定)、これは世界のボクシング界に周知の事実だ……だがこんなにひどいのは初めてである」を取つてみてもいい。笹崎会長の、「こんなことをやられては日本の信用はゼロだ」を見てもいい。『毎日新聞』の八代の言葉を取つてもいい。『読売』『朝日』その他もかわらない。『デイリースポーツ』の「さらした悪名の本領、声援が怒号に……ファンは正義、ジャンジャン抗議電話、子供にわかる勝敗だ」を読んでもいい。なかでも私は『デイリースポーツ』の寺内大吉を読んだ。「ボクシングに訣別の辞」と題がついている。
「ドル・ショックにも逆重要事項が否決されてもビクともしなかつた僕だが、今夜ばかりは腰を抜かしてしまつた。この試合がドローとは……。僕は腰を抜かしながら決心している。もう絶対にボクシングは見ない。とくにレフェリーをやった鄭なにがしとは一体いかなる人物なのであるか。
 これはもはやスポーツではない。政治だ。それももつともいやらしい低級な政治というほかはない。」
「だれがなんといおうとも、歴然たる柴田の敗戦であった。ピストン堀口と中村金敬戦をリングサイドで見物して以来、僕のボクシングファン歴は四十年を越えるが、はつきりとここで訣別を告げたいと思つた。」
「もしもJBCが真の見識を持つならば、今夜の採点を厳重に調べ直すべきであろう。先夜の輪島戦でも……選挙違反もいいところ、その恥の上塗りである。」
「まず、その前にあの韓国人レフェリーをだれが、どこから選んできたのか、この点をはつきり明白にすべきであろう。」
 炬燵板を叩いて罵つた私はまちがつていなかつた。レスリングでの私の愛国主義とボキシングでの非愛国主義、つまるところそれは、スポーツに正義を求めること、試合審判でその不義に従いたくないこと、ただそれだけのことだつた。
 私は『スポーツニッポン』の深沢七郎の「風流巷談」も読んだ。私の意見に似ている。私のが深沢のに似ているのだろう。そしてそのへんで念のため私は『赤旗』を見た。そして「やはりナ……」というように感じた。「強打不発で苦戦、マルセルと引分ける」とそれは書いている。
「柴田がからくも引き分け、二度目の防衛を果たしました……得意の強打も不発に終わり不利な展開かとみられましたが、結局、審判の採点は三者三様、柴田は危うく引き分けて命拾いの防衛をなしとげました。」
 こう十九行、しかし写真入りで書いているのに過ぎない。『毎日』の、大活字で書いた「防衛へ微妙(!?)な採点、柴田を救う中立国の『いい主審』」の件には徹底して沈黙をまもつている。ふたりの談話にしても、確信と謙遜とのマルセルは排除して、「調子はよかつた」という柴田のだけを出している。つまり『東京』の、「ふてくされ気味、さながら敗者のインタビュー」だけを勝者の談話のようにして、「からくも」にしろ、「王座防衛者」の言葉としてのせている。ありつたけの新聞を見たわけではない。しかしこの手の報道が、『赤旗』以外に一紙でもあつたとは私に思えない。私のなかの愛国主義と非愛国主義、私のなかのスポーツ審判における正義と不義とから行けば、柴田・マルセル戦での限り、『赤旗』は非愛国主義と不義とに立つていた。しかしそこを私の結論とするのではない。私のずぶ以前の素人考えを書きつけるのにとどまる。」

「そしてそのへんで念のため私は『赤旗』を見た。そして「やはりナ……」というように感じた。」にはちょっと笑ってしまった。ちなみに、この記事が書かれた7年後、79年に中野重治が死去したとき、日本で唯一その死を報じなかった新聞が『赤旗』だったそうである。

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2009.11.30 Mon l 中野重治 l コメント (0) トラックバック (0) l top
もう大分前のことになるが、本年6月25日に金光翔さんのブログ「私にも話させて」の「資料庫」に、「差別発言への注意は「非常識」――岡本厚『世界』編集長の私への怒り」という文章がアップされた。これを読んだ時から、この一文が指摘している特定の民族に対する差別発言の問題について一度自分の考え・意見を述べようと思ってきた。民族差別に関する問題は、日本人の誰にとってもそうかもしれないが、私もこうして記述するのに大変躊躇や困難を感じる。差別に関わる問題は、どんなことでも――障害者差別でも女性差別でも、それを語る者の基本的な考え方、また感覚や常日頃の意識も鋭く問われると思うが、中でも人種差別・民族差別の問題は特にそうだと思うからだ。

上記の記事を読んで、金さんが『世界』編集部を離れるにいたったそもそもの原因は、同僚の女性の差別発言を注意したことだったことを知り、『世界』の編集部を異様な職場だと思った。金さんは『世界』編集部に移るまで所属していた岩波書店の宣伝部もふくめて過去に働いた職場で特定の民族に対する悪口や差別発言を聞いたことはなかったと記しているが、私もかつての十数年間の勤めの経験では、記憶するかぎりの範囲でだが、職場で特定の民族への悪口がとびかうというような経験はしたことがなかった。もちろん、戦後の歴史と現状をみると、世の中全体がそうだったわけではないことは十分に推測できることだが、それにしても岩波書店はこれまで他のどんな出版社よりも、日本による戦前・戦中の侵略・植民地主義の歴史や民族差別の問題に高い意識をもった本づくりをしてきたはずであり、『世界』はその中核的存在ではなかったのだろうか。

かといって、『世界』の編集部を「異様」といって済ませられない、何とない後ろめたさを私自身も感じる。自衛のためだという身勝手な理屈で他国を侵略し、植民地にし、敗戦後、被害国や被害者個人からその責任を問われると、どこの国でもやっていた、に始まり、(侵略地・植民地で)少し悪いこともしたが、いいこともしてやった、などの延々とつづく政府閣僚の発言を聞くたびに、恥知らずな言動だと思い、憂鬱でもありやりきれない憤りを感じもした。こんなことをしていて将来どうなるのだろう、いつまでもこんなことで済まされるわけがないという漠とした不安もあった。そういう政府の姿勢は、小学校のころから当然のこととして聞かされ、こちらも納得し信頼して内心に育んできたはずの普遍的な価値観や倫理・道徳観とかけ離れた矛盾した言い分でしかないと感じないわけにはいかなかったからだが、それでもそのような矛盾を引き続きちゃんと考え、追求することはしてこなかった。難しすぎる問題だから、自分のようなちっぽけな人間の手の負える問題ではないから、と深く考えることを避け曖昧なままにやり過ごしてきたのだった。そのたまりにたまったツケが今このようにして回されてきているようにも感じるのである。

私は今現在の日本社会を政治的、社会的に、また文化的にも戦後60数年のうちで最悪の状態だと感じている。このような実感をもっている人は実は日本社会には潜在的に大変多いのではないかとも思っている。こうなった要因は沢山あるに違いない。天皇制をふくめた戦後処理の問題、その後の経済発展の方法の問題、国家と大小の組織や個人との関係の問題。いろいろあるにしろ、それでも根本原因は明治初年の侵略と植民地主義を是とした国家政策にまでさかのぼらなければつき止められないという説は大変説得的であり、私もこの説に賛同する。ただ、明確にそのように考えるようになったのは、私の場合せいぜいここ10年ほどのことで、特に北朝鮮による拉致問題が発生してからのことである。拉致問題を契機としてようやく日本が過去に行なってきた侵略と植民地戦略の残酷非道さが身に沁みて実感されるようになってきたということである。そのようなことは洞察力と実体を見ようとする姿勢があればもっと早くに気づいたはずなので、この点でも私はまったく鈍感な人間である。金光翔さんの上記の記事についての意見を書きたいと思いつつ、そのようなことをあれこれ考えては逡巡し、ついつい遅くなったのだが、これから思うところを少し書いてみる。なお、金光翔さんが記事において事実として述べていることについては、私はそれを事実と見てさしつかえないと考えている。前にも述べたのだが(「首都圏労働組合特設ブログ」の記事「読者からの岩波書店へのメール」参照のこと。あの一文は私が岩波書店に送ったもので、その後金さんにこのことを連絡したところ「首都圏労働組合特設ブログ」に掲載してくださった)、もし金さんの記事に事実でないことが事実として書かれているようなことがあったのなら、批判の対象にされた岩波書店や労働組合がこれまでそれを黙過したはずはないと思うからである。

金さんが、『世界』編集部に異動願いをだしたのは、2006年12月とのことである。そのような行動をとったのは、「基本的には佐藤優を使うという『世界』の編集方針を理由としたものだが、もう一つ、『世界』編集部内での、差別発言への私の批判をきっかけとした人間関係の極端な悪化の問題もあった。」とのことで、その「差別発言」の内容とは、下記のようなことだったという。

「『世界』編集部に2006年4月に異動して、私が驚いたのは、配偶者が中国人とのことであるA氏(もちろん日本人)が、中国人差別発言を大っぴらにしていることと、それを聞いている岡本氏を含めた編集部員たちが誰も注意しないことであった。「中国人は嘘つき」「中国人は腹黒い」「中国人は約束を守らない」といった発言を日常的に行い、会議中でも平気でそうした発言をしていた。日本社会の否定的な側面についても、「まるで中国みたい」といった表現を使っていた。」

「私はこうした発言を聞くたびに、非常に不快に思ったが、異動してきたばかりであり、部内では最も若輩という引け目から、黙っていた。そうした発言を注意できない自分の怯堕にも腹が立った。」

金さんが「職場で特定の民族についての差別発言を聞くのは不愉快であり、今後やめてほしいこと、自分が彼女の中国人に関する差別発言を不愉快に思っていたこと」を伝えるまでに、逡巡があったということ、特に「注意できない自分の怯堕にも腹が立った」という記述には十分に留意すべきだろう。自分の注意や批判が素直に受けとめられないのではないか、問題が大きくなるのではないかという懸念もあったのではないだろうか。人に注意されてすぐに納得して改めるのなら、初めからこのような発言はしないとも思われる。しかし、これは注意されて当然の発言であると思う。普通の職場ならば、早いうちに誰かが注意していたと思う。「中国人は嘘つき」「中国人は腹黒い」「中国人は約束を守らない」、日本社会の否定的な側面についても、「まるで中国みたい」といった表現は、発言者の意図がどうあろうと、第三者に中国への差別意識に貫かれていると判断されて仕方がないのではなかろうか。編集長の岡本氏は、

「A氏の夫は中国人なのだから、彼女が中国人に対して差別的認識や差別感情を持っているはずがない。だから、A氏の中国人に関する発言は、軽口の範囲として認識すべきであって、みんなそうしているし、金のように注意するのは非常識だ」

と述べたそうだが、A氏の配偶者が中国人であることは、職場にも、そこで働く他の人にも基本的には関係のないことである。A氏が岩波書店で働いているのはA氏の能力によってであり、夫が中国人だからではないだろう。もしA氏のそのような発言がうっかり外部の人に聞かれ(ありえないことではない)、呆れられ、批判されたとしたら、A氏や岡本氏は何と弁明するのだろう。「A氏の配偶者は中国人ですから、軽口として許されるはずです」とでも言うのだろうか。また、人間誰しも先のことは分からないから、Aさんも何らかの事情で離婚することだってあるかも知れない。その時にはA氏の同じ発言が今度は「差別発言」ということになるのだろうか。それとも以後ピタリとその種の発言をしなくなるのだろうか。どちらにしろ倫理的にも論理的にもおかしなことには違いないと思う。それから同僚はみな黙ってA氏の発言を聞いていたということだが、その中からもしA氏の発言につよく同意する人がでてきたとしたら、どうするのだろう。相手があることで話にいっそう弾みがつき、発言内容がより過激になっていったとしたら、岡本氏はどのような対処をするのだろうか。きっとそれもまた非常識というのではないだろうか。発言への注意も非常識、賛同もまた度を越せば非常識、結局、第三者は好意的に静かに話を聞いていることだけが唯一のとるべき途であって、それ以外の対応はすべて非常識ということになりそうに思われる。

日本人と結婚した在日朝鮮人の女性が、自分の生んだ子どもたちにまでそのことをひた隠しにして小さくなり心を抑圧して暮らしてきたという話なども聞くことがある。たしか徐京植さんの本にもそのような挿話が載っていたはずである。夫婦だからといってどちらかに民族的差別意識がないとはいえないのだ。親子の関係だって同じことだと思う。すべての差別は根本的に否定されなければならないのではないだろうか? 肯定してもよい差別などあるのだろうか。

そもそも特定の民族を指して「嘘つき」「腹黒い」などという発言を正しい指摘とは言えないだろう。どこの国にだって、「嘘つき」もいれば「腹黒い」人もいるだろうからだ。根拠を示せといわれても示せるはずのないことは明らかなのだから、このような発言は批評とは言えないだろう。注意を受けて当然の差別発言だと思う。またあえて言ってみるが、中国人でも日本人でもない第三者が双方を比べて、内心どちらをたとえば「腹黒い」と感じているだろうか。過去に相手国を侵略したのは日本であって、中国ではないことをどこの国の人だって知っているのだ。

昨年死去した加藤周一は「歴史としての20世紀」という本のなかで、これは戦争責任に関してだが、日本人の意識について、下記のように述べている。

「日本ではごまかす。「残念なことが過去にありました」「心が痛みます」。それは謝罪じゃない。自分の心が痛むか痛まないかが問題ではないのです。被害を受けた方からいえば、相手をはっきりさせて、朝鮮人に対してあるいは中国人に対して謝らなければ意味がない。中国と日本との間に戦争があったことに関して、こっちの心が痛もうと痛むまいと、そんなことに中国側では興味がないでしょう。謝罪というのは相手に対する行為であり、心が痛むのは当方の気分の問題です。それは全然別の二つのことですね。ヨーロッパ人は、そういうことを強く感じていて、日本の評判はあまりよくない。「どうもおかしい。戦争の時代からずっと続いているんじゃないか」という感じは、ヨーロッパ人のなかにもかなり深くある。もう少し詳しくいうと、ヨーロッパにおける一般大衆は、中国や韓国に対するようには日本に関心がない。しかし、国際的な問題に関心のあるヨーロッパ人の間では、日本の評判があまりよくないということです。国際的には一言でいうと「孤立した」状態になっています。」

『世界』でのこの出来事は2006年に起きたとのことだが、同じ年に、私はブログで酷い差別的内容の記事をみたことがある。その記事は、ちょうどその頃マスコミで話題になっていたある人物を徹底的に非難したものだったが、そのモチーフはその話題の人物が実は朝鮮人だということであった。その事実関係は知らないにせよ、その姓はよくある平凡なものだからおそらく事実は異なると思うが、要は、まだ若いと思われるその書き手にとって、相手を最大・最高に非難するための手段・道具は、その相手を朝鮮人だと決めつけることなのだった。これでは朝鮮人、とくに在日朝鮮人はたまったものではないだろうと思い、私も驚きとともにショックを感じたが、それ以降日本社会での民族的差別意識はますます酷い状態になってはいても、一向に改善されてはいないと思うのだが、A氏や岡本氏は現状をどのように見ているだろうか。

さらに遡って、これはもう7、8年前のことになると思うが、夜11時を過ぎたころ、何かちょっとした片づけものをしながら、テレビの音だけ聞くともなく聞いていたことがあった。NHKの番組で、ニュース解説員がどうやら「日本人論」とでもいうべき内容の話をしているらしかった。ふと「キッシンジャーの自伝には、日本人と韓国人と中国人が3人集まって話している場合、日本人だけはすぐに見分けられる。黙って肯いている人間がいれば、それが日本人だと思ってまちがいない。……そういう一節があるそうです。」というような声が聞こえてきた。ギョッとしてテレビを見ると、中年のその男性解説員は、微かに屈辱感をにじませたような苦い笑い顔をしているのが大変印象的であった。キッシンジャーが日本人の国民性について「黙って肯いている」ことをもって決して温良だと判断しているわけではないことをこのニュース解説者も感じとっていたのだと思う。この人はつづいて何か二言、三言しゃべったあと、「これからはそんなことを言われることのないようにしなければいけない」というようにまとめていたが、私はしばらく呆然としてしまった。これは日本人への偏見や差別発言だろうか、それとも核心をついた適切な批評だろうか。その後、この出来事を私は数人に話したが、誰もこの説に反対したり、怒ったりしなかった。つよい反応を示し、自分を省みてもそのとおりではないかと思う、と言った人もいた。『世界』編集部の人たちには失礼かも知れないが、金さんのこの記事を読んだ時も、私はキッシンジャーが述べたというこの日本人に関する説を思い出してしまった。といっても、キッシンジャーに特に関心があるわけでもないので、その後も当の自伝にこの逸話が実際に載っているかどうかを確かめたわけではないのだが。
2009.11.26 Thu l 言論・表現の自由 l コメント (0) トラックバック (0) l top
金光翔さんは誹謗中傷を含んだでたらめな記事(『週刊新潮』2007年12月6日号)で名誉を棄損されたとして『週刊新潮』と佐藤優氏を提訴したが、その金さんを支援するために有志の人々が呼びかけた「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」の賛同者は、現在のところ106人(この中には私も入っている)を数えたようである。世の中の署名募集には何千、何万という数が集まることもあるのだから、この106という数を多いとは一般的には言えないかも知れないが、今の社会の趨勢、またこれまでの金さんの孤独な闘いを見れば(金さんのブログの過去の記事を読めばよく分かる)、このような内容の「共同声明」にしては大変よく健闘していると言えるだろうと思う。このことは、金さんの一貫性・統一性のある論理的な文章が高い批評力と説得力を持っていることと共に、『世界』や『週刊金曜日』を初め、良心的な雑誌として人権や言論・思想の自由のために力を尽くしてきた、今も尽くしていると社会一般もそう捉え、自らもそのように自負してきたはずの雑誌、また各執筆者などの予想もつかなかった変貌ぶりに多くの人が危機感を持っていることの現れではないかと思う。「共同声明」に寄せられた数々のコメントの内容にそのことがにじみ出ていると感じる。

金さんの「<佐藤優現象>批判」(『インパクション』第160号)が出たのは、2007年の11月だったが、この論文の内容は衝撃的なものだった。女性史研究者の鈴木裕子さんは、「私にも話させて」に「「<佐藤優現象>批判」を読んで」を寄稿されていて、そのなかで「1976年生まれ、という筆者の若さにまず驚いた。その読書力にも驚かされた。が、最も舌を巻いたのは、その分析力の鋭さである。日本の言論界ひいては思想界が溶解しはじめているのは、大分前から感じさせられていたものの、その「謎とき」に、金光翔氏の論稿は大きく示唆を与えてくれるものであった。」と書かれているが、私の場合これほど鮮明なとらえ方をしたのではなく、もっとぼんやりしていたが、それでも今思うとおおむね近いことを感じていたように思う。

岩波書店を初めとした、それなりに良識があるはずの出版社やライター達がなぜこれほどまでに佐藤優氏を賞賛するのかが当時皆目理解できなかった。後に金さんが論文で正しく述べているとおり、「取るにたらない「思想家」」としか思えない人物をあの人もこの人もこぞってほめ称えている状況は異常である、このようなことはかつて経験しない出来事だと感じずにいられなかった。

金さんの洞察力にあふれた論文とは比較にならない単純な内容の短い文ではあるが、下記に載せるのは、2006年春先に書き、半年ほど経った秋に当時唯一講読していた発行部数500~600のある冊子に投稿し掲載してもらった、佐藤氏の言説を批判したものである。そのうち、きっと佐藤氏の論説内容に対して、また佐藤氏を絶賛するメディアやライター陣に対して、厳しい批判を述べる人物がでてくるだろうという期待を持ってはいたが、それでもなかなか現れない。むしろ賞賛の声は高まるばかりのように思えたので、我慢ができず、おっかなびっくり内心気を遣いながらではあったが、投稿(誰でも載せてもらえる。当時は自分でブログを開設するなど考えたこともなかった)したのだった。何の反響もなかったが、それでも最低限言うべきことを言ったというある満足感はあったように思う。



 皆さんは、こんなことありませんか。そんなこと誰も気にかけてない、でも自分は気になる、忘れ切ることができないというようなことが。私には時々あります。自分でもしつこい気がして「ひょっとして、ヘンなのではないか?」と反省してみるものの、やっぱり納得がいかずについ思い浮かべては考えてしまうのですが、この問題もその一つなのです。

 佐藤優さんの書評「高橋哲哉著『靖国問題』の罠」(「正論」2005年9月号)。高橋氏の、政教分離を徹底することによって「国家機関」としての靖国神社を廃止すること、合祀取り下げを求める遺族の要求には応じること等の提言に対して、佐藤さんは、「靖国神社の信教、布教の自由を破壊する結果をもたらすものなので、反対だ。靖国神社は現行のままでよい。」と記しています。この姿勢は明快で率直です。内容も賛否とは別に興味深いものですが、私が大変驚かされ、茫然とし、今も納得できないのは、12頁におよぶ書評の結論部分です。佐藤氏はここで、高橋氏の「靖国信仰から逃れるためには、必ずしも複雑な論理を必要としない。悲しいのに嬉しいと言わないこと。それだけで十分なのだ」という文章をとりあげ、「悲しみを無理をしてでも喜びに変えるところから信仰が生まれ、文学も生まれるのだと思う」「悲しみをいつまでも持ち続け、耐えることができる人物は一握りの強者だけ」「この倫理基準に立つ限り、高橋教授には、宗教を必要とし、慰めや癒しを必要とし、そして文学を必要とする人々の内在的論理がつかめない」「『悲しみの罠』から人々を解放するのが宗教や文学、そして時には国家の機能と思う」と述べています。

 これらはみな私には初めてふれる驚くべき言葉と思えましたが、なかでもビックリしたのは、悲しみを無理をしてでも喜びに変えるところから信仰が生まれ、文学も生まれる、という一節です。しかし、原因が何であれ、肉親を失った遺族が、悲しみという自然のうちにある感情を意志によって喜びに変換させることが可能でしょうか。私はそれは不可能なこと、端的にいって虚偽だと思います。また人には悲しみを喜びに変換するという不自然な行為をあえて行う必要があるとも思えません。佐藤氏は、「悲しみをいつまでも持ち続け、耐えることができるのは強者だけ」といいますが、本当にそうでしょうか。現実には、悲しみに遭遇すれば、特別な強者でなくとも大抵の人はどうにか耐え抜くものです。時の力が苦しみを和らげてくれることを経験上承知しているせいもあると思いますが、たとえ悲しみに打ちひしがれてしまう人がいたとしても、自ら悲しみを喜びに変えようと意志する人など私はこれまで見聞きしたことがありません。戦死者の場合だけ「嬉しい」という言葉が使われるわけです。国家意志と密接な関係があることは明白でしょう。佐藤氏がそのことにふれることなく、感情の変換を人の当然の行為のようにみなす姿勢は疑問です。でも、もし、「悲しみを喜びに変える」ことができたと想定したら、どうでしょう。信仰の問題は今は別にします。ここから文学が本当に生まれるのでしょうか。佐藤氏はどんな文学を思い描いてそういうのか、せめてイメージだけでも示してほしかったと思いますが、私はこの問題と文学との関連性は、「人が不自然な心理操作を行うのはなぜか」という動機の解明になら求められると思います。なぜ悲しいはずの時に嬉しいというのか、悲しみを喜びに変えようとするのはなぜか、社会的諸条件と起伏や襞をふくめた人の心の動きが鋭敏に洞察されることにより、原因の追求がしっかりなされること。それなしにここから文学が生まれる可能性を考えることはできません。佐藤氏が「文学を必要とする人々の内在的論理がつかめない」と批判する高橋氏の、事態を直視しているからこそと思える「悲しいのに嬉しいと言わないこと」という提言の方が、文学を必要とする人の内心の欲求に応えていると思うゆえんです。私は佐藤氏が宗教や文学を国家の機能と同列に並べて事を論じていることも大変疑問なのですが、俳句の実作者である○○さんは如何でしょうか。
                                                    2006年9月 



佐藤氏の上述の発言について、見過ごしにできない、してはならない重大な発言だという実感を珍しいことに私は当時つよく持っていた。その一方、批判が非難として受け取られることのないように、できるだけもの柔らかな書き方をするようにと、たった3、4枚のものではあったが、これでも書くのにずいぶん骨を折った記憶がある。誰に言われたわけでもないのに、佐藤氏を批判することはタブーであるらしいと私のような言論・出版界とは何ら関係のない一市民であっても皮膚感覚的に理解できたのだった。金光翔さんの「<佐藤優現象>批判」の文章の徹底性、現象の核心をついた内容は、ともに勇気の賜物でもあったと思う。
2009.11.20 Fri l 言論・表現の自由 l コメント (0) トラックバック (0) l top
(4) 風間さんへの関根氏の暴力

当ブログは、これまで3回にわたり、風間さんと関根氏の間柄が、検察官が主張し、裁判官が認定した「運命共同体」「車の両輪」と呼べるような強固・緊密な関係ではないことを縷々述べてきた。今回もひきつづきこの問題を検討するが、まずは関根氏の暴力は長男に対してだけではなく、風間さんへも及んでいたことから記述する。

関根氏は、第一審の公判廷において風間さんの弁護人から、風間さんに対して暴力を振るったことはなかったかと尋問され、「こぶしで一回頭をたたいたことはあった」と答えている。以下にその応答を記す。

「では、それ以上にひどい暴力を加えたことはないんですね。
   「ありません。」
では、今の場面に限定しませんが、どの場面でもいいんですが、博子さんを殴る、けるって、したことはないんですか。
   「ありません。」
関根さんのすぐ近くで、博子さん(が)、関根さんの話を聞いてますが、そういうことはしていないと断言できるんですね。
   「はい、誓って言えます。ありません。」」(第一審第68回公判 平成11年2月1日)

上記のように、関根氏は自身の長男への暴力行為を完全否定したのと同じく、風間さんに対する暴力行為をもきっぱり否定している。だが、共犯者のY氏は第一審・第二審の法廷で下記のように証言している。

   「「例えば、1000万出せと、で、出せないと言えばさ、暴力、振るったりもするんじゃないんですか。いっとき、こんな顔してたときもあったからね。(両手を顔の前に持っていき、丸い形を作った。)」
風間被告人が?
   「はい。」
殴られて、腫れた、そういう意味ですか?
   「そうそうそうそう。だから、出すの嫌でも、出さなきゃしょうがないんじゃないんですか。(第一審第16回公判 平成8年6月20日)
何か関根に、博子さんが脅されているような場面はありましたか。
   「ありますよ。」
具体的に、どんな場面ですか。
   「具体的にとは。」
脅されていたというのは、何回ぐらい脅されていましたか。
   「しょっちゅうじゃないの。」 /(略)
(長男に対する暴力以外に)博子さんに対しては、どうなんでしょう。
   「同じでしょう。」
要するに、相談を持ちかける相手ではなくて、とにかく暴力を振るうだけの相手、暴力を振るう相手にいちいち相談しないだろうという、そういう意味合いでしょうか。
   「そうです。」 」(第二審第3回公判 平成16年2月23日)

風間さんの母であるY子さんは、第一審第95回公判(平成12年2月28日)で次のような証言をしている。

   「話は直接は聞きませんでしたけど、一度┄┄服がぼろぼろになってたのは見ました。」

また、風間さんの妹(K子さん)は、下記のような目撃場面を語っている。

「簡単でいいですけれども、どういうことでそういうことを見られたのか、経緯をちょっとお話し願えますか。
   「姉のうちに泊まっていて、姉が夜外出して、その間に、元さんのほうが姉と連絡取れなくて、かんしゃくを起こしたのか、雨戸をはずして、建て付けが悪い家だったので。で、窓ガラスが開いたんじゃないかと思うんですが、(姉が)入って来て、で、姉を廊下から引きずって、玄関を通り越して、表、敷地内ですけれども、引きずり出して、で、姉の洋服がはだけちゃって、で、殴るけるだったような気がします。(注1)
殴るけるというのは、回数とか程度、相当力を込めてかというような話なんですけれども、その点はどうですか。
   「激しいものに見えました。」」(第一審第96回公判、平成12年3月9日)

長男だけではなく風間さんも関根氏から暴力をうけていたことについて、このようにY氏や肉親による証言があるのだが、実は風間さん自身は法廷でこのような第三者証言を聞くまで、自分自身が暴力を振るわれていることは、ほとんど意識になかったと述べている。証言を聞いた後に、そのような事実が確かな経験として少しずつ脳裏に蘇ってきたとのことだ。風間さんは、自分に振るわれる暴力は関根氏の人格の一属性として捉えていて、そのことを特別に異常なこととは把握していなかったようである。このことは当人が事実をすべてありのままに認識している場合よりもさらに厳しく深刻な環境下にいたということができるのかも知れないが、ただ、この問題に限っていえば、長男に振るわれる暴行や暴言への懸念が風間さんの頭のなか一杯を占めていたのだろうと想像される。常に、関根氏の機嫌が悪くならないように自分たちの言動に気を遣い、機嫌が悪い時には子供たちを関根氏に近づけないように、おとなしく静かな立ち居振る舞いをするよう心がけていたと風間さんは述べているが、このような消極的・内向的な心境および生活態度のどこにも風間さんと関根氏の「車の両輪」「運命共同体」と呼べるような対等な人間関係を見てとることはできないと思う。


(5) その他

事件当時、風間さんと関根氏が決して「運命共同体」などといえるような関係ではなかったことを証明するできごとは他にも多数ある。実のところ、二人が「運命共同体」的関係であったことを証明する証言も根拠も何一つなく、むしろこれはばかばかしい話といったほうが正確ではないかと思える程なのだが、Kさん殺害事件当時、風間さんには、MR氏という愛人がいて、平成5年(93年)早々、関根氏との離婚が成立し、別居生活がはじまったころから、風間さんがMR氏と会う機会がそれ以前に比べて飛躍的に多くなっていたことも「運命共同体」論の信憑性を否定する重大な根拠の一つであると言えよう。一審判決文は風間さんに当時愛人がいたことについて次のように判示している。

「被告人風間も、平成3年9月ころからアフリカケンネルの資金を使って被告人関根に無断でD株式会社と商品先物取引を開始し(その際、被告人風間は同社に対してアフリカケンネルの保有動産は40億円、不動産は100億円もあり、年収は5億円もあると申告するなど、自分達が巨額の財産を有する大事業家であるかのような著しく過大かつ虚飾的な申告をしていた。)、平成5年10月ころまで多数回にわたり先物取引を行うとともに、右取引開始後まもなく、同社の営業部長として被告人風間との右取引を担当していたMRと情交関係を持つようになり、本件各犯行当時も同人と頻繁に逢い引きを重ねるなど、奔放な行動を取っていた。」(『一審判決文』p11)

上記の認定は、この判決文のいたるところに見られる不公正と矛盾とが集約されているような文言と言っていいのではないかと思われる。風間さんが商品先物取引を始めたのは確かであるが、よくあるようにこれはD株式会社の営業マンの度重なる訪問、熱心な勧誘によるものであった。「アフリカケンネルの保有動産は40億円、不動産は100億円もあり、年収は5億円もあると申告するなど、自分達が巨額の財産を有する大事業家であるかのような著しく過大かつ虚飾的な申告をしていた」という上記の判示には裁判官の悪意を感じないわけにはいかない。「保有動産40億円、不動産100億円、年収5億円」などはD株式会社の担当営業マン(MR氏とは別の人物)が作成した顧客カードに記されていたもので、風間さんはそのような内容の顧客カードが作られていたことを裁判になってはじめて知り非常に驚いた、自分はそんなことを述べたり書いたりしたことはまったくなく、担当者が社内審査の申告用に誇大な内容を記したのであろう、と証言している。問題は裁判官だと思われる。裁判官はこの顧客カードを証拠としてこのような判示をするのなら、同カードに当時30代の半ばであった風間さんの年齢が11歳も年上に虚偽記載されていたことをもなぜ明示しないのだろう。このカードに記載された内容がD株式会社の担当社員の手によるものではなく、風間さん自らの申告によるものだと断定し、「巨額の財産を有する大事業家であるかのような著しく過大かつ虚飾的な申告をしていた」と判定するのなら、カードに記された年齢が一回り近くも上の47歳になっていたことも判示しなければ不公正だろう。おそらく裁判官は、実年齢よりもはるかに年長のカード上の年齢は、判決のいう、被告人による「虚飾的な申告」に合致しなくなると考え、これを黙殺したのであろう。この判定は、有罪判決のために利用できるものはどんなものでも、たとえ歪曲・変形してでもご都合主義的に利用し、有罪に都合の悪い事実は躊躇なく除去・抹殺するという、この判決文の至るところにみられる手法と事例の一典型のように思える。顧客カードが風間さんの申告により忠実に作成されたという証拠はどこにあるのだろうか? 当該会社がそのように証言したとしても、被告人である風間さんがそれを否定している以上、裁判官はこの認定のためには、職責上、その証拠を示すことが不可欠だったはずである。証拠もないのに、「アフリカケンネルの保有動産は40億円、不動産は100億円もあり、年収は5億円もあると申告するなど、自分達が巨額の財産を有する大事業家であるかのような著しく過大かつ虚飾的な申告をしていた。」と判定されたのでは、被告人に救われる余地はない。保険会社は何度も田圃のなかの会社を訪れて経営実態を知っていたのだから、風間さんがもし「40億円、100億円、5億円」などの申告をしても、それが架空の数字であることはバレバレだったはずである。判決文にこうまで数多くおかしな認定が散見されるのでは、あの死刑判決は、こうした虚偽混じりの判示を強引に積み重ねることによって導かれたのではないかという疑いがつよまるのも仕方ないのではなかろうか。

さて、ここでの一番の問題は、「(風間は)同社の営業部長として被告人風間との右取引を担当していたMRと情交関係を持つようになり、本件各犯行当時も同人と頻繁に逢い引きを重ねるなど、奔放な行動を取っていた。」という判定である。この判定も実は、上述した「有罪判決のために利用できるものはどんなものでも、たとえ歪曲・変形してでもご都合主義的に利用し、その際有罪に都合の悪い事実は除去・抹殺するという、この判決文の至るところにみられる手法と事例」の一つであると思われる。判決文は、上記のように、

「MRと情交関係を持つようになり、本件各犯行当時も同人と頻繁に逢い引きを重ねるなど、奔放な行動を取っていた。」

と判示しているが、この判決文が風間さんの愛人であったMR氏に触れているのは、たったこれだけ、この箇所だけである。裁判官は、風間さんが保険会社への申告カードに自分を大きく見せるための「虚飾的な申告」をするような人間であるとの無根拠の判示をし、その文脈で、事件当時彼女は愛人をつくって奔放な生活をしていた、そういう放逸なだらしのない人間なのだから、殺人事件に関与したって決して不思議はないのだという判定の補強のためにMR氏を判決文に登場させているのだ。だが、なぜ、裁判官は佐谷田車庫におけるKさん殺害の当日である平成5年4月20日、昼の12時30分頃に熊谷駅でMR氏とおちあった風間さんが、午後5時過ぎにペットショップに戻るまで、午後の半日をMR氏と二人きりで過ごしていたという重大な事実を黙殺するのだろうか? 何しろこの逢い引きは事件当日のことなのだ。Kさん殺害に風間さんが関与したというのなら、事件の解明のためには、Kさん殺害直前のこの逢い引きの事実は必ず問題にされなければならないはずである。それなのに検察官も裁判官も何ら追求も言及もしていない。その理由は何か、以下に順を追って考察する。

風間さんがMR氏と知り合ったのは、「一審弁論要旨」によると、以下のとおりであった。

「平成3年(91年)11月中旬頃から同年末まで急性肝炎(注2)で福島病院に入院した際、MRが頻繁に見舞いにきてくれたことから急速に親しい仲となり、平成4年以降MRは週に2回ほど熊谷を訪れて、被告人風間と男女関係を重ねるようになった。」(『一審弁論要旨』p50)

上記の弁論要旨から推測すると、Kさん殺害事件が発生したのは、風間さんがMR氏と交際をはじめて1年4、5ケ月が経過した頃ということになる。平成5年(93年)4月20日、Kさん殺害当日の風間さんの一日の行動を以下に記載する。

「被告人風間の4月20日の行動
(一) 平成5年4月20日、被告人風間は午前10時ころペットショップに出勤し、同10時30分頃K建設のY主任から、「昨日話した追加工事分として車2台で支払う内容の契約書を作りたい」旨の電話を受け、約20分後の10時50分頃に来店したY主任から契約書(弁第21号証)を作成して受領後の、同11時頃、あさひ銀行熊谷支店におもむいてKが注文したローデシアンのオス(バード)の代金をTHへ送金手続をして、12時過ぎにペットショップヘ戻った。
(三) その後、被告人風間は同日午前10時すぎにMRと電話で約束をしてあったことから、MRとの待ち合わせ場所である熊谷駅北口に行き、12時30分頃MRとおちあい、12時56分にホテルAにチェックインし、午後4時28分頃チェックアウトし、熊谷駅でMRと別れた後、午後5時10分頃ペットショップに戻った。/その後、被告人風間はペットショップに午後7時頃までいて店を閉め、帰宅した。
従って被告人風間は4月20日は、被告人関根とは一度も顔を合わせておらず、K殺害の共謀及び準備行動をすることはあり得ない。」(『一審弁論要旨』p77~79)

関根氏との離婚が成立し、別居生活が始まってから(この頃、関根氏は、片品にあるY氏宅に居住しており、万吉犬舎やペットショップに来ることも少なかったが、たまに来るときはY氏が運転する車に同乗してやってきており、ほとんどY氏と行動を共にしていた)、風間さんがMR氏と会う回数はそれ以前に比べて飛躍的に増えている。このことについて、弁護人は次のように記している。

「被告関根との離婚について、被告人風間が真正なものと考えていたことは、愛人であるMRとの逢引きの場所であったホテルAの利用回数が平成5年1月は3回にすぎなかったものが、2月、3月は各10回、4月も8回に及んでいることからも明らかであり(甲266号証)、逆にK事件を知らされ、5月7日に暴行を受けて以後、Aの利用を含むMRとの交際の頻度も激減していることによって、右事件以後、被告人関根の被告人風間に対する威力が復活していることを物語っているのである(甲第266号証、弁第24号証)。」(『一審弁論要旨』p256)

弁護人はまた、検察官が被告人両名の「運命共同体論」「車の両輪説」を主張・展開していることに関して、そのご都合主義の論理を下記のように指摘している。

「これ(注:運命共同体論)に反する事実である被告人風間が事件の1年以上前からMRとの間で愛人関係にあったことについての論述は全くないのである。」(『一審弁論要旨』p41)

風間さんが事件当時MR氏と愛人関係にあったことを論述しようとしないのは、検察官ばかりではない。上述のとおり、裁判官も同様である。判決文は風間さんの「共謀共同正犯」を認定し死刑を宣告するにあたって、4月20日Kさん殺害事件のその日、風間さんが午後中をMR氏と共に過ごしていたという、風間さんの事件への関与を正確に判定するために、また事件の真相解明のために死活的に重要であるこの事実に頬かむりしているのである。その3日前の4月17日にも風間さんはMR氏と会いほぼ半日を共に過ごしているが、裁判所はこれについても一切言及していない。このことは、裁判官が判決にあたり、被告人両名がいつ、どこで、Kさん殺害の具体的計画を練り、どのような準備をしたのかについて真摯な考察も追求もしていないということを意味する。真相究明のために懸命の努力をしてそれでもなお十分には解明できなかったというのではないのである。風間さんが事件に関与していないことを示す証拠には目をつむり、それを握りつぶした上で判決をくだしたことの証明の一例がこのMR氏の件である。本当に人を殺そうというのであれば、その事前計画・準備に忙殺されているはずの時期に、風間さんは愛人のMR氏と頻繁に逢い引きを重ねていた。真相究明のためには、これが注目すべき事実であることは誰の目にも明らかであろう。しかし裁判所は、判決文においてこの問題の追求どころか言及さえしていない。言及すると風間さんの「共謀共同正犯」を認定できなくなる可能性が高いので、やめたのだと思われる。いくら考えても私にはその答えしか見つからないのだが、「いや、そうではない」とこの判決における裁判官の行動を擁護・正当化できるような理由が何かありえるだろうか?もしありえるのだとしたら、ぜひご教示を願いたいと思う。

風間さんが事件直前の17日、当日の20日というごとく、当時頻繁にMR氏と密会を重ねていたことについて弁護人は下記のように述べている。

「一般常識として、「殺人」を事前に共謀する場合、時間をかけて綿密な計画を立てるものであり、また精神的にも極めて追いつめられた状態になるはずだが、右のとおり被告人風間にはそうした状態は全く見受けられないのである。(『一審弁論要旨』p132~134)

風間さんとMR氏との交際の内実がどのようなものだったかは余人にはうかがい知れないことだが、この件の記述を終えるにあたって、一審弁論要旨から、次の文言を引用しておきたい。

「MRは、被告人風間は非常に賢い女性であったとした上で、被告人風間との別れについて次のように述べる。/すなわち、「・・・私自身が風間さん夫婦に関して警察官の事情聴取を受け、この二人が殺人事件の容疑者として捜査されているということを知ったことから、私は最終決断をして、風間さんに対し、取引を終わらせることと、個人的関係を清算することを告げました。私のこうした出方に対する風間さんの態度は冷静で、言葉には出しませんでしたが、いつかこういう日が来ると覚悟していたようにも感ぜられました。ただ、別れの日、熊谷駅のホームで風間さんが人目もはばからず私の背中にすがって泣いたことが風間さんとの付き合いの中で唯一風間さんが見せた内面の部分であったように思っています。」/金銭に対する異常な執着心を持ち、被告人関根と深い絆で結ばれ、自ら入れ墨を彫り続けることでその意思を表現し、被告人関根とともに3名の殺害を計画して実行し、人間としての良心は一片もなく、常識の範囲をはるかに越えた安易さ、短絡さ、規範意識の欠如、刹那的思考、残忍さ、冷酷さを有するはずの被告人風間において、別れを告げた愛人の背にとりすがり、プラットホームという衆人注視の中で号泣するなどということが考えられるであろうか。/そのようなことは到底ありえない。/被告人関根とこれからも共に暮らすしかないことに対する恐怖と絶望からの号泣にほかならないのである。」(『一審弁論要旨』p272~273)

以上4回、5項目に分けて、判決文が認定する関根氏と風間さんの間の「運命共同体」「車の両輪」説の検証を行なってきたが、どのような観点から考察しても、二人の間にそのような緊密な関係性は、片鱗さえ見いだすことはできなかった。この説は、検察官作製、裁判官認定のまったくの虚構のストーリーであると当ブログは考える。





(注1) この暴力事件が起きたのは、弁護人によると平成5年5月7日ではないかとのことである。風間さんに愛人がいることを関根氏はその頃薄々察知したらしい。関根氏は、自分自身はそれまで何人もの愛人をつくり、そのことを風間さんに隠そうともしなかったそうだが(管理人注:関根氏は、第一審の第78回公判で「女房に女のことでガタガタ絶対に言わせないという気持ちを持っていた」と供述している)、風間さんのこの件には凄まじい暴力沙汰を引き起こしたわけである。

(注2) 風間さんはその前年にも肝炎に罹患したそうだが、このことについて、検察官は一審で「肝炎は入れ墨を彫ったための後遺症によるものだ」と、またしても何の証拠も示すことなく、特異な主張をしている。このことに関する弁護人の反論を下記に引用しておく。

「検察官は入れ墨を彫っている場合、肝炎を起こすことは一般的である旨述べ、平成2年と3年に被告人風間が肝炎で入院したことをとらえて、このころ被告人風間は入れ墨を彫っていると見られるとしている。/この点を主張するならば、まず必要とされるべき証拠は、被告人風間が入院した記録でなければならず、(略)医学的証拠でなければならない。/しかるに、何と検察官が根拠としているのは、医学的知識などありえようはずはなく、信用性のないことについて、後述する変遷のきわまりない被告人関根の供述と同人が肝炎で入院したということのみを述べる答申書のみなのである(甲第917号証)。/ところで、入れ墨をしたことによって肝炎を発症するとすればウイルス性血清肝炎であることになるが、ウイルス性血清肝炎であれば、接触感染が生ずることになるため、当然入院先においては徹底的な感染対策が取られたはずであり、そうであるとすれば被告人風間が供述するように、原因が不明であると言われるわけはなく、当然ながら長男Fが被告人風間の病室から学校に通うなどということが許されるはずはないのである。/また、右程度の知識は医学的常識であるのみならず、多少とも医学に興味を持つ者であれば、誰でもが知っている知識である。/さらに、平成2年、3年と、連続して入れ墨を持つ女性患者が入院し、ウイルス性血情肝炎であることが判明して徹底的な感染対策が行われたとするならば、そのことについて記憶を有している病院関係者は必ず存在すると考えられる。
しかしながら、検察官は前述のような証拠(管理人注:入院したという記録)しか提出せず、これをもって平成3年の入院は入れ墨が原因であるなどと主張するのである。/右のような検察官の主張は、前述した(管理人注:風間さんが捜査段階において公判供述と同内容の供述をしている調書があることを検察官は十二分に知っているにもかかわらず、その調書を証拠として法廷に提出せずに、これを隠し、あたかも公判段階において風間さんが突然供述を変更したかのように装い、嘘をついた事実)、調書を隠したまま被告人風間の供述の信用性がないなどという嘘をつく、本件における検察官の行動を考え合わせるならば、(略)被告人風間の肝炎がウイルス性血清肝炎ではない旨の入院先病院からの証拠を入手していながらそれを隠し、あえて被告人風間の入院は入れ墨による肝炎が原因である旨強弁している可能性が極めて高いと言わなければならない。」(『一審弁論要旨』p251~253)


11月13日、上記の(注1)(注2)を追記しました。
2009.11.13 Fri l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top
(1)
萩原俊治氏のブログ「こころなきみにも」の連載「亀山訳『カラマーゾフの兄弟』批判」を読ませていただいているが、述べてみたい感想や触発されて思い浮かべたことなどがあるので(まるで、『カラマーゾフの兄弟』でトロイの建設者が誰であるかを言ってみたくてたまらない少年カルタショフの心境みたいで恐縮だが!)、僣越ながら記してみたい。

まず、【亀山訳『カラマーゾフの兄弟』批判2】における

>【誤訳】アレクセイが「偉大な人物ではない」という訳(原、小沼)。

「作者の言葉」のこの訳文については、じつのところ、私もずっと前から腑に落ちない思いをしていた。小沼訳では、次のようになっている。

「わが主人公アレクセイ・フィードロヴィッチ・カラマーゾフの一代記に取りかかるにあたり、私は多少のためらいを感じている。それはほかでもない、私はアレクセイ・フィードロヴィッチをわが主人公と読んではいるものの、彼がけっして偉大な人物でないことを、自分でもよく心得ているからである。」

作者は、このようにアリョーシャを「偉大な人物ではない」と述べていながら、一方、同時に、読者からの自分に対する

「彼をその主人公に選んだのは、あなたのアレクセイ・フィードロヴィッチになにかすぐれた点があってのことなのか?」

という質問を予期しているわけである。すると、「偉大な人物」と「すぐれた点がある人物」とは全然重なり合わないことになるので、「はて?」と戸惑いをおぼえた。そこで私は、作者の言う「偉大な人物」を勝手にナポレオンとかシーザーのような歴史上の人物に見立てて自分を納得させることにした。「偉大な人物でない」という意味を、自らの手で直接社会を動かし、新たな歴史を作り出す軍人や政治家のような型の人物ではないというふうに理解しようとしたのである。今から思えば、無意識のうちにも「偉大な人物」をこの連載で萩原氏が述べているような、老若男女の誰でもが知っている「超有名人」と捉えたことになる。それでも、ドストエフスキーがナポレオンのような「有名人」を「偉大な人物」と断定するのも奇妙だという感じが残りはしたが…。

それで一応納得したつもりでいたのだが、再び混乱したのは、昨年原卓也訳を読んだ時だった。小沼訳は、アリョーシャについて単に「偉大な人物でない」とだけ述べているが、原訳は、なんと「人間として彼が決して偉大でないことは、わたし自身よく承知しているし」と、アリョーシャを「人間として偉大でない」と言い切っているのだった。小沼訳は最初に読んだ本ではあり、肩肘張らないとても自然な訳のように感じて私は愛着を持っていたが、昨年はじめて読んだ原訳は精確かつ繊細な文章だと読みながら感服する思いがしていたので、この訳には大変困惑した。すぐに思ったことは、「それではゾシマ長老はどうなのだろう?」ということだった。アリョーシャが人間として偉大でないのなら、アリョーシャもその世界に共に住んでいるように思えるゾシマ長老も人間として偉大ではないというのだろうか? それともゾシマとアリョーシャ、この二人の人物の精神の大きさや深さをドストエフスキーは厳密に区別しているのだろうか? ドストエフスキーはそもそも「人間として偉大な人物」としてここで具体的に一体誰を想定していたのだろう。 ナポレオン? では、シェークスピアは? などと割り切れない思いであれこれ考えを巡らせたのだった。

しかし仕方がないので、それ以来、もうこの箇所は避けて通ることにした。だから、江川訳が「アレクセイは「大人物などと言えた柄ではない」という訳をつけている」ことも「そうだったっけ?」と今回はじめて知ったようなしだいであった。萩原氏が「偉大」という単語を完全に削ってしまい、「無名」とされたのは、翻訳を読む身には大変納得できることであった。そのような訳が可能であることを知っただけでも気持ちがすっきりとして嬉しい。

(2)
次に、大変興味津々だったのは、エピグラフの「はっきり言っておく」という文句の中の「はっきり」という言葉の遣い方に関する議論であった。まず4人の翻訳者の訳文を記そう。

亀山郁夫訳:はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。(ヨハネの福音書、十二章二十三節)

原卓也訳:よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。

小沼文彦訳:誠にまことに汝らに告ぐ、一粒の実地に落ちて死なずば、ただ一つにて在らん、もし死なば、多くの実を結ぶべし。

江川卓訳:まことに、まことに汝らに告ぐ。一粒の麦、もし地に落ちて死なずば、一粒のままにてあらん。されどもし死なば、多くの実をもたらすべし。

「はっきり言っておく」とか「はっきり言うが…」というように、他の誰かを前にしていざ話の口火をきるような場合に遣われる「はっきり」という単語には、萩原氏が言われるように、確かに、警告・非難など否定的なニュアンスがつきまとう。これは「はっきり」という単語の意味が「明瞭」とか「明確」であることと関係があるのかも知れないが、実際、この言葉は、意志的にというか、主体的に、かなりつよい否定のニュアンスをこめて用いられる場合がほとんどのように思う。その場に警戒心を含んだ緊張を惹起することも少なくないのではないだろうか。萩原氏が例にあげている「はっきり言うけどね、わたし、あんたのことなんか大嫌いよ」はまだ穏当(?)だが、「はっきり言っておく。もう一度今回と同じことをしたら、そのときはただではすまないからそう思え、云々」。ぴったりしすぎていて、大変、コワイ! このような用法が可能である「はっきり言っておく」は、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ一粒のままである。だが、……」という至言の前おきに全然合わない。不釣り合いだと思う。

一方、「はっきり」は、上でも述べたが、「明瞭」という単語と同義語と言っていいと思われる。文章を読んでいて、時々、「明瞭」に「はっきり」というふりがなが付されているのを目にすることもある。「はっきり言っておく」という言葉が、日常的に使用されている上述のような事例と異なって、「明瞭に言っておく」と字義どおりの意味合いでエピグラフに用いられていると想定したらどうだろうか。

「明瞭」という言葉を私はいつも頭の片隅においているような気がするが、考えてみると、どうやらそれはスタンダールがバルザックに宛てた手紙のなかの「私の規則は唯一つよりありません。即ち明瞭に書くこと。明瞭でないと私の世界は崩壊します」という言葉と共に、のようだ(私はスタンダールのファンなのである)。雑誌やブログなどで文章を読んで、「この人の文章は明瞭だな」というように感じることもある(たとえばブログ「私にも話させて」の金光翔さんの文章)が、『カラマーゾフの兄弟』におけるエピグラフの「はっきり言っておく」の「はっきり」に関連してやはりスタンダールのこの言葉を思い浮かべた。スタンダールの『パルムの僧院』が発表された時、バルザックは「ベール(スタンダール)氏は各章ごとに崇高が炸裂する作品を書かれた」と絶賛する文章を書いてスタンダールを感激させたが、そのなかで幾つかの批判もした。文法的な誤りや書き方が無造作だという指摘もその一つだったが、これに答えて、スタンダールは上記のように「明瞭」の一語で応答したのだった。熱烈なスタンダリアンであった大岡昇平は、「同時代に読者を持たなかったスタンダールは自分を後世に伝へる為に、常に真実をしかも真実だけを語ってゐるかどうか、について不安があった」から「明瞭」であることに拘ったのだと推測し解釈している(「バルザック『スタンダール論』解説」・1944年)。

少し脱線したが、「明瞭」であることは、それ自体大変貴重なことでありすぐれた美点だと思う。反対の意味をもつ「不明瞭」「ぼんやり」「曖昧」であることが、話すにしろ、書くにしろ、現実にどのような困惑・混乱を生じさせることがあるかを考えれば「明瞭」の意義が理解されるのではないだろうか。さて、『カラマーゾフの兄弟』のエピグラフだが、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ一粒のままである。だが、……」という言葉はそれ自体この上なく「明瞭」だと思う。内容豊富な明瞭なことを語るのに、あえて「はっきり言う」と前おきする必要はまったくないばかりでなく、文脈上むしろそれはおかしいのではないだろうか。「よくよくあなたがたに言っておく」、「誠に、まことに(あるいは、まことに、まことに)汝らに告ぐ」のどちらかが、断然、だんぜん、いいという気がする。
2009.11.11 Wed l 文芸・読書 l コメント (0) トラックバック (0) l top
前回の「感想 (3-3①)からのつづき。

   エピローグ 3 イリューシャの葬儀。石のそばの挨拶

新訳 p42  「それじゃあ、お兄さんは真実のために、無実の犠牲者として死ぬわけですね!」
コーリャが叫んだ。「たとえ死んでも、お兄さんは幸せです! うらやましいぐらいです!」

原訳 下・p482  「それじゃお兄さんは、真実のために無実の犠牲となって滅びるんですね!」コーリャが叫んだ。「たとえ滅びても、お兄さんは幸せだな! 僕は羨みたいような気持です!」

小沼訳 Ⅲ・p434  「するとつまり、あの人は正義のために罪のない犠牲となって身をほろぼすんですね!」とコーリャは叫んだ。「たとえ身をほろぼしても、あの人は幸福です! うらやましいと思うくらいですよ!」

江川訳 p848  「じゃ、お兄さんは正義のために無実の犠牲者として滅びるんですね!」コーリャが叫んだ。「それなら、たとえ身は滅んでも、あの人は幸福ですよ! ぼくはうらやましいくらいです!」

感想  またしても「死ぬ」という訳語の登場だが、この場合の「死ぬ」はこれまで多用されてきた「死ぬまで」や、あるいは「死ぬほど」などの、比喩としての「死ぬ」ではなく、文字どおりの「死亡」という意味だと思われる。だが、ドミートリーがうけた判決は20年のシベリア流刑であり、死刑を宣告されたわけではない。翻訳者は「長期流刑」を「社会的な死」と考え、あえて「死ぬ」を選択したのかも知れないが、やはり先行訳の「滅びる」「身をほろぼす」という正確な訳のほうがよいと思う。


新訳 p43  やせこけた顔の輪郭はほとんど変わっていなかった。

原訳 下・p483  痩せ衰えた顔の目鼻だちはほとんどまったく変っていなかった…

小沼訳 Ⅲ・p434  その顔はやつれてはいたが、生前とほとんど変りがなかった。

江川訳 p849  やつれたその顔だちは、生前とほとんど変らなかったし…

感想  「顔の輪郭」というのは「顔の線」という意味のはずなので、この場合は「目鼻だち」「顔だち」という訳のほうが、状態を正確に表現しているのではないだろうか。


新訳 p45  彼はもうこの三日間、石のそばに葬ると言い張ってきた。しかし、アリョーシャも、コーリャも、家の女主人も、も、そして少年たちもそれに反対してきた。

原訳 下・p484  彼はこれまでも、三日間ずっと、石のそばに葬ると言いつづけてきたのだった。だが、アリョーシャや、クラソートキンをはじめ、家主のおかみや、その妹、少年たち全員が横槍を入れた。

小沼訳 Ⅲ・p436  彼は前にも、この三日のあいだ、石のそばに葬ると言いつづけていたのである。 しかしアリョーシャや、クラソートキンや、家主のおかみさんや、その妹や、すべての少年たちがそれに口を入れた。

江川訳 p850  彼はもう三日間も、石のそばに葬るのだと言いくらしていた。しかしアリョーシャや、クラソートキンや、家主のおかみさんや、その妹や、少年たち全員がそれに反対した。

感想  新訳は「家主」を「家の女主人」としているが、そのすぐ後に、同じこの人物を「老婆」と記しているので、この「女主人」という言い方には少し違和感をおぼえる。また、家主の妹のことを、単に「妹」としているが、この場面にいたるまで、家主もその妹も物語にまったく登場していないので、単に「妹」とだけ記されたのでは、読者はこの妹がいったい誰の妹なのかと一瞬戸惑う。先行訳のように「その妹」と訳したほうが適切ではないかと思う。


新訳 p45  家主の老婆がきびしい口調で言った。「教会のなかには十字架を立てた墓地があるのにさ。あそこなら、あの子のためにお祈りもしてもらえるだろうに。教会なら賛美歌だって聞こえるし、輔祭さんは一生懸命に読経してくださるし、それがそっくりそのまま、あの子の耳まで届くから、あの子のお墓のそばで読んでもらっているのも同然じゃないか……」

原訳 下・p485  家主の老婆がきびしい口調できめつけた。「教会の構内には十字架の立った墓地があるんだよ。あそこならお祈りもしてもらえるしさ。教会から賛美歌もきこえてくるし、補祭さんの読んでくださる美しいありがたいお言葉も、そのつどこの子のところに届いてくるから、まるでこの子の墓前で読んでくれるようなもんじゃないかね」

小沼訳 Ⅲ・p436  家主の老婆はきびしい調子で言った。「そこの構内にはちゃんと十字架のついた墓場があるのにねえ。あすこならお祈りもしてもらえるしさ。教会から歌は聞こえるし、助祭のお祈りの言葉だってそのままそっくり、そのたんびにあの子のところまでとどくから、お墓の上でお祈りをしてもらっているのも同じことじゃないかね」

江川訳 p850  家主の老婆がたいへんな剣幕でまくし立てた。「教会の柵の中は十字架の立った土地なんだよ。あそこならこの子のためにお祈りもしてもらえる。教会から歌声も聞えるし、補祭さんが朗々と読んでくださるありがたいお言葉も、その都度そっくりこの子のところに届くじゃないか。まるでこの子の墓前に供えてくださるようなものじゃないかね」

感想  「教会なら賛美歌だって聞こえるし」の「教会なら」は、「教会から」の誤植なのだろうか? 墓地は確かに教会のなかにあるが、「教会から」ではなく「教会なら」だと、教会からイリューシャの眠る墓地までの空間を流れてくる賛美歌の声が感じられず、訳として拙いと思う。


新訳 p46  少年たちは柩を持ち上げた。だが、母親のわきを通るとき、彼らは一瞬立ち止まって、母親がイリューシャと最後のお別れができるように柩を床に下ろした。

原訳 下・p485  少年たちは柩を担ぎあげたが、母親のわきを運びすぎる際、イリューシャとお別れができるよう、ちょっとの間立ちどまって、柩をおろした。

小沼訳 Ⅲ・p436  少年たちは柩をかつぎあげたが、母親のそばを通るときに、ちょっと足をとめて、柩を床へおろした。

江川訳 p850  子供たちは柩を担ぎあげたが、母親の前を通るとき、ちょっと足を止めて、イリューシャと最後の別れができるように、柩をおろした。

感想  「柩を持ち上げた」というだけでは、柩を床から上に持ち上げた少年たちが 、その後、それをどのような格好で持ち運んでいるのかが読者には分からない。先行訳では「担ぎあげる」と明確に叙述されているところをみると、きっと原作でちゃんと目に見えるような具体的な描写がなされていたのだと思われる。そのことに翻訳者も編集者も最後まで気づかなかったというのは信じがたいことだが、あるいは気づいていながらこれでもよいと思ったのだろうか。翻訳者と同じく、あるいはそれ以上に編集者の責任が大きいのではないかと思う。


新訳 p47  彼は何か解決できない心配ごとをかかえているのか、棺の枕を支えようと急に手を差しだしたり、棺を持っている人の邪魔ばかりしたり、棺のかたわらを駆け回ったりしながら、なんとか少年たちの輪に加わろうとしていた。

原訳 下・p486  何か解決しえぬ心配事をかかえているみたいに、だしぬけに柩の頭の方を支えようと手をのばして、運んでいる人たちの邪魔をしてみたり、そうかと思うと、柩の横に駆けよって、せめてその辺にでもどこか割りこむ場所はないかと探してみたりするのだった。

小沼訳 Ⅲ・p437  彼はなにか解決のつかない心配ごとでもあるように、棺をかついでいる人たちの邪魔をしたり、そうかと思うと、棺のわきを駆けまわって、せめてそのそばについていようとして場所をさがしたりするのだった

江川訳 p850  何か解決しえぬ心配事をかかえているみたいに、だしぬけに柩の頭の方を支えようと手をのばして、運んでいる人たちの邪魔をしてみたり、そうかと思うと、柩の横に駆けよって、せめてその辺にでもどこか割りこむ場所はないかと探してみたりするのだった。

感想  わが子を亡くしたばかりの父親の茫然自失の精神状態を描写しているというのに、「心配ごとをかかえているのか」はあまりにも鈍感な表現に思える。


新訳 p48  教会は古く、かなり貧しくて、聖像の多くから金箔の縁飾りが落ちていたが、祈りをあげるには、かえってこういう教会のほうが気分が出るものである

原訳 下・p486  古い、かなり貧弱な教会で、金属の飾りのすっかりとれてしまった聖像がたくさんかかっていたが、お祈りをするにはこういう教会のほうがなんとなく落ちつくものだ

小沼訳 Ⅲ・p437  だがこういう会堂のほうがなんとなくお祈りをするには感じがいいものである

江川訳 p851  古びた、かなり貧弱な教会で、聖像はあらかた飾り額がはずれてしまっていたが、こういう教会ではかえってしんみりとお祈りができるものだ

感想  ここで、「気分が出る」という表現はないだろうと思う。死者であるイリューシャはたったの9歳、父親であるスネギリョフの悲痛な心情を読者としてもほとんど我がことのように感じている場面なので、この表現には興ざめな思いをさせられた。もしこの葬儀に参列していたと仮定して、亀山氏にしても古びた教会を眺め回しながら「これは気分が出ますね」などと口にすることはないだろう。また誰かそんなことを述べる人がいたとしたら、その言葉がその場にどんな反響をまきおこすかくらい想像できるだろう。亀山氏だけではない、この訳語に疑問をもたなかったらしい編集者を初めとした関係者の言語感覚は疑問である。


新訳 p49  ついに埋葬のときが来て、ろうそくが配られた。正気をなくした父親はふたたびそわそわしだしたが、悲壮で強烈な感動を与える埋葬の聖歌に、彼の心は揺さぶられた。

原訳 下・p487  いよいよ、お別れの賛美歌に移り、蝋燭が配られた。分別をなくした父親はまたそわそわしかけたが、心を打つ感動的な葬送の歌が、彼の魂を目ざめさせ、打ちふるわせた。

小沼訳 Ⅲ・p438  いよいよ、埋葬ということになって、ろうそくがくばられた。正気を失っていたような父親はまたもやあたふたしはじめた。胸にしみわたるような、感動的な葬送の歌は、彼の魂に刺戟をあたえ揺り動かした。

江川訳 p851  ついに、葬送の式がはじまり、一同に蝋燭が配られた。正気を失った父親はまたそわそわしはじめたが、感動的な、心を打つような葬送の歌声が、彼の魂をも目ざめさせ、震撼させた。

感想  新訳の「悲壮で強烈な感動を与える聖歌」という訳は、他ならぬイリューシャの葬儀における聖歌が感動的だったこと、それは二度とはない、たった一度かぎりの固有な出来事だったという事実を表現していないように感じる。「埋葬の歌」それ自体が持っている力もさることながら、イリューシャの葬儀の時の歌声が感動的だったことを原作は述べているはずなので、その点、先行訳の表現のほうがそのことをも含みこんで巧みだと思う。


新訳 p49  彼はなぜか、ふいに体全体をちぢこませ、時おり小刻みに号泣しはじめた。最初は声をひそめていたが、最後は大声でむせび泣きをはじめた。

原訳 下・p487  彼はなにか急に全身をちぢこめて、最初は声を殺しながら、しまいには大声にしゃくりあげて、短く小刻みに泣きはじめた。

小沼訳 Ⅲ・p438  彼はとつぜんからだをちぢめるようにして、しゃくりあげて泣きはじめた。はじめは声を殺していたが、しまいには声をあげてむせび泣くのだった。

江川訳 p851  彼は急に全身をちぢかめたような恰好になり、しきりときれぎれのすすり泣きをもらしはじめた。最初は声を忍ばせていたが、最後にはもう大声でしゃくりあげるのだった。

感想  「彼はなぜか、ふいに体全体をちぢこませ」という訳の「なぜか」も、上で取り上げた「心配ごとをかかえているのか」や「気分が出るものである」の場合と同じように、大変鈍感な訳だと感じる。


新訳 p49~50  最後のお別れをして棺の蓋を閉じようとしたとき、イリューシャを覆い隠すなど許さないとでもいうかのように両手で棺の柄を抱きかかえ、死んだわが子の唇に何度もむさぼるように口づけした。
やっとのことで彼を説き伏せ、階段からなかば引きおろしかけたところで、彼はとつぜん片手を伸ばし、柩のなかから何本かの花をつかんだ。彼はその花をしげしげと見やりながら、ふと新しい考えを思いついたようだった。そのために彼は一瞬、なにか肝心なことを忘れてしまったらしかった。徐々に物思いにふけりはじめたようで柩が持ち上げられ墓に運ばれるときも、とくに抵抗することはなかった。

原訳 下・p488  (略)やっとそれを説き伏せ、もう階段をおりかけたのだが、ふいに彼はすばやく片手を伸ばして、柩の中から花を何本かつかみとった。その花を見つめ、何か新しい考えがうかんだために、肝心のことを一瞬忘れてしまったかのようだった。彼はしだいに物思いに沈んでゆき柩を担ぎあげて墓に運びだしたときにも、もはや逆らわなかった。

小沼訳 Ⅲ・p438  (略)やっとのことで説き伏せられて、階段からおろされようとするとき、彼はとつぜん片手をさっとのばして、棺のなかからいくつかの花をつかみだした。彼はじっとその花を見つめていたが、なにか新しい考えのとりこになったように、一瞬、肝心なことを忘れてしまったようすだった。しだいに彼は深い物思いに沈んでゆくようになって柩がかつぎあげられて墓地のほうへ運びだされたときには、もはやそれに反対しようともしなかった。

江川訳 p851  (略)ようやく説きつけられて、もう段を降りはじめたのだが、彼はふいにまたすばやく手をのばして、柩の中から何本かの花をつかみ取った。その花をづくづくと眺めるうち、彼はふいに何かの新しい考えに打たれ、一瞬、肝心のことを忘れてしまったようだった。しだいに彼は物思いに沈んでいき柩がかつぎあげられて墓地に運びだされるときには、もう何も逆らおうとしなかった。

感想  「階段からなかば引きおろしかけた」という訳は、読んでいて、ここで「引きおろ」されているのはスネギリョフなのだろうか、それとも棺なのだろうかと判断に迷ってしまった。文脈からするとスネギリョフのことだと思われるが、しかし「引きおろ」すという表現をみると物―棺を指しているようにも思われる。明瞭であってほしい。/「ふと新しい考えを思いついたようだった。そのために彼は一瞬、なにか肝心なことを忘れてしまったらしかった」という訳文は、実にへんてこだと思う。彼、スネギリョフは、事実として新しい考えを思いついたのでもなければ、肝心なことを忘れたわけでもないだろう。原訳の「何か新しい考えがうかんだために、肝心のことを一瞬忘れてしまったかのようだった」という訳が事態を完璧に表現しているのではないかと思う。/「物思いにふけりはじめたようで」における「ふけり」という言葉にも違和感をおぼえる。「ふける」というと、「耽溺」という言葉がそうであるように、当人の意思が入った行動のように感じられるので、ここでは相応しくないのではないだろうか。/また、「柩が持ち上げられ」の「持ち上げられ」については、前のp48の場合と同じく、「担ぐ」という言葉がないために正確な描写になっていないと思う。


新訳 p50  スネギリョフが両手に花をたずさえたまま、口を開けた墓穴のほうへ低く身をかがめたので、少年たちは驚いて彼の外套をつかみ、うしろに引きもどした。

原訳 下・p488  スネギリョフは両手に花をかかえたまま、口を開けている墓穴の上へ思いきり身を乗りだしたため、少年たちがぎょっとして彼の外套をつかみ、うしろに引きもどしたほどだった。

小沼訳 Ⅲ・p438  例の花を手に握ったまま、スネギリョフが墓穴の上に身を乗りだすようにしてのぞきこもうとしたので、少年たちが驚いて、彼の外套をつかんで引き戻した。

江川訳 p851  スネギリョフが両手で花を抱えたまま、口を開けている墓穴の上へあまり身を乗り出すので、少年たちがぎょっとなって彼の外套をつかみ、後ろへ引き戻したほどだった。

感想  「墓穴のほうへ低く身をかがめた」という訳文も、これだけでは、少年たちがスネギリョフの動作になぜ「驚いて彼の外套をつかみ、うしろに引きもどした」のか、一読していてすっきり理解できない。


新訳 p54  少年たちにつづいて、アリョーシャも最後に部屋を出た。「思うぞんぶん泣けばいいんです」と、彼はコーリャに言った。「こうなると、もう慰めようがありませんからね。しばらくここで待って、それからなかに入りましょう」
「そう。慰めようがない。ほんとうにおそろしい」コーリャも同意した。
「カラマーゾフさん」コーリャはだれにも聞かれないよう急に声をひそめた。
「ぼく、とても悲しくて。もし、イリューシャを生き返らせることができるんなら、この世のなにもかも投げ出してやるのに!」
ええ、同感です」とアリョーシャが言った。

原訳 下・p488  コーリャが部屋をとびだし、少年たちもあとにつづいた。最後にアリョーシャも出た。「気のすむまで泣かせておきましょう」彼はコーリャに言った。「こんなときには、もちろん、慰めることなどできませんからね。しばらく待って、戻りましょう」
「ええ、むりですね、悲惨だな」コーリャが相槌を打った。「あのね、カラマーゾフさん」ふいに彼は、だれにも聞かれぬように声を低くした。
「僕はとても悲しいんです。あの子を生き返らせることさえできるんなら、この世のあらゆるものを捧げてもいいほどです!」
ああ、僕だって同じ気持ですよ」アリョーシャは言った。

小沼訳 Ⅲ・p441  (略) 「あのねえ、カラマーゾフ」と彼は誰にも聞かれないように、急に声を低めた。「僕はとっても悲しいんです。もしもあいつを生き返らすことができさえすれば、僕はこの世のありとあらゆるものを投げだしてもいんだがなあ!」
ああ、僕だってそうですよ」とアリョーシャは言った。

江川訳 p853  (略) 「ねえ、カラマーゾフさん」彼は、だれにも聞えないように、ふいに声を落した。「ぼくはとても悲しいんです。あの子を生き返らせられるんだったら、この世のあらゆるものを投げだしてもいいくらいの気持です!」
ああ、ぼくだって同じですよ」アリョーシャは言った。(略)

感想  「この世のなにもかも投げ出してやるのに!」というコーリャの言葉は、コーリャのイリューシャを生き返らせたいという切実な感情の表現としてはいささか粗雑・乱暴なように思えるが、アリョーシャの「ええ、同感です」も、他の訳と比べると一目瞭然、形式的な冷淡な相槌のように感じられる。これまで見てきたアリョーシャの性格・人柄からして、このような場合に、「ええ、同感です」という発言はしないのではないだろうか。


新訳 p54   「カラマーゾフさん、今晩、ここに来たほうがいいでしょうか? だって、大尉はきっとものすごく酔っぱらってますよ」
「たしかに、たくさん飲むかもしれませんね。きみとぼくの二人だけで来ましょう。あの人と、母親とニーノチカの三人と、一時間かそこらいれば十分でしょう。みんなでいちどに押しかけて行ったら、あの人たち、また思い出すでしょうしね」とアリョーシャは忠告した。

原訳 下・p488  「どうでしょう、カラマーゾフさん、僕たち今晩ここへ来たほうがいいでしょうか? だって、あの人はきっと浴びるほどお酒を飲みますよ」
「たぶん飲むでしょうね。きみと二人だけで来ましょう。一時間くらいお母さんとニーノチカの相手をしてあげれば、それで十分ですよ。みんなで一度に来たりすると、また何もかも思いださせてしまうから」アリョーシャが忠告した。

小沼訳 Ⅲ・p441  「あなたはどうお考えです、カラマーゾフ、今晩ここへきたほうがいいでしょうかね? あの人はまた飲むにちがいありませんからね」
「ことによると、飲むかもしれませんね。それじゃ僕たちふたりだけできましょうか。おかあさんとニーノチカのそばに、一時間も一緒にいてやったらそれでいいんじゃないですか。みんなして一度に押しかけてくると、またみんなにイリューシャのことを思いださせることになりますから」とアリョーシャは注意した。

江川訳 p853  「どうでしょう、カラマーゾフさん、ぼくたち、今晩はここへ来たほうがいいんじゃないですか? だって、あの人が飲みつぶちゃうでしょう」
「たぶん、飲むでしょうね。きみと二人だけで来ましょう、それでいいですよ、一時間もいっしょにいて、お母ちゃんとニーノチカの相手をしてあげれば。みなでいっしょに来たりすると、またいろんなことを思い出させてしまうし」アリョーシャが忠告した。

感想  先行訳では、アリョーシャとコーリャが晩にもう一度スネギリョフ家を訪れることにしたのは、イリューシャの母親とニーノチカを慰めるためのように訳されているが、新訳ではスネギリョフも含めた家族全員の相手をするための訪問のように訳されている。これも気になったが、それよりもさらに気になったのは、新訳の「一時間かそこらいれば十分でしょう」という会話の「いれば」という言葉である。もしこれが、「一緒にいれば」とか「いてやれば」などであったならすぐに意味が分かると思うのだが、「いれば」では、ごく単純な内容のことであるにもかかわらず、その意味するところが読んですぐには察知しにくい。これまでの感想で述べてきたことだが、新訳にはこのような例が随所に見られる。


新訳 p55  「でも、なにもかも変ですよね。カラマーゾフさん、こんな悲しいときに、いきなりクレープなんかが出るなんて、ぼくたちの宗教からすると、なにもかも不自然ではありませんか!」
「スモーク・サーモンも出るんだって!」大きな声で《トロイの建設者》が言った。
「カルタショフ君、きみ、まじめにお願いするけど、そういうばかな冗談言って話の邪魔しないでくれ。べつにきみとしゃべってるわけじゃないし、きみがこの世にいるかどうかなんてこっちはとくに知る気もないんだからね!」コーリャは腹立たしげに少年のほうをふり向いて、話を断ち切った。相手の少年は顔をぱっと赤くしたが、口答えする勇気はなかった。

原訳 下・p491  「なんだか変ですよね。カラマーゾフさん、こんなに悲しいときに、突然ホットケーキか何かが出てくるなんて。わが国の宗教だとすべてが実に不自然なんだ!」
「鮭の燻製も出るんだって」トロイの建設者を見つけた少年が、突然、大声ですっぱぬいた。
「僕はまじめに頼むけどね。カルタショフ、ばかみたいな話で口出ししないでくれよ。特に君と話してんでもなけりゃ、君がこの世にいるかどうかさえ知りたくもないような場合には、なおさらのことさ」コーリャがその方を向いて苛立たしげにきめつけた。少年は真っ赤になったが、何一つ口答えする勇気はなかった。

小沼訳 Ⅲ・p441  「だけどおかしいじゃないですか、カラマーゾフ、こんな悲しいときに、なんの関係もないパン・ケーキかなんかをだすなんて、われわれの宗教からすると、実に不自然なことですねえ!」
「あすこじゃ鮭も出すんですって」とトロイの建設者を知っていた少年が、不意に大きな声で口を入れた。
「僕はまじめに君にお願いしますがね、カルタショフ、もうそんな馬鹿なことを言ってくちばしを突っ込むのはやめにしていただきたいもんですね。君と話をしているのでもなければ、君がこの世にいるかどうかさえ知りたくないような場合にはなおさらのことだよ」とコーリャは彼の方を向いて腹立たしげに叩きつけた。少年は思わずかっとなったが、口答えひとつする勇気もでなかった。

江川訳 p854  「でも、ずいぶん変な話ですね、カラマーゾフさん、こんな悲しいときに、突然プリン(ホットケーキふうの薄焼きの菓子)が出てくるなんて、わが国の宗教っていうのは実に不自然なんだな!」
「あそこじゃ鮭(燻製)も出るんですよ」トロイを発見した少年が、突然大声でいった。
「まじめなお願いだけれどね、カルタショフ、そういうばかげた口出しはしないでくれないかな。とくに、きみと話しているわけでもなければ、だいたいきみがこの世にいるかどうかも気にしていないときにはね」コーリャがいら立たしげに少年をさえぎった。少年はとたんにまっ赤になったが、何も言い返す勇気はなかった。

感想  新訳の「ぼくたちの宗教からすると」、小沼訳の「われわれの宗教からすると」という訳文では、葬儀の直後にお菓子なんぞがでることはロシアの宗教とは相容れない不自然な風習・伝統であると、宗教ではなく、お菓子をだすような風習について批判しているように読める。でも、宗教を初めとしたロシアの現状の何もかもに批判的な哲学少年であるコーリャを知っている読者には、原訳、江川訳の「わが国の宗教だとすべてが実に不自然なんだ!」「わが国の宗教っていうのは実に不自然なんだな!」のほうが適切な訳ではないかと思えるのだが┄。/「ばかな冗談言って話の邪魔しないでくれ」という訳の「冗談」だが、カルタショフは冗談を言ったつもりは毛頭ないはずだし、コーリャもそのように受けとめたわけではないだろう。したがって、「冗談」ではなく、普通に「話」としたほうがよかったのではないだろうか。/それから、「きみがこの世にいるかどうかなんてこっちはとくに知る気もないんだからね!」という訳文だが、先行訳をみると、この時のコーリャの発言は、「今・この時」に限定された、この場かぎりでのカルタショフに対する心境であり発言だと察せられるので、新訳にもそのことを明確に示す工夫をして欲しかった。


新訳 p56  少年たちの一行は、小道を静かにのろのろと歩いていたが、スムーロフがいきなり叫び声をあげた。
「あっ、イリューシャの石だ、あの石の下に葬ってって、言ってたんですよ!」
 アリョーシャはその石を見た。かつてスネギリョフが、イリューシャについて話をしたときの光景が、まざまざと目に浮かんできた。泣きながら、父親に抱きついて、
パパ、パパ、あのときはほんとうにひどい目にあったね!」と叫んだ話である。アリョーシャの記憶に、そのときの光景が一気に浮かびあがった。なにかが、彼の心のなかで、ぐらりとはげしく揺れたような気がした。彼は真剣な、いかめしい顔をして、イリューシャの友だちである生徒たちの、愛らしい明るい顔をぐるりと見渡し、ふいに話しはじめた。

原訳 下・p492  その間にも一同は小道を静かに歩いていったが、突然スムーロフが叫んだ。
「あれがイリューシャの石です。あの石の下に葬りたいと言ってたんですよ!」
 みなは無言で大きな石のそばに立ちどまった。アリョーシャは石を見つめた。すると、イリューシェチカが泣きながら父に抱きついて、「パパ、パパ、あいつはパパにひどい恥をかかせたんだね!」と叫んだという話を、いつぞやスネギリョフからきかされたときの光景が、一時に記憶によみがえってきた。胸の中で何かが打ちふるえたかのようだった。彼は真剣な、重々しい様子で、イリューシャの友だちである中学生たちの明るいかわいい顔を見渡し、だしぬけに言った。

小沼訳 Ⅲ・p442  いつの間にかぶらぶらと静かに小径を歩いていた。突然スムーロフが叫んだ――
「ほら、イリューシャの石だ、この石の下に葬りたいって言ったんですよ!」
 一同は無言のまま、その大きな石のそばで立ちどまった。アリョーシャはその石を見た。するといつかスネギリョフが物語ってくれたイリューシェチカの話――イリューシャが泣きながら父親に抱きついて『パパ、パパ、あの男はパパをなんとひどい目にあわせたんでしょう!」と叫んだという、そのときの光景が、一度にぱっと彼の記憶によみがえった。彼の胸のなかでなにかが急に動いたような気がした。彼はまじめな、厳粛な顔をして、イリューシャの友達の学生たちの、可愛らしい、明るい顔をぐるりと見まわした。そして彼は不意に言った。

江川訳 p854  そうこうするうちにも、一同はゆっくりと小道を歩いて行ったが、とつぜんスムーロフが叫んだ。
「これがイリューシャの石ですよ、この下に葬りたいと言っていたんです!」
 大きな石の傍らで、みなは無言のまま足を止めた。アリョーシャは石を眺めやった。するととっさに彼の記憶に、いつかスネギリョフが話してくれた情景が、まざまざとよみがえってきた。イリューシェチカはあのとき、泣きながら父親にかじりついて、「お父ちゃん、お父ちゃん、あいつはお父ちゃんになんという恥をかかせたんだろうねえ!」と叫んだのだ。彼の魂の底で何かがはげしく打ち震えたかのようだった。彼はまじめな、重々しい顔つきで、イリューシャの友だちである中学生たちの、愛らしい、明るい顔を見渡し、だしぬけにこう言った。

感想  イリューシャは確かに、自分が死んだらあの石の下に葬ってほしい、と言っていた。でも、作品を読むかぎり、その言葉を聞いたのは、父親を初めとした家族のほかは、アリョーシャとコーリャだけだったはずで、葬儀を了えたこの時「あっ、イリューシャの石だ……」と叫んだスムーロフがイリューシャのその言葉を直接聞いたことがあるかどうかはっきりしない。だが父親はその日じゅうずっと教会の墓地ではなく、イリューシャの願いどおりに石の下に葬ると言い張っていたのだから、みんなの頭にはそのことがふかく印象付けられていたはずで、スムーロフの叫びも「あの石の下に葬ってって、言ってたんですよ!」とかつてのイリューシャの言葉を伝えたというよりは、その日の父親スネギリョフの言葉を指して、「あの石の下に葬りたいって、言ってたんですよ!」と述べたと考えるほうが自然ではないかという気がする。/新訳の「パパ、パパ、あのときはほんとうにひどい目にあったね!」という表現については、以前にも述べたことだが、イリューシャの傷つけられ苦痛にみちた心情が正確に表現されるためには、先行訳の「パパ、パパ、あいつはパパにひどい恥をかかせたんだね!」「あの男はパパをなんとひどい目にあわせたんでしょう!」「あいつはお父ちゃんになんという恥をかかせたんだろうねえ!」などのように、父親が特定の誰かにひどい恥をかかされたということが明確である必要があると思うので、先行訳のほうが断然適切な訳だと思う。


新訳 p57  覚えてるでしょう? あの子に以前、あの橋のたもとで石をぶつけられたことがあるけど、あの子はそのあと、みんなからあんなに愛されるようになりました。立派な少年でした。正直で、勇敢な少年でした。父親の名誉と、父親に対するひどい仕打ちを感じて、そのために憤然と立ち上がったのです。ですから、第一にぼくらは、死ぬまで彼のことを忘れないようにしましょう。

原訳 下・p492   その少年はかつては、おぼえているでしょう? あの橋のたもとで石をぶつけられていたのに、そのあとみんなにこれほど愛されたのです。立派な少年でした。親切で勇敢な少年でした。父親の名誉とつらい侮辱を感じとって、そのために立ちあがったのです。だから、まず第一に、彼のことを一生忘れぬようにしましょう。

小沼訳 Ⅲ・p443  この少年はあの橋のところで、覚えてるでしょう? 前にはみんなに石をぶつけられたけれども、あとではみんなにこんなに愛されるようになりました。彼は立派な少年でした。善良で、勇敢な少年でした。彼は父親の名誉と、父親にくわえられたいたましい侮辱をその身に強く感じて、それを守るために立ちあがったのです。ですから、まず第一に、みなさん、一生涯、彼のことを覚えていることにしましょう。

江川訳 p854  この少年は以前はみなに石を投げられた少年でした。憶えているでしょう あの橋のたもとの出来事を? ――ところがその後では、みなにこんなにも愛されたんです。彼は立派な少年でした。善良な、勇敢な少年でした。父親の名誉と理不尽な辱しめとを心で感じとって、その恥辱をそそぐために立ちあがったのです。ですから、第一に、みなさん、ぼくたちの生涯を通じて彼のことを記憶していようじゃありませんか。

感想  まず、新訳の「あの子に以前、あの橋のたもとで石をぶつけられたことがある」という箇所だが、ここではアリョーシャ(もしかすると他の少年たちも?)がイリューシャから石をぶつけられたということになっているのだが、先行訳をみると、逆に、イリューシャが他の少年たちから石をぶつけられたということになっている。文脈をみると、先行訳のほうが適切なように思われる。/次の「父親に対するひどい仕打ちを感じて」という新訳の表現は、イリューシャが父親に加えられたひどい仕打ちを「どのように」感じとったかについて一切触れていないのでひどく舌足らずな訳文のように感じる。/最後に、新訳の「死ぬまで」という表現についてだが、この場合は文脈上、これまでほどの違和感はおぼえなかった(慣れたのかも知れない)が、ただ、先行訳のようにごく普通の言い方である「一生」とか「生涯」と訳したほうが『カラマーゾフの兄弟』という作品には相応しいとは思う。


新訳 p60   さっきコーリャ君は、カルタショフ君に向かって、『きみがこの世にいるかどうか』、そんなことは知る気もないって言いました。でも、カルタショフ君がこの世に生きていること、その彼が、トロイの建設者がだれか答えたときみたいに顔を赤らめず、美しい、善良な、ほがらかな目で、今このぼくを見つめていることを、どうして忘れることができるでしょう。

原訳 下・p494~495  さっきコーリャがカルタショフに、『彼がこの世にいるかどうか』を知りたいとも思わないみたいなことを言いましたね。でも、この世にカルタショフの存在していることや、彼が今、かつてトロイの創設者を見つけたときのように顔を赤らめたりせず、すばらしい善良な、快活な目で僕を見つめていることを、はたして僕が忘れたりできるでしょうか? 

小沼訳 Ⅲ・p445  さっきコーリャはカルタショフに、僕たちは『彼がこの世にいるかどうか?』知りたくもないとか言いました。しかしカルタショフがこの世にいることを、それからもういまでは、あのトロイのことを言ったときのように顔をあからめもしないで、すばらしい、善良な、明るい眼つきで僕を見つめていることなどが、いったい忘れられるものでしょうか。

江川訳 p856  さっきコーリャがカルタショフに、『きみがこの世にいるかどうかも』知りたくないなんて言いましたね。でも果たしてぼくに忘れたりできるでしょうか、カルタショフがこの世にいることを、そしていまそのカルタショフが、もうトロイを発見したときのように赤くもならず、あのすばらしく善良な、はればれとした目でぼくを見つめていることを。

感想  「きみ」「彼」という、翻訳者による言い方の違いが気になったので下線を付してみた。カルタショフについて新訳と江川訳は「きみ」とし、原訳と小沼訳は「彼」としている。原文がどうなっているのか気になるところだが、「きみが」というのではなく、「彼が」という第三者を指す表現は、アリョーシャのコーリャとカルタショフに対するきめ細かな配慮かな、とも思ったが、他の何らかの意味があるのだろうか?



以上で亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』の感想は終わりである。上記のような形で書いたのは、他でもない、これは翻訳についての感想ではあるが、作品がドストエフスキーの作品である以上、間接的にドストエフスキーについて述べることにもなるのだが、難しくて、これ以外の方法による書き方は力不足でできそうになかったからだった。

私が亀山郁夫氏の名前をはっきり認識したのは今から2、3年前のことで、亀山氏が雑誌『文學界』(2006年8月号)において佐藤優氏の著書『自壊する帝国』を評した「類稀な「人間力」を見せつける凄まじい一冊」と題された文章を読んだ時だった。この一文は、こちらのブログが掲載しているのを偶然読ませてもらったのだが、筆者の亀山氏は、この本を以下のように絶賛していた。

「どれほど混沌とした時代にも、一つの状況、ひとつの現象を作り出してしまう天才がいる。そうした天才の類稀な「人間力」を見せつける凄まじい一冊、それが『自壊する帝国』である」「グロテスクな拝金主義と弱肉強食の「哲学」が跋扈する現代の日本で、これほど没私的に行動する人間を法の裁きにかける力とは、時代とは、何なのか。「本源的な力」を失った日本の、佐藤優に対する「冷笑」をこそ恐れるべきではないのか。」

この時私は亀山氏についてほとんど何も知らなかったのだが、ただメディア情報によって、この人が今『カラマーゾフの兄弟』の新訳を手がけている翻訳者だということは何となくうっすら知っていた。上の文章を読んで、私は一方では「ああ、またしても佐藤氏の崇拝者 出現?」とごく普通に(?)呆れてもいたが、一方、心の奥で大変驚いてもいた。「このようなことを述べる人がドストエフスキーの小説を翻訳するの? それも『カラマーゾフの兄弟』を?…」と思ったのだった。上の文章のなかでなるほどこれは佐藤優氏に対する評価として正解かも知れないと思えたのは、佐藤氏は確かに「拝金主義」ではないかも知れないということくらいだった。それにしても、亀山氏の文章を読んだ時、私はその批評対象である『自壊する帝国』を未読だったのに、「天才の類稀な「人間力」」とか「没私的に行動する人間」というような佐藤氏に対する絶賛文を読んだだけでドストエフスキーの作品の翻訳に携わる人としての亀山氏につよい疑いをおぼえたのだから、佐藤優氏の言説内容(追記-というよりむしろ、佐藤氏を久方ぶりに出現した稀にみる思想家のごとく持ち上げ、喧伝する言論・出版界)に対する当時の自分の不信がどんなにつよかったかということが分かる。

その次に読んだ亀山氏の文章は、今となっては順序が不確かなのだが、多分、佐藤優氏との共著である『ロシア 闇と魂の国家』(文春文庫2008年4月刊)という本ではなかったかと思う。ドストエフスキーについても二人の間であれこれ話し合われているのだが、それを読んで、私はこれが『カラマーゾフの兄弟』についての会話なのだろうか? と索漠たる思いがしたことをよくおぼえている。佐藤氏などは、アリョーシャについて「……ぼくはアリョーシャが自殺するようなことはないとみています。アリョーシャは、自殺などしない、もっと本格的な悪党だと思います。」などと、佐藤氏は大抵そのような調子 ではあるのだが、なんの根拠も述べずにアリョーシャを「悪党」呼ばわりしていた。

前に書いた文章のなかで私は過去に『カラマーゾフの兄弟』を翻訳した先行者について、「錚々たる過去の翻訳者たち」云々と書いた。これはある種の権威を前提にしたような言い方のようにもみえかねず、あまりいい表現ではないとその時もちょっと思ったのだが、言いたかったことは、現在とは比較にも何もならないほどに作品を読む力をもっていたことはまちがいないと思われる70年代頃までの読者の厳しい目にそれらの翻訳作品は耐えることができた、その事実が確固として存在するということだった。ここ1年の間に、私は小沼、原、江川各氏の訳本を一通り読んでみたが、亀山氏の翻訳が先行訳を前にすると、どのような面から見ようとも次元が異なって拙劣であることは、私のようなごく一般的な読者にとってもあまりにも明白であったと言うしかない。ほとんどページを繰る毎に読者に違和感や疑問をおぼえさせ、熟読を苦痛にさせるような翻訳が甚だ拙いことは誰でも認めないわけにはいかないだろうと思う。

追記-『カラマーゾフの兄弟』の翻訳問題について関心をお持ちの方には、下記のサイトを自信満々で推奨します。ぜひご欄になってみてください。
 木下豊房氏のサイト 
 こころなきみにも
 連絡船



2009.11.04 Wed l 文芸・読書 l コメント (0) トラックバック (0) l top
亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』第5巻は、後半部の「ドストエフスキーの生涯」や「年譜」「改題」などの文章(もちろんすべて亀山氏執筆)が大半を占め、本文(エピローグ)は実質60ページ足らずである。だから、この巻だけは全文を丁寧に読み通そうとつとめてみた。これまでに感想を記した第2巻、第4巻は、少年たちをめぐる物語をのぞいて、他は実のところ精読したとはとても言えない。主な理由は集中・没頭するのが難しかったためだが、今回、第5巻を行きつ戻りつして丁寧に読んでみて、改めてこの訳本の問題が深刻であることを痛感した。ほとんど1、2ページごとに、いやそれ以上の頻度で違和感や疑問をもつことになってしまったのだ。このような事態は決して一翻訳者の問題ににとどまるものではない。ともあれ、そういうことで思わぬ長文になってしまったため(読んでいて疑問を感じる箇所はもっとあったのだが、指摘のしかたが困難なためにこれでも相当数削除した)、2回に分けて載せることにした。それにしては、我ながら単純な感想しか書けていないのだが、一読者の率直な感想と意見の表明として読んでいただければと思う。


『カラマーゾフの兄弟 5』  (第12刷)

   エピローグ 1  ミーチャの脱走計画


「エピローグ1」は、判決から五日目の朝、アリョーシャがカテリーナの家を訪ね、ミーチャの脱走計画やその計画を立てたイワンについてなど、二人の間にさまざまな会話が交わされる場面である。

新訳 p8  隣の別室では、幻覚症をわずらっているイワンが、意識不明のまま横になっていた。

原訳 下・p459  隣の部屋には、譫妄症になったイワンが意識不明で寝ていた。

小沼訳 Ⅲ・p413  すぐ隣りの部屋には気が変になって意識を失ったままのイワン・フョードロヴィッチが横になっていた。

江川訳 p835 すぐ隣室には、譫妄症のイワンが人事不省のまま横になっていた。

感想  新訳の「幻覚症をわずらっているイワン」という文の「わずらっている」という表現に、何かしら悠長な感じ、場違いな印象をもった。急激に病んで意識不明になった重病人についての叙述というより、長患いのやや安定感のある病人についての文のような感じがしたのだった。ほんの少しの表現の違いなのに、結果的に大きな差を生むことが、先行訳を見ると分かるように思う。


新訳 p8  カテリーナは、公判での例の騒ぎのあとただちに、意識を失った病気のイワンを自宅に移すよう手配した。社交界でこれからかならず起こる人の非難を無視したのである。

原訳 下・p459  あの日、法廷での騒動のあとすぐに、カテリーナは、将来必ず起るにきまっている世間のあらゆる噂や当人の非難を無視して、イワンを自分の家に移すよう命じたのだった。

小沼訳 Ⅲ・p413  カテリーナ・イワーノヴナはあの公判のすぐあとで、将来かならず起こるにちがいない世間の噂や非難をまったく無視して、発病して意識を失ったイワン・フョードロヴィッチを自分の家へ運ばせたのである。

江川訳 p835  カチェリーナは、あの公判での一幕のすぐあと、将来まちがいなく社交界でかげ口をきかれ、非難を受けることを承知のうえで、意識不明のイワンを自分の家に移すように命じたのだった。

感想  たしかに世間の非難は起こると思われるが、それでもイワンを自宅に移した時点においては非難はまだ起きていないのだから、新訳の「これからかならず起こる人の非難」というような断定の仕方は読んでいて拙いと感じる。「起こるはずの人の非難」とか「起こるにちがいない人の非難」というような訳文のほうが、読者としては安心感、信頼感をもって読みすすめることができるように思う。


新訳 p9  カテリーナは青ざめ、ひどく憔悴している様子だったが、同時に、病的といえるほどはげしく神経を高ぶらせていた。彼女は、アリョーシャがなぜいま、ほかをさしおいて自分のところにやってきたのか察していた。

原訳 下・p460  カテリーナは青ざめてひどく疲れた様子だったが、同時に極端なほど病的に神経をたかぶらせていた。なぜ今アリョーシャがさりげない様子で訪ねてきたかを、予感していたのである。

小沼訳 Ⅲ・p413  カテリーナ・イワーノヴナはあおい顔をして、ひどく疲れていたが、同時に強い病的な興奮を感じていた。しかしこの朝なんのためにアリョーシャがわざわざ訪ねてきたか、彼女にはちゃんと察しがついていたのである。

江川訳 p835  カチェリーナは青白い顔をして、ひどく疲れた様子だったが、同時に病的なくらいはげしく興奮していた。アリョーシャがいま何のために訪ねて来たのか、うすうす察しがついていたこともある。

感想  新訳の「ほかをさしおいて」の「ほか」が何を指すのか、読んでいて分からない。確かにアリョーシャは「この朝、別の場所にのっぴきならぬ用事をかかえていたため、急ぐ必要があった」(原訳)ということではあるが、でも新訳が「アリョーシャがなぜいま、ほかをさしおいて自分のところにやってきたのか察していた」というカテリーナは、アリョーシャが「のっぴきならぬ用事をかかえていた」ことを知らないはずである。そもそも、先行訳には「ほかをさしおいて」という趣旨の叙述はない。先行訳と新訳の翻訳者とは原文の語句の意味を違えて読み取っているかのようである。


新訳 p10  囚人の一団がシベリアに送られるここから三番目の中継監獄で、十中八、九起こるはずです。そう、それまでにまだいろいろとありますわね。

原訳 下・p460  流刑囚の一隊がシベリヤへ護送されるときに、ほとんど確実なところ、ここから三つ目の中継収容所で行われるはずですわ。ええ、まだだいぶ先の話ですわね。

小沼訳 Ⅲ・p414  みんなと一緒にシベリヤへ護送されるとき、おそらく、ここから三つ目の駅で脱走させることになるでしょうよ。ええ、まだずっと先のことですけれど。

江川訳 p835  囚人の一隊がシベリアへ護送されるときに、まずまちがいなく、ここから三つ目の仲継監獄で決行の予定なんです。ああ、それはまだ先の話ですわ。

感想  自分たちで主体的に「脱走を決行する」わけだから、「起こる」より、「起こす」のほうが訳として適切ではないだろうか。また、「まだいろいろとありますわね」という訳文は読んでいて意味不明である。先行訳では「それはまだ先のこと」というように、この箇所は、脱走の決行までに「まだ時間がある」「時間的にまだ余裕がある」というような意味合いで訳されていて、新訳の「いろいろと」とはずいぶん異なっている。


新訳 p11  あの淫売のせいであのとき癇癪を起こしたんです。ほかでもありません、あの女がドミトリーといっしょに国外に逃げるということに対してです!

原訳 下・p461  その時はあたくし、あの売女のことでかっとなったんですわ、つまり、あの女までドミートリイといっしょに国外へ逃げるってことに対してです!

小沼訳 Ⅲ・p415  あのとき 腹を立てたのは、その商売女のことですけれど。つまり、あの女までがドミトリイ・フョードログィッチと一緒に外国へ逃げるというのが癖にさわったんですわ!

江川訳 p836  わたしがかっとなったのは、あの売女、あの売女のことでですわ、だって、あの女までが、ドミートリイさんといっしょに外国へ逃げるだなんて!

感想  国外に逃げる主体はあくまでも、有罪判決をうけ、今や流刑が確定したミーチャなのだから、「あの女」とするのではなく、先行訳のように「あの女までもが」と訳したほうが自然であり、的確な訳なのではないかと思った。


新訳 p11  つらかったんですもの。あれだけの人が、まだ昔の恋のことでわたしを疑ったりするってことが……で そのときなんですよそれよりもだいぶ以前に、ドミートリーさんなんか愛していない、愛しているのはあなただけって言ったのは! わたしが憎しみのあまり癇癪を起こしたのは、ただあの淫売に対してだけって

原訳 下・p461  だって、あれほどの人が、あの男へのあたくしの愛情が今までと変らないと疑ったりするなんて、つらかったんですもの……しかも、そのずっと以前に、あたくしは自分ではっきり、ドミートリイなぞ愛していない、愛しているのはあなただけだって、あの方に言ったというのに! あたくしはただ、あの売女に対する憎しみから、あの方に腹を立てただけなんです

小沼訳 Ⅲ・p413  (略) しかも、そのずっと前に、わたしはドミトリイなんか愛していない、愛しているのはあなたひとりだけだって、はっきりとあの人に告白したんですもの! わたしはただあの商売女に対する憎しみのために、あの人に向っ腹を立ててしまったんですわ

江川訳 p835  (略) それも、どうでしょう、わたしはもうそのずっと前に、自分の口からはっきりと、わたしはドミートリイさんなんか愛していない、わたしの愛しているのはあなた一人だけだって、あの人に言い切っていたんですものね!/わたしがあの人にかっとなったのは、あの売女に対する憎しみからだけだったんです

感想  新訳のこの文章は、何度読んでも意味を読み取ることができなかった。まず、「そのときなんですよ」の「そのとき」がいつのことを指しているのか分からないのだ。これまで木下豊房氏のサイトや「連絡船」で何度も指摘されてきたことだが、もしかすると、ここでも時系列の把握に関する問題が顔をのぞかせているのかも知れない。簡単に時系列を記すと、下記のようになる。ただし、「日付」以外の出来事および事実関係の記述はすべて、カテリーナがアリョーシャに打ち明け、話してきかせた内容に拠る。

本 日   朝9時前、アリョーシャがカテリーナを訪問

5日前   判決公判日

その前日  公判前日。 イワンはカテリーナを訪問し、彼女に詳細なイワンの脱走計画書を預ける。その話し合いの最中、その3日前から二人の間にくすぶり続けていた喧嘩が再度始まった。イワンが帰りかけたところをアリョーシャが訪ねる。その時イワンはもう階段を下りかけていたが、カテリーナから呼び戻され、アリョーシャと共にもう一度家に入る。

上の3日前。 これは、公判の4日前のことになる。イワンは、ミーチャが有罪になった場合に備え、彼を国外に脱走させるための計画の要点をカテリーナに打ち明ける。その話のなかで、イワンがミーチャの脱走にはグルーシェニカも同行させると述べたのでカテリーナは思わずかっとなり、腹を立てる。イワンはそれを見て、カテリーナがこんなに立腹するのは、ミーチャへの絶ちがたい愛情ゆえのグルーシェニカに対する嫉妬だと疑った。少なくともカテリーナにはイワンの態度はそのように見えたのだが、しかし、こういう疑いはカテリーナにとっては非常につらく情けないことであった。というのも、そのずっと前 カテリーナはイワンにはっきりと、「わたしはドミートリイさんなんか愛していない、わたしの愛しているのはあなた一人だけ」と言い切っていたのだ。

以上、時系列を見てみたが、「そのときなんですよ、それよりもだいぶ以前に、ドミートリーさんなんか愛していない、愛しているのはあなただけって言ったのは! わたしが憎しみのあまり癇癪を起こしたのは、ただあの淫売に対してだけって!」という新訳におけるカテリーナの発言の内容はやはり意味不明で、この訳文から正確な文意を読み取ることは至難の技だと思える。


新訳 p12  (注:イワンは)その場で、わたしのところにお金を置いていきました。1万ルーブルぐらいありましたわ……ほら、これがそうです。検事がだれからか、あの人がこのお金をつくるために債券を送ったことを聞き込んで、論告のなかで言及したお金です

原訳 下・p462  そのときにお金を、1万ルーブル近く、あたくしに預けたんです。あの方が現金に換えたのを検事がだれかから聞きこんで、論告の中で言及した、あのお金ですわ

小沼訳 Ⅲ・p415  その場でわたしのところに、1万ループリほどのお金をおいて行ったんですの。そのお金のことを、検事は誰かから、あの人がお金を替えにやったことを聞きこんで、論告のときに言いだしたのですわ

江川訳 p836  で、すぐその場で、1万ループリ近くのお金を預けていかれたんです、―― ほら、検事が現金に換えたのをだれかから聞き込んで、論告の中で持ち出したあのお金ですわ

感想  新訳は、「ほら、これがそうです」と、あたかもその場に1万ルーブルがあるかのように叙述しているが、先行訳にはそのような場面は描かれていない。カテリーナがアリョーシャに「もしかしたら明日、(略)詳細にわたる計画の全貌をお目にかけますわ」(原訳)と述べているところを見ると、今のところアリョーシャは「脱走計画書」も見せられていないようであり、このような筋の展開からしても、「ほら、これがそうです」、「このお金」というように、その場における1万ルーブルの存在を明示しているかのような亀山訳は疑問である。


新訳 p13  わたし、敬虔な気持ちにかられて、思わずあの方の足元にひれ伏しそうになったんですが、そこでふと思ったんですよ。そんなことしたら、あの人、ミーチャが救出されることをわたしが喜んでいると考えるだろうって (あの人ならぜったいにそう考えるはずです!)。で、あの人がそんなおかしな考えを抱くかもしれないと思ったら、それだけでもうすごくいらだって、腹を立ててしまったの。で、あの人の足元にキスをするどころか、またしてもひと悶着を起こしてしまったってわけなんです!
 そう、わたしってほんとうにだめな女なんです! わたしの性格って、こうなんです。恐ろしくだめな性格! ああ、あなた、見ていてくださいね。わたしがあんまりやりすぎるから、あの人もわたしを捨ててほかの人に乗り換えるんですわ、ドミートリーと同じように、もっと気楽にやっていける人にね。でも、そうなったら……いいえ、そうなったらわたし、耐えられなくなって死んでしまいます

原訳 下・p462  あたくし敬虔な気持であの方の足もとにひれ伏そうとしかけたんですけれど、でも、ミーチャを救えるのをあたくしが喜んでいるとしか受けとってくれないだろうと思うと(きっとそう思うにきまってますもの!)、あの方がそんな間違った考えをいだくかもしれぬという、そのことだけでひどく苛立って、また癇癪を起してしまったものですから、あの方の足に接吻する代りに、またぞろあんな一幕を演じてしまったんですわ! ああ、あたくしって不幸な女! そういう性格なんです、とってもいやな、不幸な性格ですわ! ええ、見ていてごらんなさい、あたくしってこんなふうにしていて結局、もっと気楽につきあえるほかの女のためにあの方も、ドミートリイと同じように、あたくしを棄てるような羽目にしてしまうんです、でもそのときは……そう、そうなったら、もう堪えられませんわ、あたくし自殺します

小沼訳 Ⅲ・p416   (略) ええ、まあ見ててごらんなさい、わたしはこんなことをやって、結局はあの人にすてられてしまうんですわ。あの人もドミトリイみたいに、もっと楽な気持で暮らせる女にわたしを見かえてしまうにちがいありませんわ。でもそうなったら……いいえ、そうなったらわたしにはとても我慢ができません、わたしは自殺してしまいます

江川訳 p837  (略) ええ、見ていてごらんなさい、わたしきっと自分から、自分から仕向けて、最後にはあの人も、ドミートリイと同じように、もっといっしょに暮しやすい女のために、わたしを捨てるようなところへ追い込んでしまいますわ。でも、そうなったら、いえ、そうなったらもうわたしには耐えられません、わたし、自殺します

感想  「わたしがあんまりやりすぎるから」の「やりすぎる」には違和感をおぼえる。カテリーナがここで嘆息しているのは、たとえば原訳の「こんなふうにしていて」のように、自分の性格やそこから発生する言動など、自分自身のあり方そのもののことではないかと思われる。「やりすぎる」という言葉の意味も実は不明確だと思うのだが、それにしてもここでカテリーナが述べているのは「やりすぎる」こととはニュアンスの異なることではないだろうか。それから、「死んでしまいます!」と「自殺します!」とい二つの言葉の意味するところも当然同じではないはずである。「死んでしまいます」という言葉からは、必ずしも自らの手で命を絶つという確固とした意志は感じられないし、もともとその含意もないと思われるが、「自殺します」が、そうでないことは言うまでもないことである。


新訳 p15  彼はその瞬間をおそれ、苦しんでいる相手を許してやりたいと願っていた。それだけに、自分がたずさえてきた頼みごとますます困難なものになった。彼女はまたミーチャの話をはじめた。

原訳 下・p464  だが、彼はその瞬間を恐れ、苦しんでいる彼女を赦してやりたいと望んでいた。それだけに、自分の持ってきた頼みが、いっそうむずかしいものになってきた。彼はまたミーチャのことを話題にした。

小沼訳 Ⅲ・p417  彼はその瞬間がくるのを恐れて、苦しみ悩んでいるこの女性をそっとしておいてやりたいと思った。するとそのためにわざわざやってきた自分の用件を、彼女に伝えることがますます切りだしにくくなってきた。彼はまたミーチャのことを話しだした。

江川訳 p838  しかし彼はそういう瞬間を恐れ、苦しんでいる彼女を宥してやりたいと望んでいたのである。それだけに彼は、自分の持って来た言づけがいっそう切り出しにくくなっていた。彼はまたミーチャのことを話題にした。

感想  新訳はミーチャの話をはじめたのは「彼女」、つまりカテリーナのほうとしているが、文脈からすると、「彼」、アリョーシャである可能性が高いように思われた。


新訳 p17  「今日わたしがあなたをお呼びしたのは、あなたがご自分であの人を説得してくださるっていう約束をしていただくためなんです。それとも、あなたからすると、ここで逃げ出すのは潔くない、男らしくないってことになるのかしら。というか、そう……キリスト教の教えに、もとりませんかしら?」ますます挑戦的な口ぶりでカーチャが言い添えた。

原訳 下・p465  「今日あなたをおよびしたのも、ご自分であの人を説得してみせると約束していただくためにですのよ。それとも、あなたのお考えでは、脱走なんてやはり不正な、ほめられないことでしょうかしら、それとも何というか……キリスト教的ではないことでしょうか?」いっそう挑戦的にカーチャは言い添えた。

小沼訳 Ⅲ・p418  「(略)……つまり、キリスト教的でないものでしょうか、どうでしょう?」と前にもましていどむような調子でカーチャはつけくわえた。

江川訳 p839  「(略)……キリスト教徒にあるまじきことなんでしょうか?」カーチャはいっそう露骨な挑戦の調子でつけ加えた。

感想  「キリスト教の教えに、もとりませんかしら?」という訳だが、「もとる」は「背く」という含意のはずなので、「もとりませんかしら?」ではなく、「もとりますかしら?」でないと、意味が通らないと思われる。


新訳 p18  「兄は、今日あなたに来てほしいと言っているのですが」しっかりと相手の目をにらみながら、彼はふいに口走った。彼女はぎくりとして、ソファの上で彼からかすかに体を引いた。
「わたしに……そんなこと、ほんとうにできるのかしら?」彼女は青ざめ、口ごもるようにつぶやいた。
「できますし、そうすべきなんです!」すっかり元気づいたアリョーシャは、いくらか強引な口ぶりで切り出した。

原訳 下・p465  「兄が今日あなたに来ていただきたいと言っているのですが」突然、しっかり彼女の目を見つめながら、彼は口走った。彼女はびくりと全身をふるわせ、ソファの上でわずかに身をひいた。
 「あたくしに‥‥‥そんなこと、できるはずがないじゃありませんか?」蒼白になって、彼女は舌足らずに言った。
「できますとも、そうなさるべきです!」すっかり元気づいて、アリョーシャは粘り強く言いはじめた。

小沼訳 Ⅲ・p419  「兄がきょうあなたにきていただきたいと言っていました」とじっと彼女の眼を見つめながら、彼は不意に叩きつけるように言った。彼女は思わず全身をふるわせて、長椅子の上のアリョーシャから、からだをかすかにずらすようにした。
「わたしに……そんなことができるかしら?」と彼女は顔を蒼白にしてつぶやいた。(略)

江川訳 p839  「兄はきょうあなたに来ていただきたいと言っているんです」彼女の目をひたと見据えながら、彼は思わずこう口に出した。彼女はぎくりと全身を震わせ、ソファの上で、ほとんどそれとわからぬくらいかすかに身を引いた。
「わたしに……そんなことができるものですか……」蒼白な顔になって、彼女は口の中でつぶやいた。(略)

感想  「しっかりと相手の目をにらみながら」の「にらむ」は、「こわい目つきでじっと見る」という意味のはずだが、文脈から見ても、またアリョーシャの性格からしても、アリョーシャは何もカテリーナをにらんだわけではないだろう。この場面であえてこの「にらむ」という言葉を遣う必要はないようであり、先行訳のように「見つめる」「見据える」などのほうがよかったのではないかと思う。次の「ほんとうにできるのかしら?」という訳文だが、これではミーチャに会いに行くようにというアリョーシャの突然の勧めをカテリーナが即座に内諾し、そのことを前提にして喋っているかのようにひびき、違和感がある。小沼訳も新訳と近いが、それでもさほど抵抗を感じないのは、小沼訳には、「ほんとうに」という新訳の言葉がないからではないかと思う。


新訳 p18  あの日から、兄にはいろんなことが起きてましてね。あなたに対して、数えきれないぐらい罪を犯していることを自覚しているんです。

原訳 下・p465 あの日以来、兄はずいぶん変りました。あなたに対して数えきれぬくらい罪を犯したことを、兄はわかっているのです。

小沼訳 Ⅲ・p419 兄もあの日以来ずいぶん変わりました。あなたに対して数えきれないくらい罪のあることも、いまではよくわきまえています。

江川訳 p839 あの日以来、兄の心には大きな変化が起きました。今の兄は、あなたに対してはかり知れないくらい罪があることを理解しています。

感想  「兄にはいろんなことが起きてましてね」の「いろんなこと」のなかには、あの日(判決の日)以来のミーチャの変化も含められているのかも知れないが、「いろんなこと」の中身の描写や説明が後にも先にも一切ないので、この「いろんなこと」が何を指しているのか読者にはまったく理解がおよばない。先行訳を見ると、そもそも原文に新訳のいう「いろんなことが起きた」という意味のことが書かれているのかどうか疑問に思える。


新訳 p20  アリョーシャの口から、思わず挑戦的な言葉がほとばしった。「兄の手は汚れてませんし、血もついてないんです! これから兄がたえしのぶ、数え切れないぐらいの苦しみに免じて、すぐに兄を見舞ってやってほしいんです! 行ってやってください。闇のなかに旅立っていく兄を見送ってください……敷居の上からでも、せめて……だって、そうしなくちゃいけないでしょう、そうしなくちゃ
「そうしなくちゃ」という言葉を、とほうもない力で強調し、アリョーシャは口を閉じた。
「そうしなくちゃいけない、でも……それができない」カーチャは呻くように言った。(略)
「行かなくちゃだめです、行かなくちゃ」アリョーシャはまた、執拗な調子で言葉に力をこめた。


原訳 下・p467  「兄の手は汚れていません、血に染まってはいないんです! 兄のこれからの数限りない苦悩のために、今こそ見舞ってやってください! 行って、闇の中に兄を送りだしてやってください……戸口に立つだけでいいんです……あなたはそうすべきなんです。そうする義務があるんです!」アリョーシャは信じられぬほどの力で《義務がある》という言葉を強調して、結んだ。
 「行くべきでしょうけれど‥…でも、できませんわ」カーチャが呻くように言った。(略)
「いらっしゃらなければいけません、いらっしゃる義務があるはずです」ふたたびアリョーシャが容赦なく強調した。

小沼訳 Ⅲ・p420  「(略)……あなたには義務があります、そうしなければならない義務がありますよ!」とアリョーシャは『義務があります』という言葉に信じがたいほどの力をこめて言葉を結んだ。
 「義務はあるでしょう……でも……そんなことはできませんわ」とカテリーナ・イワーノヴナはうめくように言った。(略)
「あなたは行かなければなりません、行く義務があります」とまたアリョーシャは有無を言わせぬ調子で言った。

江川訳 p839  「(略)……だってあなたにはそうする義務が、義務があるはずです!」アリョーシャは《義務がある》という言葉に信じられないほどの力をこめて、こう結んだ。
「義務はあります、でも……できないんです」カーチャは呻くような声で言った。(略)
「あなたは行かなければいけません、行く義務があるんです
アリョーシャはもう一度、容赦なくこの言葉に力をこめた。

感想  第4巻の「第11編 兄イワン」における「あなたじゃない」というアリョーシャの言葉をめぐる問題と同じできごとがここでも生じている。上記で見るとおり、先行訳においてはどれも、アリョーシャがカテリーナに向かって「義務がある」という言葉を二度述べたことになっていて、その二度とも「義務がある」もしくは「義務」という箇所に強調のための傍点が振られている(注:当ブログでは傍点のかわりに太字を使用)。しかし新訳では先行訳が使用している「義務がある」という言葉がことごとく「そうしなくちゃ」になっており、また傍点は一つも振られておらず、他にも何ら強調の記しはない。アリョーシャのように温和な性格の、相手が誰であれ人に対する柔軟で配慮の行き届いた理解力をもつ人物が、このように他人に対して「行く義務がある」と、それも非常に強い調子で執拗に繰り返すということは、只事ではない。アリョーシャが述べている「義務」という言葉には、人が自ずと、あるいは他の人との間に負っている責任を果たすことへの強制や命令の気配さえ感じられるように思うのだが、カテリーナもそのことをはっきりと理解しているようである。彼女は、原訳によると「行くべきでしょうけれど……でも、できませんわ」と述べているし、新訳でも「そうしなくちゃいけない、でも……それができない」と発言している。三つの先行訳がすべて「義務」と訳しているのだから、亀山氏もこの「義務」という言葉に気がつかなかったはずはないと思うのだが、もしそうだったなら、なぜわざわざ「義務がある」を「そうしなくちゃ」という言葉に置き換えたのだろうか。原作においては、「あなたじゃない」の場合がそうだったように、おそらく「この義務がある」にも強調のためのたとえばイタリック体などが施されていたのだろうと思われる。そして亀山氏は「あなたじゃない」の場面で原作を無視もしくは歪曲した訳をしたために、ここでもそうせざるをえなかった、そうでないとかえって不自然になるという判断が働いたのではないかという気がするのだが、事実はどうだろうか。しかし「そうしなくちゃ」と「義務がある」とでは、それが言い表しているもの、意味するものが全然別次元のものであることは誰の目にも明らかだと思う。「義務がある」という言葉は、「そうしなくちゃ」などの月並みな言葉とは全然異なり、倫理的な意味を持つ重い言葉のはずである。この訳文は、またしても原作を歪曲していることになるのではないだろうか。



   エピローグ 2 一瞬、嘘が真実になった

新訳 p22  それにしても彼(注:医師のワルヴィンスキー)は気立てのいい、人情味あふれる青年だった。ミーチャのような男にとって、いきなり人殺しや詐欺師の仲間に放り込まれることがどれほどつらいか、何よりもまずこれに慣れなくてはならないと、ワルヴィンスキーは考えたのである

原訳 下・p469  それにしても同情心の厚い善良な青年だった。彼は、ミーチャのような人間にとって、いきなり人殺しや詐欺師の仲間入りするのがどれほどつらいか、それにはまず慣れる必要があることを、理解していたのである

小沼訳 Ⅲ・p421  彼は親切な、情けぶかい青年であった。彼はミーチャのような人間には、とつぜん人殺しや詐欺師の仲間入りをさせられることが辛いものだということがわかっていたので、あらかじめそれに慣れさせようとしたのであった。

江川訳 p840  それにしてもこれは善良な、同情心ゆたかな青年にちがいなかった。彼は、ミーチャのような男にとって、いきなり人殺しや詐偽師たちの仲間入りをするのがどんなにたいへんなことか、その前にまず慣れる必要があることを理解していたのである

感想  新訳では、①ミーチャのような男には、いきなり人殺しや詐欺師の仲間に放り込まれることは大変つらいこと ②まずこれに慣れなくてはならないこと の両方を、医師のワルヴィンスキーはミーチャを診た後に初めて考えたかのように訳されているが、先行訳では、ワルヴィンスキーはその人格のうちにもともとすぐれた理解力を持っていたことがうまく表現されている。そのため、新訳のこの箇所は、先行訳にくらべて奥行きに乏しい文章になっているように思われる。


新訳 p24  「トリフォーンのやつ」ミーチャは心配そうに話しだした。「旗籠屋をすっかりぶっこわしちまったって、床板はずしたり羽目板はがしたり、『回廊』までばらばらに壊したそうだ。ずっと宝探しやってやがるのさ。そうさ、あの金さ、おれがあそこに隠したって検事が言ってた千五百ルーブルだよ。……」

原訳 下・p470  「トリフォーンのやつな」ミーチャがそわそわして言った。「あいつ、自分の宿屋をすっかりぶっこわしちまったそうだ。床板をあげたり、羽目板をはがしたり、《回廊》をばらばらにしたりしたんだとさ。宝探しをやってるんだよ。おれがあそこに隠したなんて検事が言ったもんで、例の千五百ルーブルを探しまわってるのさ。……」

小沼訳 Ⅲ・p422  「トリフォーンのやつが」とミーチャは落ちつきのない調子で言いだした。「ポリースイッチのやつが、自分の旅館をすっかりぶちこわしてしまったそうだ。床板をあげたり、羽目板をひっぺがしたり、にかい『ベランダ』を取りこわして、ばらばらにしちまったそうだよ。(略)」

江川訳 p841  「トリフォーンのやつがさ」ミーチャが落ちつきのない調子で話しだした。「あのポリースイチだよ、あの宿屋をすっかりぶちこわしてしまったそうだぜ。床板をはがす、羽目板をひっぺがす、あの《回廊》ばらばらにししてしまったとさ。(略)」

感想  ミーチャは、トリフォーンがありもしない千五百ドルを手に入れるためにモークロエの自分の旗籠屋をこわしてしまったことについては、ばかばかしいと軽蔑こそしても、心配などはしていないはずである。彼はカテリーナを訪問してきたアリョーシャがどんな話を持ってここにきているのかが気になって仕方がない。それにもかかわらず、その話を避け、看守から聞いたトリフォーンに関する噂話をし始めたのだから、「心配そうに話しだした」という言い方には違和感がある。ここは、やはり「そわそわして」や「落ちつきのない調子で」の訳のほうがしっくりくる。


新訳 p25  「……いいか、イワンはほかのだれよりも抜きん出るぞ。生きていくのはやつで、おれたちじゃない。いずれ元気を取りもどすさ」
考えてください。カーチャはたしかにイワンのことで気をもんでいるのに、あの人が元気になることだけはほとんど疑っていないんです」アリョーシャが言った。

原訳 下・p471  「……なあ、イワンはだれよりも偉くなるぜ。生きていなけりゃいけないのは、あいつだよ、俺たちじゃない。あいつはきっと快くなるとも」
ところがね、カーチャはイワン兄さんの容態が心配でならないくせに、全快することはほとんど疑ってもいないんですよ」アリョーシャが言った。

小沼訳 Ⅲ・p424  「……それはそうと、イワンは誰よりもえらくなる男だよ。生きなけりゃならないのはあの男で、おれたちじゃない。あれの病気はきっとよくなるよ」
だけど、どうでしょう。カーチャは心配で心配でびくびくしているくせに、インワンが全快することだけは、ほとんど疑っていないんですからねえ」とアリョーシャは言った。

江川訳 p842  「……それにしても、イワンはだれよりもえらくなるな。前途があるのはあいつで、おれたちじゃない。あいつは全快するよ」
ところがね。カーチャはイワンのことが心配でならないくせに、全快することはほとんど疑おうともしないんです」

感想  「生きていくのはやつで、おれたちじゃない」という訳文ではまったく意味が通らないと思う。「考えてください」という表現も、「え、なにを?」と言いたくなるほどに唐突に感じたが、先行訳では、ここは「ところがね」とか「だけど、どうでしょう」と割合気軽な感じに訳されていて、こちらのほうが適切ではないかと思う。「気をもんでいる」という訳も、イワンが意識不明の瀕死の病人であり、カーチャがその容態を非常に心配していることは明らかなので、「気をもむ」よりも「非常に心配」という訳のほうがよいのではないのではなかろうか。


新訳 p26  もしも護送中なり、向こうについてから連中に殴られるようなことがあったら、おれは引き下がらないし、やつらを殺して銃殺にでもされる。

原訳 下・p472 もし途中でなり、向こうへ行ってからなり、殴られるようなことがあったら、俺は泣き寝入りしないぜ。そいつを殺して、銃殺にされるさ。

小沼訳 Ⅲ・p424 もしも途中か、あっちへ行ってからなぐられるようなことがあったら、おれは黙ってなぐられちゃいない。おれはそいつを殺して、自分は銃殺になるだろう。

江川訳 p842 もし道中で、いやあっちへ行ってからでも、殴られるようなことがあったら、おれは黙っちゃいない。おれはそいつを殺して、自分も銃殺になるだろう。

感想  「やつら」が正しい訳だとすると、集団暴行をうけることになるわけだが…。


新訳 p31  グルーシェニカと向こうに着いたら……すぐに、どこかもっと遠い人里離れた土地で、野生の熊どもといっしょに畑を耕し、働きはじめる。

原訳 下・p475  グルーシャと向うへ渡ったら、すぐにどこか、なるべく奥の、人里離れたところで、野生の熊を相手に畑仕事をして、働くんだ。

小沼訳 Ⅲ・p427  グルーシャと一緒にあっちへ行ったら……おれはすぐにどっかなるべく遠い、人里を離れた遠いところで、野生の熊を相手に働きはじめる、大地を耕して働きはじめる。

江川訳 p844  グルーシャと向うへ着いたら、おれはすぐさま、どこか人里離れたところへ引っ込んで、熊を相手に、畑を耕して働くんだ。

感想  新訳の「もっと」という言葉が気にかかった。どの土地を起点として、「もっと遠い人里離れた土地」というのだろうか。これはおそらく「なるべく」という意味で遣われたのではないかと思われる。


新訳 p35  「愛は終わったのよ、ミーチャ!」カーチャは、ふたたび話しはじめた。「でも、終わったことがわたしには痛いくらいに大事なの。そのこと、永久に忘れないでね。でも今からほんの一分のあいだだけ、そうなったかもしれないことをしましょうよ」

原訳 下・p478  「愛は終ったわ、ミーチャ!」カーチャは、ふたたび話しはじめた。「でも、あたしには、過ぎてしまったものが、痛いくらい大切なの。これだけは永久におぼえていてね。でも今ほんの一瞬だけ、そうなったかもしれぬことを訪れさせましょうよ」

小沼訳 Ⅲ・p430   「愛は終りをつげてしまいましたわ、ミーチャ!」とまたカーチャは言いだした。「でも、その過ぎ去った思い出がわたしには胸が痛むほど大切なんです。このことはいつまでも覚えていてくださいな。いま、一分だけ、できるはずでできなかったこと実現させてみましょうよ」

江川訳 p846  「愛は過ぎ去ったのよ、ミーチャ!」カーチャはふたたび言いはじめた。「でも、その過ぎ去ったことが、わたしには胸が痛くなるくらい大切なの。このことは永久に心に銘じてね。でも、いまは、ほんの束の間でもいい、そうなるはずだったことを実現させましょうよ」

感想  「終わったことがわたしには痛いくらいに大事なの」という新訳の表現は、不正確でありまた稚拙ではないかと思う。小沼訳では「過ぎ去った思い出が…大切」と訳されているが、読んでいてよく理解できる訳である。「終わったことが…大事」という訳だと、過去のさまざまな出来事や思い出がそこに何ら含みこまれないように感じる。


新訳 p36  「あなたもいま、別の人を愛しているし、わたしも別の人を愛している、でも、やっぱり、あなたのことを永久に愛しつづけるし、あなたもそうよ。そのこと、知ってました? ねえ、わたしを愛してね、死ぬまでずっと愛してね!」カーチャはそう叫んだが、その声には、どこか脅しにも似た震えが聞きとれた。
「愛しつづけるよ、それに……いいかい、カーチャ」ひとこと言うごとに息をつきながら、ミーチャも話しだした。

原訳 下・p478  「今ではあなたもほかの人を愛しているし、あたしも別の人を愛しているけれど、でもやはり、あたしは永久にあなたを愛しつづけるわ、あなたもそうよ。それを知っていらした? ねえ、あたしを愛して、一生愛してね!」何かほとんど脅しに近いふるえを声にひびかせながら、彼女は叫んだ。
「愛すとも……あのね、カーチャ」一言ごとにいき継ぎながら、ミーチャも口を開いた。

小沼訳 Ⅲ・p431  「いまではあんたはほかのひとを愛していますし、わたしもほかの人を愛しています。それでもやっぱり、わたしは永久にあんたを愛しつづけるでしょうし、あんたもわたしを愛してくださるのよ、こんなことがおわかりだったかしら? ねえ、わたしを愛してくださいな!」とほとんど脅迫するように妙に声をふるわせて、彼女は叫んだ。
「愛しつづけるよ……そして、ねえ、カーチャ」とひとことごとに息をつぎながら、ミーチャも言いだした。

江川訳 p846  「あなたもいまはほかの女の人を愛している、わたしも別の人を愛している、それでもわたしは永久にあなたを愛するの、それからあなたもわたしをよ。思いがけなかった? いい、わたしを愛するのよ、一生涯愛しつづけるのよ!」彼女の声は、まるで相手を脅してでもいるように震えをおびていた。
「愛しつづけるよ……それからね、カーチャ」一語ごとに息をつぎながら、ミーチャが話しだした。

感想  先行訳 が「一生」とか「生涯」「一生涯」と翻訳している箇所は、新訳においては、ことごとく「死ぬまで」と訳されている。亀山氏はこの表現を偏愛しているようだが、読んでいて、私はどうもことごとく違和感をもった。奇異に感じるのは、このように「死ぬ」を用いた表現が、これだけにとどまらず、「リーズ、ぼくは死ぬほど悲しいんです!」(第2巻p101)、「たしかに彼は、いま死ぬほど悲しかった。」(第2巻p102)のような場合にも用いられていて、必ずしも「一生」「生涯」を指す場合にだけ遣われているとは限らないことである。「死ぬまで」と「死ぬほど」、どちらにしても大変特異な表現なので、読むほうとしては翻訳者がどのような考えや意図をもってこの「死ぬ」という言葉を遣っているのだろうと考えてしまう。


新訳 p37  あのときも信じていなかったわ。いちども信じたことがなかった! あなたが憎らしくて、ふいにそう信じ込ませてしまったの、そう、あの瞬間……

原訳 下・p479  あのときだって信じていなかったわ! 一度も信じたことなんかなくってよ! あなたが憎くなって、ふいに自分にそう信じこませたの、あの一瞬だけ……

小沼訳 Ⅲ・p431  あのときだって信じてなんかいませんでしたわ! 一度だって信じたことなんかありませんわ! あんたが憎らしくなって、急に自分にそう信じこませてしまったんですわ、ほら、あの瞬間に……。

江川訳 p846  あのときだって、ほんとうになんかしていなかったわ! 一度だってほんとうにしたことなんかない! あなたが憎くなって、突然、あの一瞬だけ、自分にそう思いこませたの……

感想  カテリーナは法廷でミーチャがフョードル殺害の実行犯であると証言した。そのカテリーナが監獄を訪れてミーチャに会い、そのミーチャから「君は僕が殺したと信じているの? 今は信じていないことはわかるけど、あのときは……証言したときには……ほんとに信じていたのかい?」(原訳)と尋ねられ、その時の自分の心理について話しているのだから、特に正確な訳が必要とされている箇所のはずである。だから、新訳が「そう信じ込ませてしまったの」と、先行訳にはある「自分に」という言葉を省いていることは肯けないことである。


新訳 p39  彼女(注:カーチャ)は早足で歩き、先を急いでいたが、アリョーシャが追いつくとすぐに早口で話し出した。(略)
「兄もまったく予期していなかったんです」アリョーシャはそうつぶやきかけた。「まさか、あの人が来るなんて思ってなかったんです……」
それはそうね、でももう、その話やめましょう」断ち切るように、彼女は答えた。

原訳 下・p480  彼女は足早に歩き、急いでいたが、アリョーシャが追いついたとたん、早口に言った。(略)「兄はまったく予期していなかったんです」アリョーシャがつぶやきかけた。「てっきり来ないものと思っていたので……」
そうでしょうとも。その話はやめましょう」彼女はぴしりと言った。

小沼訳 Ⅲ・p434  彼女は足早に歩き、急いでいたが、アリョーシャが追いついたとたん、早口に言った。(略)
「兄はまったく予期していなかったんです」アリョーシャがつぶやきかけた。「てっきり来ないものと思っていたので……」
そうでしょうとも。その話はやめましょう」彼女はぴしりと言った。

江川訳 p847 彼女は足早にさっさと歩いていたが、アリョーシャが追いついたとたん、早口にこう言った。(略)
「兄は思ってもいなかったんです」アリョーシャが口の中でつぶやいた。「来ないと思いこんでいたんです……」
そりゃそうでしょうとも。その話はやめましょうよ」彼女はさえぎった。

感想  普通、「先を急ぐ」という言葉が遣われるのは、そのすぐ後に用件を抱えていて、心急く心情や態度を表現する場合のように思われる。この場面に「先を急ぐ」という表現は相応しくないのではないだろうか。一方、監獄でグルーシェニカが突然入ってきてカテリーナとはちあわせしてしまったことの事情を、アリョーシャがカテリーナに「兄もまったく予期していなかったんです」と説明しているのに対し、カテリーナが「それはそうね」という答えを返すのは実に奇妙である。これに関してはどこがどう奇妙かは、述べる必要はないのではなかろうか。
2009.11.01 Sun l 文芸・読書 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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