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亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』第5巻は、後半部の「ドストエフスキーの生涯」や「年譜」「改題」などの文章(もちろんすべて亀山氏執筆)が大半を占め、本文(エピローグ)は実質60ページ足らずである。だから、この巻だけは全文を丁寧に読み通そうとつとめてみた。これまでに感想を記した第2巻、第4巻は、少年たちをめぐる物語をのぞいて、他は実のところ精読したとはとても言えない。主な理由は集中・没頭するのが難しかったためだが、今回、第5巻を行きつ戻りつして丁寧に読んでみて、改めてこの訳本の問題が深刻であることを痛感した。ほとんど1、2ページごとに、いやそれ以上の頻度で違和感や疑問をもつことになってしまったのだ。このような事態は決して一翻訳者の問題ににとどまるものではない。ともあれ、そういうことで思わぬ長文になってしまったため(読んでいて疑問を感じる箇所はもっとあったのだが、指摘のしかたが困難なためにこれでも相当数削除した)、2回に分けて載せることにした。それにしては、我ながら単純な感想しか書けていないのだが、一読者の率直な感想と意見の表明として読んでいただければと思う。


『カラマーゾフの兄弟 5』  (第12刷)

   エピローグ 1  ミーチャの脱走計画


「エピローグ1」は、判決から五日目の朝、アリョーシャがカテリーナの家を訪ね、ミーチャの脱走計画やその計画を立てたイワンについてなど、二人の間にさまざまな会話が交わされる場面である。

新訳 p8  隣の別室では、幻覚症をわずらっているイワンが、意識不明のまま横になっていた。

原訳 下・p459  隣の部屋には、譫妄症になったイワンが意識不明で寝ていた。

小沼訳 Ⅲ・p413  すぐ隣りの部屋には気が変になって意識を失ったままのイワン・フョードロヴィッチが横になっていた。

江川訳 p835 すぐ隣室には、譫妄症のイワンが人事不省のまま横になっていた。

感想  新訳の「幻覚症をわずらっているイワン」という文の「わずらっている」という表現に、何かしら悠長な感じ、場違いな印象をもった。急激に病んで意識不明になった重病人についての叙述というより、長患いのやや安定感のある病人についての文のような感じがしたのだった。ほんの少しの表現の違いなのに、結果的に大きな差を生むことが、先行訳を見ると分かるように思う。


新訳 p8  カテリーナは、公判での例の騒ぎのあとただちに、意識を失った病気のイワンを自宅に移すよう手配した。社交界でこれからかならず起こる人の非難を無視したのである。

原訳 下・p459  あの日、法廷での騒動のあとすぐに、カテリーナは、将来必ず起るにきまっている世間のあらゆる噂や当人の非難を無視して、イワンを自分の家に移すよう命じたのだった。

小沼訳 Ⅲ・p413  カテリーナ・イワーノヴナはあの公判のすぐあとで、将来かならず起こるにちがいない世間の噂や非難をまったく無視して、発病して意識を失ったイワン・フョードロヴィッチを自分の家へ運ばせたのである。

江川訳 p835  カチェリーナは、あの公判での一幕のすぐあと、将来まちがいなく社交界でかげ口をきかれ、非難を受けることを承知のうえで、意識不明のイワンを自分の家に移すように命じたのだった。

感想  たしかに世間の非難は起こると思われるが、それでもイワンを自宅に移した時点においては非難はまだ起きていないのだから、新訳の「これからかならず起こる人の非難」というような断定の仕方は読んでいて拙いと感じる。「起こるはずの人の非難」とか「起こるにちがいない人の非難」というような訳文のほうが、読者としては安心感、信頼感をもって読みすすめることができるように思う。


新訳 p9  カテリーナは青ざめ、ひどく憔悴している様子だったが、同時に、病的といえるほどはげしく神経を高ぶらせていた。彼女は、アリョーシャがなぜいま、ほかをさしおいて自分のところにやってきたのか察していた。

原訳 下・p460  カテリーナは青ざめてひどく疲れた様子だったが、同時に極端なほど病的に神経をたかぶらせていた。なぜ今アリョーシャがさりげない様子で訪ねてきたかを、予感していたのである。

小沼訳 Ⅲ・p413  カテリーナ・イワーノヴナはあおい顔をして、ひどく疲れていたが、同時に強い病的な興奮を感じていた。しかしこの朝なんのためにアリョーシャがわざわざ訪ねてきたか、彼女にはちゃんと察しがついていたのである。

江川訳 p835  カチェリーナは青白い顔をして、ひどく疲れた様子だったが、同時に病的なくらいはげしく興奮していた。アリョーシャがいま何のために訪ねて来たのか、うすうす察しがついていたこともある。

感想  新訳の「ほかをさしおいて」の「ほか」が何を指すのか、読んでいて分からない。確かにアリョーシャは「この朝、別の場所にのっぴきならぬ用事をかかえていたため、急ぐ必要があった」(原訳)ということではあるが、でも新訳が「アリョーシャがなぜいま、ほかをさしおいて自分のところにやってきたのか察していた」というカテリーナは、アリョーシャが「のっぴきならぬ用事をかかえていた」ことを知らないはずである。そもそも、先行訳には「ほかをさしおいて」という趣旨の叙述はない。先行訳と新訳の翻訳者とは原文の語句の意味を違えて読み取っているかのようである。


新訳 p10  囚人の一団がシベリアに送られるここから三番目の中継監獄で、十中八、九起こるはずです。そう、それまでにまだいろいろとありますわね。

原訳 下・p460  流刑囚の一隊がシベリヤへ護送されるときに、ほとんど確実なところ、ここから三つ目の中継収容所で行われるはずですわ。ええ、まだだいぶ先の話ですわね。

小沼訳 Ⅲ・p414  みんなと一緒にシベリヤへ護送されるとき、おそらく、ここから三つ目の駅で脱走させることになるでしょうよ。ええ、まだずっと先のことですけれど。

江川訳 p835  囚人の一隊がシベリアへ護送されるときに、まずまちがいなく、ここから三つ目の仲継監獄で決行の予定なんです。ああ、それはまだ先の話ですわ。

感想  自分たちで主体的に「脱走を決行する」わけだから、「起こる」より、「起こす」のほうが訳として適切ではないだろうか。また、「まだいろいろとありますわね」という訳文は読んでいて意味不明である。先行訳では「それはまだ先のこと」というように、この箇所は、脱走の決行までに「まだ時間がある」「時間的にまだ余裕がある」というような意味合いで訳されていて、新訳の「いろいろと」とはずいぶん異なっている。


新訳 p11  あの淫売のせいであのとき癇癪を起こしたんです。ほかでもありません、あの女がドミトリーといっしょに国外に逃げるということに対してです!

原訳 下・p461  その時はあたくし、あの売女のことでかっとなったんですわ、つまり、あの女までドミートリイといっしょに国外へ逃げるってことに対してです!

小沼訳 Ⅲ・p415  あのとき 腹を立てたのは、その商売女のことですけれど。つまり、あの女までがドミトリイ・フョードログィッチと一緒に外国へ逃げるというのが癖にさわったんですわ!

江川訳 p836  わたしがかっとなったのは、あの売女、あの売女のことでですわ、だって、あの女までが、ドミートリイさんといっしょに外国へ逃げるだなんて!

感想  国外に逃げる主体はあくまでも、有罪判決をうけ、今や流刑が確定したミーチャなのだから、「あの女」とするのではなく、先行訳のように「あの女までもが」と訳したほうが自然であり、的確な訳なのではないかと思った。


新訳 p11  つらかったんですもの。あれだけの人が、まだ昔の恋のことでわたしを疑ったりするってことが……で そのときなんですよそれよりもだいぶ以前に、ドミートリーさんなんか愛していない、愛しているのはあなただけって言ったのは! わたしが憎しみのあまり癇癪を起こしたのは、ただあの淫売に対してだけって

原訳 下・p461  だって、あれほどの人が、あの男へのあたくしの愛情が今までと変らないと疑ったりするなんて、つらかったんですもの……しかも、そのずっと以前に、あたくしは自分ではっきり、ドミートリイなぞ愛していない、愛しているのはあなただけだって、あの方に言ったというのに! あたくしはただ、あの売女に対する憎しみから、あの方に腹を立てただけなんです

小沼訳 Ⅲ・p413  (略) しかも、そのずっと前に、わたしはドミトリイなんか愛していない、愛しているのはあなたひとりだけだって、はっきりとあの人に告白したんですもの! わたしはただあの商売女に対する憎しみのために、あの人に向っ腹を立ててしまったんですわ

江川訳 p835  (略) それも、どうでしょう、わたしはもうそのずっと前に、自分の口からはっきりと、わたしはドミートリイさんなんか愛していない、わたしの愛しているのはあなた一人だけだって、あの人に言い切っていたんですものね!/わたしがあの人にかっとなったのは、あの売女に対する憎しみからだけだったんです

感想  新訳のこの文章は、何度読んでも意味を読み取ることができなかった。まず、「そのときなんですよ」の「そのとき」がいつのことを指しているのか分からないのだ。これまで木下豊房氏のサイトや「連絡船」で何度も指摘されてきたことだが、もしかすると、ここでも時系列の把握に関する問題が顔をのぞかせているのかも知れない。簡単に時系列を記すと、下記のようになる。ただし、「日付」以外の出来事および事実関係の記述はすべて、カテリーナがアリョーシャに打ち明け、話してきかせた内容に拠る。

本 日   朝9時前、アリョーシャがカテリーナを訪問

5日前   判決公判日

その前日  公判前日。 イワンはカテリーナを訪問し、彼女に詳細なイワンの脱走計画書を預ける。その話し合いの最中、その3日前から二人の間にくすぶり続けていた喧嘩が再度始まった。イワンが帰りかけたところをアリョーシャが訪ねる。その時イワンはもう階段を下りかけていたが、カテリーナから呼び戻され、アリョーシャと共にもう一度家に入る。

上の3日前。 これは、公判の4日前のことになる。イワンは、ミーチャが有罪になった場合に備え、彼を国外に脱走させるための計画の要点をカテリーナに打ち明ける。その話のなかで、イワンがミーチャの脱走にはグルーシェニカも同行させると述べたのでカテリーナは思わずかっとなり、腹を立てる。イワンはそれを見て、カテリーナがこんなに立腹するのは、ミーチャへの絶ちがたい愛情ゆえのグルーシェニカに対する嫉妬だと疑った。少なくともカテリーナにはイワンの態度はそのように見えたのだが、しかし、こういう疑いはカテリーナにとっては非常につらく情けないことであった。というのも、そのずっと前 カテリーナはイワンにはっきりと、「わたしはドミートリイさんなんか愛していない、わたしの愛しているのはあなた一人だけ」と言い切っていたのだ。

以上、時系列を見てみたが、「そのときなんですよ、それよりもだいぶ以前に、ドミートリーさんなんか愛していない、愛しているのはあなただけって言ったのは! わたしが憎しみのあまり癇癪を起こしたのは、ただあの淫売に対してだけって!」という新訳におけるカテリーナの発言の内容はやはり意味不明で、この訳文から正確な文意を読み取ることは至難の技だと思える。


新訳 p12  (注:イワンは)その場で、わたしのところにお金を置いていきました。1万ルーブルぐらいありましたわ……ほら、これがそうです。検事がだれからか、あの人がこのお金をつくるために債券を送ったことを聞き込んで、論告のなかで言及したお金です

原訳 下・p462  そのときにお金を、1万ルーブル近く、あたくしに預けたんです。あの方が現金に換えたのを検事がだれかから聞きこんで、論告の中で言及した、あのお金ですわ

小沼訳 Ⅲ・p415  その場でわたしのところに、1万ループリほどのお金をおいて行ったんですの。そのお金のことを、検事は誰かから、あの人がお金を替えにやったことを聞きこんで、論告のときに言いだしたのですわ

江川訳 p836  で、すぐその場で、1万ループリ近くのお金を預けていかれたんです、―― ほら、検事が現金に換えたのをだれかから聞き込んで、論告の中で持ち出したあのお金ですわ

感想  新訳は、「ほら、これがそうです」と、あたかもその場に1万ルーブルがあるかのように叙述しているが、先行訳にはそのような場面は描かれていない。カテリーナがアリョーシャに「もしかしたら明日、(略)詳細にわたる計画の全貌をお目にかけますわ」(原訳)と述べているところを見ると、今のところアリョーシャは「脱走計画書」も見せられていないようであり、このような筋の展開からしても、「ほら、これがそうです」、「このお金」というように、その場における1万ルーブルの存在を明示しているかのような亀山訳は疑問である。


新訳 p13  わたし、敬虔な気持ちにかられて、思わずあの方の足元にひれ伏しそうになったんですが、そこでふと思ったんですよ。そんなことしたら、あの人、ミーチャが救出されることをわたしが喜んでいると考えるだろうって (あの人ならぜったいにそう考えるはずです!)。で、あの人がそんなおかしな考えを抱くかもしれないと思ったら、それだけでもうすごくいらだって、腹を立ててしまったの。で、あの人の足元にキスをするどころか、またしてもひと悶着を起こしてしまったってわけなんです!
 そう、わたしってほんとうにだめな女なんです! わたしの性格って、こうなんです。恐ろしくだめな性格! ああ、あなた、見ていてくださいね。わたしがあんまりやりすぎるから、あの人もわたしを捨ててほかの人に乗り換えるんですわ、ドミートリーと同じように、もっと気楽にやっていける人にね。でも、そうなったら……いいえ、そうなったらわたし、耐えられなくなって死んでしまいます

原訳 下・p462  あたくし敬虔な気持であの方の足もとにひれ伏そうとしかけたんですけれど、でも、ミーチャを救えるのをあたくしが喜んでいるとしか受けとってくれないだろうと思うと(きっとそう思うにきまってますもの!)、あの方がそんな間違った考えをいだくかもしれぬという、そのことだけでひどく苛立って、また癇癪を起してしまったものですから、あの方の足に接吻する代りに、またぞろあんな一幕を演じてしまったんですわ! ああ、あたくしって不幸な女! そういう性格なんです、とってもいやな、不幸な性格ですわ! ええ、見ていてごらんなさい、あたくしってこんなふうにしていて結局、もっと気楽につきあえるほかの女のためにあの方も、ドミートリイと同じように、あたくしを棄てるような羽目にしてしまうんです、でもそのときは……そう、そうなったら、もう堪えられませんわ、あたくし自殺します

小沼訳 Ⅲ・p416   (略) ええ、まあ見ててごらんなさい、わたしはこんなことをやって、結局はあの人にすてられてしまうんですわ。あの人もドミトリイみたいに、もっと楽な気持で暮らせる女にわたしを見かえてしまうにちがいありませんわ。でもそうなったら……いいえ、そうなったらわたしにはとても我慢ができません、わたしは自殺してしまいます

江川訳 p837  (略) ええ、見ていてごらんなさい、わたしきっと自分から、自分から仕向けて、最後にはあの人も、ドミートリイと同じように、もっといっしょに暮しやすい女のために、わたしを捨てるようなところへ追い込んでしまいますわ。でも、そうなったら、いえ、そうなったらもうわたしには耐えられません、わたし、自殺します

感想  「わたしがあんまりやりすぎるから」の「やりすぎる」には違和感をおぼえる。カテリーナがここで嘆息しているのは、たとえば原訳の「こんなふうにしていて」のように、自分の性格やそこから発生する言動など、自分自身のあり方そのもののことではないかと思われる。「やりすぎる」という言葉の意味も実は不明確だと思うのだが、それにしてもここでカテリーナが述べているのは「やりすぎる」こととはニュアンスの異なることではないだろうか。それから、「死んでしまいます!」と「自殺します!」とい二つの言葉の意味するところも当然同じではないはずである。「死んでしまいます」という言葉からは、必ずしも自らの手で命を絶つという確固とした意志は感じられないし、もともとその含意もないと思われるが、「自殺します」が、そうでないことは言うまでもないことである。


新訳 p15  彼はその瞬間をおそれ、苦しんでいる相手を許してやりたいと願っていた。それだけに、自分がたずさえてきた頼みごとますます困難なものになった。彼女はまたミーチャの話をはじめた。

原訳 下・p464  だが、彼はその瞬間を恐れ、苦しんでいる彼女を赦してやりたいと望んでいた。それだけに、自分の持ってきた頼みが、いっそうむずかしいものになってきた。彼はまたミーチャのことを話題にした。

小沼訳 Ⅲ・p417  彼はその瞬間がくるのを恐れて、苦しみ悩んでいるこの女性をそっとしておいてやりたいと思った。するとそのためにわざわざやってきた自分の用件を、彼女に伝えることがますます切りだしにくくなってきた。彼はまたミーチャのことを話しだした。

江川訳 p838  しかし彼はそういう瞬間を恐れ、苦しんでいる彼女を宥してやりたいと望んでいたのである。それだけに彼は、自分の持って来た言づけがいっそう切り出しにくくなっていた。彼はまたミーチャのことを話題にした。

感想  新訳はミーチャの話をはじめたのは「彼女」、つまりカテリーナのほうとしているが、文脈からすると、「彼」、アリョーシャである可能性が高いように思われた。


新訳 p17  「今日わたしがあなたをお呼びしたのは、あなたがご自分であの人を説得してくださるっていう約束をしていただくためなんです。それとも、あなたからすると、ここで逃げ出すのは潔くない、男らしくないってことになるのかしら。というか、そう……キリスト教の教えに、もとりませんかしら?」ますます挑戦的な口ぶりでカーチャが言い添えた。

原訳 下・p465  「今日あなたをおよびしたのも、ご自分であの人を説得してみせると約束していただくためにですのよ。それとも、あなたのお考えでは、脱走なんてやはり不正な、ほめられないことでしょうかしら、それとも何というか……キリスト教的ではないことでしょうか?」いっそう挑戦的にカーチャは言い添えた。

小沼訳 Ⅲ・p418  「(略)……つまり、キリスト教的でないものでしょうか、どうでしょう?」と前にもましていどむような調子でカーチャはつけくわえた。

江川訳 p839  「(略)……キリスト教徒にあるまじきことなんでしょうか?」カーチャはいっそう露骨な挑戦の調子でつけ加えた。

感想  「キリスト教の教えに、もとりませんかしら?」という訳だが、「もとる」は「背く」という含意のはずなので、「もとりませんかしら?」ではなく、「もとりますかしら?」でないと、意味が通らないと思われる。


新訳 p18  「兄は、今日あなたに来てほしいと言っているのですが」しっかりと相手の目をにらみながら、彼はふいに口走った。彼女はぎくりとして、ソファの上で彼からかすかに体を引いた。
「わたしに……そんなこと、ほんとうにできるのかしら?」彼女は青ざめ、口ごもるようにつぶやいた。
「できますし、そうすべきなんです!」すっかり元気づいたアリョーシャは、いくらか強引な口ぶりで切り出した。

原訳 下・p465  「兄が今日あなたに来ていただきたいと言っているのですが」突然、しっかり彼女の目を見つめながら、彼は口走った。彼女はびくりと全身をふるわせ、ソファの上でわずかに身をひいた。
 「あたくしに‥‥‥そんなこと、できるはずがないじゃありませんか?」蒼白になって、彼女は舌足らずに言った。
「できますとも、そうなさるべきです!」すっかり元気づいて、アリョーシャは粘り強く言いはじめた。

小沼訳 Ⅲ・p419  「兄がきょうあなたにきていただきたいと言っていました」とじっと彼女の眼を見つめながら、彼は不意に叩きつけるように言った。彼女は思わず全身をふるわせて、長椅子の上のアリョーシャから、からだをかすかにずらすようにした。
「わたしに……そんなことができるかしら?」と彼女は顔を蒼白にしてつぶやいた。(略)

江川訳 p839  「兄はきょうあなたに来ていただきたいと言っているんです」彼女の目をひたと見据えながら、彼は思わずこう口に出した。彼女はぎくりと全身を震わせ、ソファの上で、ほとんどそれとわからぬくらいかすかに身を引いた。
「わたしに……そんなことができるものですか……」蒼白な顔になって、彼女は口の中でつぶやいた。(略)

感想  「しっかりと相手の目をにらみながら」の「にらむ」は、「こわい目つきでじっと見る」という意味のはずだが、文脈から見ても、またアリョーシャの性格からしても、アリョーシャは何もカテリーナをにらんだわけではないだろう。この場面であえてこの「にらむ」という言葉を遣う必要はないようであり、先行訳のように「見つめる」「見据える」などのほうがよかったのではないかと思う。次の「ほんとうにできるのかしら?」という訳文だが、これではミーチャに会いに行くようにというアリョーシャの突然の勧めをカテリーナが即座に内諾し、そのことを前提にして喋っているかのようにひびき、違和感がある。小沼訳も新訳と近いが、それでもさほど抵抗を感じないのは、小沼訳には、「ほんとうに」という新訳の言葉がないからではないかと思う。


新訳 p18  あの日から、兄にはいろんなことが起きてましてね。あなたに対して、数えきれないぐらい罪を犯していることを自覚しているんです。

原訳 下・p465 あの日以来、兄はずいぶん変りました。あなたに対して数えきれぬくらい罪を犯したことを、兄はわかっているのです。

小沼訳 Ⅲ・p419 兄もあの日以来ずいぶん変わりました。あなたに対して数えきれないくらい罪のあることも、いまではよくわきまえています。

江川訳 p839 あの日以来、兄の心には大きな変化が起きました。今の兄は、あなたに対してはかり知れないくらい罪があることを理解しています。

感想  「兄にはいろんなことが起きてましてね」の「いろんなこと」のなかには、あの日(判決の日)以来のミーチャの変化も含められているのかも知れないが、「いろんなこと」の中身の描写や説明が後にも先にも一切ないので、この「いろんなこと」が何を指しているのか読者にはまったく理解がおよばない。先行訳を見ると、そもそも原文に新訳のいう「いろんなことが起きた」という意味のことが書かれているのかどうか疑問に思える。


新訳 p20  アリョーシャの口から、思わず挑戦的な言葉がほとばしった。「兄の手は汚れてませんし、血もついてないんです! これから兄がたえしのぶ、数え切れないぐらいの苦しみに免じて、すぐに兄を見舞ってやってほしいんです! 行ってやってください。闇のなかに旅立っていく兄を見送ってください……敷居の上からでも、せめて……だって、そうしなくちゃいけないでしょう、そうしなくちゃ
「そうしなくちゃ」という言葉を、とほうもない力で強調し、アリョーシャは口を閉じた。
「そうしなくちゃいけない、でも……それができない」カーチャは呻くように言った。(略)
「行かなくちゃだめです、行かなくちゃ」アリョーシャはまた、執拗な調子で言葉に力をこめた。


原訳 下・p467  「兄の手は汚れていません、血に染まってはいないんです! 兄のこれからの数限りない苦悩のために、今こそ見舞ってやってください! 行って、闇の中に兄を送りだしてやってください……戸口に立つだけでいいんです……あなたはそうすべきなんです。そうする義務があるんです!」アリョーシャは信じられぬほどの力で《義務がある》という言葉を強調して、結んだ。
 「行くべきでしょうけれど‥…でも、できませんわ」カーチャが呻くように言った。(略)
「いらっしゃらなければいけません、いらっしゃる義務があるはずです」ふたたびアリョーシャが容赦なく強調した。

小沼訳 Ⅲ・p420  「(略)……あなたには義務があります、そうしなければならない義務がありますよ!」とアリョーシャは『義務があります』という言葉に信じがたいほどの力をこめて言葉を結んだ。
 「義務はあるでしょう……でも……そんなことはできませんわ」とカテリーナ・イワーノヴナはうめくように言った。(略)
「あなたは行かなければなりません、行く義務があります」とまたアリョーシャは有無を言わせぬ調子で言った。

江川訳 p839  「(略)……だってあなたにはそうする義務が、義務があるはずです!」アリョーシャは《義務がある》という言葉に信じられないほどの力をこめて、こう結んだ。
「義務はあります、でも……できないんです」カーチャは呻くような声で言った。(略)
「あなたは行かなければいけません、行く義務があるんです
アリョーシャはもう一度、容赦なくこの言葉に力をこめた。

感想  第4巻の「第11編 兄イワン」における「あなたじゃない」というアリョーシャの言葉をめぐる問題と同じできごとがここでも生じている。上記で見るとおり、先行訳においてはどれも、アリョーシャがカテリーナに向かって「義務がある」という言葉を二度述べたことになっていて、その二度とも「義務がある」もしくは「義務」という箇所に強調のための傍点が振られている(注:当ブログでは傍点のかわりに太字を使用)。しかし新訳では先行訳が使用している「義務がある」という言葉がことごとく「そうしなくちゃ」になっており、また傍点は一つも振られておらず、他にも何ら強調の記しはない。アリョーシャのように温和な性格の、相手が誰であれ人に対する柔軟で配慮の行き届いた理解力をもつ人物が、このように他人に対して「行く義務がある」と、それも非常に強い調子で執拗に繰り返すということは、只事ではない。アリョーシャが述べている「義務」という言葉には、人が自ずと、あるいは他の人との間に負っている責任を果たすことへの強制や命令の気配さえ感じられるように思うのだが、カテリーナもそのことをはっきりと理解しているようである。彼女は、原訳によると「行くべきでしょうけれど……でも、できませんわ」と述べているし、新訳でも「そうしなくちゃいけない、でも……それができない」と発言している。三つの先行訳がすべて「義務」と訳しているのだから、亀山氏もこの「義務」という言葉に気がつかなかったはずはないと思うのだが、もしそうだったなら、なぜわざわざ「義務がある」を「そうしなくちゃ」という言葉に置き換えたのだろうか。原作においては、「あなたじゃない」の場合がそうだったように、おそらく「この義務がある」にも強調のためのたとえばイタリック体などが施されていたのだろうと思われる。そして亀山氏は「あなたじゃない」の場面で原作を無視もしくは歪曲した訳をしたために、ここでもそうせざるをえなかった、そうでないとかえって不自然になるという判断が働いたのではないかという気がするのだが、事実はどうだろうか。しかし「そうしなくちゃ」と「義務がある」とでは、それが言い表しているもの、意味するものが全然別次元のものであることは誰の目にも明らかだと思う。「義務がある」という言葉は、「そうしなくちゃ」などの月並みな言葉とは全然異なり、倫理的な意味を持つ重い言葉のはずである。この訳文は、またしても原作を歪曲していることになるのではないだろうか。



   エピローグ 2 一瞬、嘘が真実になった

新訳 p22  それにしても彼(注:医師のワルヴィンスキー)は気立てのいい、人情味あふれる青年だった。ミーチャのような男にとって、いきなり人殺しや詐欺師の仲間に放り込まれることがどれほどつらいか、何よりもまずこれに慣れなくてはならないと、ワルヴィンスキーは考えたのである

原訳 下・p469  それにしても同情心の厚い善良な青年だった。彼は、ミーチャのような人間にとって、いきなり人殺しや詐欺師の仲間入りするのがどれほどつらいか、それにはまず慣れる必要があることを、理解していたのである

小沼訳 Ⅲ・p421  彼は親切な、情けぶかい青年であった。彼はミーチャのような人間には、とつぜん人殺しや詐欺師の仲間入りをさせられることが辛いものだということがわかっていたので、あらかじめそれに慣れさせようとしたのであった。

江川訳 p840  それにしてもこれは善良な、同情心ゆたかな青年にちがいなかった。彼は、ミーチャのような男にとって、いきなり人殺しや詐偽師たちの仲間入りをするのがどんなにたいへんなことか、その前にまず慣れる必要があることを理解していたのである

感想  新訳では、①ミーチャのような男には、いきなり人殺しや詐欺師の仲間に放り込まれることは大変つらいこと ②まずこれに慣れなくてはならないこと の両方を、医師のワルヴィンスキーはミーチャを診た後に初めて考えたかのように訳されているが、先行訳では、ワルヴィンスキーはその人格のうちにもともとすぐれた理解力を持っていたことがうまく表現されている。そのため、新訳のこの箇所は、先行訳にくらべて奥行きに乏しい文章になっているように思われる。


新訳 p24  「トリフォーンのやつ」ミーチャは心配そうに話しだした。「旗籠屋をすっかりぶっこわしちまったって、床板はずしたり羽目板はがしたり、『回廊』までばらばらに壊したそうだ。ずっと宝探しやってやがるのさ。そうさ、あの金さ、おれがあそこに隠したって検事が言ってた千五百ルーブルだよ。……」

原訳 下・p470  「トリフォーンのやつな」ミーチャがそわそわして言った。「あいつ、自分の宿屋をすっかりぶっこわしちまったそうだ。床板をあげたり、羽目板をはがしたり、《回廊》をばらばらにしたりしたんだとさ。宝探しをやってるんだよ。おれがあそこに隠したなんて検事が言ったもんで、例の千五百ルーブルを探しまわってるのさ。……」

小沼訳 Ⅲ・p422  「トリフォーンのやつが」とミーチャは落ちつきのない調子で言いだした。「ポリースイッチのやつが、自分の旅館をすっかりぶちこわしてしまったそうだ。床板をあげたり、羽目板をひっぺがしたり、にかい『ベランダ』を取りこわして、ばらばらにしちまったそうだよ。(略)」

江川訳 p841  「トリフォーンのやつがさ」ミーチャが落ちつきのない調子で話しだした。「あのポリースイチだよ、あの宿屋をすっかりぶちこわしてしまったそうだぜ。床板をはがす、羽目板をひっぺがす、あの《回廊》ばらばらにししてしまったとさ。(略)」

感想  ミーチャは、トリフォーンがありもしない千五百ドルを手に入れるためにモークロエの自分の旗籠屋をこわしてしまったことについては、ばかばかしいと軽蔑こそしても、心配などはしていないはずである。彼はカテリーナを訪問してきたアリョーシャがどんな話を持ってここにきているのかが気になって仕方がない。それにもかかわらず、その話を避け、看守から聞いたトリフォーンに関する噂話をし始めたのだから、「心配そうに話しだした」という言い方には違和感がある。ここは、やはり「そわそわして」や「落ちつきのない調子で」の訳のほうがしっくりくる。


新訳 p25  「……いいか、イワンはほかのだれよりも抜きん出るぞ。生きていくのはやつで、おれたちじゃない。いずれ元気を取りもどすさ」
考えてください。カーチャはたしかにイワンのことで気をもんでいるのに、あの人が元気になることだけはほとんど疑っていないんです」アリョーシャが言った。

原訳 下・p471  「……なあ、イワンはだれよりも偉くなるぜ。生きていなけりゃいけないのは、あいつだよ、俺たちじゃない。あいつはきっと快くなるとも」
ところがね、カーチャはイワン兄さんの容態が心配でならないくせに、全快することはほとんど疑ってもいないんですよ」アリョーシャが言った。

小沼訳 Ⅲ・p424  「……それはそうと、イワンは誰よりもえらくなる男だよ。生きなけりゃならないのはあの男で、おれたちじゃない。あれの病気はきっとよくなるよ」
だけど、どうでしょう。カーチャは心配で心配でびくびくしているくせに、インワンが全快することだけは、ほとんど疑っていないんですからねえ」とアリョーシャは言った。

江川訳 p842  「……それにしても、イワンはだれよりもえらくなるな。前途があるのはあいつで、おれたちじゃない。あいつは全快するよ」
ところがね。カーチャはイワンのことが心配でならないくせに、全快することはほとんど疑おうともしないんです」

感想  「生きていくのはやつで、おれたちじゃない」という訳文ではまったく意味が通らないと思う。「考えてください」という表現も、「え、なにを?」と言いたくなるほどに唐突に感じたが、先行訳では、ここは「ところがね」とか「だけど、どうでしょう」と割合気軽な感じに訳されていて、こちらのほうが適切ではないかと思う。「気をもんでいる」という訳も、イワンが意識不明の瀕死の病人であり、カーチャがその容態を非常に心配していることは明らかなので、「気をもむ」よりも「非常に心配」という訳のほうがよいのではないのではなかろうか。


新訳 p26  もしも護送中なり、向こうについてから連中に殴られるようなことがあったら、おれは引き下がらないし、やつらを殺して銃殺にでもされる。

原訳 下・p472 もし途中でなり、向こうへ行ってからなり、殴られるようなことがあったら、俺は泣き寝入りしないぜ。そいつを殺して、銃殺にされるさ。

小沼訳 Ⅲ・p424 もしも途中か、あっちへ行ってからなぐられるようなことがあったら、おれは黙ってなぐられちゃいない。おれはそいつを殺して、自分は銃殺になるだろう。

江川訳 p842 もし道中で、いやあっちへ行ってからでも、殴られるようなことがあったら、おれは黙っちゃいない。おれはそいつを殺して、自分も銃殺になるだろう。

感想  「やつら」が正しい訳だとすると、集団暴行をうけることになるわけだが…。


新訳 p31  グルーシェニカと向こうに着いたら……すぐに、どこかもっと遠い人里離れた土地で、野生の熊どもといっしょに畑を耕し、働きはじめる。

原訳 下・p475  グルーシャと向うへ渡ったら、すぐにどこか、なるべく奥の、人里離れたところで、野生の熊を相手に畑仕事をして、働くんだ。

小沼訳 Ⅲ・p427  グルーシャと一緒にあっちへ行ったら……おれはすぐにどっかなるべく遠い、人里を離れた遠いところで、野生の熊を相手に働きはじめる、大地を耕して働きはじめる。

江川訳 p844  グルーシャと向うへ着いたら、おれはすぐさま、どこか人里離れたところへ引っ込んで、熊を相手に、畑を耕して働くんだ。

感想  新訳の「もっと」という言葉が気にかかった。どの土地を起点として、「もっと遠い人里離れた土地」というのだろうか。これはおそらく「なるべく」という意味で遣われたのではないかと思われる。


新訳 p35  「愛は終わったのよ、ミーチャ!」カーチャは、ふたたび話しはじめた。「でも、終わったことがわたしには痛いくらいに大事なの。そのこと、永久に忘れないでね。でも今からほんの一分のあいだだけ、そうなったかもしれないことをしましょうよ」

原訳 下・p478  「愛は終ったわ、ミーチャ!」カーチャは、ふたたび話しはじめた。「でも、あたしには、過ぎてしまったものが、痛いくらい大切なの。これだけは永久におぼえていてね。でも今ほんの一瞬だけ、そうなったかもしれぬことを訪れさせましょうよ」

小沼訳 Ⅲ・p430   「愛は終りをつげてしまいましたわ、ミーチャ!」とまたカーチャは言いだした。「でも、その過ぎ去った思い出がわたしには胸が痛むほど大切なんです。このことはいつまでも覚えていてくださいな。いま、一分だけ、できるはずでできなかったこと実現させてみましょうよ」

江川訳 p846  「愛は過ぎ去ったのよ、ミーチャ!」カーチャはふたたび言いはじめた。「でも、その過ぎ去ったことが、わたしには胸が痛くなるくらい大切なの。このことは永久に心に銘じてね。でも、いまは、ほんの束の間でもいい、そうなるはずだったことを実現させましょうよ」

感想  「終わったことがわたしには痛いくらいに大事なの」という新訳の表現は、不正確でありまた稚拙ではないかと思う。小沼訳では「過ぎ去った思い出が…大切」と訳されているが、読んでいてよく理解できる訳である。「終わったことが…大事」という訳だと、過去のさまざまな出来事や思い出がそこに何ら含みこまれないように感じる。


新訳 p36  「あなたもいま、別の人を愛しているし、わたしも別の人を愛している、でも、やっぱり、あなたのことを永久に愛しつづけるし、あなたもそうよ。そのこと、知ってました? ねえ、わたしを愛してね、死ぬまでずっと愛してね!」カーチャはそう叫んだが、その声には、どこか脅しにも似た震えが聞きとれた。
「愛しつづけるよ、それに……いいかい、カーチャ」ひとこと言うごとに息をつきながら、ミーチャも話しだした。

原訳 下・p478  「今ではあなたもほかの人を愛しているし、あたしも別の人を愛しているけれど、でもやはり、あたしは永久にあなたを愛しつづけるわ、あなたもそうよ。それを知っていらした? ねえ、あたしを愛して、一生愛してね!」何かほとんど脅しに近いふるえを声にひびかせながら、彼女は叫んだ。
「愛すとも……あのね、カーチャ」一言ごとにいき継ぎながら、ミーチャも口を開いた。

小沼訳 Ⅲ・p431  「いまではあんたはほかのひとを愛していますし、わたしもほかの人を愛しています。それでもやっぱり、わたしは永久にあんたを愛しつづけるでしょうし、あんたもわたしを愛してくださるのよ、こんなことがおわかりだったかしら? ねえ、わたしを愛してくださいな!」とほとんど脅迫するように妙に声をふるわせて、彼女は叫んだ。
「愛しつづけるよ……そして、ねえ、カーチャ」とひとことごとに息をつぎながら、ミーチャも言いだした。

江川訳 p846  「あなたもいまはほかの女の人を愛している、わたしも別の人を愛している、それでもわたしは永久にあなたを愛するの、それからあなたもわたしをよ。思いがけなかった? いい、わたしを愛するのよ、一生涯愛しつづけるのよ!」彼女の声は、まるで相手を脅してでもいるように震えをおびていた。
「愛しつづけるよ……それからね、カーチャ」一語ごとに息をつぎながら、ミーチャが話しだした。

感想  先行訳 が「一生」とか「生涯」「一生涯」と翻訳している箇所は、新訳においては、ことごとく「死ぬまで」と訳されている。亀山氏はこの表現を偏愛しているようだが、読んでいて、私はどうもことごとく違和感をもった。奇異に感じるのは、このように「死ぬ」を用いた表現が、これだけにとどまらず、「リーズ、ぼくは死ぬほど悲しいんです!」(第2巻p101)、「たしかに彼は、いま死ぬほど悲しかった。」(第2巻p102)のような場合にも用いられていて、必ずしも「一生」「生涯」を指す場合にだけ遣われているとは限らないことである。「死ぬまで」と「死ぬほど」、どちらにしても大変特異な表現なので、読むほうとしては翻訳者がどのような考えや意図をもってこの「死ぬ」という言葉を遣っているのだろうと考えてしまう。


新訳 p37  あのときも信じていなかったわ。いちども信じたことがなかった! あなたが憎らしくて、ふいにそう信じ込ませてしまったの、そう、あの瞬間……

原訳 下・p479  あのときだって信じていなかったわ! 一度も信じたことなんかなくってよ! あなたが憎くなって、ふいに自分にそう信じこませたの、あの一瞬だけ……

小沼訳 Ⅲ・p431  あのときだって信じてなんかいませんでしたわ! 一度だって信じたことなんかありませんわ! あんたが憎らしくなって、急に自分にそう信じこませてしまったんですわ、ほら、あの瞬間に……。

江川訳 p846  あのときだって、ほんとうになんかしていなかったわ! 一度だってほんとうにしたことなんかない! あなたが憎くなって、突然、あの一瞬だけ、自分にそう思いこませたの……

感想  カテリーナは法廷でミーチャがフョードル殺害の実行犯であると証言した。そのカテリーナが監獄を訪れてミーチャに会い、そのミーチャから「君は僕が殺したと信じているの? 今は信じていないことはわかるけど、あのときは……証言したときには……ほんとに信じていたのかい?」(原訳)と尋ねられ、その時の自分の心理について話しているのだから、特に正確な訳が必要とされている箇所のはずである。だから、新訳が「そう信じ込ませてしまったの」と、先行訳にはある「自分に」という言葉を省いていることは肯けないことである。


新訳 p39  彼女(注:カーチャ)は早足で歩き、先を急いでいたが、アリョーシャが追いつくとすぐに早口で話し出した。(略)
「兄もまったく予期していなかったんです」アリョーシャはそうつぶやきかけた。「まさか、あの人が来るなんて思ってなかったんです……」
それはそうね、でももう、その話やめましょう」断ち切るように、彼女は答えた。

原訳 下・p480  彼女は足早に歩き、急いでいたが、アリョーシャが追いついたとたん、早口に言った。(略)「兄はまったく予期していなかったんです」アリョーシャがつぶやきかけた。「てっきり来ないものと思っていたので……」
そうでしょうとも。その話はやめましょう」彼女はぴしりと言った。

小沼訳 Ⅲ・p434  彼女は足早に歩き、急いでいたが、アリョーシャが追いついたとたん、早口に言った。(略)
「兄はまったく予期していなかったんです」アリョーシャがつぶやきかけた。「てっきり来ないものと思っていたので……」
そうでしょうとも。その話はやめましょう」彼女はぴしりと言った。

江川訳 p847 彼女は足早にさっさと歩いていたが、アリョーシャが追いついたとたん、早口にこう言った。(略)
「兄は思ってもいなかったんです」アリョーシャが口の中でつぶやいた。「来ないと思いこんでいたんです……」
そりゃそうでしょうとも。その話はやめましょうよ」彼女はさえぎった。

感想  普通、「先を急ぐ」という言葉が遣われるのは、そのすぐ後に用件を抱えていて、心急く心情や態度を表現する場合のように思われる。この場面に「先を急ぐ」という表現は相応しくないのではないだろうか。一方、監獄でグルーシェニカが突然入ってきてカテリーナとはちあわせしてしまったことの事情を、アリョーシャがカテリーナに「兄もまったく予期していなかったんです」と説明しているのに対し、カテリーナが「それはそうね」という答えを返すのは実に奇妙である。これに関してはどこがどう奇妙かは、述べる必要はないのではなかろうか。
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2009.11.01 Sun l 文芸・読書 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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