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(4) 風間さんへの関根氏の暴力

当ブログは、これまで3回にわたり、風間さんと関根氏の間柄が、検察官が主張し、裁判官が認定した「運命共同体」「車の両輪」と呼べるような強固・緊密な関係ではないことを縷々述べてきた。今回もひきつづきこの問題を検討するが、まずは関根氏の暴力は長男に対してだけではなく、風間さんへも及んでいたことから記述する。

関根氏は、第一審の公判廷において風間さんの弁護人から、風間さんに対して暴力を振るったことはなかったかと尋問され、「こぶしで一回頭をたたいたことはあった」と答えている。以下にその応答を記す。

「では、それ以上にひどい暴力を加えたことはないんですね。
   「ありません。」
では、今の場面に限定しませんが、どの場面でもいいんですが、博子さんを殴る、けるって、したことはないんですか。
   「ありません。」
関根さんのすぐ近くで、博子さん(が)、関根さんの話を聞いてますが、そういうことはしていないと断言できるんですね。
   「はい、誓って言えます。ありません。」」(第一審第68回公判 平成11年2月1日)

上記のように、関根氏は自身の長男への暴力行為を完全否定したのと同じく、風間さんに対する暴力行為をもきっぱり否定している。だが、共犯者のY氏は第一審・第二審の法廷で下記のように証言している。

   「「例えば、1000万出せと、で、出せないと言えばさ、暴力、振るったりもするんじゃないんですか。いっとき、こんな顔してたときもあったからね。(両手を顔の前に持っていき、丸い形を作った。)」
風間被告人が?
   「はい。」
殴られて、腫れた、そういう意味ですか?
   「そうそうそうそう。だから、出すの嫌でも、出さなきゃしょうがないんじゃないんですか。(第一審第16回公判 平成8年6月20日)
何か関根に、博子さんが脅されているような場面はありましたか。
   「ありますよ。」
具体的に、どんな場面ですか。
   「具体的にとは。」
脅されていたというのは、何回ぐらい脅されていましたか。
   「しょっちゅうじゃないの。」 /(略)
(長男に対する暴力以外に)博子さんに対しては、どうなんでしょう。
   「同じでしょう。」
要するに、相談を持ちかける相手ではなくて、とにかく暴力を振るうだけの相手、暴力を振るう相手にいちいち相談しないだろうという、そういう意味合いでしょうか。
   「そうです。」 」(第二審第3回公判 平成16年2月23日)

風間さんの母であるY子さんは、第一審第95回公判(平成12年2月28日)で次のような証言をしている。

   「話は直接は聞きませんでしたけど、一度┄┄服がぼろぼろになってたのは見ました。」

また、風間さんの妹(K子さん)は、下記のような目撃場面を語っている。

「簡単でいいですけれども、どういうことでそういうことを見られたのか、経緯をちょっとお話し願えますか。
   「姉のうちに泊まっていて、姉が夜外出して、その間に、元さんのほうが姉と連絡取れなくて、かんしゃくを起こしたのか、雨戸をはずして、建て付けが悪い家だったので。で、窓ガラスが開いたんじゃないかと思うんですが、(姉が)入って来て、で、姉を廊下から引きずって、玄関を通り越して、表、敷地内ですけれども、引きずり出して、で、姉の洋服がはだけちゃって、で、殴るけるだったような気がします。(注1)
殴るけるというのは、回数とか程度、相当力を込めてかというような話なんですけれども、その点はどうですか。
   「激しいものに見えました。」」(第一審第96回公判、平成12年3月9日)

長男だけではなく風間さんも関根氏から暴力をうけていたことについて、このようにY氏や肉親による証言があるのだが、実は風間さん自身は法廷でこのような第三者証言を聞くまで、自分自身が暴力を振るわれていることは、ほとんど意識になかったと述べている。証言を聞いた後に、そのような事実が確かな経験として少しずつ脳裏に蘇ってきたとのことだ。風間さんは、自分に振るわれる暴力は関根氏の人格の一属性として捉えていて、そのことを特別に異常なこととは把握していなかったようである。このことは当人が事実をすべてありのままに認識している場合よりもさらに厳しく深刻な環境下にいたということができるのかも知れないが、ただ、この問題に限っていえば、長男に振るわれる暴行や暴言への懸念が風間さんの頭のなか一杯を占めていたのだろうと想像される。常に、関根氏の機嫌が悪くならないように自分たちの言動に気を遣い、機嫌が悪い時には子供たちを関根氏に近づけないように、おとなしく静かな立ち居振る舞いをするよう心がけていたと風間さんは述べているが、このような消極的・内向的な心境および生活態度のどこにも風間さんと関根氏の「車の両輪」「運命共同体」と呼べるような対等な人間関係を見てとることはできないと思う。


(5) その他

事件当時、風間さんと関根氏が決して「運命共同体」などといえるような関係ではなかったことを証明するできごとは他にも多数ある。実のところ、二人が「運命共同体」的関係であったことを証明する証言も根拠も何一つなく、むしろこれはばかばかしい話といったほうが正確ではないかと思える程なのだが、Kさん殺害事件当時、風間さんには、MR氏という愛人がいて、平成5年(93年)早々、関根氏との離婚が成立し、別居生活がはじまったころから、風間さんがMR氏と会う機会がそれ以前に比べて飛躍的に多くなっていたことも「運命共同体」論の信憑性を否定する重大な根拠の一つであると言えよう。一審判決文は風間さんに当時愛人がいたことについて次のように判示している。

「被告人風間も、平成3年9月ころからアフリカケンネルの資金を使って被告人関根に無断でD株式会社と商品先物取引を開始し(その際、被告人風間は同社に対してアフリカケンネルの保有動産は40億円、不動産は100億円もあり、年収は5億円もあると申告するなど、自分達が巨額の財産を有する大事業家であるかのような著しく過大かつ虚飾的な申告をしていた。)、平成5年10月ころまで多数回にわたり先物取引を行うとともに、右取引開始後まもなく、同社の営業部長として被告人風間との右取引を担当していたMRと情交関係を持つようになり、本件各犯行当時も同人と頻繁に逢い引きを重ねるなど、奔放な行動を取っていた。」(『一審判決文』p11)

上記の認定は、この判決文のいたるところに見られる不公正と矛盾とが集約されているような文言と言っていいのではないかと思われる。風間さんが商品先物取引を始めたのは確かであるが、よくあるようにこれはD株式会社の営業マンの度重なる訪問、熱心な勧誘によるものであった。「アフリカケンネルの保有動産は40億円、不動産は100億円もあり、年収は5億円もあると申告するなど、自分達が巨額の財産を有する大事業家であるかのような著しく過大かつ虚飾的な申告をしていた」という上記の判示には裁判官の悪意を感じないわけにはいかない。「保有動産40億円、不動産100億円、年収5億円」などはD株式会社の担当営業マン(MR氏とは別の人物)が作成した顧客カードに記されていたもので、風間さんはそのような内容の顧客カードが作られていたことを裁判になってはじめて知り非常に驚いた、自分はそんなことを述べたり書いたりしたことはまったくなく、担当者が社内審査の申告用に誇大な内容を記したのであろう、と証言している。問題は裁判官だと思われる。裁判官はこの顧客カードを証拠としてこのような判示をするのなら、同カードに当時30代の半ばであった風間さんの年齢が11歳も年上に虚偽記載されていたことをもなぜ明示しないのだろう。このカードに記載された内容がD株式会社の担当社員の手によるものではなく、風間さん自らの申告によるものだと断定し、「巨額の財産を有する大事業家であるかのような著しく過大かつ虚飾的な申告をしていた」と判定するのなら、カードに記された年齢が一回り近くも上の47歳になっていたことも判示しなければ不公正だろう。おそらく裁判官は、実年齢よりもはるかに年長のカード上の年齢は、判決のいう、被告人による「虚飾的な申告」に合致しなくなると考え、これを黙殺したのであろう。この判定は、有罪判決のために利用できるものはどんなものでも、たとえ歪曲・変形してでもご都合主義的に利用し、有罪に都合の悪い事実は躊躇なく除去・抹殺するという、この判決文の至るところにみられる手法と事例の一典型のように思える。顧客カードが風間さんの申告により忠実に作成されたという証拠はどこにあるのだろうか? 当該会社がそのように証言したとしても、被告人である風間さんがそれを否定している以上、裁判官はこの認定のためには、職責上、その証拠を示すことが不可欠だったはずである。証拠もないのに、「アフリカケンネルの保有動産は40億円、不動産は100億円もあり、年収は5億円もあると申告するなど、自分達が巨額の財産を有する大事業家であるかのような著しく過大かつ虚飾的な申告をしていた。」と判定されたのでは、被告人に救われる余地はない。保険会社は何度も田圃のなかの会社を訪れて経営実態を知っていたのだから、風間さんがもし「40億円、100億円、5億円」などの申告をしても、それが架空の数字であることはバレバレだったはずである。判決文にこうまで数多くおかしな認定が散見されるのでは、あの死刑判決は、こうした虚偽混じりの判示を強引に積み重ねることによって導かれたのではないかという疑いがつよまるのも仕方ないのではなかろうか。

さて、ここでの一番の問題は、「(風間は)同社の営業部長として被告人風間との右取引を担当していたMRと情交関係を持つようになり、本件各犯行当時も同人と頻繁に逢い引きを重ねるなど、奔放な行動を取っていた。」という判定である。この判定も実は、上述した「有罪判決のために利用できるものはどんなものでも、たとえ歪曲・変形してでもご都合主義的に利用し、その際有罪に都合の悪い事実は除去・抹殺するという、この判決文の至るところにみられる手法と事例」の一つであると思われる。判決文は、上記のように、

「MRと情交関係を持つようになり、本件各犯行当時も同人と頻繁に逢い引きを重ねるなど、奔放な行動を取っていた。」

と判示しているが、この判決文が風間さんの愛人であったMR氏に触れているのは、たったこれだけ、この箇所だけである。裁判官は、風間さんが保険会社への申告カードに自分を大きく見せるための「虚飾的な申告」をするような人間であるとの無根拠の判示をし、その文脈で、事件当時彼女は愛人をつくって奔放な生活をしていた、そういう放逸なだらしのない人間なのだから、殺人事件に関与したって決して不思議はないのだという判定の補強のためにMR氏を判決文に登場させているのだ。だが、なぜ、裁判官は佐谷田車庫におけるKさん殺害の当日である平成5年4月20日、昼の12時30分頃に熊谷駅でMR氏とおちあった風間さんが、午後5時過ぎにペットショップに戻るまで、午後の半日をMR氏と二人きりで過ごしていたという重大な事実を黙殺するのだろうか? 何しろこの逢い引きは事件当日のことなのだ。Kさん殺害に風間さんが関与したというのなら、事件の解明のためには、Kさん殺害直前のこの逢い引きの事実は必ず問題にされなければならないはずである。それなのに検察官も裁判官も何ら追求も言及もしていない。その理由は何か、以下に順を追って考察する。

風間さんがMR氏と知り合ったのは、「一審弁論要旨」によると、以下のとおりであった。

「平成3年(91年)11月中旬頃から同年末まで急性肝炎(注2)で福島病院に入院した際、MRが頻繁に見舞いにきてくれたことから急速に親しい仲となり、平成4年以降MRは週に2回ほど熊谷を訪れて、被告人風間と男女関係を重ねるようになった。」(『一審弁論要旨』p50)

上記の弁論要旨から推測すると、Kさん殺害事件が発生したのは、風間さんがMR氏と交際をはじめて1年4、5ケ月が経過した頃ということになる。平成5年(93年)4月20日、Kさん殺害当日の風間さんの一日の行動を以下に記載する。

「被告人風間の4月20日の行動
(一) 平成5年4月20日、被告人風間は午前10時ころペットショップに出勤し、同10時30分頃K建設のY主任から、「昨日話した追加工事分として車2台で支払う内容の契約書を作りたい」旨の電話を受け、約20分後の10時50分頃に来店したY主任から契約書(弁第21号証)を作成して受領後の、同11時頃、あさひ銀行熊谷支店におもむいてKが注文したローデシアンのオス(バード)の代金をTHへ送金手続をして、12時過ぎにペットショップヘ戻った。
(三) その後、被告人風間は同日午前10時すぎにMRと電話で約束をしてあったことから、MRとの待ち合わせ場所である熊谷駅北口に行き、12時30分頃MRとおちあい、12時56分にホテルAにチェックインし、午後4時28分頃チェックアウトし、熊谷駅でMRと別れた後、午後5時10分頃ペットショップに戻った。/その後、被告人風間はペットショップに午後7時頃までいて店を閉め、帰宅した。
従って被告人風間は4月20日は、被告人関根とは一度も顔を合わせておらず、K殺害の共謀及び準備行動をすることはあり得ない。」(『一審弁論要旨』p77~79)

関根氏との離婚が成立し、別居生活が始まってから(この頃、関根氏は、片品にあるY氏宅に居住しており、万吉犬舎やペットショップに来ることも少なかったが、たまに来るときはY氏が運転する車に同乗してやってきており、ほとんどY氏と行動を共にしていた)、風間さんがMR氏と会う回数はそれ以前に比べて飛躍的に増えている。このことについて、弁護人は次のように記している。

「被告関根との離婚について、被告人風間が真正なものと考えていたことは、愛人であるMRとの逢引きの場所であったホテルAの利用回数が平成5年1月は3回にすぎなかったものが、2月、3月は各10回、4月も8回に及んでいることからも明らかであり(甲266号証)、逆にK事件を知らされ、5月7日に暴行を受けて以後、Aの利用を含むMRとの交際の頻度も激減していることによって、右事件以後、被告人関根の被告人風間に対する威力が復活していることを物語っているのである(甲第266号証、弁第24号証)。」(『一審弁論要旨』p256)

弁護人はまた、検察官が被告人両名の「運命共同体論」「車の両輪説」を主張・展開していることに関して、そのご都合主義の論理を下記のように指摘している。

「これ(注:運命共同体論)に反する事実である被告人風間が事件の1年以上前からMRとの間で愛人関係にあったことについての論述は全くないのである。」(『一審弁論要旨』p41)

風間さんが事件当時MR氏と愛人関係にあったことを論述しようとしないのは、検察官ばかりではない。上述のとおり、裁判官も同様である。判決文は風間さんの「共謀共同正犯」を認定し死刑を宣告するにあたって、4月20日Kさん殺害事件のその日、風間さんが午後中をMR氏と共に過ごしていたという、風間さんの事件への関与を正確に判定するために、また事件の真相解明のために死活的に重要であるこの事実に頬かむりしているのである。その3日前の4月17日にも風間さんはMR氏と会いほぼ半日を共に過ごしているが、裁判所はこれについても一切言及していない。このことは、裁判官が判決にあたり、被告人両名がいつ、どこで、Kさん殺害の具体的計画を練り、どのような準備をしたのかについて真摯な考察も追求もしていないということを意味する。真相究明のために懸命の努力をしてそれでもなお十分には解明できなかったというのではないのである。風間さんが事件に関与していないことを示す証拠には目をつむり、それを握りつぶした上で判決をくだしたことの証明の一例がこのMR氏の件である。本当に人を殺そうというのであれば、その事前計画・準備に忙殺されているはずの時期に、風間さんは愛人のMR氏と頻繁に逢い引きを重ねていた。真相究明のためには、これが注目すべき事実であることは誰の目にも明らかであろう。しかし裁判所は、判決文においてこの問題の追求どころか言及さえしていない。言及すると風間さんの「共謀共同正犯」を認定できなくなる可能性が高いので、やめたのだと思われる。いくら考えても私にはその答えしか見つからないのだが、「いや、そうではない」とこの判決における裁判官の行動を擁護・正当化できるような理由が何かありえるだろうか?もしありえるのだとしたら、ぜひご教示を願いたいと思う。

風間さんが事件直前の17日、当日の20日というごとく、当時頻繁にMR氏と密会を重ねていたことについて弁護人は下記のように述べている。

「一般常識として、「殺人」を事前に共謀する場合、時間をかけて綿密な計画を立てるものであり、また精神的にも極めて追いつめられた状態になるはずだが、右のとおり被告人風間にはそうした状態は全く見受けられないのである。(『一審弁論要旨』p132~134)

風間さんとMR氏との交際の内実がどのようなものだったかは余人にはうかがい知れないことだが、この件の記述を終えるにあたって、一審弁論要旨から、次の文言を引用しておきたい。

「MRは、被告人風間は非常に賢い女性であったとした上で、被告人風間との別れについて次のように述べる。/すなわち、「・・・私自身が風間さん夫婦に関して警察官の事情聴取を受け、この二人が殺人事件の容疑者として捜査されているということを知ったことから、私は最終決断をして、風間さんに対し、取引を終わらせることと、個人的関係を清算することを告げました。私のこうした出方に対する風間さんの態度は冷静で、言葉には出しませんでしたが、いつかこういう日が来ると覚悟していたようにも感ぜられました。ただ、別れの日、熊谷駅のホームで風間さんが人目もはばからず私の背中にすがって泣いたことが風間さんとの付き合いの中で唯一風間さんが見せた内面の部分であったように思っています。」/金銭に対する異常な執着心を持ち、被告人関根と深い絆で結ばれ、自ら入れ墨を彫り続けることでその意思を表現し、被告人関根とともに3名の殺害を計画して実行し、人間としての良心は一片もなく、常識の範囲をはるかに越えた安易さ、短絡さ、規範意識の欠如、刹那的思考、残忍さ、冷酷さを有するはずの被告人風間において、別れを告げた愛人の背にとりすがり、プラットホームという衆人注視の中で号泣するなどということが考えられるであろうか。/そのようなことは到底ありえない。/被告人関根とこれからも共に暮らすしかないことに対する恐怖と絶望からの号泣にほかならないのである。」(『一審弁論要旨』p272~273)

以上4回、5項目に分けて、判決文が認定する関根氏と風間さんの間の「運命共同体」「車の両輪」説の検証を行なってきたが、どのような観点から考察しても、二人の間にそのような緊密な関係性は、片鱗さえ見いだすことはできなかった。この説は、検察官作製、裁判官認定のまったくの虚構のストーリーであると当ブログは考える。





(注1) この暴力事件が起きたのは、弁護人によると平成5年5月7日ではないかとのことである。風間さんに愛人がいることを関根氏はその頃薄々察知したらしい。関根氏は、自分自身はそれまで何人もの愛人をつくり、そのことを風間さんに隠そうともしなかったそうだが(管理人注:関根氏は、第一審の第78回公判で「女房に女のことでガタガタ絶対に言わせないという気持ちを持っていた」と供述している)、風間さんのこの件には凄まじい暴力沙汰を引き起こしたわけである。

(注2) 風間さんはその前年にも肝炎に罹患したそうだが、このことについて、検察官は一審で「肝炎は入れ墨を彫ったための後遺症によるものだ」と、またしても何の証拠も示すことなく、特異な主張をしている。このことに関する弁護人の反論を下記に引用しておく。

「検察官は入れ墨を彫っている場合、肝炎を起こすことは一般的である旨述べ、平成2年と3年に被告人風間が肝炎で入院したことをとらえて、このころ被告人風間は入れ墨を彫っていると見られるとしている。/この点を主張するならば、まず必要とされるべき証拠は、被告人風間が入院した記録でなければならず、(略)医学的証拠でなければならない。/しかるに、何と検察官が根拠としているのは、医学的知識などありえようはずはなく、信用性のないことについて、後述する変遷のきわまりない被告人関根の供述と同人が肝炎で入院したということのみを述べる答申書のみなのである(甲第917号証)。/ところで、入れ墨をしたことによって肝炎を発症するとすればウイルス性血清肝炎であることになるが、ウイルス性血清肝炎であれば、接触感染が生ずることになるため、当然入院先においては徹底的な感染対策が取られたはずであり、そうであるとすれば被告人風間が供述するように、原因が不明であると言われるわけはなく、当然ながら長男Fが被告人風間の病室から学校に通うなどということが許されるはずはないのである。/また、右程度の知識は医学的常識であるのみならず、多少とも医学に興味を持つ者であれば、誰でもが知っている知識である。/さらに、平成2年、3年と、連続して入れ墨を持つ女性患者が入院し、ウイルス性血情肝炎であることが判明して徹底的な感染対策が行われたとするならば、そのことについて記憶を有している病院関係者は必ず存在すると考えられる。
しかしながら、検察官は前述のような証拠(管理人注:入院したという記録)しか提出せず、これをもって平成3年の入院は入れ墨が原因であるなどと主張するのである。/右のような検察官の主張は、前述した(管理人注:風間さんが捜査段階において公判供述と同内容の供述をしている調書があることを検察官は十二分に知っているにもかかわらず、その調書を証拠として法廷に提出せずに、これを隠し、あたかも公判段階において風間さんが突然供述を変更したかのように装い、嘘をついた事実)、調書を隠したまま被告人風間の供述の信用性がないなどという嘘をつく、本件における検察官の行動を考え合わせるならば、(略)被告人風間の肝炎がウイルス性血清肝炎ではない旨の入院先病院からの証拠を入手していながらそれを隠し、あえて被告人風間の入院は入れ墨による肝炎が原因である旨強弁している可能性が極めて高いと言わなければならない。」(『一審弁論要旨』p251~253)


11月13日、上記の(注1)(注2)を追記しました。
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2009.11.13 Fri l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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