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共犯者のY氏がKさん殺害当夜にみせた行動にはいくつもの不可解さがつきまとっている。事件の真相に迫るためにはこれを見過ごすことはできないので、以下に不可解な点を4つ取り上げ、それが何を意味するかを個別に検討する。

� 車庫の近くに住む風間さんがアウディを待ち合わせ場所まで運ばなかったのはなぜ?

平成5年(93年)4月20日、Y氏は佐谷田の車庫で関根氏に脅迫され、これに抗しきれずにKさんの遺体を車庫から片品のY氏宅まで運んだという。家に着くと、関根氏は浴室で遺体の解体にかかり、Y氏は関根氏に命じられて車庫に置いたままになっているKさんの車アウディを東京に行って放置することを命じられた。その際、関根氏は、「Kの車を博子と一緒にどこかに捨てて来い。博子には事情を話してあるから。」と言われたとのことである。自宅を出た後のY氏の行動を、控訴審判決文から抜粋すると、

「Yは,アウディを置き捨てに行くために風間と落ち合うに際して,関越自動車道を東松山インターチェンジで下り,風間との待ち合わせ場所を通り過ぎた上,佐谷田の車庫でアウディに乗り換えて再び待ち合わせ場所に戻るという経路をとっている」(『控訴審判決文』p26)

上記のとおり、Y氏は、東松山インターチェンジ(以下「東松山IC」と記す)で車を下り、そこから公衆電話で風間さんに電話をかける。その際の会話は、何度も述べてきたことであるが、念のために記すと、次のようであった。

Y   「車を東京まで置きに行きたいんだけど行けるかい。社長から聞いている」
風間 「大丈夫だよ」

ということで、待ち合わせ場所にY氏は現在地の東松山ICから4.5km地点にある休憩所を指定した。ここは、風間さんの大原の自宅から約11kmの距離である。単純に位置関係を示すと[東松山IC→待ち合わせ場所→風間さんの自宅(車庫との距離3km)]というようになる。Y氏は、現在地の東松山ICと風間さんの自宅との間の地点を待ち合わせ場所に指定したわけである。東松山ICから車庫までの距離は15.5kmである。その車庫は風間さんの自宅から3kmの距離である。風間さんは電話を受けて約30分後に自宅を出て待ち合わせ場所に向かっている。Y氏は、東松山ICから4.5kmの待ち合わせ場所を通り越して車庫までの15.5kmを走った。そしてそこで愛車のミラージュからKさんのアウディに乗り換えると待ち合わせ場所までの11kmを引き返した。関係する各地点の距離を以下に示す。

○風間さんの自宅←→車庫  ○風間さんの自宅←→待ち合わせ場所
           (3km)               (11km)

○東松山IC←→待合せ場所 ○東松山IC←→車庫 ○車庫←→待合せ場所
       (4.5km)             (15.5km)       (11km)
 
二人が待ち合わせ場所に行くために通った経路を記すと、

○風間さん 大原の自宅→待ち合わせ場所 11km
○Y氏    東松山IC→待ち合わせ場所(4.5km)→車庫(11km)→待ち合わせ場所(11km) 計26.5km

Y氏はこの日すでに片道約2時間の熊谷・片品間を往復している。しかも熊谷から片品の自宅まで運転して帰ったのはつい先刻であり、それもY氏の供述によると、関根氏から「手伝わなかったらどうなるかわかっているな」と脅されての運転だったという。極度に緊張し、疲労もしていただろう。風間さんがKさん殺害を承知した上で自宅待機していたのなら、なぜ風間さんは自宅から3kmの佐谷田の車庫まで行き、そこでアウディに乗り換えて待ち合わせ場所まで行かなかったのだろうか。電話でY氏にその旨伝えればいいではないか。そもそも主犯であり共謀相手である関根氏はなぜ事前に風間さんおよびY氏にその指示をしなかったのだろう。風間さん自身も共謀の打ち合わせの際、なぜそんな単純かつ自然なことを思いつかなかったのだろう(そもそも殺人という大それた犯罪の後始末を従順に引き受ける人間が存在すると計画・準備の段階で考えることが異常であることは言うまでもない)。電話をかけたY氏にも同様のことが言える。車庫に寄ったからといって、風間さんの走行距離は自宅から直接待ち合わせ場所に向かった場合とほとんど変わらないのだし、そうすればY氏は26.5kmもの距離を走る必要はなく、たった4.5kmで済む。

Y氏は風間さんと一緒にKさんのアウディを東京の八重洲駐車場に放置して、その後風間さんの車で車庫まで送ってもらった後、自分の車であるミラージュを運転して自宅に帰るわけだが、その後、遺体や所持品の焼却、山林や川への遺骨類の放棄など、関根氏とともに一切睡眠をとることもなく動きつづけるのである。何事においても時間はできるだけ節約したかったはずで、当然、アウディ置き捨てに関しても心急いていたと思われる。また、犯罪者の常として、Kさんの車をいつまでも殺害現場である車庫に置きっぱなしにしていることに対する不安もあったと想像される。

もちろん、被告人・弁護人は、一審・二審ともに法廷でこの奇妙さを突いているが、それに対する裁判官の答えは下記のとおりである。

「(風間側は)Yは,アウディを置き捨てに行くために風間と落ち合うに際して,関越自動車道を東松山インターチェンジで下り,風間との待ち合わせ場所を通り過ぎた上,佐谷田の車庫でアウディに乗り換えて再び待ち合わせ場所に戻るという経路をとっているが,そのような迂遠な方法を取らずとも,風間が自宅に近い佐谷田の車庫に立ち寄って自らアウディに乗った上,待ち合わせ場所に行く方が合理的であるから,このことは関根とYがアウディを佐谷田の車庫から持ち出すことを風間に知られたくなかったことを示すものであり,ひいては風間はK殺害の共謀に加わっていなかったことを示すものである,というのである。/しかしながらYは関根に命じられてアウディを乗り捨てに行くために片品村からミラージュに乗って関越自動車道を南下し,アウディの置いてあった佐谷田の車庫にミラージュを置いてアウディに乗り換えた上,風間との待ち合わせ場所に向かったのであって,その行動は誠に自然なものである。風間の所論は,そのような方法も可能であるという以上に出るものではなく,理由がない。」(『控訴審判決文』p26~27)

この論理構成は、ここで検討した、金銭欲のために風間さんが殺害に関与していたというのなら、犯行当日に無駄になると分かりきっている高額な犬代金の振込手続きをするはずがない、という被告人側の主張に対する答えと同一のものである。一般に不自然・不合理な行動とされ、実際誰の目にもそのように映ると思われる行動が、裁判所にとっては、「誠に自然なもの」ということになるようである。それだから、被告・弁護人側の主張は「理由がない」ものであり、解釈する必要もないということなのであろう。こうしてどんなに合理的な主張も反論も、真摯な審議を付されることなく、裁判官の個人的・恣意的な判断ひとつで排除されていくことになる。なお、一審の裁判所は被告人側のこの主張に対して何も応答していないが、これも、犬代金の振込手続きの場合と同様であるように思われる。

� 事前共謀があったのなら、アウディ放置は風間さん一人で行なったほうが自然かつ合理的。Y氏が加わる必要はない

実はKさんのアウディの置き捨てについては、�の疑問はまだまだ序の口であり、もっと根本的な疑問がある。風間さんが「Kに返す金などない」と述べて殺害を主張し、関根氏と事前共謀していたのなら、なぜ風間さんが一人でアウディを捨てに行かなかったかという疑問である。実情を考察すると、車の放置に関してY氏を当てにする必要はまったくなかったのである。弁護人は次のように述べている。

「Kの殺害は4月20日午後7時ころには終了し、その後はKの乗車してきたアウディは佐谷田車庫内にあるのであり、いつでもこれを持ち出せる状況にあったことは明らかである。」(一審弁論要旨p426)

Y氏は7時頃、給油と買い物を終えて車庫に戻ると、いきなり関根氏からKさんの遺体を見せられ、次のように脅迫されたとのことである。

「関根は私に、『お前もこれと同じ様になりたいか。お前この死体を片付けるのを手伝え。そうすれば一生面倒を見てやる。そうしなければお前だけじゃなく東京に居る女房子供も同じようになる。 俺は一人じゃねえ。仲間は10人は日本に居るから必ずやる。』 と言って脅しました。/この時、私は関根に逆らえば本当に私だけでなく東京に居るS子や二人の子供も殺されると思いました。関根は付き合い始めてから、『おれは若い頃、秩父の祭りの時、ヤクザの親分を日本刀でぶった切って殺し、15年も懲役に行っていた男だ。』と言っていましたし、現に遠藤さんといったヤクザ者とも付き合いがありました。」(甲第478号証)

このようにY氏を脅す関根氏は手に凶器を持っている様子もないのが腑に落ちないところではあるのだが、このようにしてY氏を脅したとしても、それは街中の車庫でのことである。Y氏がKさんの遺体を見てショックをうけ、外に飛び出すなどの興奮した反応を示す懸念もあったはずである。殺害した被害者の車の置き捨てという、重大な犯罪の後始末に、必ずしもうまく協力させられるかどうか分からないY氏を当てにして計画を立てるのはどう考えてもおかしい。ともに綿密に計画を練った共謀相手である風間さんがアウディ放置をするのが自然であり合理的である。なぜそうしなかったのだろうか。風間さんは巧みな運転技術をもったベテラン・ドライバーだったそうだから、何もY氏を煩わす必要は皆無だったはずである。そもそも脅迫によって遺体の運搬を手伝わせ、なおかつ自宅を遺体解体場所にするよう強要したのならば、関根氏が家に着くや否や、「博子に電話して、一緒にアウディを捨てて来い」と言って、すぐにY氏を手放したのはなぜだろう。関根氏はY氏が警察に通報する危険は感じなかったのだろうか。それはまた風間さんにも言えることである。Y氏と同行するについて、警察に通報されるのではないかという心配の片鱗もないように見えるのだが、本当に不思議なことである。ということで、次の疑問である。

� 関根氏から離れて一人になったY氏はなぜ警察に駆け込まなかったのか?

Y氏が事件に対してどのような内容の、そしてどの程度の関与をしたのかを考察する場合、この疑問もまたとても重要である。つい4時間ほど前に、「(手伝わなければ)お前だけじゃなく東京に居る女房子供も同じようになる。 俺は一人じゃねえ。仲間は10人は日本に居る」と脅迫され否応なく手伝わされたというY氏であるが、しかしY氏はもう半年近く関根氏と終始行動を共にしていて、当時は同居もしていた。関根氏がいわゆる「ホラ吹き」であり、「仲間が10人もいる」というような話が本当であるはずがないことに気づかないことはありえないように思われる。もし事実そのとおり信じたとしても、それが警察に保護を求めることを躊躇する理由にはならないのではないだろうか。警察が今すぐに片品の自宅に踏み込めば、関根氏を現行犯逮捕できるのだ。「仲間の10人」が怖ければ、警察にその旨述べて、つよく保護を求めればよいのではないか。その点、Y氏は警察に遠慮するような気弱な人物ではないだろう。Y氏は取調べ段階において、検察が自分に約束していたはずの保釈申請を認めないことに苛立ち、

「検事に暴言を浴びせ、ふてくされた態度をとるようになり、検事の取調べ室のドアを蹴って「覚えてろ」などの捨てゼリフを言い、さらに保釈と調書への署名との取引を求めるなどしていた。/そして4月1日、保釈に関するやり取りからYは興奮し、署名したばかりの調書を取り上げ、 「保釈するつもりはないんだ、それならこの調書を破ってやる」などと言うという事態が発生し、M刑事の電話での説得により、Yの要求通りそれまでの調書のコピーを渡してようやく事をおさめるという一幕も生じたのである。」(『一審弁論要旨』p27~28)

ということであり、また公判廷でも、次のような様子であった。

「「覚えていません」を連発し、あるいは尋問者を馬鹿にしたように答え(たとえば第9回公判の冒頭ではローデシアン・リッジバックの特徴を聞かれ「足は4本あります。」と答え、第14回公判の終わりには弁護人に対して「聞く質問選んで聞けや、こらっ」と答えるなど)、(略)とりわけ実行行為に関連する部分では、一切答えよぅとせず、証言を拒否してY尋問は終わっている。」(『控訴趣意補充書(7)』p8)

このような人物が、関根氏から前述のような脅迫をされたからといって、もう関根氏の言うがままになるしか助かる途はないと一途に思いつめたりするだろうか? Kさん殺害に関してやましさがなければ、この時こそ自分および家族を守るために一目散に警察に駆け込むのが人間の心理としてごく自然であるように思われる。東京の家族の安否が心配なら、家族に電話をかけて落ち合う算段をし、その後に警察に連絡をいれてもいいだろう。いずれにしても、この夜のY氏の行動をみると、ひたすら関根氏を怖れ、その脅迫に屈して仕方なく事件に関与している人の態度では到底ないように思われるのである。

� 合流した時、風間さんが「どう、うまくいった?」と尋ねたというY証言は真実か?

Y氏は待ち合わせ場所で合流した際の風間さんの様子について下記のように述べている。

「午前1時ころ待ち合わせ場所に着き、先に来ていた風間の車(クレフ)の後ろに車を停めて近づくと、クレフの窓ガラスが開いて、風間が中から『うまくいった(か)。』と声を掛けてきた。風間が最初にこのようなことを言ったのは今でもはっきり覚えている。そして、風間は、『じゃあ、Sさん東京分かるでしょ。先に行ってよ。都内のどこでもよいから車を置いて来ようよ。『はい、これ高速料金よ。』と言って1万円札1枚を渡してくれた。」(『一審判決文』p252)

そして、検察官は、この「うまくいった」という発言こそは、風間さんの共謀の証左であると言い、判決文は一審、控訴審ともに、上記のY氏の供述を迫真的で自然で合理的であり、信用できるとしている。

「右のKの車を捨てに行った際の状況等についての供述内容を仔細に検討しても、その内容は極めて具体的で迫真性に富んでいるばかりでなく、何ら不自然不合理な点も存在しない。それどころか逆にYが述べている風間の当夜の異様とも思われる言動等の多くが真実であることは風間自身も認めているのであって(例えば、関根の指示で車を捨てに行くことになったYが深夜に風間方に電話を掛けたところ、風間自身が直ちに電話口に出て、その理由も聞かないまま深夜に外出してYと行動を共にすることを承諾して待ち合わせ場所を決め、そこで合流したこと、更にYが現実に東京まで遠征して深夜の駐車場に車を置き捨てるという異常かつその裏に何らかの重大な犯罪が起きていることを窺知させる行動に及んでいるのに、最後までその理由すら一切聞こうともしないまま行動を共にしていることなど)、これらからすれば、右の点に関するYの供述が極めて高い信用性を有していることは明らかである。」(『一審判決文』p269~270)

「Yの供述を一般的に信用してよいことは前記のとおりであるが,以上の供述内容について,風間自身が,Yからの電話連絡の際,理由も聞かないまま深夜に外出して行動を共にしたこと,東京まで車を置き捨てに行っているのにその理由を一切聞こうともしなかったことなど,核心的なところが真実であることを認めていることに照らしても,これを信用してよいことは原判決が説示するとおりである。」(『控訴審判決文』p19)

一・二審とも、判決文はこの「うまくいった」という発言自体について直接は触れていない。だが、双方ともにY氏のこの供述について「その内容は極めて具体的で迫真性に富んでいるばかりでなく、何ら不自然不合理な点も存在しない」、「これを信用してよいことは原判決が説示するとおりである」とのことだから、「うまくいった」という言葉を実際に風間さんが口にしたと認定しているものと思われる。

まず、風間さんの述べているところはこれとまったく異なる。風間さんはこの日の用件を単純に「車の移動」「車を駐車場に置きにいく」と思っていたと述べている。またこれは関根氏の用事であると考えていたことから、高速代金をY氏に渡したが、その金額は1万円ではなく、2千円だったとも述べている。Y氏の依頼をすぐに引き受けたのは、これまで何度も書いたことだが、前日関根氏から、「Sには世話になっているから、用事を頼まれたらできるだけ引き受けてくれ」と言われていたことが念頭にあったためであり、また深夜の外出については、犬のブリーダーである風間さんにとって、夜の11時頃というのは、子どもたちも眠りについた時間であり、このような用事のために動くにちょうどよい時間帯だったということである。これらのことは、格別、裁判所が述べるような「異常な行動」とは思われない。まして、一審の裁判所が述べるような「その裏に何らかの重大な犯罪が起きていることを窺知させる行動に及んでいるのに、最後までその理由すら一切聞こうともしないまま行動を共にしている」などという判示を見ると、むしろ裁判所のこの感覚のほうが特異ではないかと感じられる。

さて肝心の「うまくいった」という発言は事実かどうかである。もし風間さんが関根氏と共謀して殺人計画を立てていたのだとしたら、この時点でのY氏に対するこのような発言はありえないのではないだろうか。なぜならば、 まず「うまくいった?」とY氏に尋ねるということは、風間さんは事件がうまくいったか失敗したかをまだ知らなかったということを意味する。事実、関根氏が事件後、風間さんに連絡をとった証拠は一切ない。つまり連絡を取り合ってはいないのである(93年当時は携帯電話も一般には普及しておらず、連絡のとりようもなかった)。この日、風間さんは午前中、例の犬代金の送金手続きをし、午後は愛人のMR氏と一緒であった。とすると風間さんは関根氏と一緒に殺人の共謀をしておきながら、そして関根氏が今まさにその計画を実行中であることを承知しながら、その時間に関根氏には秘密の愛人と共に時間を過ごしていたというのだろうか?

また、Y氏は買い物から車庫に戻ったところで関根氏から突然Kさんの遺体を見せられ、散々脅されたということだが、風間さんは現場にいなかったのだからY氏が遺体運搬や解体のための自宅提供を引き受ける事態になったかどうかをこの時点ではまだ知らないはずである。なぜ、顔を合わせるなり、「うまくいった」という言葉がでたのだろう。これは事態に即すとありえない言葉のはずである。そしてまた、「脅されてやむなく」というY氏の供述が事実なら、主犯の片割れであるはずの風間さんは殺人に関与させられてショックを受けているに違いないY氏の精神状態が気がかりのはずであり、その顔色や様子に真剣な注意を払うはずだろう。先程述べたように、警察への通報の懸念だってあったはずであろうに、「うまくいった」という言葉にそのような気配を見てとることはできない。

それから、「クレフの窓ガラスが開いて、風間が中から『うまくいった(か)。』と声を掛けてきた」というこの光景からは、これまで犯罪にかかわったこともない女性が元夫と共謀して生まれて初めて殺人という重大犯罪に手を染めたという、そういう特異な立場にたっている人間ならば自ずと漂わせていないはずがない緊張や不安や恐怖や警戒心などの片鱗もうかがえない。殺人の結果どころか、まるで遊びごとや運動会の徒競走か何かの結果でも尋ねているかのような雰囲気である。思い出されるのは、一審の裁判所が判決文のなかで触れていた、「M事件」というものの存在のことである。この「M事件」なるものは現実には立件もされていないのだが、判決文はM氏と風間さんの関係についての第三者の証言を明確に180度歪曲してさもさも結婚直後の風間さんが関根氏と共謀してMなる人物を殺害したかのような暗示をしていた。顔を合わせるなり風間さんが「うまくいった」と述べたというY供述に対しての「その内容は極めて具体的で迫真性に富んでいるばかりでなく、何ら不自然不合理な点も存在しない」という判定を見ると、「M事件」へのあのような暗示も、Y氏のこういう供述の信憑性を高めるための布石ではなかったのかという疑念をおぼえるのである。
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2009.12.22 Tue l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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