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「埼玉愛犬家殺人事件」における風間博子さんへの判決文を検証してきたが、第一の事件であるKさん殺害については今回で一先ず検討作業を終えることにする。この間、Kさん殺害事件を検証して痛切に実感させられたことは、風間さんが関根氏の狡猾な企みによってKさんの車の置き捨てに関与する結果になったことは事実だが、殺人の共謀および実行に関する風間さんの無実はどのような方面・角度からみても疑問の余地なく明らかであるように見えるということである。この判決は、事実認定がいびつに歪められた上でなされていて、一目瞭然、不自然・不合理きわまりないと思える。事件全体を構成する一つひとつの出来事や人の行動が自ずと現わし、物語り、教えているものを、裁判所が強引に歪めてしまい、その結果驚くべき矛盾にみちた事実認定が引きだされている。このことは特別の偏見や思惑や意図をもつことなく素直に検証してみれば誰にでも分かることではないかと感じさせられている。風間さんが殺人に関与したという証拠は一つもない、そして無実を推認させる状況証拠・証言は無数に存在している。そう私の目には映るのだが、以下の出来事もその一つである。

4月20日深夜から翌日にかけてY氏とともにKさんの車を八重洲駐車場に収めた後、風間さんは佐谷田の車庫でY氏と別れ、4時40分頃自宅に戻った。

 Kさん殺害翌日の昼頃、風間さんはKさんの妻に関根氏の居場所を電話で問われ、関根氏の所在地、つまりY宅の住所と電話番号を教えている

その日、風間さんがペットショップに出勤したのは10時頃だったが、昼頃、Kさんの妻のN子さんから電話がかかってきた。N子さんは前夜夫が帰宅しないために眠れぬ夜を過ごし、翌日勤め先(Kさんの兄が経営している)に連絡を入れて夫が出勤していないことを知った。その他の心当たりにも連絡を入れたが夫はどこにも姿を見せていないことが明らかになり、N子さんは、このところ続いていた犬のキャンセル話によるもつれが、夫が帰宅しなかったことと関係があるのではないか、関根氏が何らかの関与をしているのではないかと疑い、ペットショップに電話をかけた。そして電話に出た風間さんに、「社長を出してちょうだい」と言ったところ、離婚の成立によって関根氏に替わり社長に就任していた風間さんは、「私が社長です」と答えた。N子さんは「それは偽装離婚でしょう。関根さんから聞いて知っていますよ」というようなことを述べ、風間さんはその時ようやく電話の相手がKさんの妻であることを認識した(二人は一度Kさんの犬が自宅から逃げ出した際に、その件で電話で話したことはあったが、顔を合わせたことはない)という。電話の主がKさんの妻であることを知った風間さんは、関根氏の居場所を尋ねられてすぐに片品のY氏宅の電話番号と住所を教えている。そこがY氏の家である旨と共に。第一審31回の公判(平成9年(97年)3月17日)で、その時の様子を尋ねられたN子さんは、次のように述べている。

「(ペットショップの)電話には、だれが出ましたか。

   「風間博子が出ました。」

証人は、風間博子に何と言いましたか。

   「社長を出してくれと言いました。」

風間博子は、それに対して何と言いましたか。

   「社長は私だと言いました。」

証人は、どうしましたか。

   「偽装離婚のことは知っている。とにかく関根の居所を教えてくれと頼んだところ、電話番号、関根のいるところの電話番号を教えてくれました。」

その電話番号というのは、どこでしたか。

   「S(Y氏のこと。以下同)の家でした。」

証人は、風間博子から聞いたSのうちに電話してみましたか。

   「電話しました。」

だれか出ましたか。
  
   「いえ、何度か電話しましたが、ファックス音のような音がするだけで、通じませんでした。」」


N子さんからかかってきた電話についての風間さんの証言は次のとおりである。

「平成5年4月21日の昼頃、ペットショップへN子さんから電話が架かって来ました。/初め「社長を出してくれ」と言われたので「私ですが」と返答しましたが、関根の居場所が知りたい旨、伝えてきたので、当時、関根が生活をしていた、群馬県の片品村、Y方の電話番号と、そこがY宅であることを教えました。/すぐに教えているので、通話時間は短いものでした。」(被告人控訴趣意書)

つづいて、前回の第31回公判の後の、第32回公判(平成9年(97年)4月24日)におけるN子さんのこの電話に関する証言を紹介する。

「社長を出してくれという証人の話に対して、風間被告人のほうは、社長は私ですというように。

   「言っていました。」

言われたわけですね。

   「はい。」

そのやりとりのあとに、どんな話に移ったんですか。社長を出してくれ、私が社長だというやり取り、ありましたね。
 
   「それを聞いたので、以前、偽装離婚のことを関根から聞いていたので、そのことを言いましたら、居場所、いるところの電話番号を、博子が教えてくれました。」

その偽装離婚のことを言ったということですけど、できるだけ思い出して、どういう言葉で、どういうようなお話、されましたか。

   「社長は、社長、いますかと言ったら、自分が、私が社長だと言うので、いえ、偽装離婚のことは関根のほうから、関根さんから聞いていますと、言いました。」(略)

そしたら、風間被告人は何と答えましたか。

   「いえ、すんなり、何も言うも、言わないも、はい、分かりましたと、もうすぐに電話番号、教えてくれました。」

そのときに、いや、偽装離婚ではなくて、ちゃんと離婚しちゃってるんだよ、だから、今、関根被告人はどこにいるか分からないというような話は、出ませんでしたか。

   「出ませんでした。」

偽装離婚に対する、まあ否認というか。

   「しませんでした。」

私は絶対、偽装離婚なんかしてませんというような反論は、なかったですか。

   「ないです。」

で、当初は、関根被告人の居所については、どういう言い方で風間被告人は答えてましたか。

   「ここにいると思うから、多分ここにいるからっていうことで、電話番号、教えてくれました。」

最初は、居所が分からないという言い方だったんでしょう。

   「そうです。」

その最初、居所が分からないという言い方だったという、その風間被告人のいった言葉を思い出せますか。はっきりと、どこにいるか分からないという言葉で言いましたか。

   「そうですね。最初の感じは、そうでしたね。」

分からない理由について、何か言ってましたか。

   「何も言いません。」

あなたのほうでは、どうも証言の前後から推測しますと、離婚しているから居所が分からない。

   「はい。」

だけども、あなたのほうは、関根被告人から、既に、偽装離婚だということを聞いていたんで。

   「はい。」

風間被告人がうそをついているんじゃないか。

   「はい。」

そういうような認識を持ったと。
 
   「はい。」

当時、そういうお気持ちでよろしいんですか。

   「そうですね、とにかく、社長は関根だと思っていたので、その一言で、社長は自分だと言ったので、それは、以前に聞いてるからということを確認する意味で言ったところ、もう、すぐに教えてくれました。電話番号を。」」

以上、電話に関するKさんの妻の法廷証言を幾分長めに引用したが、これには2つの理由がある。①まず、関根氏の行方を尋ねるN子さんに、風間さんは問われるままにその場ですんなりと関根氏が同居しているY氏宅の電話番号を教えていることの確認、②証言台でN子さんが口にしている「偽装離婚」という言葉がもつ意味についてよく検討する必要があると思われること。この2点のためである。

上記の①については、簡単明瞭に理解できることだ。もし風間さんがKさん殺害について関根氏と共謀を図っていたのなら、殺害翌日の昼12時頃、N子さんにY方の電話番号を教えることはありえないだろう。なぜなら、朝の4時半頃、アウディ放置を終えて佐谷田の車庫でY氏と別れたきりの風間さんは、片品のY方で遺体や遺品の解体遺棄がどの程度進行しているかを超能力者でもないかぎりその時点で知りうるはずがないからである。共謀していたのなら、この時点で殺害現場であるY宅を教えるという危険をおかすはずはない。仮に教えるとしたら、少なくともその前にY方に電話をして遺体の処置が終わっているかどうかを確かめてからでなければ教えられないはずである。このようにまず関根氏にN子さんから電話があったことを連絡する必要があるのだから、N子さんにはたとえば「30分ほど経ってからもう一度電話してください」とか、「後ほどこちらからかけ直します」などの発言があるはずで、そうでなければおかしい場面である。けれども、風間さんはそのような行動をとっていないし、またこのような状況に置かれたならば人が必ずおぼえるであろう躊躇や不安や焦りの気配もその言動からは感じられず、無防備である。これについて一審の弁護人は下記のように述べている。

「12時頃K・N子から店に電話がかかってきて、「社長いますか、社長を出してちょうだい」と言われ、被告人風間は自分がアフリカケンネルの社長であったことから、「私が社長です」と答えたところ、「とぼけないでよ」等のやりとりがあり、電話の主がKの妻のN子であることを知り、「関根は今、片品のSさんの家に住んでいるからそちらに連絡して下さい」と言って、片品のY方の電話番号を同女に教えた。/被告人風間がK殺害を共謀し、また知っていたら、片品の電話番号を教えるはずがないのである。」(『一審弁論要旨』p82~83)

弁護人の上記の主張に、一審の裁判所は何も答えなかった。これに対し、控訴審の被告・弁護人側はもちろん一審同様の主張を繰り返した。裁判所はようやくこの件に反応したが、その判示は以下のとおりである。

「風間は,Kが殺害された翌日の昼ころ,Kの所在を探していたKの妻から電話で関根の所在を聞かれた際,片品村のY方の電話番号を教えているが,このことは風間がK殺害を知らなかった証左である,というのである。/しかしながら,風聞がKの妻に関根の所在を教えたころには,既にKの死体の始末は終わっていたのみならず,K・N子の検察官に対する供述調書によれば,風間は,Kの妻からの問い合わせに対して,当初,関根とは離婚しておりどこにいるかも分からないなどととぼけたものの,偽装離婚だろうなどと言って追及されるに及んで片品村のY方の電話番号を教えたのであって,このことはむしろ風間が関根の所在を隠そうとしていたことになりこそすれ,K殺害を知らなかった証左となるものではない。」(『控訴審判決文』p29~30)

「風聞がKの妻に関根の所在を教えたころには,既にKの死体の始末は終わっていた」ことは裁判の進行過程において判明した事実なので、これならば子どもでも言える判示であろう。「既にKの死体の始末は終わっていた」と言うのなら、裁判官にはそのことをN子さんから電話がかかってきた時点でなぜ風間さんが知っていたかということについての説明が求められているはずである。その答がない。また裁判官は、「偽装離婚だろうなどと言って追及されるに及んで片品村のY方の電話番号を教えた」と認定しているが、なぜに法廷におけるN子さんの肉声による「偽装離婚」に関する証言を無視して、「K・N子の検察官に対する供述調書によれば」と、わざわざ検察官作成の古い調書を持ち出すのだろう。N子さんは、確かに当初、風間さんがすんなりと関根氏の電話番号を教えたのは、自身が「偽装離婚」の話を持ち出したからというように思い込んでいたような気配がある。というのも、風間さんも関根氏の共犯として「殺人罪」で逮捕・起訴されているのだから、N子さんにしてみれば、風間さんも夫殺しの片割れと思い込んでいたであろう。N子さんの立場からするとまったく無理のないことだと思われる。それでも、上述のN子さんの法廷における尋問内容を子細に見ていけば分かることだが、風間さんが関根氏の居場所と電話番号を教えたのは、「偽装離婚」と言って追及されたからではなく、「Kさんの妻だということが判ったから」という風間さんの供述は実態と合致して自然であり合理的であると思われる。

というのも、多くの第三者の法廷証言で明らかになったことだが、当時、関根氏は自分たちの離婚は偽装離婚だと誰かれとなく触れ回っていて、風間さんは関根氏のその行為をよく知っていたのだ。N子さんに偽装離婚だと言われたことは、何ら動揺するようなことではなかったはず(税務署に知られることを除けば)だが、それより何より、自分たちの離婚が偽装離婚であるかどうか、N子さんがそのことを知っているかどうかは、もし風間さんがKさん殺害を共謀していたのだとしたら、この時点ではなおいっそうどうでもいいことであり、蚊に刺されたほどの痛痒にも感じなかったはずである。昨日から自分たちが実行している殺人・被害者の遺体解体・焼却・遺棄などの重犯罪を終える前に、被害者家族に怪しまれ、警察に通報され、Y宅に踏み込まれたりしたら、それこそ身の破滅であることは誰にも分かることである。

よって、風間さんがN子さんにすんなり関根氏の居所と電話番号を教えたということは、この時点で風間さんがKさん殺害を知らなかったことの明白な証の一つであると考えられるが、さらに、関根氏とY氏の下記の供述も風間さんがKさん殺害に関与していないことの間接的な証明になっていると思われる。

 Kさんの肉親からの電話に関根氏とY氏は驚愕した

N子さんは風間さんから関根氏が滞在しているY宅の所在地と電話番号を伝えられると、すぐにそこに電話をかけた。その時は関根氏とY氏は遺体の骨片などの遺棄から戻っておらず(このことは裁判で明らかになったことである)、電話には誰もでなかった。ようやく電話が通じたのは、Kさんの安否を気遣ってKさん宅にやって来たKさんの弟と共に電話をかけた時で、電話にでたY氏と応対したのはその弟さんであった。この時の会話の内容について、Y氏および関根氏の供述を引用して見てみたい。まずY氏の供述調書から2点紹介する。

「自宅に戻り、犬の世話をしている時、Kさんの弟だと名乗る男から電話が入ったのです。このときの状況は二度あったという記憶を持っているのです。それは、最初の時、私が出て、アフリカ居るか という事であったので、その男に「アフリカは今散歩に行っている」と答えた覚えがあるからです。/その二度目の電話が入った時は、関根が犬の散歩から帰って来ていた時で、夕方ころの時間だったと思います。/最初に私が電話に出たところKさんの弟だと名乗る男から
  「兄貴を隠しているだろう。兄貴を出せ」
としつこく言われ、私としては、知らないとしか答えざるを得なかったので、「知らない」と返事すると、今度は
  「アフリカ 居るか」
と言うので、そばに居た関根に電話を替わったのです。/この時、私はKの身内は、私らがKさんをどうにかしただろうと疑いを持っている事が判り、心配となったのです。』(平成6年(94年)12月22日 員面調書)

「その間にKさんの弟さんという人から一回電話がかかって来ました。弟さんは、アフリカ居るか? と聞きましたので、私は関根の事だと思い、今散歩に行ってる、と答えました。/それから暫くしてまた、弟さんから電話がかかって来ました。弟さんは、Kを知ってるだろう、と聞きましたので、まさか殺されたとも言えず、知らない、どこに居るか判らない と嘘を言ってとぼけました。すると弟さんは アフリカを出せ、と言いました。この二回目の電話の前か途中か忘れましたが、関根が犬の散歩から帰って来たので、私は、今帰って来た、と言って、関根に電話を替わりました。/私は、やはりKさんが帰って来ないので、Kさんの兄弟らが行方を探しているんだと判りました。/電話の様子から関根を疑っているようなので、私は、殺して死体を処分した事がバレないか、心配になりました。」(平成7年(95年)1月20・21・22日 検面調書)

次に関根氏の供述調書から該当部分を引用する。

「そのころ、Sの家でKさんの弟という人がかけてきた電話に出たことがありました。/Sが最初に電話で話していたのですが、何か怒鳴り合いをしているような状態でした。/Sが話した後、Sから言われて私がその電話に出ました。相手の弟という人は、私に対して
   兄貴がどこにいるのか知らないか
という意味のことを聞いてきました。私は、本当は私がKさんの死体を解体し、捨てたりしていたのですが、そんなことを正直に言うわけにはいきませんので、知らない振りをして、知らない、と嘘を言いました。
問 その電話の際に、Kの弟だけではなく、Kの妻とも話していないか。
答 その電話と同じ時だったかどうかははっきりしませんが、確かに事件後間もないころ、Kの奥さんと電話で話したことがありました。話した内容は、弟の時と同じような内容だったと思います。
 私は、Sの家になぜKさんの弟が電話をしてきたのか分からず、なぜ私達がSの家にいるのが分かったのか、不思議に思うと共に、怖くなりました。/しかし、電話ではとぼけることしかできず、Kさんのことは知らないという嘘で通しました。」(平成7年(95年)1月25日 検面調書)

上記で分かるとおり、関根氏、Y氏ともに風間さんがKさんの妻であるN子さんに電話番号を教えたことはまったく知らず、勘づいてもいない。関根氏がY宅にいること、そしてY宅の電話番号、この2つをなぜKさんの家族が知っているのか、訳が分からずに気味悪がっていることは二人の供述から十二分にうかがえることである。風間さんはN子さんとの電話を終えた後もKさんの妻から電話がかかってきたこと、関根氏の所在を尋ねられてY宅の電話番号と住所を教えたことなど何ら関根氏に伝えていないのだ。その後N子さんはKさんの実弟とともにY宅に電話をかけ、関根・Y氏と話をしているが、その弟さんはこの時の会話の内容について法廷で証言をされているので見てみたい。

「Sのうちに電話をしたとき、だれが出ましたか。
  
   「Sが出ました。」

証人はまず、どんなことを言ったんですか。

   「……Kの弟ですって言いました。」

それに対して、Sは何と答えましたか。

   「はぁ?って。どちらの、さあっていうような感じで、とぼけてました。」

で、どういう話をしましたか。

   「それで私はもう一度、……Kの弟だっていうことを、明確に相手に伝えました。すると、やつは、どちらのKさんですかって、とぼけました。で、とぼけたので、私もかちんときまして、とぼけるんじゃない、なんでおまえ、お茶とか飲んだり、いろいろ遊び来たり、会ったりしてるのに、とぼけるんだと。とぼける必要、ないじゃないかと言いました。すると、やつが、なんだその言い方はって言ったので、その場で私も負けずにどなり、どなり合いになりました。すると、やつは、電話を一方的に切ってしまいましたので、私はすぐ折り返し電話しました。なんで電話を切るんだと。とにかく犬屋を出せっていうことで、私はSに言いました。すると、今、犬屋とは付き合ってないって言いました。付き合ってないわけないだろう、いいから、犬屋を出せと、私はしつこく何回も言いました。すると、犬屋は今、犬を散歩させてると言いました。散歩じゃない、そばにいるの、分かってんだ。犬屋に替われって、私は言いました。すると、そこにいるやつが、電話に出ました。私はそこにいるやつに、どなりかかろうとしたときに、やつは、私の話をちょっと聞いてください、お願いだから、私の話をちょっと聞いてくださいと言い、説明を始めました。」

今、そこにいるやつと言われたのが、関根被告人のことですか。

   「そうです。」

Sから関根被告人に、電話の相手が替わったということですか。

   「そうです。」

で、関根被告人が証人に対して、どういうことを言い始めたんですか。

   「私の話を聞いてください。ええっと、実はです、19日の日に、Kさんとはお茶を飲んで、楽しく円満解決して、お金を渡して別れたと。三人でソープランドも遊びに行ったようなことも、言ってました。」

で、そういう説明を始めたわけですか。

   「はい、そうです。」

それで、証人はどうしましたか。

   「それで、いろいろそういう話を聞くうちに、犬屋から650万だの、350万だのっていう、私が聞いたことのないような数字が出てきました。で、そんな数字は私は兄貴からは200万としか聞いてなかったので、650万だの、350万だのっていう話は、ちょっと分からなかったので、それじゃ女房に替わると言って、N子に替わりました。」(略)

で、結局、Kさんの居所については、関根披告人は知らないということだったんですか。

   「そうです。」

証人は、そのときの電話のやり取りで、そのことが本当だと思いましたか。

   「……ちょっと私が冷静に考えたときに、おかしいなと思いましたのは、私はそのときは、ちょっと興奮してて気がつかなかったんですが、最初に私が……Kの弟ですって言ったときに、まずSがとぼけたんですね。通常であれば、とぼける必要はないわけなんですね。それをまず、とぼけたっていうことが、すごく不自然でした。あとは犬屋が私に、いきなり説明をしてきました。だけど、私は大屋にもSにも、兄貴が帰って来てないってことは一言も言ってません。なのに、やつらは、こうやって、お茶を飲んで、お金を渡して別れたとか、ああだとか、こうだとかっていうことを、説明をしました。私はただ、……Kの弟だって電話をしただけで、それで相手がとぼけて言い合いになっただけで、兄貴が帰って来なかった、おまえらが、どっかへさらったんだろうとか、そういうようなことは一言も言ってないのに、それに対しての説明がべらべら、まるで台本を読んでるように返ってきました。それがすごく不自然で、そういう答えが返ってくるっていうことは、近々必ずそういう電話が入るんだっていうことを分かってたから、そういうような答えが返ってきたんだと思います。それじゃなければ、そういうような、とぼける必要もなければ、こっちがなんでかけてきたんだか、普通、通常であれば分からないから、そういう説明は来ないと思います。」

じゃ、その電話のときのやり取りで、証人はおかしいなと思われたんですか。

   「はい。」

で、その後、どうしましたか。

   「その後は、このままじゃ、しようがないので、警察に行こうということで、N子と一緒に、行田警察署に行きました。」」(第一審33回公判 平成9年(97年)5月8日)

 風間さんは関根氏の電話番号と所在地をN子さんに教えたことを関根氏に伝えていない

Kさんの家族からの電話を切った後、関根氏とY氏は熊谷に行き、ペットショップに立ち寄っている。関根氏からKさん殺害を知らされたのはその時で、夕方の6時頃だったと風間さんは供述している。

「被告人関根は被告人風間に対し、「夕べ持っていった車はKのだ。Kは車庫でSにやらせた。お前もKの車を運んだのだから、殺人の共犯だ、だからお前さえ黙っていれば大丈夫だ、一切何も言うな」と言って、両手でひもを引っ張るような動作をしたため、被告人風間は被告人関根とYがKを殺害したと思い、愕然とした。」(『一審弁論要旨』p83)

この時も、風間さんは昼間Kさんの妻のN子さんから電話がかかってきたこと、その際片品の電話番号および住所を教えたことを関根氏に伝えていない。風間さんはKさん殺害を知らされた衝撃に打ちのめされ、冷静に物事を考えられる精神状態ではなかったと控訴趣意書に記している。関根氏とY氏は、昼間、片品にかかってきたKさんの家族からの電話に薄気味悪い思いをしていたのだから、この時風間さんが電話番号のみならず所在地まで教えたことを知れば、Kさんの家族から電話がかかってきた事情も理解でき、今後の対策も立てられただろう。この後、わざわざ片品のY宅まで戻り、家の前で待ち受けているKさんの親族を見てあわててUターンするというような無駄足を踏むこともしないで済んだだろう。関根・Y氏の二人は昨夜から一睡もしないで動き回っているのである。風間さんがN子さんの電話について何の報告もしていないことは事件の構造を把握する上で決定的に重要なことと思われる。

 Kさんの兄弟等親族は深夜のY宅前で帰宅を待ち受けていた。

関根氏とY氏はKさんの家族からの電話をうけ、家族がなぜ自分たちの電話番号を知っているのかと不安に苛まれてはいたものの、住所まで知られているとは思いもよらなかった。したがって、ペットショップで風間さんと別れ、片品に戻った関根氏とY氏は、Kさんの兄弟ら親族が自宅の前で自分たちの帰りを待ちうけている様子を見て驚き、慌ててUターンして、その夜は自宅に戻らずホテルに宿泊している。以下にその模様を述べた調書を引用する。まずY氏の供述である。

「ベンツに関根を乗せて翌22日午前1時頃、片品の自宅付近まで帰って来ました。/すると家の手前50メートル位に一台の車が道路右側に止まっていました。シーマという車で熊谷ナンバーでした。/昼間の電話の件があったので、Kさんの関係者ではないかと思いました。私は関根に
  車は熊谷ナンバーだし Kの関係じゃないの?
と尋ねました。関根は、
  時間が時間だから避けよう。揉めたらまずいから
と言いました。それで私はその車の横を通って家の前を通り過ぎ、山道を抜けて国道120号線に入りました。/そして沼田インターチェンジから関越自動車道に乗りました。ところがKさんを殺してから二人とも寝ていなかったため眠くなってきました。それで本庄インターで降りて二人で近くのホテルに泊りました。」(平成7年(95年)1月20・21・22日 検面調書)

次に関根氏の平成7年(95年)1月25日の検面調書から抜粋する。

「Kさんの骨などを捨てた日は、私はSの車で一緒に万吉犬舎に行ったと思います。/そして、その日の夜、泊まるためにSの家にSの車で戻ろうとしたのですが、家の近くまで行ったところ、高級な乗用車が止まっており、Sがその車を見て
  Kの所の車だ 5人くらいいる
と言ったので、私達はSの家に帰るのをやめ、そこから逃げ出しました。
 Kさんの兄弟などが私達を疑ってここまで来たと思ったので、もめ事になり、乱暴をされるかもしれないと思ったので、会わないまま逃げ出したのです。/そして、その夜は、Sと一緒に本庄インターで降り、近くにある適当なモーテルに入って泊まりました。/Kさんの兄弟達がなぜ私やSを疑ったのかは分かりませんが、私とKさんとの間で犬のキャンセルの話でもめ事があったので、それで疑ったのだろうと思いました。/しかし、もうKさんの死体を処分した後でしたので、私達が口を割らなければ、ばれないと思っていました。」

上記の供述調書を見ると、風間さんがその日の昼、Kさんの妻からペットショップに電話がかかってきたこと、所在を訊かれて教えたことなどを関根氏とY氏に何も報告していないことが読み取れる。もしも共謀が存在したのなら、このように恬淡とした態度でいられたはずはない。犯罪――まして殺人という最も恐るべき犯罪をおかした人間の心理として、事件への疑いや追及への懸念ほど気がかりなものは他に何もないはずであろう。風間さんがKさんの妻の電話の件を関根氏に告げていないことは、Kさんの妻にあっさりと関根氏の居所と電話番号を教えたことと同様、風間さんがKさん殺害について関与どころか、何も知らなかったことの証拠ではないかと思われる。
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2009.12.28 Mon l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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