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佐藤優氏の言論活動の最大の特徴は、その価値判断や主張が二重基準をもって展開されているということではないかと思う。これはそもそもの最初からそうだったのではないだろうか。佐藤氏の文章で私が最初に読んだのは氏を言論界で一躍重きをなすことにした本「国家の罠」だったが、ここでは、2002年9月17日に判明した北朝鮮による日本人拉致問題について、このことを獄中のラジオニュースで知ったという佐藤氏は、下記のように記していた。

「拉致問題で日本ナショナリズムという「パンドラの箱」が開いたのではないか。ナショナズムの世界では、より過激な見解がより正しいことになる。日本ナショナリズムが刺戟されれば、日露平和条約(北方領土)交渉も一層困難になる。ナショナリズムは経済が停滞した状況では昂揚しやすい。日朝首脳会談の成果が日露関係にもつながることを、何人の外交専門家が気付いているであろうか」(p14~15)

上記では特にこれといって具体的な見解が示されているわけではないが、その後の佐藤氏が見せるような北朝鮮へのあからさまな敵愾心は見えない。表現されているのは、慎重に事の本質を見極めようという抑制的な態度のように思う。同書の別の場所では、次のような記述も見られる。

「ナショナリズムには、いくつかの非合理的要因がある。例えば、「自国・自民族の受けた痛みは強く感じ、いつまでも忘れないが、他国・多民族に対して与えた痛みについてはあまり強く感じず、またすぐに忘れてしまう」という認識の非対称的構造だ。また、もうひとつ特筆すべきは、「より過激な主張がより正しい」という法則である。」(p295)

このような記述を見ると、佐藤氏の主張は、非道な侵略で他国を苦しめた日本の過去の歴史、加害の歴史を正確に見据えた上で日本人拉致事件をふくめた物事の判断を慎重に冷静にすべきである。そう主張しているのかと推測するのが自然であろう。

ところが、その次に私が読んだ佐藤氏の文章は、「とても同意できない高橋哲哉著『靖国問題』の罠」という『正論』誌に載った文章だったが、これには以前にも述べたことだが、心底驚かされた。「国家の罠」で見られたナショナリズムに対する抑制的な態度はどこへ行ったのやら、その後に読んだ「国家の自縛」ともども、排外的日本ナショナリズムの鼓吹、国益一辺倒の主張ばかりがアクのつよい調子で述べられていた。そしてその後は、金光翔さんが論文「<佐藤優現象>批判」で指摘したように、「「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工している」言論活動が展開されるようになった。媒体による読者の違いに合わせて、自己の主張を相手が抵抗なく受けとれるようなテクニカルな工夫をしているのだ。これは頽廃的・詐欺的手法ではないかと思うが、なんともう5年近くもこのやり方がつづけられ、それで立派に世に通用しているのである。なかには、亀山郁夫氏翻訳の「カラマーゾフの兄弟」に関連して見せたようにデタラメを完全に露呈している場合もある。これは明確に一個の文学作品を対象にしての言説だったので、読者の知りえない著者の個人的な経験などと称してうまく物語をつくったり、曖昧かつ適当な意見を述べたりするするわけにはいかず、そうならざるをえなかったのだと思われる。

佐藤優氏の文学作品や作家に関するデタラメ発言は何もドストエフスキーに限らない。2008年6月には、阿佐ヶ谷ロフトでの講演で、下記の内容の話をしゃべったらしい。「アジェンデの叫び」というブログから引用させていただく。

「今、小林多喜二の「蟹工船」が流行っているが、あの小説は、インチキ小説で、当時の小樽で偏差値高い一番「良い」学校卒業して、一番良い就職口である地元の信用金庫(だったか)に就職したインテリの小林多喜二が、底辺の漁業労働者の生活なんかを実体験として知っている筈もなく、小説の最初の部分は他の小説からの盗作で、それ以外の部分も、当時の漁業労働者他からの取材もしないで「想像」だけで書いたような話だからそこいら中矛盾だらけで、あの小説から、当時の漁業労働者の悲惨な生活を想像する事など出来はしない。と言っていた。」

当日の講演内容については、他にも下記のような感想のコメントがネット上にでている。

「佐藤 優氏は、蟹工船が今、流行っているが、実は、あれはインチキ小説であり、当時の小樽で、一番偏差値の高い学校出て、良い会社に就職した多喜二なんかに底辺漁業就労者の過酷な生活なんか理解出来るはずも無く、小説の最初の部分は他の小説の盗作であり、他の部分も全て取材もせんで書かれたものだ。と、言っていた。 その傍には安田好弘氏と佐高信氏がいたが、何も言わんで聴いていた。」

双方ともにほぼ同一の内容が述べられているので、上のブログに引用されている佐藤氏の発言内容がそのとおりであったことは確かだと思われるが、ここで佐藤氏が述べている小林多喜二の経歴内容は誤りである。多喜二の生家は父親が病弱だったために大変貧しく、多喜二が小樽商業学校から小樽高等商業学校へ進学できたのは、伯父からの学資援助がうけられたからである。学費を出してもらう代わりに、多喜二は就学中ずっと伯父の経営するパン製造工場で寝起きし、そこで朝と晩は工員として働いた。これはかなり厳しい労働だったらしく、多喜二の母親は伯父に対して「(息子を)何もあそこまで使わなくても」と不満に思ったこともあったと三浦綾子の「母」には記されている。彼の弟は、中学にも進学できず、高等小学校卒業後すぐに洋服屋の丁稚奉公に出ている。「蟹工船」を「他からの盗作」とまでいうのなら、根拠は何かを明言すべきである。佐藤氏のデタラメ話を、多喜二をテーマにあちこちで講演までしている佐高信氏は黙って聞いていたらしい。そもそもこの挿話は多喜二の経歴のなかで有名なものなのだから、佐藤氏もちゃんと知っていた可能性もある。知っていたにしろ、知らなかったにしろ、デマカセを大勢の人前で話しても自ら何ら痛痒も感じないし、また他から指弾されることもない、という絶大な自信があるのだろう。なんとも暗澹とする話である。

このような状況なので、当然のことに、佐藤氏の文章を読むと細部をふくめて何かとひっかかることがでてきて、「これは本当のことだろうか?」「デタラメではないか?」という疑いが兆すことが大変多い。これは何とも言えず不快な経験だが、二重基準を用いているということ、読者に合わせて自己の主張・内容の細工をしているということはそれ自体嘘をふくまないわけにはいかないので、実際の真偽はどうあれ、私はこのような疑いが生れるのは必然のことと考える。

『週刊金曜日』のサイトに公開されている文章に、「佐高信の現代を読む」という連載があるが、次の一文もその一つである。

「 2005年6月10日号の本誌「読んではいけない」欄で書いたこの本を挙げて、驚く読者もいるかもしれない。しかし、私は「読み方注意!」的に取り上げたのであり、官僚が動かす「国家」がどういう生理と病理を持つかを描いたこの本は10年に1冊出るかどうかと言う貴重なドキュメントである。私はこれについて、”外務省のラスプーチン”と呼ばれた著者が守ったのは「国益」ではなく、「省益」だったのではないかと指摘した。それは客観的に正しいというのが著者からの返事で、官僚は省益と国益が一致するとの擬制において行動するからであり、それをチェックするのは議会とマスメディアだという。
 それにしても、私が前記の欄でこの本を俎上にのせた時、著者のところに、「『金曜日』と何かトラブルがあったのか」と尋ねてきた友人がいたというのは嘆かわしい。すべて賛成。すべて否定でなければ気がすまない人たちにこそ、この本をすすめたい。」

上の佐高氏の文章によると、2005年(佐藤氏が『週刊金曜日』に連載をもつはるか以前の時期である)に、佐高氏が『週刊金曜日』で「国家の罠」を批判的にとリあげたところ、その文章を読んだ友人から佐藤氏は「『金曜日』と何かトラブルがあったのか」と尋ねられたというのである。まるで「国家の罠」は賞賛以外の批評はありえない本のはずだというように聞こえるが、これについて、「アンチナショナリズム宣言」というブログは、2008年5月14日の記事において下記のように記していた。

「「<それにしても、私が前記の欄でこの本を俎上にのせた時、著者のところに、「『金曜日』と何かトラブルがあったのか」と尋ねてきた友人がいたというのは嘆かわしい。>
(略)
 確かに、わざわざ週刊金曜日とトラブルでもあったのかと心配するのも「変」なのだが、その心配する友人がそんなに嘆かわしいのか? 佐高が嘆かわしいと言ったのは、「読んではいけない」で佐藤優の著書を批判したことに言い訳するためではないのか?

 それにしてもこの不自然さはなんだろう?
 この友人の話自体が佐高を懐柔するための佐藤がよくやる作り話ではないのか。佐高はこのインチキくさいエピソードを聞いてすっかり嵌められたと思う。いや、佐高は自分の書評を打ち消すために、この作り話にのったのかもしれない。」

私も佐高氏の文章を読んでこのブログ主の方と同じように、「それにしてもこの不自然さはなんだろう?」という感想をもったが、私自身が経験したこれによく似た類のことをいくつか以下に書いてみる。

(1)
佐藤氏は、2007年に角川学芸出版から「地球を斬る」という本を出している。これは産経新聞グループのウェブサイトに連載されたものを集めて一冊にまとめたもののようだが、この本に「思想犯としてのテロリズムとの戦い」というタイトルのもと、下記の文章が掲載されている。

「 最近、外国のテロ対策専門家が筆者を訪ねてきた。北朝鮮が行う可能性があるテロに対する日本の政治エリート、マスメディアの感覚が鈍いのに驚いていた。その専門家は、「日本警察のテロ対策部門は有能で、取るべき予防措置や広報についてもきちんとした問題意識を持っているのだが、世論の後押しがなく、政治家の理解がないところでは十分な対策をとることができない」との感想をもらしていたが、筆者もその通りだと思う。(略)
 思想戦としてのテロリズムとの戦いを軽視してはならない。この観点から見ると日本は対テロ思想戦の準備が全くできていない。外国のテロ対策専門家は、「日本の原子力発電所の多くが日本海に面しているが、北朝鮮の工作員が上陸して生物・化学兵器で攻撃をした場合の防御策は十分とられているか。原発の警備は民間会社が行っていると承知するが、北朝鮮情勢の緊張を考慮するならば自衛隊が警備するのが国際スタンダードではないか。それから貯水池に対するテロ対策は十分にできているのか」と言う。もちろん関係当局はそれなりの対応はとっているのであろうが、テロの脅威に対する認識は不十分だと思う。
 イスラエルの水資源公団幹部を務めた人物が水の安全保障についてこう述べていた。
「ハマス(パレスチナの原理主義過激派)が貯水池に毒物を混入させるという確度の高い情報が入ってきたのでイスラエルはユニークな対応をとった。エレフアントフィッシュをすべての貯水池で飼うようにしたのである。この魚は、人間にとって有害な物質が水に混入すると、直ちに反応する。貯水池には24時間体制で監視員を置いて、エレフアントフィッシュの動きに少しでも異常があれば、直ちに給水を中止して調査する」
 これがテロ対策の国際スタンダードなのである。北朝鮮が日本に対するテロ攻撃を仕掛ける場合、貯水池、原発、新幹線などが標的になるのは明白だ。十分な対策をとるべきだと思う。
 2007年1月25日から第166通常国会が始まるが、テロ対策については党派的利害や駆け引きを超えて、国家的見地から本気の議論を展開し、目に見える対策をとることを望む。」(2007.1.25)

日本の原子力発電所に対して、「北朝鮮の工作員が上陸して生物・化学兵器で攻撃」したり、「貯水池、原発、新幹線などが標的になる」テロ攻撃をしかけたりする可能性があると佐藤氏は述べているのであるが、一体、何のために北朝鮮がそんなことをする理由があるのだろう? 自国を絶対的危機に追い込むだけのそのような暴挙をあえてなす必然性があるというのなら、佐藤氏はその根拠を懇切丁寧に記すべきであるが、それは一切していない。上の文章は、単に悪質なデマを振りまいて北朝鮮の敵愾心を煽り、日本人の危機意識を煽情し、ひいては在日朝鮮人の生活と立場をますますの苦境に追い込むことにしかならないのではないだろうか。

「最近、外国のテロ対策専門家が筆者を訪ねてき」て、その人物は上記のように佐藤氏にむかって「北朝鮮の工作員が上陸して生物・化学兵器で攻撃をした場合の防御策は十分とられているか。原発の警備は民間会社が行っていると承知するが、北朝鮮情勢の緊張を考慮するならば自衛隊が警備するのが国際スタンダードではないか。それから貯水池に対するテロ対策は十分にできているのか」と問うたというのだが、この「外国のテロ対策専門家」とは一体どこの国のテロ専門家なのだろう。そもそもこの人物は本当に実在するのかという疑問も浮かぶ。専門家であればあるほど、北朝鮮が日本の原子力発電所や貯水池にテロ攻撃をしかけたりすることなど現実的にはまずありえないと考えるのではないだろうか。それでなくても、このようなことを他国にやってきて軽々しく口にする専門家がいるのだろうか。実話とすれば、あまりにも軽率すぎないだろうか。佐藤氏は元対露交渉の外交官だった人であり、今は休職中の一著述家である。そういう人になぜ外国の「テロ専門家」がこのような具体的に踏み込んだ発言をするのだろう。それとも、佐藤氏は表向きの顔とは異なり、過去「テロ」についての専門的関わりをもった実績でもあるのだろうか? また佐藤氏は、第166通常国会でこの問題を取り上げて議論しろというのだが、北朝鮮が日本海に上陸して生物・化学兵器を使ったテロ攻撃をする可能性について国会で侃々諤々の議論をせよというのだろうか? テロ専門家という人物の話も、これに対する佐藤氏の受け止め方も、信憑性に乏しい荒唐無稽な話であるように感じられるとともに、大変悪質な発言のように思えてならない。

(2)
前回の記事中に、「文章(注:メール文)には追加して具体的に述べてみたい点もあるが、いま現在、時間の余裕がないので、そのうちゆっくり書いてみたいと思う。」と記したが、以下に述べるのが、その件である。

佐藤氏は、2007年の10月、「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」の主催による「死刑廃止デー」にゲストとして招かれ、「日本の刑事司法は死刑制度に耐えられるか」という演題で、鈴木宗男氏・安田好弘弁護士とともに鼎談を行なっている。私は、その後送付してもらった「フォーラム90」の機関紙でその内容を知ったのだが、会の冒頭、佐藤氏は、「安田さんと付き合うな」という電話をもらった、と話していた。会および演題の趣旨からすると大変唐突な発言だとも、言わずもがなの発言だとも感じたが、同時に「これはホントのことかなァ?」とも思った。

とは言っても、この時点ではそのことに特に拘ることはなく、それで終わっていたのだが、この発言が気になるようになったのは、この会の2、3ヶ月後、金光翔さんがインパクションに発表した論文に関連して、著者を蚊帳の外に置いてインパクションの編集長・安田弁護士・佐藤優氏の「話し合い」が行なわれるという出来事があったからだ。佐藤氏は、2008年3月刊行の「正義の正体」(集英社)という田中森一氏との対談本でも、下記のように述べている。

佐藤 先日、安田さんの主催する死刑問題の討論会をしたが、前後に数人から電話があり、「安田みたいなのとだけは付き合わないほうがいい」と言われた。
 田中 世間の人はみんなそう言うだろう。」

「死刑廃止デー」の集会は、「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」の主催であり、安田弁護士はその有力な会員ではあっても、安田氏個人が集会を主催するわけではないはずだが、そのことはさておき、「正義の正体」によると、佐藤氏には集会の前だけではなく、終了後にも同じく「安田弁護士と付き合うな」という電話が入ったというのである。対談相手の田中氏も「世間の人はみんなそう言うだろう。」と素直に応じているが、さて、どうだろうか。

2006年早々、「光市事件」の裁判で急遽弁護人に就任した安田弁護士などが弁論の準備ができないということで最高裁の弁論を欠席したことに対し、世論の反発は凄まじかった。その後の裁判の経過においても、バッシングはつづき、光市弁護団は安田弁護士をはじめ大変な苦労をしたことと思う。だから一見佐藤氏が述べている話は辻褄が合うように思えるのだが、しかし少し細かに考えてみると、世論のバッシングと、佐藤氏の周辺の人が「死刑廃止デー」に出席する佐藤氏にわざわざ電話をかけて「安田弁護士と付き合うな」と忠告をすることとの間には乖離があるように思う。その理由の一つには、この集会のゲストとして佐藤氏とともに鈴木宗男氏が出ることがあらかじめ発表されていたことがある。鈴木・佐藤の師弟コンビ(?)が揃ってパネリストとして会に出ることが分かっているのに、この期におよんで佐藤氏に「安田と付き合うな」という電話をかけるというのはヘンではないか。その人物は、佐藤氏に欠席を勧めて鈴木氏に一人で会に出席せよと言っているのだろうか? それでは鈴木氏が困ることになることは分かるはずと思うのだが。

それから安田弁護士はマスコミやウェブ上で大変なバッシング攻撃を受けたが、これはあくまでも裁判における弁護士業務の過程に限って発生した非難であった。もし安田氏が実は暴力団員であるとか、怪しげな宗教団体の幹部であるとか、あるいは金銭面などでよからぬ噂が絶えないとかいうのなら、なるほど「付き合うな」という忠告も来るかも知れない。しかしそうではない。れっきとした一人前の弁護士であり、ましてこの会は「死刑廃止デー」という毎年行なわれている周知の集会であり、何ら怪しげなものでないことは佐藤氏の周辺の人々はちゃんと知っているのではないのだろうか。そして佐藤氏自身、それまでにマスコミのあちこちで「私の死刑廃止論」などという死刑廃止の弁をかなり書いたり話したりしていたはずである。周辺の人が佐藤氏にむかってあえて「安田と付き合うな」という必然性はほとんど感じられないのである。2006年10月に佐藤氏が「神保町フォーラム」をともに立ち上げた宮崎学氏とか魚住昭氏などという共通の知り合いも存在するようだし。

もう一つ、これも疑問の大きな理由になると思うのが、佐藤氏のパーソナリティである。ただでさえ、人は他人にむかって明確な根拠もあげずに「誰それと付き合うな」というような忠告はしにくいし、しないものである。相手がまだ学生だったり人生経験に乏しい年少者である、あるいはひどく気弱な性格であるとかいうならともかく、人はめったなことではそのようなことは口にしない。これは家族関係においてでさえ遠慮する性質の微妙な問題であるが、なかでも、佐藤氏はそのような忠告が最もしにくいパーソナリティの人ではないかと思う。前に書いた『AERA』の記者への対応に関してだが、佐藤氏はきびしく本人を責め立て、『週刊新潮』に怒りをぶちまけた上に、『AERA』とその記者に対し事柄からするとなんとも執拗な内容の「公開質問状」を送り、これを『週刊金曜日』のサイトにアップまでしている。このような剣幕、態度をみて、それでも佐藤氏に「安田氏と付き合うな」というような忠告をする人が会の前後を通じて複数名いたということはなかなか信じがたいことではある。

何かと金光翔さんの発言を引用させていただいて恐縮だが、金さんはこちらで、

「佐藤の文章には、(柄谷行人のように)根拠を示さない、または、(落合信彦のように)情報の出所が不明確な断定が非常に多い。佐藤の言明が事実であるかどうかは、佐藤を<信>じるしかないのである。」

と述べているが、 本当にこのとおりである。特に佐藤氏を信じる理由のない者としては、その文章を読むとデタラメ、嘘、偽りを騙られているという不快感につきまとわれることになる。この不快感は佐藤氏ひとりに対してのものではないこと、そのことこそが問題なのである。
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2010.02.27 Sat l 言論・表現の自由 l コメント (0) トラックバック (0) l top
2月1日付の金光翔さんのブログ「私にも話させて」の「第5回口頭弁論期日報告」で、安田好弘弁護士が佐藤優氏の専属弁護人に就任し、この日の法廷に出席していたことを知った。実は昨年12月15日の金さんの記事「第4回口頭弁論期日報告」のなかで、「なお、現在の被告代理人3名に加えて、佐藤氏が自らの代理人を追加したとのことで、新しい論点が提示されるため、次回口頭弁論期日の開催が少し遅れることになった。」という文章を読み、そのとき佐藤氏専属のこの代理人がもしかすると安田弁護士ではないか、という気がチラとしたのだった。しかし、まさか、と思い(注1)、その後もこの疑念を打ち消し打ち消ししてきたのだが…。

現代の言論や表現の自由にたいする侵害は、かつてのような公権力や右翼の攻撃のように誰の目にも分かりやすい形で行なわれるとは限らない。そのことをまざまざと示したのが金光翔さんの論文「<佐藤優現象>批判」をめぐる『週刊新潮』や岩波書店や掲載雑誌社の動向だったと思う。特に深刻だったのは、論文を掲載した雑誌社までもが一枚噛んだことではなかったかと思う。金さんは、論文中で勤め先の岩波書店をも批判の対象にしたことで、岩波からの攻撃の可能性はある程度予想していたのではないかと思う(佐藤優氏を問題視した論文を書く以上、岩波書店への批判は避けて通れないものだったろう。岩波が佐藤氏を「一流の思想家」のごとく扱い、盛り立てたことが一連の現象の起動力だったと思われる。そして佐藤優現象への批判はぜひとも誰かがしなければならないことだったはずである。)。しかし、掲載雑誌社が著者の意向を無視して佐藤優氏と「話し合い」をもち、佐藤氏の覚えをめでたくしようとするような行動をとるとは予想もしなかったのではないだろうか。もし自分が金さんの立場にたったとして考えてみると、最もふかく心を傷つけられたのは、おそらくインパクションの対応ではなかったかと思う。

論文の発表後、安田弁護士は、佐藤氏からインパクションと「話し合い」をしたいとの相談なり提言をうけたのなら、その時点で佐藤氏に反論文を書くことを勧めるべきだったろう。佐藤氏は金さんも述べているとおり、多くの雑誌に記事の連載をしており、いくらでも反論の場はもっていたはずである。掲載場所としてインパクションがいいのなら、佐藤氏の反論文を載せてくれるよう、インパクションに掛け合うことはもちろん賢明で正当な関わり合いの範囲であったろう。それをしなかったのはなぜなのだろう。またインパクションは安田氏から三者の話し合いを要望されたのなら、著者の意思に逆らって、あるいは著者に黙ってそんなことをしたら、雑誌社としての生命線を傷つけることになるから不可能の旨を伝えるべきだったろう。三者の話し合いは行なわれたようだが、このような方法が後々までふかい禍根を残すことになるのは素人でも分かることである。

さまざまな悪影響が考えられるが、ごく単純に考えて、たとえばこの次に同じような要望がインパクション誌で批判された側からまただされたら、今度はどうするのだろう。今回と同じく「話し合い」の場をもつのか、もたないのか。そしてそのうちのどちらの選択をするにせよ、判断の基準をどこにおくのか。またインパクションはもし著者が金さんのように無名の新人ではなく、実績のある著名人だったとしたら、著者を無視して佐藤氏と会合をもつというような行動をとったのだろうか? このことも私には疑問である。それから、何でも具体的な場面を想定して善悪、真偽を判断しようとするクセのある私はついつい下記のような発想をしてしまうのだが、深田氏や安田弁護士は、佐藤氏の立場にたったのがもし自分の子どもだったとして、子どもが佐藤氏のような行動をとろうとしたら、これをいさめないのだろうか? 裏から手をまわして対象論文を無価値なものにしようと画策したり、抹殺しようとするのではなく、堂々とした反論文を書きなさい。それこそが言論人のあかしではないか、そう言わないのだろうか? さらに、いろんな出版社や雑誌社がインパクションと同じ行動をとり始めたら、一体どうなるのだろう。出版界と著者や読者との信頼関係はゼロになるしかないと思うのだが。

私は当時-2年前から上記のような疑問をもっていた。先月、朝日新聞に載ったインパクションに関する記事に関連して金光翔さんはインパクションを批判していたが、この記事を読んだ私は、フォーラム90とインパクション宛てに下記に掲載するメールを送信した。インパクションはともかく、フォーラム90にこのような文面のメールを送ることが妥当かどうかは自分でもなかなか判断の難しいことではあったが、しかし、この件は多くの人が自分の問題として考えるべきことだと思う。私などはこのブログを始めるまであまり文章を書く機会もなかったが、そんなときであっても、自分の意見を言いたいときには誰に遠慮することなく(真に言いたいことを)言えるという自由をもっていることは生きる上で絶対的に必要不可欠のものであった。

メール文には、こまごまとした点では過誤や思い違いもあるかもしれないが、私自身の基本的な考え方は明示していると思う。文章には追加して具体的に述べてみたい点もあるが、いま現在、時間の余裕がないので、そのうちゆっくり書いてみたいと思う。なお、この問題を考える上で、藤田省三の「日本における二つの会議」は示唆的であると思うので、一部を別途引用掲載した。ぜひお読みいただければと思う。言論への侵害や弾圧に関する問題は秘密裏に処理しようとしたり、隠匿したりすることなく、読者をふくめて広く公的な問題とすることが何よりも大事であることは、藤田省三だけではなく、「風流夢譚事件」を経験した京谷秀夫氏などの編集者や「パルチザン伝説」の著者である桐山襲氏などが口を揃えて述べていることでもある。金光翔さんが実践していることはその手本のように思える。

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死刑廃止フォーラム90 様
インパクション 様

いつも「死刑廃止フォーラム90」の機関紙をお送りいただきありがとうございます。実は、講読を中止したいと思いまして、その旨のご連絡をさせていただきます。ここ2年ほど購読料を含めたカンパもお送りしていませんでしたので、近々、郵便局の払込取扱票で僅少でもお振込みをし、その通信欄にて講読中止の依頼をする心積もりでいましたところ、数日前に金光翔さんのブログで「佐藤優のいない〈佐藤優現象〉」という記事を読み、気持ちが変わりました。貴会にたとえ些少でもお振込み(注2)をすることは今気持ちの上でどうしてもわだかまりを感じます。失礼ですが、また残念でもありますが、このメールにて講読中止のお願いをさせていただきます。よろしくお願いします。

上記の件に関連して、下記に少し私見を述べさせていただきます。2008年早々だったと思いますが、かねてから愛読していた金光翔さんのブログで『インパクション』が自ら掲載した「〈佐藤優現象〉批判」の著者に対して驚くべく非人間的な対応をしていることを知り(内容が内容だったものですから、書かれていることが100%本当のことであるかどうかという疑問も当然なくはありませんでしたが、ただ公的に発表する文章にことさら偽りが書かれているとは思えませんでしたし、またその書き方から推察してまずそのまま信頼していいと思いました)、私はそれ以前にとある冊子に佐藤優さんを批判する文章を書いていたという経緯もありましたので、その年の3月に『インパクション』にメールをお送りしました。内容は、金さんが週刊新潮や勤め先の岩波書店およびその労組から手ひどいイジメ攻撃に遭っている最中でもあり、「掲載雑誌社として著者を守ってやってほしい。またそうすべきだと思う」というようなものでした。

私は出版業界とは何ら関係をもったことはありませんので、読者としての経験からのみ述べるのですが、掲載された文章に関して外部から批判や抗議をうけた場合に雑誌社が著者に対してこれほど(非礼をはるかに超えた)冷ややかな対応をとった例をそれまで知りませんでした。小説家の随筆などを読んだ経験から推測して、編集者というのは、何よりも著者にすぐれた原稿を書いてもらうことが生きがいの種族であるらしいと漠然とながらそう感じ、ずっとそのように受けとめてきました。金さんの論文の出来映えは出版・編集者のそのような期待に十分応える水準のものと思いましたし、また「パルチザン伝説事件」や「風流無譚事件」が発生した時、著者である桐山襲氏や深沢七郎氏に対する出版社および編集者の態度は、自分たちが追い詰められていたこともあり、大いに不十分ではあったと思いますが、それでも『インパクション』のような冷酷というような性質のものでは決してなかったはずです。そのため、『インパクション』の対応についての金さんのブログを読んだ私は大変驚き、深刻な懸念を感じたのですが、同時に、「これはきっと佐藤優という書き手が産経などでどんな内容の文章を書いているか、よく知らないのではないか」とも思いました(今考えると、そんなことはありえないことだったと思いますが)。

そういうわけで、『インパクション』にメールを送るに際しては真意をちゃんと受け取ってもらえるのではないかという期待をもっていました。というのも、イジメに加担もしくは黙認しておいて、「死刑廃止論」をはじめとしたどんな人権擁護の主張も成立しないでしょう。また、自らその原稿を採用しておいて、少し抗議がきたからといって、あっさり著者を放り出したのでは、その瞬間から出版雑誌社としての存在基盤を崩壊させ、その信用を地に落とすことは間違いないでしょう。そのくらいのことを雑誌の編集長たる人間が理解できないはずがないと思ったのです。でも何らお返事はいただけませんでした。

その後内心ではずっと気になってはいましたが、今回、金さんのアップされた文章を読んでみると、当時の『インパクション』の対応が想像していたよりもはるかに冷酷なものだったことを知り、あらためて驚きました。この記事によると、編集長の深田氏は、金さんが「「首都圏労働組合特設ブログ」で『週刊新潮』の記事による攻撃への反論をはじめた際、「ブログなんて意味がない。そんなにブログに価値を認めているのならば、論文も、『インパクション』ではなく、ブログで掲載すればよかったのではないか」とも言っていた。」とのことですが、「論文も、『インパクション』ではなく、ブログで掲載すればよかったのではないか」という発言には、その内容の不合理性と無情さに言葉が詰まります。深田氏は、ご自分の雑誌も人間の思想もかけがえのない貴重なものとは考えておられないのでしょうか。

安田弁護士が佐藤優氏と『インパクション』との会合の仲立ちをしたことも大いに問題だと思います。この件がどんなに深刻な問題であるかを私はお伝えしたつもりですが、なぜ深刻かというと、会合が成功するということは、金光翔さんを排除するということとイコールだからです。佐藤氏が会合をもちかけたことの目的がそこにあるということを感じとれない人間はいないでしょう。それでもなおかつ仲介をしたということは、週刊新潮や岩波書店、岩波書店労働組合のイジメを容認し、自らもそのイジメに加担するということになるのではないですか? 気に入らない言論、または自分たちの利害に反する言論は相手に確認もせず、公の場で議論する労もとらず、ひそかに抹殺しても構わないという意思表示にもなるでしょう。

思い出されるのは、安田弁護士の著書に書かれていた、名古屋の女子大生殺害事件を起こした被告人の著書刊行が裁判所によって妨害されたという出来事です。あの被告人への出版妨害は許されないけれども、金さんへのあのような形での言論弾圧は許されるということになるのでしょうか? また、今後検察や裁判所から新たに何らかの形で被告人や受刑者に関する外部への文書発表や出版に対する妨害などがあった場合に、皆さんはどのように対処なさるのでしょうか? それだけではありません。今後かりに『インパクション』や『フォーラム90』に出版妨害があった場合、金さんにあのような対応をとった以上、もう「言論弾圧だ」というようなまっとうな抗議をする資格を自分たちが喪失しているかも知れないという疑いをもってみてもいいのではないでしょうか。

だいたい、佐藤優氏は、イスラエルによるパレスチナ人民の殺戮を全面擁護している人物です。また死刑廃止論者のようなことを述べたりもしていますが、「国家情報戦略」(講談社+α新書 2007年)という本では、スパイ防止の法整備を進めることを提案した上で、「スパイ防止法」という名称では世論が騒ぎだして反対するので、「情報公務員法」という名称の法律を制定し、「情報公務員が情報漏洩をして国に危害を与えた場合の最高刑は死刑にする。つまり、ものすごくきびしい罰則規定を設けるわけです。」(注3)と述べています。死刑廃止どころか、これでは死刑の拡大を呼びかけているとしか思えません。こういう人だからこそ、言論弾圧に他人を巻き込んだりもできるのだと考えるべきでしょう。

『インパクション』へメールを送信した同時期に、私はもちろん岩波書店にも批判のメールをお送りしました。文面に「このようなイジメは個人が堪えうる限度を超えている」「もし何らかの不幸な出来事が起きた場合、あなた方はどのような責任をとるつもりなのか」というようなことを書きました。実際、不幸が生じた後では岩波書店やインパクションが廃業したって決して追いつかないでしょう。私にしてもそのようなことを現実的に考えているわけではありませんでしたが、しかし酷いイジメによってギリギリまで追い詰められている人間は数多く存在します。『インパクション』がそのようなことを気にかける様子もなく、掲載雑誌社としての責任を自覚した風もなく、「飼い犬に手を噛まれた」と言わんばかりの冷たい発言を連発していたことは驚嘆に値することです。

『インパクション』は、そして安田弁護士も、金さんに謝罪をするべきではないのでしょうか。もし金さんにも悪い点があったと思われるのなら、その旨伝えて意見を交換するなどの対応を積極的にとるべきでしょう。それが、世に「死刑廃止」を訴えたり、死刑執行に対する当局への抗議文の送信を呼びかけたり、署名やカンパの要請をする者としての最低限の務めになるはずです。『インパクション』の編集者にしても、『フォーラム90』の方々にしても、金光翔さんのブログをご覧の方もある程度存在するのではないかと思います。自分たちの身辺で発生しているこのような事態を深刻な問題としてうけとめた様子のないことは、私のような一般庶民の常識的立場からすると実に不可解なことです。

金光翔さんへの接触が行なわれるのであれば、このメール文はこのままにしますが、もしそのようなことが行なわれないのであれば、場合によって(たとえば1ケ月経過後)、私は自分のブログ(横板に雨垂れ)でこの文章をアップすることがあることをお伝えしておきます。『インパクション』にもこのメールを送信しますが、どちらにしろ、何らかのお返事をいただければ嬉しく思います。

それでは失礼いたします。

1月14日

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予想はしていたことだが、返事はいただけなかった。

注1)安田弁護士の「光市事件」をはじめとした刑事事件への弁護士としての取り組みにはずっと敬意をもってきた。2005年刊行の「生きるという権利」にも感銘をうけた。安田弁護士はあの本に最後の一章としてこの件を具体的に叙述した文章を追加してみてはいかがだろうか。双方に、同一人物の考え方、行動としてどのような一貫性、統一性があるのか、あの本を愛読したものとして知りたいと思う。

注2)フォーラム90の機関紙は、集会などに参加して氏名を記入するとその後送付してもらえるようである。私の場合もそのようにして送ってもらっていた。ここ2年ほど振込みをしていないが、ただそれ以前に購読料分くらいはカンパとして送付していると記憶するので、決して機関紙代を踏み倒したわけではない。その点、誤解なきよう。

注3)佐藤氏は、「国家情報戦略」で死刑に関連して下記のように述べている。

「①日本はスパイ防止のための法整備を進めるべきです。ただ、スパイ防止法の制定が適切であるとは、私は思いません。なぜなら、スパイ防止法という言葉は手垢がついているし、「そんなものはけしからん」とかいって、まちがいなく世論が騒ぎ出しますから、高い確率でまとまらないでしょう。/ 私は「情報公務員法」のようなものがいいんじゃないかと思っています。まず、軍でも外務省でも、これからできる対外インテリジェンス機関でも、情報を担当している人を「情報公務員」と規定します。そのうえで、国家公務員法の特別法にするわけです。/そして、情報公務員が情報漏洩をして国に危害を与えた場合の最高刑は死刑にする。つまり、ものすごくきびしい罰則規定を設けるわけです。②ただし、事前に自首し、捜査に協力した場合は刑を免除する。このような極端な落差をつけることがミソなのです。もちろん、共謀もしくは教唆した人間に対する罰則規定も設ける。共謀もしくは教唆した人間は、たとえ情報公務員以外の民間人であっても罰することができるようにするのです。そうした形をとることができれば、実質的にスパイ防止法と同じ中身になります。」

文章を①と②に分けたが、①はいろんなところで死刑廃止論者としての見解を述べている佐藤氏がこの問題でも二重基準を用いていることの証明になるだろう。しかし私はこの①以上に②における考え方が大変危うい、おそろしいと思う。ここに見られるのは、人が根源的にもっている死の恐怖、命を奪われることへの恐怖心を手玉にとってそれを振り回して人を支配しようとする発想の典型だと思う。まったく死刑廃止どころではない。ジョージ・オーウェルの「1984年」を連想せずにはいられない。またドストエフスキーの「悪霊」をも。

2010.02.20 Sat l 言論・表現の自由 l コメント (0) トラックバック (0) l top
「 小学校でも中学校でも、子供は授業時間が終って休憩時間になると、一斉に生き生きとして退屈な沈黙から快活な饒舌へと転換する。そうした光景は、しかし、学校だけではなく「正式の時間」とそれにはさまれた「間の時間」があるところには何処にでも発見される。おかみさん連中が食事時と食事時の間に行う井戸端会議の活発さもまた、こうした現象の一例である。ここにはむろん自由への原初的な欲求が露われている。そしてわが日本社会では、この原初的自由より以上のレベルの自由は、社会的現実として構成されるまでに強力とはなっていない。社会的制度の中で現われる自由はわずかに「間の無形式」を享受すること以上ではなく、フォーマルなルートの中に自由を生かすことはない。拘束されることと自由に主張することとが両立するものとなるには、拘束を内面化する以外にないのだが、そのことは社会的には実現されていない。
 日本の「議会」を見れば一目瞭然である。大淵和夫・藤田光一氏や杉浦明平氏の論文が教えてくれるように、市町村議会は休憩時間にだけ討論が行われるが、それは国会でもそうであって、自民党議員の討論は「料理屋」と「廊下」において行われる場合が多い。とすれば、この国では決定を作っていく「生きた会議」は実は「放課後」に行われているのであって、正式の「会議」は実はそうした「機能する会議」を作り出すための条件として設定されているに過ぎないということになる。日本議会主義はこうした特殊な構造をもって生きているのである。実定的な議会制度はそれ自身では実効性を持たないが、しかし制度の中に含まれた非制度的会議に実効性を与えるチャンスとしてのみ存在しているわけである。それは、まさに機(チャンス)であるからして法ではなく、仏教哲学の中で教義化されているように、むしろ法に対立するものである。どんなに法律制度を整えて国会法をつくっても、法の支配が実現しないのは、その法律制度自体が単なる「機」としてだけ社会的に機能しているからなのである。しかもまた法の支配に対する原理的な反対物であるところの命令の支配でもないのは、この「休み時間の話し合い」によって、決定が行われ、決定があらかじめ了解され、したがって決定は命令者の責任においてなされる「決断」とならなければ、留保条件をめいめいが保持した妥結ともならないで、それが始めて「公け」にされる瞬間には既に全体のものとされているか、少なくとも党派全体のものとなってしまっているからである。
 この「休み時間の話し合い」こそが日本社会を規定するもので、それは、本来的に象徴的な意昧での「日本語」によって行われる。つまり、そこでは「言霊音義解」の哲学がそのまま運営原理となっていて、「話し合い」はまさに「話し合い」であることによって、文字やその他の客観的記号によって公的に表現されてはならないのである。むろん速記はとらさないし、議事録などを残してはならないものなのである。議事録がないのは、面倒だからでもなくまた怠慢からでもなく、「話し合い」だからである。文字に残すのならそれは「話し合い」ではなくなってフォーマルな誌上討論になってしまう。言霊は、凡そすべての人に追思考できるような客観的形式によって縛られたりしてはならない。無形式に行うベきものである。「話し」は音であって形象化されてはならぬ。こうした「話し合い」で実質的な決定が行われるとしたら、正式の会議は単にそれの確認・公表の儀式となる。そこでは、国会なら制度上止むを得ず議事録をとるが、市町村会などになれば、面倒だから議事録はとらない。本当に必要ないからであり、討論の過程そのものがないからである。こういう構造は議会主義ではむろんない。むしろ反対である。対立する意見と立場を客観的なルートに載せるという理念は皆無だからである。ただ、こうした「話し合い」を客観化する技術手段(テープレコーダーやビデオテープ)はできているのだから、これをうまく活用することによって、客観化せざるを得ないように仕向けて行く可能性は開けて来るし、もし議会主義の理念を生かそうとするなら、開かねばならないだろう。日本の伝統的会議の方式からパブリック・オピニオンをつくって行く可能性はこのようにして技術的には可能な段階に達している。それができていないのは、「話し合い」哲学を固守して決定過程を当事者同士の「私」に属するものとして特殊化しようとする精神が強いからである。しかし何でも自分達のものを特殊化しようとするのなら、他の特殊者と比較し「つき合せ」をやって行かないと決して客観的に特殊なものとはならない。それを行わないから「話し合い」主義の社会には個別性が生れないで遂にどれも相似の平準化された「型」ばかりが出て来る。他方、それを行おうとするところに、「媒介」の論理を追求する中井正一の哲学が生れた。そこに会議と討論と交流の方法がつくられたのである。
 (略)われわれは最後にこうした「話し合い」主義が暗殺との間に持っている内的な関連に注意しておこう。「話し合い」主義が対立を客観的記号によって表現することを拒否し、完全相互了解を目ざすものである限り、それは絶えず了解のつかない相手を排除する傾向を内にもつ。もろもろの見解が対立する過程そのものの中に生産力を見出してそれを喜ばしいものとする考えが生れて来ない限り、抹殺衝動の発生は避けられない。(略)」

以上、「日本における二つの会議」(藤田省三著作集7「戦後精神の経験Ⅰ」初出は『思想の科学』1960.11月号)より抜粋。
2010.02.20 Sat l 言論・表現の自由 l コメント (0) トラックバック (0) l top
ブログ「私にも話させて」の金光翔さんは裁判に訴えた自身に関する『週刊新潮』の記事について語るとき、別の2つの『週刊新潮』の記事について言及することもよくある。2007年、半年余の間に佐藤優氏を批判したり、佐藤氏本人を怒らせる記事を書いた執筆者を『週刊新潮』が取り上げ、中傷を含めた記事を書くということが金さんを含めて3件つづいて起きたからだ。このことを単なる偶然とは誰にしろなかなか思えないのは無理のないことであろう。そしておもしろいことに、金さんがこのことをブログで取り上げ、これは佐藤氏と『週刊新潮』の連携プレイではないのかと厳しい批判を始めたら、とたんに『週刊新潮』にはバッタリこの類の記事が出なくなった。これもやはり偶然と考えることは難しい。

上述の経過で『週刊新潮』に記事を書かれた三人についてだが、金さん以外の一人は原田武夫氏(原田武夫国際戦略情報研究所代表・元外務省職員)であり、もう一人が、『AERA』の大鹿靖明記者であった。『AERA』の特集で佐藤優氏を取り上げたところ、内容が佐藤氏の気にいらなかったらしく、つよい怒りを呼び、この経緯が『週刊新潮』に取り上げられた。この出来事はただ一回きりのものであり、学校や職場における「イジメ」のような連続性はない。もしこの出来事を報じる『週刊新潮』の記事を読まなかったならば、私もイジメとか、集団による個人のつるし上げ、というようなことを連想することなく、単に『AERA』と『AERA』に記事を書かれた佐藤優氏の間のもめごとと受け止めていただろう。そういう意味でこの場合、『週刊新潮』の記事の影響は私には大きかったということになる。金光翔さんから提訴が行なわれたという背景があるとはいえ、2年以上もたってから、こうしてブログに記事を書こうという気にさせられるのだから。

最初にこの出来事を知ったのは、2007年の春頃、「私にも話させて」の記事でだったと思う。その他にもブログでこの問題を取り上げている人が数名いて、遅ればせながら私も『AERA』と『週刊新潮』の両方の記事を読んでみた。『AERA』のほうは、「佐藤優の「罠」」というタイトルで、佐藤氏の人物像を探ったもの。執筆者の大鹿氏自らが「活字メディアは佐藤の張った蜘蛛の巣に、私も含めて次々と飛び込んでゆく。」と記すように、自らも魅力を感じている佐藤優氏の吸引力の源泉を追求するという趣旨の下に書かれた記事だったようだ。読んでみて、筆者に佐藤氏が述べるような悪意などの他意があったとは思えない。ただし、取材を重ねることで、佐藤氏への批判的な見方も世の中には相応に存在することを明白にした記事になったとは言えるのではないだろうか。執筆者は佐藤氏に好意・敬意をもっていたことは事実のようなので、おそらくはその意図を超えて。

たとえば、大学の恩師という人物は、佐藤氏が細やかな気遣いのできる人柄であることとともに、「彼の書くものには昔も今も「きな臭さ」を感じる」とも述べている。佐藤氏の書くものにうさんくささを感じる私などには、恩師のこういう批評は興味ぶかく感じられる。また、大鹿氏が、東京地検特捜部の「国策捜査」という言葉の生みの親とも言える取調べ検事から「しょせん彼は」という言葉を引き出し、「しょせん」という言葉に検事の憤懣を感じた、と記しているが、この箇所にも感じるものがないわけではない。いくら官僚同士のなれあい的取調べ風景の叙述として読んでも、あの関係はヘンではあるのだ。「国家の罠」を読むと、あの検事はまるで佐藤氏の高潔・高邁な精神性の証言者として登場させられているようにも読める。佐藤氏は小谷野敦氏の「言論界の「みのもんた」」とか「日本の知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」というような表現にも苛立ちを募らせたのだろうが、この激怒の程度は記事全体の内容からすると異常に激しくて、前回の記事に書いた吉本興業タレントの怒り具合に匹敵するかもしれない。小谷野氏によると、激怒した佐藤氏は大鹿氏にたいし「右翼に言うぞ」とも言ったとのことである。

で、その『週刊新潮』の記事タイトルは、「朝日「AERA」スター記者が「佐藤優」に全面降伏」というもので、リードには、

「朝日新聞の『AERA』(4月23日号)が、佐藤優氏(起訴休職外務事務官)の人物ルポを掲載した。しかし、これに当の佐藤氏が異を唱えている。その“抗議”に対し、執筆した記者は、ロクな釈明もせず全面降伏。余りにお粗末という声がしきり。」

とある。本文に入ると、「4月18日。都内で佐藤氏ら主催のマスコミ人を対象とする勉強会が聞かれた。」ということで、事件が起きた場所は「勉強会」だったことが分かるのだが、この「勉強会」というのは、「神保町フォーラム」の会とみて間違いないだろう。魚住昭氏や宮崎学氏らと共に佐藤氏も中心となってマスコミ関係者相手に何やらかにやら活動しているらしいのだが、『週刊新潮』の記事にはこの日の勉強会に参加したという人物がでてきて、次のように話す。

「冒頭、司会役が、この記事を“悪質だ”と言って取り上げたんです」/「すると佐藤さんは“書いた人は一番前の席にいます”といって、参加者は当事者がその場にいることを知った。で、その後、佐藤さんの母親の名前を間違えたり、佐藤さんが裁判のために多額の借金をしたとか、事実誤認や疑問点について、一気に話し始めた」/「件の記事が出た直後ということもあり、参加したのでしょう。記事について触れたのは40分程。大鹿さんは、じっと聞き入っていましたが、まさかこんなことになるとは夢にも思わなかったのでは」

このようないわば内輪の出来事を、『週刊新潮』にむかって具体的に打ち明け話をするこの「参加者」が誰なのかは、同じく『週刊新潮』で金光翔さんについてデタラメ混じりの話をしゃべっている「岩波関係者」同様皆目分からないが、私はこのような内容を『週刊新潮』記者に滔々と話す人がいること自体大変不思議に思う。『週刊新潮』は「反人権雑誌」として世間に知れ渡っている週刊誌である。その週刊誌から、勉強会で発生した一事件についての取材がくれば、誰にしろ警戒するのが当然ではないかと思うのだが、「岩波関係者」がそうだったように、この人物の話しぶりにもそんな気配は毛頭感じられない。安心しきって話しているように見える。『週刊新潮』はこのような出来事が発生したことを、そしてこの『週刊新潮』に登場している人物が当日会に参加していたことを(もしかすると毎回参加している人なのだろうか)誰から聞いたのだろう。あるいは、この会に『週刊新潮』の記者も参加していたのだろうか?

「参加者」が語るこの出来事の様子は驚くことの連続だが、司会者がこの記事を“悪質だ”と言って取り上げたのは、もちろんあらかじめ佐藤氏と打ち合わせ済みだったのだろう。びっくりするのは佐藤氏が「一気に話し始めた」というその時間の長さである。40分! それは、母親の名前を誤記されたら不快ではあろう。また借金問題は、佐藤氏が『AERA』に送った公開質問状に対する編集長の返答によると、佐藤氏の「国策捜査で逮捕されると、逮捕から最高裁まで約2000万円かかる。しかし、裁判費用は税控除対象とならないので実際には4500万円くらい稼がなければならない」という内容を大鹿氏が誤って受け止めて記事にしたのなら、それも不快ではあるだろう。でもたとえば、借金問題については、取材の際に、「借金」という言葉が使われた可能性はないのだろうか? いずれにせよ一方的に40分も責めたてられたら、そりゃあ誰だって参るよ。この40分もの間、「勉強会」のほうはどうなっていたのだろう。外部からの参加者もいるだろうに、これは佐藤氏による会の私物化ではないのだろうか。それとも、もともと私物だからこれでいいのか。 

「 佐藤氏がひとしきり話した後、無論、大鹿記者にも反論の機会が与えられた。/大鹿さんは座ったまま、“佐藤さんによかれと思って書いたことが、全然そうなっていなかった。申し訳ない”といきなり謝っていました。声のトーンは普通だったが、完全に打ちひしがれた雰囲気だった。明らかに疲れた表情でしたね」

「無論、大鹿記者にも反論の機会が与えられた」という言い方には驚かされる。40分もの長い時間(こういう場合の40分は普通の時間の5倍にも10倍にも感じられるのではなかろうか。)、一方的に責めたてられた方を指して、「反論の機会が与えられた」と言える神経はすごい! こういう言い分を聞かされると、否応なく佐藤氏が40分話している間のその場の空気を想像させられる。おそらく、無言のうちにほぼ全員一致して佐藤氏に同調し、大鹿氏を冷やかに眺めていたのではないだろうか? しかしこの参加者はこう言うのである。

「大鹿さんは、取材はこういうものだとか、もっと反論するべきだった。情けないし、意地がない。自分のスタンスがないというのか、記者としてこれからやっていけるのかと思いました」

この場で反論したらどうなっていたのだろうか? 大鹿氏が自由に反論できるだけの空気がその場にあったのだろうか? 大鹿氏は敵地に一人でいるような孤立状態にさせられていた、精神的なリンチ状態に置かれていたということはないのだろうか? この参加者の言葉は一応もっともな発言のようでいて、その一番肝心のことについて触れていない。「右翼に言うぞ」という発言が本当にあったのかどうかについても聞きたかったな。誰もかれも金光翔さんのようにつよい人ばかりではないのだ。そもそも弱いものイジメの常習犯『週刊新潮』にむかって大鹿記者の名誉を傷つけ、トドメを刺すような内容の話をしゃべる参加者とは一体何者なのだろうか。『週刊新潮』は佐藤氏についてこのように述べている。

「 佐藤氏は、ネガティブな記述が多いことに腹を立てているのではない。」

そうなの? では佐藤氏自身の発言について見ることにする。

「批判的に書かれることは全然かまいません。ジャーナリズムとして当然でしょう。ただ、事実に基づき、論理的に説明できることが最低限の前提です。この記事には、その前提がない」/「(略)スカス力な取材と相当飛ばした書き方、そんな手法でいつもやっているとするなら、書き手として大いに疑問です」

「事実に基づき、論理的に説明できることが最低限の前提」だというのなら、佐藤氏は小谷野氏の批判・反論に対し「事実に基づき、論理的に説明」すればよかったではないか。「AERA」における小谷野氏のコメントについて大鹿氏に文句を言っても仕方がないだろうに、佐藤氏はこれについても小谷野氏には何らものを言わずに「コメントを掲載した」という理由で大鹿氏を責めているのだ。大鹿氏は気弱なので黙って打たれていてくれるが、小谷野氏はそうはいかないので、「事実に基づき、論理的に説明」できず、大鹿氏をサンドバックにしたのではないかと疑ってしまうのだが、もしそうだとしたら、これも一種の弱いものイジメではないだろうか。

そもそも、佐藤氏に「事実に基づき、論理的に説明できることが最低限の前提」などと他人に説教する資格はないのではないか。なぜなら佐藤氏ほど平気でデタラメを書く物書きはめったにいないと思えるからである。少なくとも私ははじめて見た。これはおそらくこういう人物はいつの時代にもいることはいたにちがいない。しかし、これまではこういう存在が佐藤氏のようにもてはやされることはなかった。そのため読者である私などの目に触れることはなかったのだろうと思う。だから私は、佐藤氏の文章にデタラメを見るたびに、佐藤氏だけでなく出版社や編集者からも騙されているように感ずる。これは読者として当然のことであろう。ここであらかじめ言っておきたいのだが、故意に二重基準を用いる言説はそれ自体嘘であるということである。佐藤氏の嘘はこの二重基準、つまり二枚舌と、もう一つ事実関係の明確なデタラメという、ここでも二重構造をもっていることを指摘しておきたい。金光翔さんの論文「<佐藤優現象>批判」によると、佐藤氏の『獄中記』を企画・編集したという岩波書店の馬場公彦氏は、

「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、(略)雑誌の傾向や読者層に応じて主題や文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」

と述べているとのことだが、佐藤氏の言論活動は、金光翔さんが論文で「佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である。」と具体例をあげて記述しているとおりで、「立論は一貫していてぶれていない」などの評価はまったくの誤りである。編集者が事実を見抜けないのか、それとも見抜いていながら読者を欺いているのかは分からないが、もういい加減にしてほしいものである。ここでも述べたことだが、亀山郁夫訳「カラマーゾフの兄弟」に関する佐藤氏のデタラメ発言についてあらためて書いておきたい。

ロシア文学者の木下豊房氏は、亀山郁夫氏の「カラマーゾフの兄弟」翻訳について、ご自身のサイトなどで厳しい批判を続けている方だが、佐藤氏についても次のように触れている。

「佐藤優のような、ご追従の人物が現れて、いわく、「亀山訳は、読書界で、「読みやすい」ということばかりが評価されているようですが、語法や文法上も実に丁寧で正確なのです。これまでの有名な先行訳のおかしい部分はきちんと訳し直している」(文春新書『ロシア 闇と魂の国家』38頁)などと、ロシア語を知らない読者を欺くことをいうので、マスコミもたぶらかされているのである。」

佐藤氏の発言はことごとく私たち読者を欺く非常に悪質なものである。たとえば、次の発言、

「亀山先生の翻訳の強さの一つは、キリスト教がわかっていて、そこから外れないように訳していくところにあります。(略)/亀山訳は「大審問官」の冒頭を、「ドイツ北部に恐ろしい新しい異端が現れたのはまさにそのときだった。『松明に似た、大きな星が』つまり教会のことだが、『水源の上に落ちて、水は苦くなった』」とキリスト教の正確な理解に基づいて訳すことで、このくだりがルターの宗教改革を表わしていることがわかる。それ以前の訳では、「大審問官」の舞台を15世紀の中世と受け取りがちですが、新訳のおかげでプロテスタント誕生直後の16世紀だということがはっきりします。」

ひどいデタラメの文面である。米川正夫、小沼文彦、江川卓、原卓也、これらの「カラマーゾフの兄弟」の先行翻訳者のなかで「時代は16世紀」「舞台は16世紀」というように、場面を「16世紀」と明記していない翻訳者は一人もいない。私は一通り上記の翻訳者の訳文を確かめた上でこのように書いているのだが、しかし、佐藤氏の上記の文章を見ただけで、これがほぼ間違いなく嘘であることは確信できるのである。なぜかと言えば、上記の翻訳者はみな70年頃までの文学者を含めた厳しい読者の目に耐えて一定の高評価をかち得てきた人々であり、作品中最も広く世に知られかつ大事な場面の舞台を「15世紀」と訳すようなそこつ者がいるはずがないのである。かりに「15世紀」と訳されていることがあったとしても全翻訳者のうちのせいぜい一人、それも公正ミスか何かの不手際のせいでしかありえない。このことは、日本文学の歴史やドストエフスキー作品の受容の歴史を多少なりとも知り、ごく普通の人生経験と人並みの読書経験があれば、そこで自ずと身につく常識が教えることなのだ。文学作品の読解力をまったくもたない人物、あるいはデタラメを言って平気な、いわば恥を知らない人だけが上記のように「有名な先行訳のおかしい部分はきちんと訳し直している」とか「以前の訳では、「大審問官」の舞台を15世紀の中世と受け取りがちですが、新訳のおかげでプロテスタント誕生直後の16世紀だということがはっきりします」などと口にすることができると思う。

このようなデタラメが、先行する翻訳者たちを侮辱する行為であることの自覚もないのだろう。私は、こういう発言は読解力の問題やいい加減さに限定されるのみならず、それ以上に文学にも文学者に対しても、また文学を含んだ文化的遺産に対しても愛情や敬意の片鱗も持たない人だけがなせることだと思うが、このような実態を見てみぬふりをしている出版・編集者も同罪、あるいはそれ以上の責任を負っているのではないだろうか。それからまた文学と思想や哲学とは別の分野のものではあるが、互いに関連があることもまた事実だと愚行するが、このような文学的不感症の人物が語る思想がいかなる性質・水準のものでありえるのかという考察も一考にあたいするのではないかという気も最近しきりにする。どんなものであろうか。

「名詞と名詞を重ねるという誘惑に、翻訳者は陥りがちです。そうすると「銀座の和光の五階の時計売り場の角で待つ」というような文章をつづっても抵抗感がなくなってしまいます。亀山訳の「大審問官」は、正確であり、読みやすく、思想的深みがあるという点で翻訳の傑作だと思います。」

「銀座の和光の五階の時計売り場の角で待つ」文章がいけないなどの説教は、中学生相手になら相応しいかもしれないので、そういう機会にやればいいのではないか。大人を相手にした文章指南にしては低次元すぎて誰に対しても非礼と思うのだが、「亀山訳の「大審問官」は、正確であり、読みやすく、思想的深みがあるという点で翻訳の傑作だと思います。」という発言は、「舞台は16世紀」と訳したのが亀山氏だけでないことがはっきりした以上、取り消されるのだろうか? また、「亀山先生の翻訳の強さの一つは、キリスト教がわかっていて、そこから外れないように訳していくところにあります。」という断定もまったく根拠不明である。「AERA」の大鹿記者に、「事実に基づき、論理的に説明できることが最低限の前提です。この記事には、その前提がない」と言うのなら、私には佐藤氏の上記の文章のミスのほうが大鹿記者の記事のミスよりずっと重大だと思うので、まず佐藤氏こそ「事実に基づき、論理的に説明」してみたらいかがだろうか。「スカス力な取材と相当飛ばした書き方、そんな手法でいつもやっているとするなら、書き手として大いに疑問です」という言葉を、私は佐藤氏にそのまま投げかけたい。
2010.02.14 Sun l 社会・政治一般 l コメント (0) トラックバック (0) l top
子どもの世界だけではない。大人社会にも蔓延しているといわれて久しいイジメ。大人の世界で起きたイジメということですぐに思い浮かぶことが私にもいくつかあるが、筆頭は2004年暮れ、吉本興業所属の有名タレントが、同じく吉本興業の社員である女性の態度が悪いとかの理由でこの女性をテレビ局の控え室に連れ込んで殴ったり唾を吐きかけたりして怪我をさせたという事件である。

この女性は別のタレントのマネージャーであり、その日は担当するタレント(勝谷誠彦氏。管見の範囲ではこの人は自分のマネージャーがうけた暴行についてのコメントは一切しなかった。一般論としてその女性がよいマネージャーであることを週刊誌の連載記事に書きはしたようだが。)に付き添って大阪の朝日放送に来ていて、このような災厄にあったのだというが、何でも、この人は10数年前に吉本の二人の上司と一緒にこの有名タレントと食事か何かで席を共にしたことがあったそうだ。その時以来、久しぶりに再会したので挨拶しようと考え、局内のソファに一人で坐っていたタレントに「以前上司のAやBと一緒にあなたにお会いしたことがありました。」というようなことを話しかけたところ、相手はもうそれで怒りだしたのだという。その後この暴行の件が世間に知れ渡って、そのタレントが記者会見をひらき、そこで話したところによると、女性が上司の名前を「A」とか「B」というように呼び捨てにしたことが癇に触ったのだということだった。しかしこれは誰でもすぐに理解できることだと思うが、芸能プロダクションにとってタレントは華、社員はあくまで裏方だというこの人の意識が社員である上司の名を呼び捨てにさせたのであって、それを察知しないタレントの感覚のほうがどうかしていると思うが、それについて、このタレントは、本心かどうかはともかく、100%自分が悪いと話してはいた。

私はこの有名タレントの涙ながらの謝罪会見を、朝の後片付けをしながらテレビ朝日の「スーパーモーニング」で見ていたが、大変不愉快であった。挨拶をしてそのしかたが気に入らないからの理由で、密室に連れ込まれ、殴られたのではたまったものではない。女性の話によると、このタレントは激怒した状態で部屋に連れ込んだ後、ドアに内から鍵をかけたのだという。女性の恐怖心は察するにあまりある。タレントは「殴っただけではなく、唾をかけたということですが…」という記者会見での質問に対しても、バツが悪そうに「偶然、かかったかも知れません。」というような言い方で、唾をかけたことをも決して否定はしていなかった。暴行され、怪我をした女性は、その後自分で救急車を呼んで病院に行ったのだという。

驚かされたのは、この会見をビデオで見終わった後の「スーパーモーニング」のコメンテーター達の発言であった。男女の司会者に加え、大谷昭宏、橋下徹の二氏、もう一人は大学の先生だという女性(名前は失念)であったが、全員揃ってタレントを庇い、殴られたこの女性を非難したのである。「Sさん(タレントのこと)は正義感が強いから」とか「上司の名前の呼び捨ては、タレントを含めてみんな同じ吉本所属には違いないのだからやはり問題があるのではないか。」、果ては「吉本興業の社員教育に問題があるのではないか」とか、その他、一々はもう覚えていない何だかわけのわからない理由を並べ立てていた。最も強力、かつ場をリードしていたのは、やはり現大阪府知事の橋下徹氏で、そのタレントと共演している他局の番組においていかに自分たち共演者が司会役であるそのタレントの気分を損ねないよう気を遣っているかについて得々と説明していたっけ。(この番組には、たしか芸能レポーターも二人出ていた。この人たちのほうがコメンテーターよりも公平なコメントを発していたような記憶がある。といっても、一方的にタレントの肩をもったわけではないというにすぎないが。)

私はあまりのことにしばし呆然としてしまったが、数分後これではならじと新聞でテレビ朝日の電話番号を確認し、電話をかけた。スタッフルームにつないでほしいと言うと、分かりました。お待ちください、といって、すぐに電話を回してもらえた。「もしもし」と出てきたのは、ハキハキした声から察するに30歳前とおぼしき若い男性であったが、「あの女性が非難されるいわれは一つもないと思うんですが?」というと、間髪を入れずに「でしょう!?」という返事が返ってきた。「いやァ、僕も、今、一体これはどうなってるのかと考えこんでたところなんですよ」というような、思いがけなくというべきか、こちらにとっては大変気持ちのいい応答だったので、内心ホッとしながら「それが、そう考えるのが普通だと思います。」と言うと、「そうですよねぇ。――いや、よかったです。」というような会話がなされた。その後、「これは、ちゃんと言っときます。」「ぜひよろしくお願いします。最後までちゃんと見ていますから。」という経過で電話を終えたのだった。そして実際、番組終了間際に、もう一度この話題が取り上げられた。あの青年はディレクターなのか、どんな役割をになっている人なのかは分からないが、約束どおりちゃんとやってくれたのである。他にも同じ趣旨の電話がかかったのかもしれない(そう思いたい)が、それでも橋下氏はやはり橋下氏、何の躊躇もなく、タレントを怒らせるマネージャーのほうが悪いという一点張りのことを述べてシャアシャアとしていた。大谷氏は、非常に気まずそうな笑い顔で、口の中でもぐもぐと何かを言っていたが、でもそうして反論の素振りを見せているだけ、実は何も言ってはいなかったと私の目には見えたのだが、これは錯覚だったろうか? 女の先生は自分の発言を悔いているような沈んだ感じにも受けとめられたが、本当のところは分からない。

その後、目にはいった範囲でいうと、この事件でタレントのほうを明確に厳しく批判したのは、コラムニストの小田嶋隆氏と日刊スポーツの女性記者の二人だけだった(と思う)。小田嶋氏はその直後『イン ヒズ オウン サイト』という新刊を出版されたので、私はこの件に関する発言(読売系週刊誌の連載記事や小田嶋氏の個人サイトにおける)に敬意を表する意味でこの本を購入し(とてもおもしろかった)、日刊スポーツの記者の方には、記事に賛同するメールを送信した。それから『サンデー毎日』も女性に同情的な記事を掲載したと記憶するが、その誌面に載っていた被害者女性のシルエットを見たらとても華奢な体型の人であった。

それにしても、相手が著名だったり力を持っていたり、自分たちの利害と直結するとなると、ごく当たり前の道理も蹴飛ばされる。一方的に殴られ、蹴られ、怪我させられても、同情もしてもらえず、相手を怒らせたという理由で非難攻撃に晒されることがありえることを思い知らされた。これほど露骨なイジメはさすがにこれまで見たことはなく、これはテレビが率先してイジメにお墨付きを与えているのだから、凄まじい世の中になったと痛感させられた出来事であった。他のテレビ局も似たりよったりの報道内容だったようである。その頃すでにテレビを見ることがめっきり少なくなってはいたが、この出来事を契機にいよいよその傾向がつよまるようになってしまった。
2010.02.07 Sun l 橋下徹 l コメント (0) トラックバック (0) l top
中野重治は、自分自身について、「もともと私は一人の詩人である。ひとがどう思おうと自分でそう思っている。」(労働者階級の文化運動・1947年)と述べているが、これは中野重治に大層ぴったりとした自己定義(?)のように私には感じられる。残念なことに、私は詩の鑑賞力についてほんの微々たるものしかもっていないのだが、それでも中野重治の場合、詩のみならず散文を読んでいても「醇乎たる詩人」と感じることがよくある。石川淳は、太宰治の発言で印象に残っているのは、ある時太宰が「真善美っていうことやっぱりいいね」と言ったことだとどこかに書いていたが、中野重治にも(太宰治とは内容のまるで異なったイメージではあるが)「真善美」は本人に倫理観として明晰に意識されていたのではないかという気がする。小説、評論、雑文、どんな分野の文章でもそのことは感じられ、それが「詩人だなァ」と思うことにつながっているようである(人ごとのようだが)。そして、もう一つ。中野重治が他の詩人との交流や思い出について語るとき、その表情、言葉、動作の叙述をとおして、詩人の人格の一面が眼前に見るがごとくまざまざと感じられるのであるが、これは中野重治が自分も詩人だからこそ掴みえたことではないかと思える。三好達治について語った言葉にもその趣はあるが、萩原朔太郎の思い出を述べた文章を読むと、特にそう感じる。萩原朔太郎という詩人の人物像、そのきわ立った特徴について中野重治が述べているのは、朔太郎の「孤独」や「不器用さ」というようなことや、その他諸々のことも含まれてはいるが、つまるところ「人のよさ」ということに尽きるような気がする。この「人のよさ」というのは、「善良」であるということになると思うが、「人(柄)の美しさ」といってもいいように思う。朔太郎について述べた中野重治の文章を全集から抜粋して以下に3点掲載する。最初の文章には「人のよさの記憶」という題がついているが、どうも朔太郎は中野重治に注意されたり、叱られ(?)たりすることが往々にしてあったようなのである。朔太郎は1886年(明治19年)生まれ、重治は1902年生まれで、東京で二人が知り合った時は中野重治はまだ大学生、朔太郎は16歳年長でもあり、すでに「月に吠える」「青猫」の詩人として広く知られていた。

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① 人のよさの記憶
 わたしたちの知りあつたのは1925年ぐらいだつたろう。つまり今から25年以上まえのことである。それだから、萩原朔太郎ひとりのことではないが、全体としてその時分の人の持つていた人のよさということが、萩原朔太郎その人についても濃く思い出される。
 萩原朔太郎が、わたしを速達で呼びだして、どこかの牛肉屋のようなところへ連れて行って、二人で腰かけて一ぱい飲んでからふところから詩原稿を出してわたしに見せた。弟子が師匠に見せるのとはむろん違うが、まるで対等の人間にするようにして、いくらかはにかみながらそれをしたということをわたしは前に書いたが、そういうことが今でも世間にあるかどうかわたしは知らない。
 文学の世界、詩の世界で、どうもこのごろは、そんなことはありそうにないように見えるが彼にはそういうところがあつた。そのころでも、白秋というような人は、もともと無邪気なものではあつたが偉ぶることの好きな人だつたから、その点萩原朔太郎は当時としても反対のほうの人だつたと思う。
 この人のよさが、彼の場合は妙な具合にその議論好きに結びついていた。萩原朔太郎は理論的な人ではなかつた。むしろ非理論的な人だつたろうと思う。ところが、実地には、彼はよほど議論の好きな人で、理論的でなくつて議論することが好きなのだから、何か理論的なようなことを書けば必ず独断的になつた。これは、彼のアフォリズムなんかにもよく出ている。詩についての理論的著作なんかにもよく出ている。むかしの日本の恋愛の歌を論じたもの、蕪村を論じたものなんかにもよくあらわれている。
 理論的な追究をする人だからといつて、はじめから何の結論も予想されてないわけではない。そこに或る予感のようなものが、論理的な手続きをとびこえてあるのが普通のことだろう。インスピレーションというものも結局そんなようなものだろうと思う。そこでそれから、それに必要な材料が取りそろえられ、それらが一定の方式であんばいされ、正当な論理的手続きを経て結論へとみちびかれる。それだから、材料そのものの示すもののため、あるいは途中の論理の必然から、最初の予想とは反対のところへ結論が出てしまうこともあり得るわけである。しかし萩原朔太郎は、ほとんど必ず予感したところへ結論を持つて行つてしまつた。
 またそれが彼には完全に可能だつた。というのは、彼はそういう面倒なことをすべて無視して進んだからだつた。材料をあつめぬわけではない。しかし自分に気に入つた面からだけ材料をあつめている。論理をしりぞけるわけではない。しかし予感を的中させるに都合のいい面だけで論理を活躍させる。つまり彼は、理論をやる場合にも、全く非論理的で全く詩人的だつた。それだから、彼の理論的な仕事を学問としてみると一種マイナスの感じがくつついてくる。
 しかしまたそこに、一種の愛敬のようなものがあり、ことにその論理の勝手な処理が、何か自分の損得を考えてのことでないことが初手から明瞭だつたから、わが田へ利得のために水を引くものの醜さというものが微塵もなかつた。普通の人が直感として結論だけ言つておくところを、この人の議論好きはそれだけですますことができなかつた。どうしても何とか理窟をつけてみずにはいられない。それだから、この人の理論は、その進行の形、叙述の形が、一種の詩的詠嘆調を必然に取ることにもなつた。これは散文としての力感を弱めることにもなつたろうと思う。しかしそれでも、彼の非論理的な直観はなかなかに鋭くて、当時でも今でも結果として理論的にもおもしろいものがある。
 そういうわけだから、彼の理論や理論的解釈は、材料の上で、また論理の上で、たわいなくくつがえることもないではなかつた。彼の『恋愛名歌集』のなかにもそういうところがあつて、わたしがそのことを言うと彼がすつかり閉口して、その閉口の仕方がきつかつたのでわたしが閉口したことがあつた。一般に知識という点で彼に欠陥(?)があり、中国に関することなどでは彼の読むものにずいぶんムラがあるらしかつた。日本歴史のことなどについてもずいぶん無邪気で、まさか神武天皇が実在していたなどとは考えていなかつたようだつたが、『古事記』などのことを相当程度歴史的真実と取つているようなところがあつた。
 あるときわたしは、どういうときだつたか、室生犀星のところからの帰りだつたかも知れぬが、二人で歩いていて、どこかそば屋のようなところで一ばい飲んで歴史の話なんかをしたことがあつた。――何度かいつしょに飲み食いしたことを考えてみると、会とか個人の家でとかを除けば、いつもそういうそば屋みたいなところばかりで彼と会っている。わたしが場所をえらんだのでなかったから、彼がえらんでそういうところへはいったらしい。たぶん彼は、立派(?)な家やハイカラな家へははいり切らぬような性質だつたのだろうと思う。――そのとき彼がいろんな意見を述べたが、その意見は本や何かで読んだことと自分の気質とをむすびつけたもので、歴史的に真実でなかつたから、そのまま伸ばして行くと、彼の主観的に大きらいな俗流ブルジョアの見地を弁護することるなるのだつたけれども、そんなことと全く気がつかずにしきりに彼はそれを主張した。それでわたしはそのことを言つた。すると彼は、ぼくは何しろそんなことでは無知だからというようなことを言っていたが、そのあとで、そのことをわたしのほうで忘れたころになつて、いつかは君に叱られたがというような手紙が来て、叱られうんぬんは大げさすぎるとしても、何かそんなことがあつたかどうか考えてみて思いあたるふしがない、結局そのときのことだろうかと思つたことがあるが、非理論的なままで議論好きでありながら、必要な材料をねつつこく集めることの生れつききらいだつたこの人は、論理の欠陥をちょつと突かれるとひどく参ることがあつた。
 理論的なものを愛していると目分で思いこみながら、じつはその直感を愛していたので、論理の欠陥をつかれたとよりは、その愛するものが突かれたというふうにこの人には映るものらしかつた。こういうよさも今は世間にあまりないようだ。
 いまは、愛するものを突かれても平然としている人が多い。愛するところを持たぬのだろう。〈1951年)

② 『恋愛名歌集』の出たのがいつだったかとっさに思いうかばぬが、それのちょうど出た時分に萩原さんを訪ねたことがあった。何かのときに伊藤信吉と話していて、そのとき伊藤と私と二人で行ったのだったことがわかつたがそれも不思議だつた。そのとき訪ねたことは私はずつと覚えていたが、伊藤と二人づれだつたことはすっかり忘れていたのだつた。しかし伊藤の話をきくと――伊藤はまた馬鹿に詳しくそのときの空気まで覚えていた。――彼がいつしょだつたことは全く確実だつた。
 萩原さんは、出たばかりの『恋愛名歌集』に署名をして私と伊藤とにそれぞれくれた。私はその場でそれを開けて見た。それは日本の昔の和歌の萩原さんによる評釈で、私はすぐ萩原さんの誤りを見つけてそのことを萩原さんに言つた。
 萩原さんと私とは二つ三つやりとりした。萩原さんの評釈はほんとに独得のもので、それをそれだけで見れば、つまり当の和歌の作者、とくにその時代とかいうことを見ないで読めば、全く筋が通つていてしかも余人のうかがえぬ世界を空中に描いてみせたものだつた。ちようどわれわれが、『万葉』の歌を手あたり次第に取つて、そのころの語法ということも無視し、それが兄弟に贈られたものか愛人に贈られたものかということも無視してしまつて、1950年代の人間感覚と言葉感覚とで解釈していい気持ちになつてうつとりする――そういうのにそれは似ていた。佐佐木信綱も折口信夫もない。その上、あれほど日本語に敏感な萩原さんが、その敏感さに乗せられてしまつて、『月に吠える』などの調子を『新古今』へまでそのままさかのぼらせていたのだから無理は無理だつた。とにかくそんなのが一つ二つ行きなり目にはいつて、私も行きなりそれを言つたのだつたが、萩原さんがほとんど「あやまる」ような調子で言いだしたのには私のほうがまごついてしまつた。
「どうも僕は、文法のことなぞもよく知らぬもんだから……」
 私は、自分の軽率を悔いる暇もない、逆に閉口して、しかしそこを上手に切りぬける才覚もつかなくてどぎまぎした。そのときはそれなりになつたが、自分にたいする教訓のようなものは引きださぬことにしていうと、あれは萩原さんの天性の正直をあらわしたものだつた。萩原さんは子供のように正直な人で、また子供のように嘘のつけなかつた人だつたろうと思う。(1959年)

③ 萩原さんには妄信的なところがあつて、それがまた独学者風に哲学的、論理的な性格を持つていた。二人で酒を飲んだあるとき、萩原さんが日本人の優等性と中国人の劣等性とについて語つて、中国での人身売買の話になり、中国人のあるものは、子供を四角い箱に入れて胴を四角く育ててそれを見せ物に売る。こんなことはどんなひどい日本人にも考えられぬ。民族そのものとして優劣のある所以だというような話をした。そこで私がそれを反駁した。私に根拠があつたわけではなかつた。ただ強く反駁したことだけは覚えている。やはりそのとき、萩原さんは日本の古代のこと、桓武天皇あたり以前のことを論じていろいろと話したが、それは神話と歴史とをごつちやにして、さらにその上に萩原式幻想で美しくそれを統一したものだつた。『恋愛名歌集』のときもそうだつたが、たとえていうと、平田篤胤なんかが丸太か木刀かのようなやぶにらみをしたとすると、萩原さんは、香の煙か絹の糸かのようなやぶにらみをしているのだつた。ここでも私は反駁した。ここでは多少の根拠をもつて、それからやや無政府主義的な反天皇制気分も手伝つて強く反駁した。するとそれから2、3日して、萩原さんから長い手紙が来てやはり私はまごついた。萩原さんは生真面目な学者のように自分の誤りを認めて、私から「叱られて」という言葉を書いていたが、それは皮肉や自嘲なぞではなかつた。私の反駁にはハッタリがあつたのだつたから私はほんとに恥じた。(1959年)
2010.02.02 Tue l 中野重治 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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