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藤田省三に「今なぜ大嘗祭か」という文章があるが、これを私は10年ほど前に「藤田省三著作集 8 戦後精神の経験Ⅱ」で読んだ。1990年、今上天皇の即位の礼と大嘗祭が行なわれた際に、集会というか講演というか、(おそらくは大勢の)聴衆の前で話した内容を記録したもので、大変おもしろくまた興味ふかいものであった。特に印象に残った箇所を要約すると、次の3点になる。

① 「元号」と「天皇」という称号と「日本」という国名、称号とは一緒にワンセットでせいぜい8世紀に中国を真似てできたものである。これは古いと言えば古いが、ほかの文明と比べればどうか。中国文明は紀元前5世紀、ギリシァ文明も紀元前5世紀に始まった。そういうあちらが「我が国古来の文化的伝統にのっとり」なんて誇らないのに、それより遥かに13世紀もおくれてやっとその模倣としてできあがった制度を、「古来の文化的伝統にのっとり」という感覚は国際的感覚に欠けるだけではなくて、自分の位置を知らない、自分を批評的に見ていない、自分の社会を批評的には見ていないということを意味するので、これは国際感覚に欠けるだけではなくて倫理的な問題として、反省の能力に欠けるということでもある。

② 「君が代」について。1905年日露戦争の最中、『朝日新聞』の今で言う「天声人語」みたいなコラムに、「皇室に歌あり、民に歌なし、民に歌なき国民は不幸なるかな」という政府批判が載っている。「君が代」は皇室の歌ではあっても、民の歌ではないことがちゃんと社会に認識されていた。ところが、その後、きびしい条件のもとで、周囲から圧力をグンと加えて、「臣」と「民」を溶接させて、一億一心にするころになると、学校のなかで殆ど毎日のように歌わせて、いつの間にかそれが「国歌」であるかの如き幻想を日本中の一億人がみんなもってしまった、もたしてしまった。

③ 今日、問題として考えてみたいのは、下記の文章についてである。本文から藤田省三の発言をそのまま引用する。

「 「国民」というのは、あれ英語の翻訳ですから“nation”でしょ。これはあの帝国主義、自分の国内市場の中でだけ賄えるような経済のあり方や生活のあり方が、もう金余り現象の結果儲けすぎて、要するに資本家が儲けすぎて出来なくなったとき、よその国に出ていってよその国でもっと儲けようとする、帝国主義とよばれていますね。そういう世界政策に対しては国民的政治家は、例えばフランスのクレマンソーなんていう人が、一時、――後で駄目になりますけれども、一時期は――国民的立場の政治家として世界政策をやめさせようとする、それに箍をはめようとする、そういう政策といいますか、統治のしかたをした時期があるんです。そういうときにそれは国民的政治家、国民的立場の政治家というふうに呼ぶので、「国民」という概念は帝国の一翼であっては駄目なのです。それに協力するようではそれは「国民」ではないのです。「国民」と帝国主義の尖兵になったり、帝国主義に服従したり、従順であったり、忠実であったりすることは矛盾するのです。だから一億一心、「家臣」と「民」は強力に液体空気の如く溶接したけれども、その溶接ができたときには、もう帝国主義に忠実な、つまりアジア諸地域その他でたくさんの何の罪も無い人をわんさと殺す。そういう戦争に忠実な一億人を作り出しているわけで、これはだから「国民」という定義に反する訳です。
(略)
今の我々が国民主権という場合、一般的に言った場合賛成なんでありますけれど、戦後の今言う「国民」の概念が新しく作られ、憲法の最初の英文で、――英文が大概付いていますから、御覧になればわかりますけれど、――最初の案は例えば14条で法の下の平等には、外国人の法的権利を保証してないのが大日本帝国憲法の間違いだという指摘のもとに、外国人の権利も保証すべしという独立条項も16条に入って、14条での法の下の平等の所では最初はすべての自然人に対して法的保証が、基本的人権が保証されるということが明記されていたのです。英語で言いますと“All natural persons”という、「すべての自然的人間」という。すべての自然人ですから、もちろん国籍を問わないで人権を保証するという、法律上の市民権も保証するというふうに最初はなっていたのです。それを日本の役人というのは悪いのがいますね。相当なものですね。あの戦後の混乱の時期でも交渉をしてですね、それを“people”に変えさせたのですね。そうすると、その頃のGHQの中にいた対日政策を決める人たちが、ニューディーラーと呼ばれていた民主派の人たちが、(略)“people”というのはいいものだと思っていますから、先方は、当然我々もいいものだと思っていますけれども、“people”で宜しい。それを日本語に訳して「国民」と訳しちゃったわけです。すると、それをもう一回英語に訳し返すと“Japanese national”という感じでしょ。すると日本国籍を持たないものには、日本国民に与えられる法の保証を与えなくてもいいということの法律的起源がそこから既にもう出発している。 」

上記の文章は、もちろん日本国憲法の「第3章 国民の権利及び義務」の条文について述べているものだが、このときまで私はGHQ草案に“All natural persons”という言葉が記されていたことを知らなかった。それが日本側の交渉の結果“people”になり、その後外務省が作成した英文に今現在もこの“people”という単語が使用されていることもこのとき初めて知った。この文章を書くにあたって、ネットを検索してみたら、下記のサイトに簡単ではあるが、ちゃんとその経緯が記されていた。藤田省三の発言内容のとおりであった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95%E7%AC%AC14%E6%9D%A1

藤田省三のこの文章を読んでから、ずっとこの結末、決着のつき方に割り切れない気持ちをもっていた。14条の「法の下の平等」の条文における “All natural persons”が、GHQの草案に沿って「全ての自然人」と正確に翻訳されていたら、その後、日本政府は外国人――とりわけ在日朝鮮人を苦しめてきた国民保険や年金制度の問題を初めてとした、数々の差別待遇もなすことはできなかったはずではないだろうか。しかし、考えてみると、どうも日本側の政府役人はGHQと交渉した際に、“All natural persons”の意味する趣旨に真っ向から異議を唱えたり、否定的な意向を示したりしたわけではなさそうである。もしそのようなことがあったのだとしたら、何らかの形でその議論の経過が記録に残っているはずではないだろうか。藤田省三が述べているように、GHQ側は、「“All natural persons”→ “people”→国民」という語彙の変遷過程のなかで、この「国民」は帝国憲法下での「臣民」に対立する概念として考え、「誰にとってもよいもの」と受け止めたのだろう。そしてもし日本側がこの点に異議を唱えなかったのだとしたら、その段階では、双方の間でこれは「全ての自然人」として諒解がなされていたと考えてもいいのではないだろうか。少なくともそのような考え方も成り立つはずである。というのも、

「第14条 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」

に「人種」という言葉があるが、もし冒頭の「すべて国民」(引用者注:英文ではpeople)が戸籍上の「日本国民」のみを指すのならば、この条文に「人種」という文言があるのは不自然、不合理ということにならないだろうか。条文は、人種の違いは法の下の平等を妨げないことを保障しているのだから、外国人、とりわけ当時在住200万人をはるかに越えていた在日朝鮮人の立場はこの14条によって法的に保障されていると考えるのが自然ではないだろうか。もしそうでないというなら、この条文の「人種」は一体何を意味しているのだろうか。そもそも、「第10条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める」における「日本国民」は、英文で「a Japanese national」との対訳がなされている。そして、この「第10条」以外の、つまり第11条以下のすべての条文の「国民」は英文で「the people」と訳されている。これが双方ともに、同一内容の「日本国民」を表現・意味していると考えるのはどうしても不合理だと思えてならないのである。

以上、胸のどこかでずっと気になっていたこのことが、「高校無償化法案」の朝鮮学校排除問題が起きてから何度も意識に浮かんでくるようになったので、焦点が絞り切れず、まとまらないながらも書いてみた。GHQ草案の意図がそのとおりに生かされていたならば…と思うからだが、同時に日本の理解・運用は完全に過っているのではないかという不審も感じる。国家や社会が特定の個人や集団を差別するのは、差別される人の人権を否定し、塗炭の苦しみを与えることだが、しかもそれだけではすまない。そこに住む他の人々の人間性を阻害し、社会は誰もかれもが住みにくく、生きにくくなるのだ。問題になっている「高校無償化法案」で朝鮮高校のみを除外すれば、除外されない他の高校の関係者にも甚大な悪影響を与えることは間違いない。この問題で心を痛めている他校の生徒や関係者もいるに違いない。そういう人には心に傷や人間不信を植えつけるだろうし、もし自分たちは除外されないでよかった、というように考えるものがいれば、それもまた人間性の頽廃につながるだろう。70年代に朝鮮高校の生徒たちが日本の大学生などに集団で暴行される事件が相次ぎ、作家の高史明が「なぜ、朝鮮人が襲撃されなければならないのか。朝鮮人がいつたいどんな悪を働いたというのか。これらの襲撃者らは、『朝鮮人をぶつ殺せ』と怒鳴つたという。」と書いたとき、中野重治は、次のように述べている。

「ひとりの日本人として見れば、高史明の問いは、日本人がそれ以上はずかしくなれぬところまで余りに素直であるだろう。
「どんな、悪いことをしたというのか。」
「朝鮮人がいつたいどんな悪を働いたというのか。」
 それは正反対だつた。朝鮮人がどんな悪をも働かなかつたという事実、ただただ日本人側が悪を働いたし現にも働いているという事実が暴行全連鎖の事実上の原因だつた。」(三・一運動と柳宗悦)

この政策もまた「日本人がそれ以上はずかしくなれぬ」ところのものではないかと思う。さて「藤田省三の「今なぜ大嘗祭か」を読んだ後、この問題について述べている文章を二つ目にすることができた。一つは、在日朝鮮人作家の徐京植氏の文で、もう一つは政治思想家の日高六郎氏の文である。以下に抜粋して掲載する。

 朝鮮人は当分の間、外国人とみなす 「(徐京植「秤にかけてはならない」影書房2003年)
 そして1947年に外国人登録令が出されました。朝鮮人は「当分の間、外国人とみなす」――今度はまた外国人とみなされてしまったのです。
 実は朝鮮人は1952年にサンフランシスコ講和条約が発効するまでは日本国籍保持者なんです。その一方で日本国は、外国人とみなすので外国人登録をせよと命じた。これを拒絶すると強制退去。
 そういうわけで私の父を始めとする在日朝鮮人たちは役所に出頭して外国人として登録しなければなりませんでした。これは先ほど言ったようないきさつで日本に住むことになったという事情はまったく顧慮されずに、昨日日本に到着したビジネスマンとか一般外国人とまったく同じ条件のもとで、自分の国籍、現住所を書けというわけですね。
 何と書きます? 国籍はこのとき何と書けますか? 国籍は日本国籍だと一方で日本政府は言うのですよ。だけどお前たちは外国人なんだから国籍を書けと。そのとき朝鮮にはまだ国はないのです。朝鮮半島で大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の二つの国が、政府として成立してしまうのは1948年のことです。まだ国がないのに国籍を書け。だから大半の人は「朝鮮」と書きました。これが「在日朝鮮人」の始まりです。
 この「朝鮮」は「北朝鮮」という意味ではありません。朝鮮出身者、朝鮮民族という意味なのです。ですから私の話に先だって、朝鮮民族の呼称の問題についてこの集会の主催者が、「呼称については諸説がありそれぞれの人々の判断に任せることにした」と言いましたが、このことに私は反対です。私たちは在日朝鮮人です。その在日朝鮮人の中にいろんな国籍の人がいると私は考えます。その在日朝鮮人という存在が現在まで続いているということなのです。
 その在日朝鮮人たちは1952年に、またしても何の相談もないままに日本国籍を否定される。「日本国籍を喪失したものとみなします」と。またしても法務省の通達でサンフランシスコ講和条約そのものの中には、旧植民地出身者の国籍に関する取り決めはありません。そしてまた当の朝鮮人に選択の機会はまったく与えられていません。それから朝鮮人代表はこの決定にまったく関与していません、
 韓国の政府も北朝鮮の政府も在日朝鮮人も。だから自分たちの意志とはまったく関係のないところで、今度は日本国民の枠の外に放り出された。在日朝鮮人は難民なんだと私が申しているのはそういう意味なのです。

 憲法における「国民」規定のまやかし 
 日本国憲法第3章、第10条から第13条と国籍法、そして憲法のこの箇所の英文対訳について少し説明をしましょう。
 まず第3章「国民の権利及び義務」。この第10条は「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」とあります。第11条「国民はすべて、基本的人権の享有を妨げられない。」第12条「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」。第13条「すべて国民は、個人として尊重される。」
 これらを第3章「国民の権利及び義務」とくくりますと、第10条の「日本国民」という言葉と11条以下の「国民」という言葉はイコールに見えますね。そして第10条の「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」という「法律」とはどういう法律かといいますと、国籍法です。
 この国籍法は 「日本国民たる要件は、この法律の定めるところによる」と第1条にありまして、第2条に「子は、次の場合には、日本国民とする」とあります。つまり出生の時に父または母が日本国民であるとき――母という言葉は1980年代になって付け加わったもので、もともとは父親が日本国民である場合に限られていましたが――そういう子どもだけが日本国民であるという規定ですね。後には帰化についての取り決めがあってこれはこれで大きな問題ですけれども、今日は時間の関係で省略します。
 これはどういうことかと言いますと、国籍法の上で日本国籍を持っている者、それが日本国民だということがこの憲法第3章第10条に書かれている。それでは国籍法の上で日本国民は誰かと言いますと、「日本国民の子」なのです。そういうことなんですね。
 第11条以下は、その「国民」に基本的人権があるんだと読めますね。しかし英文をご覧ください。これは私が訳したのではなくて、日本国外務省の公式の英文ですよ。日本国憲法第10条における「日本国民」という言葉の原文は、「a Japanese national」。「national」というのは形容詞ではなく、普通名詞として使われる「国籍保持者」という意味です。「日本国籍保持者であるための必要条件は法律で決める」と、こう書いてある。そして第11条は「The people shall not be……」――つまり10条と11条とでは、同じ「国民」という言葉が当てられていますが、原文の言葉が違うんですね。第10条では「a Japanese national」イコール「日本国籍保持者」の要件は法律で決めると書いてある。第11条以下は「日本国籍保持者」ではなく「people」に基本的人権があるんだと書いてあるのです。
 しかし日本国の多くの人々は、「日本国民」には基本的人権があるけど外国人にはないんだという、こういう本来的には間違った解釈の根拠としてここを読んでいる。「あなた気の毒だけど日本国籍がないんだから仕方ないわね」、ということとして読んでいる。
 しかしこれは実は幾重にも問題があります。在日朝鮮人は、例えば私の父親は、1952年まで日本国籍を保有していたのです。「日本国民」の子です、在日朝鮮人は。しかし在日朝鮮人と何の相談もなく、その国籍が否定されています。そして「今日からお前たちは外国人だ」ということが法務省によって一方的に通達されましたが、その通達にもとづいて一般の日本国民が享受する社会保障等のあらゆる権利から排除されました。最もわかりやすいことを言うと、1968、9年まで国民健康保険にも入れなかった。ということは、戟争が終わってから20年以上のあいだです。


 映画日本国憲法読本 日高六郎(インタビュー2004年)
日高 憲法問題が起こってから、いわゆる私擬憲法が、明治時代と同じでたくさん出る。民間憲法は面白いですよ。高野岩三郎を中心とする憲法研究会が作った民間憲法は、たとえばね、「国民は法律の前に平等にして出生または身分にもとづく一切の差別はこれを廃止す」とかね。それから「国民は拷問を加えられることなし」。そういうことが入っている。日本国憲法のなかにも拷問はいけないという条項がある。
 GHQのほうが民間憲法をしっかり読んでいる。社会党の憲法も、共産党の憲法も読んでいる。ところが憲法問題調査委員会はそれらを無視した。(略)/ 自主憲法というのは松本案、宮沢案など4つあった。その一つの案が『毎日新聞』に出た。これはスクープでリークではなかった。その案を見てね、GHQは愕然とした。日本国憲法を日本政府に任すわけにはいかない。GHQは即座に20人あまりのチームでGHQ側で草案作りの作業を始めます。2月13日、日本政府はGHQが幣原政府案をどう取り扱うか、聞きにいきます。2月1日からその13日の2週間の間にGHQのチームは草案を作ったわけです。/ そして幣原案は全面拒否。これでは連合国側に出しても拒否されるに決まっている、と宣告する。吉田外相以下みんな顔面蒼白だったようです。/そのときGHQ側はこの案の丸飲みを強要していない。意見交換の末、語句の修正、条項の削除、条項の追加が行われます。要するに3月6日の日本政府によって発表された「憲法改正草案要綱」は、GHQ原案を日本側の「改正」要求によって修正された案だということを忘れてはならない。
 特に発表直前、日本側が、GHQ原案を日本側に都合よく書き直させるために懸命に努力する。そのとき、的は第3章にしぼられる。第1章、第2章(9条)の天皇と9条はGHQの姿勢は硬いと見て、修正をあきらめた。そこで第3章に批評を向けて、日本側で改悪した。一例を挙げると、原案の13条の主語はall natural persons(一切、自然人は)から始まる。その訳を、「一切、自然人」→「人は」←「凡そ人は」→「すべて国民は」と変える(法の下の平等の項目)。英語と日本語の単語の感触を悪用して、最後には原文にあったnational originを削除した。外国人排斥の感じ。
質問 それはダワーさんのお話のなかにもちらっと出てきます。ダワーさんは、GHQ側の英文を翻訳する段階で意図的な意訳をしたのではないかと指摘をされていました。
日高 そのとおりです。GHQ側は日本語のニュアンスがよくわからない。それを利用した。Japanese peopleを日本の外務省は初め「人民」と訳した。それをあとで全部「国民」に直した。GHQ側には人民と国民の区別がつかないですよ。そして制憲議会では、新しく第10条を追加挿入しました。「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」。日本官僚の知恵です。そのため、兵隊として前線で戦った朝鮮人、台湾人に大きな経済的不利益が生じるのです。Japanese nationalも「日本国民」と訳した。ジャパニーズ・ナショナルというのは日本国籍人です。 」


なお、伊藤芳博氏の下記のサイトがこの問題に関連して丁寧な考察をしておられるので、大変参考になると思う。
http://www.geocities.jp/iyo59/iyo145.html
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2010.03.25 Thu l 社会・政治一般 l コメント (0) トラックバック (0) l top
「高校無償化法案」について、しっかりした意見を書けそうになくて躊躇していたのだが、ほんの少し述べてみたい。この法案は、マスコミによると、「民主党の政権公約の柱」(asahi.com)、「鳩山政権の目玉政策」(毎日新聞)とのことである。このように政権の「柱」とまで目される法案がその対象となる条件を完全に満たしている特定の学校を排除する動きにでたことで、これは当初もっていた性質・意味を一変してしまった。「高校無償化法案」は、私には成立を前にすでにして「在日朝鮮人に対する差別・迫害法案」としか感じられなくなっている。鳩山総理を初めとして民主党政権首脳は、「法の下の平等」という原則さえ自分たちの都合次第、気分次第で踏みにじって恥じないのだ。議員のなかに一人くらい真にまともな政治家がいてもよさそうなものなのに、現実には、国会で傾聴に値する質疑や演説を一度も聞いたためしがない。本当に残念かつ不幸な事態である。

この問題に最も重い責任を負う者として、政治家では鳩山首相、川端文部科学大臣、朝鮮学校排除を最初に言い出しその後も終始声高に同じ主張を繰り返している中井洽・拉致担当相等の顔が浮かぶが、もう一人きわめて悪質なのが橋下徹大阪府知事である。「無償化法案」についてこの人がマスコミでしゃべりだしたとき、「またでてきたか!」と思ったが、発言内容はいつにもましてタチの悪いものであった。

「朝鮮学校に交付している私立外国人学校振興補助金について「廃止を念頭に置いている」」「民族差別だという指摘があるが、朝鮮民族が悪いわけではない。北朝鮮という不法国家が問題。それはドイツ民族とナチスの関係と同じだ」「「金正日の肖像を外さないと無償化を認めない」「不法国家の北朝鮮と結びついている朝鮮総連と朝鮮学校が関係があるなら、税金は投入できない」、等々。

支離滅裂な妄言・暴言の連発としか思えないが、正面きって諫める人間がいないからどこまでも調子に乗るのだろう、ついには朝鮮学校の視察にまで至ってしまった。このときの発言内容について、朝日新聞の下記の報道を基に見てみたい。朝日は3月13日、「「総連と断絶を」朝鮮学校視察の橋下知事、府補助に条件」と題して次のように報じている。

「 高校無償化制度をめぐる朝鮮学校の除外問題で、大阪府の橋下徹知事は12日、同府東大阪市の大阪朝鮮高級学校など朝鮮学校2校を視察し、学校を運営する法人理事長や学校長らと会談した。知事は府独自の補助金を出す条件として、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)との関係を絶つことや、北朝鮮の指導者を崇拝するような教育をしないことなどを要望。法人側は対応を検討すると約束した。

橋下知事は、国が朝鮮学校を無償化制度から除外した場合でも、法人側の回答次第では府独自に助成する方針だ。

大阪府は各種学校にあたる朝鮮高級学校の生徒についても、国が無償化法案に盛り込んだ1人あたり年約12万~約24万円の私立高校生助成に府独自の支援を上乗せし、年収350万円未満の世帯の授業料を無償化するなど、新年度当初予算案に7600万円を計上した。
しかし、その後、橋下知事は「拉致問題を引き起こした不法国家の北朝鮮と付き合いのある学校に府の公金は入れられない」として無償化の対象外にすることや、府内の朝鮮学校11校に対する既存の外国人学校振興補助金の打ち切りを示唆した。

橋下知事は助成の是非を判断するため、12日に初めて朝鮮学校を訪問。知事は法人理事長や学校長らとの会談で、
▽総連からの寄付を受けない
▽朝鮮総連の行事に学校幹部が参加しない
▽大阪朝鮮高級学校の教室の黒板の上に掲げられた故・金日成主席らの肖像画を外す
―― などを求めた。」

記事の冒頭で朝日新聞は「高校無償化制度をめぐる朝鮮学校の除外問題で、大阪府の橋下徹知事は(略)朝鮮学校2校を視察し」と書いているが、この書き方はちょっとおかしいのではないか。こちらのブログが詳細に説得的に述べていてつくづく納得させられたのだが、橋下府知事は、国の「高校無償化法案」に関連して何ら権限を持っておらず、無関係なのだ。朝日の書き方では、読者に橋下府知事が「高校無償化法案」に関与する何らかの資格を持っているという誤解・錯覚を与えるだろう。事実は、朝鮮学校に対し大阪府が現在審議中の「私立高校・専修学校等授業料軽減補助金」の交付対象から除外されたくないのなら、また既存の「外国人学校振興補助金」を打ち切られたくないのなら、朝鮮学校は自分のだす条件を呑め、と言いに行ったということのようである。

橋下氏は、朝鮮学校に府の就学助成金を交付する条件として朝鮮総連や北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)との関係を絶て、というが、一体どんな権限をもってそのようなことを口にしているのだろうか。こういう条件を学校に求めてもよいだけの権限が知事に付与されているのだろうか。聞いているとこれはほとんど犯罪行為ではないかと感じるのだが、法的にはどうなのだろう。大変気になる。また上述のブログによると、朝鮮総連との関係を絶てば、実質的に朝鮮学校の運営は不可能になるとのことである。申し訳ないことに私は不勉強で朝鮮高校の歴史的な背景を詳細には知らないのだが、それでも、ブログを読ませてもらうと、確かにそれはそのとおりであろう、と得心させられる。府知事が現に多くの生徒をかかえた学校に対して最も重大な経営事情に言及することなく、「どこそことの関係を絶て」などというのを聞いていると、どこかの侵略国家がかつて朝鮮と朝鮮人になした暴虐な行為の数々が思い起こさせられる。破廉恥と無責任にも程があるのではないだろうか。

朝日新聞も朝日新聞である。これまで親身になって支えてくれた最大の支援者との関係を絶てば、学校運営に重大な支障がでることくらい分かるだろうに、何の疑問を呈することもなく、府知事の言い分をそのまま掲載し、さらに「橋下知事は、国が朝鮮学校を無償化制度から除外した場合でも、法人側の回答次第では府独自に助成する方針だ。」と書いている。何を考えているのか。学校経営が成り立たなくなってから、助成金をもらっても仕方ないだろうに。「死ね。死ね。死んだら香典をやるからそれでいいだろう。」というような譬え話を誰かが書いているのを読んだことがあるが、橋下氏の発言はこれによく似ているように思う。

橋下府知事がこうやってしゃしゃり出てきて、「不法国家だ」「暴力団だ」と決めつけるのは、こういう言葉を使って攻撃しても、相手が反撃する力もなく弱っている、弱い立場にあると見越しているからなのだ。これまでの言行をみるかぎりでは、弱いと見れば居丈高になり、言いたい放題。でも相手が強ければ決して歯向かわず従順そのもの。これがこの人の言動の特徴だと思う。昨年末、小沢一郎民主党幹事長と面談したときの感想は次のとおりである。

「陳情なんてできる雰囲気じゃなかった。すごいとしか言いようがない。とてつもない。日本を動かしている感じ」

笑いだしたくなるほど予測に違わない発言であった。ところで、北朝鮮を「不法国家」と呼んだのは今回の橋下氏が初めてではないかと思うが、どんな意味なのだろうか?どんな法的根拠をもって発言しているのか、マスコミはそこでちゃんと質問をして確認しないとだめではないか。自治体の責任者である人物がこれほど重大な発言をしているのだから、これからでも遅くない、マスコミはその発言の根拠を追求し、聞きただして報道してほしい。

「暴力団」「ナチス」などの発言は、どうもこれまで自分がその言動に対して人から指摘・評価されつづけてきたことをそのままなぞって口にしているのではないかとも思われる。弁護士時代は、「合法的な脅し」と「仮装の利益」による交渉方法が交渉の8割から9割を占めていたと自身のホームページで述べていたし、「詭弁を弄してでも、黒いものを白いと言わせるのが論理的な交渉の醍醐味」(「月刊ビジネススタンダード」2002年9月号)とも語っていたのだから、まったく暴力団風の手口そのものである。光市事件の弁護団に対する懲戒請求扇動発言の際には、多くの人がテレビを使ってデマゴギーをふりまく橋下氏の手法を「ナチス」になぞらえていたんじゃなかったっけ?

この人の現職は大阪府知事だが、もしこういう人が団地なりマンションなり、自分の居住する自治区域で会長職などに就いていたとしたら。そう考えると、私などは辟易、ただちに引っ越したくなる。盗撮あり、恫喝あり。発言がしっかりした論理性をもってなされているのを見たことがないのだが、こういう人物を選挙で当選させるのだから、東京都民もそうだが、大阪府民も不思議な種族だと思う。

2月24~25日にスイスジュネーブで開かれた国連人種差別撤廃委員会(UNCERD)に参加したという師岡康子弁護士のインタビュー(Eメール)がこちらに掲載されている。師岡弁護士によると

「日本政府報告審査会議では、在日朝鮮人たちに対する差別問題が主要案件として論議された。日本の民主党政府が高校授業料無償化に朝鮮学校だけ除くことを検討中の状況なので、この会議はたいへん注目された。/日本政府はこの度会議に15人の公務員を派遣し、国際社会で人権後進国としてのイメージが刻印されないようあらゆる力を注いだ。」

とのことだが、この会議で日本政府は、《この問題に対しては今後の国会審議などを見ながら慎重に対応する》と述べたそうだが、こんな毒にも薬にもならないありきたりの発言では「国際社会で人権後進国としてのイメージが刻印されない」はずはないだろうに、国際感覚に欠けていること甚だしいと思う。師岡弁護士は、民主党政権について「授業料無償化対象にブラジル学校・中華学校など民族学校を含めながらも朝鮮学校だけを排除したら自民党政権と変わらない民族差別主義政権であると評価するしかない」との見解を述べた上で、「在日朝鮮人に対する日本政府の差別及び日本社会の差別的態度を見ると、北朝鮮に対する外交問題という「仮面」をかぶっているが、本質的には植民地時代から続いている植民地主義に根を置いた民族差別だ」と発言しているが、私もそのとおりなのではないかと思う。
2010.03.23 Tue l 社会・政治一般 l コメント (0) トラックバック (0) l top
前回の記事で、もう2年近くも前の2008年に阿佐ヶ谷ロフトの講演で佐藤優氏が述べたという小林多喜二(注1)およびその作品「蟹工船」に関する発言をとりあげた。ブログ「Key(きー)さんです」(http://blogs.yahoo.co.jp/hiroshikey66/55952790.html)によると、その日、佐藤氏は、多喜二について「ブルジョア」という発言もしていたようである。

「蟹工船などはインチキ小説だ。小林多喜二はブルジョアなんです。ただリアリティが随所にみられる。」

「カラマーゾフの兄弟」の誤訳博覧会とでもいうべき亀山郁夫氏の翻訳本を賞賛するために、よりによって先行訳にありもしない「誤訳」を自ら捏造して押しつけたり、どういう理由かは不明だが敵意をもっているらしい小林多喜二とその作品である「蟹工船」に対して聴衆を前に「ブルジョア」「盗作」などのデタラメおよび無根拠な決めつけを口にしたりと、佐藤氏は最低限の倫理観をもち、文学をふくめた言語表現活動にいささかでも尊敬の念をもっていたらとうていできるはずがないと思える行為を堂々実践している。

この日、誰かが思いきって手を挙げて質問をしたらよかった。「多喜二は貧しい家の出身だときいていますが?」と尋ねる。「小説の最初の部分は他の小説からの盗作」「当時の漁業労働者他からの取材もしないで「想像」だけで書いたような話」という発言に対しては、「盗作ということですが、どの作品から盗作したのですか?」、「取材なしで書いた、と断言できる根拠は何ですか?」というような質問をすべきであった。同席していたという佐高信氏は蟹工船ブームに乗って(?)、多喜二をテーマにした講演会で何度も講師を務めているのだから、その佐高氏に佐藤氏の発言が正しいかどうかを尋ねてみてもよかった。何も自分がそういうことをしなくてもそのうちたとえば専門家筋の誰かが批判したり訂正したりしてくれるはずだと思っても、もうそういう期待に応えてくれる人はメディアにはいないようである。これではデタラメがそのまま広範にまかり通り、文化の衰退状況はますます絶望的になる。何より怖いのは、このような異常な状態が私たちに当たり前のこととして感受されるようになることである。だから、おかしいと思ったことは、私たち一般市民が自ら立って納得がいくまで相手に問いただす。もうそれしかないかも知れない。

(1)
先日、ブログ「連絡船」を拝見していたところ、魚住昭氏との共著「ナショナリズムという迷宮」(朝日文庫)のなかの佐藤氏の文章が批判的に取り上げられていた(こちら)が、その批判と(直接的にではないが)間接的に関係する文脈で、次の文章も引用されていた。(下線は引用者による)

「 私は魚住さんの手法に、かつてロシアで私が深く影響を受けた二人と共通の要素を感じたので、この人と話を続けると私の中にあるナショナリズム、国家に対する混沌とした知識を整理することができると感じ、できるだけ頻繁に飲みに行くようにした。魚住さんとの出会いがなければ、私は書斎に引きこもり、社会に再び出て行くという選択をしなかったと思う。従って、本を書くことも、論考を発表することもなかったと思う。」

これは、「ナショナリズムという迷宮」の「まえがき」の一部分である。この本は私もだいぶ前だが読んだことがあり、この部分に関してそのとき感じたことを上記の「連絡船」の記事により思い出したので今回はこのことから書いてみたい。揚げ足をとるわけではないが(?)、まず佐藤氏が、「書斎に引きこも」ることと、「本を書くこと」や「論考を発表すること」を相対立する行為のように書いているのはおかしいのではないか。本や論考を書くのは、たえず実社会に出ている人よりも、むしろ書斎に引きこもりがちの人のほうが多いだろうと思う。現実的にも、書斎に引きこもりがちの生活では、本を出したり、論考を発表したりの執筆活動をしなければ経済生活も成り立たないのではないかと推測されるし、佐藤氏のこの記述については不思議なことを聞くように感じた。が、それよりも、魚住氏との出会いがなければ、「社会に再び出て行くという選択をしなかったと思う」や「本を書くことも、論考を発表することもなかったと思う」などの発言は、佐藤氏が以前述べていたことと矛盾するのではないか。この本の刊行より以前の、その文章が拘置所のなかで綴られていることが明記されている「獄中記」という本には、

「読書する大衆、すなわち活字メディア(月刊誌)の読者をターゲットとする。『世界』、『論座』あたりが狙い目か。」(p47)、「獄中生活1年を経た頃から博士号や大学への就職に対する熱意が失せてきた。その分、きちんとした本を作るという意欲が強まっている。」(p385)

などの文章が散見される。佐藤氏は「私には人生の転換点で決定的な影響を与えた(注2)人が数人いる。そのうちの一人が魚住昭さんだ。」とまで述べて魚住氏との出会いの大きさを強調しているが、「獄中記」における上記の文章を読むと、魚住氏との出獄後の出会いがなかったとしても、佐藤氏は現在と同じように本を書き、雑誌に論考を発表するという生活を選んでいたであろうことがほぼ確実と推測される。これでは、自分は魚住氏に決定的な影響を受けたという佐藤氏の言い分自体に疑問をもたざるをえないのだが、そうだとすると、この一文は魚住氏を評価し敬意を表するものではなく、逆に魚住氏を侮辱するものではないだろうか。

ちなみに、「読書する大衆」という言葉であるが、佐藤氏は2007年4月、自分について書かれた『AERA』の記事に不満をもち、執筆した大鹿靖明『AERA』記者に「公開質問状」を送っている(このことについては前回少し述べた)。これは現在でも、『週刊金曜日』のウェブサイトに掲載されているが、大鹿記者が『AERA』の記事に「獄中記」のなかにある「読書する大衆」という言葉を引用したことに関して、この「質問状」には下記の文面がある。

「質問19.「読書する大衆」という記述について
(1)《「思考するメディア」「読書する大衆」をターゲットとする戦略》(19頁)という記述がありますが、ここでいうターゲットの意味を説明してください。
(2)私が「読書する大衆」という言葉を用いたことがあるか、あるとするならばどこで用いたかについて明示してください。
(3)私は「読書する大衆」という認識をもっていません。従って、そのような言葉を用いた記憶がないのです。それにもかかわらず、カギ括弧つきであたかも私の発言であるかの如く「読書する大衆」という記述を大鹿さんがなされた真意について釈明を求めます。」

上の質問状の文章を素直に読むと、佐藤氏は、自らが「読書する大衆」という言葉を「獄中記」に記したことを忘れてしまっていたことになるが、はたしてそんなことがありえるのだろうか。「読書する大衆」という言葉はそれまであまり聞いたことのない特異な表現であり、目にした者にはつよく響いてくる印象的な言葉なのだが。もし本当に忘れていたとしても、結果的にこれが大鹿記者に対する非礼な言いがかりであったことには違いない。質問状には「ターゲットの意味を説明してください」ともあるが、佐藤氏自ら「活字メディア(月刊誌)の読者をターゲットとする」と本にちゃんと書いている。過っているのは大鹿氏ではなく、佐藤氏のほうである。『金曜日』のウェブサイトを見ると、この誤りは今も訂正されることなく、そのまま放置されている。大鹿氏へも釈明や謝罪などなされていないのではないか。なお、このことは金光翔さんがすでにこちらで取り上げて佐藤氏、『週刊金曜日』の双方をきびしく批判している。

(2)
「国家の罠」を読むと、佐藤氏は人間がもつ「嫉妬心」という感情が、鈴木宗男氏と自分の逮捕劇の一要因だったと考えていることがわかる。どうやら、「嫉妬心」はこの本をつらぬくキーワードの一つになっているように感じるのだが、しかし、ある出来事の発生の原因として「嫉妬心」のような強烈な感情を挙げる場合には特に繊細な注意が必要とされると思う。というのも、人の行動についてあらかじめ「原因は嫉妬である」と言い切ってしまえば、人をしてそれでもうすべてが解ったような気にさせてしまいがちなのがこの言葉の一大特徴だと思えるのだ。「嫉妬心」とは「言ったもの勝ち」の様相を呈することになる最右翼の表現ではないだろうか。だから、誠実な書き手、秀でた書き手は、この言葉を安易に用いるようなことはまずしない。事実でもって語らしめるという方法――ある言動を慎重に正確に客観的に描くことにより、その実体、真偽が浮き上がるのを待つという姿勢をとるように思う。

「国家の罠」はそうではない。鈴木宗男氏には嫉妬心が希薄であり、そのために他人の嫉妬心に気づかなかったというように、鈴木氏が他人の醜い感情(嫉妬心)などは察知もしない無垢で美しい心情の持ち主であることが本のあちこちで強調されている。

「政界が「男のやきもち」の世界であることを私はロシアでも日本でも嫌というほど見てきたが、鈴木氏には嫉妬心が希薄だ。/ 裏返して言えば、このことは他人がもつ嫉妬心に鈴木氏が鈍感であるということだ。この性格が他の政治家や官僚がもつ嫉妬心や恨みつらみの累積を鈴木氏が感知できなかった最大の理由だと私は考えている。(p39)」

「鈴木氏が田中(引用者注:田中真紀子氏のこと)更迭にあたって「鈴木氏からカードを切った」(「田中をやめさせて下さい。それならば私も引きましょう」と俺から総理に言ったんだ。総理から担保もとっている。田中をやめさせただけでも国益だよ」と淡々と電話口で述べた。)ことが恐らく裏目に出るだろうと私は思った。小泉氏にすれば、それは鈴木氏が閣僚人事にまで手を突っ込んできたことになる。/鈴木氏本人は、嫉妬心が希薄な人物だけに田中女史や小泉氏の嫉妬心に気がついていない点が致命的に思えた。2月1日の参議院予算委員会で小泉総理が「今後、鈴木議員の影響力は格段に少なくなる」と述べたことはレトリックではない。この時点で既に流れは決まっていたのである。(p116)」

という具合である。しかし田中真紀子氏や小泉純一郎氏は、個性の相違はあれども、どちらも「私が一番」「僕が一番」というように他者に対する自己の優位を信じて疑わない心性の持ち主であるように思える。彼らは格別に鈴木宗男氏に嫉妬しなければならない理由はもっていないのではなかろうか。佐藤氏は「小泉氏にすれば、それは鈴木氏が閣僚人事にまで手を突っ込んできたことになる。」と思わせぶりなことを書いているが、ここで何を言いたいのだろう。

上記の件は小泉・鈴木の両政治家による一つの取り引きであろう。このようなことは小泉純一郎のような人物にとっては何ら嫉妬心をかきたてられる理由にはならないのではないか。佐藤氏は自分のその判断の根拠を示していないので、これでは鈴木氏の存在感をきわ立たせるための強引な憶測のようにしか感じられない。ところが、鈴木宗男氏と面識もなく、特に鈴木氏についての知識ももっていないという佐藤氏の担当取調官である西村検事は内藤国夫著『悶死-中川一郎怪死事件』(草思社1985年)を一読した後、下記のように述べたことになっている。

「実に面白い本だったよ。/鈴木さんのパーソナリティーがよくでているね。要するに気配りをよくし、人の先回りをしていろいろ行動する。そして、鈴木さんなしに物事が動かなくなっちゃうんだな。それを周囲で嫉妬する人がでてくる。(略)/しかし、鈴木さんは自分自身に嫉妬心が希薄なので、他人の妬み、やっかみがわからない。(略)/中川夫人の鈴木氏に対する感情と田中真紀子の感情は瓜二つだ。本妻の妾に対する憎しみのような感情だ。嫉妬心に鈍感だということをキーワードにすれば鈴木宗男の行動様式がよくわかる」

これに対して、佐藤氏は次のように述べる。

「 私はこのときまでに「鈴木氏に嫉妬心が希薄で、それ故に他者の嫉妬心に鈍感だ」という見立てを西村検事に話したことはない。この検察官の洞察力を侮ってはならないと感じた。(p272~273)」

佐藤氏と担当検事とは「嫉妬心」をめぐる鈴木氏に関する見解がピッタリ一致したことになっている。おかしいと思わざるをえないのは、鈴木宗男氏と会ったこともないこの検事が上述の本一冊読んだだけで「鈴木氏に嫉妬心が希薄で、それ故に他者の嫉妬心に鈍感だ」と断言していることである。期せずして佐藤氏の鈴木観と一致したことになるわけだが、検事のこの態度は「洞察力」があるというより、あまりにも軽率、不自然過ぎると思う。「中川夫人の鈴木氏に対する感情と田中真紀子の感情は瓜二つだ」などという見解は一体どういう根拠の下で引き出されているのか、不可解である。この問題で佐藤氏は一貫して何ら具体的な事例を示さず、実証もしていない。それで人の内面的感情である「嫉妬心」について縷々断定的に述べ、それを事件発生・解明の鍵の一つとしている。これはずいぶんご都合主義的な乱暴な話ではないだろうか。

(3)
上の(2)で述べたことといくぶん関連することになるかと思うが、佐藤氏は初期のころの著書に「土下座」ということについてよく書いていた。土下座についての話をする人など珍しいと思い、興味ぶかかったので、よく記憶しているのだが、この件について少し考えてみたい。まず、こちらのブログに資料として掲載されている記事のなかから、佐藤氏が逮捕された当時に報道された土下座に関する「時事通信」の記事を引用する。

「外務省職員に土下座強要=鈴木氏の前で「謝るときはこうする」−佐藤容疑者
 外務省関連の国際機関「支援委員会」をめぐる背任事件で、逮捕された同省前国際情報局主任分析官佐藤優容疑者(42)が、鈴木宗男衆院議員(自民党離党)にしっ責された職員の前で「謝るときはこうするのだ」と土下座し、職員にも土下座を強要していたことが17日、関係者の話で分かった。」

佐藤氏自身による「土下座」に関する発言は次のとおりである。

① 「鈴木氏の前で土下座し、鈴木氏に「浮くも沈むも鈴木大臣といっしょです」という宣言をしたり、鈴木氏の海外出張で文字通り腰巾着、小判鮫のように擦り寄っていた外務省の幹部たちが、「鈴木の被害者」として、それこそ涙ながらに鈴木宗男の非道をなじっている姿が走馬灯のように浮かんだ。(「国家の罠」p352)
  「かつて外務省の幹部たちは「浮くも沈むも鈴木大臣と一緒」といつも言っていました。土下座して、無理なお願いを鈴木代議士に対して行う幹部たちの姿を私は何度も見ています。」(「獄中記」p111)

② 「東郷(和彦)さんは精神も行動様式も「貴族」なのであって、カネや人事に固執せずに、自らが国益と信じる価値を実現するためには、私のようなノンキャリアの若手官僚も活用するし、歴代総理や鈴木宗男さんの前で平気で土下座することができる。本質的なところでの矜持があるから、小さなプライドを捨てることができたのだと思うのです。」(「国家の自縛」p28)

①と②とでは、佐藤氏は「土下座」という行為についての価値判断を微妙に変えているように思える。①では、土下座までして忠誠を誓ったのに、外務省の幹部は鈴木氏を裏切った、と述べていて、土下座という行為に重い意味を見ているようである。しかし、②の東郷氏の土下座に対する佐藤氏の判断は①の場合とは異なるようだ。土下座は些細なプライドさえ捨てれば、誰の前でもやすやすと行なうことができる、表層的な行為に過ぎない。東郷氏は土下座などものともしないだけの本質的な矜持をもっているとのことで、ここでは土下座は「忠誠の誓い」という特殊な行為とは別種の、わりあい気軽な行為として扱われているようである。

どちらにせよ、当時外務省には土下座が日常茶飯のごとく横行していたらしい。私は土下座についてのこれらの文章を読んで、かつて田中真紀子氏が外務省を指していった「伏魔殿」という表現は実に卓抜だったのではないかという印象をもった。土下座をするほうの外務省幹部にも、される立場の鈴木宗男氏にも、また幾度となくその光景を見たと述べ、こうしてそのことを書いている佐藤氏にも、なんともやりきれない感じをもつ。土下座をする人物が大勢いたのなら、されるほうがそれを喜んだり望んだりしたからではないのだろうか。そこまで言わないにしても、少なくとも土下座を嫌悪したり拒絶したりして止めさせようとしなかったからこそなされたとは言えるだろう。外務省は一体どういう組織なのか(それとも土下座が行なわれていたのは佐藤氏の周辺だけだったのだろうか。)。土下座なぞ一般社会ではまず見られないし、話題としてもまず聞かれないことだ。私は土下座をテレビや本でしか見たことがない。上記の佐藤氏の文章を読むと、どことなく土下座をした人間に対して弱みを握っているぞと言わんばかりの調子も感じられ、また通常佐藤氏が見せる行動から判断しても、上述の「時事通信」の記事がかなりの信憑性をもって迫ってくるのは否めないことである。佐藤氏は、「国家の罠」で自分と鈴木氏の関係について、

「私と鈴木宗男代議士との関係についても、「私設秘書」と「恫喝政治家」というような関係ではなく、対露外交を推進する上での盟友でありかつ夏目漱石『こころ』の主人公と先生のような関係であることを検察側にどこまで正確に理解させるかということも、私にとっては重要なことです。(p76)」

と記している。「嫉妬心」が渦巻き「土下座」が横行しているという組織の実態を教えられた後で、「夏目漱石『こころ』の主人公と先生のような関係」という言葉を聞くと、これはひときわ異様に響いてくるが、このような側面こそ佐藤氏の真骨頂かも知れない。

     ──────────────────────────

(注1) そのころの文学青年の多くがそうだったようだが(梶井基次郎も面識はなかったが、志賀直哉の心酔者であった)、多喜二も終生志賀直哉を尊敬した。志賀直哉は、多喜二の死亡が新聞で報じられた日、日記に下記のメモを書き記している。

「小林多喜二 12月20日(余の誕生日)に捕へられ死す、警官に殺されたるらし、実に不愉快、一度きり会はぬが自分は小林よりよき印象をうけ好きなり アンタンたる気持になる、不図彼等の意図ものになるべしといふ気する」

また、2月24日には小林多喜二の母小林セキに次の文面の手紙を送っている。

「拝呈御令息御死去の趣き新聞にて承知誠に悲しく感じました。前途ある作家としても実に惜しく、又お会ひした事は一度でありますが人問として親しい感じを持って居ります。不自然なる御死去の様子を考えアンタンたる気持になりました。御面会の折にも同君帰られぬ夜などの場合貴女様御心配の事お話しあり、その事など憶ひ出し一層御心中察し申上げて居ります。同封のものにて御花お供へ頂きます。2月24日。志賀直哉。小林おせき様。」

小林多喜二は1933年、警察署で逮捕当日に殴り殺されたときまだ29歳の若さであった。あまりにも残忍な殺され方だったため、小林多喜二というと何か名前をきくだけで重苦しい気持ちがするが、いくらかホッとするような逸話の一つに、多喜二と志賀直哉との関係のことがある。

多喜二と志賀直哉の縁は、多喜二が小樽の高等商業学校に通っていた18、19のころにさかのぼる。そのころ多喜二はしきりに志賀直哉に手紙を書き送っていたそうであるが、その手紙のユニークさが、阿川弘之の『志賀直哉』(岩波書店1994年)に描かれていて、これには多喜二の若々しい姿が彷彿としていて楽しい。

「…志賀一家が我孫子住まひのころ、北海道からのべつ、気焔万丈の手紙を送りつけて来る文学青年がゐた。19世紀の末、北欧の文学が世界を風靡したやうに、日本では北海道で育った自分が北海道から文壇へ打って出て日本文学を席捲するのだなどと書いて来た。あまりの大気焔に、直哉は此の文学青年の名前を覚えこんでしまった。それが当時小樽高商在学中の、未だはたちにならぬ小林多喜二であった。
 奈良へあらはれた多喜二は、数への29歳、すでに一部で高く評価されてゐる新進作家だったが、(略)自分の信条を相手に強制するやうな態度はちっとも見せなかった。昔凄い手紙をくれたのを覚えてゐると話すと、まっ赤になったといふ。」

19世紀の末、世界を風靡した北欧の文学について、多喜二は具体的にどんな作家や作品を思い描いていたのだろう。それにしても、「日本では北海道で育った自分が北海道から文壇へ打って出て日本文学を席捲するのだ」などと意気のいい言葉を小林多喜二が他ならぬ心酔する人物に宛てて書き送ったというのは、ちょっと嬉しくなる話である。

(注2) ブログ「連絡船」では、佐藤氏のこの部分の文章の拙さを指摘している。詳しくは、「連絡船」を参照のこと。
2010.03.06 Sat l 言論・表現の自由 l コメント (2) トラックバック (0) l top
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