QLOOKアクセス解析
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- -- l スポンサー広告 l top
   
私は『週刊金曜日』の購読者でもなく、佐高信氏のファンでもないので、佐高氏の文章に触れるのは偶然の機会だけで、今回『金曜日』で「加藤周一への偏見」という記事を読んだのもたまたまのことだった。が、一読してから2、3日たつのにいまも妙に気持ちにひっかかりがあるので、エントリをたてて感想を書くことにした。佐高氏はこう述べている。

「極端に言えば、加藤には偏見がないから好きになれない、ということになる。偏見などないほうがいいに決まっているではないか、と直ちに反論されるかもしれない。しかし、私は偏見にこだわりたい。いわゆる偏見を打ち砕くのも別の偏見だと思うし、第一、偏っていない見方などあるか、と開き直ることもできる。最近、二八年前に私がフリーになった時の「独立記念文集」に山田太一が書いてくれたものを再読して、なおさら、そう思った。山田は当時三七歳だった私を「偏見も適当にあって」、それがライターとしての味つけになるだろうといった意味の励ましをしている。」

う~ん…。何かを述べているようでいて、実は聞くべき中身は何もないように思う。加藤周一について「偏見がないから好きになれない」と言うのだが、佐高氏の頭のなかでこの「偏見」はどんな意味、どんなイメージをもっているのかが一言も語られていない。またその後すぐに「偏っていない見方などあるか」とも述べているが、それならなぜ「加藤には偏見がない」という言葉が出てくるのだろう。加藤周一の「知性のあり方にどこか「目黒のさんま」的なものを感じる」という発言にしても、これも何も説明していないどころか、むしろ見当違いなことを述べているように感じる。加藤周一は、欧州やアジア各国の大学から呼ばれては出かけて行って(本人いわく、小さなトランクを一つだけもって行くそうだ。)、長い外国暮らしを経験している。文章を読むと、どこに住んでいても、それぞれの社会において見るべきこと、感じとるべきことを十分に見、感じとっていることが察せられる(注1)。紀行文を読むと、あちこちの街を自由に歩き回り、そのせいか一般大衆との接触もいたってスムーズ、時にはかなり密だったように見える。もしかすると、このような視野の広さ、自由人の感じが偏見のなさに繋がり、よって「好きになれない」とでも?

「偏見を打ち砕くのも別の偏見だと思う」という見解についても同種の指摘ができると思う。どのような偏見が、別のどのような偏見を打ち砕くことが可能なのか、さっぱり分からない。一般には聞かれないこういう特異な意見を表明する場合には、その事例を具体的に示すのが書き手の責任ではないだろうか。こんな調子では「偏見」という言葉を弄んでいるだけで、実は佐高氏は具体的例を示そうにも示すべき何ものももたずに「偏見」という言葉を振り回しているだけなのではないかと疑いたくなる。

上の文章のなかで具体的に書かれているのは、昔、自分が山田太一氏から「「偏見も適当にあって」、それがライターとしての味つけになるだろうといった意味の励ましを」もらったということだけである。「ふ~ん。褒めてもらってよかったね」としか言いようのない内輪の話だが、上の文を読んで読者の頭に具体的に残るのはこれだけのようにも思う。それから、かつて江藤淳と対談した時に江藤が話してくれたという加藤周一に関する別におもしろくもない逸話を述べて、

「加藤と同じ陣営に属する私への冷やかしのタネにもなるようなことを、加藤はどうしてしてしまうのか。」

などとも書いているが、これも何を言いたいのかとっさには理解しにくい奇妙な文章である。「同じ陣営」といっても、佐高氏が加藤周一と同じ陣営に属しているとはもう誰も考えないと思うのだが(注2)。ひょっとしてこれは佐高氏の世間に対するそれとないアピール、自己主張なのだろうか。次の記述も意味不明だ。

「加藤への偏見を消せないまま、私は竹内の指摘を読み返す。

「秀才たちが何を言うか、私だってこの年まで生きていれば大方の見当はつく。たぶんそれは全部正しいにちがいないのだ。けれども正しいことが歴史を動かしたという経験は身にしみて私には一度もないのをいかんせんやだ」」

竹内好が「秀才たちが何を言うか」と言ったからといって、これが加藤周一とどう結びつくのだろう。竹内は「秀才」として加藤周一の名前を出して批判しているというのだろうか? もしそうならば、どのように描いているのかを示すべきだ。またもし加藤周一の名前が出ていないのに、佐高氏が勝手にこのような書き方をしているのなら、それは汚い手である。第一、竹内好自身、東大文学部支那文学科出であり、秀才であることに変わりはないのだから、これだけでは「秀才たちが何を言うか」という言葉自体、わけが分からない。この後、加藤周一が竹内好を論評した「竹内好の批評装置」という文章を引用するつもりだが、そこで加藤周一は、竹内好が「東京帝国大学の秀才たちがつくりあげた官僚国家」に反撥をもっていた旨を書いているが、竹内好が述べているという「秀才たち」というのは、竹内好の同級の官僚候補生たちのことではないのだろうか? というのも、彼は『教養主義について』(1949年)という文章で、加藤周一をひどく称讃しているのだ。

   
「加藤周一を、私は、フランス文学研究者のなかで、というより、一般外国文学の研究者のなかで、いちばん尊敬している。私が尊敬するのは、(略)方法の新しさ、というよりも、その新しさを支えている自覚的態度、ということであって、その点で、私は教えられるところがある / かれは外国文学を研究するには、自分がそのものになるところまで行かねばならぬと考えており、しかも、それを、日本文学の伝統だといいきっているところである。こういう自覚的態度は、私の考えでは、日本の歴史にかつてなかった。」

このように竹内好自ら「いちばん尊敬している」「日本の歴史にかつてなかった」とまで言明している加藤周一に対して、一転「秀才たちが何を言うか」というような罵声を放つことがあるのだろうか。疑問を感じるのだが、ただ先程述べたように、加藤周一は『竹内好の批評装置』(『展望』1966年11月号)というかなり長い批評文を書いている。実はこれは竹内好に対する大変きびしい指摘をふくむものである。その一部を下記に引用するが、加藤周一はまず

「竹内好は東京帝国大学の秀才たちがつくりあげた官僚国家への反撥から、魯迅のなかに自己を見出そうとしたのだ。とにかくここに、私が彼の原経験とよぶものがある。彼の文章で、直接間接に、それと係りのないものは、一つもない。」

と述べ、竹内好の原体験が魯迅との出会いであり、この出会いが竹内好の人生を決定づけるいかに重大な出来事であったかについて十分な理解を示しているわけだが、ただし竹内好はこの原体験に普遍的な契機をもちえていないと言い切っている。

「私は先に竹内の原経験がそれ自身のなかに普遍的な契機を含まぬものである、といった。その原経験を通じては、西洋文明の帝国主義的な面と普遍的な面とをひきはがすことができない。別のことばでいえば、西洋文明のなかの何が普遍的な要素であるかを、その原経験から出発して、区別することはできない。しかしそれを区別しなければ、竹内のアジアは、民主主義の原理そのものの普遍性をも、帝国主義の特殊性のなかに解消し、一括して拒否せざるをえなくなるだろう。その結果、偶然にではなく、全く必然的に、たとえば英米対日本の戦争を、帝国主義相互の戦争であり、同時に民主主義対反民主主義の戦争であると考えることが、複雑な現実への接近ではなく、複雑な現実についての考えの「混乱」へみちびくことになるのである。
(略)
特殊な歴史的条件のもとにない文明はない。しかし普遍的なものに向わぬ文明もない。特殊性の立場に終始するならば、それは自己主張にすぎず、自己主張はそれだけでは文明ではない(だからたとえばナチの人種優越論と日本帝国主義の日本神国論も、ドイツ人民と日本人民を含めて人間の尊厳のために、叩きつぶさなければならないものであった。たとえそれが帝国主義間の争いを通じてのみ可能であったとしても、それが叩きつぶされるべきものであった、ということに変りはないのである)。
(略)
竹内の説は、議論の前半、現状の批判のところで申し分なく鋭い(それが竹内好の批評装置と私のよぶものである)。議論の後半、そこでどうすればよいかというところでは、甘いと私は思う。それが私に甘く聞える理由は、二重である。その一つは分析の道具としての概念そのものに係り、もう一つは事実判断の内容に係る。そしてその二つは、むろん密接にからんでいる。」

と述べたあと、竹内好が用いる概念―たとえば、「エリート」、「民衆」について-の曖昧さ、および事実関係―たとえば、「日本の独立」ということ-についての認識不足などを徹底して批判している。

「竹内の原経験から出発した批評装置の提出する問題をとくために、われわれが必要としているのは、そこに客体化された状況に綿密な分析を加えることだ、といいたい。科学的な分析と思考は、目的を選択する究極的な根拠を、あたえるものではない。しかし目的を実現するための方法を洗煉するために、欠くことができないのである。」

加藤周一は竹内好の批評装置には「科学的な分析と思考」が欠如しているという判断をしているわけである。この評価は、「近代の超克」(1959年)や「日本とアジア」(1961年)などの論文に見られる竹内好の主張を批判したものと見て間違いないと思われるが、適切な批判といえるのではないだろうか。

   
この「竹内好の批評装置」は上述したように筑摩書房の『展望』1966年11月号に掲載されたものであるが、ちょっとおもしろいのは、同じ66年の『展望』6月号に、竹内好の「学者の責任について」という文章が掲載されていることである。この文章には「遠山茂樹氏に答える」という副題も付いている。竹内好の書いている内容から判断するに、竹内はその少し前に、遠山茂樹を始めとした何人かの歴史学者から樽井藤吉や葦津珍彦や「侵略と連隊の問題」に関して批判を受けたらしい。竹下好によると、自分について遠山茂樹は次のように述べたとのことである。まず、

「竹内好氏は、日本がアジアの中で唯一の帝国主義国であったし、戦後も帝国主義復活の途を歩んでいること、そのことが日本人にとって、いかに深刻な思想の問題をもたらしたかということ、そして日本人がその国民であることの主体的な責任感が弱いこと、したがって、そうした情況から脱却する可能性を失っていることを一貫して論じつづけられた。」

と従来の竹内好の仕事について敬意の感じられる判断を表した上で、

「竹内氏の問題意識を私はそう理解するのだが、その間題意識からする時、アジア主義を『アジア諸国の連帯(侵略を手段とすると否とを問わず)の指向』と定義づけることの現代的意義がどこにあるか疑問をもたざるをえない。

竹内氏は、アジア主義者たちの『主観』や『意図』や『目的』を専ら紹介する。それを引き出す根拠とする史料は、主として、後年の弁明の書か、後継者の筆になる頒徳的伝記である。こうした史料を無批判に採用するのでは、当年の『主観』『意図』『目的』がはたしてそうであったかどうかを論証することはできない……」 

遠山茂樹のこの批判に対して、竹内好は

「私の感じでいうと、歴史家は文献の読み方が甘い。文字の表面だけをかすっている。眼光紙背に徹するまでは望まぬが、せめて紙中にはとどいてもらいたい。そうでないと「主観」や「意図」や「目的」どころか、歴史学の眼目である「事実」の確定さえできぬではないか。歴史家の間では、史料の価値順位が他律的に決められているらしいが、これこそ私から見て「史料を無批判に採用する」態度なのだ。黒竜会文書を疑いの眼で見るのはよい。しかしそれならば、政府の公文書は、もっと大きく活眼を開いて読むべきだ。」

などとかなり執拗に歴史学者の事実を見抜く目の甘さ、怠慢を攻撃している。あくまでも、アジア主義者たちの侵略の意志のなかには連帯意識が存在したと言いたいのだろうが、それならば、歴史学者に「文献の読み方が甘い」と言う前に、歴史学者たちをも納得させるだけのアジア主義者たちの「連帯」を示す具体的な史料を提出すればよかったのではないか。遠山茂樹に「(竹内好の)根拠とする史料は、主として、後年の弁明の書か、後継者の筆になる頒徳的伝記である」と批判されるような史料では仕方がないのではないだろうか。

そう思ってしまうのは、私は遠山茂樹の著書は「明治維新」しか読んでいないのだが、その読後感は竹内好のどの文章よりも「文献の読みが緻密」である印象は圧倒的なのである。『展望』における加藤周一の竹内批判は「竹内対歴史学者」の論争と関係があったのか、それとも偶然なのかは分からないが、竹内好の頭上にブーメランとなって刺さったのではないだろうか。

加藤周一のこういう文章を読むと、佐高氏の「加藤には偏見がないから好きになれない」とか、「加藤への偏見を消せないまま、私は竹内の指摘を読み返す」などはいかにも頓珍漢で、見過ごしにくかった。

    ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

(注1)加藤周一の発言を見ると、細やかな神経でものごとの核心を掴んでいることを感じさせられることが多い。たとえば、次の各発言。

○「インドネシアでも、タイでも、マレーシアでも同じだと思いますが、ただちがいもあります。日本の経済的な力は、中国を支配してはいないけれど、東南アジアではかなり強い。戦争の過去から来る反感と現在の日本との経済的結びつきから受ける利益とが競合している。だから、東南アジアの国々の企業の社長や政府の役人に会えば、反日的なことをいう人は少いでしょう。しかしタイでさえ、大学に行って学生と話せば、日本批判は激しい。おそらくマレーシアやインドネシアではさらに猛烈でしょう。」(『過去への反感と現在の経済的結びつき』)

○「韓国・中国・タイ・マレーシア・シンガポール等の政府は特に日本に反対してはいない。失言に我慢がならないときは抗議するけれども、それは極端な場合で、日本の経済力に依存しようとするところもあって、曖昧にされるのでしょうが、みなさんのうちどなたかが、アジアのどこかの国で誰か一般人をよく知っていたら、対日感情が良好などとはとてもいえないでしょう。」(『戦後50年の意味するもの)

○「侵略戦争であるかないかを問題にしているのは、日本だけです。必ずしも被害国じゃなくても、どっちかなどということを考えている国はほかにはないでしょう。もちろん韓国や中国やマレーシアでそんなことは問題にならない。日本人に殺されたわけじゃないけど、パリでも「あれは侵略戦争であったかなかったか」ということは誰も問題にしていないでしょう。そういう問題を考えること自体が、鎖国心理のあらわれで、日本の特殊事情です。天下の常識に従えば、侵略戦争だ。」(『同上』)

○「日本政府は迷惑だから(沖縄の)基地を縮小したいと主張することもできない。その大きな理由は、日本がアジアで孤立しているからでしょう。アジアの国々もそれを望まないということになる。」(『同上』)


(注2)もう1年以上も前の記事になるが、ブログ「ヘナチョコ革命」には下記の文章が載っている。

「 「週刊金曜日」がやったことといえば、札付きのイスラエル支持者の佐藤優にはイスラエル支持の記事は書かせないが、それでも彼に紙面を提供して他の話題を書かせ、彼に金を払い、結果的に彼を支援して、「週刊金曜日」以外でなら、イスラエル支持の記事を書こうが演説をしようがそれは構わないという立場だ。/ この「週刊金曜日」の行為は、イスラエル支援企業の製品を積極的に買う行為あるいは宣伝する行為と、どこがどう違うのだろうか?/ 誰か、この疑問に答えて欲しい・・・」(「週刊金曜日」編集部とのやりとり~① 2009/3/19(木) )

ブログ主の檜原氏の「誰か、この疑問に答えて欲しい・・・」という問いに対し、金曜日の行為を擁護できる答は、世界中を探し回っても見つからないだろう。これはプラトンの時代のはるか以前からそうなのだ。ただし詭弁というものの存在をのぞかなければならないが。
スポンサーサイト
2010.08.03 Tue l 週刊金曜日 l コメント (0) トラックバック (0) l top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。