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 「死刑」の観念は731部隊において生体実験の正当化に利用された

戦時中の731部隊が中国人・ロシア人・朝鮮人などの捕虜や反日抗戦の容疑により拘束された人々に対して行なった生体・人体実験。旧日本軍の数多い犯罪のなかでもこれは最右翼に位置する冷酷、卑劣な悪業であることを否定する人はまずいないと思われるが、この731部隊に関する書籍や史料を読んだことのある人は、元隊員など731関係者の証言に「死刑」「死刑囚」という言葉が頻繁に出てくることに気づいた人も多いのではないだろうか。私も昔本などでそのことを知り、ショックを受けたものである。

731部隊内で「丸太」と呼ばれ、人体実験の生贄にされた人々は、関東軍憲兵と特務機関によって逮捕され、各地から一括特別移送扱いで部隊に送り込まれた人々だが、移送の前に正式な裁判が行なわれたという証言、形跡はまったく見つかっていない。形式の上でさえ死刑囚ではなかったのだ。それにも関わらず、この人々は死刑囚であるという意識は隊内中に共有されていた。そうであればこそ良心の痛みも感ぜず、数々の残忍極まりない生体実験にいそしむことができたのだ。「やつらは死刑囚である」「死刑は合法である」という観念が隊員たちのなけなしの良心の最後の一片を消し去る役目をつとめていたのだと思われる。以下に森村誠一の「悪魔の飽食」からこの問題に関連する記述、証言をいくつか引用する。(太字による強調はすべて引用者による)

「「われわれは、日本に占領された満州領内で、石井部隊の実験用に供する、生体の不足を感じたことはなかった……毎年600人程度が“特体扱”(特別移送の略)として送られてきた」
これは第731部隊第4部(細菌製造)の責任者であった川島少将の、のちにハバロフスクで開かれた極東軍事裁判のなかでの証言である。
 私は、“特移扱”となった「丸太」が反日抗戦に参加したロシア人、中国人、朝鮮人である旨を書いてきた。「丸太」は反日抗戦のかどで逮捕され、死刑を宣告された者であり、「どうせ殺される奴等」である。これが731部隊に、大規模な生体実験をおこなわせる合理的口実となった。(略)

生体解剖のメスは主として研究班の助手格(雇員)がふるった……各班長は当時の名だたる学者であり医師であったが、彼らが直接、手を下すのはよほど興味を持ったマルタの場合に限られ、通常はけっして自分の手を汚さず、すべて部下にやらせていた。生体解剖の罪悪感など一かけらもなかった。むしろ、どんな標本が採集できるか楽しみにする空気が、各班にあった。(略)

部隊では多数の医学者が、医学の名において健康な人間を選別し、生体実験の材料として生活消費財のように消費していった。「あいつらはどうせ死刑になる身だ。おなじ死ぬのなら人類のお役に立って死ね」という論理が、731医学者の間にまかり通っていたという。」(森村誠一著「悪魔の飽食」光文社1981年)

731部隊の定員は3000人だったそうだが、常時400~500人ほどの人員が不足していた。隊員の住居は部隊に隣接して建てられており、隊員の家族のなかには、特に妻のなかには、看護士、事務職などの軍属として働く人も多かった。下記に引用する文章を書いた人もそういう人の一人である。この女性は、731部隊に貢献することにより「お国のお役に立っている」と信じていた自分たちの存在や行為が戦後になってきびしく指弾されるようになったことに対して衝撃と割り切れなさを感じながら生きてきたようであり、これは一種の弁解の書に過ぎないのかも知れないが、ただ、この人は平時においては何も特別にひとと変わったところのあるではないごく普通の人だったと思われる。たいていの隊員たちがそうであったように。

「 煙突から煙の出ている時に、動物舎の臨時雇いの奥さんたちが、「今日もやったな」とか、「今日は『頭の黒いネズミ』を何匹焼いた」とか言い合っているのをよく耳にした。/ 煙が出ている時でも、何も言わないこともある。そんな時は、動物を焼いているのだ。どういうふうに説明して良いかわからないが、煙を見ていると、「頭の黒いネズミ」つまり「丸太」を焼いていた場合と動物を焼いていた場合とが、わかるのだ。/ 煙の色が違うわけではない。でも、なんとなくわかってしまうのだ。わたしも、そうだった。根拠があるわけでなく、直感が教えてくれる。わたしは、そんな時、煙突の煙に向かって、一人で必ず合掌した。「丸太」にはロシア人もいると聞いていたので、ハルビンの寺院でロシア人が十字を切っていたのを思い出し、胸のところで十字を切ってもみた。/ わたしたちは、「頭の黒いネズミ」とは言ったが、「丸太」とは口に出さなかった。もちろん「丸太」が人間であることは知っていた。/ 本部の奥深くにある「呂の字」の中には、「丸太」と呼ばれる捕虜や死刑囚がいっぱいいると聞いていた。この人たちはもう「人間」ではなく、「一本、二本」と数えるのだという。」(郡司陽子著「【証言】七三一石井部隊」徳間書店1982年)

この人は人体実験に従事するようなことも、それらに関する何かを目撃したこともなく、生体実験が日常と化した残酷な現場とは遠く離れた場所で働いていたようだが、それでも部隊の一角で「捕虜や死刑囚」に対して何が行なわれているのかは知っていた、正確に察してはいたのである。しかし、「捕虜や死刑囚」であるならば、殺されても仕方のないことと決めこんでいたらしいことが、「この人たちはもう「人間」ではなく、「一本、二本」と数えるのだという。」という言葉のなかに読み取れるように思われる。どのような納得の仕方をしたのか、それ以上考えを押し進めることはしなかったようである。煙突から上がる煙の具合でそれが人間を焼いていると理解すると、その場でいつも必ず合掌をしたという。そういう記述を読むと、平時の生活のなかで知人の死に際して静かに手を合わせ、冥福を祈っているかのような平穏な光景と見まがうようである。

731部隊がむごたらしい生体実験をやったことと死刑の間には、直接的因果関係は何もないだろう。しかし、国家は死刑を宣告することにより大手をふって人を殺すことができる。この観念は、すべての日本人の深層意識に深く浸透していて、731部隊の場合にも人間を生きながらに実験し殺すという冷酷さの極限と言える行為さえ、「死刑」「死刑囚」を前面に押し出すことにより、良心の咎なく生体実験による殺人を自分に許す格好の口実になりえた。隊内において「死刑」「死刑囚」という言葉が日常化していたらしいことは、そのことを証明しているとは言えるのではないだろうか。

 「悪魔の飽食」には下記の証言が書きとめられている。
「妊娠中に逮捕、連行され、獄中で子どもを産んだ女マルタの一人は、赤ん坊を助けるためにはどんな“実験”にも応じた…‥目に涙をためて、この子だけは助けてやってほしいと毎日のように看守に訴えつづける女マルタの姿は、ごく一部の隊員間に知られていた……しかし(略)七三一ではマルタは材料だから、その子もつまりラッチ(ネズミ)とおなじで飼育されているにすぎなかった。もちろん母子ともに殺されちまった……」

また、次のような逸話もある。ある画才をもった隊員は、凍傷の実験や細菌実験経過を彩色絵に描くよう強いられた。実験は記録映画に撮られていたそうだが、ただそれには色がついていなかった。そこで、彼の画才が目をつけられたのだが、彼は画材を携行し出頭せよとの上官の命令による呼び出しが重なるにつれ、「表情が険しくなり、眉根を寄せ部屋を出て行くのを、同僚たちは目撃している。」彼は終戦後、復員したのち、元隊員の会合には一度も出席したことがない。「七三一にはおぞましい記憶があるばかりで、元退院が寄り集まって語るべき思い出など、ひとかけらもない」とつぶやいたことがあるそうである。

死刑制度を扱い、死刑廃止を訴えたフランスの小説家カミュの「ギロチン」には、「殺人者のなかで、その朝歯を磨いている時自分が今日のうちに人を殺すことを予想していた者は一人もいなかった」という医師の調査記録が紹介されている。また、ドストエフスキーは「死の家の記録」のなかで、「どんな凶悪犯罪者であれ、また反省の情の微塵もない救いようのない者であれ、自分が犯罪者であること、悪事をなした者であることは知っていた。自分を良いと思っている者は一人もいなかった。」という主人公の観察を叙述している。これはドストエフスキー自身の体験によるものと思われるが、この観察には私などにも肯けるものがある。

翻って、731部隊についてはどんなことが言えるだろうか。1939年から45年までの6年間という長期にわたって、彼らがやったことは、ナチスのホロコーストに勝るとも劣らない冷酷残忍な行為の連続である。もちろん当時の国際法からいっても紛うことなき犯罪である。市井の人の個人的・衝動的・感情の爆発的犯罪とは悪の規模が全然異なる。部隊に関与した軍人・軍属は石井四郎部隊長をはじめ何千人もいると思われる。しかし731部隊関係者のうち罪に問われたのは、後にも先にもハバロフスクで裁かれた12人だけであった。

法務省は731部隊の実態も、生体実験が「死刑」を格好の口実にして遂行されつづけたことももちろん詳細に知っているはずである。その法務省が今や世界中に拡がっている死刑廃止の流れをよそに、また国連人権委員会からの度重なる勧告にも耳を貸さず、これほどまでに死刑存置に拘泥するのはなぜなのだろう。これは日本の歴史上731部隊のようなことが存在したにもかかわらず、と言うべきなのか、それとも、だからこそ、と言うべきなのだろうか。菅谷さんの事件、布川事件と冤罪事件が立て続けに表面化しても法務省にはそのことを真摯に受け止めた様子があまり見えないのが残念であり、はがゆい。あの後、蒼白になってこれまでの判決の見直しや冤罪防止対策に取り組んでほしいところだったのだが。死刑執行に対する世界でも珍しいほどの執心とは裏腹に、冤罪防止への対応策は取調べ可視化の問題を見ても分かるように、いかなる意味でも不熱心に見える。これこそ倒錯ではないだろうか。
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2010.08.14 Sat l 死刑 l コメント (1) トラックバック (0) l top
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