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東京都知事で作家の石原慎太郎について論じた『石原慎太郎の季節』(飛鳥新社2001年7月)という単行本で、著者の福田和也氏は、(あとがき)にこのように書いている。

「 石原氏は、論じにくい存在です。
 文芸畑にかぎっても、石原氏を論じて読むべき文章はほとんどない。
 三島由紀夫、江藤淳、そして橋川文三、磯田光一といった書き手に、かろうじて指を屈せるぐらいのものです。
 なぜ、石原氏が論じにくいのか。
 氏の存在と活動領域の広さがなまなかの批判や分析を許さない、評者が真率であればあるほど、その大きさに眩暈を覚えるか、あるいは慎重にならざるをえないというところがある、そのためもあるでしょう。
 しかし、もっとも大きい問題は、石原氏にたいするとき、誰もが平静ではいられない、ということです。
 石原氏には、人の痛覚を刺激し、感情を刺激するところがある。
 もちろん、感情にもいろいろあります。憧憬もあれば、嫉妬もあり、羨望もあれば親愛の情もあるでしょう。」

上の文章における「文芸畑にかぎっても、石原氏を論じて読むべき文章はほとんどない。」という福田氏の指摘は事実そのとおりだと思う。70年代以降のことになるが、私も石原慎太郎の作品や人をそれなりに丁寧に論じた文章を見かけた記憶はまずないし、作家や批評家による文学に関する対談や座談会においても事情は同じだったように思う。文芸の分野で石原慎太郎が話題になるとすれば『太陽の季節』で芥川賞を受賞したときの社会的事件ともいうべき世間の熱狂に限られていたのではなかっただろうか。この『太陽の季節』によって後の大スター・弟の裕次郎が映画デビューして爆発的人気を得たのでもあり、こういう華やかな話題も一方に抱え込み、それやこれやで福田氏が本書の別の箇所で、

「『太陽の季節』は、石原氏の商業誌における処女作であり、芥川賞を受賞して文学の世界のみならず、作中の風俗を真似する「太陽族」なる集団を生み出し、社会全般に大きな影響を与えました。
 『太陽の季節』は、高度成長の入り口に立って消費社会を望見していた日本人にとって、その尖端を垣間見せる作品であると同時に、新世代の反抗の論理や、新しい享楽と倫理の形姿を予見したという意味で、きわめて鋭く時代を先取りしたものだったのです。」

と述べている内容にはおおむね同意できる。しかし、その後文芸の分野で石原慎太郎が論じられることがほとんどなかったことの理由が、さまざまな論者が石原慎太郎の「大きさに眩暈を覚え」たり、憧憬や嫉妬に「感情を刺激」され、「論じにくい」ためだったという福田氏の主張は当を得たものとは思えない。石原慎太郎が論じられない原因は、端的にいってその作品にわざわざ取り上げて論ずるにあたいする優れた作、魅力的な作がなかったこと、また作家の価値は何といってもどれだけの質量(特に質)の作品を書いたかによるのだから、そういう意味で石原慎太郎という作家も文学的にみれば魅力がなかった、批評家や同業作家の持続的な関心を惹くことも、論ずるだけの意欲・情熱を与えることもできなかったという点に尽きるのではないかと思う。

たとえば、ここに大岡昇平と埴谷雄高の対談集『二つの同時代史』(岩波書店1984年)があり、戦前戦後の作家や作品、それに纏わるさまざまな出来事や人間的諸関係などが自称・ポンコツ老人二人によって率直にまた縦横無尽に語られているが、ここには石原慎太郎の名もその作品も一切出てこない。そしてそれはきわめて自然なこと、合理的なことでさえあると思う。私はこの対談本を何度も読んでいて、加藤正などというすぐれていたらしい戦前の学者のことを知らされるなど新たな興味をおぼえさせられることも多かったのだが、読んでいて石原慎太郎のことを思い出すことは一度もなかった。もし著者二人によって石原慎太郎の作品が賞賛でもされていたりしたら(ありえないことのはずだが)、読者としての私はさぞ興醒めしたことだろう。幸いであった。

『太陽の季節』については正宗白鳥が書いていた感想が印象深い。正宗白鳥全集のどこかに載っていたのだが、あの小説に出てくる障子に孔を開ける云々の箇所は、ちっとも新しくない。自分の子ども時分、郷里(岡山)に近い官立の高等学校の寮でそういうことが日常茶飯に行なわれているという噂話が盛んに聞こえてきて、それで自分は官立の学校に行くのをやめ、私立に行くことにしたのだ、という意味のことをちょっと吐き出すような苦々しい調子で書いていた。もっとも正宗白鳥のこの言葉は、『太陽の季節』の作者に対してというより、そういうことをやたらと話題にするマスコミに対しての反感と批判だったのかもしれないが。

私は『太陽の季節』を二、三十年も前に『処刑の部屋』など他の石原作品五、六冊とともに続けて読んだのだが、そのとき不快感や疑問混じりではあったが強い印象を受けたのは『完全な遊戯』だけであった。『太陽の季節』を含めたその他の短編小説には「若さの勢い」とでもいうべきものは感じたものの、他の同時代の作家に比べても文章がかなり拙劣なのは仕方ないにしても、感覚や価値観が本質的にひどく通俗的、すでに古びていると感じた。辟易してそれ以上読むのを止めたのは、中篇の『行為と死』を読んでから。これは発表当時「観念的すぎる」という悪評を受けた作品ということだが、主人公の男性は三人称で書かれているにもかかわらず、彼による一人よがりの「俺は、俺は、俺は、」、「俺が、俺が、俺が、」という話を気負って聞かされているという印象を受けた。これは内面描写が貧しく、作品の底が浅いということを物語っているのではないかと思う。他の日本人女性二人についてもいえることだが、とりわけ押し寄せてくるイスラエル・英仏軍に家族とともに抗してスエズで最後まで戦う気構えのエジプト女性が、自分本位の「愛」を押しつけるだけの主人公のような男性に惹かれているように描かれているのも小説として不自然だと感じた。第二次中東戦争という歴史的時間と空間に材をとっていながらその緊迫感が伝わってくることもほとんどない。端的に作家の実力不足、題材が手に余ったということなのだろう。索漠とした読後感であった。

福田氏の「石原氏にたいするとき、誰もが平静ではいられない」「石原氏には、人の痛覚を刺激し、感情を刺激するところがある。」という見解はあるいは事実かも知れないが、もしそうであるならその原因のほとんどは、日本に住むあらゆるマイノリティーや特定の外国にたいする剥き出しの差別・偏見を臆することなく吐き散らし、対象者(よく考えれば私たちほとんどの大衆が何らかの形で攻撃の対象として当てはまるかも知れない)の心を不当にも深く傷つける、「北朝鮮とは戦争したっていい」「テポドンを日本に四、五発撃ってもらいたい」などの危険で無責任な言辞によって苛立たしさや好戦的な空気を煽っていることなど、負の要因によるものではないだろうか。そういう「勇ましい」言動を頼もしさと捉える人も結構いるようではあるが。


上に引用した文章に続いて、同書で福田氏は下記のように記述している。

「 江藤、三島のような意識的な書き手ですら、石原氏にたいしては、過度の親愛の情と妬視から自由になれませんでした。
 私も同様です。
 というよりも、私は自分の情感に屈服しました。その点で本書が客観的ではないという批判があれば甘んじて受けます。(略)けれども私は精一杯「フェア」であろうと努力しました。(略) 」

まず、福田氏の「私は精一杯「フェア」であろうと努力しました。」という発言だが、「フェア」であろうと努力したにしては、石原慎太郎の人物像を語る上で欠くことができないと思われる挿話が幾つか欠落しているように思う。

1970年、三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地に私兵の楯の会とともに乗り込み、日本中の耳目を一身に集めて派手な死に方をしたとき、国会議員だった石原慎太郎は一報を聞いて「これは、現代の狂気です。」と期せずしてだろうが、自民党政府閣僚とまったく同じ言葉を発している。誰にしても三島由紀夫とわずかでも交流のあった人は特に愕然としたことだろうが、それでも知友のなかで事件を三島の「狂気」のせいにしたのは石原慎太郎だけだったと記憶する。周辺の作家や編集者が当時三島の身辺に感じとっていたという不穏な気配に石原慎太郎は気付いていなかったのだろうか。本書で福田氏が石原慎太郎と三島由紀夫の関係に言及していることが多いので、この出来事が記されていないことは腑に落ちない。この件は特に作家石原慎太郎の洞察力を含めた精神内容を考察するのにもってこいの材料だと思われるが、論者の福田氏は文芸評論家なのだからなおさらである。

石原慎太郎をフェアに論じる気があるのならば、もう一つ抜いてならなかったのは、第37回衆議院議員選挙を目前に控えた1982年11月に起きた「黒シール事件」だったろう。石原慎太郎の公設秘書が同じ選挙区から立候補を予定していた新井将敬氏の政治広報ポスターに「1966年に北朝鮮から帰化」という黒シールを貼った事件である。昼間は目立つので深夜黒い服装で貼って回ったと伝えられているが、石原慎太郎は「秘書が勝手にやった」と、こういう場合の政治家の常套句を述べた。しかし、「公職選挙法違反」であることが明白な上にこういう陰湿きわまる特異な行動を秘書が政治家本人に秘密のままで行なうだろうか。石原慎太郎は新井氏の帰化を匿名の投書で知らされたそうだが、ならばこのことを秘書に伝えたのは石原慎太郎本人であろう。「秘書が勝手にやった」は通らないはずである。また「朝鮮籍」は存在しても「北朝鮮籍」というのはないのだから、政治家として当然知っておくべき制度についても無知だったわけだ。すったもんだの末、石原慎太郎は新井氏に謝罪したとも伝えられるが、都知事就任後の「三国人」発言(福田氏はこの発言を本書で全面的に擁護している。さすがかつて米国のイラク攻撃、自衛隊の後方支援に対しラジオ出演で何の躊躇もなく快活に賛同した人だけのことはある。そのくせ本書でも人の死の重さについての日本人の感覚の鈍磨について嘆かわしいとばかりに云々しているのだから、こういう人たちが文学に関わっている意味が理解しがたい。あの「三国人」発言には関東大震災時に流言飛語を撒き散らし、民衆を煽動した者たちと共通の心性さえ感じられた。)、つい昨年の「政権首脳には帰化した政治家が沢山いる」(これはまったくのでたらめのようである。記者は「その情報をどこで得たのか。誰に聞いたのか」と質問していたが、石原慎太郎は「多すぎていちいち覚えていない」と応じていた。そういう当然の質問にちゃんと答えることもできない他人の情報を公開の場で口軽にしゃべる政治家の責任を記者はその場その場で厳しく追及するべきだろう。)などの相次ぐ暴言・放言にみるとおり、新井氏への謝罪は口先だけのことだったのだ。

以上2点、三島事件に際しての「これは、現代の狂気です。」という第一声の件と「黒シール事件」とを避けて作家および政治家・石原慎太郎を語れる、語ってもいいと考えてこれらの件を意識的に除外したのなら、著者はかなり狡猾、もし思い浮かばなかったのだとしたらなんとも鈍感な文芸評論家だと思う。
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2011.01.17 Mon l 石原慎太郎 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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