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福田和也氏は次の文章でも石原慎太郎に過度にいい役を振り過ぎだと思う。

「 江藤(淳)、三島(由紀夫)のような意識的な書き手ですら、石原氏にたいしては、過度の親愛の情と妬視から自由になれませんでした。
 私も同様です。 」(『石原慎太郎の季節』)

福田氏が石原慎太郎に対して「過度の親愛の情と妬視から自由になれ」ないのは、石原慎太郎に魅力を感じない私などには実感として理解しがたいこと、むしろ「変わってるナ」と感じることだが、本人がいうのだからきっとそうなのだろう。しかし、江藤、三島が石原慎太郎に「過度の親愛の情と妬視」を持っていたという実例などの根拠を本書で何も示してはいないのに二人の名を挙げ、「私も同様です。」とは、軽率のそしりを免れないのではないだろうか。この面々では、福田氏も含め、江藤、三島、石原と全員右翼政治思想の持ち主という共通点がある(大雑把だが、そういってもいいだろう)のだが、私には福田氏がそういう内輪の人間関係だけに限定して石原慎太郎を語っているようにも感じられる。

真面目にはあまり誰も問題にしてくれない作品を高く評価してくれたのなら、江藤、三島は石原慎太郎にとってよき理解者、有難い友人・先輩という関係にあたり、三人それぞれの資質を考えれば「妬視」云々には無理があるのではないか。江藤と三島もまた異なる資質の持ち主だと思うし(ついでに読者としていうと、この三人の中では『仮面の告白』を書いた三島由紀夫の力量が圧倒的だと思う。江藤淳の評論は漱石論などおもしろいと思ったこともあるが、大岡昇平も指摘し批判しているように、漱石と嫂の登世との関係について確かな証拠もないのに何事も自己の主張に都合のよいように強引な解釈をしたり、中野重治の小説『五勺の酒』をこれも自分の主張に都合よく解釈して中野重治をまるで天皇主義者であるかのように述べていて、その作家精神の誠実さには私はちょっと疑問を感じもする。前者については、漱石の次男・伸六氏が、著書のなかで、父のような人にあれほど敬愛の気持ちを起こさせた嫂とは、いったいどんな人物だったのだろうと思う、と嫂の人格・人物像への関心を述べていたが、私にはその意見が一番ピッタリくる。江藤氏の不倫説にはどうみても無理があるように思う。後者については、江藤氏の説より、藤枝静男の「志賀直哉・天皇・中野重治」における解釈のほうがはるかに公平であり、考察に深さもあると思う。(注1))、「妬視」は根拠が示されていないために、もっぱら福田氏の思惑もしくは願望によって持ち出されたもののように思える。

1958年作の『完全な遊戯』は、なぜか血や涙の一滴まで枯らしてしまっているような若者数名が通りがかりに偶然見かけた若い女性を当時は珍しかった自家用らしい車で数日連れまわし、メンバーの一人礼次の兄が所有する山荘に連れ込み、輪姦し、知り合いの熱海の店に売り飛ばし、その挙句、邪魔になったのか崖下の海に突き落としていともあっさり殺してしまうというストーリーの短編小説である。事実経過を物語る作者の態度からは無残に殺される哀れな女性の存在に対しても、残忍な若い男たちの所業に対しても、肯定や否定などの感情や批評性はなんら感じ取れない。男たちが、何をいい、何をしたか、そして知的障害者であることが暗示されているこの女性がどんな無残な結末を迎えたかという事実だけが明確に簡潔に描写されている。最後にヒョイと女性を海に突き落とす場面には呆気にとられたが、たぶんこの場面が作品の印象を強めているのであろう。この後帰りの車を走らせながら、三人の男たちは、「これでやっと終らせやがった」とか「その割にこの遊びは安く上ったな」などという会話を交わしている。

三島由紀夫が新潮文庫の『完全な遊戯』の帯として書いたという推薦文を「三島由紀夫研究会メルマガ」から引用させていただく。

「ニューヨークにゐたとき日本から来た文芸雑誌を読んで、どの小説もピンと来なかったが、石原氏の「完全な遊戯」の神速のスピード感だけはピッタリ来た。会話のイキのよさ、爽快な無慈悲さ、・・・・・・私は読者が抹香くさい偏見に煩はされずに、この、壮大な滝のやうではないが、シャワーになつて四散した現代的リリシズムを浴びせられるやうにおすすめする。」

「神速のスピード感」との評価にはなるほどと肯ける。読み始めれば登場人物にひどい奴らだと嫌悪・不快を感じたとしても、たいていの人は作品のスピード感、テンポのよさのために最後まで読みとおすのではないだろうか。「会話のイキのよさ」という指摘には、やっていることがことだけに陰湿さが付き纏っていることを付け加えてよければ理解できなくもない。でも、この作品に「爽快な無慈悲さ」「現代的リリシズム」を認めるというのは、どうだろう。「爽快」、「リリシズム」という言葉が急に安っぽく汚れたように感じられないだろうか。私はこの2点の批評が適切だとは思わなかった。でももしこの小説が人間の生活の営み、人の性格の多様性、複雑な奥行き、生命の価値などとは無関係な人工的な世界を描いたものと規定するならば、「爽快な無慈悲さ」「現代的リリシズム」という評価も成り立つのかもしれない。この箇所を読んで、私は中野重治が三島事件を批判するなかで三島の作品について語っていた言葉を思い出した。

「三島の文学には巧みなところがあり、しかしその性質が上出来のホンコン・フラワーめいたものなことを誰にしろ否定できない。生命・生存から離れて行くことのなかにそれの完成がある。(注2)」(『いくつかの事件についての感想』新日本文学1971年5月号)

「上出来のホンコン・フラワーめいたもの」という三島文学に対する表現は驚くべく卓抜だと思うが、これは『完全な遊戯』を批評した三島の上の言葉にも当てはまるように感じたのだった。
 
『完全な遊戯』には他に時代を先取りしたという声もあった(ある)ようだが、この男たちはワルではあっても精神的異常性をもった集団というわけでもなさそうで、だからこそ「会話のイキのよさ」というような評価も出るのではないか。レイプに罪悪感の片鱗ももたない連中はどうにも悪辣に違いないが、かといってこういう不良集団と確たる理由もなくゲームのように殺人を実行する集団(実在するかどうか知らないのだが)とでは、心理の動きも含めてその間には比較を絶する断絶があるはずで、彼らは世間知の上でも結構限界というような処世術は心得ていそうである。この作品発表時だけではなく、たとえ現在の世相であったとしても、この場合の殺人には極端に無理があるのではないだろうか。

三島由紀夫は読者に「抹香くさい偏見に煩はされずに」読めと勧めているが、当時におけるこの作品の悪評は「抹香くさい偏見」によるものではなく(レイプや殺人は小説において古今東西絶えず取り扱われてきた材料で、それ自体はちっとも珍しくないものである。)、むしろこの殺人の無理・不自然のせいだったのではないだろうか。

この若者グループが女性を連れ回した日数はせいぜい二、三日である。そして彼女は自分がどこにいるのかさえしかと理解している様子はない。グループの中の礼次という男の名は覚え、心惹かれている様子ではあるが、何ら騒ぎ立てるわけでもなく、終始ぼんやりとしていて物静かである。男たちは別に追い詰められているわけではないのだ。殺害しなければならない理由は何もなさそうに思える。出会ったとき彼女は身なりもととのっていたというし、「横浜」という言葉が何度も口から出るところを見ると、横浜あたりにちゃんとした家があるようでもある。拾った時と同様にどこかの街角で彼女を車から降ろし、自分たちだけ急いで立ち去ればよかったのではないか。そうすれば彼女には誰かの保護が期待できただろう。

殺害後の「この遊びは安く上ったな」という言葉にしても殺しを仕事にしているような者でもなければ、まず誰の口からも出るものではないだろう。言い換えると、この作の悪評は若者たちにあのような形で一人の若い女性を殺させる作者に動機の不純さ、軽薄さをみたからではなかっただろうか。すぐれた作品は読んでいるうちに読者を無心の境地にさせ、作品世界に没頭させる力を持っていて、そこに文学の醍醐味もあると思うのだが、石原慎太郎の作品にはこれに限らずもともとそういうものは望むべくもない。ただもしこれが新しさへの作家的挑戦だとするならば、作者はこの殺人が登場人物たちの日常の生活ぶり、性格、人の心の動きに適うものであるかどうか、十分に考えたのではないかと思うが、私は作品から、特に女性殺害後の若者たちの会話から推して、そういうものは気配さえ感じることはできなかった。

ちなみに、前記の「三島由紀夫研究会メルマガ」によると、三島は『完全な遊戯』に対して次のような所見も述べているそうである。(太字による強調は引用者による。)

赤ッ面の敵役があまり石原氏をボロクソに言ふから、江戸っ子の判官びいきで、ついつい氏の肩を持つやうになるのだが、あれほどボロクソに言はれてなかつたら、却つて私が赤ッ面の役に回つてゐたかもしれない。その點私の言ひ草は相対的であり、また、現象論的であることを御承知ねがひたい。従つて、ひいきとしては、氏の一勝負一勝負が一々気になるが、今まででは「処刑の部屋」が一等いい作品で中にはずいぶん香ばしくないものもある。

氏の人柄のタイプは、文壇ではずいぶん珍種だが、避暑地の良家の子弟の間ではごくふつうのタイプである。たとへば「太陽の季節」の背景をなしてゐる葉山あたりでも、石原氏によく似た青年はたくさん見かける。物の言ひつぷりも典型的なそれで、文壇人種のはうが、よつぽど世間からずれてゐるのである。

氏の獨創は、おそらくさういう生の青春を文壇に提供したことであらう。」(東京新聞1956年4月16日)

「……却つて私が赤ッ面の役に回つてゐたかもしれない。その點私の言ひ草は相対的であり、また、現象論的であることを御承知ねがひたい。」という言い分はずいぶん意味深長である。三島由紀夫に限らず、批評においてこういう内容が条件のようなものとして前置きに記されることはきわめて珍しいのではないか。「赤ッ面の役に回つ」た場合の三島の批評を聞いてみたかった気もちょっとするが、ここにみられる三島由紀夫の一面は、後に三島由紀夫があのような死を選択したこととなんの関係もないことなのだろうか。『完全な遊戯』に対しての「爽快な無慈悲さ」「現代的リリシズム」「抹香くさい偏見」などの言葉は私はどうも気になる。


 

(注1) 大岡昇平は本人も十分認めているごとく口が悪い。批判する場合は特に辛らつである。その点埴谷雄高はそうではない。言うべきことはもちろんきちんと言うにしても、「近代文学」でも人間関係の調整役に回ることが多かったというように、態度は概して穏やか。大岡昇平・埴谷雄高対談集『二つの同時代史』(岩波書店1984年)でも同様なのだが、江藤淳の言動・振る舞いについては珍しく厳しい(?)見方を示している。「江藤淳の「先見の明」」という小見出しまでついている。以下に引用する。

   江藤淳の「先見の明」
 埴谷 安保(引用者注:60年安保)のころのことでもうひとつおもしろいのは江藤淳のことだよ。「聲」(引用者注:当時大岡昇平や中村光夫らが出していた同人編集文芸誌)に江藤が『小林秀雄論』を書く前だよ。そのころ江藤は吉祥寺にいたから僕のところに始終きていたんだよ。もともと彼は『夏目淑石』を学生時代に書いてそれを平野謙が非常に認めたんだ。荒正人は認めなかったけれどね。そういうことがあって僕のところに学生時代にきたのがはじめなんだよ。平野さんがほめているのにどうして荒さんは私のことをけなすんでしょうと聞くから、そりゃ荒は自分が漱石の専門家だと思っているからで、そんなの気にする必要はない、批評にかぎらず文学者はほめられたりけなされたりすることは当り前で、始終あるんだというようなことを答えたりしているうちに彼は結婚して、吉祥寺に住むようになった。それ以来僕のところに始終くるようになったんだよ。
 そのとき彼はまだ若くて、「近代文学」という戦後派が、日本文学の中心だと思っていたんだろうね。それが文壇状況がだんだんよくわかってくるにつれて、鎌倉組が中心であって、「近代文学」戦後派というのは傍流だということに気がついたわけなんだよ(笑)。
 大岡 それは文壇的にだろう。
 埴谷 そういうことだ。文学と文壇の差異に気がつくんだけれども、しかし安保のころはまだ「若い日本の会」をつくって安保闘争を彼なりにやっていたんだ。それを僕も盛んに激励した。
 大岡 そのときは鎌倉組は先が知れてる、反抗するのが有利だと思ってたんじゃないのか。
 埴谷 まだ戦後派の僕らが中心だったんだね。ところが、ハガチ一事件で、左翼が羽田でやっているのを見たときからだんだん左翼がいやになってきたんだよ、江藤淳はね。実際くだらない左巽もいるからね。
 彼は社会党の大会に出席してがっかりもしたけれども、このハガチ一事件が決定的だね。そして、左翼が次第にはっきりいやになってくると、『作家は行動する』を書いたり、「若い日本の会」をつくったのは、埴谷に煽動されたからだということに落ち着いちゃったんだよ。埴谷は若いものを煽動する名人で、自分まで煽動されちゃったというわけだね。
 大岡 あとからそう合理化するんだよ。ハガチーを見て、こりゃいけねえって思ったわけじゃない。前から寝返る気があって、きっかけに使ったんだ、とおれは思うよ。江藤に『小林秀雄論』を頼みに行った、というのは安保の前だよ。『作家は行動する』の中で彼が小林の悪口を書いているんだけれども、おれは、小林の文壇で果した役割としては君の言う通りであるけれど、小林という人間は違うんだ、だからそこを少し書いたらどうかと言って、頼みに行ったんだ。「聲」三十四年十二月号「冬号」おれが編集担当だから、十月頃手紙を出した。そしたら彼もそんな問題がちょっと頭に引っかかっていたと言って、そうして連載になったんだよ。
 まだそのころは、花田清輝という人は、本当に革命を頭のなかで考えている人です、と言ってたよ(笑)。江藤の転向もだんだんなしくずしにおこったんだろうね。
 埴谷 そうだよ。なしくずしなんだよ。『作家は行動する』のころは数日おきに僕のうちにきていて、僕といろいろ話をして、『作家は行動する』を書きあげた。
 ところが、それがまちがえたというふうになったから引っくり返ったわけだが、どうもうまいときに小林秀雄のほうに行ったな。
 大岡 とにかく『小林秀雄』は安保より前だ。しかし世の中は変わってくるからな。
 埴谷 世の中も変わってくるけど、江藤淳は、ある意味で言うと、右傾化の現在を先取りしたわけで、皮肉にいえば、非常に先見の明があるとも言える。状況が現在のように変わる以前に、江藤淳はすでにどんどん変わってきている。
 大岡 それはまあ、先見の明とは言えないだろう。
 埴谷 それはほめすぎかな(笑)。
 大岡 目先に従っただけだよ。
 埴谷 もちろん目先だけれども、しかし言い方は、うまくも、へたにも、いろいろあるわけだ、いまから言えばね。
 大岡 当人は先見の明と思っているかもしれないね。 」


(注2) 中野重治のこの文章の前後をもう少し長めに引用しておく。

美学、美学とあまりに言いつのられて、反射的に醜学とさえ言いだしたくなるが、そもそも言って、美と醜とに何が決着をつけるかというと、押しつめていえば、人間とその生活とにそれがどう関係するかであるだろう。三島の文学には巧みなところがあり、しかしその性質が上出来のホンコン・フラワーめいたものなことを誰にしろ否定できない。生命・生存から離れて行くことのなかにそれの完成がある。生命・生活は、「カツコいい」という言葉を使えばなかなかカツコよくないことをもとおして維持され発展させられる。そこに真実の美が見出されてくる。三島における「カツコいい」はこれの反対極をなしていた。命から離れて行くもの、その極が「事件」へ行きついたのはある程度必然に近かつたと言つてよく、その醜と滑稽とは三島の最後の檄の文体、演説の言葉内容と演説すがた、あの組織の制服と鉢巻、わけても彼の辞世(?)の歌にあけすけに出ている。事件が即座に「狂気」「犯罪」として政府側から扱われ、それが現自衛隊にその存在の合法性を主張するのにひと役買わされたことは、日本の政治権力の帝国主義的性格を照らしだすものであり、それを私はさつき言つた(引用者注:中野重治が事件についての感想を20行ほど書いて「週刊現代」に寄稿したこと)何行かのなかで書いた。)
 しかし三島が、「菊と刀」の「刀の復権」を主張したことは意味ふかい。「刀の復権」を三島は「天皇の復権」に結びつけている。秀吉が刀狩りによつて農民から没収して彼の権力に集中した刀、明治の天皇制政府が侍その他から没収して天皇の政府に集中・改編した刀、これの復権は、それによつて脅迫され殺されする勤労人民および他国人民の、その脅迫され殺されする状態の暴力的合法化でなければならない。たぶんこれが、この事件で十ちゆう七、八まで見すごされた一つではなかつたかと私は思う。 」

この後、中野重治は「あすこには、生きた展望を失ったものの萎縮した自殺が見出される」とも述べている。
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2011.01.22 Sat l 石原慎太郎 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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