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石原慎太郎は1999年に都知事に就任した後、翌年から「三国人」発言をはじめとして次々と差別発言などの舌禍事件を引き起こしている。これをみてその都度私も驚き呆れたり、怒りをおぼえたりしたのだが、当時、この件に関して一番つよく実感して暗澹たる思いがしたのは、それを報じるマスコミの腰が最初から引けているようにみえたことだった。何に怯えているのか、石原慎太郎やその周辺の迫力・威光になのか、彼に対する世間の空気が以前とは異なることを察知してなのか、特にテレビでは各局のレポーターが終始自身の発言に慎重に、というより臆病になっている様子で、石原発言の問題点の明確な指摘、徹底した批判はほとんど聞かれなかったように思う。

それで彼の国会議員時代はどうだったかと振り返ってみたのだが、どう考えてみてもこれほどの腫れ物扱い状態ではなかったように思えた。そもそも石原慎太郎の国会議員としての存在感は年ごとに希薄になっていったのではなかっただろうか。議員生活の終盤、私にはっきりしていたのは「青嵐会」の一員であることと、横柄な態度、問題発言でよく顰蹙を買っている政治家という印象だった。95年に自ら議員を辞めたときはさすがに大きな話題になったが、かといって辞職を惜しむ声は世論においても特になかったのではないだろうか。作家の瀬戸内寂聴さんが、石原さんは文学者だから、と議員辞職後の作家活動への期待を述べていたことは印象に残っているが、それも寂聴さんが石原慎太郎に好意をもっているらしいのをちょっと意外に感じたからであった(二人には作家デビューが同時期だったという縁があるらしい)。

石原慎太郎の都知事就任の1、2年後だったか、それとももう少し後だったか、目に余る暴言、傍若無人の振る舞いが許されている理由について都内在住の知人に話をしてみたことがあるのだが、知人は、「青島前知事への支持者をはじめとした都民の落胆失望。これが最大の原因ではないか」という意見を述べていた。個人的に知っている都の職員が、二人を比べて「やはり石原さんでなきゃあ」と言っていたとも話していた。確かに青島氏は知事に就任した当初からすでにいろいろな意味で燃え尽きてしまっていたのか、如何にも無気力そうに見えたし、何より施策面で新宿西口地下道のダンボールハウスの強引な撤去など、支持者の期待を裏切る行動がつづいたことは間違いないと思われる。しかし、かといって、そのことが新知事の暴言・横暴が許される理由にはならないはずなのだが、結果としては前任者の不評も石原慎太郎に追い風となったのだろう。2001年の小泉総理が初めから世論の熱い歓迎を受けた背景の一つに前任者がひどく不人気の首相だったことがあったと察せられるが、共通点があるように思われる。こういう場合こそ私たちは慎重にならなければならないという教訓は過去に枚挙の暇がないほど得ているはずなのだが、同じことを繰り返している。

もう一つは、これがじつのところ石原都知事が人気を得た最大の理由ではないかと思うのだが、99年は「周辺事態法」や「自衛隊法改正」などの日米新ガイドライン関連法、通信傍受法、国旗・国歌法、改正住民基本台帳法が成立した年、有事法制の準備が着々と進められていることが誰の目にも明らかになった年だった。このころから国家主義的傾向の濃厚な勇ましい発言に対して、それがいかに非論理的なものであろうと、憲法を正面から蹂躙するようなものであろうと、結果的に弱い者、異質な者をいたぶる性格のものであろうと、これまでのように呆れられたり、冷眼視されたり、厳しく批判されるということなく、何となくそのまま通り、いつの間にか受容されてしまうという空気が至る所で急速にできていったように思う。そのような空気は石原慎太郎の個性・資質にピッタリ、相呼応するものだったに違いない。

もともと日本は「みんなで渡れば怖くない」「長いものには巻かれろ」式の、個人が極度に孤立を怖れ(させられ)る、集団意識の過剰な社会。前回も引用した『二つの同時代史』で埴谷雄高が述べるところによると、戦後すぐ雑誌『近代文学』を発刊したときGHQの検閲を受けなければならなかったわけだが、実際に検閲するのはGHQに雇用された日本人だったとのこと。ところが日本人は茶坊主型が多くて、「あとで問題が起きたとき責任が自分にかからないように、これはアメリカの占領方針に反するだろうと、できるだけ拡大解釈して、ほんとに小さなことでもチェックして返してくる。」そうで、日本人が日本の作品を「自己規制」し、なかには上のアメリカ人への削除報告が多いほどいいと思っているような茶坊主もいたそうである。埴谷雄高は「おれは、権力者に対する茶坊主ぶりでは、日本人は世界のベストテンのなかにはいると思ってるよ。」と嘆いていたが、いやいや今ならベストテンどころか、ベストスリーに入ってしまうかも知れない。笑い事ではなくて。

そういう情勢の下、石原都知事には最初からお誂え向きの舞台が整えられていたのだろう。その延長上に橋下徹大阪府長の誕生もあったのではないかという気がしているのだが、また、佐藤優氏の登場も同一線上にありながら、こちらは時代を画するような深刻かつ特異な出来事だったように思うのだが、この件はまた別の機会に。

つい先日、ネットのニュース欄で石原慎太郎本人が「総理大臣になれないと思ったから、それでは都知事に、と考えた」という趣旨のことを語っているのを読んだ。99年の知事選出馬は唐突に思えたが、では国会議員を辞めたときから都知事選に出る計画をもっていたのだろう。もちろんそれは本人の自由。問題は、上記の総理大臣云々発言でも分かるとおり、権力欲は人一倍つよいらしいのに、いざ望みどおりにトップの座につくと、権力を握っているという自覚、それに付随する責任感などは、権力欲の十分の一も持っていないらしいことである。その顕われが数々の暴言・妄言であり、施策の失敗や問題点の指摘に対する他者への責任転嫁と論理も何もない駄々っ子のような弁解や反論であるだろう。

これまでに石原慎太郎が行なってきた独善的言動の実例は挙げればきりがないほどあるわけだが、最近はこの得意芸にいよいよ磨きと拍車がかかって、マツコ・デラックス氏の表現ではないが、何か錯乱状態に陥っているようでもある。昨年12月3・7日には同性愛者についての驚くべき発言があり、つづいて15日には都知事ご執心の「東京都青少年の健全な育成に関する条例」の改正案が可決された。まずは同性愛者に対する差別発言から。かなり話題になった事件(?)だし、たいていの人は知っていると思われるが、一応、12月7日付の毎日新聞のネット配信記事を引用しておく。

「 東京都の石原慎太郎知事は7日、同性愛者について「どこかやっぱり足りない感じがする。遺伝とかのせいでしょう。マイノリティーで気の毒ですよ」と発言した。石原知事は3日にPTA団体から性的な漫画の規制強化を陳情された際、「テレビなんかでも同性愛者の連中が出てきて平気でやるでしょ。日本は野放図になり過ぎている」と述べており、その真意を確認する記者の質問に答えた。
 7日の石原知事は、過去に米・サンフランシスコを視察した際の記憶として、「ゲイのパレードを見ましたけど、見てて本当に気の毒だと思った。男のペア、女のペアあるけど、どこかやっぱり足りない感じがする」と話した。同性愛者のテレビ出演に関しては、「それをことさら売り物にし、ショーアップして、テレビのどうのこうのにするってのは、外国じゃ例がないね」と改めて言及した。」(2010年12月7日 23時08分)

外国の実情はよく知らないが、「外国じゃ例がない」は怪しいと思うナ。障害者差別発言のときは、人間の生死という重大な問題について、外国だったら安楽死になるのではないか、云々と根拠も示さずに嘘くさいことを述べていたようだが、今回も同様のように思われる。立場もあるのだから、何事もちゃんと裏をとって正確な話をするという人間一般の基本中の基本くらいは心得ていてほしいものである。

親しかったという三島由紀夫も同性愛の傾向があったことは今ではほぼ定説とされているが、三島もやはり「足りない感じが」したというのだろうか。三島に限らず、文学者(芸術家)には同性愛的傾向をもった人物は多いようで、ジャン・コクトーも同性愛者として知られている。石原慎太郎は、『灰色の教室』という短編小説のプロローグにコクトーの小説『怖るべき子供たち』の有名な一節を引いている。また、他の作品でもコクトーの凄さについて語っているのを読んだことがあるが、コクトーもまた「足りない感じ」であり、「マイノリティーで気の毒」(それにしても、ここでの「気の毒」という言葉は何と酷薄なイメージを伴っていることだろう。)なのだろうか。文学は弱い者、苦しむ者のために存在する。少なくとも、文学は弱い者いじめを根底から否定するものである。そう私は常々実感し、ふかく信じているので、こういう石原慎太郎を作家・小説家とは思っても、文学者とは思えないし、思わないのである。作家の精神は必ず作品に現われずにはすまないと思う。

「青少年の健全な育成に関する条例」については、多くの反対意見が出ているが、読ませていただいた意見には共感することが多かった。思想・言論・表現・道徳の領域の問題について、国家はもちろん地方公共団体などの公的機関が取り締まり役として関与することは止めてもらいたい。漫画を描く前に萎縮してしまうと漫画家の方が述べているのは当然だと思う。戦時中の最後の十年間の日本には詩や小説など文化面の創作品で見るべきものはほぼ皆無であった。言論・表現の自由が奪われていたからである。敗戦後の十数年間に今でも読むに堪えうる秀作が続出しているのは、何はともあれ軍部や特高が姿を消し、個人に思想・言論・表現の自由が保障され、社会に自由・解放感が戻ったからであることに疑問の余地はないだろう。

正直にいって、石原慎太郎の小説の取り柄は、三島由紀夫が『完全な遊戯』で述べているところのスピード感、それから物怖じすることのない単純な若々しさ、勢いのよい筆づかいなどにこそ(のみ?)あるのではないだろうか。それらは規制の存在するところではたちまち枯れ死してしまうものだと思う。かつて彼の作品を批判する人はたくさんいたが、すべて言論によるものであって、規制やら取り締まりやらをいう人は誰一人いなかったはずだ。脳裏に思い浮かべもしなかったろう。

条例可決後の12月17日の記者会見で、石原慎太郎は、一人の記者に、「真実の性教育」(カッパ・ホームス1972年)という著書のなかで「いかなる書物も子供を犯罪や非行に教唆することはない」と記し、「表現・言論の自由」を規制することは無意味と述べていたことを指摘されると、「そのころの私は間違っていました」とすかさず応えたそうである。この返答をみると、暴力シーンや性描写の多かった若いころの自作に忸怩たる思いがあるのかと考える人もいるかも知れないが、そのようなことはまったくない。福田和也・田原総一朗、両氏との対談インタビューで語っているところをみると、石原慎太郎の自作への愛着、自負は大変なものである。自分がそうであるなら、他人も同様ではないかという最低限の想像力がこの人にはいつでも欠如しているようだ。それから条例改正にいたるまでの手続きの不適切さは目に余るもので、その独善性、傲慢さには怖ささえ感じられた。
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2011.01.27 Thu l 石原慎太郎 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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