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今日は残りの項目(6)の岩波労組役員の金光翔さんへの対応ぶりを取り上げる。組合執行部は組合文書の「無断引用」をしたという理由で(2010年)9月9日金光翔さんに「抗議文」を渡しているが、この間の事実経過はこれまでに何度も書いているので、今日はごく簡単に記す。

8月31日松岡秀幸氏執筆の、名指しこそしていないもののそれが金光翔さんを指していることが想定読者の万人に明らかな(そう断言してよいだろう)中傷記事の載った組合文書が社内中に配布される。→これに対する反論文が9月2日「首都圏労働組合特設ブログ」に掲載される。執筆者はもちろん金光翔さん。→この日から一週間後の9月9日、上述のように岩波労組は金光翔さんに「抗議文」を渡す。→ところがそれから約二週間後の9月22日に「岩波書店労働組合2010秋年末闘争アンケート集計結果」がまたも社内中に配布され、そのなかの「会社に言いたいことは何ですか」という設問に対する回答として松岡氏の記事内容と同種の、金さんを非難し、会社への金さんに対するさらなる強硬姿勢を要求する文章が相当数入っていた。そしてこの「アンケート集計結果」は、組合役員によると「無断引用するから」という理由で金さんには配布されなかった。

「無断引用するから」配布しなかった、とはよくぞ言ったものだと思う。この人たちはたった一人の個人を何十人(あるいは、百数十人?)の人間で包囲し、言いたい放題、やりたい放題の、精神的にはほとんどリンチにひとしい行動を起こす一方、あらかじめ「無断引用」という一見もっともらしい理屈をつけて、実は自分たちの行動に対する一切の反論・批判を封じ込める策、外部に自分たちの行動の実態が漏れ出る事態を防ぐ策をねっていたようである。

しかし、岩波書店およびその労働組合のような集団を相手にして身を護り、なおかつその集団に一人で対抗していくには、外部社会に実態を報告し、自分の置かれた立場や考えを発信していくこと以外に有効な方法が他に何か一つでもあるだろうか? その答えは岩波書店労働組合委員長の渡辺尚人氏や執行委員の田村真理氏の次の発言から読み取れると思う。渡辺委員長らは、組合文書の無断引用の件で金光翔さんに二度目の呼び出しをかけて注意したが、それは「アンケート集計結果」配布二日後の9月24日だったという。そこで金さんが、「松岡の文章やアンケート結果にある、私および首都圏労働組合への弾圧要請の件について執行委員会はどう考えているのか尋ねた」ところ、渡辺委員長らは、下記のような返答をしたとのこと。(太字による強調はすべて引用者による。)

松岡氏の文章の該当箇所は、そもそも何を言っているのか自分たちは分からない。松岡氏は特定の個人や団体を挙げているわけではないし、これを読んだ岩波労組員が、松岡氏が金や首都圏労働組合について語っていると受け取るとは思えない。」「「ヤクザみたいな男」という表現も、金を指しているとは自分たちは思わなかったし、これを読む岩波労組員もそうは思わないだろう。」「○氏のブログに毅然とした態度で対処してほしい。」という回答は、確かにこれは金のブログについて言及したものだが(略)、金や首都圏労働組合のブログの制限や閉鎖等を会社に求めたものではないし、これを読んだ岩波労組員もそのように受け取ることはないだろう。「毅然とした態度で対処してほしい」としか言っていないのであって、会社に対して具体的にどうこうせよと言っているのではない。」 等々。

どれも何とも白々しいかぎりの言い分である。組合が作成・配布した文書の責任は100パーセント組合が負うべきもののはずである。この文書も誰かに強制されて無理やり作らされたり、配布させられたりしたわけではないだろう。この対応をみると、渡辺氏らは自分たちの意思で掲載し配布した文書について、その責任を一切負いたくないし、負うつもりもないのだ。

中傷文について、これは「金を指しているとは自分たちは思わなかったし、これを読む岩波労組員もそうは思わないだろう。」と述べたそうだが、事実は「金を指していると自分たちはすぐ分かったし、これを読む岩波労組員も当然そう思うだろう。」というのが渡辺氏らの本心であることは万人が認めるだろう。組合はこの文書を無断引用するからという理由で金さんにだけ配布していないが、「金を指しているとは自分たちは思わなかったし、これを読む岩波労組員もそうは思わないだろう。」と真実そう考えたのなら、無断引用を怖れて配布しなかったという主張はおかしくないか? また、金さんはこの文書の存在をある組合員に教えられて知ったそうだが、金さんに教えたその人物はこの文書の中傷が金さんを指していることが明らかだからこそ当人に教えたと考えるのが普通だろう。「金を指しているとは自分たちは思わなかった」、「これを読む岩波労組員もそうは思わないだろう。」という渡辺氏らの発言は初めから明白な嘘っぱちなのだ。このことは、次の問答にもよく現れている。

金さんが「組合文書を私に配布しないといっても、私個人に対して批判している文章については一部渡すべきでしょう」というと、渡辺氏は「いや、渡す必要はない」と応じたそうで、金さんの「私個人に対して批判している文章」という発言を否定していない。「金を指しているとは自分たちは思わなかったし、これを読む岩波労組員もそうは思わないだろう。」というさっきの主張はどこへ行ったのだろう。さらに「批判の相手から請求があれば、渡すのは出版界の常識ですよね?ましてやこれは無料で社内中に配布しているわけでしょう」と言われると、渡辺氏は「岩波労組は出版社ではないので、それに従う必要はない」と答えたそうである。この返答は、「金を指しているとは自分たちは思わなかったし、…」という言い訳とも「無断引用」云々の問題ともおよそ関係のない別次元の発言、居直りとかやけっぱちとかを想像させる支離滅裂な発言である。初めに嘘やその場かぎりのいい加減な発言をするなど不誠実な対応をしていると、真面目な追求に対してしだいに矛盾だらけの支離滅裂なことしか言えなくなることは世間によくあることだが、これはその典型のような応答ぶりである。

金光翔さんは「ここまで言われては返す言葉もないが、もう岩波労組は、「出版労働者として」とか「岩波書店という出版社の組合員として」といった言葉を使うのはやめるべきであろう。」と述べているが、この批判に対する渡辺委員長を初めとした組合役員の人々の返答をぜひ聞かせてほしいものである。あのようなどこかの中学校内のイジメによる中傷コメントかと見紛うようなレベルの文章を掲載して会社中に配布する組合に応答責任なんぞを求めるのは土台無理なのだろうが、普通ならそのくらいの自覚はもっているのが当然のことなのだ。


   

以前岩波労組役員の一員だった永沼浩一という人物は、2007年3月2日、金光翔さんが『世界』編集部における「思想・良心の自由」を問題にした際、「そんな法律関係のことは労働問題とは関係がない」と発言したそうである。金光翔さんは「言うまでもないが、「思想・良心の自由」は人間の基本的権利であり、労働の前提たるべきものである。「良心的」で「権威」ある出版社の社員という自意識があまりにも肥大化しており、自分たちが間違えっているはずがないのだから、その独善性に異議を唱える人間は自動的に「敵」かつ「殲滅」すべき対象で、これが「思想・良心の自由」の問題であるはずもない、ということになるのだろう。」(http://shutoken2007.blog88.fc2.com/blog-entry-28.html)と冷静な解釈をしているが、永沼氏の発言内容やもの言う態度は、文書不配について問われて「いや、渡す必要はない」「岩波労組は出版社ではないので、それに従う必要はない」と言い切った渡辺氏の応答と何とよく似ていることだろう、とそのことに驚かされる。

また、「首都圏労働組合特設ブログ」(2010年12月12日付)のこの記事に描かれている吉田浩一という人物の金光翔さんへの対応もひどかったと思う。この人は、『週刊新潮』の記事が出た直後に組合役員として金さんへの攻撃で活躍した人の一人だったらしい。金さんは、このことについて次のように書いている。

「私は、かねてから、当時の執行委員に、2008年1月21日の私に関する集会(引用者注:組合員みんなで金光翔さんについての情報を共有するためと称する集会)の内容や、『週刊新潮』の記事が出た直後に、たかだか組合報から、それも業務とは何の関係もない箇所を引用しただけで、個人攻撃したことにおかしさを感じなかったのか等について聞いてみたかった。当時の執行委員12人の誰でもよかったのだが、上で述べたような点(引用者注:この人物が『岩波講座 アジア・太平洋戦争』や日本近現代史、中東関係の本などを数多く担当していることなど)から、特に吉田には見解を聞きたいと思っていた。そこで、社内で吉田を見かけたので、この件について聞くことにした。2010年11月11日17時すぎのことである。

まず私が、上述の、2008年1月21日の私に関する集会についてどのような話がなされたのかを教えてほしいと述べたところ、吉田は、「なぜ今さらそんなことを聞くのか。なぜ僕に聞くのか。自分は答えたくないし、答える義務もない」などと答えてきた。」

という話から始まり、その後「吉田さんは当時、執行委員だったのだから、そういう集会を開催した責任があるでしょう」「責任なんてないよ。何回も言うけど、答えたくないし、答える義務もない。組合に直接聞いて下さい。僕はもう関係ない」「それはおかしいでしょう。吉田さんは当時の執行委員で、その時点での行為に責任があるでしょう」「関係ないよ!組合の立場と個人の立場はそれぞれ別に決まってるでしょう!」などと押し問答になったそうだが、そこまではまぁ予測範囲内の経過である。ところが、「やりあっているのを聞きつけたのか、5階にいた部長(役員)が止めに入ってきた」ら、この人はその役員に「何とかしてくださいよー」と言ったそうである。加害者が被害者に責任を問われると、あたかも自分が理不尽な仕打ちをされたかのように、自分のほうが被害者であるかのように振舞う、そしてその証明を他人に求めようとするのかしなだれかかる。甘ったれ根性と傲慢さが目に余るように感じた。


   

岩波書店労組執行部に言っておきたいことが他にもあるのでこの際きちんと書いておこう。2011年4月27日現在、組合役員が渡辺尚人委員長以下昨年と同じメンバーかどうか知らないが、組合執行部は2007年11月に金光翔さんの件で『週刊新潮』に取材協力した「組合関係者」とは誰か、その人物が『週刊新潮』にどのような経過で何をどのような意図をもって話したのか、その全体を組合の名において金光翔さんに伝えるべきだと思う。

そもそも『週刊新潮』とはどんな週刊誌なのか。松岡秀幸氏は会社に金光翔さんへの弾圧強化を要請する文章のなかで何を思ったか「高遠菜穂子さんらが拉致されたとき、日本国内で自己責任論がヒステリックに叫ばれたが、その手の自己責任論の愚劣さを誰よりも先に岩波書店の刊行物が正しく断罪したではないか。」と述べている。金光翔さん弾圧を煽動する人物が、イラク人質事件の被害者に向けられた当時の「自己責任論」を愚劣だと評していることも不思議であり、意外に感じるが、あの時、先頭に立って最も激しく高遠菜穂子さんらを非難したのは、言うまでもなく『週刊新潮』であった。この件だけでなく、『週刊新潮』の場合、同種の事例に事欠かないことは周知の事実である。そういう週刊誌だからこそ、金光翔さんに関するあのあくどい(けれど記事にする必然性は別になかったと思われるが)記事もありえたのだと思われる。

岩波書店の人たちは『週刊新潮』に関するこれらの事情をよく知っていながら、あえて情報提供のための電話通報をしたり(『週刊新潮』の記者は法廷でそう証言している。)、積極的に取材協力したりしているのだ。組合執行部にはそのうちの一人である「組合関係者」の行動について詳らかにする責任があるだろう。私は今回、岩波書店労働組合が金光翔さんを「除名」にし、それを受けて会社が「解雇通告」したということには、『週刊新潮』の記事の件が大いに関係していると思う。組合は金光翔さんを排除することで自分たちのこれまでの行動をなかったことにするつもりなのだろうが、そんな身勝手が許されてはならないし、それはこの人たち自身のためにもならないだろう。岩波書店労働組合はまず、金光翔さんに対し「除名」処分を謝罪して撤回し、それから『週刊新潮』事件に関与した「組合関係者」についての真相をも明らかにすべきと思う。

岩波労組の人々は、一人の人間に対し、大勢でよってたかって集中攻撃して恬として恥じていないようであるが、誰か一人にそういう仕打ちをして平然としているということは、別の機会にはまた必ず同じことをやるだろう。元来、理由のあるなしにかかわらず、集団で一人または少数の人間にイジメ・嫌がらせをする、それを続けるということほど恥ずかしい行ないは世の中にそうはないだろう。まして金光翔さんの場合、『世界』における問題提起の初めから周囲の十分な考慮・協力をうけて当然の根拠ある内容をもっていたと思う。それに対し岩波労組が会社と一体化して一切聞く耳をもたず、あれだけの攻撃ができるということは、この人たちは他のどんな自分の行為に対しても恥じることはないのではないかという疑いさえ起こさせる。自分たちのメンツを保つための行動だったのかも知れないが、失ったものはメンツなんてちゃちなものだけではなかっただろう。だからこそ、組合による『週刊新潮』事件の検証はいっそう必要だと考える。
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2011.04.28 Thu l 言論・表現の自由 l コメント (0) トラックバック (0) l top
   

岩波書店労働組合の金光翔さんへの攻撃的対応であるが、今回は残りの項目のうち(5)を取り上げる。(5)は、2010年9月22日、組合によって社内中に配布された「岩波書店労働組合2010秋年末闘争アンケート集計結果」の件。「岩波書店労働組合の特異性(2)」で記述したことだが、アンケートの回答総数は47件だったという。組合員総数が200人近いにしては47件という回答数は少ないように思うが、問題は、アンケートの「1.いま会社に言いたいことは何ですか。自由にお書きください。」という設問の回答欄に金光翔さんに対する会社の対応は手ぬるい、もっと断固とした処置をとれという趣旨の記述が見たところ6件あり(回答はすべて匿名)、それがそのまま「アンケート集計結果」に掲載されていたことである。

回答をあらためて記すと、「① ○氏のブログに毅然とした態度で対処してほしい。」「② 残業代が出る人がいるの?はぁ!?社長の指導力がみじんも感じられない。(大丈夫?)」「③ 社長を変えて下さい。こんな決断力のない、ヤクザみたいな男に弱い社長では、私たちは信頼してついていくことができません!」「④ この間の社内の混乱の責任をとるべき。(略)法務担当役員は即刻退任しろ。」「⑤ 会社については、別個の組合を主張している個人と、話し合いを進めているといったことに、強く不信感をもちました。」「⑥ ○氏への時間外手当支払いについて会社が合意したことは(お上に過剰に従順な経営についてはここでは触れない)、○氏がブログで書くまで組合は2ヶ月も知りえなかった。」等々。

どれをとっても、前年10月の「アンケート文書」掲載の「組合費を払わず、組合に敵対する行動をしている人は、除名すべきです。そのような人に、春闘・秋年闘の果実である一時金を与えるのは、公平を欠きます。」という文章や三週間前の8月31日に配布された松岡秀幸氏の文章と、あるいは同一人物のものがあるのかも知れないが、主張内容はどれもほぼ同じといいたいほどよく似た煽動的文章である。金光翔さんは「首都圏労働組合特設ブログ」の9月27付記事「岩波労組、会社に対する金への弾圧扇動をエスカレートさせる 」においてこれらの発言について、

「こうした人々の陋劣さは度を超えているので、何から言っていいか迷うが、まず、労働組合(員)が、社員の言論活動や他の労働組合の活動に対して、弾圧を会社に要請するということ自体が異常である。」(太字による強調はすべて引用者による。)

と述べている。まったく同感、そのとおりだと思うが、このような「陋劣さ」を直に浴びせかけられる金さんの精神的苦痛と負担はどれほど深いものだろうか。そういうことをほとんど語っていないだけになおさらそう思う。①の発言主は、金さんのブログに「毅然とした態度で対処」することを、その必要性についての理由を一つも述べずに会社に要請しているが、ブログの内容に異論があるのなら、金さんの主張のどこがどのように誤っているのかを自分自身の責任で主張すべきだろう。掲載場所がないのなら、金さんは反論を書けば原則的にそのまま「首都圏労働組合特設ブログ」に掲載すると言っているのだから、まずは書いた反論の掲載を要請してみる。そういったことがものごとの手続き上の当たり前の筋道だろう。反論を書けば当然議論になるだろうが、議論をするだけの熱意も自信もないままにこのようにいとも気軽に一人の人間の言論活動弾圧を他者(経営者)に要請しているのなら、これこそ卑怯ということの最たる行為だろう。


   

②、③、④の発言は、会社の金光翔さんへの対応が弱腰すぎる、社長と法務担当役員は職責としてもっと強硬な態度に出ることによってこの問題に片をつけろと主張していると読める。しかし、これより半年ほど前の同年3月18日、金光翔さんの「対『週刊新潮』・佐藤優裁判」で、『週刊新潮』の荻原信也記者は「本件記事(引用者注:「「佐藤優」批判論文の筆者は「岩波書店」社員だった」とのタイトルの記事)の取材は、被告週刊新潮編集部の記者が平成19年11月に、岩波書店の関係者から、電話で雑誌「IMPACTION」に掲載された、被告佐藤優を批判する論文の著者が岩波書店の社員であり、それを知った被告佐藤が立腹している旨聞いたことがきっかけである。」と述べている。つまり、『週刊新潮』の問題の記事は「岩波書店関係者」からの電話による情報提供がきっかけだった、とこの記者は証言しているのだ。

荻原記者によると、この「岩波書店関係者」とは「「世界」編集部に非常に近い関係者」とのことであるが、「岩波書店社員」であると断言してはいない。しかし、この人物による金さんについての証言は虚偽混じりで悪意の篭もったものだが、まず内部の人間にしか語りえないであろうと思われるほど微にいり細にいり非常に具体的で詳細な内容のものである。また荻原記者によるとこの「岩波関係者」は『週刊新潮』の取材中、事実関係についてはその都度「世界」編集部員に電話をかけて確認してもらっていたそうであり、その上荻原氏はこの人物から岩波書店労働組合関係者を紹介してもらい、その人物に後日電話取材を行なってその談話を記事に取り入れているのであり、これらを勘案すると、この「岩波関係者」とは「岩波社員」と断言して差し支えないと思われる。

荻原記者の上の証言が事実であるならば、『週刊新潮』のあの記事は、佐藤優氏を別にすると、「岩波関係者」「「世界」編集部員」「岩波労組関係者」という、岩波社員三人の証言によって作られたということができる。このことが判明した3月18日、金さんは会社に対して「申入書」を提出しているが、そこでは次のような要請がなされていた。

「 したがって、私は株式会社岩波書店に対し、以下の措置を執ることを求めます。

一、上記証言者二名(引用者注:「岩波関係者」と「岩波労組関係者」)は誰か、調査し、その結果を私に伝えること。

一、岩波書店社員二名が、金の名誉を毀損する発言および個人情報を漏らす発言を『週刊新潮』編集部に対して行っている事実、およびそうした事実に対して会社が遺憾の意を持っていることを岩波書店社内に周知徹底させること。 」 等々。

これに対する会社の返事は下記のとおりに実に素気ないものであった。

「 金光翔 殿

2010年3月18日付の申入書について以下のように回答します。
今回の申し入れの内容は、現在、民事訴訟で係争中であるので、会社としては申入書にお答えすることは適当でないと判断します。

 2010年3月25日 」


しかし、2007年11月末『週刊新潮』にくだんの記事が載った後、12月5日に岩波書店は『週刊新潮』記事を理由として、社長自ら金さんに対し「口頭による厳重注意」を行なっている。また金さんに「厳重注意」を行なったことを社内で各部署ごとに役員立会いのもと周知徹底させてもいる。ところが、荻原記者の証言により、普通なら週刊誌の記事になどなりようのない出来事(岩波書店の社員であろうがなかろうが、無名の書き手がマイナー雑誌に佐藤優氏批判の論文を書いたなんてことが、『週刊新潮』の読者の興味を惹くはずがないのだ。)が記事になったそもそもの発端は「岩波関係者」(上述のように「岩波社員」と考えてよいと思う。)からの情報提供だったと知らされたので、金さんは会社に「申入書」を提出したわけである。会社は上記のように「申入書」に「現在、民事訴訟で係争中であるので、会社としては申入書にお答えすることは適当でないと判断します。」などと木で鼻をくくったような官僚答弁をしているが、会社そして山口社長は2007年に「厳重注意」の対象を誤ったことになるのではないだろうか。その責任もふくめてあの「厳重注意」を現在どう考えているのだろう。


   

組合の「アンケート調査」の回答で会社は金光翔さんに対してもっと強硬な対応をせよと主張している人たちは、上述した『週刊新潮』記事に関するこれまでの経過についてはすべて知っているだろう。会社の金さんに対する態度がどれほど不公平かつ冷酷であったかも承知しているはずである。それにもかかわらず、会社が金さんに弱腰すぎるといい、なおいっそうの強攻策を!と叫ぶのはどういう心理なのか、あまりにも異様である。この人たちは『週刊新潮』に密告の電話をかけて中傷記事を書くよう示唆したり、熱心に取材協力をした人々に対しては不信感をもたないのだろうか? あるいはこの『週刊新潮』事件には意外と大勢の人間が関わっていることも考えられるので、この人たちも何らかのかたちで関わっていて内心不安を抱え、金さんを排除することで安心感を得たいという心理が働いているというようなこともありえるのかも知れないとも思う。

「ブログの運営」「会社への残業代の請求」「首都圏労働組合への加盟」など、アンケートの回答者たちが口をきわめて非難し、それを理由として会社に弾圧を要求している事柄はすべて人間として、また働く者として誰もがもっている正当な権利ばかりである。上のアンケートの回答者たちは他人に関して不当な言いがかりをつけたり、会社に他の社員の弾圧を要求するという人権侵害を行なう前に、はたして自分の考えは基本的に正当なものかどうか(⑥の回答者にいたっては、会社が金さんによる残業代支払い要求を呑んだことについて、「お上に過剰に従順な経営」などと述べている。「お上」が金さんを指しているのか、それとも会社に指導を行なった労基署を指しているのか不明だが、この交渉と妥結における会社の姿勢を「お上に過剰に従順」と受け止める感覚は理解を絶している。また「残業代請求」に対するこのような考え方・主張は一般の働く人々の利益に真っ向から反するものであり、金さんのみならず、世の労働者一般にも悪影響・不利益をもたらすものであろう。「ヤクザみたいな男」という表現は悪質な言いがかりとしか言いようはない。)少しは自己検証をしたがいいかと思う。

もう一つ、アンケートの回答には、「社内の一体感」の必要性を強調するものが多かったようだが、このような社員の意識の下では「一体感」の強調は単に異分子や少数派の排除意識をいっそう強めることにしかならないだろう。「いい企画を生み出すためにも、売上を少しでも上げるためにも、編集・営業他全職場で一丸となった努力・創意工夫が必要である。」という意見など読むと、かつてテレビなどで見たり聞いたりした保険会社の営業社員の朝礼風景が思い浮かぶ。本は著者が一人で書き、読者も一人静かに味わい考えつつ読むものである。出版社では大勢の人たちの手を必要とするのに違いないとしても「いい企画を生み出すためにも、売上を少しでも上げるためにも、編集・営業他全職場で一丸となった努力、云々」というような発想とはまるで異なる発想が切実に必要とされているのではないかという気がする。
2011.04.24 Sun l 言論・表現の自由 l コメント (0) トラックバック (0) l top
   

前回記した岩波書店労働組合の金光翔さんに対するイジメ・嫌がらせ攻撃のうち、今回は、(3)と(4)の項目を取り上げる。時系列を見ると、(3)~(6)までの出来事のすべては、(3)2010年8月31日の松岡秀幸氏執筆の文章の件から始まって、(6)2010年9月24日の岩波労組役員(渡辺尚人委員長・山田まり執行委員)と金光翔さんとの話し合いの件まで1ヶ月足らずの期間に起きたことである。これには自分で日時を書いておきながら今回初めて気づいて、今さらのように驚いてしまった。一つひとつの事件の中身があまりにも濃厚かつ刺激的であるため、何となく半年とか1年とかのかなり長い期間に起きた出来事のように感じていた。

あらためて概略を示しながら、感想を述べていきたい。(3)は、「岩波書店労働組合営業局職場委員会」発行・配布の文書に、松岡秀幸氏の‘誰にも迷惑をかけていない、それどころかみんなから信頼されている組合員(図書室員)を「有期間雇用」を理由に切ろうとするくせに、一方で会社は大きな問題を放置している’ ‘残業問題は、これまで組合との信義のなかで業務が成り立ってきたというのに、会社はその信義を踏みにじった’‘全社員に関わる社員の安全や信義に基づく情報の安全の不安がある’ ‘こんな強気に易し、弱い者に不利益を与えるというような会社の仕打ちを、絶対に許すことはできない’という趣旨の文章が載り、これは社内中に配布された。

松岡氏の文章内容は気になるといえば全部気になる。正直に言えば、「これが出版社の(それも良識ある出版社として世間に知られてきた)社員の、またそこで労働組合の役員を務めたこともある人物の発言だろうか?」と呆気にとられない主張は一つとしてないほどなのだが、なかでも問題だと感じたのは、「有期間雇用」の組合員を解雇しようとする会社に抗議している、その遣り方である。松岡氏は金光翔さん(名前は出されていないが間違いないだろう)を全面的に否定することで、「有期間雇用」の組合員を擁護しようとしているが、こういうことはどんなことがあっても決してやってはならない人品卑しい行為ではないかと思う。「有期間雇用」の人がごく普通の良識をもった人だったら、別の人物を貶めることによるこのような擁護のされ方をしても困惑したり不快に感じたりするだけだろう。

そもそも金さんは、松岡氏の文章が配布される3日前の8月28日、「首都圏労働組合特設ブログ」に「岩波書店、非正規社員を雇い止め 」という題で「雇い止め」の通告をした会社をきびしく批判する記事をアップしている。記事は「現状の「労使一体」の体制の下では、編集業務は「岩波らしさ」を担保するために正社員に限り、フリー編集者との契約や外部出版社への委託を認めない(だから同じ書き手やそのグループの本ばかりが出る)」、「60歳定年退職者については希望者全員が65歳まで月額25万円で再雇用され」ているなどの岩波書店の現状を分析した上で、この「雇い止め」が不当であることを指摘した説得的な内容の文章だったと思う。むしろ、松岡氏の文章こそ、ある別の人物を徹底的・全面的に否定し、排除したい(会社にそのようにさせたい)という自己の欲望・執心があるために、本人の主観はどうあれ、結果的には「雇い止め」にされかけている人物を利用しているという面が出てはいないだろうか。


   

その「岩波書店労働組合営業局職場委員会」発行の文書が社内中に配布されて9日後、9月9日に組合執行部は、金光翔さんに組合文書を「無断引用」したという理由で「抗議文」を渡している。これが(4)。実は、金光翔さんは上記の松岡秀幸氏の文章が社内に配布されてから2日後の9月2日に「首都圏労働組合特設ブログ」において「岩波書店労働組合員、会社に対して私への弾圧を扇動 」という記事をアップし、松岡氏の主張に逐一反論。おそらく完膚なきまでに論破している。「抗議文」は金さんがその記事をアップした一週間後に渡されているので、組合のいう「無断引用」とは金さんが松岡氏の主張に反論するために記事中で松岡氏の文章を引用したことを指しているのであろうと思われる。

しかしそれにしては、「抗議文」のなかの「岩波書店労働組合に結集する組合員が団結し団体交渉その他の団体行動をすることの妨げとなります」との組合の主張は、意味不明だと思う。金光翔さんは自分に関するきわめて不当だと思った言説にやむを得ず反論しただけのはずだが…? そして反論に限らず、誰かの主張や見解を批評する際には、その人物の主張なり見解なりを引用することは不可欠である。そうしなければ批評は成立しないだろう。なぜ、こんな当然のことを出版社の労組の人々に言わなければならないのか分からないが、この種の引用は当然誰でも「無断」でやっていいことである。まして、この場合、自分の人格を不当に傷つけられ、基本的人権を踏みにじられる誹謗中傷文を会社中にばら撒かれたのだ。少なくとも金さんはそのように受けとめた。「抗議文」を渡した組合執行部は、そういう金さんに対し、あらかじめ文章の執筆者である松岡氏や配布責任者である自分たち組合役員に「反論を書いて、自分の所属している「首都圏労働組合」の特設ブログに掲載してもよろしゅうございますか?」という許可申請をせよ、とでも言いたいのだろうか。

金さんは松岡氏の文章をそのまま放置しておくわけにはいかないと思い(当然であろう)、松岡氏の主張の不当性を指摘した反論文を「首都圏労働組合特設ブログ」に掲載した。先に金光翔さんへの攻撃をした「岩波書店労働組合営業局職場委員会」と松岡氏がここでなすべきことは、金さんの反論にどのように応えるかしかないはずである。ところがそれはしないで(頬かむりして)、松岡氏は奥に引っ込んだまま、組合役員が複数で表に出てきて、金光翔さんの正当な権利である反撃に対し「無断引用」という言いがかりをつけた上に、「岩波書店労働組合に結集する組合員が団結し団体交渉その他の団体行動をすることの妨げとなります」などという陳腐かつ訳のわからない文章を盛り込んだ「抗議文」を相手に突きつけているのだ。一般社会のどこで誰にこのような行動が正当なこととして受け容れられ、理解されるだろう。こういう最低限の論理も道義も弁えない支離滅裂な行為を世間では普通「盗人猛々しい」とか「いけずうずうしい」などと表現するのではないかと思うのだが? 
2011.04.20 Wed l 言論・表現の自由 l コメント (0) トラックバック (0) l top
   

前回、2009年10月時点における岩波書店労働組合による金光翔さんへのイジメ・嫌がらせについて、当時、労組委員長であった渡辺尚人氏の言動を中心に思うところを書いた。今日もその続きということになるのだが、これは主に「首都圏労働組合特設ブログ」の記事を基にすることになる。以前にも書いたことだが、金光翔さん執筆の文章は、「首都圏労働組合特設ブログ」に限らず、勘違いや認識違いによる間違いを除けば、事実をありのままに正確に記述したものであることには疑いの余地はないと思われる。これから取り上げる予定の2010年度の組合執行部作成・配布のアンケートの回答用紙(前回取り上げたアンケートの件は2009年度分)には、金さんに対する数々の非難が書かれているが、ただしそこに事実の誤りを指摘したものは一つもない。そもそも、金光翔さんは組合に対し、自分の記事に異論があれば、反論を書いたらいい。そうすれば原則としてそのまま同ブログに掲載する、と何度も伝えているのだという。それにもかかわらず、反論が来ないということは、これも「首都圏労働組合特設ブログ」掲載の記事が事実を述べていると判断してよいことの証左になるだろう。


   

そのことをあらためてことわっておいて、ここで、2009~2010年における岩波書店労組執行部および組合員の行動で私が特に異様、あるいは印象深く感じた出来事を時系列で示すと、前回の文章と重複する箇所もあるが、次のようになる。

(1) 2009年10月1日 岩波書店労働組合(委員長:渡辺尚人)は、「組合費を払わず、組合に敵対する行動をしている人は、除名すべきです。そのような人に、春闘・秋年闘の果実である一時金を与えるのは、公平を欠きます。」という、金光翔さんをあてこすったデマ(デマであることは前回述べた。)発言が載った「アンケート文書」を全社中に配布した。
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(2) 2009年10月23日 岩波書店労働組合委員長・渡辺尚人氏は「判例タイムズ社パワーハラスメント争議」の支援に行き、「会社(注:判例タイムズ社)にはまっとうな対応を期待するとの言葉を添え,気持ちのこもったシュプレヒコール。力強い復唱に,帰宅途中の人々の注目を集め」た。また「判例タイムズ社は悪質なパワーハラスメント行為があったことを認めてお二人に謝罪し、早急に問題の解決をはかってください。」などの発言を行なった。
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(3) 2010年8月31日 宣伝部職場委員である松岡秀幸氏は、「岩波書店労働組合営業局職場委員会」発行・配布の文書のなかで、「何の罪もない、誰にも迷惑をかけていない、それどころかみんなから信頼されている組合員(図書室員)を「有期間雇用」を理由に切ろうとするくせに、一方で会社は大きな問題を放置しているのではないか。残業問題にしても、これまでいわば組合との信義のなかで業務が成り立ってきたというのに、その信義を尊重して、これを機に労使で丁寧に協議してよりよい体制を作ろうという姿勢はまるで見えなかった。全社員に関わる社員の安全や信義に基づく情報の安全の不安には、穏便路線で対応し、非正規雇用の組合員には、「期間雇用のカベ」を行使する。こんな強気(金注・ママ)に易し、弱い者に不利益を与えるという岩波書店の理念を踏みにじる、あるいは労使慣行的にも変則的な仕打ちをすることを、絶対に許すことはできない。」などという、会社の金光翔氏攻撃はまだ手ぬるい。もっと激しく徹底的に攻撃するよう煽動する文章を寄稿した。
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(4) 2010年9月9日 組合執行部は金光翔さんに抗議文を渡す。そこでは金光翔さんによる組合文書の「無断引用」が「岩波書店労働組合に結集する組合員が団結し団体交渉その他の団体行動をすることの妨げとなります」との主張が述べられていた。
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(5) 2010年9月22日 「岩波書店労働組合2010秋年末闘争アンケート集計結果」が社内中に配布された。ただし、金さんには「無断引用するから」との理由で配布されなかった。そのため、金さんがこのアンケートの件を知ったのは、ある組合員に教えられたからであって、そうでなければ、自分に対する中傷記事が満載されて会社中に配布された文書について本人のみが知らないという状態のまま終わっていた可能性もあった。アンケートの回答総数は47件。アンケートの設問には、「1.いま会社に言いたいことは何ですか。自由にお書きください。」という項目があり、組合員の回答が掲載されている(すべて匿名)。このなかで目につくのは、一つは、会社全体の一体感の必要性を強調するもの。たとえば、次のような意見。

 ① 会社組織としての求心力、一体感といったものを感じさせてほしい。と言うより、そういった取り組みが必要だという意識が欠落していないか?
 ② 社員、現場の状況と気持ち(意欲、疑問、不満、アイデアetc)を汲みとった、真の全社一丸をめざしてほしい。図書室員雇い止め提案の件で、これほどに、皆が結集したことをきちんと受けとめ、正しい、納得のできることならば、これほどに集中力のある社員の集まりであることを踏まえて、正しい、納得のできるリーダーシップを発揮してほしい。
 ③ これからますます経営財政がきびしくなると思われる。いい企画を生み出すためにも、売上を少しでも上げるためにも、編集・営業他全職場で一丸となった努力・創意工夫が必要である。そのためにも、働いている人を大切にする、職場環境を悪くしないことを会社に強く望みたい。

もう一つは、金光翔さんに関連するもの。そのなかには、次のような意見が見られる。

 ① ○氏のブログに毅然とした態度で対処してほしい。
 ② 残業代が出る人がいるの?はぁ!?社長の指導力がみじんも感じられない。(大丈夫?)(こまかいことを書いている時間がない)
 ③ 社長を変えて下さい。こんな決断力のない、ヤクザみたいな男に弱い社長では、私たちは信頼してついていくことができません!
 ④ この間の社内の混乱の責任をとるべき。人数が多すぎる。この社の性格の理解がない。法務担当役員は即刻退任しろ。
 ⑤ 会社については、別個の組合を主張している個人と、話し合いを進めているといったことに、強く不信感をもちました。会社側が複数の組合の存在を認めていると考えざるをえませんが、当組合がそれを会社に正式に確認しないのも疑問に思います。会社が複数の組合の存在を認めているのならば、たなざらしになっている脱退問題にも大きく関わると思います。
 ⑥ ○氏への時間外手当支払いについて会社が合意したことは(お上に過剰に従順な経営についてはここでは触れない)、○氏がブログで書くまで組合は2ヶ月も知りえなかった。
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(6) 2010年9月24日 岩波書店労働組合は組合発行の文書を金光翔さんがブログに無断引用したとしてこの日金さんに2度目の呼び出しをかけていた。そこで、金さんは、松岡氏の文章や上記のアンケート結果にある、金さんおよび首都圏労働組合への弾圧要請の件について執行委員会はどう考えているのかを渡辺尚人岩波労組委員長および山田まり執行委員に尋ねた。この「弾圧要請」とはもちろん「会社への金光翔さん弾圧要請」の意である。すると二人は、下記のように回答した。

 ① 金が「弾圧を扇動している」などと言っている松岡氏の文章の該当箇所は、そもそも何を言っているのか自分たちは分からない。松岡氏は特定の個人や団体を挙げているわけではないし、これを読んだ岩波労組員が、松岡氏が金や首都圏労働組合について語っていると受け取るとは思えない。
 ② 「ヤクザみたいな男」という表現も、金を指しているとは自分たちは思わなかったし、これを読む岩波労組員もそうは思わないだろう。誰を指して言っているかは全く分からない。
 ③ ○氏のブログに毅然とした態度で対処してほしい。」という回答は、確かにこれは金のブログについて言及したものだが(注・原文では「K氏」となっていたとのこと)、金が言うように、金や首都圏労働組合のブログの制限や閉鎖等を会社に求めたものではないし、これを読んだ岩波労組員もそのように受け取ることはないだろう。「毅然とした態度で対処してほしい」としか言っていないのであって、会社に対して具体的にどうこうせよと言っているのではない。弾圧を会社に要請しているものであるはずもない。

渡辺委員長・山田執行委員の二人は、アンケート回答用紙の内容は一つを除いて金さんを指したものとは自分たちには思えなかったし、読んだ人もそうは受け取らないだろう。だからこの文書の作成・配布に関して自分たちが責任を問われるいわれはない、と主張しているわけである。岩波労組が、金光翔さんには一切知らせないまま、このような文書を社内中に配布したことについて、金さんは渡辺委員長に問いただし、概略以下のようなやりとりを行なった。

 「組合文書を私に配布しないといっても、私個人に対して批判している文章については一部渡すべきでしょう」
渡辺 「いや、渡す必要はない」
 「批判の相手から請求があれば、渡すのは出版界の常識ですよね?ましてやこれは無料で社内中に配布しているわけでしょう」
渡辺 「岩波労組は出版社ではないので、それに従う必要はない」

渡辺委員長らのこの対応について、金さんは次のように記している。

「ここまで言われては返す言葉もないが、もう岩波労組は、「出版労働者として」とか「岩波書店という出版社の組合員として」といった言葉を使うのはやめるべきであろう。

岩波労組は、自分たちが私に対して行なっている組合文書での批判・中傷に関して、同等の媒体および配布形態で私の反論掲載を保証する(私は岩波労組に対して、異論があれば、反論を送ってくれば原則としてそのままブログ上に掲載することはこれまで何度も述べてきている)どころか、「金から反論を送ってこられても、組合文書にそれを掲載するかは執行委員会でその都度検討するのであって、掲載は保証できない」(渡辺委員長)という態度を崩していない。それでいて、ウェブ上で私が反論することに関しては「無断引用」などと抗議してくるのであるから、言論封殺以外の何物でもあるまい。 」


   

以上、私が理解した範囲で、2009年から2010年にかけて金光翔さんと首都圏労働組合をめぐって岩波書店労働組合が起こした行動、組合員の反応、また岩波労組と金光翔さんの間で交わされた会話の遣りとりなどを記した。未読の方にはぜひ「首都圏労働組合特設ブログ」のこの記事本文に直接あたっていただきたいのだが、ここではこれからこの問題に関して私が感じたことを項目ごとに述べることにする。

まず、(1)と(2)について。この件は前回取り上げたが、佐藤優氏はもちろんだが、「世界」編集長の岡本厚氏も岩波労組の委員長だった渡辺尚人氏も「二枚舌」を別に悪質とも醜い行為とも思っていないのだろう。ただ右と左、内と外とで主張を使い分けている(つまり、二枚舌を使っている)といって他人から批判されたり、軽蔑されたりして自分自身や会社のメンツが潰されることのみを気にしているのではないか。岩波書店自体がいつからかは知らないが、そういう傾向の顕著な集団に変質してしまっているように思える。

興味があったので面白半分「二枚舌」についてネット検索してみたら、こういうものがあった。

「うそつきのことを「二枚舌を使う」といいますが、「二枚舌」の由来を教えてください 」

「ベストアンサーに選ばれた回答」には「イソップ物語の中の1つとして森で動物と鳥が戦争をしたとき、コウモリは動物の陣営に行って、「私は鋭い牙とフサフサとした毛が生えていますから、私はあなた方の仲間です。」と言っておきながら、鳥の陣営では「私にはこんなに立派な羽が生えており、飛べますから皆さんの仲間です。」と典型的な二枚舌を使っています。/二枚舌とは、矛盾したことを言う、一つのことを二通りに言う、Aに言ったことと、Bに言ったことが食い違うということを意味します。」と書かれていたが、妥当な回答だろうと思う。いずれにせよ二枚舌を使うことが徹底して自他に不正直・不誠実な行為であることは間違いないことで、ここからは人間同士の信頼関係構築の希望も生まれなければ、個人の思索の深まりもありえないので、個人にしろ集団にしろ成長の展望はピシャリと閉ざされることにしかならないだろう。日本の著名人のなかでこういう二枚舌の嘘をもっともつよく嫌悪し、憎んだ人物のひとりが小説家の夏目漱石だったように思う。前にもどこかで引用した記憶があるので再度ということになると思うが、漱石唯一の自伝的小説といわれる「道草」から主人公健三の養母についての次の叙述を引用する。

「 彼の弱点が御常の弱点とまともに相搏つ事も少なくはなかった。
 御常は非常に嘘を吐く事の巧い女であった。それからどんな場合でも、自分に利益があるとさえ見れば、すぐ涙を流す事の出来る重宝な女であった。健三をほんの子供だと思って気を許していた彼女は、その裏面をすっかり彼に暴露して自から知らなかった。
 或日一人の客と相対して坐っていた御常は、その席で話題に上った甲という女を、傍で聴いていても聴きづらい程罵った、ところがその客が帰ったあとで、甲が又偶然彼女を訪ねて来た。すると御常は甲に向って、そらぞらしいお世辞を使い始めた。遂に、今誰さんとあなたの事を大変誉めていたところだというような不必要な嘘まで吐いた。健三は腹を立てた。
「あんな嘘を吐いてらあ」
 彼は一徹な子供の正直をそのまま甲の前に披瀝した。甲の帰ったあとで御常は大変に怒った。
「御前と一所にいると顔から火の出るような思をしなくっちゃならない」
 健三は御常の顔から早く火が出れば好い位に感じた。
 彼の胸の底には彼女を忌み嫌う心が我知らず常に何処かに働いていた。いくら御常から可愛がられても、それに報いるだけの情合が此方に出て来得ないような醜いものを、彼女は彼女の人格の中に蔵していたのである。そうしてその醜いものを一番能く知っていたのは、彼女の懐に温められて育った駄々っ子に外ならなかったのである。 」

漱石はまた「私の個人主義」のなかでだったと思うが、「正直という全世界共通の美徳」(少し語順は違うかもしれない。)と述べている。前述の二枚舌に関する質問の「ベストアンサー」にも、二枚舌という単語の英語、ドイツ語のスペルが記述されていた。やはり、二枚舌は「不正直という全世界共通の悪徳」なのだ。岩波書店の人々を小説中の登場人物と別に同一視しているわけではない。性格も境遇も異質だろうとは思う。でもこの人たちが公的に「人権」「平和」などの旗標を掲げながら、同時に、国家主義者・右翼であると自認し、右派雑誌では民族差別や戦争を煽る主張を展開する佐藤優氏を他のどの執筆者よりも優先して重用しつづける姿勢、そしてその姿勢を批判する金光翔さんに対する徹底した迫害(岩波書店のそのような姿勢が厳しく批判されるのは当然であろう!もし批判も異論も出なかったとしたら、日本社会は文学も哲学も思想も根を涸らし、ますます無残な状況になるしかないだろう。岩波書店の行動・態度は人が正確にものを見る力、深く思考する力などを奪おうとしていることに他ならないのだから。)を見ると、漱石の上述の文章が思い浮かんでくることは事実である。驚き呆れ、落胆し、腹を立てながらも、自分も心しなければとしばしば痛感させられる。
2011.04.17 Sun l 言論・表現の自由 l コメント (0) トラックバック (0) l top
片山貴夫氏は4月11日付で、「メモ14 外ではパワーハラスメントを弾劾する一方で、内ではパワーハラスメントを行なっている岩波労組委員長]という記事をアップされている。

この記事によると、2009年10月23日、当時、岩波書店労働組合委員長であった渡辺尚人氏はパワーハラスメントが問題になっていた「判例タイムズ争議」に参加し、そこでパワハラを告発する側に立って連帯の言葉を述べていたとのことである。

出版情報関連ユニオンのホームページより、当日の渡辺氏の発言関連部分を引用させていただく。(「対策会議ニュース[2009.11.6 No.11]」)(太字による強調は引用者による)

「10月23日午後5時40分,麹町の判例タイムズ社前には,17単組・分会から100名を超える支援の仲間が集まり,判例タイムズ社前の歩道をうめつくした。」「岩波労組の渡辺委員長が,会社にはまっとうな対応を期待するとの言葉を添え,気持ちのこもったシュプレヒコール。力強い復唱に,帰宅途中の人々の注目を集め,宣伝行動は締めくくられた。」「これまで会社勤めをしてきた経験のなかには,パワハラの疑いがあるものが幾つかあったように思えますから,パワハラは意外と身近なものだと言えそうです。しかし,判例タイムズ社で行われたパワハラの数々は決定的なものでした。」「判例タイムズ社は悪質なパワーハラスメント行為があったことを認めてお二人に謝罪し,早急に問題の解決をはかってください。」[岩波書店労働組合委員長/渡辺尚人] 」

片山貴夫氏は「一方で、渡辺委員長率いる岩波書店労組による金光翔(キム・ガンサン)さんへのパワハラが、延々と継続されていたわけです。渡辺委員長にとっても「パワハラは意外と身近なもの」であったわけです。」と皮肉を籠めて述べているが、2009年といえば、その翌年にかけて、金光翔氏への岩波書店労働組合によるイジメ攻撃が、「私にも話させて」「首都圏労働組合特設ブログ」の関連記事を読んでいて空恐ろしくなるほど凄まじい時期であったはず。渡辺尚人氏は、まさに「外ではパワーハラスメントを弾劾する一方で、内ではパワーハラスメントを行なっている岩波労組委員長」だったのだ。岩波書店は労使ともに皆さん特別に二枚舌が得意のようだ。「世界」編集長の岡本厚氏も同年の2009年に自身の行動はさておいて、「週刊金曜日」が募っている旅行添乗員解雇に反対する抗議文に署名していられる。この点、佐藤優氏の行動様式とよく似ているから、お互い気が合うのだろう。これでは、金光翔さんのようにできるかぎり論理的に、正確に思考しようとする姿勢の人物のことなど理解の外にあるのも無理はないのかも知れない。

今回、岩波書店が「ユニオンショップ制の労働協約があるので「解雇せざるをえない」」という理由をもって金さんに解雇通告を行なったということは、岩波書店労働組合が金光翔さんの「除名」を決めたことが前提条件になっているわけである。何年も前に脱退届を提出している社員に対し、今になって「除名」を言い渡すという行為も常軌を逸していて気味が悪いが、しかもこの解雇は前回の記事に書いたように、対象の労働者が別の組合に加盟している以上、不可能なのだ。そのことはネットで最高裁の判例を見てみて、2007年の東芝の例などであらためて確認することができた。

そのくらいのことは、岩波書店上層部といい、岩波書店労働組合といい、当然承知のことだろうに、このようになりふり構わぬかたちで金光翔さんに解雇攻撃をしてくるのはなぜなのか。一人の個人を集団が束になって不当に苦しめ、自分たちも恥晒しをするだけではないかと思え、私などにはまるで理解しがたいのだが、ただし、組合による除名→会社による解雇通告という構図を見ると、もう岩波書店労働組合も会社と同罪とみていいように思われる。経営者とは違う、労組だという理由での配慮はここまでくると不要だろう。おかしいと思われる点は遠慮なく指摘させてもらうことにする。

渡辺尚人氏が余所の争議の支援に行って「判例タイムズ社は悪質なパワーハラスメント行為があったことを認めてお二人に謝罪し,早急に問題の解決をはかってください。」などと立派なことを述べていたちょうどその時期、その渡辺委員長を初めとする岩波書店労働組合執行部および組合員が集団で金光翔さんにどのような性質のイジメ、嫌がらせを行なっていたかについて少し振り返ってみたい。組織のなかの人間というものの探求の一つの学習材料にもなるかも知れない。(?)


金光翔さんは、ブログ「私にも話させて」における2010年6月5日付の「マスコミ界隈の在日朝鮮人と日本人リベラル・左派の「共生」、または共犯関係(下)」というタイトルの記事で、下記のように書いている。

「「執行委員会(委員長:渡辺尚人)は、私について、以下のような組合員の発言が掲載された「アンケート文書」を昨年10月1日に、全社中に配布している。

「組合費を払わず、組合に敵対する行動をしている人は、除名すべきです。そのような人に、春闘・秋年闘の果実である一時金を与えるのは、公平を欠きます。」 」

上の文章が金光翔さんにあてつけたものであることは下記に金さんが述べるごとく明らかだろう。この時点で「昨年10月1日」ということは、「2009年10月1日」ということである。渡辺尚人氏が「判例タイムズ争議」で当該会社を糾弾していたのは上述したように「2009年10月23日」である。まさに同時期である。「アンケート文書」の内容とともにそれを無批判に掲載して会社中に配布した組合執行部を金光翔さんは同じ記事中で次のように批判し反論している。

「私の岩波書店労働組合による人権侵害への批判を、自分たちの行為については一言も触れないまま、「組合に敵対する行動」呼ばわりしている。除名しようがしまいが勝手だが、より問題なのは、「そのような人に、春闘・秋年闘の果実である一時金を与えるのは、公平を欠きます。」なる一文である。これは明白なデマである。「首都圏労働組合特設ブログ」でも何度も書いてきているように、首都圏労働組合は、岩波書店労働組合とは別途、春闘・秋年闘の一時金を要求しているのであるから、事実としても完全に間違っている。また、さらに笑うべきことに、春闘・秋年闘の結果として支払われる一時金は、組合員ではない部課長にも、全く同様に(組合員と同基準で)支払われるのであるから、この書き手の論理に従えば、私の件とは無関係にそもそも「公平」を欠いている状態ではない。支離滅裂である。

岩波書店労働組合執行委員会にとって、この書き手の記述がデマであり、悪質な私への中傷であることは認識できていたはずである(岩波書店労働組合執行委員会は、以前、「首都圏労働組合特設ブログ」を読んでいる旨を私に表明している)。にもかかわらず、執行委員会は、あたかも私が岩波書店労働組合の活動にタダ乗りしているかのように描く、デマであることが明らかな特定個人に関する中傷記事を、全社中に配布しているのである。当然であるが、仮にそれがアンケートの発言であったとしても、執行委員会は掲載・配布責任を有する。 」

繰り返しになるが、渡辺尚人氏は2009年10月という同年同月に社外ではパワハラを指弾し、社内ではパワハラを容認・推進するという相反する役目を遂行していたことになるのである。二枚舌もここまでくれば立派といいたいくらいだが、やはりそうは言えない。醜悪だと思う。また問題の本質とはあまり関係ないことだろうが、「そのような人に、春闘・秋年闘の果実である一時金を与えるのは、公平を欠きます。」という主張の書き手が使用している「果実」という言葉は、このようなケチくさい狭量な内容の文章には相応しくないと感じる。「果実」という可憐なおもむきの言葉が可哀想に思える。翌年、2010年の同労組の金さんへの人権侵害はさらに露骨になっていくのだが、長くなるので次回に譲る。
2011.04.15 Fri l 言論・表現の自由 l コメント (0) トラックバック (0) l top
先ほど、岩波書店に下記のメールをお送りしました。



4月11日

岩波書店
代表取締役社長 山口昭男 様
役員各位

前略にて失礼いたします。
貴社はこの度社員の金光翔氏に「ユニオンショップ制の労働協約があるので「解雇せざるをえない」」という理由により金氏への解雇通告を行なった、と4月9日付の片山貴夫氏のブログに記されています。この件に関して当事者である金氏への確認を私自身はまだとれていませんが、これまでの経緯から推測するにこの解雇通告の存在は事実ではないかと思われ、危惧しています。そこでこの件が事実であると想定しての私見を以下に書かせていただきます。

私は「首都圏労働組合特設ブログ」掲載の記事はほとんど欠かさずに読んでいるつもりの者ですが、金氏が岩波書店労働組合に脱退の意志を伝えてから、もうかれこれ4、5年は経過している、組合にはとうの昔に脱退届も提出済みと理解しています。組合はその後も「脱退は認めない。組合費を払え」という執拗な催促を行なってきたようですが、それに対して金氏は一切応じることなく、自らの意志で社外のご友人とともに「首都圏労働組合」を結成し、独自の組合活動を行なってきたはずです。

前述の片山氏は、「ユニオンショップ制は、これまでも、執行部の路線に反対する組合員を職場から排除する為に悪用されてきました。」と当該記事において述べています。残念ながら、私は「ユニオンショップ制」という制度についてまるで知識がありませんので、本日、在住地域の労働基準監督署に電話をかけて、事の経過と現在の実情を話し(御社および金氏の名前は出していません。)、一般論としてこのような解雇が成立することがありえるのかどうかを尋ねてみました。電話に出られた人は、自分はそもそもユニオンショップ制というものが、何らかのかたちで労働者を解雇する、しないの理由に用いられたという話は一度も聞いたことがない。だから判例もまったく知らないということで、これは「○○○(メール文では実名。以下同様)労働センター」という所に訊いたほうがいいと言われ、電話番号を教えられました。電話だけの印象ではありますが、労基署の人が意外な話を聞いた、驚いたという雰囲気だったことは確かであったと思います。

○○○労働センターに電話をかけますと、幸いこういう問題の担当であるという人に出ていただくことができ、労基署に話した内容をそのまま繰り返して話し、このような環境下で「ユニオンショップ制の労働協約があるので「解雇せざるをえない」」という理由による労働者の解雇ができるものかどうかを訊きますと、いともあっさりと「出来ません。」と言われました。日本の法律(労働組合法)では、たとえユニオンショップ制の労働協約があろうとも、対象の労働者がすでに別の組合に加盟している場合はその時点で労働者の権利保護が優先されると定められているので、ですから「解雇は無理ですね。」とのことでした。曖昧なところのまったくない明解な説明を受けましたが、この説明は私たち一般市民の常識とも完全に合致しています。どんな酷い御用組合であろうとユニオンショップ制の存在により組合脱退は不可能、どうしても脱退すると主張すれば即クビ、というのでは私たちはオチオチ生きてもいられません。実際御社が使っていられる解雇に関するこのたびの理屈は私たち一般市民の安らかな社会生活や生存の権利を脅かす暴力に他ならないのではないでしょうか。

実を言えば、このように労基署などへの質問を急ぐのも、これまでの御社や岩波書店労働組合の遣り方から見て、少し油断していると、金氏にどんな仕打ちをしてくるか分からないという危惧を感じるからです。突然、会社への入門を阻止する、出勤しても机がなくなっている、そこまで行かなくても仕事を一切回さない、などの陰湿な暴力を振るう、言葉は悪いですが、「ゴロツキ」のようなことをする会社もあると聞きます。一人、金氏のためだけではなく、御社の名誉のためにも、また読者のためにも、決してそのような卑劣な振る舞いをなさいませぬよう、お願いいたします。

そもそもこの問題の本質は、片山貴夫氏が明確に指摘しているように、

「“平和と人権を尊重する”ことを社会に向けて掲げている岩波書店が、メディアで排外主義・国家主義そのものの主張を公然と行っている論客・佐藤優を厚遇して使っていることに対する、金さんの(当然の)批判を、岩波書店が労使一体となってリンチそのものの弾圧を行っていることです。貴重な内部告発者に御用組合が会社といっしょになってイジメを行っているのです。」

というところにあると私も考えています。3月11日以降、佐藤優氏がネットの【佐藤優の眼光紙背】で主張している「国家翼賛体制の確立を!」「大和魂で菅直人首相を支えよ」「福島原発に関する報道協定を結べ」「頑張れ東京電力!」などの各記事を御社はどのように見ていられるでしょうか。あれでも、金氏の「<佐藤優現象>批判」に問題があったとお考えでしょうか。ぜひとも熟考を重ね、「解雇通告」を取り消し、金氏に謝罪してくださるよう要請いたします。

なおこのメール文は、拙ブログ「横板に雨垂れ」に掲載することをおことわりしておきます。 」
2011.04.11 Mon l 言論・表現の自由 l コメント (0) トラックバック (0) l top
このエントリー(以下の全文)は昨日(4月9日)片山貴夫さんのブログに掲載された記事の転載です。ぜひご一読いただければと思います。

    ………………………………………………………………………………

2011.04/09 [Sat]

急報 岩波書店が金光翔さんに「解雇せざるをえない」と通告

 岩波書店労組は、金光翔(キム・ガンサン)さんの「除名」を愚かしくも決め(金さんは以前から脱退の意思を表明していたのに!)、岩波書店は、(岩波書店労組との)ユニオンショップ制の労働協約があるので「解雇せざるをえない」と、金さんに通告してきました。

 ユニオンショップ制は、これまでも、執行部の路線に反対する組合員を職場から排除する為に悪用されてきました。
 金さんの所属する首都圏労働組合が、岩波書店の職場に1人しか組合員のいない労働組合であっても、その団結権は、何者によっても否定することのできない権利です。ユニオンショップ制もしくはそれに類する労働協約が、岩波書店労働組合と岩波書店との間に締結されていたとしても、それに基づいて金さんを解雇する義務も権利も、岩波書店側には無いのです。金さんに対して「解雇せざるをえない」との通告書類を送ってきたことは、きわめて不当なことであり、絶対に許されることではありません(なお、使用者との関係において、労働組合であるか否かという資格の問題は、労働組合が労働者自身によって自主的に運営されているということだけが必要なのであって、使用者の側には、労働組合としての資格審査の「資料」の提出を求める権利はありません)。

 そもそも問題の本質は、“平和と人権を尊重する”ことを社会に向けて掲げている岩波書店が、メディアで排外主義・国家主義そのものの主張を公然と行っている論客・佐藤優を厚遇して使っていることに対する、金さんの(当然の)批判を、岩波書店が労使一体となってリンチそのものの弾圧を行っていることです。貴重な内部告発者に御用組合が会社といっしょになってイジメを行っているのです。
 しかも、岩波書店労組は出版労連に加盟している(共産党員が指導部に居る)“左派”的労組です―それにも関らず、こういう卑劣なことをしているのです!―[岩波書店などの出版・メディア業界の問題だけに限らず]私は、(今の)日本のこれほどまでひどい現状には、[体制側からの改憲攻撃だけでなく]日本左翼の底知れぬ堕落と腐敗も大いに関係していると思っています。

 岩波書店に強く抗議するとともに、私たちの仲間である金さんに「解雇」および一切の不利益な処分を行うことのないように強く要求します。

 岩波書店に抗議の声を集中させましょう!


電話
岩波書店総務部(03-5210-4145)

メール
voice@iwanami.co.jp
「愛読者の声」http://www.iwanami.co.jp/aidoku/form1.html

あと、
岩波書店のツイッター( http://twitter.com/Iwanamishoten )に公表されているメールにも送れるのではないでしょうか。
twitter_ad@iwanami.co.jp



追記:日本の「リベラル」、「左翼」の内的崩壊が、韓国では知られ始めているようです。

日本‘リベラル’にだまされるな、もっと危険だ

ハンギョレ・サランバン、2011年04月03日
http://blog.livedoor.jp/hangyoreh/archives/1456224.html

「徐教授は去る20年余りの間、日本リベラル知識人たちは思想的にどこまでも崩れ落ちてきたと見る。それが日本の悲劇だ。中間を自任するリベラルは右派の超党派的国粋主義や攻撃的国家主義を拒否するが、彼らと同じ日本‘国民’として享有する既得権に執着しつつ、自己中心的‘国民主義’へと崩れ落ちていった。この国民主義はある局面では右派の国粋・国家主義と対立関係を形成するが、植民支配を通じた略奪と労働搾取を通じて蓄積された日本国民の潤沢な経済生活や文化生活、すなわち 日本国民として享有する自分たちの既得権が外部の他者(または、内部の他者である在日外国人、すなわち‘非国民’)から脅威を受けていると感じる瞬間に右派との補完関係、共犯関係に切り替わる。その時、リベラルの多数はいつも両非難論を前面に出し傍観的で冷笑的な態度で一貫する。それが去る数十年間にわたり日本右派の台頭を決定的に助けてきた。外部の人々の目にはこのことがよく見えない。 そのためにはっきり見える右派よりリベラルの方がはるかに危険なこともあると徐教授は語る。」
2011.04.10 Sun l 言論・表現の自由 l コメント (0) トラックバック (0) l top
明日10日の都知事選は、朝日新聞から産経新聞までどのメディアにおいても、依然として現職の石原慎太郎知事の優勢が伝えられている。これはほとんど電話調査によるもののようだが、予想としてはまぁそうなのだろう(自分でも意味不明の言い方だが)。ただ、今回は過去のような「石原慎太郎圧勝の勢い」というわけでもなさそうである。これは当たり前のことであって、毎度お馴染みの「後出しジャンケン」で出馬表明した挙句、大震災後にあれだけ知性・品性の欠片もない暴言・妄言を連発したのだから、これで石原圧勝では都民の民度が深刻に疑われるだろう。ただ、時事通信の記事によると、

「 時事通信社が行った東京都知事選の世論調査では、3期12年の石原都政に対し、一定の評価を与えた有権者は72.5%に上った。具体的には、「評価する」と答えた人が23.2%、「どちらかといえば評価する」が49.3%。一方、「評価しない」は、「どちらかといえば評価しない」と合わせて24.8%だった。 」

とのことである。……沈黙…。さて東国原英夫候補は石原知事を非常に尊敬していると公言していることだし、「強い東京、優しい東京」などというちょっと耳触りがいいだけの意味も中身もあるとは思えないキャンディーのようなコピーを披露しているのをみても、期待感はまるで湧いてこないし、新鮮味も感じない。原発に関しては現職知事と異なり、政策の転換を口にしてはいるので、毒を薄め軽さを加えた小石原というところだろうか。渡辺美樹候補は原発推進派について「違和感がある」と述べているが、この時期にこういう「違和感」という言い方を聞くと原発事故をどれだけ深刻に捉えているのだろうかと聞いているこちらのほうこそ違和感、心もとなさを覚える。「経営視点で東京の再構築を」という主張にしても具体策がどういうものなのか分からないので、さして質の高い政策提言ではないのではないかと思ってしまう。

今回時間をかけてじっくりと候補者同士の政策論争ができなかったことで一番損をしたのは小池晃候補ではないかと思う。小池氏は他の候補者同様無所属で出馬しているが、日本共産党の支援を受けているし、ご本人も日本共産党所属の人のようで、当然のこととはいえ、「反石原」の姿勢が明確である。掲げている政策を見ると、①脱原発、②福祉施策の復活・転換 ③漫画やアニメの販売を規制する「東京都青少年健全育成条例」の廃止、などを公言している。石原、東国原、渡辺の諸氏と比べて、これらの政策は私たち一般庶民にとってもっとも利益になる、もっとも生活の安心・安全につながるのではないかと思う。私はこれまで日本共産党に投票したことはないのだが、もし私が都民だったなら今回は小池氏に投票するだろうと思う。日本共産党が東電に対し福島の原発の危険性をずっと以前から厳密に指摘・忠告していたことに対する敬意を表する気持ちもあるし、石原慎太郎を落選させたい気持ちもつよい。それにしても、石原慎太郎の冷酷さには汲めども尽きぬものがあることを今回またしても知らされた。小池候補は、

「石原知事は「何がぜいたくかといえばまず福祉」と言って、多くの福祉施策を冷酷に切り捨てました。私は「何が大切かといえばまず福祉」という都政に転換します。」

と述べている。何と石原知事は「何がぜいたくかといえばまず福祉」と言ったことがあるのだそうである。ウィキペディアで調べてみると1999年『文藝春秋』誌上での発言のようで、次のように記述されていた。

「何が贅沢かといえば、まず福祉」(『文藝春秋』1999年7月号)の主張に基づき、石原都知事主導で「福祉改革」(社会保障費の削減・合理化)が行われた。1999年から2004年までに以下の政策により福祉予算を661億円削減した。
 ・シルバーパス(敬老パス)の全面有料化
 ・寝たきり高齢者への老人福祉手当の段階的廃止
 ・障害者医療費助成の対象を縮小
 ・特別養護老人ホームへの補助を4年間で181億円(85%)削減
 ・難病医療費助成の対象から慢性肝炎を除外
 ・盲導犬の飼育代、盲ろう者のための通訳者養成講座の廃止 」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E6%85%8E%E5%A4%AA%E9%83%8E

「何がぜいたくかといえばまず福祉」という言葉は、病気になっても大病院の特等室に何ヶ月でも何年でも余裕で入院できるとか、失業を含めた暮らしの不安など一度たりとも味わったこともないという、ほんの一部の特権階級にいる人物、しかも自分のその特権を当然視し、その座に胡坐をかいている人物からしかまず出ない言葉だろう。まして政治家は数多くの多様な特性をもった人間に対応し、個性・特徴の異なる一人ひとりの人間を平等に取り扱い、個人の生存や生活の安全を保障していく仕事を担う。石原慎太郎のような人は政治家になど決してなってはならない人間、なってしまえば貧しい人間や病者や老人を初めとした社会的弱者にとっては迷惑千万でしかない人間だとつくづく思う。しかし、政界を見回すともう長きにわたってこういうタチの人間こそが政治家になりたがり、実際なってしまって大きな顔をしているというのが日本の政治土壌なのだ。今や権力を握りたい、権力を使って他人の上に立ち、それを存分に振り回したいという欲望が根拠のない自信と相まって野放しにされているのではないか。財界や官界にも同じことが言えるように思うが、今回の原発事故の発生、事故後の対処方法、(石原知事をはじめとした)事故をめぐる政治家の無責任な放言かつ自分勝手な言動にもその傾向が顕著に見えるように思われる。石原都知事に話題を戻すと、彼は平気で嘘をつく人でもある。それも決して笑ってすませられるという他愛のない嘘ではない。(自分への)批判を逸らしたり免れるための嘘、あるいは自分の責任を他人に転嫁するための嘘なのである。もっとも有名なのが、2001年の下記の発言であった。

「これは僕がいっているんじゃなくて、松井孝典(東大教授)がいっているんだけど、“文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババア”なんだそうだ。“女性が生殖能力を失っても生きてるってのは、無駄で罪です”って。」『週刊女性』2001年11月6日号)

これは、実は石原都知事が松井孝典氏の発言を逆の意味にねじ曲げて捏造したものであることは、松井氏はじめ多くの人が証言している。この発言が女性差別であり、女性を冒涜するものであることははっきりしているが、松井氏の人格と学者としての権威を傷つけるものでもある。逆の立場だったなら、おそらく「発言を捏造され、利用された」といってカンカンになって怒っただろう行為を、他人には平気でやるのが石原慎太郎という人物だと思うしかない。

大震災以降も、発言に嘘が多いことは変わらない。毎日新聞によると、3月14日に蓮舫節電啓発担当相から節電への協力要請を東京都内で受けた後、記者陣に対し、東日本大震災に関連して「我欲に縛られ政治もポピュリズムでやっている。それが一気に押し流されて、この津波をうまく利用してだね、我欲を一回洗い落とす必要がある。積年たまった日本人の心のあかをね。これはやっぱり天罰だと思う。被災者の方々、かわいそうですよ」と、その後よく知られることになる発言をしたが、その後、アッという間にこの「天罰」発言が世間に広まり、批判にさらされる事態になると、その夕方、都庁で行った記者会見は、

「「『被災された方には非常に耳障りな言葉に聞こえるかも』と(前置きで)言ったんじゃないですか」などと釈明したが、実際には発言していない。」
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110315k0000m040043000c.html

ということなのだ。石原都知事は自ら口にした「天罰」が問題になると、「『被災された方には非常に耳障りな言葉に聞こえるかも』と(前置きで)言った」ではないかと、記者会見の場で急きょ「前置き」(嘘)を創作し、それを昼間「言った」ことにして批判から逃れようとしているのだ。これは恥ずかしい。

3月29日には、記者会見で、やはり東日本大震災に関連して、下記の発言をしている。

「「桜が咲いたからといって、一杯飲んで歓談するような状況じゃない」と述べ、被災者に配慮して今春の花見は自粛すべきだとの考えを示した。
「今ごろ、花見じゃない。同胞の痛みを分かち合うことで初めて連帯感が出来てくる」と指摘。さらに「(太平洋)戦争の時はみんな自分を抑え、こらえた。戦には敗れたが、あの時の日本人の連帯感は美しい」とも語った。」(時事通信)

花見をするかどうかは完全に個人の判断の範疇にあることだ。都知事ごときに「自粛すべき」などと命令や指示を受けるいわれは毛頭ない。石原知事は他人に花見の自粛を呼びかけるより、少しは自分の心ない発言を自粛するよう自分自身に呼びかけたらよい。

「同胞の痛みを分かち合うことで初めて連帯感が出来てくる」という発言だが、この場合の「同胞」とは東日本大震災の被害に遭い、今も苦難のなかにいる人々のことだろう。石原都知事に「痛みを分かち合う」心情があるのなら、どうして「私は原発推進派です、今でも」などの言葉が出るだろう。しかもわざわざ被災地の福島まで出かけて行って発言しているのだ。これは被災者の傷口に大量に塩をすり込む暴力行為ではないのか。

さらに、「(太平洋)戦争の時はみんな自分を抑え、こらえた。戦には敗れたが、あの時の日本人の連帯感は美しい」という発言にいたっては、内心、思わず「嘘をつけ!」と言ってしまった。この人は、若いころ、雑誌の対談などで何度も「自分には戦争の記憶はほとんどない。」と述べているのだ。1932年生まれという世代からすると、敗戦時は中学生のはずだから「記憶がない」というのは不自然だ。しかし、兄弟二人のために親がヨットを買ってやるほどに家は裕福、物資も豊富にあったようだから、空腹には無縁。それでようやく戦争の記憶のないのも肯ける。

「戦争の時はみんな自分を抑え、こらえた。」というが、抑え、こらえる以外にしかたがなかっただけではないのだろうか。抑え、こらえなければ「非国民」として指弾・差別されるか、監獄行き。「あの時の日本人の連帯感は美しい」などというが、戦争の記憶がないという人間にどうして戦時中の日本人に連帯感があったと証言できるのだろう。私は戦争中、日本人の間に連帯感があったという説を聞いた記憶はまずない。権力に従順であったことは間違いないだろうが、石原都知事のいう戦争中の日本人の「美しい連帯感」はどこに、どのようなかたちで存在したのだろう。また石原知事はそれをいつ、どこで知ったのだろう。

昔、もう半世紀も前に、中野重治は「石原慎太郎がジャーナリズムになぶり殺しにされてゆくのを見るにしのびない、というような発言をしていた(新日本文学)」(平野謙『文藝時評 上』(河出文藝選書1978年)。初出・1956年5月)そうだが、私は別のところで同じ中野重治の「マスメディアは石原慎太郎をとり殺す気か」という発言を見た記憶もある。差別発言を初めとした暴言の類ばかりが聞こえてくる石原都知事を見ると、中野重治のそれらの言葉が思い出される。
2011.04.09 Sat l 石原慎太郎 l コメント (3) トラックバック (0) l top
石原慎太郎東京都知事は、3月25日、福島県災害対策本部を訪れ、佐藤雄平福島県知事と会談した後、報道陣に「私は原発推進論者です、今でも。日本のような資源のない国で原発を欠かしてしまったら経済は立っていかないと思う」と発言している。
http://www.gaylife.co.jp/?p=1775 (太字による強調はすべて引用者による)

この懲りない発言を私は無責任・自分勝手・軽率であると思うと同時に狂気じみているとも感じる。人が安全に生存する上での基本中の基本である大気、土壌、水は福島第一原発事故によってすでに汚染された状態である。汚染水の海への廃棄も当然のことながら、近隣諸国の怒りを呼んでいる。海外における日本の評価は今後より厳しくなるだろう。しかもいまだに事故収束の目途は立っていない。これからさらに汚染が拡大する危険も依然として消えていないのだ。もしかすると、半永久的に立ち入ることのできない地域が国土の一角にできることになるかも知れない、それも広大な範囲で、とふと思ったりして、虚しさの混じったつよい危惧を感じる瞬間があるのだが、こういう不安・葛藤を市民の誰でもが心中それぞれのかたちでだいているのはおそらく間違いないことだろう。そういう時の上述の石原都知事発言である。

石原都知事のように(与謝野・海江田などの政府閣僚もそうだが)、これまで強力に原発を推進してきて、この期に及んでなお「私は原発推進論者です、今でも。」というような発言をする政治家は、その際、同時に、これまで国内で発生した原発事故に対して推進派である自身がどのような改善策を提示し安全性への有効な援助をしてきたのか、また福島第一原発(新潟刈羽原発や静岡県の浜岡原発も同様)の深刻な危険性についてこれまで専門家や市民などから提示されてきた数多くの指摘・忠告にどのようなかたちで、どの程度、真剣な対応・取り組みをしてきたのかを詳細に説明してほしいと思う。そのような実態、実情について私などは何も知らない。報道陣も都知事の主張を黙って聞いているだけでは能がない。このような疑問を政治家たる者が有している責任問題として追求し、問いただすべきだろう。石原都知事は「資源のない国で原発を欠かしてしまったら経済は立っていかないと思う。」とも発言しているが、さまざまなエネルギー政策の手法を提示した上で「立っていく」と主張している専門家も幾らでもいるのだから、こういう発言をするに際しては必ず論拠を示した上で述べるのが常識だと覆う。

最悪の場合には日本の土地も人間も破滅させかねない、その上近隣諸国の空や海にまで放射能をまき散らすという犯罪的事故を発生させているのだから、政治家の責任はこれまで原発を推進してきたさまざまな勢力のなかでも東電とともに断トツに大きいのだ。その自覚がこの人には皆無のように思える。今なお「原発推進論者」であると表明するのなら、まず、今述べたように事故発生までの原発に関する自分の言動・行動が知事としての責任を伴ったものであったことを明確に説明し、次に、今後二度と重大な原発事故が発生することはないという科学的・合理的根拠を聞く者が心底納得いくまで説明すべきであろう。なぜなら、この問題は私たち市民の生命と生活を根底から左右し、揺るがす重大事だからである。それをしないで、「私は原発推進論者です、今でも。」とこともなく述べられたのでは、徹底的に自省力を欠いた人間の無責任な放言としか感じ取れない。

もっとも私はそのような責任ある態度を石原慎太郎という人物がとれるとは情けないことだがとうてい思えない。というのも、2000年4月26日に日本原子力産業会議(現日本原子力産業協会)の講演で石原都知事は下記のように発言している。

「私は、完璧な管理が行われるのであれば、東京湾に立派な原子力発電所を作ってもよいと思います。 /
日本にはそれだけの管理能力がある、技術があると思っております。また、その技術が改善されていく余地があると思っております。それくらい冷静な認識を持たないと、何でも反対ということでは禍根を残すこととなります。

石原都知事の「東京湾に原子力発電所を作ってもよい」という発言はこのときだけのことではなく、講演やテレビなどで昨年まで何度も同じ発言を繰り返しているのだが、「日本にはそれだけの管理能力がある、技術がある」「その技術が改善されていく余地がある」という彼の発言がまったくいい加減なものだったことは、今回完膚なきまでに証明されてしまった。日本には管理能力がある、技術がある、その技術はさらに改善される余地がある、そしてそのような見方こそが「冷静な認識」である、と首都の長として公言してきたこととこの悲惨な現実のギャップに対する感慨(?)は如何なのだろう?

ちなみに、石原慎太郎が原発安全論を盛んに語っていたちょうどその頃、音楽家の坂本龍一が自身の父親について対談でこんな話をしているので引用しておく。

「うちの父がいま80歳です。「どうしてこんなになっちゃったんだろう」というんですよ。「日本人ってどうしてこんなになっちゃったんだろう」って。原発で人為的な事故が起こったでしょう。しかも誰もきちんと責任をとらない。ぼくにポロっと言ったことがありますよ。「日本人は、こういうことだけはやらなかったのにな」って。」 「もう生きていたくないという気持ちもあるでしょうね。見たくないっていう。」(「反定義 新たな想像力へ」辺見庸×坂本龍一(朝日新聞社2002年))

石原知事より、坂本龍一のお父さんの方が比べるのもはばかられるほど正確に現実を見据えていたと私は思う。また石原知事は今回の事故を惹起した東京電力に対し「蹴飛ばしたくなる」とも発言しているが、理由は異なるにしろ、誰かれに「蹴飛ばしたくなる」と言われても仕方がないのは自分も同じではないだろうか。都知事のこの発言に対して「石原節は健在だった」と書いた新聞記者もいたが、おもねっているのか、能天気なのか、情けなさすぎると思う。かりにも新聞記者ならば、石原慎太郎がこれまで熱烈に原発を推進してきたこと、東京湾に作ってもいいほど日本の原発は安全だと吹聴してきたこと、さらに核武装論者でさえあることも承知しているだろうに。今年(2011年)に入ってからでも、彼は、

「ちょっと抵抗あると思うけど日本と韓国が一緒になって核兵器を持たなくてはダメ。それが一番いい。アメリカも助かりますよ」(「石原慎太郎、産経紙上で大放談」2011.01.03)

と平然と核武装論を唱えている。福島第一原発事故発生後の「天罰」発言や「今でも自分は原発推進論者」という発言をこの「核武装論」や前述の「原発安全論」と照合・勘案して考えてみると、石原慎太郎が東京電力を「蹴飛ばしたくなる」のは、これまで率先して原発安全神話を振りまいてきた自分のメンツが今回の事故で傷ついたこと、また永年の夢(?)である日本の核武装が当面遠のいたと思わざるをえないことなどへの苛立ちのせいではないかという気もする。いずれにせよ、東日本大震災後のこの人の発言には、一つとして強烈な違和感を覚えさせないものはないように思えるのだが、それが被災者や被災地の農・漁業を営む人々が蒙っているさまざまな苦難や市民一人ひとりの生活の安全などより、「原発」「核武装」への自己の執着の方が大事という石原慎太郎個人の「我欲」によるものでなければ幸いである。
2011.04.08 Fri l 石原慎太郎 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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4月10日の統一地方選挙だが、東京都知事選は事前の情勢調査によると、当選すれば四期目になる石原慎太郎の優勢が伝えられている。一体なぜ? 自分たちにとってどんなよい政策が石原都政の12年間にあったのか、東京都在住の人は投票前にもう一度振り返り、静かに考えてみてもいいのではないだろうか。よかったことは、ディーゼル車の排ガス規制に取り組んだこと? カラスを退治してくれたこと? しかしどんな無策の知事だって、人間であるかぎり、よくよく検討してみれば一つや二つよい政策も行なっているのが普通だろう。石原慎太郎を実行力があると評価する人もいるが、実行してはまずいことを実行したり、無駄なこと、無理なことに懸命に力を注ぎ多額の税金をドブに捨てるような結果を招いたりしたのでは、それを「実行力がある」といって称賛はできないだろう。石原慎太郎の政策とはまさしくそのようなものだったのではないだろうか。

東京への五輪招致にしても、2012年は中国での五輪から間もないのだから、同じアジアの地である日本で開催することは初めからまったく勝算の見込みのないだろうこと、それなのに大金を使って大騒ぎしているということは落選前からスポーツ関係者を初め多くの人が感じ取っていたことである。スポーツジャーナリストの谷口源太郎氏も、早くから「東京でオリンピックが開催される現実性はない」と断言していた。(「日刊ゲンダイ」2007年3月8日)(以下、太字による強調はすべて引用者による)

「石原知事は2016年の五輪に名乗りを上げています。しかし、08年の北京五輪のあと、12年のロンドン大会を挟んだ8年後に同じアジアで開催されることは慣例でありえない。そんなことは関係者の間では常識です。しかも、2016年は12年五輪の選考で惨敗した米国が総力を挙げて招致活動してくるし、5大陸でまだ開催されていない南米が隠れた大本命です。
 だいたい、アジア蔑視発言を続ける石原知事では、中国などのアジア諸国が猛烈に反対する。東京が選ばれる余地はない。JOC(日本オリンピック委員会)の本命も2016年ではなく20年招致です。」


   

上記の谷口氏からも石原慎太郎の「アジア蔑視発言」の悪影響という批判が出ているが、当然のことと思う。また、「石原コンクリート都政の問題点を明らかにしたシンポジウム」(2010年02月15日開催)で山口義行・立教大学教授は新銀行東京の問題について論じているが、まず、石原慎太郎という人物のキーワードとして、「徹底したウケ狙い」、「無理を押し通すための無駄」、「責任のなすりつけ」の3点を挙げているが、五輪招致の問題もさることながら、「銀新行東京の問題にこそ、その体質があからさまに出ていると思われる。山口義行氏の発言の要旨が出ているので以下に引用させていただく。

「 新銀行東京はウケ狙いで始まった。金融機関の貸し渋りから中小企業を救済するという名目を支持した人々も少なくなかったが、新銀行東京の参入時は貸し渋りが一段落し、金融機関が貸し出し競争を再開した時期であった。そのために中小企業の資金需要は乏しかったが、新銀行東京は無理をしてでも業績を伸ばそうとし、資産を食い潰していった。
 そして破綻が明白になった後は責任のなすりつけである。偉そうなことを言っている人が責任をとらないことは教育上悪影響を及ぼす。今では新銀行東京から借り入れると、他の金融機関が見放した倒産寸前の会社と思われてしまうと中小企業経営者層から敬遠されている。
 新銀行東京は2009年度中間決算で初の黒字になったが、そのカラクリも明らかにした。融資先の倒産に備えて積み立てた「貸倒引当金」を取り崩した見かけだけの黒字である。一日も早く整理することが必要と指摘した。 」

2008年3月7日の都知事定例会見では、新銀行東京創設者としての責任について訊かれ「私が最初から社長ならもっと大きな銀行にしていた」、旧経営陣については「聞く耳を持たぬ唯我独尊という姿勢ではだめだ」とのこと。何が起きようと自分は決して悪くない。悪いのはすべて他人の無能力であり不徳であるという一念は、今回の東日本大震災で大きな批判を浴びた「天罰」発言にも通じるものであり、根っこは同一なのだ。石原慎太郎につける薬は今となってはもうそうそう見つからないだろう。

新銀行東京の問題は最近メディア上で以前ほどは取り上げられなくなった。上記のように「2009年度中間決算で初の黒字になった」からだと思われるが、上記の山口氏の説明によると、これは誰しも合点のいく説明だと思うが、「積み立てた「貸倒引当金」を取り崩した見かけだけの黒字」ということである。その他に、築地市場の豊洲地区への移転問題もある。土壌や地下水が有害物質で高濃度に汚染された旧東京ガス跡地であることに加え、今回の震災の影響で移転予定地は液状化に見舞われているという。東京新聞「こちら特報部」(2011年3月17日)に、「築地移転先、地震で弱点露呈 豊洲が液状化」と題された記事から一部を引用する。

「 都は市場移転を進めるに当たり、土壌汚染対策工事を行う予定だ。深さ2メートルの土をきれいな土と入れ替え、その上に厚さ2.5メートルの土を盛り、アスファルト舗装をするというものだ。費用は586億円もかける。
 液状化対策も行うが、主に2つの工法を採用する。
 1つは、圧力をかけた砂の柱を打ち込んで固める「砂杭締め固め工法」。もうひとつは、固化材で地盤を格子状に固める「固化工法」だ。
 地表から5~10メートルの深さにある有楽町層と呼ばれる不透水層まで施す方針。都の担当者は「砂や水が不透水層の下から突き抜けて、盛り土の上まで出てくることはあり得ない」と説明する。

 しかし、豊洲の危険性を追及してきた一級建築士の水谷和子さんは、「いずれの工法も、液状化対策としては不十分」と指摘する。
 「砂杭工法は、砂が固まっている最初のうちは効果があるが、時間がたつにつれて砂は緩んでくる。固化工法は液状化を想定する不透水層の下まで施さないと効果がない。現場の土は油分を含んでいて、セメントで固める固化工法には適していない」

 元通産省地質調査所主任研究官で「日本環境学会」元副会長の坂巻幸雄氏も「豊洲は地盤が弱く、震度5程度でも液状化は起きるとみていた。首都圏直下型の地震が起きれば、こんなものではないだろう」と続ける。
 「都の液状化対策は、頭の中で考えただけの教科書的な手法。具体的な詳しい工法は明らかにされておらず、実際に地震が起きたら通用するかどうかはまったく分からない」

 不透水層までしか液状化対策をしていないことについて、坂巻氏は「都は不透水層の下の深い地点の汚染を十分に調査していない。阪神大震災では液状化で20メートル以上の深さから地下水が噴き上がった例が報告。10メートル程度の深さしか対策を施していないのでは、安心できない」と懸念する。
 水谷さんも「不透水層の下には砂の層があり、汚染物質の溶けた地下水が流れている。この砂が噴き上げてくる可能性は否定できない」。

 都が委託したコンサルタント会社がまとめた地盤解析報告書では、不透水層の有楽町層でも液状化の可能性がある地点があることを指摘する。
 水谷さんは「この報告書は2006年にまとめられていたのに、公表されたのは09年。土壌汚染対策をまとめた都の技術会議でも報告書の内容が議論された形跡はない」と、都の隠蔽体質を批判する。

 坂巻氏は福島第一原発の事故を引き合いに強調した。
 「原発の惨事は技術を過信して突き進み、起きた。あまりに自然の恐ろしさを軽視している。都は、液状化の実態を公表して、その上で豊洲の安全性についてオープンな議論をすべきだ」」(東京新聞「こちら特報部」)

築地市場の豊洲移転にまつわるこのような実態を見ていくと、上の坂巻氏が述べているように、さまざまな疑問や懸念の声に誠実に答えることなく移転を強硬しようとする石原都政が、「原発は絶対安全」と言い切って強力に原発を推進していた勢力の姿と二重写しになって見えてくる。上述したシンポジウムで日本消費者連盟の吉村英二氏は、「集荷力の向上についても、土壌汚染が発覚した豊洲には誰も出荷したがらない。営業しながらの再整備も可能である。東京都は臨海の開発に失敗し、膨大な赤字がある。築地市場の土地を売却したいだけである。」と述べているが、この見解にリアリティを感じないわけにはいかない。
2011.04.06 Wed l 石原慎太郎 l コメント (2) トラックバック (0) l top
「産経ニュース」(2011.3.31 15:00)に下記の記事が出ている。

「 宮城県は平成23年度当初予算に計上していた東北朝鮮初中級学校(仙台市太白区)への補助金162万4000円を交付しないことを決めた。北朝鮮による韓国・延坪島の砲撃事件を受けて凍結していた22年度分の152万1840円は未曾有の東日本大震災の被災地という人道的な見地から31日、交付した。」

片山貴夫さんのブログでは「宮城県は朝鮮学校への補助金を止めました。」と書かれているが、23年度分の補助金を交付しないことを決めた、ということは、事実「交付を取り止めた」「今後も交付しない」ということなのだろう。それでいて、22年度分をこれまでどおり交付したことを「東日本大震災の被災地という人道的な見地から31日、交付した。」とは、あたかも本来必要のない措置を寛大さからとってやったと言わんばかりの恩着せがましい言い回しである。これは県がそのように述べたということなのだろうが、自己欺瞞にもほどがあると思う。

朝鮮と日本の間の近代の歴史を知れば知るほどに、政府にしろ都道府県にしろ、日本は朝鮮学校の補助金を打ち切る権利など持っていない、朝鮮学校にはそのような仕打ちを受けるどのような理由もないということを痛いほど思い知らされることになる。「北朝鮮による韓国・延坪島の砲撃事件、云々」ということだが、これは方々で言われているように、韓国と米国の軍隊がそのような事態を引き起こすべく挑発したということではないのだろうか? それに北朝鮮は今回の大震災に対し懇切な見舞いの言葉とともに、義捐金も贈ってくれているし、私は今回はじめて知ったのだが、日本のこれまでの災害に対しても同様の配慮を示してくれていたとのことである。宮城県も知らないはずはないだろう。

朝鮮学校に23年度分の補助金を交付しないという宮城県の決定について、上記の片山さんのブログでは、

「宮城県は朝鮮学校への補助金を止めました。
 これは、震災に乗じて在日朝鮮人への敵視・差別を扇動する行為です。在日朝鮮人の人々が地域の住民とともに苦しんでいるときに、これは人としての感性を疑われる行為です。
 徹底弾劾しなければなりません。
 宮城県知事および宮城県当局の責任者は、不交付決定をすぐに取り消し、公式に謝罪しなさい。」

と述べられ、宮城県知事への抗議の送り先も以下のように示されている。

「 宮城県知事への抗議の送り先
   FAXの場合 022-211-2297
   宮城県総務部行政経営推進課
   知事への提案「明日のみやぎに一筆啓上!」係

  抗議メール入力フォーム
  https://www.e-tetsuzuki99.com/eap-jportal/PkgNaviDetail.do?lcd=040002&pkgSeq=31862


宮城県の村井嘉浩知事とはどういう人物なのかと思ってネットで検索してみると、この人は3月14日の石原慎太郎都知事による「やっぱり天罰だと思う」などの発言に対し、15日、

「「塗炭の苦しみを味わっている被災者がいることを常に考え、おもんぱかった発言をして頂きたい」と不快感を示した。」(産経ニュース)

とのことである。しかし、自身の行動はどうなのだ? 「塗炭の苦しみを味わっている被災者」について「常に考え」なければならないのは、石原都知事だけではなく、村井県知事も同様だろう。いや、村井氏は被災地の責任者・当事者なのだから、桁違いの考慮・配慮が求められているはずである。それにもかかわらず、被災者の苦難にさらに追い討ちをかけるこのような差別攻撃をあえてしているのだから、この件に関しての犯罪性は都知事よりはるかに重いだろう。

宮城県についてはさらに「JA7HLJ HF用ミニアンテナの試作実験 Super Rad Antenna」というブログの記事が目にとまった。こちらにも目を疑うような内容の記事が載っている。宮城県は、県民に対して「飲料水、土壌、農、水産物の放射能汚染数値を出したがらない」そうである。県民のつよい要望によって3月30日にようやく2回目の水道水汚染測定値を出したとのことだが、しかし農産物の値はスルーだったそうだ。下記の記事参照。

 わかった!宮城県知事は女川原発を抱えているから発表したくないのか
 宮城県は、ようやく、2回目の水道水測定値を発表したようです など。

宮城県のこのような対応は県民の健康、生活、生命を軽んじていることの証明であり、行政として無責任極まりない。決して許されないことだが、このような政策と朝鮮学校への補助金打ち切り政策とは同じ土壌から出たものではないだろうか。住民を自分たちの思い通りに操るという点では深い関係があるように思う。

折も折、4月1日、宮城県知事は県庁で職員に下記の訓示をしたという。(産経ニュース 2011.4.1 16:44)

「 宮城県の村井嘉浩知事は1日、年度初めに当たって県庁で職員にあいさつし「県政史上、最も重要な年度だ。50年後に『あの震災を克服して宮城県は大きく発展した』と評価されるよう、職員一丸で全力で取り組んでいこう」と奮起を求めた。/ 村井知事は、被災地での経験から「被災者が笑顔を取り戻し、安心して暮らせるよう取り組む決意を新たにした」と表明。当面の課題として、生活支援と災害廃棄物の処理を挙げ「一日も早く、復興に向けた基本方針やロードマップを作る必要がある」と述べた。/ また「既存の制度の枠組みを超えた対応を求められるケースが出てくる」として、国に対し財政支援や新制度の創設を求める意向を強調した。入庁した新人職員に対しては「若い力で県に活力を与えてほしい」と呼び掛けた。」(/は改行部分、下線は引用者による)

「大きく発展」することの「発展」がどんな具体的内容を想定しているのかは分からないが、文面にみられる「被災者が笑顔を取り戻し、安心して暮らせるよう」な地域にするためには、今のような県政を敷いていたのでは県の未来が明るいものになるとは思えない。宮城県はあえて、悪い方向へ、被災者をはじめ県民を分断し、さらに苦しめる方向へと舵取りをしているように思える。
2011.04.02 Sat l 東日本大震災 l コメント (4) トラックバック (0) l top
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