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今日は残りの項目(6)の岩波労組役員の金光翔さんへの対応ぶりを取り上げる。組合執行部は組合文書の「無断引用」をしたという理由で(2010年)9月9日金光翔さんに「抗議文」を渡しているが、この間の事実経過はこれまでに何度も書いているので、今日はごく簡単に記す。

8月31日松岡秀幸氏執筆の、名指しこそしていないもののそれが金光翔さんを指していることが想定読者の万人に明らかな(そう断言してよいだろう)中傷記事の載った組合文書が社内中に配布される。→これに対する反論文が9月2日「首都圏労働組合特設ブログ」に掲載される。執筆者はもちろん金光翔さん。→この日から一週間後の9月9日、上述のように岩波労組は金光翔さんに「抗議文」を渡す。→ところがそれから約二週間後の9月22日に「岩波書店労働組合2010秋年末闘争アンケート集計結果」がまたも社内中に配布され、そのなかの「会社に言いたいことは何ですか」という設問に対する回答として松岡氏の記事内容と同種の、金さんを非難し、会社への金さんに対するさらなる強硬姿勢を要求する文章が相当数入っていた。そしてこの「アンケート集計結果」は、組合役員によると「無断引用するから」という理由で金さんには配布されなかった。

「無断引用するから」配布しなかった、とはよくぞ言ったものだと思う。この人たちはたった一人の個人を何十人(あるいは、百数十人?)の人間で包囲し、言いたい放題、やりたい放題の、精神的にはほとんどリンチにひとしい行動を起こす一方、あらかじめ「無断引用」という一見もっともらしい理屈をつけて、実は自分たちの行動に対する一切の反論・批判を封じ込める策、外部に自分たちの行動の実態が漏れ出る事態を防ぐ策をねっていたようである。

しかし、岩波書店およびその労働組合のような集団を相手にして身を護り、なおかつその集団に一人で対抗していくには、外部社会に実態を報告し、自分の置かれた立場や考えを発信していくこと以外に有効な方法が他に何か一つでもあるだろうか? その答えは岩波書店労働組合委員長の渡辺尚人氏や執行委員の田村真理氏の次の発言から読み取れると思う。渡辺委員長らは、組合文書の無断引用の件で金光翔さんに二度目の呼び出しをかけて注意したが、それは「アンケート集計結果」配布二日後の9月24日だったという。そこで金さんが、「松岡の文章やアンケート結果にある、私および首都圏労働組合への弾圧要請の件について執行委員会はどう考えているのか尋ねた」ところ、渡辺委員長らは、下記のような返答をしたとのこと。(太字による強調はすべて引用者による。)

松岡氏の文章の該当箇所は、そもそも何を言っているのか自分たちは分からない。松岡氏は特定の個人や団体を挙げているわけではないし、これを読んだ岩波労組員が、松岡氏が金や首都圏労働組合について語っていると受け取るとは思えない。」「「ヤクザみたいな男」という表現も、金を指しているとは自分たちは思わなかったし、これを読む岩波労組員もそうは思わないだろう。」「○氏のブログに毅然とした態度で対処してほしい。」という回答は、確かにこれは金のブログについて言及したものだが(略)、金や首都圏労働組合のブログの制限や閉鎖等を会社に求めたものではないし、これを読んだ岩波労組員もそのように受け取ることはないだろう。「毅然とした態度で対処してほしい」としか言っていないのであって、会社に対して具体的にどうこうせよと言っているのではない。」 等々。

どれも何とも白々しいかぎりの言い分である。組合が作成・配布した文書の責任は100パーセント組合が負うべきもののはずである。この文書も誰かに強制されて無理やり作らされたり、配布させられたりしたわけではないだろう。この対応をみると、渡辺氏らは自分たちの意思で掲載し配布した文書について、その責任を一切負いたくないし、負うつもりもないのだ。

中傷文について、これは「金を指しているとは自分たちは思わなかったし、これを読む岩波労組員もそうは思わないだろう。」と述べたそうだが、事実は「金を指していると自分たちはすぐ分かったし、これを読む岩波労組員も当然そう思うだろう。」というのが渡辺氏らの本心であることは万人が認めるだろう。組合はこの文書を無断引用するからという理由で金さんにだけ配布していないが、「金を指しているとは自分たちは思わなかったし、これを読む岩波労組員もそうは思わないだろう。」と真実そう考えたのなら、無断引用を怖れて配布しなかったという主張はおかしくないか? また、金さんはこの文書の存在をある組合員に教えられて知ったそうだが、金さんに教えたその人物はこの文書の中傷が金さんを指していることが明らかだからこそ当人に教えたと考えるのが普通だろう。「金を指しているとは自分たちは思わなかった」、「これを読む岩波労組員もそうは思わないだろう。」という渡辺氏らの発言は初めから明白な嘘っぱちなのだ。このことは、次の問答にもよく現れている。

金さんが「組合文書を私に配布しないといっても、私個人に対して批判している文章については一部渡すべきでしょう」というと、渡辺氏は「いや、渡す必要はない」と応じたそうで、金さんの「私個人に対して批判している文章」という発言を否定していない。「金を指しているとは自分たちは思わなかったし、これを読む岩波労組員もそうは思わないだろう。」というさっきの主張はどこへ行ったのだろう。さらに「批判の相手から請求があれば、渡すのは出版界の常識ですよね?ましてやこれは無料で社内中に配布しているわけでしょう」と言われると、渡辺氏は「岩波労組は出版社ではないので、それに従う必要はない」と答えたそうである。この返答は、「金を指しているとは自分たちは思わなかったし、…」という言い訳とも「無断引用」云々の問題ともおよそ関係のない別次元の発言、居直りとかやけっぱちとかを想像させる支離滅裂な発言である。初めに嘘やその場かぎりのいい加減な発言をするなど不誠実な対応をしていると、真面目な追求に対してしだいに矛盾だらけの支離滅裂なことしか言えなくなることは世間によくあることだが、これはその典型のような応答ぶりである。

金光翔さんは「ここまで言われては返す言葉もないが、もう岩波労組は、「出版労働者として」とか「岩波書店という出版社の組合員として」といった言葉を使うのはやめるべきであろう。」と述べているが、この批判に対する渡辺委員長を初めとした組合役員の人々の返答をぜひ聞かせてほしいものである。あのようなどこかの中学校内のイジメによる中傷コメントかと見紛うようなレベルの文章を掲載して会社中に配布する組合に応答責任なんぞを求めるのは土台無理なのだろうが、普通ならそのくらいの自覚はもっているのが当然のことなのだ。


   

以前岩波労組役員の一員だった永沼浩一という人物は、2007年3月2日、金光翔さんが『世界』編集部における「思想・良心の自由」を問題にした際、「そんな法律関係のことは労働問題とは関係がない」と発言したそうである。金光翔さんは「言うまでもないが、「思想・良心の自由」は人間の基本的権利であり、労働の前提たるべきものである。「良心的」で「権威」ある出版社の社員という自意識があまりにも肥大化しており、自分たちが間違えっているはずがないのだから、その独善性に異議を唱える人間は自動的に「敵」かつ「殲滅」すべき対象で、これが「思想・良心の自由」の問題であるはずもない、ということになるのだろう。」(http://shutoken2007.blog88.fc2.com/blog-entry-28.html)と冷静な解釈をしているが、永沼氏の発言内容やもの言う態度は、文書不配について問われて「いや、渡す必要はない」「岩波労組は出版社ではないので、それに従う必要はない」と言い切った渡辺氏の応答と何とよく似ていることだろう、とそのことに驚かされる。

また、「首都圏労働組合特設ブログ」(2010年12月12日付)のこの記事に描かれている吉田浩一という人物の金光翔さんへの対応もひどかったと思う。この人は、『週刊新潮』の記事が出た直後に組合役員として金さんへの攻撃で活躍した人の一人だったらしい。金さんは、このことについて次のように書いている。

「私は、かねてから、当時の執行委員に、2008年1月21日の私に関する集会(引用者注:組合員みんなで金光翔さんについての情報を共有するためと称する集会)の内容や、『週刊新潮』の記事が出た直後に、たかだか組合報から、それも業務とは何の関係もない箇所を引用しただけで、個人攻撃したことにおかしさを感じなかったのか等について聞いてみたかった。当時の執行委員12人の誰でもよかったのだが、上で述べたような点(引用者注:この人物が『岩波講座 アジア・太平洋戦争』や日本近現代史、中東関係の本などを数多く担当していることなど)から、特に吉田には見解を聞きたいと思っていた。そこで、社内で吉田を見かけたので、この件について聞くことにした。2010年11月11日17時すぎのことである。

まず私が、上述の、2008年1月21日の私に関する集会についてどのような話がなされたのかを教えてほしいと述べたところ、吉田は、「なぜ今さらそんなことを聞くのか。なぜ僕に聞くのか。自分は答えたくないし、答える義務もない」などと答えてきた。」

という話から始まり、その後「吉田さんは当時、執行委員だったのだから、そういう集会を開催した責任があるでしょう」「責任なんてないよ。何回も言うけど、答えたくないし、答える義務もない。組合に直接聞いて下さい。僕はもう関係ない」「それはおかしいでしょう。吉田さんは当時の執行委員で、その時点での行為に責任があるでしょう」「関係ないよ!組合の立場と個人の立場はそれぞれ別に決まってるでしょう!」などと押し問答になったそうだが、そこまではまぁ予測範囲内の経過である。ところが、「やりあっているのを聞きつけたのか、5階にいた部長(役員)が止めに入ってきた」ら、この人はその役員に「何とかしてくださいよー」と言ったそうである。加害者が被害者に責任を問われると、あたかも自分が理不尽な仕打ちをされたかのように、自分のほうが被害者であるかのように振舞う、そしてその証明を他人に求めようとするのかしなだれかかる。甘ったれ根性と傲慢さが目に余るように感じた。


   

岩波書店労組執行部に言っておきたいことが他にもあるのでこの際きちんと書いておこう。2011年4月27日現在、組合役員が渡辺尚人委員長以下昨年と同じメンバーかどうか知らないが、組合執行部は2007年11月に金光翔さんの件で『週刊新潮』に取材協力した「組合関係者」とは誰か、その人物が『週刊新潮』にどのような経過で何をどのような意図をもって話したのか、その全体を組合の名において金光翔さんに伝えるべきだと思う。

そもそも『週刊新潮』とはどんな週刊誌なのか。松岡秀幸氏は会社に金光翔さんへの弾圧強化を要請する文章のなかで何を思ったか「高遠菜穂子さんらが拉致されたとき、日本国内で自己責任論がヒステリックに叫ばれたが、その手の自己責任論の愚劣さを誰よりも先に岩波書店の刊行物が正しく断罪したではないか。」と述べている。金光翔さん弾圧を煽動する人物が、イラク人質事件の被害者に向けられた当時の「自己責任論」を愚劣だと評していることも不思議であり、意外に感じるが、あの時、先頭に立って最も激しく高遠菜穂子さんらを非難したのは、言うまでもなく『週刊新潮』であった。この件だけでなく、『週刊新潮』の場合、同種の事例に事欠かないことは周知の事実である。そういう週刊誌だからこそ、金光翔さんに関するあのあくどい(けれど記事にする必然性は別になかったと思われるが)記事もありえたのだと思われる。

岩波書店の人たちは『週刊新潮』に関するこれらの事情をよく知っていながら、あえて情報提供のための電話通報をしたり(『週刊新潮』の記者は法廷でそう証言している。)、積極的に取材協力したりしているのだ。組合執行部にはそのうちの一人である「組合関係者」の行動について詳らかにする責任があるだろう。私は今回、岩波書店労働組合が金光翔さんを「除名」にし、それを受けて会社が「解雇通告」したということには、『週刊新潮』の記事の件が大いに関係していると思う。組合は金光翔さんを排除することで自分たちのこれまでの行動をなかったことにするつもりなのだろうが、そんな身勝手が許されてはならないし、それはこの人たち自身のためにもならないだろう。岩波書店労働組合はまず、金光翔さんに対し「除名」処分を謝罪して撤回し、それから『週刊新潮』事件に関与した「組合関係者」についての真相をも明らかにすべきと思う。

岩波労組の人々は、一人の人間に対し、大勢でよってたかって集中攻撃して恬として恥じていないようであるが、誰か一人にそういう仕打ちをして平然としているということは、別の機会にはまた必ず同じことをやるだろう。元来、理由のあるなしにかかわらず、集団で一人または少数の人間にイジメ・嫌がらせをする、それを続けるということほど恥ずかしい行ないは世の中にそうはないだろう。まして金光翔さんの場合、『世界』における問題提起の初めから周囲の十分な考慮・協力をうけて当然の根拠ある内容をもっていたと思う。それに対し岩波労組が会社と一体化して一切聞く耳をもたず、あれだけの攻撃ができるということは、この人たちは他のどんな自分の行為に対しても恥じることはないのではないかという疑いさえ起こさせる。自分たちのメンツを保つための行動だったのかも知れないが、失ったものはメンツなんてちゃちなものだけではなかっただろう。だからこそ、組合による『週刊新潮』事件の検証はいっそう必要だと考える。
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2011.04.28 Thu l 言論・表現の自由 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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