QLOOKアクセス解析
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- -- l スポンサー広告 l top
憲法研究者の上脇博之氏のブログには、原発に慎重であった民主党のエネルギー政策が逆方向に変わったのは、明確に小沢一郎氏が党代表に就任した2007年からであると書かれている。
http://blog.livedoor.jp/nihonkokukenpou/archives/51568656.html?blog_id=2778940

3・11の東日本大震災による福島第一原発事故後の小沢氏は記者会見などで原発について訊ねられると、「原発は過渡的エネルギーである」と答えている。私は二度ほどその発言を聞いたのだが、気の乗らないしぶしぶのような口調であり、それ以上は何も語らない。おそらく事故後の現在も原発推進の考えに変わりはないのだろう。そう受けとめるしかないのだが、それならば、今回の五人の党代表候補者のなかで最も原発推進に熱心のようにみえる海江田万里氏を推すのも肯ける。

菅直人氏を私は私たち一般庶民にとってさほどよい首相とは思わないが、それでも、原発のない社会を目指す、という方針を打ち出したことは評価する。というよりそれが普通、当たり前の人間の感覚、考え方だと思う。まして、国民の生命と安全、国土に責任を負う政治指導者であればなおさらである。ただでさえ危険きわまりない原発を、世界の地震の10%が集中しているというこの国で動かすことは無理だった、誤りだったと痛感しないほうがおかしいだろう。菅氏は、事故の2~3週間後、今後のエネルギー政策について記者に訊かれて、原発政策を見直す、という主旨の応答をしたのを聞いた記憶がある。ホッとする気持ちが湧いたのでよくおぼえている。その直後、官房長官の枝野幸男氏も菅発言に呼応して「これだけのことが起きたのだから、見直しは当然だ」というようなことを述べていたのだが、最近は考えが後退してしまったようにみえる。どうしたのだろう。

それにしても、6月2日の菅内閣不信任案決議の際の行動にしろ、その後の「(首相は)菅さんでなければ誰でもいい」という発言にしろ、小沢氏の「反菅」の言動の真意は、どこにあるのだろう。「マニフェストをないがしろにしている」といっても、それは菅さんだけの意思ではなかったことは明白だろうに。そもそも、上脇氏によると、2009年の総選挙後、党のマニフェストを率先して破ったのは、小沢氏だったという。

「企業・団体献金の「全面」禁止は、財界政治を復活させないために不可欠である。/当時の小沢一郎幹事長は、マニフェストに掲げていた企業・団体献金の「全面」禁止という公約を反故にするために、同年10月に仕掛けをしていた。/(略)小沢幹事長は、財界の別働隊である「21世紀臨調」に、この件を「諮問」してしまったのである。/民主党が、企業・団体献金の「全面」禁止というマニフェストを本気で遵守する気があるなら、そのための法案を国会に上程すればいいのである。/「21世紀臨調」は、「諮問」を受けて半年後(昨年4月)、案の定、企業・団体献金の「全面」禁止ではなく「部分」禁止を提案した。/「21世紀臨調」は、財界人らでつくる「日本生産性本部」に事務局をもち、年間1億円以上の資金提供を受けているから、企業・団体献金の「全面」禁止を提言するはずがないのである。/要するに、政権交代後、小沢一郎民主党幹事長は、企業・団体献金の「全面」禁止のマニフェストを反故にするために、「21世紀臨調」に諮問し、そして予定通りの「部分」禁止にとどめる提言を受け取ったのである。」 (/は改行箇所)
http://blog.livedoor.jp/nihonkokukenpou/archives/51505288.html?blog_id=2778940

マニフェストを裏切るこのような行動をとった人物が、いまさら「マニフェスト堅持」を主張するのは理に合わない。上脇氏が、「それゆえ、小沢氏の「マニフェスト堅持」の主張は、わかりやすく言えば、現時点では「原発推進」堅持にしか受けとめられない」と述べていることに妥当性を感じる。

最近、私は秋元健治氏の著作「原子力事業に正義はあるか―六ヶ所核燃料サイクルの真実」(現代書館2011年)を読んだのだが、六ヶ所村の「反核燃」運動が衰退していく一大転機になった1991年の青森県知事選に関連して、当時自民党の幹事長であった小沢氏の名前も核燃サイクル施設推進派側の一人として出てくるので、この部分を引用しておきたい。(強調のための下線は引用者による)


 …… 1989年の村長選挙を境に、六ヶ所村の「反核燃」派の結束は失われ、その運動は急速に力を失っていく。
 その原因は、土田村長の政治的裏切りの結果だけではなかった。核燃料サイクル基地建設工事、それに関連する公共工事での村内発注が、村の最大の関心ごとになっていた。それは直接的、間接的に多くの村びとの生活を支えていた。
 1989年7月の参院選挙での「反核燃」候補の圧勝、その翌年2月の衆議院選挙でも、「核燃白紙撤回」を訴えた社会党の関晴正候補、山内弘候補が自民現職を抑えて当選。六ヶ所村では「核燃凍結」を人びとに信じさせた土田浩村長の誕生があった。このとき「反核燃」の風は、少しも衰えていないようにみえた。

  県知事選挙
 そして核燃料サイクル基地をめぐる最終決戟は、1991年1月から2月にかけての青森県知事選挙だった。もし青森県の知事が「反核燃」となれば、「核燃白紙撤回」が現実となるかもしれない。核燃料サイクル基地の立地基本協定はすでに締結されていたが、その立地基本協定には事業の進展に合わせて段階的に関係者間で安全協定を結ぶことが明記されていた。施設の建設が完了しても、青森県知事が安全協定の締結を拒めば操業はできない。核燃料サイクル基地の立地基本協定そのものの破棄さえ、政策の選択肢となりうる。もっともそうなれば、事業者は青森県にたいし損害賠償訴訟を提起するかもしれないが、いずれにしろ「反核燃」は大きく前進する。
 社会党や農業団体、市民団体など「反核燃」の人びとが知事選の候補者に選んだのは、「核燃料サイクル阻止一万人訴訟原告団」にも名を連ねる金沢茂弁護士だった。一方、自民党の保守は分裂し、「核燃推進」の現職の北村正哉、そして「核燃凍結」の山崎竜男が立候補した。山崎竜男は参院議員を四期、環境庁長官も務めた有力政治家だったが、「山崎降ろし」に失敗した自民党の公認を受けられず「核燃凍結」を公約として出馬した。「反核燃」の県民世論は、金沢茂に有利であり、保守分裂と「核燃推進」の北村正哉は逆境のなかにいた。
 このままでは核燃料サイクル基地が頓挫する。電力業界、原子力産業界、そしてそれらを後ろ盾とする自民党は大きな危機感を抱いた。北村正哉候補は、中央の政財界から強力な支援を受けた。電事連の那須翔会長は北村支持を表明し、電力業界は資金のみならず、電力や関連企業の社員を動員して電話などで選挙運動をおこなった。内閣総理大臣でさえ青森県知事選挙で動いた。湾岸戦争のさなかという国際情勢下、海部俊樹首相が青森市に姿をあらわし県民6000人の前で北村支持をうったえた。他にも青森県には、大島理森官房副長官、小沢一郎幹事長、橋本龍太郎大蔵大臣、山東昭子科学技術庁長官、加藤六月、三塚博、アントニオ猪木ら国会議員が北村陣営の応援に駆けつけた。こうした政界大物や著名人の登場、潤沢な選挙資金が、逆風のなか「核燃推進」の北村正哉候補の票を確実に増やした。
 そして1991年2月3日、投票と即日開票。青森県知事選挙の結果は次のとおりだった。「核燃推進」で自民公認の北村正哉が32万5985票、「核燃白紙撤回」で社会党、共産党の推薦を受ける金沢茂は24万7929票、「核燃凍結」の無所属の山崎竜男は16万7558票。投票率は、66.46%という青森県知事選では史上二番目の高さだった。
 四選を果たした北村知事は、感慨深げに言った。
 「こんなきびしい選挙を経験したのは初めてだ」一方、敗れた金沢茂は次のように無念の心情を語った。
 「青森県民は核燃との運命共同体を選んだ。私はこれからも白紙撤回への努力を続ける」
 しかしこの知事選の結果から、県民が「核燃推進」を選択したとはいいきれない。「核燃白紙撤回」金沢候補と、「核燃凍結」の山崎候補の投票数を合わせると、「核燃推進」の北村候補の投票数を上回っている。自民党公認を争っての保守分裂が、山崎候補の「核燃凍結」という曖昧な公約をうみだし、結果的に「反核燃」票の何割かがそちらに流れた。また北村陣営は核燃料サイクル基地以外に選挙戦の争点をあてようと必死だった。
 この青森県知事選を境に、県内の「反核燃」の運動はしだいに力を失っていく。これからわずか3カ月後の1991年4月7日の県議選では「反核燃」候補の落選が相次ぎ、自民党が圧勝した。六ヶ所村では核燃料サイクル基地の建設が着々とすすみ、それぞれの原子力施設は操業開始への段階をすすみつつあった。」


6月2日の不信任案決議の時、菅首相を批判した自民党の大島理森氏の語調はまるで「弾劾演説」とでもいいたくなるほどに異様に厳しかった。上述の本の一節 (下線部分)を読むと、この大島氏といい、小沢一郎氏といい、菅直人氏をこれほどまでに厭うのは、あるいは菅氏がエネルギー政策の転換を口にしたことが影響しているのかも知れないという気もしてくるのである。もしかすると、大島氏もそうだが、当時与党幹事長として辣腕をふるっていた小沢氏は、日本の原発推進勢力の重要な一角を占めた一時期があったのかも知れないとも思う。

最後に、もう一件、小沢氏の「政治とカネ」の問題について、次の証言を引用しておきたいと思う。


 野中(広務)は小渕政権にあって、小沢と自自連立政権を樹立する時の官房長官で当時、その実力から「陰の総理」と呼ばれた。その野中が、堰を切ったように言うのだ。
「(法律では)政党は解党した時に、(政党交付金を含めて)その党で持っているカネは使ったように帳尻を合わせれば国に返さなくともいいようになっとるんやろ。あいつは、法律に定められていないからといって自分のものにしているんやないか。政治資金も同じことだ。法律は政治資金で土地などの不動産の購入を禁じてはいない。しかし、だからといって法の不備を突くようにしてぎょうさんの不動産を買って資産を形成することが、政治家として認められるわけがないやろ。第一、その政治資金には(政党交付金という)国民の税金が入っとんのや。後期高齢者医療制度のように国民が負担増に苦しんでいるというのに何や、あいつのやっていることは。国民の苦しみがわかっとらんのや」
 野中は興奮していた。目を見開いて私を見据えると、唐突にもこう切り出したのである。
「あいつは国家的に危険な奴や。経世会分裂の時だってあいつは我々が知らんうちに(派閥の金庫から)カネを持っていったんや」
 私は思わず、「どういうことか」と聞き返していた。野中はこともなげに言った。
「ガポッとカネを持っていった。気がつかなかった。まさか、あいつがそこまでやるとは思わなかった。(経世会に残った人間は)人がよかったんだろうな」
――ガポッというが、いくらぐらいか。億単位か。
「億や。(金庫に)残っていたのは2億円くらいやった。もう、(それ以上は)持ち出されないように急いで封を貼ったんや」
――いったい、派閥にはいくらあったのか。
「8億円くらいはあった」
――ということは、小沢が持ち出したのは6億円ということになる。そのカネが後の資産形成や新生党の結党資金の原資になったということか。
「そうじゃないのか」
 小沢は経世会の分裂に乗じて、本来派閥の活動費として集められた資金を、派閥に相談することなく、自らの資産形成などのために持ち出していたのではないかと野中は疑念を抱いていたのだった。
 事実、経世会の秘書らは金庫を守るためピケを張ったという。 」(松田賢弥著『小沢一郎 虚飾の支配者』講談社2009年)


上の文章は、この本の著者の松田氏が2008年12月に野中広務氏にインタビューをして引き出した話だということだが、私はこれは事実そのままの正確な話と信じてよいように思う。野中氏は、同じ政治家であり、今なお現役の大物政治家である人物のこれほど重大な件について出鱈目なつくり話やあやふやな話はしない(できない)だろうし、松田氏にしても野中氏の話をそのまま叙述したことは疑いのないことのように思う。そうでなければ、これは後で大変な事態になるにちがいないほどのことと思われるが、そうはならなかったことを考えれば、ここに描かれている話は事実と思うしかない。小沢氏が国会の参考人招致などに応じるはずはなかったと思う。
スポンサーサイト
2011.08.29 Mon l 社会・政治一般 l コメント (2) トラックバック (0) l top
吉本隆明の「「反核」異論」(深夜叢書社)という単行本が出版されたのは1982年。文学者たちの反核声明(大江健三郎や中野孝次など36人の発起人の署名入り)や署名依頼の文章が発表されたのは81年末~82年初頭にかけてのことだったので、吉本隆明はこの動きに対してたった1年足らずの間に1冊の本を刊行できるほど精力的に異論や批判や罵倒の文章を書いたわけである。私にも下記に引用するこの「文学者の声明」文をどこかで読んだ記憶がうっすらと残っている。(以下の強調はすべて引用者による)

「  核戦争の危機を訴える文学者の声明
 地球上には現在、全生物をくりかえし何度も殺戮するに足る核兵器が蓄えられています。ひとたび核戦争が起これば、それはもはや一国、一地域、一大陸の破壊にとどまらず、地球そのものの破滅を意味します。にもかかわらず、最近、中性子爆弾、新型ロケット、巡航ミサイルなどの開発によって、限定核戦争は可能であるという恐るべき考えが公然と発表され、実行されようとしています。
 私たちはかかる考えと動きに反対する。核兵器による限定戦争などはありえないのです。核兵器がひとたび使用されれば、それはただちにエスカレートして全面核戦争に発展し、全世界を破滅せしめるにいたることはあまりにも明らかです。
 人類の生存のために、私たちはここに、すべての国家、人種、社会体制の違い、あらゆる思想信条の相違をこえて、核兵器の廃絶をめざし、この新たな軍拡競争をただちに中止せよ、と各国の指導者、責任者に求める。同時に、非核三原則の厳守を日本政府に要求する。
「ヒロシマ」、「ナガサキ」を体験した私たちは、地球がふたたび新な、しかも最後の核戦争の戦場となることを防ぐために全力をつくすことが人類への義務と考えるものです。私たちはこの地球上のすべての人人にむかって、ただちに平和のために行動するよう訴えます。決して断念することなく、いっそう力をこめて。 1982年1月 」 (『文藝』1982年3月号)

下記は署名を依頼する文章だが、最終的には500人余の署名が集まったそうである。

「  署名についてのお願い
拝啓 年の瀬を迎え、寒さもー段と探まって参りましたが、お元気にお過ごしのことと存じます。
 さて今春、アメリカでレーガン政権が発足して以来、軍備増強論がにわかに高まり、限定核戦略が唱えられ、中性子爆弾の製造が決定されて、核戦争の脅威が人類の生存にとっていっそう切実に感じられるようになってきました。
 ご承知の通りヨーロッパでは、1983年末にアメリカの新しい戦域核兵器が配備されれば、核戦争への歯止めが失なわれるという危機感から、歴史に例を見ないほどの巾広い反核、平和の運動が拡がっております。
 いうまでもなく核戦争の危機は、ヨーロッパに限られるものではありません。新聞報道によれば、1984年には巡航ミサイルなどの新しい戦域核兵器が日本をふくむアジア地域にも配備されると伝えられながら、アジアではその配備を防ぐための軍縮交渉が問題にさえもなっておりません。
 世界最初で唯一の悲惨な被爆体験を持つ私たちは、いまこそ核戦争の惨状を全世界に訴え、日本政府および東西の核大国に対して、日本の非核三原則を厳守してこれを全世界に拡大し、核兵器の全廃のための措置をとるように文学者として主張すべきではないかと存じます。
 こうした考えから、私たち有志で、とりあえず別紙のような声明文を用意しました。私たちはいかなる党派、組織、団体からも独立した文学者個人として、それぞれに手弁当で、日本の文学者の核戦争に反対する声を集め、核兵器全廃への私たちの強い願いを表明したいと思います。
 つきましては別紙の声明文について賛成のご署名をお寄せ頂きたいと存じます。なおご意見があれば声明文と合せて発表したいと思いますのでおつけ加え下さい。また、このご趣旨にご賛同頂ける方をご紹介、ご推薦頂ければ幸に存じます。
 声明は新年に発表したいと存じますので、ご多用のところを恐縮ですが、折り返しぜひご返事を頂きたく、よろしくお願い申し上げます。 1981年12月 」

吉本隆明は、上の文章を読んで、ただちに次のようなことを感じたと述べている。「「反核」異論」に収められている「「反核」運動の思想批判」から引用する。


 特定の文学者(!?)に反核署名の「お願い」と「声明」が配送され、それに300人もの文学者(!?)が署名した事実を知ったのは、中野孝次の「『文学者の声明』について」(「文藝」3月号)という文章を読んだときだ。一読して直ぐ、幾つかのことを感じた。いま思い出すまま列挙してみる。カッコにくくった部分は後になってからの感想だ。

 (1) このなかに公開してある「署名についてのお願い」の文章は、米国のレーガン政権のヨーロッパにおける限定戦略の決定について危倶が表明してあるが、ソ連の対ヨーロッパ限定核戦争用のミサイルの配置にひとつも言及してない。背景にうまく匿してるが特定の「党派」的なものだ。(略)

 (2) ここに公開してある「核戦争の危機を訴える文学者の声明」は「地球上には現在、全生物をくりかえし何度も殺戮するに足る核兵器が蓄えられて」いるとか、「ひとたび核戦争が起れば」「地球の破滅を意味」するとかいう、おおよそSFアニメーション的恐怖心の所産としかいいようがない。それに目標も定かでない自慰的なものだ。(以前「海燕」連載の「停滞論」で「宇宙戦艦ヤマト」や「機動戦士ガンダム」になぞらえた。ここでは西部劇になぞらえてみる。二人のガンマンがピストルのなかに一発弾丸をいれて、交互に引き金を引き合ってゆく。主人公のガンマンは平然としているのに、気の弱い悪党の方は、しだいに油汗を流して蒼ざめていく。六連発ならば六回引き金を引くうちに、かならず一方が死ぬことになる。この声明の文章をおおう想像力は、このばあいの気の弱い、しだいに蒼ざめてゆく悪党の方か、そういう場面を観ながら手に汗をにぎる観客の想像力である。)

 (3) 中野孝次の「『文学者の声明』について」という文章は、不必要に揉み手をしているくせに傲慢な嫌らしい文章だ。わたしは最後の「強制はまったくなし。一枚岩の運動ではないのです。」という結びの文句を読みおわって、即座に〈ふざけやがるな。お前なんかには「強制」する資格もなければ、「強制はまったくなし」などと断り書きをいう資格もないのだ。何を勘ちがいしてるんだ〉というものだった。いまも鮮やかにおぼえている。(大岡昇平や吉行淳之介は、中野孝次が「好人物」だから参加したとか、「好人物」だから「大政翼賛会」など作れるはずがないと述べている。だがわたしの人間洞察力からするとそうじゃない。こういう文体の主調音をもつ書き手は、(根暗い〉人物だ。しかもじぶんの(根暗さ)をあくまで客体化することを、どこかで放棄してじぶんを許してしまった人物のようにおもえる。わたしはじぶんもそうだから(根暗い)人物を嫌いでない。だがじぶんの(根暗さ)への自己省察をやめてしまった人物は、どこか嫌らしい。中野孝次の文体のいやらしさと慇懃無礼さもまた、わたしを駆って批判におもむかせたいくらかの衝迫力になった。これをいっておかないと嘘になる。中野孝次が「好人物」だという大岡昇平や吉行淳之介の人間洞察に、わたしは疑義を呈しておく。そしてまた、「好人物」かどうかなどは、その人物が政治的に何を仕出かすかとは関係がない。)

 (4) 中野孝次の「『文学者の声明』について」という特定の「党派的」宣伝の文章をのせた「文藝」編集部の態度を、許せぬものと感じた。たとえこの「党派」性が、わたしの政治的思想に一致しても、この感じ方は変らない。商業文芸誌や商業新聞の編集部局が、じぶんたちの政治的な立場をもちたいのなら、執筆者の選択と依頼するテーマの選択によって紙面におのずから投影させるべきだ。特定の「党派」性をもった政治的宣伝文書をそのまま掲載するのは自殺行為である。(略)平穏な日常生活のなかで脳卒中の後遺症に苦しむ人も、老衰による自然死も、「ヒロシマ・ナガサキ」の被爆者の後遺症や、その死とまったく同等であり、「世界の反核運動に立ちあがった民衆」も、そんなものにいっこう立ちあがらずに平穏な日常生活をその日その日なんとなくすごしている民衆も同等である、と。「反核運動に立ちあがった民衆に挑戦」するのが不当ならば、そんなものにいっこう立ちあがらないその日ぐらしの民衆に「挑戦」するのも不当なのだ。(略)
 わたしは中野孝次の「『文学者の声明』について」という文章が、商業文芸誌にのらなかったら、批判する契機もなかったかもしれない。その意味では、これを掲載した「文藝」編集部にそのとき感じた批判も忘れずに書いておく。

 (5) 中野孝次が「文藝」の文章で挙げている発起人の名前を見ていて、直ぐに気づいたことがある。36人の発起人中、小田切秀雄らの雑誌「文学的立場」の常連的執筆者が、わたしにもすぐわかる範囲で5人から6人いる。つまり発起人の6分の1を占める。小田切秀雄が、かつてわたしに使用した用語をそのまま使っていえば、(なんだ、小田切秀雄とそのお茶坊主たち(これは小田切の使用語である)が、中野孝次と組んでやった陰惨な猿芝居か。)そういう感想をもった。ほぼわたしはこのとき文学者の反核運動の理念的性格を把握することができた。その理念の行方も、ほぼ見通せるとおもった。こういう私的感想も記しておかないと不正直になるから、書きとめておく。 」


「自立の思想的拠点」「芸術的抵抗と挫折」「擬制の終焉」など、60年前後までの吉本隆明の思想的問いかけは刺激的で大変すぐれていたという人は数多く存在する。埴谷雄高もその一人ではないかと思う。ところが私は80年代以降のことだが、時折り雑誌などで読む吉本隆明の言説に特に魅力を感じなかったので、その著作をわざわざ読んでみようという気持ちにはなれなかった。ただ、95年のオウム事件が起きた時、麻原彰晃著「生死を超える」という著作について、「僕はきっちり読んだつもりですが、宗教的修行者として麻原さんは、現在の世界で有数の人だと思います。」と堂々と述べていたのが印象的で、その後どのような話の展開をし、締めくくりをつけてくれるのか期待していたのだが、裁判が始まった時点でもう何も言わなくなったので、失望をおぼえた。自説に自信の持ちようがなくなったので、沈黙したのではないかと思ったからだった。まぁ、それは分からないが、上述の5点の批判のうち、私がいくらか納得できるのは、声明文についての批判である。たしかに、「「ヒロシマ」、「ナガサキ」を体験した私たちは、地球がふたたび新な、しかも最後の核戦争の戦場となることを防ぐために全力をつくすことが人類への義務と考えるものです。私たちはこの地球上のすべての人人にむかって、ただちに平和のために行動するよう訴えます。決して断念することなく、いっそう力をこめて。」という文章は何だかあまりによそ行きで、実感のない、それでいて筆者の思いとは裏腹になったのだと思うが、やや押しつけがましい文章のように思える。

吉本隆明の上の批判のうち、特にこの部分はあちこちで批判されたようだが、老衰による自然死も「ヒロシマ・ナガサキ」の被爆者の死もまったく同等である、という発言は批判されるのが当然だと思う。老衰による自然死と被爆による死、脳卒中の後遺症と被爆者の後遺症が「同等」というのなら、戦争を批判し、反対する理由もなくなるのではないか。米国のレーガン政権は名指しで批判しながら、ソ連の名をあげていないので、この反核運動はソ連製だというが、このような揚げ足とりのような論理による批判ならば、もしソ連の名が声明文に書かれていたとしても、吉本隆明の怒りに変わりはなかっただろう。そもそも日本が米国に徹底的に追随している国であることや、その理由として日本政府やメディアが長年ソ連の脅威ということをいいつのってきた経緯を考えれば、声明にソ連の名を明記するのを控えるのは内省をふくんだ配慮としてありえるのではないかとも思う。悪名高い「コム・デ・ギャルソン論争」のなかで、埴谷雄高は吉本隆明の理解について「そこに、アメリカの巡航ミサイルについての記述があっても、ロシアのミサイルSS20について記してないから、「容共」だという推断です。双方の文章の論旨の核心は、「核兵器の全廃」とか「核兵器の廃絶」とかいう一行にこそあって、巡航ミサイルとか、或いはミサイルSS20をとりいれても、それらは単なる修飾語にしかすぎません。」と述べているが、これが常識的な見方と言えるのではないだろうか。
2011.08.19 Fri l 吉本隆明 l コメント (0) トラックバック (0) l top
吉本隆明が強力に原発の継続・推進を唱えている談話をいくつかの新聞で読んで、吉本隆明は発言の中身の善し悪しはともかく名前だけはいまだ相応の磁力をもっているようだから、この発言は社会的にかなり影響力をもつのではないか、特にマスコミ関係の人間には、という気がしていた。勘繰り過ぎかもしれないが、去る8月10日の「田原総一朗の政財界「ここだけの話」」の「脱原発の風潮は60年安保闘争に似ている」を読んで、ひょっとするとこれもその一つかもしれないと思った。

「 確かに原発は危険なものだと思う。しかしながら、科学技術というものは常に危険を伴うものであり、いかにそのリスクを抑えて使いこなすかが文明というものだ。/ 福島第一原子力発電所で起きた原発事故は、大きな失敗である。車の衝突事故や中国で起きた高速鉄道の追突・脱線事故も同様に失敗だ。なぜ事故が起きたのか、どこに問題があったのかを究明し、そのうえで事故の再発を防ぐにはどうすればよいかを考える。これが私たちの歩んできた文明の歴史ではないか。/ ところが、ただちに「原発は危険だからやめよう」ではその歴史に反する。」(「ここだけの話」)(/は改行部分)

という文章は、「車の衝突事故や中国で起きた高速鉄道の追突・脱線事故」云々の発言をはじめとして、吉本隆明の言説に瓜二つ、といって悪ければ、大変よく似ている。放射能汚染事故を車や鉄道や航空機事故と較べるような詭弁(と私は思う)は、このまま原発をなんとしても推進しようという意図・魂胆がなければ出てこないのではないだろうか。田原氏は今更のごとく、「私たちは原発について十分に議論を重ねてきたのだろうか。」とも述べているが、何十年もマスコミの世界で活躍しつづけてきた氏は、福島第一原発事故が起きるまで、小規模、中規模の事故があちこちの原子力発電所や原子力関連施設で多発してきたこと、電力会社も政府も事故の隠蔽にこれ努めてきたことなどを知らないはずはないだろう。それを思うと、未曾有の大事故の後になって、代表的マスコミ人に「私たちは原発について十分に議論を重ねてきたのだろうか。」と言われても、ただただ「?」と思う。

それから、「脱原発の風潮は60年安保闘争に似ている」というタイトルの下、田原氏は、

「 当時、東大の安保闘争のリーダーは西部邁氏であった。私は西部さんに「吉田安保と岸安保はどこが違うのか。それぞれを読んだか」と聞いてみた。西部さんは「読むわけないだろう。岸がやることはろくなものではない。日本を戦争に導くだけだ」と言っていた。/ 60年安保闘争に参加していた者はほとんど安保条約の中身など読んだこともなく、ただ反対していただけなのである。科学的・技術的な議論が行われない脱原発の動きは、この安保闘争とよく似ていると感じる。」(同上)

とも述べている。この発言内容は、石原慎太郎が60年安保について述べていたこととそっくりである。彼も、自分は安保の条文など一切読まずに闘争に参加していたと言い、そしてほぼ誰もがそうだったと述べていた。けれども、私は60年安保闘争について真剣に向かい合って、それがその後の自己の人生に大きな影響を与えているという人々の話をずいぶん多く聞いたり、読んだりしている。当時デモに出ることもなく遠くから見ていただけの大岡昇平のような人でも、エッセイなどを読むと、その頃おぼえた外国の軍隊が戦後15年も経ってまだ駐留していることに対する反感はその後の生涯を通してつづいたようだし、60年代半ばから「レイテ戦記」という作品に5年もの間かかりきりになって完成度の高い作品に結晶させることができたのには60年安保闘争の影響もあったようである。「60年安保闘争に参加していた者はほとんど安保条約の中身など読んだこともなく、ただ反対していただけ」などと、自分がそうだったからといってこんなふうに他人の内面のことまで断言する資格が田原氏にあるとは思えない。

田原氏は、また今回の事故原因について、「非常用発電装置やポンプなどが津波の被害にあい、冷却機能が失われて事故につながった。/ つまり、原発そのものの事故というよりも、「管理不行き届き」による事故だったと言えないか。」とも述べているが、管理不行き届きであれ「人災による原発そのものの事故」に違いないだろう。いったい何を言いたいのだろうか。それから、「東京電力は公式見解で事故原因は未曽有の大津波だとしているが、4月27日の衆議院経済産業委員会で吉井英勝議員(共産党)の質問に答えて、原子力安全・保安院長は、倒壊した受電鉄塔は津波が及ばなかった場所にあったことを認めた」(wikipedia)こともよく知られていると思うのだが?

「 もう一つ懸念していることがある。菅首相は8日の衆院予算委員会で、高速増殖炉「もんじゅ」について廃炉を含めて検討し、核燃料サイクル政策についても抜本的に見直すと言及したことである。」(同上)

この件についても、事故を契機にぜひとも「抜本的に見直」してほしいと思う。青森県出身の秋元健治氏は、労作「原子力事業に正義はあるか-六ヶ所核燃料サイクルの真実」(現代書館2011年6月)において、「もんじゅ」にもかなり詳しく触れている。一部を引用する。

「 日本の高速増殖炉開発は、日本原子力研究開発機構が福井県敦賀市の「もんじゅ」でおこなってきた。「もんじゅ」は、71.4万キロワットの原型炉で1991年に性能試験を始めた。しかし1995年12月にナトリウム漏出火災事故が発生し、その後の虚偽報告もあり信頼を失った。
 (略)
 諸外国においても高速増殖炉の研究開発は、公的資金を投じて長年続けられた。しかしイギリスのドーレイのPFRは1994年に、フランスの「スーパーフェニックス」は1998年に、いずれも完成をみないまま開発が中止された。現在、高速増殖炉計画をもっているのは、世界で日本だけだ。
 使用済み核燃料の再処理は本来、プルトニウムを抽出するのが目的だった。プルトニウムが必要だという根拠とされた高速増殖炉開発計画は、日本でも実質的に破綻している。しかし核兵器の原料であるプルトニウムの余剰を抱え込むことはまずい。プルトニウムを消費するため、プルトニウム・ウラン混合酸化物のMOX燃料を通常の軽水炉で燃やす方法が考えられた。
 1963年から2003年まで、400トン以上のMOX燃料が、ヨーロッパの30あまりの原発に装填された。日本ではプルサーマル計画と呼ばれるそれは、高い燃料費と原発の安全性の低下、処理の困難な放射性廃棄物を増やす結果にしかならない。MOX燃料利用は、余剰プルトニウムになんとか使用方法を見つけ、その保有量を減らす苦肉の策という以上の意味はない。」(「原子力事業に正義はあるか」)

と断言されているが、遠くから漠然としたものではあるがもんじゅについて不安な気持ちで眺めずにいられなかったこれまでの経緯、また福島原発事故後の政府、官僚、電力業界、産業界の、内省の欠如した無責任な言動を見ていると、素人目にも上述の見解に磐石の説得力を感じずにいられない。このままでは原子力業界は、われわれ国民・市民の税金を莫大にそして好き勝手に浪費しつづけるだけではないのかと思う。

今回は田原総一朗氏の文章について感想を書いてみたが、私は何も吉本隆明の文章を読んで田原氏の考えが変えられたと思っているのではない。事故以来の反原発、脱原発の世論を慮ってなかなか原発推進の本心をさらけだせなかった人物が、思想者として一定の権威をもっている吉本隆明の原発推進の発言により、こうして本音を述べる程度には吉本隆明の影響力はあるのではないかと思ったのだった。他にも、乗り物事故や文明の進歩に譬えてブログで原発推進の弁を述べている人が二、三いた。

そろそろ、締めくくりに入ることにして…。1989年2月発行の『試行』には、テレビ朝日の「朝まで生テレビ」における原発特集「徹底討論「原発問題是か非か」」について見解を述べ合う「主」と「客」の対話が掲載されている。この番組を私は観ていないが、おそらくこのときの司会も田原氏だったのではないだろうか。司会ぶりはどうだったのだろう? 「「情況への発言」全集成3」(洋泉社2008年)から該当箇所の一部を引用する。(下線は原文の傍点。強調は引用者による)


 きみ(吉本)は、(引用者注:1988年)7月29日10チャンネル(テレビ朝日)の深夜番組「朝まで生テレビ」を視てたか? 徹底討論「原発問題是か非か」というので、反原発派と原子力発電所関係の専門家とをめぐる討論をやってたぜ。
 視たよ。全部でないが朝の5時40分頃まで付き合ったよ。
 きみ(吉本)はどうおもったかね。おれは予め予想してたよりも、ずっと双方の主張の対立点が煮つめられた気がして、面白かったよ。この種の主題のテレビ討論では出色のできだったんではないかな。もちろん煮つめられた結果、反原発派の論議は誇張とウソと恐怖感を煽るだけで、すこしも科学技術的にしっかりした根拠などないことがはっきり露呈された。だがこういうことははじめからわかりきったことで、それが討論を契機に煮つめられてあらわれただけだ。市民運動はとうとう民衆の日常生活にまで踏み込んで、恐怖と脅迫で生活の身辺に危機と危険を煽りたてる精神の地上げ運動になってしまった。すでに社会ファシズムの運動以外の何ものでもないよ。もともと戦前の日本マルクス主義の運動はスターリン主義の直接影響と指導下に行われ、戦争中に社会ファシズムに転化した。スターリンのマルクス主義は、第二次大戦中じぶんも社会ファシズムと政策上で敵対し、戦争しても、理念的には連続曲線をたどって社会ファシズムと相互移行しても当然だという根拠しかありはしないんだ。そして戦後もなぜスターリンのマルクス主義(その裏がえしとしてのトロッキー主義)、いいかえれば半アジア的な社会でのマルクス主義が社会ファシズムに連続的に移行してしまうのかを根底から検討したことなんかないんだ。おれは、深夜のテレビ討論を視ながら反原発とエコロジーと農本主義とが融着している反原発派に、きっぱりとした否定の意見が出てこない理念のレベルを知って、たいへんな危機感をおぼえたな。西部邁や栗本慎一郎でもあいまいな対向意見にすぎないものな。
 きみのいうとおりだよ。西部や栗本は反原発には賛成だが(すくなくとも反対ではないが)、原発の問題を賛成か反対かの二者択一として提示するやり方に異論があるといっているだけだ。もちろんおれの意見も結果だけはそれとおなじことになる。しかしおれは反原発ということ自体に反対なんだ。もっといえば第一に反原発などと、簡単に、つまり人類の文明の歴史にたいして一個の見識もないくせに、やすやすとほざくことに反村だ。第二に、反原発を反核やエコロチズムに癒着させることに反対だ。第三に経済的にたいした利益にならないから無意味だという論議の立て方に反対だ。第四に原発が安全でないという論議は科学技術的にまったくの嘘と誇張だから反対だ。すくなくとも現存する科学技術と実際化したどの装置や動力構築物(たとえば航空機、列車、乗用車、レース・カー)よりも原発は安全だ。だから安全性がないという煽動に反対だ。第五に安全性に不安があれば新しい試み、新しい構築、新しい未知の課題にとりつこうとしないという考え方に反対だ。そして安全でないなどというケチを社会運動にしようという心情と理念の退嬰性に反対だ。
 おれが反原発にシンパッシィを示せるのは、原子力公団や政府と地域住民の経済社会的な利害が(安全性がでない)対立したとき住民の利益を第一義とすべきだという点においてだけだ。反原発運動の利益などどうでもいいのだが、地域住民の利益は何よりも第一義とすべきだし、反原発連中は地域住民の利益を第一義とするかぎりにおいてしか、意味などありはしない。
 テレビの徹夜の原発論議を視ていて石川迪夫(原子力東海研究所)や近藤達男(東海研究所)や渡辺昌介(動力炉・核燃料開発事業団)の科学技術的な安全性の説明がいちばん妥当なものだという印象を与えて、得るところがあったな。強いて安全性を誇張するのではなく炉芯部の材料の耐脆性や亀裂の安全性の技術的な説明をしながら、それがひとりでに安全性の説明にもなっていた。また装置の配管の強度や安全チェックや幾重もの防護装置を施している技術的な配慮の説明も冷静で説得力があった。広瀬隆や槌田敦(理化学研究所員)や平井孝治(九大助手)の安全性についての危倶の表明は、技術的な論議の水準にはとうていなっていなくて、心情的な恐怖感をあとから理窟づけようとしている程度のものだったな。きみ(吉本)がいうとおりはじめからそれはわかりきっていたことだけどな。 」


いつ、どの地域においても、原発や関連施設の誘致・受け入れに関する住民の考えは一様ではない。「おれが反原発にシンパッシィを示せるのは、原子力公団や政府と地域住民の経済社会的な利害が(安全性がでない)対立したとき住民の利益を第一義とすべきだという点においてだけだ。」という発言をみると、特にわざわざ(安全性がでない)と念を押しているところをみると、前々から感じていたことだが、原発事故が生じた場合に被ることになる健康や生命への住民の潜在的不安や恐怖、その理由による誘致・立地反対の意思や運動などについては政府・電力業界・社会は問題にするには及ばないと吉本隆明は述べているように思える。彼が放射能とか被爆という言葉をまずつかわないのもなぜなのかちょっと気になることである。
2011.08.15 Mon l 吉本隆明 l コメント (0) トラックバック (0) l top
前回引用した原発に関する吉本隆明の発言は毎日新聞に掲載されたものだったが、その後、8月5日には日本経済新聞にも新たな談話が載っていた。「事故によって原発廃絶論がでているが。」という質問に、「原発をやめる、という選択は考えられない。(中略)燃料としては桁違いにコストが安いが、そのかわり、使い方を間違えると大変な危険を伴う。しかし、発達してしまった科学を、後戻りさせるという選択はあり得ない。それは、人類をやめる、というのと同じです。」「危険な場所まで科学を発達させたことを人類の知恵が生み出した原罪と考えて、科学者と現場スタッフの知恵を集めお金をかけて完璧な防御装置をつくる以外に方法はない。」「全体状況が暗くても、それと自分を分けて考えることも必要だ。僕も自分なりに満足できるものを書くとか、飼い猫に好かれるといった小さな満足感で、押し寄せる絶望感をやり過ごしている。公の問題に押しつぶされず、それぞれがかかわる身近なものを、一番大切に生きることだろう。」などと話している。(以下、強調はすべて引用者による。)

原発は、「燃料としては桁違いにコストが安い」と断言しているが、そうではない、という専門家の指摘も数多く出されている。吉本隆明は「コストが安い」という情報が確かだとどうして言い切れるのだろう? 何よりも、電気の燃料として莫大な危険を伴う原発を使わずに他のエネルギーに移行することが、なぜ「人類をやめる、というのと同じ」ことになるのだろう。事故の収束のメドも立っていない。事故の原因も完璧には判明していない。洩れだした放射性物質が自分たちの身体や環境にどれほどの影響を及ぼすのか皆内心では戦々恐々としている。その上、現在稼動中の原発が再び事故を起こしやしないかという不安もある。こういう最中に、「原発をやめる、という選択は考えられない」、それは「人類をやめる、というのと同じです」などという発言を聞くと、2003年、イラク戦争中に米国のラムズフェルドがクラスター爆弾だったかの最新鋭の兵器をカメラの前で披露して、それがどんなに優秀な殺戮兵器であるかを得意気に話しているのをテレビで見たが、ふとあの時の光景が思い出される。

「知恵を集めお金をかけて完璧な防御装置をつくる以外に方法はない。」とも述べているが、空虚な言葉としか感じられない。「完璧な防御装置をつくる」ことが人間に可能なのかどうかもはなはだ疑問だが、たとえば自然災害の存在はどうなるのだろう。吉本隆明は、「「反核」異論」」(深夜叢書社1982年)や「「情況への発言」全集成3」(洋泉社2008年)においても、あれだけ雄弁に他人を批判し、自己の論説を誇りながらも、日本が世界有数の地震国であること、原発の運転には被爆を前提とした人間の手が必要とされること、人間の年齢が少なければ少ないほど受ける被害が大きくなるという放射性物質の性質のことなど、彼の主張に不都合と思われる部分には一切触れていなかった。

また、「公の問題に押しつぶされず、それぞれがかかわる身近なものを、一番大切に生きる」という指摘もどうかと思う。原発事故は、いまだ帰宅できない8万人を超えるという被災地の人々の苦難はもちろんだが、日本に住むほとんどの人間にとってももうすでに「公の問題」ではなく「私的な問題」に変わりつつある。特に子どもやその親にとって、現在、「公の問題に押しつぶされず、それぞれがかかわる身近なものを、一番大切に生きる」こととはどのようなことなのだろう、と考えさせられる。


さて、「「情況への発言」全集成3」は、2008年刊行だから、今から3年前のことになる。吉本隆明は、この本に「あとがき」を書いているのだが、その「あとがき」の「註記」として、大岡昇平について言及している。下記に一部を引用する。


 新書版のためのあとがき 註記
 この第3巻には、大岡昇平問題が話題の一つとされている。不足をおぎなっておきたい。もう本の表題も覚えてないが、埴谷雄高と大岡昇平の対談集がたしか岩波書店から出版され、その中にわたしの人格が疑われるような発言があったが、わたしは埴谷の受け流し方と大岡の発言の両方に不満で、特に何の関係もない大岡のデマゴギーは黙殺できなかった。ただ大岡の『野火』という小説作品のなかで、フィリピンでの日米戦闘の場面で主人公の人命を撃つことが嫌いな考えから、故意に米兵からそっぽをむけて銃を発射する場面があって、戦中世代で真正面から日米戦争に向かって従事したわたしも鮎川信夫も対談で都合が良すぎる旨、批判したことがあった。その仕返しかなと解釈した。
 わたしは凡庸な学生として主戦派だった。ただ言っておけば学生報国会とかの組織などに一切関係したことはない。鮎川信夫はわたしより年長で兵士として東南アジア方面に出征した。これは鮎川信夫の『戦中日記』に記されている。
(略)
 今さら大岡を相手に何かを言う気はないが、補足の文を添えておく。わたしはこの埴谷・大岡の対談集を読んでひどいものだと思って埴谷にも大岡にもその旨をのべ、訂正か抹消かすべきだという旨を送った。埴谷からは返答はなかった。だが絶版が行われた。そしてその後にわたしがコム・デ・ギャルソンの服をきてモデルをつとめたことをからかって論難してみたり、お前の家はシャンデリアがついてるそうじゃないかとか書いてわたしをからかった文章をよせてそれを含む論争にまで発展した。
 大岡昇平は岩波書店のわたしの知らぬ編集者を使いによこした。(どうして欲しいのか)と言うので(一番単純なのは大岡発言をこう直せば訂正になる)と答えた。これがわたしの記憶にある補足したい事項だ。大岡昇平が、『文学界』に書いている断片の文章によると(訂正しろというのは後ろめたいところがあるからだ)というニュアンスになっている。(その上、裁判になれば和解を要請されることになるだろう)などと記している。わたしはあきれ果てるとともに真底から言葉にならない埴谷・大岡世代の左翼体験者やシンパ(同伴者)のひとりよがりな逃げ口上に瞋(いか)りを感じた。文筆をもてあそぶ者として、わたしに直接訊ねれば直ぐに解決することを、風聞によって確信もなく教宣される。教宣するのも阿呆だが、される方も阿呆だ。これがいい年齢した知識人のすることか。逃げ方が気にいらぬ。会社勤めのふつうの庶民サラリーマンでもこんな嫌な逃げ方で、自分を偉ぶりはしない。気の弱い人ならくさり果ててしまうかいびられて自殺したり、殺されたりしてしまう。戦前にも、戦後にも日本国でその例があった。大本が腐っているからだ。
2008年3月  」


吉本隆明が、「もう本の表題も覚えてないが、埴谷雄高と大岡昇平の対談集がたしか岩波書店から出版され」と書いている本は、「二つの同時代史」という表題で、「たしか」に岩波書店から出版された本である。1982年~83年にかけて岩波書店の『世界』に連載され、1984年に単行本として刊行された。大岡昇平と埴谷雄高は同年齢。二人とも戦後になってから文学の世界で活躍をはじめた人たちである(ただ、二人とも戦前・戦中にそれぞれ本を出版しているし、大岡昇平はスタンダールの研究者・翻訳者として、埴谷雄高はドストエフスキー関係の翻訳などで一部では知られていたようだ)。ともに同時代を生きたわけだが、ただ個人的に親しくなったのは晩年になってからで、長い間遠いような、近いような知り合い関係だったらしい。それだけに(?)、話題は豊富で、読者としては、二人の幼年時代から戦前・戦中・戦後にかけての体験や世相を具体的に知ることができ、読んでいて大変おもしろい。これは私が大岡・埴谷ともに好きな作家だからだと思うが、今も時々本棚からとりだしては読んでいる。

吉本隆明は客と一緒になって(この「客」なる人物が、「主」の焚きつけ役、主の徹底的な賛同者として設定されている。珍しい方法だと思う。)、この大岡・埴谷対談を「全体の印象をいえば、まぎれもないたれ流しの老文学者特有の遠近法のない回想談」「もともといくら老いても、こんなたれ流しみたいな回想談をすくなくともおまえはやるな。やりたくなったり、やることを誘われたりしたら拒絶しろ。そういう自戒の鏡としてしか、おれはこの手の回想談なんぞに興味がない」などと語っている。言われてみれば、確かにそういう一面があるとは思う。二人とももう70歳を2つ、3つ超えているし、肉体も衰え、特に大岡昇平は心臓病、糖尿病など幾つもの病気をかかえていて、話しぶりにも内容にも若い時のような冴えはないかも知れないとは思う。しかし、ここ十数年、吉本隆明が表明する発言は当時のこの二人と較べていくらかでもマシだと言えるだろうか? むしろはるかに及ばないのではないだろうか。

「二つの同時代史」では吉本隆明の話題も何回か出ている。そのうちの一件(特に大岡昇平の発言)が吉本隆明を怒らせ、訂正の要求ということになったわけだが、その件に触れる前に、上記の「新書版のためのあとがき 註記」の吉本隆明の文章の誤りについて述べておきたい。吉本隆明は、「二つの同時代史」における大岡昇平の一発言を「デマゴギー」と述べて、その「デマゴギー」を発した理由について、2008年時点における自身の推測を次のように述べている。

「大岡の『野火』という小説作品のなかで、フィリピンでの日米戦闘の場面で主人公の人命を撃つことが嫌いな考えから、故意に米兵からそっぽをむけて銃を発射する場面があって、戦中世代で真正面から日米戦争に向かって従事したわたしも鮎川信夫も対談で都合が良すぎる旨、批判したことがあった。その仕返しかなと解釈した。」

「仕返し」かどうかよりも先に(もっとも私はそうは思わないが)、『野火』という小説は、敗残の部隊からも病院からも追い出された孤独な日本人病兵がフィリピン・レイテの山野をひとり彷徨したあげく、フィリピンの若い女性を銃で撃って殺してしまうというストーリーであり(もちろんそれだけではないが)、米兵を撃つ、撃たないが問題となっている作品は、『俘虜記』という記録小説である。しかも吉本隆明は、「主人公の人命を撃つことが嫌いな考えから、故意に米兵からそっぽをむけて銃を発射する場面があって」などとまるっきり新説(?)を書いている。「そっぽをむけて銃を発射」したりしたら、それが敵に命中しようがしまいが、圧倒的優勢の何千という敵兵に襲われ包囲されているのだから、たちまち撃ち殺されてしまう。駐屯地はミンドロ島。重いマラリアに罹っていたために山の途中で僚友から取り残され、動けなくなった主人公はひとり叢の中の地面に転がり、内心「もはやこれまで」と死を覚悟した。その時ふと「たとえ米兵がきても撃つまい」、死ぬ前に人を殺したくない、と思ったそうである。そこにひとりの米兵がやってきた。主人公は寝転んだ格好のまま思わず銃を構えたが、撃たず、まだ二十歳にもなっていなさそうな若い米兵は何も気づかずに向こうに去っていった、という出来事の経過であった。『俘虜記』のこの場面は、「撃つまい」と思い、事実「撃たなかった」、そういう自己の意識、行動についての執拗な追及の記録である。「人命を撃つことが嫌いな考えから」、「故意に米兵からそっぽをむけて銃を発射」した、などという場面はなかったはずである。

『野火』も『俘虜記』も、大岡昇平の代表作というだけでなく、戦後文学を代表する傑作でもあると私は思うし、世評もそのように遇してきたと思う。吉本隆明は「文芸批評家」でもあると思うのだが、それにしては上の文章はあんまりではないだろうか。これが年齢からくる生理的な衰えによるものならそうそう責められないとも思うが、それならば文芸批評にしろ、文明批評にしろ、この種の仕事はもう止めたほうがいいのではないだろうか。しかし、出版社の編集者や吉本隆明の周囲の人たちはこの誤りに気づかなかったのだろうか。『野火』、『俘虜記』という作品の価値を思えば、信じられないことである。

また吉本隆明は、同じ文章のなかで「大岡昇平は岩波書店のわたしの知らぬ編集者を使いによこした。」となんだか不満げに書いているが、これは吉本隆明が、大岡昇平に文章の訂正を要求するだけでなく、埴谷雄高にも岩波書店にも大岡昇平に訂正を要求する書信を送ったことを通知したから、その時富士の山小屋にいた大岡昇平は動きようがなかったので、岩波書店の担当編集者に「どうすればいいのか」という伺いをもって吉本宅に行ってもらったと、後に『文学界』に連載していた「成城だより」に書いている。大岡昇平は出版社にまでその話をもちこんだ吉本隆明の行動を「異様」と述べていた。

吉本隆明が文章の最後のほうで、「気の弱い人ならくさり果ててしまうかいびられて自殺したり、殺されたりしてしまう。」と述べているのには、吉本隆明自身の他人に対する辛辣な発言の数々が思い浮かんで、私はあきれて笑ってしまった。
2011.08.11 Thu l 吉本隆明 l コメント (0) トラックバック (0) l top
吉本隆明が書いた文章は数多いと思われるが、私の場合、雑誌などに載ったものを折りにふれて読んだだけでまとまったものを読んだことはこれまではなかった。本箱をみてみたところ、「わが転向」(文春文庫1997年)という文庫本が一冊あるきりである。今回、遅ればせながら、「「反核」異論」」(深夜叢書社1982年)と「「情況への発言」全集成3」(洋泉社2008年)の二冊をつづけて読んでみたので感想を述べてみたいと思う。「「情況への発言」全集成3」のほうは、吉本隆明が1961年から長く私家版で発行していた「試行」という雑誌に1984年から1997年にかけて発表した文章を収めたもののようである。内容はすべて、主(おそらく吉本隆明自身のことではないだろうか)と客との対話で構成されている。「「反核」異論」」もそうだが、読んでいて刺激的で興味津々のおもしろい内容の本であることは間違いない。客にいたっては、気に入らない相手に対して「死ね! 馬鹿野郎。」なんて凄まじい悪態もついていたりすることだし。けれども、当人たちが熱意と確信をもって断言調で語っていることが錯誤の少ない思想的にすぐれたものであるかどうかについては大いに疑問があるように感じた。気にかかったことをつらつら書いてみたい。

この時期に少し吉本隆明の本を読んでみようかと思ったのは、5月に毎日新聞「特集ワイド 巨大地震の衝撃 日本よ! この国はどこへ行こうとしているのか」に掲載された吉本隆明の発言を読んだからだった。吉本隆明の談話は、「科学技術に退歩はない」のタイトルで、次のようなものであった。

「原子力は核分裂の時、莫大なエネルギーを放出する。原理は実に簡単で、問題点はいかに放射性物質を遮断するかに尽きる。ただ今回は放射性物質を防ぐ装置が、私に言わせれば最小限しかなかった。防御装置は本来、原発装置と同じくらい金をかけて、多様で完全なものにしないといけない。原子炉が緻密で高度になれば、同じレベルの防御装置が必要で、防御装置を発達させないといけない」

「ひどい事故で、もう核エネルギーはダメだという考えは広がるかもしれない。専門ではない人が怒るのもごもっともだが……」と理解を示しつつも、ゆっくり続けた。「「動物にない人間だけの特性は前へ前へと発達すること。技術や頭脳は高度になることはあっても、元に戻ったり、退歩することはありえない。原発をやめてしまえば新たな核技術もその成果も何もなくなってしまう。今のところ、事故を防ぐ技術を発達させるしかないと思います」

「人類の歴史上、人間が一つの誤りもなく何かをしてきたことはない。さきの戦争ではたくさんの人が死んだ。人間がそんなに利口だと思っていないが、歴史を見る限り、愚かしさの限度を持ち、その限度を防止できる方法を編み出している。今回も同じだと思う」

「ただ」と続けた。「人間個々の固有体験もそれぞれ違っている。原発推進か反対か、最終的には多数決になるかもしれない。僕が今まで体験したこともない部分があるわけで、判断できない部分も残っています」(毎日新聞5月27日)


インタビュアーの毎日新聞記者は、「吉本さんの考えは30年前と変わっていない。「『反核』異論」にはこんな記述がある。<知識や科学技術っていうものは元に戻すっていうことはできませんからね。どんなに頽廃的であろうが否定はできないんですよ。だからそれ以上のものを作るとか、考え出すことしか超える道はないはずです>」と記している。

原子力発電(所)の技術開発を推進するべきという点では吉本隆明は確かに「30年前と変わっていない」。けれども、「今回は放射性物質を防ぐ装置が、私に言わせれば最小限しかなかった。」と話している点については、昔はそんなことは言っていなかったのではないだろうか。吉本隆明は原子力発電の危険性について、「航空機や乗車事故よりも危険がおおいともおもわない。」(「情況への発言」全集成3)と述べている。

航空機事故や自動車事故がどんなに巨大かつ悲惨な規模のものであっても、その事故がその後の数年、数十年にわたって地球上の大気や土壌や水や生物に悪影響を及ぼし、被害を引きずっていくことはない。吉本隆明は故意にその点を無視しているのではないだろうか。だから、

「「放射性物質は、その放射能が半減する半減期が、いちばんみじかいものでセシウム137の30年、プルトニウム239にいたっては、何と半減期が24360年である。いま日本に蓄積されている放射性物質はドラム缶で50000本をとうにこえており、この南太平洋への海洋投棄がおおきな政治問題化しているのも、周知のことだろう。」

などと語る人に対しては、

「知ったかぶりをして、つまらぬ科学者の口真似をすべきではない。自然科学的な「本質」からいえば、科学が「核」エネルギイを解放したということは、即自的に「核」エネルギイの統御(可能性)を獲得したと同義である。また物質の起源である宇宙の構造の解明に一歩を進めたことを意味している。これが「核」エネルギイにたいする「本質」的な認識である。すべての「核」エネルギイの政治的・倫理的な課題の基礎にこの認識がなければ、「核」廃棄物汚染の問題をめぐる政治闘争は、倫理的反動(敗北主義)に陥いるほかないのだ。」

と頭から否定し罵っている。「半減期」云々の説はおそらく正確な事実なのだろうから、別に吉本隆明から「知ったかぶり」と罵られるいわれはないと思うのだが…。加藤周一は、医者として1945年8月6日の原爆投下から1ヶ月後に患者の治療のために広島に入った経験をもつそうだが、20世紀に積み残した課題として、核エネルギーについて「1930年代の終りに核分裂がわかった。そうすると、物理学者は圧倒的に強大なエネルギーが核のなかに入っていること、そしてそれが原則として解放されることがあり得ることを知るようになったのです。それは、第二次大戦が起る前です。それが爆弾になり原子炉になった。」と述べた後、次のように語っていた。

「核エネルギーの問題は先延しです。先に行っても安全だから使っているのではなく、先になったときわれわれは死んでしまうから、後は野となれ山となれということです。核エネルギー政策というのはそういうものです。あと10年や20年は大丈夫、つまりわれわれの生きているうちは大丈夫だと、賛成する専門家たちはいっているのです。しかし、われわれが死んだ後どうなるかの保障は何もない、どうなるかわからない。」(「20世紀はどういう時代か」1993年)

加藤周一の認識のほうが現実に即して正確だと思う。「核」エネルギイを解放したということは、即自的に「核」エネルギイの統御(可能性)を獲得したと同義である」とは言えないことは、不幸なことに今回の原発事故が明瞭に証明したと言えるのではないだろうか。吉本隆明は、1982年に当時の日本の文学者たちが反核の声明を出したり、署名を集めたりの運動をしだしたころから反原発を主張する人に対して「ソフト・スターリニズム」とか「反核ファシズム」「反動」などといって批判・非難をつづけている。

「反原発などといっている左翼、進歩反動たちは、みな文明史にたいする犯罪的理念だよ。文明史の到達点としての原発を否定するのは、いいかえれば焼石や木片マサツ、風車や水車から蒸気機関というようなエネルギー獲得の手段史として原子力発電(所)をみたばあい、これに反対し否定するのは人類の文明史にたいする蒙昧と反動だ。」「原則は、原発の科学技術安全性の課題を解決するのもまた科学技術だということだ。それ以外の解決は文明史にたいする反動にしかすぎない。」

それだけではなく、どんな根拠をもって述べたのか知らないが、「ソ連原発事故のようなものは確率論的にはあと半世紀は起こらない。」とも断言している。いい加減な態度・姿勢としか言いようがない。彼を「戦後最大の思想家」と称える人たちはどんなところを指してそう述べているのだろうか。上述の「「情況への発言」全集成3」から1989年2月に私家版『試行』に掲載されたという文章を長くなるが下記に引用しておきたい。(なお、原文の傍点は下線にかえた。強調の太字は引用者によるもの)


 …原子力発電(所)とはなにか? これが建設され、運転され、じっさいに電力エネルギーを30%供給しはじめていることは、どんなことか? しかるが故に原子力発電(所)に反対であるか賛成なのかをきめるには、いくつかの層をかかえている。その層のひとつひとつについてチェックしてゆくべきだと考える。これを反核、反原発、エコロジーなどと収斂させるのは、反動以外の何ものでもない。
 まあざっとかんがえて、混用したり、ひとつに収斂させたりしてはならない原発問題の層をいくつか設定してみようじやないか。

⑴ 安全性の層
 これには二つあるとおもう。ひとつは文字どおり、装置のもつ安全設計の問題だ。大前研一の記述のとおり、かんがえられるかぎり、ほかのどんな科学技術装置よりも何重もの安全設計が行われている。それでも大事故が起こりうる可能性は、操作ミスを含めて皆無ではない。小さな事故はいつでも起こっていて、その都度、部分的な補正や改造や取りかえがやられているだろうが、チェルノブイリのような事故が発生するのは皆無だという保証はまったくない。それは人間の手になる装置であり、操作もまた人間の手によるものだからだ。だがいっておくが反原発のヒステリイどもがいう「危険な話」は嘘と誇張にしかすぎない。事故が絶村に許されないというのも嘘だし、かつての炭坑労働者のように危険を知りつつも、生活や困窮のため仕方なしに働いているというのも嘘だ。いってみれば現代的な設備と建物と装置にかこまれて、絶対の安全感のうえで働いているといったほうがいい。ただ繰り返しいうが、この絶対的な安全感は、絶対的な安全性とおなじでないことは、あらゆる技術的装置とおなじだ。絶対的に安全な装置などありえないから、おまえは科学技術の現場にあって技術にたずさわること、新しい技術を開拓することをやめるかといわれれば、わたしならやるにきまっている。危険な装置の個所や操作の手続に不安があれば、何度でもおなじ実験を繰り返して、対応の方法を見つけだすまでやる。それが技術家の良心だ。反原発運動などといっている文士や知識人や、いかがわしいルポ・ライターや、テレビ・ディレクターどもには、ひとかけらの良心も、技術の開拓者としての心がまえもありはしない。ただじぶんの空想的な危険感と恐怖感をじぶんの心に秘めておけばいいのに、それをソフト・テロリズムの手段にして、大衆の無知と恐怖心と不安感を組織している。しかも良心の名を使いやがって。
 おれはすこしも原発促進派ではない。だが原発を廃棄せよと主張するような根拠はどこにもない。ソ連原発事故のようなものは確率論的にはあと半世紀は起こらない。半世紀も人命にかかわる事故が起こらない装置などほかにないし、航空機や乗車事故よりも危険がおおいともおもわない。大衆や婦女子の恐怖心に訴えるソフト・テロなど粉砕すべきだし、改廃を論議し市民の運動としたいなら大衆の理性と知性に訴えられなければ、そんなものは反動にすぎないのだ。
⑴の安全性の層について賛否をいえば、おれなら反原発運動に反対。原発促進にも積極的に同意する根拠と立場をもたない。だからといって原発促進にすぐに賛成ということにはならない。それは一般大衆の場所と政府や原子力公団の場所との距離の遠さを無視することになるからだ。

⑵ 地域・経済・利害的な層
 ここでいうのは、そんなだいそれたことではない。原子力発電所を建設地として誘致すると、どれだけの補償金が地方自治体に入り、工事を請負った土建業と関係者がどれだけの利権を手に入れ、公団がどれだけ利益をうるか、地域の住民にはどんな程度の危険感がただようものか、といったことだ。このことではふつうの住民がかげで煮湯をのまされたり、心のなかと表立って発言することと本音とは、たてまえほどちがっていたりということがありそうな気がする。おれならば「反原発」ないし「地域管理原発」を主張したいのはこの問題の層だけだ。
 東京に原発をつくれなどといって脅しているつもりの、バカなソフト・テロリストもいるくらいだから、隣の寺の墓地に原発をつくれなどということもあるかもしれない。そしたらどうする? ちえっ、おれにたいしてはそんなの脅しにもソフト・テロにもならないさ。できるだけ高額の補償金と移転料を獲得する運動を組織するかもしれないし、反原発の住民連中が引越したあと、涼しい顔して住みつづけるかもしれない。ただ嘘と誇張とヒステリックな擬態にみちた、いまの反原発連中や社共のようなぐうたら政党の介入を絶対に許さないことは確実だな。問題は、はっきりしている。地域住民の無言の利益を守ること。安全だとおもっている住民が気持ちよくとどまれるようにすること。危険だとおもっている住民に気持ちよく退去するに充分な補償金をたたかいとること。そのほかの反原発の理念など虚偽としてゴミ箱のなかにたたき込むこと。それだけさ。

⑶ 科学技術的な層
 おれは科学技術的な層の問題として原子力発電(所)が存在することに賛成だ。すくなくとも一度でも科学技術にたずさわったことのあるものとして、原子力を発電に利用しようとする装置を考案し、製作し、作動させて、電力エネルギーの30%供給までチェルノブイリ規模のような人命事故を起こさないできた技術の現状を、否定し廃棄すべき根拠がない。安全装置をもっと多量に、充分にという技術的課題に限度はないということを認めるとしてもだ。
 もちろんそうまでして原子力発電に固執する根拠はあるのか、という疑問はありうる。だがこの疑問は、反原発の半端もんたちは、ヒステリイ病状を露呈してまで、どうして反原発の迷蒙に固執するのかという疑問とおなじ意味でだ。おれがこの原発問題にそれほど本気になれないのは、科学技術の進展が、一挙にこの間題を解決してしまうことが、ありうるとおもうからだ。それが超電導常温物質の発見であってもいいし、太陽発電所の宇宙空間設置であってもいい。またその他であってもいい。このどれひとつでも〈危険〉がないでもない原子力発電(所)の問題を無化してしまう。そういうことは充分に短い期間内にありうることだ。チェルノブイリ級の原発事故は、確率論的にもうあと半世紀はありえない。反原発連中はほっとけば自然消滅するが、おなじように原子力発電(所)自体も、科学技術の歴史の途上で自然消滅して他のより有効で安全性のより多い技術に取って代わられるに決まっている。ただ原則は、原発の科学技術安全性の課題を解決するのもまた科学技術だということだ。それ以外の解決は文明史にたいする反動にしかすぎない。

⑷ 文明史的な層
 これはもう自明のことだ。反原発などといっている左翼、進歩反動たちは、みな文明史にたいする犯罪的理念だよ。文明史の到達点としての原発を否定するのは、いいかえれば焼石や木片マサツ、風車や水車から蒸気機関というようなエネルギー獲得の手段史として原子力発電(所)をみたばあい、これに反対し否定するのは人類の文明史にたいする蒙昧と反動だ。疑問の余地などどこにもないよ。

 けっきょくどうなんだ。この原発問題というのは。きみのような多重な層の問題について個別的にチェックしていけば、はっきりと疑問視できるのは、⑵の地域・経済・利害的な層の問題だけじゃないか。
 そうなんだ。狐憑きがいて原子力発電(所)の問題を、「反核・反原発・エコロジー」などといっしょくたにして原始的自然に退行して一点に凝縮させると、とんでもない迷蒙が生みだされる。ほんとは泰山鳴動して鼠一匹しかでてくるはずがないんだ。こんなのが全社会の問題たりうるとかんがえるのは、狂気の沙汰だよ。 」


上記の「⑵ 地域・経済・利害的な層」を読むと、吉本隆明は、原子力発電所を危険だとおもっている住民は気持ちよく退去するに充分な補償金をたたかいとること以外には、選択すべき道はないかのように扱っている。彼はよく「非政治的大衆」「半政治的大衆」という言葉を用いているが、この文章の論理からすると、原発の地元誘致に反対してそのために闘う住民は「半政治的大衆」であり、彼の好きな「非政治的大衆」と較べれば、さして問題にするに値しない存在ということになりかねないのではないだろうか。
2011.08.05 Fri l 吉本隆明 l コメント (0) トラックバック (0) l top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。