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私が西部邁氏を知ったのは、他にもそういう人は多いのではないかと思うが、テレビ朝日の「朝まで生テレビ」という番組によってであった。最近はほとんどテレビを観ないので、あの番組にもここ7、8年とんとご無沙汰しているが、今はもう西部氏も出演していないとどこかで聞いた記憶がある。それでも一時期(主に90年代)は眠いのを我慢してしばしば朝まで観たりしていたせいで、当時準レギュラー格で出演していた西部氏が出演した番組も通算すると十数回は観ているのではないかと思う。
 
「朝生」における西部氏の印象だが、今も記憶に残っているのは、氏の発言には「高貴」、「衆愚」という言葉がよく交じっていたということである。「高貴」という言葉は、日本の歴史と伝統をしっかり身につけた、強く気高い精神をもって生きている理想的人間のことであり、「衆愚」とは戦後の日本国憲法の下で生きる目的を見失い、あてもなく漂流して生きている、私たち凡庸な大衆を指しているように私には感じられた。

藤岡信勝氏や西尾幹二氏らによって「新しい歴史教科書をつくる会」が発足したのは96年末。一説には、この会が結成されることになったのは、この数年前から、韓国をはじめアジア各地の女性たちから、太平洋戦争中、旧日本軍により強制的に慰安婦にされたという訴えと告発がなされ、その犯罪に対する謝罪と賠償を求める訴訟が相次いだことが原因だったといわれている。藤岡・西尾氏ら右派の人々はこのままでは日本および日本人としての誇りが致命的に傷つけられるという危機感に迫られでもしたのだろうか。

西部氏も漫画家の小林よしのり氏などとともに「つくる会」に加入したが、これは「朝生」で西部氏の政治や社会に関する主張を聞いていた私には何の不思議も違和感もなく、当然の成り行きのように思われた。私だけではなく、当時の「朝生」視聴者の多くはそのように受けとめたのではないかと思う。西部氏は現在「つくる会」を脱会しているそうだが、氏は「つくる会」において「中学公民」の教科書つくりを主導し、また「国民の道徳」という600頁余の大部の本を出版もしている。

実は今回私が「国民の道徳」(扶桑社2000年)、「核武装論」(講談社現代新書2007年)など、西部氏の本を何冊か読んでみたのは、ブログ「こころなきみにも」の萩原俊治氏が西部氏を尊敬していると述べ、その理由について次のような記述をされていたからであった。

「 私が西部邁を尊敬するようになったのには二つ理由がある。

 ひとつは西部が『大衆の病理』(NHKブックス、1987)や『白昼への意思――現代民主政治論』(中央公論社、1990)などで述べている大衆批判やメディア批判に深く共感したからだ。ここで批判している大衆(あるいは民衆)から西部は自分を除外しているのではない。西部自身も大衆であるとして自己批判しながら他者をも批判している。このような大衆批判はドストエフスキーやジラールの大衆批判にそのまま重なる。

 西部を尊敬するようになったもうひとつの理由は、西部がドストエフスキーやジラールなどと同様、回心体験を経ているということだ。たとえば、ドストエフスキーはベリンスキーをお手本とする左翼思想からシベリア流刑を経て、キリスト教的な「土壌主義」(ロシアのキリスト教に根ざした思想を奉ずる立場)を自らの思想であるという立場を取るようになる。簡単に言えば、彼は自分の自尊心の病に気づき、回心したのだ。言うまでもないことだが、ドストエフスキーの「土壌主義」というのは、排外主義的な愛国思想(「右翼思想」)とは異質のものだ。それはいわば「愛郷思想」、いや、思想とも言えない、生きる姿勢とも言うべきものだ。 」
http://d.hatena.ne.jp/yumetiyo/20110912/1315816431

� 西部氏が展開する大衆・メディア批判がドストエフスキーにそのまま重なる、�西部氏はドストエフスキーと同じ回心体験を経ている、という萩原氏の見解には驚いたし、違和感もおぼえた。ドストエフスキーの研究者である萩原氏と異なり、私は何ら専門的な知識も教養ももたない一文学好きに過ぎないのだが、萩原氏には、「亀山郁夫訳カラマーゾフの兄弟」批判をとおして敬意をもっているだけよけいにこの件を黙って通り過ぎることはよくないと思うので、僣越ながら以下に私見(というほどのものではないが)を記しておきたい。

冒頭に少し書いたが、私は「朝生」で西部氏が発言するのを聞いて、氏に対し、� 排外主義的国家主義者の典型 � そのことを知的装い、豊富で洗練された表現や修辞で別の新しい思想のごとく人前に差し出すことができる。その意味で、聡明 � 階層的不平等や階層的支配・被支配関係を是とし、またその必要性を信じている。実はエリート意識の持ち主でもある � 「大東亜戦争」肯定論者 � 核武装論者、というようなイメージをもっていた。

政治思想としては平沼赳夫氏や田母神俊雄氏などの極右思想家とほぼ同一の思想の持ち主のように思えるが、西部氏はさすがに教養人・知識人であって、たとえば「核武装論」には、

「核論議が(日本にかぎらず)世界中で嫌われているのは、防衛論におけるいわゆる現実主義者たちの軍事ゲームを操っているかのごとき物言いに違和を覚える人が少なくないからでしょう」

との記述がある。核および核武装に対する読者の警戒心をよく認識していると思うし、またその認識をすぐ文章に反映させることかできるというのもきっと相当な力量の持ち主なのだろう。本書には「当たり前の話をしようではないか」というサブタイトルもついていて、一巻をとおして物静かで柔和な物言いに終始している。しかし口調がどんなに柔和であろうと物腰が低かろうと、はたまた知的な文体で綴られていようと、この本が日本の核武装を唱え、軍事大国化を目指すための煽動的書物であることに変わりはなく、本の最後は次の文章で締めくくられている。

「 あの大東亜戦争は、日本人が「国民精神を生き還らせるためには、国民生命を死に至らせなければならぬ」との覚悟で行った戦さであった、ということができるでしょう。その意志を受け継ぐことを、戦後にただ生き延びただけの列島人は拒絶しました。それから六十年余が経ち、かつてのと同種の問いがつきつけられているのです。つまり、「自尊と自立」の国民精神に「安全と生存」を保証するためには、国民の生命にたいして「危機と死滅」を予感させる「核」という難物を、我々の懐にしっかりと掻き抱いてみせなければならないということになった次第です。

私たち日本人は本来なら戦後も「大東亜戦争」の精神を歴史と伝統として受け継がなければならなかったのに、それを拒否した。現在の日本がこういう無秩序・無道徳の頽廃した国に成り下がったのはそのためである。故に、遅きに失したとはいえこれから核武装をし、戦前の秩序を取り戻し、大衆はいざという時には国のために死ぬだけの覚悟をもって生きなければならない。そうして初めて日本人は衆愚の状態から脱することができる、というわけであろう。

萩原氏は、西部氏の大衆批判は「ドストエフスキーやジラールの大衆批判にそのまま重なる」と述べているが、本当にそうなのだろうか。西部氏の大衆批判が「自分を除外しているのではない。西部自身も大衆であるとして自己批判しながら他者をも批判している。」という場面に私は行きあった記憶がないのだが…。ドストエフスキーは「死の家の記録」で、主人公に

「どんな凶悪犯罪者であれ、また反省の情の微塵もない救いようのない者であれ、自分が犯罪者であること、悪事をなした者であることは知っていた。自分を良いと思っている者は一人もいなかった。」

と語らせている。多くの人が述べていることだが、シベリア体験で得た民衆に関するこの発見と確信こそ、ドストエフスキーの文学、思想の根幹をなすものではないかと私も思う。ドストエフスキーの心の底には民衆へのこの信頼が確固として居座り、生涯動くことはなかったように思える。核武装を唱え、国家のために死ぬ覚悟を持て、などと民衆に要求するような人物がドストエフスキーと並べて論じられているのをみるのは率直なところ少し苦痛であった。

それから、「回心」ということだが、残念ながら私は不勉強のためにこの問題について言えることをほとんど持たないのだが、それでも、西部氏にドストエフスキーの苦しい体験と比較できるようなどんな回心の経験があったのだろうと疑わしく思う。田原総一郎氏は、「脱原発の風潮は60年安保闘争に似ている」(8月10日)というタイトルの記事で、下記のように書いている。

「 安全保障条約は、吉田茂内閣が取り決め、岸内閣がその条約を改正し、その内容は日本にとって改善されていた。だが、私は吉田安保も改定された岸安保も条文を読んだことがなく、ただ当時のファッションで安保反対を唱えていただけだった。「岸信介はA級戦犯容疑者であるから、きっと日本をまた戦争に巻き込むための安保改定に違いない」と思っていたのである。
 当時、東大の安保闘争のリーダーは西部邁氏であった。私は西部さんに「吉田安保と岸安保はどこが違うのか。それぞれを読んだか」と聞いてみた。西部さんは「読むわけないだろう。岸がやることはろくなものではない。日本を戦争に導くだけだ」と言っていた。
 60年安保闘争に参加していた者はほとんど安保条約の中身など読んだこともなく、ただ反対していただけなのである。科学的・技術的な議論が行われない脱原発の動きは、この安保闘争とよく似ていると感じる。 」

この記事中の西部氏に関する部分を読んで感じるのは(前々からそのように感じないわけではなかったが)、西部氏は実際的な遣り手でもあるらしいということである。左から右へといわゆる政治的転向をしたわけだが、左における「安保闘争のリーダー」からやがて入会した右の「つくる会」では「公文」の教科書や「国民の道徳」という本を執筆、出版するなど、「つくる会」の指導者として遇されている。自らそうなりたがるのか、他人に推されるのかは分からないが、ただ私には、こういう道程はその人の優秀さの証明であると同時に恥ずかしいことでもあるように思える。「国民の道徳」にはこういう記述がみられる。

「 今から二十余年前、「現代日本は高度大衆社会としか思われない、私はそういう愚劣な社会に抗う決意だ」と最も大衆的な新聞紙上で書いたことがある。そのとき、ある年配の役人が「あなたがこの世から放逐されるとしたら、そして大衆リンチに遭うとしたら、この文章が証拠の第一のものになりますよ」とコメントした。私は放逐されたのだろうか、そうかもしれない。私は大衆リンチに遭ったのだろうか、そうかもしれない。いずれにせよ、はっきりしているのは、これ以上に恥知らずに生きるには私は弱すぎるということである。」(p576)

西部氏がこの世あるいは世の中から放逐もされていなければ、大衆リンチにも遭っていないことは明白である。この文章には大衆への嫌悪と、自分(の高貴さ)に満足し、陶酔している西部氏の内面が映っているように思えてならない。こういう西部氏がどうしてドストエフスキーと重なるのかが私には理解不能なのだ。ドストエフスキーは自分の苦しい経験から、たとえば死刑についてこれまでどんな人も描いたことのない、おそらくは思い浮かべることもなかったのではないかというほどの恐ろしく深みを感じさせる観察をムイシュキン公爵をとおして披露している。

「殺人の罪で人を殺すことは、当の犯罪よりも比べものにならないくらい大きな刑罰です。判決文を読みあげて人を殺すことは、強盗の人殺しなんかと比べものにならぬくらい恐ろしいことですからね。…
 夜の森などで強盗に切り殺される人は、最後の瞬間まで、かならず救いの希望をもっているものなんです。もう喉を切られていながら、当人はまだ生きる希望をもっていて、逃げたり、助けを求めたりする例はいくらでもあるんです。ところが、死刑では、それがあれば十倍も楽に死ねるこの最後の希望を、確実に奪い去っているんですからねえ。そこには判決というものがあって、もう絶対にのがれられないというところに、むごたらしい苦しみのすべてがあるんです。いや、この世にこの苦しみよりもひどい苦しみはありませんよ。」(ドストエフスキー『白痴』木村浩訳)

西部氏は「国民の道徳」のなかで、「人はなぜ人を殺してはいけないのか」という命題について、「自分が他人から為されては困ることを、他人に為してはならぬ」、「ともかく殺人についていえば、他人から殺されたくないなら他人を殺してはならない、これが社会秩序の大原則である。」としごく良識的なことを述べた後、次のようにつづける。

「しかし、例外のない原則はない。殺人もまたコミュニケーションの一形態なのであってみれば、コミュニケーションの極限的な場面である戦争や死刑にあっては、さまざまな規則を付加した上で、殺人を合法的とみなすことになる。また道徳についていえば、自分の愛するものが凌辱されたとき、それにたいする復讐として相手を殺すことは、今では法律的には罰せられるが、道徳的には許されたり称賛されたりする場合もある。つまり、殺人否認の原則から逸脱する特殊ケースが戦争であり死刑であり、あるいは復讐であるということだ。 」

西部氏の思想にも耳を傾けるべき点も多々あるのだろうとは思う。そうでなければ萩原氏も西部氏をあのように賞賛するということはないだろうから。それでも西部氏の場合、その思想の行きつく先はどこかという問題が常に存在していると思うのだ。「戦争」「死刑」「復讐」という問題に関する西部氏のこの文章にも、西部氏の思想をドストエフスキーの文学と重ね合わせて語ることの無理が現れているのではないかと思うのだが、どうだろうか。ちなみに、西部氏の「国民の道徳」に対しては「徹底批判 国民の道徳」(大月書店2001年)が出版されている。まだ少ししか読んでいないが、執筆者は大日向純夫・山科三郎氏など13人の著者によるもので、興味深い内容のようである。

追記ーこの記事をアップしてからふと気がついたのだが、「つくる会」が結成される前後、世の中の空気や流れが明らかに変わった、と感じ出したころから、私は文学と文学者にそれまで以上につよく惹かれるようになった。そのころから読む本 (文学に関係する) の量もいくらか増えたかも知れない。もっともそれは以前に比べてということで、たいしてかわり映えはしていないが、心境の変化はたしかに生じたのだった。


9月27日、誤字の訂正と文章の追加をしています。
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2011.09.25 Sun l 文芸・読書 l コメント (0) トラックバック (0) l top
産経新聞の記事「死刑執行 法相は職責から逃げるな」は、死刑執行が求められている理由として、この前のエントリーで取り上げた説の他に、「最後の執行以降に16人の死刑が確定しており、死刑囚は過去最多の120人に達している」ことをも挙げている。この言い方にはどうも確定死刑囚が100人を超えて120人にまで達していることに対するある種の焦燥感すら漂っているように感じるのだが、これは勘繰り過ぎだろうか。

たしかに、確定死刑囚120人という数は驚くべく多い。「死刑執行・判決推移」(以降に引用する死刑判決および死刑執行に関する数字はすべてこの統計記録に拠る)を参照すると分かるのだが、これは実に戦後最多の死刑確定者数なのだ(ただし、敗戦直後の4年間(1945年~1948年)の死刑確定者数は不明)。そもそも年度末における死刑確定者総数が100人を超えたことは、2007年に107人を記録するまで過去60余年間一度もなかった。

敗戦から1950年代末までの十数年間、日本の年間死刑確定者数は20人台を中心に毎年二桁を数えていた。当時は、死刑執行も判決数とほぼ同数回行なわれており、年間30人もの人が処刑されたという記録も数回みられる。そのため、全国の拘置所または刑務所に収容されている確定死刑囚の総数は60人台を中心に50人~80人という状態で一定していた。しかし、60年代に入ると、死刑判決は徐々に減少し始める。64年は9人、65年は7人というように、年間の死刑確定者数が一桁台におさまる年も現れはじめた。

1970年代に入ると、その傾向はいよいよ顕著となり、新確定者数は年間2人とか3人、時には0人、1人など、一桁の前半を記録する年が多くなる。その結果、1971年から2003年までの33年間の死刑確定者総数は139人、年平均に換算すると、4.2人である。直前の1961年からの10年間、確定死刑囚の総数は131人、年平均13.1人だったことを考えれば、まさに雲泥の差であり、これは裁判所の姿勢が死刑判決に対して抑制的な方向に変化していることを示している。この間の特筆すべき出来事としては、何といっても80年代、免田栄さんを筆頭に4人もの確定死刑囚の人たちに次々と再審無罪判決が言い渡されたことが挙げられるが、その他、1990~92年の3年間、死刑執行が一度もなされなかったことも今なお記憶に新しい。1990年は国連で死刑廃止条約が採択された年であり、3年もの間死刑執行が皆無だったのはおそらくそのことと無関係ではなかっただろう。その前提として、4件4人の再審無罪判決の衝撃の記憶が世の中から、ひいては司法関係者の胸の裡から、消え去ってはいなかったであろうことも推測される。

一方、この間、死刑判決の対象となる殺人事件の発生件数(および事件による死亡者数)はどのような推移を辿ったかを見てみたい。こちらの統計資料によると、殺人の認知件数は70年代に入った頃から減少の一途を辿り始める。それまで年間二千件を下回ることは稀だったのに、1978年(昭和53年)に発生件数1862件を記録して以来、今日まで一度も二千件台に上昇することはなく、逆に1988年に1441件という一千件台の前半を記録して以後、昨年まで緩やかながらも確実に減少を続け、現在も最少記録を更新しつづけている。

このように殺人認知件数と死刑判決、双方の減少により、1971年~2003年までの間、確定死刑囚の総数は常時20人から50人の間を行き来している。90年代に入るとその数は40~50人であり、70、80年代に比べるとやや増加しているように感じられるが、記録をみると、その原因は、死刑執行が死刑判決以上に抑制的・減少傾向にあったせいのようである。

ところが、21世紀に入ると、死刑制度を取り巻く環境・様相は突如として一変する。2004以降、2011年現在までの8年未満の間の死刑確定者総数は118人、年平均14.8人である。2004年の確定者数15人、2005年11人、2006年20人という記録をみると、この動向は2004年に突如発生したものではなく、すでに90年代の後半から地裁、高裁においては死刑判決が激増していたということが分かる。

それにしても、71年から2003年までの33年間にわたって続いていた確定死刑判決4.2人/年から、2004年以後の8年間は、一挙に3倍強の飛躍的増大である。8年間の総計118人、年平均14.8人という数値は、このなかにオウム事件により死刑判決が確定した人々が12人も含まれていることを考慮に入れても、驚くべき数値というしかない。半世紀前の60年代の年平均13.1人をも超えている。この間もしも日本社会における殺人件数や殺人事件による死亡者数が増大していたというのなら、死刑判決の増加を容認するかどうかは別にして、そのゆえんを理解はできる。が、そんな事情は上述のとおり皆目存在しないのである。

それにもかかわらず、なぜわずか十年ほどの間にこれほどまでに死刑判決が急増してしまったのだろう。産経新聞は「刑事訴訟法は死刑確定から6カ月以内に刑を執行することを定めているので、職責を全うできないなら、最初から大臣就任の要請を受けるべきではなかった」という死刑推進派の常套句に加え、上述したように「死刑囚は過去最多の120人に達している」と述べたり、あげくのはてには、死刑判決を下した裁判員の心情を勝手に忖度して、法相が死刑執行を命じないのは「裁判員の努力に対する愚弄だ」とまで述べて(死刑判決を出した裁判員は執行を心待ちにしているとなぜ言えるのだ?)、死刑執行を煽動している。が、ジャーナリズムならば、まずは、死刑判決が、法改訂もなければ有権者に対する何らの説明もなく、このように急増した理由は何かという点に注意なり意識なりを向けてほしいものだ。死刑が例外中の例外である重大な刑罰だという認識をもっているならば、司法記者たるもの当然そのような思考をすると思われるので、この記事は端的に記者の「死刑」という刑罰についての思慮不足、認識不足の証明品ではないか。

現状では、死刑判決の激増と同時に、無期刑も激増している。20年前、10年前には有期刑に相当した犯罪が現在では無期刑に (時には死刑に) すり替えられているのだと思うが、このような恣意的判断がなぜ裁判官に許されているのだろうか。これは実は完全な違法行為ではないのだろうか。これほど重大な問題が摘発もされずに見逃され、許されるのならば、そのうち年間の死刑確定件数がかりに50件、100件、200件と増大を続けていったとしても、論理のいきつくところ、問題ないことになるのではないか? ジャーナリズムはこの現実をこそ率先して分析し、論点を法相の記者会見の場で率直にぶつけてみてはどうだろうか。記者会見の場が闊達になること請け合いである。

司法の厳罰化の原因だが、政治や社会の動きと密接に連動して進んできたことは間違いないと思う。このことは政治に鈍感な私でも7、8年前からひしひしと感じてきた。1999年の周辺事態措置法から始まって、2002年の武力攻撃事態法、自衛隊法等改正、安全保障会議設置法改正など、有事法の成立によって日本社会の右傾化は決定的に進んだ。そこに、経済格差が拡がり、若年層をはじめとした労働者の雇用や貧困の問題が深刻化した。司法の厳罰化はこのような社会環境の下で半ば必然として起こったことだと思う。どんなに過酷に扱っても誰からも文句が来ない、あるいは来てもきわめて少数とおぼしき人間や集団をより一層過酷に取り扱い、見せしめにする必要がある。そうして初めて一般社会における底辺層の不満を抑え込むことができると狡猾にも支配層は考えるのではないだろうか。気がついたらいつの間にか司法の厳罰化が進行していた、というようなことでは決してなく、ちゃんと計画的に施策として進められてきたのだろう。司法の問題だけではなく、授業料無償化の対象から朝鮮学校を除外するという政策に象徴されるように、在日朝鮮人への差別と迫害も年々あからさまに酷くなってきている。社会に起こるいろんな出来事や現象は相互に無関係ではなく、緊密に結びついていることはたしかだろう。福島第一原発事故も、その原因の一つにはもしかすると日本社会の近年のこのような荒廃も深く絡んでいるのではないだろうか。

司法は法的にも社会的にも何ら正当な根拠をもたないまま、そして有権者に対する断りもなく勝手に厳罰化を推進してきた。それなのに産経新聞のごとくその問題を一切不問に付して、「死刑囚は過去最多の120人に達している」から、法務大臣よ、執行を急げ、と叫ぶようでは、産経はもはや報道機関ではなく、権力の走狗機関になってしまっているのではないか。

法務省は「120人」という確定死刑囚の数が国連の人権委員会など国際社会の注意を惹くことを恐れるだろうから、新法相の平岡氏には今後あちらこちらから執行圧力がかかってくることだろう。産経新聞の記事のように。しかしこの状態は第一に近年の異常な厳罰化が招いた結果であることは間違いないく、これでは死刑という深刻な刑罰に対し、より一層の疑問や不審をもつのは、法相がデリケートな神経と良心をもっていればいるほど必然のことだと思う。国連・規約人権委員会は、2008年に発表した「対日審査・最終見解」において、「政府は国民に廃止が望ましいことを知らせるべきである」との意見を述べている。平岡氏には圧力に屈せず、死刑執行を拒否する、というよりむしろ、自身の法相就任を死刑廃止に繋げるのだというくらいの意気と勇気と自信をもって問題に取り組んでいただきたいと思う。
2011.09.22 Thu l 死刑 l コメント (0) トラックバック (1) l top
   
先ほどニュースを検索(google)してみたところ、久しぶりにちょっとうれしい記事を見つけた。それも二つも! 一つは、今日、「大阪維新の会」が9月府議会に提案予定の「教育基本条例案」に関する大阪府教育委員会会議が開かれ、出席した委員全員(意見表明ができない府教育長の中西正人氏以外の5人)が条例について「根本的に問題がある」「ものすごく乱暴」などときびしく批判し、徹底反対の姿勢を示したとのこと。この姿勢はごく常識的であると同時に普遍的でもあることは論をまたないと思うが、このような認識が委員全員に共有されていることを知って安堵した。(強調の下線は引用者による)

「 維新の教育条例案に異論噴出、陰山委員「間違っている」
 大阪府の橋下徹知事が率いる地域政党「大阪維新の会」が府と大阪市の9月議会に提出を予定しておいる「教育基本条例案」について、16日に開かれた定例の大阪府教育委員会会議で異論が噴出。なかでも「百ます計算」で知らhれ、学力向上を掲げる橋下知事の要請で教育委員に就任した陰山英男委員が、教員の管理を強化すれば現場がよくなるという発想は根本から間違っているとして、「(可決されれば)辞めますよ」などと激しく反発した。
 約90分の話し合いのうち、大半を条例への反発と疑問が占めた。
 特に異論が相次いだのが、一定の比率の教員に最低評価を行わなければならないなどと定めた管理強化の規定。陰山委員は「あの先生を辞めさせたいといういじめが始まる」「評価者の方向ばかり向く教員や、一部の保護者とつるむ教員も出てきます。(現場は)むちゃくちゃになりますよ」などと反対理由を述べ、「これで学力が上がりますか、先生のやる気が上がりますか」と訴えた。 」(朝日新聞9月16日)

また、「教育基本条例案」だけではなく、もう一件、維新が提出予定の「職員基本条例案」に関しても、内部では厳しい批判や異論が噴出しているとのこと。当然すぎるほど当然のことだ。橋下氏は弁護士資格をもっているというが(実はこの資格があったればこそ、府知事選への誘いがかかったことはまず間違いないのだが。)、たとえばここ10年間、一度でも憲法を読んでみたことがあるのだろうか。本心では「あんな憲法なんかドブに捨てていい。オレ様こそが憲法だ」とでも思っているのではないか? そんなことが想像されるほど、その言説、行動は傲慢、一人よがり、日が経つごとに増長の度が増しているようで、狂気の気配さえ感じられる。維新内部におけるこの問題に関する記事を読売新聞から引用しておく。

「 維新内 2条例に異論…大阪府議団意見交換会
 大阪府の橋下徹知事が代表を務める地域政党・大阪維新の会が、府議会などに提案する「職員」「教育」両基本条例案を巡り、維新府議団が9、12日に行った非公開の意見交換会の詳しいやり取りが、内部資料で判明した。最下位の人事評価が2年続けば分限免職対象となる条文には「無理がある」「いじめが横行する」などと異論が続出。政治主導による教育改革を打ち出した全国でも例のない条例案に「法的に耐えられるのか」と不安も漏れるなど、揺れ動く維新議員の心境がうかがえる。
 読売新聞が入手した内部資料では、維新府議57人のほぼ全員が出席し、2日で計約7時間半にわたって議論。両条例案は一部議員が内密に作成したため、初めて議論に参加する府議もおり、率直な戸惑いが漏れた。
 職員条例案では、職員の5%を最下位ランクとする人事評価について、ベテラン議員が「優秀な人ばかりの職場でも、必ず5%を最低評価にするのは無理がある」と反論。相対評価を採用した民間企業で勤務経験がある議員も「各課でSやA評価の奪い合いがあり、短期目標ばかり頑張るようになった。いじめも横行した」と弊害を訴えた。」(読売新聞9月14日)

維新内部からさえ異論続出だとのこと。各議員には願わくばこのような政党に入ったことがそもそも間違いだったとの認識をもってほしいと思う。「教育基本条例案」「職員基本条例案」(全文はまだ見ていないのだが、公開はされているのだろうか?)については、両案ともに議会で徹底的な議論がなされるべきだと思う。職員の5%を必ず最低評価にしなければならない、などという案はこれ自体まさしく犯罪であろう。決して「やりすぎ」などという程度や範囲の問題ではない。上で誰かが述べているように、「発想が根本から間違っている」のだ。何がなんでもとにかく大阪府に、ひいては日本社会に徹底的な差別といじめを網の目に張り巡らせたい、今ならできるという毒々しい内的欲求に押されているとしか考えようがない。これはこれまで大阪府が行なってきた朝鮮学校への補助金打ち切りや君が代起立条例決議の必然の結果として出てきているのは疑えない。教育および職員基本条例の審議にあたってこの角度からの検討と議論は不可欠のはずだ。そのような審議過程を経て初めて、議会はこれらの醜い案を二度と生き返ってくることのないまでに否定し切ることができるし、完璧に葬り去ることができると思う。

   
もう一つ、うれしくもなつかしい気持ちがしたのは、上の記事とはまるでおもむきの異なる「新種コガネムシ 北杜夫さんにちなみ和名「マンボウ」」(毎日JP 9月16日)という下記の記事であった。

新種のコガネムシ
斜体文
「 長野県安曇野市の昆虫収集家、平沢伴明さん(54)がコガネムシの仲間「ビロウドコガネ」の新種を発見し、近く研究論文を信州昆虫学会の機関誌「ニューエントモロジスト」に掲載する。学名はラテン語で「ユーマラデラ・キタモリオイ」、和名は「マンボウビロウドコガネ」。平沢さんが昆虫採集を通じて交流がある作家、北杜夫(きた・もりお)さん(84)の名前にちなんで命名した。【古川修司】
 北さんは「どくとるマンボウ昆虫記」を執筆し、昆虫好きで知られる。命名に「とても照れくさいけれど光栄。大好きなコガネムシなのでうれしい」と喜んでいたという。
 新種は小豆色で体長約7ミリ。平沢さんの知人が94年に沖縄県・西表島で採取した4匹を譲り受けた。今春、図鑑執筆の際に改めて標本を確認し、雄の生殖器の構造が他の種と違うことが分かった。
 平沢さんは信州大出身。旧制松本高(長野県松本市、現信州大)に通った北さんの後輩に当たる。北さんはエッセーなどの中で、学生時代に信州の山々を歩き、昆虫収集した思い出を書いている。
 2人の交流は86年、北さんがテレビ番組の収録で松本を訪れた際、地元のコガネムシ収集家の平沢さんと出会ったのが始まり。その後も個人的に平沢さんを訪ね、標本を見たりしたという。
 北さんのファンという平沢さんは「昆虫研究が広く理解されるうえでも、北さんの功績は大きい。喜んでもらえてうれしい」と話している。標本は17日、松本市の信州大で開かれる日本昆虫学会の会場に展示される。
 ◇ビロウドコガネ◇
 コガネムシ科コフキコガネ亜科に属する。体長約5ミリ~1センチ。体の表面は細かい毛で覆われ、つやがないことから「ビロード」の名がついた。世界各地に生息し、国内だけで約100種類いる。 」

先年亡くなった辻邦生(と思ったが、ウェブ検索してみたら、辻邦生の逝去は1999年、もう10年以上も前のことであった。あぁ、いつの間にかもうそんなに年月が経ったのだ…。)が北杜夫について書いた文章を読んだことがある。二人は旧制松本高校の同窓(辻邦生のほうが先輩)であった。それ以来の生涯にわたる交友だったから(交友の長さという理由だけでないのはもちろんだが)、その文章も、北杜夫についてさすがによく知っていると実感させる印象深いものであった。

特に印象的だったのは、一つは、北杜夫と昆虫との関係について述べている箇所であった。北杜夫が昆虫について話すのを聴いていると、そこに籠もっている何とも表現のしようのない深い感情に知らず知らず嫉妬をおぼえずにいられなくなるのだと辻邦生は述べていた。手許にその文章がなく、記憶にたよって書いているので、言葉遣いは違っていたにちがいないが、文意は、北杜夫の昆虫に当たるものを自分は持っていない、ということを北の昆虫に関する語りは聴き手に感じさせずにおかない、というようなことだったと思う。私も『どくとるマンボウ昆虫記』を読んだことがあり、幼年時から学生時代まで、北杜夫が昆虫学者になりたかったほどの昆虫好きだったことを知ってはいたが、そういうことまではとうてい感じとれなかった。辻邦生のこの記述によって北杜夫という作家の本質を教えられたような気がしたものであった。もう一つは、北杜夫の文学の原点は、北杜夫がよく語っているトーマス・マンやその他の人物、作品にあるのではなく、父親の斎藤茂吉の短歌なのだと辻邦生が断言していることであった。この指摘は素直に腑に落ちることではあったが、あらためてこのように言われてみると、ふと感動するものがあった。なぜなのか、理由はよくは分からないのだが、多分中野重治の『茂吉ノート』を読んだことが影響しているかも知れない。

松本高校から進学するにあたって、北杜夫は生物学科(多分そうだったと思う)に進みたいと思い、医学部進学を勧める(というより医学部に行くのが当然と一人で勝手に決めこんでいる)父親の茂吉に手紙でその意思を伝えた。すると、茂吉からすぐさま「愛する宗吉よ」という困った呼びかけではじまる、昆虫学では食べていけないから翻意するようにという、優しく諭す返事が返ってきたそうである。息子のほうは志望をあきらめきれずになおも意思を変えずにいると、しだいに茂吉の手紙はきびしい叱責の調子に変わり、医学部受験書以外の本は読んではならぬ、友達が訪ねてきても部屋に入れてはならぬ、決然と追い返すべし、というような手紙を寄越すようになった。その上茂吉には貧困妄想もあったらしく、お前の学費もいつまで捻出できるか分からぬ、という気弱なことを書いてきたりもしたそうである。

北杜夫は結局父茂吉の反対で昆虫学への進路を諦めたわけだが、辻邦生が言うように、北杜夫が思春期以降茂吉の歌を愛読し、あのような歌をつくった茂吉を心底尊敬していたことは事実である。学生時代、東京の家(戦争中、茂吉は故郷の山形に疎開していたので、その期間は山形)に戻る時には、あのような尊敬すべき歌人の側にいられると思うと、胸に震えるような感激が湧いてきたそうである。ただし、一週間も一緒にいると、こういう口うるさい人物の側にいるのは堪らないと感じるようになったそうだが。また今から二十数年ほど前のことだったと思うが、北杜夫は専門の歌人でさえ今や茂吉の歌は難しくて読めない、読まないという話を人に聞き、大変ショックを受けたと書いていた。そして「私の小説はすべて消えてもいいから(『楡家の人びと』だけ残して)、茂吉の歌は読み継がれていってほしい」という趣旨のことをも。

茂吉は日本の多くの詩人同様、戦争中には数多くの戦争賛美の歌を書いている。素人の私がみても、それらの歌は読むに堪えないように思うが、北杜夫もそのことは事実と認めている。高村光太郎、三好達治もそうだが、すぐれた詩をつくる一方、同時に戦争を肯定してしまう心情はその詩とその時具体的にどのような関係にあるのだろう。

今回発見されたコガネムシに「学名はラテン語で「ユーマラデラ・キタモリオイ」、和名は「マンボウビロウドコガネ」が命名されたことについて、北杜夫は「とても照れくさいけれど光栄。大好きなコガネムシなのでうれしい」と述べたということだが、きっとこのとおりの心境だったのではないだろうか。私がこれ以前に読んだ北杜夫の文章は、もう十数年も前のことだが、「夕食に○○○(注 魚の名前は忘れたが、まあまあ高価そうな魚だったと思う)の焼き魚が出ていた。私は、妻に「これ高かったんじゃないかい?」と訊いた。食卓にアジ、サバ、イワシ以外の魚をみると、私は心配になってそう訊ねずにいられない。」と書いていた。あの時も思わず笑ってしまったっけ。まだまだ元気でいてほしい。贅沢をいえば、また文章を書いてもらいたい。もう一度、躁状態になってもらって。

なお、北杜夫と昆虫については、読売新聞(2010年10月18日)の次の記事もたいへん興味深い。
「戦時下の昆虫少年がよみがえる24葉のはがき~北杜夫さん編」
2011.09.16 Fri l 社会・政治一般 l コメント (2) トラックバック (0) l top
   
金光翔さんは8月24日に控訴棄却された訴訟結果に対し、下記のように最高裁に上告されたとのことである。

「対佐藤優・週刊新潮の訴訟だが、最高裁に上告した。一審、二審ともこちらの訴えをまともに検討した形跡が何ら見られない判決だったが、今度こそ公正な判決が下されることを祈る。」

判決前に弁論が開かれるかどうかが鍵だと思われるが、最高裁には公正な判決のために、手間を惜しまず、ぜひとも弁論の手続きをとるようにお願いしたい。

   
野田新政権で法相に就任した平岡秀夫氏は、昨日(9月13日)記者会見を開き、取調べ可視化について「刑事司法制度全体の見直しの中で一番大きな課題は可視化だ。できるだけ早く結論を出して実行していきたい。全事件、全過程(での導入)が一つの理想」と述べ、また死刑制度については次のように言及したとのことである。

「平岡秀夫法相は13日、報道各社のインタビューで死刑制度について「執行するかしないかだけでなく、制度を国民と一緒に考えたい。国民的な問題提起をどう受け止めるかも考えたい」と制度存廃の是非も含めた国民的な議論を進めたいとの意向を示した。一方で「死刑執行を停止する判断に立つことはできない。死刑執行命令が法相の職責であることは十分承知している」との認識を示した。」 (毎日新聞【石川淳一】)

「死刑執行を停止する判断に立つことはできない。」とは微妙な発言のように感じるのだが、どうだろうか。平岡法相は、就任当日の9月2日には死刑について「大変厳しい刑。慎重な態度で臨むのは当然だ」「国際社会の廃止の流れや、必要だという国民感情を検討して考えていく。考えている間は当然判断できないと思う」(東京新聞)と述べ、執行に慎重な姿勢を見せていた。

昨年7月28日に千葉景子法相の命令で二人の死刑が執行された後、柳田稔、仙谷由人、江田五月の三法相は死刑を命じなかった。これで一年余執行がなされていないわけだが、これは私などには本当によかったと思えることである。東日本大震災勃発、いまだに収束のめどのつかない福島第一原発事故、それに加えてリビアに対し英仏米などの「NATO」は半年間にわたり2万回以上の空爆を行ったとのこと(ブログ「私の闇の奥」による)、これはリビアの人々を無慈悲に殺し、きわめて高度に整備されているというリビアのインフラを無法に破壊した典型的侵略行為だったと思う。

このように未曽有のきびしい出来事が重なり続いた間に、もしも死刑執行のニュースを聞かなければならなかったとしたらさらに陰鬱な心境になっていたように思う。新法相・平岡氏も就任会見で執行に慎重な姿勢をみせていることを知って一先ずほっとしたところだった。

ところが産経新聞は、この会見の後、早速「法相は職責から逃げるな」と新法相にプレッシャーをあたえ、執行をけしかける記事を書いていた。以下のとおりである。

「 死刑執行 法相は職責から逃げるな
 野田佳彦内閣の平岡秀夫法相は就任会見で、死刑執行について「国際社会の廃止の流れや、必要だという国民感情を検討して考えていく。考えている間は当然判断できないと思う」と語った。
 当面、執行はしないと述べたに等しい。だが、刑事訴訟法は死刑確定から6カ月以内に刑を執行することを定めており、「死刑の執行は法務大臣の命令による」と明記している。
 法相に就任してから考えるのでは遅い。職責を全うできないなら、最初から大臣就任の要請を受けるべきではなかった。
 民主党政権の法相は2年の間に千葉景子、柳田稔、仙谷由人(兼任)、江田五月の各氏に続き、平岡氏で5人目となる。この間に死刑が執行されたのは、千葉氏が法相当時の2人だけだ。
 最後の執行以降に16人の死刑が確定しており、死刑囚は過去最多の120人に達している。
(略)
 在任中に一度も執行しなかった江田氏は7月、「悩ましい状況に悩みながら勉強している最中だ。悩んでいるときに執行とはならない」と発言した。
 平岡法相の就任会見の言葉と酷似している。平岡法相もまた、死刑の執行を見送り続けるのではないかと危惧する理由だ。
 国民参加の裁判員裁判でも8件の死刑判決が言い渡され、すでに2件で確定している。
 抽選で審理に加わり、死刑判決を決断した裁判員らは、究極の判断に迷いに迷い、眠れぬ夜を過ごした苦しい日々と胸の内を、判決後の会見などで語ってきた。
 国民に重い負担を強いて、その結論に法務の最高責任者が応えられない現状は、どう説明がつくのだろうか。
 法相の勝手で死刑が執行されないことは、法や制度そのものの否定だ。裁判員の努力に対する愚弄だといわれても仕方あるまい。
 刑は粛々と執行されるべきものだ。法相はその職責から逃げてはならない。 」(2011.9.5 02:55)

ここには、近年、死刑執行に慎重な姿勢をとる法相を批判する場合の論理がすべて揃っているようである。「すべて」といっても、要は、刑事訴訟法は死刑確定から6カ月以内に刑を執行することを定めているので、その職責を遂行すべきで、それができないのなら、最初から大臣就任の要請を受けるべきではない、断るべきであった、という論理なのだが。これは数年前、ジャーナリストの江川紹子氏もたしか『サンデー毎日』でまったく同じことを述べていたと思う。裁判員制度が始まってからは、この論理に加えて、死刑を執行しないのは、苦悩しながら死刑判決を下した裁判員を侮辱するものだという主張が付随するようになった。

だがもし刑事訴訟法の定めるとおり、死刑確定から6カ月以内にすべての刑が執行されていたならば、免田事件、財田川事件、島田事件、松山事件の被告人だった人々は間違いなく無実の罪で殺されていた。その他にも、死刑が確定しながら執行されないまま死ぬまで拘束されつづけた人がいる。有名なところでは帝銀事件の平沢貞通氏がそうである。そして現在も何十年と拘束されつづけている人が何人もいる。名張毒ぶどう酒事件の奥西勝氏、袴田事件の袴田巌氏、等々。これは法務省側に、死刑を確定しながら、たしかに犯人であるという自信がない、あるいは実は犯人でないことが証拠によって判明しているからであろう。また、ある死刑囚が実際に事件に関係があるとしても、事実認定に重大な誤りがあると考えられる場合もありえるだろう。刑事訴訟法に「6カ月以内」の規定があったとしても、それを産経のように杓子定規に捉えたならば、恐ろしい事態が発生するのは間違いない。江川氏は、毒ぶどう酒事件の奥西勝氏の支援をしているようだが、もし江川氏の主張のように「6カ月以内の執行」が実現されていたとしたら、奥西氏はもはやこの世の人ではなかったことは確実なのだが、それについてどう考えるのだろうか。

それから死刑を執行しない法務大臣を「職責を全うできない」人物と捉えることも誤りだと思う。さまざまな理由によりこれだけ死刑廃止が世界の潮流になっているなかで、また国内で死刑事件に関してこれだけ数々の誤判が明白になってきた歴史をもつなかで、法相が死刑制度の善し悪しについて問題意識をもたず、国民に問題提起もできないというのならば、それこそ憂うべき事態だろう。法相だけではなく、首相にだって死刑制度に疑問をもつ人物はいるだろうと思う。産経の論理ならば、そういう人物は首相になるのもよくない? それとも個々の政治家の信条はどうでもいいので、何がなんでも死刑執行が粛々と実行されることだけが重要だというのだろうか? 何のために? 誰のために? 刑事訴訟法には、確かに

「第475条 死刑の執行は、法務大臣の命令による。
2 前項の命令は、判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない。」

と明記されているが、つづいて、

「但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。」

と記されている。また、憲法の保証する「生存権」や「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。」に死刑が違反しているのではないかという古くて新しい問題もある。だから、この「6カ月」条項は、決して額面どおりに受け取ってよいものではないのだ。思うにこれは、労基法の「解雇」条項と似た面があるかも知れない。労基法には、

「第20条 使用者は、労働者を解雇しようとする場合においては、少くとも30日前にその予告をしなければならない。30日前に予告をしない使用者は、30日分以上の平均賃金を支払わなければならない。但し、天災事変その他やむを得ない事由のために事業の継続が不可能となつた場合又は労働者の責に帰すべき事由に基いて解雇する場合においては、この限りでない。
2 前項の予告の日数は、1日について平均賃金を支払つた場合においては、その日数を短縮することができる。
3 前条第2項の規定は、第1項但書の場合にこれを準用する。 」
 
とあり、これだけを読むと、使用者は、30日前に通告さえすれば、勝手気ままに労働者の解雇ができると錯覚するかもしれない。事実、90年代の半ばに、TBSの「ニュース23」で、当時は確か慶應大学教授だった労働経済学者・島田晴雄氏(現在は千葉商科大学長らしい。こちらを参照)が、

「30日前に通告さえすれば経営者は無条件に社員を解雇できるんですよ。」

という趣旨のことをさも当然だと言わんばかりに話しているのを聞いたことがある。このような法解釈を私は人の口から初めて聞いたので、びっくり仰天。当然スタジオの見解(反論)を聞きたいと思ったが、この時の島田氏はVTR出演であり、その発言の後すぐにCMに入ったので、この件はそのまま終わってしまった。今思うと、島田氏はその後の社会情勢・空気を先取りしていたのかも知れないが、実に恐るべき発言であり、私はしばらく呆然としてしまった。労働契約法16条には「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とされる。」と規定されている。また、憲法はさまざまな形で労働者の働く権利を保証している。ところが、労基法の「使用者は、労働者を解雇しようとする場合においては、少くとも30日前にその予告をしなければならない。」を読んで、島田氏のような独善的解釈をして堂々と(恥ずかし気もなく)、それを口にする人もいるのである。自分の見たいものしか見ていないと言われても仕方ないだろう。私は、島田氏の解雇に関するこの法解釈と産経の死刑に関する法解釈には共通するものがあると思う。
2011.09.14 Wed l 死刑 l コメント (0) トラックバック (0) l top
先日、あるブログの記事タイトルに、「民衆の命と生活を守るために、小沢氏に権力は必要なのだ。」とあるのを見て、びっくり仰天した。記事を読んでみると、幸いなことに、本文にはこのタイトルから想像したほどの異様さは感じなかった。小沢一郎氏の熱心な支持者が自分のカリスマの類まれと信じる政治的力量を存分に発揮する場と機会の獲得を願うあまりについついこんな誇大妄想気味のタイトルをつけたのかも知れないと思った。しかし、そうであってもやはりこの文句は見過ごせない。

ブログ主が小沢氏を「民衆の命と生活を守」ってくれる政治家だと自分一人で信じるのは自由だが(実態をみるかぎり、不健康なことだとは思うが)、しかしこのタイトルの意味・内容はその次元にとどまっていない。ここから感じとれるのは、一人よがりで無根拠な思い込みの他人への押しつけだと思う。たとえば私も民衆の一人であるわけだが、そういう立場の私はこのブログ主から、あなたも自分の「命と生活を守」りたいのであれば、小沢氏に権力を与える必要・義務があると強いられていると感じた。このタイトルでは、読者がそう感じるのは当然ではないだろうか。

しかし現実に自民党や民主党などで要職に就いた小沢氏は、「民衆の命と生活を守るため」のどんな政治活動をしてきたのだろう。自民党離脱後の連立政権時代には、ただでさえ少数者の意見や立場が無視されがちな日本社会で、その傾向をいよいよ強くしただけの、民衆にとってよいことは何もないとしか思えない小選挙区制を中心になって導入し、また解党・解散のたびごとに公金着服疑惑が取りざたされるなどしてきた。後者の「政治とカネ」の問題では、前回のエントリーで記したように、野中広務氏のような直接的・具体的証言者もいる。上脇博之氏のブログの本年2月4日の記事は「研究者ら46名で小沢一郎らを東京地検に刑事告発しました!」である。秘書や小沢氏本人の現在進行中の裁判の件のみで落着とはいかない重大な問題が他にもあるのだ。

小沢氏をめぐるこのような問題についてこのブログ主はどういう見解をもっているのだろう。「民衆の命と生活を守るために、小沢氏に権力は必要なのだ。」などとある種畏れ多いことを言うからには、論者には事前に率先してそれらの疑問を調べ検討した上での意見表明が最低限の責任として求められると思うのだが。他にも不思議なことがある。こちらのブログをみると、反原発、脱原発を主張する記事が数多く掲載されている。そして、この原発関連の記事においては小沢氏の名前はほとんど出てこないようなのである。これはブログ主が小沢氏の原発についてのスタンスを、すなわち小沢氏は決して脱原発の考えはもっていないことを察知しているからではないか。そうだとすると、「民衆の命と生活を守るために、小沢氏に権力は必要なのだ。」というタイトルの文句はいよいよもってナルシスティックな、一般には理解し難いものにしかならないのではないか。特にこのような文脈で「民衆」を持ち出すのは問題であり、やめてほしいと思う。それから、「権力」ということばの意味も、もう一つ明瞭でないように思われる。

別のブログにもやはり小沢氏の行動を擁護するための呆気にとられるような文章が掲載されていた。タイトルは「「海江田支持」の小沢を支持する」というもので、こちらはインナーマザーという人物から当該ブログにコメントとして寄稿された文章をエントリーとしてアップしたもののようだが、こちらのブログではこのスタイルはすっかり恒例になっているようである。

「海江田支持」とはもちろん先月29日の民主党代表選挙に関する件であるが、立候補した五人のなかから小沢氏が海江田氏支持を選択したことの正しさを読者に伝え、理解してもらおうとして、インナーマザー氏はまず内田樹氏が自身のブログで述べているという公民論を引用する。「「公民」に求められるのは、何よりもまず「他者への寛容」である。」「システムの失調を特定の個人の無能や悪意に帰して、それを排除しさえすればシステムは復調するという思考法に私たちは深くなじんでいる。「首相のすげ替え」も「小沢おろし」もその意味で思考パターンに代わりはない。」「自分の好き嫌いを抑制し、当否の判断をいったん棚上げし、とりあえず相手の言い分に耳を傾け、そこに「一理」を見出し、その「一理」への敬意を忘れないこと。それが「公民への道」の第一歩である。」「「公民の育成」が今の日本の社会システムを補正するための最優先の課題だろう」等々。次にインナーマザー氏は「公民とは民度の高い市民のことです。小沢思想が官僚システムの改革のためにもっとも必要だと言い続けて来た大前提です。」と語る。小沢氏がそんなことを「言い続けて来た」とは知らなかったが、インナーマザー氏は内田氏と小沢氏の主張は一致していると言いたいのだろう。文章はさらに下記のように続く。

「小沢先生の海江田支持は、弁証法です。対立する者が共生する時に必ず通過する矛盾です。この矛盾を考え抜け、と小沢は国民に投げかけている。民度を高める試練のボールを小沢は本気で私たちに投げているのだと思います。本気で投げて来たボールから目を逸らせてはいけない。小沢のシグナルを見落としてしまいます。

小沢先生はせっかちではないので、弁証法で「日本」を考える人です。目に見える情勢判断の政局を戦いながら、同時に「天命に遊ぶ」ことで「待つ」ことを知っています。小沢先生が『待っている』のは国民の意識革命、国民の共存というアウフヘーベンを待っているのだと思います。 」

ウーム。内田氏は、一般論としては別に誤ったことを述べているとは思わないが、これは小沢氏が民主党の代表選で海江田支持を選択・表明したこととは何の関係もないと思うのだが? また、小沢先生は「国民の意識革命、国民の共存というアウフヘーベンを待っているのだと思います。」と言われても、何のこっちゃ? としか思えない。まして「小沢先生の海江田支持は、弁証法です。」なんて発言は、鴉を鷺と言いくるめる場合の典型的な鷺(?)手法ではないだろうか? 弁証法ということばは、矛盾した行動や筋の通らない発言を上手く取り繕って高みに押し上げようとする場合に重宝なようだから(ヘーゲル氏がお気の毒)、聞くほうはよくよく気をつけて聞き、慎重に考える必要があるようである。以前、柄谷行人氏が『AERA』という雑誌で佐藤優氏について、「国家、キリスト教、マルクスという本来まったく異質の存在をそれぞれ見事に内面化している。これこそ弁証法です。」とかいう趣旨のことを述べていたように記憶する。この時もつくづく呆れてしまったのだが、今回も同じような印象をうけた。そういえば、インナーマザー氏は小沢氏同様に佐藤氏のこともお気に入りらしく、今回いくつか読んだ文章には佐藤氏の名も何度か出ていた。また、インナーマザー氏の地の文に「思考する世論」ということばを見たが、このときには、これは佐藤氏が書いているのかと思ったくらいで(佐藤氏は以前このことばを「読書する大衆」ということばとともに遣っていた。)、二人には発想、思考方法などに共通点が多いようである。

だんだん脱線しそうになってきたので、中途半端だが、今日はこれで終わりにしよう。
2011.09.04 Sun l 社会・政治一般 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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