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米国のクリントン国務長官は10月27日、キューバのフィデル・カストロについて、「去るべきだ」と述べたそうである。

「クリントン米国務長官は27日、下院外交委員会の公聴会で、 キューバのカストロ前国家評議会議長に関し、「去るべきだ」と述べ、カストロ体制の終結を求める立場に変わりはない点を強調した。また、同国の民主化に向けた支援を続ける方針を示した。 カストロ前議長は2008年2月、病気を理由に議長職を弟のラウル・カストロ氏に引き継いで引退。今年4月には 共産党第一書記も降りたが、影響力は保っている。」( 時事通信 10月28日)

「去るべきだ」と言っても、 カストロはすでに政権のすべての要職から去っている。クリントン長官の発言はリビアのカダフィ殺害から一週間後になされたものだ。カストロはリビア問題に関して最初から最後まで一貫してNATOを、なかでも米国をきびしく批判してやまなかった。 24日には、反政府軍が自ら殺害したカダフィの遺体を公開したことについて「トロフィーのようだ。イスラム教、世界中の宗教の最も基本的な原則に背く行為だ」と批判し、NATOについて「人類史上、最も背信的行為を行う残忍な軍事同盟」と非難した。どちらも事の核心のど真ん中を射抜いた言葉だと思う。米国にはカストロのこの率直で確信に充ちた力強い声が響き渡るのが邪魔でならないのだろう。だがその声を胸底深く受けとめた人々は世界のあちこちに確実に存在すると思う。しかし、ベネズエラのチャベス大統領や一部のジャーナリストを除いて、カストロのようにきびしくNATOを糾明する声が聞こえてこない現状の静けさはどういうことなのだろう。

それにしても、米国にとっての「民主化」とは何だろう。利害しだいで好き勝手に他国を支配することを意図し、思いどおりに行かなければ、その国を空爆でめちゃくちゃに破壊することも、そこで生活する人々を殺戮することも辞さない。「民主化に向けた支援」が聞いてあきれる。キューバの人々は口を揃えて「否」と言うだろう。藤永茂氏のブログにジョン・ピルジャーという人の「アメリカのあらゆる侵略戦争の口実は常に“自衛”あるいは“人道主義”、これらの言葉は辞書にあるその意味をすべて空しいものにしてしまった。」という発言が翻訳・引用されているが、その意味を空しいものにされているのは、 “民主 (化)”、そして“自由”という言葉もそうではないかと思える。

カストロについては、藤永氏がすばらしく印象的なエピソードをいくつも語っていられる。たとえば、「 食糧危機と賢者カストロ」では、米国のブッシュ元大統領が、2007年3月26日に行った講演で、食糧用農産物を燃料に変えるという経済外交政策を推進することを宣言した時、これに対して、キューバのフィデル・カストロは、僅か5日後の3月31日、声を大にして抗議警告を行なったとのこと。「まさに荒野に響く賢者の叫び、しかし、その時点で、世界の政治指導者たちのだれ一人として、賢者カストロの声に唱和する人物はありませんでした。 」。カストロは「More than three billion people in the world are being condemned to a premature death from hunger and thirst. It is not an exaggeration; this is rather a conservative figure. (世界の30億以上の人々が飢えと渇きから早すぎる死を宣告されようとしている。これは誇張ではない;むしろ控えめの見積もりだ。)」と述べたそうである。「この見積もり、世界への警告は、このところ熱心に励んだ読書勉強の結果だとカストロはいいます。2006年はじめ、すっかり体調を崩し、病床生活に入ったカストロは弟のラウロに政務を譲って、まるで青年時代に戻ったように、あらゆる書物、 出版物に読み耽ったようです。彼は1926年8月13日の生れ、まもなく82歳。上掲の警告に始まる論考『Foodstuff as Imperial Weapon』はその勉強の成果の一つで、沢山の具体的データが含まれています。」と藤永氏は記述されている。

それから、1963年11月、米国のケネディ大統領が暗殺された時のカストロの言葉。藤永氏の「ものを考える一兵卒(a soldier of ideas) (1)」から文章をそのまま引用させていただく。 「カストロとケネディは、豚湾事件やいわゆるキューバ・ミサイル危機で、世間の眼には犬猿の間柄あるいは不倶戴天の敵と映っていたので、ケネディが暗殺された時、カストロにも嫌疑がかかりました。これに対してカストロは「私はケネディを暗殺しようと思ったことはない。私はアメリカというシステムと闘っているのだ」と答えました。見事です。誰が(CIA?)数えたのか知りませんが、これまでカストロ暗殺の企ては六百回を超えるというのがもっぱらの通説です。ただの「ものを考える一兵卒」になってしまったカストロ老人を殺そうとする刺客が差し向けられることは、もはやありますまい。運の強い男です。」。ちなみに、「 a soldier of ideas 」とは、政界中枢から身を退いた自分の立場を表現したカストロ自身の言葉だとのこと。

今日はカストロについて書かれたこちらもなかなか印象深い文章を紹介したい。『中野重治全集』第24巻に収められている「ハバナとサイゴン」という題の文章で、初出は『展望』1966年2月号。題名が表わすように、内容は、一つはキューバに、もう一つはヴェトナムに関わるもので、両方とも中野重治が感動の印象をもったという出来事の記述である。中野は、「感動の印象は私において道徳につながつていた。人間の道徳がここで一段のぼつた、新しい階へのぼつたというふうに感じたのだつたが中身あいまいではある。」と書いている。「サイゴン」のほうは、1965年11月21日に南ヴェトナム解放民族戦線指導部が、捕虜アメリカ兵二人を釈放したという話で、「これは日本のいくつかの新聞で読んだ」そうである。二人の兵士の釈放の理由は、「ヴェトナム戦争終結の決意と主張とをいちだんと高めつつあるアメリカ国民のなかの進歩的な人びとに対する人間愛と感謝との感情にみちびかれて」、「ヴェトナムに平和を快復しようとして苦労しているアメリカ人への「尊敬の念」」によるものだということを新聞その他で知らされた、とのことである。

一方、キューバのほうの出来事は、堀田善衛が『世界』(1965年4月号)に寄稿した文章を読んで知ったとのこと。堀田善衛はそこに1964年7月26日の、「キューバの東端のオリエンテ州、サンチャゴ・デ・クーパ市の大運動場」でひらかれた7月26日祭のことを書いていた。7月26日祭とそこでのフィデル・カストロの演説の言葉とを。中野はサイゴンとハバナで実現された二つの出来事には共通して「人間道徳の問題の一歩前進ではないだろうか」と思われるものがある。「全く同じ性質のもの、あるいはほとんど全く同じ性質のものがある。」と書いている。キューバの出来事についての叙述は以下のとおりである。

「 キューバでのことはこういうことだつた。
 1964年7月26日に、「フィデルたちの、犠牲の多かつた革命の出発点となつた日を記念して」7月26日祭が行なわれた。53年7月26日の、モンカダ兵営襲撃から11年目である。そこへ、この大運動場に30万人ほどの人間が集まつていた。そこへフィデル・カストロがきて、長い、いわば静かな演説をした。彼は静かに話しはじめた。堀田は、「きわめて静かに、むしろ何か後悔をでもしているかのような声調で」はじめたと書いている。もう一度くどくなるが、堀田は、「何か後悔しているような声調で」と書いているのではない。
 カストロは話しはじめた。彼は30万人ほどに呼びかけた。
「われわれの招きに応じてくれた方々、
 モンカダ要塞襲撃の際に、また革命の勝利のための戦いに倒れた同志たちの御両親の方々……」
堀田はこう書いている――「後になつてそのことを聞いて私はまつたくおどろいたのであるが、彼によつて『御両親』と呼びかけられている、名誉ある遺族席のなかには、フィデルたちの襲撃によつて落命した兵営内のバチスタ軍兵士たちの『御両親』たちもまた、若い革命家たちの遺族と同様に、一緒に招かれていたのであつた。軍隊に殺された若い革命家たちの両親たちと、その革命家たちに殺された兵士たちの遺族とが、同席しているということが、それが何を意味しているか、一考に値することであろう。世界の、いままでの革命の歴史に、そういうことは絶えてなかつたと思われる。」
「話しかけるフィデルのすぐ下の席、つまり招待者の席の中央が遺族たちのために留保されていたのだが、その『両親』たちのなかにはハンカチで眼を覆つている人が何人もいた」ことも堀田は書いて、しかしこの、いわば革命と反革命との両方の側の「御両親たち」招待のことが、カストロにおいて、かねての約束のけれんのない実行だつたことを書いている。あのときカストロは裁判にかけられた。彼は弁護士だつたから、ここで彼は「弁護士フィデル・カストロ白身による被告フィデル・カストロにたいする弁護陳述」をやつた。そこで彼はこう言つていた。
「キューバが自由になつた日に、(襲撃した)われわれに抗して戦つて死んだ勇敢な兵士たちの妻や子供たちも、(襲撃の側で死んだ人々のそれと)平等に尊敬され、保護され、援助をうけなければならない。彼ら(死んだ兵士たち)はキューバの不幸について責めがあるわけではない」からである。
 両方の側の遺族が名誉の席に並びに招かれたこと、招かれた側が並びに出席した事実、これは人間道徳の問題の一歩前進ではないだろうか。 」


ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」のなかの有名な大審問官の章を思いきって引っ張りだしてくると…。あの大審問官が象徴するのはスターリンだとか、いやそうではない、レーニンだとかいう議論を聞いたことがある。カストロの場合はどうだろう。独裁的な政治指導者であったカストロは大審問官の一面をもっていたにちがいないにしても、それとともに、大審問官と相対するもう一人の存在の一面をも備えているのではないかと感じるのだが、どんなものだろう。
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2011.10.31 Mon l 社会・政治一般 l コメント (8) トラックバック (0) l top
先日、「 Sankei Biz 」というあまり見慣れないウェブニュースで、 3月22日付の下記の記事を見た。

独占の富、再分配進むか リビア
リビアの最高指導者だったカダフィ大佐が殺害され、40年以上に及ぶ独裁体制が幕を閉じた。国際社会による制裁措置などに特徴付けられる独裁体制では、国民の生活水準は中東の大半の産油国よりも劣っていた。大佐の死亡により、富の再分配が進むか注目される。

国際通貨基金(IMF)によれば、原油生産がピークの時でも、リビアの1人当たり国内総生産(GDP)は購買力平均ベースでアルジェリアを除き中東のすべての主要産油国を下回った。原油はリビアの輸出全体の95%を占める。

カダフィ大佐はリビアの歳入の一部を、自身のセキュリティーやカダフィ一家に忠誠を誓う兵力の増強に流用した。大佐の家族は残忍な人権侵害に加担することもあった。1996年にはトリポリにあるアブサリム刑務所で1200人が殺害され、人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチは「大量虐殺」だと非難した。(ブルームバーグ Gregory Viscusi、Alaa Shahine) 」


見出しの「独占の富」に対してもそうだが、「 国民の生活水準は中東の大半の産油国よりも劣っていた。」「 リビアの1人当たり国内総生産(GDP)は購買力平均ベースでアルジェリアを除き中東のすべての主要産油国を下回った。」 という記事内容に目を疑い、しばし呆然とした。リビアの生活水準は近隣諸国に比べて明らかに高いという声をこれまでにずいぶん数多く聞いていたからだ。医療や教育制度が整い、日常の生活必需品がきわめて廉価であること、などを。この記事のように「劣っていた」という説を聞くのはまったく初めてのことだった。ちょうどそのころ、 前回のエントリーを読んでくださった方からコメントをいただいたのだが、そのなかに 「私は、 医療費や学費を無料にして、国民に手当を支給してくれた指導者を永 久に忘れない。」という言葉があった。この方もリビア国内の生活水準が高いこと、それはカダフィの政策によるものであるとの認識を持っておられることはたしかだろう。どうしてもこの記事はヘンである。この問題に関連してこれまで目にした関連情報をいくつか引用し、紹介しておきたい。まずウキペディアの「リビア」サイトの検索から。

1、
「油田の多くはキレナイカに集中しており、石油の埋蔵量はアフリカ最大といわれている。輸出の大部分が石油で、貿易黒字を維持するために輸出量は調節している。リビアは石油が豊富でありながらも人口が少ないために、一人当たりのGDPはアフリカでは最上位クラスである1万ドルを超える比較的裕福な国であり、先進国に並ぼうとしている。2010年のリビアの一人当たりGDPは12,062ドルであり、 隣国と比べると、エジプトが2,771ドル、スーダンが1,642ドル、チャドが742ドル、ニジェールが383ドル、チュニジアが4,160ドル、アルジェリアが4,477ド ルなのでその格差は歴然である。

独立以前から皮革や繊維、じゅうたん、金属細工などの軽工業が行われていた。独立後、石油収入を基盤に重工業化が進められ、石油精製、製鉄、セメント、アルミ精錬などを行う国営工場が建設されている。

国土の1.2%が耕地となっており、現在でも農業や牧畜に従事する国民も多い。地中海農業やオアシス農業が主な農法であり、1969年革命後の社会主義政権は農業の産業化に力を入れ、深層 地下水をパイプラインで輸送して灌漑を進めている(リビア大人工河川)。」( 「リビア」 )

2、
《アンジェロ・デル=ボカに聞く 「リビアの反乱は古き遺恨の娘である」》 2月25日(金) ルイージ・ネルヴォ記者

リビアの反乱は決定的段階に到達したように思われる。カダフィは軍隊と傭兵に守られた地下壕に閉じこもっている一方、首都周辺においては反乱勢力が都市を制圧し、最後の攻撃を進め る準備に取り掛かっている。リビアの状況について、 この国に関する最高の専門家の一人である、アンジェロ・デル=ボカ教授に話をうかがった。彼は元ジャーナリスト兼大学教師であり、アフリカの国家について、またそれらの地と関わったイタリア人について、多数の著作を刊行してい る。

チュニジアとエジプトの後、アラブの反乱は他国に波及しています。現在ではリビアにもです。こういったことが起こると予測されていましたか?

いいえと言えるでしょう、とりわけリビアについては。かの国をよく知る私にとっても、少々驚きだったのは、一人あたりの年間所得が1万5千から1万8千ユー ロ、近隣諸国の実に三倍という国で反乱が起こったことです。それにリビアにおいては、生活必需品が全面的に統制され、公定価格が決められており、万人に必要なものの価格は非常に安くなっています。所得は中の上であり、実際我々はヨーロッパでリビア人が物乞いをしている姿をまったく見かけません。そうした チュニジア人、アルジェリア人、モロッコ人は見かけられますが、リビア人をまったく見かけないのは、彼らの生活状況がよいからです。〔こうした国に反乱が〕二つの隣国から伝播したらしいことに、非常に驚かされました。」
http://hakuainotebook.blog38.fc2.com/blog-date-201103.html

3、
「寿命・教育・生活水準などに基づいて国ごとの発展の度合いを示すHDI(Human Development Index,人間開発指数)という指数がありますが、2011年度試算では、リビアはアフリカ大陸で第一位を占めています。また、幼児死亡率は最低、平均寿命は最高、食品の値段はおそらく最低です。若者たちの服装もよく、教育費や医療費はほぼキューバ並みの低さに保たれているようです。いわゆるグローバリゼーションを推し進めて利潤の最大化を目指す国際企業群の常套手段は、まず給水機構を私有化し、安価な食糧を運び込んでローカルな食糧生産を破壊し、土地を買収し、現地で奴隷的低賃金労働者を調達し、そこで輸出向きの食糧生産を始めることです。アフリカ大陸の随所に見られるトレンドです。ところが、リビアでは、石油で儲けた金を治水事業に注ぎ、砂漠を緑化し、自国内で安価な食糧を生産しつつあります。これは国際企業群のもくろみに真っ向から逆らう動きであり、放っておくわけには行かないのです。」
http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/2011/03/

「いま、「大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国」(日本外務省による呼称)、英語では The Great Socialist People’s Libyan Arab Jamahiriya という一つの国が、私たちの目の前から、姿を消そうと、いや、抹殺されようとしています。「ジャマーヒリーヤ」はカダフィが作った合成語で「大衆による国」といった意味だそうです。私たちがこの国について殆ど何も知らないままに、歴史の一頁がめくられようとしています。しかし、この地域の人たちが、今からアメリカと西欧の傀儡政権の下で味わう事になるに違いないと思われる悪性の変化を予測するに充分な基本的事実の幾つかが明らかになっています。石油産業、治水事業、通信事業などが国営で、原則として私企業にコントロールを許さなかったことが最も重要な事実でしょ う。つまり、WB(世界銀行)もIMF (国際通貨基金)も好き勝手に切り込めなかった国であったことが、米欧の軍事介入による政権打倒が強行された理由です。社会的インフラ整備、教育、医療,生活保障などに注がれていた国家収入は、外国企業と米欧の操り人形であるリビア支配階級の懐に流れて、一般市民のための福祉的出費は大幅に削減されるのは、避けられますまい。カダフィの息子たちに限らず、これまでのジャマーヒリーヤ風の政策を続行しようとする政治家は、オバマ大統領が早くも約束している“民主的選挙”の立候補者リストから、あらゆる手段で排除しなければなりません。前回のブログで指摘したように、ハイチやルワンダがその典型的な例を提供しています。暗殺も極めて有力な手段の一つです。」
http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/2011/08/post_8b65.html


リビア問題を報ずる主要メディアのほぼすべては、リビア国民の日常生活の実態、生活レベルについてはこれまでほとんど触れてこなかったのではないだろうか。リビア女性は外出が一人で可能であり、その日常生活は他の中東地域に比べてはるかに自由であるという説を聞くこともあるが、これなどもメディアの報道にはまったく表れないようだ。何事であれ、カダフィの功績や美点を数えることにつながるような事実は表に出さない、話題にもしない。世界中のほとんどのメディアはそのような暗黙の了解を共有していたのではないか。報道すれば、NATOの空爆 の理由と是非、大義の有無が露わになってしまうから、この話題を避けたのではないのだろうか。私たち一般市民が事の善悪、是非を正確に判断するに欠かせないこのような事実を報道しないことも卑怯であり、腹立たしいかぎりだが、上の記事はためにする完全な嘘、捏造された話ではないのかと疑われる。

それから、今回の件で新たに気がかりになることがいくつもあった。日本政府が今にも自衛隊を派遣しようとしている南スーダンの問題がそうである。それからアムネスティ・インターナショナルのこと。アムネスティが、10月21日に発表した「 リビア : カダフィ大佐の死は、終わりではない 」と題された文章を、次に引用する。

「カダフィ大佐の死は、抑圧と虐待が蔓延したリビアの歴史の一時代に終わりをもたらすことになるだろう。しかし、歴史はまだ終わったわけではない、と アムネスティ・インターナショ ナルは述べた。

「カダフィ大佐の死が、彼の政権下で犠牲となった人びとの正義の実現を妨げることになってはなりません。今年起きた暴動における弾圧や、1996年に起こったアブ・サリム刑務所におけ る虐殺など、これまでに深刻な人権侵害を犯した疑いのある多くのリビアの高官たちは、彼らが犯した罪について、責任をとらなくてはならないのです」とアムネスティの中東・北アフリ カ部副部長ハッシバ・ハジ・サラウィは述べた。

「新たな政府は、カダフィ政権が受け継いできた虐待の因習を完全に脱し、リビアで早急に必要とされている、人権の改革に着手しなければなりません」

アムネスティは、同国を暫定的に統治しているリビア国民評議会(NTC)に対し、カダフィ大佐がどのようにして死亡したのか、リビアの人びとに対して事実を完全に明らかにしなければならない、と述べた。

また、カダフィ大佐の死の詳細を明らかにするためには、独立した、公平かつ完全な調査が欠かせないとアムネスティは述べた。

アムネスティはリビア国民評議会に対し、カダフィ大佐の側近や親族を含む、人権侵害や戦争犯罪を犯したと疑われるすべての人びとを人道的に扱い、公平な裁判にかけることを保証する よう求めている。」


アムネスティ・インターナショナルは、リビア問題を惹き起こした張本人はカダフィ政権であり、これはリビア問題の動かせない柱である。政権を担った者たちは今後その責任を負わなければならない。国民評議会の正しさは言うまでもないが、ただしカダフィの死に至る過程には「行き過ぎ」があったかも知れないので裁判で真相を明らかにする必要がある、と主張しているようである。NATOの軍事介入は、是非も責任の有無も一切問われていない。最初から特権的存在扱いされている。けれどもこの8ケ月間、私たちが見せられてきたのはNATOの軍事攻撃に他ならなかった。リビア問題を語るのなら、NATOに触れることなくどんなメッセージを出すことも本来不可能のはずなのだ。それをあえて行なっているので、上記のアムネスティの文面からは、偽善と欺瞞と傲慢のにおいが隠しようもなく立ち上っている。最初に引用した、「 Sankei Biz 」に名前が出ている人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチについては、いかにも胡散くさい団体だと聞くことがあるが(たとえば、こちら)、はたしてアムネスティもそういう組織に変貌しつつあるのだろうか。
2011.10.28 Fri l 社会・政治一般 l コメント (3) トラックバック (0) l top
リビアの独裁的指導者であったカダフィ大佐が、10月20日とうとう殺害された。8ケ月間におよぶ(反乱軍に対してもそうであったにちがいないが)NATO軍への抵抗であった。殺害以後もそれまでと同様、リビアおよびカダフィに関連するニュース報道は、見るもの、聞くもの、あらゆる情報が曲解・誇張・嘘に塗り込められているように感じられて、苦々しさ、割りきれなさばかりがフツフツ湧いてくる。国際情勢全般に無知なほうゆえ、疑問点や不審点を記すだけのことにしかならないだろうが、思うところを書いておきたい。

報道によると、 反乱軍=国民評議会は拘束したカダフィを、逃亡生活に疲れもはや無抵抗の一人の人間を無法に殺害した。その上その遺体を丁重に取り扱うことも、謹んで遺族に返すこともせず、24日の今日まで見世物に供している。これ以上の人権蹂躙、人間の尊厳への侵害はちょっと考えられないほどである。現状のこのような頽廃のなかから、今後、リビアという国が、そして人口650万というリビアの人々の生活が、これまでよりいくらかでも良い方向にむかうとは想像のつかないことである。この事態を招いたのは英仏米を中心とするNATO軍であった。彼らは今どうしているのだろう。そもそも彼らはいったい誰の許しを得て、また何を目的としてリビア国内にあれだけの凄まじい空爆を繰り返したのだ? ロシアの外相がカダフィ殺害の翌21日に述べたという発言を次に引用するが、これがある種の政治的見解であるにしろ、ごく常識的な、普遍性をもった見方にはちがいないと思う。

「 ロシアのラブロフ外相は21日、ラジオ3局の合同インタビュー番組に出演し、リビアで北大西洋条約機構(NATO)が行った軍事行動について、「国際法の観点から厳密に調査せねばならない」と述べた。外相はこの中で、ロシアが棄権した対リビアの国連安保理決議1973はカダフィ大佐の殺害を目的としたものではなかったとし、カダフィ大佐の車列を空爆したとされるNATOを批判。また、カダフィ氏は「捕われの身になってから殺害された」と語り、カダフィ氏の死をめぐっても国際的な解明が必要だとの見方を示した。」(産経新聞 モスクワ)

NATOの攻撃は、「 10月20日までに航空機の出撃回数は2万6156回、うち、爆撃9634回だった。」(毎日新聞 10月22日)そうである。これが他国への侵略でなければ、他の何が侵略といえるのだろう 。 NATOのラスムセン事務総長は4月11日、ブリュッセルで「作戦のテンポは、 市民が攻撃の脅威にさらされているかどうかに左右される」と述べ、アフリカ連合(AU)代表団がNATOに求めている空爆の即時停止を拒否した(読売新聞 4月1日)。 だが、リビア市民を「攻撃の脅威」にさらしていたのは、はたしてカダフィ側だったのか。4月の時点では、カダフィ側は反乱軍を攻撃はしただろうが、 一般市民を攻撃する理由は何にもなかったはずだ。一般市民の脅威は、カダフィではなくて、NATO 軍の空爆ではなかったのか。藤永茂氏のブログによると、「8月上旬に、NATO空爆による死者2万という報道がちらりと流れたことがありましたが、あり得ない数字ではありません。」とのことである。

カダフィの死を受けて、 米国のオバマ大統領は「カダフィ体制は完全に幕を下ろした」、「リビア国民にとって長くつらい時代の終焉を示すもので、新たに民主リビアで自らの運命を決める機会を手にした」と祝意を表したとのこと。また、「トリポリでは、国民評議会によるカダフィ氏死亡の正式発表前に、街に人々が繰り出し喜びを表し、イスラム寺院で祝賀の祈りが始まった。 」( ウォール・ ストリート・ジャーナル 日本版) という。

米国の大統領が自ら殺害におよんだに等しいカダフィの死について、「リビア国民にとって長くつらい時代の終焉を示すもの」と評する言葉は何ともおぞましく聞こえてくるが、このように、カダフィは長きにわたりリビア国民に横暴のかぎりをつくした悪虐非道の独裁者だという評については、目に入るかぎりのメディアの論調は、世界も日本も見事に共通している。たしかに、権力者は必然的に堕落する、という定義は一般的に真実だと私も思う。古今東西の歴史はその実例で埋めつくされているのだし、そもそも個人としての人間は誰も絶対的権力者としての役割が務まるようには造られていないのではないだろうか。ましてカダフィの場合42年の独裁的統治である。反抗者や一般民衆への弾圧・人権侵害などの腐敗がなかったとは言えないのではないかとも想像する。

とはいっても、実際には現在世界を覆っているあらゆるメディア報道とちがい、カダフィを誇り高い目的と情熱を備えた、なかなかの人物であり政治指導者であると評する意見はあちこちに根強く存在するようである。上述の藤永茂氏は、「カダフィが貧しい黒人国家から運び込んだ傭兵たちがベンガジ周辺でアラブ系反政府勢力を攻撃しているというニュースが頻りと流布されましたが、それは嘘だと思います。カダフィに金で買収されたり、操られてではなく、カダフィを支持して自ら進んで銃を取る黒人兵士がいくらでもいるのです。」と述べている。カダフィが、国内反乱軍とNATO軍の猛攻撃のなか8ケ月もの間粘ることができたのはそのせいだったというのが真相ではないだろうか。

だが、かりにカダフィの統治がメディア報道に近いものだったとしても、NATOがリビアを攻撃する理由にそれがならないことは自明である。東日本大震災の少し前から日本でもエジプトやチュニジアでの民主化を要求する大規模な民衆デモの動向が伝えられていた。その動きはその後リビアにも波及しているとの報道がなされたが、リビアという国の事情について、他の中東・アフリカ諸国同様私にはほとんど知識がないので、最初は、チュニジアやエジプトに次ぐ一般民衆による民主化要求運動の一つとしか認識していなかった。ところが、リビア政府側の民衆弾圧がひどく残酷だという報道がつづいた後、国連安保理がリビアに飛行禁止空域の設定決議をするなど介入の動きを見せはじめた。これはおかしい、と疑問を感じ出したのはそのころからだった。当時流血沙汰の騒乱や警察による市民デモへの弾圧が伝えられていたのはリビアだけではなかったからだ。たとえば、バーレーンがそうであった。2011年3月14日の次の記事を見てみたい。

バーレーンの平和的デモが流血の惨事に
 バーレーンの平和的なデモが、同国の政府の治安部隊や外国の傭兵によって、流血の惨事に発展しました。アルアーラムチャンネルによりますと、バーレーンの治安部隊と傭兵は、デモを弾圧するため、13日日曜、首都マナーマで、デモ隊に催涙弾を発射しました。 アルアーラムチャンネルが13日夕方、放映した映像から、バーレーン 政権の傭兵らは、若者たちをはじめと するデモ隊を近距離から攻撃していたことがわかっています。 バーレーンの大学生数百人が、13日、マナーマの大学に集まり、同国の治安・警察部隊の攻撃を受けました。 バーレーンの治 安・警察部隊は、学生を弾圧するため、催涙ガスやプ ラスチック弾を使用しました。(略) こうした中、サウジアラビアの武装した部隊数千人が、バーレーンの革命家を弾圧するために、こ の国に入っています。 バーレーンの革命家たちは、同国の街頭に繰り出し、治安部隊や傭兵らに対して、断固として立ち向かっています。 バーレーンでは2月14日から、同国の政府の転覆と憲法改正を目的に、大規模な抗議が開始されています。 バーレーンの独裁政権に対する国民の蜂起が始まってから、少なくとも7名が死亡しています。 なお、バーレーンには、アメリカ海軍第5艦隊が駐留しています。」

結果的にバーレーンの死者総数は数百人に達したと言われているが、西側諸国は傍観していた。これを見れば、仏英などの欧米諸国がなぜリビアに対してのみあのような破壊的強攻策をとったのか、疑問を持たずにいるのは無理だろう。リビアのこの事態に対して、キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長は2月21日、「同国の豊富な石油や天然ガスの埋蔵量に触れ、「米国は北大西洋条約機構 (NATO)に命じ、数日中にリビアを占領することをためらわないだろう」とする論文を政府系サイトに寄稿した。同サイトが22日伝えた。リビアでは政府・治安部隊による反体制デモ隊に対する「虐殺」が伝えられているが、 カストロ氏は「世界中にありとあらゆるニュースがあふれ、真実とうそを見極めるには時間が必要だ」と指摘。かつて反米で共闘し た最高指導者カダフィ大佐が「責任を放棄して逃亡するとは思えない」と述べた」。

国連安保理がリビアに対する制裁決議を採択したのは2月26日だが、上のカストロの論文を見ると、彼は国連安保理の決議採択以前にこれから何が起きるかを正確に見透していたことになる。カストロはその翌々日の2月23日には、ハバナでの討論会で、「オバマがNATOといっしょにリビア侵攻もふくめた措置をとる意向をもっているだろう」と述べたとのこと。

カストロはまた、翌月(3月)13日にも自身のサイトで前々日に日本の東北地方で発生した大震災に触れるとともに、混迷するリビア情勢にいっそう深刻な懸念を表明したそうである。

「日本の地震による被害者数は尋常な数字ではないが、リビアの問題がより重大だ」、「日本の悲劇は心配なこと、地震のために様々な建設行為をしている先進国として、千人単位の死者・行方不明者数は異常な数字だ」、「各国が可能な範囲で日本への援助をするだろうが、リビアで起きているもう一つの政治的な「地震」がより重要だ。」、「リビアで起きている悲劇はいま頂点にあり、アラブ世界に生じている革命の波をアメリカとNATOが断ち切ろうとしている。」(110313La Jornada: Libia: mas grave que Japon: Castro)

この (3月13日) 時点では、日本を襲った大地震の被害の甚大さや、その直後に発生した福島第一原発の炉心溶融事故の深刻さは、キューバにはまだ正確には伝わっていなかったと思われるが、今になるとなおさら胸に残るのは、リビアに関するカストロの上記発言の数々である。リビアの豊富な石油や天然ガスの埋蔵量に触れていることや、「米国は北大西洋条約機構(NATO)に命じ、数日中にリビアを占領することをためらわないだろう」 「 オバマがNATOといっしょにリビア侵攻もふくめた措置をとる意向をもっているだろう」「 アラブ世界に生じている革命の波をアメリカとNATOが断ち切ろうとしている」などの発言には、現実に遂行されたNATOの軍事行動を見ると、ただならぬ洞察力を感じる。

CNNのニュース「 カダフィ氏、最後の8カ月間 ( 2011.10.21 Fri posted at: 15:44 JST)」には、2月14日以降、ベンガジでデモ発生、流血沙汰が発生し数名の逮捕者が出た、とか、ベンガジでは兵士の催涙弾や銃弾により死傷者が出た模様だが、その数は不明、などとある。これは、上で引用したバーレーン情報と比較しても、なぜこの時期、国連でリビアに対する決議が採択されるのか、必然性が理解できない。いとも簡単に国連安保理決議を採択し、いとも簡単に空爆に踏み込んだというつよい印象が残る。カストロ談話に真実性を感じるゆえんだが、今後の国際社会において軍事力行使がどのようになされることになるのか、今回のリビアの事態が他地域に悪影響をおよぼすことになるのではないかと不安をおぼえる。

他の参考記事
http://hakuainotebook.blog38.fc2.com/blog-date-201103.html
2011.10.25 Tue l 社会・政治一般 l コメント (3) トラックバック (0) l top
民主党の前原政調会長は10月23日、NHKテレビ番組で、環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉参加問題について、「交渉に参加して、国益にそぐわなければ撤退はあり得る」と述べたそうである。

「 野田首相は11月12~13日に米国で開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議でTPP交渉参加を表明する意向だが、民主党内には反発がある。前原氏の発言は、各国との交渉には参加した上で、協定を締結するかどうかは改めて判断すればいいとの選択肢を示したもので、TPP慎重派に理解を求める狙いがあるとみられる。」(2011年10月23日 読売新聞

これを知って、先日の亀井静香氏の前原氏批判を思い出した。「政府の責任は国民に正確な知識を届けることだが、それをしない。(前原氏らが)自分たちのしていることも分からないのは、それこそ『TPPおばけ』だ」と述べたことで、そのときもこの批判はもっともだと思ったが、今回の前原発言を聞いて改めてそう感じた。

TPPのデメリットは農業部門への打撃が第一だと言われているが、どうもそれだけでは済まなさそうである。たとえば、医療の分野への悪影響が心配だ。国民皆保険が機能しなくなるという指摘が医療関係者からもしきりになされている。もしそういうことになれば、私もふくめた貧乏人はやがて病院にも行けなくなる事態が頻出するのではないだろうか。これは市民一人ひとりの生活・人生の死活問題に直結する問題であり、ぜひ早急に推進派、特に政府の懇切丁寧な応答を聞きたいと思うのだうが、いまだに納得できる見解は聞けていない。答えられないのだろうか?

さて、前原氏の「交渉に参加して、国益にそぐわなければ撤退はあり得る」という発言だが、何とまぁ甘い考えを持った政治家なのかとあきれてしまう。怖いのは、もしかすると半ば本気でそういうことが可能と考えているのではないかということである。それも漠然と、妄想のごとくに。前原氏は外相時代にも、「TPP参加、米国からの要請一回もない」(朝日新聞2011年2月4日)として、次のように述べていた。

「 前原氏は「予算委では『TPPは米国に言われてやらざるをえない』という米国脅威論が強いが、認識不足だ」と指摘。「私の知る限り、米国から(参加要請を)言ってきたことは一回もない。それどころか、日本が色々な条件をつけるのなら、勘弁してほしいという慎重論が多い」と説明した。服部良一氏(社民)、石田祝稔氏(公明)の質問に答えた。 」

前原氏は相手(米国)が言葉や態度に強制的なものをちらつかせることさえしなければ、「要請はない」と受けとめる簡単な人物なのだろうか。もし本当に米国からの要請はない、けれどもそれが国民のためになると思うのなら、国内でもっと丁寧に、積極的にTPPのメリットについても、デメリットについても聞く者が得心するよう説得的に説明できるだろう。

今回のTPPに関する、途中からの「撤退はあり得る」という発言だが、前原氏がもしそのような行動が可能だと本気で考えているのならば、沖縄の普天間基地の移転問題に関してももう少し違った態度がとれるのではないだろうか。現在の前原氏の米国追従、沖縄に対してのみ強硬な姿勢はどう説明されるのだろうか? 日本がTPPに関して一旦参加を表明した後に撤退可能と考えているのなら、沖縄の基地の危険性、沖縄県民がもつ基地拒否の強固な意思に反して前原氏が率先して辺野古移転に拘泥するのはおかしいのではないか。基地問題に関しても、米国の意思を米国の代理人のごとき態度で沖縄に押しつけるのではなく、沖縄住民の立場に立って米国にモノをいうことができるのではないか。

「撤退」発言を聞いてとっさに思い出したことが亀井氏の言葉の他にもう一つあって、それは安倍元首相がかつて集団的自衛権行使の問題に関して述べた「日本の主体性」「日本の自由意思」についての発言である。今回の前原発言を聞くと、課題の相違はあるにしろ、問題に対する政治家としての発想というか、姿勢というか、安倍氏とよく似ている点があるのだ。豊下楢彦氏の『集団的自衛権とは何か』に詳細が描かれているので、該当部分を以下に引用する。


「 日本の主体的判断?
 ところで安倍は、集団的自衛権を行使することによって、日本が米国の戦争に巻き込まれるのではないか、という世論の危倶を念頭におきつつ、次のような立場を強調する。「日本人はよく早とちりをするのですが、「できるようにする」ことと「やる」ことの間には大きな差があるんです。集団的自衛権を行使するかしないかは、政策的判断です」と(『論座』2004年2月号)。つまり、政府の解釈変更や改憲によって日本が集団的自衛権を行使できるようになったとしても、それを行使するか否かは米国の思惑ではなく、あくまで日本の主体的判断に基づいたものである、ということなのである。
 しかし現実の日米関係は、日本に「主体的判断」を許すような状況にあるのであろうか。安倍の主張は、日本が集団的自衛権の行使に踏み切ることへの米国側の“期待”の大きさを過小評価しているのではなかろうか。一例として、米国を代表する保守系誌の一つである『ナショナル・レビュー』誌の編集長リチャード・ロウリーの主張を見てみよう。

 「米国にイエスと言う日本」
 彼は2005年7月、「太陽が昇るとき」と題する論文においてまず、「日本を、ヨーロッパにおける英国のように、アジアにおいて米国が信頼できるパートナーにする」ことが米国の「目標」であるが、そこに立ちはだかる「主要な障害」が憲法9条であると、安倍とほぼ同様の主張を展開する。とはいえ彼は、かつて「ノーと言える日本」が議論されたが、今や「小泉が米国に対してイエスと言う日本をつくりあげてきた」と当時の小泉首相を絶賛し、「数年以内」に憲法が改正されるであろうと楽観的である。憲法9条は、日本が正式の軍隊をもち、武器輸出を行ない、なによりも集団的自衛権を行使することを禁止してきたが、憲法が改正されるならば、インド洋であれイラクであれアフガニスタンであれ軍隊を展開でき、あるいは北朝鮮に爆撃を加えて中国を牽制することもできると、ロウリーは大いなる�期待″を膨らませるのである。
 ロウリーの議論できわめて興味深いのは、日本が軍事的な活動領域を飛躍的に高めると、周辺諸国において、「日本軍国主義の亡霊」の復活に対する危倶が増大するであろうことを読み込んでいる点である。そのために彼は、日本が核兵器や弾道ミサイルなど「攻撃的兵器」にアクセスすることを許さず、さらに「同盟における目上のパートナーとして米国は、日本の意図について周辺地域を安心させる役割を果たすべきである」と述べている。(略)

 改めて今日の状況を見るならば、今や米軍再編において、「国家戦略」のレベルまで「日米一体化」が進められようとしている。さらに、国際的にはもちろん米国内においても「愚かな誤った戦争」との評価が定まりつつあるイラク戦争について、日本は開戦時の「支持」の立場を、日米関係に配慮していささかも修正することができない。こうした「現実」において、安倍が主張するように、仮に日本が、米国から集団的自衛権の行使を求められる際に「主体的判断」をくだして「ノー」と言えば、いかなる事態が生ずるであろうか。それは言うまでもなく、米国側からすれば、日本の�裏切り行為�そのものであろう。そもそも集団的自衛権の行使にあたって「主体的判断」を主張するというのであれば、こうした事態を覚悟しておかねばならないはずなのである。」(豊下楢彦『集団的自衛権とは何か』岩波新書2007年)


以上のとおりである。今回のTPP問題に関して、「撤退もあり得る」という前原氏は、「「撤退」と言えば、いかなる事態が生ずるであろうか。」という側面をどれだけ真剣に考えて口にしているのだろうと、大変疑問である。安倍氏、前原氏のように問題に対する徹底した思考の形跡が微塵も感じられない、その場かぎりの甘いぼんやりとした考えで物事を過激に急激に動かそうとしているのをみると、あまりのことに気持ちが暗澹となる。野田政権が発足してまだ2カ月足らずだが、政府は原発再稼働への動き、武器輸出禁止三原則の緩和を示唆するなど、何かあらゆる面で事態はますます悪い方向に向かって走っている気がしてならない。
2011.10.23 Sun l 社会・政治一般 l コメント (0) トラックバック (1) l top
前回のエントリーの最後に (つづく) と記したのだが、そのつもりで書き始めてみたものの、内容がまったくタイトルにそぐわないものになってしまった。仕方なくタイトル名を変えることにしたしだいです。

   1
小沢一郎氏は91年1月の湾岸戦争のとき与党自民党 (海部内閣) の幹事長であった。戦争協力のために日本は135億ドルの資金援助をしたが、それにもかかわらず、本当か嘘かは定かではないが、 クウェートからてんで感謝されなかったという説がある。小沢氏の話によると、米国は日本に対し金銭より軍事物資の輸送などの具体的、実質的支援を望んでいたそうである。戦争終結後、 小沢氏が「これからはもう金さえ出せばいいという時代ではない。」と発言したというのを当時テレビか新聞で聞いた記憶がある。瞬間、「怖い」という気がしたのでよく覚えている。これは、今後は自衛隊を戦場に派遣もし、場合によっては軍事行動にも参加すべし、ということではないかと当時思ったし、実際そうだっただろうと思う。

その時以来、今日まで小沢氏のこの考え方には何の変化もないのではないだろうか。2007年には、「政権をとれば、ISAFへの参加を実現させたい」「ダルフール紛争への国連のPKO部隊派遣にも参加すべき」(『世界』2007年11月号)と述べていた。最近の出来事で印象深いのは、2009年、与党民主党の幹事長として官僚の国会答弁を禁止するための 「国会法改正案」成立に対して小沢氏が見せた異常なばかりの執着ぶりである。あれは、内閣法制局が長年にわたり堅持してきた集団的自衛権に対する「憲法上行使不可」という法解釈を葬り去りたいという一念に衝き動かされてのことではなかったか。小沢氏のこの動きに対し、当時民主党と連立を組んでいた社民党党首の福島瑞穂氏は記者会見で、「与野党の国会議員が答弁を求めたときは、 必要があれば役所が答弁するのは当然だ。運用面で工夫すればいいことで、法律まで作って答弁を禁止するのはおかしい」と述べ、反対の意向を表明している。

この発言は、当然のことではあるが、福島氏および社民党が小沢氏の意図、思惑を正確に把握していたことを示していると思う。ところがその後、小沢氏が記者会見でぶ然とした口調で福島発言を非難すると、それに気圧されたのか、福島氏は批判を引っ込めてしまった。小沢氏の「脱官僚」「政治主導」の実体がどのような性質のものかはこの動向に如実に顕われていると思う。幸い「国会法改正」は今のところ成立していないが、今後どうなるか分からない。日本で集団的自衛権が行使できる法体制が整備されることは、アジア近隣諸国はもちろん、世界に新たな災厄をもたらすことになるのは確実だ。英仏米中心のNATO 軍が長期にわたってリビアを空爆し、破壊攻撃を繰り返しているのを見て今さらながらそう感じた。

小沢氏が『日本改造計画』を著したのは、湾岸戦争の2年後の93年であった。執筆したのは財務官僚 (当時の大蔵官僚) だという説を耳にすることもあるが、とにかくこの本に小沢氏の考えが正確に記述されていることに違いはないだろう。日米安保条約は全身に国連を纏って作られた、とはよく言われることだが、小沢氏の『 日本改造計画 』にも同じことが言えるのではないだろうか。国連安保理の承認ということを前提条件として常に前面に押し出し、その実は、軍事行動も躊躇してはならないというのが小沢氏の主張の核心ではないかと思う。93年当時の日本社会はバブル景気とその崩壊を経験した直後で、そのせいかそれまでは見られなかった奇妙な空虚さが社会全体を覆っていたように思う。そのような環境の影響もあったのか、この本を読んだ人のなかには、吉本隆明のように、国連、国連、という言葉の頻出に惑わされ(?)、小沢氏を何の危険もない平和主義的な考えの持ち主のごとく言う人もいた。吉本隆明は『 日本改造計画 』を称賛した『わが転向』(文春文庫1997年。初出1995年) の別の箇所では、憲法第9条の正しさについては、絶対に人に譲れない、と大見得を切っているのだから、矛盾もはなはだしい。

ちなみに、当時『噂の真相』という雑誌は、吉本隆明はとうとう小沢一郎を称賛するまでに堕落した、耄碌した、と嘲笑する記事を掲載していたと記憶するのだが、何と今では、当該雑誌の編集長だった岡留安則氏が「検察は霞が関改革を進めようとする民主党の要・小沢を政権交代前から狙っていて、「捜査すれば何か出てくるだろう」というお決まりのパターンでやったけど、結局、起訴まで持っていけなかった。完全に検察の敗北だよ。」と、小沢応援団の典型的常套句を述べるようになっている。岡留氏の「霞が関改革を進めようとする民主党の要・小沢」という言葉は、その小沢氏がしゃかりきになって進めようとしていた「国会法改正」による「内閣法制局の答弁禁止」問題と考え合わせると何とも興味深い。

   2
小沢氏は『日本改造計画』出版の翌94年3月には、『世界に生きる安全保障 -21世紀への指針-』(原書房)という安全保障について論じた書籍のなかで「巻頭言」を書いている。この本は「日本戦略研究センター編」ということだが、当時の小沢氏はこの団体の会長を務めていたことが本人によって文中に明記されている。この本のほうが『日本改造計画』よりも、安全保障、防衛問題についての小沢氏の考えが鮮明に出ているように思う。小沢氏はここで安全保障問題に関して今後の日本はどのような途を選択すべきと述べているのか、その主張を以下にいくつか抜粋して掲載する 。

「 私はかねがね、平和維持部隊の派遣や国連軍の参加を含め、わが国が国際連合の平和維持活動に積極的に協力して世界平和に寄与することは、日本国憲法が許容するところで あり、冷戦後の世界秩序構築のために、わが国が果たすべき新たな国際的責務であると主張してきた。その責務を果たしてこそ、わが国は激動する転換期の世界情勢の中で、孤立化をまぬがれ、将来の繁栄と生存の道を約束されよう。国民世論はまだその域にまで達していないかも知れないが、私はこの主張を必ずや国民が受け入れてくれるものと確信していると同時に、自分のこの主張に責任を持ちたいと思っている。

…ここに日本戦略研究センターが政治への提言を披瀝する所以は、激動する国際情勢の中で、国際的安全保障活動(注1)への自衛隊の参加が、今や日本の生存と繁栄のために欠くべからざる選択であることを、広く国民全般が認識するよう希求し、その認識に基づいて、それの実現へ向かう政策を国民が支持することを念願するからに外ならない。

注1)国際的安全保障活動ー国連憲章第51条では、個別的自衛権と並んで集団的自衛権の行使を容認している。集団的自衛権については、国際法上は、上記の「集団防衛体制」の存在の有無に拘わらず行使できるものとされている。したがって、集団的自衛権を行使することは、同盟国の危急を防衛する場合と、同盟関係にない他国の危急を防衛する場合との双方が含まれる。

本書における「国際的安全保障活動」とは、「集団安全保障体制に基づく活動」と、「集団的自衛権の行使」との双方を総称して用いるものである。

(一)憲法解釈の是正
 日本国憲法は、国際紛争を解決する手段としての、国権の発動たる戦争、武力による威嚇、武力の行使を放棄している。
 また、国際連合憲章第1条は、国際連合の目的の一つとして、「国際的な紛争事態の調整・解決を平和的手段によって実現」すべき趣旨を規定し、第2条4号に、目的達成の行動原則として、「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇、武力の行使、国際連合の目的と両立しない方法を慎まなければならない」という趣旨を述べてい る。つまり、国連憲章も武力による威嚇とその行使を禁止しており、日本国憲法はそれと軌を一にするもので、近代国家の憲法として当然の規定であろう。

 ただし、国連憲章は加盟国の平和と安全を守る方策として、「平和に対する脅威、平和の破壊、侵略行為」に対し、第42条で安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な陸海空軍の行動をとることができるとし、さらに第51条で「武力攻撃が発生した場合」には、加盟国が個別的および集団的自衛権を国家固有の権利として行使できることを容認している。

 日本国憲法も当然この国連憲章の趣旨に従って理解されるべきであろう。国連に加盟した時点で、わが国は国連憲章第43条にいう「すべての国際連合加盟国は、……国際の平和及び安全の維持に必要な兵力、援助及び便益を安全保障理事会に利用させることを約束する」との約束を行ったのであり、国連軍に参加することは、加盟国として回避できない 義務を果たすことを意味する。

 集団的自衛権について、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」(昭和35年6月23日発効)では、その前文に「日本国及びアメリカ合衆国は、…両国が 国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し、」と記述されており、わが国はすでにその時点で集団的自衛権の保有を確認している。

 従来の政府答弁書では、「(自衛権の行使は、)……わが国を防衛するための必要最小限度の範囲にとどまるべきであり、……集団的自衛権を行使することはその範囲を越える…」という解釈を示しているが、わが国の存立に死活的影響を与える武力攻撃が特定国に加えられた場合に、それを排除することが常に必要最小限の範囲を越えるというのは、誤った集団的自衛権の解釈である。

 国連憲章の約束に従い、従来の政府解釈を速やかに是正し、わが国は他の国連加盟国と同様に安保理の要請に基づいて国連軍に参加し、必要な場合には集団的自衛権を行使できるように体制を整えなければならない。

(二)参加形態の是認
 上記の解釈により、日本国が現憲法のもとに、国際的安全保障活動に参加する形態は次のとおりと、是認する必要がある。
 国連軍(国連憲章第42条以下により編成される場合)
 多国籍軍(国連憲章第42条後半の規定による準国連軍
 平和執行部隊(国連憲章第40条の暫定措置-92年ガリ提案)
 平和維持部隊(国連総会または国連安保理の決議に基づく)
 その他、今後国際連合の決議により定められる組織
 集団的自衛権の行使  」


以上、小沢氏の「巻頭言」から一部引用した。安部晋三元首相が2006年の首相就任前後に著書『美しい国』やマスコミなどで力説していた「集団的自衛権を行使できないというこれまでの政府見解には納得できない。早急に解釈を変更すべきである。」という主張と小沢氏の上の見解は実によく似た論理構成を持っていると思う。それは、 集団的自衛権の行使ができて初めて他国、特に米国と対等の立場に立てるし 、国際的なレベルでの権利の主張も義務の遂行も可能になるという主張である。それから、その主張に当たって二人が「 従来の政府答弁書」として引用する集団的自衛権に関する政府答弁が81年のそれだということも共通している。豊下楢彦氏の『集団的自衛権とは何か』(岩波新書2007年) によると、81年に政府が行なった答弁は内容に不備があり、そのため5年後の86年に国会で物議をかもす事態を招き、そこで内閣法制局は81年答弁の不首尾を詫び、改めて政府解釈の基本である72年資料に基づいて正確な解釈を提示したのであった。つまり86年のこの時点で81年政府答弁は棄てられたのだ。

だから、94年の小沢氏にしろ、06年の安倍氏にしろ、集団的自衛権に関する政府解釈を俎上に上げて議論するのなら、72年資料か、86年答弁のいずれかを用いるべきなのに、二人とも内閣法制局長官が不首尾、誤りを認めて否定し、破棄したところの81年答弁をあえて用いているのである。これでは議論のそもそもの前提が誤っているので、いくらやっても中身のある議論にはなりようがないわけだが、なぜそういうことをするのかというと、81年答弁には、「必要最小限度の範囲」とか「その範囲を越える」という文言が存在し、量の大小を示すこの表現につけこむ隙があると思えたからであろう。以下に豊下氏の『集団的自衛権とは何か』から安倍元首相の集団的自衛権に関する主張を引用し、安倍氏と集団的自衛権の関係を見てみたい。やや長くなるが、小沢氏の主張と考え合わせると、なかなか興味深い文章だと思う。

   3
「 新憲法草案の策定から1年を経ることなく、安倍は小泉純一郎の後を襲い戦後世代として初めて政権の座を担うこととなった。同時に、実現すべき最重要の政策課題として憲法改正を明確に掲げるばかりではなく、集団的自衛権の行使にむけて「有識者懇談会」を設けるなど具体的な取り組みに乗り出した戦後初めての首相となった。この意味で、集団的自衛権の問題を検討していくにあたって、安倍政権の帰趨は別として、彼の言説に焦点を当てていくことは、問題のありかを明らかにするうえからも妥当と言えるであろうし、また彼の議論には、集団的自衛権の行使が主張される場合の主要な論点が、ほぼ集約的に表現されているのである。

安倍は、自民党の総裁選拳を控えた2006年7月に、自らの「国家像」をまとめた『美しい国へ』(文春新書)を著し「戦後体制からの脱却」を唱えたが、それを象徴するものが 憲法9条の改正であり、集団的自衛権の行使なのである。なぜなら、集団的自衛権を行使できない日本は「禁治産者」にも比されるべき国家であり、集団的自衛権を行使できる ようになって初めて、日本は日米安保条約において「双務性」を実現し、米国と「対等」の関係に立つことができるからなのである。

政府解釈とは 以上のような戦略的展望をもつ安倍にとって最大の障害は、集団的自衛権に関する従来の政府解釈である。それでは、その政府解釈とはどのようなものであろうか。1972年10月14日、政府(田中角栄内閣)は参議院決算委員会に対し、社会党の水口宏之議員によるかねてからの質問に応える形で、集団的自衛権に関する政府見解として、 以下のような「資料」を提出した。

この「資料」は、次のような論理の展開で構成されている。まず集団的自衛権について、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにも かかわらず、実力をもって阻止すること」と定義づける。次いで、国際連合憲章第51条などをあげて、「わが国が、国際法上右の集団的自衛権を有していることは、主権国家で ある以上、当然といわなければならない」と、国際法のうえで日本も集団的自衛権の権利を有しているとの立場を明らかにする。

しかし問題は憲法との関係である。第9条について「資料」は、「いわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、(中略)自国の平和と安全を維持しその存立 を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない」と、個別的自衛権の行使を認めている。ただその場含も、「だからといって、平和主義を その基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置として、はじめて容認されるものである」と、個別的自衛権であっても、その行使に厳格な�制約″がはめられていることを強調するのである。

以上の論理の展開を踏まえたうえで「資料」は、集団的自衛権について次のような結論を導きだすのである。つまり、個別的自衛権であっても右のような�制約″が課せられる のである以上、「そうだとすれば、わが憲法の下で、武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがっ て、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない」と。

これが集団的自衛権について、いわゆる「国際法上保有、憲法上行使不可」という、今日にまで至る政府解釈の「原点」なのである。当時、水口が集団的自衛権に関する政府解釈を執拗に追及した背景には、1969年11月の佐藤・ニクソン共同声明において「韓国・台湾条項」が導入されたことが挙げられる。1964年以来、米国は当時の南ベトナム政府 の「要請」により集団的自衛権を行使するとの口実でベトナム戦争に突入していったが、事態が泥沼化するなかで、韓国やオーストラリアなどに派兵を求めていたので ある。

右の共同声明は、韓国・台湾有事に際して米国が自衛隊に軍事的協力を求めてくるのではないか、という危倶を高めるものであった。ベトナム戦争の泥沼化に加えて、集団的自衛権がきわめてダーティなイメージを国民世論に与えている状況において、政府としても第9条を前面に掲げて集団的自衛権の行使を明確に否定する必要があったのである。ちなみに、韓国は集団的自衛権を行使して南ベトナムに32万人をこえる兵力を派遣し、5000人以上の戦死者を出した。

その後、1970年代末から米ソ間で「新冷戦」が始まり、米国が防衛協力の強化を求めてくる情勢を背景に、社会党の稲葉誠一議員が改めて集団的自衛権に関する 「政府見解」 をただしたのに対し、1981年5月29日、政府(鈴木善幸内閣)は次のような「答弁書」を提出した。つまり、集団的自衛権について72年「資料」と同様の定義を行なったうえ で、「わが国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法9条の下において許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限度にとどまるべきものと解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている」との論理を 展開したのである。

この「答弁書」の叙述は、72年「資料」と似ているように見えて、その論理構成において問題を抱えていた。72年「資料」の論理を踏まえるならば、本来であれば、憲法9条の下においては自国が武力攻撃を受けた場合であっても自衛権の行使に“制約″が課せられている以上、他国に対する武力攻撃の場合に自衛権の行使が認められるはずがない、 とい う論理を組み立てるべきであったのである。

はたせるかな、5年後の1986年3月5日、衆議院予算委員会において、公明党の二見伸明議員は右の「答弁書」の叙述を引用した上で、次のように問いただした。「ところが、これを裏側から考えるとこういう解釈も成り立つのかな。今後、必要最小限度の範囲内であれば集団的自衛権の行使も可能だというような、そうしたひっくり返した解釈は将来で きるのかどうかですね。必要最小限度であろうとなかろうと集団的自衛権の行使は全くできないんだという明確なものなのか、必要最小限度の範囲内であれば集団的自衛権の行使も可能だという解釈も成り立ってしまうのかどうか、この点はどうでしょうか」と。

ここで言う「ひっくり返した解釈」とは、二見も指摘するように、一定の「範囲を超える」から集団的自衛権の行使は許されないというのであれば、逆に解釈すれば、行使が許される「範囲」というものがあり得るということになるのではないか、という問題提起なのである。これに対し、5年も前に出された「答弁書」にかかわる二見質問の意味を当初は十分に理解できなかった茂串俊内閣法制局長官は、結論として次のように回答した。

「おわかりにくいところがあって大変恐縮でございましたが、もう一遍それでは先ほど申し上げた点を重複はいたしますが申し述べます」と答弁の不首尾を詫びたうえで、個別的自衛権に関する従来の政府解釈を再確認しつつ、「この措置〔個別的自衛権の行使〕は、このような事態を排除するためにとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきである、そういう筋道を申し述べたわけでございます。したがって、その論理的な帰結といたしまして、他国に加えられた武力攻撃を実力をもって阻止するということを内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されないということを従来から明確に述べているわけでございます」。

つまり政府として、集団的自衛権に関する政府解釈は72年「資料」の論理そのものである、との見解を明確にしたのである。かくして今日に至るまで、72年「資料」が展開した 「国際法上保有、憲法上行使不可」という論理が、貯余曲折を経ながらも堅持されてきたのである。

ところが安倍は、「私は、〔集団的自衛権を〕現行憲法でも行使できると思っています」と主張するのであるが、その根拠は次のところに求められる。「内閣法制局は集団的自衛権も「必要最小限を超える」と言っているわけです。それは量的な制限なわけで、絶対的な「不可」ではない。少しの隙間があるという議論もある。であるならば、「必要最 小限の行使があるのか」ということについては、議論の余地を残しているといえる」(『論座』2004年2月号)。

言うまでもなくここでは、二見質問が提起した問題が前提に置かれていることは明らかであろう。つまり安倍は、二見の質問内容は把握しているが、政府側が結論として72年 「資料」の論理を再確認したことについては、そもそも議事録を読んでいないか、あるいは意図的に避けているのか不明であるが、フォローしてないようである。」


著者の豊下氏は安倍氏について、「 議事録を読んでいないか、あるいは意図的に避けているのか不明であるが、」と記述されているが、「政府側が結論として」再確認した72年 「資料」の論理をフォローしてないのは、安倍氏だけではなく、小沢氏も同様であった。時間の経過をみると、安倍氏のほうが小沢氏の手法を真似た可能性もあるかも知れない。違いは、安倍氏の態度は露骨、小沢氏は国連を前面に立てている分、ごまかしが効いているということだろう。集団的自衛権行使に対する二人の姿勢に本質的差異はないように思える。


参考になる記事
http://watashinim.exblog.jp/10535494/
2011.10.19 Wed l 社会・政治一般 l コメント (0) トラックバック (0) l top
何度も引用させていただき恐縮だが、上脇博之氏のブログのコメント欄に下記のごとき書き込みがあるのを見た。大変気になる内容なので取り上げて検討してみたい。

1、( http://blog.livedoor.jp/nihonkokukenpou/lite/archives/51618710.html )
「 今回の水谷建設社長の証言は信用できるとお考えですか? 
自白調書は破棄しても公判で偽証すれば同じ事です。 検察側証人は検察官によって法廷での証言を厳しく指導されています。 これも冤罪の温床になっています。
偽証を信じて誤判をすれば冤罪は完成です。 過去この手法によって多くの無実の国民が罪に問われました。弁護側証人は偽証で立件しても検察側証人は不起訴になります。
ここにも冤罪の大きな原因が隠れている事を見逃してはいけません。 2011年10月02日 」

2、( http://blog.livedoor.jp/nihonkokukenpou/lite/archives/51620588.html )
「あなたの場合、憲法は、権力者(資本主義、共産主義共通)が民衆を規制する最高法規として認識しておられるように思います。 そう言う視点から見れば、検察権力の恣意的な法律運用も、登石裁判官による客観的証拠抜きの推認による有罪判決も全てOKと言うことなのでしょう。 あなたには、市民を名乗ってほしくありません。 2011年10月 09日 」

上記1、2のコメントはそれぞれ別の人物のもので、書き込みされたエントリー自体も異なるのだが、両方とも、上脇氏が小沢一郎氏の秘書たちの行動と政治資金規制法とを照合、検証して、9月26日に東京地裁より秘書3人に言い渡された有罪判決を妥当と判断していることに対する異論を述べているのだと思われる。

1、は、一般論でいうと、必ずしも誤ったことを述べているとは思わない。「 検察側証人は検察官に よって法廷での証言を厳しく指導されています」ということだが、すべての事件がそうとは言えないと思うが (というのは、検察官の意図、思惑とは逆と思われる、被告側に有利となる検察側証言がなされている尋問調書を新聞や本などで私はずいぶん沢山見ている)、一般論としては、検察は証言をそのように導こうとするに違いない。また、「 偽証を信じて誤判をすれば冤罪は完成です」というのは当たり前の話だが、古くは八海事件でそういうことがあった。松川事件でも、自分たちの言い分に従わなければ、ある喧嘩の件でおまえたち二人を逮捕するとか、偽証罪で逮捕するなどと検察官に脅かされたために前回は仕方なく嘘の証言をしたのだと法廷で告白した検察側証人もいた。甲山事件でも、保母のアリバイを証言した保育園関係者2人が偽証罪で逮捕されるというとんでもない出来事があった。そのような過去の違法かつ不名誉な検察の捜査、取り調べの手法、その積み重なりが 1、のコメントに見られるような疑念や不信を招く最大要因になっているのだと思う。

検察審査会についても、私にはあまりよいイメージがない。それは上で少し触れたが、70年代半ばに起きた甲山事件に起因するもので、検察の不起訴決議に対して被害児の遺族から検察審査会に不服申立てがなされるという出来事があり、これに対して検察審査会は不起訴不相当としたのだ。このときの苦い過ちの教訓を踏まえると、起訴にはそれに足るたしかな証拠がぜひとも必要だと思うが、今回の小沢氏の強制起訴についても外部から見ているかぎりそれが明瞭であるようには感じられない。秘書に対し、コピー用紙には使い古しの用紙の裏を再使用するようにという小沢氏の指示があったということだが、それが即小沢氏と秘書との共謀に結び付くという考え方で起訴相当としたのだとしたら、それは乱暴な話ではないだろうか。コピー用紙の使用方法についての秘書への注意、指示の件は、モノを無駄にすることや粗末に扱うのを嫌うという個人の性格とか気性の問題、身に付いた日常的慣習の問題である可能性もあると思う。裁判の進行を見守りたいと思うが、ただ、土地購入や政治資金報告書記載に関する秘書3人の行動の異様さが法廷であれだけ明らかにされている以上、小沢氏の判決が有罪、無罪のどちらの結果であっても、判決が小沢氏の不名誉払拭に結び付くとは思えないが。

元に戻って、水谷建設元社長の証言が偽証であるかどうかだが、コメント主は、自分がこの件につきどう考えているのかについては何も述べていない。元社長の証言には現金を運んだ際の運転手であった元社員の証言との間に食い違い、矛盾があるようである。ただし、当時水谷建設の会長だった人物の証言も考慮にいれると、水谷建設が陸山会に1億円 を渡すための準備を完了していたことはたしかと認めて差し支えないのではないだろうか。これは 1、のコメントに関連しての私の意見だが、上脇氏の判断は、この水谷建設元社長の証言の件もふくめた他の疑惑はすべて脇に置いたとしても、秘書の政治資金報告書における誤記載、不記載はきわめて悪質であり(政治団体ごとにまとめると、第4区 総支部の虚偽記入の総額は1400万円、陸山会の虚偽記入・不記載の総額(本年の収入額や支出総額を除く)は18億3861万6788円、合計は18億5261万6788円 ) 、有罪判決は導かれるべくして導かれた合理的なものというものだ。秘書たちへの判決については私も同様に妥当と言わざるをえないと感じている。

上述のコメント主は、ここでまずエントリーが詳細に指摘している報告書の誤記載と不記載に対しての自分の意見を述べるのが普通なのに、肝心要のこの件はすっ飛ばして、唐突に偽証の問題を持ち出している。それも、偽証の有無に対する検証は一切抜きで、「過去この手法によって多くの無実の国民が罪に問われました 」とか「 ここにも冤罪の大きな原因が隠れて いる事を見逃してはいけません」とまるで過去のそういう事実にブログ主の上脇氏がまるっきり無知であるかのような言い方をしている。「 過去この手法によって」「罪に問われ」た「多くの無実の国民」の場合と、上述したようなこの事件の場合とをどうして同じ次元で語ることができるのだ? とりわけ、小沢氏が用立てた4億円を石川氏が多くの銀行を走り回って分散預金し、それをすぐまた下ろして一ヵ所に集めて、とした工作活動には一種涙ぐましいほどの必死さが感じられる。誰にしろ、この行動の背景にあるのが4億円の出所を表に出したくないという意思以外に何か考えつくことができるだろうか? このような世界は、 ほぼすべての国民の生活とは想像を絶して無縁なものである。一般の冤罪被害者と、小沢氏やその秘書たちとを一緒くたにして双方をともに「無実の国民」のごとく論じることは、事実に反するし、冤罪被害者の苦しみに対して失礼だろう。これでは、冤罪とはそれを主張するもしないも人の勝手次第ということになるように思う。

次に 2、のコメントだが、こちらはさらにひどい。「 あなたの場合、憲法は、権力者(資本主義、共産主義共通)が民衆を規制する最高法規として認識しておられるように思います。」だって。コメント主は小沢氏を「権力者」ではないとでも思っているのだろうか。このコメント内容からすると、ひょっとして小沢氏を私たちと同じ一介の「民衆」とでも言いたいのだろうか? 90年代初めから常に権力の中枢にいて、辣腕をふるい、財界をはじめ各界に多大な影響力を及ぼしてきたと評されているこの政治家に対するそのような認識には驚嘆するしかない。秘書たちが裁きを受けた事件にしろ、小沢氏自身の事件にしろ、小沢一郎という政治家が、ゼネコンなどの各企業が決して無視しえない大物政治家であればこそ起きた事件であることは明白だろうに。

「そう言う視点から見れば、検察権力の恣意的な法律運用も、登石裁判官による客観的証拠抜きの推認による有罪判決も全てOKと言うことなのでしょう。」については、「 客観的証拠抜きの推認による有罪判決」という理解は誤りだと思うので、判決文の読みなおしをして、それと事件の経過との照合、検討をされることをお勧めする。

どうもこのような声を聞いていると、この人たちはどんな珍妙な理屈をこねまわしても小沢氏を擁護したいという一念に凝りかたまっているのではないかと思う。よりによっ て、小沢一郎氏を暗に「(無実の) 国民」「(権力に規制される) 民衆」呼ばわりするとは! この倒錯は意識的なものなのか、それとも無意識のなせる技なのかは分からないが、そら恐ろしくもあり、薄気味悪くもある。ひょっとしてコメント主たちは、一方で紛れもない有力政治家・権力者である小沢氏、もう一方で検察とマスコミによって無実の罪を着せられている悲劇の王様である小沢氏、この二つの像を思い描き、そういう小沢氏を熱烈に支持することで、権力者と悲劇の主人公の両面を自分の内に見ているというようなことはないだろうか?

今日取り上げたのはコメント2件だけだが、小沢氏の支持者のなかで、小沢氏のこれまでの政治的発言や活動を丁寧にかつ幅広く拾い上げ、それを広い現実世界のなかに据え置いてその良し悪しやもっている意味などについて厳密に分析している人は、有名・無名を問わず皆無のように思えるのだが、どうなのだろう? たとえば、集団的自衛権の行使について小沢氏はかつて安倍晋三元首相と同趣旨の主張を安倍氏より十年も早く述べていたのだが、小沢氏を支持する人々はそのようなことを知っていながら、小沢氏を称賛しているのだろうか。もしかすると、この人たちは世間に向かって壮大なデマを振り撒いているのではないのだろうか。それから、これは単なる印象に過ぎないのだが、東日本大震災以降、信仰のごとく小沢、小沢と言いまわる人のなかに東北地方在住の人はあまり見ない気がする。

コメントのなかには他に「 あなたは、誰にご飯を食べさせてもらっているんですか? 」という訳の分からないものまであった。まさかとは思うが、ここには、国民は皆、 政治家=小沢氏にご飯を食べさせてもらっているのだという含意もあるのだろうか? まったく、何が何やら分からんちゃ。
2011.10.16 Sun l 裁判 l コメント (0) トラックバック (0) l top
とあるブログで「「小沢事件」と「ドレフュス事件」の類似性」という題の記事を見た。ブログ主は一応「文藝評論家」だとのこと。本当に頭が痛くなる。非礼を省みずに言わせていただくと、裁判について書くのであれば、事件の詳細について最低限の理解をした上で書いてほしいと思う。いったい小沢事件のどこに「 ドレフュス事件 」との類似性があるというのだろう。裁判資料を集めるのが大変だというのなら、たとえば上脇博之氏のブログを少し丁寧に読めば、秘書3人が関わる「陸山会事件」についても、その秘書たちとの共謀の有無が問われている小沢氏自身の事件についても、事件の流れ、および裁判で彼らの行動の何が具体的に問題とされ、どの点が疑わしいとされているのか、詳細に知り得るだろう。事件の全体像も把握できると思う (私もそのようにして事件に関する基礎的知識を得た)。そうすれば、判決が有罪、無罪のどちらであった(ある)にせよ、一連のこの事件に対し、「ドレフュス事件」( 事件の概略は、このウキペディアの記述でも大体分かる。) と類似している、などというデタラメ発言は出てこないはずだ。

小沢支持者という人々は不思議な人たちで、私の知る範囲では、この人だけではなく、ほぼ全員が「 小沢一郎は無実だ、冤罪だ」「事件は検察とマスコミのでっちあげだ」「陰謀だ」と叫び立てたり、集まってデモをやったりするものの、その前に自分たちで裁判資料を精読して一から事件を検証し、被告人の無実を具体的に明らかにするという、普通の裁判批判の手続きはとらないようだ。そういう例を私は見たことがない。それとも裏できちんと検証作業を行なっていながら、表面に出さないだけなのだろうか? だとしたら、それはそれでなぜ?という疑問が浮かぶ。いずれにせよ、1年も2年も同じ内容、同じ形式の抽象的小沢擁護発言を声高に繰り返してよく飽きないものだが、そうやってキャンキャン騒いでいるうちに、発想も表現もどんどん大袈裟に誇大妄想気味になっていく。「小沢一郎暗黒裁判」 は「ドレフュス事件 」を彷彿させる、などと言いだすのは、その最たるものだろう。ここまでくると、もう裁判批判自体がデマゴギー化してみえる。

一般市民がある裁判について腑に落ちないとか、モノ申したい、批判があるという場合、誰にとっても可能かつ適切な行動はまずコツコツと事件の検証を行なうことだろう。広津和郎が松川事件の膨大な裁判資料と格闘し、判決の矛盾と不当性を丁寧かつ詳細、的確に指摘し、世論を喚起したのは、もう半世紀以上も前の1950年代だが、広津のこの裁判批判の態度こそは現行の司法制度がつづくかぎり、裁判批判における永遠不変の原則的態度といえると思う。そして基本となるのはいつでも法廷のテーブルの上の証拠である点も変わらないだろう。

小沢氏の支持者 (小沢氏自身も) は、秘書3人に下りた有罪判決について、裁判官が証拠を無視して勝手な推測と想像によって導き出した判決であるかのように述べている。しかし、ことこの裁判に関しては、判決の内容を被告人石川氏および池田氏の法廷における陳述と照合してみただけでも、小沢支持者のその言い分こそ証拠を無視した主張であることは明白のように思われる。

たとえば、石川氏の法廷証言によると、政治資金収支報告書の2004年10月収入欄に記入されている4億円は「小沢氏からの借入金」と説明される。4億円にはこの小沢氏の4億円と、もう一つ、 小沢氏を介して同時期に銀行から借りだした4億円 (計8億円) がある。石川氏はこの二つの4億円のうち一つしか報告書に記入せず、記入したのは小沢氏の4億円だと言う。だが、4億円の返済は2005年と2006年に2億円ずつ、石川氏の証言によると借入金として報告書に記載されていないはずの銀行に対してなされ、小沢氏へはなされていない。これは証拠上明らかである。このあたりの経緯について石川氏は本年3月2日 第6回 公判の被告人質問の場で説明を求められたようだ。

「 登石郁朗裁判長ら裁判官が、同会が土地を購入した際、石川被告が行った複雑な資金移動の理由について説明を求めたが、石川被告は「うまく説明できない」と述べた。

同会は2004年10月に東京都世田谷区の土地を購入。その際、小沢元代表から4億円を借り入れた上で、定期預金を担保に銀行から同額の融資を受けたが、融資の利子として年間約450万円を払っていた。

石川被告はその理由について、「小沢議員から借りたことを明確にしようとした」と説明。登石裁判長が「借用書は作っていますね」「借金とはっきりさせていればいいのでは」などと尋ねると、石川被告は口ごもり、「すべてを合理的に説明できない」と話した。」(2011年3月3日読売新聞

ところが、この石川証言に対し、石川氏の後を継いで陸山会の経理責任者となった池田氏は、報告書記載の4億円は銀行からの借入金であり、小沢氏の4億円ではないと主張する。報告書には銀行への返済金が記入されているのだから、こちらの証言のほうが石川証言よりはるかに自然かつ合理的だが、では、小沢氏から陸山会に渡された4億円は陸山会にとってどのような意味をもつ金銭なのかと問われると、池田氏は単に「預り金」だという。上脇氏のブログでは、小沢一郎元民主党代表の元秘書ら3名に有罪の判決が下されたことは「ほぼ予想通り」であり、 「そもそも元秘書ら3名の有罪は客観的な証拠に基づいて帰結できるものでした。」という判断が示されているが、そのなかで、石川氏と池田氏の間の証言の矛盾についての分析もなされている。以下に引用させていただく。

「 (4)では、どちらの主張が妥当なのでしょうか?

まず、被告人石川氏の弁明は通用するのでしょうか?

その弁明は他の事実に矛盾します。

というのは、被告人石川氏は転借りした「4億円」を記載していないことを認めていますが、にもかかわらず、転借りした「4億円」は、検察の冒頭陳述で説明されているように2005 年と2006年に2億円ずつ小沢氏を介して銀行に返還されており、2005年分と2006年分の政治資金収支報告書に返還の記載がなされているからです(当初の小沢氏から借入れた 「4億円」が返還されたのは2007年です)。

借り入れのとき記載しなかった「4億円」について、返還では報告するのは、矛盾しています。

そうすると、2004年分の政治資金収支報告書に記載されている小沢氏からの4億円の借入は、検察側の主張するように銀行からの転借り分の「4億円」だという方が辻褄があいますので、当初 小沢氏から借入れた「4億円」は記載されていないというのが、真実でしょう。

すでに紹介した被告人池田氏の陳述が被告人石川氏の弁明の嘘を暴いていることになります。

被告人石川氏は、小沢氏からの4億円の借入を報告していないことを自覚していたから、当初は罪を認めていたのでしょう。

(5)では、被告人池田氏の「預り金」の主張は通用するのでしょうか?

2004年10月に、小沢氏を介して銀行から「4億円」借り入れできたので、当初の小沢氏から借入れた「4億円」をすぐに返済したというのであれば、「預り金」の主張は理解できないわけではありません。

しかし、2004年に借入れた「4億円」もの大金を2007年に返還して、それでも「預り金」だと主張するのは、通用しませんし、通用させてはいけません 。 すぐに返済しなかったのは、本件4億円がなければ陸山会の資金運営に支障が生じたからでしょう。 それなのに「預り金」という弁明が許されるのであれば、政治資金規正法は遵守しなくてもいい法律だ、ということになってしまいます。

同法は真実の収支を報告させ、それを国民の不断の監視と批判に委ねているからです。 記載されなければ国民は適正な判断ができません。

(目的) 第1条 この法律は、議会制民主政治の下における政党その他の政治団体の機能の重要性及び公職の候補者の責務の重要性にかんがみ、政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるようにするため、政治団体の届出、政治団体に係る政治資金の収支の公開並びに政治団体及び公職の候補者に係る政治資金の授受の規正その他の措置を講ずることにより、政治活動の公明と公正を確保し 、もつて民主政治の健全な発達に寄与することを目的とする。

(基本理念) 第2条 この法律は、政治資金が民主政治の健全な発達を希求して拠出される国民の浄財であることにかんがみ、その収支の状況を明らかにすることを旨とし、これに対する判断は国民にゆだね、いやしくも政治資金の拠出に関する国民の自発的意思を抑制することのないように、適切に運用されなければならない。 2 政治団体は、その責任を自覚し、その政治資金の収受に当たつては、いやしくも国民の疑惑を招くことのないように、この法律に基づいて公明正大に行わなければならない 。

(6)この「4億円」という高額な借入の不記載、返済の不記載だけで、小沢氏の元秘書らは「有罪」でしょう。「無罪」だと結論づける方が難しいでしょう。」
  http://blog.livedoor.jp/nihonkokukenpou/lite/archives/51612036.html


以上、長文 (裁判の検証に関連する文章は丁寧さが必要とされるので長くなるのが当然だと思う) のうちのほんの一部の引用だが、裁判批評というものは常に、それがどのような内容のものであれ、このように起訴事実に対して証言をふくめた証拠を具体的に照らし合わせ、 実証的に論じられる必要があるだろう。上脇氏のtwitterをちょっとのぞいてみたら、「小沢一郎元民主党代表の初公判での意見と記者会見での発言等について」の項目(?)で、 「先生の文章、とても鋭い。なんというか、こういう緻密かつ大胆で分かりやすいブログを読めることに幸せを感じる。 7 Oct」「有難う。 @ 7 Oc」との会話がかわされていた。「幸せを感じる」という人の気持ちは分かるような気がする。ブログを読み進めることでその裁判に対する、また物事の見方に関する理解の深まりや視野の拡がりを自分の内部にたしかに実感するから 「幸せを感じる」のだろう。この「幸せ」は「充足感」と言いかえられるかも知れない。もしかすると基礎的な「学問の喜び」の一種と言えるかとも思う。昔、広津和郎の『松川裁判』を読みながら私もそのようなことを感じたことがあるのだ。

上記の石川、池田両被告人の証言を検討した上脇氏の文章を読んだだけでも、小沢氏やその秘書たちの事件と完全な冤罪事件である「ドレフュス事件」を並べて論じることのいかがわしさ、不適切、不当性が理解できるのではないかと思う

長くなるので、つづきは次回に。
2011.10.13 Thu l 裁判 l コメント (0) トラックバック (0) l top
9月27日の【佐藤優の眼光紙背】には、「石川知裕衆議院議員に対する第一審有罪判決について」という記事が掲載されている。

「今回の判決は、検察の完全な勝利だ。筆者は、この裁判を「誰が日本国家を支配するか 」という問題を巡る政治エリート内部の権力闘争と見ている。もっともこの権力闘争に加 わっている個々のプレイヤーは自らが果たしている社会的、歴史的役割を自覚していない 。検察庁は「国家は資格試験で合格した偏差値エリートが支配するべきである」と考える 官僚階級の集合的無意識を体現している。これに対して、「小沢一郎」という記号が、民意によって代表された政治家を代表している。ここで、実際に小沢一郎氏が民意を体現しているかどうかは重要でない。官僚から見れば、国民は無知蒙昧な有象無象だ。この有象無象から選ばれた国会議員は無知蒙昧のエキスのようなものだ。資本主義社会において、カネと権力は代替可能な関係にある。カネの力で無知蒙昧な有象無象の支持を取り付け、 国家を支配しようとする「小沢一郎的なるもの」を排除しないと、日本が崩壊するという官僚階級の危機意識から、この権力闘争は始まった。

2009年11月、石川氏から筆者に電話がかかってきた。司法記者が石川氏の秘書に「検察が『石川は階段だ』と言っています」と伝えてきたので、その読み解きに関する相談だった。筆者は、「要するに石川さんという階段を通じて、小沢幹事長にからむ事件をつくっていくという思惑なのでしょう。これは僕にとってとても懐かしいメロディです。 2002年6月に鈴木宗男衆議院議員が逮捕される過程において、『外務省のラスプーチ ン』こと私が『階段』として位置づけられていたからです」と答えた。」

この記事中の「 これは僕にとってとても懐かしいメロディです 」という文句を見て、当方も同じことを言いたくなった。「 これは私にとってとても懐かしいメロディです 」と 。何に対してかというと、「 筆者は、この裁判を「誰が日本国家を支配するか 」という問題を巡る政治エリート内部の権力闘争と見ている 」という一節に対して。この文句は、佐藤氏の口からまったく何とかの一つ覚えのように繰り返される(あともう一つ、今の検察官僚を2.26の青年将校に例えるのもお好みらしい。なぜか5.15事件の将校は例えに出さないようだが、その理由は不明)。きっとよほどお気に入りのセリフなのだろうが、その後に「集合的無意識」という言葉がつづくのもお馴染みのパターンで、これまた、「懐かしいメロディ」だ。

何事においても、この人の話をその名調子につられてまともに受け取っては過ちを犯すだろう。そりゃあ官僚のなかには、国民をバカにし切っている人間もいるにちがいない。何ならそういう官僚が大多数だと認めてもいい。だが、国民に対する官僚の胸中を「 官僚から見れば、 国民は無知蒙昧な有象無象だ。」と言い、それのみならず、政治家についても「この有象無象から選ばれた国会議員は無知蒙昧のエキスのようなものだ。」とまで断言するのなら、その根拠となる実例を少なくとも5つ6つは挙げて論じるのが筋であり、礼儀だろう。これではどうも、単なるハッタリか、官僚一般の心象というより、むしろ、元官僚である佐藤氏自身の心象を語っているように聞こえて仕方がないのだが? いや、たしかに「国民は無知蒙昧な有象無象だ」という見解は、何かと二枚舌を駆使し、 時と場所によって発言内容を使い分ける佐藤氏にこそもっとも相応しいといえるように思う。読者、聴衆を有象無象の輩と思っていなければ、とてもあんな人を舐めた言動はできないだろう。

次に、「 カネの力で無知蒙昧な有象無象の支持を取り付け、 国家を支配しようとする「小沢一郎的なるもの」を排除しないと、日本が崩壊するという官僚階級の危機意識から、この権力闘争は始まった。」というくだりに関して。この「 小沢一郎的なるもの 」についての認識は、官僚のものなのだろうか? それとも佐藤氏自身のものなのだろうか? この言い方をみると、官僚が、というより、どうも佐藤氏自身が、小沢一郎という政治家を「 カネの力で無知蒙昧な有象無象の支持を取り付け、 国家を支配しようと 」している、と認識しているように読めるのだが。たとえ、「いや、そうではない、自分は官僚の経験があるから官僚の気持ちがよく理解できるのだ。」とこれまたいつもの主張をしたとしても、これほどドギツイ内容の推測、想像が可能なのは、自分のうちに同様の、あるいは近似のものを持たないかぎり無理なのではないだろうか。

それはそれとして、「カネの力」で有象無象の国民の支持を取り付けた、という発言は意味が分からない。国民は (愚かだから) 何しろカネのある政治家が好きだとでも? さらに、佐藤氏は、そういう「小沢一郎的なるもの」を排除しないと、日本が崩壊するという危機意識が官僚階級のなかに生じ、日本の支配者の地位を巡って政治家と官僚の権力闘争が起きている、それが陸山会裁判だというのだ。いや、この分析(?)も物凄いと思うが、でもまぁ、そういうことはありえない、とは言えない。あるかも知れない。だが、前述した場合と同じく、こちらもまったく根拠が述べられていない。発言主が相応に影響力のある人物の場合、根拠のない断定発言をするのは無意味なだけならまだいいが、それが重大問題の場合はたいてい非常に有害だ。

事実として、小沢一郎氏の場合、十数年にわたり常に「政治とカネ」の問題で疑惑がささやかれつづけてきた。前にも書いたが、例えば松田賢弥氏のルポルタージュを読んで、小沢氏とカネに関する実態を具体的に知らされると、その後はこの問題にこれまでどおり無関心のままでいることはなかなか難しい。市民オンブズマンの人々の告発の内容を知った場合などもそうであ る。一般市民のそういう視線や声は徐々に検察の背中を押していったということもあったのではないか。おまえたち検察は、弱い一般大衆に対してはあるかなきかの軽微な犯罪でも容赦なく摘発するくせに、大物政治家の重大疑惑については分かっていながら見て見ぬふりをつづけているのではないか、と。また小沢氏は2007年ころから例の土地購入代金4億円の原資についてメディア上で説明を変遷させつづけてきた。そういう事実は、それを聞いた者の胸に浸透し、疑念は少しづつ大きくなって世間に拡がっていくのだ。

少なくともこの角度からの見方はありえるはずだ。かりにこの裁判に事実権力闘争が関係していたとしても、佐藤氏のように5年も6年も前から鸚鵡のように同じ話を何の代わり映えも発展性もなく繰り返すのはそろそろやめてほしいものだ。それに、佐藤氏がここで述べているような性格の権力闘争なら、それは権力闘争であることが誰の目にも明白な、最もありふれた態の権力闘争なのだから、いくら当人たちは無意識だという説明つきでも、これに「集合的無意識」などという特異な心理学用語をもちいるのは誤りだと思うし、大袈裟で可笑しい。
2011.10.08 Sat l 社会・政治一般 l コメント (0) トラックバック (0) l top
  辺見庸氏の吉本隆明評 など

吉本隆明についての記事を書きかけのまま中断していたのだが、この間に集めた彼に関係する文章や、かつて彼について語られた言葉のうち前々から気になっていたことなど、これからまた少しずつ書いていきたい。

現代作家のなかでは私は辺見庸氏の文章をわりによく読んでいるのだが、辺見さんは2004年に病で倒れる前の数年間何度か吉本隆明について書いている。たいてい、半端ではないきびしい内容の評だったが、当時これを私はごく当然の評価として受けとめていた。雑誌などでたまに見る吉本発言は、わざわざ読むだけの意味や価値があるものには感じられなかったので。2001年の9.11について、吉本隆明はテロ実行犯を日本の特攻隊と較べて論じ、特攻隊を称賛しているかのような発言をしていたことがある。世界の現実は彼の頭のなかから剥がれ落ちてしまっているかのような話しぶりだった。辺見さんにはそういう吉本隆明の姿は堪えがたかったのかと思う。

吉本隆明が95年のオウム事件の際に「麻原さんは現存する宗教修行者のなかで世界でも有数の人物である。」と述べたことは、自分にはとてもそうは思えないということとは別に、何事においても極端に一方向にのみ偏りがちな日本社会にあっては貴重な問題提起だと思ったのだが、裁判が始まったころからか、ふっつりとオウムについて口を開かなくなった。吉本隆明はオウムの教祖・麻原彰晃が裁判で自分の世界観や宗教的信念を開陳し、その思想的立場から一連の事件を起こした理由を陳述・説明するのではないかと期待していたのかも知れない。もしそうだとすると、彼の期待は叶わなかったわけだが、それならそれで、教祖に対して「世界有数の宗教修行者」とまでの評価を公言した以上、自分のその麻原評は的確だったと今でも考えているのか否かをきちんと語るべきだったろう。ただ吉本隆明のそういう態度は予想できなくもないことだったので、私は「やはりそうだったか」と思い、その時以来、もともとそう大した思想家でも批評家でもなかったのだというような感覚を持ってしまった。 (ちなみに中沢新一氏の場合も、オウム事件に関するその後の態度は中途半端のままなのでは?) こう言ってしまえば身も蓋もないようだが、こうして書きながら、あの麻原讚美はもしや当時のオカルトブームのなかで超能力に魅了された若い人たちと似たような心理に動かされていたのでは? ひょっとしたら、それだけのことだったのでは? というような情けない疑念さえ浮かんでくる。

それでも、吉本隆明は3.11の原発事故発生時の原発推進肯定発言についてもメディア上で大きく取り上げられていたし、かつて小沢一郎という政治家の「日本改造計画」という本を称賛したこともいまだに時々小沢支持者の文章や談話に引用される(利用される)ことがある。80年代以降の日本社会にあたえた彼の思想的影響力は相当に大きかったのだと思われる。4、5年前、まだブログを始めて間のないころの金光翔さんは、「ちくま・イデオロギー(1) 」という記事のなかで、

「 2ちゃんねらーやネット右翼の思想的教祖を、小林よしのりとする見方がある。 北田暁大が確かそうだった。2ちゃんねらーを彼のように「政治的ロマン主義」 と見る立場(私には馬鹿らしく思えるが)に立たず、単純に右翼的な人々と見る人たちも、2ちゃんねらーは小林よしのりや西部邁らの右派系文化人に洗脳された人々と見る傾向があるのではないか。

私は違う認識を持っている。非常に大雑把かつ図式的に言えば、むしろ、2ちゃんねるやネットの全体としての右翼的な傾向を作ったのは、竹田青嗣や加藤典洋 といった、90年代に筑摩書房などの出版物で活躍した文化人の影響を強く受けたコテハンや、ネット上の書き手の存在である。

あくまでも私の印象であるが、数年前の2ちゃんねるは、ネット右翼ばかりというよりも、むしろ、左派知識人や市民運動の諸活動を「ルサンチマン」として嘲笑・否定しはするが、「右翼」との距離を強調するようなコテハンが、雑多な知識と執拗な左派批判のゆえに尊敬され、スレッドの議論をリードし、そうした左派への嘲笑・批判の雰囲気の下で小林よしのり信者のような連中が暴れる、とい った構図が支配的だったように思われる。今は言葉通りの「ネット右翼」ばかりのように見えるが、2ちゃんねるやネット全体の右翼的傾向を決めた数年前は、 「2ちゃんねらー」というように一枚岩で括るよりも、むしろコテハン=中間層 (?)が「世論」を方向付けていたように思われる。そして、そのコテハンの思想的バックボーンを形成したのは、小林よしのりや右翼的な書き手よりも、竹田や加藤のような書き手だったと思う。論理としてはこの二人が一番典型的だが、 橋爪大三郎、呉智英といった面々も挙げるとよい。要するに、吉本隆明の影響を受けた全共闘系のモノ書きということだ。」

と書いていた。この文章は、金さんのブログのなかでも「<佐藤優現象>批判」と並んで私には特に印象深いもので、その後、吉本隆明というと、この文章もきまって浮かんでくる。吉本隆明がそんなにまで後の世代に影響をあたえていたとは。そういう問題意識を持ったこともなかったのだが、言われてみるとこの指摘は現実と合致していると思われ、目を開かされたような気がしたものだった。宮台真司氏なども吉本隆明から多大の影響を受けていると自ら語っているようだ。ウキィペディアには、下記の記述がある。

「 宮台真司は、1970年代半ばの高校時代、吉本の1950~60年代の著作に深く感銘を受け、「私の同世代で私ほど吉本にハマッた人間はいない」「ただの大衆じゃねえか、大衆から遊離しやがって、という二重の倫理的批判は実存的意味を持つ」「原理的であることによって内在せよという吉本的な定言命令は今でも私を拘束している」と述べている。」 ( 『小説TRIPPER』2000冬季号「特集:進化する<吉本隆明>」)

次に、辺見庸氏が吉本隆明について述べている文章を3つ選んで掲載しておきたい。


  反定義 新たな想像力へ 辺見庸×坂本龍一(朝日新聞社2002年)
坂本――現代の哲学者は、彼(注:デリダ)ぐらいしかいなくなっちゃったでしょ。フーコーもドゥルーズもガタリも死んじゃって、もう誰もいなくなった。
辺見――ドゥルーズやガタリだったらもっとちがうこといったんじゃないかという気もする。
坂本――最近もジャック・マイヨールが自殺しましたけど、ドゥルーズなんてめちゃくちゃ感覚が鋭いから、「もういいや」と思っちゃったんじゃないかな。もう見たくないと、こんな世界。
辺見――ぼくはまあ、自分の捌きかたとしてはあのへんがいい時期かなあって思うんですよ。そのころ吉本隆明さんと10時間ぐらい対談したんです。(『夜と女と毛沢東』)吉本さんがそのときいちばん気にしてたのはドゥルーズがどうして自死したのかということでしたね。しきりにぼくに聞くわけ。ご自分に重ねてたんだと思うな。彼もその頃海の事故があって、半分「もういいか」と思っていたかもしれない。死ぬのも潮時というか、時宜というものがある気がしますね。最近つくづくそう思うな。生きてりゃいいってもんではない。見なくてもいい風景ってあると思うんだ。いまがそれじゃないかな。どう判断するか興味はあるけど、埴谷さんなんかいまの事態を見なくて良かったと思う。
坂本――うちの父がいま80歳です。「どうしてこんなになっちゃったんだろう」というんですよ。「日本人ってどうしてこんなになっちゃったんだろう」って。原発で人為的な事故が起こったでしょう。しかも誰もきちんと責任をとらない。ぼくにポロっと言ったことがありますよ。「日本人は、こういうことだけはやらなかったのにな」って。父の時代の日本人は、こういう事故は起こさなかったと。もう生きていたくないという気持ちもあるでしょうね。見たくないっていう。
辺見――だって楽しいことなんて何もないじゃないですか。なんか厭だなあと思う。すべて陰謀的でつるんでてインチキでね。
坂本――全部金で買えてね。
辺見――そう 、全部買える。だから人間が持っていた原質的なもの、マチエールみたいなものが全部なくなっているんですよね。いちばん残念なのはエロスの原質がもうなくなっているということ。ぼくらの表現世界でいえば手触り感のようなもの、タンジプルなものが何もない。

  いま、抗暴のときに 辺見庸(毎日新聞社2003年)
辺見 やはり結局は、全体として自己責任を棚上げしてきたことが今日の風景のいちばんの原因なのだから、抵抗というか個別の不服従は、その強弱を別にして、場合によってはあっていい方法だと思います。ルーティン・ワークと抵触するのは当然でしょうね。鵺のような全体主義のもうひとつの温床は、ルーティン・ワークにあるわけだし。で、自己責任の棚上げは、遠くは戦後主体性論からそうだったと思いますね。申し訳ないけれども、吉本隆明さんの最近のなんといいますか、晩節の過ごし方というのか、あれなどもあなたのいう戦後民主主義のあまりにも無残かつ醜悪な死骸とまったく関係ないとは思わない。できれば見たくなかったという思いもある。当方も自戒しなければいけないのですが、ここまで精神の視力というか思弁力が落ちるかという感じです。新聞が権力化し、権力がメディア化するのと基本的に同じ状況への融和のようなものがある。そこには、まじめに継承できるものが少ない。ことここに至ったら、自分たちで自己責任による個の戦線をつくっていくしかないと思う。そこには、楽観的なものなんてひとつもない。

  抵抗論 辺見庸(毎日新聞社2004年→講談社文庫2005年)
 以前、OLが十分な選択消費ができるのだからこの資本主義はなかなかよろしい、てなことをいった思想家もいた。OLと呼ばれる女性たちの、決して楽ではない実生活を知りもしないくせに。家でテレビばかり見ていると、往時は「偉大」だった思想家も阿呆になるらしい。その思想家のせいとはいわないけれども、皆が″賢い消費者″にでもなった気で、賃上げ闘争やストライキを小馬鹿にするようになった。この国のなかの、歴然たる貧困から眼をそむけるようになった。貧窮は貧窮者自身の生き方、考え方に理由があるというような発想も蔓延した。なにが″ハイパー資本主義″だ。笑わせるじゃないか。学生のころ、あの思想家を早稲田鶴巻町のあたりだったか、都電のなかで見かけたことがある。いかつい体躯に薄汚いレインコートをまとって、倣岸にも不満げにも柔弱にも内気にも見える深い色の眼をしていたっけ。老いて、ついにめでたく21世紀まで生きた。が、あの眼はもうない。長く生きればいいというものではない。長く話しつづけていればいいというものではない。やめる時宜はとうにすぎていた。主体的に生きているのではないときが、むろん私にもある。いや、ほとんどの時をだらだらと没主体的に生きている。それほど積極的に生きたくもないのに、愚にもつかぬなにかの力に強いられて単に生かされているだけのような時がひどく多いのだ。物質消費にしても、実際には選択的自由なんぞ、どこにあるのだろう。選択できているように資本の力に思わされているだけだ。私が依然死んでいないのも、なにも生を積極的に選択しているからではない。 」

「埴谷さんなんかいまの事態を見なくて良かった」という言い方をみると、辺見氏は埴谷雄高がよほど好きで大切に思っているのだろう。『抵抗論』では、「思想家」の名前は明示されていないが、これは私は読んだ最初から吉本隆明のことであると思い込んでいる。もしかすると、異なる人物である可能性もあるのだろうか?
2011.10.07 Fri l 吉本隆明 l コメント (8) トラックバック (0) l top
日頃から何かと教えられることが多いこちらのブログだが、「佐藤優は「ラスプーチン」ではない!」という記事が大変におもしろく、興味津々たる気持ちで読んだ。佐藤優氏が昔から「ラスプーチン」と呼ばれているらしいことは知っていても、当のラスプーチンがどのような人物なのかほとんど何も知らなかったのだが、ブログ主のZED氏の説明によると、なかなか大した人物のようである。興味を惹かれてウィキペディアの「グリゴリー・ラスプーチン」を読んでみると、

「第一次世界大戦が勃発してニコライ2世が首都を離れて前線に出ることが多くなると、内政を託されたアレクサンドラ皇后は何事もラスプーチンに相談して政治を動かし人事を配置した。前線から届く芳しくない戦況から、敵国ドイツ出身であった皇后とドイツの密約説が流れ、皇帝不在中の皇后とラスプーチンの愛人関係までが真しやかに噂されるようになった。こうしてラスプーチンは廷臣や国民の憎しみを一身に背負うことになったのである。/しかし、元々ラスプーチンは政治に強い関心はなく、その存在は皇帝の政策決定にも大きな影響を与えなかったとされている。第一次世界大戦参戦を主張する皇帝に対して不戦を説いたり、革命派や無政府主義者による運動激化を考慮しての農民の年貢や税金負担軽減など、荒事を嫌う農民出身の聖職者ならではの提言をしたこともあったが、その言が用いられた証跡はない。」 (/は改行部分)

との記述がある。他にも、「20歳で結婚した後、突然、父親や妻に「巡礼に出る」と言い残して村を出奔した。」などという挿話も出ている。これを読むとたしかに、右と左の活字メディアの双方にそれぞれ自分の書き物が受け入れられるように主張内容を書き分け、その手法 (これは正しく読者を騙す詐欺的手法であろう。これでは一体何のためにモノを書くのだ、書く目的は何なのだ?ということになる。) により自分の影響力を保持しようと懸命な佐藤氏の姿勢は如何にも「みみっちく」感じられ、ラスプーチンとの類似性をいうのには無理があるだろう。ラスプーチンという人物は備えていたように感じられる人格的統一性や行動の一貫性が佐藤氏にはまったく欠けているのだ。さて、ウラジミール・ジリノフスキーである。とんでもない暴言を吐いては世間を騒がす極右政治家というイメージしかもっていなかったのだが、

「自身もユダヤ人である事に誇りを持つと言って仲間であるユダヤ人社会を擁護しながら、同時に反ユダヤ主義者の団体にも度々出入して演説や講演を行ったりしている/民族紛争の起きていたアルメニアとアゼルバイジャン両共和国でもやはり対立する双方の反共団体に出入りしてどちらにもいい顔をして応援するかのような顔をしていたが、結果的には双方の対立を煽って紛争を激化させる 」

ということだと、これは佐藤優氏の行動パターンそのままだ。これも私は知らなかったが、何とこの人物についても90年代の日本で、「ジリノフスキー現象」という言い方がなされていたのだという。そうだとすると、「佐藤優現象」には、立派な手本があったということになる。

2005~06年頃、靖国や天皇制を初めとした政治・社会問題に関して佐藤氏がメディアによって意見や主張を別人のごとく違えた言論活動をしているのを見て私は心底驚いたが、それよりも、そういう佐藤氏の姿勢に目を瞑り、当たり前のように彼を「一流の思想家」「知の巨人」呼ばわりして誉め称え、競って重用したり共著を出したりする出版関係者や作家が次々と現れるのにはもっと驚いた。いくら何でもこんなことが起きるとは私はそれまで思ってもいなかったのだ。

この「佐藤優現象」を牽引したのが岩波書店であったことは間違いないと思う。当初は、その岩波の何人かの編集者(講談社や産経や新潮社も同様だろうが。)や山口二郎氏などの学者、ライターの魚住昭氏、宮崎学氏などが中心のように見えたが、その範囲は、「右も左もない」という暗黙の諒解でもあったのか、みるみるうちに新聞もふくめたマスコミ界全体に拡大していった。その象徴とも言うべきが、柄谷行人氏の下記の称讃ではなかったかと思う。

キリストもマルクスも半端じゃない
 佐藤優さんは今までにいなかったタイプの知識人。第一に、外務省で諜報の仕事をした、つまり、生々しい国際政治の現場にいたこと。こういう人は、知識人のなかにはいません。つぎに、マルクスの思想にくわしいこと。本当に深く、読み込んでいる。こういう人は昔から少なかったけれども、今はもっと少ない。ほとんどいなくなってしまった。しかし、マルクスなしに資本主義について考えることはできません。さらに、キリスト教徒であること。彼は神学部を出ているほどですから、これも半端ではない。キリスト教は、日本では、実はきわめて少数派です。キリスト教の教会で結婚式をあげる人は多いけれど、葬式や墓となると、仏教のやり方にもどる。
 佐藤さんは、このように、それぞれが少数派で、しかも、互いに両立しないように見える三つの要素を兼ねそなえている。どうしてこういう人物が出てきたのだろうか。それを考えると、やはり、沖縄出身のお母さんの存在が大きいのではないかと思います。」(『AERA』2007.4.23号)


実際には、佐藤氏の「キリストもマルクスも」、柄谷氏が述べているようなものでないことはあまりにも明らかだと思うのだが、金光翔さんの画期的論文「<佐藤優現象>批判」はもちろんまだ書かれておらず、この現象をどう理解すればいいのか途方にくれた私は、信頼できると思っている古今東西の過去の物書きを頭のなかに引き入れては、推測してみたものだ。彼らが現実に生きていた当時の思想や感覚をそのまま備えた人格としてもし今この場にいたとしたら、佐藤氏を「傾聴すべき思想をもった人物」、「知性ある人物」として評価するようなことがあるだろうか? 結論としては、幸いにしてそのような評価を下すであろうという人物を私は誰一人思い浮かべることはできなかった。

日本の作家に例をとると、たとえば漱石は『道草』で自己の利害や身勝手な欲望によってご都合主義的に意見や主張を変える行為の醜さを養母の私的な行為を描くことにより表現している。その後の作家でも、萩原朔太郎、室生犀星、中野重治などの詩人、戦後の批評家では藤田省三や加藤周一、また、武田泰淳や埴谷雄高、大岡昇平などの小説家でも、これらの人のなかには政治的・社会的発言を主な作家活動として行なう人もいれば、そういう問題とはほとんど無縁にみえる人もいるが、どんな分野における文筆活動であっても、彼らが佐藤氏のような姿勢をとることなどまったく想像できない。3年、5年、10年…、少し長い目で見れば、そのような行動は物書き個人と出版世界の信用を根底から奪う、自殺行為以外の何ものでもないのだから、当然といえば当然のことなのだ。佐藤氏を取り巻く人々は、みんな、「今、自分たちがよければそれでいい、後のことは知らない」とでも考えていた(いる)のではないか? でも、たとえば佐藤氏との共著を何冊も出している魚住昭氏などは、以来、個人としてまともなものは書けなくなっているように見える。

片山貴夫氏は、ご自身のブログに「ボンヘッファー「10年後」(1942) という文章を掲載されているが、そのなかに次のような一節がある。

「将来は、天才でなく、皮肉家でなく、人間軽蔑家でなく、老獪な策士でなく、素直な・単純な・正直な人間が、必要とされるであろう。」

物書きもまた、このような人間性を常に内部に必要とし、また必要とされているのではないだろうか?

そんなこんなで、ZED 氏がジリノフスキーと佐藤氏との共通点を具体的に示して、「佐藤優は「ラスプーチンではない!」、「矛盾・無節操」という哲学で貫かれているジリノフスキーである、と説得的に述べていることに感じ入ったのだった。佐藤氏が意識して真似たのかどうかは分からないが、彼の先行者はちゃんと存在していたのだ。しかし、ジリノフスキーという人物については、支離滅裂なとんでもない騒ぎをひき起こす極右政治家としての実体が国内外で大体正確に知られているようであり、その意味では、日本の現状のほうがロシアよりもはるかに異常といえるのではないか。社民党の衆議院議員の照屋寛徳氏などは、「外務大臣に佐藤優氏を推す」と述べている。また、党首の福島瑞穂氏は、党の機関紙でたびたび佐藤氏と和気藹々の対談をしているようである。このようなことをしていては、社民党はその場かぎりの話題を集めることはできても、結局のところますます有権者に見離されるだけであることはあまりにも明白だろうに…。
2011.10.05 Wed l 社会・政治一般 l コメント (0) トラックバック (0) l top
今日から10月。3月11日の大震災からとうに半年が過ぎたことになる。被災地の復旧・復興は遅々として進まず、福島第一原発事故も収束に向かう気配はない。気になることは山積みだが、水をふくめた食べ物の問題も今最も懸念されることの一つだ。事故以来、放射能が食品におよぼす影響に不安を感じることなく生活している人は、日本に居住している以上、ほとんど誰もいないのではないだろうか。

もちろん、福島を中心とした被災地の人々、その近辺の人々の不安と神経の遣いようが比較を絶していることはいうまでもないことだが、私のように関東地方在住の者もスーパーや市場に行くと、事故以来、特に野菜類についてはどうしても産地の表示を見てしまう。瑞々しい青菜を見ながら「これでも放射能を吸っているのではないか?」などという考えが浮かんでしまうのは我ながらつらいし、作物を作っている人々に申し訳ない気持ちにもなる。そうこうしているうちにいつの間にか買い物の時間が長くなり、そのわりに購入する食品は少なくなり、そうして帰宅した時にはヘトヘトに疲れてしまっていたりいる。

そろそろ新米の出盛り期だが、四国の高知や九州の宮崎産の新米からもセシウムが検出されているという。それでいて原発に近い千葉や茨城産の米からは未検出だったともいう。とにかく本心をいえば、放射能が含まれている食べものを購入し、食卓に出すのはイヤでたまらない。

出身が九州・熊本県の小さな島である私は、子どものころ、食べて害毒になるものが農産物に混じっているかも知れないなんて、考えたこともなかった。人参、ピーマン、じゃが芋、さつま芋、玉ねぎ、ほうれん草…。母親や親類や近所の人は大抵畑で野菜を作っていたが、好き嫌いを別にしていえば、それらはみな栄養の塊そのものと思っていたものだ。実際には、農薬や化学肥料も使っていたのかも知れないが、食べ物の安全性に対する子どもたちの信頼感は無限なほど大きかったと思う。

こういうことをつらつら思い返すというのも、大震災・原発事故以後のことである。食べ物を意識し、食べ物について考える機会がいやでも増えてしまったので、関連して思い出す過去の出来事も多い。たとえば、これはもう10年以上も前のことになるだろうか、テレビ朝日の『徹子の部屋』に陶芸の道を歩んでいるという20代半ば、あるいは後半の若い男性が出演しているのを観たことがある。物静かな感じのその人は学生時代にオートバイ事故により記憶を喪失したそうで、病院で意識を取り戻した時は、目の前の母親の顔を見ても誰だか分からなかったそうだ。母親や妹が優しく親切にしてくれるのに対し非常に恐縮した気持ちになったそうで、番組にVTR出演された妹さんが言っていた。「お兄ちゃんは、事故の後、それまでとは別人のようにいい人になってしまって…」。完全に記憶を失っていた彼は親身に世話をしてくれる肉親に有り難くも戸惑い、恐縮するばかりだったらしい。

そのくらい、過去の何もかもを忘れてしまっていたのだが、彼が自分の過去につながるなつかしさを最初に覚えたのは、病室での母親の「…これ、食べる?」という言葉だったという。「食べる」という言葉に聞き覚えがあるような、何ともいえないなつかしさ、喜ばしさが湧いてきたのだと語っていた。

その時から、彼は少しずついろいろなことを、思い出すのではなく、新たに覚えていったのだというが、「食べる」という言葉に感じた彼のなつかしさは、それが本能的、感覚的なことであるからという理由だけではなく、食べることに関して彼のなかに蓄積されていた経験が温かくて混じりけのない悦び、純金のごときものだったからではなかったかと思う。現在のように放射能を気にし、怯えながらの食生活では、食べることが彼のような良き体験として人(特に子ども)のなかに記憶されるものかどうか疑わしいと思う。

食べ物についての私自身の記憶だが、時々ふと思い出す良い体験の記憶をいくつかもっている。みな小学生時代の思い出になるのだが、まず一つは、近所の友達数人と山のてっぺんに登ったときのことで…。遊んでいて、ついつい勢いづき、調子に乗って、眼下に遠く海を見下ろすある山の頂上まで行ってしまった。登り切って、「アー、疲れた、疲れた」と言いながら、ふと傍を見ると、その辺の石の間をチョロチョロと清水が流れている。手で掬って飲んだのだが、その水の美味しかったこと。何か不思議なことに出会っているという気がしたものだった。その後も小・中学校の運動会の練習の後など、列を作って並んで待って井戸水を飲み、美味しさに喉を鳴らしたものだが、山の頂上で飲んだあの水の美味しさにはとうてい太刀打ちできない。完全に別格なのである。たしか墓の上の、そのまた上の山だったと思うが、それも今となってはしかとは思い出せない。ただ、喉を通っていった水の清らかでありながらコクのある味は今も喉のあたりにたしかに残っているようなのだ。

次もやはり山における記憶だが、これは先程の山とはまったく別方向の奥深い山。一緒に行った友達に在り処を教えられたのだと思うが、まず百数十の急階段をのぼって八幡宮に行き、その奥の山道をずんずんずんずん歩いて行くと、やがて薄暗く湿った大きな森のなかにすっぽり入りこんだ。季節は梅雨明けのころだったのか、鬱蒼と繁った大樹から時折ポタ、ポタと水が滴り落ちてきた。足許を見ると、熟して紫がかった深紅の大きなヤマモモが地面を覆った草の上に散り敷かれていた。「ワッ」と喜び、拾って口に入れると、その美味しさに驚嘆した。皆、しばらくの間黙って食べていた。

もともとヤマモモはおつな味の果実だが、そのヤマモモは大きさが一様に直径15ミリほどもあり、その日はちょうど実が大木から振り落とされた後のまさに食べ時だったのだろう。その後、ヤマモモは口にしていない。あのときの美味しさを超えるヤマモモには二度とめぐりあえないと思うから、できればこのまま口にしないほうがいいのかも知れない。

それからお米のこと。親類にお米を作っている家があり、新米は毎年もらっていたが、ある時、稲刈りが済んだ直後、さっき少しだけ精米をしたのだと言って、ウチにも一回分のお裾分けをしてくれたことがあった。その味が新米とはいっても、普通の新米とはまったく別物なのだった。あれは何かの副食といっしょに食べるのはもったいない、そんなことをしてはバチがあたるといいたくなるような新米の味だった。

  新米にまだ草の実の匂ひかな  蕪村

というようなことをふと思い出したりする昨今である。山や森や海は私たち人間には作り出せない。食べ物のうち、最も貴重であり基本なのは、水であり、米であろう。原発事故はあれもこれも取り返しのつかない事態を無数に引き起し、今もそれを進行させている。福島の山や森や畑など、放射能汚染のために人が通れず、立ち入りできなくなっている場所も数多くある。そのことに言い尽くせない憤りや悲しみをだいている人がどれだけ多いか分からない。
2011.10.01 Sat l 社会・政治一般 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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