QLOOKアクセス解析
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- -- l スポンサー広告 l top
  辺見庸氏の吉本隆明評 など

吉本隆明についての記事を書きかけのまま中断していたのだが、この間に集めた彼に関係する文章や、かつて彼について語られた言葉のうち前々から気になっていたことなど、これからまた少しずつ書いていきたい。

現代作家のなかでは私は辺見庸氏の文章をわりによく読んでいるのだが、辺見さんは2004年に病で倒れる前の数年間何度か吉本隆明について書いている。たいてい、半端ではないきびしい内容の評だったが、当時これを私はごく当然の評価として受けとめていた。雑誌などでたまに見る吉本発言は、わざわざ読むだけの意味や価値があるものには感じられなかったので。2001年の9.11について、吉本隆明はテロ実行犯を日本の特攻隊と較べて論じ、特攻隊を称賛しているかのような発言をしていたことがある。世界の現実は彼の頭のなかから剥がれ落ちてしまっているかのような話しぶりだった。辺見さんにはそういう吉本隆明の姿は堪えがたかったのかと思う。

吉本隆明が95年のオウム事件の際に「麻原さんは現存する宗教修行者のなかで世界でも有数の人物である。」と述べたことは、自分にはとてもそうは思えないということとは別に、何事においても極端に一方向にのみ偏りがちな日本社会にあっては貴重な問題提起だと思ったのだが、裁判が始まったころからか、ふっつりとオウムについて口を開かなくなった。吉本隆明はオウムの教祖・麻原彰晃が裁判で自分の世界観や宗教的信念を開陳し、その思想的立場から一連の事件を起こした理由を陳述・説明するのではないかと期待していたのかも知れない。もしそうだとすると、彼の期待は叶わなかったわけだが、それならそれで、教祖に対して「世界有数の宗教修行者」とまでの評価を公言した以上、自分のその麻原評は的確だったと今でも考えているのか否かをきちんと語るべきだったろう。ただ吉本隆明のそういう態度は予想できなくもないことだったので、私は「やはりそうだったか」と思い、その時以来、もともとそう大した思想家でも批評家でもなかったのだというような感覚を持ってしまった。 (ちなみに中沢新一氏の場合も、オウム事件に関するその後の態度は中途半端のままなのでは?) こう言ってしまえば身も蓋もないようだが、こうして書きながら、あの麻原讚美はもしや当時のオカルトブームのなかで超能力に魅了された若い人たちと似たような心理に動かされていたのでは? ひょっとしたら、それだけのことだったのでは? というような情けない疑念さえ浮かんでくる。

それでも、吉本隆明は3.11の原発事故発生時の原発推進肯定発言についてもメディア上で大きく取り上げられていたし、かつて小沢一郎という政治家の「日本改造計画」という本を称賛したこともいまだに時々小沢支持者の文章や談話に引用される(利用される)ことがある。80年代以降の日本社会にあたえた彼の思想的影響力は相当に大きかったのだと思われる。4、5年前、まだブログを始めて間のないころの金光翔さんは、「ちくま・イデオロギー(1) 」という記事のなかで、

「 2ちゃんねらーやネット右翼の思想的教祖を、小林よしのりとする見方がある。 北田暁大が確かそうだった。2ちゃんねらーを彼のように「政治的ロマン主義」 と見る立場(私には馬鹿らしく思えるが)に立たず、単純に右翼的な人々と見る人たちも、2ちゃんねらーは小林よしのりや西部邁らの右派系文化人に洗脳された人々と見る傾向があるのではないか。

私は違う認識を持っている。非常に大雑把かつ図式的に言えば、むしろ、2ちゃんねるやネットの全体としての右翼的な傾向を作ったのは、竹田青嗣や加藤典洋 といった、90年代に筑摩書房などの出版物で活躍した文化人の影響を強く受けたコテハンや、ネット上の書き手の存在である。

あくまでも私の印象であるが、数年前の2ちゃんねるは、ネット右翼ばかりというよりも、むしろ、左派知識人や市民運動の諸活動を「ルサンチマン」として嘲笑・否定しはするが、「右翼」との距離を強調するようなコテハンが、雑多な知識と執拗な左派批判のゆえに尊敬され、スレッドの議論をリードし、そうした左派への嘲笑・批判の雰囲気の下で小林よしのり信者のような連中が暴れる、とい った構図が支配的だったように思われる。今は言葉通りの「ネット右翼」ばかりのように見えるが、2ちゃんねるやネット全体の右翼的傾向を決めた数年前は、 「2ちゃんねらー」というように一枚岩で括るよりも、むしろコテハン=中間層 (?)が「世論」を方向付けていたように思われる。そして、そのコテハンの思想的バックボーンを形成したのは、小林よしのりや右翼的な書き手よりも、竹田や加藤のような書き手だったと思う。論理としてはこの二人が一番典型的だが、 橋爪大三郎、呉智英といった面々も挙げるとよい。要するに、吉本隆明の影響を受けた全共闘系のモノ書きということだ。」

と書いていた。この文章は、金さんのブログのなかでも「<佐藤優現象>批判」と並んで私には特に印象深いもので、その後、吉本隆明というと、この文章もきまって浮かんでくる。吉本隆明がそんなにまで後の世代に影響をあたえていたとは。そういう問題意識を持ったこともなかったのだが、言われてみるとこの指摘は現実と合致していると思われ、目を開かされたような気がしたものだった。宮台真司氏なども吉本隆明から多大の影響を受けていると自ら語っているようだ。ウキィペディアには、下記の記述がある。

「 宮台真司は、1970年代半ばの高校時代、吉本の1950~60年代の著作に深く感銘を受け、「私の同世代で私ほど吉本にハマッた人間はいない」「ただの大衆じゃねえか、大衆から遊離しやがって、という二重の倫理的批判は実存的意味を持つ」「原理的であることによって内在せよという吉本的な定言命令は今でも私を拘束している」と述べている。」 ( 『小説TRIPPER』2000冬季号「特集:進化する<吉本隆明>」)

次に、辺見庸氏が吉本隆明について述べている文章を3つ選んで掲載しておきたい。


  反定義 新たな想像力へ 辺見庸×坂本龍一(朝日新聞社2002年)
坂本――現代の哲学者は、彼(注:デリダ)ぐらいしかいなくなっちゃったでしょ。フーコーもドゥルーズもガタリも死んじゃって、もう誰もいなくなった。
辺見――ドゥルーズやガタリだったらもっとちがうこといったんじゃないかという気もする。
坂本――最近もジャック・マイヨールが自殺しましたけど、ドゥルーズなんてめちゃくちゃ感覚が鋭いから、「もういいや」と思っちゃったんじゃないかな。もう見たくないと、こんな世界。
辺見――ぼくはまあ、自分の捌きかたとしてはあのへんがいい時期かなあって思うんですよ。そのころ吉本隆明さんと10時間ぐらい対談したんです。(『夜と女と毛沢東』)吉本さんがそのときいちばん気にしてたのはドゥルーズがどうして自死したのかということでしたね。しきりにぼくに聞くわけ。ご自分に重ねてたんだと思うな。彼もその頃海の事故があって、半分「もういいか」と思っていたかもしれない。死ぬのも潮時というか、時宜というものがある気がしますね。最近つくづくそう思うな。生きてりゃいいってもんではない。見なくてもいい風景ってあると思うんだ。いまがそれじゃないかな。どう判断するか興味はあるけど、埴谷さんなんかいまの事態を見なくて良かったと思う。
坂本――うちの父がいま80歳です。「どうしてこんなになっちゃったんだろう」というんですよ。「日本人ってどうしてこんなになっちゃったんだろう」って。原発で人為的な事故が起こったでしょう。しかも誰もきちんと責任をとらない。ぼくにポロっと言ったことがありますよ。「日本人は、こういうことだけはやらなかったのにな」って。父の時代の日本人は、こういう事故は起こさなかったと。もう生きていたくないという気持ちもあるでしょうね。見たくないっていう。
辺見――だって楽しいことなんて何もないじゃないですか。なんか厭だなあと思う。すべて陰謀的でつるんでてインチキでね。
坂本――全部金で買えてね。
辺見――そう 、全部買える。だから人間が持っていた原質的なもの、マチエールみたいなものが全部なくなっているんですよね。いちばん残念なのはエロスの原質がもうなくなっているということ。ぼくらの表現世界でいえば手触り感のようなもの、タンジプルなものが何もない。

  いま、抗暴のときに 辺見庸(毎日新聞社2003年)
辺見 やはり結局は、全体として自己責任を棚上げしてきたことが今日の風景のいちばんの原因なのだから、抵抗というか個別の不服従は、その強弱を別にして、場合によってはあっていい方法だと思います。ルーティン・ワークと抵触するのは当然でしょうね。鵺のような全体主義のもうひとつの温床は、ルーティン・ワークにあるわけだし。で、自己責任の棚上げは、遠くは戦後主体性論からそうだったと思いますね。申し訳ないけれども、吉本隆明さんの最近のなんといいますか、晩節の過ごし方というのか、あれなどもあなたのいう戦後民主主義のあまりにも無残かつ醜悪な死骸とまったく関係ないとは思わない。できれば見たくなかったという思いもある。当方も自戒しなければいけないのですが、ここまで精神の視力というか思弁力が落ちるかという感じです。新聞が権力化し、権力がメディア化するのと基本的に同じ状況への融和のようなものがある。そこには、まじめに継承できるものが少ない。ことここに至ったら、自分たちで自己責任による個の戦線をつくっていくしかないと思う。そこには、楽観的なものなんてひとつもない。

  抵抗論 辺見庸(毎日新聞社2004年→講談社文庫2005年)
 以前、OLが十分な選択消費ができるのだからこの資本主義はなかなかよろしい、てなことをいった思想家もいた。OLと呼ばれる女性たちの、決して楽ではない実生活を知りもしないくせに。家でテレビばかり見ていると、往時は「偉大」だった思想家も阿呆になるらしい。その思想家のせいとはいわないけれども、皆が″賢い消費者″にでもなった気で、賃上げ闘争やストライキを小馬鹿にするようになった。この国のなかの、歴然たる貧困から眼をそむけるようになった。貧窮は貧窮者自身の生き方、考え方に理由があるというような発想も蔓延した。なにが″ハイパー資本主義″だ。笑わせるじゃないか。学生のころ、あの思想家を早稲田鶴巻町のあたりだったか、都電のなかで見かけたことがある。いかつい体躯に薄汚いレインコートをまとって、倣岸にも不満げにも柔弱にも内気にも見える深い色の眼をしていたっけ。老いて、ついにめでたく21世紀まで生きた。が、あの眼はもうない。長く生きればいいというものではない。長く話しつづけていればいいというものではない。やめる時宜はとうにすぎていた。主体的に生きているのではないときが、むろん私にもある。いや、ほとんどの時をだらだらと没主体的に生きている。それほど積極的に生きたくもないのに、愚にもつかぬなにかの力に強いられて単に生かされているだけのような時がひどく多いのだ。物質消費にしても、実際には選択的自由なんぞ、どこにあるのだろう。選択できているように資本の力に思わされているだけだ。私が依然死んでいないのも、なにも生を積極的に選択しているからではない。 」

「埴谷さんなんかいまの事態を見なくて良かった」という言い方をみると、辺見氏は埴谷雄高がよほど好きで大切に思っているのだろう。『抵抗論』では、「思想家」の名前は明示されていないが、これは私は読んだ最初から吉本隆明のことであると思い込んでいる。もしかすると、異なる人物である可能性もあるのだろうか?
スポンサーサイト
2011.10.07 Fri l 吉本隆明 l コメント (8) トラックバック (0) l top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。