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何度も引用させていただき恐縮だが、上脇博之氏のブログのコメント欄に下記のごとき書き込みがあるのを見た。大変気になる内容なので取り上げて検討してみたい。

1、( http://blog.livedoor.jp/nihonkokukenpou/lite/archives/51618710.html )
「 今回の水谷建設社長の証言は信用できるとお考えですか? 
自白調書は破棄しても公判で偽証すれば同じ事です。 検察側証人は検察官によって法廷での証言を厳しく指導されています。 これも冤罪の温床になっています。
偽証を信じて誤判をすれば冤罪は完成です。 過去この手法によって多くの無実の国民が罪に問われました。弁護側証人は偽証で立件しても検察側証人は不起訴になります。
ここにも冤罪の大きな原因が隠れている事を見逃してはいけません。 2011年10月02日 」

2、( http://blog.livedoor.jp/nihonkokukenpou/lite/archives/51620588.html )
「あなたの場合、憲法は、権力者(資本主義、共産主義共通)が民衆を規制する最高法規として認識しておられるように思います。 そう言う視点から見れば、検察権力の恣意的な法律運用も、登石裁判官による客観的証拠抜きの推認による有罪判決も全てOKと言うことなのでしょう。 あなたには、市民を名乗ってほしくありません。 2011年10月 09日 」

上記1、2のコメントはそれぞれ別の人物のもので、書き込みされたエントリー自体も異なるのだが、両方とも、上脇氏が小沢一郎氏の秘書たちの行動と政治資金規制法とを照合、検証して、9月26日に東京地裁より秘書3人に言い渡された有罪判決を妥当と判断していることに対する異論を述べているのだと思われる。

1、は、一般論でいうと、必ずしも誤ったことを述べているとは思わない。「 検察側証人は検察官に よって法廷での証言を厳しく指導されています」ということだが、すべての事件がそうとは言えないと思うが (というのは、検察官の意図、思惑とは逆と思われる、被告側に有利となる検察側証言がなされている尋問調書を新聞や本などで私はずいぶん沢山見ている)、一般論としては、検察は証言をそのように導こうとするに違いない。また、「 偽証を信じて誤判をすれば冤罪は完成です」というのは当たり前の話だが、古くは八海事件でそういうことがあった。松川事件でも、自分たちの言い分に従わなければ、ある喧嘩の件でおまえたち二人を逮捕するとか、偽証罪で逮捕するなどと検察官に脅かされたために前回は仕方なく嘘の証言をしたのだと法廷で告白した検察側証人もいた。甲山事件でも、保母のアリバイを証言した保育園関係者2人が偽証罪で逮捕されるというとんでもない出来事があった。そのような過去の違法かつ不名誉な検察の捜査、取り調べの手法、その積み重なりが 1、のコメントに見られるような疑念や不信を招く最大要因になっているのだと思う。

検察審査会についても、私にはあまりよいイメージがない。それは上で少し触れたが、70年代半ばに起きた甲山事件に起因するもので、検察の不起訴決議に対して被害児の遺族から検察審査会に不服申立てがなされるという出来事があり、これに対して検察審査会は不起訴不相当としたのだ。このときの苦い過ちの教訓を踏まえると、起訴にはそれに足るたしかな証拠がぜひとも必要だと思うが、今回の小沢氏の強制起訴についても外部から見ているかぎりそれが明瞭であるようには感じられない。秘書に対し、コピー用紙には使い古しの用紙の裏を再使用するようにという小沢氏の指示があったということだが、それが即小沢氏と秘書との共謀に結び付くという考え方で起訴相当としたのだとしたら、それは乱暴な話ではないだろうか。コピー用紙の使用方法についての秘書への注意、指示の件は、モノを無駄にすることや粗末に扱うのを嫌うという個人の性格とか気性の問題、身に付いた日常的慣習の問題である可能性もあると思う。裁判の進行を見守りたいと思うが、ただ、土地購入や政治資金報告書記載に関する秘書3人の行動の異様さが法廷であれだけ明らかにされている以上、小沢氏の判決が有罪、無罪のどちらの結果であっても、判決が小沢氏の不名誉払拭に結び付くとは思えないが。

元に戻って、水谷建設元社長の証言が偽証であるかどうかだが、コメント主は、自分がこの件につきどう考えているのかについては何も述べていない。元社長の証言には現金を運んだ際の運転手であった元社員の証言との間に食い違い、矛盾があるようである。ただし、当時水谷建設の会長だった人物の証言も考慮にいれると、水谷建設が陸山会に1億円 を渡すための準備を完了していたことはたしかと認めて差し支えないのではないだろうか。これは 1、のコメントに関連しての私の意見だが、上脇氏の判断は、この水谷建設元社長の証言の件もふくめた他の疑惑はすべて脇に置いたとしても、秘書の政治資金報告書における誤記載、不記載はきわめて悪質であり(政治団体ごとにまとめると、第4区 総支部の虚偽記入の総額は1400万円、陸山会の虚偽記入・不記載の総額(本年の収入額や支出総額を除く)は18億3861万6788円、合計は18億5261万6788円 ) 、有罪判決は導かれるべくして導かれた合理的なものというものだ。秘書たちへの判決については私も同様に妥当と言わざるをえないと感じている。

上述のコメント主は、ここでまずエントリーが詳細に指摘している報告書の誤記載と不記載に対しての自分の意見を述べるのが普通なのに、肝心要のこの件はすっ飛ばして、唐突に偽証の問題を持ち出している。それも、偽証の有無に対する検証は一切抜きで、「過去この手法によって多くの無実の国民が罪に問われました 」とか「 ここにも冤罪の大きな原因が隠れて いる事を見逃してはいけません」とまるで過去のそういう事実にブログ主の上脇氏がまるっきり無知であるかのような言い方をしている。「 過去この手法によって」「罪に問われ」た「多くの無実の国民」の場合と、上述したようなこの事件の場合とをどうして同じ次元で語ることができるのだ? とりわけ、小沢氏が用立てた4億円を石川氏が多くの銀行を走り回って分散預金し、それをすぐまた下ろして一ヵ所に集めて、とした工作活動には一種涙ぐましいほどの必死さが感じられる。誰にしろ、この行動の背景にあるのが4億円の出所を表に出したくないという意思以外に何か考えつくことができるだろうか? このような世界は、 ほぼすべての国民の生活とは想像を絶して無縁なものである。一般の冤罪被害者と、小沢氏やその秘書たちとを一緒くたにして双方をともに「無実の国民」のごとく論じることは、事実に反するし、冤罪被害者の苦しみに対して失礼だろう。これでは、冤罪とはそれを主張するもしないも人の勝手次第ということになるように思う。

次に 2、のコメントだが、こちらはさらにひどい。「 あなたの場合、憲法は、権力者(資本主義、共産主義共通)が民衆を規制する最高法規として認識しておられるように思います。」だって。コメント主は小沢氏を「権力者」ではないとでも思っているのだろうか。このコメント内容からすると、ひょっとして小沢氏を私たちと同じ一介の「民衆」とでも言いたいのだろうか? 90年代初めから常に権力の中枢にいて、辣腕をふるい、財界をはじめ各界に多大な影響力を及ぼしてきたと評されているこの政治家に対するそのような認識には驚嘆するしかない。秘書たちが裁きを受けた事件にしろ、小沢氏自身の事件にしろ、小沢一郎という政治家が、ゼネコンなどの各企業が決して無視しえない大物政治家であればこそ起きた事件であることは明白だろうに。

「そう言う視点から見れば、検察権力の恣意的な法律運用も、登石裁判官による客観的証拠抜きの推認による有罪判決も全てOKと言うことなのでしょう。」については、「 客観的証拠抜きの推認による有罪判決」という理解は誤りだと思うので、判決文の読みなおしをして、それと事件の経過との照合、検討をされることをお勧めする。

どうもこのような声を聞いていると、この人たちはどんな珍妙な理屈をこねまわしても小沢氏を擁護したいという一念に凝りかたまっているのではないかと思う。よりによっ て、小沢一郎氏を暗に「(無実の) 国民」「(権力に規制される) 民衆」呼ばわりするとは! この倒錯は意識的なものなのか、それとも無意識のなせる技なのかは分からないが、そら恐ろしくもあり、薄気味悪くもある。ひょっとしてコメント主たちは、一方で紛れもない有力政治家・権力者である小沢氏、もう一方で検察とマスコミによって無実の罪を着せられている悲劇の王様である小沢氏、この二つの像を思い描き、そういう小沢氏を熱烈に支持することで、権力者と悲劇の主人公の両面を自分の内に見ているというようなことはないだろうか?

今日取り上げたのはコメント2件だけだが、小沢氏の支持者のなかで、小沢氏のこれまでの政治的発言や活動を丁寧にかつ幅広く拾い上げ、それを広い現実世界のなかに据え置いてその良し悪しやもっている意味などについて厳密に分析している人は、有名・無名を問わず皆無のように思えるのだが、どうなのだろう? たとえば、集団的自衛権の行使について小沢氏はかつて安倍晋三元首相と同趣旨の主張を安倍氏より十年も早く述べていたのだが、小沢氏を支持する人々はそのようなことを知っていながら、小沢氏を称賛しているのだろうか。もしかすると、この人たちは世間に向かって壮大なデマを振り撒いているのではないのだろうか。それから、これは単なる印象に過ぎないのだが、東日本大震災以降、信仰のごとく小沢、小沢と言いまわる人のなかに東北地方在住の人はあまり見ない気がする。

コメントのなかには他に「 あなたは、誰にご飯を食べさせてもらっているんですか? 」という訳の分からないものまであった。まさかとは思うが、ここには、国民は皆、 政治家=小沢氏にご飯を食べさせてもらっているのだという含意もあるのだろうか? まったく、何が何やら分からんちゃ。
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2011.10.16 Sun l 裁判 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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