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米国のクリントン国務長官は10月27日、キューバのフィデル・カストロについて、「去るべきだ」と述べたそうである。

「クリントン米国務長官は27日、下院外交委員会の公聴会で、 キューバのカストロ前国家評議会議長に関し、「去るべきだ」と述べ、カストロ体制の終結を求める立場に変わりはない点を強調した。また、同国の民主化に向けた支援を続ける方針を示した。 カストロ前議長は2008年2月、病気を理由に議長職を弟のラウル・カストロ氏に引き継いで引退。今年4月には 共産党第一書記も降りたが、影響力は保っている。」( 時事通信 10月28日)

「去るべきだ」と言っても、 カストロはすでに政権のすべての要職から去っている。クリントン長官の発言はリビアのカダフィ殺害から一週間後になされたものだ。カストロはリビア問題に関して最初から最後まで一貫してNATOを、なかでも米国をきびしく批判してやまなかった。 24日には、反政府軍が自ら殺害したカダフィの遺体を公開したことについて「トロフィーのようだ。イスラム教、世界中の宗教の最も基本的な原則に背く行為だ」と批判し、NATOについて「人類史上、最も背信的行為を行う残忍な軍事同盟」と非難した。どちらも事の核心のど真ん中を射抜いた言葉だと思う。米国にはカストロのこの率直で確信に充ちた力強い声が響き渡るのが邪魔でならないのだろう。だがその声を胸底深く受けとめた人々は世界のあちこちに確実に存在すると思う。しかし、ベネズエラのチャベス大統領や一部のジャーナリストを除いて、カストロのようにきびしくNATOを糾明する声が聞こえてこない現状の静けさはどういうことなのだろう。

それにしても、米国にとっての「民主化」とは何だろう。利害しだいで好き勝手に他国を支配することを意図し、思いどおりに行かなければ、その国を空爆でめちゃくちゃに破壊することも、そこで生活する人々を殺戮することも辞さない。「民主化に向けた支援」が聞いてあきれる。キューバの人々は口を揃えて「否」と言うだろう。藤永茂氏のブログにジョン・ピルジャーという人の「アメリカのあらゆる侵略戦争の口実は常に“自衛”あるいは“人道主義”、これらの言葉は辞書にあるその意味をすべて空しいものにしてしまった。」という発言が翻訳・引用されているが、その意味を空しいものにされているのは、 “民主 (化)”、そして“自由”という言葉もそうではないかと思える。

カストロについては、藤永氏がすばらしく印象的なエピソードをいくつも語っていられる。たとえば、「 食糧危機と賢者カストロ」では、米国のブッシュ元大統領が、2007年3月26日に行った講演で、食糧用農産物を燃料に変えるという経済外交政策を推進することを宣言した時、これに対して、キューバのフィデル・カストロは、僅か5日後の3月31日、声を大にして抗議警告を行なったとのこと。「まさに荒野に響く賢者の叫び、しかし、その時点で、世界の政治指導者たちのだれ一人として、賢者カストロの声に唱和する人物はありませんでした。 」。カストロは「More than three billion people in the world are being condemned to a premature death from hunger and thirst. It is not an exaggeration; this is rather a conservative figure. (世界の30億以上の人々が飢えと渇きから早すぎる死を宣告されようとしている。これは誇張ではない;むしろ控えめの見積もりだ。)」と述べたそうである。「この見積もり、世界への警告は、このところ熱心に励んだ読書勉強の結果だとカストロはいいます。2006年はじめ、すっかり体調を崩し、病床生活に入ったカストロは弟のラウロに政務を譲って、まるで青年時代に戻ったように、あらゆる書物、 出版物に読み耽ったようです。彼は1926年8月13日の生れ、まもなく82歳。上掲の警告に始まる論考『Foodstuff as Imperial Weapon』はその勉強の成果の一つで、沢山の具体的データが含まれています。」と藤永氏は記述されている。

それから、1963年11月、米国のケネディ大統領が暗殺された時のカストロの言葉。藤永氏の「ものを考える一兵卒(a soldier of ideas) (1)」から文章をそのまま引用させていただく。 「カストロとケネディは、豚湾事件やいわゆるキューバ・ミサイル危機で、世間の眼には犬猿の間柄あるいは不倶戴天の敵と映っていたので、ケネディが暗殺された時、カストロにも嫌疑がかかりました。これに対してカストロは「私はケネディを暗殺しようと思ったことはない。私はアメリカというシステムと闘っているのだ」と答えました。見事です。誰が(CIA?)数えたのか知りませんが、これまでカストロ暗殺の企ては六百回を超えるというのがもっぱらの通説です。ただの「ものを考える一兵卒」になってしまったカストロ老人を殺そうとする刺客が差し向けられることは、もはやありますまい。運の強い男です。」。ちなみに、「 a soldier of ideas 」とは、政界中枢から身を退いた自分の立場を表現したカストロ自身の言葉だとのこと。

今日はカストロについて書かれたこちらもなかなか印象深い文章を紹介したい。『中野重治全集』第24巻に収められている「ハバナとサイゴン」という題の文章で、初出は『展望』1966年2月号。題名が表わすように、内容は、一つはキューバに、もう一つはヴェトナムに関わるもので、両方とも中野重治が感動の印象をもったという出来事の記述である。中野は、「感動の印象は私において道徳につながつていた。人間の道徳がここで一段のぼつた、新しい階へのぼつたというふうに感じたのだつたが中身あいまいではある。」と書いている。「サイゴン」のほうは、1965年11月21日に南ヴェトナム解放民族戦線指導部が、捕虜アメリカ兵二人を釈放したという話で、「これは日本のいくつかの新聞で読んだ」そうである。二人の兵士の釈放の理由は、「ヴェトナム戦争終結の決意と主張とをいちだんと高めつつあるアメリカ国民のなかの進歩的な人びとに対する人間愛と感謝との感情にみちびかれて」、「ヴェトナムに平和を快復しようとして苦労しているアメリカ人への「尊敬の念」」によるものだということを新聞その他で知らされた、とのことである。

一方、キューバのほうの出来事は、堀田善衛が『世界』(1965年4月号)に寄稿した文章を読んで知ったとのこと。堀田善衛はそこに1964年7月26日の、「キューバの東端のオリエンテ州、サンチャゴ・デ・クーパ市の大運動場」でひらかれた7月26日祭のことを書いていた。7月26日祭とそこでのフィデル・カストロの演説の言葉とを。中野はサイゴンとハバナで実現された二つの出来事には共通して「人間道徳の問題の一歩前進ではないだろうか」と思われるものがある。「全く同じ性質のもの、あるいはほとんど全く同じ性質のものがある。」と書いている。キューバの出来事についての叙述は以下のとおりである。

「 キューバでのことはこういうことだつた。
 1964年7月26日に、「フィデルたちの、犠牲の多かつた革命の出発点となつた日を記念して」7月26日祭が行なわれた。53年7月26日の、モンカダ兵営襲撃から11年目である。そこへ、この大運動場に30万人ほどの人間が集まつていた。そこへフィデル・カストロがきて、長い、いわば静かな演説をした。彼は静かに話しはじめた。堀田は、「きわめて静かに、むしろ何か後悔をでもしているかのような声調で」はじめたと書いている。もう一度くどくなるが、堀田は、「何か後悔しているような声調で」と書いているのではない。
 カストロは話しはじめた。彼は30万人ほどに呼びかけた。
「われわれの招きに応じてくれた方々、
 モンカダ要塞襲撃の際に、また革命の勝利のための戦いに倒れた同志たちの御両親の方々……」
堀田はこう書いている――「後になつてそのことを聞いて私はまつたくおどろいたのであるが、彼によつて『御両親』と呼びかけられている、名誉ある遺族席のなかには、フィデルたちの襲撃によつて落命した兵営内のバチスタ軍兵士たちの『御両親』たちもまた、若い革命家たちの遺族と同様に、一緒に招かれていたのであつた。軍隊に殺された若い革命家たちの両親たちと、その革命家たちに殺された兵士たちの遺族とが、同席しているということが、それが何を意味しているか、一考に値することであろう。世界の、いままでの革命の歴史に、そういうことは絶えてなかつたと思われる。」
「話しかけるフィデルのすぐ下の席、つまり招待者の席の中央が遺族たちのために留保されていたのだが、その『両親』たちのなかにはハンカチで眼を覆つている人が何人もいた」ことも堀田は書いて、しかしこの、いわば革命と反革命との両方の側の「御両親たち」招待のことが、カストロにおいて、かねての約束のけれんのない実行だつたことを書いている。あのときカストロは裁判にかけられた。彼は弁護士だつたから、ここで彼は「弁護士フィデル・カストロ白身による被告フィデル・カストロにたいする弁護陳述」をやつた。そこで彼はこう言つていた。
「キューバが自由になつた日に、(襲撃した)われわれに抗して戦つて死んだ勇敢な兵士たちの妻や子供たちも、(襲撃の側で死んだ人々のそれと)平等に尊敬され、保護され、援助をうけなければならない。彼ら(死んだ兵士たち)はキューバの不幸について責めがあるわけではない」からである。
 両方の側の遺族が名誉の席に並びに招かれたこと、招かれた側が並びに出席した事実、これは人間道徳の問題の一歩前進ではないだろうか。 」


ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」のなかの有名な大審問官の章を思いきって引っ張りだしてくると…。あの大審問官が象徴するのはスターリンだとか、いやそうではない、レーニンだとかいう議論を聞いたことがある。カストロの場合はどうだろう。独裁的な政治指導者であったカストロは大審問官の一面をもっていたにちがいないにしても、それとともに、大審問官と相対するもう一人の存在の一面をも備えているのではないかと感じるのだが、どんなものだろう。
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2011.10.31 Mon l 社会・政治一般 l コメント (8) トラックバック (0) l top
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