QLOOKアクセス解析
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- -- l スポンサー広告 l top
何かと最悪の出来事つづきだった2011年ももうすぐ終りですね。今年一年、拙い記事を読んでくださった方、ブログなどで取り上げて評してくださった方、厚くお礼申し上げます。ありがとうございました。

3.11以後、これだけの事故が起きたのだから、危機感で政治も少しは良い方向へ変わるのではないかという期待をもったのですが、菅さんが少し頑張ったという印象はあるものの、以後むしろ事故前より悪くなったように思えます。来年はもっときびしい日々になるかも知れませんが、皆さんどうぞよろしくお願いします。これは今年最後のエントリーです。代わり映えのしない内容ですが、お読みいただければ幸いです。


   1
オール・ジャパンで(対談・野田佳彦×小島慶子 )
小島:では、数ある税金の種類の中で、なぜ《消費税》なのですか。社会格差が広がる中、格差の上の方にいる人達からたくさん吸い上げて、それを、チャンスに恵まれなかったり、とても弱い立場に追い込まれている人たちに回すようにするのが先なのではないでしょうか。皆が負担する消費税より、「お金がたくさん有る人からまず取る」タイプの 税目もあるのでは?
野田:どなたにも、社会保障は必要になります。人生の前半の段階では子どもを持つ若い方への子育て支援、 また、人生老いていく時には、年金、医療、介護が必要になってまいります。だから、特定の誰かではなく世代を越えてオール・ジャパンで、公平感がある税金で《お互いに支え合う》んです。今回の震災では、支え合う強い絆が生まれましたが、社会保障もまさにそうで、保険料と税金等で、世代を越えた支え合い制度を構築するんです。 」

野田首相はこれまで自ら執り行なう政策について有権者にまともな説明をしたことはなく、珍しく口を開いたと思えばこんな調子である。諺に「物言えば唇寒し秋の風」とか 「言わぬが花」とかいうのがあるが、これらは野田さんにはまさにピッタリの格言のように思える。だから口を開かないようにしているのかも知れないが(?!)、「オール・ジャパン で」、「公平感がある税金で」って、貧乏人には「公平感」なんてさらさらないですよ。「不公平感」の次元を超えて、3年後、5年後、はたして無事に生活していけるのだろうかと不安にかられているのですが。まして今年は東日本大震災、大津波、原発の炉心溶融による放射能洩れ事故が起きた年である。被災して家族や家や仕事を失った人々には日々このような増税はじわじわと効いて生活を圧迫することになるのだ。それにしても「オール・ジャパンで」という言い方はあんまりだろう。毎日新聞のこちらの記事を見ても「税と社会保障の一体改革」はやはり「消費増税と社会保障の更なる切り捨て」に他ならないのだ。消費増税の問題だけではない。アレヨアレヨという間もない27日の武器輸出禁止3原則の緩和決定といい、ここ数日の沖縄・辺野古アセス評価書の搬入方法といい、この政権は何か非常に不気味である。


   2
同じことをやろうじゃないか(対談・石原慎太郎知事×橋下徹市長:教育の破壊的改革を追求)
 橋下 今の教育行政は組織になっていない。政治的中立性の名のもとにコントロールが利かない状態。ここの組織化を考えて教育基本条例案を出したが、文科省は「橋下が言ってることは法律違反」と言ってきました。それなら法律違反と言われる条例をつくって、国民的議論を巻き起こすしかない。
 石原 (職員に向かって)おい、大阪の条例を取り寄せろ。同じことをやろうじゃないか。 」

石原都知事は大阪市長選で橋下市長の対立候補を応援した与野党幹部が、橋下氏との会談では歓迎ムードだったことについて、「こびを売ってみっともない」と切って捨てたそうだ。確かに石原氏はわざわざ大阪まで橋下氏の選挙応援に行ったのだから(これはあるいは自分の息子である自民党幹事長の考え・立場が絡んでいるのかも知れないと思うが。)与野党幹部と同列には扱えないが、この対談内容は「こびを売って」いるかどうかは微妙だが、たいへん「みっともない」ことでは与野党幹部たちとあまり変わりないように私には思える。今さらながらではあるが、この対談における石原氏の発言は何れも石原慎太郎という人物がとことん底を打って低劣になっているということを証明しているのではないだろうか。 教育基本条例案についての橋下氏の狭量で底の浅い話を聞いて、「おい、大阪の条例を取り寄せろ。同じことをやろうじゃないか」って、一体何という反応だろう。このような暴君二人が学校に対して現在以上にさらに抑圧を強めていくことは、児童・生徒・教員・保護者の精神・生活から喜びや解放感を根こそぎ奪い、窒息させ追い詰めていくことになるだけだろう。

だいたい、石原氏は高校時代学校をよく休んだり、教師に反抗したというようなエピソードをエッセイに書いていたと思うのだが? それに弟は典型的かつ徹底的な不良少年だったのでしょう? また橋下氏は子沢山らしいが、家で育児に関わったことは全然ないとテレビで話しているのを聞いた記憶がある。このように、自分ができもしないことを他人には強引に一方的に押し付け(この教育基本条例案は保護者に対し一方的に責任や義務を課している。)、 恫喝さえ繰り出して支配しようとするのは恥知らずのやることであり、したがって教育現場にとって二人は最悪最低の首長というしかないだろう。 実際に二人が話している内容には子ども、教師、保護者の心情や環境や立場をいくらかでも慮った言葉はただの一つもない。窺えるのは、自分たちがどうやったら学校と学校関係者を効率的にコントロールし、羊のごとく従順な学校集団に作り替えて支配できるかという一念だけである。こういう首長にかぎって朝鮮学校は北朝鮮や朝鮮総連に支配されているから補助金を出さないなどと教師・生徒・児童を執拗に恫喝し、それをまた臆面もなく実行に移すのだ。このような行動・姿勢を指して一般社会では支配と呼ぶのである。教育基本条例案提示と朝鮮学校への補助金排除は彼らの本質の二つの顕れではないかと思う。

対談のなかで、石原氏は「僕が橋下さんを評価するのは、僕と同じ考え方だからなんだよ。」と言い、橋下氏はどういう意味だか「滅相もない。」と笑える返事をしているが、 条例案に対する教師や親たちの切実な不安や不信を思えば、まったくいい気なものだと感じる。どの新聞でだったか、少し前に、この教育基本条例案に関するアンケート調査に対して教員の9割が反対と答えたという記事を見たが、以下の記事は毎日新聞からの引用である。

「 維新の条例案について、全国の教育関係者は一様に否定的だ。特に現役の教師からは、厳しい批判の声が上がっている。
 栃木県立高校の30代の男性教諭は「教員にも生徒にもまったくためにならない」と言い切る。「教員は自分の評価を高めることにきゅうきゅうとし、同僚と協力しなくなり、クラス編成で成績の低い子を押しつけ合うことにもなりかねない」とし、学校の雰囲気の極端な悪化を予想。「そんな職場で働きたくない」と話した。東京都の市立小に勤める 男性教諭(34)は東京の実情と比較しながら「石原都政の10年余りで、都教委が教員への管理を強めた結果、特に若手は現場の状況に即していない指示でも、そのまま従うようになった。大阪もそうなるのでは」と懸念。「問題教員もいるが、背景に過密な労働環境があることも知ってほしい。処分強化で学校は良くならない」と訴える。

 千葉県内の公立高校の50代の男性教諭は条例案について「まず『罰』ありきの印象。教育の質向上が目的なら、処分より研修の充実が先ではないか」とし、統廃合も「定員割れを一方的に努力不足と評価するのは乱暴。結果的に行き場のない子供が増える」と疑問視する。しかし「今の学校には批判をはね返す力はない。生徒が活躍することで、教師の仕事を理解してもらうしかない」とも話した。」

「都教委が教員への管理を強めた結果、特に若手は現場の状況に即していない指示でも、そのまま従うようになった。」という話には憂うべき傾向がはっきり出ていると思う。数日前には愛知県知事も維新の会の教育基本条例案に賛同の意を表明したとのこと。これら教育現場破壊首長たちをどうにかして弾き飛ばしたいものである。


   3
命をあやめるのが今のルール上難しいなら、公務員の絶対的身分保障をなくしたい。
 橋下 命をあやめるのが今のルール上難しいなら、公務員の絶対的身分保障をなくしたい。
 石原 まったくですね。
 橋下 警察や消防、自衛隊は別としても、通常の公務員は役所で仕事をしているだけですから、絶対的身分保障を外したい。今回の職員基本条例案も処分や分限免職をもっと活用するというもの。楽で安定した仕事をしたいんなら民間へ、つらくて不安定でも公の仕事をしたいなら公務員に、という価値観にしなければならない。公務員の世界と大戦争になると思いますが。
 石原 クビの心配がない仕事なんて、滅多にない。アメリカも政権が変わるとワシントンの役人が半分ぐらい変わる。日本はほんとに安穏としている。 」

はて? 上記の「命をあやめる」という発言はどんな意味なのだろうか。脈絡もなく、突然こんな言葉が出てきたのには驚かされるが、橋下氏にとっては「命をあやめる」ことと「公務員の絶対的身分保障をなく」すことは等価だとでもいうのだろうか。これに対する「まったくですね。」との相づちもヘンだ。やはり似た者同士? 大阪市交通局では現在物凄い数の早期退職希望者が出ているそうだが、こんな発言を年中聞かされるのでは、さもありなん、と思う。しかし、公務員の絶対的身分保障なんて言い方はまったく不正確だと思う。一般論でいえば、確かに公務員は民間企業に比べて身分が安定してはいるだろうが、人間、明日のことは誰にも分からない。思いがけず病気になることも、事故や犯罪に巻き込まれることもないとは言えず、解雇や自ら退職しなければならないことだって起こりえるだろう。

先日大阪の府か市における公務員のボーナスの平均額が新聞に出ていたが、そんなに驚くほどの額ではなかった。あれでは子どもの教育費や家のローンなどがあれば生活にさほど余裕があるわけでもないように思えた。それにもかかわらず、公務員よりはるかに豊かであろう橋下氏がその地位について「絶対的身分保障」などと称して公務員を既得権益者の代表のごとくに叩くのは、彼らを敵にしつらえて大衆感情を刺激することで、府民を自分に引き付けようとする策略に過ぎない。公務員の労働条件が悪化すれば、民間企業でも経営者にさらなる賃下げなど付け入るスキをあたえるだろう。これでは働く者同士の共食い状態を招くだけではないだろうか。橋下氏はこのようにやたらと人に解雇をほのめかして脅しておきながら、一方では、「大阪市の最高意思決定機関として新設された市戦略会議の2日目の会議が24日、開かれた。生活保護について橋下市長は「ルールは守らなければならないが、受給認定は厳しくしてほしい」と注文した。」(産経12月24日)そうである。現状、生活保護の認定はどの地域でも非常にきびしいと聞く。受給者の半数は老人だというし、他は病人であるなどよほどの事情がないとまず認定してもらえないそうである。橋下氏はどしどし解雇はしたい(発言を聞くとそうとしか思えない。)、生活保護は受給させたくない、という自分の姿勢に矛盾は感じないのだろうか。生活保護の受給認定を厳しくせよ、と橋下市長に言われた以上、担当者には今後相当のプレッシャーがかかることだろう。これもまた橋下氏の他の行為と同様、「百害あって一利なし」の類いのことのように思える。
スポンサーサイト
2011.12.31 Sat l 橋下徹 l コメント (0) トラックバック (0) l top
前回につづき、大阪府の「教育基本条例案」について検討するつもりなのだが、その前に、日本経済新聞(12月13日)に載っていた「橋下氏、大阪市の公募区長「ダメだったらクビに」 市長に罷免権与える制度目指す」という記事に触れておきたい。「19日に大阪市長に就任する橋下徹氏は13日、市内24区で導い入する区長公募で、実績を上げられない区長については、市長が任期途中で罷免できる制度設計を目指していることを明らかにした。」「区長は2012年4月に就任予定。任期は4年。橋下氏は「区長には市長と並ぶくらいの権限や責任を与えるが、ダメだったらクビになる。これができれば公務員制度は変わる」」と発言したとのことである。

橋下徹という人物は、ここでも「ダメだったらクビ」と述べているように、自ら何かの行動を起こすたびごとに必ず、「~したらクビ」「~しなかったらクビ」と特定の対象に対する懲戒解雇をいとも簡単に、声高に主張する。 教育基本条例案と職員基本条例案の二つがまさにそうであるが、ある個人に対してその生計の糧を奪う重大処分である「クビ」宣告を行なう権限を、別の個人はたとえそれが首相であろうと持っていない。 実際、歴代の首相が特定の誰かにクビ、解雇と公的に主張したことなどなかったはずである。橋下氏は区長公募に際して任期途中の区長罷免制度を設けるのなら、その場合は当然任命責任も問われるべきであろう。橋下氏のように憲法の指し示す精神などは頭から考慮の外、自分の支配欲を満足させるための歪つな制度作りに腐心し、府職員など他人の馘首についてはまったく心痛めるふうもなく平気の平左、そのくせ自分の失敗の責任については寸毫も負うつもりのない得手勝手な首長では救いようがない。もっとも責任ということについていくらかでも解っている、あるいはよく考えている人間なら他人にクビ、クビ、と軽率に口ばしったりしないだろう。だいたい、上の場合の「ダメ」の基準は何なのか。それを決める以前に「クビ」を決めるのは本末転倒、これでは「初めにクビ(の脅し)ありき」であろう。このような手法で何をやろうと事態の悪化は必然、良くなることは決してないだろう。

それでは、「大阪府教育基本条例案 (平成23年10月5日・大阪府議会提出版)」について、感じたこと、気になったことなどを述べていきたいのだが、条文の何れをとっても重大な問題含みであることが明白なこの条例案のなかでも最も注目すべきは、何といっても「第2章 各教育関係者の役割分担」 だと思われるので、この内容から検討したい。

「(基本指針)
第5条 府における教育行政は、教育委員会の独立性という名目のもと、政治が教育行政から過度に遠ざけられることのないよう、選挙を通じて民意を代表する議会及び知事と、 府教育委員会及び同委員会の管理下におかれる学校組織 (学校の教職員を含む)が、地方教育行政法第25条に基づき、適切に役割分担を果たさなければならない。」

条例案は、上記のように「政治が教育行政から過度に遠ざけられることのないよう…」という文句を記している。「過度に」という語句を用いているところをみると、政治は基本的には教育行政から遠いものであるべきこと、また政治が「教育委員会の独立性」を侵害して教育に介入することは「教育基本法」「地方教育行政法」によって厳に戒められていることを大阪維新の会はきちんと認識しているようである。一方、条例案は、 議会・知事・教育委員会・教職員を含む学校組織の四者はおのおの「地方教育行政法第25条に基づき、適切に役割分担を果たさなければならない」とも主張している。そこで「地方教育行政法第25条」は誰にどのような役割分担を定めているのかを以下で見てみたい。

「(事務処理の法令準拠)
第25条 教育委員会及び地方公共団体の長は、それぞれ前3条の事務を管理し、及び執行するに当たつては、法令、条例、地方公共団体の規則並びに地方公共団体の機関の定める規則及び規程に基づかなければならない。 」

役割分担を定めているのは、上記の25条ではなく、その「前3条」のようである。では「前3条」を以下に引用する。

「(教育委員会の職務権限)
第23条 教育委員会は、当該地方公共団体が処理する教育に関する事務で、次に掲げるものを管理し、及び執行する。
 1 .教育委員会の所管に属する第30条に規定する学校その他の教育機関(以下「学校その他の教育機関」という。)の設置、管理及び廃止に関すること。
 2.学校その他の教育機関の用に供する財産(以下「教育財産」という。)の管理に関すること。
 3.教育委員会及び学校その他の教育機関の職員の任免その他の人事に関すること。
 4.学齢生徒及び学齢児童の就学並びに生徒、児童及び幼児の入学、転学及び退学に関すること。
 5.学校の組織編制、教育課程、学習指導、生徒指導及び職業指導に関すること。
 6.教科書その他の教材の取扱いに関すること。
 7.校舎その他の施設及び教具その他の設備の整備に関すること。
 8.校長、教員その他の教育関係職員の研修に関すること。
 9.校長、教員その他の教育関係職員並びに生徒、児童及び幼児の保健、安全、厚生及び福利に関すること。
 10.学校その他の教育機関の環境衛生に関すること。
 11.学校給食に関すること。
 12.青少年教育、女性教育及び公民館の事業その他社会教育に関すること。
 13.スポーツに関すること。
 14.文化財の保護に関すること。
 15.ユネスコ活動に関すること。
 16.教育に関する法人に関すること。
 17.教育に係る調査及び基幹統計その他の統計に関すること。
 18.所掌事務に係る広報及び所掌事務に係る教育行政に関する相談に関すること。
 19.前各号に掲げるもののほか、当該地方公共団体の区域内における教育に関する事務に関すること。

(長の職務権限)
第24条 地方公共団体の長は、次の各号に掲げる教育に関する事務を管理し、及び執行する。
 1.大学に関すること。
 2.私立学校に関すること。
 3.教育財産を取得し、及び処分すること。
 4.教育委員会の所掌に係る事項に関する契約を結ぶこと。
 5.前号に掲げるもののほか、教育委員会の所掌に係る事項に関する予算を執行すること。

(職務権限の特例)
第24条の2 前2条の規定にかかわらず、地方公共団体は、前条各号に掲げるもののほか、条例の定めるところにより、当該地方公共団体の長が、次の各号に掲げる教育に関する事務のいずれか又はすべてを管理し、及び執行することとすることができる。
 1.スポーツに関すること(学校における体育に関することを除く。)。
 2.文化に関すること(文化財の保護に関することを除く。)。
2 地方公共団体の議会は、前項の条例の制定又は改廃の議決をする前に、当該地方公共団体の教育委員会の意見を聴かなければならない。 」

以上、地方教育行政法の各条文を読んでいけば解ることだが、この法律は教育委員会に対し公立学校(小・中・高)の組織編制から学校の設置・管理・廃止、教育委員会・学校・その他の教育機関の職員の任免その他の人事に関することなど、実に幅広い職務権限を認め、あたえている。それに比較して、「地方公共団体の長」の権限は一目瞭然、関与できる範囲も内容もきわめてせまく限定されている。第24条が規定している長の職務権限は、大学、私立学校に関すること、教育財産の取得と処分、教育委員会の所掌に係る事項に関することの契約締結、教育委員会の所掌に係る事項に関する予算を執行すること、の5項目である。 第24条の2は、スポーツと文化に関する長の権限を規定しているが、このうちのスポーツに関する規定では、「(学校における体育に関することを除く) 」というただし書きが付されている。法律は、「地方公共団体の長」の学校教育に対する具体的・直接的な関与をまったく予定していないし、認めてもいないのだ。地方教育行政法が定めている「地方公共団体の長」の職務権限のうち、学校教育に重大な作用・影響をあたえるのは、また長自身の教育に対する思慮や情熱や世界観などが如実に現れるのは、もちろん24条5項の予算の執行のあり様においてだろう。

橋下府知事が教育行政にどのような予算の執行・配分をしてきたのかは、大阪教職員組合(大教組)の教育文化部長・田中康寛氏の証言を基にこちらに書いた。吉田氏の証言どおり、橋下府知事が教育予算を削って削って、また削り、の連続であったことは、他のいろいろなブログをみても間違いないことのようである。たとえば、こちらのブログ記事。

▼教育関連費を大幅削減
●1年期限の「定数内」講師を急増。 07年4206人(9・2%)→10年5780人(12・ 3%)
●私学経常費助成を大幅削減。 11年度は小学校50%、中学校35%と削減幅を拡大。高校は 昨年同様10%を削減。小学校への1人当たりの助成額は、府は11万5千円 で全国最低レベル(国標準30万円)に
●学校警備員補助を廃止。09年度は交付金化(5億円)→11年度からゼロに。橋下知事 「子どもの安全は府の仕事ではない。学校設置者の市町村の仕事」(10年9月議会答弁)。府の補助廃止に伴い2011年度は9市町村が廃止
●さらなる府立高校統廃合を計画。「3年続けて定員割れの学校は廃校」(教育基本条例案)

●府立高校教務事務補助員等を雇い止め。年収約120万円の非正規労働者348人を、08年度末までで雇い止め(4億4千万円)
●センチュリー交響楽団補助金を廃止。07年度4億1864万円→09年度1億1千万円→11年度廃止
●国際児童文学館(吹田市)を閉館  」

上記7項目のうち、下段の3項目は教育予算には入らないのかも知れないが、広義の意味では大いに教育に関係するだろう。理科の実験の準備などで補助員の存在は欠かせない、これでは教師はますます激務に追われることになり、そのしわ寄せは結局生徒に行く、というある先生の嘆きを読んだことがある。また、小学生のなかにも特別に音楽が好きな子、本を読むのが好きな子がいる。その傾向を楽団や児童文学館はよりいっそう深め、伸ばしてやることができるだろう。また多くの子どもが音楽や読書の楽しみを知る契機になることも多かっただろうに…。

それから橋下府知事は就任した一年目から障害児の教育予算もバッサリ20パーセント削減したそうである。障害児児童が減少しているというならまだしも大阪では1999年以後の10年間で 6000人も増加しているそうである。 大阪府立障害児学校教職員組合(府障教)の福田徹委員長によると、「大阪の(一般の小・中学校にある)障害児学級の在籍数は、08年度1万2760人で、前年度比1242人増と、99年度と比べ、この10年間で6000人も増えるなど、増加の一途を辿っています。その学級で働く看護師も非正規雇用で、時給は1000円前後と、まさに官製ワーキングプアです。支援学校の在籍数も6090人で、前年度比226人増。多目的室や作業室、理科室、図工室、教具室などを普通教室に転用したり、中には、テラスを間仕切りして教室に使っているところもあります。」という。このような状態であるにもかかわらず、いくら請願しても府は支援学校を増設しようとしない。前回、 修学旅行の引率教師の食事代が削られて自費になったことを書いたが、これは障害児学級の宿泊学習の場合も同様だという。

「予算削減と付き添い教員の食事代が自費になったため、できるだけ安いところにすべく行き先を変更したり、あるいは中止した学校もある。出張旅費も削られたため、生徒の就労のための企業訪問も一日で何カ所も回らなければならず、「一日のうちに家庭訪問に行って、企業訪問にも行って、学校に帰ってきなさい」という状況になっているという。 また、生徒は電動車イスなので、バスもリフト付きバスになって、その分、バス代の上乗せとなり、旅費予算を圧迫するという。 宿泊する場合、食事も普通食ではなく、刻んだり、アレルギー除去食などにしてもらえるのは一部のホテルに限られるため、当然、割高になって足が出るので、これもまた、宿泊費の上乗せになるという。学校管理費は、平均して200万~400万円の削減。このため、水道光熱費も10パーセント削減。バスのガソリン代も削らなければならず、これからなにが起こるかわからないという。
 プールも、9月までやっていたが今年はやめたとか、水を入れ替えるオーバーフローの回数を減らしたり、夏はクーラーも子どもが帰った後は切るようにするなど、職場環境も悪化しているという。これまで節約して捻出したお金でつくっていた、子どもに合わせた教材も、今後はつくれなくなってくるという。 水が大好きな子どもは、水を流しながら遊ぶことが多いが、それもできなくなる。これまでにも、学校の修繕費やコピー代、大型ごみの処理回数を減らしてきた支援学校では、「こんだけやってるのに、これ以上、どないして減らすんや!」と怒りの声が上がっているという。」(一ノ宮美成+グループk21著「橋下「大阪改革」の正体」講談社2008年12月)

このようにしてまで教育予算を削った分がどこに行ったのかは明確でないようなのだが、ぜひ詳細を知りたいものである。橋下府政の3年半で府の負債は4000億円程増えたそうだが、これは財界の要請による、しかも無駄な公共事業などに使われているという声もあるのだ。

いずれにせよ、橋下氏の教育行政に対する向き合い方や行動には、健全な良識も知性も情熱もまた子どもに対する大人としての最低限の包容力も感じられない。橋下氏はこれほど大幅な教育予算の削減を行なって学校関係者を苦しめておきながら、なお、「教育基本条例案」に見るごとく、教員の相対評価を強行しようとしたり、懲戒免職の言辞で脅したり、ついには、高等学校・支援学校の教育目標を定めるのは知事であること、教育委員会と学校長はその目標を実現するための具体的施策を講じなければならないとまで言い出している。条例案の該当箇所を下記に引用する。

「(知事)
第6条 知事は、府教育委員を任命する権限のみならず、地方教育行政法の定める範囲において、府内の学校における教育環境を整備する一般的権限を有する。
2 知事は、府教育委員会との協議を経て、高等学校教育において府立高等学校及び府立特別支援学校が実現すべき目標を設定する。

(府教育委員会)
第7条 府教育委員会は、前条第2項において知事が設定した目標を実現するため、具体的な教育内容を盛り込んだ指針を作成し、校長に提示する。
2 府教育委員会は、常に情報公開に努めるものとし、府内の小中学校における学力調査テストの結果について、市町村別及び学校別の結果をホームページ等で公開するととも に、府独自の学力テストを実施し、市町村別及び学校別の結果をホームページ等で公開しなければならない。

(校長及び副校長)
第8条 校長は、前条第1項の提示した指針をもとに、学校の具体的・定量的な目標を設定したうえ、当該目標の実現に向けて、幅広い裁量を持って学校運営を行う。
2 校長は、学校運営を行うに当たり、具体的計画を提示して、府教育委員会に当該計画を実行するための予算を要求することができる。
(略) 」

問題の第6章2項の「知事は、府教育委員会との協議を経て、高等学校教育において府立高等学校及び府立特別支援学校が実現すべき目標を設定する。」という文言だが、この3年半、橋下知事は予算の大幅削減など教育界に対して世にも無慈悲な施策をしておきながら、今度は府立高等学校及び府立特別支援学校が実現すべき目標を自らが設定する、と主張しているわけである。どうも悪い冗談としか思えないが、橋下氏とその周辺は本気なのだからとことん恥を忘れた人たちの集まりなのだろう。そもそも「実現すべき目標」の内容については何の説明もない。その時々の知事の考え方一つに委ねられるということだろうか。こんな戯れ言のようなものを実現すべき目標として押し付けられる学校・生徒はたまったものではないだろう。この条文には強烈な支配欲とともに思考の稚拙さ・粗雑さとがいり混じっていて、そのせいか私には狂気じみたものに感じられる。

新聞報道によると、文部科学省は「知事が教育目標を設定する」と定めた維新の会提出の教育基本条例案について、地方教育行政法に基づき「職務権限に属さない目標の設定について知事が規則制定できない」と指摘。また、教育委員が首長の定める目標を実現する責務を果たさない場合についても 「罷免事由とすることはできない」と、条例案に否定 的な姿勢を打ち出したそうであるが、これが普通一般の見解・態度だろう。この条例案の全体をつらぬく異様さを文部科学省もさすがに放置できなかったのだろうか。
2011.12.15 Thu l 橋下徹 l コメント (2) トラックバック (0) l top
11月27日、大阪維新の会の橋下徹・松井一郎の両氏が大阪市長・府知事選に当選した翌28日、 中央日報は選挙結果を報じるこちらの記事のなかで橋下氏について以下のように書いている。

「38歳だった2008年に大阪府知事選挙で当選した彼は就任第一声で、「あなた方はいま破産した会社の従業員だ」とし、公務員賃金と各種団体補助金削減を果敢に推進した。大阪府の公務員には「死に物狂いで改革しよう。そしてともに死のう」として刻苦の努力を要求した。万年赤字に苦しんだ大阪府は彼の就任から2年で黒字に戻った。1日で安定した身分が失われることになった大阪府の公務員は激しく反発したが橋下氏の人気はかえって沸き上がった。」

この記事の問題点は「万年赤字に苦しんだ大阪府は彼の就任から2年で黒字に戻った。」という部分で、すでに多くの人によって指摘されているように、これは「真っ赤な嘘」、と言って悪ければ、橋下氏とマスコミが共同で世の中に流布し、府民を初め人々を錯覚させてきたまやかし、ハッタリの類の言説である。その罠に中央日報という新聞社もまんまとはまったのだろう。以下は今年2月19日にこの件に関して橋下氏が発信したTwitterである。

「減債基金からの借り入れを止めて、今では通常の借金返済に加えてこの基金の返済もやっています。赤字債の退職手当債は発行禁止、その上で貯金としての基金を760億円積み立てました。11年ぶりの赤字予算、決算からの脱却。それでも教育等に数百億円単位で金をぶち込みました。」2011/02/19(土)
 
ご覧のように、 内容は「私、橋下徹率いる大阪府は11年ぶりに府の財政赤字を黒字に転換しました。貯金も760億円積み立てました。この黒字は、教育費などの福祉にも数百億円の予算を注ぎ込んだ上での成果であります。」との報告だが、このツイートについて、ブログ「opeblo」が正確で分かりやすい分析・論評をされていると思うので以下に引用させていただく。

「  嘘でもないが本当でもない
上のツイートだけ見ると、橋下知事はもの凄く結果を出している様に見えるわけでして、実際はそれは違うのですが、では彼が上のツイートで嘘をついているかと言えば、確かに彼は嘘をついてはいないんですよね(明らかに嘘のツイートも他にありますが)。他の重要な情報を伝えていないため、ツイートを読んだ人の多くが誤解して受け取ってしまう様になっているだけで。

このツイートの「貯金としての基金」というのは、財政調整基金の基金のことを指していまして、確かに23年度当初予算の段階では769億円積み立てられています。ですから、それ単体では確かに嘘ではありません。

しかし、これには他に重要な情報がありまして、平成22年度予算において、実際に4152億円、通常債に限っても827億円の借金をしているのですが、その事については語られないわけです。実際にお金が余ったとしても、それ以上の借金をその年にしていたのであれば、意味あいもその評価も変わってくるかと思うのですが、そこには触れず、760億円お金が余って積み立てたという事だけが伝えられる。

「赤字予算、決算からの脱却」についても同じ話でして、自治体の予算は借金も収入に含まれるため、府債を数多く発行すれば黒字になりますので、赤字・黒字それ自体に大きな意味はないのですが、その情報については触れず、大阪府が赤字予算から脱却したということだけが伝えられる。で、 このツイートを読んだ読者の多くは、760億円もお金が余り、 黒字決算でさも財政状況が改善したかの様に誤解してしまうわけです。嘘をつかなくても、一部の情報を隠しさえすれば、本当でもないことを信じさせるのは簡単だというお話。

橋下知事は、 「メディアは一部分しか伝えない」とツイッターを始めたらしいですが、一部分しか伝えないのは当の自分のツイートも同じだったと言うことですね。分かってて伝えないのであれば悪質だと思いますし、分かっていないから伝えていないのであれば、財政状況の初歩的な事も知らないという事ですから、さすがに知事として能力的にどうなのかと思います。おそらく確実に前者だとは思いますが。」

ブログ主の方の 「 おそらく確実に前者だとは思いますが。」という点に関しては、私も同じく「 確実に前者だと思います」 。現実は、平成22年度における大阪府全会計の負債残高は6兆1477億円だったとのこと。橋下氏の府知事就任時の負債残高は5兆7000億円台だったそうなので、 結局、橋下府政は3年半で負債を4000億円も増やしたということである。それにもかかわらず、上記のようなデタラメのツイートをしたり、府知事退任の挨拶で「皆さんは優良会社の従業員です」などと、就任時の「民間会社で言えば、 皆さんは破産会社の社員です」という発言とは逆のことを、実情には無関係に好き勝手に(府の借金が5億円をはるかに越えていることを指して職員を「破産会社の社員」呼ばわりしたはずなのに、借金が府史上初の6億円を越えた現在、なぜ「優良会社の社員」に格上げなのだ?)述べるのは、知事としての自分の実績に関する印象操作を行なっているわけであろう。 どうしても厚顔無恥とか盗人猛々しいなどの言葉が浮かんでくるのだが、それだけ有権者とマスコミを甘くみている、舐めているということだと思う。

ツイートでは、「それでも教育等に数百億円単位で金をぶち込みました。」とも述べているが、この言い方に私は多大な違和感をおぼえた。単位で、とか、金をぶち込み、という言葉は児童・生徒・学校など教育関係分野にはあまりにもミスマッチであり、競馬か何かの賭け事に大金をはたいたという類の話でも聞かされているような奇妙な印象をうける。何しろ、2008年の橋下氏の府知事就任以来、府の教育予算は私学助成をふくめて前年度から350億円も削られたそうである。 その結果、学校の修学旅行や合宿旅行などにおいて引率の教師には食事代も出なくなり、教師は宿舎から外に食事に出なければならなくなったとのこと。大阪教職員組合(大教組)の田中康寛・教育文化部長がそのように語るインタビューを読みながら、これには目を疑い、まさか、と思ったのだが、事実に違いないようである。

田中氏は、橋下氏の教育施策を橋下氏本人が掲げた「教育日本一」の看板に対して、日本一は日本一でも「 切り捨て教育日本一」だと述べている。「それも二つの意味で切り捨てです。一つは、教育に市場原理を導入し、選別教育で子どもへの教育の補償を切り捨てるということ。もう一つは、公(教育)を縮小すること。道州制に向けて、教育は市町村にまかせて府はなにもやらない。つまり、大阪の公教育をつぶし、徹底的に教育を民営化の方向へ持っていくということです」。田中氏だけではない。取材に応じて橋下氏の施政について語る人からは、ほぼ例外なくその言行不一致ぶりや不誠実さが明らかにされる。橋下氏の発言について「それは嘘です。」「あれも嘘っぱちです。」という言葉がどれだけ頻繁に出ることだろう。以下に田中氏のインタビュー(一ノ宮美成+グループk21著「橋下「大阪改革」の正体」講談社2008年12月)の一部を引用する。

「 田中 知事は、「財政再建プログラム案」を「障害と命、治安に配慮」と自画自賛しましたが、これも嘘です。 たとえば、障害者教育に関していえば、支援学校(旧養護学校)に通学するのに1時間半以上かかる子どもたちがいます。支援学校が少なすぎて、校区が広いからです。それで、08年度に通学バスを増やすということで1800万円、宿泊行事の付き添い看護師に300万円、計2100万円増やしたということになっていますが、実際の支援学校施策を見ると、軒並み5割カット、8割カットです。いじめ・不登校も重点政策になっていますが、実際は2億円減額で、 公立関係の教育費全体で5億6800万円も削っているんです。 必要性があるどころか、ムダとしかいいようがない、また学校も要求していない小学校の芝生化の調査費に1000万円も計上していますが、大阪府全体の緑化予算はバッサリ3億7000万円も減らしているのです。周りの樹がドンドン枯れていっているのに、小学校の校庭の芝生化で緑化が進むのか。学校行事のスポーツ大会の予算も減らしました。充実、充実と言っているが、嘘ばかりです。

ーー修学旅行の先生の食事代も自己負担と聞いて、驚いたんですが。

田中 旅費も20パーセント以上削られ、宿泊行事分は食費も日当も削りました。修学旅行では、食事も生徒といっしょにとり、夜は騒ぎ回るからきちんと寝るよう指導する。食費が出なくなれば、教師は生徒と離れ、自分たちは外で食事をしなければならなくなります。大事な教育活動の一環である修学旅行の意味がなくなってしまいます。 だいたい、中学校の場合、生徒を引率したら1万円ぐらい食事代が必要です。今回給与も削減されて、新卒の20代の教師の給与は手取りで年収220万円にもならない中、修学旅行の引率をしたら自動的に1万円天引きされる。この物価高では、府教委が設定している宿泊予算を超える可能性もあり、その分は教師が自腹を切らなければならない。支援学校の場合は、食事、世話、宿泊は一体のものです。食事だけ別ということになると、勤務時間はどういうことになるのか。 その間は子どもたちに責任を持たなくていいということになるのか。いずれにせよ、食事代は自分で払え、という発想なんです。それで、支援学校では宿泊学習を取り止めたところも出ています。 経常費もバサッと削りました。教育委員会に提出する報告書・冊子は、これまで印刷会社に出していましたが、今度からは自分たちで印刷してホチキスでとめて提出しなければならなくなりました。教師の勤務時間は1日11時間です。予算が削られれば、教師は雑務に追われて、肝心の子どもと向き合う時間が減り、そのまま子どもにしわ寄せがいきます。それでなにが、誰も求めていない芝生化や御堂筋のイルミネーションか、と言いたいです。地球温暖化防止が叫ばれ、洞爺湖サミットでは、サミットの開催期間中、東京ではライトアップが中止されたほどです。御堂筋の銀杏並木を傷め、資源を浪費し、それこそヒートアイランドを増進させるだけです。それもこれも、全部関西財界の要求で行っていることです。

ーー知事は、「習熟度別学習指導」を府下全域で導入すると言っていますが。

田中  「習熟度別学習指導」は、橋下知事の発案でもなんでもありません。「競争と差別」の新自由主義の教育版として、義務教育段階から、子どもたちを「できる」「できない」で選別し、 教育内容に格差をつけ、エリート教育と切り捨て教育を狙うものです。教育にとっていちばん大事な共通の教育内容の保障をやめてしまうというものです。 「習熟度別学習指導でよくわかるようになった」というアンケート結果がよく報告されます。ここには二つの理由があります。一つ目は、多くの場合、「習熟度別学習指導」は、教育の加配が行われ、少人数指導になっていることです。面倒見がよくなり、わかりやすくなるのは当然です。 二つ目は、学習内容が全然違うことです。カメさんクラスとウサギさんクラスで、同じプリントでやっているかというと違う。自ずと教育内容に差がつけられることになる。「つまずいた子を直す」と言いながら、小五の子であっても小三ぐらいのプリントをやることになる。普段の共通授業に出ず、習熟度別クラスにずっと行っていたら、五年生で学ばなければならない授業内容は教えてもらえず、三年生のプリントをその時間、ずっとやって過ごすことになる。そのクラスでできるようになった、底上げされたといっても、できる子の問題をやったら80点を取れるのか。相変わらず、5点、10点しか取れないでしょう。要は、差別や選別という「階層分け」された中での満足感にすぎないわけです。目標そのものが初めから低く設定されているわけですから、上がることはないわけです。 つまり、一回できないクラスに入ったら、二度と全体のクラスについていけないということになる。だから、どんどん振り落として、落ちた子どもを切り捨てるためにこの「習熟度別学習指導」はあるのです。そういう切り捨てのシステムです。そうなると、子どもも「どうせオレはできないんや」とあきらめや嫉妬、疑心暗鬼が生まれ、できるクラスの子も競争に駆り立てられ、孤立し、クラスはこれまで以上に、お互いに居心地の悪い場所になります。いずれにしても、できる子とできない子との差がいっそう開くだけで、「学力」 の底上げは難しいでしょう。 本当にできない子どもを保障するためには、先生がつまずいている子を放課後も残して、個別に面倒を見てあげることです。それがつまずきを克服していくうえでいちばんいいのです。 実際、大阪の多くの学校でやっています。宿題ができない子どもへの補充学習に、きわめて多忙な中でも多くの先生が小・中学校で取り組んでいます。

田中 もう一度、「習熟度別学習指導」 の話に戻しますが、いま三クラスあって、各クラスに5人ずつつまずいた子がいたとします。もし最初から「できる子」「普通の子」「できない子」とに分ければ、「できない子」のクラスには、三クラスから計15人の子どもが集まることになります。そこに一人の先生が入っていくことになります。その15人が同じところでつまずいたら、一人の先生でも対応できるかもしれませんが、現実には15人全員、つまずいているところは違います。算数でも、分数とか小数点とか、さまざまなところでつまずいています。そ のため、一人の先生で15人、一人ひとりに対応しなければいけなくなります。「習熟度別学習指導」 にしなければ、一クラスの中の5人へのつまずき対応であったのが、今度は、一人の先生が15人の子どものつまずきに一斉に合わせるということになるから、この15人は、面倒を見てもらえるのがいままでの三分の一になります。だから、つまずいている子は、結果的にいっそう面倒を見てもらえなくなります。掃き溜めみたいにされる。結局、切り捨てられるというのが「習熟度別学習指導」です。 ずっと世界中で研究され続けていて、アメリカでも1970~80年代にかけて、膨大な数の調査と研究が行われています。しかし、有効性を実証する結果は、ほとんど得られず、大部分は無効性と危険性を実証する結果を示すだけでした。フィンランドも実施していましたが、85年に廃止しました。「できる子」によい影響を与えず、「できない子」にはまったくプラスにならないという研究結果からです。逆に選り分けるのではなく、「教え合い」というグループ学習をやり始めて、一気に学力が上がりました。だから、「習熟度別学習指導」は学問的にも有効性が示されていないものです。

ーー最後に伺いますが、橋下知事は、本来公表してはならないとされる学力テストの市町村別正答率を、「公表しないなら、予算で差をつける」と脅し、強権的に公開しましたが。

田中 今回の学力調査でも、文科省は「習熟度別学習」の設問をいっぱいくっつけています。 しかし、07年のテスト調査では、「習熟度別学習」で算数の学力が高くなったかどうかの報告が出ていませんでした。今回の調査でも報告がありません。逆の結果が出ている可能性があります。文科省にとって都合のよい結果が出ていたら、すぐに公表するはずです。早寝早経きで朝ごはんを食べるなど、規則正しい生活が学力向上に効果があった要因として分析されていますが、 「習熟度別学習」にあったとは書けなかったということです。大阪府議会での議論でも、府教委は有効性について答えられませんでした。「習熟度別学習」が有効な指導方法だというのは、証明されていません。それどころか、逆に「習熟度別学習」をやめたほうが効果が上がったというのが、全国で唯一学力テストに参加していない愛知県犬山市の実例です。 前回調査でも、文科省も府教委も、子どもの暮らしを支える生活実態や教育条件の違いを見なければならないのに、その相関関係を示しませんでした。学力テストにおいて、秋田県と福井県は二年連続で高い正答率を示しましたが、大阪府の就学援助は約30パーセント、三人に一人で全国ワーストワン、秋田県の7倍です。10パーセント以上の生徒が就学援助を受けている中学校の比率は、大阪は87パーセントであるのに対して、全国平均は46パーセント、秋田県は27パー セント、福井県は16パーセントです。 生活保護でも同じ傾向です。離婚率もトップクラスです。持ち家比率も同様に低いという傾向にあります。福井県が「日本一住みやすい県」とされているのとは大違いです。これだけ生活格差がはっきりしているのだから、なんらかの教育施策をとらなければいけないのに、大阪の教育費は、削って削って一人あたりの金額は全国で42位です。これに比べて福井県のそれは2位です。 大阪府の小学校六年では30人以下学級の比率が41パーセントであるのに対して、 国平均は62パーセント、秋田県は73パーセント、福井県は84パーセントに達しています。生活習慣も、大阪の子どもは、朝7時までに起きる子は三人に一人ですが、国平均は三人に二人です。大阪は寝るのも遅く、12時まで起きている子は二人に一人です。塾に行く子が多いこともありますが、一人親家庭が多く、生活が苦しく、ダブルワークで夜遅くまで働いている家庭が多い。それに、一人親が働いていたら、子どもの食事はつくれません。 一方、大阪府の子どもたちの自宅での勉強時間は、3時間以上が14パーセントと、秋田県の5.7パーセントと比較しても高くなっています。両極端に分かれているのです。 塾に通い、 長時間勉強する子どもたちと、まったく勉強しない子どもたちに大きく分かれ、格差が広がっているということです。学力調査の結果にも、それがはっきり出ているのです。にもかかわらず、 教育予算をバッサリ削って、「教育日本一を目指せ」と、教委や教職員、なによりすでに追い詰められている子どもたちの尻を叩くのは、大いに間違っています。秋田県、 福井県と比べ、行政施策の違いが歴然としているのです。 中山前国交相が暴言を連発して引責辞任しましたが、そのとき、「学力テストの役割はもう終わった」と発言しました。学力テストの狙いは、もともと文部科学省の諮問機関である「専門家検討会議」の「全国的な学力調査の具体的な実施方法等について」(06年4月)でも、学力を上げるというより、「PDCサイクル (計画→行動→状況把握というマネジメント手法の一つ)」 を使って、各学校を管理することだと、はっきり書いてあります。なぜ、橋下知事が学力テストの結果を全国の都道府県で初めて公表したのか、それも強権発動してまでやったのか、その狙いは、発表を通じて市町村、学校の管理をすることにあるのです。それは、学校教育に介入し、コントロールすることで、政府や財界に都合のいい人材を育成することを目標にしているからです。もっと長いスパンで見れば、PTAなどつぶしてしまい、「学校支援地域本部」を中心に民営化を推進するとともに、 学校と地域社会を思い通りにコントロールすることが狙いなんです。橋下知事が突然、教育委員会のみならず、PTAの解体を叫んだのも、そうした政府・財界の戦略が背景にあるからで、いわゆる過激発言ではなく、本音だったからです。」

修学旅行に際し、引率の教師に食事を出さないことに対して皆さんはどのように感じられただろうか? 食事は旅行に行かなくても摂るからという理由で自己負担に決められたそうだが、忙しく動き回らなければならない旅行先で三度、三度の食事の度に自腹を切ったり、メニューを考えたりしなければならないというのは教師にとって経済的・精神的負担は相当に大きいだろうと思う。中学・高校ともなると修学旅行も三泊四日くらいになるのではないか。単に経済面だけにとどまらず、教師に対し修学旅行中の食事を出す必要はない、すべて自己負担にしよう、との発想も、その発想を実現する過程も想像するだに寒々しく、物悲しさも漂う。これは親類や友人・知人に、慶事があるからと手伝いを頼み、 一生懸命に働いてもらいご馳走もでき準備万端調ったところで、当の相手にあなた(方)はもう帰って、と空腹、手ぶらで追い返すような待遇ではないだろうか。そういうことは普通誰もしないだろう。児童・生徒に対しても良い影響はあたえないだろう。

中途半端で終わることになってしまうが、長くなりすぎるので、今日はここまでにしよう。次回は上の田中氏の発言などを参考にしつつ、大阪維新の会が「教育基本条例案・職員基本条例案」を出してきた意図について考えてみたい。
2011.12.09 Fri l 橋下徹 l コメント (0) トラックバック (0) l top
11月27日の夜、 テレビ東京で「日本作詩大賞」発表とかいう番組を放映していて、画面では70年代の映像かとおぼしき沢田研二が阿久悠作詞の『 勝手にしやがれ 』を歌っていた。歴代の大賞受賞作品を当時のVTRで紹介しているところらしい。たまたま観たのだが、ステージをはつらつとリズミカルに歩き回り、 時々上向いてシャボン玉を吹いたりしながら歌っているジュリーの姿が、伸びのある柔らかな歌声ともども抜群に格好よく、思わず見とれてしまった。次に都はるみが出てきて歌うと、こちらもまた円みのある情感豊かな歌声で、画面にすっかり吸い込まれてしまった。奥村チヨは千家和也作詞の『終着駅』を歌った。こういう歌があることをすっかり忘れていたが、「今日も一人、明日も一人」という歌詞に反して、どこかおもしろい歌だ。森進一は阿久悠作詞『 さらば友よ 』と 川内康範作詞 『 花と蝶 』の2曲を歌った。前々から私は森進一がデビューした60年代後半からの7、8年は森進一の全盛時代であると同時に、歌謡界も森進一の時代であった、と勝手に思っていたのだが、こうして当時の歌声を聴いているとその思いを新たにするようであった。

何年ぶりかと思うほど、テレビに没入して一心に見入っていると、急に画面が切り替わって、徳光和夫さんが出てきた。司会をしているのだ。ハシモトさんが当選したようですね。これで生番組だということがわかりますね、とか言っている。一瞬何のことか意味が分からなかったのだが、次の瞬間、いっぺんに興醒めがして、猛烈に不快になった。時計を見ると、まだ8時を過ぎたばかり。こんなに早く選挙結果が出るとは! 気持ちよく眠っているところを荒々しく叩き起こされたような気分である。徳光さんもねぇ、今そんな余計なこと言わなくてもいいのでは? チャンネルを切り替える視聴者がいてあなた方が損するだけでしょうに……。

ということで、天国から地獄へ、というのは大袈裟だが、せっかくのささやかながらも心楽しい時間が台無しになってしまった。それにしても、橋下徹氏の人気というのが私には今もって分からない。彼がテレビのコメンテーターをしているのを見たときからそうであった。とあるテレビ番組で光市事件の弁護団を口汚く罵り(自分も一応弁護士でありながら!)、視聴者に向かって懲戒請求を煽動したときはあきれ果てる思いがしたが、その行為に同調する人たちが意外に多いことには驚いた。が、これは前にも書いたことだが、そういう最中、自民党が橋下氏に対して大阪府知事選擁立に動いたことにはもっと驚いた。何というか、日本の政治および政治家のレベルが堕ちるところまで堕ちたという気がした。いくら自民党でも、かつての三木、福田、大平といった政治家たちが橋下氏を担ぐ姿は想像できない。

テレビにおける橋下氏は常に饒舌ではあるが、コメント内容はいつ見ても薄っぺらで知性にも情味にも欠け、索漠としていた。世間に流れているさまざまな考えや意見のなかでも橋下氏が口にするのは最も俗悪で、少数派に対して露骨に冷酷な性質のものだったと思う。そこには人間味もなければ、一抹の見識も感じられない。まして思考の深み、 厚み、高さなど、求めらるべくもない。特権階級の人間ならともかく、われわれ一般庶民にとってこういう人物はいざというとき決して頼りになどならないことはあまりにも明白だと思われた。もっとも、最近のマスコミ、とりわけテレビにおいて寵児としてもてはやされるためには、誠実、正直、繊細・鋭敏な感受性、知性などといった徳は邪魔なだけかも知れないが…。

27日の夜、大阪市長に当選した橋下氏は大阪府知事に当選した松井一郎氏とともに記者会見を行なったが、教育基本条例案・職員基本条例案については次のように述べたとのこと。

「<教育基本条例案・職員基本条例案>できるだけ早期に、市長提案する。教育委員会も総務部も徹底して反論の機会を与えた。民意を無視することはできない。行政マンはそれに従うのが当たり前だ。教育条例案は保護者と一緒に校長や教員を評価し、外部の有識者に判断してもらう。知事が思うままにする条例ではない。教委の独裁を改めさせる。」(毎日新聞11月28日)

上述の橋下氏の発言について少し考えてみたい。まず「民意を無視することはできない。行政マンはそれに従うのが当たり前だ。」という発言について。 選挙で自分が知事に選ばれたということは、 教育基本条例案と職員基本条例案も大阪市民に支持された、この2つの条例案は自分の当選によって民意であることが証明されたということであり、これに素直に従わない行政従事者はすなわち民意に逆らうことになるのだと関係者を脅迫しているのだ。選挙の争点としては大阪都構想が最も注目を浴びたし、次点の平松氏も50万票余りも獲得したのだから、それらのことも考慮する必要があると思うが、それでも橋下氏が75万票で圧勝したことは事実だから、もし教育基本条例案と職員基本条例案が憲法を初め教育基本法や地方教育行政法などの法律に抵触・違反する疑いの濃厚な、あのように異様なものでないならば、民意ということを相応に強調してもいいと思う。しかし、あの2つの条例案はどのような理由・理屈を何百、何千並べようとも世の良識にも人の良心にとってもとうてい耐えられる代物ではない。あの案には他者を意のままに動かそうとする強烈な支配欲・猜疑心・侮蔑などの低劣で浅ましい感情や意識が充ちみちているように思える。橋下氏は府知事時代の2008年、府立国際児童文学館の内部を自分の私設秘書をつかってビデオカメラで隠し録りしたことがあった。理由は職員の仕事ぶりと利用者の様子を観察するためということだったが、橋下氏自身によると、実はこの文学館だけではなく、他にも存廃の議論になっている複数の公共施設を同様に隠し録りしていたとのことである。ご本人は、「民間では当たり前。何の問題もない。」とシャーシャーとしていたが、いったいどこのまともな民間会社で従業員や訪問客の隠し録りなどなされているのだろう。

その発想・行為、そして事後の悪びれたふうもなく平然とした態度には私なども本当に驚き、薄気味悪く感じたことを記憶しているのだが、児童文学者で児童文学館開設の端緒をつくった人でもあり、また当時は同文学館の管理・運営に理事として携わっていたという鳥越信氏は橋下氏の盗撮について、「とにかく驚いている。昔の特高警察やヒトラーのナチスに通じる体質がある」(一ノ宮美成+グループk21著「橋下「大阪改革」の正体」講談社2008年12月)と話されている。多くの人が同種の印象をもったのではないだろうか。当時かなり話題になったので、周知のことだと思うが、この児童文学館は国内外の多くの人の「閉鎖しないで欲しい」「存続してもらいたい」という心からの嘆願も空しく、橋下知事の意向により閉鎖となってしまい、現在は府立中央図書館の一偶に縮小して移動(移動後は蔵書の保存にかける費用はゼロとのこと)になっているそうである。この件について上述の本からもう少し引用しておきたい。

「 早稲田大学教授をしていた鳥越氏が、1979年、学生時代から食費を削り、電車賃を浮かせて集めた12万点に及ぶコレクションを寄贈したことをきっかけに、同文学館は84年5月5日のこどもの日に開館した。鳥越コレクションの寄贈については、全国の自治体や大学、企業に呼びかけ、最後は滋賀県と大阪府の激しい誘致争いになった。滋賀県の武村正義知事(当時)が鳥越氏の自宅まで訪ねて来るなど熱意を示したが、当時の岸昌知事の懇請を受けて大阪府に同文学館が設立されたという経緯がある。
 日本児童図書出版協会から年間2000万円相当分をはじめ、鳥越氏本人や個人なども含めて毎年9000冊が寄贈され、購入分と併せれば年1万5000点ずつ蔵書が増えている。現在の蔵書は、外国の児童書を含め70万点に及ぶ。一階の子ども室は無料で開放され、漫画や図書など、約3万点が貸し出されている。
 図書館法の定めに従って設立され、出版されている中から選んだ本を貸し出し、蔵書を最後は「消耗品」として処分してしまう図書館とは、その性格・機能がまったく異なる。 日本の児童文学書をすべて収集し、蔵書は「備品」として、「可能な限り刊行時の状態のまま保管」するため、箱、カバー、帯も含めてコーティングして永久保存する。そのため、図書館で一般的に行われている管理用のバーコードの貼付などはしていない。
 大口寄贈者としては、前述の日本児童図書出版協会のほか、「南部コレクション」と呼ばれる個人からのもの、大阪の街頭紙芝居の元締めをしていた人からの1万セット・10万枚の紙芝居がある。児童文学だけを専門に収録した施設としては世界で唯一のものである。専門職員がいて、その年に出版される児童本、4000~5000冊を読み、研究、整理を行うとともに、日ごろから、図書館や家庭文庫、学校の先生、お話ボランティアたちの本選びの相談を受け、定期的に交流会や子どもを対象にした「おはなし会」や 紙芝居の実演などの催しを行っている。新人を対象とする児童文学賞「ニッサン童話と絵本のグランプリ」や府立大手前高校同窓会・金蘭会と共同で「国際グリム賞」を創設し、奇数年で表彰を行うなど、児童文学育成・発展のための事業も運営している。
 こうした活動が評価され、同児童文学館は08年、「貴重な資料を横断的に収集しており、職員の専門性とあいまって漫画研究に欠かせない拠点である」として、第12回手塚治虫文化賞特別賞を受賞したばかりだった。」

隠し録りした文学館のビデオを見た橋下氏は、「漫画ばかり並んでいるから『漫画図書館』に名前を変えるべきだ」「『職員にやる気がない』と厳しく批判した」(朝日新聞 9月6日夕刊)という。しかし、この知事発言には逆に新聞投稿欄への投書を初め、多くの利用者から具体的反論がなされたとのことである。さもありなんと思うが、それにしても、こんなに豊かさや情熱や歴史を感じさせる児童文学館に対してこのような情けなくも味気ない言動しかとれない知事というのも前代未聞ではないだろうか。そしてこういう言動の延長線上に、全国学力テストの順位が低かったことに対し、何てザマだ、と一人で騒ぎ立てた、あのような姿があるのだと思う。

記者会見の話題に戻ると、「教育条例案は保護者と一緒に校長や教員を評価し、外部の有識者に判断してもらう。知事が思うままにする条例ではない。教委の独裁を改めさせる。」との発言もまた異様である。保護者は校長や教員の評価などできない。保護者の環境・生活は千差万別であり、全員が校長や教員の人格や能力を正確に知ることはまず不可能だが、それでなくても、教員の人生や生活に直接影響をおよぼす5段階評価などどうしてできるだろう。教師・子ども・保護者の人間関係はズタズタにされる恐れがある。 これは橋下氏の保護者への責任転嫁であり、また保護者を共犯者に仕立てようとするものではないだろうか。「 外部の有識者に判断してもらう 」というのも意味不明だ。外部の人間が有識者であってもなぜ学校の教員一人一人の能力を知りえるのだろう。まともな人なら誰も引き受けるはずがないと思う。「教委の独裁を改めさせる」ということだが、 大阪府の教育委員会が何か独裁的行動をしてまずい結果を惹き起こしたことでもあったのだろうか。それが分からなければ判断のしようがないのだが、そういえば退任した二人の教育委員が橋下氏の不合理な言い分に反論したと先の本に記されていた。橋下氏のかなり棘のある口ぶりからすると、それをまだ根に持っているのだろうか? あるいは、現在、府の教育委員会が正当にも教育基本条例案に反対していることをもっての独裁呼ばわりなのだろうか?
2011.12.02 Fri l 橋下徹 l コメント (1) トラックバック (1) l top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。