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この事件の判決文は一審が400頁を超える長文であるのに対し、ニ審はその5分の1以下の77頁、内容も一審の事実認定を完璧に追認するものなので、検討する側としてはどうしても先ずは一審の判決文を取り上げることになる。そういうことで、これまで二審の判決内容に言及することは少なかったのだが、今日はこちらのほうも取り上げたい。

「風間が「ちんちんは気持ちが悪いからあんたやってよ」などと言いながら解体していた旨のYの供述は,経験した者でなければ語れない内容であるし,関根の同様の供述によっても裏付けられている。E及びWの死体をY方に運ぶだけならば関根とYの2人で足りるのであるが,2人の死体を短時間で解体して投棄消滅させる必要があったために風間もY方に赴いたものと合理的に推認できる。また,風間は,学校に行く子供の世話などがあるため,朝早くには熊谷に戻っている必要があったのであり,そのため,カリーナバンのほか風間の専用車クレフに分乗してY方に向かったものとみられるのである。風間が関根と共に,Eの死体の解体を行ったことは疑いなく認められる。」(二審判決文)

上の文章はこの連載の1回目に引用し、その際、冒頭の解釈についてはその奇妙さを指摘した。ついでに述べておくと、一審の判決文は、「風間のEに対する憎悪感情の強さはEの死体解体時の風間の行動、態度からも明瞭に看取できる」と書いていた。率直に言って、私は両裁判所のこのような解釈には裁判官自身が本当にこれを信じて書きこんでいるのかと多大な疑問を感じる。これではあまりに非現実的、荒唐無稽であり、滑稽でさえあるのではないだろうか。さて、今日はまず上の文の「E及びWの死体をY方に運ぶだけなら……」以降を取り上げる。

裁判官はここで事件後わざわざ万吉犬舎に立ち寄ってクレフを持ち出し、車二台で自宅に向かったというY氏の供述内容を一々理由を挙げて説明している。風間さんの供述は、自分は自宅からクレフに乗ってE宅に行った。万吉犬舎に立ち寄る必要はないし、事実立ち寄りはしなかったということである。一方、Y氏の供述はこうである。E宅には3人でカリーナバンに同乗して行った。自分はE宅には入らず外で待っていたので現場は見ていないが、関根と風間がE・Wの2人に毒を飲ませたことは間違いない。E・Wが死んだ後3人で遺体をカリーナバンの荷台に積んで片品の自宅に向かったが、その前に一旦万吉犬舎に寄り、そこに置いていた風間のクレフに分乗した。関根の命令により自分がクレフを運転して先導し、後ろを風間が運転し関根が助手席に座ったカリーナバンがつづいた。

これまで述べてきたように裁判官は風間供述については不自然で真実味を欠いていて信用できず、Y供述には不自然なところはなくその内容は経験者でなければ語れないものであって信用できると断言しているわけだが、ここでは裁判官は風間が片品まで同行した理由は遺体解体の手伝いをするためであり、万吉犬舎に寄ってクレフを持ち出したのは学校に行く子どもの世話のために翌朝早く帰らなければならない風間の足の便のためである、との判断を示している。E宅に行く前にクレフは犬舎に停め置かれていたのであり、従って風間がクレフで自宅からE方に行ったというのは嘘である、と強調しているのだと思われる。しかしこの判定もまた疑問が一杯というしかないものである。

前回と前々回、当ブログは風間さんが自宅からE宅に一人でクレフを運転して行ったという証拠が長男の証言と愛人MY 氏から掛かってきた電話で会話をしている事実を挙げて判決の不当性を指摘・批判したが、じつはクレフに関する風間さんのこの供述の真実性を示す証拠ーーそれもきわめて重大なーーは他にもあるのだ。この件は後述することにして、今は裁判所がその供述内容に絶大の信頼を寄せているY供述に戻る。Y氏によると、3人がE方に着いたのは夜10時ころだった。「関根が「待ってろ。」と言って風間と2人でE方に入って行った。」ので自分は外で待機していたという。その後のY供述の展開をもう少し見てみよう。

「 (4) それから20分か30分位して、Wが玄関から飛び出して来て県道の方に走って行き、その後1分位して風間が手ぶらで出て来た。風間は、代行(E)が急に具合が悪くなったので救急車を呼んでいるなどと言い、Eの家の中からは「代行、大丈夫ですか。今救急車を呼んだから。」などという関根の声がした。風間が出て来てから5分位して関根も出て来て、自分に車を持ってくるように指示してWの所に歩いて行ったので、カリーナバンを運転して関根らの所に行き、Wが助手席に乗り、関根と風間は後部座席に乗って出発したが、Wが「姐さんが籠原にいるからそちらに行こう。」と言うので、Wの指示どおりに走っていた。車は荒川の方に向かって走っていたが、走り出して7、8分経ったころWが突然「気持が悪い。病院に連れて行って下さい。」と言った。Wは靴を履いたまま両足を助手席のダッシュボードの上に投げ出していた。2、3分後にWが突然「うー。」とうなり声をあげて一瞬体を硬直させ、両足を強く突っ張ったため、左足と右足が付いていた場所を中心にフロントガラスの左下部の二か所にそれぞれ直径30センチメートルほどの蜘蛛の巣状のひびが入り、Wはそのまま動かなくなって死んでしまった。 しかし、関根も風間もこの様子を見ても全く驚くような様子はなかった。自分としては、(関根らが)Wに毒を飲ませて殺したに違いないと思った。関根の指示でカリーナバンにWの死体を積んだまま3人でEの家に戻ったが、その途中で関根に「お前は共犯者だ、死体処理を手伝え。手伝わなかったらカメラマンの女も生かしやしねえ。」などと言って脅された。
(略)関根の指示でカリーナバンにWの死体を積んだまま3人でEの家に戻ったが、E方に入ると、Eが仰向けで大の宇になって倒れて死んでいた。3人でEの死体もカリーナバンの荷台に運び込んで一旦万吉犬舎に立ち寄り、……」(一審判決文)

「Wが助手席に乗り、関根と風間は後部座席に乗って出発したが、Wが「姐さんが籠原にいるからそちらに行こう。」と言うので、Wの指示どおりに走っていたが……」という供述内容は二度、三度と読んでもなかなか内容を理解できなかった。籠原にいる姐さんとはE氏の奥さんか愛人のことのようだが、それまでE氏が急に具合が悪くなり救急車を呼んだなどの話をしきりにしていながら、その急病人を一人で放ったまま皆でスウーっと車に乗って走り出すという行動は不可解である。車に乗り込んだのは関根氏の命令のようだがその意図は不明、また運転しているY氏は関根氏の指示ではなく、W氏の指示に従って籠原という場所を目指して走っている。ところが7、8分たってW氏は「気持ちが悪い」と苦しみ出し、わずか2、3分で絶命したという。それからE宅に戻るとE氏もすでに死んでいたという。

Y氏はW氏の死を目撃し、またW氏の死に驚く様子のない関根・風間両人の様子を見て、「(関根らが)Wに毒を飲ませて殺したに違いないと思った」。ここからE宅に引き返すのだが、途中でY氏は関根氏から「お前は共犯者だ、死体処理を手伝え。手伝わなかったらカメラマンの女も生かしやしねえ。」などと言って脅されたという。

このY供述の最大の疑問点は上述したようになぜ具合が悪いと言い出したE氏を一人残して全員でE宅を出て行ったのか、特に関根氏が同行したのはなぜかということである。車で走行していた時間を供述から計ると、最低でも20数分、その間にW氏が死亡したという事情を考えると優に30~40分は走っていたことになるのではないか。これは何といっても妙である。Y供述のとおりにW氏が関根氏らによって毒を飲まされたのならE氏も同じ運命に遭っていることは確実だ。 W氏が毒を盛られたのなら彼は口封じのためにE氏の道連れにされたのであり、狙いはあくまでE氏である。関根氏らが肝心のE氏を中途半端の容体で放って外出するのはあまりに非合理である。E氏の容体こそが現在の関根氏の最大の関心事のはずだからだ。また風間さんの弁護人によると、E氏が代行をしている暴力団T組の事務所はE宅から近いのだという。犯罪者心理としてはT組の誰かが訪ねて来ないかという不安も拭えないだろう。それから、一人残されたE氏が這いつくばってでも外に出て近所や通行人に助けを求めたり、家でT組に電話を掛ける行動に出るかも知れない。そんなことになったら犯罪のすべてが明るみに出ることは目に見えている。関根氏のこの外出はどう考えてもありえない行動ではないかと思われる。

ではY供述がなぜこのように非合理性・不自然さを隠せないものになっているのかと考えると、その原因はY氏がE宅に入ったのは関根・風間の2人で、自分はずっと外で待機していたと供述している一点にあるように思える。Y氏は外、関根氏と風間さんの2人が家のなかにいたのでは、E氏が毒薬ーー硝酸ストリキニーネであるらしいがーーのために衰弱したりあるいは死んでしまったとしても、プロレスラーのような体格だというE氏を外の車のところまで運び出すことは不可能だ。E氏を運び出すためにはY氏の力が必要不可欠で、そのY氏がE宅に入る契機を作り出すという目的・理由付けのために、非合理であろうと不自然であろうととにかく一旦皆で外に出て車で出発するということにしたのではないかということも考えられる。ともかくY供述によれば、車中でW氏が死亡するのを目撃し、関根氏から「お前は共犯者だ」とか「(遺体処理を)手伝わなかったらカメラマンの女も生かしやしねえ 」と脅されためにやむなくE宅に入ってすでに息絶えていたE氏の遺体を車に運んだという。

この場面についての風間さんの供述を以下に引用しておく。風間さんは一旦E宅に入って挨拶した後、すでに到着していた関根・Y氏らとしばらくの間そこに一緒にいたが、E氏が少し気分が悪いなどと言い出した後、外に出てクレフの中にいた。そこから「Yが運転していた車がE宅前に停車しているのが見えた」ので、

「 (7) 被告人風間は、Yが車で来ているのなら被告人関根には帰りの足があるので自分は家に帰ってもいいと思い、被告人関根にそのことを断るために車から降り、E宅の方へ歩いていき、E宅の手前10メートル位のところにさしかかった時、被告人関根とYが何か重そうなものを持って家を出てくるのが見えたので、小走りで2人のところへ行くと、重そうなものに毛布のような物がかかっていたので、手伝おうと思い、荷物の下の真ん中あたりに両手を入れ、支えるようにもったところ、人の尻と背中の感覚があり、「これは人間の身体だ、死体だ」と思った。
 そのままカリーナバンの荷台にそれを積み終えると、被告人関根は、被告人風間に対し、「おまえが運転しろ」と命令した。」(一審弁論要旨)

風間さんの供述によると3人はこの後一直線に片品に向かうのだが、Y供述では万吉犬舎に立ち寄ってクレフとカリーナバンの2台で片品に向かったことになっていて、そのY供述を一・二審の裁判所がともに真としたことはこれまで何度も繰り返し指摘してきたとおりである。だが、先述したように、風間さんの供述こそが真実であることを証明する事実は他にもまだある。

風間さんたちは当時気づいていなかったが、じつはそのころ万吉犬舎周辺の人々は警察の行動確認の対象になっていた。理由はおそらく4月20日からKさんが行方不明になったまま杳として行方が知れないこと、5月か6月に風間さんが金融業者のMY氏やE氏の名前を出して熊谷警察に相談の電話を掛けたためではないかと思われる。 風間さんは関根氏の薦めでお母さんの土地を担保にMY氏から1000万円の融資を受けた。風間さんは知らなかったが、じつはMY氏はE氏の知人であり、融資を受けた後、風間さんのお母さんが親類からMY氏は評判の悪い金貸しだと聞いてきた。借りた金銭をすぐに返して清算したほうがいいというので風間さんも慌ててMY氏に申し出たところ、E氏が絡んでいて話が即座には進まなかった。責任を感じた風間さんは警察の困り事相談所に電話を掛けて解決策について相談したのだ。おそらくこの思い切った行動が功をそうしたのだろう、 結局風間さんは1000万円をE氏に着服されることになったが、最大の心配の種であった土地は無事であり、何とか解決をみた。

そのような事情があったために検察、裁判所はEに大金を取られた風間さんがEに恨みを抱かないはずがなく、関根氏の「Eらを殺害する数日前に、風間から『Eが電話を掛けて来て更に巨額の財産的要求をしてきた。』などと聞かされた。そして、風間は、このことで自分と話し合っているときに、『このままいけば、幾ら働いても全部Eに取られてしまう。だから、やっちゃうしかない。』などと真剣な表情で言い出してEを殺害することを提案し、自分も結局これに賛成した。(一審判決文)」 という供述や、本件犯行に用いた毒薬(硝酸ストリキニーネ)についての「風間が、『毒ならあるよ。Y獣医から貰って取っておいた。』などと言って、新聞紙で包んだ二包みの毒薬を持って来た。(一審判決文)」という供述は信用でき、「自分達とEとの間でYHからの借金の件を巡ってトラブルがあったことは事実だが、それは7月17日に全て解決済みであり、その後Eから更に金銭的要求をされたことなどはない。だからEを殺害しようと思ったことなどないし、それについて関根と相談したなどということも全くない。 (一審判決文) 」旨述べて、関根供述を真っ向から否定している風間供述は虚偽だという。しかし裁判官は、「どうせ関根もEに絡んでいるのだろうと思った」という風間さんの供述に目も耳も塞ぎっぱなしの姿勢ではあまりに不公正・不平等だろう。

7月20、21、22日の3日間、警察は万吉犬舎に対する行動確認を行なっていた。そして、E・W氏殺害当日の21日の行動確認記録にクレフは登場していない。これについて一審判決は「右日誌にクレフが万吉犬舎に現れたという記載がないからといって、そのことは必ずしもクレフが万吉犬舎あるいはその周辺の空き地等に置かれていなかったことを示すものではないのである。 」と証拠を歯牙にもかけない不誠実きわまる姿勢を示し、二審判決はこの件に言及もしていない。それでいながら、「2人の死体を短時間で解体して投棄消滅させる必要があったために風間もY方に赴いたものと合理的に推認できる。また,風間は,学校に行く子供の世話などがあるため,朝早くには熊谷に戻っている必要があったのであり,そのため,カリーナバンのほか風間の専用車クレフに分乗してY方に向かったものとみられるのである。風間が関根と共に,Eの死体の解体を行ったことは疑いなく認められる。」と、まったく根拠も示さずに「合理的に推認できる」「疑いなく認められる」と断定している裁判官(二審)のご都合主義には呆然とするしかない。判決には「学校に行く子供の世話」という文言もあるが、被告人も弁護人も7月21日から学校が夏休みに入ったことに供述や弁論で触れているはずである。

次に、一審弁論要旨から今日述べてきたことに関連する箇所をいくつか引用しておきたい。本文と合わせてお読みいただければと思う。

「……甲第628号証からも明らかなとおり、7月21日午後の万吉犬舎の行動確認記録によれば、クレフは全く出入りしていないし、駐車場の駐車事実も全くないのである。
 被告人風間は、7月21日はうちわ祭で熊谷市内の道路は交通規制がしかれ、また交通規制外の道路も山車が練り歩いている時間帯は、渋滞となり、走れないので一日バイクで行動していたと供述している。
 また被告人関根も「風間はオートバイで万吉犬舎に来たのではないかと思う」と供述している。(第70回公判の供述)
 そして、クレフが万吉犬舎になかったとすれば、ペットショップ近くの駐車場か大原の自宅前にあったことになるが、被告人風間の供述及びFの証言によれば、被告人風間は10時過ぎにクレフに乗って大原の自宅を出発し、10時30分頃にE宅へ行っているのだから、右両名(引用者注 関根・Y氏)の供述の信用性はない。
 要するにE宅へは、3名が一緒に行ったのではないことが証明されているのである。」 (一審弁論要旨)

「被告人関根、Yは、Wがカリーナバンで死んだ後にE宅に戻ってEの死体を右車輛に積んだと供述するが、不自然、不合理であって、信用できない。
 被告人関根の供述によれば、Wをカリーナバンに乗せて荒川土手の方を走り、その間にWを殺害し、E宅に戻るまで約40分位かかったと述べている。
 被告人関根は、Eがヤクザで組事務所が近くにあることから、確実に殺さなければならないと思っていたし、その間も組員がEを訪ねて来るのではないかと心配していたと供述している。
 そうするとEの死体を40分間も、しかも誰もいない状態でE宅内に放置するなどということは常識的に考えられない。
 犯罪者心理からしても、死体や証拠物は速やかに第三者の目に触れぬよう現場から隠そうとするものである。
 他方、硝ストによる薬理効果がいつ発現するかもしれないWが外に出て行ってしまい、Yがその後を追った場合、これは前にも述べたが、Wが路上等に倒れたり、通行人に助けを求めるような状況を想定し、Wを通行人等の目から遠ざけるためには車に収容するしかないのであり、Yは当然にカリーナバンで追尾したと考えるのが合理的である。
 そしてYは、体力の弱ったWを見つけ、カリーナバンに乗せ、E宅前に戻った所、Eが死亡し、被告人関根がE宅の玄関に出てきたので、早くEの死体を運び出して車に搬入し、現場を去りたいとの心理から、たまたまWが助手席で首を前に倒して座っていて、弱って抵抗できない状態にあったこととあいまって、Eの死体をカリーナバンの後ろの荷台部分に入れ、その後すぐに現場を去って、途中Wを完全に殺害し、そのまま片品へ直行したと考えるのが、自然かつ合理的である。
 被告人関根はWに対し、「ねえさんを乗せて病院へ行こう」と言ったら「嘘」だと言ったが車に乗ったと供述している。
 仮にWがそう言ったとしても、結果的に車に乗ったのはWの意思というより、抵抗力を失ったWが無理矢理車に乗せられたと考えるが自然かつ合理的と言える。
 なお当時、万吉犬舎には従業員が寝泊まりしており、深夜にエンジン音をたてて万吉犬舎に入り、万一従業員が起きてくる可能性も十分にあるのであり、死体二つを乗せたカリーナバンが万吉犬舎に寄るなど到底考えられない。」 ( 同 上 )

「証人OY(引用者注 E氏の愛人)の証言(期日外尋問)によれば、「Eがいなくなる1ケ月前位にEと関根が土地のことでよく話していて、奥さん名義の土地を奥さんの了解なしに勝手に売って、金を半分づつ分けるという話をしていた。」「関根が離婚したのでこのままでは関根の手元に残るものがないから売っちゃう」という話をEから聞いたと証言している。
 この証言を総合すると、時期からみてYHの融資の件に該当しており、被告人関根がEからK事件を種に脅されていたということではなく、須賀広の土地の件と同様、被告人関根とEが被告人風間及び母Y子の財産を食ってやろうとの悪巧みを画策したと考えるのが合理的である。
 また被告人関根と被告人風間は、平成5年1月25日に離婚しており、仮に偽装離婚であったとしても戸籍上は離婚しているのであり、被告人関根は、被告人風間のその頃の態度等をみて被告人風間は本当は離婚の意思を持っていたのではないかと感じ始め、「財産目的の結婚」が解消された今、右OYの証言のように自分の手元に何も残らぬとの危機感を持ち、Eと相談し、YHの融資話へと進んでいったと考えるのが合理的であり、実態にも合致している、
 何故ならYHの供述調書によれば「Eが上乗せしたことについて関根は知っていながら、風間やY子に言えないのだろうとEが言っていた」と供述している。(甲第206号証)
 右融資の件の前の平成5年5月連休明けに被告人風間が朝帰りした際、被告人関根は立腹して被告人風間に激しい暴力を振るっている。(証人KK(引用者注 風間さんの妹)の第96回公判の証言)
 被告人関根は被告人風間に男がいると覚知した故の暴力であると推測される。
 ところが被告人関根やEの予想に反し、Y子の執拗な抵抗にあい、また被告人風間がこの件で熊谷警察に相談したことから、まずいと考え、平成5年7月17日に右根抵当権の抹消に応じ解決したと考えられるのである。
 その結果が、OYの証言にいう、「土地を売って金を分ける話はダメになったと言っていた」という話につながるのである。
 従って、被告人風間のYHの件に対する思いは、須賀広の件の延長線上にあった出来事であり、この件でも被告人関根が張本人であり、Eはその片棒を担いだという認識であり、この件でEに対して嫌悪・憎悪の念をさらに強めるに至ったとの検察官の主張は極めて粗雑な推論である。
 なお被告人風間は、右YHの融資の件で平成5年7月12日熊谷警察に対しYH、Eの名前を具体的に出して相談している。(甲第925号証ないし同926号証)
 万一被告人風間が、EからK事件を種に本件を画策されたと知っていたら、Eの名前を出して相談するはずがない。
なぜなら警察が右相談を受けてEに事情聴取をした場合、EがK事件のことを警察に言う可能性があるからである。
警察は、平成5年7月20日、21日、22日の万吉犬舎等への行動確認を実施しているが、それは右相談とK事件直後の江南会議の件をKの遺族が警察にも話しており、その場にいずれもEがいたことによるものであると推測できる。
 また検察官は、E、Wの殺害については被告人風間も共犯であると主張するが、被告人風間は前記の通りEとのトラブルを熊谷警察に相談しており、その直後の7月21日にEの殺害を実行すれば、まず疑われるのは被告人風間であり、そのような状況下で自らの意思でE殺害の共犯になるようなことをするわけがない。」(  同 上  )

風間さんが警察の困り事相談に融資から派生した問題で相談を持ちかけた件について、一審の判決文は以下のように驚くべき記述をしている。

「YHらにY子の財産を乗っ取られるなどとしていかに強い危機感を抱いていたかは、自ら関根とともにK殺害及びその死体の損壊遺棄という極悪犯罪を犯しておきながら、それをも省みずに、(関根を介して)こともあろうに警察の困り事相談に電話を掛けるとの非常手段に訴えていることからも明瞭に看て取れるのである。」

上の記述にはこの事件の判決文に一貫して見られる巧妙なレトリックの有り様が如実に現れているように思う。日本のある法曹が裁判の究極の目的、必須の要件を「正義」の一言で要約しているのを見たことがあるが、この判決には正義への指向が片鱗も見られず、正義と深く関連する真実や自然さというものへの敬意も見えない。それらに相反する手法ばかりが縦横に駆使されているように見える。母親の土地が自分の借金の担保になっていて、その土地を横取りしようとする不審な企みが目に見えるのだ。自分の軽率さのために、母親を悲惨な目に遭わせるような事態だけは絶対に回避しなければならない。このような場合にそう思い「強い危機感を抱」かない娘は世にそうはいないだろう。風間さんもそうだったからこそ「警察の困り事相談に電話を掛け」たのではないだろうか。それが功を奏したことは、弁護人が「 被告人関根やEの予想に反し、Y子の執拗な抵抗にあい、また被告人風間がこの件で熊谷警察に相談したことから、まずいと考え、平成5年7月17日に右根抵当権の抹消に応じ解決したと考えられるのである。/その結果が、OYの証言にいう、「土地を売って金を分ける話はダメになったと言っていた」という話につながるのである。 」と述べている実態からも明らかであろう。

裁判官が語っている風間さんの当時の危機感の強さについてはそのとおりだろうと頷ける。ところが、裁判官はその強い危機感をなぜか財産に対する風間さんの人並み外れた異常な執着心に由来するものと一方的に決めつけ、それを風間さんが関根氏とともにE氏殺害を計画・実行した根拠にしてしまう。E氏にしろ金融業のYH氏にしろ、風間さんにとっては、関根氏の知人であり、関根氏からの紹介者なのだ。裁判官が力説するごとくもしも風間さんがE氏に強い憎悪を持っているのだとしたら、E氏との付き合いをつづけ、何かと金銭に関する面倒な問題を持ち込んでくる関根氏に不信や不満を持ってもおかしくはないだろう。風間が自分にEをやるしかないと言ってきた、という関根供述は信頼できるとする裁判官の判定はまったく不可解である。

風間さんがE・W事件における殺人の共同共謀正犯と認定された根拠は関根・Yという共犯者の供述以外には何もない。Y供述の矛盾点についてはこれまで数々指摘した。そして関根氏の虚言癖は裁判官自身幾度となく公言していることである。風間さんは証拠ではなく、裁判官が用いるさまざまなレトリックによってなし崩しのうちに殺人罪を認定されてしまっているように思えてならない。裁判官はここにKさん殺害事件を引用して「 自ら関根とともにK殺害及びその死体の損壊遺棄という極悪犯罪を犯しておきながら、それをも省みずに、(関根を介して)こともあろうに警察の困り事相談に電話を掛け……」 と、風間さんがKさんを殺害したことは確実な立証を経た間違いのない事実であるかのように記している。これも判決文を読む者に風間さんがKさんの殺害者であることはとうに明白になった確かな事実である、という意識を植えつけるレトリックではないだろうか。こちらも証拠によるのではなく、融資の件での風間さんの危機感をE氏殺害と無根拠に結びつけたやり方と同じ手法で認定されたものである。そもそも警察に困り事相談を持ちかけたのはKさん殺害に関与していないからこそできたのではないかという普通の考えは裁判官には浮かばなかったのだろうか。頑なに「 犯しておきながら」「それをも省みずに」「こともあろうに」などと風間さんがKさんの殺害者であると強調する感嘆風の記述がなされているが、これはまったく説得力を欠き、浮き上がって見えて仕方がない。また、弁護人は風間がEの名前を出して警察に相談している以上、Eが殺されれば真っ先に疑われるのは自分なのだから、その直後にE殺害などやるはずがないと主張しているが、裁判官はこの主張にも応答していない。
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2012.01.30 Mon l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top
この連載記事(3回だけだが)で意図しているのは、E・Wさん殺害事件の真相解明に大いに役立つはずの証拠を裁判所は調べもせずにそのまま放擲したり、調べをしたらしたでその証拠を曲解・歪曲して解釈することによってはなはだ公正を欠いた事実の認定を行なっているーーということを何とか明らかにしたいということである。裁判所のこの不当な手法はE・Wさん殺害事件に対してだけではなく、 最初のKさん殺害事件に対してもまったく同様に駆使されているのだが、前回はその象徴的事例として、「E・W事件」における次の2つの件を取り上げたのであった。

 1. 当夜10時過ぎに一人でE宅に行ったという風間さんの供述は本当のことだとタコ焼きを一緒に食べた体験によって述べている長男の証言と愛人のMY氏から掛かってきた電話の件が、判決において前者は「甚だ曖昧」の一言によって否定され、後者は黙殺されている。裁判官に事件の真相を解明する気があるならば、重要証言なのだから丁寧に検証し、その結果を判決に記述することは裁判官の当然の任務であり、自然な流れでもあるはずだ。ところが風間さんの供述の信憑性がまさに問題になっている場面で証言は検証されることなく無視され、別の無関係な場面でその証言や証言主と関連した話が根拠も示されずにあたかも風間さんのイメージを毀損するための悪口・放言のように記述されている。判決文のなかにこういう手法を見ると、その理由はいったい何なのか、証言が風間さんに有利なものだったからではないのかという疑念をだかざるをえないのである。(詳細は、前回記事のMY氏に関する箇所を参照のこと。)

じつは風間さんと弁護人は一審裁判中、上述の長男の証言に加えて、長女にも法廷で証言させたいと裁判官に伺いを立てている。その夜、9時ころ自宅に帰るまで風間さんは当時小学生だった長女と母(長女にとっては祖母)と3人でうちわ祭りに出かけていた。長男の証言もふくめて法廷で明らかになったさまざまな事実から自分が殺人の事前共謀にも実行にも何ら関与していないことは明白になったと考えていたが、念のために、9時少し前まで祭り見物で一緒だった長女の証言があれば自分の供述の真実性はよりいっそう明らかになると考えてのことであった。しかし、裁判官は「もういいでしょう。十分でしょう。」と言って承認しなかったそうである。

 2. 一審判決文では、車のなかで関根とYが「掛かったか」「せえの」などと言いながらWを絞殺する場面を自分は運転しながら目撃した、という風間さんの供述は「ゲームでもしているかのような様子で(略)極めて不自然」「真実味に欠けている」などの理由で否定され、一方、風間はEとWの遺体を解体するのに派手なスパッツを着て派手なサンダルを履き、遺体を切り刻みながら歌を口ずさんだり、「ちんちんは気持ちが悪いからあんたやってよ」などと関根に言っていた、というY氏の供述は、「何ら不自然な点は存在せず」「極めて具体的」「恐ろしいほどの迫真性」「その場面を現に目撃した者でなければ語りえない」などと判示され、 つづいて「そのことからすれば、右Y供述の信用性が極めて高いものであることは明らかである。」という断定がなされ、これによってこのY供述はそのまま風間さんを殺人の共謀共同正犯に認定するための証拠にされている。

いったい、Y供述と風間供述に関する判決文のこの認定に納得する人間が世の中にどれだけいるだろうか。しかし、二審の裁判官は納得したようである。二審判決文を見ると、Y供述に対しては「 風間が「ちんちんは気持ちが悪いからあんたやってよ」などと言いながら解体していた旨のYの供述は,経験した者でなければ語れない内容であるし,関根の同様の供述によっても裏付けられている。 」と述べ、風間供述に対しては「あたかも両者がゲームでもしている様子だったといわんばかり」「不自然」「およそ真実味に欠ける」と、まるで一審裁判官の口真似をしているかのように一審判決と同じ単語、同じ形容詞を並べて風間供述を非難している。これでは上級審の存在意義や威厳はどこにあるのだろうと深刻に疑われる。

なお、「関根の同様の供述によっても裏付けられている」という点だが、裁判官は、関根氏が虚言癖をもった人物であり、その供述を安易に信じることの危険性をつとに説いておきながら、都合によってはこのように「関根の同様の供述によっても裏付けられている」などと、その供述に全幅の信頼を置いても大丈夫であるかのような判示をするのは、ご都合主義、機会主義にも程があると思う。

ここでもう一度、一審裁判長の判決内容に戻って、風間さんの供述に対する次の判示を見ていただきたい。

「右供述は、E方に自分は遅れて行ったとの嘘を前提としたものであるばかりでなく、関根とYがEの死体をWが助手席に座っていたという車の後部座席に積み込んだとか、とにかく病院に行こうと思って夢中で病院などない道を運転走行していたなどとする点は作り事としか思えないし、関根とYがWを絞殺したとして述べている内容も、2人があたかもゲームでもしているかのような様子で首を絞めていたと言わんばかりの極めて不自然なものであって、前記Y供述と対比しておよそ真実味に欠けている。」(一審判決文)

上の文章の後半部分はこれまでしつこく長々と検討・批判してきた。注目したいのは、先頭の

「右供述は、E方に自分は遅れて行ったとの嘘を前提としたものである」

という記述である。判決はここでE方に遅れて行ったという風間さんの供述は嘘だと断定していることにご注意あれ! 詐術もここまでくればアッパレとでも言うべきか。いったい、裁判の過程のいつ、どの場面で、どのようにして、風間さんのこの供述が嘘だと証明されたのだ? 風間さんが関根・Y氏と一緒に夜9時ころE宅に向かったという証言は共犯である当事者2人の供述以外には何もない。それに比して、風間さんの供述にはこれまでるる述べてきたように、その真実性を証明する証言が複数ある。そのことは裁判官が一番よく知っているはずである。

「右供述は、E方に遅れて行ったとの嘘を前提としたもの」ということは、そもそもの出発地点の供述が嘘なので、それ以降の供述も当然嘘である、との含意もあるのだろうが、それだけではないだろう。判決は「嘘を前提としたものであるばかりでなく、」と言って、これ以降は別のところに論点を移している。つまり、裁判官は一人でE方に行ったという風間さんの供述が嘘だと正面から堂々と宣告することはこれまで述べてきた事情からいってさすがにできなかったのだろう。そこで、別の話題に入る直前にさりげなくついでのように風間供述は嘘だという断言を忍び込ませたのではないか。以後、裁判官はこの断定を前提にして、あれも虚偽、これも虚偽、と片っ端から風間さんの供述を嘘と断じている。この積み重ねがあってこそ、被害者に薬を飲ませての殺人、派手な格好をして歌を歌いながらの遺体解体などを風間さんの犯行として判決に書き込めたのかも知れない。次の件に移りたいと思う。

「更に風間は、E方に上がった際に、Eから『お母さん、まだ。』などと聞かれたと弁解するが、Y子(引用者注:風間さんの母)の訪問など全く予定されていなかったことは既に述べたことから明らかであって、右弁解もまたあからさまな虚偽というほかはない。」(一審判決文)

この件も以前取り上げたことがあるのだが、風間さんのお母さんの訪問が事実として予定されていないことは事実関係から判っている。しかし、現実に予定がないことと、E氏が予定があると思いこんでいることとは矛盾しない。裁判官の言い方は関根氏がE氏に嘘をつくことはありえないとでも考えているかのようである。当時、E氏は風間さんの実家の土地などの不動産に関心を持ち、自分は権利書を持って来いなどとゆすられていたと関根供述にあるではないか。また 、風間さんのこの供述を裁判官は「弁解する」と記述しているが、これは供述を検証抜きに初めから虚偽と決めつけ、それによる印象操作の類に他ならないのではないだろうか。

「風間も、「事件後に自分が身体の調子が悪くなって埼玉医科大学に行くことになり、関根やYと車に乗っていた際に、Yが『手伝えばくれるって言ったじゃないか。100万まだ貰ってないよ。』と関根に言い、関根が自分に金を持っているかと言ったので、ハンドバッグに入っていた70万円を渡した。その70万円はKのときの分なのかそれともEのときの分なのかは分からないが、報酬だと感じた。」などと、あたかも具体的な報酬話があったかのように述べているものの、その内容は、本件のごとき極悪犯罪に殺し屋として自ら進んで積極的に加担した者が要求した謝礼がたかだか100万円であったとか、それに対して70万円を報酬として支払って済ませたというような極めて不自然でいかにも取って付けたようなものであって、丁度同じころに関根から(Eらの死体損壊遺棄作業を)手伝ってもらったお礼に家を一軒やるとか1000万円をやるというような調子の良い話を聞かされたという前記Y供述と対比しただけでも、到底信用することができないものである。」(一審判決文)

病院からの帰りに車中で見聞きしたという関根・Y氏の会話の内容と、関根氏から「金を持っているか」と聞かれてちょうど犬の売上金70万円がバッグに入っていたのでそれを渡した、報酬だと感じた、ことを述べている風間さんのこの供述は、はたして裁判官が断定するような、「極めて不自然」「いかにも取って付けたような」供述で、「到底信用することができない」と言われなければならないものだろうか。風間さんはY氏に渡った金銭がこの70万円だけである、などと言ってるわけではないのだから、関根氏の調子のよい話を聞かされたという「Y供述と対比」する必要もなければ、対比して「到底信用できない」と非難されるゆえんもないと思うのだが? 関根氏が調子のよい大きな話をするのはいつものことで、ここに記されているY供述が風間さんの供述と矛盾するかどうかも疑問である。風間供述はここでもまた検証の余地もないとばかりに頭から否定されている。

「被告人風間は、自己がK、E、Wに対する各殺人の犯行に関与したことを全面的に否認する一方で、「自分はYが(関根とともに)Wを絞殺したのを目撃した。KもYが絞殺したと被告人関根から聞かされた。」などと、極めて重要な場面についてYに殺人の罪をなすり付けるためのあからさまな虚偽弁解をなし、更には多数の重要な場面についての自己の行動や認識内容等についても、証拠上明白な事実についてさえ頑として虚偽弁解を続けるなど、自己の犯した犯罪に対する反省の念は全く見られないのである。」(一審判決文)

裁判官は、風間さんが「Yに殺人の罪をなすり付けるためのあからさまな虚偽弁解をなし」ていると断言しているので、裁判官のこの論法で行くとY氏は風間さんから「罪をなすり付け」られたことになるが、そのY氏は一度として風間さんを責めていない。Y氏は一人分離裁判で裁かれたが、証人として呼ばれた関根・風間裁判では検察官、裁判官、各弁護人に対して罵詈雑言を浴びせるなどの挑戦的な態度で証言拒否の姿勢をとりつづけた。法廷で特にきわ立っていたのは検察に対する強い敵意で、捜査段階で取り調べ担当だったI 検事から捜査に協力すれば起訴猶予で釈放という約束があったのに裏切られた、騙されたという激しい憤りを露にしている。

だがそういうY氏も風間さんの犯罪加担行為に関する(風間さんの)弁護人の尋問にだけは口を開いている。留意しなければならないのは、Y氏の供述はほぼすべて取り調べ段階の警察・検察による調書だということである。最初の事件でY氏は東京の駐車場に被害者Kさんの車を放置した後、風間さんから「あんたさえ黙っていれば警察に捕まらない」と言われたと下記のように供述している。

「 自分が佐谷田の車庫に行って、そこに置いてあったアウディに乗って待ち合わせ場所に行くと、風間は既にそこに車(マツダクレフ)で来ていて、「うまくいった(か)。」と声を掛けてきた。風間が、東京のどこでもいいから車を置いて来ようと言うので、自分が先導する形で2台の車で東京に行き、アウディを八重洲の地下駐車場に置き捨てた後、風間の車に乗せてもらって佐谷田の車庫に戻ったが、帰りの道中で風間から「あんたさえ黙っていれば警察に捕まらない。」「証拠がなければ警察に捕まらない。」などと関根と同じようなことを言われた。こういったことから、関根と風間との間で事前にKを殺害する相談ができていたのだと思った。 」(一審判決文)

第17回公判の証言で、Y氏は「あんたさえ黙っていれば…」云々の風間発言は事実かと尋ねられると、

「被告人風間は自分のことをSさんと名前を呼ぶ、あんたなんて呼ばれたことは一度もない」

と述べた。風間さんの弁護人はY供述について検察との取引・協力関係の下に殺人の共犯者としての自分の犯罪を風間さんに負わせようとする悪辣な巧みと強く主張、取り調べ中の検察とY氏の関係を掘り起こしてきびしい批判を展開したが、この日のY証言については次のような見解を述べている。

「三 しかし、Yからすれば、被告人風間に対し、何ら悪感情を持っていたわけではないし、あくまで自分の身代わりとして共犯に取り込む供述をしたが、Y自身の刑事裁判は「死体損壊・遺棄」で当初の目的を達成させたことから、今後殺人等でむし返されることはないと確認し、被告人風間に対する同情心と良心の呵責を抱き、次の様な証言をしたのである。

 弁護人―「これは非常に危険な綱渡りなんですけれど、もう一度聞きますが、K事件に関して、風間被告人が車の運搬だけを認めて、殺人、死体損壊・遺棄については、自分はしていませんと、この裁判で言っているのです。その主張について、どう思うか」
 Y ―「本人が言ってんだから、間違いないでしょう。本人が言ってんだから、それで合ってるでしょう」
弁護人―「Eさん、Wさんの方の事件・・・・・」
 Y ―「私は、博子さんは無罪だと思います。言いたいことは、それだけです。」
    「私は、博子さんは無罪だと思いますと言ったんです。全部ひっくるめて。」

 このやり取りは、Yが本件に対する証言の中で唯一きっぱりと述べた部分であり、又被告人風間の罪体に関する重要な部分であり、Yが何故に証言拒否を繰り返す中で、この部分について明確に証言したのか、これは正にYのぎりぎりの「良心」であったと確信するものである。」(一審弁論要旨)

しかし、判決はこのY証言には触れていない。判決が引用し言及しているのは「あんたさえ黙っていれば…」というY供述のほうであり、これが事実として認定され、風間さんは、上述したように、裁判官から「Yに殺人の罪をなすり付けるためのあからさまな虚偽弁解をなし」た、と徹底的に指弾されている。だが、世の中に「 殺人の罪をなすり付けるための」虚偽をしゃべられて黙っておとなしくしている人間がいるだろうか? Y氏はそのような人物なのだろうか。Y氏は風間さんに「殺人の罪をなすり付け」られた上に、「私は、博子さんは無罪だと思います。」と述べたのだろうか。この件に対する裁判官の判断を聞きたい。
2012.01.25 Wed l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (1) トラックバック (0) l top
埼玉連続殺人事件のうちの第2の事件であるEさんとWさん殺害事件。この事件でも風間博子さんに対する判決文(一・二審とも)の恣意的な事実認定はひどくて、これについては以前この記事この記事で取り上げたが、もう一度やや別の角度から考察してみたい。同じことを何度も繰り返すようだが、この事件の判決ではおかしな事実認定が本当にきりなく後から後から湧くように出てきてあれもこれもと取り上げたくなるのだが、今日はできるだけ焦点を絞って行きたい。まず最初に一連の事件および事件にいたる経過の概略を時系列で示す。

 1983(昭58)年10月  風間さん、長男を連れて関根氏と結婚。
 1992(平 4)年 9月ころ  Y氏はドッグショーの会場で関根氏と知り合い、以後免許証を持たない関根氏の運転手役を務めるなどアフリカケンネル・万吉犬舎の仕事を手伝うようになる。(アフリカケンネルは万吉犬舎とペットショップで成り立ち、犬舎は関根氏、ショップは風間さんが管理していた。両店の距離は車で約20分。)
 1993(平 5)年 1月25日  風間さん関根氏と協議離婚。以後別居。
 1993(平 5)年 4月20日  最初の事件起きる。Kさん(関根氏の顧客)が勤務先を退社後アフリカケンネル使用の佐谷田の車庫で殺害される。 Y氏は夜11時前ころ風間さんの自宅に電話を掛ける。「車を東京に置きに行きたいんだけど、一緒に行ってくれるかい。」。風間さんが「どうしたの。」と聞くと、「社長から聞いている(か)。」と言うので、風間さんは、昨日言われたことなんだなと思って、「聞いてるよ。いいよ」と引き受けた。前日ペットショップに来た関根氏から「Yは俺の仕事でいろいろ動いてもらっているから、Yに用を言われたら動いてくれ 」と言われていたのだ。風間さんは常日頃から気分の変わりやすい関根氏にはできるかぎり逆らわないようにしていたとも述べている。落ち合う場所は、Y氏が「森林公園西口の山田うどんの向かい側」を指定した。実はこの車がその日数時間前に殺害されたKさんのアウディであった。
 それにしても、関根氏に手伝えと脅されて逆らえなかったというY氏が関根氏から解放されたこの機会になぜ警察に駆け込まなかったのかはいつまで経っても消えない謎である。Y氏の自宅では今まさに関根氏が被害者の遺体を解体中なのだ。もっと言えば、関根氏がこんなに簡単にY氏を一人で外に出すこと自体不思議に感じる。もちろん、被害者の車を殺害現場にいつまでも放置しておくことは犯罪者の心理として不安であるには違いないが、関根氏の態度・様子には一人で外に出たY氏の行動への危惧の念が一向に感じられないのだ。それだけではない。Y氏は風間さんに電話を掛けた後、その地点から風間さんに待ち合わせ場所として指定した「森林公園西口の山田うどんの向かい側」を通り越して佐谷田の車庫までKさんのアウディを取りに行き、車庫で自分の車からアウディに乗り換えて風間さんとの待ち合わせ場所に戻っている。しかし佐谷田の車庫は風間さんの自宅から近いのだ。風間さんが「Kに返す金なんかない。殺るっきゃない」と言ってKさん殺害を主張し、主犯として事件を計画したのなら、風間さんが自宅から自分の車クレフで車庫に行きアウディに乗り換えて待ち合わせ場所に行くというのが普通であり、自然だろう。これでは、Kさん殺害とは無関係だというY氏が一人で大車輪の働きをし、主犯であるはずの風間さんは何ら積極的に動こうとしておらず、事件はまるで他人事のようではないか。Y氏は電話で風間さんにこれから自分が車庫に行くことも伝えていないし、合流後もそういう会話を交わしたという証言もない。
 1993(平 5)年 7月21日  2件目の事件起きる。 Eさん、Wさんが殺害される。 Eさんは暴力団員であり、Wさんはその運転手であった。関根氏はそのころEさんから金銭や不動産(風間さんおよび風間さんのお母さん名義のもの)の権利証まで要求されるようになっていたようである。
 1993(平 5)年 8月26日  3件目の事件起きる。Sさん(女性)が殺害される。関根氏はKさんに対したと同様、Sさんにもでたらめの儲け話を言葉巧みにもちかけ相当額の金銭を引き出していた。その嘘がばれることを危惧し、またSさんの自分への好意が鬱陶しくなったというまことに身勝手な理由で殺害にいたる。この事件では関根氏が殺人、Y氏が遺体損壊・遺棄で罰せられ、風間さんは起訴もされていない。この3件4人の被害者の遺体および所持品はすべて片品のY氏宅で解体・焼尽され、灰や所持品の燃えカスなどの河川・山林への廃棄も関根氏とY氏の2人によって行なわれた。
 1994(平 6)年末  Y氏が捜査当局の取り調べを受ける。その供述により遺骨、遺留品が発見されたとされる。
 1995(平 7)年 1月 5日   関根氏、風間さんが逮捕される。


それではこれから、〔1〕〔2〕〔3〕の 3つの文章を掲載する。〔1〕は、E・W事件に関する風間さんの供述についての一審裁判官の要約。一審判決文から抜き出す。〔2〕は同じく、E・W事件に関する風間さんの供述についての弁護人の要約。 一審弁論要旨から抜き出す。 〔1〕と〔2〕は同じ供述に対する裁判官と弁護人の要約だが、それぞれの見解や理解の相違があらわれていて興味深い。〔3〕はE・W事件に関するY氏の供述についての一審裁判官の要約。 一審判決文から抜き出す。こちらは同じ体験を語っているはずの風間さんとY氏の供述内容の差異、また2人の供述に対する裁判官の見方の差異が如実にあらわれていてこれまた大変興味深い。ではまず〔1〕から。

「 
〔1〕
 (1) ……当日は、関根からE方に夜10時に迎えに来るように指示されて行っただけで、自分としてはやくざであるE方に行くことなど気が進まなかったので、出かけるのも遅くなり、午後10時過ぎころ一人で車(クレフ)を運転して大原の自宅を出発し、約束の時間よりかなり遅れてE方に着いた。家の中に入ると既に関根とYが来ており、Eからは「お母さん、まだ。」などと聞かれたが、自分は何のことだかわからず曖昧な返事をしていた。そのうちにEが腹が痛いと言い出し、まもなくWとYが外に出て行った。その後Eは気持が悪いとか言っていたが、それほど大変な様子ではなく、自分も余りその場にいたくなかったので外に出て、自分の車の中で持っていた。5分位して自分の車をE方前から少し移動させて車を降りE方前に戻ったところ、関根とYが家の中から何か重そうな物を運んで出て来たので、近寄って自分もそれを持ったところ、毛布が被せられていたが、その感触から死体であると感じてびっくりした。関根とYは、(カリーナバン)の荷台に運び込み、関根が「お前が運転しろ。」と言ったので、思わず「はい。」と言って運転席に飛び込んだが、カリーナバンにはWが椅子を半分倒したような状態で助手席に座っていた。
 (2) 関根の指示でカリーナバンを発進させてまもなく、Wが「気持が悪いから医者に行ってくれ。」と言い出した。自分としてはとにかく病院に行かなくちゃという気持からその後4、50分ほど車を走らせていた。荒川大橋の手前で曲がれと後部座席から指示されたので、それに従って左折したが、段々人気もなくなり、減速したら後ろから「もっと暗い道を走れ。」と言われ、そのまま車を走らせていたところ、関根とYが「掛かったか。」などと言いながらWの首に紐のような物を掛けて、2人で何度も「せえの。」などと声を掛けながら引っ張り合っていた。そのときWの両足がダッシュボードの上にせり上がり、足が窓ガラスに当たってガラスが蜘蛛の巣状にひび割れ、Wはその場で死んだ。すると、関根とYがカリーナバンから降りてWの死体を後部座席に移し、既にそこに置かれていたEの死体と一緒に置いた。関根が「車の所に戻れ。」と言うので、そのままカリーナバンを運転してクレフを置いてあったE方付近まで戻ったが、その際Eの家の中に入ったことは全くない。Yから「鍵。」と言われ、クレフの鍵を渡してしまった。関根らから「ついて来い。」と指示された。Yがクレフを運転して出発し片品村のY方に向かい、自分も二人の死体を積んだカリーナバンを運転してクレフの後に続いた。関根はカリーナバンの助手席に乗っていた。
 (3) Y方に着いて、2人の死体を3人で家の中に運び入れた。関根とYは、まずEの衣服を説がし、2人でEのバッグを開けて中身を確認したり、風呂場の前に新聞紙を敷いたり包丁を研いだりして色々と忙しそうにしており、その間自分は何も考えられず、居間にいて呆然としていた。自分がY方に来てから派手な衣服に着替えたということはないし、また自分がEの死体の解体をしたなどということは全くない。その後関根とYがごみ袋を4つか5つ位外に持ち出して、「これから捨ててくるから持っていろ。誰が来ても声を出したりするな。電話にも出るな。」などと言って2人で出て行き、30分ないし40分位して戻って来た。自分は呆然としたままであったものの、こんな所にいられないから早く帰らなくちゃと思い、「私、帰るから。」と言って、午前4時ころ車でY方を出て、高速道路に乗って午前6時ころ家に戻った。 」(一審判決文)

判決文が上記のように述べている風間さんの供述を風間さんの弁護人は次のように叙述している。


〔2〕
 (3) ところで被告人風間は、Dと平成3年9月頃からS取引を始め、その支店長はMYであったが、その後男女関係になり、ほとんど毎日朝「おはよう」、そして夜「おやすみ」の電話があり、同日午後9時30分過ぎ頃にもMYより電話が入り、被告人風間はMYと会話をかわしている。
 (4) そして午後9時50分頃、Fが帰宅し、「どう、今日は時間をちゃんと守ったでしょう」と会話を交わし、Fが当日タコ焼きの屋台でアルバイトをし、自分が初めて焼いたタコ焼きを持って帰ったので二人で食べた後、「お客さんのところにお父さんを迎えに行って江南に送ってくる」と言って、午後10時10分頃大原の家を出た。
 その時の被告人風間の服装は、上は白っぽい色のTシャツまたはポロシャツ、下はジーパンをはき、健康サンダル履きの軽装で財布と免許証だけをもってクレフに乗って向かった。
 (5) そして荒川大橋、小川県道を経由してE宅の敷地内の空き地に、車を頭から突っ込んでUターンし、玄関前に車をつけようとしたが、空き地内のプレハブに車をこすらせたことから、バックで道路に出て、E宅先の空き地でUターンし、午後10時30分頃E宅の路上にクレフを停車し、車中で5分位待機していたが、被告人関根が出てこないので、玄関の中に入り、「こんばんわ」と声をかけた。
 Eが「おう入れよ」と言ったので、部屋に上がったところ、Eは低いソファに座り、被告人関根、Yは床に座り、Wは立って動き回っていた。
 被告人風間は被告人関根のそばに座った。
 そうするとEが「おかあさん、まだ」と言うので、被告人風間はその意味がわからなかったが「ええ?」という感じと「ええっ」と返事するような曖昧な感じで答えた。
 Eは「そおかい」と言った。
 その後Eが立ち上がって、向かい側の襖を開けて、ユンケル皇帝液を4、5本持ってきて皆に渡し、それぞれ飲んだ。
 (6) それから5分くらいしてEが「気持ち悪い」と言ってソファの背にもたれてよりかかるようにしたので、被告人関根とWがEのそばにより、「代行、大丈夫ですか」と話しかけたところ、Eは「大丈夫だ、何かにあたったんかな」と言った。
 そして1、2分してWが玄関から外に出ていき、それに続いてYも外に出ていった。
 それから1、2分してEが「水をくれ」と言い、被告人関根はコップに水を汲んでEに渡した。
 Eは水を飲み、その場に普通の感じで座りなおしたので、被告人風間はヤクザの家に長居したくなく、帰る機会を見計らっていたので「じゃあ車の中で待っていますから、失礼します。」と言ってクレフに戻り、待っていた。
 そうして5分くらいたった頃、小川県道方向から対向車が進入してきて、道路幅が狭く、すれ違うのに十分なスペースがなかったことから、クレフを小川県道方向に走らせ、道路幅の広い所に移動しようと走行し、40~50メートル走った十字路のところで前記対向車とすれ違い、対向車をちらっと見たところ、運転席にYが座っていた。
 被告人風間は更に40~50メートル走り、空き地みたいな駐車場にバックで入り、E宅の方を見ると、Yが運転していた車がE宅前に停車しているのが見えた。
 (7) 被告人風間は、Yが車で来ているのなら被告人関根には帰りの足があると思い、自分は家に帰ってもいいと思い、被告人関根にそのことを断るために車から降り、E宅の方へ歩いていき、E宅の手前10メートル位のところにさしかかった時、被告人関根とYが何か重そうなものを持って家を出てくるのが見えたので、小走りで2人のところへ行くと、重そうなものに毛布のような物がかかっていたので、手伝おうと思い、荷物の下の真ん中あたりに両手を入れ、支えるようにもったところ、人の尻と背中の感覚があり、「これは人間の身体だ、死体だ」と思った。
 そのままカリーナバンの荷台にそれを積み終えると、被告人関根は、被告人風間に対し、「おまえが運転しろ」と命令した。
 被告人風間は、混乱した精神状態の中でハッと我に返り、わけも判らず「ハイ」と返事をして運転席に乗車したところ、助手席にWがイスを半分くらい倒して寝ているような感じで座っており、何があったんだろうと思った直後、車の後部に乗った被告人関根かYだったかはわからないが、「出せ」と言ったので、小川県道の方に向かって発進したところ、Wが「気持ち悪いから医者に行ってくれ」と言い、被告人風間は「すぐ行くから待っててね」と言って小川県道を熊谷市内方向に向かって走らせ、荒川大橋の手前の所に来たところ、2人のどちらかが「曲がれ」と言い、荒川土手の方、つまり進行方向左側に曲がった。
 その時Wがまた「医者はまだですか」と言い、被告人風間は「ちょっと待ってね」と声をかけていると、2人のどちらかが「暗い道を走れ」と命令し、土手側の道を走行していると、後ろの2人が何か話しているような気配があったが、その直後、Wと被告人関根、Yがバタバタ動いているような音がしたので、土手の上の登り道に車を止めようとすると、被告人関根が「止めるな」と命令したので、直進したところ、被告人関根が「かかったか」と言い、Yが「うん」とか「ああ」とか言い、「せーの」のいう2人の声がしたとき、Wは全身を突っ張るように足をのばし、その足が助手席前のダッシュボードの上の方に上がり、その足でフロントガラスを強く押す状態になり、フロントガラスがクモの巣状にひび割れし、足がダッシュボードの上に落ちた。
 その時、Wの首にはロープのような物がかかっており、何がなんだか判らなかったが、死んだのではないかと思った。
 被告人風間は、(略)どこをどう走ったかわからなかったが、万吉犬舎近くの高速道路の下の道路のトンネルのところで停車したところ、被告人関根とYが下車し、荷台のドアを開けて車の中に入ってきてイスを倒し、Wの体を引っ張り、引きずって荷台に移し、被告人関根が助手席に乗り、Yが後ろに乗り、「車のところに戻れ」と命令され、E宅近くの駐車場に止めてあるクレフの所に戻った。
 (8) 被告人風間は恐ろしくて早くクレフに乗り換えようとしたところ、Yが「鍵」と言うので、仕方なしにクレフの鍵をYに渡した。
 Yは「俺が先に行くから後について来い」と言い、被告人風間はそのままカリーナバンを運転して、Yのあとについて小川県道、荒川の押切り橋、140号線のバイパスを寄居方面に走り、関越自動車道の花園インターから高遠道に入り、新潟方面に向かったので、片品町のY宅へ行くのだなと思った。
 途中被告人風間は、被告人関根に対し、「どうしてこうなっちゃったの」と聞いたところ、被告人関根は「Eが、俺とお前が別れるので金が入ると言ったら俺にもよこせ」とか「別れて江南の土地を取っちゃえ、佐谷田の土地もだ、その土地を俺によこせ」等と言い、どうしようもなかったと言った。
 被告人風間は「そんなこと断れば済む話じゃないの」と言ったが、被告人関根は「そんなんがすまねんだ」とどなった。」(一審弁論要旨)

最後にY氏によるE・W事件についての供述を判決文から引用する。


〔3〕
 (2) 自分がEを知ったのは平成5年2月ころであり、関根の運転手役で深谷のタカエンタープライズという会社の事務所に行ったときに初めて会った。Eは(暴力団I会○○○一家)T組の代行をしており、関根の話では10年ほど前からの付き合いで、スポンサーとか用心棒だとか言っており、関根もEに対しては相当気を遺っていた。そして事件が起きる一か月ほど前に、関根が万吉犬舎で「Eが博子の母親の財産まで日を付けてきた。あの野郎。」などと独り言を言っているのを聞いたことがある。関根はいつもぶつぶつ独り言を言う癖があった。
 (3) 事件当日(7月21日)は熊谷でうちわ祭りがあった日であり、(多分関根にその日も来るように言われていたと思うが)正午ころ万吉犬舎に自分のベンツで行った。そのとき犬舎にはハンドラーのTと審査員のNがいた。そして、関根がいつも使っていたトヨタセラの代車だというカリーナバンを関根の指示で運転して関根や風間らと買い物等に行ったりしたが、午後5時半ころ風間を乗せて万吉犬舎に行ったときに、そこにいた関根が「Eをやるか、若い衆も一緒にやる。」などと独り言のように言っているのを聞いたが、関根は誰々を殺すとかいう話を日ごろからしており、またEはプロレスラーのような体格をしていたし、T組の代行だったから、まさか関根がEを殺すつもりだなどとは全く考えなかった。そして、関根、風間と3人で食事に行ったりした後、午後9時半ころになって、関根から万吉まで行ってくれと言われたので、関根と風間を乗せてカリーナバンで万吉犬舎に行った。そのとき、風間は、白色のビニール製の手提げバッグを持っていた(初めて見るバッグだった。)。2人は犬舎の中に入って行ったが、何をしていたかは分からない。それから2人が再び車に乗り込んで来て、関根が「Eの家に行ってくれ。」と言うので、E方に向けて出発し、午後10時ころ着いたが、関根は、「待ってろ。」と言って風間と2人でE方に入って行った。そのとき、風間は白い手提げバッグを持って車を降りている。
 (4) それから20分か30分位して、Wが玄関から飛び出して来て県道の方に走って行き、その後1分位して風間が手ぶらで出て来た。風間は、代行(E)が急に具合が悪くなったので救急車を呼んでいるなどと言い、Eの家の中からは「代行、大丈夫ですか。今救急車を呼んだから。」などという関根の声がした。風間が出て来てから5分位して関根も出て来て、自分に車を持ってくるように指示してWの所に歩いて行ったので、カリーナバンを運転して関根らの所に行き、Wが助手席に乗り、関根と風間は後部座席に乗って出発したが、Wが「姐さんが籠原にいるからそちらに行こう。」と言うので、Wの指示どおりに走っていた。車は荒川の方に向かって走っていたが、走り出して7、8分経ったころWが突然「気持が悪い。病院に連れて行って下さい。」と言った。Wは靴を履いたまま両足を助手席のダッシュボードの上に投げ出していた。2、3分後にWが突然「うー。」とうなり声をあげて一瞬体を硬直させ、両足を強く突っ張ったため、左足と右足が付いていた場所を中心にフロントガラスの左下部の二か所にそれぞれ直径30センチメートルほどの蜘蛛の巣状のひびが入り、Wはそのまま動かなくなって死んでしまった。しかし、関根も風間もこの様子を見ても全く驚くような様子はなかった。自分としては、(関根らが)Wに毒を飲ませて殺したに違いないと思った。関根の指示でカリーナバンにWの死体を積んだまま3人でEの家に戻ったが、その途中で関根に「お前は共犯者だ、死体処理を手伝え。手伝わなかったらカメラマンの女も生かしやしねえ。」などと言って脅された。
「カメラマンの女」とは当時自分が付き合っていた△△子のことである。E方に入ると、Eが仰向けで大の宇になって倒れて死んでいた。3人でEの死体もカリーナバンの荷台に運び込んで一旦万吉犬舎に立ち寄り、関根が「博子の足があるから、お前が先頭を走って山に行け。」と言うので、自分が万吉犬舎に置かれていたクレフを運転して先導し、風間が二人の死体を積み込んだカリーナバンを運転し、関根がその助手席に乗り、片品村の自宅に向かった。
 (5) 翌日の午前2時ころ片品村の自宅に着くと、3人でEとWの死体を家の中に運び込み、まずEの死体を風呂場の中に入れて、関根と風間の2人で解体を始めた。自分は解体作業に携わっていない。2人は風間が帰るまでずっと風呂場で作業をしていた。そのとき風間は、派手な花柄のスパッツを着用し、派手なラメ入りのサンダルを履いており、演歌を鼻歌まじりに口ずさみながらEの死体を細かく切り刻んでおり、風間が「ちんちんは気持ちが悪いからあんたやってよ。」などと関根に言っていた。風間については普段は口数の少ないお嬢さんタイプの女性だと思っていたので、これを見て本当にびっくりした。風間は、午前5時ころになると、「これで帰るから。」と言って、出て行ったが、そのとき風呂場の出入口付近を見ると、肉片や内臓等が入っていると思われる黒いビニール袋が6個位置かれていた。関根は風間が帰った後も作業を続けており、2人の死体を完全に解体した。2人の骨、衣類、所持品等は自分が関根の指示でドラム缶の中で燃やして灰にしてしまった。その後関根に指示されて2人で右のビニール袋や灰を入れた餌袋を持って車で3回に分けて出かけ、これらの袋の中身を開けてあちこちの川に捨てた。 」(一審判決文)


前述したように、上記の〔1〕と〔2〕は、裁判官と弁護人がそれぞれE・W事件について風間さんが供述した内容を要約して説明しているのであるが、読んでみると解るように、2人の説明内容は相当に異なる。弁護人は、その夜10時過ぎに自宅から財布と免許証だけを持って一人で愛車のクレフに乗ってE宅に向かったという風間さんの供述をそのまま紹介している。またその日うちわ祭りから夜9時ごろ帰宅した風間さんが自宅を出るまで家のなかで何をして過ごしていたかを本人の供述に従って詳しく述べている。すなわち、風間さんと関根氏との離婚・別居が成立した後は、2年ほど前からの愛人であるMY氏から毎日朝晩の電話が掛かってくる習慣があり、この日も9時半過ぎに掛かってきた電話で話をしたこと、その後、うちわ祭りで友達の家のタコ焼き作りの手伝いに行っていた長男がタコ焼きをお土産に持って帰ってきたので、一緒に食べたこと、など。

裁判官は風間さんの供述の要約においてなぜ愛人からの電話や長男と一緒にタコ焼きを食べたことなどを無視したのだろう。 〔3〕 においてY氏は夜9時半ごろ関根氏と風間さんの2人を万吉犬舎でカリーナバンに乗せ、自分の運転で3人一緒にE宅に向かったと供述しているのだから、10時過ぎに自宅から一人でE宅に行ったという風間さんの供述が真実か嘘かを判断する上で、電話もタコ焼きも欠かせない証拠になるはずだ。風間さんと長男は双方がうちわ祭りの夜に一緒にタコ焼きを食べたと証言しているが、これは親子がしめしあわせて証言をしたということでは決してない。当時そういうことはまったく不可能な状況であった。逮捕後の風間さんは4年半もの間面会謝絶の措置をとられており、その間、弁護人を除いて家族をふくめた外部との接触は面会も手紙の受発信も読書も書き物も一切禁止されていたのだ。それにもかかわらず、一緒にタコ焼きを食べたという親子の供述は一致していたのである。

裁判官は上記の供述場面では長男の証言などなかったかのように無視しているが、判決文のこの項目の最後のほうで「一人でE宅に向かった」という風間さんの供述を虚偽だと断定した後(断定の理由は不明。多分Y氏の供述が自然で迫真的だということではないかと思われるが、証拠に基づく断定でないことは明白である。)、「もっとも、風間の長男である前記Fは、「母親(風間)は当日の午後10時過ぎころまで大原の自宅にいたと思う。」などと風間の弁解に沿うような供述もしているが(Fの公判供述参照)、その内容は甚だ曖昧なもので、これによっては前記判断が揺るぐことはないのである。(一審判決文) 」と述べている。

裁判官の要約においては、風間さんがその夜の自分の行動について時間を追って具体的に語っている供述から長男のこれもきわめて具体的な証言が排除されていること、また後ろのほうで付け足しのように記述されている長男の証言が「母親(風間)は当日の午後10時過ぎころまで大原の自宅にいたと思う。」と、「タコ焼き」という具体物、それを「一緒に食べた」という具体的行動が記されずに、「自宅にいたと思う。」という漠然とした曖昧な表現になっていることに留意されたし。何のことはない。長男の証言を「甚だ曖昧」にしているのは裁判官なのである。裁判官はこの証言を判決文から完全抹殺するのはあまりにも不自然で触れざるを得ないと考えたのではないだろうか。しかしその証言内容を「甚だ曖昧」として証言価値を否定した。うちわ祭りの夜にタコ焼きを持って帰った時に母親が自宅にいて、それを一緒に食べたことが事実なら、これほど確かな証言はないであろう。それは遠い獄中で母親がした供述とピタリ一致しているのだから、「甚だ曖昧」もないと思われる。

愛人MY氏から掛かってきた電話の件も上述のタコ焼きの場合と事情は同じだと思われる。裁判官は〔1〕の要約においてMY氏の電話についても一切言及していない。ここが弁護人の要約〔2〕と決定的に異なる点である。風間さんと関根氏の関係を「一心同体の間柄」として2人が共謀して連続殺人事件を引き起こしたと断定するためには、風間さんに心を通い合わせる男性が存在するのは不都合であろうと思われる。しかし、弁護人は風間さんとMY氏の逢い引き記録を作成して、離婚が成立し、別居生活が始まって以降、風間さんがMY氏と会う回数・時間が格段に増えた事実を立証している。連続殺人事件の直前もそのような状態であった。関根氏に暴力を振るわれつづけてきた長男が気掛かりでならなかった風間さんは長男もMY氏に引き合わせ、3人で遊ぶこともあったという。それから風間さんの妹さんの法廷での証言によると、自宅で風間さんが関根氏にはげしい暴力を振るわれている場面を目撃したこと、それはおそらく関根氏がMY氏の存在に気づいたからではないかとひそかに感じたことなどが述べられている。

風間さんがE宅に自宅から一人で行ったか、あるいはY氏が述べているように犬舎から3人で車に同乗して行ったかという、事件の真相究明に深く結びつくはずの肝心要の局面において、裁判官は電話を掛けてきたMY氏の存在を無視しているが、しかし、判決文の最初のほうの風間さんの生活状況を述べるくだりでは、「風間は愛人を作って奔放な生活をしていた。」と記している。こういう記述のやり方では、裁判所は愛人の存在にもちゃんと触れているという一種のアリバイをつくると同時に、風間さんが欲望のままに好き勝手に生きていたというイメージが先入観・偏見としてこれから判決文を読む者のなかに生じ、無意識のうちに犯罪と風間さんとを結びつけることへの抵抗が薄まる効果を上げているように思える。そしてこの事件の判決文にはこういう場面が無数に存在していると言わざるをえない。

というようなことを述べていると際限がないので、〔3〕のY供述の検討に入ろう。Y氏は前述したように、E宅には3人で行った、家のなかに入ったのは関根・風間の2人であり、自分は外で待っていた、やがて家のなかからWが飛びだしてきて、追いかけるように風間、関根が出てきた。自分がカリーナバンを運転し、気分が悪いというWを助手席に、関根・風間を後部座席に乗せて、病院に行きたいというWをなだめながら走っていると、やがてWは死んでしまった。もう一度E宅に引き返すとEも死んでいた、などと述べている。その後3人で遺体を乗せた車でY氏の家に行くわけだが、Y供述の

「二人は風間が帰るまでずっと風呂場で作業をしていた。そのとき風間は、派手な花柄のスパッツを着用し、派手なラメ入りのサンダルを履いており、演歌を鼻歌まじりに口ずさみながらEの死体を細かく切り刻んでおり、「ちんちんは気持悪いから、あんたやってよ。」などと関根に言っていた。風間については普段は口数の少ないお嬢さんタイプの女性だと思っていたので、これを見て本当にびっくりした。風間は、午前5時ころになると、「これで帰るから。」と言って、出て行ったが、そのとき風呂場の出入口付近を見ると、肉片や内臓等が入っていると思われる黒いビニール袋が6個位置かれていた。」

という箇所について、一・二審の裁判官はそれぞれ次のように述べている。

「Yの右のような供述内容自体を見ても、そこには何ら不自然な点は存在せず、むしろ極めて具体的で恐ろしいほどの迫真性に富んでおり、その場面を現に目撃した者でなければ到底語りえないような内容なのである。そのことからすれば、右Y供述の信用性が極めて高いものであることは明らかである。」(一審判決文)

「風間が「ちんちんは気持ちが悪いからあんたやってよ」などと言いながら解体していた旨のYの供述は,経験した者でなければ語れない内容であるし,関根の同様の供述によっても裏付けられている。E及びWの死体をY方に運ぶだけならば関根とYの2人で足りるのであるが,2人の死体を短時間で解体して投棄消滅させる必要があったために風間もY方に赴いたものと合理的に推認できる。また,風間は,学校に行く子供の世話などがあるため,朝早くには熊谷に戻っている必要があったのであり,そのため,カリーナバンのほか風間の専用車クレフに分乗してY方に向かったものとみられるのである。風間が関根と共に,Eの死体の解体を行ったことは疑いなく認められる。」(二審判決文)


ご覧のように2人の裁判官は揃ってY供述について、自ら体験し、目撃した者でなければ到底語りえない迫真の供述だと述べて、その信憑性を大絶賛のうちに保証している。そして風間さんの供述については次のように述べる。


「右供述は、E方に自分は遅れて行ったとの嘘を前提としたものであるばかりでなく、関根とYがEの死体をWが助手席に座っていたという車の後部座席に積み込んだとか、とにかく病院に行こうと思って夢中で病院などない道を運転走行していたなどとする点は作り事としか思えないし、関根とYがWを絞殺したとして述べている内容も、2人があたかもゲームでもしているかのような様子で首を絞めていたと言わんばかりの極めて不自然なものであって、前記Y供述と対比しておよそ真実味に欠けている。」 (一審判決文)

「関根とYがWを絞殺したと述べる内容も,あたかも両者がゲームでもしているかのような様子であったといわんばかりの不自然なものであって,およそ真実味に欠けるといわざるを得ない。」(二審判決文)


両裁判官が「あたかもゲームでもしているかのような様子で」とか「不自然」「真実味に欠ける」などと述べているのは、風間供述の「そのまま車を走らせていたところ、関根とYが「掛かったか。」などと言いながらWの首に紐のような物を掛けて、2人で何度も「せえの。」などと声を掛けながら引っ張り合っていた。」という部分であろう。しかし関根氏のパーソナリティを考えれば、風間さんの供述が「不自然」「真実味に欠ける」という裁判官の見解こそ不自然で真実味に欠けているのではないだろうか。現に、一審の裁判官は関根氏が法廷で「ボディを透明にする」という言葉を口にしたことがある、と判決文に記しているではないか。

一方、裁判官はY氏の「 風間は、派手な花柄のスパッツを着用し、派手なラメ入りのサンダルを履いており、演歌を鼻歌まじりに口ずさみながらEの死体を細かく切り刻んでおり、「ちんちんは気持悪いから、あんたやってよ。」などと関根に言っていた。 」という供述を「不自然な点はない」「具体的」「恐ろしいほどの迫真性」などと評している。だが、人を絞殺する際に「掛かったか」「せえの」などというのは何とも非人間的で不快に堪えないが、これは常日頃の言葉遣いが出たのだろうという推測はできる。だが、狭い家の狭い風呂場で2人もの男性の遺体を、それも3時間ほど前に自分たちが殺害した遺体を解体するのに派手な衣裳やサンダルを身につける意図や心理はまったく理解不能だ。その上遺体を刻みながらその格好で歌まで口ずさむというのでは、完全に頭がおかしくなった女性の行為としか思えない。これのどこが「不自然な点はない」なのだろう。

それにY氏はひどく詳細に浴室内の風間さんの様子を描いているが、弁護人がY宅の浴室を図面どおりにつくってY氏のいう位置から中の光景を見ることができるかどうか実験したところ、不可能だったという。このようなことも裁判所は黙殺している。

ちなみにY氏の供述中に「風間は、白色のビニール製の手提げバッグを持っていた(初めて見るバッグだった。)」、「そのとき、風間は白い手提げバッグを持って車を降りている。」と、「白いバッグ」という文句がちょっと思わせぶりに二度出てくる。このバッグに花柄のスパッツやラメ入りのサンダルが入っているということをY氏の供述調書は暗に述べているのだろうと思ってちょっと苦笑させられた。
(つづく)
2012.01.18 Wed l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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昨年の11月、「女性死刑囚」(鹿砦社)という本が出版され、「埼玉愛犬家連続殺人事件」で2009年に死刑が確定した風間博子さんも「女性死刑囚」の一人として取り上げられている。著者は深笛義也という人で、この本の〔著者紹介〕によると、氏はこれまで種々の事件について週刊新潮などの雑誌に取材記事を書いてこられた人だということである。男性死刑囚の総数は戦後750名を超えているが、女性の場合はこの本の執筆時点では13名(その後1名増え、2011年末時点では14名)だという。 この本は目次もふくめてA5版の全141頁で、そのなかに13名すべての女性死刑囚についての叙述がなされているので、紙幅の制約上、風間さんの事件について詳細な検証がなされているとは言い難いが、ただ著者はこの本の執筆のために埼玉愛犬家殺人事件の裁判記録を読み込み、その結果、風間さんについて無実の確信をもったと述べている。 該当部分は以下のとおりである。

「和歌山毒物カレー事件の林眞須美、埼玉愛犬家殺人事件の風間博子には、確たる証拠もなく死刑が言い渡されている。いわゆる状況証拠による判決。だが彼女たちを取り巻い ていた状況をつぶさに見ていくと、むしろ彼女たち二人が無実であることが雄弁に語られているのだ。理知的に物事を捉えられる者には、それが見えるだろう。裁判官も同様の はずだ。だが真実に従って無罪判決を下せば、指弾されるべき捜査の過程が白日の下にさらされてしまう。それを避けるために、無実の者を死刑台に送ろうというのだ。」 (「はじめに」p5)

「女性死刑囚人ーー。この5文字のかもしだす、不思議な語感に惹かれて、書き出した。和歌山毒物カレー事件の林眞須美と、埼玉愛犬家殺人事件の風間博子は無実。公判裁判をくり返し読み込んで、それは確信を持って言えることだが、この本は声高に冤罪を叫ぶものではない。死刑という制度の是非を問うものでもない。 (「おわりに」p139)

刊行されたばかりの本なので引用はできるだけ控えたほうがいいと思うのだが、あえて上の文章を引用させていただいたのは、新聞、雑誌、書籍などの紙媒体で風間博子さんに対して「無実」(この「無実」は死刑判決の根拠である「殺人の共謀・実行」に関してである。)という明快な指摘がなされたのは初めてではないかと思われたからである。実際、風間さんの判決文では一・二審ともにどれだけ膨大な数に上る人間の経験則に反し、現実に反し、そして証拠に反した摩訶不思議な事実認定がなされていることだろう。読みながらいたるところで驚きあきれ、 暗澹とし、時には怒りを抑えきれなくなったりするのである。このような不公正な判決が、それもあらゆる裁判のなかで最大限の慎重さ・丁寧さが要求されていることが疑えない死刑事案において下されているというのに、司法の世界ではほとんど問題にもされていないようなのだ。これは何としても許されないことである。深笛氏には今後もできれば引き続きの取材を期待したい。それから、風間さんは現在控訴審以来の弁護人とともに再審請求に向けて準備中とのことである。

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一昨日(13日)、Twitterで前衆議院議員・松島みどり氏(自民党)の次の文章を見た。

「小川敏夫法相は死刑廃止議員連盟のメンバー。民主党はマニュフェストに死刑廃止を掲げたわけでないのに、こういう人物ばかり法相につける。刑事訴訟法は「死刑確定から半年以内に執行する」と定めているのに、昨年は執行ゼロ。法相が法律を守らない国は法治国家と言えない。」( 2012/01/13(金) )

しかし、新法相の小川敏夫氏は13日の就任会見で死刑執行について「法相の職責であるということをしっかり認識しているので、その職責を果たす」と述べた。

「 小川新法相、死刑執行に前向き姿勢(産経新聞 1月13日(金)22時7分配信)
 小川敏夫法相は13日の就任会見で、死刑について「たいへんつらい職務ではあると思うが、職責をしっかりと果たしたい」と述べ、執行に前向きな姿勢を示した。
 ただ、麻原彰晃死刑囚(56)=本名・松本智津夫=らオウム真理教事件の死刑確定囚については、元幹部の平田信(まこと)容疑者(46)が逮捕されたことから「(確定囚から)証言を聞くこともあり得る。その点を考慮する必要はある」と述べ、死刑執行を当面保留する可能性を示唆した。
 執行が長期にわたって見送られ、確定囚が130人に及んでいることに関しては「執行されないまま確定囚がどんどん増えていくのは法律の趣旨に合っていない」との見解を示した。
 小川氏は裁判官、検事、弁護士の経験を持ち、副法相も務めていた。法務省内では「民主党政権の歴代法相の中では最も推進派」とみられている。」

「小川敏夫法相は死刑廃止議員連盟のメンバー」という松島みどり氏の弁がもし事実で、小川氏が法相の地位を死刑執行の口約束などにより手中にしたのだとしたら、まったくもって信ずるに足りない情けない政治家というしかない。これまでのところ最後の死刑執行の命令を出したことになる千葉景子氏の場合といい、これでは「死刑廃止議員連盟」の存在意義が問われるだろう。頑として執行命令の印を押さなかった杉浦正健氏といい、前任の平岡秀夫氏といい、この人たちは2人とも確か死刑廃止議員連盟には加入していなかったと思う。退任を余儀なくされた平岡氏には本当にお疲れ様でしたとお伝えしたい。昨年は予想もしない3.11の大地震、津波、原発の炉心溶融災害が起きた。2万人近くの人びとの命が一瞬にして失われた。大切な家族を失い、家を失い、仕事を失い、傷つき疲れはてた人が大勢いる。そういう年に無理矢理人命を奪うことである死刑執行がなされなかったことは本当によかったと思うのだが、おそらく平岡氏もそういうことを強く意識されていたのではないだろうか。平岡氏の今後のさらなる活躍を期待したい。

「 小川法相は15日、死刑制度のあり方を検討する法務省内の勉強会について、都内で記者団に「(死刑制度の)廃止や維持の意見は出尽くしている。議論を重ねても同じ意見の繰り返しではあまり意味はない」と述べ、廃止を含めて対応を検討する意向を示した。
 小川氏は「職責を果たすと腹を決めた以上、 (私は)死刑制度の反対論者ではない」と、死刑執行に適切に対処する考えを改めて示した。 」( 読売新聞 2012年1月15日22時41分 )
執行が長期にわたって見送られ、確定囚が130人に及んでいることに関しては「執行されないまま確定囚がどんどん増えていくのは法律の趣旨に合っていない」との見解を示した。

この記事を読んでの感想だが、小川法相は現在死刑執行にかなり積極的であり、そのために死刑に関する勉強会に消極的になって「廃止」を口にしているということはないだろうか。死刑についての意見が出尽くしていると小川氏が考えるのなら、出尽くしたそれらの意見のうちの何を、どのように制度に活かしていくかという課題や論点があるはずだ。それとも、今のままの制度でいい、完璧だということだろうか。最近、日弁連も正面から死刑廃止に動き始めたという話もあるようなのだが。

前回、産経新聞と読売新聞の死刑に対する報道姿勢を批判させてもらったが、松島みどり氏も産経や読売と同じ考え方のようである。いや、産経や読売は「刑事訴訟法は「死刑確定から半年以内に執行する」と定めているのに、昨年は執行ゼロ。」とは言っても、「法相が法律を守らない国は法治国家と言えない。」とまでは主張していないようなので(もしかすると別の場所で述べているかも知れないが。)、松島氏の意見のほうが苛烈かも知れない。

同じようなことの繰り返しになるが、やはり松島氏にも反論しないわけにはいかない。 刑事訴訟法が「死刑確定から半年以内に執行する」と定めていても、この「半年以内」という規定は、日本の司法界では「期日は一応定められている」という緩やかな受け止め方をされて来た。確定囚の再審請求の権利の他に、恩赦の特権もありえるのだから、それらは最大限に尊重されなければならない。人の生命を断つことは取り返しがつかないからである。もし、産経などのメディアや松島氏がいとも軽々と主張するごとくに確定後「半年以内」の死刑執行がなされていたら、 免田事件、 財田川事件、 島田事件、 松山事件の人びとは全員国家に殺されていた。この人たちは死刑確定後早い人でも再審開始決定までに10数年を要しているのだ。また、現在死刑囚として獄中にいる人のなかで冤罪が疑われしてきている人は片手では数えきれないようである。また、特に痛ましいのは、数年前にも無実の身で死刑執行されたのではないかと指摘されている人がいることである。

「 死刑執行・判決推移 」によると、2011年の「新死刑確定数」は24名で、これは年号が平成に移行後の年間死刑確定者数として最多だそうである。この統計表の「新死刑確定数」欄のここ10年間(2002~2011年)の総計は134名である。年平均13.4名。その前の10年間ーつまりほぼ90年代いっぱいということだが、合計で46人。80年代が32人、70年代は39人。30年間の合計数は117人である。年平均3.9人。何とこの10年間に死刑が確定した人の数は、それ以前の30年間(70~90年代)の合計数より17人も多く、いきなり3.5倍に増えている。それもそのはず、70年代に入ってから司法は死刑判決に対して明らかに抑制的になっていて、71年からの30年間死刑確定数が二桁に達した年は一度もなかったのに、この10年では7回もある。異常としか言えないのだが、この理由は何だろうか?

ここで日本の殺人事件の増減に関する統計表を引用させていただく。

 「  日本殺人認知件数
  S25(1950年)2,892
  S30      3,066
  S35      2,844
  S40(1965年)2,379
  S45      1.989
  S50      2,024
  S55(1980年)1.684
  S60      1,780
  H01(1989年)1,308
  H05      1,233
  H10(1998年)1,388
  H15      1,452
  H18      1.309
  H19      1.199
  H20(2008年)1.297
  H21      1.094
  H22(2010年)1.067 ←戦後最低

 ソース 日本の犯罪統計 http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/2010/anzen/hanzai-zenkoku.html 」


お分かりのように、日本の殺人件数は年々減少をつづけている。普通なら死刑判決も減少してよいはずだ。それにもかかわらずのこの急増である。この記事の最初に引用した産経の記事には「執行が長期にわたって見送られ、確定囚が130人に及んでいることに関しては(注:新法相の小川氏は)「執行されないまま確定囚がどんどん増えていくのは法律の趣旨に合っていない」との見解を示した。 」との記述があるが、現在「確定囚が130人 に及んでいる」原因は、「執行が長期にわたって見送られ 」ているからではない。この10年間の年間確定囚の数が過去30年の記録の3.5倍に急増したからである。この間、従来どおりの確定数で推移していたならば、現在の確定死刑囚総数は40人弱だったはずだ。産経も新法相も裁判や裁判官の問題点からおそらくは故意に目を瞑り、これまでの法相の責任に転嫁している。

さて死刑判決急増の理由だが、これはおそらく99年以降の有事法制の成立や新自由主義政策などと結びついた支配方法の一つなのだろう。社会の状態が悪化しきびしくなればなるほど、過酷に取り扱っても誰も文句を言わない立場の者をより過酷に無慈悲に締め上げることは、特に下層の一般大衆を支配するために有効と考えているのではないだろうか。脅しにもなれば、差別化をはかって優越感をあたえることにもなる、古くからの管理・支配手法の一つだ。

死刑確定後6か月以内の執行の義務、とか、法相が法律を守らない国は法治国家と言えない、などと言ってひたすら死刑執行を煽動するメディアや政治家には、上述の冤罪の問題やおそろしい勢いで増えつづける死刑判決についてどう考えるのか、これらがまともな法治国家に相応しい公正なことなのかどうか、教えてほしいものである。

なお、捜査当局の犯罪検挙率が年々下がっているそうだが、これは素人目にも頷けることである。風間さんの捜査のやり方をみると、警察・検察は真相解明よりも、とにかく自分たちが描いたストーリーどおりに被疑者・被告人を動かし、裁判官の力も借りて早く事件にけりをつけて終了したい一心のように思えた。これでは捜査能力は衰退の一途を辿るしかないだろう。裁判官の能力と倫理感も懸念される。
2012.01.15 Sun l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (3) トラックバック (0) l top
新年初の更新です。今ごろご挨拶というのもひどく間が抜けていますが、一言、皆さん本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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明日13日に野田政権の内閣改造が行なわれるとのことだが、交代がとり沙汰されているのは昨年の臨時国会で問責決議が可決された山岡消費者担当相、一川保夫防衛相だけではなく、平岡秀夫法相もその一人だという。「死刑執行を拒んでいる平岡氏は野党から批判されているし……」(日刊ゲンダイ)。もし平岡氏が死刑執行の命令をしなかったがために更迭されるという噂が事実だとしたら、これはとんでもないことであり、強く反対し、抗議する。野党が就任以来死刑を執行していない平岡氏を批判しているというが、その「野党」とは具体的にどの政党の、誰々なのだろう。

日本の政治家たちは、これまでにどれだけの数の冤罪事件が明らかになったことか、今も冤罪が強く疑われる事件が次から次へと浮かび上がっているかなどについて、特に自民党の政治家はどの程度深く理解・自覚しているのだろうか。これらはすべて自民党政権(もしくは自民党と他党との連立政権)の法相下で発生したことである。とりわけ、2008年に当時から冤罪の疑い濃厚と一部で言われていた久間三千年さんが自民党森法相の命令で死刑執行されたことは取り返しのつかない司法殺人、国家犯罪である。これがどれだけ重大な出来事であるか、自覚をもっている政治家がはたして何人いるだろう。この場合、「いや、冤罪でない可能性もあるのだから、この時点で国家犯罪、司法殺人などと言い切るのは間違いだ」という反論は成立しない。人間が神でも天使でもない以上、冤罪が疑われる人物を処刑することはそれ自体明確な国家犯罪であるというしかないはずだ。 久間三千年さんの死刑執行に対していったいその後司法関係者のうち誰か一人でも何らかの責任をとったのだろうか。また、もし冤罪で処刑したのだとしたら大変なことだというので、その後改めて事件の洗い直しをやった法務関係者はいるのだろうか? おそらくそんな動きをした人は久間三千年さんの支援の人たちを除いていなかったのではないかと私は推測するのだが、実際はどうだったのだろう。

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上記のごとき疑問をおぼえる相手は決して歴代の法相や司法関係者にかぎらない。マスコミも同様で、とりわけ産経新聞と読売新聞に対して私ははなはだ強い疑問と不信を感じずにいられない。この両紙は今に始まったことではなくもうずいぶん前からそうなのだが、少しでも死刑執行が滞るとあの手この手で盛んに執行を煽る。私はこの両紙を「死刑大好き新聞」「死刑執行煽動メディア」などと胸の裡で呼んでいるのだが、そのくらい産経と読売はメディアのなかで死刑執行への執着が際立って見える。主な手口は、まず「死刑が執行されないといつまでも事件に区切りがつかない」などの理由で死刑執行を望む被害者遺族の声を紙面に登場させることだ。その記事の調子には被害者遺族の声をメディアが冷静な立場から一つの意見として読者に届けるというより、むしろ自分たちの主張を被害者遺族に代弁させたいというような意思が感じられる。最近は特に声高に死刑執行を主張する遺族の登場が目立つようである。紙面からは、産経や読売の記者の意識は被害者や被害者遺族と一体化しているのかと疑いたくなるような「処罰欲」が立ち上がるようであ る。

そしてもう一つ、この件に関する産経や読売の決まりきった態度・対応は、刑事訴訟法が定めている「法相による死刑執行の命令は判決確定の日から6か月以内にしなければならない」という条文を何とかの一つ覚えのように飽きもせず繰り返すことである。以下に両紙の主張を引用しておこう。

 増え続ける死刑囚 「執行なければ、事件は終わらな い」と遺族
 民主党政権になって法相は次々と交代した。法相個人の意思で執行が止まっている現状に犯罪被害者や遺族からは、刑事訴訟法の改正を求める声も出始めた。

■平岡氏の真意不明
 今月19日、法務省内で開かれた「死刑の在り方についての勉強会」。死刑廃止国のイギリス、フランスの専門家が、廃止の経緯や現状などの説明を行い、平岡氏らが熱心に聞 き入った。
 死刑執行がストップしている間、法務省内で続けられてきたのが、この勉強会だ。昨年8月、当時の千葉景子法相が「国民的議論の契機としたい」と設置し、計10回開かれたが、進展はない。法曹関係者からは「勉強会は執行しないための時間稼ぎにすぎないのでは」との声も上がる。
 平岡氏は27日の閣議後会見で、「勉強会が何らかの結論を出す性格のものではない以上、個々の問題をしっかり考えていかなければならない」と述べ、勉強会を開く間も執行に含みを残したが、真意は不明だ。

■「どちらが残酷か」
 法相の姿勢に、いらだちを隠せないのが遺族だ。
「死刑が執行されない限り事件は終わらない」と語るのは、平成11年の池袋通り魔事件で長女を殺害された宮園誠也さん(77)。加害者は19年に死刑が確定したが、現在も執行されていない。(略)
 全国犯罪被害者の会(あすの会)顧問の岡村勲弁護士は「法相は法を守るべき国の最高責任者であり、法を守らないことは許されない。これ以上、執行しない状態が続くならば、法相から死刑執行命令権を取り上げ、検事総長に移す方向で、刑事訴訟法を改正すべきだ」と指摘している。( 2011.12.27 産経新聞 )

 死刑執行、19年ぶりゼロ…未執行最多129人
 死刑執行が今年は1度も行われないことが28日、確定した。
 執行ゼロの年は1992年以来、19年ぶり。法務省は、後藤田正晴氏が法相だった93年に約3年4か月ぶりに執行を再開して以来、年に1度以上の執行を継続してきたが、民主党政権下で執行に慎重な法相の就任が相次いだことなどにより、その運用が途絶えた。
 刑事収容施設法は、12月29日~1月3日は死刑を執行できないと定めており、28日も執行の動きがないことで、年内の執行はできなくなった。27日現在、未執行の確定死刑囚は戦後最多の129人で、昨年末の111人より18人増えた。
 刑事訴訟法は「法相による死刑執行の命令は判決確定の日から6か月以内にしなければならない」と定めているが、実際には執行の時期や対象者は法相の判断に委ねられている。(2011年12月28日読売)

 法相、死刑執行ゼロ説明避ける…遺族は憤りの声
 19年ぶりの「死刑執行ゼロ」が確定した28日、平岡法相は記者会見で、年内に執行しなかった理由について明言を避けた。
 法務省の勉強会で議論が続く中、裁判員裁判では今年も死刑判決が相次ぎ、確定死刑囚の数は戦後最多の129人 にまで膨らんだ。被害者遺族からは「執行を進めないのは責任放棄だ」と憤りの声が上がっている。
 「私から申し上げるわけにはいかない」。平岡法相は28日午前の記者会見で、年内の執行を命じなかった理由を繰り返し問われたが、「様々な要因がある」などと、具体的な説明を避けた。
 省内では平岡法相について「死刑廃止論者ではなく、執行に踏み切る可能性はある」との見方がある。それでも年内の執行に踏み切らなかった理由に挙げられるのは、死刑制度の存廃を巡る省内の勉強会の存在だ。(2011年12月29日 読売新聞)

上述したように産経新聞と読売新聞の死刑執行への煽りは今に始まったことではない。そこでぜひ両紙に訊きたいのだが、たとえば2008年の久間三千年さんは無実の身で処刑された可能性が濃厚と言われているが、読売と産経の記者たちはこの処刑に対して自分たちの法相に対する常日頃の執行煽動はどのような意味と関わりを持っていると考えている
だろうか? 法の世界では紀元前から「10人の真犯人を逃そうとも、一人の冤罪者を出すべからず」という教訓があるけれども、産経・読売の人々は死刑に関する報道記事や論説を読むかぎり、そんな問題より死刑執行を粛々と行うことのほうが大事という価値観を持っているようにみえるのである。もし、「いや、そんなことはない」と言うのならば、ぜひ上述した久間さんの死刑執行についての思いや考えを教えてほしいものだ。あのようなことが起きた以上、死刑を煽動した者のほうがそうはしなかった者より責任も課題も大きかったはずである。司法の現状について、また個々の裁判についても私たちのような一般大衆よりマスコミの人々は詳しいはずである。ここ10年余りなぜか急速に増えつづける死刑判決、冤罪が疑われている多くの刑事裁判。印象では読売および産経系のメディアは死刑執行に対して他メディアよりはるかに熱意があり、逆に冤罪や、たとえ過去に残忍な殺人を犯した者であってもまだまだ生きられる、現に生きている生き物である人間を殺害するという死刑の問題点など、基本的人権に関わる問題には他メディアよりはるかに無関心のように見えるのだが、どうだろうか?

被害者遺族の思いにしても産経・読売の主張より実際はもっと多様で複雑なのではないだろうか。あるドキュメンタリーTV番組で、少年にバスのなかで親族を殺害された男性が「マスコミは我々被害者遺族を食い物にしている。」と憔悴しきった表情で 呟く姿を見たこともある。サリン事件の河野さんのような人も存在する。それから加害者への感情を死刑の要求という形で表現しないとマスコミは満足せず、死刑を口にしないことがあたかも死んだ者への愛情の欠如であるかのように受けとめられてひどく心を傷つけられたという被害者遺族の話を聞いたこともある。産経や読売は、遺族が加害者を死刑にして欲しいという言い方さえすればそれで満足なのだろうか。

しかし、仮に肉親を殺された遺族のすべてが加害者を死刑にしてほしいと望んだとしても、それが叶えられるのは、これほど死刑が乱発されている現在であっても、せいぜい十分の一程度の遺族のみである。「死刑、死刑」と騒ぐ産経・読売は死刑の願いが叶わなかった遺族に対してはどんな思いを持つのだろうか? それから世田谷一家殺人事件のように稀にみる残忍な殺人事件でも犯人が捕まらない場合がある。誰に、どのような理由で殺されたのか、何も分からない。遺族にとってこれほど苦しいことはないだろうと思う。このような事情と、確定した死刑判決が執行されることとどんな関わりがあるのかと言われればちょっと言葉に窮するけれども、マスコミのような第三者はこのような場合もふくめた視野で考える必要もあるのではないか。まるで死刑が執行されないと法相が責任を果たさないかのように思い詰めるのは止めてほしいものだ。平岡氏はおそらく頻発する冤罪の問題もふくめた広い視野で死刑を考えているのではないかと思う。そうでなければ、これほど死刑執行圧力の強いなかで踏みとどまることは難しかっただろう。

死刑を執行しない法相=法を守らない法相と決めつけ、だからその法相を辞めさせるべきという産経や読売の主張は事の重大性に比して思考があまりにも単純であり短絡的だと思う。死刑執行について法相はどこまでも慎重であるべき、深く考えるべきと私は思うが、見ておくべきことは他にもあると思う。死刑が停止あるいは廃止された国のプロセスをみると、ほとんどの国は死刑判決が減少し、また死刑執行が滞るなかでそれがやがて停止や廃止に至っている。現状の韓国もそうである。では長期間執行を命じなかった各国の死刑執行責任者はすべて法の違反者として責めらるべきであり、実際に責められたのだろうか。そんなことはないだろうと思う。平岡法相の更迭に強く反対する。
2012.01.12 Thu l 社会・政治一般 l コメント (1) トラックバック (0) l top
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