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1週間ほど前のことになるが、橋下徹氏が口にしたと言われる発言の正確なところを確かめようとしてネット検索をしていたところ、北村隆司という人の次の記事に行き当たった。

 「反「ハシズム」学者が橋下市長に勝てない理由―私の分析」

このなかに、非常に驚かされたことに、橋下徹大阪市長をインドのマハトマ・ガンジーになぞらえて論じている箇所があった。執筆者の北村氏によると、「理念と原点が確りしてい」る橋下氏の戦略は、ガンジーの「塩の行進」に似たものがあるというのである。その文章を以下に引用させていただく。

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「 橋下さんは、自分の理念と原点(オリジナルインテント)が確りしていますから 、何処から攻められてもぶれません。又、間違ったと思えば直ぐ訂正し、知らない事は素直に知らないと認めるのも、いさぎよいのではなく、そうしないと原点が崩れるからです。

彼の戦略は、ガンジーの「塩の行進」戦略に似たものがあり、反ハシズム学者とはスケールが違います。

インドの独立運動の重要な転換点となった塩の行進は、英国植民地支配を支える収入源だった塩の専売制度に運動の焦点を絞った、ガンジーの天才的な戦略ですが、橋下市長の「新しい統治機構」を目標にした「都構想」戦略と通ずる物があります。

塩の専売制度は、誰でも海岸地域で作れるにもかかわらず、一般人が塩を作る事を禁じ、違反者には刑事罰を課し、労働者が金を払って塩を買う事を強制した制度で、日本の霞ヶ関と良く似た統治機構でした。

ガンジーが塩の専売制度に抵抗の焦点を絞った事は、地域、階層、宗教、人種的な境界を越えた共感を呼び、インド人大衆を広く動かすのに十分な力を発揮しま した。

「都構想」は、これまでの個別政策中心の「対症療法」から、諸悪の根源である 「官僚制度」と「中央集権」を追放する「根本療法」への戦略転換の象徴で、英国の統治機構を追放する事を目的とした「塩の行進」の役割りを果たすものです 。

ガンジーの基本的な考え方の一つであるサッテイヤーグラハとは、サッティヤ(真実)とアーグラハ(説得)とを統合したものですが、これも、橋下市長の基本型で、朝から生テレビの論争で圧勝を呼んだ秘密兵器です。国民は、現場の「真実」なしの理屈だけの「説得」には騙されなくなったのです。 橋下市長の見逃せないもう一つの才能に、「特定の立ち場に立って、そのあるべき姿を代弁する」アドヴォカシー能力があります。この能力は「課題」を中心に「問題点」を分析し「適正手段」を選択する、客観的な論議には欠かせない能力です。

内田樹教授はその著書で「アメリカの初期設定のように、理念に基付いて建国されていない日本には、立ち帰る原点がない」と指摘し、国政に於ける原点の重要さを強調されましたが、橋下市長の強みの源泉として、個々の政策の良し悪しではなく、原点を持った稀な政治家である事も見逃せません。

視聴者の圧倒的多数が、橋下市長との論争で山口、香山、薬師院各教授が完敗したと判定した理由は、弁論技術の巧拙ではなく、理念の有無と現場把握力の差です。」

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このような発想がなされ、このような文章が書かれうるとは私は思っていなかった。「ガンジーの基本的な考え方の一つであるサッテイヤーグラハとは、サッティヤ(真実)とアーグラハ(説得)とを統合したものですが、これも、橋下市長の基本型で、朝から生テレビの論争で圧勝を呼んだ秘密兵器です。」などと、執筆者は本気で考えているのだろうか? ガンジーと、「朝から生テレビ」(「朝まで生テレビ」の誤りだと思うが)や橋下徹氏とを並べて論じているが、最初のほうを少しばかり観たあのテレビ番組の内容を思い出すと、双方の気の遠くなるような隔たりにいまさらのように気づかされる。「 彼(注;橋下大阪市長)の戦略は、ガンジーの「塩の行進」戦略に似たものがあり 」って、「似たものがあ」るなどとこの文章の書き手がもし本当にそう思って記述したのなら、そんなことを思っているのは世界広しと言えどもこの人だけだろう。現在橋下氏を熱烈に支持している人々のなかにはあるいはそうだ、そうだ、と唱和する人がいるかも知れないが、けれども本心からそんなことを思う人間はまずいないだろう。なぜなら誰もが知るようにガンジーの「塩の行進」の目的は自分たちの国インドを長い強固なイギリスによる植民地支配から解放し、独立をかち取るためであった。ガンジーの人生も人格も政治的活動もそのすべては過酷な植民地支配からの国の独立、人々の解放に捧げられたものであり、ガンジーという人が私たちの内に敬愛の念を呼び覚ましたり、その言葉、行動が崇高さを感じさせずにおかない理由の第一はそのためであろう。

一方、橋下氏はどうか。自国が長い間植民地にして言葉や名前を奪い、人々を村ごと焼き払う、教会ごと焼き払うなど残虐のかぎりを尽くした朝鮮に対して謝罪の気持ちなどは一片もなく、朝鮮学校の補助金問題への対応や北朝鮮に対する「ナチス」「暴力団」などという罵倒を見れば分かるように、侮辱のかぎりをつくしている。世界のあちこちでナチスに比されているのは過去の日本であって北朝鮮ではありえないことを知らないのだろうか。ひょっとしたらこの人は潜在的に自分に対していだいている評価を、どんなことを言っても大事には至らないのだから言いたい放題口にしてもかまわないと思っている(らしい)北朝鮮に向けているのではないかという気がする。たまにツイッターの文句をみることがあるが、そう言いたくなるほどにその発言内容は異様である。

このように植民地支配に対して強者が弱者を支配して何が悪い、くらいにしか考えていないことが明白な酷薄かつ薄っぺらいお調子者にすぎない人物を、北村氏は植民地支配に対して持続的で賢明な戦いを挑みつづけた20世紀の偉人の一人であることは間違いないであろうガンジーに並び比べているのだ。本当に恥ずかしいことである。ガンジーが、①1939年インドを訪問した賀川豊彦に向かって、②また1942年には公開状「すべての日本人に」において、言葉の端々に対象への行き届いた配慮をにじませながらも、日本の行動について、対日感情について何と言ったか、 「世界の名著 ガンジー ネルー」訳・蠟山芳郎(中央公論社1967年)から以下に引用しておきたい。

 ① 「あなたがた日本人は、すばらしいことをなしとげたし、また日本人から、私たちは多くのことを学ばなくてはなりません。ところが、今日のように中国を併呑したり、そのほかぞっとするような恐ろしいことをやっていることを、どのように理解したらよいのでしょうか。」

 ②-1 「まず初めに言わせてもらえば、わたしはあなたがたにいささかの悪意も持っていません。けれどもわたしは、あなたがたが中国に加えている攻撃を非常にきらっています。あなたがたは、崇高な高見から帝国主義的野心にまで降りてきてしまいました。あなたがたは、野心の達成には失敗してアジア解体の張本人となり、知らず知らずのうちに世界連邦と、同胞関係をさまたげることになりましょう。同胞関係なしの人間は、いっさいの希望をもてなくなってしまうのです。」

 ②-2 「こうした楽しい回想(引用者注:日本山妙法寺の僧侶たちとの共同生活や交流を通じての日本人への高い評価)を背景にもっていたので、あなたがたが、わたしには理由のないものに思われる攻撃を中国に加えたこと、そして報道が正確だとすれば、あの偉大な、そして古くからの国を無慈悲に荒らしてしまったことを思いだすたびに、わたしは非常に悲しく思います。」

 ②-3 「さらに私たちは、あなたがたやナチズムに劣らず私たちがきらっている帝国主義国に反抗しなくてはならないという、特殊な立場にあります。帝国主義に対する私たちの反抗は、イギリスの人々に危害を加えると言う意味ではないのです。私たちは彼らを改心させようとしています。イギリスの支配に対する非武装の反乱です。今、この国の有力な政党(会議派のこと)が、外国人の支配者と決定的な、しかし友好的な闘いを交えています。しかし、このことで、外国からの援助を必要としてはいません。あなたがたのインド攻撃がさし迫っているという特定の瞬間をねらって私たちが連合国を困らせているのだというように、あなたがたは聞かされているということですが、それはたいへんまちがった情報です。もしも私たちが、イギリスの苦境を乗ずべき好機にしようと欲しているのならば、3年前、この大戦が始まったときに、すでに私たちは行動していたはずです。イギリス勢力の撤退を要求する運動を、けっして誤解してはいけません。事実、報道されるように、あなたがたがインドの独立を熱望しているならば、イギリスによってインドの独立が承認されることは、あなたがたにインドを攻撃させるいかなる口実もいっさいなくしてしまうはずです。さらに、あなたがたの言うことは、中国に対する無慈悲な侵略と一致していません。
 わたしは要請したい。もしも、インドから積極的な歓迎を受けるだろうと信じようものなら、あなたがたはひどい幻滅を感ずるという事実について、けっしてまちがえないようにしてください。イギリス勢力の撤退を要求する運動の目標とねらいは、インドを自由にして、イギリス帝国主義であろうと、ドイツのナチズムであろうと、あるいはあなたがたの型のものであろうと、すべての軍国主義的、帝国主義的野心に反抗する準備をインドに整えさせるためです。
 もし私たちがそういう行為に出なければ、私たちは世界の軍国主義化をただ傍観している見下げた奴に堕落してしまうのでしょうし、また、非暴力こそ軍国主義的精神と野心とに対するただ一つの解毒剤であろうとする、私たちの信念を無視することになってしまうでしょう。」

上記のようなガンジーの公開状の文面について、訳者の蠟山芳郎氏は、「ガンジーは、インドが独立を獲得するのに他国の援助を欲していないこと、世界大戦を利用する考えをもたないこと、この際イギリスをインドから撤退させることこそ、インドが大戦争の渦中にまきこまれない保証であること、などを慎重に考えたうえで非服従運動を起こしたことをていねいに説明しているのだが、神経の荒っぽい日本政府ならびに軍当局からは、なんら関心をひきだせなかった。」と書いている。


以上見てきたように、北村氏が橋下大阪市長をガンジーに並べて持ち上げようとしている行為は単に恥を知らない人物の行為というしかないように思う。北村氏は、おそらく橋下氏をナチズムに譬えた「「反「ハシズム」学者」に対抗してガンジーを持ち出したのだろうが、これはあまりに歴史を、また読者をなめた行為であって、一片の説得性も持っていないことは明白だろう。

ところが、このような一種詐欺まがいのことをやっているのは北村氏だけではないのだ。同じくインドのジャワーハルラール・ネルーの発言に対しても日本のあるタイプの人々は、自分の主張に都合のいい部分のみを選んで引用し、ネルーの発言の趣旨とはまったく異なる意味内容にしてしまっている。以前同様のことを「新しい教科書をつくる会」も行なったと聞いたことがあるが、次の『日本に学べ』という記事もそうである。(強調のための下線はすべて引用者による)

「 「日本が勝ちました。大国の仲間入りをしました。アジアの国、日本の勝利は、全てのアジア諸国に計り知れない影響を与えたのです。少年の私がこれにいかに興奮したか、以前、あなたに話したことがありますね。この興奮はアジアの老若男女全てが分かち合いました。欧州の大国が負けました。アジアは欧州に勝ったのです。アジアのナショナリズムが東の国々に広がり、『アジア人のためのアジア』の叫び声が聞こえました」(筆者訳)。
  インドのネルー首相は、少年の頃、日露戦争での日本の勝利を知った。インドがまだ英国からの独立運動を行っていた頃のことだ。冒頭の一節は、ネルーが後年に書いた「娘に語る世界史」の一節である。娘とは、のちにネルー首相の後を継いでインドの首相になったインディラ・ガンジー首相だ。上野かいわいの日本の小学生たちは、戦後に上野動物園から象や猛獣がいなくなっていたことを嘆き、象を送ってくれるようにネルー首相に手紙を書いた。ネルー首相の贈り物は、まな娘の名をとったインド象「インディラ」であった。」

私の40有余年の外交官生活で得た感想は、日本ほど世界中で尊敬され、好かれている国は少ないということだ。(略)」


上の文章中、下線を引いた部分は、原文においてはおそらく下記の文章の下線部分と同一箇所ではないかと思う。執筆者は文中で明らかな嘘をついているわけではない。しかし、この部分だけを引用してすましていることは作者および読者に対して完全に不誠実であろう。この文章のすぐ後には、「ところが、その直後の成果は、少数の侵略的帝国主義諸国のグループに、もう一国をつけくわえたというにすぎなかった。」という真に重大な言葉がつづいているのだから、これを抜かしての引用ではネルーの意図したところが読者には全然伝わらない。それどころか、読者はネルーの意図とは逆の内容を教えられることになる。以下に「みすず書房」の大山聰氏の訳文をもう少し長く引用しておく。未読の方はぜひ読み比べていただきたく思う。


「 父が子に語る世界歴史 4(ジャワーハルラール・ネルー著・大山聰訳)(みすず書房1959年初出)
 117 日本の勝利 1932年12月30日
 日露戦争は、1905年の9月のポーツマス条約でおわった。ポーツマスは、アメリカ合衆国にある。アメリカ大統領が両当事国をそこに招いて、講和条約が締結されたのだった。この条約によって、日本はとうとう旅順港と遼東半島をとりかえした。日本が中国との戦争後に、これらを放棄しなければならなかったことは、おぼえていることと思う。日本はまた、ロシアが満州に建設した鉄道の大部分と、日本の北方によこたわるサハリン(樺太)の半分をとった。さらにロシアは、朝鮮にたいするいっさいの権利を失った。
 かくて日本は勝ち、大国の列にくわわる望みをとげた。アジアの一国である日本の勝利は、アジアのすべての国ぐにに大きな影響をあたえた。わたしは少年時代、どんなにそれに感激したかを、おまえによく話したことがあったものだ。たくさんのアジアの少年、少女、そしておとなが、おなじ感激を経験した。ヨーロッパの一大強国はやぶれた。だとすればアジアは、そのむかし、しばしばそういうことがあったように、いまでもヨーロッパを打ち破ることもできるはずだ。ナショナリズムはいっそう急速に東方諸国にひろがり、「アジア人のアジア」の叫びが起こった。しかしこのナショナリズムぱたんなる復古でも、旧い習慣や、信仰への固執でもない。日本の勝利は、西洋の新産業方式の採用のおかげだとされている。この、いわゆる西洋の観念と方法は、このようにして、いっそう全東洋の関心をあつめることになった。

 118 中華民国 1932年12月30日
 日本のロシアにたいする勝利がどれほどアジアの諸国民をよろこばせ、こおどりさせたかを、われわれはみた。ところが、その直後の成果は、少数の侵略的帝国主義諸国のグループに、もう一国をつけくわえたというにすぎなかった。そのにがい結果を、まず最初になめたのは、朝鮮であった。日本の勃興は、朝鮮の没落を意味した。日本は開国の当初から、自己の勢力範囲として、すでに朝鮮と、満州の一部に目をつけていた。もちろん、日本はくりかえして中国の領土保全と、朝鮮の独立の尊重を宣言した。帝国主義国というものは、相手の持ちものをはぎとりながら、平気で善意の保証をしたり、人殺しをしながら生命の尊厳を公言したりするやり方の常習者なのだ。だから日本も、朝鮮にたいして干渉しないと、ものものしく宣言した口の下から、むかしながらの朝鮮領有の政策をおしすすめた。対中国戦争も、対ロシア戦争も、朝鮮と満州を焦点とする戦争だった。日本は一歩一歩地歩を占め、中国が排除され、ロシアが敗北したいまでは、あたかも無人の野を行く観があった。
 日本は帝国としての政策を遂行するにあたって、まったく恥を知らなかった。ヴェールでつつんでごまかすこともせずに、おおっぴらに漁りまわった。1894年、日清戦争の開始直前に、日本人は朝鮮の首都ソウルの王宮に腕ずくで押しいって、日本の要求を聞き入れなかった女王〔閔妃〕を廃して、幽閉した。日露戦争後、1905年に朝鮮国王は、むりやり朝鮮独立の放棄をみとめさせられ、日本の宗主権を受けいれた。しかしこれでもたりず、5年もたたないうちに、この不幸な国王は廃され、朝鮮は日本帝国に併合された。これは1910年のことだった。3千年以上にわたる長い歴史をもつ独立国としての朝鮮はほろびた。廃位された国王は、5百年まえにモンゴル人を駆逐した王朝〔李氏朝鮮〕に属していた。しかし朝鮮は、その長兄と仰いだ中国とおなじく、罰金を支払わなければならなかった。
 朝鮮――この国は、古い名称で呼ばれることになった。朝の爽やかさという意味だ。日本はいくらかの近代的改革をもちこんだが、容赦なく朝鮮人民の精神をじゅうりんした。長いあいだ独立のための抗争はつづけられ、それは、いくたびも爆発をみた。なかでも重要なのは、1919年の蜂起であった。朝鮮人民――とくに青年男女――は、優勢な敵に抗して勇敢にたたかった。自由獲得のためにたたかう、ある朝鮮人団体が正式に独立を宣言し、日本人に反抗したばあいなどは、かれらはただちに警察に密告され、その行動を逐一通報されてしまった! かれらはこうして、かれらの理想に殉じたのだ。日本人による朝鮮人の抑圧は、歴史のなかでもまことにいたましい、暗黒の一章だ。朝鮮では、多くは大学を出たばかりの、若い少女が、闘争の重要な役割を果たしていると聞いたら、おまえもきっとこころをひかれるだろうと思う。 」
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2012.05.18 Fri l 橋下徹 l コメント (2) トラックバック (0) l top
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