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「ゴシップ」という言葉は最近あまり聞かれないようである。「スキャンダル」という言葉にとって変わられてしまったのだろうか。あくまで印象上のことだが、「スキャンダル」よりも「ゴシップ」のほうにはまだ愛嬌、他愛のなさ、柔らかさ、余裕、温かさ、おもしろ味が感じられる(場合が多い)ような気がする。昔(明治から昭和の初期にかけて)の雑誌、新聞には、よくさまざまな著名人のゴシップが載っていたらしいのだが、作家の随筆などにそういう話題が取り上げられていることがあり、時々その内容のあまりの意外さや特異さに度肝を抜かれるような思いをしたり、読んだ瞬間笑いだしてしまうというようなことがある。特別に印象ふかくて今でもよく覚えているのは、広津和郎の「年月のあしおと」に記されていたゴシップのことである。

広津和郎の父親は明治の小説家「広津柳浪」であり、「今戸心中」「残菊」など、今でも芝居ではたびたび上演されることのある世評高い小説を書いた人であるが、書けない時期の多い小説家でもあったようだ。広津和郎の幼少年時代の生活は並大抵でなく苦しかったそうで、その当時どこかの雑誌に「柳浪の子供たちが、ひもじさに金魚を食った」というゴシップが載ったことがあったそうである。広津和郎によるとこれはもちろんデタラメだということだが、それから二十数年経って、古本漁りが好きだった芥川龍之介は古雑誌からそのゴシップを見つけ出したらしく、広津和郎(当時、もちろん芥川のように華々しい存在ではなかったが、こちらも小説や文芸評論を書いていた)の行きつけのカフェに行ってその話をして帰ったそうである。ある日、広津和郞がいつものようにそのカフェを訪れると、


 馴染のウェートレスがにやにや笑いながら側に寄って来て、
「あなたは子供の時分に金魚を食べたそうですね」と云ったことがある。
「いや、食べないよ。一体誰がそんなことを云ったんだい?」
「昨日芥川さんが来てそう云っていましたよ。そして広津が芝居を嫌いなのは、子供の時分貧乏で芝居を見たことがないからだとも云っていましたよ」 」(「年月のあしおと」講談社1963年)

そのカフェには芥川龍之介も時々訪れていたのだそうだが、広津和郎の親しいところに行ってそういう話を面白おかしく喋ってみせるところに、芥川龍之介の中学生のようなnaughty boy(いたずら小僧)振りがあるのだと広津和郎は書いている。このゴシップには、ひもじさゆえに子供が「金魚を食う」という、話題の過激さ(どぎつさ)にギョギョッとさせられると同時に、着想のあまりの卓抜さ(?)に感心・驚嘆させられるところもあった。広津柳浪は家で金魚や小鳥を飼うのが好きだったそうなので、「金魚を喰った」はそのことを知っていた雑誌編集者の思いつきだったのかとも思うが、それを拡散した(?)芥川はそのゴシップの性格自体好みだったのかも知れない。

それから時代は少し後のことになるのだが、最近知ってちょっとおもしろいと感じたゴシップの話があった。松下裕氏の「[増訂]評伝中野重治」(平凡社2011年)に記されていたことなのだが…。中野重治にプロレタリア文学時代のことを回想した「あのころ」という題の短い文章があるそうで(私は読んでいない)、松下氏によると、これには「江口換と窪川鶴次郎」という副題がついているとのことである。当該部分を「評伝中野重治」から次に引用する。

「あるとき、『都新聞』か何かにゴシップがのった。『中野重治が窪川鶴次郎をつかまえてもっと勉強しろと言ったそうだ。もっと勉強して詩を書け。そして、いいのが出来たらおれが五円やると言ったそうだが、その中野本人、窪川のとこの二階に居候してるのだから世話はない』。こんな意味のことがもっと上手に書いてあって、それを読んで私たち夫婦はげらげら笑った。むろん私は窪川にそんなことを言っていなかったし、居候なんぞとはとんでもない。しかし話は、根も葉もないだけに実にうまく出来ていた」

窪川鶴次郎は文芸評論家で、佐多稲子の夫。中野重治とは第四高等学校時代以来の友人で、当時ともに雑誌「驢馬」の同人であった。そしてこの当時、中野重治は新婚であったらしい。「私たち夫婦はげらげら笑った」というのはそういう事情を現してのことと思うが、中野重治が窪川鶴次郎に「もっと勉強しろ」「勉強して詩を書け」「いいのが出来たらおれが五円やる」と言ったというのはどの言葉もみなおもしろくておかしいし、関係性を彷彿とさせるようでもある。「中野本人、窪川のとこの二階に居候してる」というのは、中野重治が昼間窪川・佐多夫妻のアパートを訪ねてきて、「書き物をしたいので2時間ほど部屋を貸してほしい」と言ったということを当時ものを書き始めていた佐多稲子が書いていたことがあるので、そのようなことが「居候」云々というゴシップに結びついたのかも知れない。それにしても、中野重治が「こんな意味のことがもっと上手に書いてあって」というのもおもしろくて、そのゴシップ記事の原文を読んでみたい気になったりもした。
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2012.06.22 Fri l 中野重治 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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