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10月22日、国連総会で核兵器の非合法化を促進するための合同声明が発表されたが、日本政府は求められた賛同の署名を拒否したとのことである。

「 日本、「核非合法化」賛同せず 30カ国以上が国連で合同声明
 【ニューヨーク共同】核兵器使用の非人道性を訴え、国際法上非合法とする努力を各国に求めたスイスやノルウェーなど30カ国以上の合同声明が22日、国連総会第1委員会 (軍縮)で発表された。日本は加わらなかった。
 声明は「全ての国は、核兵器を非合法化し、核兵器のない世界に到達する努力を強めねばならない」と訴えた。当初16カ国が準備していたが、参加国が増えた。
 今回の対応について、外務省は「核廃絶を目指す日本政府の立場と矛盾しない」と説明するが、反核団体や被爆者団体からの批判も予想される。」(河北新報10月23日)

「 核非合法化拒否 被爆国として矛盾だ(琉球新報2012年10月22日)
 相矛盾する態度を続けていれば、いずれ国際社会から相手にされなくなる。16カ国が国連に提出した核兵器の非合法化を促す声明案に対し、日本政府が署名を拒否したことが分かった。
 声明案は核兵器の非人道性を強調する内容だ。日本は19年連続で核兵器廃絶決議案を国連に提出している。それなのに、核兵器の非合法化は認められないというのは明らかに矛盾だ。今からでも遅くない。むしろ率先して署名し、非合法化の波を強力に広げる努力をしてほしい。
 日本政府が署名を拒否したのは、「米国の『核の傘』の下にいるという政策と整合性が取れないから」だという。
 罪のない市民を多数、無差別に殺りくし、自然環境にも甚大な影響を与える核兵器が非人道的だというのは論をまたない。 今回の声明案は、北大西洋条約機構(NATO)加盟国で、日本と同様に米国の「核の傘」の下にいるノルウェーとデンマークも署名した。それだけでなく、両国は声明案作成に関与さえしている。
 日本は唯一の被爆国として最も説得力を持って核の非人道性を主張できる立場にあるのに、米国への遠慮に終始して非合法化に同意しないというのは、あまりにふがいない。主体性を欠いた「従属外交」と批判せざるを得ない。
 そもそも米ロ英仏中など、既に核を持つ国々が「自国は持っていてもよいが、新たに別の国が保有し始めるのは許さない」と主張するのは論理的に破綻している。
 現に核を保有する国がある以上、新たに自らも核を持とうとする国が登場するのは避けがたい。核保有を非合法化しなければ、究極的には核の拡散防止は不可能なはずだ。核廃絶を決議しようというのならなおさらだ。
 声明に背を向ける米国の姿勢もおかしい。オバマ大統領は「核なき世界」を提唱したのではなかったか。「具体的な措置を取る」という自らの発言にほおかむりを続けるのは無責任すぎる。
 言うまでもなく米国は最初の核開発国で、実際に兵器として使った唯一の国だ。特別の責任があるはずだが、国際的に高まる核軍縮の機運に同調するどころか、むしろ「抵抗勢力」になっているようにすら見える。一刻も早く今の姿勢を転換し、「核なき世界」の提唱を有言実行してほしい。」

以上、関連記事を2本引用したが、今回のように核兵器使用を国際法上「非合法とする」「禁止する」などの、核兵器廃絶のための法的な枠組みの制定によって具体的な実践を促す声明や提案に対して、日本が反対・敵対の側に回るのは珍しいことではなく、これまで一貫してそういう姿勢をとってきたようである。河辺一郎氏の「日本外交と外務省」(高文研2003年)によると、かつて国連の場で日本が核兵器使用禁止関連法案に賛成したのは、61年、池田勇人政権下の1回だけだという。河辺氏の上記著書の文章は一部ネット公開されているので該当部分を以下に引用させていただく。

「 1957年、A級戦犯だった岸信介を首相とする内閣が誕生する。岸は、軍事力を持たない日本が安保上の役割を担えるよう、日米安保条約の内容の改訂に力を注ぎ、アイゼンハワー大統領と合意した。これに対して世論は、米国の戦争に巻き込まれると強く反対し、結局岸は新条約批准後の60年に辞任した。彼は、自衛権の範囲内であれば核保有も可能で、防衛用小型核兵器は合憲などの答弁も繰り返していた。

岸の後を受けたのは重商主義者の池田勇人だったが、彼は外交においても岸路線からの転換を試みた。日本では首相が直接大使を指名することはほとんどないが、池田は独自外交の展開を唱え、岡崎勝男・元外務大臣を国連大使に任命したのである。そんな中、1961年11月の国連総会で核兵器使用禁止宣言決議が採択され、国連機関として、核兵器の使用が国連憲章に反することを初めて宣言した。この時岡崎は、西側諸国として唯一賛成票を投じた。

これに対して外務省は素早く反応した。翌1962年には次席国連大使を設置し、後に軍縮問題の専門家として活躍する松井明を任命し、岡崎の監視役としたのである。その後、日本が核兵器使用禁止問題を支持することはなくなり、61年の決議は、これまでのところ日本政府が投じた唯一の賛成票となった。 」 (日本にとっての核軍縮)


池田勇人は相応の軍事力が外交においてもモノをいうと考えていた人であり、岡崎勝男は吉田政権下の外相時代、1954年4月、第5福竜丸の惨劇の直後にある会合で「米国のビキニ環礁での水爆実験に協力したい」とスピーチして世の轟々たる非難を浴びた人物である。したがって日本による61年の核兵器使用禁止の支持がどのような背景と覚悟をもって行なわれたものか今ひとつ解らない気もするのだが、ただこのとき岡崎大使は総会議場で自ら決議案への支持表明演説を行ない、「核戦争の惨禍を防ぐあらゆる措置が常に強調されなければならない」「核戦争の惨禍が再び人類に降りかかることを何としても防がなければならないと信じている」と断言したそうである。問題は、このときの行動が、日本が国家として核兵器の使用禁止に賛成票を投じた唯一の記録だということであり、これには私も2、3年前に河辺氏の本で初めて知って「えッ」と驚いたものだ。政治家が機会あるごとに口にしてきた「非核3原則」とは何だったのかということである。

岡崎勝男は上述のように吉田首相の下で外相を務めており、国連大使就任も池田首相にぜひにと請われてのことだったという。外務省出身の政治家としては有数の大物の部類に入るわけだが、河辺氏によると、現在外務省関係者の口からその業績が語られることはほとんどなく、稀に語られるとなると、きびしい批判の文脈においてであるそうだ。河辺氏は断定しているわけではないが、そういう扱いの背後に厳然とあるのは61年の国連における核兵器使用禁止の支持の件ではないかという推測も可能のようである。上記琉球新報の「日本は19年連続で核兵器廃絶決議案を国連に提出している。それなのに、核兵器の非合法化は認められないというのは明らかに矛盾だ。」という指摘は正論だが、日本政府と外務省は半世紀もの間ずっとその矛盾した行動ーーはっきり言えば二枚舌の外交を行なってきているのだ。広島、長崎の原爆被害に加えて、昨年は福島第1原発事故で放射能被害の恐怖を体験したというのに、日本政府は微塵も変わっていないし、変える気も皆無のようである。 「日本は19年連続で核兵器廃絶決議案を国連に提出している。」ことの内容と意味も次の記事を読めば理解できるように思う。

「 日本が核廃絶決議案=共同提案、最多の69カ国−国連
 【ニューヨーク時事】日本政府は18日、核兵器の廃絶に向けて国連加盟国が共同行動を取る決意を確認する決議案を国連総会第1委員会(軍縮) に提出した。日本による決議案の提出は19年連続。米国を含む69カ国が共同提案国に加わり、提出段階としては過去最多。
 決議案は、北朝鮮に核計画の放棄を求めた安保理決議履行の重要性を指摘した上で、 同国のウラン濃縮計画や軽水炉建設、今年4月に行った事実上のミサイル発射に懸念を示した。
 決議案は早ければ10月末に委員会で採択される見通しで、 12月初旬にも総会本会議で採決に付される。」(2012/10/19)

「核の廃絶」に賛成するか反対するかと問われて「賛成する」と答えない国や個人は世界のどこにも存在しないだろう。日本がこの核廃絶決議に賛成するのはそういう意味の当たり前の一般論を口にしているに過ぎない。またこの決議案に米国も賛成し、北朝鮮への非難が表に出ているところをみると、5大国の核保有は初めから肯定されていて、議論の対象にもされていないようである。しかし、これら大国の核に対する管理や抑止という利用方法には年々危険が増しているように思える。そもそも朝鮮は米国が自国への敵対政策を止めれば明日にでも核開発を中止すると昔から繰り返し言ってきたはずだ。米国のほうにこそその気もなく誠意もなかったようにみえる。インドが核開発を最終的に決断したのも、90年代末のNATOによるユーゴ空爆を目の当たりにしたときからだとも聞く。これも事実かどうかは判らないが、ロシアは防御のために核の保管場所を始終移動させていて、移動の運搬過程に危険が付きまとっているという説を聞いたこともある。米国は絶えず世界中のあらゆる地域で戦争を仕掛けては人々を苦しめ、反感と憎悪を買いつづけている。こうしてみていくと、50年後にはまだ世界はあるだろうが、500年後には消滅しているだろう、という加藤周一の晩年の言葉は切実な実感だったのだろうと思う。

最近とみに「中国の脅威」という言葉を耳にすることが増えているが、本当のところ、この実体はどうなのだろう。浅井基文氏は、この問題について「中国の軍事力強化努力は、優れて変質強化が進み、中国を狙い撃ちする性格をますます強めている日米軍事同盟に対抗するための防衛的な性格のものである」と書かれていて、この見解に私は説得力を感じた。

「 自らは軍事大国への道をひた走りながら、日本に対して日米軍事同盟路線から決別しろ、と要求するのは、中国の手前勝手なもので一顧だにする価値はないと切り捨てるのは、 保守政治家及びその支持者ばかりでないことを、私は理解しています。最近、小さな集会でお話ししたときにつくづく感じたのですが、多くのマス・メディアの報道・論調によって対中イメージを膨らませるしかない国民のなかにも、中国に対してはマイナス・イメージしか抱けず、中国の増大する軍事力を前にしては、日本の安全をアメリカとの同盟関係に依拠ずる以外にない、と信じ込まされている人は決して少なくないのです。そのことが、数々の世論調査の結果で示されているように、憲法も日米安保もという考えの人が国民の2/3を占めるという現実を生んでいるのでしょう。しかし、私たちが忘れてはならない事実は、中国の軍事力強化努力は、優れて変質強化が進み、中国を狙い撃ちする性格をますます強めている日米軍事同盟に対抗するための防衛的な性格のものであるということです。中国の軍事的脅威を言う前に、まずは強者である日米軍事力の削減、軍事同盟の解消を私たちは考えるべきなのです。 もっと基本的に言えば、国際的相互依存の不可逆的進行という21世紀国際社会を規定する要素一つだけを取っても、 日中軍事衝突という選択はあり得ないし、あってはならない(それと同じ意味で朝鮮半島有事はあり得ないし、あってはならない)以上、私は、日本が軍事力に依拠しない平和大国として立国する現実の条件が存在していることを確信しています。そういう私の立場(中国の軍事力増大は日米軍事同盟に対抗するための防衛的性格のものであり、かつ、日本の将来展望は平和大国以外にない)からしますと、中国の問いかけは決して手前勝手なものとして片づけることのできない内容が込められているし、私たちとしては謙虚に読んでみることが必要だと確信するわけです。 」
http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2012/487.html

また、思わぬところで、「核保有国のなかでは」という条件つきながら、核や軍事に関する中国の姿勢を高く評価する声も聞かれるのである。次の文章を紹介してこの記事を終ることにするが、中国メディア(たとえばこちら)が発信する記事や論文などにみられる主張内容とこの評価内容には基本的、根本的な矛盾はおおむねみられないように思う。

「 (米国の)戦略アナリストのジョン・スタインブルナーとナンシー・ギャラガーは、米国学士院の機関誌のなかで、誇張ではなく警告している。ブッシュ政権の軍事計画とその侵略的な姿勢は「最終的な破滅の危険をかなりともなう」と。その理由は簡単だ。一つの国家が絶対的な安全を追求し、意のままに戦争し「核の歯止めを取り除く」(ペダツールの言葉)権利を確保しようとすれば、他の国々の安全が脅かされ、それらの国は対応策をとると考えられるのだから。ラムズフェルド国防長官の米軍再編で開発されつつある恐ろしいテクノロジーは、「間違いなく世界中に広まるだろう」。「競って威圧しあう」状況では、行動とそれにたいする反応の繰り返しによって「危険が増し、制御不可能になるおそれがある」。「アメリカの政治システムがその危険を認識できず、その意味するところに対処できない」ならば、「アメリカの存続の可能性はきわめて疑わしくなるだろう」と、スタインブルナーらは警告する。
 アメリカ政府がみずからの国民と世界に脅しをかけても、平和を愛する諸国の連合がその脅しに対抗するだろう、とスタインブルナーとギャラガーは希望を表明する。その連合を率いるのは、なんと中国だ! 支配層の中枢がこのような考えを表明するのは、大変な事態である。そして、ここにしめされるアメリカの民主主義の実体――は、まさに衝撃的かつ危機的である。冒頭の「はじめに」で言及した「民主主義の劣化」の実例だ。スタインブルナーとギャラガーが中国の名を挙げたのは、すべての核保有国のなかで、中国が「明らかに最も抑制のきいたやり方で軍事力を展開している」からだ。さらに、中国は宇宙の利用を平和目的に限定しようとする取り組みを、国連で率先して進めているから。この点で中国はアメリカと相いれない。アメリカは、イスラエルとともに、宇宙における軍拡競争を防ごうとする動きをことごとく邪魔をしているのだから。」 「破綻するアメリカ 壊れゆく世界」ノーム・チョムスキー著・鈴木主税・浅岡政子訳(集英社2008年)

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2012.10.27 Sat l 社会・政治一般 l コメント (5) トラックバック (0) l top
最高検の岩橋義明公判部長が電車の運行を妨害した疑いで警察に取調べられたという事件は各メディアで広く報道されたが、当ブログでもこの件を10月5日にこちらで取り上げた。というのも、当ブログでは「埼玉愛犬家連続殺人事件」で殺人の共謀共同正犯の片割れとして死刑を宣告された風間博子さんについて、検察による不公正きわまりない取調べを基とした判決によって死刑を押しつけられた疑いが濃厚であることをずっと述べてきているのだが、その捜査を主導した検察官が、今回電車運行妨害で渦中の人になった岩橋義明氏に他ならなかったからである。その岩橋氏に対し、最高検は去る16日処分を下した。岩橋氏は最高検の「公判部長」から「総務部付」に異動させられたとのことである。

「 最高検公判部長:電車遅らせた問題で更迭 動機説明せず
 最高検の岩橋義明公判部長(58)が電車の運行を遅らせたとして警察に事情聴取された問題で、最高検は16日、岩橋部長を厳重注意とし、法務省は同日、岩橋部長を最高検総務部付に異動させた。後任には長谷川充弘(みつひろ)最高検検事(58)を充てた。
 最高検によると、岩橋前部長は9月28日午後11時25分ごろ、横浜市青葉区の東急田園都市線あざみ野駅で、乗っていた電車のドアが閉まる際に自分のかばんを何度も挟み、発車を約4分遅らせた。運転士が前部長を見つけ、警察に引き渡した。庁舎内で酒を飲み、帰宅途中だったという。
 調査した最高検は前部長の故意を認定する一方、動機については「差し控えたい」と説明しなかった。前部長が乗った電車では前の駅でもドアが閉まらなかったが、最高検は前部長の行為と断定できなかったとした。
 渡辺恵一最高検次長検事の話 誠に遺憾。国民の皆様に深くおわびしたい。」( 毎日新聞 10月16日)

運行妨害が「故意」だったかどうかについては、この事件が表沙汰になった10月4日の読売新聞によると、「岩橋部長は1日、読売新聞の取材に対し、 「酒に酔って電車のドアにもたれて立っていた。カバンが挟まっていたことには気付かなかった。仕事のストレスもあった」と説明した」とのことだから、本人は当初「故意」を認めていなかったわけである。でもそんな言い分が通用するはずがなかった。岩橋氏が運行を妨害したのはあざみ野駅だけではなかった可能性が非常に高いのだ。この点につき、「前部長が乗った電車では前の駅でもドアが閉まらなかったが、最高検は前部長の行為と断定できなかったとした 」という最高検説明も全然筋が通っていない。10月4日の最初の報道で下記の情報が複数の報道機関によって伝えられていたからだ。

「捜査関係者や東急によると、岩橋部長は9月28日午後11時25分頃、あざみ野駅で清澄白河発長津田行き普通電車のドアに、持っていたカバンを挟み、発車を遅らせた。 6駅手前の溝の口駅から、駅に停車する度に同じドアが閉まらなかったため、駅員があざみ野駅で岩橋部長に事情を聞き、同署に引き渡した。岩崎部長は帰宅途中で、酒に酔っていたという。同線下り線の数本が最大約15分遅れた。」(読売新聞10月4日)

「東急電鉄によると、同線では28日夜の急行電車で、三軒茶屋、二子玉川、鷺沼などの駅に停車した際、男性がドアにかばんを挟み、発車が遅れたことがあった。 男性は普通電車に乗り換えた後のあざみ野駅でも同様の行為をしたため、警察官に引き渡したという。」(中國新聞 '12/10/4 )

上記の「 6駅手前の溝の口駅から、駅に停車する度に同じドアが閉まらなかった 」「 28日夜の急行電車で、三軒茶屋、二子玉川、鷺沼などの駅に停車した際、男性がドアにかばんを挟み、発車が遅れた 」などの発言は東急電鉄側から発せられており、複数の駅でーーおそらくは計7つの駅で!ーー同じドアが閉まらなかったという事実関係に疑問の余地はないだろう。したがって、 あざみ野駅以外の駅での運行妨害については、 「前部長の行為と断定できなかった」という最高検の発言はごまかし以外の何ものでもないと思われる。それを認め「断定」したら岩橋公判部長の行動の異常さが否でも応でもいよいよ明白になること確実なので、組織防衛のために「断定できなかった」と述べたにすぎないのだろう。

小中学生が固まって乗車している場合に、集団心理に唆されてついそういう行為をやるはめになってしまったというのならともかく(しかし実際には私は小中学生についてのそういうイタズラ話を聞いた記憶はないような気がするのだが?)、 ダイの大人、それも最高検の公判部長の職責にある人物が、乗車している電車が駅に到着する毎に周囲の目を盗みながら一人でこっそり運行妨害に耽っている心理は謎でもあり、薄気味悪くもある。これが即事故に繋がるようなことはまずないとしても、乗客の迷惑もさることながら、電車の操縦者や駅員などの関係者に要らぬ不安をあたえる行為であったことは確かだろうと思えるからだ。

「埼玉愛犬家連続殺人事件」において岩橋氏が事件の共犯者Y氏に対して行なった取調べ手法と今回の事件とを直接結びつけたり関連づけたりすることはできないが、かといって双方が完全に無関係だと言い切ることもできないような気が私にはするのである。「岩橋義明・最高検察庁公判部長が電車の悪質な運行妨害」というブログ記事にこの事件と岩橋氏について下記の記述があった。

「 全国で進む、検察による被疑者の取り調べの録音、録画の可視化を検察庁として採用するか否かを判断する中心人物だった/連続7駅同じドア閉まらず、東急いなか都市線の電車の運行を15分以上遅延させても平然としていたという/岩橋義明・最高検察庁公判部長自身が刑事訴訟の総指揮をしているから、自分は絶対に有罪にならない自信があるのだろう/こんな御仁に検察のシナリオを呑まされ、でっちあげで有罪にされた被害者は多いのではないか/以下引用 の岩橋義明・最高検察庁公判部長の連続の犯行をまさか 『連続7駅同じドア閉まらず』を偶発事故として処理しないでしょうね 」

岩橋氏が「 検察による被疑者の取り調べの録音、録画の可視化を検察庁として採用するか否かを判断する中心人物だった 」という話は初耳だが、ありえないことではないのだろう。「埼玉愛犬家…」の裁判資料に現れている岩橋氏の非常識な取調べ状況やその姿勢を思い起してみると、「 被疑者の取り調べの録音、録画の可視化 」問題に対していったいどのような姿勢で取り組み、どのような判断を示しているのか見てみたい気もする。物事の正確な判断を下すために必要とされる健全な理性をこの人が欠いていることは、今回の事件にも如実に表れているだろう。さて、「 こんな御仁に検察のシナリオを呑まされ、でっちあげで有罪にされた被害者は多いのではないか 」というこの方の記述を読んで、私が即座に風間さんの姿を思い浮かべたことは言うまでもない。風間さんは岩橋検事に取調べられたわけではないので、共犯者のY氏を通した間接の被害者になるわけだが。

なお、岩橋氏とY氏の間で行なわれた一種の「司法取引」(これについてはY氏が法廷で暴露しているし、判決文もその存在を暗に認めている。 )のようなことは、「この事件のように証拠がきわめて少ない場合はある程度取引のようなことも仕方ないのではないか。」という考え方もあるだろうと思う。実際そういう意見を聞いたこともある。現実面を考慮すれば、私もその種の考えを一概に否定できないとは思う。ただその場合の絶対条件は、何にもましてその取引が他の人にたとえ一寸でも害をおよぼすようなことがあってはならないということだろう。取引相手の犯罪を別の人に肩代わりさせることで立件をなすなんてことは、当の犯罪に勝るとも劣らない重大な犯罪を取調べ官自らもう一つつけ加えて積み重ねることに他ならないだろう。少なくとも「埼玉愛犬家連続殺人事件」ではそのような疑いがきわめて濃い捜査が現実に行なわれたこと、これは事実に即して確実なことである。
2012.10.20 Sat l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top
孫崎享氏については、名前はさすがに知っていたが、著書もふくめてその文章を読んだことはこれまでたぶん一度もなかったと思う。ただ最近出版された「戦後史の正体」という本が話題を呼び、よく売れていること、その一部(100ページ分)がネットで読めるということを知り、それを読んでみた。
http://www.sogensha.co.jp/pdf/preview_sengoshi_ust.pdf

これは他の人の感想にもあったのだが、この本の文章は最初のページから何か一種異様な心持ちにさせられるもので、この印象は100ページを読み終わるまで変わらなかった。孫崎氏によると、そもそもこの本を書いたきっかけは、出版社から「日米関係を高校生でも読めるように書いてみませんか。とくに冷戦後の日米関係を書いてほしいのです」と「相談され」たことだったそうだ。「「高校生でも読める本」という言葉は魅力的です」とは著者の弁だが、申しわけないが、できれば高校生にこういう本は読んでほしくないものである。「日本のみなさんは、戦後の日米関係においては強固な同盟関係がずっと維持されてきたと思っているでしょう。そして日本はつねに米国から利益を得てきたと。とんでもありません。米国の世界戦略の変化によって、日米関係はつねに大きく揺らいでいるのです。おそらくみなさんもこの本をお読みになることで、日米関係の本当の姿がおわかりになると思います。」というが、日本に「戦後の日米関係においては強固な同盟関係がずっと維持されてきた」「 日本はつねに米国から利益を得てきた 」と思っている人間はそうそういないだろうし、「おそらくみなさんもこの本をお読みになることで、日米関係の本当の姿がおわかりになると思います。」などという言葉は、厚かましすぎるだろう。100ページを読んだだけでその本に対する結論を出すのは早計だという指摘もあるだろうが、歴史を語るというのに、100ページもの長い文章中に実証精神がどこにもまったく感じられないこのような本は、やはり「珍書」「トンデモ本」といわれても仕方がないように思う。

この本の後半では岸信介に対する驚くべき新たな評価がなされているようだが、私はここで岸信介が首相に就任した年の57年、および日米安全保障条約が国会で審議中の60年初めに岸について書かれた中野重治の文章を紹介したい。中野はこれにかぎらず岸信介という政治家について、またその政策について幾度も言及しているが、私はその指摘は全体的に岸の核心を衝いた信頼のおけるものだと思っている。注目したいのは、中野重治は吉田茂についてもきわめて批判的だが、この吉田より岸はずっと悪質だと述べていることである。中野は1947~50年の3年間にわたり日本共産党の参議院議員として活動しているので、吉田茂の首相ぶりは身近で見ていたことになる。すこし話が脱線気味になるが、いろいろな人の発言をみると、中野は実は国会議員として大変優秀だったようである。この点については機会があれば、また取り上げたいと思うが、中野重治が国会質問や演説に立つ日には、「傍聴席におおぜいの人がつめかけて、せまい委員会室などは身うごきならぬくらいだったという。このことは、当時の関係者たちが口をそろえて語っている。同僚議員だった社会党の木村禧八郎もそう言っている(「ほんものの人間としての中野重治さん」)。そのころの参議院議長は松平恒雄で、この人は会津藩主松平容保の子息で、共産党ぎらいだったが、中野議員の演説だけは聞くのを楽しみにしていたという。」「中野重治の国会演説は、論理が平明で、叙述が具体的で、言葉が厳密だった。そうして言葉だけでなく、演説それ自体が簡潔だった。」「中野重治の演説が藝術的で、心をうつものがあり、彼が当時の参議院で一、二をあらそう演説家だったことはまちがいない。」(「[増訂]評伝中野重治」松下裕(平凡社2011年))。松下氏によると、中野には、「自分が国会議員だったころのことをまとまった一つの小説に書くつもりがあった」そうである。松下氏も「中野重治のような観察力と表現力をそなえた文学者で、国会議員としてこれほどの活動をした人はその後も出ていないので、そういう作品のできあがらなかったことは残念なことだった。」と述べているが、こうして中野重治にそういう小説の意図があったことを聞かされると、私なども今さらのように残念に思う。ちなみに、中野の議員生活が3年間という中途半端な期間だったのは、彼が当選した第1回の参議院議員選挙では当選者のうち半数の上位当選者は6年間、残りの下位当選者は3年間任期という規則があらかじめ定められていたのだそうである。これも後になって振り返ってみると本当に残念なことだったと思う。せめて6年間くらいはやってもらいたかった、と思わずにいられない。それでは、以下に「どうして岸に書ける」「岸グループと天皇グループ」の2本の文章を引用する。


 どうして岸に書ける (『アカハタ』1957年8月・全集第23巻)
 西太平洋のなかのぽつんとした島、目にもはいらぬようなあのウェーク島が、アメリカ陸海軍の重要基地になつたのは1936、7年ころのことだつたろう。
 41年年末、ハワイの真珠湾へ不意討ちをかけた日本海軍は、たちまちここを占領して軍政をしいた。ウェークはその名も大鳥島と日本風にあらためられた。日本の兵隊はここで悪戦し苦闘した。
 とくにしまいのころがひどかつた。形勢逆転して、アメリカ海軍のほうが攻撃をかけてくる。アメリカ軍飛行隊がものすごい量の爆弾を投げおろす。それを風のように、浪のようにくりかえす。
 日本陸海軍はそのウェークに食糧をとどけなかつた。兵器をとどけなかつた。援軍を送らなかつた。とどけようにも送ろうにも、しかけが無理だつただけに、いまとなっては手も足も出ないというのが事の真相だつただろう。
 日本の兵隊は非常にたくさん死んだ。武器なし食いものなしで、彼らはにぎりこぶしひとつで戦つてたおれて行つた。生き残つたわずかの人が、1945年9月に降伏した。
 それは、降伏しようにもしきれぬ心持ちだつたにちがいない。まして死んだもの、殺されたものは、死ぬに死にきれぬ気持ちで仕方なしに死んで行つたにちがいない。成仏しかねるところ、たましいが中有に迷うといったところだつたにちがいない。
 彼らの亡霊が出る。それがあすこを通る日本飛行機にはたらきかける。そこで日本飛行機の事故が後を絶たぬ。こんなうわさが出たにしても、出るには出るだけの根拠があったといつたところだつたにちがいない。
 そこへ今度岸がアメリカヘ行った。話が岸の耳にはいった。遺族方面からもいろいろと要求がある。そこで岸が、このウェークに戦役者の慰霊碑を建てよう、その文字は、墓碑銘は、自分岸が筆をとつて書こうと言いだした。
 いや、いや、慰霊碑を建てるのは悪くあるまい。だが、字を岸が書いて、それで慰霊になるものかならぬものか。
 満州国産業部長、日本政府商工次官、東条内閣の商工大臣、同じく軍需次官(長官は東条)、何よりもあの開戦宣言の署名人、ウェークに兵隊をおくつて、ほとんどこれを見殺しにした男の字でウェークにそれが建つのを黙つて見ているものがあろうとは私には思えない。

 岸グループと天皇グループ (『アカハタ』1960年2月16日号・全集第14巻)
 ――安保特別委を前にして――
 戦後のある時期に「パンパン」という言葉が出来た。これはある事実が生じてそこで言葉が出来た。言葉は出来たが、宮本百合子はそれを使うことができなかった。彼女は、なんだか、「カタカナ言葉を二つ重ねた呼び方」とかいつた書き方でやっとそれを指していた。一人の日本人女として、その女きようだいたちにたいし、このカタカナ言葉を自分のペンで書くのに耐えなかつたのだろう。
 その後「オンリー」という言葉が出来た。これも事実が生じてそれから言葉が出来た。さて、「パンパン」ががさつで開けつぴろげなのにたいして、「オンリー」はじめついて内攻的に響いてくる気がするが、岸と岸グループを見ていると極く自然にこの「オンリー」が頭に浮ぶ。
 その直接の元祖は吉田茂とそのグループとだつた。「マッカーサー元帥にじかに会えるのは私だけなのだから、ぐずぐずいうな。」というのが取っておきの彼のせりふだった。それが今度は、一直線に、「事前協議について、私とアイク大統領とがこう共同宣言にいつてるのだから、日本の人民も、国会の野党も、ソ連政府、中国政府も、ぐずぐずいうな。」というところへ出てきた。オンリーぶりも極まつたというところだろう。
 けれども、吉田は頑固ものだといわれた。岸はそつがないといわれている。そこはどうなるか。しかし実をいえば、あのときの吉田には押しつけられた形があつた。今度の岸はすすんで買つて出ている。少なくとも、対等なのだと、すすんで買って出てるのだと自分で言っている。吉田が頑固ものと見せた軟骨漢だつたとすれば、岸はもみ手をした暴力団ということを基本性格としているだろう。卑俗にいっても岸の方がひどく卑しい。いまに始まったことでもないらしく、『世界大百科辞典』に「つねに時流に乗ずるのに敏で、政界のかけ引きもうまく、官僚出身政治家の筆頭にあげられている。」とかねて書かれている。
 ただ現実の「オンリー」たちは権力の座にはいない。彼女たちはさんざんに侮辱され、踏みつけにされたうえに捨てられ、まかりまちがつて殺されてさえいる。その悲しい荒かせぎのなかから彼女たちは税金を出している。それが日本にいるアメリカ軍の費用の半分、百十一億の部分にあてられ、岸の食いぶちをまかない、彼のアメリカ往復の旅費の一部をまかなつている。ひもつきということでどれだけオンリーめいて見えるにしろ、岸をオンリー呼ばわりするのは彼女たちを直接にも侮辱することであるだろう。
「極東」とはどこだかということが問題になつて、すべったの転んだのと岸が言っている。国会での問答はそれとして、この「極東」には全く限定がない。それは限定のないこと、無限定ということをこそ前提としている。現にアメリカ政府が、これは限定されてはならぬのだといつて日本政府の尻をたたいている。岸は、ただ簡単に、「東洋平和のためならば、何の……」といった歌、彼がさきに立つて歌わせた歌のあの「東洋」を思い出せばいい。もつと直接に、彼自身になかなかに関係の深かった、1946年5月からの「極東国際軍事裁判」の「極東」を思い出せばいい。核兵器をかついでなぐりこみをかけようとしている本人が、なぐりこみをかける当の場所をこれこれと指定して、その線からは一歩も踏みこみませんと約束して「事前」に自分をしばる馬鹿があるだろうか。
「極東」の限定が猫の目のように変るのは、それを無限定のままに固定させようという本来の目的のための手つづきを出ない。岸本人がそのさきへ出てしまつている。岸本人が金門島、馬祖島まで持ちだしてしまつている。
 ハボマイ、シコタンの問題でとうとう岸は「国民感情」を持ちだした。特に岸は、2月10日の国会答弁で「シナ」と「シナ大陸」とを持ちだした。(テレビ放送の限りでは、このとき「シナとは何だ。」というような声が誰からも出なかつた。また新聞は全然これにふれなかつた。) 国民感情、国民感情、この言葉が出るときこそ気をつけろ、という気持ちを忘れさせられるほど日本人一般が馬鹿で、岸がわるがしこくて、このわるがしこい岸が成功するだろうと岸と岸グループとは信じているのだろうか。
 調印を追つて出した新日本文学会の声明は、調印によつて問題が「新しい段階」にのぼつたことを認め、日本政府が、中国、朝鮮、ソ連などにたいする「敵視」態度から「敵対」態度に移ったこと、直接の挑発へと乗りだしたことを認めた。中国を「侵略国家」だとしてきた岸政府が、当の「侵略国家」へ侵略者として「自主的に」乗りこむことを声明して中国が「静観」すると考えるほどわれわれは盲だろうか。中国政府、ソ連政府の内政干渉をうんぬんする岸グループは、彼らの日本政府の仕事が、アメリカにとつては内政問題であるのに近いことを告白しているだろう。
 だからまた新日本文学会の声明は、アメリカ政府が日本「政府の意志に反して行動する意図のないことを保証する」といつているのは、日本「国民の意志に反して行動する意図のあることを保証する」というのに「近い」といっている。安保特別委はどうこのへんをしぼるだろうか。
 しかし別の問題もある。つまり天皇の問題がある。憲法でいえば、第七条本文とその第一項との問題というのになるのだろう。
 天皇の「人間宣言」が何を目論んで出されたかははつきりしている。さつきの「極東国際軍事裁判」との関係で、天皇が何を目的にどう取りあつかわれてきたかもはつきりしている。共産党が初めて合法化されての国会選挙のとき、天皇が何を目あてに国内旅行をさせられたか、憲法がメーデーの日取りとどう組み合わせた日取りで出されたかもはつきりしている。皇太子のいいなずけ決定、結婚が、警職法、選挙違反大量特赦とどう結びついていたか、皇太子夫妻のアメリカ行きが、何を目標に、本人に事前に話すことなしに取り決められたかもはつきりしている。こんど調印された新安保条約案が、どれほど日本と日本人民とを直接に侮辱してるか、どれほど大速度で日本を侵略戦争のお相伴に引きこもうとしているかは言うまでもない。そこで、万に一つもこれが国会を通つたとなつたらどうなるか。批准されたら――というのはそれだけで誤った先走りだと誰かが言うとしてもかまわない。
 先走りであつてもなくつても、批准もされ、公布もされてからでもかまわない。そうなつたあとででもこれはぶち破らなければならぬのだから。
 ところで憲法は、「条約を公布すること」を、天皇の、「内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。」のなかに入れている。そこで、岸グループの「助言と承認により」、天皇は、「国民のために」ほんとにこれを「公布する」のだろうか。そこまでも、天皇には、「国民のために」の正反対に出る肚が自覚的にあるのだろうか。
 私は天皇に憲法違反をやれというのではない。けれども、この天皇は「人間宣言」をしただろう。私は日本国憲法に従う。これを尊重する。私は天皇にひとかけらの政治的権能でもを返してやろうというのではない。けれども、人間として、また一人の日本人として、これを「国民のために」公布することが天皇にできるかできないか。
(略)
 ただし私はこれを直接天皇に問おうとは思わない。しかし憲法学者たちはここをどう解釈するか。もつとも、国会が批准しなければこのたび限りここは一応きりぬけられる。 」

「天皇グループ」ということについては、中野重治は、死の年(1979年)に、「分割された領土――沖繩、千島、そして安保――」」(進藤栄一『世界』1979年4月号)という文章を読んだ感想を次のように述べている。

「……しかしここで、私などがどこまで何も知らずに、また知るための工夫について考えることなしにやつてきていたかも明けすけに見えてくると思う。天皇を含む日本政府側が、どれほど露骨に、どれほど言葉のないところまで卑しくアメリカ政治上層部また軍部に、国と国民とを差し出すばかりにしていたか、それをどこまで私たちが――と言って言いすぎならば私自身一個として知らずにやつてきていたか、それが今となって恥じている暇なくじかに責められてくる事実について一言だけ書いておきたい。」(『わが生涯と文学』筑摩書房1979年)

「分割された領土」のなかで中野重治に特に衝撃をあたえたのは、寺崎英成をとおしてシーボルトに伝えられた「天皇は、アメリカが沖縄を始め琉球の他の諸島を軍事占領し続けることを希望している。」という内容の「天皇メッセージ」だったことは間違いないと思われる。
2012.10.13 Sat l 中野重治 l コメント (0) トラックバック (0) l top
今年2月20日に最高裁で「光市母子殺害事件」の元少年に対する上告棄却の判決が下り、元少年の死刑が確定したとき、この判決について検察を代表して見解を述べたのは、最高検の岩橋義明公判部長であった。

「社会に衝撃。妥当な判決」 最高検がコメント(2012.2.20 17:26)
 光市母子殺害事件の上告棄却を受け、最高検の岩橋義明公判部長は「少年時の犯行とはいえ、社会に大きな衝撃を与えた凶悪な事件であり、死刑判決が是認された本日の最高裁判決は妥当なものと考える」とのコメントを発表した。」

私は、岩橋義明氏の名を、「埼玉愛犬家連続殺人事件」の捜査官、また容疑者の一人として逮捕され、死体損壊・遺棄罪で3年の実刑判決をうけたY氏の取調べ担当検察官(浦和地検熊谷支部)としてよく聞きおぼえていた。この事件は1993年に4月、7月、8月と3件連続して引き起こされた殺人事件で、被害者は4名の人たちであった。それからおよそ1年半後の1995年1月に関根元、風間博子、Yという3人の人物が容疑者として逮捕された。が、きわめて証拠の乏しいこの事件において岩橋検事は自身が取調べたY氏と実質的な司法取引をすることで事件全体の筋書きを描き、構成し、立件したことはその後の経緯をみるとまず間違いないように思われる。すなわち、3人の容疑者のうちY氏に対しては初めから殺人罪は問わないこととして捜査協力を要請、Y氏もこれを了承し、最終的にY氏は殺人とは無関係の「死体損壊・遺棄罪」での起訴とされた。これは第三者にはまったく不公正なY氏への好遇(?)としか言えないのだが、しかしY氏自身は取調べ段階において岩橋検事との間に起訴猶予、最悪でも執行猶予で早期に釈放との約束があったといい、その釈放の約束が一向に実行されず、あろうことか有罪判決まで言い渡されてしまった、ということで「騙された」と不満たらたら、検察官とりわけ岩橋氏に対して非常な怒りをいだいたようである。

検察は結局Y氏の代わりに、偏見のない目で虚心に見れば無実の証拠がいくらでも存在するとしか思われない風間博子さんを2件・3名の人物に対する殺人の共謀・実行の主犯として関根元氏とともに起訴した。最大の問題は、いたるところで論理的矛盾を露呈しているこの筋書きを裁判所がそのまま採用し、判決に適用して風間さんに死刑判決を下したことだが、とはいえ「本件は徹頭徹尾、共犯者であるYの供述に完全に依拠した捜査が行なわれ、Y供述にのっとった捜査当局の事件のストーリーが完全に構築された上で、強制捜査が行なわれ、Y供述に従った自白を被告人両名から獲得すべく捜査、取調べが行なわれた事件である。」(第一審弁論要旨)ことにはちがいなく、岩橋検事が果たした負の役割はとてつもなく大きいのである。

その人が今や最高検察庁を代表して最高裁の重大判決について「少年時の犯行とはいえ、社会に大きな衝撃を与えた凶悪な事件であり、死刑判決が是認された本日の最高裁判決は妥当なものと考える」などと話しているのを見て、「よくもまぁぬけぬけと、偉そうに…」という一種の憤慨もおぼえたが、それと同時に、「埼玉愛犬家連続殺人事件」においてあれほど深刻な問題のある取調べ捜査を行なったことが歴然としている人物が、現にこうして検察を代表するほどの地位に就いている検察庁とは、いったいどれだけ腐敗した異様な組織なのだろう、という暗澹たる気持ちを押さえ切れなかった。しかもそのとき私は知らなかったのだが、知人によると、岩橋氏は他の事件でもよくメディアに登場して検察を代表して意見表明を行なっているということだった。

岩橋検事については、当ブログの「埼玉愛犬家殺人事件」のいくつかの記事において「I検事」として取り上げているのだが(こちらこちらこちら)、2月の光市母子殺害事件に対する岩橋氏のコメントを見たあと、この人物がY氏に対してどのような取調べを行なったか、そしてその取調べがどんなふうに「埼玉愛犬家殺人事件」の真相を歪めるはたらきをすることになったか、もう一度あらためてふれる気持ちになったのだが、当方の怠慢でついつい延ばし延ばしで今日まできたのだった。ところが、昨日(4日)夕方、岩橋氏に関する次の記事を見た。

「 最高検公判部長:ドアにバッグ挟み電車遅延 警察が聴取(毎日新聞10月04日)
 最高検の岩橋義明公判部長(58)が9月下旬、帰宅途中の電車内で自分のバッグをドアに挟み、電車を遅らせたとして神奈川県警に事情聴取されていたことが分かった。岩橋公判部長は「酔っていてバッグが挟まってしまった」などと話しているという。
 県警や検察関係者によると、9月28日午後11時すぎ、帰宅途中の東急田園都市線の溝の口−あざみ野駅間で、駅に停車していた電車のドアが閉まる際、公判部長のバッグが数回挟まって運行が約10分間遅れたという。岩橋公判部長は「酒に酔っていた。迷惑をかけてしまった」などと話しているという。」

この出来事は事件なのか事故なのかまだはっきりしていないようなので、これについて今どうこう言うことはできない。しかし、この人物が「埼玉愛犬家殺人事件」においてどれほどいかがわしく不正な取調べ行為を重ねたかは、何か機会あるごとにいくら言及しても過ぎるということはないと思われるので、これまでに書いた記事と重複する部分もあるかと思うが、弁論要旨と判決文(いずれも一審)から岩橋検事に関連する部分を引用しておきたい。まず弁論要旨から引用するが、ここに出ている「K子」という人は、Y氏の当時の内妻であり、また「S子」とは、Y氏の元妻のことである。警察・検察はY氏を取調べるために、その身辺を調査。その過程でこのK子という女性がちょっとしたトラブルをかかえていることを知り、Y氏をおびき寄せるために1994年の初冬に「詐欺罪」とかの微罪でまずこの人を拘束したようである。

「 Yの逮捕前の取調べ過程の異常性を示す事件は、K子の保釈手続きにまつわる一巡の経過である。
 すなわち、Yは、前記の通りK子が起訴された12月14日以降15日、21日、26日と連続して保釈請求をなしたが、いずれも証拠隠滅の恐れがあるために不相当との検事の意見が出され、保釈は実現しなかった。
 そのため、12月26日、担当の岩橋検事の事情聴取を受けたYは、K子の保釈の件を頼み、岩橋検事も上司にその旨伝えることを約したのである。岩橋検事は一般的説明をなしたに過ぎない旨弁解するが、取調べ担当検事にそのように言われたYがK子の保釈実現を信じたことは、本件公判におけるYの供述からも明らかである。
 Yは、捜査本部からのK子の国選弁護人である新井弁護士に対する電話連絡と面会日の取り決めという便宜供与を受けた上で、1月5日新井事務所を訪れるのである。
 同日、新井事務所を訪れたYは、同弁護士に対し、3回の保釈申請が不許可になっていることを知って渋る同弁護士に対し、「今回は大丈夫だ、検事が間違いなく出すと言っているので保釈申請してくれ、申請さえしてくれればよい」旨申し述べ、弁護士としての常識から、保釈が決まっているなどということはあり得ない.と考えた同弁護士による質問に対して、「自分は大きいヤマで現在警察に協力している、協力しなければできない事件なので自分がしゃべらなければ警察が困る、しゃべる代わりに保釈されることになっている、事件に協力するということで検事とは約束ができている、協力する代わりに自分は捕まっても起訴されないし、女房も保釈で出すと検事が約束してくれている」旨Yは説明しているのである。
 右説明にはYの絶対の自信が現われており、まさにYが検事と約束ができていると信じていることが表明されているのである。
 新井弁護士は、 「取引があるんだからやってみてくれ」というYの申し出に応じ、1月5日12時直前に保釈申請をした(弁第68号証)。
 ところが驚くべきことに、同日、K子は保釈が許可された上、釈放されることになったのである。さらにK子の保釈の検事の意見書には保釈相当かつ保釈金200万円と記載されているのである。
 弁護士にとって、保釈申請当日に保釈が許可になって釈放されるなどということは異例というより前代未聞と言うべきことであり、さらに保釈相当かつ保釈金額まで記載された検事の意見書など全くお目にかかったことはない。
 さらに、指摘すべきことは前述の通り、K子の保釈申請に対しては、それまで証拠隠滅の疑いがあった筈で、年末年始を経たのみでその理由が消滅しているのである。しかも、逮捕が予定されているY自身が身柄引受人になっているのである。
 これら一連のYのK子保釈申請の過程は、まさに警察・検察一体となった、Yの供述を得るために、K子の保釈について最大限の便宜を図るべしという完全な意思統一ができていたことを意味するものに他ならない。そして、Yが述べる通り、捜査当局とYとの間に取引が完成していた証左に他ならないのである。

3 取調べ過程の異常性
 Yは自ら述べる通り、捜査当局から壊れ物に接するような処遇を受けてきた。そして、逮捕・勾留後のYの取調べの過程では異常な事態が続発しているのである。
 ㈠ まず最も重要と考えられるのは、接見禁止が付されていないことである。
 殺人・死体損壊・遺棄事件、それも4名もの犠牲者が出ている重大事件において、それが共犯事件であれば接見禁止が付せられるのが常識である。
 とりわけ、本件の如く物証が少なく、1年余も経過し、さらに共謀関係、事件への関与の関係の捜査のために共犯者に接見禁止が付せられるのは、常識というよりも絶対に必要なことであると言わなければならない。
 なぜなら、これらを解明するためには、共犯者各人と共犯者以外の関係者を取調べることにより、証拠物の発見や、犯行に関連する会話等がなされているか否かが判明し、右共犯者各自の関与についての客観的な証拠が収集されることになるからである。
 このような場合、自由な接見が許されれば、これらの証拠の発見が不可能となるおそれがあるからである。
然るに、Yには一切接見禁止は付せられなかった。まさにこれは捜査当局とYとの間において取引と約束がなされていたことの証左であると共に約束の実現に他ならない。
 ㈡ 次に、岩橋検事は、接見施設のない検察庁内の部屋においてYがK子と島章子に面会することを許し、むしろ自ら接見するか否かをYに尋ね、これを許しているのである。
 また、検事は、YにK子への電話をすることを許し、さらにS子(前妻)とYを会わせたときは調べ室で会わせ、検事自らと事務官は退席までしているのである。
 検事は、取調べの日程があったため偶然であったなどと言うが、このようなことは到底信じられない。
 また、一般に検察庁においては、弁護人ですら接見施設のないことを理由に接見を拒否されるのである。
 このような取扱いこそまさに便宜供与以外の何物でもないのである。
 ㈢ Yは1月下句ころから、約束されていた筈の保釈申請が認められないために、いら立ち、検事に暴言を浴びせ、ふてくされた態度をとるようになり、検事の取調べ室のドアを蹴って「覚えてろ」などの捨てゼリフを言い、さらに保釈と調書への署名との取引を求めるなどしていた。
 そして4月1日、保釈に関するやり取りからYは興奮し、署名したばかりの調書を取り上げ、 「保釈するつもりはないんだ、それならこの調書を破ってやる」などと言うという事態が発生し、M刑事の電話での説得により、Yの要求通りそれまでの調書のコピーを渡してようやく事をおさめるという一幕も生じたのである。 」(第一審弁論要旨)

岩橋検事の了解の下で、Y氏が検察官の事務室で内妻や元妻と2人だけにしてもらい、時にはセックスまで許容されることがあったことは、すでに社会復帰していたY氏本人が「埼玉愛犬家殺人事件」控訴審の法廷で証人として堂々証言していることである。もしも1995年の時点で取調べ可視化が完全に実践されていたならば、このような事態は起こらなかっただろう。当然判決もまったく異なったものになり、今確定死刑囚として拘束の身の風間さんはとうの昔に社会に戻っていただろうと思う。次は一審判決文からの抜粋である。

「 (二) 逮捕後のYの供述内容、取調べ時における言動及びこれに対する検察官の対応等
 (1) Yは、平成7年1月8日にまずK事件(被疑罪名死体損壊遺棄)で逮捕されその勾留中の同月26日に同罪で浦和地方裁判所に起訴され、次いで、同年2月18日にE・W事件(被疑罪名前同)で再逮捕されてその拘留中の同年3月11日に起訴され、更に同月15日にS事件(被疑罪名前同)で再逮捕されその勾留中の同年4月4日に起訴されたが、これらの被疑事実については、M刑事及びI検察官の取調べに対して終始一貫してこれを認め、極めて詳細な供述をしている。この間、検査官は、Yがこれらの事件について死体損壊遺棄にとどまらず殺人にも関与しているのではないかと疑い、この点についても追及したが、Yは任意取調べの当時と同様殺人関与を強く否定し続けた。
 (2) 他方、Yは、K事件で起訴された後は、I検察官に対して、「(自分を)保釈にしてほしい。」などと要求するようになり、これが容れられないことが判明してくると、I検察官によるその後の取調べに際しては反抗的な態度を取ったり暴言を吐いたりするようになり、取調べ自体には真摯に応じていたものの、保釈が認められなかったことについての文句を繰り返し、また時には取調べや調書への署名を拒否したりするようになり、最後のころには、保釈の話を蒸し返し、それが受け入れられないと見るや、「それなら裁判で全部引っ繰り返してやる。」などと言い出したりしたこともあった。
 (三) 起訴後の自己の裁判における供述内容、供述態度、本裁判での証言時における供述内容、供述態度
 Yは、浦和地裁で聞かれた自らの各死体損壊遺棄被告事件の公判において、起訴事実を全面的に認め、捜査段階の供述と同趣旨の供述を繰り返す一方で、「I検事には証拠さえ出してくれれば何でも言うことを聞いてやると言われていた。」などと、同検察官との間で取引又は密約があったかのような供述をなし、また当裁判所に証人として出廷した際にも、右のような取引があったことをひたすら強調するような供述をする一方で、検察官等に対して極度に挑発的な態度を取るとともに、検察官及び弁護人らから事件に直接関係する事項について質問を受けると、「忘れた。」、「覚えていない。」などと実質的に殆ど証言拒否に近い態度を取り続けた。
 2 右に見たように、捜査段階でY供述が得られたことについては複雑な経緯があり、またY自身は本件についで詳細な告白をなしたことに対するいわば見返りとして捜査当局から様々な恩典を与えてもらいたいという思惑を抱き、妻の保釈、自己の保釈等を要求し、自己の保釈が容れられないと見るや、取調検察官に対して反抗的な態度を取ったり暴言を吐いたり、果ては取調べに応じることを拒否しようとするなど、功利的で厚かましい言動に出ていたのである。しかし、その一方で、Yは、検察官に説得されたりして結局取調べには応じており、またその本件各犯行についての供述内容自体は、任意出頭して供述を始めた当初から本人自身の裁判という最終的段階に至るまで終始変わっておらず、当裁判所に証人として出廷し、傲岸不遜極まりない態度で証言した際でさえ、自己の本件各犯行についてのこれまでの供述が虚偽であったなどとは遂に述べることがなかったのである。」(『一審判決文』)

この判決文には「捜査段階でY供述が得られたことについては複雑な経緯があり」と記されている。岩橋検事とY氏との間に「司法取引」と言われても仕方がない実情があったことを裁判官も認めているようである。しかしまた、判決文は、Y氏が「これまでの供述が虚偽であった」と法廷で述べなかったことが、さもさもこれまでのY供述の真実性の証拠であるかのように記述している。それだから「Y供述が得られたことについて」「複雑な経緯」があったとしてもそれは決してY供述の真実性を損なうものではない、と言いたいのだろう。しかし、ごく常識的に考えてみれば分かることだが、自分の裁判が進行中の段階で、「取調べ段階での自分の供述は虚偽であった」などとY氏が述べるはずがないではないか。ここで迂闊なことを言えば、自分が風間さんの代わりに殺人罪で逮捕される証拠の提供になりかねないのだから。裁判官がY供述の信用性の高さ、堅固さを判示するに際し、この程度の根拠・理由しか挙げることができないところにこの裁判の危うさがはっきり現れているように思う。なお、これまで岩橋検事についても他の人と同様仮名(I氏)にしてきたが、法曹者は公的な存在であると思われるので、今回から実名を記すことにした。
2012.10.05 Fri l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (1) トラックバック (0) l top
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