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今年2月20日に最高裁で「光市母子殺害事件」の元少年に対する上告棄却の判決が下り、元少年の死刑が確定したとき、この判決について検察を代表して見解を述べたのは、最高検の岩橋義明公判部長であった。

「社会に衝撃。妥当な判決」 最高検がコメント(2012.2.20 17:26)
 光市母子殺害事件の上告棄却を受け、最高検の岩橋義明公判部長は「少年時の犯行とはいえ、社会に大きな衝撃を与えた凶悪な事件であり、死刑判決が是認された本日の最高裁判決は妥当なものと考える」とのコメントを発表した。」

私は、岩橋義明氏の名を、「埼玉愛犬家連続殺人事件」の捜査官、また容疑者の一人として逮捕され、死体損壊・遺棄罪で3年の実刑判決をうけたY氏の取調べ担当検察官(浦和地検熊谷支部)としてよく聞きおぼえていた。この事件は1993年に4月、7月、8月と3件連続して引き起こされた殺人事件で、被害者は4名の人たちであった。それからおよそ1年半後の1995年1月に関根元、風間博子、Yという3人の人物が容疑者として逮捕された。が、きわめて証拠の乏しいこの事件において岩橋検事は自身が取調べたY氏と実質的な司法取引をすることで事件全体の筋書きを描き、構成し、立件したことはその後の経緯をみるとまず間違いないように思われる。すなわち、3人の容疑者のうちY氏に対しては初めから殺人罪は問わないこととして捜査協力を要請、Y氏もこれを了承し、最終的にY氏は殺人とは無関係の「死体損壊・遺棄罪」での起訴とされた。これは第三者にはまったく不公正なY氏への好遇(?)としか言えないのだが、しかしY氏自身は取調べ段階において岩橋検事との間に起訴猶予、最悪でも執行猶予で早期に釈放との約束があったといい、その釈放の約束が一向に実行されず、あろうことか有罪判決まで言い渡されてしまった、ということで「騙された」と不満たらたら、検察官とりわけ岩橋氏に対して非常な怒りをいだいたようである。

検察は結局Y氏の代わりに、偏見のない目で虚心に見れば無実の証拠がいくらでも存在するとしか思われない風間博子さんを2件・3名の人物に対する殺人の共謀・実行の主犯として関根元氏とともに起訴した。最大の問題は、いたるところで論理的矛盾を露呈しているこの筋書きを裁判所がそのまま採用し、判決に適用して風間さんに死刑判決を下したことだが、とはいえ「本件は徹頭徹尾、共犯者であるYの供述に完全に依拠した捜査が行なわれ、Y供述にのっとった捜査当局の事件のストーリーが完全に構築された上で、強制捜査が行なわれ、Y供述に従った自白を被告人両名から獲得すべく捜査、取調べが行なわれた事件である。」(第一審弁論要旨)ことにはちがいなく、岩橋検事が果たした負の役割はとてつもなく大きいのである。

その人が今や最高検察庁を代表して最高裁の重大判決について「少年時の犯行とはいえ、社会に大きな衝撃を与えた凶悪な事件であり、死刑判決が是認された本日の最高裁判決は妥当なものと考える」などと話しているのを見て、「よくもまぁぬけぬけと、偉そうに…」という一種の憤慨もおぼえたが、それと同時に、「埼玉愛犬家連続殺人事件」においてあれほど深刻な問題のある取調べ捜査を行なったことが歴然としている人物が、現にこうして検察を代表するほどの地位に就いている検察庁とは、いったいどれだけ腐敗した異様な組織なのだろう、という暗澹たる気持ちを押さえ切れなかった。しかもそのとき私は知らなかったのだが、知人によると、岩橋氏は他の事件でもよくメディアに登場して検察を代表して意見表明を行なっているということだった。

岩橋検事については、当ブログの「埼玉愛犬家殺人事件」のいくつかの記事において「I検事」として取り上げているのだが(こちらこちらこちら)、2月の光市母子殺害事件に対する岩橋氏のコメントを見たあと、この人物がY氏に対してどのような取調べを行なったか、そしてその取調べがどんなふうに「埼玉愛犬家殺人事件」の真相を歪めるはたらきをすることになったか、もう一度あらためてふれる気持ちになったのだが、当方の怠慢でついつい延ばし延ばしで今日まできたのだった。ところが、昨日(4日)夕方、岩橋氏に関する次の記事を見た。

「 最高検公判部長:ドアにバッグ挟み電車遅延 警察が聴取(毎日新聞10月04日)
 最高検の岩橋義明公判部長(58)が9月下旬、帰宅途中の電車内で自分のバッグをドアに挟み、電車を遅らせたとして神奈川県警に事情聴取されていたことが分かった。岩橋公判部長は「酔っていてバッグが挟まってしまった」などと話しているという。
 県警や検察関係者によると、9月28日午後11時すぎ、帰宅途中の東急田園都市線の溝の口−あざみ野駅間で、駅に停車していた電車のドアが閉まる際、公判部長のバッグが数回挟まって運行が約10分間遅れたという。岩橋公判部長は「酒に酔っていた。迷惑をかけてしまった」などと話しているという。」

この出来事は事件なのか事故なのかまだはっきりしていないようなので、これについて今どうこう言うことはできない。しかし、この人物が「埼玉愛犬家殺人事件」においてどれほどいかがわしく不正な取調べ行為を重ねたかは、何か機会あるごとにいくら言及しても過ぎるということはないと思われるので、これまでに書いた記事と重複する部分もあるかと思うが、弁論要旨と判決文(いずれも一審)から岩橋検事に関連する部分を引用しておきたい。まず弁論要旨から引用するが、ここに出ている「K子」という人は、Y氏の当時の内妻であり、また「S子」とは、Y氏の元妻のことである。警察・検察はY氏を取調べるために、その身辺を調査。その過程でこのK子という女性がちょっとしたトラブルをかかえていることを知り、Y氏をおびき寄せるために1994年の初冬に「詐欺罪」とかの微罪でまずこの人を拘束したようである。

「 Yの逮捕前の取調べ過程の異常性を示す事件は、K子の保釈手続きにまつわる一巡の経過である。
 すなわち、Yは、前記の通りK子が起訴された12月14日以降15日、21日、26日と連続して保釈請求をなしたが、いずれも証拠隠滅の恐れがあるために不相当との検事の意見が出され、保釈は実現しなかった。
 そのため、12月26日、担当の岩橋検事の事情聴取を受けたYは、K子の保釈の件を頼み、岩橋検事も上司にその旨伝えることを約したのである。岩橋検事は一般的説明をなしたに過ぎない旨弁解するが、取調べ担当検事にそのように言われたYがK子の保釈実現を信じたことは、本件公判におけるYの供述からも明らかである。
 Yは、捜査本部からのK子の国選弁護人である新井弁護士に対する電話連絡と面会日の取り決めという便宜供与を受けた上で、1月5日新井事務所を訪れるのである。
 同日、新井事務所を訪れたYは、同弁護士に対し、3回の保釈申請が不許可になっていることを知って渋る同弁護士に対し、「今回は大丈夫だ、検事が間違いなく出すと言っているので保釈申請してくれ、申請さえしてくれればよい」旨申し述べ、弁護士としての常識から、保釈が決まっているなどということはあり得ない.と考えた同弁護士による質問に対して、「自分は大きいヤマで現在警察に協力している、協力しなければできない事件なので自分がしゃべらなければ警察が困る、しゃべる代わりに保釈されることになっている、事件に協力するということで検事とは約束ができている、協力する代わりに自分は捕まっても起訴されないし、女房も保釈で出すと検事が約束してくれている」旨Yは説明しているのである。
 右説明にはYの絶対の自信が現われており、まさにYが検事と約束ができていると信じていることが表明されているのである。
 新井弁護士は、 「取引があるんだからやってみてくれ」というYの申し出に応じ、1月5日12時直前に保釈申請をした(弁第68号証)。
 ところが驚くべきことに、同日、K子は保釈が許可された上、釈放されることになったのである。さらにK子の保釈の検事の意見書には保釈相当かつ保釈金200万円と記載されているのである。
 弁護士にとって、保釈申請当日に保釈が許可になって釈放されるなどということは異例というより前代未聞と言うべきことであり、さらに保釈相当かつ保釈金額まで記載された検事の意見書など全くお目にかかったことはない。
 さらに、指摘すべきことは前述の通り、K子の保釈申請に対しては、それまで証拠隠滅の疑いがあった筈で、年末年始を経たのみでその理由が消滅しているのである。しかも、逮捕が予定されているY自身が身柄引受人になっているのである。
 これら一連のYのK子保釈申請の過程は、まさに警察・検察一体となった、Yの供述を得るために、K子の保釈について最大限の便宜を図るべしという完全な意思統一ができていたことを意味するものに他ならない。そして、Yが述べる通り、捜査当局とYとの間に取引が完成していた証左に他ならないのである。

3 取調べ過程の異常性
 Yは自ら述べる通り、捜査当局から壊れ物に接するような処遇を受けてきた。そして、逮捕・勾留後のYの取調べの過程では異常な事態が続発しているのである。
 ㈠ まず最も重要と考えられるのは、接見禁止が付されていないことである。
 殺人・死体損壊・遺棄事件、それも4名もの犠牲者が出ている重大事件において、それが共犯事件であれば接見禁止が付せられるのが常識である。
 とりわけ、本件の如く物証が少なく、1年余も経過し、さらに共謀関係、事件への関与の関係の捜査のために共犯者に接見禁止が付せられるのは、常識というよりも絶対に必要なことであると言わなければならない。
 なぜなら、これらを解明するためには、共犯者各人と共犯者以外の関係者を取調べることにより、証拠物の発見や、犯行に関連する会話等がなされているか否かが判明し、右共犯者各自の関与についての客観的な証拠が収集されることになるからである。
 このような場合、自由な接見が許されれば、これらの証拠の発見が不可能となるおそれがあるからである。
然るに、Yには一切接見禁止は付せられなかった。まさにこれは捜査当局とYとの間において取引と約束がなされていたことの証左であると共に約束の実現に他ならない。
 ㈡ 次に、岩橋検事は、接見施設のない検察庁内の部屋においてYがK子と島章子に面会することを許し、むしろ自ら接見するか否かをYに尋ね、これを許しているのである。
 また、検事は、YにK子への電話をすることを許し、さらにS子(前妻)とYを会わせたときは調べ室で会わせ、検事自らと事務官は退席までしているのである。
 検事は、取調べの日程があったため偶然であったなどと言うが、このようなことは到底信じられない。
 また、一般に検察庁においては、弁護人ですら接見施設のないことを理由に接見を拒否されるのである。
 このような取扱いこそまさに便宜供与以外の何物でもないのである。
 ㈢ Yは1月下句ころから、約束されていた筈の保釈申請が認められないために、いら立ち、検事に暴言を浴びせ、ふてくされた態度をとるようになり、検事の取調べ室のドアを蹴って「覚えてろ」などの捨てゼリフを言い、さらに保釈と調書への署名との取引を求めるなどしていた。
 そして4月1日、保釈に関するやり取りからYは興奮し、署名したばかりの調書を取り上げ、 「保釈するつもりはないんだ、それならこの調書を破ってやる」などと言うという事態が発生し、M刑事の電話での説得により、Yの要求通りそれまでの調書のコピーを渡してようやく事をおさめるという一幕も生じたのである。 」(第一審弁論要旨)

岩橋検事の了解の下で、Y氏が検察官の事務室で内妻や元妻と2人だけにしてもらい、時にはセックスまで許容されることがあったことは、すでに社会復帰していたY氏本人が「埼玉愛犬家殺人事件」控訴審の法廷で証人として堂々証言していることである。もしも1995年の時点で取調べ可視化が完全に実践されていたならば、このような事態は起こらなかっただろう。当然判決もまったく異なったものになり、今確定死刑囚として拘束の身の風間さんはとうの昔に社会に戻っていただろうと思う。次は一審判決文からの抜粋である。

「 (二) 逮捕後のYの供述内容、取調べ時における言動及びこれに対する検察官の対応等
 (1) Yは、平成7年1月8日にまずK事件(被疑罪名死体損壊遺棄)で逮捕されその勾留中の同月26日に同罪で浦和地方裁判所に起訴され、次いで、同年2月18日にE・W事件(被疑罪名前同)で再逮捕されてその拘留中の同年3月11日に起訴され、更に同月15日にS事件(被疑罪名前同)で再逮捕されその勾留中の同年4月4日に起訴されたが、これらの被疑事実については、M刑事及びI検察官の取調べに対して終始一貫してこれを認め、極めて詳細な供述をしている。この間、検査官は、Yがこれらの事件について死体損壊遺棄にとどまらず殺人にも関与しているのではないかと疑い、この点についても追及したが、Yは任意取調べの当時と同様殺人関与を強く否定し続けた。
 (2) 他方、Yは、K事件で起訴された後は、I検察官に対して、「(自分を)保釈にしてほしい。」などと要求するようになり、これが容れられないことが判明してくると、I検察官によるその後の取調べに際しては反抗的な態度を取ったり暴言を吐いたりするようになり、取調べ自体には真摯に応じていたものの、保釈が認められなかったことについての文句を繰り返し、また時には取調べや調書への署名を拒否したりするようになり、最後のころには、保釈の話を蒸し返し、それが受け入れられないと見るや、「それなら裁判で全部引っ繰り返してやる。」などと言い出したりしたこともあった。
 (三) 起訴後の自己の裁判における供述内容、供述態度、本裁判での証言時における供述内容、供述態度
 Yは、浦和地裁で聞かれた自らの各死体損壊遺棄被告事件の公判において、起訴事実を全面的に認め、捜査段階の供述と同趣旨の供述を繰り返す一方で、「I検事には証拠さえ出してくれれば何でも言うことを聞いてやると言われていた。」などと、同検察官との間で取引又は密約があったかのような供述をなし、また当裁判所に証人として出廷した際にも、右のような取引があったことをひたすら強調するような供述をする一方で、検察官等に対して極度に挑発的な態度を取るとともに、検察官及び弁護人らから事件に直接関係する事項について質問を受けると、「忘れた。」、「覚えていない。」などと実質的に殆ど証言拒否に近い態度を取り続けた。
 2 右に見たように、捜査段階でY供述が得られたことについては複雑な経緯があり、またY自身は本件についで詳細な告白をなしたことに対するいわば見返りとして捜査当局から様々な恩典を与えてもらいたいという思惑を抱き、妻の保釈、自己の保釈等を要求し、自己の保釈が容れられないと見るや、取調検察官に対して反抗的な態度を取ったり暴言を吐いたり、果ては取調べに応じることを拒否しようとするなど、功利的で厚かましい言動に出ていたのである。しかし、その一方で、Yは、検察官に説得されたりして結局取調べには応じており、またその本件各犯行についての供述内容自体は、任意出頭して供述を始めた当初から本人自身の裁判という最終的段階に至るまで終始変わっておらず、当裁判所に証人として出廷し、傲岸不遜極まりない態度で証言した際でさえ、自己の本件各犯行についてのこれまでの供述が虚偽であったなどとは遂に述べることがなかったのである。」(『一審判決文』)

この判決文には「捜査段階でY供述が得られたことについては複雑な経緯があり」と記されている。岩橋検事とY氏との間に「司法取引」と言われても仕方がない実情があったことを裁判官も認めているようである。しかしまた、判決文は、Y氏が「これまでの供述が虚偽であった」と法廷で述べなかったことが、さもさもこれまでのY供述の真実性の証拠であるかのように記述している。それだから「Y供述が得られたことについて」「複雑な経緯」があったとしてもそれは決してY供述の真実性を損なうものではない、と言いたいのだろう。しかし、ごく常識的に考えてみれば分かることだが、自分の裁判が進行中の段階で、「取調べ段階での自分の供述は虚偽であった」などとY氏が述べるはずがないではないか。ここで迂闊なことを言えば、自分が風間さんの代わりに殺人罪で逮捕される証拠の提供になりかねないのだから。裁判官がY供述の信用性の高さ、堅固さを判示するに際し、この程度の根拠・理由しか挙げることができないところにこの裁判の危うさがはっきり現れているように思う。なお、これまで岩橋検事についても他の人と同様仮名(I氏)にしてきたが、法曹者は公的な存在であると思われるので、今回から実名を記すことにした。
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2012.10.05 Fri l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (1) トラックバック (0) l top
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