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浅井基文氏はご自身の運営サイトのコラム欄でよく「他者感覚」の必要性を強調され、われわれ日本人には一般的にこの性質が著しく欠けているのではないかと問題提起をされているが、最新の「客観的基準に基づいて朝鮮を見よう -世論の力で日本の対朝鮮政策の変化を促すために-」という記事も同様のことを少し角度を変えて言っておられるように思う。何かの事件や問題事が発生すると一方的に徹底的に相手を非難・罵倒して終りにするのではなく、一度自分を相手の立場に置いてみて、そのとき自分(たち)だったらはたしてどのように行動していただろうか、と想像力を働かせて丁寧に深く考えてみることの大切さを言っておられるわけである。そして正確な解答を求めて存分に考えるためには、事実をよく知り、その事実を「客観的基準に基づい」た上で判断しようと努めなければ話にならないだろう。こういう欠如の傾向は特に北朝鮮に関して甚だしい程度で指摘できることは誰でも認めないわけにはいかないだろうと思う。

そもそもなぜ北朝鮮が核兵器の開発に乗り出す途を選択したのかということについて日本政府関係者はもちろんだが、日本のマスメディアにしても真剣な態度で追及に乗り出している姿を私は見たことがないように思う。と、他人事のようにそういう私にしても、北朝鮮が長年そんなにまで米国の核攻撃の脅威に曝されていたとはほんの10年前までまったく知らなかった。知ろうという気を起こしたこともなかったように思う。ではどのように見ていたのかというと、漠然とながら、とんでもなくヘンな国の独裁的指導者が他国の不安も顧みず好き勝手なことをやっている、とでも思っていたのかも知れない。そもそも私は、2000年にピョンヤンで南北朝鮮の金大中・金正日首脳会談が行われてその肉声を聞くまで金正日という人物は少し頭の弱い人であり、父親の金日成主席が親馬鹿心理で息子を最高指導者の地位に就けたのだくらいに思っていた。なぜそう思っていたかというと、そういう声がどこからともなくいくつもいくつも聞えてきていたからである。朝鮮戦争の過程で米国が核兵器の使用を検討したことを知らなかったというわけでもなかったのだから、今思うと完全な思考停止状態だったことが明らかで恥ずかしいことだと思う。

上記の浅井氏の指摘と同様のことを北朝鮮の問題(特に核開発問題)に関して唱える人は少なくない。数年前に亡くなられた韓国の李泳禧氏もその一人である。何年か前に「朝鮮半島の新ミレニアム 分断時代の神話を超えて」(社会評論社2000年)という本を読んで大変説得的だと思ったが、その主な理由は具体的な事実を挙げ、それに沿って議論を展開しているからにちがいないと思われる。この本から北朝鮮の核問題について考えたり論じたりするに際してどうしても知っておくべきだと思われる箇所を選んで下記に引用しておきたい。


 ダブルスタンダードを排し、相手の立場になって考える精神をもとう
 例えば、過去何十年もの間、韓国は米国とチームスピリット訓練をしてきました。その度に北朝鮮では、農民や労働者たちに銃を持たせ、その銃を持って防空壕に入り、海岸歩哨に立ち、工場生産を中断し、農村・漁村・鉱山における作業を中断して全国民が戦闘態勢に入ったのです。国家機能が一時停止する重大事態が繰り広げられました。にもかかわらず米国とわが国は常に、チームスピリット訓練とは攻撃訓練でなく「防衛演習」だ、訓練にすぎない、防衛的訓練なのにお前たちは何をそんなに大騒ぎして、われわれのチームスピリット訓練を罵倒し非難するのかと、むしろ北朝鮮側を罵倒してきました。
 ところでわれわれは、チームスピリット訓練というものが、いかなる性格と目的の訓練であるかについて知る必要があります。少なくとも1972年以降は、またそれ以前であっても、世界で最も大きな軍事ブロックである、米国が主導する北大西洋同盟(NATO)集団と、ソ連を筆頭とする共産国家集団(すなわちワルシャワ条約)間ですらも、朝鮮半島でしているような、すなわちチームスピリット訓練のような超大型・高強度軍事訓練はほとんどありません。ましてや1975年以降は、全くありません。1972年に、ワルシャワ同盟とNATO西側諸国との間に「ヘルシンキ協定」という東西和解・平和体制が推進されました。(略)それ以前からチームスピリットのような途方もない訓練はありませんでしたが、特に1972年以後には、世界地球上のどこにも、チームスピリットのような超大型規模の核攻撃型軍事訓練はありません。
これがどれほど大きな規模かというと、毎年米国の核攻撃空母2隻と、その2隻を中心とした多方向探知・発射核武装艦艇が、大体20隻から25隻動員されます。核兵器を供えた核爆撃機も加わって、北朝鮮の東西海岸周辺と停戦ライン上空を、絶えず飛行します。そして地上で20万、多い時には27万の韓・米両国軍が模擬核戦争を展開します。これが一日二日ではなくて何日も何昼夜も「防御訓練」という名目の下に、核爆撃機が北朝鮮の停戦ライン上を飛び回り、20余万名の兵力が20余隻の強力な海軍の掩護の下、停戦ラインの間近で上陸作戦訓練を続けます。北朝鮮の立場で見れば、20万の大兵力が自分たちの鼻先で上陸作戦を展開し、射撃し、急降下を行い、模擬核爆弾投下演習をするということなのです。途方もない訓練です。米国と韓国はこのような超大型規模の恐るべき核武装軍事訓練を「防禦訓練」だとか「演習」だとか言ってきたのです。
(略)武器には、戦車であれ戦闘機であれ、攻撃用と防御用を別に設計して別に作るというような方式はないのです。命令が変われば、攻撃用になったり防御用になったりするのです。また本当のところは、攻撃をするために防禦式の演習をするだけであって、実際の目的は北朝鮮に対する攻撃のためのものですね。だからこそ北朝鮮が、世界最強のこの軍事訓練が始まると蒼くなって国家機能までをも一時停止したのですが、すると、「われわれは防禦演習をしているだけなのに、お前たちは何でそんなに騒ぐのだ?」と、北朝鮮を非難してきたのです。
 北朝鮮側の反応の意味を理解するためには、相手の立場に立ってみる知恵と理性的な姿勢が必要です。もしソ連の極東軍事基地ウラジオストクにある強大な極東艦隊と東シペリアの陸軍が、北朝鮮人民軍20万と協力して、ソ連の核空母を停戦ラインのすぐ北側の東・西海沖合いに並べ、25隻の各種艦艇に核兵器を積載して、核爆撃用のベアー爆撃機編隊が停戦ライン上空と東・西海上空を行ったり来たりすると想像してみましょう。強大な東シペリアのソ連陸軍と北朝鮮人民軍、そして中共軍まで合わせた25万が、「防禦演習」と称して停戦ラインのすぐ北側で一ヵ月間上陸作戦訓練をし、核爆撃演習をすると考えてみてください。一日二日ではなく何週間もすることを想像してみてください。
 そうなれば、われわれは果してどう考え、どう反応するでしょうか? 韓国政府と軍部は、果して「ああ! ソ連と北朝鮮は防禦演習をしているのだなあ……。『防禦演習』だと言っているのだから、構わないだろう」と言うでしょうか? 宣伝手段を総動員して「北朝鮮の侵略者たち、またしても侵略準備!」だとか「国家総非常事態」だとか、北朝鮮糾弾国民決起大会開催だとか……そんな騒ぎになるでしょう。そんなことはないと言えるだけの分別がわれわれにあるでしょうか? 言い換えると、相手の行動を非難しようとするとき、自分がそう行動したら相手はどう考えるかを考えてみる「自分の客体化」の理性的思考力と知恵がなければなりません。そうすれば問題の原因はわれわれ白身(米国と韓国)にあるという事実に気づくはずであり、北朝鮮の行動の大部分が異なって見えるはずです。韓国の行動を非難する北朝鮮の理由も納得できるでしょう。」(初出:「全教組教師のための講演」1998年)

毎年毎年、こんな強力な軍事演習をすぐ目の前でやられていたのなら、この件だけでも北朝鮮が国を挙げて疑心暗鬼を超えた核攻撃恐怖症に罹らなかったとしたらそのほうが不思議なことのように私には思える。この「チームスピリット」という名の演習は今年もまたすぐ始まるのではないのだろうか?
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2013.02.27 Wed l 社会・政治一般 l コメント (4) トラックバック (0) l top
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