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この文章はコメント欄の返信として書き始めたのですが、長文になってしまったことに加えて前々から問題意識を持っていた内容でもありますので、こちらにエントリーとしてアップすることにしました。


やすさん、ゴログのご紹介ありがとうございます。檜原転石さんのブログでも同じものを紹介しておられましたね。(檜原さんには大分前にコメントをいただきながら、返信が遅れてしまっていてすみません。風間さんの事件にも関心を寄せていただいているようで、うれしいです。) じつは私は大道寺将司さんと外部とを繋ぐ隔月の交流誌「キタコブシ」を講読しているんですよ。もう10年余になります。ですから、今回の「一行詩大賞」受賞に関して拘置所側が何を危惧してか主催者側との連絡妨害行動をとっていたことも知ってはいました。大道寺さんの俳句はいつもまず「キタコブシ」に掲載されますが、私はズブの素人ながらも読みながらしばしじっと見入ってしまうことがよくあります。優れた詩句が持っている力なのでしょうね。今は病舎に入られていますが、気力は衰えず、健康なときと同じペースで執筆もされています。ただ時事的な問題では、もちろん教わることも多いのですが、特に最近は戸惑うことも増えています。ちょうどそういうことをつらつら考えているときにやすさんからコメントをいただいたわけでした。コメント内容からはかなり飛躍する話になってしまい恐縮ですが、この際、どのような文章に私が戸惑ってしまうかについて少し書いてみます。

○ リビアのカダフィが死んだとか。下水道の土管の中に隠れていたようですが、独裁者の最期とはそんなものでしょう。早速、オバマは歓迎のコメントを発しましたが、ではパレスチナは、シリアはと質したい。
○ 今朝の朝日新聞に「逃亡逮捕射殺に病死」という川柳が載っていました。独裁者の末路です。
○ 北朝鮮のミサイルは失敗とか。米・中・露などの大国だけが核やミサイルを保持、使用できるのはおかしいという北朝鮮の主張は頷けるけれど、そんなものに大金を注ぎ込むよりも民衆が腹一杯食べられる社会にすることこそが大事なんじゃないですか。最高指導者だという若者だけがぽっこりと肥満して、民衆は枯枝のように痩せているのに「人民共和国」はないと思います。

「最高指導者だという若者だけが……」という記述については、在日朝鮮人という読者から批判的内容の文章が寄稿されました。「確かに、指摘されていることに間違いはありません。誰もがそう思っているでしょう。でも、北朝鮮=悪のイメージまたは嘲笑というような文章が見過ごせません。…そのようなつもりで書かれたのではないとは理解していますが、どうしてもその文章が私の差別されてきたアンテナのようなものにひっかかって仕方がありません。私の友人や知人が北朝鮮を何度も訪れており、5月にも訪朝してきました。その人たちに何度も正直な感想を求めました。…なによりも、北朝鮮のひとたちは普通に暮しているということです。ピョンヤンでは、恋人同士が楽しそうに歩いていたり、田舎ではお百姓さんたちが休憩時に唄を歌い踊っていたりと、外部からの遮断ゆえにその限られた中で普通の風景があったということです。日本では、若者も年寄りもワーキングファーで、働けども食べていけない現状があります。食物や物は溢れていても、自殺者が年間3万人を越えるのはどうしてなのでしょうか。果たして、どちらが幸福といえるでしょう。」という指摘に対して、

○ ……さんに不快な思いをさせたことをお詫びします。ぼくが北朝鮮の民衆が「枯れ枝のように痩せている」と感じたのはアジアプレスの写真を見たからで、メディアの報道を鵜呑みにしたわけではありません。……ぼくは体制を支持するのと民衆を支持するのとは別だと思うんです。食料不足だったり、物乞いをする子どもたちがいるという現実から目を逸らせてはいけないと思い、敢えて毒気のある書き方をしました。

「北朝鮮のミサイル」との記述に対しても「ちと驚きました」という指摘が国外在住の読者からありましたが、私も北朝鮮が米韓日の合同軍事演習から受けている絶えざる圧迫を無視していることやカダフィの死亡についての記述は公平な見方ではないように思う、という趣旨の投稿をしました。直近では、

○ 改憲や秘密保護法についてのアベシンゾウをはじめ政府、与党の底の浅い言説に接すると、反天皇派のぼくでも現在の天皇、皇后の認識(彼らは政治にかかわる発言はしないようにしているが)の方が至極まっとうなものに思えます。

と書かれていました。このようなことは大多数の人が思っていることなのかもしれないし、また間違っているとも言えないとは思うのですが、かつて「反日」を名乗り、「虹作戦」なるものを計画した人にしては、受け止め方が単純に過ぎるような気がして違和感を禁じえませんでした。獄中という閉ざされた環境下での情報の不足・偏りを考えなければいけないとも思いますが、あの計画の着想やその後の行動を当事者として否定しているときいた記憶がないだけに、ではあれらはいったい何だったの? と怪訝な思いもするのです。獄中にいる人を含めた周囲の人に対する配慮がよく行き届いた人であることも含めて、真摯な姿勢に常々敬意をもっているのですが、上に書いたようなことはどうしてもうまく理解できないでいます。
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2013.11.21 Thu l 社会・政治一般 l コメント (6) トラックバック (0) l top
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