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6月5日、「埼玉愛犬家殺人事件」最高裁判決!
「埼玉愛犬家殺人事件」の最高裁判決は6月5日(金)に言い渡されるとのことである。口頭弁論が開かれたのは3月27日だったから、弁論から判決までの期間はわずか2か月余ということになる。最高裁の口頭弁論は今では単に形式上のセレモニーに過ぎない、実質的には裁判としての体をなしてはいないという趣旨の嘆息や批判を雑誌などでよく見かけてはいたが、この日、はじめて最高裁に足を運んでみて、やはりそうなのかという感想を禁じえなかった。死刑を争う事件の裁判にしては法廷に緊迫感がさほど感じられなくて、緊張して足を運んだ傍聴人としては少なからず拍子抜けがした。そもそも被告人はなぜこの場にいないのだろう(注1)。風間博子さんの弁護人は、被告人は謀議も実行もふくめて殺人には一切関与していないとして「無実」を主張し、「無罪判決」を求めていたが、その主張が内容自体として裁判官に伝わるという確信をもって言葉を発しているのかどうか、被告人への厳罰化傾向ばかりが目につく近年の刑事裁判の流れのなかで、無力感にさいなまれることも多いのではないかと、弁論を聴きながら思ったことであった。
先年亡くなった大野正男氏は著書『弁護士から裁判官へ-最高裁判事の生活と意見-』のなかで最高裁に次のことを求めていた。貴重な提言だとあらためて思うので、ここで記しておきたい。

「(現在)年に大法廷が一、二回、各小法廷が十数回というくらいである。/最高裁での弁論は、弁護人にとって職業上の名誉であるだけでなく、事件そのものの記念碑であり、最高裁にとっても重要な社会的意味を持つ儀式である。/しかし、口頭弁論があまりに形式的になり形骸化されるようになったことについては、裁判所としても考え直す必要があろう。それは弁論を開くのが、内部的に結論が決まってからになるという近時の慣行である。それが確定的なしきたりになり、弁護士界にも知られ、報道機関も承知するようになれば、弁論が実質的に尊重されなくなるのは、やむを得ないことである。/弁論を開いてから内部的な最終結論ということになれば、弁論と判決の間の期間が現状より長くなるけれども、それはむしろ必要な時間であろう。その結果上告棄却の結論に達することもあり得るが、それはむしろ当然である。/裁判所が最終結論を出す前に、当事者が実質的な意見を述べることによって、これに寄与するというのは、判決への信頼度の担保として重要である。」(岩波書店・2000年)

さて「埼玉愛犬家殺人事件」の最高裁判決について、下記『NIKKEI NET』に関連記事が出ている。

「埼玉県で1993年、愛犬家ら男女4人が殺害された事件で、殺人などの罪に問われ、1、2審で死刑判決を受けた元犬猫繁殖業、関根元被告(67)と、元妻の風間博子被告(52)の上告審で、最高裁第2小法廷(古田佑紀裁判長)は18日までに、判決期日を6月5日に指定した。
3月に開かれた弁論で、両被告の弁護人は互いに相手が首謀者であるとして「死刑は重すぎる」と主張。検察側は上告棄却を求めた。
1、2審判決によると、関根、風間両被告は93年4-7月、犬の売買を巡るトラブルから男性会社員(当時39)ら3人を殺害。また、関根被告は同8月、主婦(同54)を毒殺した。」
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20090518AT1G1802B18052009.html

この記事に、「両被告の弁護人は互いに相手が首謀者であるとして「死刑は重すぎる」と主張。」とあるが、「死刑回避」を求めたのは関根被告側であり、風間被告側は、「死体損壊・遺棄」については関根被告の強制でたしかに手伝ったが、殺害については「無実」を主張し、「無罪判決」を求めているので、『NIKKEI NET』の表現は正確さに欠ける。『時事ドットコム』の『埼玉愛犬家殺害で来月判決=一、二審死刑の元夫妻-最高裁』というタイトルの記事では下記のように「死刑回避や無罪を求めた」と記されている。

「1993年、埼玉県内の愛犬家ら男女4人の連続殺害事件で殺人などの罪に問われ、一、二審で死刑とされた元犬猫繁殖販売業関根元(67)、元妻風間博子(52)両被告について、最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)は18日までに、判決期日を6月5日に指定した。
 両被告側は3月の弁論で、死刑回避や無罪を主張。検察側は上告棄却を求めた。」
http://www.jiji.com/jc/zc?k=200905/2009051800738

「両被告側は3月の弁論で、死刑回避や無罪を主張。」という表現は、『NIKKEI NET』の「両被告の弁護人は互いに相手が首謀者であるとして「死刑は重すぎる」と主張。」に較べれば正確な表現だと思うが、死刑回避と無実の主張とでは当事者の裁判を戦う目的が全然異なるのだから、「3月の弁論で、関根被告側は死刑回避を、風間被告側は無罪を主張」と正確に表現してほしいし、するべきだと思う。どちらの書き方をしても、文字数はせいぜい7、8字しか違わないのだから。

風間博子さんは本当に人を殺したか?
6月5日にどんな判決が出るのか、現時点ではもちろん不明だが、私は風間博子さんへの一・二審の死刑判決には納得のいかなさ、不審の念をおぼえている。この事件について私は実のところ長い間ほとんど何も知らなくて、いくらかの知識を得たのは、1年程前、共犯として逮捕され、3年の実刑判決を受けた人物が事件を描いた本を読んだときだった。
今振り返ってみると、読みながら信憑性に微妙に疑問を感じた箇所がいくつかあったように思う。たとえば、現被告人の風間博子さんが死体の解体をしながら歌を口ずさんでいた、という場面には、残酷さというより一種奇妙な希薄な印象をうけた。現実感がともなっていないように感じられたのだ。といっても、その印象は印象として、その後はほとんど忘れてしまっていたのだが、今年にはいって、一審の「弁論要旨」「論告」「判決文」などの裁判資料を読んだ。これは偶然の機会に過ぎなかったのだが、読みすすむにつれて判決に対する疑問が大きくなっていくのをどうしようもなかった。このような不可解な判決が世の中でほとんど疑問視されることなく通用しているのである。冤罪に関する情報は報道でもしばしば聞くので、死刑判決にもいつでも誤判はありえると思ってはいるのだが、実際にこのような疑わしい判決を目のあたりにすると、やはり衝撃をうけずにはいられないものである。

捜査段階での警察・検察の動きの異常さも目を覆いたくなるものがある。だが最も問題なのは、裁判官の事実の認定ではないかと思う。事件を構成する一つひとつの具体的な出来事にたいして判決文が示している解釈や判断は、私たち人間一人ひとりがこの世界を生きていくなかで培い、獲得していく経験則から推しはかって、あまりにも不自然、不合理であり、とても納得できるものではないと感じた。事実をありのままに公平に眺めた上で良心にしたがって素直に解釈し、正確に判断しようとするのではなく、解釈を歪めて無理な判断を重ねているように思えたのだ。なぜそうなるのだろう。事実がふくんでいる自然に逆らって、あらかじめ自分のもっている偏見や思い込みや欲求や意図をそこに強引に加えてしまうからではないだろうか。

風間博子さんの死刑判決は、そのようなプロセスのなかから導きだされたのではないかというのが現在の私の疑いである。風間被告は、はたして検察官が主張するように、また一・二審の裁判所が認定したように、一連の事件において主犯の関根被告と殺害の謀議をなし、また自ら殺害を実行したのだろうか?実際そのとおりだったのか、それとも真相は異なるのか、このことについてこれから順次考察していきたい。

この事件は、「愛犬家連続殺人事件」としてその名称だけは多くの人に知られているが、個々の事件のそれぞれの内容は必ずしも正確に周知されているとはいえないと思えるので、裁判資料を援用してまず事件の概略を述べておきたい。
起訴された事件は全部で3件、事件名はすべて「殺人、死体損壊・遺棄被告事件」で、被害者は4名である。被害者は全員被告人たちの知人であり、とりわけ関根被告の近しい関係の人たちだった。殺害方法は、裁判所の認定では一様に、「アフリカケンネル」という、犬などの動物の繁殖・販売業を営んでいる被告人たちが、犬の薬殺用の硝酸ストリキニーネを被害者に飲ませて毒殺し、遺体は解体し、骨は所持品と一緒にドラム缶で焼却した後、肉片や内臓とともに山や河川に捨てて証拠を滅却したという。殺害方法の「薬殺」については、関根被告、風間被告の双方が異論を唱えているが、これについては、後に判決文を検証する際に詳しく見てみたい。
最初の事件は1993年4月20日、会社員であるKさんの殺害。次は同年の7月21日、暴力団幹部のE氏とその付き人のWさんを殺害したというもの。この2つの事件は、関根被告と風間被告が共謀して殺害計画を練り、関根被告が自身の運転手のような役割をつとめ、また当時自宅に関根被告を住まわせて共同生活を営んでいたY氏を脅して死体損壊・遺棄を手伝わせ、三人共犯で事件を起こしたとされている。最後の8月26日のSさん(女性)殺害は関根被告が単独で殺害計画・実行をなし、死体損壊・遺棄には前2件と同様にY氏を誘い込み、共犯者にしたてあげたという。つまり最初の2件、被害者3名の殺害は関根・風間・Yの三氏でなされ、3件目のSさん殺害は関根被告とY氏の二人だけで実行したとされ、風間被告は無関係であるとして起訴もされていない。
すべての事件で、被害者の遺体は、わずかに骨片、歯片などが見つかっているだけである。上記で述べたように、解体され、焼かれ、河川や山林に遺棄されて、痕跡を消されてしまったのだが、遺体の解体もドラム缶をつかった焼却も、3件ともY氏の自宅で行なわれている。つまりY氏はすべての事件にきわめて深く関与しているわけで、関根・風間の両被告とともにこの事件のすべての真相を知る三人のうちの一人であり、そういう意味でY氏は今もなお事件解明の鍵をにぎる最重要人物なのである。

やがて、「アフリカケンネル」(この「アフリカケンネル」には「万吉犬舎」と「ペットショップ」があり、関根被告は、「万吉犬舎」を、風間被告は「ペットショップ」をと、分担して経営していた。「アフリカケンネル」はこの2店の他に前年(92年)購入した「江南犬舎」も所有していた。こちらは敷地の一角に自宅も建てられた広大な犬舎だが、事件当時「犬舎」として使用されていたのは「万吉犬舎」であった。)の周辺で複数の人物が立て続けに行方不明になっていることが近隣でひそかな噂になりはじめたようだ。翌1994年春先からテレビなどのマスコミがこの話題を取り上げるようになり、関根被告はマスコミに追われるようになるのだが、こういう様相に、警察もつよいプレッシャーをうけはじめたらしい。そして事件解明の突破口を、事件に関わっているにちがいないと見えたY氏に絞ったようである。そのへんの事情、それ以降の経緯を風間被告の弁護人による『一審弁論要旨』は次のように述べている。

Y氏の取調べ状況の驚くべき異様さ
「本件は徹頭徹尾、共犯者であるYの供述に完全に依拠した捜査が行なわれ、Y供述にのっとった捜査当局の事件のストーリーが完全に構築された上で、強制捜査が行なわれ、Y供述に従った自白を被告人両名から獲得すべく捜査、取調べが行なわれた事件である。
このことは、平成7年(95年)1月5日、被告人両名が逮捕される前に既にYの員面調書14通、検面調書1通、上申書3通が作成され、さらに被告人両名の逮捕の翌日から、被害者4名の遺体の解体が行なわれた群馬県片品村のY方の現場検証が行なわれ、Yの希望に従って検証終了日の同月8日にYが逮捕されたことに端的に示されている。
共犯事件であり、4名の犠牲者が出ている本件においては共犯事件特有の共犯者供述が必然的に帯有する危険性が十二分にあるのであり、この点から、共犯者各人の供述内容を慎重に吟味しつつ、各共犯者の犯行関与の有無・程度についての捜査が行なわれなければならない。
然るに、当公判廷でYが供述した通り、捜査当局はYとの様々な取引を通じて獲得された供述を前提として捜査を進め、事件のストーリーを作り上げ、被告人両名とりわけ被告人風間博子(以下、被告人風間という)の真摯な供述に一切耳をかさずに捜査を行ない、その結果、全く真実とは異なるYの犠牲者4名に対する死体損壊・遺棄という罪名のみでの起訴という極めて不当な結果を生ずることとなったのである。
このような捜査の歪みが、本件公判廷におけるYの事件に関する供述の全面的な拒否という異常事態をもたらしたのである。」(『一審弁論要旨』より)

勾留に至るまでのY氏の言動、またY氏をとりまく捜査状況はきわめて異常なものだったようである。その具体的内容を、前記の『一審弁論要旨』と、『判決文』とを適宜用いて紹介したい。まずは『一審弁論要旨』から。

「(1) Y氏が勾留されるまでの経緯について
1) マスコミ報道によって、E殺害の犯人として被告人関根元を疑った暴力団T組は、その共犯者としてYに対する圧力を強めていたが、周辺捜査からK子(Y氏の妻)の詐欺事件を見出していた捜査当局は、平成6年9月以降、事件の最も弱い環としてYにターゲットをしぼることとなった。
2) 同10月17日、Yに対する事情聴取が行なわれたが、翌日YはK子と共に逃走し、これを機に捜査当局は、Yに対する圧力をかけることを最大の目標としてK子の逮捕令状を取得し、指名手配を行なうこととなった。/11月24日、愛大家事件捜査班のみで組織された捜査陣は、Yの歯科治療に同行したK子を逮捕することに成功したが、Yはこの捜査陣から再び逃亡した。/もともとK子の詐欺事件は痴話喧嘩のもつれに端を発する事件であり、被害者の処罰感情も低いものであり、同事件の立件の主目標がYに対する圧力とゆさぶりであることは明らかであったが、Yは前記T組に加えて捜査当局の重大な圧力を受けることとなった。/その結果、Yは、11月20日に担当刑事であるMとの接触を図り、事態の打解を図ることとなり、12月1日にその後の取調べに応ずることを承諾することとなった。/ここでのYの目的は、無論自らが殺人事件に関与していないとの主張を捜査当局が受け入れるか否か、捜査当局の手持ち資料のさぐりであった。
3) 右の如き目的を持ったYがその後簡単に事件についての関与を認めるわけはなかったが、「お前が目的ではない、関根の逮捕が目的なんだ」等の言葉から、捜査当局が自分の描いたストーリーに沿った捜査が行なわれるとの見通しを持ったYは、遂に12月8日から、既に考えつくした筈であるストーリーを語り始めるに至ったのである。
4) Yは右の通り事件についての供述を始めるに至ったが、常にK子の処分が念頭にあった筈であり、捜査当局もこれを利用して取調べを行なっていたものであって、そのことは平成6年12月14日のK子の起訴の日のYの員面調書が2通、これまでで最長の35ページに及ぶものが作成されたことにも現われている。/Yとしては、自らの逮捕が当然予想されたことから、逮捕勾留以後の接見及び差し入れの担当者としてK子が必要だったからである。
5) Yの逮捕前の取調べ過程の異常性を示す事件は、K子の保釈手続きにまつわる1巡の経過である。/すなわち、Yは、前記の通りK子が起訴された12月14日以降15日、21日、26日と連続して保釈請求をなしたが、いずれも証拠隠滅の恐れがあるために不相当との検事の意見が出され、保釈は実現しなかった。/そのため、12月26日、担当のI検事の事情聴取を受けたYは、K子の保釈の件を頼み、I検事も上司にその旨伝えることを約したのである。I検事は一般的説明をなしたに過ぎない旨弁解するが、取調べ担当検事にそのように言われたYがK子の保釈実現を信じたことは、本件公判におけるYの供述からも明らかである。/Yは、捜査本部からのK子の国選弁護人であるAR弁護士に対する電話連絡と面会日の取り決めという便宜供与を受けた上で、1月5日AR事務所を訪れるのである。/同日、AR事務所を訪れたYは、同弁護士に対し、3回の保釈申請が不許可になっていることを知って渋る同弁護士に対し、「今回は大丈夫だ、検事が間違いなく出すと言っているので保釈申請してくれ、申請さえしてくれればよい」旨申し述べ、弁護士としての常識から、保釈が決まってるなどということはあり得ないと考えた同弁護士による質問に対して、「自分は大きいヤマで現在警察に協力している、協力しなければできない事件なので自分がしゃべらなければ警察が困る、しゃべる代わりに保釈されることになっている、事件に協力するということで検事とは約束ができている、協力する代わりに自分は捕まっても起訴されないし、女房も保釈で出すと検事が約束してくれている」旨Yは説明しているのである。/右説明にはYの絶対の自信が現われており、まさにYが検事と約束ができていると信じていることが表明されているのである。/AR弁護士は、 「取引があるんだからやってみてくれ」というYの申し出に応じ、1月5日12時直前に保釈申請をした(弁第68号証)。/ところが驚くべきことに、同日、K子は保釈が許可された上、釈放されることになったのである。さらにK子の保釈の検事の意見書には保釈相当かつ保釈金200万円と記載されているのである。/弁護士にとって、保釈申請当日に保釈が許可になって釈放されるなどということは異例というより前代未聞と言うべきことであり、さらに保釈相当かつ保釈金額まで記載された検事の意見書など全くお目にかかったことはない。/さらに、指摘すべきことは前述の通り、K子の保釈申請に対しては、それまで証拠隠滅の疑いがあった筈で、年末年始を経たのみでその理由が消滅しているのである。しかも、逮捕が予定されているY自身が身柄引受人になっているのである。/これら一連のYのK子保釈申請の過程は、まさに警察・検察一体となった、Yの供述を得るために、K子の保釈について最大限の便宜を図るべしという完全な意思統一ができていたことを意味するものに他ならない。そして、Yが述べる通り、捜査当局とYとの間に取引が完成していた証左に他ならないのである。」(『一審弁論要旨』より)

捜査当局に勾留された後のY氏が当局からどんなに破格の、また異様きわまる取扱いを受けたかについて、同じく『一審弁論要旨』から該当部分を引く。

「(2) 取調べ過程の異常性
Yは自ら述べる通り、捜査当局から壊れ物に接するような処遇を受けてきた。そして、逮捕・勾留後のYの取調べの過程では異常な事態が続発しているのである。
1) まず最も重要と考えられるのは、接見禁止が付されていないことである。/殺人・死体損壊・遺棄事件、それも4名もの犠牲者が出ている重大事件において、それが共犯事件であれば接見禁止が付せられるのが常識である。とりわけ、本件の如く物証が少なく、1年余も経過し、さらに共謀関係、事件への関与の関係の捜査のために共犯者に接見禁止が付せられるのは、常識というよりも絶対に必要なことであると言わなければならない。/なぜなら、これらを解明するためには、共犯者各人と共犯者以外の関係者を取調べることにより、証拠物の発見や、犯行に関連する会話等がなされているか否かが判明し、右共犯者各自の関与についての客観的な証拠が収集されることになるからである。/このような場合、自由な接見が許されれば、これらの証拠の発見が不可能となるおそれがあるからである。/然るに、Yには一切接見禁止は付せられなかった。まさにこれは捜査当局とYとの間において取引と約束がなされていたことの証左であると共に約束の実現に他ならない。
2) 次に、I検事は、接見施設のない検察庁内の部屋においてYがK子とS子に面会することを許し、むしろ自ら接見するか否かをYに尋ね、これを許しているのである。/また、検事は、YにK子への電話をすることを許し、さらにS子とYを会わせたときは調べ室で会わせ、検事自らと事務官は退席までしているのである。/検事は、取調べの日程があったため偶然であったなどと言うが、このようなことは到底信じられない。/また、一般に検察庁においては、弁護人ですら接見施設のないことを理由に接見を拒否されるのである。/このような取扱いこそまさに便宜供与以外の何物でもないのである。
3) Yは1月下句ころから、約束されていた筈の保釈申請が認められないために、いら立ち、検事に暴言を浴びせ、ふてくされた態度をとるようになり、検事の取調べ室のドアを蹴って「覚えてろ」などの捨てゼリフを言い、さらに保釈と調書への署名との取引を求めるなどしていた。/そして4月1日、保釈に関するやり取りからYは興奮し、署名したばかりの調書を取り上げ、「保釈するつもりはないんだ、それならこの調書を破ってやる」などと言うという事態が発生し、M刑事の電話での説得により、Yの要求通りそれまでの調書のコピーを渡してようやく事をおさめるという一幕も生じたのである。」(『一審弁論要旨』より)

検察庁内でのK子さんとの面会に際して、Y氏はなんと性行為まで許容されている。このことは控訴審の公判で証言台に立ったY氏が弁護人の尋問に答えて自ら明確に肯定しているし、著書にもそのように明記されている。このような実態では、弁護人の次のような判断は無理からぬことといえるだろう。

「…Yの取調べの経過からするならば、捜査当局とYとの間に、Yについては殺人について不問に付す、K子の保釈を約束する、Y自らの処分については死体損壊・遺棄のみの起訴のため、場合によっては起訴猶予もあり得、少なくとも保釈は許可され、執行猶予となる旨の約束がなされていたこと、さらに取調べの条件についてもK子との自由な面会を許し、接見禁止は付けないとのYの要求が通っていることが認められる。/Yにとってはこのような取引をなすことによって、T組の追及から逃れ、事件に関する決着をつけ、最大のメリットとして殺人罪を免れるという極めて大きな利益を得ることになったのである。/そして、このようなYの自信を支えたものが、自分が協力しなければ事件は成立しない、捜査当局はY自らを殺人罪で追及しうる材料を持っていないということであったことは、前述のK子の保釈の依頼の際のAR弁護士との会話から十分に読み取れるのである。/Yの取調べ担当者であったM刑事、I検事はそのような取引は絶対にあり得ないし、当初から殺人罪をはずすというつもりは毛頭なかった、Yは取調べの際は真剣に取調べに応じていた旨証言する。/しかしながら、Y自身は現にそのように考えていたのであるし、そのことはI検事に対する度重なる保釈の要求からも明らかであり、K子の保釈、接見禁止が付かない等の処置によって、Yの捜査当局への信頼も増していったと考えられる。/自らが協力しなければ捜査は進まず、捜査当局も資料を持っていないという自信があったのであり、何よりもYに対する捜査当局側の対応及び保釈が認められなかったことからくるYのふてくされた態度からみるならば、当初の取調べがYと捜査当局側の馴れ合い的な雰囲気で始まっていることは明らかであるし、このような関係あるいはこのようなYの態度であれば、真実は何か、Yが実際にどのような役割を果たしたのか、という真剣な取調べはなされえなかったと考えられるのである。/だからこそ、Yの供述の数々の矛盾も見逃され、Eが所有していた腕時計ロレックスについて、取調べ当初から処分したというYの嘘に騙され続け、後にこれが発見された時も、安易なYの弁解を容易に受け入れてしまっているのである。」(『一審弁論要旨』より)

次に、このような取調べの実態が一審の裁判官の目にはどのように映ったのかを見てみたい。『一審判決文』から抜粋する。

「Y供述の信用性を検討するのに先立ち、まず右Y供述が得られた経緯等について検討しておくこととする。
1 右Y供述が得られた経緯等の概略は、以下のとおりである。
(一) 本件の捜査状況及び逮捕前のYの言動等
(1) 埼玉県警本部は、関根と面識のある数名の者(本件被害者4名を含む。)が行方不明になっており、殺人事件の疑いがあるということで内偵を始め、平成6年2月ころに、浦和地検熊谷支部のI検察官にその旨報告するとともに、引き続き検察庁と連絡を取りつつ捜査を進めていたところ、Yがこれらの事件に関わっている疑いが強まったため、県警本部のM刑事らが同年10月17日にYを任意同行して本件各殺人事件について事情聴取を行った。しかし、Yはこれらの事件への関与を全面的に否定した上、帰宅後まもなく妻K子とともに姿をくらましてしまった。
(2) この事態を承けて、県警本部が更にYの身辺捜査を行ったところ、K子が川越警察署管内で詐欺事件を起こしていることが判明した。そして、その報告を受けたI検察官が地検本庁幹部らに報告して協議した結果、身柄を拘束して捜査するに値する事件であるとの結論に至ったことから、川越警察署がK子の逮捕状を得て同人らの行方を追っていたところ、同年11月24日に張り込み中の東京都内の病院に同人らが現れたことから、K子を逮捕するとともに、Yを事情聴取のため任意同行しようとしたが、同人に逃げられてしまった。しかし、その後、Yから前記M刑事宛てに何回かK子の処遇等についての問い合わせなどの電話が入るようになり、その際本件について供述するかどうか迷っているような様子であったため、Mが「早く真相を話すかどうか決めろ。そうでなければ会っても仕方がない。」などと言って突き放していたところ、同月30日ころになってYから面会を求めてきた。そこで、同年12月1日にM刑事がK刑事とともにYと落ち合った上、近くの東松山警察署に行き、同署で、今後の取調べ日程等について話し合い、同人から、任意の取調べを同月3日から始めることなどについて了承を得た。
(3) 同月3日から、東松山警察署でM刑事らによるYに対する取調べが始まったが、同日、同月4日及び同月7日の取調べでは、「関根を早く逮捕しろ。警察はこの事件をとことんやる気があるのか。」、「関根を一緒に成敗するが、考える時間をくれ。」、「時間が来れば必ず説明する。」などと言って、本件について供述することをためらっていたものの、同月8日の取調べで、各事件について自分が各被害者の死体の損壊遺棄作業に携わったことを自白するに至り、その後も更に詳細な供述を続けるようになった。そして、その間の同月13日に実施されたY立会の現場確認の捜査では、Yは自らの車を運転して捜査員の車を先導しながら、各被害者の死体解体に使用したという包丁や焼却遺棄したという骨片(人骨)等の投棄場所や死体を解体焼却したというY方を案内して回り、その指示した場所からは包丁や骨片らしきものなどの証拠物が発見された。
(4) 一方、I検察官は、同年12月15日ころ、警察から右のような捜査の進展状況について報告を受け、地検本庁の次席検事らと協議した結果、これまでの捜査結果を踏まえて、この段階で強制捜査着手後Yの取調担当検察官となる予定のI検察官自身がYを取り調べてその人物像等を把握しておく必要があるということになったことから、警察を通じてYに連絡を付けてもらい、同月26日、行田署でYに会い、同人に対して「事件について供述することは君自身も罪に問われることになるから覚悟して供述してほしい。」旨告げた上、取り敢えずK事件を中心に取り調べたところ、Yは、「関根は許せない。恐ろしい男だ。このままでは犠牲者が増えるかもしれない。社会正義のため一大決心をした。」などと言って、同事件の概要及び自分の果たした役割等について供述したため、翌27日に再度同人を取り調べた上これを調書化した。右調書作成後、Yは、同検察官に対して、前記詐欺事件で平成6年12月14日浦和地裁川越支部に身柄のまま起訴されていたK子の早期保釈方について「検事の力で何とかしてほしい。」などと訴えた。そして、I検察官は、同日中にYの供述内容等について地検本庁の幹部らに報告し、協議した結果、翌年1月中旬ころ被告人両名及びYを同時に逮捕すること、その逮捕前にYの自宅に対する検証を早急に実施することなどの捜査方針が決まり、県警本部にこれが伝えられた。他方、K子は前記のとおり身柄のまま起訴され、その後Yが再三保釈請求をしたものの、地検川越支部検察官は裁判所からの求意見に対してその都度「不相当」の意見を出し、これらの保釈請求はいずれも却下されていたところ、YはなおもK子の保釈を強く希望し、平成6年12月27日I検察官に前記のように訴えたところ、同検察官はYに対して「自分はK子の事件の担当検事でもないし、裁判官でもないから、保釈になるとか保釈するなどと言うことはできない。」などと断った上、「(K子の)保釈についての希望があったことは上司に伝えておく。」旨Yに話した。そして、同検察官は、その日の地検本庁幹部らに対する前記報告の際に、YがK子の早期保釈を希望していることも併せて報告した。
その後、K子の国選弁護人であるAR弁護士が平成7年1月5日付けで保釈請求をしたところ、裁判所からの求意見に対し、同支部WA検察官は「同意。但し保釈金は200万円が相当と思料する。」との意見を提出し(ちなみに、同意見書には当初は「しかるべく」と記載されていたが、これが抹消されて右意見に変更された。)、K子は右の条件で保釈を許可され、釈放された。
(5) 県警本部は、平成7年1月6日、7日の両日にわたり、死体解体焼却現場である群馬県片品村所在のY方居宅に対し、Yら立会の上で検証を実施し、多数の証拠品も押収した。一方、被告人らの逮捕については、警察から、被告人らを逮捕することが一部のマスコミに漏れそうなので逮捕時期を早めたいとの連絡が地検本庁にあり、地検本庁もこれを了承したことから、結局、当初方針と異なり、被告人両名は平成7年1月5日に逮捕され、Yは右検証が終了した翌日である同月8日に逮捕されるに至った。
(二) 逮捕後のYの供述内容、取調べ時における言動及びこれに対する検察官の対応等
(1) Yは、平成7年1月8日にまずK事件(被疑罪名死体損壊遺棄)で逮捕されその勾留中の同月26日に同罪で浦和地方裁判所に起訴され、次いで、同年2月18日にE・W事件(被疑罪名前同)で再逮捕されてその拘留中の同年3月11日に起訴され、更に同月15日にS事件(被疑罪名前同)で再逮捕されその勾留中の同年4月4日に起訴されたが、これらの被疑事実については、M刑事及びI検察官の取調べに対して終始一貫してこれを認め、極めて詳細な供述をしている。この間、検査官は、Yがこれらの事件について死体損壊遺棄にとどまらず殺人にも関与しているのではないかと疑い、この点についても追及したが、Yは任意取調べの当時と同様殺人関与を強く否定し続けた。
(2) 他方、Yは、K事件で起訴された後は、I検察官に対して、「(自分を)保釈にしてほしい。」などと要求するようになり、これが容れられないことが判明してくると、I検察官によるその後の取調べに際しては反抗的な態度を取ったり暴言を吐いたりするようになり、取調べ自体には真摯に応じていたものの、保釈が認められなかったことについての文句を繰り返し、また時には取調べや調書への署名を拒否したりするようになり、最後のころには、保釈の話を蒸し返し、それが受け入れられないと見るや、「それなら裁判で全部引っ繰り返してやる。」などと言い出したりしたこともあった。
(三) 起訴後の自己の裁判における供述内容、供述態度、本裁判での証言時における供述内容、供述態度
Yは、浦和地裁で聞かれた自らの各死体損壊遺棄被告事件の公判において、起訴事実を全面的に認め、捜査段階の供述と同趣旨の供述を繰り返す一方で、「I検事には証拠さえ出してくれれば何でも言うことを聞いてやると言われていた。」などと、同検察官との間で取引又は密約があったかのような供述をなし、また当裁判所に証人として出廷した際にも、右のような取引があったことをひたすら強調するような供述をする一方で、検察官等に対して極度に挑発的な態度を取るとともに、検察官及び弁護人らから事件に直接関係する事項について質問を受けると、「忘れた。」、「覚えていない。」などと実質的に殆ど証言拒否に近い態度を取り続けた。
2 右に見たように、捜査段階でY供述が得られたことについては複雑な経緯があり、またY自身は本件についで詳細な告白をなしたことに対するいわば見返りとして捜査当局から様々な恩典を与えてもらいたいという思惑を抱き、妻の保釈、自己の保釈等を要求し、自己の保釈が容れられないと見るや、取調検察官に対して反抗的な態度を取ったり暴言を吐いたり、果ては取調べに応じることを拒否しようとするなど、功利的で厚かましい言動に出ていたのである。しかし、その一方で、Yは、検察官に説得されたりして結局取調べには応じており、またその本件各犯行についての供述内容自体は、任意出頭して供述を始めた当初から本人自身の裁判という最終的段階に至るまで終始変わっておらず、当裁判所に証人として出廷し、傲岸不遜極まりない態度で証言した際でさえ、自己の本件各犯行についてのこれまでの供述が虚偽であったなどとは遂に述べることがなかったのである。」(『一審判決文』より)

裁判所は判決において被告・弁護側の主張を完璧に斥け、検察の主張を全面的に採用したわけだが、その裁判所でさえ上記を読むと捜査段階における当局とY氏の関係の異常性を認めているようではある。認めざるをえなかったのだろう。しかしそれにしても、裁判官はここで、Y氏は「自己の本件各犯行についてのこれまでの供述が虚偽であったなどとは遂に述べることがなかったのである。」と、Y氏が法廷で「虚偽であると述べなかった」ことがその供述の真理であることの揺るがぬ裏付けであり証明であるかのように述べているが、これは的外れの判断か、そうでなければ一種の詭弁だと思う。Y氏の立場にたってみれば、このような姿勢は「殺人」の追及から自分を守るための一番確実な方法であろう。当初、検察官が約束していた(もしくは約束したとY氏が信じていた)不起訴処分がなされなかったことにY氏が苛立ちと憎悪の念をもっていたのはたしかだとしても、「殺害を実行したのはYである」と一貫して主張している両被告人とその弁護人の反対尋問に曝されて迂闊なことを口走ったりすれば、せっかく自分の裁判が(Y氏は関根・風間の両被告人とは分離裁判であった。風間被告も関根被告との分離裁判を要請したがきき入れられなかったという。)「死体遺棄・損壊」の罪状のみで結審できそうな気配なのに、とんでもない事態を招きかねない。どこまで検察が庇ってくれるか、または庇い切れるか、知れたものではないのである。Y氏の心情を忖度すれば、「忘れた」「記憶にない」といって事実関係については一切口を開かないに越したことはないだろう。単にそれだけのことではないのだろうか。「供述が虚偽であった」と発言しなかったことがY供述の真実性の証だという裁判官の真意は不明だが、このような論理でいくのなら、風間被告は捜査段階からただの一度も自己の殺害行為を認めたことはなく、その後その供述が虚偽であると認めたこともこれまた一度もないのだから、風間被告のその主張もまた真実性の証になるのではないだろうか。だが、判決文を見るかぎり、裁判官が風間被告の主張に真摯に耳を傾けた痕跡、気配は見出せない。この判決文には、これにかぎらず、呆気にとられるような不可解な認定が他にも多数あると思う。

Y氏の供述調書と著書の内容はなぜこれほど大きく異なるのか
ここでY氏の著書について触れておきたい。3年の実刑判決を受けたY氏は満期で出所した後、『週刊新潮』でこの事件に関する文章を6回にわたって書いている。そしてその連載終了後、これを基にした『共犯者』という本を出版している(新潮社・1999年)。この本は翌2000年には『愛犬家連続殺人』と改題され、著者名も変更されて、今度は角川書店から文庫本として刊行されている。また2003年、一審判決直後には、新潮社出身の作家・蓮見圭一氏の名でY氏の本と同じ内容と思われる『悪魔を憐れむ歌』が出版されている。この本には「『愛犬家連続殺人』を改題し大幅に加筆訂正」との弁が載っているが、一読したところでは、私は先行作品との相違点を見出すことはできなかった。(蓮見氏は『週刊新潮』の連載時か、『共犯者』出版時か、あるいはその両方なのかは不明だが、Y氏のゴーストライターをつとめた可能性が高いと思われる。)
ここでまず取り上げたいのは、Y氏が供述調書で事実として述べ、検察官が法廷でそれを事実に相違ないとしてそのまま主張し、また裁判所が信頼できると判定した、同じ一つの事実が、『週刊新潮』の記事や『愛犬家連続殺人』ではどのように記述されているか、という点である。もし供述調書がY氏の記憶に基づいてありのままに作成されていたのなら、週刊誌や著書でも同様のことが述べられているはずである。たった4、5年の時間の経過しかないのだし、ましてそれは裁判の行方を決定づけた重大な証拠になったのだから、しっかり記憶に刻みこまれているはずである。ところが著書を読んでみると、事実はそうではないのだ。どのように違うか、その相違点について述べてみたい。なお、『週刊新潮』の記事も、『愛犬家連続殺人』も、控訴審で弁護人が証拠請求し、採用されているので、これは裁判の証拠の一つでもある(『愛犬家連続殺人』(弁1号証)、『週刊新潮』抜粋記事(Y告白手記1-6)(弁2号証))。
93年4月20日の佐谷田車庫でのK氏殺害に至る経緯について、一審判決文は「(Yは)平成4年9月ころから関根と親しく付き合うようになり、万吉犬舎にも度々顔を出して、運転免許を持っていない関根の運転手のようなことをしていた」と事件当時のY氏と関根被告との関係に言及した後、Y氏の供述調書に沿った次の認定をしている。

「事件当日も万吉犬舎に行って犬の世話などをしていたところ、午後5時過ぎころになって関根が車庫まで行ってくれと言うので、自分が当日乗って来た車(ミラージュ)に関根を乗せて、午後5時半ころ佐谷田の車庫に行った。そこで初めて関根からKと会う約束をしていることを聞かされた。車庫内で関根と雑談をしていると、30分位してKがアウディに乗ってやって来た。関根とKは車庫の中で立ち話をした後、車庫内に置かれていた外車(ダッジバン)の後部座席に並んで乗り、関根がKにドリンク剤を勧めたりしていた。Kが来てから5分位して、関根が買い物や給油に行って来いなどと言ったので、ミラージュを運転して出かけ、給油をした後買い物をして帰ってきたらKがダッジバンの後部座席で死んでいた。殺害した現場は見ていないが、その時の様子などからして、関根が何らかの毒薬をKに飲ませて殺害したのだと思う。そして関根に「お前もこのようになりたいか。」などと脅され、死体の解体等を手伝うように言われた。それで、関根に命じられるままに死体をミラージュに乗せ、関根とともに片品村の自宅に運搬した。その途中の車内で、関根から「Kのボディを無くするんだから、お互い口を割らない限り警察は手を出せず、絶対に判らない。」などと言われた。また、「(佐谷田の車庫に置いたままになっている)Kの車を博子と一緒にどこかに捨てて来い。博子には事情を話してあるから。」などとも言われた。」(『一審判決文』より)

同じ場面を、Y氏は『愛犬家連続殺人』のなかでこう記している。
「「夕方、佐谷田の車庫でKさんと会うから、お前も同席してくれないか」/翌20日、関根から連絡を受けた俺は片品村から車を飛ばした。言われた通り、夕方の5時に熊谷市佐谷田の車庫に着いたが、車庫のシャッターは3枚とも閉まっていた。1枚のシャッターを半開きにして中を覗くと、関根のダッジの車内で二人が話し込んでいるのが見えた。揉めている様子はなかった。(略)/「Y、ガソリンないだろ。うちのスタンドで入れてこい。帰りに、Kさんにこれと同じ酒を買ってきてくれ」/俺が車庫に着いて5分ほどすると、関根がそう言った。ちょうど渋滞する時間帯だ。関根が契約しているスタンドに行けば、戻ってくるまでに30分はかかる。(略)/案の定、道は込んでいた。ガソリンスタンドに辿り着くだけで20分近くもかかった。(略)/ガソリンを入れ、酒を買って車庫に戻ったのは約40分後だ。再びシャッターを開けて車庫の中を覗くと、Kさんがダッジの後部座席で首をうなだれ、だらんとした格好で頽れていた。(略)/「お前、見て分かるか」(略)/それから、関根の脅しが始まった。(略)/(注:片品村の自宅に着いた後)「お前は、これからいったん熊谷に戻れ。軍手をしていくのを忘れるな。熊谷に一番近いパーキングエリアに着いたら、そこから女房に電話しろ。あいつにはもう全部話を通してある。車庫に着いたらKのアウディに乗り換えて、どこでもいいから都内に乗り捨ててこい。」」(『愛犬家連続殺人』より)

「供述調書」によると、Y氏はその日もいつものように犬の世話などをして万吉犬舎にいたというのだから、それは関根被告と一緒だったということだが、午後5時過ぎになって、関根被告から車庫まで乗せて行ってくれと頼まれて車庫に行き、そこではじめてこれからK氏と会うことを聞かされたという。
しかし、上述のように、著者で述べているところはそうではない。Y氏は関根被告から前もってその日の夕刻車庫でK氏と会う予定があると聞かされ、その同席を頼まれていたため、約束の5時に間に合うように片品村の自宅から一人で車を飛ばしたというのである。車庫に到着した時間も調書とは異なる。調書では5時半到着となっていたのに、著書によると5時だという。さらに大きな、決定的な相違点がある。調書ではY氏と関根被告の車庫到着時にはそこにK氏の姿は影も形もないのに、著書によると、Y氏の到着時、すなわち5時の時点でK氏はすでにそこにいて、ダッジバンの後部座席に関根被告と並んで坐り、酒を飲んでいたというのだ。しかし、その日のK氏が6時過ぎまで勤務先の会社にいたことは証拠上明白なのだ。K氏は退社寸前、同僚と一緒に警報装置をセットしていて、その時間は6時5分である。誤差を1分とったとしても、6時4分か6分、そのあと門扉まで歩く時間が2~3分かかるとのこと(K氏の同僚の実験結果)。そして、走行実験の結果によれば、会社を出発して佐谷田車庫に到着するまでの所要時間は最短で18分58秒であり、最長で20分13秒かかったという。したがって、K氏が佐谷田車庫に到達する時間は、最も早い場合でも18時25分、最も遅い場合だと18時30分となる。K氏の車庫到着は6時30分少し前でしかありえないことが客観的に明らかなのだ。『週刊新潮』の記事や著書における、5時にK氏が車庫に到着していたというY氏の明言は一体何を意味しているのだろう。蓮見氏の著書でもこの記述に変化はない。5時に到着したY氏はバンのなかに関根被告と一緒のK氏を認めたことになっている。この問題は、K氏がこの日の何時に、誰に、どのような経過で殺害されたのかという事件の核心部分に密接にかかわることなので、後日あらためて検討してみたい。

それから、殺害後、遺体を車に乗せて自宅に戻った後、「(佐谷田の車庫に置いたままになっている)Kの車を博子と一緒にどこかに捨てて来い。博子には事情を話してあるから。」と関根被告に言われ、Y氏はミラージュで出発し、途中で風間被告に電話を掛けるのだが、この時の様相は調書と著書とでは大変な相違がある。調書によると、電話に出た風間被告は、
「既に事情を全て知っていた様子で、深夜なのにすぐ電話口に出て、風間の方から待ち合わせ場所を指定してきた。自分が佐谷田の車庫に行って、そこに置いてあったアウディに乗って待ち合わせ場所に行くと、風間は既にそこにクレフで来ていて、「うまくいった(か)。」と声を掛けてきた。風間が、東京のどこでもいいから車を置いて来ようと言うので、自分が先導する形で二台の車で東京に行き、アウディを八重洲の地下駐車場に置き捨てた後、風間の車に乗せてもらって佐谷田の車庫に戻ったが、帰りの道中で風間から「あんたさえ黙っていれば警察に捕まらない。」「証拠がなければ警察に捕まらない。」などと関根と同じようなことを言われた。」(『一審判決文』より)

『検察論告』は、同じ場面を次のように描いている。
「Yの電話に、自宅で待機していた風間は、右電話に出ると、「東松山インターに向かう途中、道の広くなっている所がある。先に行って待っている。」と言った。/合流した際、風間は「うまく行った?Sさん、東京判るでしょう。先に走ってよ。都内のどこでもいいから車を置いてきましょうよ」と言って、東京都内に向かう旨、Yに指示した。/帰りの車中で風間はYに対し「あんたさえ黙っていれば、誰にも判らないし、警察に捕まることはない。」と口止めをした。」(『検察論告』より)
(ところで、風間被告の「あんた」という言葉遣いについて、Y氏は一審の第17回公判の証言で異議を唱えている。「被告人風間は自分のことをSさんと名前を呼ぶ、あんたなんて呼ばれたことは一度もない」と述べているのだ。)

つづいて、上記と同場面が、著書『愛犬家連続殺人』ではどう描かれているか見てみたい。

「「Yです」
「ああ、こんばんは」
俺はこの台詞に困惑させられた。ひょっとしたら、この女は何も知らないのかも知れない。
「奥さんのところに電話するようにって、社長から言われたんですけど」
「じゃあ、待ち合わせしましょうか」
「はい」
「大変だろうけど、我慢してね。何も心配いらないから」
「公園脇に、休憩中の長距離トラックが何台も停まっているはずだから、すぐに分かるわよ」」

次は、待ち合わせ場所で合流した際の描写。

「「こんばんは」と言ったきり、何の指示も与えない。そういう女だ。
「社長から、どこでもいいから都内の駐車場にこの車を捨ててこいって言われました。それが済んだら、すぐに戻って来いって」
「(風間は)先、走って」とだけ言って、クレフに乗り込んだ。
「途中で、アウディのフロアマットを捨ててこいって、社長から言われたんですけど」……
「このゴミ箱に捨ててきてもいいでしょうか」
……俺はトイレにも寄ったが、博子はクレフの車内からじっと俺の方を監視していた。博子がやっと口を関いたのは、佐谷田の車庫に戻ってからだ。
「事故に気をつけて。うちの人をよろしくね」
車庫の前で俺を下ろすと、博子はそう言って、ニヤッと笑った。」

供述調書と著書における二つの証言。この間のあまりに大きな差異には、唖然とさせられる。Y氏は同一時間に相異なる二つの体験をしたかのようだ。裁判官および検察官は捜査段階のY供述につよい信頼性を置いたわけだが、その具体的、象徴的な例を判決文および論告から選ぶと、下記の場面になるだろう。
1) 風間はすぐに電話にでた。(それは、自宅で待機していたからだ。)
2) 合流した際に風間は「うまく行った?Sさん、東京判るでしょう。先に走ってよ。都内のどこでもいいから車を置いてきましょうよ」と言った。
3) 帰りの車中で風間はYに「証拠がなければ警察に捕まることはない。」「あんたさえ黙っていれば、誰にも判らない。」と口止めをした。

上記の3点をY氏の著書における記述と比べてみると、まず1)について著書では「博子はすぐに電話にでた」とは記されているものの、そのことをY氏が異様と感じた様子は何ら見られない。むしろ「Yです。」と名を告げると、「ああ、こんばんは」と返事が返ってきたことに対して、「俺はこの台詞に困惑させられた。ひょっとしたら、この女は何も知らないのかも知れない。」と、風間被告の電話の対応をしごく尋常普通なものに感じたことが述べられていて、これは調書で述べたところとはまったく逆の意味・内容である。
またY氏が風間被告に「奥さんのところに電話するようにって、社長から言われたんですけど」と述べていることも調書との重要な違いだ。判決文は、風間被告がY氏の電話での依頼を深夜であるにもかかわらず、また用件も問うことなく、すぐに引き受けたことは異常な行動であり、これもまた事前にK氏殺害を知っていたからだという。だが、風間被告は、その前日ペットショップで関根被告から「S(Y氏のこと)は俺の仕事でいろいろ動いてもらっているから、Sに用を言われたら動いてくれ」と言われていたので、Y氏の依頼はそのことに関連していると思ったから何ら疑問をもたなかったのだと終始一貫して主張している。ここでY氏が自分のほうから「奥さんのところに電話するようにって、社長から言われたんですけど」と発言していることは、風間被告の前記の主張と符号していることが明らかだろう。
また著書では、風間被告が「大変だろうけど、我慢してね。何も心配いらないから」と述べたことになっているが、これは調書にはなかった発言である。そして、どうだろう、文脈からするといかにも唐突な一言という見方もありえるのではないだろうか。
2)は重要である。合流した風間被告がY氏に述べたとされていた「うまく行った?」が、著書から消えているのだ。この「うまく行った?」という風間被告の発言こそ、検察が関根・風間の事前共謀の証拠としていた重大発言であった。判決文が、風間被告の電話での対応およびその後のアウディ放置行為に関するY供述について、「その内容は極めて具体的で迫真性に富んでいるばかりでなく、何ら不自然不合理な点も存在しない。」と判定しているのも、この「うまく行った?」という風間発言があればこそのはずだった。なのに、肝心のその言葉はどこに行ってしまったのか、著書にはないのである。
一審判決文はまた、「(風間は)Yが現実に東京まで遠征して深夜の駐車場に車を置き捨てるという異常かつその裏に何らかの重大な犯罪が起きていることを窺知させる行動に及んでいるのに、最後までその理由すら一切聞こうともしないまま行動を共にしている」とも述べているが、夜の11時、11時半を深夜と認識するか否かは人それぞれの感覚によるし、生活様式や労働形態にもよるだろう。長年「愛犬ジャーナル」を発行し、また自らもブリーダーのプロであるKK氏は、法廷で風間被告のこの時間帯での外出を異常と感じるかどうかを尋ねられて、「ブリーダーは犬のお産や病気等で深夜行動することが多いので、何ら異常さは感じない」と証言している。判決文は、都内への車の運搬について頭から「車を置き捨てる」行為と決めてかかったり、「Yの当夜の要求とその後の行動は、既に何らかの重大な犯罪が起きていること及びその犯跡隠蔽のためにYが動いていることを明瞭に指し示しているのであって、風間がそれに全く気が付かなかったなどということはおよそ考えられないといってよい。」と判定しているが、私などはどちらかといえば裁判官のこの解釈のほうに異様さを感じる。車の運搬についていえば、「捨てに行く」とは考えず、「返しに行く」と思ったという風間被告の捉え方のほうが普通ではないだろうか。またこのような依頼をされた時点でただちに「重大犯罪の発生」を想像するとすれば、むしろそのほうが特異ではないだろうか。「最後までその理由すら一切聞こうともしないまま行動を共にしている」点についていえば、風間被告の一審の弁護人は『弁論要旨』で「それが被告人関根の用事であることは判明していたのであり、離婚後は被告人関根に逆らわないように気をつけながら、同人から徐々に遠ざかろうとしていた被告人風間にとって、特に被告人関根やYがいかなる目的をもって、どのような行動をなしているかに興味がないことはむしろ自然である。」と述べている。Y氏によると風間被告はもともと寡黙ということだし、この振る舞いが特に異常なものとは私にも思えない。
3)の「証拠がなければ警察に捕まることはない。」「あんたさえ黙っていれば、誰にも判らない。」と風間被告がY氏に述べたとされていた発言も、きれいに著書から消えている。新たに挿入されているのは、「事故に気をつけて。うちの人をよろしくね」という発言である。
この事件で、なんら物的証拠のない風間被告の殺人行為の決め手とされているのは、捜査段階でのY氏の供述のみである。関根被告も、「すべて被告人風間の言いなりの自分は、本件においても被告人風間の言いなりにやった」と、取調べの途中から「風間主犯論」を述べはじめ、今もその主張を堅持してはいるが、彼は公判廷でさえその場でたちまち露顕するような矛盾した証言をなし、またそれをめまぐるしく変転させているので、その信用性には裁判官も検察官もほとんど重きをおいていない。風間被告の死刑判決はY供述を唯一の根拠としている。しかし、上記で見たような有り様では、肝心要のY供述の信憑性とはどの程度のものであり、その信用性とはどういう性質のものだろうか。

そのうえ、これだけではないのである。もともと、Y氏は、徹底して証言拒否を貫いた一審の公判廷でも、風間被告の殺害行為についての尋問には、下記のようにそれを否定する証言をしていた。

「Yからすれば、被告人風間に対し、何ら悪感情を持っていたわけではないし、あくまで自分の身代わりとして共犯に取り込む供述をしたが、Y自身の刑事裁判は「死体損壊・遺棄」で当初の目的を達成させたことから、今後殺人等でむし返されることはないと確認し、被告人風間に対する同情心と良心の呵責を抱き、次の様な証言をしたのである。
弁護人-「これは非常に危険な綱渡りなんですけれど、もう一度聞きますが、K事件に関して、風間被告人が車の運搬だけを認めて、殺人、死体損壊・遺棄については、自分はしていませんと、この裁判で言っているのです。その主張について、どう思うか」
Y-「本人が言ってんだから、間違いないでしょう。本人が言ってんだから、それで合ってるでしょう」
弁護人-「Eさん、Wさんの方の事件・・・・・」
Y-「私は、博子さんは無罪だと思います。言いたいことは、それだけです。」
「私は、博子さんは無罪だと思いますと言ったんです。全部ひっくるめて。」
このやり取りは、Yが本件に対する証言の中で唯一きっぱりと述べた部分であり、又被告人風間の罪体に関する重要な部分であり、Yが何故に証言拒否を繰り返す中で、この部分について明確に証言したのか、これは正にYのぎりぎりの「良心」であったと確信するものである。」(『一審弁論要旨』より)

しかし、Y氏が風間被告の殺害行為を疑いの余地なくはっきりと否定したのは、すでに社会に戻っていたY氏が証人として出廷した控訴審の二度の公判であった。経過を見ると、

「風間弁護人の犯罪事実に関連する質問に対しては、ひたすら「覚えてません」と言い続け、やはり(一審と)同様に「あんただれの弁護士ですか。」と言い出し、さらには「あんたの質問には答えられません。」と答え、なぜかと間かれると「ばかばかしいからです。」と答え、最後には「(博子を助けたいなら)だったら、あんた、弁護士辞めなさい。」と言う。それについてなぜかと聞かれると「あんたじゃ駄目だわ、無理だわ。ほかの人にしなさい。」と答えて、それについてなんで駄目かと聞かれると「私がそう思うだけです。」、(その理由はと聞かれ)「それも分からないようなら、あんた、うちに帰りなさい。」(さらにその理由を聞かれ)「もう弁護士辞めたほうがいいですよ。」と答えた。結局、事実関係については、ひたすら弁護士を馬鹿にし、非難し、質問をはぐらかして証言を終えたのである。」(『控訴審弁論要旨』より)

このように自分自身の犯罪事実についての尋問(たとえば、関根被告の弁護人は「Kさんの首を絞めましたね」と尋ねている)に対しては、一審同様に証言拒否の姿勢を崩さなかったY氏は、風間被告については、「殺人はしていない」と明言している。
「人も殺してないのに何で死刑判決が出るの」、浦和の裁判所で話すことができなかった中身は今話せますか?と弁護人に尋ねられて、「今話したらめちゃくちゃになります」、「何で博子がここにいんのですよ、問題は。殺人事件も何もやってないのに何でこの場にいるかですよ。それで釈放しないのはおかしいですよ。おれが出てるんだから。もうこの裁判は、そこから根本がおかしいですよ。」「人を殺せる人かどうか、顔を見れば分かるでしょう。」(『公判速記録』より)
Y氏は、「(風間被告が)死刑判決ときいて、最初びっくりした」とも述べている。自身の供述が風間被告の死刑判決を呼び寄せたとの認識はつよくもっているようである。

  11月5日 追記
(注) 被告人は最高裁の裁判には出席できないと訴訟規則で定められているそうです。
 刑事訴訟規則
(被告人の移送・法第409条)
 第265条 上告審においては、公判期日を指定すべき場合においても、被告人の移送は、これを必要としない

注1)文中、人名は一部仮名を用いています。
  2)改行部分を一部/として表記しています。

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2009.06.02 Tue l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (15) トラックバック (0) l top

コメント

 こんにちは。ブログのご案内、感謝です。まだ全文を拝見しているわけではないのですが、地声で書いていらっしゃるのが大変感じ好く、また論説もしっかりしてらして(すみません。偉そうに・・・)、学ばせて戴いています。大野正男氏の著書『弁護士から裁判官へ-最高裁判事の生活と意見-』は、感慨深い思いで読ませて戴きました。
 拙ブログでご紹介し、TBもさせて頂いたところです。
 では、時間がかかりますが(時間掛けて)拝読します。ありがとう。
2009.06.05 Fri l ゆうこ. URL l 編集
本件の問題点を整理した精緻な論証、ありがとうございます。事後のご報告となり、恐縮ですがリンクをはらせていただきました。私たちのページもリンクしていただければ幸いです。また、ホームページのメールから連絡図とれます。よろしくお願いいたします。http://www.geocities.jp/kazama_muzai/
2009.06.10 Wed l 風間博子さんの友人の会. URL l 編集
Re: タイトルなし
> 本件の問題点を整理した精緻な論証、ありがとうございます。事後のご報告となり、恐縮ですがリンクをはらせていただきました。私たちのページもリンクしていただければ幸いです。また、ホームページのメールから連絡図とれます。よろしくお願いいたします。http://www.geocities.jp/kazama_muzai/

友人の会さま
コメントをありがとうございます。またリンクをしていただき、重ねてお礼申し上げます。
さきほど貴ブログの新しい記事を拝見しました。判決の模様をはじめて詳しく知ることができました。
それで早速こちらからもリンクをはりたいのですが、やり方がわかりません。コメント欄やカウンター欄などを少しさわって動かしてみたのですが、そのたびにトラブルが起きるようです。
今もブログのコメント欄にアクセスしたところ、エラーです、というメッセージがでて画面が消えてしまいます。ですから、リンクはもう少しお待ちください。申し訳ありません。
2009.06.11 Thu l yokoita. URL l 編集
上告審では
一つだけ、
最高裁で開かれる上告審では被告人は出席できないのです。
地方裁、家裁、簡易裁判で開かれる一身と高裁で開かれる控訴審のもが
被告人本人が出席できます。
2009.11.05 Thu l マルタ. URL l 編集
マルタさま
マルタさま
風間博子さんに関するコメントをくださり、ありがとうございます。
まずお詫びしなければならないのですが、午後1時台にくださったマルタさんのコメントを操作ミス(手違い)で一度消してしまいました。そのためコメント時間が4時過ぎになっています。申し訳ありません。
最高裁の裁判に被告人が出席できないとのご指摘をいただきましたが、本当にそうなのですね。私は最初慣習なのかと思っていましたが、そうではなく、刑事訴訟規則に明記されていることを後で知りました。今回ご指摘いただきましたので、本文記事の中にそのことを追記で載せておきます。
風間さんの死刑は確定しましたが、この判決はあまりにも疑問点が多すぎる不当判決だと思っています。感想などありましたら、またおきかせください。
2009.11.05 Thu l yokoita. URL l 編集
最高裁
こんばんは。半年前の書き込みにレスするのもなんですが、
仮に最高裁に被告人が「出席したい」と希望してもそれは無理な話しでしょう。
地方裁や高裁の支部は全国の都道府県にあるのに大して最高裁は東京に一つしかないわけですし、
北海道から沖縄まである広い日本でいちいち被告人を地方から移送して出席させてると迅速な裁判が行えない可能性が高いです。
ましてや上告審(最高裁で審議)なんてものは必ずしも殺人などの大事件でのみ行うものではなく、窃盗や痴漢などの数多い犯罪でも行われるときは行われるわけで、
そんなので被告人出席させてるようだと上告審なんてものはパンクしてしまい事実上行えなくなってしまうでしょうね。
「最高裁に被告人が出席したい」という希望は間違いなく却下されると思います。一回でも前例を作ったら、再現なくそういう嘆願を受け入れなくてはならなくなるでしょうし。
2010.04.06 Tue l マルタ. URL l 編集
マルタさま
マルタさま
コメントありがとうございます。
おっしゃるように、最高裁への被告人出席は警備、費用の点、また最高裁の性格上、難しいのでしょうね。
ただ、1959年の松川裁判の最高裁判決には被告人は大勢出席、傍聴しているんですよ。「仙台高裁に差し戻し」の判決を実際に自分の耳で聴いています。いつを境に変わったのでしょうか。
最近、再審決定などのニュースがつづいていますが、この理由について、当時の裁判官・検察官がほとんど姿を消したからだという見方を述べる人もいますね。
2010.04.08 Thu l yokoita. URL l 編集
事件を目の当たりにしたわけでもないのに、冤罪を疑ったり、被告人には情状酌量の余地があるとかって意見、むなくそ悪い。何を知ってるの?法だとか聴取だとか、形式だけを見て言ってるのかもしれないけど、被告はただの殺人鬼ですから。見てただけでも、脅迫された末の犯行でも強要でも、人が無抵抗に殺されたのを知ってもなお、何も変えようとしなかった時点で鬼畜。被告の何を知ってるの?風間と知り合いなわけ?
2011.09.21 Wed l . URL l 編集
Re: タイトルなし
名無し 様

コメントをありがとうございます。
事件を目の当たりにしていないのは、裁判官、裁判員、検事、弁護人も同じですね。目の当たりにしていない、体験もしていない。だからこそ、事件を裁く側には真相究明、正確な判決のために慎重さが求められます。慎重であるためには、証拠に対する謙虚さ(偏見・先入観の排除)が必要だと思います。このことにはあなたも異存はないかと思いますが、あの事件の裁判官(一・二審とも)には、それがまったく欠けているのです。白を黒と言いくるめるために、詭弁に次ぐ詭弁を重ね、風間さんを殺人の共謀・実行犯と認定しています。このことは検事論告、弁論要旨、判決文、第三者の証言などを読み比べてみれば、よほど変わった人でなければ誰でも納得できると思っています。読むに堪えない、それこそ胸の悪くなるような「気持ちの悪い」判決文なのです。

あなたは「見てただけでも、脅迫された末の犯行でも強要でも、人が無抵抗に殺されたのを知ってもなお、何も変えようとしなかった時点で鬼畜。」とおっしゃってますね。たしかに「何も変えようとしなかった」ことについては風間さんは責任を負うべきだと思います。ただし、負うべき責任はあくまでも犯した罪に応じた程度であるべきで、風間さんが犯した罪は死刑が言い渡されることなどあってはならないものです。裁判官も証拠や証言からそのことをちゃんと知っているので、判決文に整合性をもたせようと必死です。結果、嘘に嘘を積み重ね、そのために、胸の悪くなるような不合理・不誠実な判決文になっています。読んでいると、よくまあこの判決で世の中を通ると考えたものだと呆れるのですが、現実に通ってきているのだから、救いようがありません。

風間さんには最高裁に入ってからですが、何回か面会したことがあります。そのときには裁判資料の大半を読み終えていましたから、無実を確信していました。何も確信したかったわけではなく、単に記録の中身がいやでも確信せざるをえないものだったということです。風間さんはウェブ上に写真が出回ってますが、実物はあの写真とはイメージが全然違って、小柄、丸顔、素朴、内気という印象の人です。

人の名前を呼び捨てにするかどうかは、自分が感じる相手との距離感によるのではないでしょうか。たとえば、伊藤博文とか山県有朋、夏目漱石などという歴史上の人物の名前に「さん」をつけるようなことは私もしません。また肉親に対しても。ただ、風間さんの場合は、「さん」を付けるほうが自然で文章がまだしも書きやすいということです。
2011.09.24 Sat l yokoita. URL l 編集
Yが言ってることに嘘があるとは思うけど、風間は無罪ではないですよね。鼻歌うたっていようがなかろうが鬼畜同然。どんな言い訳があろうとも、助かる命を見殺しにしてきたわけでしょ。また何年かしてあれは冤罪でしたとかって税金を無駄遣いするんでしょうね。ムショにいる風間が大人しそうに見えるのは当たり前。映画冷たい熱帯魚もまんざらでもない人柄なんですよ
2011.09.28 Wed l . URL l 編集
どんな結果になろうと、誰が何と言おうと死ぬまで無実を信じ戦うつもりも無いのに、被告人(犯罪者)の擁護をするのは絶対にやめるべきです。もしそれが出来る人がいるのなら、被告人の家族だけではないでしょうか。私は学歴も無いし、社会経験も人並みだけど、断言できます。回りくどい体裁のとれたいかにも説得力のある言葉で異見されても同じです。どんな事情があっても、殺人が行われたあとに、そうなった理由や言い分を通用させてはいけないはず。身の安全のために命がかかっていたなどと言う人もいるでしょうが、殺すしか道が残されていない状況なんてあるでしょうか?そこに辿り着く前前にだって時間は流れ、考え選択しながら生きてる事実もあるのに、情状酌量なんてどちらか死んでしまってからでは、神さまにも判断は難しいはず。真実と違うと断言できる人がいるならその人が責任をもって講義するはず。本人しかいないというなら、真実をまげた奴が責任をとる日が必ずくる。擁護することで正義を果たそうなんて独善は悪趣味に思えます。悪趣味なんて言い方が人権を無視してますが、貴方様も私もさほど変わらないと思いませんか?現に貴方様の風間に対する気持ちに責任を感じてるようには見受けられません。突然書き込みをして荒らすような行為になってしまいましたが、失礼をお許しください
2011.10.08 Sat l . URL l 編集
冤罪について軽く考えておられる方が多数で驚きですね
いくら風間が鼻歌交じりに死体をバラした狂人であったとしても
それは死体損壊で裁かれるべきであり殺人ではありません。
「なんか狂ってそうな悪人だからあれもこれも罪をかぶせちゃえ!」という発想が罷り通っていれば、いずれ本当になんの罪も犯していない市井、それこそ自分自身まで殺人に問われかねないというのに。
2013.03.29 Fri l  . URL l 編集
コメントをありがとうございます
お名前は書かれていませんが、コメントありがとうございます。

> いくら風間が鼻歌交じりに死体をバラした狂人であったとしても
> それは死体損壊で裁かれるべきであり殺人ではありません。

上記のご意見はもっともなものと思いますが、ただ共犯Y氏の「風間が鼻歌交じりに死体をバラした」という証言は取調べ室での検事に対する供述です。(この検事というのが、昨年、私鉄電車の運行妨害で新聞沙汰を引き起こした人物です。)それから、出所後、新潮社から出した本にも取調べでの供述をそのまま述べています。この本の出版は獄中にいる時から新潮社と契約していたとのことです。当時話題になっていた事件だけに、新潮の方から働きかけがあったのだと思いますが、ただY氏は、主犯の関根氏と風間さんを裁く法廷では自分の事件への関与についての証言を一切拒否しました。ただ一つ、風間は人を殺していないでしょう、本人が殺していないというのならきっとそのとおりでしょう、と証言し、実質的に自分の検事調書を否定しました。また「風間が鼻歌交じりに死体をバラした」という取調べ段階における証言の正しさを証明する証拠もまったくありません。

> 「なんか狂ってそうな悪人だからあれもこれも罪をかぶせちゃえ!」という発想が罷り通っていれば、いずれ本当になんの罪も犯していない市井、それこそ自分自身まで殺人に問われかねないというのに。

風間さんは本来ごく普通の女性といっていいかと思いますが、上記ご意見のご趣旨には同感です。
2013.04.03 Wed l yokoita. URL l 編集
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2013.11.26 Tue l . l 編集
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2016.08.29 Mon l . l 編集

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