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被告人の父母の身上、経歴を自らの手で書き換え、被告人および事件の印象操作を行なう裁判官

一審判決文には、事件自体に関する事実認定の矛盾や疑問だけではなく、かりにも裁判官という職業に従事している以上、まず間違えるはずがないと思われる被告人の「身上、経歴等」の項目においてすでに見過ごすことのできない大きな誤りが見られる。
判決はまず「主文」で「被告人両名をそれぞれ死刑に処する。」と宣告し、次に「理由」と続くのだが、その第一章は、「背景事情」であり、「一 被告人の身上、経歴等」である。
関根・風間の二人の被告人のうち、関根被告の身上に関する記載は、単に出生地の県名・町名が記されているだけで、他には何の記載もない。だが、風間被告については、両親-特に父親の職歴などの経歴が以下のように述べられている。

「なお、被告人風間の父母は、昭和53年ころ土地家屋調査士をしていたMIの養子となってM姓となるとともに熊谷市万平町のM夫婦の自宅に同居し、父Hが養父の仕事を引き継ぐ形で土地家屋調査士として働くようになったが、その後しばらくしてM夫婦が相次いで病死したため、HとY子が右居宅およびその敷地、同市佐谷田の土地建物等を相続取得した。」(『一審判決文』p4)

判決文のなかで風間被告の父母の経歴が言及されたのには、たしかに相応の理由がある。風間被告の実家の土地・家屋が3件の事件のうち2度目に発生したE・W事件の遠因となったという事情が存在するからだ。だから判決文が、事件とは無関係の両親の経歴に言及したことは、もしその記述が正確であるならば、一応の理解はできる。ところが、上記の記載事実はことごとく誤りなのである。裁判所は法廷に証拠も証言も何ら提示されていない事柄をなぜか勝手に事実として認定しているのだ。
まず風間被告の父母の養子縁組の時期であるが、判決文はこれを「昭和53年ころ」と記載しているが、事実は「昭和52年1月26日」である。このことは、裁判で証拠採用されている登記簿ではっきりしている。また検察官も論告で「なお、被告人風間の両親は、同(昭和)52年1月にMI夫婦と養子縁組したことから、M姓となっている。」と正確に記している。裁判所はこんな簡単なことさえ正確に記述していないのだが、問題は、「昭和52年1月26日」を「昭和53年ころ」と判決文に書き記すということは、どういうことなのか、単なる記憶違い、単なる誤記、ということですませられることかどうかということである。養子縁組の日時だけではない。上記の一かたまりの認定全体が間違っているのだ。このような過失が現実に生じうるだろうか? 判決文作成にあたっては当然、登記簿、法廷証言などの証拠書類は身辺に揃えられているはずである。裁判官は3人もいる。事務官もいるだろう。このような記述においては、事の性質上、正確に記述することのほうが断然たやすく、誤ることははるかに難しいのではないだろうか。

この認定に関する養子縁組以外の過誤については、風間被告の母・Y子さんの一審法廷における証言を見ることで確認したい。以下に、第95回 平成12年(2000年)2月28日の速記録から転載する。

「(MIの夫婦養子をした)当時の健康状態はどうだったんでしょう。
  「病院に出たり入ったりの状態でした。」
他方、養母さんのUさんは、どういう状態だったんですか。
  「ぼけてました。痴呆症というんでしょうか、今の。」
養子になられて、生活状態というのはどうだったんですか。
  「前より苦しくなりました。」
どういうことで苦しくなったんですか。
  「おじいちゃんの入院費が高かったものですから。」
養子に入られた当時、もうIさんは、土地家屋調査士の仕事はやっていなかった状態ですか。
  「はい、やってません。もう体が弱くて、病院出たり入ったりでした。」
ちょっと質問もう一度しますね。消防署を辞めたのは突然で。
  「はい、商売始めたのもその引続きというか、商売始めたくて消防署を辞めたものですから、すぐもうその前に、自分で事務所借りてまして。」
自分で最初から独立してやった。
  「はい。」
養子縁組後に、証人御夫婦はどこに住まわれたんですか。
  「万平町というとこです。」
それから、養父母さんはどこに住まわれていたんですか。
  「佐谷田というとこです。」
(I死亡は)何年ごろか記憶にありますか。
  「(昭和)50…5年でしょうか。」
(養母死亡は)何年ぐらいか記憶ありますか。
  「はい、2年後ですから、57年だと思います。」
養父母さんが亡くなられて、当然相続という問題が起こったと思いますが、相続はされましたね。
  「はい。」
どういう相続財産があったか記憶にありますか。
  「その佐谷田に、土地と家屋がありました。」
佐谷田の土地と家屋、それが相続財産ですか。
  「はい。」
それだけですか。
  「はい。」
(大原の土地と建物)これは相続とは関係ないものですね。
  「はい、そうです。」
(万吉の土地と建物)これも、御主人が働いたお金で取得したものと。
  「はい、そうです。」
それから、須賀広という地名にある土地、最終的には処分されてるんですが、これも御主人が最初に取得したものなんですか。
  「はい、そうです。」
それを、御主人が亡くなった後、証人が相続したと。
 「はい」
これも(養父母の)相続と関係ないですね。
 「はい。」
それから、ちょっと地名、地番が分からないんですが、関係者の証言、供述の中に出てくる、産業廃棄物を不法投棄された土地というのがあるんですが、それは御存じですか。
  「はい。」
これも、もともとは、証人の夫のHさんが取得したものですか。
  「はい、そうです。」
 ところで、博子さんが生まれたころのことですが、どちらに住まわれていました。
  「熊谷市本町というとこにいました。」
当時は持家ですか、借家ですか。
  「借家でした。」
その後、その本町の借家はどうなりましたか。
  「後で一生懸命働いて、買い取りました。」
いつごろか記憶にありますか。
  「そうですね、K子(妹)が生まれる(昭和38年)少し前です。」
(夫Hが)どこかに通ってるというようなことはありませんでしたか。
  「はい、熊谷に立正大学というのができまして、大学ができたものですから、そこの夜間に通ってました。」
立正大学以外に、通ったところはありませんでしたか。
  「早稲田にも行きました。」
早稲田大学ですか。
 「はい。」
それも夜間部ですか。
 「はい、そうです。勤めながらですから。」
  「その当時は、何のためにこんなに勉強するのかなと思ってましたけど、後になりまして、土地家屋調査士という免許取りまして商売始めたものですから、そのために一生懸命勉強したんだなと思いました。

上記の証言および証拠採用された各種登記簿と照らし合わせると、下記の事実が確認できる。
① 夫婦養子になったのは昭和52年1月26日。
② 万平町に同居はしていない。
③ 父Hは養父の仕事を引き継ぐ形で土地家屋調査士として働くようになったのではない。苦学して独力で土地家屋調査士の資格を取り、養父とは無関係に独立して仕事をしていた。
④ 養父Iが死亡したのは昭和55年7月、養母Uの死亡は昭和57年7月であり、養子縁組後、すぐに養父母が死亡したわけではない。風間被告の両親にとっては養父母の介護に従事する日々が存在した。
⑤ 養父母が病死したため、佐谷田の土地建物等を相続取得したのではなく、その生前から父母の名義として登記されていた。
⑥ 大原の土地と建物、万吉の土地と建物、須賀広の土地、産業廃棄物を不法投棄されたという揚井の土地、熊谷市本町の家屋など、財産のほとんどは父親の働きによって取得したものである。

風間被告は控訴趣意書で「原判決が与えるイメージ」と題して、裁判所のこの認定に対して次のように反論・抗議している。

「証拠として採用しております、登記簿謄本や証言、そして論告といったものをきちんと検証していただき、判決書を作成していただけたなら、上記事実は誤りようのないもの、と思われます。
 又、被告人の身上経歴に何故父や母の身上経歴が必要なのでございましょうか。しかも、この様に捏造して判示いたしますのは、公正な裁判官の職務を甚だ逸脱した悪意に満ちた行為ではないでしょうか。
 この判示によって傍聴人達は、養父母達の死期間近になってから養子縁組し、入り込み、数々の土地・建物を乗っ取ってしまったごとく印象を持ったことでありましょう。
 これにより、本来、関根やEらによる数々の財産乗っ取り計画の事実により、被害者の立場である被告人の状態も、この判示を聞いた人から見れば、元々がただで手に入れたものだから、と思えることでありましょう。更には、ただで苦労をせず取得したものへの執着の為、本件殺害に及んだとのイメージを持たれるかも知れません。
 いや、亡き父が汗水流し取得してきた財産ではない、と故意に捏造作文したことは、被告人に対する被害者像を薄れさせ、同情が集まることを防ぐべく、不実の判示工作をしたのかもしれません。」(風間博子『控訴趣意書』p266)

「傍聴人達は、養父母達の死期間近になってから養子縁組し、入り込み、数々の土地・建物を乗っ取ってしまったごとく印象を持ったことでありましょう。」「ただで苦労をせず取得したものへの執着」「亡き父が汗水流し取得してきた財産ではない」というイメージをこの判決文が広く社会に、人々の意識に植え付けるであろうという風間被告の危惧も嘆きも現実のものになっていると思われる。たとえば、『埼玉愛犬家連続殺人事件』(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%BC%E7%8E%89%E6%84%9B%E7%8A%AC%E5%AE%B6%E9%80%A3%E7%B6%9A%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6には、
「Y子(注・風間被告のこと。以下同)の実家が資産家[1]であることから、X(注・関根被告のこと。以下同)が財産目当てに結婚したとも言われている。」との文面があり、その脚注[1] には「正確には、Y子の両親が資産家夫婦と養子縁組していたことによる。XとY子が結婚した時には、資産家夫婦やY子の父親は既に他界しており、Y子の母親が遺産を相続していた」との誤情報が記載されている。

かりに裁判官が「単なる誤記である」とか「捏造の意図はなかった」と弁明したとしても、現実に判決文はこの記事のような現象、結果を生み出しているのである。そもそもこのような誤認定につながる情報を裁判官はどこから得たのだろう。法廷に提出された謄本などの公文書にも、証言にも現れていない、そして検察官でさえこのような主張はしていないのだから、裁判官が自らの頭脳で作り出した、即ち「捏造」したという以外に解釈のしようがないように思える。とりわけ、「昭和52年1月26日」をわざわざ「昭和53年ころ」と記述していることには、背筋が冷たくなるほどの思惑や悪意を感じないわけにはいかない。「父Hが養父の仕事を引き継ぐ形で土地家屋調査士として働くようになったが、その後しばらくしてM夫婦が相次いで病死した…」という事実認定が虚偽ならば、この自らの虚偽認定を糊塗して正当なものに見せるために、できるだけ養子縁組の日付を遅くして養父母の死去との間隔を縮めたかったのではないか。「養父母達の死期間近になってから養子縁組し」という風間被告が憤っていう、まさにそのイメージを作り出すために。…これが裁判官のやることだろうか? またこれが「裁判」といえるような代物だろうか?

裁判官のこのような行為は、対象の被告人が冤罪であろうと、または有実であろうと、そのことには一切関わりなく、その被告人に精神が破壊してもおかしくないほどの絶望的打撃を与えるのではないだろうか。どんな人間にとってもこのような悪意は耐えがたいものにちがいないが、まして被告人の場合、その多くは道に踏み迷ったからこそこの場にいるケースが多いのではないかと思われるから、なおさらそうではないかと想像し、推測する。

事件に関する事実認定ならば、第三者である法廷の傍聴人も、また外にいて判決文を読む者も、検察官の論告や弁護人の弁論などと照らし合わせた上で、判決文の検証は可能である。だが、事件とは無関係の被告人の身上、経歴については、裁判官の認定を信用するしかない。そのようなことに第三者の視線がどうしていくだろうか。そんな項目でまさか裁判官が虚偽を述べているとは誰も考えないのである。今回も、もし風間被告が「控訴趣意書」で強い抗議の意向を示さなかったならば、私なども全く気づかずに通りすぎていたに違いない。そして、『ウィキペディア』の、「実家は資産家、でもその資産は両親が資産家夫婦と養子縁組して得たもの」といわんばかりの記述をそのまま意識に刻みこんでいた可能性が高い。だが、納税者の税金によって禄を食む公務員である裁判官としては、このような行為は納税者・市民に対する重大な背信行為でもあるだろう。

何度も書いたことだが、風間被告が殺害に関与したという物的証拠は何もない。共犯者の供述調書だけが頼みの綱なのである。そのことを百も承知の裁判官は、それでもどうにかして風間被告が殺害に関与し、実行したという認定に持ち込むべく、この虚偽記載は、そのための周到な準備の一環だったのではないかということがどうしても疑われる。
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2009.07.04 Sat l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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