QLOOKアクセス解析
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- -- l スポンサー広告 l top
以前、東海林さだおの「逆上の露文入学」を引用掲載したことがあるが、私には得体の知れない奇人・変人としか映らない数学者の岡潔宅訪問の顛末を描いたこの文章もとてもおもしろい(友人である漫画家の園山俊二が死去したときの追悼の文章もとてもよかった。「天使」という言葉ほど園山俊二に似合う言葉はない、と訥々と記されていたが、読んでいると、筆者が心からそう思っているのが読む者にひしひしと伝わってくるような文章であった。それから、漫画家として売り出す前に家で一生懸命描いた漫画を持参してあちこちの雑誌社を回って歩く、本人いわく「漫画行商」をしていた時期のことを書いた文章も忘れられない。)。

この「岡潔センセイと議論する」も、岡潔の奇妙さと一見気弱・従順のショージ君の組み合わせがおもしろくて、昔何度も読んだのだが、ただ、今回久しぶりに読んでみて、何か隔世の感があるような気にはなった。時代は変わった…、と思ったのだが、これは何も「グループサウンズ」とか「日活のアクションスター」なんてなつかしの言葉が出てくるという理由だけではないような気がする。岡潔も今どきの言い方でいうと「トンデモ」ということになると思うが、少し違うように感じるのは、岡には今ではもうあまり見ることがなくなった何か(たとえば、右顧左眄しない一徹さとか)があるように感じるからだろうか。

さてタイトルは、上述したように「岡潔センセイと議論する」。いかにも勇ましい感じだが、スタイルは、ショージ君が奈良の岡宅におじゃまして岡の話をひたすらかしこまって聞くというもの。数学者の岡潔といわれても、私は数学、チンプンカンプン、岡潔個人についても昔雑誌の対談を一、二度読んだくらいで、しかもその印象はまったくよくなかった記憶があるのだが、この訪問記はそんなことに関係なく、大変おもしろい。私などには見えなかった岡潔の一面を東海林さんは的確に捉えたのだろう。

記事の執筆時期については、正確な日付は分からないのだが、多分1960年代の終りから1970年代の初め頃ではないかと思われる。当時東海林さだおは文春で『にっぽん拝見』という連載記事をもっていたらしい。釣りや競馬や商店街やストリップ劇場などいろんな場所を探索して歩いて記事にするという、雑誌でよくある企画ものだったようだが、ある日、担当の編集者から、「こんどは、オカキヨシさんに会ってみませんか」と言われた。「オカキヨシ……ハテ聞いたことあるぞ、グループサウンズの一員だったかな、いや待てよ、日活のアクションスターかな」と思いあぐねるうち、数学の岡潔だといわれて、ショージ君は、オビエてしまった。ショージ君も数学が苦手だったのである。

「 ボクは数学と聞いただけで、数々のいまわしい思い出が、頭をよぎるのである。
 解析Ⅰ、解析Ⅱ、幾何、ああ思い出してもセンリツが背中を走る。
 数学の授業が始まって終るまでの、あの重苦しい、長い長い灰色の時間よ。
 試験の答案をもらうとき、女生徒に見られぬように、パッと引ったくり、すばやく折りたたみ、卑屈な笑い浮かべて、教壇から自分の机に戻る足どりの重さよ。
 考えてみれば、ボクは、あのころから女のコにモテなかったなァ、と思い出は、よくない方へ、よくない方へと拡がるばかり。
 岡先生は、こともあろうにその数学の先生なのである。
 考えれば考えるほど身がすくむ。
 編集部の人の話によると、今回は、数学の話ではないという。
 岡先生の近況は、数学から離れ、荒廃する日本の行く末を案じて自宅に道場を建てられ、念仏三昧の毎日を送っておられるという。
 今回は、岡先生が、どんなふうに日本の行く末を案じておられるのか、また、次代のにない手である若者をどうお考えになっておられるのか、そこのところを、ボクが、若者の代表としてうけたまわってくるという趣向だという。
 それではということで、早速、編集の人と二人で岡先生の住む奈良へ電話をかける。
「もしもし、こちら文芸春秋の浸画讀本の者ですが、今回、『にっぼん拝見』という企画で、東海林という浸画家が、ぜひ先生にお目にかかって、お話うかがわせていただきたいわけなのですが」
「なに?漫画家が?わたしに?……なぜ漫画家がわたしに会う必要があるのです。漫画家はふざけて書くから会いません。会いたくありません」
「そこを、ぜひなんとか……」
「日本はいま、どういう時だと思いますか?」
「……」日本は、どういう時かと聞かれ、一瞬ちんもく。チト待てよ、たとえば安保の……
「では、さようなら」
ガチャン。
いったい、なにがどうなったのか、ボクは呆然と受話器を見つめるばかり。
だが現代のマスコミというものは、こんなことぐらいで、ひるむものではないのである。とにかく奈良まで行きましよう、行けば行ったでなんとかなりますよ、ということになってしまうのである。」(東海林さだお「岡潔センセイと議論する」)

こうしてショージ君は編集者共々奈良に向かったのだが、出発前に岡潔の本を「片はしから買い求め、読みふけった」そうである。そして、何か共通の話題はないものかと考えると、「数学は、インスピレーションによって新しい発見をすることが多いというが、じつをいうと、恐る恐るいうのであるが、漫画のいわゆるアイデアといわれるものも、このインスピレーションの一種によってできあがるものなのである。であるから漫画家は、毎日が、インスピレーションの連続なのである。」と考えたショージ君は、ようやく岡先生との細い一筋の共通点を見出した気分になることができ、ある日、編集者とともに奈良の岡宅に向かった。以下、本文より引用する。

「 朝早く起きて斎戒沐浴、ふだんは磨いたことのない歯も磨き、靴も磨き、ネクタイもキチンとしめて岡先生のお宅に向かう。
だが先生は、はたして会ってくださるだろうか。電話で「では、さようなら」と断わられているのである。それなのに、厚顔にも、こうして奈良までノコノコやって来てしまったのである。もし断わられたらどうしよう。(略)

一月の奈良は、氷るように寒い。
奈良の山を背負った田ンボの中に、岡先生の新居が見えてきた。
文化勲章受賞当時、六畳二間の文化勲章」と騒がれた家を引きはらって、二年ほど前に建てられた白壁の大きな家である。敷地も二百坪はあると思われる。
このへん、坪いくらぐらいするだろうと、俗塵にまみれた漫画家は考える。
ともすれば、ひるむ心にムチ打ち、玄関のベルを押す。
たぶん、お嬢さんと思われる人が出て来て用件を聞き、「しばらくお待ちください」といって引っ込む。
 家の中で協議が行なわれているのであろう。緊張の十分。
そして、「お会いするそうです。お上がりください」といわれたときは、うれしさと、緊張のあまり足がもつれ、よろめくように座敷にころげこんだ。
(略)
 浸画家といっても、漫画界では一流の、人品いやしからぬ紳士が、ゆったり現われると思いきや、ヘンなアンチャンみたいのが、赤い背広着てドタドタところげこんできたのであるから、先生としても、さぞビックリされたことと思う。
 だが先生は、優しい瞳をして、静かにすわっておられた。
 蓬髪、痩躯、鶴のように痩せた、という表現そのままに、先生はキチンと正座されている。ボクも座ぶとんの上にキチンと正座する。
「わたしとしては、漫画家には会いたくないが、東京からわざわざおいでになられたのであるから、わたしの最近の心境のようなものでしたらお話ししましょう」
 といわれる。
 早速、メモ帳出してキッとかまえたが、ボクはここ数年、正座というものをしたことがない。一分とたたないうちに、足がしびれてくる。足もしびれるが、ボクのズボンは安物なので、ヒザが抜けてしまわないか、それも心配である。シワだって寄る。
 先生のお話は、まず日本の防衛論から始まった。
 先生のお話は、急に飛躍したり、前後がつながらないことが多いが、これは、先生の頭脳が、通常人の約二万七千倍も速く回転するせいであると思われる。(この二万七千倍については後述する)
「エー日本は兵力の放棄をうたっておりますが、相手の国が(兵力を)放棄するかどうかを考えていません。(これでは)いったいどうなりますか」
「そして民族の団結心がない。国を愛していない。みんな自己主張ばかりしています。そしてみな、物質中心の考え方しかしない。こんな状態が続けば国は亡びます」
「あのォ安保条約に関して先生は……」
「今いうよ」
「ハハーッ」
「安保は存続させるべきです。日本のこんにちの繁栄は、安保があって(米軍に)守ってもらっているからこそ、こうなったのです。もしこれを放棄して、米国が日本から去れば、中共は必ず攻めてきます。これは自明です。今の日本人は、こんなことさえもわからないのです」
「ハハーッ」
「そして日本は、今や、亡国直前のユダヤと同じです。みんな、儲けることしか考えない。そして団結心がない。そして国を愛するという気持ちがない。日本は亡びます、十中八九亡びます」
「ハハーッ。亡びます……と」
 ここからお請は情緒の問題に急転換する。
 お話のあいだ中、ずっと体は左右に揺れ続け、ハイライトを口にくわえるが、火はつけない。つけないでまたテーブルに置く、またくわえるということをくり返す。
「情緒の元は、すべて頭頂葉にあります」
ボクの足のシビレは限界に来たが、先生は決して、「おたいらに」といってくださらない。やむなく、先生のスキをみて、ソロソロとヒザをくずしにかかる。
「最近の人間は頭頂葉を使わずに、前頭葉ばかり使っています。自然科学的なものの考えの元は前頭葉にあります。西洋人は前頭葉ばかり使ってきました。だから物質第一主義となったのです」
 この頭頂葉という言葉は、先生のお好きな言葉であるらしく、じつにヒンパンにお話の中に出てくる。
 そして「頭頂葉」といわれるたびに頭のテッペンをバシッとたたかれる。そのありさまは、ほんとにバシッという感じで、先生の腕時計が、そのたびに、カチャカチャと音を立てるほどなのである。
「日本人は、大型景気に浮かれ、借金をしてどんどん設備投資をしています。借金だから利子を払わなくてはいけません。ですからそのうち、大量倒産時代が必ずやってきます。そのとき日本人は団結心がないからたちまち亡びてしまいます。それもみな、情緒というものを忘れてしまったからです。それは、頭頂葉(バシッ、カチャカチャ)を使うことをしないからです」
 そうして先生は「国が亡びるのを座視するに忍びず」その対策を、本に書いたり、人にいったりしてきたのであるが誰もわかってくれない。
「日本人は情操を解するただ一つの秀れた国民です。もともと頭頂葉(パシッ、カチャカチャ)の発達した国民です。それがいつのまにか、こんなことになってしまった。情けないことです。日本はもうすぐ亡びます」
 話が佳境にはいり、熱してくると、体の揺れも激しくなり、「頭頂葉」の出てくる頻度も激しくなり、当然、頭をたたかれる回数も多くなる。バシッ、カチャカチャも多くなる。
 しかし、あんなに頭をたたかれては、頭頂葉のために、よくないのではないだろうか。あるいは、ああして頭頂葉を鍛えておられるのだろうか。
 お茶が出、コーヒーが出て、話はどんどん発展する。
「とにかく日本は、いま、亡国寸前です。亡びるのは自明ですから、それまであなたは漫画でも書いていなさい」
「ハイ。そうします」
 お茶を飲みすぎて、ボクの膀胱は、ついに満タンになってしまった。
「あのォ、おトイレは」
「だいたい今の人間は自然科学を重視しすぎます。自然科学で、人間はなにを知りえたでしょうか。たとえば、今私は坐っている。立とうと思う。そうするとすぐ立てる。これもまた不思議なことです。全身四百いくつの筋肉が統一的に働いたから立てたのです。なぜこんなことができるのか。目然科学はなにひとつ教えてくれません」
 膀胱をしっかり押さえつけ、シビレる足をなでつつお話を拝聴する。
「今、全学連が騒いでいますが、先生としては……」
「あんなことをしてもなんの役にも立ちません。すべて物質中心主義、自然科学過信がまねいた結果です」
「あのォ、宇宙開発が今盛んに……」
「いくら物質を科学しても、何も得られません。ムダなことです。宇宙を開発しても人間は幸福になりません。大切なのは心です」
「最近の女性は……」
「最近の女性は、あれはいったいなんですか。性欲まる出しにして尻ふりダンスなどしておる。まったく情操の世界から逸脱しておる。セックスは種の保存のために必要です。仏教では親が子を生むのではなく、子が親を選ぶのだといいます。ですから男女のまじわりは気高く行なわねばなりません」
 セックスについて語るのに「気高く」という表現が使われたのでボクは一瞬息をのむ。
「最近の若者の無知ぶりはひどい。わたしはせんだってある女子大生の知力をはかってみましたところ、わたしの二万七千分の一しかありませんでした。そして最近になって、もう一度はかってみましたら、さらに、そのときの三十分の一になっていました。これはじつに、合計百万分の一ということです」
(略)
「日本の最近の男女の乱れぶりは亡びる前のアテネに似ています」
先生はここで急に声をひそめ、
「日本の共産主義の若いものは、『歌って踊って恋をして』の方針でやっているらしい。わたしが最近、親しい僧侶から聞いた話では、男たちが、若い女性を輪姦して、それで女が喜びを知って共産主義に走るということをしているらしい。これは、私が相当の地位にある僧侶から聞いた語だから、ウソではないでしょう」
 ボクは岡先生の口から輪姦という言葉がとび出してきたのでびっくりしてしまった。そして、老いたる高名な僧侶と先生が、ヒソヒソと輪姦の話をなさっている場面を、思わず想像してしまったのである。
「それにしても」と先生は続ける。「こんなことをして、ほんとうに日本はどうなるのでしょう。まちがいなく亡国寸前の姿です。日本はまもなく亡びます。十中八九亡びます」と、おいとまを告げて玄関に出たわれわれに、さらに先生はこう続けられたのである。
 玄関で靴をはく間もボクの心は深い憂いに沈んでいた。どうやら日本はまもなく滅びるらしいのである。本当に日本はどうなるのだろうか。この非常のときに、漫画など書いてていいのだろうか。不安が次第につのり、胸がいっぱいになり、ぼくはヨロメくように玄関から退出したのである。(略)」(同上)


以上、(『ショージ君のにっぽん拝見』文春文庫1976年)より引用したが、「日本は、いま、亡国寸前です。亡びるのは自明ですから、それまであなたは漫画でも書いていなさい」と岡に言われて、ショージ君が当然のように「ハイ。そうします」と応じるところがおかしい。この文庫の解説は野坂昭如が書いていて、この「岡潔センセイと議論する」をたいそう誉めている。「……岡潔へのインタビュー、というよりその形をかりて、老先生を肴にした文章/名にしおう狷介孤高偏屈独断の人物を相手に、その周辺をとびはねているだけの如くみえて、余人の誰もえがき出せなかった岡の人物像を、見事、浮び上らせたのだ。」。野坂昭如のこの解説もドンピシャの名評のように思える。
関連記事
スポンサーサイト
2010.10.14 Thu l 文芸・読書 l コメント (0) トラックバック (0) l top

コメント

コメントの投稿












トラックバック

トラックバック URL
http://yokoita.blog58.fc2.com/tb.php/105-97babc60
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。