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中原中也が死去したのは、1937年(昭和12年)10月、死因は「結核性脳膜炎」。生れたのは1907年(明治40年)だから、ちょうど30歳で亡くなったことになる。1909年生れの大岡昇平より2つ年長、1902年生れの小林秀雄より5つ年少であった。生前に刊行した詩集は1934年(昭和9年)の「山羊の歌」一冊。死去の少し前、清書をおえて小林秀雄に託した原稿が、「在りし日の歌」として刊行されたのは、死の翌年のことであった。

生前唯一の詩集である「山羊の歌」について、大岡昇平は、次のように書いている。

「中原は羊の年の生れであった。(略)同じ羊でも戦闘的な「山羊」と自分を想像することを好んだ。「山羊の歌」題名の由来はそこにあるのだが、高森文夫の証言によれば、「修羅街輓歌」が最初に選んだ題だったという。
 それにしても私は憎む、
 対外意識にだけ生きる人々を。
 ……………
 いま玆に傷つきはてて、
 ――この寒い明け方の鶏鳴よ!
という怒りと歎きが、「山羊の歌」刊行当時、中原の切実な感情であった。「ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ」(いのちの声)という宣言で、詩集は閉じられる。」(角川書店『中原中也全集 1』解説)

30歳での死はなんといっても早すぎるが、大岡昇平は、中原中也が死んだ1937年以後、日本が辿った現実をみると、中原中也の神経があの苛烈な事態に堪えられたとはとうてい考えられない、よい時に死んだといえるだろう、とどこかに書いていた。詩集「在りし日の歌」は、『蛙聲』という詩で終わっているが、不気味な世界、不吉な先行きを感じさせずにおかない詩であるように思う。

 天は地を蓋(おほ)ひ、
 そして、地には偶々(たまたま)池がある。
 その池で今夜一と夜さ蛙は鳴く……
 ――あれは、何を鳴いてるのであらう?

 その聲は、空より来り、
 空へと去るのであらう?
 天は地を蓋ひ、
 そして蛙聲は水面に走る。

 よし此の地方(くに)が濕潤に過ぎるとしても、
 疲れたる我等が心のためには、
 柱は猶(なほ)、餘りに渇いたものと感(おも)はれ、

 頭は重く、肩は凝るのだ。
 さて、それなのに夜が来れば蛙は鳴き、
 その聲は水面に走って暗雲に迫る。 」

「在りし日の歌」の「後記」には、中原中也の手で次のように記されている。

「詩を作りさへすればそれで詩生活といふことが出来れば、私の詩生活も既に23年を経た。もし詩を以て本職とする覺悟をした日からを詩生活と稱すべきなら、15年間の詩生活である。/長いといへば長い、短いといへば短いその年月の間に、私の感じたこと考へたことは尠(すくな)くない。今その概略を述べてみようかと、一寸思つてみるだけでもゾツとする程だ。私は何にも、だから語らうとは思はない。たゞ私は、私の個性が詩に最も適することを、確實に確めた日から詩を本職としたのであつたことだけを、ともかくも云つておきたい。 」(1937.9.23)

このような文を読んでいると、中也の『わが半生』という詩の

 私は随分苦労して来た。
 ……………
 とにかく私は苦労して来た。
 苦労して来たことであった! 」

という一節がひとりでに浮かんでくる。

「中原来て晩まで。中原に居られるのも嫌、帰られるのも嫌、変な気持です。中原帰つたら当分変な気持、中原にすまぬと云ふ気持ちです。」

上記の文は竹田鎌二郎という中原中也の友人の日記にある言葉だそうだが、大岡昇平は、「これはわれわれの、少なくとも私の気持にはぴったりです。」と述べている。

大岡昇平は、『スタンダールと私』(1966年)という表題の文章のなかに、

「私の作品にスタンダールの本質的な影響というべきものはない、と自分でいってしまうのは少し辛いが、恐るべき現実から、目をそらしてはならない、というのも、スタンダールの教えなら、それに従うほかはない。」

と書きしるしている。大岡昇平は『わが文学生活』(1976年)においてインタビュアーに「文体の上でとくに影響をうけた作家というと、誰でしょうか。(略) というのも、たいへん特徴ある文体をもっていらっしゃるように思うからです。決然とした、しかも明晰な文章ですが、…」と訊かれて、

「スタンダールです。なんでもスタンダールより師匠はいないのですよ。」

ときっぱり答えている。だから、「私の作品にスタンダールの本質的な影響というべきものはない」と述べているのを読んで、私は最初かなり驚いたのだが、それでも自分の作品についてのこの判断は案外当をえているのではないだろうか。

大岡昇平は死の直前までスタンダールについて書いているが、その文章の出だしのところで、「愛するものについてうまく語れない」と述べている。その言葉はスタンダール、大岡昇平、双方の愛読者である私などにはとてもよく理解できるように思った。大岡昇平はスタンダールについて「わが文豪」「わが大作家」「わがスタンダール」という言い方をよくしていて、そういう言い方一つにしてもスタンダールに対する愛着と敬意の混ざった感情がいつもよく伝わってきたものであった。学んだことは数知れずあったのだろうが、そして読者にもそのことはよく理解できるようにも思うのだが、それでも本質的には二人の作家としての個性は異なるように感じる。むしろ、小説家と詩人との違いは厳然とあるにしろ、中原中也のほうがスタンダールと共通性があるように感じるのである。選択する言葉がどちらかというと単純な語句のせいなのか、それらの語句による表現がいつも非常に深いある一点に達しているという実感のせいなのか、読みながらうける印象に共通点があるような気がする。もしかすると、大岡昇平自身、そのことを感じてはいなかっただろうか。

「「語り尽くせない、これ以上の讃辞はないだろう」とヴァレリーはスタンダールについていったが、同じことが中原についてもいえるのではないでしょうか。」(『思い出すことなど』筑摩版 大岡昇平全集 18)

と大岡昇平は書いている。
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2010.12.06 Mon l 文芸・読書 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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