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菅首相は12月10日、拉致被害者家族会との懇談会で「万が一の時に北(朝鮮)におられる拉致被害者をいかに救出できるか。準備というか、心構えというか、いろいろと考えておかなければいけない」とか「救出に直接、自衛隊が出ていって、向こうの国の中を通って、行動できるか、という所までいくと、まだそうしたルールは決まっていないのが現状」などと述べ、「韓国との間で検討を進める必要性を指摘した」(asahi.com.2010年12月10日23時17分)そうだが、一体何を言いだすやら、何と愚かな政治指導者だろう。

首相は翌日の11日、この発言について、記者団に「一般の邦人が韓国の中、例えばソウルとかに住んでいる。有事のときに拉致被害者を含めて一般の邦人の救出に自衛隊の輸送機などが受け入れてもらえるか、考えなければいけない」と語り、「韓国の邦人救出を念頭に置いた発言」(毎日新聞)だったと釈明したそうだが、これでは何の釈明にも軌道修正にもなっていない。

米・韓・日が寄り集まって北朝鮮に誇示することを目的の一つとして軍事演習をつづけていることは、万人の目に明らかであり、こういう行動を挑発といわずして何というのだろう。万が一、日本が米韓とともに北朝鮮攻撃に加わるようなことがあったら、それは日本国憲法の決定的な否定であり、犯罪であるとともに、朝鮮への再び、三度の侵略に他ならないだろう。そのような事態を招いたら、世界中の心ある人々から、特にアジア諸国の人々から真っ先に指弾を浴びるのは、アメリカや韓国よりもまず日本ではないかと思う。19世紀の後半から1945年まで日本が台湾・朝鮮・中国をはじめとしたアジア諸国でなしてきた犯罪の数々は、当然のことだと思うが、被害国の人々には今もまったく忘れられていないようである。北朝鮮に住む大多数の人々にとっても同様なのではないだろうか。

先日、ブログ「河信基の深読み」12月11日付の記事を拝見していたところ、コメント欄に二人の人の次の意見が載っていた。興味深いコメントなので2件とも引用させていただく。

「ある評論家(元自衛隊)が言ってました。/韓国の軍関係者との会話で、「もし半島で有事が起きた時は、自衛隊は韓国軍に協力して戦う」と言ったところ、その韓国の軍関係者は「もし自衛隊が一歩でも韓半島に立ち入った場合は、南北は即座に協力し、一緒に日本と戦う」と言ったそうです。/それは、その韓国の軍関係者一人の意見というより韓国国民の民意だと思いますし、北の民意も同じだと思います。」

「昔、ある韓国の大統領の前で故金日成主席の“悪口”を散々言った日本の首相(だったと思います)がいたそうです。ところがその韓国の大統領、『立場は違えど金日成は韓(朝鮮)民族の英雄、日本人の貴方が言うのは我慢ならない』という趣旨の発言をしたそうです。」

私も1900年代の後半、ある韓国人が、日本は北朝鮮を攻撃すれば韓国は自分たちを支持するだろうと思っているのかも知れないが、とんでもない。日帝支配の40年間の苦難・悲劇の数々、韓国人が日本の味方をすることは決してない。」と述べるのを聞いたことがある。また、その本の題名も著者名も今は忘れてしまったのだが(どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください)、在日朝鮮人の意識と生活を追ったノンフィクションの本に、金日成が死去した直後にその本の著者がボードヴィリアンの故マルセ太郎から聞いた話として記されていた言葉が忘れられない。マルセ太郎は、本当はもっと早く金日成が死んでいろいろなことが自由になればいいと思っていたんだよね。でもそういうことを日本人にだけは言われたくない。…自分がもし、言葉を奪われ、名前を奪われ、土地を奪われ、強制労働に連行されような目にあったとしたら、その時どう思うか、想像してみればいい。」という趣旨のことを述べていた。至極もっともなことだと思う。私がそのような立場にたったら、マルセ太郎氏と同じように感じ、考えるだろう。(下線による強調はすべて引用者による)

戦前・戦中のことだけではない。戦後における日本の行動・姿勢についても疑問視する人はアジアだけではなく、ヨーロッパなど世界中に大勢いるようである。たとえば、前にも書いたことだが、文芸評論家の加藤周一の発言である。加藤周一は、大学卒業後の人生の半分を欧米やアジア諸国の大学に招かれ、日本以外のあちこちで暮らしてきたそうだが、次のような発言をしている。

「それ(引用者注:ドイツ)と比較して日本側はまず第一に賠償を少ししか払っていない。それから個人賠償は今までほとんど全くしてこなかった。しかも政府の態度がちがいます。ブラントにしてもそうですが、ドイツの首相乃至大統領は明瞭な謝罪をしました。それを日本ではごまかす。「残念なことが過去にありました」「心が痛みます」。それは謝罪じゃない。自分の心が痛むか痛まないかが問題ではないのです。被害を受けた方からいえば、相手をはっきりさせて、朝鮮人に対してあるいは中国人に対して謝らなければ意味がない。中国と日本との間に戦争があったことに関して、こっちの心が痛もうと痛むまいと、そんなことに中国側では興味がないでしょう。謝罪というのは相手に対する行為であり、心が痛むのは当方の気分の問題です。それは全然二つのことですね。ヨーロッパ人は、そういうことを強く感じていて、日本の評判はあまりよくない。「どうもおかしい。戦争の時代からずっと続いているんじゃないか」という感じは、ヨーロッパ人のなかにもかなり深くある。もう少し詳しくいうと、ヨーロッパにおける一般大衆は、中国や韓国に対するようには日本に関心がない。しかし、国際的な問題に関心のあるヨーロッパ人の間では、日本の評判があまりよくないということです。国際的には一言でいうと「孤立した」状態になっています。」

「侵略戦争であるかないかを問題にしているのは、日本だけです。必ずしも被害国じゃなくても、どっちかなどということを考えている国はほかにはないでしょう。もちろん韓国や中国やマレーシアでそんなことは問題にならない。日本人に殺されたわけじゃないけど、パリでも「あれは侵略戦争であったかなかったか」ということは誰も問題にしていないでしょう。そういう問題を考えること自体が、鎖国心理のあらわれで、日本の特殊事情です。天下の常識に従えば、侵略戦争だ。」(『歴史としての20世紀』加藤周一著作集24)

加藤周一はまた下記の発言もしている。

「 東南アジアは根本的には韓国、中国と同じです。インドネシアでも、タイでも、マレーシアでも同じだと思いますが、ただちがいもあります。日本の経済的な力は、中国を支配してはいないけれど、東南アジアではかなり強い。戦争の過去から来る反感と現在の日本との経済的結びつきから受ける利益とが競合している。だから、東南アジアの国々の企業の社長や政府の役人に会えば、反日的なことをいう人は少いでしょう。しかしタイでさえ、大学に行って学生と話せば、日本批判は激しい。おそらくマレーシアやインドネシアではさらに猛烈でしょう。
 かつてドイツのヘルムート・シュミット元首相が日本へ来たときに、「日本には友人がいない」といいました。ドイツがヨーロッパに統合されるということは友達がいるということです。日本はアジアに全然入り込めていない。そのためには政府間交渉だけではなくて、その国の人民との関係を構築しなければならない。それには過去の話を忘れることができません。
 中国でも対日批判は厳しい。政府間交渉とかビジネスの交渉の話は知らないけれども、大学のなかの学生乃至教師と接触すると、日本批判の鋭いこと、深いことがわかります。親日的な日本学者でさえもそうです。もちろん日本人がみんな悪いといっているわけではない。しかし侵略戟争の過去にどう対応しているか、南京虐殺に関してどう考えているのかということで、日本人を二つに分けてつき合っているのではないかと思うほどです。私の印象では、日本のことを研究し、日本学の専門家であるような学者で、かなり親日的な人でも、南京虐殺に日本人がどう反応するかで扱いがちがってくる。そのくらい激しいものです。おそらく大学の教師および学生でそういうことを考えていない人はいないのではないかというぐらいの印象をもちました
 それではなぜ「失言」がくり返されるのか。これは政府だけの問題ではなく、社会の問題です。報道でも、メディアでも、芝居でも、映画でも、あるいは雑誌などの言論機関でも、文学でも、意識してその問題に対処するということが、この50年間非常に薄かった。この点ではドイツの方がはるかに徹底しています。」(『日本はどこへ行くのか』岩波書店1996年)

加藤周一はその文章を読むかぎり、事実を脚色して大袈裟な表現をする人ではない。むしろ何事においても抑制的に述べる傾向をもった人のように思う。それでも世界各地で生活し、日本に対する諸外国の人々の評価を知ると、上記のような厳しい日本批判を紹介せざるをえないのだと思う。日高六郎も海外生活の長かった人であるが、加藤周一の共通点の多い発言をしている。

「 1945年、敗戦の11月にアメリカから連合国の賠償使節団としてポーレー(エドウィン・W・ポーレー)という人が日本に来ました。ポーレーはその報告の中で、敗戦日本は日本が侵略したアジアの諸国、朝鮮も含めたアジアの諸国の民衆の生活水準よりも高くなることは許されないというふうに言いました。道義的にこのことに対して反論できるでしょうか。
 その後、冷戦状態になって連合国の方針が変わります。そして朝鮮戦争が始まり、日本の工業はたちまちにして戦前の水準を回復する。それ以後のことはもう申し上げるまでもない。
冷戦の痛ましい犠牲者、分断の悲劇のいけにえとして徐勝さん、徐俊植さんがおり、その他の大勢の方々がおられた。冷戦のおかげで日本人は現在、この経済的繁栄を獲得している。これが歴史です。しかし私はこの歴史の軌道は狂っていると思う。どこかで日本人はそのつけを払わなければならない時が来ると思う。」(『個人的な感想』 民衆が真の勝利者 編集=徐君兄弟を救う会(影書房1990年))

使節団のポーレーという人物が、「敗戦日本は日本が侵略したアジアの諸国、朝鮮も含めたアジアの諸国の民衆の生活水準よりも高くなることは許されない」とまで述べたところをみると、史実と照らし合わせてみても想像できることだが、日本の侵略の規模、日本軍が諸国でまき散らした惨禍の内容がどのようなものだったかを物語っているように思う。日高六郎がいう「日本人はそのつけを払わなければならない時が来ると思う」という発言は、日本があちこちに自衛隊を派遣すればするほど、支払わなければならないつけをさらに大きくするばかりだと思う。「奢れる者は久しからず」はつとに歴史の証明するところであり、21世紀はアメリカの没落の世紀になるだろうとは多くの人が心中深く予感していることである。日本は今のように米国に追従して米軍とともに行動していたら、滅亡の道をひた走るしかないのではないだろうか。民主党政権になって以後、政権首脳から一度として真に見識ある発言を聞いたことがない。今年3月に発生した韓国海軍の哨戒艦沈没問題にしても、当事者の北朝鮮が犯行を否定し、ロシアや中国も北朝鮮の関与を疑問視しているというのに、日本政府は(政府に追随するマスコミも)その主張・見解を徹頭徹尾無視・黙殺し、韓国側の言い分を100%鵜呑みにした言動をしていたが、あの姿は誰の目にも不自然きわまりないものであったと思う。
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2010.12.14 Tue l 社会・政治一般 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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