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昨日(1月29日)、映画「冷たい熱帯魚」(監督・脚本:園子温、脚本:高橋ヨシキ、主演:吹越満・でんでん、配給:日活)が東京都内で公開になり、今後も全国で順次公開されるとのこと。

この映画について知ったのは、当ブログの、カテゴリでいうと「埼玉愛犬家連続殺人事件」欄(の記事)を検索で訪れてくださる方がこのところ急増していて(といっても、あくまで当ブログの普段のアクセス状況を基準にしてのことだが)、不思議に思ったので、こちらもネット検索してみたところ、どうやら上記の新作映画が原因らしいのである。

当ブログが連載で書いた「埼玉愛犬家連続殺人事件」に関する記事は、1993年に起きたこの事件で、発生からおよそ1年半後の1995年、加害者として逮捕起訴された三人の人物のうちの一人である風間博子さんに言い渡された死刑判決への疑問をつづったものである。風間さんは今から2年前の2009年に上告が棄却され、現在は確定死刑囚の身である。風間さんの死刑判決は、全3事件のうち初めの2件に関与し、被害者計四人のうちの三人を主犯である元夫と共謀し、殺害したという理由によるものだが、被告側の主張をことごとく退け、検察側の主張をほぼ全面的に採用して風間さんの死刑を導いた判決文は、主要な裁判資料を一通り読み通した結果、私には「無理を通せば道理が引っ込む」という諺があるけれども、その諺を地で行ったような、裁判のテーブルに乗っている証拠に真っ向から反する、どんな矛盾もモノともしない事実認定の連続で成り立っているもののように思われた。別の言い方をすると、根拠を持った合理的な主張はさまざまな難癖をつけられて徹底的に否定・排除され、不合理な主張の方は一も二もなく肯定と賛同の態度で受け容れられ、ふんだんな助け舟さえ与えられた上での判決というように目に映った。

もう3、4ヶ月前のことになるが、ある読者の方がコメント欄で、これは別のエントリーに関してだったが、現状の刑事裁判の重大な問題点として、下記の指摘をしておられた。

「捜査側はいい加減な捜査と証拠の提示をしても裁判所が救ってくれるので、いい加減な仕事しかしません。どんどん変な判例がふえて、どんどん捜査能力は落ちていきます。村木局長無罪判決はその0.1%に与することのできる勇気ある裁判官の事例であり、奇跡ですね。
 今回の大阪地検特捜部の証拠偽造などは、「何をしても裁判所は救ってくれるに決まっている」という甘ったれた思い上がりの仕業です。裁判所の捜査側に甘い姿勢が、捜査機関のモラルの低下を引き起こし、それが非常に明確に出てしまったということだと思います。しかし、検察庁は「自分達が全面的に悪い、反省して出直す」という姿勢を打ち出して、ことが裁判所に及ぶことを阻止すると思います。 」

私には、風間さんの判決は、上の文中の指摘である「何をしても裁判所は救ってくれるに決まっている」という捜査側の甘ったれ、思い上がった期待に裁判所がこれ以上はないほど完璧に、また忠実に応えたケースのように感じられる。

さて、ネットを検索してみると、映画「冷たい熱帯魚」は、この「埼玉愛犬家連続殺人事件」をモデルとして作られているとの指摘がもっぱらなのである。そこで、この指摘についての映画製作関係者の直の談話がないかと探したところ、ありました。1月20日、六本木のビルボードライブ東京で「冷たい熱帯魚」の特別試写会が開催され、本作の監督である園子温氏自らが、三池崇史映画監督、本映画の主演を務めた吹越満氏との三人で行なったトークイベントで、三池氏に本作が生まれたきっかけについて訊かれて、次のように話している。

「プロデューサーから言われたので作ったんですけど(笑)。実際にあった愛犬家殺人事件をリサーチして、ある意味、忠実に作ってます。でも、事実って「起・承・転」まではいいけど、「結」がだらしない。やっぱり映画だったら、「転・結」ぐらいはフィクションにしたかった」

この監督談話を、試写会などですでに映画「冷たい熱帯魚」を観た人が述べている感想やストーリーの概略と総合して判断すると、「実際にあった愛犬家殺人事件」とは、「埼玉愛犬家連続殺人事件」のことであり、「リサーチして、ある意味、忠実に作ってます。」という発言は、志麻永幸著『愛犬家連続殺人』(角川書店2000年)(前年の1999年に新潮社から『共犯者』という表題で出版されている本と一読したところ内容は同一と思われた。著者名は異なっている。)を下敷きにしてそれに「ある意味、忠実に作っ」たと語っているものと受け止めていいように思われる。

映画は登場人物の職業も現実とは異なるようだし、私自身は観てもいないので、映画自体に何かをいうつもりは全然ないのだが(『愛犬家連続殺人』を読んだ映画製作関係者がこの本の内容や登場人物の言動に矛盾や不自然さを感じなかったかどうかに関心はあるが┅┅)、ただ映画の下敷きにされていることが確かと思われる『愛犬家連続殺人』という本については述べておきたいことがある。これはごく単純なことで、この本の内容は事実をありのままに正直に叙述したものとはとうてい思われないということである。特にこの映画に興味を持っている方、これから観る予定のある方、またもうすでに観終えた方にもぜひそのことをお伝えしたい。

『愛犬家連続殺人』の著者「志麻永幸」は筆名で、この人物は「埼玉愛犬家連続殺人事件」で主犯男性と風間さんの共犯として逮捕起訴され、「死体損壊・遺棄」の罪名で実刑3年の判決を受けた人である。つまり、この事件で逮捕された計三名のうち、二名は殺人(「死体罪損壊・遺棄」罪も加わる)による死刑判決、志麻氏(当ブログではこれまでの記事で本名の頭文字を採って「Y氏」と表記しているので、ここでも以後「Y氏」と記す。)のみは実刑3年という判決であった。そもそも裁判自体、主犯男性と風間さんは同一裁判であり、Y氏だけひとり分離裁判であった。

第三者である私などからみると、犯罪自体の重大性と凶悪性、Y氏自身が認めている範囲に限っても、3件すべての事件においてY氏が果たした共犯としての役割の重さ(事件当時の三人の生活環境について少し言及しておくと、その頃風間さん夫婦は正式に離婚しており、別居生活であった。仕事場はもともと夫は犬舎、風間さんはペットショップと別々だったため、当時の二人は接触自体がきわめて少なかった。それに比して、Y氏はこの主犯男性の運転手役を務めたり、Y氏宅で同居生活をしたりと、その頃の二人の関係は公私ともに非常に密接であった。)にしては、Y氏の判決は驚くべく軽いと感じるが、しかしY氏の受け止め方はそうではなかった。自身の起訴が決定してからの担当検事に対するY氏の恨みは骨髄に徹するほど深いもので、理由はY氏によると、捜査段階で検事の用意した調書を認めれば、早期釈放、悪くても起訴猶予で釈放という約束ができていた、少なくともY氏自身は固くそう思い込んでいたという事情が伏在したことによるもので、そのことをY氏は公判でも事実上認めており、自分が検察内部で受けた想像を超える特別待遇の実態についても白状・暴露している。

一方、風間さんは捜査段階から一貫して自分は被害者の殺害など予想さえしていなかったこと、もちろん事前計画などのどんな共謀にも実行にも一切関与していないこと、しかし、二度目の事件では元夫に「E(被害者)の家に行ってるから、(夜)10時頃迎えに来てくれ。」という口実で事件現場に呼び出され、車の中で元夫とYの二人が被害者の頸を左右から紐で絞めて殺害するのを目撃させられたことなど、具体的な証言を詳細に述べている。自分に関するこういう風間さんの証言ーー殺害実行犯であるとの名指しの指摘ーーに対して、驚くべきことにY氏は特別な反応を何も示していない。風間さんを攻撃するような言動は一切していないのだ。判決は実刑とはいえ、わずか3年の刑だったにも関わらず、釈放・起訴猶予が叶わなかったことで「自分はあいつに騙された」「嘘をつかれた。決して許せない」と担当検事にあれほど憎悪を露わにしたY氏が、である。

Y氏は主犯および風間さんの第一審裁判の第16回公判に証人として呼ばれている。そのときのY氏は事件の詳細についての弁護人の尋問に証言拒否を繰り返したが、風間さんが殺人・死体遺棄などへの関与を全面否認していることについて尋ねられると、次のように述べた。

「本人が言ってんだから、間違いないでしょう。本人が言ってんだから、それで合ってるでしょう」
「私は、博子さんは無罪だと思います。言いたいことは、それだけです。」
「私は、博子さんは無罪だと思いますと言ったんです。全部ひっくるめて。」

このY証言について、風間さんの弁護人は「弁論要旨」のなかで、「Yからすれば、被告人風間に対し、何ら悪感情を持っていたわけではないし、あくまで自分の身代わりとして共犯に取り込む供述をしたが、Y自身の刑事裁判は「死体損壊・遺棄」で当初の目的を達成させたことから、今後殺人等でむし返されることはないと確認し、被告人風間に対する同情心と良心の呵責を抱き」、上記のような証言をしたのだという見解を述べ、また下記のようにも記している。

「このやり取りは、Yが本件に対する証言の中で唯一きっぱりと述べた部分であり、又被告人風間の罪体に関する重要な部分であり、Yが何故に証言拒否を繰り返す中で、この部分について明確に証言したのか、これは正にYのぎりぎりの「良心」であったと確信するものである。」(第一審弁論要旨)

第一審の裁判官は判決文においてこのY証言を完全黙殺した。その証言はなかったことにしてしまったのだ。しかし、Y氏の風間さんに関する同様の証言はこれにとどまらない。満期で出所し、本の出版も終えた数年後、Y氏は風間さんらの第二審の裁判に証人として出廷している。弁護人による事件の詳細に関する尋問に「知らぬ、存ぜぬ」で押し通したY氏は、ただ風間さんに関してだけは第一審時以上に積極的に証言している。風間さんの一審判決が死刑と聞いて非常に驚いたこと、風間さんが今この場にいること自体が誤りであること、自分が出所している以上、同じような立場にあった風間さんも直ちに釈放されるべきであること、などの発言内容であった。判決はほぼ検察官の主張どおり――ということは捜査段階におけるY氏の調書どおりということである――のものだったが、ここでY氏は実質的には風間さんに対する死刑判決の根拠である自らの調書を否定したことになるし、自著『愛犬家連続殺人』は信用のおける本ではないことをも認めたといえるだろう。

当ブログのこの事件に関する記事をお読みいただければ有難く思うが、早くから風間さんの無実を感じ取り、風間さんを支援してこられた「友人の会」に事件と風間さんについて簡潔に要約した文章が掲載されているので、こちらもご一読をお勧めする。
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2011.01.30 Sun l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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