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久しぶりの更新になってしまいました。
3月11日の東北地方太平洋沖地震と津波により不幸にも命を落とされた多くの方々に謹んで哀悼の意を表します。
被災された方々のなかには、ご家族を亡くされた方、家屋を失われた方が沢山いらっしゃるわけですが、悲しみを癒す間もないままに連続して原発事故が発生し、残念ながら今なお予断を許さない状態にあります。皆さんが現在もひきつづき嘗めさせられている筆舌に尽くしがたい多大なご心労、ご不自由にたいし、心よりお見舞い申し上げます。今後、一人でも多くの方がまだ安否の分からないご家族と無事再会できますようお祈りいたしますとともに、せめて暖かい食料、医薬品、防寒具、寝具などの生活必需品が充分に行き渡り、一日も早く落ち着いた安全な環境でゆっくりと心身を休ませることのできる日がくることを願ってやみません。

また、原発事故現場の最前線で作業に従事してくださっている方々のご健勝をお祈りいたします。


  

このところ福島第一原発事故に関して技術分野の専門家の発言が新たに耳に入ってくるようになった。先日、インターネットの映像で崎山比早子氏(放射線関連医師)、後藤政志氏(元原子炉格納容器設計技術者)、田中三彦氏(元原子炉製造技術者)などの具体的な説明や明確な見解を聞くことができ、大分原発の構造や仕組み、現在の現場の問題点などが理解できるようになったという気がしている。このような重大な事態に遭遇した場合は、私のようなまったくの素人でも、問題に関する正確な情報や知識の収集、納得のいく合理的な理解こそが、唯一心を落ち着かせ、不安やストレスを減少させる有効な手立てであると実感する。政府・行政・学者たちによる「(大気中の放射能について)この値は直ちに身体に影響が出るわけではない」とか「(放射能物質が検出された牛乳を)続けて飲むのでなければ大丈夫」などと今一つ論旨の不明瞭な説明や、「放射能汚染予測の数値を公表しないのは、誤解を招く恐れがあるから」などという意味不明の説明は、かえって私たちのストレスを高め、結果的には有害でしかないと思う。広瀬隆氏が地震の震度がM8.4→8.8→9.0と2,3日の間に何度も修正されたことに疑問を呈している説明も聞いたが、「そう言われてみれば…。」と思った。これはどういう事情による変更だったのだろうか?

3月11日以降、世上には海外をふくめて無数のニュースや意見が出ているわけだが、原発に関しては放射能汚染がこれ以上拡大することなく収束に向かってくれることを日々祈っているが、同時に、日本国内の原発はできるだけ早くすべて廃止して貰いたい、これからはもう原発に頼るという考えは一切捨ててほしいと切に願わずにいられない。50年代後半だったか、それとも60年代に入ってからだったか、「人間が地球と調和して生存することができないのなら、人類の滅亡も仕方がない。」と言ったのは正宗白鳥だが、そう言ったとき白鳥の頭のなかでは、農薬を含む化学物質の氾濫や開発と称しての森林伐採や戦争・核実験など、人間による地球環境破壊の問題が大きな位置を占めていたことは確かだったと思う。この期に及んで与謝野馨経済財政担当相のように原発政策の見直しについて「将来も原子力は日本の社会や経済を支える最も重要なエネルギー源であることは間違いない」と述べるなどは、はたして正気の沙汰なのだろうか。今のままでは、私たちは後の世代に巨大な負の遺産のみを残すことになるだろう。

個人的に気になったことの一つで、すでにいくつかのブログで取り上げられている件なのだが……。震災以後、佐藤優氏はネット配信の【佐藤優の眼光紙背】において「国家翼賛体制の確立を!」とか「大和魂で菅直人首相を支えよ」「福島原発に関する報道協定を結べ」などと1930年代の大本営さながらの檄を飛ばし続けている。もちろん、佐藤氏のことだから、こういう内容の主張をするのではないかと初めからおおよその予測はつくことだが、実際に危機を乗り切るための翼賛体制の必要性を力説した上で「この危機を乗り切るという明確な目的意識をもって筆者も言論活動を行う。」という宣言文を読むと、やれやれ、この人はこれから先もこういう演説をそこら中に撒き散らすつもりなのかと「ゾゾ~ッ」と寒気がしてきた。内容が、愚劣なだけでなくひどく有害だと感じるからだ。

「報道協定を結べ」という文章を一読すると、佐藤氏とは一部マスコミのいう「知の巨人」などとはまるで逆の知性の持ち主ではないかとつくづく思えてくるが、また、この人が如何に深く私たち一般大衆をばかにしているかを痛感する(注)。その度合いが常識の限度をあまりに大きく超えているために滑稽感さえ漂っているように思える。政府とマスコミは「報道協定を結べ」という佐藤氏の主張には、「由らしむべし、知らしむべからず」という本音があからさまに現われているのは確かだが、今回の原発大事故の背景にも、このような根拠のない優越感、人間的驕慢が根深く存在しているのではないか、大いに共通点があるのではないかとも思う。

「国家翼賛体制の確立を!」という主張にいたっては、かつての東条英機か松岡洋右の発言かと見紛うようである。ひょっとしたら、佐藤氏には彼らの亡霊が憑りついているのではないか?

佐藤氏は金光翔さんに提訴された裁判で、金さんが論文「<佐藤優現象>批判」のなかで佐藤氏のある主張を「人民戦線」と要約したことに対して、「人民戦線」という言葉は「歴史上の概念」であるから、論文の要約は不当であるという主張をしていたが、しかし「歴史上の概念」というなら、それは「人民戦線」にではなく、「(国家)翼賛体制」という言葉にこそ該当するのではないだろうか。佐藤氏は、

「翼賛について『広辞苑』(岩波書店)を引くと<力をそえて(天子などを)たすけること>と解説されている。太平洋戦争中の翼賛政治会や翼賛選挙の負の意味に引きずられずに、日本人1人1人が、民主的手続きを経て日本の政治指導者に選出された菅直人首相を助けることが重要である。」

と述べているが、これはいつもながらの詭弁だと思う。辞書で調べるのなら、なぜ「翼賛」だけではなく、ここで自身が強調している「翼賛体制」をもきちんと調べないのだろう。「翼賛体制」とは、挙国一致体制で侵略戦争にのめり込み、ついには無謀な真珠湾攻撃で破局に突き進んだ軍国日本の固有の歴史以外の何物でもないはずだ。佐藤氏は「翼賛政治会や翼賛選挙の負の意味に引きずられずに」というが、「引きずられずに」とはどういう意味なのか。そんなことを言うのなら、「国家翼賛体制」という言葉から「負の意味」以外の何を引き出すべきなのか、きちんと記すべきだろう。

良きにつけ悪しきにつけ、人間は誰でも生まれ育った社会環境の影響を受ける。だから伝統や慣習などのうち人に自然に身に付くものは身に付き、内部に蓄積されるものは蓄積されるだろう。けれども、その自然な領域を超え、強制の色合いを帯びて「愛情」「忠誠」「翼賛」「国益」などという概念が人に介入してくれば、その対象が国家であれ、郷土であれ、組織であれ、人間であれ、歪みが生じるのは避けられないように思う。日本の戦前・戦中の歴史こそがそのことを明確に証明しているのではないだろうか。そもそも、言論による痛烈な批判をうけて言論による反論もできないばかりか、批判を潰すために裏で動き回るような人の口から「国家翼賛体制の確立を!」とか「報道協定を結べ」などの偉そうな物言いが出ること自体おかしなことなのだが、むしろ、そういう行為をする人だからこそ、上のような檄が出るのかも知れない。

また、佐藤氏は3月20日の【佐藤優の眼光紙背】に「リビア情勢の東日本大震災からの復興に与える影響を注視せよ」と題して、日本政府が米・英・仏などによるリビアへの軍事介入を支持したことを

「国際社会は「大震災による被害と福島第一原発の危機に直面していても、日本政府は国際問題をきちんとウオッチし、迅速に反応することができる。国家機能は麻痺していない。日本は信頼に足る」という評価をしたことは間違いない。松本剛明外務大臣はセンスがよい。国益を守った。」

などと称賛し、一瞬これは官政権への指示命令なのかと錯覚するような下記の指摘もしている。

「これに加え、菅直人首相も同趣旨の見解を表明するとよりよいと思う。リビア情勢の進捗は予断を許さない。事態がより紛糾したときは、菅首相がオバマ米大統領、サルコジ仏首相、キャメロン英首相と電話会談を行い、日本としてもこれら諸国の行動を支持すると表明する必要がある。」

この記事では、こういう重大な問題を扱うとき筆者として必ず記述しなければならないはずの基本かつ肝心要の部分がすべて欠けていると思う。最悪なのは、自分がこの件に関する政府の方針をこれほど熱烈に支持する理由が何も記されていないことである。単なる言いっ放しであり、これではまともな言論とは言えないだろう。私などはリビアという国についてもカダフィという権力者についてもほとんど何の知識ももっていない。40年も独裁者として君臨していることや、息子など彼の一族が政権中枢を占めているところをみると、おそらく反体制派の人々が主張する国民への圧制や政治的腐敗・矛盾は存在するのではないかと推測はするが、たとえそうだったとしても、米・英・仏などの空爆は他国の主権侵害であることは事実だろう。彼らは「カダフィ政権による反体制派国民の武力弾圧をけん制し民間人を保護するため」と言うが、ベネズエラのチャベス大統領は「石油獲得だけが目的で、リビア国民の生命など全く気にしていない」と批判し、「攻撃に正当性はない」と述べている。キューバのカストロも同様の見方をしているようである。またエジプトを訪問中の潘基文国連事務総長は3月21日、カイロで「国連安保理決議に基づくリビアへの軍事介入に抗議するデモ隊に取り囲まれ避難する一幕があった。デモ隊はリビアの最高指導者カダフィ大佐の支持者らで、介入に参加した米国を非難するスローガンを叫ぶなどした。」(毎日新聞)とのことである。

それから、国連安保理の決議では一般市民が犠牲になることが明らかな空爆による武力攻撃までは論議もされず、認められもしていないという声もある。佐藤氏のように欧米の大国によるリビア攻撃を全面的に支持するというのなら、このような数々の疑問に進んで言及し、自分の考えを明確に説明することは論者として不可欠の責任ではないかと思う。

    …………………………………………………………………………………

(注) 佐藤優氏曰く、「冷静に考えると、論理などというのは、わが日本においては、総人口の5%ぐらいの世界でしか通用しないのではないか。95%は論理以外の形容し難い何ものか―観念だか、概念だか、刺激だか名指しできないもの―によって動いていると考えたほうがいい。そういう人々に対して、論理で物事を説明しようという発想自体が、そもそも間違っているのかもしれません。」(佐藤優著「国家論 日本社会をどう強化するか」(日本放送出版協会2007年)より抜粋)

論理の通じる5%のなかに自分自身が含まれているのは自明であるらしいのが、どうも…?。
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2011.03.24 Thu l 東日本大震災 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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