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明日10日の都知事選は、朝日新聞から産経新聞までどのメディアにおいても、依然として現職の石原慎太郎知事の優勢が伝えられている。これはほとんど電話調査によるもののようだが、予想としてはまぁそうなのだろう(自分でも意味不明の言い方だが)。ただ、今回は過去のような「石原慎太郎圧勝の勢い」というわけでもなさそうである。これは当たり前のことであって、毎度お馴染みの「後出しジャンケン」で出馬表明した挙句、大震災後にあれだけ知性・品性の欠片もない暴言・妄言を連発したのだから、これで石原圧勝では都民の民度が深刻に疑われるだろう。ただ、時事通信の記事によると、

「 時事通信社が行った東京都知事選の世論調査では、3期12年の石原都政に対し、一定の評価を与えた有権者は72.5%に上った。具体的には、「評価する」と答えた人が23.2%、「どちらかといえば評価する」が49.3%。一方、「評価しない」は、「どちらかといえば評価しない」と合わせて24.8%だった。 」

とのことである。……沈黙…。さて東国原英夫候補は石原知事を非常に尊敬していると公言していることだし、「強い東京、優しい東京」などというちょっと耳触りがいいだけの意味も中身もあるとは思えないキャンディーのようなコピーを披露しているのをみても、期待感はまるで湧いてこないし、新鮮味も感じない。原発に関しては現職知事と異なり、政策の転換を口にしてはいるので、毒を薄め軽さを加えた小石原というところだろうか。渡辺美樹候補は原発推進派について「違和感がある」と述べているが、この時期にこういう「違和感」という言い方を聞くと原発事故をどれだけ深刻に捉えているのだろうかと聞いているこちらのほうこそ違和感、心もとなさを覚える。「経営視点で東京の再構築を」という主張にしても具体策がどういうものなのか分からないので、さして質の高い政策提言ではないのではないかと思ってしまう。

今回時間をかけてじっくりと候補者同士の政策論争ができなかったことで一番損をしたのは小池晃候補ではないかと思う。小池氏は他の候補者同様無所属で出馬しているが、日本共産党の支援を受けているし、ご本人も日本共産党所属の人のようで、当然のこととはいえ、「反石原」の姿勢が明確である。掲げている政策を見ると、①脱原発、②福祉施策の復活・転換 ③漫画やアニメの販売を規制する「東京都青少年健全育成条例」の廃止、などを公言している。石原、東国原、渡辺の諸氏と比べて、これらの政策は私たち一般庶民にとってもっとも利益になる、もっとも生活の安心・安全につながるのではないかと思う。私はこれまで日本共産党に投票したことはないのだが、もし私が都民だったなら今回は小池氏に投票するだろうと思う。日本共産党が東電に対し福島の原発の危険性をずっと以前から厳密に指摘・忠告していたことに対する敬意を表する気持ちもあるし、石原慎太郎を落選させたい気持ちもつよい。それにしても、石原慎太郎の冷酷さには汲めども尽きぬものがあることを今回またしても知らされた。小池候補は、

「石原知事は「何がぜいたくかといえばまず福祉」と言って、多くの福祉施策を冷酷に切り捨てました。私は「何が大切かといえばまず福祉」という都政に転換します。」

と述べている。何と石原知事は「何がぜいたくかといえばまず福祉」と言ったことがあるのだそうである。ウィキペディアで調べてみると1999年『文藝春秋』誌上での発言のようで、次のように記述されていた。

「何が贅沢かといえば、まず福祉」(『文藝春秋』1999年7月号)の主張に基づき、石原都知事主導で「福祉改革」(社会保障費の削減・合理化)が行われた。1999年から2004年までに以下の政策により福祉予算を661億円削減した。
 ・シルバーパス(敬老パス)の全面有料化
 ・寝たきり高齢者への老人福祉手当の段階的廃止
 ・障害者医療費助成の対象を縮小
 ・特別養護老人ホームへの補助を4年間で181億円(85%)削減
 ・難病医療費助成の対象から慢性肝炎を除外
 ・盲導犬の飼育代、盲ろう者のための通訳者養成講座の廃止 」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E6%85%8E%E5%A4%AA%E9%83%8E

「何がぜいたくかといえばまず福祉」という言葉は、病気になっても大病院の特等室に何ヶ月でも何年でも余裕で入院できるとか、失業を含めた暮らしの不安など一度たりとも味わったこともないという、ほんの一部の特権階級にいる人物、しかも自分のその特権を当然視し、その座に胡坐をかいている人物からしかまず出ない言葉だろう。まして政治家は数多くの多様な特性をもった人間に対応し、個性・特徴の異なる一人ひとりの人間を平等に取り扱い、個人の生存や生活の安全を保障していく仕事を担う。石原慎太郎のような人は政治家になど決してなってはならない人間、なってしまえば貧しい人間や病者や老人を初めとした社会的弱者にとっては迷惑千万でしかない人間だとつくづく思う。しかし、政界を見回すともう長きにわたってこういうタチの人間こそが政治家になりたがり、実際なってしまって大きな顔をしているというのが日本の政治土壌なのだ。今や権力を握りたい、権力を使って他人の上に立ち、それを存分に振り回したいという欲望が根拠のない自信と相まって野放しにされているのではないか。財界や官界にも同じことが言えるように思うが、今回の原発事故の発生、事故後の対処方法、(石原知事をはじめとした)事故をめぐる政治家の無責任な放言かつ自分勝手な言動にもその傾向が顕著に見えるように思われる。石原都知事に話題を戻すと、彼は平気で嘘をつく人でもある。それも決して笑ってすませられるという他愛のない嘘ではない。(自分への)批判を逸らしたり免れるための嘘、あるいは自分の責任を他人に転嫁するための嘘なのである。もっとも有名なのが、2001年の下記の発言であった。

「これは僕がいっているんじゃなくて、松井孝典(東大教授)がいっているんだけど、“文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババア”なんだそうだ。“女性が生殖能力を失っても生きてるってのは、無駄で罪です”って。」『週刊女性』2001年11月6日号)

これは、実は石原都知事が松井孝典氏の発言を逆の意味にねじ曲げて捏造したものであることは、松井氏はじめ多くの人が証言している。この発言が女性差別であり、女性を冒涜するものであることははっきりしているが、松井氏の人格と学者としての権威を傷つけるものでもある。逆の立場だったなら、おそらく「発言を捏造され、利用された」といってカンカンになって怒っただろう行為を、他人には平気でやるのが石原慎太郎という人物だと思うしかない。

大震災以降も、発言に嘘が多いことは変わらない。毎日新聞によると、3月14日に蓮舫節電啓発担当相から節電への協力要請を東京都内で受けた後、記者陣に対し、東日本大震災に関連して「我欲に縛られ政治もポピュリズムでやっている。それが一気に押し流されて、この津波をうまく利用してだね、我欲を一回洗い落とす必要がある。積年たまった日本人の心のあかをね。これはやっぱり天罰だと思う。被災者の方々、かわいそうですよ」と、その後よく知られることになる発言をしたが、その後、アッという間にこの「天罰」発言が世間に広まり、批判にさらされる事態になると、その夕方、都庁で行った記者会見は、

「「『被災された方には非常に耳障りな言葉に聞こえるかも』と(前置きで)言ったんじゃないですか」などと釈明したが、実際には発言していない。」
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110315k0000m040043000c.html

ということなのだ。石原都知事は自ら口にした「天罰」が問題になると、「『被災された方には非常に耳障りな言葉に聞こえるかも』と(前置きで)言った」ではないかと、記者会見の場で急きょ「前置き」(嘘)を創作し、それを昼間「言った」ことにして批判から逃れようとしているのだ。これは恥ずかしい。

3月29日には、記者会見で、やはり東日本大震災に関連して、下記の発言をしている。

「「桜が咲いたからといって、一杯飲んで歓談するような状況じゃない」と述べ、被災者に配慮して今春の花見は自粛すべきだとの考えを示した。
「今ごろ、花見じゃない。同胞の痛みを分かち合うことで初めて連帯感が出来てくる」と指摘。さらに「(太平洋)戦争の時はみんな自分を抑え、こらえた。戦には敗れたが、あの時の日本人の連帯感は美しい」とも語った。」(時事通信)

花見をするかどうかは完全に個人の判断の範疇にあることだ。都知事ごときに「自粛すべき」などと命令や指示を受けるいわれは毛頭ない。石原知事は他人に花見の自粛を呼びかけるより、少しは自分の心ない発言を自粛するよう自分自身に呼びかけたらよい。

「同胞の痛みを分かち合うことで初めて連帯感が出来てくる」という発言だが、この場合の「同胞」とは東日本大震災の被害に遭い、今も苦難のなかにいる人々のことだろう。石原都知事に「痛みを分かち合う」心情があるのなら、どうして「私は原発推進派です、今でも」などの言葉が出るだろう。しかもわざわざ被災地の福島まで出かけて行って発言しているのだ。これは被災者の傷口に大量に塩をすり込む暴力行為ではないのか。

さらに、「(太平洋)戦争の時はみんな自分を抑え、こらえた。戦には敗れたが、あの時の日本人の連帯感は美しい」という発言にいたっては、内心、思わず「嘘をつけ!」と言ってしまった。この人は、若いころ、雑誌の対談などで何度も「自分には戦争の記憶はほとんどない。」と述べているのだ。1932年生まれという世代からすると、敗戦時は中学生のはずだから「記憶がない」というのは不自然だ。しかし、兄弟二人のために親がヨットを買ってやるほどに家は裕福、物資も豊富にあったようだから、空腹には無縁。それでようやく戦争の記憶のないのも肯ける。

「戦争の時はみんな自分を抑え、こらえた。」というが、抑え、こらえる以外にしかたがなかっただけではないのだろうか。抑え、こらえなければ「非国民」として指弾・差別されるか、監獄行き。「あの時の日本人の連帯感は美しい」などというが、戦争の記憶がないという人間にどうして戦時中の日本人に連帯感があったと証言できるのだろう。私は戦争中、日本人の間に連帯感があったという説を聞いた記憶はまずない。権力に従順であったことは間違いないだろうが、石原都知事のいう戦争中の日本人の「美しい連帯感」はどこに、どのようなかたちで存在したのだろう。また石原知事はそれをいつ、どこで知ったのだろう。

昔、もう半世紀も前に、中野重治は「石原慎太郎がジャーナリズムになぶり殺しにされてゆくのを見るにしのびない、というような発言をしていた(新日本文学)」(平野謙『文藝時評 上』(河出文藝選書1978年)。初出・1956年5月)そうだが、私は別のところで同じ中野重治の「マスメディアは石原慎太郎をとり殺す気か」という発言を見た記憶もある。差別発言を初めとした暴言の類ばかりが聞こえてくる石原都知事を見ると、中野重治のそれらの言葉が思い出される。
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2011.04.09 Sat l 石原慎太郎 l コメント (3) トラックバック (0) l top

コメント

車イス川柳♪
素晴らしいブログですね!!

ポンコツ川柳というのをやってますので、
良かったら覗いてあげてくださいな♪

http://freakchan.com
赤い候補者
赤い中国共産党と同じように赤い日本共産党の赤い小池が都知事になって赤い日本の首都をつくることは落選するから幸いなさそうだ。
赤い心に気づかずに、あるいは同意して投票する赤い人も広い東京にはいるだろう。
2011.04.09 Sat l 盗人・李メドベージェフ. URL l 編集
車イス川柳♪ 様
コメントありがとうございます。
お返事が遅くなってしまいましたが、サイトを見せていただきました。
川柳は自分では作れませんが、読むのは好きです。
フリークさんの場合、今のところは率直に言って、文章の方が断然すばらしいように思いました。
川柳は数を沢山作るのも、特に最初のうちは大事だそうですね。お身体のこともあり、大変だと思いますが、これからもぜひ作り続けてください。もちろん文章も! また寄らせていただきます。

2011.04.14 Thu l yokoita. URL l 編集

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