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4月30日、「校庭利用基準、変更せず=年間20ミリシーベルト―細野補佐官」との見出しで「時事通信」の次の記事がウェブ上に掲載された。(太字による強調はすべて引用者による。)

「 細野豪志首相補佐官は29日夜、TBSの番組に出演し、辞任表明した小佐古敏荘内閣官房参与(引用者注:この人物は典型的な御用学者という説があり、これは事実のようなので、辞任の理由をご本人の主張どおりに受けとっていいかどうか分からないが。)が甘すぎると批判した学校の校庭利用制限に関する放射線量の基準について「われわれが最もアドバイスを聞かなければならない原子力安全委員会は年間20ミリシーベルトが適切と判断している。政府の最終判断だ」と述べ、変更しない方針を示した。/ 同時に「通っているお子さんや親御さんの気持ちがあるから、(被ばく量を)できるだけ下げる努力を当然すべきだ」と強調した。 」(引用者注:/は改行部分)

上記のように、放射線量基準値「20ミリシーベルト」について細野豪志首相補佐官は「原子力安全委員会の助言」を強調しているが、翌30日、官直人総理も衆院予算委員会で「政府の決定は原子力安全委員会の助言に基づいたものだ」と反論し、また、高木文部科学相は、「この方針で心配はない」と強調した(フジテレビ)。三人とも「20ミリシーベルト」に何の問題もないとし、その根拠として官総理と細野氏の二人は原子力安全委員会の助言を挙げている。しかしこの言い分はおかしい。4月13日時点では、原子力安全委員会は、記者会見で、子どもについては大人の半分の「10ミリシーベルト」を基準とするのが適切と語っていたはずだ。

「 福島第1原発:子どもは年10ミリシーベルト目安
 福島第1原発事故の影響で、福島県内の一部の小中学校などで大気中の放射線量の値が高くなっている問題で、内閣府原子力安全委員会は13日、年間の累積被ばく放射線量について「子どもは10ミリシーベルト程度に抑えるのが望ましい」との見解を示した。同委員会は、10ミリシーベルトを目安とするよう文科省に伝えたという。
 10ミリシーベルトは、政府が福島第1原発から20キロ圏外の「計画的避難区域」の基準とした年間被ばく放射線量の20ミリシーベルトの半分にあたる。子どもは、大人よりも放射線の影響を受けやすいとされている。代谷誠治委員は会見で「校庭で土壌から巻き上げられた放射性物質を吸い込み、内部被ばくする場合もあることを考慮すべきだ」と述べ、「学校でのモニタリング調査を継続して実施する必要がある」とした。
 震災後にできた現地の市民団体「原発震災復興・福島会議」が、福島県が4月上旬に実施した小中学校や幼稚園などの校庭・園庭での調査結果を基に独自に集計したところ、県北地域を中心に、全体の2割で、大気中(地上1メートル)で毎時2.3マイクロシーベルト(0.0023ミリシーベルト)以上の放射線量が検出された。仮に、校庭に1年間いた場合に20ミリシーベルトを超える値で、同団体は線量の高い学校での新学期の延期や学童疎開の検討を要請している。【須田桃子】(毎日新聞 2011年4月13日 21時04分) 」

毎日新聞のこの記事は触れていないが、従来、一般公衆の被ばく許容量が「年間1ミリシーベルト」とされていることからすると、原子力安全委員がここで述べている「年間10ミリシーベル」も、おそろしく高い数値ということになる。記事によると、安全委員会は、10ミリシーベルトを目安とするよう文科省に(すでに)伝えたというから、これを素直に受けとって推測すると、「目安10ミリシーベルト」と伝えられた文部科学省か政府、あるいはその両方が安全委員会の提示した「10ミリシーベルト」に異議を唱えた結果、急きょ「20ミリシーベルト」に決定された確率が高いのではないだろうか?


   

この問題における政府・文部科学省の決定を批判し、撤回を求めた日弁連の「会長声明」(2011-4-22)には下記の文面がある。

「文部科学省は、電離放射線障害防止規則3条1項1号において、「外部放射線による実効線量と空気中の放射性物質による実効線量との合計が3月間につき1.3 ミリシーベルトを超えるおそれのある区域」を管理区域とし、同条4項で必要のある者以外の者の管理区域への立ち入りを禁じている。3月あたり1.3mSvは1年当たり5.2mSvであり、今回の基準は、これをはるかに超える被ばくを許容することを意味する。しかも、この「1.3ミリシーベルト同規則が前提にしているのは事業において放射線を利用する場合であって、ある程度の被ばく管理が可能な場面を想定しているところ、現在のような災害時においては天候条件等によって予期しない被ばくの可能性があることを十分に考慮しなければならない。 」

文部科学省は「電離放射線障害防止規則」において、放射線量が「3月間につき1.3 ミリシーベルト」を越えるおそれのある区域を「管理区域」と定めているそうであるが、「3月間につき1.3 ミリシーベルト」は、年換算にすると日弁連が述べているごとく「5.2ミリシーベルト」である。政府・文部科学省は「管理区域」におけるこの基準量のおよそ四倍もの放射線量を児童・生徒が通う小中学校に上限値として許容するというのだ。しかもこの「20ミリシーベルト」には「放射線管理区域」における基準の場合と異なり、内部被ばく量は含まれていないとのことだ。「管理区域」は部外者の立ち入りが禁じられ、また、放射線を扱う業務への18歳未満の就業は労働基準法で禁止されていることを勘案すると、この措置には大きな疑問をもたないわけにはいかない。

枝野幸男官房長官は4月30日午前の記者会見で、「20ミリシーベルトまでの被ばくはかまわないという指針ではまったくない。相当大幅に下回るとの見通しのもとで指針は示されている」と述べた。(毎日新聞)」とのことだが、「福島県内の学校等の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方について」という通達文書に現実に「20ミリシーベルト/年」と明記されている以上、枝野氏のこの弁明は意味をもたないと思う。枝野氏などの政府・文部科学省が「20ミリシーベルトまでの被ばくはかまわない」と考えてはいないことを認めたとしても、現状のままでは「被ばくはかまわない」が「被ばくはしかたがない、やむをえない」に変わるくらいがせいぜいのことだろう。どうしても「明らかに誤解をされている」と言いたいのなら、現実にこの基準量の大幅引き下げ可能な政策を実現するしかない。


   

4月19日に政府・安全委員会・文部科学省が「福島県内の学校等の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方について」を発表すると、直後から「政府の対策費用の節約のために、児童・生徒の健康が犠牲にされようとしている」「子どもたちの将来が心配だ」という声がウェブ上にあふれた。この種の問題において最も細心の配慮を必要とする年齢の子どもたちが生活する小中学校において「放射線管理区域」の四倍の量の上限値が許容されるという政策に多くの人がつよい懸念を示し、当局にきびしい批判を加えたのは当然のことだった。

文部科学省は「1~20mSv/年」について「安全と学業継続という社会的便益の両立を考えて判断した」と説明しているが、この説明は枝野官房長官の場合と同じく説得力をもっていない。日弁連が指摘しているように、公衆の安全と経済的・社会的便益を総合的に勘案した上で基準量として設定された数値が従前の「年間1ミリシーベルト」だったはずだからである。この基準を忠実に守ろうとすれば、現在地の学校での授業継続が不可能となる。政府・文部科学省は子どもの健康と将来を犠牲にすることになったとしても,経済的・物理的負担を惜しんで「20ミリシーベルト」の措置をとったのではないだろうか。安全委員会が「基準値10ミリシーベルト」を口にしてから一週間足らずで「20ミリシーベルト」の通達文書が発出されている点をみても、幅広い議論がなされたとは思えない。真摯な考慮・議論の末のぎりぎりの選択だったともとても受けとれない。このことを最も鋭敏に感じ取っているのは、教師や父母の悩みも深いだろうが、当の子どもたち自身だろう。

どこの国、どこの社会にとっても子どもはかけがえのない存在のはずである。しかし今回の「20シーベルト」の件は、日本政府が子どもたちの心身の健康や今後の健全な成長について大して深くも真摯にも考えていないことを白日の下に晒してしまっている。思えば、昨年高校授業料を無償化するにあたって朝鮮学校だけを対象外とするという差別政策を平然と敢行した日本政府、文部科学省であった。宮城県知事は、大震災直後の混乱のさなかで自分たちと同様の被害に遭い、同様に苦しんでいる朝鮮学校への補助金を打ち切っている。1924年の関東大震災は日本人の精神に悪い意味で途轍もなく大きな影響を与えたと言われているが、今の私たち日本人と日本社会は、おそらく関東大震災当時よりもっと深刻な社会的・精神的問題を抱えているように思われる。

この境地を脱して少しでもよい方向に進むためには、政府・文部科学省が「20ミリシーベルト基準」を必要とする環境下の学校に通う児童・生徒のためにこの措置を撤回し、安全な教育環境を用意することは絶対的に必要不可欠と思う。また、政府・文部科学省にこのような驚くべき発想が湧き出し、これを政策として躊躇もなく実行に移せるということは、その源に朝鮮学校のみを無償化の対象から外した経験があることは確かではないかと思える。大人より心身ともにつよい子どもの感受性が無視されて事が決定されている点では共通性があると思う。「20ミリシーベルト基準」とともに、朝鮮学校への差別政策を、政府・文部科学省はもちろん、宮城県、東京都、大阪府などの自治体も早急に撤回することを請願する。このようなことが一つずつ着実に実行されていくのでなければ未来に希望なぞ生まれようがないのではないだろうか。
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2011.05.02 Mon l 東日本大震災 l コメント (3) トラックバック (0) l top

コメント

原子力安全委員会は20mSvを否定、文科省の決定に根拠なし。

「20mSvを基準とすることは、安全委員会は認めていない」
「基準は子供と大人を違うものとみて、成人と同じとしていない」
「内部被曝を重視するように、文科省にも伝えている」
「4人の安全委員は、子供が20mSv浴びることを誰も許容していない」

http://www.youtube.com/watch?v=sGu9M9WAAHw
2011.05.03 Tue l 越後屋. URL l 編集
Re: タイトルなし
越後屋 様

動画のご紹介ありがとうございます。
4月21日の市民団体×文部科学省・安全委員会の対話集会(?)も観ることができました。
児童・生徒の親御さんの参加も多かったようですね。
たとえ当面はなんともなくても、将来が心配ですからね、当然だと思います。
2011.05.04 Wed l yokoita. URL l 編集
お墓にひなんします
「相身互い」 阿羅漢老人
「原発事故を苦に93歳自殺」「私はお墓にひなんします。ごめんなさい」(南相馬市の老女の遺書から)
 
 福島の原発事故で避難生活中だった南相馬の老女が「お墓に避難します」と書き残して自殺したと報じられた(『毎日新聞』2011.7・19「記者の目」)
 私には「ボランティア」なるものにずっと抵抗があったが、「ある種の相互扶助のようなものなんです」と言われて、なるほど困ったときの「相身互い」なんだと腑に落ちた。 大災害を被った人々に先ず大切なのは「衣・食・住」であるが、やがてそれが「意・職・住」に変わるという。「なかでも僕が大切だと思うのは「意欲」。意欲をもってもらうために自分たちができることをするのがボランティアなんですよ」と田中康夫は書いているが、阪神大震災での自己体験を踏まえての、この発言は説得力がある。(『宝島』2011.9)
 被災民の気持ちを本当に分かることはできない。でも、つらい立場を思いやることはできる。その苦しさは分かち合える。自分もいつ同じ境遇におちいるかもしれぬ。「相身互い」という言葉にはこんな庶民の悲しい智恵が込められているような気がする。 
 放射線の影響を受けやすい子供子どもや妊婦をその危険から守れ ! 低線量の内部被曝による後年発ガンの可能性も考慮に入れるべきだ。これらはとても大切なことである。そういう親御さんの気持ちもよく分かる。
でも、だからといって、放射能が心配だから、ガンが不安だからと、放射線が(ほとんど)検出されなくても、とにかく福島産の桃は食べない、東北産の魚は買わないという最近の風潮はただごとではない。これは放射能パニックというより、福島・東北に対する「縁がちょ」ではないか。被災民たちの仕事への希望や生きようとする意欲の芽を摘むことになりはしまいか。 
 今、福島・宮城・岩手、そして東北の人々は地震・津波・放射能汚染の三重苦にあえいでいる。声にならない「福島県民の悲鳴」に耳を澄ますことがなにより求められている。
  藤の花 愁ひ含めり 福島の空 裕  
    
 この一文感ずるところあって、昨年夏に書いたもの。乞一読。


2012.04.13 Fri l 阿羅漢老人船木裕. URL l 編集

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