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検察は、風間さんと関根氏の間に、自分たちの財産や事業を守るためには他人の抹殺をも辞さない性質の排他的で強固な絆があるのだと主張し、二人の関係を「車の両輪」や「運命共同体」などにたとえている。それでは、実際二人の間にこのような確固とした絆があったのかどうか、これからこの説の信憑性を探ってゆきたい。この問題は、大変複雑微妙な性質の内容を含み、また事象は多方面におよんでいるので、下記のように幾つかの項目に分類し、それぞれ個別に検討してゆく。

1.「M事件」について
2.風間さんの入れ墨に関する問題
3.風間さんの連れ子である長男への関根氏の暴力
4.同じく関根氏による風間さんへの暴力
5.その他

最初に、検察が昭和59年(84年)に関根氏と風間さんによって共謀実行されたと主張する「M事件」から検討する。

1.「M事件」について

検察は、この出来事こそ二人が同志的「車の両輪」関係を築き上げる原点になったのだと主張し、また裁判所もそのように認定しているので、事件の全貌および裁判の構造を正確に認知する上で、このM事件の詳細な検討は決定的に重要だと思う。

検察官は、Kさん殺害の動機は、Kさんからの犬のキャンセル料返還請求に対する風間さんの拒絶にあるのだと主張する。これによると、関根氏から事情を聞いた風間さんは「Kに返す金などない」と反応し、「Mだって、殺してから10年も経つけど警察は迎えにも来ていない。日本は法治国家だから証拠がなければ逮捕されない。」「やるしかない」と述べたということだ。
検察官のこの主張は関根氏の取調べ段階の供述調書を根拠にしているのだが、しかし、公判に入ってからの関根氏は、ことM事件に関しては、全面的に自分のこの供述内容を否認している。M氏を殺害したこと自体を否定しているということである。

このMという人物は関根氏の古い知人とのことである。もし検察官の主張が正しいのなら、昭和59年2月、結婚して3、4ケ月後、それまで犯罪と無縁だった風間さんが、結婚後に知り合った夫の友人を殺害したことになるのだが、殺害の理由・経過・状況などは、論告によると、下記のとおりである。

「被告人両名は、アフリカケンネルの事業開始後間もない昭和59年2月ころ、M・E(以下、「M」という。)を殺害し、その死体を解体して、知人のS・R(当時はA・R)に手伝わせて、万吉犬舎にてその死体を焼却し、荒川の押切橋付近に遺棄するという事件を起こした。
被告人関根とMとは、被告人関根が被告人風間と婚姻する以前からの知り合いであり、被告人両名が婚姻した後、被告人風間もMと付き合いをもつようになったが、被告人風間の両親が不動産等の資産を有していたことから、Mは、その資産を当てにして、被告人両名の婚姻後、被告人関根に金の無心等をするようになり、それが執拗になってきたことから、被告人両名は、Mの殺害等を共謀し、それを実行したものである。」(『一審論告』p23)

上記の検察主張に対し、一審弁護人は、次のように反論している。

「しかし右主張を裏付ける証拠は被告人関根の平成7年1月26日付、同1月30日付員面調書だけである。
右調書によれば、「結婚した頃、Mが家によく来ていた。Mは、20万円貸せ、50万円貸せと次々と言ってきた。被告人関根が渋っていると、『おばあちゃんに掛け合う』と言って被告人風間の母親の財産を当てにし出した。そのため、風間も財産を取られると思い、被告人関根に「二人で殺そう」と言い、被告人関根は被告人風間のためになればと思い殺した」とあるが、全くのでたらめであり、検察官は被告人関根の供述について多々信用性を否定しているのに、何を根拠にこの供述を信用できると言うのか全く理解できない。(『一審弁論要旨』p114)

また検察官は右について証人S・Rの証言によっても裏付けられると主張するが、右証言は「昭和59年2月か3月頃、関根から『Mをケムにしたので、手伝って欲しい』と電話があり、万吉犬舎へ行って関根の指示で燃やすのを手伝った、殺した理由は関根が風間や母親の不動産をMに一部やると約束し、それを実行できなかったからだと思う」とあり、また「風間は関根のMに対する右約束を知らないし、その後Mとのトラブルに巻き込まれていない」とあり、仮にM殺害があったとすれば、被告人関根の単独犯を証明する証言であり、被告人風間の共謀を裏付ける証拠は皆無である。」(『一審弁論要旨』p340)

上記の論告や弁論要旨を読んでいると、「M事件」におけるS・R氏の役割は、本件におけるY氏の役割を彷彿とさせるのだが、ではこのS・R氏が、万吉犬舎でMという人物の遺体を焼却した経緯について公判廷でどのような証言をしたかを見てみたい。
なお、当時の風間さんは、犬についての知識などなく、犬舎の仕事にも関わっていなかった。当然、犬舎は関根氏がひとりで営んでいた。

「(燃やしている時に)実際に、だれか来ましたか。
  「来た記憶はありません。」
もともと、当時の万吉犬舎というのは、昼間、人がよく来るような場所だったんですか。
  「当初は、あまり来なかったと記憶してます。」
そうすると、もともと、昭和59年の2月か3月ごろは、万吉の犬舎は、昼間でも人はそんなに来ない場所ではあったわけですか。
  「はい。」
今、実際に誰も来たことはそのときなかったということですが、全くだれの姿も見なかったんですか。あるいは、だれか見たような記憶があるようなことはなかったですか。
  「ええ、ありません。」
全く、ないですか。
  「あっ、客はだれもいませんでした。」
今、「客は」ということをおっしゃったんですが、客以外でだれか知ってる人の姿を見かけましたか。
  「それははっきりとした記憶じゃありませんが、風間博子さんが缶ジュースか何かお茶をもってきてくれたような記憶があるんですが。」
それは、その焼却をしている間ということですか。
  「はっきりとはわからないです。」
おおよその記憶ということなんで、それで聞きますけれども、大体の記憶では、焼却処分をしている間という記憶になるわけですか。
  「はい。」
お茶とか何か持ってきたということですが、それは1回だけですか。それとも、何回かあったんですか。
  「いや、何回もなかったと思います。」
1回か2回、あるいは3回くらいかということではどうでしょうか。
  「1回だと思います。」
お茶を持ってきたということですが、それは、焼却処分をしている最中の証人のところに持ってきたんですか。それとも、別のところに持ってきたんですか。
  「そこまで細かく覚えてません。」
ただ、証人もちょっとあやふやな記憶ではあるけれども、焼却処分中に被告人風間博子の姿を見かけたことがあるということになるわけですか。」
  「はい。」
それから、関根なんですが、さきほどの話で、犬の世話をしてたと、焼却処分の間ですけど、そういう話でしたね。
  「はい。」
それ以外に、関根は何か焼却自体にかかわるようなことはしていたんですか。
  「ほとんど、私がしてました。」
ほとんど。
  「一度か二度くらいは火のそばに来たかもしれません。」
それは、そばに来て様子を見ただけだったんですか。
  「はい。」 」(第56回公判 平成10. 8. 20日)

どうだろうか。関根氏に呼び出され遺体の焼却を手伝わされたというこの人物の、「はっきりとした記憶じゃありませんが、風間博子さんが缶ジュースか何かお茶をもってきてくれたような記憶があるんですが。」というこの証言から、風間さんが事件に何らかの関与をしたと感じとる人間が、はたして何人いるだろうか。大変疑問だが、しかし、裁判所は下記のように認定している。

「証人S・Rは「自分は以前から関根と犬の購入や繁殖話を通じて付き合いがあったが、昭和59年の2月か3月ころ、関根から電話があり、『Mを殺したからすぐ来て手伝ってほしい。』などと言われ、急いで万吉犬舎に行くと、何かが半分位入っているごみ捨て用の黒いビニール袋が4個か5個位置いてあり、その傍らに関根がいて、それはMの死体だと言ったと思う。自分もそれを聞いて、関根とMとの間で金銭的トラブルがあったのは知っていたので、関根がMを殺害して解体したに違いないと思った。そして関根がこれらを焼却しろと指示したので、それに従って万吉犬舎内の焼却炉で燃やし、その灰はかき集めてビニール袋に入れ、近くの川に捨てた。このような作業をしている時風間がお茶を持って来てくれたことがある。」旨述べているのであって、その供述内容も極めて具体的で信用できるものである。そうすると、関根の捜査段階における右供述(筆者注:風間さんが関根氏に「Mだって殺してから10年も経つけど警察は迎えにも来ていない。日本は法治国家だから証拠がなければ逮捕されない。」と述べたという供述)は、このような会話が両名の間で交わされる確かな根拠も存在するのであって、(どちらがそれを言い出したかは別として)少なくとも両名間でそのような話がなされたという限度において、十分信用できるものである。」(『一審判決文』p249~250)

呆気にとられるしかない乱暴な認定だと思う。「その供述内容もきわめて具体的で信用できるものである。」とは、何を指して「具体的」「信用できる」と述べているのだろうか。文脈を見ると、「風間がお茶を持って来てくれたことがある」というS・R証言が「具体的で信用できる」という意味としか読めないのだが、もし風間さんがお茶を持ってきたことが事実だったとしても、それに意味など何もないだろう。その時、遺体焼却が行われていたとしても、それは焼却炉のなかでのことであり、外からは見えないのである。風間さん自身はこのような出来事、場面はまったく記憶にないというが、それはそうだろうと思う。仮にS・R氏にお茶を持って行ったとしても、これは、風間さんにとっては日常生活の単なる一齣でしかなく、まさかお茶を出したことがM氏殺害関与の証拠だと考える人間はまずいまいと思われるが、裁判所はそうは考えないのか、強引に「そうすると」という接続詞を使って、次のような断定をしている。

「そうすると、関根の捜査段階における右供述は、このような会話が両名の間で交わされる確かな根拠も存在する」。

どうやら裁判官は、焼却中に風間さんが「缶ジュースか何かお茶をもってきてくれたような記憶がある」というS・R氏の曖昧模糊としたこの証言を、驚くべきことに、風間さんが「Mだって殺してから10年も経つけど警察は迎えにも来ていない。日本は法治国家だから証拠がなければ逮捕されない。」と事実そう述べたのだと認定するための「確かな根拠」としているのである。
その上、なお、このようにして自ら作った「確かな根拠」と称するものを、Kさん殺害における両者の事前謀議の証拠としているのだ。

「両名間でそのような話がなされたという限度において、十分信用できるものである。」

上記の「そのような話」とは、もちろん、「Mだって殺してから10年も経つけど警察は迎えにも来ていない。日本は法治国家だから証拠がなければ逮捕されない。」という発言のことであるが(筆者注:判決文は、風間さんがこのように述べたとする検察官主張を全面的に採用していながら、しかしこの発言が関根・風間のどちらが言い出したことであるかまでは断定できないと記している。)、この発言の信憑性を、遺体の焼却中に風間さんにお茶を出してもらったような記憶がある、というS・R証言は「十分信用できる」ほどに証明しているのだという。したがって、裁判官はこれにより風間さんのKさん殺害に関する事前謀議の真実性はいよいよ動かしがたく確実になったと断定していることになる。

なお、裁判所が、「Mだって殺してから10年も経つけど警察は迎えにも来ていない。日本は法治国家だから証拠がなければ逮捕されない。」という風間発言を証言している関根供述が信用できると断定する理由は、上記のS・R氏の証言のみに拠っているわけではなく、もう一点、下記の理由も明示している。

「関根と風間との間でK事件に先立ってどのような話し合いがなされたかなどということはもとより捜査官の窺い知ることもできないことであり、まして右の話などは捜査官が誘導などできるはずもなく、関根の捜査段階における右供述は極めて個性的かつ具体的なもので、(略)その内容自体からして信用性が高いと解される」(『一審判決文』p248~249)

「右の話」(Mだって殺してから10年も経つけど警察は迎えにも来ていない。日本は法治国家だから証拠がなければ逮捕されない。)が二人の間に確かに交わされたと信じてよいもう一つの理由として、裁判官は、このような個性的かつ具体的な話は捜査官は思いつくことはできないし、まして誘導などできるはずがないことを挙げている。
だが、このような言い分はもはやばかばかしいとしか思えない。「風間博子さん死刑判決への疑問(5)」で具体例を幾つか示したが、関根氏は稀にみる巧みな話術の持ち主であり、聞き手を引き込む力をもった、非常にリアリティのあるデタラメを、すなわち「個性的かつ具体的な」虚偽話を、淀みなく語ることのできる人物である。その実例は訴訟記録のなかから幾らでも引き出すことができるが、このケースに最もふさわしいと思われる例を以下に引用する。ぜひ関根氏の発言内容に注目してほしい。

注目すべき、マスコミ報道の渦中での関根発言

「平成6年2月頃、本件に関連してマスコミ報道が激しくなり、ペットショップや犬舎に新聞記者や、テレビのレポーターが押しかけてきた。
その件に関し、被告人関根は「自分は捕まるかと思った。被告人風間は日本は証拠がなければ大丈夫、よけいなことを言うな。従業員にもマスコミと一切接触さすな。私が全部話すから、マスコミが来たら、店の方によこしてくれ」と言ったと供述している。
しかし、弁第63号証、第64号証のビデオテープ(再生済み)の証拠調べ結果を見ると、すべて被告人関根がマスコミに対応して雄弁に演説しており、さらに大阪愛犬家殺人事件のことに触れられると、声を大にして「あんなものは愛犬家でない、大変迷惑している」と語っており、マスコミに対し被告人風間がすべて対応したとの供述も虚偽である。」 (『一審弁論要旨』p333~334)

当時私もテレビでこの件に関する報道を何回か見た記憶があるが、画面に現れたのは関根氏だけであった。風間さんを見たことは一度もない。

さて、逮捕前、アフリカ犬舎にマスコミが取材に押しかけてきた時のことを、関根氏は、「被告人風間は日本は証拠がなければ大丈夫と言った。」と発言しているが、この言葉は、Kさん殺害に際して風間さんが述べたという「日本は法治国家だから証拠がなければ逮捕されない」という発言と内容がまったく同じである。
してみると、「日本は証拠がなければ大丈夫」との発言が上記のようにまったくの虚偽であることが明白である以上、「日本は法治国家だから証拠がなければ逮捕されない」との発言に一体どんな信用性が認められるだろうか。先に引用した、判決文のこれに対応する文をもう一度見てみたい。

「右の話などは捜査官が誘導などできるはずもなく、関根の捜査段階における右供述は極めて個性的かつ具体的なもので、(略)その内容自体からして信用性が高いと解される(『一審判決文』p248~249)

「右の話」というのは、前にも述べたが、文脈上、「Mだって殺してから10年も経つけど警察は迎えにも来ていない。日本は法治国家だから証拠がなければ逮捕されない」との発言のことである。このなかの「証拠がなければ逮捕されない」も、マスコミによる加熱取材の渦中で述べたという「証拠がなければ大丈夫」も、ともに同一人物の、風間さんの発言なのである。前者の「証拠がなければ逮捕されない」が、「捜査官が誘導などできるはずのない、個性的かつ具体的なもので、信用性が高い」と認められるのなら、論理則上、後者の「証拠がなければ大丈夫」にも同じことが言えるはずである。しかし後者ははっきり虚偽なのである。

この際、前者、つまり「日本は法治国家だから証拠がなければ逮捕されない」という関根供述も虚偽であると判断することだけが、裁判所がとることのできる唯一の公正な態度ではないだろうか。

この点について、控訴審の判決文が

「(注:S・Rが)風間がお茶を持って来てくれたことがある,と述べている点に照らすと,関根の捜査段階における前記の供述は,根拠のないものではなく,関根と風間のどちらが言い出したかはともかく,そのような会話があったとみて差し支えないことは原判決の説示するとおりであると考えられる。」(『控訴審判決文』p21)

と認定し、一審判決を全面的に支持していることにも、つくづく呆れてしまう。

以上で見てきたように、M事件を契機として構築されたという関根・風間の「車の両輪」「運命共同体」説なるものが、如何に薄弱な根拠を礎に組み立てられているか、誰にでも認識できるのではないかと思う。
裁判官は、立件もなされていない事件をあたかも確実に存在した事件であるかのように判決文に書き込み、S・R証言の曖昧きわまる「お茶を持ってきてくれたような記憶がある」程度の話を、それがさもさも共犯であることの動かぬ証拠のように見せるべく努め、また何ら証拠のない一方的な関根供述を「個性的かつ具体的なもので、信用性が高い」などとして、風間さんの終始一貫した否認にもかかわらず、不確定なその事件の殺人共犯者と認定し、その認定を「車の両輪」説と結びつけるなどして、Kさん事件における、殺人の共謀共同正犯罪の有力な証拠にして断罪しているのだ。恐ろしいことだと思う。

S・R氏によるM事件に関する法廷証言の詳細

先ほど、M事件に関するS・R氏の証言を公判調書から引用したが、もう少し追加して紹介する。

ただ、証人はそのMの死んだ場面は見ていないし、その原因は直接は知らないと。
  「はい。」
ただ、証人が記憶しているのはビニール袋に分けられた、その切り刻んだ死体を焼却したと、そういうことになるわけですよね。
  「はい。」
そのように死体を処理したのは、証人自身ではなく、被告人関根だと、そういうことですよね。
  「はい。」
そこで伺いますが、まず、今の証言に関連して聞きますが、なぜ、そのMの死んだ場面を見ていないのに、被告人関根がMと思われる死体の、今証言されたようなビニール袋に分けたような状況にしたと思ったか、その根拠を言ってください。
  「当時、私は深谷に住んでまして、電話がありました。来てくれという。」
だれからですか。
  「関根氏からです。」
それは時間的には、おおよそでも結構なんですが、いつごろか覚えてますか、その電話があったのは。
  「記憶では、午前中だと思います。」
午前中に、関根から、深谷の当時の証人の家に電話があったわけですね。
  「はい。」
どういう内容の電話だったんでしょうか。
  「Mをケムにしたので、手伝ってほしいと。」
今証言されたのは、Mをケムにしたということでしたが、それはどういう意味ですか。
  「殺したということです。」
(略)
その後、その電話連絡を受けてから、証人はどうしましたか。
  「私はすぐ万吉に行きました。」
それは、万吉に来てくれという関根の電話連絡だったんでしょうか。
  「はい。」
(略)
証人が認識してる範囲で結構なんですけど、当時の認識で、どういうトラブルがあったんでしょうか。
  「はっきりとしたものを言っていいか分からないんですが、私の記憶では、風間博子さんの親が所有していた不動産のことだと思います。」
その風間の親の不動産に関して、どういうトラブルがあったんでしょうか。飽くまでも、当時の証人の認識、記憶でいいですよ。
  「風間博子さんと結婚した後、その不動産を一部、M氏に上げるということだったと記憶してるんですが。」
そういう話を聞いたことがあったんですか。
  「ありました。」
それは、だれから聞いたんですか。
  「M氏自身からも、関根氏自身からも聞きました。」
トラブルということは、何か、それで、もめ事があったわけですか。
  「それが実行できなかったということだと思いますが。」
(略)
M自身から何か聞いたような事実はなかったですか。
  「Mさんから聞いたことは、やはり、今の約束が守られてないということです。」
(略)
それから、Mさんと関根被告人とのことをちょっと聞きますけれども、あなたが、まあMさんは殺害されてるという記憶ですが、その動機として、関根被告人が、風間被告人の親御さんの土地の一部をMさんに上げると、だが、それが実行されなかったのが殺害の動機ではないかと、そのように言われましたね。
  「はい。」
風間被告人の親御さんの土地の一部をMさんに上げるという話に関連して風間被告人は、そのことを知ってたんでしょうか。
  「知らなかったと思います。」
(略)
それから、証人が万吉の犬舎でMさんの解体されたであろう骨を焼却しているときに、風間被告人がジュースかお茶か何かを持って来たような記憶があると、そういうようなお話でしたね。
  「はい。」
あなたは、風間被告人と、その際に何らかの会話は交わしたんでしょうか。
  「いや、した覚えはない。記憶にありません。」
風間被告人は、どの程度の時間その場にいたと記憶されてますか。
  「覚えてません。」
風間被告人は、証人が骨を焼却している、その事実を、その現場で見たんでしょうか・
  「………分かりません。」
(略)
それから、先ほど、風間の弁護人から、Mと関根との間の金銭トラブルのことについて聞かれていましたが、それに関してもう少し伺いますけれども、風間の母親の土地、不動産ですか、に関する話というのは、風間自身は知らなかったであろうという証人の認識であるわけですね。
  「はい。」
ただ、いずれにしても、その不動産の一部を上げる上げないで、関根とMとの間でトラブルがあったことは間違いないと。
  「はい。」
問題は、そのトラブルがMと関根との間に生じた後に、そういうトラブルに、何らかの形で、風間が巻き込まれるなり、かかわっていたかどうか、そこら辺はどうですか。何か記憶がありますか。
  「いや、なかったと思います。」
なかったと思いますか。
  「はい。風間さんですね。」
そうです。直接知らなくても、人から聞いた話でもいいんですけれども、そういう、何かそれに関する話とかは全然聞いてないですか。
  「風間さん自身ですね。」
ええ。
  「ないと思います。」」 (第56回公判 平成10. 8. 20)

どのような面から検討したとしても、風間さんをM事件と関連づけるのが不当であることは、明白ではないだろうか。

昭和59年(84年)に関根氏の周辺で発生した3件の失踪事件

M事件が発生した(とされる)昭和59年には、関根氏の周辺でこのM氏以外にあと2人、計3名もの人物が姿を消し、そのまま行方が分からなくなっている。このなかには、実は上記証言者のS・R氏の妻も含まれている。いずれも立件されていないこの3件のうち、公判廷で検察がなぜM事件だけを俎上にのせたかの理由も不明である。風間被告人の控訴趣意書を見ると、公判廷に3件の事件全部を持ち出せば、風間さんはそのうちの一人(S・R氏の妻)もほとんど面識はない、もう一人の人物に至っては一面識もないので、風間さんが事件に関与していないことが明白になり、「車の両輪」説が成立しなくなるからではないかとの疑念が述べられている。

また、同上の趣意書のなかで風間さんは、一審判決文には関根氏と結婚した年、昭和58年が昭和59年と1年ずれて記述されていることを指摘している。「風間博子さん 死刑判決への疑問(4)」で私は風間さんの両親の経歴が判決文においてことごとく誤記されていることを記したが、ここでも同様のことが起きている。判決文は文字数にしておよそ160000字、原稿用紙に換算すると400枚になる。これは多量といえばいえるけれども、裁判所において語句のチェックも不可能なほどの文書量ではないはずだ。意識的な行為であろうと風間さんが疑うのも無理がないのではないだろうか。風間さんは裁判所のこのような行為の理由について、風間さんがM事件を承知した上で関根氏との結婚に踏み切ったのだと判決文を読む者 ―― 公衆を誘導するための作為ではないかという自身の判断を述べているが、事実はどうだろうか。

「事実の認定は証拠による」(刑事訴訟法317条)という条文は、あまりにも有名なので、法律の世界にふかい関わりを持たずに生活している私達の意識にも沁み透っているのであるが、この事件における裁判官の事実認定は、確実な証拠により導かれているものがどれだけあるだろうか。
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2009.08.04 Tue l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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