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憲法研究者の上脇博之氏のブログには、原発に慎重であった民主党のエネルギー政策が逆方向に変わったのは、明確に小沢一郎氏が党代表に就任した2007年からであると書かれている。
http://blog.livedoor.jp/nihonkokukenpou/archives/51568656.html?blog_id=2778940

3・11の東日本大震災による福島第一原発事故後の小沢氏は記者会見などで原発について訊ねられると、「原発は過渡的エネルギーである」と答えている。私は二度ほどその発言を聞いたのだが、気の乗らないしぶしぶのような口調であり、それ以上は何も語らない。おそらく事故後の現在も原発推進の考えに変わりはないのだろう。そう受けとめるしかないのだが、それならば、今回の五人の党代表候補者のなかで最も原発推進に熱心のようにみえる海江田万里氏を推すのも肯ける。

菅直人氏を私は私たち一般庶民にとってさほどよい首相とは思わないが、それでも、原発のない社会を目指す、という方針を打ち出したことは評価する。というよりそれが普通、当たり前の人間の感覚、考え方だと思う。まして、国民の生命と安全、国土に責任を負う政治指導者であればなおさらである。ただでさえ危険きわまりない原発を、世界の地震の10%が集中しているというこの国で動かすことは無理だった、誤りだったと痛感しないほうがおかしいだろう。菅氏は、事故の2~3週間後、今後のエネルギー政策について記者に訊かれて、原発政策を見直す、という主旨の応答をしたのを聞いた記憶がある。ホッとする気持ちが湧いたのでよくおぼえている。その直後、官房長官の枝野幸男氏も菅発言に呼応して「これだけのことが起きたのだから、見直しは当然だ」というようなことを述べていたのだが、最近は考えが後退してしまったようにみえる。どうしたのだろう。

それにしても、6月2日の菅内閣不信任案決議の際の行動にしろ、その後の「(首相は)菅さんでなければ誰でもいい」という発言にしろ、小沢氏の「反菅」の言動の真意は、どこにあるのだろう。「マニフェストをないがしろにしている」といっても、それは菅さんだけの意思ではなかったことは明白だろうに。そもそも、上脇氏によると、2009年の総選挙後、党のマニフェストを率先して破ったのは、小沢氏だったという。

「企業・団体献金の「全面」禁止は、財界政治を復活させないために不可欠である。/当時の小沢一郎幹事長は、マニフェストに掲げていた企業・団体献金の「全面」禁止という公約を反故にするために、同年10月に仕掛けをしていた。/(略)小沢幹事長は、財界の別働隊である「21世紀臨調」に、この件を「諮問」してしまったのである。/民主党が、企業・団体献金の「全面」禁止というマニフェストを本気で遵守する気があるなら、そのための法案を国会に上程すればいいのである。/「21世紀臨調」は、「諮問」を受けて半年後(昨年4月)、案の定、企業・団体献金の「全面」禁止ではなく「部分」禁止を提案した。/「21世紀臨調」は、財界人らでつくる「日本生産性本部」に事務局をもち、年間1億円以上の資金提供を受けているから、企業・団体献金の「全面」禁止を提言するはずがないのである。/要するに、政権交代後、小沢一郎民主党幹事長は、企業・団体献金の「全面」禁止のマニフェストを反故にするために、「21世紀臨調」に諮問し、そして予定通りの「部分」禁止にとどめる提言を受け取ったのである。」 (/は改行箇所)
http://blog.livedoor.jp/nihonkokukenpou/archives/51505288.html?blog_id=2778940

マニフェストを裏切るこのような行動をとった人物が、いまさら「マニフェスト堅持」を主張するのは理に合わない。上脇氏が、「それゆえ、小沢氏の「マニフェスト堅持」の主張は、わかりやすく言えば、現時点では「原発推進」堅持にしか受けとめられない」と述べていることに妥当性を感じる。

最近、私は秋元健治氏の著作「原子力事業に正義はあるか―六ヶ所核燃料サイクルの真実」(現代書館2011年)を読んだのだが、六ヶ所村の「反核燃」運動が衰退していく一大転機になった1991年の青森県知事選に関連して、当時自民党の幹事長であった小沢氏の名前も核燃サイクル施設推進派側の一人として出てくるので、この部分を引用しておきたい。(強調のための下線は引用者による)


 …… 1989年の村長選挙を境に、六ヶ所村の「反核燃」派の結束は失われ、その運動は急速に力を失っていく。
 その原因は、土田村長の政治的裏切りの結果だけではなかった。核燃料サイクル基地建設工事、それに関連する公共工事での村内発注が、村の最大の関心ごとになっていた。それは直接的、間接的に多くの村びとの生活を支えていた。
 1989年7月の参院選挙での「反核燃」候補の圧勝、その翌年2月の衆議院選挙でも、「核燃白紙撤回」を訴えた社会党の関晴正候補、山内弘候補が自民現職を抑えて当選。六ヶ所村では「核燃凍結」を人びとに信じさせた土田浩村長の誕生があった。このとき「反核燃」の風は、少しも衰えていないようにみえた。

  県知事選挙
 そして核燃料サイクル基地をめぐる最終決戟は、1991年1月から2月にかけての青森県知事選挙だった。もし青森県の知事が「反核燃」となれば、「核燃白紙撤回」が現実となるかもしれない。核燃料サイクル基地の立地基本協定はすでに締結されていたが、その立地基本協定には事業の進展に合わせて段階的に関係者間で安全協定を結ぶことが明記されていた。施設の建設が完了しても、青森県知事が安全協定の締結を拒めば操業はできない。核燃料サイクル基地の立地基本協定そのものの破棄さえ、政策の選択肢となりうる。もっともそうなれば、事業者は青森県にたいし損害賠償訴訟を提起するかもしれないが、いずれにしろ「反核燃」は大きく前進する。
 社会党や農業団体、市民団体など「反核燃」の人びとが知事選の候補者に選んだのは、「核燃料サイクル阻止一万人訴訟原告団」にも名を連ねる金沢茂弁護士だった。一方、自民党の保守は分裂し、「核燃推進」の現職の北村正哉、そして「核燃凍結」の山崎竜男が立候補した。山崎竜男は参院議員を四期、環境庁長官も務めた有力政治家だったが、「山崎降ろし」に失敗した自民党の公認を受けられず「核燃凍結」を公約として出馬した。「反核燃」の県民世論は、金沢茂に有利であり、保守分裂と「核燃推進」の北村正哉は逆境のなかにいた。
 このままでは核燃料サイクル基地が頓挫する。電力業界、原子力産業界、そしてそれらを後ろ盾とする自民党は大きな危機感を抱いた。北村正哉候補は、中央の政財界から強力な支援を受けた。電事連の那須翔会長は北村支持を表明し、電力業界は資金のみならず、電力や関連企業の社員を動員して電話などで選挙運動をおこなった。内閣総理大臣でさえ青森県知事選挙で動いた。湾岸戦争のさなかという国際情勢下、海部俊樹首相が青森市に姿をあらわし県民6000人の前で北村支持をうったえた。他にも青森県には、大島理森官房副長官、小沢一郎幹事長、橋本龍太郎大蔵大臣、山東昭子科学技術庁長官、加藤六月、三塚博、アントニオ猪木ら国会議員が北村陣営の応援に駆けつけた。こうした政界大物や著名人の登場、潤沢な選挙資金が、逆風のなか「核燃推進」の北村正哉候補の票を確実に増やした。
 そして1991年2月3日、投票と即日開票。青森県知事選挙の結果は次のとおりだった。「核燃推進」で自民公認の北村正哉が32万5985票、「核燃白紙撤回」で社会党、共産党の推薦を受ける金沢茂は24万7929票、「核燃凍結」の無所属の山崎竜男は16万7558票。投票率は、66.46%という青森県知事選では史上二番目の高さだった。
 四選を果たした北村知事は、感慨深げに言った。
 「こんなきびしい選挙を経験したのは初めてだ」一方、敗れた金沢茂は次のように無念の心情を語った。
 「青森県民は核燃との運命共同体を選んだ。私はこれからも白紙撤回への努力を続ける」
 しかしこの知事選の結果から、県民が「核燃推進」を選択したとはいいきれない。「核燃白紙撤回」金沢候補と、「核燃凍結」の山崎候補の投票数を合わせると、「核燃推進」の北村候補の投票数を上回っている。自民党公認を争っての保守分裂が、山崎候補の「核燃凍結」という曖昧な公約をうみだし、結果的に「反核燃」票の何割かがそちらに流れた。また北村陣営は核燃料サイクル基地以外に選挙戦の争点をあてようと必死だった。
 この青森県知事選を境に、県内の「反核燃」の運動はしだいに力を失っていく。これからわずか3カ月後の1991年4月7日の県議選では「反核燃」候補の落選が相次ぎ、自民党が圧勝した。六ヶ所村では核燃料サイクル基地の建設が着々とすすみ、それぞれの原子力施設は操業開始への段階をすすみつつあった。」


6月2日の不信任案決議の時、菅首相を批判した自民党の大島理森氏の語調はまるで「弾劾演説」とでもいいたくなるほどに異様に厳しかった。上述の本の一節 (下線部分)を読むと、この大島氏といい、小沢一郎氏といい、菅直人氏をこれほどまでに厭うのは、あるいは菅氏がエネルギー政策の転換を口にしたことが影響しているのかも知れないという気もしてくるのである。もしかすると、大島氏もそうだが、当時与党幹事長として辣腕をふるっていた小沢氏は、日本の原発推進勢力の重要な一角を占めた一時期があったのかも知れないとも思う。

最後に、もう一件、小沢氏の「政治とカネ」の問題について、次の証言を引用しておきたいと思う。


 野中(広務)は小渕政権にあって、小沢と自自連立政権を樹立する時の官房長官で当時、その実力から「陰の総理」と呼ばれた。その野中が、堰を切ったように言うのだ。
「(法律では)政党は解党した時に、(政党交付金を含めて)その党で持っているカネは使ったように帳尻を合わせれば国に返さなくともいいようになっとるんやろ。あいつは、法律に定められていないからといって自分のものにしているんやないか。政治資金も同じことだ。法律は政治資金で土地などの不動産の購入を禁じてはいない。しかし、だからといって法の不備を突くようにしてぎょうさんの不動産を買って資産を形成することが、政治家として認められるわけがないやろ。第一、その政治資金には(政党交付金という)国民の税金が入っとんのや。後期高齢者医療制度のように国民が負担増に苦しんでいるというのに何や、あいつのやっていることは。国民の苦しみがわかっとらんのや」
 野中は興奮していた。目を見開いて私を見据えると、唐突にもこう切り出したのである。
「あいつは国家的に危険な奴や。経世会分裂の時だってあいつは我々が知らんうちに(派閥の金庫から)カネを持っていったんや」
 私は思わず、「どういうことか」と聞き返していた。野中はこともなげに言った。
「ガポッとカネを持っていった。気がつかなかった。まさか、あいつがそこまでやるとは思わなかった。(経世会に残った人間は)人がよかったんだろうな」
――ガポッというが、いくらぐらいか。億単位か。
「億や。(金庫に)残っていたのは2億円くらいやった。もう、(それ以上は)持ち出されないように急いで封を貼ったんや」
――いったい、派閥にはいくらあったのか。
「8億円くらいはあった」
――ということは、小沢が持ち出したのは6億円ということになる。そのカネが後の資産形成や新生党の結党資金の原資になったということか。
「そうじゃないのか」
 小沢は経世会の分裂に乗じて、本来派閥の活動費として集められた資金を、派閥に相談することなく、自らの資産形成などのために持ち出していたのではないかと野中は疑念を抱いていたのだった。
 事実、経世会の秘書らは金庫を守るためピケを張ったという。 」(松田賢弥著『小沢一郎 虚飾の支配者』講談社2009年)


上の文章は、この本の著者の松田氏が2008年12月に野中広務氏にインタビューをして引き出した話だということだが、私はこれは事実そのままの正確な話と信じてよいように思う。野中氏は、同じ政治家であり、今なお現役の大物政治家である人物のこれほど重大な件について出鱈目なつくり話やあやふやな話はしない(できない)だろうし、松田氏にしても野中氏の話をそのまま叙述したことは疑いのないことのように思う。そうでなければ、これは後で大変な事態になるにちがいないほどのことと思われるが、そうはならなかったことを考えれば、ここに描かれている話は事実と思うしかない。小沢氏が国会の参考人招致などに応じるはずはなかったと思う。
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2011.08.29 Mon l 社会・政治一般 l コメント (2) トラックバック (0) l top

コメント

no politics
どうしてこれほど次元の低い、中身のない権力争いになってしまったのか。
たとえば、菅さんに代わって新しい方が総理大臣になったら、どういうことを国民にアッピールするのか。日本の政府は何をするのか。
大連立は手段であって、その目的はまた別であります。その話なしでは、国民は政治にはあまり興味はありません。

問題を解決する能力はない。だが、事態を台無しにする力だけは持っている。
これを実力者の世界というか、親分の腹芸か、それとも政党の内紛のようなものか。
意思がなくて、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。
哲学 (あるべき世界の内容) がなくて、陰謀 (たくらみ) がある。
スッキリがなくて、モヤモヤがある。
白日の下ではなくて、朧月夜か。
かくして、日本人の世の中は難しくなっている。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

2011.08.29 Mon l noga. URL l 編集
noga様
コメントをありがとうございます。

> 菅さんに代わって新しい方が総理大臣になったら、どういうことを国民にアッピールするのか。日本の政府は何をするのか。

政治家の言動を見ていると、ただただ苛立ちがつのりますね。だからできるだけ見ないようにしているのですが。(笑)
新政権は、たとえば菅さんが述べた「脱原発依存」の方向性はなし崩しになかったことにするつもりではないでしょうか。でもこればかりはまさしく私たちの命が脅かされている状態なわけですから、これまでのようにそう簡単には政官財の思い通りにはいかないと思っています。福島の親たちの怒りによって、政府は子どもたちの被爆限度「20ミリシーベルト上限」を撤回せざるをえなくなったわけですからね。黙っていると殺されかねないので、見習って声をあげたいです。

> 意思がなくて、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。
> 哲学 (あるべき世界の内容) がなくて、陰謀 (たくらみ) がある。
> スッキリがなくて、モヤモヤがある。
> 白日の下ではなくて、朧月夜か。
> かくして、日本人の世の中は難しくなっている。

まったく同感です。教えていただいたブログの文章も、まだ全部は読めていませんが、こちらも共感するところが多いように思いました。(日本人は)感じるだけ、つきつめて考えない。これは自分にもあてはまることなのですが、ここ30年ほどの日本社会ではほぼ完成の域に達しているように思います。
2011.09.01 Thu l yokoita. URL l 編集

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