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先日、あるブログの記事タイトルに、「民衆の命と生活を守るために、小沢氏に権力は必要なのだ。」とあるのを見て、びっくり仰天した。記事を読んでみると、幸いなことに、本文にはこのタイトルから想像したほどの異様さは感じなかった。小沢一郎氏の熱心な支持者が自分のカリスマの類まれと信じる政治的力量を存分に発揮する場と機会の獲得を願うあまりについついこんな誇大妄想気味のタイトルをつけたのかも知れないと思った。しかし、そうであってもやはりこの文句は見過ごせない。

ブログ主が小沢氏を「民衆の命と生活を守」ってくれる政治家だと自分一人で信じるのは自由だが(実態をみるかぎり、不健康なことだとは思うが)、しかしこのタイトルの意味・内容はその次元にとどまっていない。ここから感じとれるのは、一人よがりで無根拠な思い込みの他人への押しつけだと思う。たとえば私も民衆の一人であるわけだが、そういう立場の私はこのブログ主から、あなたも自分の「命と生活を守」りたいのであれば、小沢氏に権力を与える必要・義務があると強いられていると感じた。このタイトルでは、読者がそう感じるのは当然ではないだろうか。

しかし現実に自民党や民主党などで要職に就いた小沢氏は、「民衆の命と生活を守るため」のどんな政治活動をしてきたのだろう。自民党離脱後の連立政権時代には、ただでさえ少数者の意見や立場が無視されがちな日本社会で、その傾向をいよいよ強くしただけの、民衆にとってよいことは何もないとしか思えない小選挙区制を中心になって導入し、また解党・解散のたびごとに公金着服疑惑が取りざたされるなどしてきた。後者の「政治とカネ」の問題では、前回のエントリーで記したように、野中広務氏のような直接的・具体的証言者もいる。上脇博之氏のブログの本年2月4日の記事は「研究者ら46名で小沢一郎らを東京地検に刑事告発しました!」である。秘書や小沢氏本人の現在進行中の裁判の件のみで落着とはいかない重大な問題が他にもあるのだ。

小沢氏をめぐるこのような問題についてこのブログ主はどういう見解をもっているのだろう。「民衆の命と生活を守るために、小沢氏に権力は必要なのだ。」などとある種畏れ多いことを言うからには、論者には事前に率先してそれらの疑問を調べ検討した上での意見表明が最低限の責任として求められると思うのだが。他にも不思議なことがある。こちらのブログをみると、反原発、脱原発を主張する記事が数多く掲載されている。そして、この原発関連の記事においては小沢氏の名前はほとんど出てこないようなのである。これはブログ主が小沢氏の原発についてのスタンスを、すなわち小沢氏は決して脱原発の考えはもっていないことを察知しているからではないか。そうだとすると、「民衆の命と生活を守るために、小沢氏に権力は必要なのだ。」というタイトルの文句はいよいよもってナルシスティックな、一般には理解し難いものにしかならないのではないか。特にこのような文脈で「民衆」を持ち出すのは問題であり、やめてほしいと思う。それから、「権力」ということばの意味も、もう一つ明瞭でないように思われる。

別のブログにもやはり小沢氏の行動を擁護するための呆気にとられるような文章が掲載されていた。タイトルは「「海江田支持」の小沢を支持する」というもので、こちらはインナーマザーという人物から当該ブログにコメントとして寄稿された文章をエントリーとしてアップしたもののようだが、こちらのブログではこのスタイルはすっかり恒例になっているようである。

「海江田支持」とはもちろん先月29日の民主党代表選挙に関する件であるが、立候補した五人のなかから小沢氏が海江田氏支持を選択したことの正しさを読者に伝え、理解してもらおうとして、インナーマザー氏はまず内田樹氏が自身のブログで述べているという公民論を引用する。「「公民」に求められるのは、何よりもまず「他者への寛容」である。」「システムの失調を特定の個人の無能や悪意に帰して、それを排除しさえすればシステムは復調するという思考法に私たちは深くなじんでいる。「首相のすげ替え」も「小沢おろし」もその意味で思考パターンに代わりはない。」「自分の好き嫌いを抑制し、当否の判断をいったん棚上げし、とりあえず相手の言い分に耳を傾け、そこに「一理」を見出し、その「一理」への敬意を忘れないこと。それが「公民への道」の第一歩である。」「「公民の育成」が今の日本の社会システムを補正するための最優先の課題だろう」等々。次にインナーマザー氏は「公民とは民度の高い市民のことです。小沢思想が官僚システムの改革のためにもっとも必要だと言い続けて来た大前提です。」と語る。小沢氏がそんなことを「言い続けて来た」とは知らなかったが、インナーマザー氏は内田氏と小沢氏の主張は一致していると言いたいのだろう。文章はさらに下記のように続く。

「小沢先生の海江田支持は、弁証法です。対立する者が共生する時に必ず通過する矛盾です。この矛盾を考え抜け、と小沢は国民に投げかけている。民度を高める試練のボールを小沢は本気で私たちに投げているのだと思います。本気で投げて来たボールから目を逸らせてはいけない。小沢のシグナルを見落としてしまいます。

小沢先生はせっかちではないので、弁証法で「日本」を考える人です。目に見える情勢判断の政局を戦いながら、同時に「天命に遊ぶ」ことで「待つ」ことを知っています。小沢先生が『待っている』のは国民の意識革命、国民の共存というアウフヘーベンを待っているのだと思います。 」

ウーム。内田氏は、一般論としては別に誤ったことを述べているとは思わないが、これは小沢氏が民主党の代表選で海江田支持を選択・表明したこととは何の関係もないと思うのだが? また、小沢先生は「国民の意識革命、国民の共存というアウフヘーベンを待っているのだと思います。」と言われても、何のこっちゃ? としか思えない。まして「小沢先生の海江田支持は、弁証法です。」なんて発言は、鴉を鷺と言いくるめる場合の典型的な鷺(?)手法ではないだろうか? 弁証法ということばは、矛盾した行動や筋の通らない発言を上手く取り繕って高みに押し上げようとする場合に重宝なようだから(ヘーゲル氏がお気の毒)、聞くほうはよくよく気をつけて聞き、慎重に考える必要があるようである。以前、柄谷行人氏が『AERA』という雑誌で佐藤優氏について、「国家、キリスト教、マルクスという本来まったく異質の存在をそれぞれ見事に内面化している。これこそ弁証法です。」とかいう趣旨のことを述べていたように記憶する。この時もつくづく呆れてしまったのだが、今回も同じような印象をうけた。そういえば、インナーマザー氏は小沢氏同様に佐藤氏のこともお気に入りらしく、今回いくつか読んだ文章には佐藤氏の名も何度か出ていた。また、インナーマザー氏の地の文に「思考する世論」ということばを見たが、このときには、これは佐藤氏が書いているのかと思ったくらいで(佐藤氏は以前このことばを「読書する大衆」ということばとともに遣っていた。)、二人には発想、思考方法などに共通点が多いようである。

だんだん脱線しそうになってきたので、中途半端だが、今日はこれで終わりにしよう。
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2011.09.04 Sun l 社会・政治一般 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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