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先ほどニュースを検索(google)してみたところ、久しぶりにちょっとうれしい記事を見つけた。それも二つも! 一つは、今日、「大阪維新の会」が9月府議会に提案予定の「教育基本条例案」に関する大阪府教育委員会会議が開かれ、出席した委員全員(意見表明ができない府教育長の中西正人氏以外の5人)が条例について「根本的に問題がある」「ものすごく乱暴」などときびしく批判し、徹底反対の姿勢を示したとのこと。この姿勢はごく常識的であると同時に普遍的でもあることは論をまたないと思うが、このような認識が委員全員に共有されていることを知って安堵した。(強調の下線は引用者による)

「 維新の教育条例案に異論噴出、陰山委員「間違っている」
 大阪府の橋下徹知事が率いる地域政党「大阪維新の会」が府と大阪市の9月議会に提出を予定しておいる「教育基本条例案」について、16日に開かれた定例の大阪府教育委員会会議で異論が噴出。なかでも「百ます計算」で知らhれ、学力向上を掲げる橋下知事の要請で教育委員に就任した陰山英男委員が、教員の管理を強化すれば現場がよくなるという発想は根本から間違っているとして、「(可決されれば)辞めますよ」などと激しく反発した。
 約90分の話し合いのうち、大半を条例への反発と疑問が占めた。
 特に異論が相次いだのが、一定の比率の教員に最低評価を行わなければならないなどと定めた管理強化の規定。陰山委員は「あの先生を辞めさせたいといういじめが始まる」「評価者の方向ばかり向く教員や、一部の保護者とつるむ教員も出てきます。(現場は)むちゃくちゃになりますよ」などと反対理由を述べ、「これで学力が上がりますか、先生のやる気が上がりますか」と訴えた。 」(朝日新聞9月16日)

また、「教育基本条例案」だけではなく、もう一件、維新が提出予定の「職員基本条例案」に関しても、内部では厳しい批判や異論が噴出しているとのこと。当然すぎるほど当然のことだ。橋下氏は弁護士資格をもっているというが(実はこの資格があったればこそ、府知事選への誘いがかかったことはまず間違いないのだが。)、たとえばここ10年間、一度でも憲法を読んでみたことがあるのだろうか。本心では「あんな憲法なんかドブに捨てていい。オレ様こそが憲法だ」とでも思っているのではないか? そんなことが想像されるほど、その言説、行動は傲慢、一人よがり、日が経つごとに増長の度が増しているようで、狂気の気配さえ感じられる。維新内部におけるこの問題に関する記事を読売新聞から引用しておく。

「 維新内 2条例に異論…大阪府議団意見交換会
 大阪府の橋下徹知事が代表を務める地域政党・大阪維新の会が、府議会などに提案する「職員」「教育」両基本条例案を巡り、維新府議団が9、12日に行った非公開の意見交換会の詳しいやり取りが、内部資料で判明した。最下位の人事評価が2年続けば分限免職対象となる条文には「無理がある」「いじめが横行する」などと異論が続出。政治主導による教育改革を打ち出した全国でも例のない条例案に「法的に耐えられるのか」と不安も漏れるなど、揺れ動く維新議員の心境がうかがえる。
 読売新聞が入手した内部資料では、維新府議57人のほぼ全員が出席し、2日で計約7時間半にわたって議論。両条例案は一部議員が内密に作成したため、初めて議論に参加する府議もおり、率直な戸惑いが漏れた。
 職員条例案では、職員の5%を最下位ランクとする人事評価について、ベテラン議員が「優秀な人ばかりの職場でも、必ず5%を最低評価にするのは無理がある」と反論。相対評価を採用した民間企業で勤務経験がある議員も「各課でSやA評価の奪い合いがあり、短期目標ばかり頑張るようになった。いじめも横行した」と弊害を訴えた。」(読売新聞9月14日)

維新内部からさえ異論続出だとのこと。各議員には願わくばこのような政党に入ったことがそもそも間違いだったとの認識をもってほしいと思う。「教育基本条例案」「職員基本条例案」(全文はまだ見ていないのだが、公開はされているのだろうか?)については、両案ともに議会で徹底的な議論がなされるべきだと思う。職員の5%を必ず最低評価にしなければならない、などという案はこれ自体まさしく犯罪であろう。決して「やりすぎ」などという程度や範囲の問題ではない。上で誰かが述べているように、「発想が根本から間違っている」のだ。何がなんでもとにかく大阪府に、ひいては日本社会に徹底的な差別といじめを網の目に張り巡らせたい、今ならできるという毒々しい内的欲求に押されているとしか考えようがない。これはこれまで大阪府が行なってきた朝鮮学校への補助金打ち切りや君が代起立条例決議の必然の結果として出てきているのは疑えない。教育および職員基本条例の審議にあたってこの角度からの検討と議論は不可欠のはずだ。そのような審議過程を経て初めて、議会はこれらの醜い案を二度と生き返ってくることのないまでに否定し切ることができるし、完璧に葬り去ることができると思う。

   
もう一つ、うれしくもなつかしい気持ちがしたのは、上の記事とはまるでおもむきの異なる「新種コガネムシ 北杜夫さんにちなみ和名「マンボウ」」(毎日JP 9月16日)という下記の記事であった。

新種のコガネムシ
斜体文
「 長野県安曇野市の昆虫収集家、平沢伴明さん(54)がコガネムシの仲間「ビロウドコガネ」の新種を発見し、近く研究論文を信州昆虫学会の機関誌「ニューエントモロジスト」に掲載する。学名はラテン語で「ユーマラデラ・キタモリオイ」、和名は「マンボウビロウドコガネ」。平沢さんが昆虫採集を通じて交流がある作家、北杜夫(きた・もりお)さん(84)の名前にちなんで命名した。【古川修司】
 北さんは「どくとるマンボウ昆虫記」を執筆し、昆虫好きで知られる。命名に「とても照れくさいけれど光栄。大好きなコガネムシなのでうれしい」と喜んでいたという。
 新種は小豆色で体長約7ミリ。平沢さんの知人が94年に沖縄県・西表島で採取した4匹を譲り受けた。今春、図鑑執筆の際に改めて標本を確認し、雄の生殖器の構造が他の種と違うことが分かった。
 平沢さんは信州大出身。旧制松本高(長野県松本市、現信州大)に通った北さんの後輩に当たる。北さんはエッセーなどの中で、学生時代に信州の山々を歩き、昆虫収集した思い出を書いている。
 2人の交流は86年、北さんがテレビ番組の収録で松本を訪れた際、地元のコガネムシ収集家の平沢さんと出会ったのが始まり。その後も個人的に平沢さんを訪ね、標本を見たりしたという。
 北さんのファンという平沢さんは「昆虫研究が広く理解されるうえでも、北さんの功績は大きい。喜んでもらえてうれしい」と話している。標本は17日、松本市の信州大で開かれる日本昆虫学会の会場に展示される。
 ◇ビロウドコガネ◇
 コガネムシ科コフキコガネ亜科に属する。体長約5ミリ~1センチ。体の表面は細かい毛で覆われ、つやがないことから「ビロード」の名がついた。世界各地に生息し、国内だけで約100種類いる。 」

先年亡くなった辻邦生(と思ったが、ウェブ検索してみたら、辻邦生の逝去は1999年、もう10年以上も前のことであった。あぁ、いつの間にかもうそんなに年月が経ったのだ…。)が北杜夫について書いた文章を読んだことがある。二人は旧制松本高校の同窓(辻邦生のほうが先輩)であった。それ以来の生涯にわたる交友だったから(交友の長さという理由だけでないのはもちろんだが)、その文章も、北杜夫についてさすがによく知っていると実感させる印象深いものであった。

特に印象的だったのは、一つは、北杜夫と昆虫との関係について述べている箇所であった。北杜夫が昆虫について話すのを聴いていると、そこに籠もっている何とも表現のしようのない深い感情に知らず知らず嫉妬をおぼえずにいられなくなるのだと辻邦生は述べていた。手許にその文章がなく、記憶にたよって書いているので、言葉遣いは違っていたにちがいないが、文意は、北杜夫の昆虫に当たるものを自分は持っていない、ということを北の昆虫に関する語りは聴き手に感じさせずにおかない、というようなことだったと思う。私も『どくとるマンボウ昆虫記』を読んだことがあり、幼年時から学生時代まで、北杜夫が昆虫学者になりたかったほどの昆虫好きだったことを知ってはいたが、そういうことまではとうてい感じとれなかった。辻邦生のこの記述によって北杜夫という作家の本質を教えられたような気がしたものであった。もう一つは、北杜夫の文学の原点は、北杜夫がよく語っているトーマス・マンやその他の人物、作品にあるのではなく、父親の斎藤茂吉の短歌なのだと辻邦生が断言していることであった。この指摘は素直に腑に落ちることではあったが、あらためてこのように言われてみると、ふと感動するものがあった。なぜなのか、理由はよくは分からないのだが、多分中野重治の『茂吉ノート』を読んだことが影響しているかも知れない。

松本高校から進学するにあたって、北杜夫は生物学科(多分そうだったと思う)に進みたいと思い、医学部進学を勧める(というより医学部に行くのが当然と一人で勝手に決めこんでいる)父親の茂吉に手紙でその意思を伝えた。すると、茂吉からすぐさま「愛する宗吉よ」という困った呼びかけではじまる、昆虫学では食べていけないから翻意するようにという、優しく諭す返事が返ってきたそうである。息子のほうは志望をあきらめきれずになおも意思を変えずにいると、しだいに茂吉の手紙はきびしい叱責の調子に変わり、医学部受験書以外の本は読んではならぬ、友達が訪ねてきても部屋に入れてはならぬ、決然と追い返すべし、というような手紙を寄越すようになった。その上茂吉には貧困妄想もあったらしく、お前の学費もいつまで捻出できるか分からぬ、という気弱なことを書いてきたりもしたそうである。

北杜夫は結局父茂吉の反対で昆虫学への進路を諦めたわけだが、辻邦生が言うように、北杜夫が思春期以降茂吉の歌を愛読し、あのような歌をつくった茂吉を心底尊敬していたことは事実である。学生時代、東京の家(戦争中、茂吉は故郷の山形に疎開していたので、その期間は山形)に戻る時には、あのような尊敬すべき歌人の側にいられると思うと、胸に震えるような感激が湧いてきたそうである。ただし、一週間も一緒にいると、こういう口うるさい人物の側にいるのは堪らないと感じるようになったそうだが。また今から二十数年ほど前のことだったと思うが、北杜夫は専門の歌人でさえ今や茂吉の歌は難しくて読めない、読まないという話を人に聞き、大変ショックを受けたと書いていた。そして「私の小説はすべて消えてもいいから(『楡家の人びと』だけ残して)、茂吉の歌は読み継がれていってほしい」という趣旨のことをも。

茂吉は日本の多くの詩人同様、戦争中には数多くの戦争賛美の歌を書いている。素人の私がみても、それらの歌は読むに堪えないように思うが、北杜夫もそのことは事実と認めている。高村光太郎、三好達治もそうだが、すぐれた詩をつくる一方、同時に戦争を肯定してしまう心情はその詩とその時具体的にどのような関係にあるのだろう。

今回発見されたコガネムシに「学名はラテン語で「ユーマラデラ・キタモリオイ」、和名は「マンボウビロウドコガネ」が命名されたことについて、北杜夫は「とても照れくさいけれど光栄。大好きなコガネムシなのでうれしい」と述べたということだが、きっとこのとおりの心境だったのではないだろうか。私がこれ以前に読んだ北杜夫の文章は、もう十数年も前のことだが、「夕食に○○○(注 魚の名前は忘れたが、まあまあ高価そうな魚だったと思う)の焼き魚が出ていた。私は、妻に「これ高かったんじゃないかい?」と訊いた。食卓にアジ、サバ、イワシ以外の魚をみると、私は心配になってそう訊ねずにいられない。」と書いていた。あの時も思わず笑ってしまったっけ。まだまだ元気でいてほしい。贅沢をいえば、また文章を書いてもらいたい。もう一度、躁状態になってもらって。

なお、北杜夫と昆虫については、読売新聞(2010年10月18日)の次の記事もたいへん興味深い。
「戦時下の昆虫少年がよみがえる24葉のはがき~北杜夫さん編」
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2011.09.16 Fri l 社会・政治一般 l コメント (2) トラックバック (0) l top

コメント

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2011.11.20 Sun l . l 編集
Re: タイトルなし
 北村邦夫様
ブログを読んでいただき、また過分な言葉を頂戴し、光栄です。
お言葉に甘えまして(笑)、ブログはできるだけ続けていきたいと思います。
フランス在住42年だとのこと、ずしりとした重みを感じます。
フランスにはなかなか行けそうにありませんが、でも希望は持っていたいと思います。
どうぞくれぐれもお身体を大切に。


2011.11.21 Mon l yokoita. URL l 編集

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