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9月27日の【佐藤優の眼光紙背】には、「石川知裕衆議院議員に対する第一審有罪判決について」という記事が掲載されている。

「今回の判決は、検察の完全な勝利だ。筆者は、この裁判を「誰が日本国家を支配するか 」という問題を巡る政治エリート内部の権力闘争と見ている。もっともこの権力闘争に加 わっている個々のプレイヤーは自らが果たしている社会的、歴史的役割を自覚していない 。検察庁は「国家は資格試験で合格した偏差値エリートが支配するべきである」と考える 官僚階級の集合的無意識を体現している。これに対して、「小沢一郎」という記号が、民意によって代表された政治家を代表している。ここで、実際に小沢一郎氏が民意を体現しているかどうかは重要でない。官僚から見れば、国民は無知蒙昧な有象無象だ。この有象無象から選ばれた国会議員は無知蒙昧のエキスのようなものだ。資本主義社会において、カネと権力は代替可能な関係にある。カネの力で無知蒙昧な有象無象の支持を取り付け、 国家を支配しようとする「小沢一郎的なるもの」を排除しないと、日本が崩壊するという官僚階級の危機意識から、この権力闘争は始まった。

2009年11月、石川氏から筆者に電話がかかってきた。司法記者が石川氏の秘書に「検察が『石川は階段だ』と言っています」と伝えてきたので、その読み解きに関する相談だった。筆者は、「要するに石川さんという階段を通じて、小沢幹事長にからむ事件をつくっていくという思惑なのでしょう。これは僕にとってとても懐かしいメロディです。 2002年6月に鈴木宗男衆議院議員が逮捕される過程において、『外務省のラスプーチ ン』こと私が『階段』として位置づけられていたからです」と答えた。」

この記事中の「 これは僕にとってとても懐かしいメロディです 」という文句を見て、当方も同じことを言いたくなった。「 これは私にとってとても懐かしいメロディです 」と 。何に対してかというと、「 筆者は、この裁判を「誰が日本国家を支配するか 」という問題を巡る政治エリート内部の権力闘争と見ている 」という一節に対して。この文句は、佐藤氏の口からまったく何とかの一つ覚えのように繰り返される(あともう一つ、今の検察官僚を2.26の青年将校に例えるのもお好みらしい。なぜか5.15事件の将校は例えに出さないようだが、その理由は不明)。きっとよほどお気に入りのセリフなのだろうが、その後に「集合的無意識」という言葉がつづくのもお馴染みのパターンで、これまた、「懐かしいメロディ」だ。

何事においても、この人の話をその名調子につられてまともに受け取っては過ちを犯すだろう。そりゃあ官僚のなかには、国民をバカにし切っている人間もいるにちがいない。何ならそういう官僚が大多数だと認めてもいい。だが、国民に対する官僚の胸中を「 官僚から見れば、 国民は無知蒙昧な有象無象だ。」と言い、それのみならず、政治家についても「この有象無象から選ばれた国会議員は無知蒙昧のエキスのようなものだ。」とまで断言するのなら、その根拠となる実例を少なくとも5つ6つは挙げて論じるのが筋であり、礼儀だろう。これではどうも、単なるハッタリか、官僚一般の心象というより、むしろ、元官僚である佐藤氏自身の心象を語っているように聞こえて仕方がないのだが? いや、たしかに「国民は無知蒙昧な有象無象だ」という見解は、何かと二枚舌を駆使し、 時と場所によって発言内容を使い分ける佐藤氏にこそもっとも相応しいといえるように思う。読者、聴衆を有象無象の輩と思っていなければ、とてもあんな人を舐めた言動はできないだろう。

次に、「 カネの力で無知蒙昧な有象無象の支持を取り付け、 国家を支配しようとする「小沢一郎的なるもの」を排除しないと、日本が崩壊するという官僚階級の危機意識から、この権力闘争は始まった。」というくだりに関して。この「 小沢一郎的なるもの 」についての認識は、官僚のものなのだろうか? それとも佐藤氏自身のものなのだろうか? この言い方をみると、官僚が、というより、どうも佐藤氏自身が、小沢一郎という政治家を「 カネの力で無知蒙昧な有象無象の支持を取り付け、 国家を支配しようと 」している、と認識しているように読めるのだが。たとえ、「いや、そうではない、自分は官僚の経験があるから官僚の気持ちがよく理解できるのだ。」とこれまたいつもの主張をしたとしても、これほどドギツイ内容の推測、想像が可能なのは、自分のうちに同様の、あるいは近似のものを持たないかぎり無理なのではないだろうか。

それはそれとして、「カネの力」で有象無象の国民の支持を取り付けた、という発言は意味が分からない。国民は (愚かだから) 何しろカネのある政治家が好きだとでも? さらに、佐藤氏は、そういう「小沢一郎的なるもの」を排除しないと、日本が崩壊するという危機意識が官僚階級のなかに生じ、日本の支配者の地位を巡って政治家と官僚の権力闘争が起きている、それが陸山会裁判だというのだ。いや、この分析(?)も物凄いと思うが、でもまぁ、そういうことはありえない、とは言えない。あるかも知れない。だが、前述した場合と同じく、こちらもまったく根拠が述べられていない。発言主が相応に影響力のある人物の場合、根拠のない断定発言をするのは無意味なだけならまだいいが、それが重大問題の場合はたいてい非常に有害だ。

事実として、小沢一郎氏の場合、十数年にわたり常に「政治とカネ」の問題で疑惑がささやかれつづけてきた。前にも書いたが、例えば松田賢弥氏のルポルタージュを読んで、小沢氏とカネに関する実態を具体的に知らされると、その後はこの問題にこれまでどおり無関心のままでいることはなかなか難しい。市民オンブズマンの人々の告発の内容を知った場合などもそうであ る。一般市民のそういう視線や声は徐々に検察の背中を押していったということもあったのではないか。おまえたち検察は、弱い一般大衆に対してはあるかなきかの軽微な犯罪でも容赦なく摘発するくせに、大物政治家の重大疑惑については分かっていながら見て見ぬふりをつづけているのではないか、と。また小沢氏は2007年ころから例の土地購入代金4億円の原資についてメディア上で説明を変遷させつづけてきた。そういう事実は、それを聞いた者の胸に浸透し、疑念は少しづつ大きくなって世間に拡がっていくのだ。

少なくともこの角度からの見方はありえるはずだ。かりにこの裁判に事実権力闘争が関係していたとしても、佐藤氏のように5年も6年も前から鸚鵡のように同じ話を何の代わり映えも発展性もなく繰り返すのはそろそろやめてほしいものだ。それに、佐藤氏がここで述べているような性格の権力闘争なら、それは権力闘争であることが誰の目にも明白な、最もありふれた態の権力闘争なのだから、いくら当人たちは無意識だという説明つきでも、これに「集合的無意識」などという特異な心理学用語をもちいるのは誤りだと思うし、大袈裟で可笑しい。
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2011.10.08 Sat l 社会・政治一般 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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