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とあるブログで「「小沢事件」と「ドレフュス事件」の類似性」という題の記事を見た。ブログ主は一応「文藝評論家」だとのこと。本当に頭が痛くなる。非礼を省みずに言わせていただくと、裁判について書くのであれば、事件の詳細について最低限の理解をした上で書いてほしいと思う。いったい小沢事件のどこに「 ドレフュス事件 」との類似性があるというのだろう。裁判資料を集めるのが大変だというのなら、たとえば上脇博之氏のブログを少し丁寧に読めば、秘書3人が関わる「陸山会事件」についても、その秘書たちとの共謀の有無が問われている小沢氏自身の事件についても、事件の流れ、および裁判で彼らの行動の何が具体的に問題とされ、どの点が疑わしいとされているのか、詳細に知り得るだろう。事件の全体像も把握できると思う (私もそのようにして事件に関する基礎的知識を得た)。そうすれば、判決が有罪、無罪のどちらであった(ある)にせよ、一連のこの事件に対し、「ドレフュス事件」( 事件の概略は、このウキペディアの記述でも大体分かる。) と類似している、などというデタラメ発言は出てこないはずだ。

小沢支持者という人々は不思議な人たちで、私の知る範囲では、この人だけではなく、ほぼ全員が「 小沢一郎は無実だ、冤罪だ」「事件は検察とマスコミのでっちあげだ」「陰謀だ」と叫び立てたり、集まってデモをやったりするものの、その前に自分たちで裁判資料を精読して一から事件を検証し、被告人の無実を具体的に明らかにするという、普通の裁判批判の手続きはとらないようだ。そういう例を私は見たことがない。それとも裏できちんと検証作業を行なっていながら、表面に出さないだけなのだろうか? だとしたら、それはそれでなぜ?という疑問が浮かぶ。いずれにせよ、1年も2年も同じ内容、同じ形式の抽象的小沢擁護発言を声高に繰り返してよく飽きないものだが、そうやってキャンキャン騒いでいるうちに、発想も表現もどんどん大袈裟に誇大妄想気味になっていく。「小沢一郎暗黒裁判」 は「ドレフュス事件 」を彷彿させる、などと言いだすのは、その最たるものだろう。ここまでくると、もう裁判批判自体がデマゴギー化してみえる。

一般市民がある裁判について腑に落ちないとか、モノ申したい、批判があるという場合、誰にとっても可能かつ適切な行動はまずコツコツと事件の検証を行なうことだろう。広津和郎が松川事件の膨大な裁判資料と格闘し、判決の矛盾と不当性を丁寧かつ詳細、的確に指摘し、世論を喚起したのは、もう半世紀以上も前の1950年代だが、広津のこの裁判批判の態度こそは現行の司法制度がつづくかぎり、裁判批判における永遠不変の原則的態度といえると思う。そして基本となるのはいつでも法廷のテーブルの上の証拠である点も変わらないだろう。

小沢氏の支持者 (小沢氏自身も) は、秘書3人に下りた有罪判決について、裁判官が証拠を無視して勝手な推測と想像によって導き出した判決であるかのように述べている。しかし、ことこの裁判に関しては、判決の内容を被告人石川氏および池田氏の法廷における陳述と照合してみただけでも、小沢支持者のその言い分こそ証拠を無視した主張であることは明白のように思われる。

たとえば、石川氏の法廷証言によると、政治資金収支報告書の2004年10月収入欄に記入されている4億円は「小沢氏からの借入金」と説明される。4億円にはこの小沢氏の4億円と、もう一つ、 小沢氏を介して同時期に銀行から借りだした4億円 (計8億円) がある。石川氏はこの二つの4億円のうち一つしか報告書に記入せず、記入したのは小沢氏の4億円だと言う。だが、4億円の返済は2005年と2006年に2億円ずつ、石川氏の証言によると借入金として報告書に記載されていないはずの銀行に対してなされ、小沢氏へはなされていない。これは証拠上明らかである。このあたりの経緯について石川氏は本年3月2日 第6回 公判の被告人質問の場で説明を求められたようだ。

「 登石郁朗裁判長ら裁判官が、同会が土地を購入した際、石川被告が行った複雑な資金移動の理由について説明を求めたが、石川被告は「うまく説明できない」と述べた。

同会は2004年10月に東京都世田谷区の土地を購入。その際、小沢元代表から4億円を借り入れた上で、定期預金を担保に銀行から同額の融資を受けたが、融資の利子として年間約450万円を払っていた。

石川被告はその理由について、「小沢議員から借りたことを明確にしようとした」と説明。登石裁判長が「借用書は作っていますね」「借金とはっきりさせていればいいのでは」などと尋ねると、石川被告は口ごもり、「すべてを合理的に説明できない」と話した。」(2011年3月3日読売新聞

ところが、この石川証言に対し、石川氏の後を継いで陸山会の経理責任者となった池田氏は、報告書記載の4億円は銀行からの借入金であり、小沢氏の4億円ではないと主張する。報告書には銀行への返済金が記入されているのだから、こちらの証言のほうが石川証言よりはるかに自然かつ合理的だが、では、小沢氏から陸山会に渡された4億円は陸山会にとってどのような意味をもつ金銭なのかと問われると、池田氏は単に「預り金」だという。上脇氏のブログでは、小沢一郎元民主党代表の元秘書ら3名に有罪の判決が下されたことは「ほぼ予想通り」であり、 「そもそも元秘書ら3名の有罪は客観的な証拠に基づいて帰結できるものでした。」という判断が示されているが、そのなかで、石川氏と池田氏の間の証言の矛盾についての分析もなされている。以下に引用させていただく。

「 (4)では、どちらの主張が妥当なのでしょうか?

まず、被告人石川氏の弁明は通用するのでしょうか?

その弁明は他の事実に矛盾します。

というのは、被告人石川氏は転借りした「4億円」を記載していないことを認めていますが、にもかかわらず、転借りした「4億円」は、検察の冒頭陳述で説明されているように2005 年と2006年に2億円ずつ小沢氏を介して銀行に返還されており、2005年分と2006年分の政治資金収支報告書に返還の記載がなされているからです(当初の小沢氏から借入れた 「4億円」が返還されたのは2007年です)。

借り入れのとき記載しなかった「4億円」について、返還では報告するのは、矛盾しています。

そうすると、2004年分の政治資金収支報告書に記載されている小沢氏からの4億円の借入は、検察側の主張するように銀行からの転借り分の「4億円」だという方が辻褄があいますので、当初 小沢氏から借入れた「4億円」は記載されていないというのが、真実でしょう。

すでに紹介した被告人池田氏の陳述が被告人石川氏の弁明の嘘を暴いていることになります。

被告人石川氏は、小沢氏からの4億円の借入を報告していないことを自覚していたから、当初は罪を認めていたのでしょう。

(5)では、被告人池田氏の「預り金」の主張は通用するのでしょうか?

2004年10月に、小沢氏を介して銀行から「4億円」借り入れできたので、当初の小沢氏から借入れた「4億円」をすぐに返済したというのであれば、「預り金」の主張は理解できないわけではありません。

しかし、2004年に借入れた「4億円」もの大金を2007年に返還して、それでも「預り金」だと主張するのは、通用しませんし、通用させてはいけません 。 すぐに返済しなかったのは、本件4億円がなければ陸山会の資金運営に支障が生じたからでしょう。 それなのに「預り金」という弁明が許されるのであれば、政治資金規正法は遵守しなくてもいい法律だ、ということになってしまいます。

同法は真実の収支を報告させ、それを国民の不断の監視と批判に委ねているからです。 記載されなければ国民は適正な判断ができません。

(目的) 第1条 この法律は、議会制民主政治の下における政党その他の政治団体の機能の重要性及び公職の候補者の責務の重要性にかんがみ、政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるようにするため、政治団体の届出、政治団体に係る政治資金の収支の公開並びに政治団体及び公職の候補者に係る政治資金の授受の規正その他の措置を講ずることにより、政治活動の公明と公正を確保し 、もつて民主政治の健全な発達に寄与することを目的とする。

(基本理念) 第2条 この法律は、政治資金が民主政治の健全な発達を希求して拠出される国民の浄財であることにかんがみ、その収支の状況を明らかにすることを旨とし、これに対する判断は国民にゆだね、いやしくも政治資金の拠出に関する国民の自発的意思を抑制することのないように、適切に運用されなければならない。 2 政治団体は、その責任を自覚し、その政治資金の収受に当たつては、いやしくも国民の疑惑を招くことのないように、この法律に基づいて公明正大に行わなければならない 。

(6)この「4億円」という高額な借入の不記載、返済の不記載だけで、小沢氏の元秘書らは「有罪」でしょう。「無罪」だと結論づける方が難しいでしょう。」
  http://blog.livedoor.jp/nihonkokukenpou/lite/archives/51612036.html


以上、長文 (裁判の検証に関連する文章は丁寧さが必要とされるので長くなるのが当然だと思う) のうちのほんの一部の引用だが、裁判批評というものは常に、それがどのような内容のものであれ、このように起訴事実に対して証言をふくめた証拠を具体的に照らし合わせ、 実証的に論じられる必要があるだろう。上脇氏のtwitterをちょっとのぞいてみたら、「小沢一郎元民主党代表の初公判での意見と記者会見での発言等について」の項目(?)で、 「先生の文章、とても鋭い。なんというか、こういう緻密かつ大胆で分かりやすいブログを読めることに幸せを感じる。 7 Oct」「有難う。 @ 7 Oc」との会話がかわされていた。「幸せを感じる」という人の気持ちは分かるような気がする。ブログを読み進めることでその裁判に対する、また物事の見方に関する理解の深まりや視野の拡がりを自分の内部にたしかに実感するから 「幸せを感じる」のだろう。この「幸せ」は「充足感」と言いかえられるかも知れない。もしかすると基礎的な「学問の喜び」の一種と言えるかとも思う。昔、広津和郎の『松川裁判』を読みながら私もそのようなことを感じたことがあるのだ。

上記の石川、池田両被告人の証言を検討した上脇氏の文章を読んだだけでも、小沢氏やその秘書たちの事件と完全な冤罪事件である「ドレフュス事件」を並べて論じることのいかがわしさ、不適切、不当性が理解できるのではないかと思う

長くなるので、つづきは次回に。
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2011.10.13 Thu l 裁判 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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